わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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486.10 ホロゴン外傳127「2011年9月15日 神戸山手で老エルマーも踊った」10 お疲れ様



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大晦日です。

昨日、私の作文用ソフト、Miに入れた一文は、
マック用インターネットブラウザーsafariのハングアップで、
見事消えてしまいました。

もちろんワードも入れていますが、
私がブログ記事を書くのはほとんどの場合ポメラであり、
ポメラのテキストファイルを読むには、
ワードよりも遙かに軽いMiで十分という考慮からです。

もちろん書く度に保存します。
私の左手は一文かき終えるごとに自動的にcommand+Sをタッチします。
ところが、なぜかsafariがハングアップして、
どんなに手を尽くしても、safariを終了できず、
マック自体の強制終了を余儀なくされたとき、
これが起こります。

こまめにバックアップをとれば、かなりの部分が救えます。
でも、そんな面倒なことはしたくない。
私のブログ文は単なる私の思考トレーニングに過ぎないのですから。
一度消えると、もうあきらめます。
かなり記憶していますが、復元する作業ほど時間の無駄はない。
だから、書き直しはしません。

今日も大掃除3日目です。

朝、裏の3mばかりの幅の通路の雑草整理。

    国有の農道で、その北側はかなり狭い雑地。
    農地法上の制限がかかっている農地なので、開発不能。
    長い間所有者は放置したままでした。
    その荒れ地から雑草が通路に侵入してくるのです。
    かなりの間、私も通路として使用していましたので、
    我が家の敷地に面する部分は私が雑草を刈り、
    ついでに、対面の農地の上の草刈りもかなりの範囲で
    私がしていました。

この2、3年、雨のために、
この通路が水浸しになり、通行不能になることが多くなり、
昨年は草刈りを止めてしまいました。

    他のお宅も通路の世話はしないので、ほとんど人通りがない。
    でも、通路上の半ば枯れた雑草はとても汚らしい。
    今日はやむなくその草刈りをしました。
    
その後、長女夫妻と孫と昼食とショッピングに外出。

    孫は疲れを知らない孫悟空のようで、
    食事中もショッピング中も絶えず思いがけない方向に脱出。
    追いかけて、連れ戻すのは私とパパとの交替仕事。

帰宅後も続きました。

    夕食の食材の準備、後片付け、デザートの準備と後始末、
    すべて私の仕事で、あれやこれやと休みなしの苦闘。
    疲れました。

こんな風にして、気が付くと、もう2013年もあと2時間。
やれやれ、
ご苦労様でした。
by Hologon158 | 2013-12-31 22:19 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

486.10 ホロゴン外傳127「2011年9月15日 神戸山手で老エルマーも踊った」10 ノーベル賞



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ビッグバンで宇宙は始まったとする進化宇宙論の基礎アイデアは、
1940年代にすでにジョージ・ガモフと2人の僚友によって完成していました。

    でも、当時の科学界はこの理論を呑み込むことができないまま、
    あっさりこの偉業を無視してしまいました。

約20年後、進化宇宙論を証明する宇宙マイクロ波背景放射が見つかり、
その発見者とガモフ理論の再発見者は1978年にノーベル賞を受賞しました。

    この両者とも、論文に先行のガモフ理論に一切触れなかったそうです。
    でも、ガモフが主唱する進化宇宙論と、
    フレッド・ホイルが主唱する定常宇宙論の対立は子供でも知っている、
    第二次世界大戦後の宇宙論のもっとも華麗な論争点でした。
    ノーベル賞受賞者たちがガモフたちの論文を参照しなかったはずがない。
    それなのに、参照論文に記載しない。
    かなりうさん臭いものを感じないわけには参りません。

結局、ガモフたちは、遙か昔に偉大な理論をうち立てながら、
その証明をした人たちだけがノーベル賞を受けるという、
いびつな結果に泣かされたわけです。

偉大な功績を挙げたから受賞するわけではない。
ノーベル賞もかなり昔から政治の世界にどっぷり漬かっているのです。

    平和賞はその好例です。
    ちょうどタイムリーだったから、受賞するということもありますが、
    もっと複雑隠微な潮流に載せてもらった人が受賞するらしい。

インフレーションが稀少性を圧倒してしまうと、
なにごとも値打ちがぐっと落ちてしまいます。
オリンピックもノーベル賞もその例外ではありませんね。
by hologon158 | 2013-12-29 13:50 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

486.09 ホロゴン外傳127「2011年9月15日 神戸山手で老エルマーも踊った」9 クラシカルな品位



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戦前、ライカ社がバルナックライカを開発していった当時、
そのフラグシップとなったレンズは、
次の2本だったのではないでしょうか?

