わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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431.19 ホロゴン外傳109「2013年4月13日 ビオゴンが京北野天満宮界隈を楽しんだ」19 秋のソナタ



バーグマンが最後に出演した映画作品「秋のソナタ」は、
前回のテーマに関連しているような気がします。

随分昔に観たので、ほとんど覚えていません。
大ピアニストである母(バーグマン)と、
その娘(リブ・ウルマン)との葛藤を描いた映画ですが、
その母が久しぶりに娘の家を訪れます。
娘は、母にショパンを弾いて、聴いてもらいます。
そのシーンをYou Tubeで見つけました。

    Autumn Sonata
    (http://www.youtube.com/watch?v=oUUBe9LXfYg)

イングマル・ベルイマン監督の名作ですから、
スウェーデン語なので、ちんぷんかんぷんですが、
小津安二郎監督のそれに似て、目の演技がすべてを物語ります。

    娘は達者に弾きますが、ただ音符を追いかけているだけ。
    耳を傾ける母の苦しげな表情は鬼気迫るものさえ感じさせます。
    やがて母もピアノの前に座ります。
    母にとって、ただのピアノ音の連なりではありません。
    すべての音とフレーズが物語を、感情を包み込んでいるのです。
    音楽は、ただ弾けばよいというものではない、
    作曲家のアピールを正しく把握して、自身の応答を演奏によって表現し、
    聴衆を納得させなければならないのです。
    演奏は、単なる解釈、読解ではなく、真剣勝負、対決、戦いであり、
    新しい神話の創造なのです。

そして、おなじ曲を弾いて聴かせます。

    耳を傾ける娘の感動、畏怖、憎悪、怒り、絶望が交錯する表情もまた圧巻。

これが芸術家というものなのでしょう。
ここでは、母も子もないのです。
全力を上げて取り組むべきものなのです。
アーチストであることは、ときには、呪いでもあるのです。





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by Hologon158 | 2013-04-30 21:49 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

431.18 ホロゴン外傳109「2013年4月13日 ビオゴンが京北野天満宮界隈を楽しんだ」18 黒い線を



前回の続き。
松本俊介にこんな言葉があります。

「真っ白な地の上に黒い線を一日引いているだけで、
僕の空虚な精神は満足する」
(松本竣介「線と言葉」平凡社から)

この言葉が何を意味しているのか?
私には分かりません。

でも、2つのエピソードを思い出しました。

1つは、もちろん、ジョットーの円の逸話。

    ローマ教皇が画家を求めて、使者を諸都市に遣わします。
    ジョットーは使者に円を描いた紙を渡して、言いました。
        「これをご覧になったら、私をお選びになるはず」
    フリーハンドで描いた完璧な円。

もう1つは、フランス・ブリュッヘンに師事したリコーダー奏者。

    師匠は、弟子に一年間ラの音だけを吹き続けること、
    他の音を出したり、演奏したりしないことを命じたのです。
    1年が経って、師匠の許しを得て、一曲弾いたそうです。
    以前の自分では想像も付かないような音楽が流れ出たそうです。

この2つのお話しの核心はなんなのでしょう?

基本が大切だ。
基本をおろそかにしないで、しっかり修業を積めば、
立派なアーチストになれる、そういうことでしょうか?

私はそうは思いません。
そんな当たり前のことしか意味がないのであれば、
こんな逸話は残らなかったはず。

私はこんな風に思うのです。

    円を描く、一つの音を奏でる、
    そんな行為に集中している間に、
    一本の線、一つの音というものがどんなに豊かなものか、
    それが心と体にじわじわとしみ込んでゆくのではないでしょうか?

幾何学の線は、実は完全な抽象、仮想の存在です。
どこまでもまっすぐと伸びてゆく、太さのないオブジェクト、
それが直線です。
円とは、ある点からの距離が等しい点の集合でできる曲線。
この線もまた太さを持たない仮想のオブジェクト。    

でも、絵の線は違います。

    まっすぐ1本の直線を引いても、そこには無数のニュアンスが生まれます。
    ジョットーの円は、おそらくそんな円だった。
    どんなに練習しても、天才がなければ描けないような、
    そんな味わいのこもった円だったのではないでしょうか?

