わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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413.17 ホロゴン外傳102「2012年11月23日キノプラズマート25mmf1.5は佐保路に遊び」17 100枚のピカソ


私は知らぬ間に旧弊な人間になってしまったようです。

    芸術家が自分の芸術を売って巨富を築くなんて、
    どこか間違っていると、いつも感じてしまうのです。

たとえば、三大テナーのショーなんて、私は絶対に認めません。

    何千、ときには万を超える聴衆を、
    高額の入場料を取って集めるだけ集めて、
    マイクを使って、喝采の中歌いまくるなんて、
    ただの見せ物じゃありませんか?

オペラ歌手は肉声を聞かせてこそ、
真の歌声の芸術と言えるのですから。

ピカソが世界的成功を博してからの作品はどうなのでしょうか?
とても良く似た絵が数知れずあります。

    あなたが、その1枚を見せられて、
    1年後に、100枚のピカソを見せられて、
    こう尋ねられるとしましょう、

        「さ、1年前にあなたがご覧になった絵はこの内のどれですか?」

    ぴたりと当てられる自信がありますか?

たとえば、フェルメールはもちろんのことですが、
生涯にかなりの絵を描いたレンブラントにしても、
ラファエロ、ブリューゲル、デューラー、ベラスケス、ドラクロア、
偉大な画家たちは、誰でもそうです、

    大傑作は全部あらゆる点で他のすべてと異なっています。
    一度覚えると、もう忘れません。

だから、ピカソが偉大な芸術家であることは認めますが、
そのすべての作品を偉大であると言うことはとてもできません。

そこで、ピカソに質問したいですね。

    そんな作品をどうして世に出したのですか?
    どうして残しておいたのですか?
    金のためではないのですか?
    私は、そのことがすべて疑問です。

意に沿わない作品はすべて焼いてしまった、
修善寺物語の修羅王は正しい芸術家だったのです。
現に、陶芸家たちは当然のこととして、
成功作以外はすべて壊してしまいます。

それとも、ピカソは自分が生み出したすべての作品を、
芸術作品として残すにふさわしいと信じていたのでしょうか?
まさかねえ...............?




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        [後書き]
            いじわるな人の質問の声、
            「じゃ、あんたはどうなの?
            どうして、そんなに1日に撮った写真を何百枚も出すの?」

            分かってない人ですね。
            私の文章も読んでいませんね。
            私は、素人。
            素人は、自分の写真がよかろうが悪かろうが、みんな大好き。
            芸術家と一緒にされちゃ、たまったものじゃありませんね。
by Hologon158 | 2013-01-31 22:28 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

413.16 ホロゴン外傳102「2012年11月23日キノプラズマート25mmf1.5は佐保路に遊び」16 3つの人生



神様が、あなたの人生のはじまりに、こうおっしゃるのです、

    「お前は生涯芸術家として生きることができる。
    しかも、今から言う3つの人生を選ぶ権利を与えてあげよう」

あなたは、次のどれを選びますか?

    1 生きている間はいくら努力を重ねても無名にとどまるけど、
        死後、その努力が報われ、大芸術家として歴史に名をとどめる。
    2 生きている間大芸術家として名声を博するけど、
        死後、完全に忘れ去られ、誰も記憶しない。
    3 生涯二流程度には成功し、
        死後も二流芸術家としてその名を歴史の片隅にとどめる。

あなたが2を選んだとしたら、神様は言うでしょうね、

    「君は芸術家じゃないね。ただの企業家だよ」

3を選んだら、神様、ふんと鼻を鳴らして、

    「まあ、君はその程度の人なんだねえ」

あなたが真の芸術家だったら、2はとても我慢ができないでしょう。
真実の芸術性は時間を超えて、人の心を揺さぶるはずだから。
逆に言うと、そうでなければ、時流に乗っただけの似而非成功に過ぎない。

