わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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473.00 ホロゴン画帖163「十通帖 通天閣の下に棲むものたちの肖像を」



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写真にも音楽のテンポと同じようなところがありますね。

    テンポの正しさを分かる人と分からない人がいます。
    テンポが微妙に間違っても、分かる人と分からない人がいます。
    でも、テンポが分かっても、常に正しいテンポを出せるとは限りません。
    ほんのかすかに間違うことだってあります。
    でも、演奏者本人には分かりません。
    でも、そんなかすかなかすかなテンポのずれさえも分かる人が居ます。

写真も同様ですね。

    ある程度写真をやっていますと、
    つまらない写真は誰にでもただちに分かります。
    でも、なかなか自分の写真のどこがつまらないのか、
    分からないことが多いですね。
    ところが、見る目のある人が見ると、やっぱりたちどころにばれてしまう。

さらに、私たちは、自分よりもすぐれた写真を撮る方の写真を見て、
素晴らしい写真はたいてい分かります。

    でも、私たちが見ても素晴らしいと分からないけれども、
    センスのある観賞家が見れば、凄い!という写真もあります。

ちょっと乱暴に概括しますと、

    自分よりも下のものは分かるが、
    自分よりも上のものは分からない。

私など、分からないのに、大きな口を叩いているところがあります。
大口叩いているんだけど、自分の写真のどこが悪いか、
これがほとんど分からないことは分かっています。

    よく見えます。
    でも、それは、
    ひいき目が目を曇らせていることも分かっています。

でも、それは仕方がないことです。

    私たちはそれぞれに自分の世界に生きなければなりませんし、
    自分の世界では趣味の最終裁定者でありたいものです。

そこで、もう一つの概括が生きてきます。

    知らぬが仏。

そんな「知らぬが仏様」が通天閣界隈の写真から選びました。

選択基準は実に単純です。
よい写真かどうかは分からないので、

    大好きな写真かどうか?

逆に言いますと、これらの写真全部ひっくるめて大好きな人間、

    それが、私。
by hologon158 | 2013-10-31 21:09 | ホロゴン画帖 | Comments(0)

472.17 ホロゴン外傳122「2013年10月19日 天王寺通天閣界隈に獅子吼するのは?」17-完-根っこ

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我が家の裏の空き地に木が一本立っています。
何の木か知りません。
さるすべりのようです。

    白い肌の枝を空にすっと差し出しています。
    バレリーナ、と言いたい位に優雅です。
    この木の下には、大地にしっかりと根が張り出されているのです。
    だから、台風でも、樹幹はびくともしません。

すぐれた人物の姿に似ています。

    見えるものは、その人の一部。
    その人の人生、人間性、積み重ねられた知識体験の深さは、
    誰にも分からないのです。
    でも、そんな根がその人を支えています。

かなり前、奈良県がシルクロード博覧会を開催しました。

    県議会で、県知事は約束しました。
    群衆処理のため、奈良公園の林立する松林の大半を、
    期間中別の場所に移植して、閉会後完全に元どおりに戻す。

老いた老木を移植するなんて可能なのでしょうか?
誰もが疑問に思ったはず。
ところが、実に簡単だったのです。

    根っこを全部切断して、丸裸にして移植したのです。
    もちろん根がない大樹を元に戻すことはできませんでした。
    移植に当たったのは、おそらく庭師ではないでしょう。
    ただの土木業者。
    でも、土木業者だって、そんなことをしたら、
    大樹を殺すも同然だと分かっていたはず。
    県知事も県の役人たちも分かっていたのです。

つまり、移植とはおためごかし。
奈良公園を今後も群衆処理できるような空閑地にすることで、
今後、利用価値のある空間に変えてしまう、
これが目的だったのです。

    もちろんその目的は見事達成されて、
    その後今日に至るまで、さまざまな催しに利用されています。

奈良公園は、それ以前は、町の中にありながら、
森厳な雰囲気をたたえて、古都奈良の印象を深める役割を担っていました。

    今、奈良はただの中都市です。

すぐれた学問の権威から、記憶を全部抜き去ってしまい、
さあ、大学に戻ってご活躍を、なんてできるはずがない。
それと同じことを、県民を騙して平気でやってのける。
県民のためと称して、県の利用価値のある空間に帰る。
復興省と称して、原発事故の放射能汚染を隠蔽する。
役人たちのやることはすべて同一方向にあります。