音楽の1つの音もそうです。
エレクトリックサウンドの音が味気ないのは、
まったくニュアンスがないから。
それが理想と言わんばかりに、
完璧な揺るぎのないサウンドを目指す演奏家も居ます。
でも、つまらない。

ヴァイオリンでも二胡でもそうですが、
偉大な演奏家とそうでない演奏家との差は画然としています。
偉大な演奏家のサウンドには、単一音を響かせても、
豊かなニュアンスが万華鏡のように多彩な色彩を沿え、
その多彩な色彩が悲しみ、歓び、法悦、絶望を描き出してくれます。
聴く者の心に満たし、まるでネクタールの滴りを受けるような、
生命エネルギーを注入してくれます。
松本俊介の油絵、私にはこれを批評する能力などありませんが、
おそらく彼の絵の魅力は、線の力強さから来ているのではないでしょうか?
藤田嗣治の面相筆による繊細かつ強靱な線に強く惹かれたということを読みました。
松本俊介も、ジョットーと同じように、
線の豊かさに魅せられた人だったのではないでしょうか?





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by hologon158 | 2013-04-29 23:02 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

431.17 ホロゴン外傳109「2013年4月13日 ビオゴンが京北野天満宮界隈を楽しんだ」17 王道なし



よく言われる言葉があります。

    水泳は冬覚え、スキーは夏覚える。
    これは間違いない真実ですね。

たとえば、私が学んでいる揚琴でもそうです。
毎日、必ず練習します。
でも、なにかがあって、2、3日練習できないときがあります。
こんなとき、ひさしぶりに揚琴に向かうと、
今まで出たことがないような音が出たりします。

そのメカニズムはまるで見当もつきませんが、
私たち人間の心身というものは、
意識している部分などほんの一部でしかないことだけは確かです。

そして、どうやら、私たちがなにかの技を習得するとき、
練習時間中だけではなく、その後練習をしていない間に、
徐々に心身にしみ渡るようです。

そのタイムスパンは、冒頭の言葉にあるように、
とてつもなく長いのかも知れません。
このように考えてきますと、

    私たちの命の営みはすべて同様のスパンで行われている、

そう考えることができそうです。

よく、この薬を呑んだから、病気が治った、と言いますが、
そんな風に単純なものではなさそうです。

    なにかをしたかったら、長い時間をかけて、
    それができる心身に変えていかなければならない。
    どうすれば、それができる心身に変えることができるか、
    それを知り、それを実行することが本当にすべきこと、
    そういうことのようです。

無意識のレベルで行われることを意識すること自体、
無理なのですから、そんなことはとても無理かも知れません。
あれこれと試してみるよりほかはないのかも知れません。

一つ言えることがあります。
これも昔から言われてきたことです。

    学問に王道なし。
    学問だけではなく、すべての道に王道なし。

ひたすら身を慎み、誠実に、
大げさに言えば、清く正しく、道を求める、
これしかないのでしょうね。




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by Hologon158 | 2013-04-28 23:04 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

431.16 ホロゴン外傳109「2013年4月13日 ビオゴンが京北野天満宮界隈を楽しんだ」16 アドリブで



浅田次郎さん、近ごろも創作意欲は旺盛なのですが、
段々と作りが大がかりになってきて、
調子もかなりシリアスになってきているのが気に入りません。
文学者として名を成そうという野心が頭をもたげているのでは?

でも、およしになった方がよろしいようで。
彼は講談や落語のようなお話しを語るのが一番面白いのです。
荒唐無稽、事実無根のおとぎ話が彼のニッチ、生態圏。
社会の片隅に置き去られ、忘れ去られているような人々を描いて、
思う存分笑って泣いて、思う存分、暗い人生を照らし出してあげる、
そんな世話物こそ、彼の本領ではないでしょうか?
彼の小説は、完全に彼の頭脳から生み出されたファンタジー。

    いわば、小説界のピエロ。
    台本なしのアドリブで言葉を躍らせ、
    私たちを笑わせ、泣かせて、終わると、心がすっきりとするけど、
    後にはなにも残らない。
    それでよいのです。

