わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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497.07 ホロゴン外傳「2014年1月26日 プラズマート7cmf2.7が奈良にデビューして」7 題材は山ほど



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「紅楼夢」で、男性主人公の賈宝玉が女性主人公の一人、林黛玉に、
ある女性の追悼文を添削してもらいます。
あまりに見事に修正をしてくれるので、感心してこんな言葉を述べます、

    「ふむ、これはすばらしい! うまいものだ、いやさすがはあなた、
    よくぞ思いつかれた、言い得て妙とはこのことでしょう。
    してみると、天下古今を通じて、景色といい事柄といい、
    かっこうな題材は山ほどありながら、それが愚物、鈍物には
    表現することもできねば思いもつかぬというだけのことなのですね。」

ちょっと翻訳がダサイことはお許し下さい。
でも、賈宝玉の言葉、おもしろいですね。

    写真でもそうですが、題材は山ほどあるのですが、
    料理できるのは自分の腕に合うものだけですね。
    まして、アドバイスするとなると、これも能力次第。

でも、能力はさほどでない第三者でも、
当のご本人が気づかなかったような側面から発想して、
的確なアドバイスをするということはよく起こります。

    当事者はある方向性をもって行動します。
    どのような行動でも、そのための取捨選択を行いますが、
    そのとき、本質的なファクターもうっかり捨てられてしまう
    ということだって起こり得ます。

    第三者は、利害関係がないので、
    その方向性そのものの妥当性までも冷静にチェックすることができます。

一番簡単な例をあげますと、
文章作成直後では、作者は誤字脱字さえ見つけないことがあります。

    通読するとき、脳が思いこんでいる言葉どおりに見えてしまうからです。
    そうすると、言葉の意味についても、同様の誤解が起こって、
    気がつかないということが起こりえます。
    書くときも読むときも、
    自分の意味世界で自分勝手に受け取っているのです。

写真でも同じことが起きます。

    撮影者は思い入れがあり、
    できあがった写真を自分の見たいように解釈し、
    人もそう理解してくれると思いこんでいます。
    でも、そんな思い入れのない鑑賞者は、
    それぞれ自分勝手に写真を解釈し、理解します。
    まったくの無意味としか受け取れないことだって起こります。

人類学者レヴィ・ストロースがアマゾン原住民を調査したとき、

    絵を描くという文化のない部族は、
    絵を見ても、それがなんなのか理解できず、
    別の部族は、鏡を見ても、
    そこに写っているのが自分であるとは理解できなかったと書いています。

写真を見る人だって、それに近い状況にあると、
そう考えた方が安全なのではないでしょうか?

    客観的認識などというものはありえません。
    すべて、既知の情報に助けられ、支えられ、補完された
    主観的解釈でもって世界を走査していく、それが人間です。
    写真は、誰が見ても同じに見える唯一無二のイメージの記録ではないのです。

それが分かると、写真をする人には、3つの選択肢が生まれます。

    A 初めから多くの人に分かってもらえる写真を撮るか?
    B 多くの人に分からせるために強引に作品世界を累積し展開するか?
    C 人のことは無視して(または無視されて)自分の好きなように撮り続けるか?

    どれが一番自分の性に合っているか、
    よーく考えてみましょうね。
by Hologon158 | 2014-01-31 21:12 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

497.06 ホロゴン外傳「2014年1月26日 プラズマート7cmf2.7が奈良にデビューして」6 歴史は繰り返す



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子供の頃、歴史の時間に、
世界は進歩に向かって進んでいると教えられました。

    世界中の人々が自由と平等になり、文明が進んで、世界は平和になる。

政治学の基本原理は、

    1 人は権力を求める。
    2 権力を制限することはできない。
    3 権力は腐敗する。

政治学の方が現実を見つめてきたことがますます明らかになりました。

コリン・ウィルソンはもっと徹底的でした。

    世界は2種類の人間でなっている。
        1 指導する人間
        2 指導される人間

    たった5%の創造的少数人(Creative Minority)が
    95%の非創造的多数人を支配し、引っ張っていく。

ここで言う「創造的」とは善であることを意味しません。

    原則、前例、主義にこだわらず、
    「俺の前に道はない」とばかりに、壁を突破する人間。

近頃、日本の政治家にもこの種の人間が増えています。

    彼らは、すでに世界、国家の動きは、
    コントロールを超えてしまったことを知っています。
    豪華客船が沈没し始めたら、機敏な人間はどう行動するでしょう?
    自分と自分の大切な家族、友人とその財産をしっかり守って、
    安全を確保しようとするでしょう。

    他の人のことはどうする?
    そんなこと、知ったことか!

