わが友ホロゴン・わが夢タンバール

<   2013年 09月 ( 50 )   > この月の画像一覧

465.04 ホロゴン外傳120「2013年9月22日 京都レイノカイでまずヘリアー15㎜が代役をつとめ」4 見つけた!



c0168172_18282416.jpg
c0168172_1828863.jpg
c0168172_182896.jpg
c0168172_1828317.jpg
c0168172_18275054.jpg
c0168172_18274243.jpg
c0168172_18273360.jpg
c0168172_18272740.jpg
c0168172_18272634.jpg





どんな芸術の分野でも、スペシャルな人がいます。

    他との比較を絶して、心に食い込んでくるアーチスト。
    出会った途端に、この人は違う、そう確信できる人。

昨夜、ギタリストにそんなアーチストを見つけました。

    上手いギタリストは山と居そうです。
    彼女よりもっと上手いギタリストも沢山居るでしょう。
    どんなジャンルでもそうですが、比類のない巧さは、
    アーチストとしての超越性に必ずしもつながらないようです。
    
    アマチュア写真家にはとんでもない位に上手い人が居ます。
    でも、だから、その人の写真が私たちを感動させるか?
    ちっとも感動など感じさせてくれない、そんな人がほとんどです。

パク・キュヒの音楽を聴いた瞬間に、
私は、心の中で快哉を叫んでいました、

    「わあ、また、見つけた!」

    とても巧い人です。
    でも、それ以上のものがあります。
    そのサウンドは、音離れがよくて、とても清らかに澄んでいます。
    1つ1つのサウンドが生きています。

そして、本物の音楽を生み出すサウンド。

    耳を傾けていると、
    心の中にたまった澱が少しずつ剥がれ落ちていく、
    そんな音楽。

    Kyuhee Park - A. Barrios: Un Sueño en la Floresta
        (http://www.youtube.com/watch?v=fU-RJD9qRlU)

この人が朴葵姫パク・キュヒという韓国人であることは、
ほんの偶然です。
手当たり次第にギター音楽を聴いている内に、
偶然にぶつかってしまったのです。

アマゾンでチェックしてみると、数枚CDを出している期待の新人。
「26歳にして数々の国際コンクールを総なめにしてきた本格派として
既に楽壇での話題となっている」のだそうです。

    concert imagineというサイトの「朴葵姫」のコーナー
    (http://www.concert.co.jp/artist/kyu_hee_park/)
    ここに9つのコンクールの受賞歴が記載されています。

    うち8回は優勝、1回だけ第二位。
    すべての有名コンクールに野望を燃やす若者たちが群がるのですから、
    そのほとんどすべてのライバルを蹴落としたのですから、
    まさに異例の受賞歴と言えそうです。

    フラメンコギターやジプシーギターとはおよそ別世界の、
    まさにクラシック音楽の世界です。

私が実演に接することのできたギタリストは、たった二人、
ジョン・ウィリアムズ
ナルシソ・イエペス
どちらも大ギタリストと言えそうですが、
彼らに比肩できるような演奏家に育ってほしい人です。
by Hologon158 | 2013-09-30 18:43 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

465.03 ホロゴン外傳120「2013年9月22日 京都レイノカイでまずヘリアー15㎜が代役をつとめ」3 幸運だった



c0168172_16133889.jpg
c0168172_16133147.jpg
c0168172_16132470.jpg
c0168172_16131868.jpg
c0168172_16131118.jpg
c0168172_16134315.jpg
c0168172_1613046.jpg
c0168172_16124258.jpg
c0168172_16132586.jpg





人生にとって、写真はなにか?