史実の裏面を暴き出す、そんなスタンスの最近作、
たしかに面白いのですが、
こんな風に書きますと、ちょっと意地悪いのかも知れませんが、
どこか薄味、軽量の感がいなめません。
軽妙で自在な語り口ばかりが浮き出てきて、
どっしりと史実が詰まった暗部の支えがない、
そんな感じがするのです。

私が、彼のおとぎ話風世話物を愛するのは、
ロボグラフィとかなり近いスタンスがあると思えるからでしょう。

私のロボグラフィは、完全なるフィクションかも知れません。

    路傍でぶつかるものたちを写しますが、
    クラシックレンズの特性と、露出の私なりの無理な設定とでもって、
    現場からは想像もつかないような仮想世界に暗転させています。
    ほとんどノーファインダーで、写真としての作画は一切なし。
    でも、こまめに露出を大きく補正します。

私は非常に明るい人間で、ものごとを常に肯定的にとります。
でも、写真は暗い方向に、暗い方向にとねじ曲げて撮ります。
私の心の暗部になにかがあるのかも知れませんが、
そんなことは知るよしもないのですから、
心の赴くままに、暗い写真を撮り続けています。

これしか撮りようがない、撮りたいと思わない、
適性露出の写真などつまらなくて、退屈、
そんな人間なのですから、仕方がありません。

ロボグラフィも非現実。

    現代のレンズは、私が嫌悪するスーパーリアリズムの道具。
    だから、凄いレンズたちがぞろぞろ出現しますが、
    一生、無縁となりそうです。

カメラは夢を見る道具でなければならない。
結局、私は写真で夢を見ているのです。

    そんな人間に、写真作品を創造するとか、
    コンセプトに沿って自分の写真世界を構築する、
    なんてことは似合いません。

行き当たりばったり、手当たり次第撮って、
自分で楽しむ、それ以上のものではありません。




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by Hologon158 | 2013-04-28 16:45 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

431.15 ホロゴン外傳109「2013年4月13日 ビオゴンが京北野天満宮界隈を楽しんだ」15 精神によいもの



昨日の続き。

JR奈良駅の改札口から出ようとしたとき、
改札口の外でちょっとためらっていた5歳ほどの少女が、
いきなり決意したと見えて、そのまま決然と駆け込んできました。
ゲートは閉じず、少女は無事駆け抜けました。
その意志力の固まりのような顔が良かった。

これを見て、思わず笑ってしまいました。
腰を屈めて改札口を通過しようとする自分自身を想像してしまったからです。
どうもいけませんね、
いい歳をして、こんなことを試してみたくなるのですから。

昔、ロンドンだったと思いますが、地下鉄の改札口を通ろうとしたら、
男が突然私の背後にへばりつくようにして、一緒に改札口を通過し、
男はにっこり笑って「サンキュー」、という経験を思い出しました。
あのときも、いつかは試してみたいと思ったのですが、
その機会はついにきませんでした。

奈良駅でふっと考えました。

    今日は妻が不在なのです。
    昨日はスンドゥブチゲをたっぷり作ってご機嫌でいただきましたが、
    今日は、一から作るのもおっくう、お弁当でも買って帰るほかはない。
    それじゃ、書店で本を買って、
    餃子の王将で餃子に生ビールで簡単にすませちゃおう!
    風邪が直ったとたんに、ビールを呑む、いけませんね。

購入したのは2冊、

    ジャレド・ダイヤモンド「銃・病原菌・鉄」下(草思社文庫)
    浅田次郎「マンチュリアン・リポート」(講談社)

ダイヤモンドは今上巻を夢中に読んでいます。
まったく意表を突く切り口で、文明の起源を解明しようとしています。

    彼の論旨がどういう風に文明と未開との曲がり角を論証できるのか、
    よくわかりませんが、とにかく面白いのです。
    もっとも面白いが故に正しい、とは限りませんね。
    昔、トインビー、オスヴァルト・シュペングラー、梅棹忠夫らが、
    さまざまな切り口で文明の生態を論じましたが、
    今では、すべて過去のものになってしまった感があります。