原発関係者が原発の再稼働と輸出に狂奔しているのは、
原発が早晩そっくりそのまま負の財産に転落することが明らかなので、
それまでに稼げるだけ稼いでおこうという魂胆。

    まさに難破船からの脱出行動を始めているのです。
    ますます未来の世代に被いかぶせる脱原発のための
    危険と負担も増えるばかりじゃなく、
    ますます危険度が増すばかりじゃないか?
    そんなこと、知ったことか!

北朝鮮の支配者が、粛清した反対勢力を幼児に至るまで殺戮したようですね。

    これも同じ脱出行動です。
    21世紀とはとても思えない残虐さが
    北朝鮮の国家としての信頼感を損なうか、なんて、
    知ったことか!
    招来の禍根を断つためだ!

北朝鮮のことは神様にお願いすることとして、
原発ついてここまで書いたことがかなり正確な状況分析であることは明らかです。

    ① マスコミはすでにほとんど完全に報道封鎖に成功しています。
    ② 安部政権は、福島原発の早急の安全化、廃炉化のプロセスが、
    克服不能の難問とリスクを抱えていることを知っているのに、
    政府としての積極的な取り組みの方向ではまったく動いていません。
    ③ 国民もすでに原発の危険は処理ずみと、あるいは危険はあるけど、
    どうしようもないから考えるのがやめようと言わんばかりに、
    原発問題から頭を逸らしてしまっています。

細川元首相の脱原発を掲げての都知事選立候補については、
いろいろと取りざたされていますが、

    ①原発の危険はますます高まっていること、
    ②したがって、原発政策は日本の未来を左右すること、
    ③最大の受益者の一つである東京都民が脱原発に固まったら、
    自民政権の原発継続路線に大きな障害となり、
    脱原発の方向に向かって強力な一歩が踏み出せること、

    これらの点を考えると、
    脱原発を都知事立候補の主要政策とすることは極めて正しいと言えそうです。

ところが、原発積極利用路線はもとより、
中韓との対決路線を強力に打ち出す自民党政権の支持層はかなり厚いようです。

    自民党支持層が都知事選を勝利に導いたら、
    安部政権は、特別秘密保護法に続いて、
    さらに国民の権利を制限する法律を続々と成立させ、
    中国との薄氷を踏むような正面衝突の危機を
    野放図、脳天気に強硬路線で押し切っていくことでしょう。

    ところが、我が国の自衛隊と来たら、
    航行中の危険さえも察知できず、
    無人潜水艇も「あれ、落としちゃった!」
    なんとも情けない状態。
    こんな体たらくで、国を守れるのでしょうか?

    なんだか第二次世界大戦前夜の日本に段々と似ていくようです。
    歴史は繰り返す、ですね。
    怖い。
by Hologon158 | 2014-01-31 01:43 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

497.05 ホロゴン外傳「2014年1月26日 プラズマート7cmf2.7が奈良にデビューして」5 81歳



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素敵なビデオを見ました。

   「ジャズばあちゃん 夢のセッション」
   (http://www.youtube.com/watch?v=XX91_6Ij8Aw)

昔、夫とともにジャズバンドを組み、ドラムを叩いていたおばあちゃん、
81歳になって、孫が本場ニューオーリンズに連れて行ってくれるのです。

   ジャズセッションが1曲終わって、「なにかリクエストは?」
   孫が「おばあちゃんと一緒に演奏して欲しい」と書いた紙を渡します。
   そして、おばあちゃんが30年遠ざかっていたスティックを握るのです。
   それから後のことは書きませんが、とにかく涙、涙、また涙。

私が一番驚いたのは、

   30年経っても、まだ身体は音楽とテクニックとを覚えていたこと、
   そして、81歳になってもまだ音楽を楽しめることができること。

私なんか20年近く遠ざかっていたリコーダーを退職後楽しもうと、
取りだしてきて、なにか覚えているだろうか、と試してみたのですが、
まったく何も覚えていない!