    つまり、国民のためと称して、国民をごまかし、
    自分たちの目的に利用する。
    政治家、官僚たちはそんな風にしてせっせせっせと
    日本という大樹の根を1つ1つ切断しています。
    
一国を支配するためには、マスコミをまず支配すること、
これが支配の第1の鉄則です。

    その第1の鉄則をほぼ完全に成就した今、
    マスコミは、国民にお手盛りの情報だけを選択して届ける、
    宣伝機関と化してしまいました。

情報自体は正しいかも知れません。
でも、届けられない別の情報が加われば、
まったく異なる本当の絵が見えてくるはずなのです。

    国民が一人一人がしっかりと情報を選別して、
    その本当の絵を自分で見つけ出すほかはありません。

今、私には、日本を木にたとえれば、
根の多くを切断されて、ふらふらと揺れる木、
そんな風にしか見えないのですが.......
by Hologon158 | 2013-10-31 11:03 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

472.16 ホロゴン外傳122「2013年10月19日 天王寺通天閣界隈に獅子吼するのは?」16 静かに生きる



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今日、ショッキングなニュースを受け取りました。

    若い頃は家族ぐるみでつきあっていた昔の同僚が、
    朝息絶えた姿で発見されたそうです。

しかも、消息通の間で噂が飛び交っていて、
自殺らしいというのですから、ただごとではありません。

    試しにグーグルで検索をすると、元同僚の方が、
    やはり突然の訃報に驚いた旨のブログ記事が見つかり、
    その中で、ぽつりと書いておられるのです、

    「死を悟った時、
    なぜ私に会いたいと言ってくれなかったのかとの思いもあるが、
    親しい先輩や友人にも連絡はなかったようである」

なんだかそうなのかなあという気分。
仕事上で深刻な悩みを感じて、
うつ病に近い状態で悩んでいたのそうです。

折しも「打撃の神様」の川上哲治さんが死去の報。
93歳で、どうやら老衰だったようです。

あれこれ考えさせられます。

    「死生、命あり」という言葉があります。
    たしかにそのとおりです。
    思い煩っても、意味がない。
    
誰もが迎える終局なのだから、美しく逝きたいものです。
でも、なかなかそうは参りませんね。

    私の父はボケもせず、自宅で悠々自適の生活でしたが、
    84歳になったある日、朝食の後コーヒーを頂いてから、
    「ちょっと横になってくる」と言って寝室に入り、
    その直後に事切れたようです。
    完全な老衰、完全に命を使い切っていたそうです。
    
私はプエブロ族ネイティヴアメリカンの言葉に魅せられています。

    「今日は死ぬのにもってこいの日だ。
    生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている。
    すべての声が、わたしの中で合唱している。
    すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。
    あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。
    今日は死ぬのにもってこいの日だ...」

なんとかして、こんな生き方、死に方をしたいものです。
この言葉をよく考えるのですが、
一体「死ぬのにもってこいの日」って、どんな日なのでしょう?
私は答えは1つしかないと思っています。

    今日、なのです。

    日々、一日の目標を立て、無理せず、静かに生きる。
    心を澄ませて、1日の仕事を誠実に実行する。
    そんな日こそ、「死ぬのにもってこいの日」なのかも知れません。

なにかを遂げようとしているとき、しずかに逝けるなら、
あの世でその仕事を完成させることができるかもしれません。
私の友人がそんな気持を持ちながら逝ったことを祈りたいですね。
by Hologon158 | 2013-10-30 21:39 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

472.15 ホロゴン外傳122「2013年10月19日 天王寺通天閣界隈に獅子吼するのは?」15 偏愛ムラタ美術館



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作家の村田喜代子さんが書いた「偏愛ムラタ美術館」(平凡社)、
まさに異色の画家たちへの偏愛の事情を書いた、
どちらかと言うと、奇書に近い本です。