物理学とまったく同じ経過です。
もう完全に正しいと思っていた基盤が、
当時は想像もされなかった別の切り口によって、あっさりと覆されてしまう。
それが多くの学問の運命。

    ダイヤモンドもそうなのかも知れません。
    でも、面白い。
    それで十分、という感じがします。

浅田次郎は、かなり下世話風の講談的小説や世話物小説で出発しましたが、
どれもこれも、なぜかむちゃくちゃ面白い。
源氏物語やジェーン・オースチンの原作も面白いけど、
浅田次郎も面白い。


精神によいものと悪いものとがあります。
精神を活発化し、新しい世界へと私を誘ってくれて、
生きる意欲をかきたててくれるものであれば、
なんでも摂取したい、それが私のスタンスです。

さあ、ちょっと出だしを読んで見ましょう。




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by Hologon158 | 2013-04-28 11:59 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

431.14 ホロゴン外傳109「2013年4月13日 ビオゴンが京北野天満宮界隈を楽しんだ」14 至福の空間



午後3時、地下鉄谷町線駒川中野駅に到着。
45分間、トポゴン25mmF4でノーファインダー撮影を楽しみました。

   撮影自体はいつも通りサクサクと入れ食い状態で、
   合計170枚の収穫。
   パンタッカー50mmF2.3は2時間で197枚だったのですから、
   倍以上の効率で撮れます。

この後、地下鉄で平野駅まで一駅移動して、
平野の古い路地を、と計画していたのですが、
おそらく地下鉄平野駅からJR平野駅までの移動距離と、
その間にぎっしりと私を待ってくれているロボグラフィたちの密度を考えて、
ちょっと思案。
一ヶ月風邪で悩まされてきて、
昨日ようやくほぼ完治したと自己診断したものの、
疲労の程度次第ではぶりかえさないとも限りません。
29日のためにエネルギーを温存するのが得策と考えて、
天王寺経由で帰宅することとしました。

連休が始まったのですが、天王子駅で乗り込んだ大和路快速はがらがら。
ああ、大阪だって、東京に比べれば田舎なのです。

二人掛けのロマンスシートを一人でゆったり占領して、

   ポメラを取り出し、
   iPodは千住真理子さんのストラディヴァリウスが奏でる妙なる調べ。
   これをバックに、
   この文章をさくさくと書き進めて、まさに天国の状態。

ずいぶん前に、心の癒しのための工夫を読んだことがあります。

   あなたにとって、一番居心地の良い至福の空間を細部まで想像で創り出し、
   疲れたときに、目を閉じて、静かにエスカレータを下降してゆくと、
   その至福の空間に戻れるようにしましょう。

あなたなら、どんな空間を創造しますか?
今考えて見て、感じること、それは、
ああ、私という人間はなんて想像力のない人間なのだ。
笑わないでください。

私の創造した安楽空間はただの書斎でした。

   最高の書斎机と最高に安楽な椅子、
   そして、最高に美しい部屋。
   数知れない書物、音楽、絵画、写真、映画などを
   思念するだけで手にすることができ、
   眼前に見ることができる、そんな理想の書斎。

今ふと気づいたのですが、至福の空間というコンセプトだけなら、
人によってまるで違ったものを想像するだろう!

   あらゆる料理が好きなだけ調理し、味わえるダイニングキッチン、
   世界の最高のシーンをいながらにしてリアルに楽しめる展望台、
   愛する妻と二人見つめ合ったままの四畳半の室内のこたつ、
   なかには、世界中の美女という美女が代わる代わる訪問してくれる寝室、
   なんて不届きな空間を願望する人だっていることでしょう。

でも、私がただちに思いついて、真剣に細部を想像して作り上げようとしたのは、
ただの理想の書斎でした。
今からもう一度創り直すとしても、やっぱり、
書斎でしょう。

想像力は無限ですが、想像したいものは結局、
自分にとって望ましいものだけなのですね。




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by Hologon158 | 2013-04-27 21:20 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