よく考えます。

かなり多くの方には、

    写真は趣味でしょう。
    月にせいぜい1回か2回、楽しむ。

写真家にとっては、

    ときには翼、
    ときには明日への扉、
    ときには重荷、
    ときには呪い、
    さまざまでしょう。

私にとって、写真を始めた最初の頃すでに、
趣味以上のものとなってしまいました。

    エネルギー源
    避難所
    心の洗濯機
    オアシス
    天国

仕事が超多忙で、責任も重い職業を選んだので、
のめりこみすぎますと、足下をすくわれます。

    幾人も自殺をしています。
    私の友人も3人、若くして旅立ってしまいました。
    彼らに1つ共通していることがありました。
    みな魂と精神と身体に平安とゆとりを与える趣味を持たない、
    超真面目人間。

私にとって、最大の平安をもたらしてくれたのは、
もちろん別の存在ですが、
加えて、人生の早い時期に写真と音楽に出会ったのは幸運でした。

かなりの人が、高齢になるにつれて、趣味から離れていきます。
もっとよいものに出会うからなのでしょう。

高齢になって写真を愛し続ける人たちは、
どのような年齢になっても、より良く生きるために、
写真がどんなに大切かが分かっている人たち。

    私の訪問するブロガーのみなさんはたいていそんな人たち。
    写真を拝見すると、どんな気持で撮っておられるか、
    なんだか分かるような気さえします。

このような人はみんなそうだろうと思うのですが、
私は四六時中写真のことをかんがえています。

    以前にも大変な写真好きの方が居て、
    この方も寝ても覚めても写真のことを考えていました。
    でも、その方向がちょっとおかしい。
    撮りたい写真とその写真を作る方法を絶えず思案しているのです。
    写真は出会いではなく、作り出すもの。
    それが彼の信念でした。
    だから、彼の写真を見ると、
    どこかにやらせがあることが分かってしまいます。

    荒涼としたはるか北縁の地に舞い降りる巨鳥。
    スケールの大きな写真でした。
    でも、これは用意した大きな肉片を餌場に置いて、
    あらかじめピントを肉の位置に合わせて待って撮ったもの。
    大自然の厳しい営みと見えて、実はただの餌付けの写真。

    万事が万事、その類の写真ばかり。
    もちろんそんな苦労の報酬があります。
    大きな賞を勝ち取り、ついでにかなりの賞金が稼げます。

たいていのアマチュア写真家はこれを容認します。
私は容認しません。

    こんなアマチュア写真家が写真を愛しているとは考えません。
    彼らが愛しているのは、写真よりも、名誉、名声、そしてお金。

私は厳しすぎるのでしょう。

    でも、私は写真との関係をひたすら愛情だけに止めたい。
    そうすれば、名誉、名声、お金は得られないけれど、
    それよりももっと大きなものをプレゼントしてもらえます。

        写真とともに生きる人生、
        心を割って語り合える友人たち、
        明日に生きるエネルギー、
        そして、自分の生きる世界に共存するものたちとの幸せな出会い。
by Hologon158 | 2013-09-29 16:17 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

465.02 ホロゴン外傳120「2013年9月22日 京都レイノカイでまずヘリアー15㎜が代役をつとめ」2 タチアナ



c0168172_144640100.jpg
c0168172_14463388.jpg
c0168172_14471370.jpg
c0168172_1447848.jpg
c0168172_14461796.jpg
c0168172_1446953.jpg
c0168172_1446133.jpg
c0168172_14455385.jpg
c0168172_14454798.jpg




今日は休養日です。

明日午前午後の2つの揚琴レッスンの練習を挟みながら、
写真を楽しんでいます。

You Tubeで音楽を楽しみながら、ブログの文章を書きます。

近ごろ、一番文章を書くリズムに合っている楽器を見つけました。

   クラシックギター

   なんだか私の思考のリズムに合っているのです。
   ときどき画面に目をやって、
   気持を休めるにとても良い人も見つけました。

ベラルーシの若い女性ギタリスト、
タチアナ・リツコヴァTatyana Ryzhkova
(http://www.youtube.com/watch?v=OLI0TFDNWKk&list=RD02EYPVVzZQ1Gw)

私はもともとギターをあまり聞きませんので、
この人がどの程度の力量の人か、まったく分かりませんが、

   とても美しい人です。

   普通他の楽器ではしない仕草をします。
   左手が押さえる弦のあたりをうっとりと眺めながら弾くのです。
   ギタリストって、そうなのでしょうか?
   これがかなり新鮮で、その表情がとても音楽的です。
   流れるような動きの左手はときに無時間で移動し、
   これも見るに楽しい離れ業です。
   むくつけきおっさんギタリストより遙かにビジュアルです。

心を逆撫でしてくれるようなニュースに吐き気がしている人間には、
なんという慰めに満ちた音楽ビデオでしょうか?

