わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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324.20 ホロゴン外傳41「2012年5月19日鶴橋は待望のパンタッカーを迎えて」20 Easy come, easy go.



写真の場合、若い頃から写真に心を奪われる人は、
辛抱強く幾度も幾度も壁を乗り越えていきます。
たいていぶれません。
私の若い頃の友人たちもそうです。
みんな今でも変わりなく写真を愛しています。

問題は、かなり年をとってから写真を始める人。
それぞれに生活があり、仕事があり、関心も広い。
現代のカメラは、基本的に、押せば撮れます。
ですから、最初からかなりの写真が撮れます。
だから、すぐに巧くなる人がいます。

しかし、Easy come, easy go.
あんまりよいことではありませんね。
ちょっと壁にぶつかると、
もう、くじけて、他の趣味に逃げてしまいかねません。

これじゃ詰まりませんね。
誰でも、そんなことは一杯あるでしょう。
でも、これこそ生涯の友と決めたものだけは、
必死でしがみつきたいものですね。
ここであきらめると、次もあきらめることになりかねません。
くじけ癖だけはつけたくないものです。

私は、さいわい、写真を半生の間続けてくることができました。
最初から撮りたいものが決まっていたこと、
自分の才能、成果に高望みをしなかったことが幸いしました。

おかげさまで、壁らしき壁にぶつかることがない
という幸運に恵まれました。

自分の技が写真の結果に顕れる、
そう考えている人は終始修練を積み上げてゆく必要があります。
でも、私は写真は賜物であると終始考えてきました。
そんな写真を撮って、
喜ぶ程度のレベルにとどまっていたせいなのでしょう。
撮れなくても、失望落胆することもなし。
Easy come, easy hold.




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by Hologon158 | 2012-05-31 16:58 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

324.19 ホロゴン外傳41「2012年5月19日鶴橋は待望のパンタッカーを迎えて」19 頭の中が器用?



小川三夫さん、相変わらず良いことを言っています。

十年がんばって宮大工になりますと決意して弟子入りする。
だけど、続かない人がいる。

    「そういうのは、いろいろ事情もあるだろうが、
     頭の中も器用なんだよ。
     ほかがよく見えるからや。
     これは褒めたことではないんだよ」

どんなことでも当てはまりますね。

    やりたいことが一杯ある人がいます。
    パターンがあります。
    一つにまず熱中します。
    でも、続かない。
    すぐ、別のものに熱中して、移っていく。

写真でも、そうです。
写真以外にいくつもいくつも趣味を持っている人が多い。
時間の使い方も心の使い方も違うので、
それ自体は、写真に差し障りがあるわけではありません。

写真に夢中になり、上達を続け、楽しくてたまらない間は問題がありません。
問題は上達が止まったとき、壁にぶつかったときに起こります。

壁にぶつかったとき、どうやって克服するかは人様々だし、その状況次第。
それまでと同じやり方でがんがんと壁にぶつかり続ける。
旅順要塞を攻めた乃木将軍のやり方ですね。
たいがいうまく行きません。

さまざまに別の方法を試してみる。
旅順攻撃も、大口径の攻城砲による砲撃を先行させて、
ようやく陥落にまで持ち込んだと言われています。

でも、たいていの方は、壁にぶつかると、
もうさっさと撤退して、別方面に転進してしまいます。
他の趣味が逃げ道となるようであれば、
複数の趣味を持つ人間の場合、下手をすると、
すべての趣味から逃げることになりかねません。




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by Hologon158 | 2012-05-31 15:34 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

324.18 ホロゴン外傳41「2012年5月19日鶴橋は待望のパンタッカーを迎えて」18 雨が一番



一昨日の報告の残り。

小料理店を出たのが午後4時10分。
午後4時31分JR加美駅で乗車するまで、撮影。

  約1時間10分撮影して、収穫は279枚。
  銀塩フィルム換算7.75本。
  かなり快調でした。
  
35mmなので、実効焦点距離52.5mm。
近頃、この焦点距離が一番撮りやすいようです。
ちょうど撮りたいと思うものだけが入ってくれます。

ボシュロムの映画用レンズ、バルターはさすがに名レンズです。
徹頭徹尾開放だけで撮りました。
私が目で見て撮りたいと思ったものだけに焦点が合います。
ライカM9でバルター50mmF2.3を使ったときととても似た描写。
開放でも像は崩れず、とても柔和で、グラデーションが上々。