431.13 ホロゴン外傳109「2013年4月13日 ビオゴンが京北野天満宮界隈を楽しんだ」13 白くたおやかな


新潟に二度参りました。
その度に、新潟の男女の白くたおやかな風情、
のびのびと育った風姿にうっとりし、
我が大阪に戻って、
私自身を含む大阪人の黒くくすんでごじんまりした、
言葉に語弊がありますが、
「原住民」的風姿に今更ながら驚いたことを記憶しています。

大阪のいくつもある巨大商店街は
そんな原住民的大阪人の集合場所なのです。
見渡す限り、ちょっと小柄で、かなり高齢の大阪人たち。
私はその中にあって、
まるで首まで温泉に浸かった津軽猿のように、居心地がよいのです。

午後0時50分に出て、
針中野駅前の喫茶店「英国屋」に入ったのが午後1時50分、

    トポゴン25mmF4に付け変えるのを忘れて、
    引き続きパンタッカー50mmF2.3で撮った写真の枚数は?
        99枚!

    第1ラウンドが98枚、
    第2ラウンドが99枚!
    まさにクロックワークですね。

傑作で数えるのではなく、
ただ撮った撮ったの枚数で数える素人写真としては、
かなり上出来(いつも通りなのですが)。

今度こそ、トポゴン25mmF4に付け変えました。

パンタッカー50mmF2.3の方はF2.3で撮り続けました。
ASA感度を80に設定できるライカM9ならではの芸当です。

トポゴン25mm f4では、感度を400に上げて、絞りF8の常焦点、
パンフォーカス設定、ノーファインダーで撮ります。
どれだけ撮影がはかどるか、楽しみです。

かなりカンカン照りです。
日差しがきつい。
日焼けが心配です。
野球帽をかぶっていますが、役に立ちません。
パンタッカー50mmF2.3を縦位置で撮るとき、
庇を跳ね上げるからです。
熱射病防止程度の効果しかありません。

3歳の私に会ったことのある遠縁が私を見て絶句したことがあります、

    「あ、あんなに真っ白な玉のような男の子だったのに...........」

    幼稚園以来今に至るまで、
    夏も冬も年がら年中戸外で遊び続けてきたおかげで、
    日焼け状態が解消する暇がついに生涯なかったせいです。

私の孫もまさに玉のようにかわいい真っ白な肌。
でも、草野球のピッチャーだったパパは
少年野球に入れると意気込んでいます。
ああ、彼のイケメンの運命も、
あわれ、窮まりつつある感じがします。

午後2時15分、出発!




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by Hologon158 | 2013-04-27 20:26 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

431.12 ホロゴン外傳109「2013年4月13日 ビオゴンが京北野天満宮界隈を楽しんだ」12 駒川商店街へ



今日はお忍びで大阪市住吉区の駒川商店街に来ています。
ようやく風邪も治ったようです。
29日月曜日が、写真仲間との撮影会なので、
自重して、土日の二日間は自宅静養すべきという案も浮かびましたが、

    どうしても撮りたい!
    自重して静養するのが死んでからだ!
    というわけで、家を飛び出しました。

装備は相変わらずです。

    アストロ・ベルリンのパンタッカー50mmF2.3
    ツァイスのトポゴン25mmF4

    カメラはもちろんライカM9。
    予備にリコーGXR+A12をバッグに忍ばせてあります。

ゾンネタール50mmF1.1、とも考えましたが、
これは29日にとっておきます。

午前10時45分、一つ手前の田辺駅で下車し、
民家と商店街を南下することにしました。
途中、喫茶店でモーニングをいただき、
ポメラで一つ文章を書き上げました。

私がたくさん文字を並べていることに驚きの方もおいでかもしれません。
でも、お読みになれば(それだけ時間を持て余しておられるなら)、
お分かりでしょう。
ただの思いつきを並べているだけなのですから。
こんな文章なら、どなたにも書けます。
でも、皆さん、お忙しい。
私はそれだけ暇なのでしょう。

でも、駄文を並べるなんて、無責任で、自分を貶めるものじゃないか?
そういう責任感の厚い方のご心配はごもっともですが、
このブログが、誰かに見てもらうことはそっちのけで、
ただのぼけ防止の思考訓練の場にすぎない、ということが分かれば、
納得していただけるでしょう。

