わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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502.23 ホロゴンデイ115「2014年2月15日 ホロゴンαウルトラワイドは大阪梅田で華麗に」23 全方向に全開


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韓流ドラマ「ラストダンスは私と一緒に」を見終わりました。

   もう6回目位なのに、前にも増して涙、涙、また涙の展開でした。

まったく不思議です。

   6年前、「冬のソナタ」に出会うまで、
   毎日1本ずつ深夜に映画を楽しんできましたが、
   生涯、どんなに感動しても、涙ぐむ程度でした。

最後に泣いたのは、幼児の頃、
母親にお仕置きで、物置に閉じこめられた頃だったでしょうか?

   これも不思議なことですが、
   いじめたり、いじめられたりなどまるでなし。
   喧嘩したこともなし。
   実に平穏無事に生活してきた人間なので、
   喜怒哀楽の情もかなり温和しい人間だったのかも知れません。

ところが、韓流ドラマを観て驚きました。

   登場人物たち、喜怒哀楽、全方向に全開なのです。

私にはこれが新鮮で、実に爽快に感じられました。

   日本人よりも感情が溢れ出る閾が低いのかも知れません。
   国際間の紛争でも、
   奔流となって吹き出す理由がこれなのかも知れません。
   でも、それは別の話。

ドラマはもっとプライベートな人間関係の世界です。

   私にしてみれば、なんだ、そんなに我慢しなくても、
   そんなに気兼ねしなくてもよかったんだ、という感じ。
   ドラマ中の人物たちが心全開で互いにぶつかり合うのを見る内に、
   見る方でも、そんな状況に心全開で反応するようになった、
   そんなことかも知れません。

6年も見続けてきますと、お陰様で、
ドラマに完全に没入できるようになりました。

   そんな風にできるのは、俳優たちも完全にドラマに没入しているから。

ボーグ誌だったと思いますが、そのアメリカ人の専属カメラマンが、
チェ・ジウを撮ったときのことです。

   その千変万化の表情の変化に驚いて、頼んだそうです、
   「じゃあ、悲しい顔をしてもらえますか?」
   その瞬間、チェ・ジウの目からつつーっと涙がしたたり落ちたそうです。
   どれだけの精神力、集中力がかけられているのでしょうか?

とすると、熱演に応えて、見る側も精神一到の境地に入りたいものです。
   
   さて、今晩からはどのドラマを楽しむか、
   今から選ぶことにしましょう。
by Hologon158 | 2014-02-28 22:02 | ホロゴンデイ | Comments(0)

502.22 ホロゴンデイ115「2014年2月15日 ホロゴンαウルトラワイドは大阪梅田で華麗に」22 ライカMP



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「写真家と名機たち」によりますと、
ラルフ・ギブスンはライカMPを使ったそうですね。

    ライカ最高の名機ライカM3をプロ仕様に改変したもので、
    その改変の一つが高速巻き上げ装置ライカビットMP。
    カメラボディ底蓋を巻き上げレバー付きのものに付け変えるのです。

    これを使うと、アイレベルでファインダーを覗きながら、
    右手でこのレバーを握りしめると、一発で巻きあがります。

右肩のオリジナルのレバーの場合、
ボディを保持していた右手をやや持ち変えて、レバーを操作して、
またボディに戻すだけの手間が必要です。

    これ位のタイムラグにも耐えられない報道写真家やスナップ写真家には、
    かなり有用なのでしょう。

私の親友の一人DAさんも愛用しています。

    ところが、彼は速写を絶対にしない人なのです。
    
じゃ、なぜライカビットを高いお金を出して手に入れたのか?

    ライカM3に取り付けたとき、とても形がよくなるから。
    そして、手を絞って巻き上げる感触がたまらないから。

私に言わせれば、ライカビットを付けると、

    その分だけ腰高になるので、
    ちっともかっこよくないうえ、重くなる。
    手絞りのレバーだって、なんだかメカっぽい感触で、
    さほど感動しません。

巻き上げの感触で言えば、あらゆる巻き上げレバー付きカメラの中で、
ライカのレバーの巻き上げの感触ほど気持ちのよいものはないのにねえ。

    生まれて初めて触ったライカがM4-P。
    その関節付きレバーの巻き上げの感触は、
    まるで美少女の腕をねじるような名状しがたい触感があって、
    夢中になってしまったことを記憶しています。