そのあとがきが私がこのブログで書いてきたことにそっくり。
うれしくなったので、引用させていただきましょう。

    私は日々、小説を書いて暮らしている。
    絵を眺めるが好きだが、もし小説を書いていなかったら、
    これほど絵に興味を抱くかどうか疑問である。
    私は小説を書くためにいろいろな絵を見ている。
    好きな絵や気になる絵を探しているのである。
    しかしそれらの絵が具体的に私の書く小説に何か題材としてとか、
    素材としてどかで登場するかといえば、そうでもない。
    私は小説で未だ見たことがない世界や光景を描きたいので、
    すでに絵になっているものはいらないのだ。
    私はただ絵を見て、驚きたい。
        こんなふうに世界が表せるものか! と。
    絵を見て、快哉を叫びたい。
        表現ってこんなに万能なのだ! と。
        こんなふうにも描けるし、あんなふうにも描けるのだ! と。
    描けない小説家を奮い立たせてくれる絵を探しているため、
    奇想であったり、物語性があったり、
    またいわゆる名画から外れて面白いものが私の心をとらえる。
        (中略)
    ここに収めた絵は私の自分のための栄養剤だ。
    処方箋かもしれない。
    
引用分の一字一句として、私の気持ではない言葉はありません。
ただ一つ違う点があります。

    彼女は、そんな気持をかき立ててくれる、奇画を探しています。
    私は、画家たちが絵筆で見せる超人的な離れ業、
    メタモルフォーゼを探しています。

彼女の選ぶ奇画の多くは、私には無縁です。
私は、名画、非名画を問わず、私を奮い立たせるもの。

    たとえば、フェルメールが「真珠の首飾りの少女」で見せた、
    真珠の奇跡的な筆裁きに私の心の奮い立つのです。
    ベラスケスが「ラス・メニーナス」で見せた、二次元の画布に、
    三次元の宮廷空間を現出させる奇跡的な描画に出会って、
    これほどの魔法の手を持つ偉大な画家を生み出した人類の進化に
    心の底から感動するのです。

そうすると、私ももりもりとやる気が出てくるのです。
なにもフェルメールやベラスケスのような写真を撮りたい、
というわけじゃありません。

    私は私なりの写真を、誰の模倣でもない自分の写真を撮りたい、
    そんな気持にかき立ててくれるのです。

私が見た偉大な絵たちは、
その展示室も、
その場の雰囲気も、
そのとき感じた心の震えも、
全部一緒にまざまざと記憶しています。

    そして、私の心の片隅にしっかりととどまって、
    なんの躊躇もなく自分の撮りたいものを、
    自分の撮りたいように撮れ、がんばれと鼓舞してくれるのです。

心の財産。
記憶していない絵は、私にとっては無縁なのです。
by Hologon158 | 2013-10-30 18:54 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

472.14 ホロゴン外傳122「2013年10月19日 天王寺通天閣界隈に獅子吼するのは?」14 生きた形



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ジョージア・オキーフが面白い言葉を残しています、

    本物の生きた形とは、思い切って未知なるものへ入り、
    生き生きしたものを創り出そうとする個人の努力の
    自然な結果であると、私は感じています。
    そこでは個人が何かを体験し、理解しないにしても何かを感じ、
    その経験から未知なるを知りたいという思いが湧いてくるのです。
    未知なるものは、つまりその人にとって大変重要な意味をもつので
    記録に残したい、感じてはいるがはっきりと理解できない何かを
    明らかにしたいというものなのです。
        (中略)
    私はある意味で、
    誰もがその何かを明らかにした状態で生まれてきたのだと感じています。
    しかし、たいていの人はそれを枯らしてしまうのです。

オキーフが心の中に強く感じているのだけど、
言葉に言い表しにくいなにかを、なんとかして伝えようと、
懸命に言葉を選んでいる状態がそのまま出ています。

でも、彼女の絵を観ていきますと、
本当にそのとおりなんだなという思いがしてきます。

    石ころや花や岩場、空、水がオキーフの素材。
    色と線のただのデザインに見えて、実体が浮かび上がり、
    異形の世界が現出します。
    そんな彼女独特の変容を経て、
    ありふれたものたちが「本物の生きた形」に変身しています。
    具象よりも抽象に傾けば傾くほど、
    そんな「本物の生きた形」が凄みさえ伴って力強く現れて迫ってきます。

そんなオキーフ世界を創造するために、
生涯どれだけの努力をしたことでしょう?
でも、彼女は比較的若い頃に画風の根幹を見つけ出すことができたようです。
かなり幸運な人だった感じがあります。