だから、文章をまじめに読んだりして、貴重な人生の時間を無駄にしないこと。

    私の友人たちなど、単身赴任の一人をのぞいたら、
    誰もブログを見ていません。
    写真はいつも相変わらずのロボグラフィ、文章はいつものおしゃべり、
    そう分かっているからです。
    あなたもそうしましょうね。
    幾度も幾度もそのように、自制をお勧めしています。

誰かがまじめに読んでいるなどと考えたら、
ブログに文章など無責任に書き散らすができなくなってしまいます。

すでに3年ばかり、アクセス数もチェックしたことがありません。
永遠にしないでしょう。

    いくら来るな、見るな、読むなとお勧めしていても、
    「昨日のアクセス数 3」なんて出たら、
    私も人間ですから、ちょっとがっかりするでしょうし、
    「昨日のアクセス数 103」なんて出たら、
    私も人間ですから、こりゃがんばってもっと来てもらうようにしたいな、
    よし、いろいろとブログを訪問して、コメント書いちゃおう、
    なんてかんがえてしまうかも知れませんからね。
    それじゃ、前回の作戦変更と同じように、
    大敗を喫する運命に自らを追い込むことでしょう。

さて、駒川商店街に戻りましょう。
午後12時15分、ようやく駒川商店街北端にたどり着き、
時計店で腕時計の電池交換をしてもらう間、
前回も入ったレストラン「ミオ」で春野菜のグラタン定食を楽しみました。
昔風の料理店で、味も庶民の味わい。

パンタッカー50mmF2.3で98枚撮っていました。
約1時間での撮影量としてはかなり少ないですね。
ふつう右に左にバッタバッタと斬って捨て調で撮りますから、
今日はかなり厳選モード。

次は、トポゴン25mmF4と参りましょう。
12時50分出発。



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by Hologon158 | 2013-04-27 19:46 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

431.11 ホロゴン外傳109「2013年4月13日 ビオゴンが京北野天満宮界隈を楽しんだ」11 鬼気迫る


前回のフォン・クルック将軍、
部下の将校たちの注視する中、
なぜあんな鬼気迫る所作をしたのか?

もちろん私はこの人も、この人の精神状況もなにも知りません。
でも、バーバラ・タックマンが提供してくれる歴史的状況だけにも、
なんだか分かるような気がします。

8月30日の出来事でした。
すでに開戦後約1ヶ月が経過して、
ドイツ帝国の第一軍の所期の目的を達することは困難になりつつありました。
第一軍はフランス海岸部を席巻して、
パリの西から東に大きく周回する作戦でした。
でも、すでに兵士は疲労の極致にあり、
しかも人的物的資源は次第に払底しつつありました。
フランス軍が独仏国境の東部で猛烈に攻勢をしかけたため、
ドイツ帝国軍の総司令部はフォン・クルック軍のテコ入れどころか、
右翼(西側)の兵力を削減して、左翼に投入することを余儀なくされてしまいました。

軍隊の攻撃力は投入される兵力の厚みで決まります。
第一軍を含むドイツ帝国軍の右翼は人的物的補給を十分に受けないまま、
疲労困憊した現勢力だけで作戦遂行を余儀なくされ、
次第に各軍団の間にぽっかりと空白ができてしまいました。

当たり前です。
タイトに引き締まった独仏国境に集結したドイツ帝国軍が
フランス国内に攻め込んだのですから、
戦線が広がれば、それだけ兵力を新たに増強しなければ、
衝撃力は半減してしまうだけ。
結局、ドイツ帝国軍には、それだけの余裕はないまま、
高望みの作戦を敢行したのです。

8月30日、別荘に到着したフォン・クルック将軍の心を埋めていたのはただ一つ、
どうすればこの窮境を打開できるか?