   エルマー50mmf3.5
   エルマー35mmf3.5

どちらも、昔からよく言われる表現で、
「ぼってり」とよく写ります。

   要するに、精密感やコントラストよりも、
   実在感と立体感を大切にして、
   大づかみにがしっとつかみ取る感じ。

これで写真表現には十分だったのに、
私としては、そう言いたいところです。

でも、写真家たちはないものねだりの名人。

   もっと光りを、ではありませんが、
   もっとシャープネスを、
   もっとコントラストを、
   もっと平たん性を、と
   さまざまな要望が常に各方面から殺到したことでしょう。

ライカとしても、現代のデジタルカメラの各社と同様、
新しいものを、改良点を目玉に次々と製造販売することが、
企業としての生きる道。

   メーカーもユーザーもみんな喜ぶのですから、
   どこかで打ち止めということは起こりません。

いろいろと遊んでみたい人間にはこれはこれで望ましい事態。
でも、メーカーに踊らされるようになったら、お終いです。

   私もソニーに踊らされて、ソニーα7に飛びついたわけで、
   私も「お終い」の口なのですが、
   こうしてエルマー35mmf3.5を使ってみて、
   デジタル特有の高精密な画像になることは防ぎようがないとして、
   写された写真にエルマーらしいクラシカルな品位が漂うのですから、
   ありがたいことです。
by Hologon158 | 2013-12-28 18:21 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

486.08 ホロゴン外傳127「2011年9月15日 神戸山手で老エルマーも踊った」8 いいよ、いいよ



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木曜はいつもの休業日でした。
そして、好例の孫の世話にいそいそと出かけました。

    ノロウィルス罹患後、もう完治しているのですが、
    感染を防ぐため保育園をお休みしています。

大阪平野区の孫の家に朝8時半到着。
同じく罹患したママが診療所に行く間、面倒をみました。

    2歳になったばかりの孫は、ノロウィルスの影響などまったくなし、
    のろのろどころか、急行電車で家中走り回って元気一杯です。
    たえず歌を歌いまくりながら、遊びます。

ママが帰宅すると、つかみかかるように抱きついていって、
小さな手の指でママの首をつかみます。
こうすると、精神が安定するようで、ママには困った癖。

    ママ、思わず、

        「痛い、痛い」

    孫、あくまでもやさしく、

        「ゴメンね」

    それから、もっとやさしい声色で、

        「いいよ、いいよ」

正統派の人生ドラマでは、3番目のせりふはママのもののはず。
ところが、実社会には意外性が満ちているのです。
加害者本人が被害者に代わって快活に謝罪を受け入れるのです。

保育園では、退園するとき、みんなで歌を歌います。

    歌い終わると、保母先生、
        「よくできました」
    すると、孫、元気の良い声で、
        「ウン!」

マメー(私の妻)は歌が大好きです。
孫にも沢山歌って聞かせます。

    孫も一緒に正確な音程で歌います。
    マメーが、高すぎる声を修正するため、オクターブ下げると、
    幼児のくせに、ちゃんとオクターブ下げて歌い、
    低音をかなり苦しそうに歌います。
    幼児のバス歌手って、居ましたかねえ?

前回私がはじめて教えた室内サッカー。
パパはタイガースファンで草野球を楽しんだだけに、
野球を教えたい気持一杯で、サッカーは目ではありません。
ですから、サッカーゲームはテレビで観たことがないはず。
私もサッカーは別に興味もないけど、時間が余ったので、
チビの運動のため、今日もちょっとプレイしてみました。

    前回よりも確信をもってボールを前に蹴り出します。
    
そのうえ、2つの技法を自分で開発していました。

    ①ボールを足で踏んで、ごろごろ回しする。
    ②ボールを踏んでごろごろしてから、後ろにすっと転がす。
    天才かもしれない! 