   プロとアマの違いということもあるでしょうけど、
   やっぱり取り組みの姿勢、心に違いがあるとしか思えません。
   敬服します。

私が身につけた写真技術で、一番貴重だと思っているのは、

   ノーファインダー、つまり、ブラインドでカメラを見ずに、
   カメラを水平垂直を無意識で保つことができること。

もちろん厳密にではありません。

   一番嬉しいのは、長い間、垂直は鬼門だったのですが、
   あるときから突然できるようになりました。

これも一種の技術であるとすれば、
30年カメラを触らずに居て、ある日突然カメラを持ったとき、
水平垂直をブラインドで保つことができるだろうか?

   できるはずがない!

そう考えると、ジャズおばあちゃんの凄さが分かってきます。
by Hologon158 | 2014-01-30 21:45 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

497.04 ホロゴン外傳「2014年1月26日 プラズマート7cmf2.7が奈良にデビューして」4 どこか気品が



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中判カメラのクラシックレンズたちも個性的です。
とくに開放に個性が出るようです。
私が使ったわずかなレンズたちでもくっきり際立っています。

ハッセルのプラナー80㎜F2.8は破綻がありません。

    でも、若干冷たくで、際だった個性は感じさせてくれません。
    趣味のレンズではなくて、仕事レンズ、という感じ。

ローライ二眼レフのプラナー80㎜F2.8。

    これは、もっとあたたかく、柔和です。
    でも、ちょっと締まりがありません。
    これが堪らないという人も多いようで、一番人気。

でも、同じローライのプラナー75mmF3.5がさらにいい。

    80㎜に優る傑作レンズです。
    開放の合焦部分の締まり、切れ味は完璧ですが、
    周辺が絶妙に減光し、中央部を盛り上げてくれます。

クラインビルド・プラズマート7cmf2.7はまた別ものです。

    これらの名レンズのどれとも似ていません。
    周辺は若干崩れますが、中央部は見事です。
    でも、まったく固くはありません。
    というより、そんなにシャープだというわけではありません。
    
    でも、見たとたんハッとさせられてしまいます。
    言葉では、その雰囲気を言い表すのは難しいのですが、
    どこか気品、香気が漂うのです。

私という人間もどこか屈折しているのでしょう。

    優等生が嫌い。
    完璧な人間など、なおさら嫌い。
    「慰安婦なんてどの国でも利用してきた」などとうそぶいて、
    その陰で犠牲になる女性たちのことなど一顧だにしない、
    そんなエスタブリッシュメントの連中はもっと嫌い。

そんな人間だから、レンズだって、

    沢山の欠点がむしろ個性につながる、
    そんな見方をしてしまいます。

    昔は、あんなに夢みた超精密描写のレンズが出現している現在、
    デジタルカメラにもデジタル描写にも背を向けて、
    ボケレンズを求めるあたりにそれがうかがわれます。

このレンズ、そんな私にはぴったりのようです。
by Hologon158 | 2014-01-30 14:45 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

497.03 ホロゴン外傳「2014年1月26日 プラズマート7cmf2.7が奈良にデビューして」3 命の曲線



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早田カメラ店のホームページの
「クラシックカメラ 今月の「ひとこと」」
早田さんの記事がそれぞれにとても素敵です。

ローランドの記事を見つけました。

    「謎だらけの珍品カメラ、ローランド」

プラズマートに関する部分を引用させていただきます。
かなり核心を突いているご指摘と思われます。

    それより謎なのがレンズなんだよ。
    設計したのはDr.ルドルフ。
    かのテッサーを設計した人なんだ。
    でね、このクラインビルトプラズマートっていうレンズは、
    テッサーみたいなすごいシャープな写真とは違うんだよね。
    もちろん絞ればピントはくるんだけれど、
    開放で無限遠でモノクロの風景なんか撮ったら、
    山水画みたいになったりするんだ。

    人の目って、実はそんなにシャープに世界を見ていないじゃない。
    その見え方を写真のレンズで再現しようとしたのかなぁ。
    とか思ったりもするんだけどね。

    さらに突っ込んで考えると、
    Dr.ルドルフの設計したキノプラズマートっていうレンズはすごいソフト。
    かたやマクロプラズマートっていうレンズは細密な描写なんだ。
    この2本の持ち味を絞りの数値を変えることで、
    1本のレンズで実現しちゃおう!
    とか、そんな意図もあったのかもしれない。
    もしかしたら現代の高性能なフィルムを使って写真を撮ることで、
    設計した当時のDr.ルドルフの狙いが見えてくるかもしれないよね。