そのサラサラと走る渓流のような音楽に乗って、
キーボードの上を走る指がさらさらと流れてくれます。

でも、文章もまたそんな風に流れてくれるか?

   そう考えると、こちらの方はちっとも流れてくれませんね。
   私の文才のつたなさ。

そう考えますと、どうやらタチアナさんの音楽は淀みがありません。
かなり素敵な演奏家なんじゃないかな、そんな気がしてきました。
by Hologon158 | 2013-09-29 14:49 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

465.01 ホロゴン外傳120「2013年9月22日 京都レイノカイでまずヘリアー15㎜が代役をつとめ」1 四条大橋で



c0168172_1336289.jpg
c0168172_13362395.jpg
c0168172_1336138.jpg
c0168172_1336779.jpg
c0168172_1336065.jpg
c0168172_13364144.jpg
c0168172_13355123.jpg
c0168172_13362296.jpg
c0168172_13353772.jpg





9月22日、ブロガーたちの集まり「レイノカイ」に参加を決めて、
前日、ちょっと思案しました。

    さて何を持っていこうか?

順当なら、ホロゴンウルトラワイド。
でも、親睦の会で性根を入れて撮影することはないだろうから、
それじゃ、ホロゴンウルトラワイドがかわいそう。
でも、一々ピントを合わせるライカM9を持ち出すのも大げさ。

    片手間でさっさと撮れる、昔ながらのバカチョンカメラがいい。
    (おっとこれも禁止用語なのかな。
    でも、ほかに表現方法がないので、おバカさん、チョンさん、
    あなた方のことではないので、ごめんなさいね)

そこで、ふっと思いついて、エプソンRD-1xに15ミリを付けました。

    スーパーワイドヘリアー15mmf4.5

ライカM9やM3に付けると、どこか浅薄な写りになって、
とてもホロゴンに太刀打ちできません。

    でも、エプソンなら、22.5㎜になって土俵が変わるし、
    ブラウンに傾く色調が後押しして、好ましい写真が撮れるかも?
    それになかなか出番のないエプソンRD-1xも喜んでくれるだろう。
    そう思いついたのです。

結果は大成功でした。

    これまで、エプソンRD-1xは、私にとっては、
    キノプラズマート25mmf1.5専用カメラという位置づけだったのですが、
    スーパーワイドヘリアー15mmf4.5も戦列に復帰できるようです。

300枚から143枚を選択しました。

    かなり暗い色調なのですが、
    私の心は終始光源氏でした。
by Hologon158 | 2013-09-29 13:58 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

464.00 ホロゴン画帖159「十玉帖 大阪玉造の下町にはホロゴンがドンピシャリ」


9月12日スピードパンクロ35mmF2で十画帖を作って以来、
17日ぶりに画帖シリーズを掲載します。

玉造の写真306枚から選択しました。

山水画家にとって、十画帖は練習帳である以上に、
1つの作品であり、1つの賭けでした。

    自分の普段着の姿をさらけ出すことで、
    画家としての真価、卓越性を証明すること、
    これが十画帖の使命だったように思います。
        (ただし、どこでも読んだことがないので、単なる私論。
         このブログ全体がまあ全部ただの私論なのですが)

私の十画帖は違います。

    愛の証明です。

大好きな写真を順番にピックアップするだけ。
本来は十枚厳守が1つの前提条件だったのかも知れません。
    
    私は最初の最初から、画帖を十枚に絞り込めません。
    女性はとうの昔に妻一人に絞り込んだのですが、
    写真は、なんの制約もないうえに、
    本来、愛情というものは無制約、無制限、無尽蔵なので、
    何枚でも、何十枚でも、何百枚でも、いや何百万枚でも、
    等しく心から愛することができます。

だから、私の十画帖は、時を隔てて二度選べば全然違い、
三度選べば完全に違うかも知れません。
でも、その度に満足するでしょう。
今回は、今までで最大の画帖かもしれません。
大いに満足しています。