    でも、アーチストの生涯の努力の姿を観ると、
    「百尺の竿頭なお一歩を進む」の言葉を想い出します。

その点、素人写真って安楽そのものですね。

    努力などなにもいらない。
    ただ、楽しめばよい。
    
私が今並べている写真をご覧いただいたら、よくお分かりでしょう。

    楽しいものを見つけたら、露出を極度に切り詰めて、
    超接近して、ただそれだけを切り取る。
    すると、カメラとレンズがなんとか玄妙な雰囲気を盛り込んでくれます。
    私のやることと言えば、選んで、撮ること、これだけ。

こんな風にエンジョイしても、
継続することは力なり、ですね。
気が付いたら、自分の好みも撮り方もかなり固定してきて、
努力しなくても、自分好みの写真が撮れるようになります。
すると、さらに撮影が楽しくなります。

写真家としての野心、
見る人にアピールしたいという切望、
こんなものがあなたの心に生まれたら、
私に言わせれば、ある意味で災難ですね。

創造の森の奥深く分け入って、
棲息しているはずと噂の一角獣を探し求めるような営為。
でも、人に自分の写真世界を認知してもらうこと、
これは何ものにも代え難い歓びなのでしょう。

でも、私のように、人知れず写真を楽しむのも、
これまた何ものにも代え難い歓びなのです。

写真は人に見せてはじめて価値がある、
そうおっしゃる方が沢山おいでです。

    でも、私もその「人」なのです。
    見せる人は一人でもいいじゃないですか?
    もう一人の人は必ずしも必要がない。

    たとえば、夜、一人でバッハの無伴奏チェロに耳を傾けている、
    そこへ人が入ってきて、「先週化した1万円今すぐ返して!」
    これじゃ、歓びもお終い。
by Hologon158 | 2013-10-29 16:59 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

472.13 ホロゴン外傳122「2013年10月19日 天王寺通天閣界隈に獅子吼するのは?」13 アベカオス



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安倍首相は、また、自信満々にアベノミクスを語りますが、
彼のできることは、
滔々たる経済ストリームのどこかに竿を差し入れることだけ。

なぜなら、世界経済の原因、プロセス、結果を予見し、操作し、管理し、
コントロールできた人も国もこれまで皆無なのですから、
(世界全体を巻き込んだカオス現象なのですから、そんなことは原理的に無理)、
この自信満々な態度がすでに無能を露呈しているのに、ご本人気づいていない。

世間はアベノミクスは有効なのかどうかと議論していますが、
市場コントロールなどすでに不可能な世界になってしまい、
どんなコントロールも一時的局所的でしかなく、
一つの経済政策がそれだけに起因して、
長期間の経済変化をもたらすなんてありえないのですから、
なにかが起こっても、それをアベノミクスの効果であったなどということ自体ナンセンス。

    滔々たる大海原を何か巨大なショベルカーかなにかで
    さっと一線をかき分けて、
    大海原を2つに分けることができますか?
    できませんね。
    それが現代世界の経済、日本はその一部なのです。
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なぜ、現代世界がそんなカオスになってしまったか?
理由は明らかです。

    世界が一つにまとまってしまったためなのです。

    世界がまだばらばらで互いに没交渉であった時代は、
    その自分だけのエリアをコントロールすることは比較的簡単でした。

    でも、私たちは狭いエリアで生活圏を作っているのに、
    エリア全体は世界のあらゆる出来事の影響を受けるようになった今では、
    世界のどこかで起こった事件が他のすべてのエリアに
    多かれ少なかれ波及的効果、チェーンリアクションを及ぼすのです。

大手得意先の食品製造会社が倒産してしまった小さな食材業者を考えてみてください。

    親会社からお金が入らないので、
    先月の仕入れ代金の手形を月末落すための資金に窮します。
    社長は必死でかけずり回って、なんとかお金を借り集めて、
    手形をかろうじて落とすことができました。
    やれやれ、来月は、別の得意先の大口の仕入れ代金が入るので、
    なんとか生き延びられるだろうと少し楽観していたのに、
    ああ、無情、その得意先も連鎖倒産してしまいます。
    もうお金を工面する当てもなくなってしまった!