A案
所期の作戦を続行すれば、ドイツ帝国の各軍団の間隙はますます広がって、
間隙に付け入ったフランス軍によって分断されてしまう。

B案
さりとて、ぐるりと大きく周回してパリを巻き込むコースをあきらめ、
併走する他の軍団と合体して、緊密な戦闘隊形を組むため、
海岸沿いの南進を断念し、パリの北側でぐるりと東に周回すると、
パリを防衛するフランス軍に腹背をさらすことになる。

ほかに道はない。

フォン・クルック将軍はこのとき、
罠に落ちて行き場を失った猛虎の心境だったのです。
それがぐるぐる回りに現れてしまった。

最後に、ストップし、恐ろしい姿でポーズを決めます。
このとき、決断したと書ければ、ドラマチックなのですが、
そんなことは知るべくもありません。

   でも、将軍には分かっていたのです。
   A案は絶対に実現不能であることが。
   第一軍だけがぐるりとパリの背後に回り込んでも、
   友軍との連携を失った疲労困憊した第一軍に、
   パリを一蹴する余力など残るはずがないのです。

彼にはB案しか残されていなかった。
でも、それもすでに疲労困憊した第一軍には致命的な態勢であることは
変わりがありません。
フォン・クルック将軍にはそれが誰よりも分かっていたはずです。

   とすると、最後のポーズは、覚悟を決めて、
   「ええい、どうでもなるようになれ!」

歴史を勉強して分かることが一つあります。

   戦いはいつも我慢した方が勝ちなのです。
   今回は、我慢できなかったのはドイツ帝国軍でした。

ドイツ側は、左翼はだんだんと退却して、フランス軍を深みに誘い込んで、
がっぷり組み合って動きがとれなくなったところへ、
右翼の第一軍らが背後から包囲作戦を行って、
史上空前のせんめつ戦を敢行する予定でした。
一方、フランス軍は、あくまで正面突破作戦にこだわっていたのですから、
ドイツ側の期待する動きをとることは間違いがありません。
ドイツ軍左翼が我慢をすれば、
カンネーにおけるハンニバルの歴史的勝利を再現できたかもしれないのです。

ところが、ドイツ軍左翼の指揮官は攻撃しか知らない人間でした。
逆に突撃を敢行したのです。

ところが、ルイ14世の時代からナポレオン時代まで、フランス陸軍には定評がありました。
ドイツ軍左翼は失敗して、戦線が崩れる危険が出来してしまいました。
ドイツ総司令部はかくして、目の前の苦境に耐えきれなくなって、当初の作戦を変更し、
正面衝突の戦場に兵力をつぎ込んで、
当初の迂回作戦を二の次にしてしまったのです。

ドイツ帝国のフランス制覇の立役者、
歴史に残る名将の名をほしいままにできたはずのフォン・クルック将軍の無念は
いかばかりであったことでしょう?
将軍の恐ろしい所作にはその無念さが一杯に詰まっていたのかもしれません。

私は戦争など好きではありません。
現在の平和憲法は世界最高の憲法だと信じる人間です。

でも、人間の本性が現れるのは限界状況においてであり、
中でも戦場においてですから、
人間を知るうえで、戦史はとても役立ちます。

もう一つ、戦争の歴史で学んだことが一つあります。

戦争は、ほとんどの場合、密かな私利私欲にかられた支配層が引き起こしますが、
その支配層が戦場で火の粉をかぶることはほとんどありません。

血を流すのも泣くのもいつも国民。

いつしか脱原発の旗は降ろされ、
原発をいっこうにやめようとしないのも、
背後に、原発によって莫大な利益を得、脱原発によって莫大な損失を被る
原発製造者(アメリカ)、電力会社(日本)が猛烈な攻勢をかけているから。

同様に、自民党がしきりに憲法改正、軍備増強、海外戦争への道を探っているのも、
その背後に日米の軍需産業が猛烈な攻勢をかけているからなのです。

彼らは誰も、
日本の平和の確立、日本国民の平安な未来の確保など気にかけていません。
まず、自分たちの繁栄を確立すること、これだけが目標。

原発を再開し、強大な軍備を確保すれば、
恒久的な供給による恒久的な利益を確保できる。
あとはどうなと知ったことか、
また、そのときに利益を得る道を考えるだけ、
これが彼らの姿勢です。