小料理店を出た後は、かなりの雨脚で、とても暗くなりましたが、
こんなときが一番楽しい撮影どき。

  開放がますます生きてきますし、
  ものたちがみんな濡れて生き生きと輝きます。

ライカM9のシャッターが壊れたのは、
雨でも平気で撮影してきたせいかも?
銀塩カメラも、ホロゴンウルトラワイドを含めて、
土砂降りでも使ってきましたが、壊れたことはほとんどありません。
電子カメラって、壊れやすいのかも知れませんね。




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by Hologon158 | 2012-05-31 12:52 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

324.17 ホロゴン外傳41「2012年5月19日鶴橋は待望のパンタッカーを迎えて」17 朝から暗いねん



今日は、大阪平野区加美の長女の家に行って、
午前10時半から午後3時まで、孫の面倒を見ました。

帰る前、行きの手に入れてきたショウガ焼き用の豚肉を
ショウガ、ネギのみじん切り、醤油、日本酒、ごま油、ミリンで味付けして、
ラップにくるんで、冷蔵庫に。

いつもの道を40分撮影。

    バルター35mmF2.3付きリコーGXR+A12。

189枚撮って、行きつけの小料理店に入りました。
常連さんが今日は5人もカウンターに並んでいます。
私は、いつも明いている窓ぎわ4人席に。
チーズケーキ、コーヒーセットもいつもどおり。

常連さんたちの会話が楽しいので、iPodも使いません。

A「この前、生まれて初めて一泊しましたわ」
B「どないでした?」
A「まあまあですわ。
どないでも調べてください、言うて」

C「犬飼うてますから、いつも散歩ですわ。
獣医さんに行ったら、高いのなんの」
B退場、入れ替わりに常連さんDがまた一人入ってきました。

D「やあやあ、お久しぶりですな」
A「昨日も会いましたがな。」
D「いやあ、懐かしいですなあ」
店主の姉妹に、
D「おきれいですなあ」

Aさん、帰ろうとしました、
D「雷ですよ、あぶないよ」
     ガ、ガーン!
A「雷怖いわ、ちょっと待とうか?」
D「うまいこと行った」
A「なにがあ......」
D「いや、こっちのことで、
いっときはどうなることかと.....」
A「雷怖いわ.....、そやけど、やっぱり帰ろか?」
A「あかん、あかん、あぶないで....」
C「気い、つけて....」
D「あかんて、帰らんとこかと思てる人を送り出したら、あかんで」

D「それでなあ、おとうさん」
C「わし、あんたのお父さんちがうで」
D「じゃ、名前名乗るわ。朝倉。
あさくら、朝から暗いねん。
それで、あんたの名前は?」
C「わしは、近藤。
こんどう言うぞお....」
D「わあ、だじゃれやあ」
(自分ダジャレを返されたことに気づいていない振り?)

まるで、漫才。
皆さん独り者。
このお店は、皆さんの憩いの場なのです。



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by Hologon158 | 2012-05-31 10:58 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

324.16 ホロゴン外傳41「2012年5月19日鶴橋は待望のパンタッカーを迎えて」16 一秒、一秒が大切



少年老いやすく学成りがたし。

先日、年輩のご婦人とお話をしていて、
二上山の麓にある奇岩の名所、ドンヅルボウの話になり、
子供の頃、従兄弟たちと行ったことがある、とお話しました。

そのご婦人、しみじみと、

    「私の母におんぶしてもらって、上ったことがあります。
    その母ももう90を超えて、今では老人ホームにいます」
    
私も、なぜか丸くすり減った巨岩を跳びわたって、
ひときわ大きな岩の上に並んで、
奇観を見渡したあの頃がつい数年前であるかのように思い出されます。

でも、ちょっと考えて見てください。

「人生もう終わりとなったら、
もう一度、まったく同じ人生を繰り返させてあげるよ」
そう神様から言われたら、
あなた、よろこんで答えますか、

    「ありがとうございます!
     ぜひ、お言葉に甘えさせください。
     も一度、はじめから味わってみます!」

何一つ変えることができないまま、もう一度?
私はいやですね。

これからの残りの人生はにわかに色あせてしまうことでしょう?