予期せぬ出来事が予期せぬ場所で途切れなく起こり、予測不能である。
これが現代経済。
早晩、どこかで国家経済が完全にアウトになる確率は高まるばかりです。

    さしあたり可能性が高まりつつあるのは中国。
    中国が倒産したら、
    その爆風は日本経済を吹き飛ばしてしまう危険があります。

でも、日本だって同じくらいに危機が高まりつつあります。

    富士山が噴火したら、
    東南海地震か関東大震災が起こったら、
    あるいは再び東北地震が発生して、
    原発の建屋の上にあやうく載っかっている使用済み燃料庫の燃料棒を、
    地面にばらまいたりしたら、日本経済は即座に致命的に麻痺してしまい、
    オリンピックどころではなく、
    国民の生活そのものが致命的なクライシスに落ち込んでしまうことでしょう。

こんな風に書いていますと、もうアドレナリンが沸騰して、
へとへとになってしまいます。

そこでハタと考えました。

    こんなことを考えても、ほとんど誰も本気にはしないだろう。
    こんなことをいくら書いても、ただの「王様の耳はロバの耳」効果だけ。
    つまり、なにも起こらない。

    そうだ、こんなことをオタオタ書き連ねるのは、
    私も過多の情報社会にアップアップしている証拠。

情報の少ない時代、人間はもっと地面にしっかり立っていました。

    私にはどうしようもない情報をシャットアウトして、
    自分の人生を送ることにしたいものです。
by Hologon158 | 2013-10-29 15:06 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

472.12 ホロゴン外傳122「2013年10月19日 天王寺通天閣界隈に獅子吼するのは?」12 ロケット


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アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドが、
1925年でしたか、「科学と近代世界」でこんな予言をしました。

    世界は今歩く速度で変化しているが、
    次第に速度を速め、自転車、自動車、列車、飛行機、
    あげくの果てにはロケットのスピードで変化していくだろう。

情報量、情報の伝達スピードが
人間の営み、人間社会、世界の仕組みを徹底的に変更してしまいました。

    旧来の機構、生活はほとんど破壊されようとしています。
    人間はこのスピード、情報量の過多に対処できないために、
    各方面で一様に無能化して、未知の海でただあっぷあっぷするだけ。

安倍首相は、原発新開発を強力に推進しようとして、こう言います、

    現代の原発はきわめて安全に設計されてるので、危険はまったくない。

でも、過去の原発もそれなりにきちんと設計したはずなのです。
問題は別のところにあります。

    建設業者が設計通りに施工する能力をもたないこと、
    現場を管理する電力会社、下請け業者たちに安全管理の能力がないこと、
        (今回の原発事故に関する本をお読みになって下さい、
        どんなに施工、管理がずさんかつ危険か、お分かりになるでしょう)、
    どのような安全設計の原発も、大震災には勝てず、
    しかも、設計が予期せぬ規模、性質の大災害が
    いつなんどき起こるかわからないことだけははっきりと予見できること、
    さらには、彼自身がその危険性を声を大にして強調する日中戦争では、
    中国軍の長距離ミサイルの最初のターゲットは原発であり、
    ミサイル攻撃に耐えられる原発など設計施工不可能であること。

安全設計だけで、将来のいかなる震災、危機にも耐えられる
と自信満々でおられる首相閣下は、
そのような現実に一切気づいていないのでしょうか?

    気づいていないとすれば、第一次同様、完全に総理失格、
    気づいているとすれば、国家と国民に対する犯罪です。
by Hologon158 | 2013-10-29 14:31 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

472.11 ホロゴン外傳122「2013年10月19日 天王寺通天閣界隈に獅子吼するのは?」11 落ちはずれ



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私はずっと幼児のころから「右へならえ」が大嫌いでした。
両親もそうでした。
完全によそものだったせいもあるでしょう。

    小学校を奈良県の大和高田で育ちましたが、
    1年生から6年生まで、坊主頭ではないのは私と弟の二人だけでした。

    教室でおとなしく授業を受けるのが嫌いで、
    いつも先生の言葉は上の空、ほかのことを考えていました。

それでも落ちこぼれにならなかったのは、
勉強が嫌いではなかったから、自分で勉強しました。

ずっと成績は最上位だったし、誰にもいじめられなかったので、
いわば、「落ちはずれ」だったのでしょう。
その境遇は生涯ずっと続いてきました。

    父がそんな一人で頭を使うことが許される
    ほとんど唯一の職業の人間だったことは一生の幸運でした。
    生涯で一番重要な選択をするときにだけ、
    私は「右へならえ」をしました。
    父の職業を選択したのですから。