むざむざと口車にのって、原発再開、戦争肯定への憲法改正に乗ったりしたら、
国民はフォン・クルック将軍と同様に、いつか地団太踏むことになります。

   自分の家の近くの原発がメルトダウンしたらどうなるか?
   自分がミサイル飛び交う戦場に放り込まれたら、どうなるか?
   そのことをしっかりと頭に思い描いて、
   それもよし、自分も、自分の家族も、愛する人たちもそうなってもよし、
   そう決断できるなら、賛成しましょうね。
   自分はそんな被害には遭わないから、賛成、
   それじゃ、あまりにも無責任です。




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by Hologon158 | 2013-04-27 19:16 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

431.10 ホロゴン外傳109「2013年4月13日 ビオゴンが京北野天満宮界隈を楽しんだ」10 フォン・クルック



前回、夢の中の女性について、
誰でもいいから、話を聞いてほしい気持ちだと直感したと書きました。

人間の人間たる由縁がここにあるのではないでしょうか?

一番卑近な例は、夫婦の間。
たがいに、ほんの一瞬の表情の変化、あるいは不変化で、
相手がなにを考えているか、わかります。

    内心の動きが外面になにかを伝え、
    他の人がその外面を見て、内心の動きを感得する、
    それが人間のすごさですね。

今、私はバーバラ・タックマンの「八月の砲声」The Guns of Augustの
朗読版を聴いています。

第一次世界大戦の最初の1か月のヨーロッパの攻防を描いた、
万人必読のドキュメンタリーです。
その一節に、今書いたことのサンプルがあります。

ドイツ帝国軍は、史上最大、空前の規模で、
ハンニバルの「カンネーの戦い」の作戦を再現しようとしました。
ドイツ帝国軍は独仏の長い国境にものすごい大軍を並べたのですが、
わざと左翼側を弱くして、戦闘意欲旺盛なフランス軍を誘い込み、
その間に圧倒的な大軍の右翼が中立ベルギーを侵犯して、
英仏海峡ぎりぎりまで巻き込みながら南下し、パリの南で反転して、
独仏国境に集中しているフランス軍を背後から包囲攻撃する作戦を立てました。

その右翼のいわば破城槌役の第一軍の指揮官フォン・クルック将軍のお話。
この本の中で一番印象的なシーンです。
ドイツ軍に接収された別荘のご主人の回想。

    自動車が一台やってきた。
    家の前で止まると、
    いかにも傲慢そうな士官が一人降り立った。
    別荘の前に集まっていた将校たちが道を開けると、
    士官は部下を連れずにこちらに大またで歩いてきた。

    長身で、ひげを剃ったばかりの顔には傷跡があり、
    見るからに威圧的な風貌だった。
    目にすごみがあった。

    右手にライフルをもち、左手は連発拳銃の柄にかけていた。
    銃の床尾で地面をたたきながら、数回ぐるぐると回ったかと思うと、
    芝居じみたポーズで立ち止まった。
    だれひとりあえて近寄ろうとする者はいなかった。
    ぞっとするほど怖ろしい感じを与えていた。」
            (筑摩叢書270から)

いかにも芝居じみた立ち居振る舞いですが、
まるでアッチラ大王と織田信長を足して二で割ったような凄みがあります。

    将軍はなにもお芝居しているのではないのです。
    いわば、攻撃本能を極限まで高めて、
    精神の隅から隅まで前進、突破、破壊、征服、超越の意志で満たした挙げ句、
    その爆発寸前にまで高まった精神の高揚、激情がそんな動きをとらせたのです。

桶狭間に向かって進発した信長、
川中島で武田軍の陣に向かって疾駆した馬上の謙信、
本能寺にたどり着いて、攻撃を命じた光秀、
長坂橋に立ちはだかって、曹操軍を大喝した張飛、
これらの武将たちにも、フォン・クルックのような爆発的な高揚があって、
いかなるものも抗しがたいようなデンジャラスなエネルギーが、
全身から噴出していたのでしょう。

    内の心が外観を通して、私たちの内の心を圧倒するのです。
    つまり、心が直接心にぶつかることがあるのです。
    いや、むしろ、いつもぶつかり合っているのかも知れません。




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by Hologon158 | 2013-04-27 00:54 | ホロゴン外傳 | Comments(0)