    残りが少ない。
    いつお迎えが来るか、分からない。
    (これはどんな若者にも言えることですが)
    そう感じるからこそ、一秒、一秒が大切になります。

とてもテレビなんか見ているひまはありません(韓流ドラマは別ですが)。
今一番したいことを、ここでする、それしかありません。

小さなことでもよいのです。
大きな志を実現することばかりが人生ではありません。
日本地図を完成する、
こんな半生をかけての大目的を立てることのできた伊能忠敬は、
多くのものを犠牲にしました。

私は、小さな人間だから、なにも犠牲にしたくない。
一歩一歩踏みしめて、
地面の霜柱を砕く音を楽しみながら歩いていきたい。
「モモ」に出てきた、公園の落ち葉を掃き集める老人のように、
目の前だけを見つめながら、ゆっくりと歩いていきたい。
そんな気持ちですね。




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by Hologon158 | 2012-05-31 00:47 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

324.15 ホロゴン外傳41「2012年5月19日鶴橋は待望のパンタッカーを迎えて」15 あと一足速く



宮大工の小川さん、実に壷のはまった語りをしてくれます。
人生の知恵がいっぱい詰まっている人です。
たとえば、こんな言葉、

    相撲を見て、あと一押しをすればいいのにとか、
    プロ野球を見て、次にあそこに速いボールを投げれば打たれないのにとかって、
    みんないろいろ評論家風にいうわけだ。
    しかし、やっている連中はそんなことは重々知っているけど、
    あと一押しができないわけや。
    そこにボールを投げたいけれど、いかないわけだ。
    評論家のように言えるのは、頭が先行していて、体の実感がないからなんだ。
    やっている連中は、その「あと少し」に命を賭けて修行し、練習しているんだ。
    そのあと少しがわかるのは、やってみた連中、体で物をつくってきた連中だ。
    職人はそれと同じだ。

私は、どちらかと言うと、頭でものを考えることを仕事にしてきました。
スポーツというスポーツ、全部やったことがない、という書斎人間。
でも、仕事は気力と馬力でやってきました。
そして、その職業の期間ほとんど毎土曜日はストリートフォトを撮ってきました。

高校生のときに見たカルティエ=ブレッソンの写真に魅せられて、
その後大学でカメラを手に入れて以来、写真を撮ってきたのですから、
写真の第1の目標は、スナップを撮ること、これでした。

この10年来、ロボグラフィに徹して、
スナップから遠ざかってしまいましたが、
以前は人並みにスナップ写真も撮っていたわけです。

このストリートスナップほど、
「あと一押し」を痛感するものはあまりないのではないでしょうか?

    「あと一押し」は「あと一足速く」がほとんど。
    ターゲットの光景に気が付いて、
    レンズを向けて、さっと撮る。
    たいてい、一足遅かった!

心と体と同期させ、かつ光速化する!
これがスナップ屋の夢ですね。

でも、言うは易く行うは難し。
いつも遅れる!
要するに、スナップの才能がないのです。

ロボグラフィに徹するようになっても、
突然、スナップチャンスが巡ってくるものです。
でも、もうあわてたりはしないことにしています。

向こうからやってきたら、撮らせていただきます。

    うまく撮れたら、幸運。
    うまく撮れなかったら、無縁。

こう考えると、気楽ですね。




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by Hologon158 | 2012-05-30 18:25 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

324.14ホロゴン外傳41「2012年5月19日鶴橋は待望のパンタッカーを迎えて」14 文字の変質



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昨日、大和西大寺から南に向かう近鉄電車に乗りました。
下校時らしく、高校生たちがどっさり乗って、かなりの乗客数。
車内、見える限り見渡しても、
本を読んでいるのは、男子高校生ただ一人。
受験用の本を真剣に読んでいます。
かなりの人が携帯に見入っています。

すでに活字文化は衰退しようとしているのでしょうか?
私の見るところ、インターネットでも活字を活用するので、
活字文化そのものは消えませんが、
媒体としての本はまちがいなく衰退しようとしています。

ワープロ、携帯メールの活用によって、
字そのものが変質していこうとしています。

    鉛筆や万年筆で一字一字紙に書き付けて、
    思想を具体化しようとした時代に、
    一字一字の字は深い意味を内包し喚起するシンボル(記号)でした。
    文字は、心の奥底の宝庫を開く鍵であり、魔術でした。
    
    今でも、文字はシンボルに変わりはありませんが、
    その使い方が変わってしまいました。
    文字は音符、絵の具になってしまったのです。

思想を生み出し、構築し、伝えるものではなく、
気分、情緒を生み出す音符、色になってしまいました。
意味を探ろうとしても、なんにもない。
ただその語調がフィーリングを伝える、
そんな文章が氾濫しています。