誰にでもオブセッションというものがあります。
気になって仕方がないこと。
私にとって、その一つが筆裁き。

    水墨画の達人が細い筆を使って、水茎の跡もうるわしく、
    水草を一本一本と描いていくシーンなどをビデオで見ますと、
    恍惚となります。
    ペンや筆で平仮名を書くシーンも同様です。

ダ・ヴィンチの師匠ベロッキオが、「キリストの洗礼」を描くとき、
弟子のレオナルド少年がキリストの足下の草をすっと描くのを見て、
絵を描くのをやめたという伝説が残っています。

    天使像のせいだという説もありますが、
    それほどに草だけが生き生きと浮かび上がってきます。
    キリストを描いているのに、見る人の視線が
    足下の草だけに釘付けになったのではたまりませんね。
    だから、実話だったかも知れません。

誰だってそんな風に描きたい。
でも、練習したから、描けるというものでもありません。

    写真でも、そうですね。
    腕もよし、カメラもよしで、とっても美しい写真が撮れています。
    でも、それを見ても、なにも感じない、
    ちっとも心が躍らない、そんな写真がよくあります。
    というより、ほとんどがそれ。

    写真はカメラで撮るんじゃない、心で撮るんだ、
    という写真の基礎を忘れているからです。

でも、公平のために付け加える必要がありますね。

    どんなにすばらしい心を表現した写真でも、
    見る人にその心を受け取る準備がない人、
    写真の読み方を知らない人には、
    ただの紙切れでしかありませんね。
    でも、これは稀な例。

もしあなたの写真が人に感動を与えないのであれば、
どうぞ、誤解しないでくださいね。

    ほとんど間違いなく、あなたに問題があるのです。

私は、自分の写真にそんな誤解はしません。

    ですから、人に感動してもらうことなど忘れて、
    カメラ、レンズに頼りきって、レンズ描写の可能性を楽しんでいます。

そこで、先ほどのオブセッションに戻りますが、
偉大な芸術家の筆の一振りで生み出される草を凌駕する達人が居ます。

    すなわち、自然、生命。
    草の一本一本は生命の生み出すシンボルのようです。
    ミクロの単位でじりじりと成長していくプロセスが草になります。
    命の曲線なのです。
    自然の変転する天候に逆らわず、ひっそりと、でも着実に延びきり、
    そして冬になると、枯れます。
    その枯れ方もまたナチュラル、無抵抗のシンボル。

いかなる水墨画家もまねのできないほどに流麗。
そんな草を見つけました。

    プラズマート70mmの開放、最短で撮りました。
    私のオブセッションをしばし鎮めてくれるほどに、
    見事な曲線が空中に浮かび上がりました。

    キノプラズマートのようなフレアはないけれど、
    ちっとも硬くはありません。
    現代デジタルレンズのような超高精細ではないけれど、
    草そのものの姿を過不足なく描き出してくれました。

    早田さんの達眼に敬服するばかりです。
by Hologon158 | 2014-01-30 14:12 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

497.02 ホロゴン外傳「2014年1月26日 プラズマート7cmf2.7が奈良にデビューして」2 エルフと苦闘



銀塩時代のアマチュア写真家には上達すると、
35mmから中判へ、中判から大判へとステップアップする方が見られました。

    その理由はいろいろあると思いますが、
    構図をデザインしやすいことと、
    ナチュラルな高画質とゆったりとした空気感なのでしょう。

私は、写真を始めた最初から、関心の半ばはカメラとレンズにありました。
私もご多分に漏れず中判へとステップアップしたのですが、
私の場合、特殊な願いがありました。

    写真を本格的に始めるよりも前から、
    私は6×4.5判を使っていたのです。
    妻が子供の頃から愛用していたミノルタの6×4.5判。
    このカメラの写りを求めて。

初心者用の目測式で、レンズはChiyoko75mmF4.5と記憶しています。

    このレンズ、絞っても、画像は締まりません。
    ピントが来ても、きりりとした線は描きません。
    色彩はパステルのようにハーフトーン。
    でも、それだからこそ、画像は夢まぼろしのようにたゆたい、
    まさにノスタルジックそのものでした。