3もやっぱり我慢できないでしょう。
どんな芸術家も、二流になんかまっぴらご免と考えるでしょう。

3つしか可能性がないのであれば、1を選ぶ、
それが真正の芸術家というものではないでしょうか?
ゴッホが神様から与えられた運命がこれでした。

弟テオへの1880年7月(ゴッホ27歳)の書翰にこんな下りがあります。

    「さて、どうしたらいいというのか。
    内面で起こるもの、一体それは外面に現れるのだろうか。
    人間はその魂のなかに大きないろりを持っているのだが、
    誰も暖まりにやって来ない。
    通りすがりの人たちは煙突から少しばかりの煙りが出ているのを見るだけだ。
    そして、通り過ぎて行ってしまう。
    この通りさ、どうしたらいいのか、
    内部のいろりの火の番をすることか、
    自分だけでつらさに耐えることか、
    それとも、我慢強くじっと辛抱して待つのか、
    誰かがいろりのそばに座りにやってくる時を。
    長居するかどうか知れたものではないのに。
    神を信じる人間ならいずれやってくるその時を待つこともできよう。
    今は、ぼくにとって万事がうまく行かぬように思われる。
    すでに相当長いことこんな調子だったし、
    将来も当分このままの状態が続くようだ。
    だが、すべてが悪くなり切ってしまったと思われるころには、
    また万事がよくなる時期が来るということもありうる。
    ぼくはあてにはしていない。
    おそらくはやって来ないだろう」
            (ファン・ゴッホ書翰全集1 みすず書房)

生前ほとんど認められず、絵もほとんど売れないまま、
結局内部のいろりの火の番をしながら、
自分だけでつらさに耐える生涯を送ることになってしまったのですから。
ゴッホはそれをすでに予見していたのです。

芸術家を目指す者のほとんどは成功しないので、
ゴッホの予見が的中しても、不思議ではないという考え方もあるでしょう。
でも、ゴッホは、鬱勃とした魂のうずきの中で、
自分が人にはないものを持っていることを自覚していたのです。
それが、彼の言う「いろり」です。

しかも、人々がこのいろりに暖まりに来るのを切望し続けたのです。
でも、来るものもないままに、
このいろりの火を守り、2000もの作品を創造し続けたのです。

もう一人の天才ピカソが生涯天才の名をほしいままにしつつ、
約10万点もの作品をマグマのように噴出し、
画家として空前の富貴も手にしたことを思えば、
痛ましい、この一言に尽きますね。

このことが分かった上で、質問。

    あなたなら、どれを選びますか?




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by Hologon158 | 2013-01-31 21:35 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

413.15 ホロゴン外傳102「2012年11月23日キノプラズマート25mmf1.5は佐保路に遊び」15 画家の肉声



日経新聞の文化欄「美の美」「輝けるパステル」下に、
画家小磯良平の逸話が掲載されています。

    東京芸大での会議中、「重要資料」と記された紙に、無意識のうちに、
    イタリア、アッシジの聖堂を一分の狂いもなく描き出した。
    信号待ちの車内では、車窓の風景を宙になぞった。
    電車内ではポケットに手を突っ込み、
    目の前の女性の輪郭を指でなぞった。

弟子の画家奥西賀男さんは、小磯のパステル画について、

    「よそゆきの油絵ではない、
    日常のさらっとしたものの中に画家の肉声が現れる」

    「(穏やかで恥ずかしがり屋、信心深いクリスチャンで知られた画家が)
    心の奥底に秘めていた激しさや情熱、
    めらめらと燃えていたものが、
    なにかの拍子にここに出てきたという気がするのです」

よく考えてみますと、ほとんど当たり前のことをおっしゃっています。

    平凡な人間性の大画家など存在しないのです。
    平凡、謹厳実直を絵に描いた小市民のアーチストなどありえない。
    生活がどうのこうのというわけではありません。
    心のレベル、人生のレベルのことです。

    美への渇望、あこがれ、理想、愛、そんなものが心に渦舞いて、
    るアートに向かって奔流のようにほとばしり、
    作品となって結晶する、それが芸術ですね。

    そんなものがなくて、営々たる平凡な努力の積み重ねだけで、
    偉大な芸術作品を創造するアーチストなど、いるわけがありません。

努力、積み重ねではなく、
突破、飛翔、飛越、昇華こそアートの本質ではありませんか?