    最後に一言。
    いつもいつもお願いしていることですが、
    ただ並べただけです。
    ゆめゆめ作品と誤解して、シーケンスについて、
    あれこれと悩まれることのないようにお願いします。
    時間の無駄ですよ。




c0168172_12472546.jpg
c0168172_12472035.jpg
c0168172_12475942.jpg
c0168172_1247686.jpg
c0168172_1247076.jpg
c0168172_12465531.jpg
c0168172_12464180.jpg
c0168172_12463678.jpg
c0168172_1247511.jpg
c0168172_12462255.jpg
c0168172_1246882.jpg
c0168172_1246118.jpg
c0168172_12455698.jpg
c0168172_12462788.jpg
c0168172_12462145.jpg
c0168172_12453424.jpg
c0168172_12451696.jpg
c0168172_12452020.jpg
c0168172_12451314.jpg
c0168172_1245858.jpg
c0168172_124512.jpg
c0168172_12445458.jpg
c0168172_12452461.jpg
c0168172_12451772.jpg
c0168172_12443415.jpg
c0168172_12442820.jpg
c0168172_12441972.jpg
c0168172_12441432.jpg
c0168172_12445273.jpg
c0168172_12443713.jpg
c0168172_12434339.jpg
c0168172_12433641.jpg
c0168172_12434198.jpg
c0168172_12433414.jpg
c0168172_12441314.jpg
c0168172_12423767.jpg
c0168172_12421924.jpg
c0168172_12421814.jpg
c0168172_1242052.jpg
c0168172_12424132.jpg

by Hologon158 | 2013-09-29 12:53 | ホロゴン画帖 | Comments(0)

463.24 ホロゴンデイ108「2010年11月27日大阪玉造の下町はその日なぜか晴れていた」24-完-人生のレンジ



c0168172_10133056.jpg
c0168172_10133635.jpg
c0168172_1013305.jpg
c0168172_1014871.jpg
c0168172_10135482.jpg
c0168172_10134781.jpg
c0168172_1013253.jpg
c0168172_10125890.jpg
c0168172_1012531.jpg
c0168172_10133033.jpg
c0168172_10121754.jpg
c0168172_10124563.jpg





人間には一人一人ダイナミックレンジが違うようです。

    一人の人間をとっても、生きてゆくプロセスの中で、
    さまざまな場面で、
    このダイナミックレンジは広がったり狭まったり。
    ダイヤモンドが無限のバリエーションのカットに応じて、
    変幻自在の独自な輝きに包まれるように、

人間プリズムもまた、肉眼でそれが見えるとすれば、
一人一人の個性を帯びて、
時々刻々と限りなく変容しながら輝いていることでしょう。

    たとえば、悪いたとえで申し訳ありませんが、
    多彩華麗なる女性遍歴の日々を送り、
    歓喜から悲嘆まで激しく揺れ動く激動の精神生活を送っている男、
    この現代ドン・ファンの人のダイナミックレンジを見ますと、
    その面ではたしかに豊かなメロディーを奏でて、
    それなりに豊かなのかも知れませんが、
    次第に不義理を重ね、恨みを募らせて、
    周辺の人間関係に腐食を深めているかも知れません。
    人間としての徳性は次第に貧困となり、品性は下劣となることで、
    自分の心の中にも深い淀みをたたえるようになり、
    いつしか一人ぼっちの寂しい荒野の中に
    ただ一人たたずむ自分を見いだすかも知れません。
    そんな人のダイナミックレンジは日々貧弱になるばかりかも知れません。

私のような一般市井人の生活は、
あらゆる面でつましく代わり映えのしないものなのでしょう。
でも、だからと言って、そのダイナミックレンジの深度が浅い、
と切り捨てることができるでしょうか?