宮崎在住の頃、町一番のカメラ店にオーバーホールをお願いしました。

    帰ってきたレンズは前後の玉が傷だらけになっていました。
    どう拭けばそんなにまで傷を付けられるのか?
    プロのはずなのに、なぜそんなことをしたのか?
    理解不能でした。
    画像はフレアだらけになり、
    カメラそのものが夢幻の境に去ってしまいました。

私が再現したかったのは、そんなあえかに漂う
ファンタジーの気配を写し出してくれる中判レンズでした。

    当時、ボケレンズの果てしなく豊かな沃野は
    私の視野にも知識にもありませんでした。
    青い鳥を求めてさまざまな中判を試してきましたが、ついに見つからず。

縁は異なものと言いますが、偶然、ローランドⅠ型と出会いました。

    第二次世界大戦前の1931年頃の製品ですから、95歳ほどになっています。
    パウル・ルドルフがこのカメラのために設計した固定レンズ、
    クラインビルド・プラズマート7cmf2.7は、
    純粋なレンズ性能という意味では、その後の中判レンズたち、

    テッサー、プラナー、クセノタールたちとは比較になりません。
    でも、その画像は独特に柔和で、
    まるで夢見心地が写るとすれば、こんな感じじゃないのか、
    そう言いたいほどに独特のニュアンスが浮かんでいるのです。

今回の奈良写真、かなりゴミ写真が混じっています。
慣れていないせいでしょうか?光り洩れもあります。
これはもしかすると、ロールフィルムのセッティングのせいかも?

    おまけに、かなりコントロール困難なカメラ。
    実景の再現など、そっちのけ。
    撮影者の意図、狙いもそっちのけ。
    まるでじゃじゃ馬のお嬢さんです。

だからでしょうか、

    予期しない瞬間にパッと浮かべる微笑みの愛くるしいこと!
    
私が夢見ていたその夢を遙かに越える、浄玻璃の画像、
そうと思えるものは単写真でお見せします。

    このレンズ、写真界のエルフなのではないか、
    そう思いつつあります。

そんな写真の一つを次回にごらん頂きますが、
その前に、私の悪戦苦闘の証拠写真をごらん頂きましょう。




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by Hologon158 | 2014-01-30 12:11 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

497.01 ホロゴン外傳「2014年1月26日 プラズマート7cmf2.7が奈良にデビューして」1 歩き始めて



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1月26日日曜日、さて、どこに行こうか?
思案しました。

    早田カメラ・ラボでの1か月のオーバーホールを経て、
    無事帰郷したローランドI型を本格的に試写したい。

あちこちと浮かびましたが、いずれも帯に短し襷に長し。

    結局、撮影時間を一番長く確保できる場所に決定。
    要するに、我が家から歩き始めて、奈良町まで。
    定番だけど、おらが郷なのですから、飽きません。

こんなときは、ローランドI型に悪いけど、2ヘッドシステム。

    ローランドI型
    ライカM9(スピードパンクロ35mmF2付き)

    前者はコダックのPortra160というブローニーフォルム5本。
    後者はミニSDカード16ギガを2枚用意していますから、事実上無限。

ローランドI型のレンズはクラインビルド・プラズマート7cmf2.7。

    ルートヴィッヒ・ベルテレ、エルハルト・グラッツェルと並ぶ、
    レンズ史上屈指の天才レンズ設計者パウル・ルドルフの設計。

ベルテレはエルノスター、ビオゴン、ゾナーの設計者、
グラッツェルはホロゴン、ディスタゴンの設計者であるのに対して、
ルドルフはプラナー、テッサー、ウナー、キノプラズマートの設計者。

    要するに、3人でツァイスの最高のレンズを生み出した天才たち。

クラインビルド・プラズマート7cmf2.7はそのルドルフの最後の作品。

    キノプラズマートとは似ても似つかない、いわば健全正常なレンズ。
    と、見えるのは、画像のまやかし。
    これから写真をご覧頂ければ、お分かりいただけるでしょう。
    やっぱりこれはパウル・ルドルフの老いらくの恋なのでは?