大学教授だった私の親友は、教授会のつまらなさをこぼしていました。
別の友人の話では、

    彼は、議論が馬鹿げた方向に紛糾し、堂々巡りを始めると、
    突然、自分を無にしてしまったそうです。
    まったく存在しないほどに、気配を消してしまったそうです。
    つまり、完全に内面にこもって、思索を始めたのです。

その友人は、それから、こうつけ加えました、

    「それなのに、実務を担当すると、実に鮮やかに処理したよ」

本質だけが見えたのです。
だから、独創的な心理学者でした。
そして、写真は旅行写真しか撮らない人でしたが、
その作品は、私の写真なんかよりはるかに美しく、見応えがありました。

彼もまた、静かな外見の内側にめらめらと燃えるものを秘めて、
よく物事が見えた人だったのでしょう。

    見えすぎて、たった52歳で去ってしまいました。
    あれだけ物事の本質が見えた彼に、
    体調、病状の昂進が見えなかったはずがありません。

没落する平氏の中で一番よくものが見えた平知盛は、
最後の壇ノ浦の海戦で、
見るべき程の事をば見つ、今はただ自害をせん」と言いはなって、
入水してしまいます。

私の親友もそんな気持で、
あの世に向かって突破してしまったのではないか、
今でも疑っています。

私は、自分がアーチストでも、もののよく見える人でもなく、
ただの平凡人であることを喜んでいます。

    見事な写真世界を展開しなくてもよい、
    ものごとの底の底まで見抜けなくてもよい、
    健康で、
    いや、それほど健康でなくてもいい、長生きして、
    家族たち(猫を含む)、友人たち(猫はいない)と、
    安穏で平安な生活をエンジョイできれば、それが最高。
    そうではありませんか?

おっと、ごめんなさい。
あなたは写真芸術家でしたね。




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by Hologon158 | 2013-01-31 16:47 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

413.14 ホロゴン外傳102「2012年11月23日キノプラズマート25mmf1.5は佐保路に遊び」14 手袋をちょこんと



今日は、木曜休業日です。
妻は出かけていますので、昼食は一人。

妻の長年にわたる見事な褒め殺し作戦にかかって、
私は料理なら、たいてい自分で作れます。
作れないものだって、料理ブックを見れば、作れます。
玉葱のみじん切りもリンゴの皮むきも巧いものです。

妻に感謝しています。
一人でも生きていけるから?
いえいえ、妻なしでは生きていけませんね。
ただ、好きなものを自分で作れるようにしてくれたからです。

でも、一人で居るときは、簡単なもので済ませます。
ドラマなどで食事シーンが出てきますね。
あなたに一番美味しそうに見えるのはなんですか?

    私には、ラーメンを頂くシーン。

昨夜もこれを見たので、今日はインスタントラーメン。
野菜や厚揚げ、卵も2個入れて、
ついでに、お餅も少し焼いてから、最後に放り込みました。
おいしそうにできあがりました。

つくった小鍋(ちょっと素敵な形のソースパン)のまま、
石盤の上に置いて、フウフウずるずるっと麺をほおばる、
と行きたいところですが、悲しいかな、
ここでも妻のしつけが行き届いてしまい、
麺やスパゲッティを音を立てずに頂く癖がついてしまいました。
ちょっと、つまらない。

でも、一つ、行儀が悪い癖が残っています。
一人で居るときは、必ず本を読みながら頂きます。
そうすると、二倍のおいしさになる、そう信じています。

グウェン・ラヴェラ「 ダーウィン家の人々」をまだ読んでいます。
彼女の父はチャールズ・ダーウィンの5人の息子の2番目。
今、父の兄弟たちの回顧談を読んでいます。
思わず吹き出してしまいました。

ウェストミンスター寺院で挙行された父ダーウィンの盛大な葬儀。
長男ウィリアム伯父の振る舞いが今でも語りぐさなのだそうです。
私も別の場所で読みました。

    「伯父は長男としてまた喪主として、
    最前列の席に座っていたが、
    もう薄くなった頭にすきま風があたった。
    そこで、伯父は、頭の上に黒い手袋をちょこんとのせ、
    大会衆が見守る中を、式の間ずっとそうやって座っていた」

ダーウィンの子、
母はあのウェッジウッドの子ですから、馬鹿ではありません。
自意識がないだけ。
要するに、自意識を抱く必要がまったくない。

自分の人生をすっきりと生きて、他人の目など気にしない人たち。
庭師を自分のベッドに寝かせて、剪定の指示をした大叔母もそうです。
つまり、もっともシンプルで有効な方法を、
それがなんであれ、一目を気にせず採用できる人たち。
自意識の欠如、これがダーウィン一族の特徴だったようです。

特権階級の傲慢さだ、そう断じる人もいるでしょうね、
そんな風に感じる方はたいてい特権階級じゃないですね。

私は特権階級じゃないけど、素敵だと感じます。
かなり自意識過剰ぎみ人間だからです。

    ウィリアム伯父みたいになれたらなあ..............