人間がかなり変質しようとしているのかも知れません。
ここから、どんな文化が花開くか、まったく予測不能。
私は、あまり適応できそうにありませんね。
by Hologon158 | 2012-05-30 00:18 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

324.13 ホロゴン外傳41「2012年5月19日鶴橋は待望のパンタッカーを迎えて」13 お腹に贅肉が



先日、インターネットでおもしろい記事を読みました。

  お腹に贅肉がつかないようにするには、
  腹筋体操をしても無駄である。
  正しい姿勢こそ、解決策。

いつもながら、インターネットの匿名記事って、
鵜呑みにできませんね。

とくに、逆説的な新説って、
常識をただひっくり返しただけというものが多いので、
眉唾ものですね。

お腹に贅肉がつかないためには、

  正しい食事、
  正しい腹筋、
  正しい背筋、
  正しい姿勢、
  正しい心の持ちようなど、
  さまざまなファクターがたがいに原因となり結果となりと、
  円環を描いているのではないでしょうか?

この記事が言うように、正しい姿勢をとっても、
続かなければ意味がありません。
腹筋、背筋がしっかり働かなければ、
正しい姿勢を持続させることが難しい。
続くためには、腹筋、背筋などの全身の筋肉が
しっかり働いていなければならない。

でも、心に屈託、心配、不安、葛藤、苦悩を抱えていたら、
正しい姿勢など問題になりません。
ともすると、頭を垂れ、肩を落とし、うつむき、猫背になりがちです。

人生になにか猛烈によいことがあったとき、
頭を垂れて、とぼとぼ、こそこそと歩きますか?
歩きませんね。
全身に電流が通ったかのようにビンビンと張りを感じ、
胸を張って、矢でも鉄砲でももってこい、
なにも怖くないぞ、という気持ちになって、
大股で歩くものです。

そんな心の張りこそ、正しい姿勢を支える原動力。
こんな風に考えると、
別にお腹に贅肉がついていたっていいじゃないですか?

生活に張りがあり、人生を謳歌し、やりたいことをさあやるぞと、
心が弓張り月のように満々と張りつめていさえすれば。




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by Hologon158 | 2012-05-29 21:54 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

324.12 ホロゴン外傳41「2012年5月19日鶴橋は待望のパンタッカーを迎えて」12 猫の跳躍のような



昨日は、月2回の揚琴レッスンでした。

人生って、我慢をすれば、いつかよいことが巡ってくるものですね。
この月2回のレッスンは、人生のプレゼントのようなものです。

でも、このプレゼント、なかなか厳しい。
まず、先生を横にして、課題曲を弾き始めると、
あれだけ全部暗譜していったのに、まるでなにも浮かんでこない!
あれだけ毎日毎日幾度も幾度も練習したのに、
頭の中は真っ白。

この「真っ白」体験って、人間を謙虚にさせてくれますね。
もうやるだけやったなどという状態にまでもってゆけることなんて、
ほとんどない!
どんなに準備しても、準備不足かも知れない、
いや、間違いなく準備不足だ、と知ることはよいことです。

そして、楽譜をどんなに皮相に読んでいるかということも思い知らされます。
ああ、そうだったか!
練習しながら、そんなことばかり、口走っている自分に気づきます。

そして、前回に書いたこともしっかりと実地に体験できます。
音楽は技術ではなく、歌であり、アートであること。

    音楽というのは、猫の跳躍のようなものですね。
    屋根の端にいた猫が、突然すっと空中に飛び出し、
    次の屋根に前足から着地して、すっと降り立ち、すっと立ち去る。
    水銀がするりと流れたような印象。
    淀みなく、滞りなく、無理がない。

よい音楽は全部そうです。
すべてのサウンドが、猫の筋肉がさわさわと波打つように流れ、
けっしてよどんだり立ち止まったりしない。

そんな音楽を生み出すために、
スティックを正しい瞬間に正しい位置にもっていかなければなりません。
独学だと、なにが正しいかまるで見当がつきません。
CDで演奏を聴いても、そんなこまかいニュアンスを聞いて知ることはできません。