この日撮れたのは、たった3本でした。

    スキャンできたのは41枚だけ。
    どうもレンジファインダーを使いこなせていないようです。
    7枚もピンぼけ。

    私のカメラは全部例外なしにマニュアルフォーカスですが、
    銀塩やデジタルの35㎜カメラでの損耗率はもっと低い。
    これから使い込んで行く必要を痛感します。    

しかも、ポートラ160というフィルムの相性も疑問です。

    なんだか色がおかしい。
    でも、もしかすると、レンズそのものの性格かも?
    まだまだ分からないところだらけの、謎のレンズ。

でも、とにかくブログ上でどんな風に見えるか確認したい。
全14回に分けて、掲載することにしました。

    まず、我が家の裏の田園風景。
by Hologon158 | 2014-01-30 11:41 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

496.00 ホロゴン画帖173「十三帖 ホロゴンウルトラワイドがわが町を歌った」



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昨年8月の大阪十三の120枚全部を並べたシリーズが完了しました。
その中から30枚選んで、画帖仕立てで並べてみました。

並べて見て、思い出しました。
タクシーの運転手さんから先ほど聞いたお話。

私はよく運転手さんたちとおしゃべりします。

    話してみると、皆さん、それぞれに一家言があります。
    利いた風な口をきくけど、中身はなにもない、
    お偉方とは偉い違いです。
    人生も社会も、上から見下ろす人よりも、
    下から見上げる人の方がよく見えるようです。
    だから、よく話しがあいます。

彼は晴れ男なんだそうです。
行くところ行くところ、晴れになるのだそうです。

    先日も東京まで車を走らせましたが、
    天気予報は東海道全部「雨」
    ところが、走行中ずっと雨に遭わず仕舞い。
    宿泊先に入った途端に、雨が降り始めたそうです。
    
そこで、私も、

    「私は全天候男です。
    どんな天候でも、これが一番だと思うことにしています。
    なぜって、この天候の中を歩けるんですから。
    歩けない人が一杯いるのですから」

すると、運転手さん、

    「ほんとにそうですねえ。
    You Tubeで宗教家の法話を見たんですよ。
    その宗教家、ぐっと表情を改めて、
    こう言ったんですよ、

        今から、この世の真実を教えましょう。
        いいですか?
        meaningles
        この世は意味なんかないのですよ。
        意味を与えるのは、あなたなのです。

    同じような考え方ですねえ」

本当にそうですね。

    私もそんな風に生きてきましたが、
    この考え方を写真で実践できたことは大成功でした。

    才能もないのに、せめて自分が楽しめる写真を撮ろう。
    折良く19年前にホロゴンウルトラワイドと出会いました。
    ホロゴンが私を後押しをしてくれました。
    誰も私のホロゴン写真に心を動かさなかったからです。

お陰で、私は自分の撮りたいものを撮りたいように撮って、
一人で楽しむことにしました。
人の評判なんかお墓に持って行けないからです。

    だから、こうして画帖を眺めると、嬉しくなるのです。

    「これがぼくの十三だ、
    自分の眼で見つけて、自分の気持ちで撮ったぼくの十三だ」
by Hologon158 | 2014-01-29 20:58 | ホロゴン画帖 | Comments(0)

495.14 ホロゴンデイ113「2013年8月1日 ある記念日だったけど、一人十三で」14-完-悩ましい



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動物と子供たちを中心とする写真のサイトを見つけました。

    500 Elena Shumilova
    (http://500px.com/ElenaShumilova)

もともと画家だったロシア人女性の写真世界。

    一枚一枚、夢のような光景。
    まるで妖精の世界のようです。

でも、一枚一枚繰っていきますと、段々とおかしな気分になってきます。

    完全なデジタルフォトの世界です。
    現実の人間よりも鮮鋭な人間を見ていると、
    私には違和感がたっぷりあります。
    
さらに、次第に疑いがこみ上げてきます。

    もちろん基本的に実写が主体の写真も沢山あります。
    でも、たいていの写真がどこか実景とは違います。
    まず、バックのボケ方が写真のボケ方とはとても思えません。
    ふつうの物体がある状態で、
    背景がこんなに流動的で滑らかな渦を描くでしょうか?
    私のレンズでは絶対に起こりません。

こんなに急激にボケの部分が始まるでしょうか?