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by Hologon158 | 2013-01-31 14:48 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

413.13 ホロゴン外傳102「2012年11月23日キノプラズマート25mmf1.5は佐保路に遊び」13 絶対零度の極地



韓流ドラマ「私の名はキム・サムスン」で、
ヒロインのキム・サムスンは失意、不安、懸念のどん底にあります。
恋人が、前の恋人を送るため渡米したまま、2か月間梨のつぶてなのです。
バス停の広告にスーザの言葉を見つけます。
うろ覚えなのでもうしわけありませんが、おおよそこうでした。

    愛せ
        傷つくことがないかのように
    踊れ
        見るものがないかのように
    歌え
        誰も聴いていないかのように

この言葉も、私のためにあります。

    どうも他人を意識することそのことが、
    私にとって邪魔なのです。
    いつも書きますが、
    「あー」と言い続けながら、単純計算をしようとしても、
    なかなかできないのと、まったく同様です。

一言で言えば、「志向性」
コリン・ウィルソンが好例を書いていました。

    激しい時化の船上でのことですが、
    ウィルソンは激しい船酔いに苦しんでいました。
    船室の窓の外の廊下で船員が立ち止まり話しはじめました。
    なにをしゃべっているんだろうかと、耳を傾けていて、
    ふっと気づきました、
    その間、船酔いのことなど、すっかり忘れていたのです。

私は自分のブログで精一杯考えて、頭を鍛え、
自分がせっかく撮ってきた写真たちに精一杯歌わせたい。
人がどう思うか、どう反応するか、など気にしていたら、
そんなことはできません。

とくに、文章は、頭から飛び出してくるままに、
電光石火のブラインドタッチングで書き留めていく。
ブログには、一行を適当に切ったり、行を開けたりするだけで、
ほとんど推敲なしに掲載します。
そうでないと、一日に幾つも記事を載せることができない。
まして、人がどう感じるかどうかなど気にしていたら、
なにも書けません。

実際には、記事を書こうとして、キーボードに指をのせたとき、
10に8は、何を書くか、まるで心にありません。
無理矢理頭を使って、いわば、でっち上げているのです。

さりとて、思ってもいないことを書くわけではありません。
逆に、思ったまま、それが人にどんな印象を与えるか、
なんて配慮は全部捨てて書いています。

私のブログが、一般人もアクセスする人気ブログであったら、
幾度炎上したか、考えるだけでも怖ろしいですね。
幸い、誰も読まないし、読んでもコメント欄がないので、

    我がブログは、インターネット空間の片隅、
    絶対零度にかなり近い極地にひっそりとかすかに息づいています。

昔、健全な精神を保つため、自分だけの秘密の隠れ家を作れ、
という趣旨の知的生産の技術本を読んだことがあります。

    頭の中に、想像だけで、息づく空間を作り出し、保存せよ、
    そういうのです。

試してみましたが、記憶力が弱い私には、とてもできない相談。
その代わり、秘密のブログという強い味方が私を待っていたわけです。

趣味というものを、ただの気晴らしと考える方はかわいそうですね。

    趣味は、人生から逃避する場ではありません。
    人生を豊かにする場。
    そして、人生そのもの。

私は、そんなものとしてブログを発見できたことを考えると、
いつも感謝の気持ちで一杯になるのです。




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by Hologon158 | 2013-01-31 12:00 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

413.12 ホロゴン外傳102「2012年11月23日キノプラズマート25mmf1.5は佐保路に遊び」12 見てゐないのに



№10で、詩人の立原道造の詩の断片を引用しました。
私の文章からお分かりのように、
私には詩心はありません。
「どんと行け!」式人間で、
ほのかな想いが胸の片隅をかすかに焦がす、
なんてことは起こらない。
私の写真にも詩はありません。
ただ、ものを、場所をどんと撮っただけ。
見る人も、「ああ、ドラム缶ですね」式写真。