ただのジジバカなのですが、

    私の高校生時代でのサッカーでは、広い運動場の一角に、
    全員ボールの回りに群がって、ひたすらドリブルしては前に蹴る、
    これだけだったことを思い出すと、
    幼児でも自然こんなテクニックを使うのですから、

    時代は変わると、
    幼児まで変わるものですね。
by Hologon158 | 2013-12-28 12:26 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

486.07 ホロゴン外傳127「2011年9月15日 神戸山手で老エルマーも踊った」7 小人虎変す



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近頃、仕事用バッグに潜む本は「三国志演義」岩波文庫版。

    高校時代から幾度も幾度も読んだ前世紀の遺物なのですから、
    ぼーろぼろ。

いくら読み返しても飽きないのですから、これぞ古典です。
三国志や水滸伝を読んでいつも思うのは、
人間って、自分の性格、経験、資質に応じて、
その人ならではの行動をどうしようもなくとるものですね。

「君子は豹変す」という言葉があります。
一般には、君子だって、都合によって、くるっと変わるものだと、
あまり良い意味ではなくとられることがありますが、そうではないようです。

    叔父は若い頃は漢文の先生だったそうで、
    私がまだ小学生の頃、教えてくれました。
    「大人虎変、君子豹変、小人革面」と三対になって、
    君子は、大人ほどじゃないけど、
    大きく変わることができるという意味なんだそうです。

人生のほとんどの出来事は二度と思い出されないままに消えていくのに、
こんななんでもない言葉、なんでもないシーンが、
なぜか心の片隅にしっかりと張り付いて、
折りに触れて思い出されると、なにかしら無視できない感じがあって、
私という人間をさりげなく導く指針となってくれます。

私は、高校生の頃から中国の古典を好んで読んできたせいで、
こんな「四文字熟語」と頻繁に使ってしまいます。

    妻は、私が使う度に怒ります、
        「やめなさいよ!
        今どき、そんな言葉を分かる人はほとんどいないんだから!」

おじんの証拠なんだそうですね。

    誰にもはばかる必要のない私としては、
    分かってもらえなくても、おじんと思われても、
    おじんなんだから、別に構いませんね。

この日記も、それぞれに忙しい人生を送っているのですから、
どなたも付き合っている時間などないと分かっていますので、
未来の私一人を読者として、好き放題に書いています。
四文字熟語もばんばんと登場してもらいます。

    結局、私も私ならではの行動をとり続けながら、
    一生を送っていくのでしょう。
    大人虎変どころか、君子豹変はとてもできない人生。

でも、一つだけ願うとすれば、
写真では、時々「君子豹変」したいものですね。

    ロボグラフィは、その点、豹変しにくい選択だったかも知れません。
    裏通りをとぼとぼ彷徨いながら、路傍のものたちを撮るだけなのですから、
    華麗なる展開などとても期待できません。
    と言って、メインストリートに飛び出して、
    都市の景観への華麗なる転進を果たすつもりもまるでない。

できることと言えば、カメラ、レンズを変えること程度。

    君子豹変するためには、君子自身が大きく変わる必要があるのに、
    私自身が変わるつもりはまるでないのですから、
    豹変しようがありませんね。

どんなにカメラ、レンズを変えても、
撮れるのはいつも私のロボグラフィだけ。

    それでも、私にとってはみんな愛しいやつら。
    掲載中の写真を撮ったレンズは古代エルマーですが、
    路傍のくさぐさをとても丁寧に拾い上げてくれる感じ。
    私自身が変わらないのですから、小人革面のレベルなんでしょう。
    でも、それでもいいですね。

    君子豹変は無理でも、小人革面をそっと楽しませてくれる、
    可愛いご老体に敬意を表したい気持で一杯。
by Hologon158 | 2013-12-28 11:31 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

486.06 ホロゴン外傳127「2011年9月15日 神戸山手で老エルマーも踊った」6 サウンドレベル


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なぜコンサートで、クライマックスのフォルテッシモのサウンドレベルを
強烈なボリュームに設定するのでしょうか?