    幼い少年が自分と同じ高さの巨大な犬の肩に手をかけている写真。
    少年たちの足もとから突然すっぱりとボケ始めています。
    ありえない。

どこまでが実写で、どこからが加工なんだろうか?
これを疑うようになったら、そんなものは写真作品ではなくて、

    写真、カメラを使ったアート。

私は写真、カメラを使った純然たる写真の傑作を見たいのに。

    写真とのつきあい方が難しくなってきた、そんな感じがします。
    私は、すでにデジタルカメラを使っているのですから、
    銀塩処理オンリーの写真家よりはかなりデジタル派に近づいています。
    
でも、デジタルカメラを使っても、加工はできるだけ最小限に押さえたい、

    オリジナルの画像を変更するのはレベル補正だけにしたい、
    かつてのモノクロームの引き伸ばしのように、
    画像にあるものを引き出す処理だけにとどめて、
    オリジナルの画像にないものをソフト的に加工することは絶対にしたくない、
    そう感じています。

他の方がそれをするのは自由です。

    今では、かなりの方が多かれ少なかれフォトショップのような
    レタッチソフトによる加工をしているのではないか、
    そう疑っています。
    それがわからないので、不問に付しているだけ。
    分かれば?
    私は、やっぱりがっかりするでしょうね。

    カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛の時代の写真とは同列に論じられない、
    まったく新しい表現ジャンルとして受け取ることにします。

でも、この問題は私自身にもかぶさってきます。
レベル補正だけにとどめていても、
やっぱりデジタル加工派の立派な一員じゃないか?

    私は、RGBの三色に分解しての調整はしませんので、
    レベル補正をかつての引き伸ばしの露光時間の調整と同列のものとして、
    画像の濃度を修正しているだけと考えてきました。

    引き伸ばしのときに露光時間を変えるだけで、
    劇的な変化が画像に生じることはどなたも経験してきたことだからです。

    レベル補正の曲線の下の白、灰色、黒を動かして調整します。
        白を左に動かすのは、印画紙を硬調に替えていくこと、
        黒を右に動かすのは、印画紙を軟調に替えていくこと、
        まん中の灰色のスライドは露光時間の調整、そう考えていたのですが、

こんなレベル補正って、ただの濃度調整にとどまらないじゃないかな?
という気がしてくるのです。

    白、灰色、黒の動かし方が無段階なので、
    動かし方次第では、銀塩引伸よりも自由度が遙かに高いからです。

ほかに濃度の調整の方法はないので、これだけは使うほかありませんが、
やっぱり、悩ましいですね。
by Hologon158 | 2014-01-28 22:48 | ホロゴンデイ | Comments(0)

495.13 ホロゴンデイ113「2013年8月1日 ある記念日だったけど、一人十三で」13 「No.1!」



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バスケットボールを放ってゴールを決める、
あなた、できますか?

    スポーツマンでも、いつも成功、とはいかないでしょうね。

とんでもない2歳を見つけました。

    Trick Shot Titus 3 -- ft. Channing Tatum & Bradley Cooper
    (http://www.youtube.com/watch?v=eX0Iy93nqKs)

アメリカの、まだ正真正銘の幼児。
それなのに、室内におかれたゴールにひょいひょいと、
軽々とボールを放り込みます。

    成功例しかビデオに収録されていないのでしょう。
    百発百中ではないのでしょうけど、
    とにかくさらりと見事に放ります。

    身体がぶれていませんし、ボールのスピードもかなりあります。
    
    両手に1個ずつ持って、背丈の倍位の別々の高さの2つのゴールに、
    ひょいっと放り込みます。

    背丈の何倍もの高さのクロゼットの向こう側にあるゴールにだって、
    見えないのに、クロゼットの上に投げ上げて、落下するとゴール。

    壁にバウンドさせてゴールだって、成功させます。

    高い橋の上から10メートルほど下の河岸道に置かれたゴールだって成功。
    マンションの8階からだって、成功。

高さを調節できるゴールポストを段々とあげて、
大人の高さにまであげて練習します。

    そして、スタジアムの大観衆の見守る中、
    たった1回トライして、見事成功します。
    抱き上げるパパ、
    その腕の中で、ちびちゃん、人差し指をたてます。

        「No.1!」

この技と腕の力と意志力!
開いた口がふさがらないとはこのことです。

    志と気力と練習の成果なのです、
    たった2歳で!
    人間って、計り知れない力量を秘めている、
    そう感じないわけには参りません。
by Hologon158 | 2014-01-28 21:40 | ホロゴンデイ | Comments(0)