でも、時折、たまたま出会った詩に心にぐっと来るものがあって、
立原の詩にもそれがありました。
パステルの詩の全体はこうです。

  パステルは
  やはらかし。
  うれしかり、
  ほのかなる
  手ざはりは。
  うれしかり、
  パステルの
  色あひは。

いいですね。
詩そのものにパステルの手触りがあります。
なんだか気に入りました。
いろいろと彼の詩を読んでみました。
私のために書いてくれたような詩を一つ見つけました。


    ひとり林に‥‥
 
        だれも 見てゐないのに 
        咲いてゐる 花と花 
        だれも きいてゐないのに 
        啼いてゐる 鳥と鳥
 
        通りおくれた雲が 梢の  
        空たかく ながされて行く 
        青い青いあそこには 風が 
        さやさや すぎるのだらう
 
        草の葉には 草の葉のかげ 
        うごかないそれの ふかみには 
        てんたうむしが ねむつてゐる

        うたふやうな沈黙に ひたり 
        私の胸は 溢れる泉! かたく 
        脈打つひびきが時を すすめる

私がいつも自分のブログを書くときに感じている、
そのままの気持がここにある、
そんな感じがしています。

友人がこう言いました。

    ブログを読んだら、どんな気持でどんな生活をしておられるか、
    全部分かる感じがします。

困ったことです。
でも、仕方がありません。
幾度も書いていますが、
私にとって、このブログは2つの役割をもっています。

    1 エクササイズ
        ボケ防止のために、ひたすら頭を使うこと

    2 メモリー
        いつの日か、自分がどんなことをしてきたか、
        どんな写真を撮ってきたかを思い出すため

匿名なので、できる芸当ですね。
だから、この2、3年、知り合いに教えるのはやめました。
二度と会うことのない人に、1、2度教えたことはあります。

初めの頃は、その上、もう一つの役割もありました。

    3 パフォーマンス
        折角撮った写真のプレゼンテーションの場。
        だから、写真を精選して、精一杯、パフォーマンスしていました。

1、2年して、3は捨てました。
そんなことをしても、誰も見に来ないことが分かったから。
コメント欄を閉鎖したときでした。
それからは、写真は単なるストックするだけなので、
プレゼンから羅列の棚晒しに切り替えています。
私にとって、写真はすべてが足跡なのですから、
これがよかったのです。

この詩の冒頭の4行は、このブログそのまま、
読んだとたん、そう感じたのです。
こういうのを我田引水的誤読と言います。




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by Hologon158 | 2013-01-31 11:25 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

413.11 ホロゴン外傳102「2012年11月23日キノプラズマート25mmf1.5は佐保路に遊び」11 文章と写真



私のお気に入りの2つのブログで、偶然でしょうが、
文章と写真との関係についての言葉を拝見しました。
みなさん、苦闘しておられるようです。

たしかに文章と写真とは水と油のようなもので、
尋常ではしっくりと行かない関係のようですね。
理性に訴えるものと感性に訴えるものとは、
どうしようもなくすれ違うからでしょうか?

私は文章と写真を関係づけようとしたことはありません。
頭を使って撮ることをしないからです。
撮るってことは、いつも「出たとこ勝負」。

    出会ったときに、撮りたければ撮る、
    撮りたくなければ、撮らない。

このブログは、写真のことをうなされたように書き続けていますが、
いわばメリーゴーランド、
写真のまわりをグルグルと言葉が回り続けているだけ。
その言葉たちは写真讃歌ではあっても、
私がどんな写真を撮りたいかということなど、絶無です。

幾度も書いてきたことですが、
ロボグラフィは写真コンセプトではありません。
ただ単に撮るものを指し示しているだけ。
まさに写真家の対極にある、純素人境地。

一方、写真家有野永霧先生主催の永霧塾は写真家養成講座。
まず、自分の写真コンセプトをしっかりと文章化して、
それから写真を撮るように徹底的に鍛えられるそうです。
コンセプト文は徹底的に吟味検討され、
塾生は幾度も幾度もコンセプト文を書き直します。

そんな作業がなにを意味するのでしょう?
やったことがない人間が推測するのですから、
当てずっぽうもいいところですが、
こんなことではないでしょうか?