    念のため付け加えておきますが、
    美少女の腕をねじったことなど生涯一度もありませんので、
    これは私のただの想像。

それでも、M4-Pで一枚撮るたびに、
今の一枚どうだったかな、と反芻しながら、
ゆっくりとレバーで巻き上げるときの満足感はライカユーザーでないと
分からないだろうとさえ思われます。

    エプソンRD-1xにレバーを残したのは
    そんなライカユーザーの気持ちをくすぐったのです。
    でも、申し訳ありませんが、
    このレバー、形も操作感もおもちゃみたいで、信頼感がありません。
    わざわざ付けるのであれば、
    ライカらしいなめらかな操作性とデザインを工夫してほしかったですね。
    デザイナー、設計者はほんとのライカユーザーではなかったのでは?

その点、ローライ35やミノルタTC1の設計者たちは違いました。

    クラシックカメラを愛する人たちでした。
    カメラでもボディでも、その他道具であれば、なんでも、
    本当に愛している人、本当に使う人に、
    設計、制作してもらいたいものですね。

ちなみに、スナップ写真家の場合、

    便利なカメラを使うよりは、
    愛器の操作に熟達、熟練するのが本筋ですね。

木村伊兵衛がバルナックライカでスナップするシーンを見た人によれば、
バルナックライカの巻き上げはそんなに径の大きくないノブでするのですが、
このノブを目にも止まらぬ早業で巻き上げていたそうですね。

    そこまで超高速操作ができる人もすごいのですが、
    そんな超高速操作を可能にしてくれるカメラも凄いですね。
    それがライカですね。
    カメラマンの心をつかみ続けてきたのも当然です。

その点、落第点に近いのがツァイス。

    コンタレックスの途中交換可能なフィルムバックなんて、
    私の数えた限りでは十数段の操作を厳密に順番にしないと、
    フィルムが交換できないという、怖ろしいほどに暇人用設計。
    レンジファインダーコンタックスの巻き上げノブたるや、
    私のだけかも知れませんが、
    酷寒になると、戦車を押すほどに重くなる。
    ライカや日本の一眼レフに敗れたのも当然ですね。

写真家にどんなに超高速操作も可能にするカメラ、
これが理想のカメラですね。
by Hologon158 | 2014-02-27 15:18 | ホロゴンデイ | Comments(0)

502.21 ホロゴンデイ115「2014年2月15日 ホロゴンαウルトラワイドは大阪梅田で華麗に」21 運命の出会い



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那和秀俊著「写真家と名機たち」(彩流社)

   楽しんでいます。
   偉大な写真家たちが自分の作品作りにどうカメラを活かしているか、
   一応理解できます。

ただし、名機が作品創造にどんな風に役立ったか、
という、私が一番知りたいあたりについては、
ほとんど突っ込んだ記述、分析がないのが残念です。

   そのカメラで撮った写真作品を使って、
   作品創造にどう機材が貢献したかを語って欲しかった。

たとえば、ドロシア・ラング。

   大恐慌による失業者たち、移民たちを撮った、
   ドラマチックなドキュメンタリー作品群が有名ですが、
   グラフレックスという大判一眼レフを駆使したのだそうです。

グーグルで画像検索してみると、ちゃんと写真があります。

   古めかしいジープの屋根の上にグラフレックスを抱えるラング。
   赤ちゃんを抱えるほどに大きなカメラです。

触ったことがありますか?

   私は同形式の6×9判なら触ったことがありますが、
   カメラ上部の接眼部の構造をメキメキと立ち上げて、
   両目を接眼部にぴったり付けて、ファインダーを上からのぞきます。
   その眼前にぼんやりと靄のように立ち上がる像。
   ファインダー像からしてアート。
   でも、6×9判でもでかすぎて、使える代物ではありません。

ローライ二眼レフが人物ポートレートに愛用されるのは、

   カメラマンがモデルにお辞儀するようにして、
   カメラを上からのぞく姿勢なので、モデルを緊張させないから。
   グラフレックスもそんな効果があったのではないでしょうか?