あとは、人の思惑も、組織の期待も、世間の評判も一切無視して、
やりたいようにやってきました。

    妻が「もっとたくさんお金を持ってかえって」などと
    足を引っ張ることもある人もおいでかも知れませんが、
    私の妻は私に輪をかけて独立独歩。
    私がなにをしようが、一切気にせず。

私たち夫婦ほどよく語り合う夫婦はあまりいないのではと思いますが、
私の仕事の話などまったくゼロ、文字通りゼロ。
夫婦ふたりして、やりたいことをやりたいようになってきた次第。

こんな人間は世間に名利を求めるのは筋違いですね。

    写真も長い間楽しんできましたが、
    コンテストに応募したのは最初の2年目と3年目だけ。
    4回応募して、入選1回の後、3回続けて受賞して、
    有名な写真家の選者に「久しぶりに登場した大型新人」と評されたのが、
    生涯でただ一度の人に写真で褒められた体験。

3年目に、モノクローム全紙30枚で個展を開催しました。
あのころは、アマ3年症候群にかかっていたのです。

    つまり、3年もたつと、もう自分は一人前なんだ、ああ怖い、
    おれは無敵なんだと思いこんでしまう、愚かな病気。
    
あとはコンテストとは一切無縁、個展は論外で通してきました。
    結局、私の写真は、誰向きでもなく、
    私一人向きであることを知ったからです。
    写真クラブに長年属し、
    写真展には幾度か参加しましたが、それというのも、
    仲間で一つの仕事を達成する楽しさという、
    自分の職業生活では味わえない楽しみをエンジョイできたからです。

今、ブログという、私の性格にぴったりの楽しみを見つけて、
インターネット社会のほとんど唯一の利点はこれだったと喜びをかみしめています。

    誰も来ず、コメント欄もないので、
    反応も一切わからないというのは堪えられないですね。

こういうのを「王様の耳はロバの耳ブログ」と言います。

    自分の中にたまったものを全部はき出して、せいせい。
    読まされる方、観させられる方はたまったものじゃないですね。
    みなさん、穴になどなる必要はありません。
    私一人、穴に向かって吠えさせておいてくださいね。
by Hologon158 | 2013-10-29 12:19 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

472.10 ホロゴン外傳122「2013年10月19日 天王寺通天閣界隈に獅子吼するのは?」10 右へならえ!



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近頃、インターネット上で、日本の大学が、
世界の大学のランキングのはるか下位に甘んじていると話題になっています。
それだけではなく、
日本人の基礎学力そのものが猛烈に低下しているという記事もありました。

さらには、子供の学力世界一のフィンランドの教育事情として、
16歳にたった一度だけするほかは、テストゼロ、遊び時間を多くし、
クラスの生徒数を押さえ、優秀な教師を揃えているというお話も読みました。

    その教育方針はこれだけ見ても明らかです。
    自分の頭で考える能力を身につけさせること、これです。
    
出された問題そのものに正解を出すということなど、
自分の頭で考える能力のほんの一部です。

    問題そのものを疑うこと、
    正しい答えなどというものを求めず、
    いくつもの回答を考え出して、
    さまざまな状況に置ける回答の可能性を考えること、
    さらには、自分で問題を自ら見つけだすこと、
    こんな能力こそ重要です。

万事を単一正解主義で、テスト結果のみを重視する日本の教育は、
一定水準の知的能力を持った部下の育成が種目的でした。

    たしかに高水準のスタッフを揃えることができる点では、
    日本は最上級なのでしょう。
    でも、指揮能力、想像力、創造力、判断力、
    窮地に陥ったときの問題解決能力、不撓不屈の精神力、
    独創的な問題設定能力、
    リーダーとして、あるいは単独で行動するのに必要な能力を備えた人間は
    ほとんど育成されてきませんでした。

日本人の行動の第一方針、それは、

    「右へならえ!」
    「先生、上司の言うとおりにしなさい」

ケンブリッジの哲学教授だったムーアの話をいつも思い出します。

    彼があるとき尋ねられました、
        「君の学生で一番は誰だ?」
    言下に、
        「ヴィトゲンシュタインだ」
    「なぜ?」
    「私がなにを言っても、本当にそうだろうかという顔をしている」

これができなければ、学問の研究者にはなれません。

    今でもそうだろうと思うのですが、
    邪馬台国論争で、東大は九州説、京大は大和説に統一されているって、
    一体どういうことでしょうか?