    そうした苦しい作業を重ねる間に、
    心と体に、自分のコンセプトが沁みわたり、
    その眼と心と体がコンセプトに沿って動くようにしてしまうのです。

おそらく、そうなれば、
撮りたいものを自在に撮るのですが、
その撮りたいものとは、
まさにコンセプトを表現するファクターとなるシーン。

つまり、その人の撮り方は私とまるで変わらないわけです。
    出会ったときに、撮りたければ撮る、
    撮りたくなければ、撮らない。

こんな風に考えると、どうやら、コンセプト文を煮詰めるということは、
撮影の手引き、探知機、レーダーを作ることではないのです。
そうではなく、自分自身を磨き、
写真行為を自分の心の一部にまで高めるということなのではないでしょうか?

そうすると、コンセプト文を苦労して作って、
それに沿って撮ろうとするとき、
出会うもの出会うもの、それとは無関係なものばかりであると感じるとすれば、
コンセプトがまだ自分に同化していないということなのではないでしょうか?
どうしようもなくぎくしゃくとぶつかりあうのですから、
つまらないことこの上なしという結果になりそうです。




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by Hologon158 | 2013-01-30 22:06 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

413.10 ホロゴン外傳102「2012年11月23日キノプラズマート25mmf1.5は佐保路に遊び」10 コントラストで


2年前に、新聞をとるのをやめたのですが、
それまでの新聞のストックがまだ納戸に積まれています。
あれこれと反故紙が必要になるからです。

そんな古新聞に面白い記事を見つけました。

日経文化欄の「美の美」シリーズの一編。
詩人の立原道造の詩の断片が掲載されていました。

   「パステルはやはらかし。
    うれしかり、ほのかなる手触りは」

こんな言葉を読んで、キノプラズマートの描写を思い出すのですから、
私という人間は、どこまでも我田引水的。

   そうなんだ、キノプラズマートのやわらかさは、
   パステルの調べなんだ。

その続きにさらに嬉しい言葉を見つけました。

記者が小磯良平の弟子の一人奥西賀男さんを訪ねます。
奥西さんは、小磯良平の「白川女」の純白の衣装を示して、

   「一目見ただけでドキッとするでしょう。
   この強烈な白は水彩では絶対に出ない。
   私は小磯先生はコントラストで見せる作家だと思う」

そして、

   「黒はムチャムチャ黒く、
   白はハレーションを起こすくらい白く出す。
   ただ優しい絵は退屈なだけ。
   典雅な表情と激しい明暗がぶつかり合うからこそ、
   先生の人物画は美しい」

この言葉もキノプラズマートにつながるように思います。
たまたまそんな写真を幾枚か掲載する順番でした。

   黒はムチャムチャ黒く、
   白はハレーションを起こすくらい白く、
   いいですねえ................



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by Hologon158 | 2013-01-29 22:32 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

413.09 ホロゴン外傳102「2012年11月23日キノプラズマート25mmf1.5は佐保路に遊び」9 下手でも、続ける



日曜日夜、突然雪が静かに大地を覆ってしまいました。
今冬2度目の積雪でした。
雪国のみなさんにはお笑い草のような、たった2cmの積雪ですが、
これでもかなりの影響を与えたいるようです。

とすると、東北、北陸、北海道への寒波の影響は、
かなり深刻なのではないでしょうか?
ブログを楽しむうちに、これらの地方も身近になってしまいました。
みなさん、生活、健康に支障がなければよいのですが。

私は、月曜日も健やか、毎週月曜日は休業日。
付虹先生、陳少林先生のレッスン日でした。

揚琴の今年の課題は手首。

    腕ではなく、手首のなめらかな回転で弾く。
    そうすると、手首がてこの支点になって、
    正確となるばかりでなく、スティックの回転に弾みがついて、
    音が軽やかに、かつ高速になるようです。

中国きっての大演奏家の黄河先生が最低音から最高音までのアルペジオを、
目にも留まらぬ早業で一瞬にしてかけ上がるパートがあります。
YouTubeでいつ見ても、スティックがほとんど見えないほど。
ところが、手首は微動だにしていません。

    ピアノなら、まだ指をたくさん使えます。
    揚琴はたった2本のスティック。
    惚れ惚れします。

私の目標はやさしい曲をそれらしく弾いて、
自分で楽しむことという程度なのですから、
グールドが日曜ピアニストになんの関係もないように、
揚琴演奏家の妙技も私にはなんの関係もありません。
でも、どんなゆるやかなパッセージでも、
モグラたたきではなくて、音楽的なサウンドになってほしいものです。