    つましければつましいほどに、
    その心は繊細で深いということは十分にあり得ることです。
    生活は単調で簡素であるとしても、
    その生活の襞の襞までしっとりと感じる心が発達する余地があります。
    人の気持ちを思いやるゆとりとやさしさが身に付くことでしょう。

以前いくつかのベトナム映画を見た記憶があります。

    筋立ては覚えていませんが、
    どちらも貧しい生活を営む主人公の男女たちの
    柔和な表情と繊細な思いやりがとても印象的でした。
    当時、日本人は世界有数の優美繊細な感受性を備えていると、
    自讃する民族でしたが、心の底から思ったものです、
    日本人はおごってはいけない。
    日本人同様に、あるいは日本人以上に、
    感受性豊かで思いやりの深い国民はたくさんいる。

今や人工稠密となった東海道メガロポリス
(なんて言葉が今でも生きているか知りませんが)の日本人たちには、
他人のことなど障害物程度にしか思わない人が年々増大して、
人を思いやる繊細な感情の持ち主など、
金の草鞋を履かないと見つからない時代になってしまいました。

    多くの政治家、官僚、経済人のダイナミックレンジは、
    憎悪、名誉欲、支配欲、金銭欲、保身の方向にだけダイナミックに発達し、
    国民、国家に対する献身、人類愛、同情、共感、責任感の方向は、
    目を覆わんばかり貧弱になってしまいました。
    だから、彼らのダイナミックレンジはきわめて狭いのです。

いつものとおり、ここまではただの前置き。
本題はいつものとおり、写真。

思うに、私たちは自分のダイナミックレンジの中でしか写真を撮れないのです。

まず、カルティエ=ブレッソン
    カルティエ=ブレッソンが、世界中で、
    あのようにあたたかい情感にあふれた、あたたかい画像のスナップを
    無数に撮り続けることができたのは、
    彼の人間性のダイナミックレンジが広大だったからなのではないでしょうか?

    ニューヨークだったでしょうか、
    人気のない路地に座り込んだ孤独な男と、
    その正面に座って彼をじっと見上げる猫の写真があります。
    胸を締め付けるような孤独と癒しの名作。
    カルティエ=ブレッソンは男と猫の両方の心を感じ取っていたのです。

次に、木村伊兵衛

    彼のストリートスナップにもこれがいえます。
    人を上から見下していません。
    共感と理解の深さがあって、
    彼の写真を他のスナップ写真家たちの写真との間に一線を画しています。

最後に、アンリ・ラルティーグ

    彼はとくにこのダイナミックレンジを感じさせます。
    彼の少年時代の育ちの良さとあたたかい家庭の愛情とが
    彼の眼を比類のない愛情に満ちたものにしたようです。
    あらゆる作品に、写されている人に対する愛情が感じられます。

ごくシンプルに概括させていただきますと、

    あたたかい心の持ち主が撮ると、あたたかい写真が生まれ、
    荒れすさんだ心の持ち主が撮ると、寂しく冷たい写真が生まれます。

ときには写真はフィクションとなりますし、
不幸なひとが幸福な光景を撮ることだってありますから、
上記の概括は例外のない数理法則ではありません。

でも、心の赴くままに写真を撮る人ならば、
その人の人生、生活、人間性が撮影対象、撮影決断、撮影条件に深く影響して、
その人ならではの写真を生み出すものだということは言えそうです。
by Hologon158 | 2013-09-29 10:19 | ホロゴンデイ | Comments(0)

463.23 ホロゴンデイ108「2010年11月27日大阪玉造の下町はその日なぜか晴れていた」23 「クック!」


c0168172_2142112.jpg
c0168172_2142591.jpg
c0168172_21421929.jpg
c0168172_21421386.jpg
c0168172_21421980.jpg
c0168172_21421415.jpg
c0168172_2142491.jpg
c0168172_21415724.jpg
c0168172_2141519.jpg
c0168172_21413914.jpg
c0168172_21412118.jpg
c0168172_21421010.jpg
c0168172_2142357.jpg
c0168172_2142354.jpg




今日は大阪平野に参りました。
所用で外出するママの代わりに孫の面倒を見るため。

1歳10ヶ月となると、もうすでに一個の人格を備えて、
意志もはっきりしています。

今大人気のワンワンとウータンとゆなちゃんのDVDが大好き。
その中でクックというのが出てきます。
靴のペアが仲良く行動する歌です。

   終わると、孫が「クック! クック!」
   やむなく巻き戻しをして、も一度クックの歌に戻ると、
   孫が再び「クック! クック!」

訳の分からぬ問答。

   しばらくしてママが帰宅。
   「ああ、それ、この前買った新しい靴を見たいってことよ」

一寸の虫にも五分の魂。
一歳の赤ん坊でも一足の靴。

   出して履かせると、次の瞬間にはさっと脱いでしまいました。
   ママ、「自分で脱げるのが自慢なのよ」

台所には赤ん坊防止フェンスがあります。

   私がうっかり開けて食器を洗っていますと、
   孫がさっと乱入して、いきなりガスの栓全部をバンバンと押しまくりました。
   大人のやることをしっかり見ていて、考えるのでしょう、
   「いつかやってやるぞ」
   そんなときの行動の素早いこと、乱暴なこと!