ちょっと考えてみました。

    おそらくボリュームの絶頂サウンドへのクレッシェンドは、
    人を刺激し、興奮させる効果があるのでしょうね。
    私には効果がありませんが。

この興奮がその場の人々の心を一つにさせる効果もあるのかもしれません。

    たとえば、ドイツの巨大ビアホールを埋める群衆がフォークソングを合唱するときの、
    あるいは、甲子園球場を埋める阪神タイガースファンが勝利の歌を斉唱するときの、
    心をふるわせるような一体感と絶頂感。

    古代ギリシアの重装歩兵(ホプリテース)が、戦場に戦列を敷いて、
    いざ突撃というそのときに歌う戦歌パイアーンは、
    今となっては、どのような響いたか、まったく推測できませんが、
    きっと顔全体をほとんど覆う兜の中からほとばしり出る歌声は
    独特にくぐもったサウンドで、
    それがやがて猛々しさの絶頂にまで高まっていくと、
    向かうあうペルシア兵たちは震え上がり、魂も吹っ飛んだのでしょう。

昔、シャンソンのジュリエット・グレコのリサイタルを楽しみました。

    マイクは、彼女のしみじみとした歌声をホールに届かせるための
    補助でしかありませんでした。
    聴衆は彼女のひっそりとしたつぶやきが心に沁みわたるのを感じて、
    恍惚となったのです。

曲の合間に一人の男性が立ち上がって、英語でアピールしました、
「できれば、マイクを通さずにあなたの声を聞かせてほしい」

    見れば、私の義兄でした。
    不作法ぶりに、ちょっと恥ずかしい思いをしたことを記憶しています。
    グレコはにっこり笑っただけで、さらりと聞き流しましたが、
    実のところ、彼の気持ちは私も変わりありませんでした。

ジルベール・ベコー、イブ・モンタン、
シャルル・アズナブール、イベット・ジロー、
この人たちのコンサートでも同じでした。

バッハ・ジャズで知られたジャック・ルーシェのコンサートでは、
最初マイク不調のため、実音で聞くことができました。
ホールなので、さすがにおとなしいサウンドでしたが、
別に不満はありませんでした。

    数曲目にマイクが復調し、サウンドレベルは格段にあがりましたが、
    うるさいというほどではありませんでした。
    聴衆もサウンドレベルが低いという不満を持つ人はいなかったはず。

ところが、今では、魂を吹き飛ばすほどの拷問サウンドにどんどん近づいています。
どうしてコンサートサウンドのレベルが増大の一途を辿っているのでしょうか?

内外両方に理由がありそうです。

騒音のレベルがはるか高くにかさ上げされてしまった。

    まず、都会のサウンドレベルがぐんぐんとあがって、
    都会人はかなりの轟音に耐えるほどに、神経を鍛えられているようです。
    逆に言うと、小さな音では琴線が刺激されないほどに。

    3年前、ひさしぶりに東京の山手線に乗りましたが、
    駅のスピーカーは絶えず恐ろしい音量でアナウンスをがなり立てているのに、
    人々は平気なようでした。

演奏者側から見ますと、目立つこと、驚嘆させること、
これが第一の使命となりつつあります。

    類似の音楽を奏でるライバルたちが無数に乱立する時代には、
    しみじみと聴かせるなんてことは完全に論外。
    どうやって人の心に食い込み、記憶させるか、
    この作戦だけが有効な時代になってしまいました。

そして、受けてもこれを歓迎するようです。

    人々は、あらゆる人災天災が日替わりで意外なスポットに襲来する
    不安の時代を忘れさせてくれる刺激を求めているのかもしれません。

そして、ノリの良さが決め手となるのが現代です。

    このノリを煽るためにも、ビッグサウンドが必要。
    私は、それとは対照的に、乗ることのできない人間。
    見知らぬ人たちと一体感を味わう体験など、真っ平ゴメンという性格。
    おかげで、いつも時代遅れで生きてきました。
by Hologon158 | 2013-12-27 22:32 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

486.05 ホロゴン外傳127「2011年9月15日 神戸山手で老エルマーも踊った」5 すごかった!


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by Hologon158 | 2013-12-27 17:59 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

486.04 ホロゴン外傳127「2011年9月15日 神戸山手で老エルマーも踊った」4 コンサート


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by Hologon158 | 2013-12-26 21:50 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

486.03 ホロゴン外傳127「2011年9月15日 神戸山手で老エルマーも踊った」3 なに色?