    現在主流の占める学者の多くが、天皇が万世一系、
    日本全土の唯一の支配者であったことを学問の大前提にしているって、
    一体どういうことでしょうか?

自分の頭はどこに置いてきたんだ?
そう尋ねたいですね。

もちろん答えは、

    「小学校低学年の校庭に置き忘れちゃった!」

今、日本は未曾有の国難にさらされています。
それに気づいている人はとても少ない。
万事こともなく平安そのものと言わんばかりの生活を送っている人がほとんど。

    なぜなら、新聞もテレビもそんなことを教えてくれないから。

今頃、文部省のお役人たち、冒頭の報道を受けて、
しゃかりきになっているでしょう、

    「もっとテストを強化して、成績を上げるようにしなさい!」

長年の日本の教育は徹底的に成功しているのです。
by Hologon158 | 2013-10-29 11:52 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

472.09 ホロゴン外傳122「2013年10月19日 天王寺通天閣界隈に獅子吼するのは?」9 心と体のこと



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今日は月1回の火曜日休業日。
風邪もほとんど治り、静養の1日です。

心と体のことを考えています。

    昔は心と体とを分けて、
    それぞれ独立のものであるとして、
    唯物論だの唯我論だとと、論争していました。

今では心と体は不可分一体のものだとされています。
では、心と体という二つの言葉はいらないのではないか?

    合体して「コラダ」とかなんとか言ってもよいのでは?
    でも、そんなわけにはいかないようです。
    どうしても体を意識し、体以外のものも意識する中心があって、
    それが私なんだと感じているからです。

体はそんな私に不可避的に影響を及ぼしています。
逆に、心が体のすべてをコントロールし、支配することはできないようです。

いつもある大合気道家のことを思い出します。

    You Tubeで観た、8人も相手にして、
    群がり押し寄せる大男たちをするりするりとかわしながら、
    触れたとたんに宙に舞わせるシーンは忘れることができません。

ギタリストのパク・キュヒさんが述べた言葉を思い出します、

    「どちらの手の指も弦にそっと触れるだけです」
    合気道家も究極のやわらかさを実現しているのでしょうか?

心が体を完全にコントロールしているようです。
けっして無理をしていない。
70を過ぎてもなおかくしゃくと道場にたっておられたようです。

    ところが、誰よりも身体を鍛えていたと思われるのに、
    78歳と比較的早く世を去ってしまいました。
    死因は知りません。
    知らぬ間に病魔が忍び寄っていたのでしょうか?

4つの可能性が考えられます、

    ① 心は体を完全に支配できない。
    ② 支配できるのだけど、ある出来事があって、ひそかに心が折れた。
    ③ 支配できるのだけど、格闘技なので、いつしか体が磨耗して、
      心より先に体が参ってしまった。
    ④ 支配できるのだけど、体には人それぞれに耐用期限があって、
      その期限が来てしまった。

いずれにせよ、死には勝てないのですが、
②の可能性が一番気にかかります。

    あらゆることが心に影響を与えそうです。
    功なり名を遂げて、次にやることがなくなった。
    自分の掲げた目標を遂げてしまった。
    そんなことがなくても、とにかくやることがなくなった。
    心に喜びを失った。

こんな風に考えていきますと、どうやらこういうことになりそうです。

    心は体のすべてをコントロールすることはできない。
    だけど、体に悪影響を与える可能性があるという意味では、
    マイナスのコントロールをしてしまう可能性はある。

こんなとき、昔の人はえらかったという気持ちになります。
こんなことにもちゃんとあてはまる言葉を残してくれているからです。

    「人事を尽くして天命を待つ」

大仕事を実行するにあたっての心構えですが、
人間にとって天寿を全うすること以上に大切な仕事はそんなにないはず。
そんなことを真剣に考える年齢になってきたということでしょうか?
by Hologon158 | 2013-10-29 11:20 | ホロゴン外傳 | Comments(0)