これからかなり危険なことをやりそうです。

まだオシメをしていますが、換え時は自分で知らせます。
大きいときと小さいときはジェスチャーが違うことを後で知りました。
今回は大でした。

   私は気づかずに、ティシューとスプレーだけを用意しました。
   すると、いったん寝ころんだ孫はさっと立っていって、
   濡れティシューを持ってきました。
   それだけ気がつくのなら、さっさとトイレに行って欲しいものですね。

我が家の末っ子(猫ですが)ピッピなど、
1ヶ月経つか経たずで、さっさとトイレに自分から入り込んで、用を足してくれます。
見習って欲しいものです。

午後2時頃ハイタッチでお別れをして、
私は平野郷の撮影に出発。
by Hologon158 | 2013-09-28 21:45 | ホロゴンデイ | Comments(0)

463.22 ホロゴンデイ108「2010年11月27日大阪玉造の下町はその日なぜか晴れていた」22 この世の悦楽



c0168172_2217782.jpg
c0168172_2216267.jpg
c0168172_22163282.jpg
c0168172_22162661.jpg
c0168172_22161822.jpg
c0168172_22161359.jpg
c0168172_22164914.jpg
c0168172_22164362.jpg
c0168172_22152992.jpg
c0168172_22151757.jpg
c0168172_2214529.jpg
c0168172_2214433.jpg
c0168172_2214788.jpg
c0168172_2214526.jpg
c0168172_22135115.jpg





白紙に、なにか頭に浮かぶことを書き付けていく、
これ以上に興奮することってあるでしょうか?

    映画やドラマで、とくに書翰を書くシーンがあります。
    万年筆、筆、ボールペン、なんでも例外なく、
    なぜか水茎の跡も麗しい達筆ですね。

韓流ドラマを観て、ハングルが達人の手にかかると、
漢字に劣らないアートな文字となることを知りました。
アルファベットの文字の流れも芸術的。

それなのに、私は文字どおり乱筆。
この乱筆を補完するために、
かなり昔から英文、邦文タイプライターを使ってきました。

私にとっては、今が理想の時代。

    キーボードでブラインドで入力すると、
    画面を美しい文字が埋めていくのですから。

それでも、目的もなしに、文章は書けませんね。
ブログがその目的を与えてくれました。

とはいえ、テーマも文章も全部手作りなのですから、
なかなか苦労ですね。
すでに数千の記事を書きましたが、
ブログに使える材料なんか、
頭の中にそんなに沢山蓄えられているわけじゃありません。
堂々巡り、二番煎じ、でっち上げの繰り返し。

私も文責がありますので、幾度も幾度も書いてきました、

    けっして文章はお読みにならないように。
    お読みになっても、私は責任をとらないので、よろしく。

それでも、書く行為はやめられませんね。

    書く行為そのものがリアルタイムに生きる証をなっています。
    私にとっては、貴重な記録であり、しかも、楽しい。

1つ確かに言えることがあります。

    もし、コメント欄を開いたままブログを継続したら、
    人の目を批判を意識してしまい、
    書くことに慎重になりすぎて、
    こんなに沢山の記事は書けなかったでしょう。

基本的に、自分しか読まないと思うから、書けるのです。
もしかすると、私はナルシストかも知れませんね。
by Hologon158 | 2013-09-27 22:24 | ホロゴンデイ | Comments(0)

463.21 ホロゴンデイ108「2010年11月27日大阪玉造の下町はその日なぜか晴れていた」21 Oh my God!