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どのような技芸でも、師匠の良否が死活を制すると言っても過言ではありません。

   弟子が師匠を選ぶだけではありません。
   師匠も弟子を選びます。

辻田伸行君の場合、一流の才能を持つピアニストが、
まだ6歳だった辻田君の演奏を初めて見て、
この子はただ者ではないと気づきます。
そして、目の見えない弟子のために、
200本もの曲を聴覚的に教えるためのテープを吹き込みます。
その努力、労力には想像を絶するものがあります。

そこまでに師匠を打ち込んだ理由は、

   普通の子なら楽譜通り弾くのが精一杯なのに、
   辻田君は、最初の演奏で、
   すでに一音一音を感じとり、音楽を創ろうとしていたのです。

私も揚琴を学習していますが、
一小節に並ぶ音符はただの音符のつながりでしかありません。

   ところが、真の音楽家はその一つながりの音符列に、
   色を感じ、情感を感じ、ロマンを感じ、命を感じるのです。

この世でたしかなことが一つあります。

   外的な刺激(たとえば、見えるもの、聞こえるものなど)を受け取ったとき、
   見えてくるもの、聞こえてくるもの、感じ取られるものは、
   人によって同じではない。

   ある人に見えているものが、他の人には見えず、想像もできない。
   ある人に感じ取られているものが、他の人には感じられない。

シャーロック・ホームズを思い出してください。
辻田君はそんな種類の人なのです。

   いわば、音楽を五感で味わえる人と言うべきでしょうか?

   お母さんが辻田君の幼年時代を描いた本の題名が
   「今日の風、なに色?」
   この言葉が辻田君を見事に表しています。
   音楽をそんな風に色で、味で、触感で、情感で、思いで
   受け取ることができる人だけが、
   本当の意味での芸術家になることができるのでしょう。

こんなことを考え書いていますと、
写真にだって、同様のことが言えそうだという気がしてきます。

   たとえば、バックストリートの薄汚れ、裏寂れたロボグラフィたちに、
   色や音や触感、臭いを感じ、
   情感や歴史や人生を感じることができたら、
   撮ることがさらにさらに楽しく、
   撮られた写真は千変万化の華麗なる展開を見せることでしょう。

でも、どうやらどんな風に感じることも、音楽の才能と一緒で、
努力してどうにかなるものではないのかもしれませんね。

   辻田君の師匠はこう考えます。
   先生がある一定限度まで美しく演奏する仕方を教え込むことはできる。
   でも、そんな子供はそこまで。
   本当に音楽を演奏することをそんな風に教え込むことはできない。

写真も同じですね。
こうなると、もう手の打ちようがありません。
私はこう考えることにしています。

   このような境地はミューズの神々に選ばれた人たちのもの。
   自分に無縁の境地を想像しても、見当違いに陥るだけ。
   自分にできることを精一杯楽しむことにしよう。
by Hologon158 | 2013-12-26 21:15 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

486.02 ホロゴン外傳127「2011年9月15日 神戸山手で老エルマーも踊った」2 おもてなし



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12月24日火曜日クリスマスの日に職場の忘年会。

某老舗ホテルの日本料理を頂きました。

    和室にはテーブルが置かれています。
    お座敷の和机に正座することができる人が少なくなりました。
    たいていは掘りごたつ形式かテーブルに椅子ですね。

    私はあぐらをかけないので、正座しかない。
    それなのに、長時間は無理という人間なので、ありがたいですね。

料理は最初の3皿が冷製。
真冬にこれでは震え上がりますね。
その後蒸しもの、天ぷらが出たのですが、そんなに熱くない。
最後まであつあつの料理は出ず仕舞で、
仕上げのデザートはごく冷えたオレンジとイチゴ。
体はさらに冷たくなってしまいました。

    暖房をあげてくれたのですが、感じるほどには暖かくならず、
    最後まで体は冷えた状態で、おいしさも中位なり、という次第。
    定評のある料亭なのに、真冬でのおもてなしの基本がなっていない、
    そんな感じがしました。

私が料理人ならこうしますね。

    お部屋を暖かくしておきます。
    熱いお茶を出します。
    体が十分暖まったところで、料理を出します。
    これなら、冷製の料理も楽しめます。
    その後、蒸しものを出すのであれば、
    出来上がりのあつあつを供します。
    この後の料理もあつあつをそろえて、
    どんどん暖まってもらいます。
    デザートは小さなシャーベットの後に焼き菓子に熱目のお茶。
    体が温まり、お菓子もおいしかったら、
    終わりよければすべてよし、ですね。

客の身になって考えてほしいですね。

    それとも、こんな料亭では、真冬でも、お客no
    みなさん、
    暖房のよく聞いたリムジーンで乗り付けるのでしょうか?
    庶民は場違いのところに行くべきではないという教訓かも知れませんね。
by Hologon158 | 2013-12-25 23:58 | ホロゴン外傳 | Comments(0)