揚琴をごらんになったら分かりますが、
1音1本から5本の弦が50以上の音が出るように、
びっしりひしめくように並んでいます。
叩き方が悪いと、隣の弦のあたったり、共鳴を引き起こしたりします。
ところが、付虹先生のCDを繰り返し繰り返し聞いていますが、

    そんな濁りはまったくない。
    一音一音、きわめて澄んだサウンド。
    正確に正しいポイントにスティックが当たると、濁らない。
    当たり前です。

ところが、この当たり前ができない。

    5年経っているのに、まだできない。
    5年経っているのに、まだ手首奏法もできない。

才能がないんだよ、そうおっしゃる声が聞こえてきます。
でも、それじゃ、はい、やめます、で済みますか?
私など、自慢じゃありませんが、写真を30数年営々と学び続けてきたのに、
結局初心に戻って、ただの素人に戻ってしまっても、
まだやめませんね。

巧くなることが目標ではないからです。

    心からやりたいと思ったことは、
    始めたらやめない、
    どんなに下手でも、続ける。

    結果ではなくて、そのこと自体を楽しみ、
    プロセスをエンジョイすることが、
    人生を大切にすることなんだ、
    そう信じているからです。

人生は起承転結ではありませんね。

    起承転、起承転、この無限のサイクルが人生ですね。

人生はすべてサドンデス、私はそう生きたいと決意しています。
どんな年齢になっても、どんな健康状態になっても、
まだ人生は終わりじゃない、続くのです。

    そんな人生にとって、なにかを学ぶということは本質的なあり方です。
    そのとき、その場でできることでいいのです、
    なんでもよいから、新しいことに挑戦したいものです。




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by Hologon158 | 2013-01-29 22:03 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

413.08 ホロゴン外傳102「2012年11月23日キノプラズマート25mmf1.5は佐保路に遊び」8 指揮者らしく



今、グウェン・ラヴェラの「ダーウィン家の人々」を楽しんでいます。
(岩波現代文庫)

グウェンの母親はダーウィン没後、彼の息子と結婚します。
当時のケンブリッジでの知識人階級の生活が見事に描かれています。

英国というのは階級性社会なのですが、
貴族と庶民との間に、高度な知識を駆使する中間層があって、
この中間層が庶民層をリードして、題詠定刻を築き上げました。

18世紀から20世紀前半にかけて、
世界のさまざまな学問をリードしたのが、この中間層でした。
そのメッカが、ケンブリッジ、オックスフォードの2大学やロンドン大学でした。

イギリスの貴族は、実際的な仕事は中間層に任せながら、
いざとなると、ノブレス・オブリージュを発揮して、先頭切って戦いました。

   指揮者は指揮者らしく、
   実務層は実務層らしく、
   そして部下は部下らしく、
   それぞれが自分の責務を尽くすことによって、
   七つの海に覇を唱える大帝国を支えたのです。

貴族、中間層がどんな風にリードしたかを示す好例をこの本で見つけました。

グウェンの大叔母は、何一つ自分ですることはない人でしたが、
見事に人を動かす人でした。

   たとえば、庭師に手入れを命じるとき、言葉だけではない、
   もっと実際的な方法を採ったのです。
   つまり、寝室からの景観を整えるために、
   ベッドの自分の枕にならべてもう一つ枕を置いて、
   庭師に横に寝かせて、
   その位置から窓ごしに見える樹木の剪定について注文しました。

読んだ途端、声を出して笑ってしまいました。
でも、これ以上に正確な注文方法はありませんね。
いざとなると、きわめて実際的になれる、
それがイギリス貴族層、支配層の特質でした。

こういうのをイギリス式ウィットと言うのでしょう。
このあたりの絶妙の呼吸は文化の中で育つものです。
日本にはこのウィットがあまりにも欠けていることが、
社会をぎくしゃくしたものにしているのかも知れませんね。
国際社会で重きを成すことができないのも、このあたりに原因がありそうです。

    ローマは一日にしてならず、ですね。




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by Hologon158 | 2013-01-29 21:32 | ホロゴン外傳 | Comments(0)