c0168172_19164948.jpg
c0168172_19153939.jpg
c0168172_19162746.jpg
c0168172_19162157.jpg
c0168172_1915946.jpg
c0168172_19161797.jpg
c0168172_1915293.jpg
c0168172_19152187.jpg
c0168172_1914140.jpg
c0168172_19135582.jpg
c0168172_1914665.jpg
c0168172_19135824.jpg
c0168172_19135359.jpg
c0168172_19134773.jpg
c0168172_19141797.jpg






先日インターネットで、ニュースを1つ読みました。

    日本の高級官僚が福島第一原発事故の後、
    ツィッターに「漁業権を主張してお金をとろいうとしているのは、
    年金受給年齢を超えた高齢者たちだ」
    「復興の予算など不要だ」等と書いていたことが判明したのだそうです。

記事の中に引用されている発言者の文章は、
目を覆わんばかりに低俗で、しかも事実に反しています。

    前回の高級官僚の原発反対派に対する罵言ツィッターとそっくりなのです。

このお二人はぴたり共通して、

    人間としての品位、
    他の人を同格の人間として認めるあたたかさ、
    事実を正確に把握しようとする姿勢、
    これらが全部欠如しています。

しかも、人間として、同胞として、
これほど恥ずかしいことはないと言いたいほどに低劣、低俗。
でも、実はこれが日本の支配的官僚層の基本姿勢なのです。

    事実よりも縄張り、
    国民の福祉よりも自分たちの権益、
    これが日本の官僚たちの行動原理。
    単なる学歴だけでエリートを選抜してきた100年間の積み重ねのツケを、
    第二次世界大戦当時から今に至るまで、日本人大衆が払わされているのです。

かなり前ですが、大蔵省官僚たちが低俗な風俗店まがいのお店で
接待を受けたことが世間を騒がせました。

    同僚の前で、管理下の経済人の前で低劣な本性をさらけ出して、
    恥じないという、信じがたい現象が横行していたというのです。
    国家の行政をリードするという矜持と使命感がある人間なら、
    絶対にそのような人間性は持たないでしょう。

有名なお話があります。

頑固一徹だけど、正直そのものの大指揮者、
あの有名なアルトゥーロ・トスカニーニの記者会見でのお話。

    記者会見の席上、記者たちからこんな質問を受けたのです、
        「マエストロ、
        あなたに次いで偉大な指揮者は誰だとお考えですか?」
    マエストロの顔は次第に紅潮しはじめました。
    やがて爆発寸前のものすごい形相になり、
    次の瞬間、椅子をバタンと倒して足早に立ち去りました、
        「フルトヴェングラーだあ!」という声を残して。

長年のライバル、フルトヴェングラーをナチスの協力者だと考えて、
嫌い抜いていたトスカニーニですが、
そんな個人的感情がありながらも、
フルトヴェングラーが自分に比肩するほどの偉大な指揮者であると、
正しく認識していたのです。

    そして、その認識を歪めたり隠したりできない。
    これが人間であり、人の上に立つ者の姿です。

オリンピック候補地の選定にあたって、
阿倍首相は世界中を前にしてこう断言したそうです、

    「福島原発は完全にコントロールされており、
    海水汚染は港から0.3キロまでにとどまっている」

どのような根拠でこんな言葉が出せるのでしょうか?

    そんな根拠、理由はありません。
    完全な虚偽。

でも、慄然とするのは、

    演説を起案した官僚も、首相もそう信じている可能性がある!
    そんな人たちにとって、原発は完全な過去の問題であり、
    早急かつ真剣に対策を講じなければならないクライシスではない!
    冒頭の高級官僚が示す原発事故認識と完全に一致しています。
    もしかすると、日本国民の多くも同じ認識なのではないか?
    みんな、頼りのないのは無事な証拠、と考えているのでは?