今日も、左手練習曲を弾いたとき、先生が突然、

    「右手がほんの少し遅れています」

自分では気づけない、ほんのかすかな遅れ。
これを直した途端、いままで感じたことがないほどの美しい流れが生まれました。

小川三夫さんが言っていたことを今思い出しました。

    宮大工は、一寸角の角棒を削り出せるだけではだめ。
    一寸角の角棒を10本並べて、ぴったり一尺にならなければならない。
    でも、それだけでも足りない。
    どんなに正確に角材を削りだしても、木は生きているので、
    延びたり縮んだりする。
    何年か経ってずれてしまったら、大建築は保たない。
    飛鳥時代の法隆寺の大工たちは不揃いの木を組み合わせて、
    二千年保つ寺を建てることができた。

これって、美しい演奏とまるで同じ呼吸ではないでしょうか?
さまざまな長さの音符をさまざまなテンポで組み合わせて、
美しい音楽を生み出すときにも、同様の呼吸が必要なのでしょう。

今日の採点は「もう少し」(5段階の上から2番目)でした。
先生から「かなりよくなりました」とほめられました。

そのとき、聞き違いでなければ、
お赤飯を炊いてお祝いしたい位に、とってもうれしい言葉をいただきました。
この言葉はいくら日記でも、人が見るブログに書くことはできませんね。
心の奥深くに、しっかり刻みつけておきます。



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by Hologon158 | 2012-05-29 21:34 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

324.11 ホロゴン外傳41「2012年5月19日鶴橋は待望のパンタッカーを迎えて」11 創る側ではなく



宮大工小川三夫の聞き書き「不揃いの木を組む」(文藝春秋)を読んでいます。

怖い言葉を読みました、

    技術は身につけられる。
    ところが、芸術性は、もちろん、
    ある程度は技術力が裏付けているのだけど、
    技術の習得を一所懸命やっているうちに
    その感覚ができあがってくるかというと、
    実はそうではないんだ。
    最初から芸術性を感じ取られるやつがいるんだよ。
    そういう人は、技術を磨いていけば、きれいなものがつくれるんだ。
    美しいものというのはどういうものかがわからないで削っているようでは、
    たんなる技術だけで、創造ではないわ。

この言葉ほど、痛烈に響いてくる言葉はあまりありませんね。
写真をやってきて、
この言葉が示す真実をいつもいつも思い知らされてきました。
写真に限らず、アート性のあるものに関しては、
これが全部当てはまります。

次の4つの種類の人間がいます。

    A 才能があって、それを知っている。
    B 才能があって、それに気づいていない。
    C 才能がなくて、それを知っている。
    D 才能がなくて、それに気づいていない。

この4つはピラミッド構造をなしているようです。
だんだんと多くなる。
もちろん、Cも多いので、CDはごった煮の鍋状態でしょう。

小川さんはよくわかっています、
「美しいものというのはどういうものかがわからないで削っている」
そんな状態が大半。

才能の欠如の中には、美意識の欠如も含まれている。
なにが美しいか、なにが美しくないかがわからないから、
なにを撮っても、それが美しいかどうかわからない。
もちろん美しい写真を見ても、わからない。
お手上げ。

でも、美しいものというのはどういうものかは分かっているけど、
それを自分で創造するのは無理、
そんな人もかなりおいででしょう。

自慢じゃないけど、私もその一人、そう信じたいですね。
もっとも、私の美意識はちょっと常識外れかも知れません。
こんな人は、創る側ではなく、鑑賞する側にいるべきなのでしょう。

でも、やっぱりしてみたい。
でも、才能のある人の写真を見るにつけ、
アートの世界では、凡庸を救う技術はないことを思い知らされます。
写真をアートとしてではなく、記録として撮る、
これが写真を楽しむために残された道。
そう気がついた途端、気楽になりました。

そう気がついた途端、肩の力が抜けて、
ブレークスルーしたというのであれば、ハッピーエンドですが、
そう簡単にいくものではありませんね。
でも、安心して、オールドレンズたちの玄妙な描写力に
全面的に肩代わりをしてもらうことができます。

そうすると、よい写真がバンバン撮れるようになった、
なんてことは起こりません。
どうあがいても、撮れるものは知れています。

変わったのは、自分の写真に対するスタンス、姿勢。
要するに、親の姿勢ですね。

    出来の悪いやつの方がかわいい!
    大事にしたくなる。

というわけで、今、私は写真を捨てません。

    全部かわいい!
    そして、私の美意識から見る限り、
    美しい!



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by Hologon158 | 2012-05-29 00:42 | ホロゴン外傳 | Comments(0)