怖ろしくなってきました。

    こんな人たちが原発処理を指揮しているのでしょうか?
    それじゃ、真剣に取り組むはずがない。

なんだかバッハのマタイ受難曲のクライマックスのように、
イエス様の言葉を発したくなりました、

    「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」
    神よ、神よ、なぜわたしをお見捨てになったのですか?
by Hologon158 | 2013-09-27 19:22 | ホロゴンデイ | Comments(0)

463.20 ホロゴンデイ108「2010年11月27日大阪玉造の下町はその日なぜか晴れていた」20 様式と命



c0168172_17121778.jpg
c0168172_17121529.jpg
c0168172_1713099.jpg
c0168172_1712313.jpg
c0168172_17114364.jpg
c0168172_1711497.jpg
c0168172_17123584.jpg
c0168172_17114493.jpg
c0168172_17124590.jpg
c0168172_17114769.jpg
c0168172_17112840.jpg
c0168172_1711424.jpg
c0168172_1711866.jpg
c0168172_17115222.jpg
c0168172_1711612.jpg
c0168172_17105029.jpg





グスタブ・クリムトについて、美術史家ライナー・メッツガーはこう書いています。
    (「グスタブ・クリムト ドローイング水彩画作品集」新潮社)

    「クリムトの創作物たちは、
    聖美術的な常軌を逸した装飾のなかに統合され、合体され、
    閉じこめられていて、
    永遠に消えることのない「生命を否定する無機的なもの」を
    身につけている。
    しかしながら、同時に、それらは生命力にもつながっている(後略)」

    「クリムトは装飾芸術において抽象と感情移入を合体させようとしている。
    それは独自の方法で自然主義と様式とを統合させようとする試みであった」

メッツガーは、時間を超越した永遠に到達するための統合という方法であると述べた上、
こう書いています、

    「ヴォリンガーによれば、それこそが「すべての芸術の法」であり、
    クリムトはあたかもそれを最大限描いてみせることを目指しているかに見える」

私はアート、芸術は好きですが、深く考えたり、
研究したりすることはありません。。
ただ、ひたすら感覚的に接して、
時折、ああ、こんな良いものがあったんだ、と感激するだけ。

だから、メッツガー先生の七面倒くさい文章を読んでも、
クリムトの芸術の実質をこれらの言葉で理解することなどできないのに、
なんだこれって、ホロゴンとロボグラフィとの関係に似てるな、
そんなことはすぐにピンと来るところがあります。
例の「我田引水的思考法」のせいです。

他の超広角レンズもたいていそうなのですが、
ホロゴンは、極めて特殊な画像を作ってくれます。

    レンズ、独特のコントラスト、描写特性、周辺減光等の特異性が、
    凝縮力、立体感に富んだ独自な描写を生み出してくれます。
    それが、生命感につながっているようです。
    だから、なんでもいいから撮っておけば、
    ホロゴン写真ができあがります。

人から見たら、それで終わり、
    「ああ、またホロゴンか........」

しかし、私から見たら、

    ものたち、人たち、場所が甦るのです。
    私の心の壁に永遠につなぎ止めるピン、それがホロゴン。

そこで、メッツガー先生にならって、

    「Hologon158は記憶写真において抽象と感情移入を合体させようとしている。
    それは独自の方法で自然主義と様式とを統合させようとする試みであった」

彼のドローイングはシンプルそのものです。
一本の線で生命感溢れる女性像を再現したいという彼の強烈な夢を、
どこまでもどこまでも追い求める試みだった感じがします。

その努力が絵画に活かされています。

    クリムトは、彼一人に備わった比類のないデザイン創造力で、
    美女達を黄金のタペストリーの中に縫い込み、
    隅から隅まで独創的なイメージを生み出しました。
    画面全体を過剰なまでに様式感溢れる描線で満たすことで、
    悲劇的なパッションに満ちた女人像が画面の中から浮かび上がってきます。
    「接吻」はその典型的な成功例。

私はなにもホロゴン写真をクリムトの独創的アートに比肩させようなんて、
大それた気持はありません。

    ただ、ホロゴンというレンズが生み出す強靱な描線は、
    一種独特の様式感を備えていて、
    その様式感が路傍のものたちに独特のエネルギーを与えてくれる、
    そう言うことができそうで、
    こんな風に考えてくると、レンズもまた、
    「自然主義と様式とを統合する」独特の方法なのかも知れない、

そう言いたいのです。
やっぱり大それた我田引水でしょうねえ。
by Hologon158 | 2013-09-26 17:18 | ホロゴンデイ | Comments(0)