   有名な移民の母と子どもたちの写真も、
   お母さんはレンズを見ていません。
   なんの希望ももてない暗黒の未来をじっと見つめています。

ドロシア・ラングだって、たとえば、ライカを使えたら、
喜んで駆使したことでしょう。

   でも、おそらく手近で見つかったのがグラフレックスだった。
   ところが、そのカメラがラングに傑作創造のチャンスを与えてくれて、
   人生を切り開いてくれたのですから、幸せな出会いだったようです。

私だって、ホロゴンウルトラワイドと出会ったのですが、

   作品創造のチャンスを与えてくれたわけではなくて、
   私がそれまでもっていたオブセッション、つまり、
   人が認知する立派な写真作品、傑作を撮らなければ、価値がない、
   そんな固定観念を粉みじんに砕いてくれました。

   人がなんと思おうが、自分の撮りたいものを撮りたいように撮る、
   それが自分の写真人生なんだ、そう悟らせてくれました。

   これもまた運命の出会いなのでしょう。
   私はそう信じています。
by Hologon158 | 2014-02-27 10:56 | ホロゴンデイ | Comments(0)

502.20 ホロゴンデイ115「2014年2月15日 ホロゴンαウルトラワイドは大阪梅田で華麗に」20 天才とは?



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まったく当たり前のことを書きます。
一冊の本を持っています。

    Claire Van Clieave著
    「Master Drawings of the Italian Renaissance」
        (Harvard刊)

昨夜、就寝前にちょっと頁を繰ってみました。

    美しいものを見てから寝ると、よく眠れる、
    そんな感じがするからです。
    実はなにもしなくても、毎日、よく眠れる質なのですが。

わっ、凄いなあ、そう心底びっくりするような見事なデッサンが、
次々と見つかります。

    並のドローイングとの間には、
    いわば絶対的な差があるのです。

そんな凄いデッサンの作者を列挙してみましょう。

    ヴェロッキオ
    ボッティチェリ
    ダ・ヴィンチ
    ラファエロ
    ミケランジェロ

なんのことはありません。

    偉大な画家たちのドローイングはやっぱり猛烈に凄いのです。
    実に簡単な理屈ですね。
    天才はやっぱり天才なのです。
    驚嘆すべきデッサンで準備されたからこそ、傑作が生まれたわけです。

写真でもそうですね。

    凄い写真家のコンタクトはきっと凄いはず。
    一番見たい写真家のコンタクトはなんですか?
    
私は、もちろん、カルティエ=ブレッソンです。

    カルティエ=ブレッソンは本質的にドキュメンタリー作家だったようです。
    そんなドキュメンタリー写真の中からピックアップして、
    スナップショットの傑作群を生み出したわけです。
    その土台となったドキュメンタリー写真たちをもっと見たいものです。

私が今一番楽しんでいるブログ写真だって、同じ状況にあります。

    優れた写真を生み出すブロガーは、
    いつもハイレベルの写真を見せてくれます。

    私のように、使用レンズが独特の味わいを持つので、
    フォトジェニックな被写体を懸命に探し求めなくても、
    そこらあたりを手当たり次第に撮っても、
    どこか雰囲気のある絵を作ってくれるのとは違って、
    極めてニュートラルな描写をする現代レンズを使って、
    作者ご自身の個性で独自の表現を創造しなければならない、

写真家の皆さんはほんとうによくがんばっているなと、
心から感心します。
そこでふっと気が付きました。

    天才たちのドローイングが猛烈に凄いのは、
    天才だからではなく、
    彼らが必死で独自の表現力を磨き上げて行った、
    その挙げ句に、ダイヤモンドを磨き出すように、
    その天才性が輝き始めたのではないでしょうか?
    そこまで努力できる才能、それが天才なのかも知れませんね。

努力もしないで、天才が輝き出すのを待つ人間は、
結局、凡才なのでしょうね。
by Hologon158 | 2014-02-26 21:10 | ホロゴンデイ | Comments(0)

502.19 ホロゴンデイ115「2014年2月15日 ホロゴンαウルトラワイドは大阪梅田で華麗に」19 望遠効果



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写真、カメラの経験のまったくない人が、
望遠レンズと同じように、
たとえば、畳み込みの効果を伴って、
風景を見ることができるでしょうか?

    無理じゃないでしょうか?

なぜ、こんなことを書くかと言いますと、
今、ふと「齊白石画集」(龍華堂)をめくっていて、
まさに望遠レンズで撮ったかのような絵を1枚見つけてしまったのです。

    「晴波揚帆」

    ほぼ縦4に対して横1の短冊風の形の絵です。
    その中間の高さに船体が船首、船尾がちょん切られた形で描かれ、
    船体から一枚の純白の細長い帆が立ち上がり、
    その上からマストの天辺が見えています。
    その上にも、向こうに波が見えているので、
    画家は海に面した小高い丘から見下ろしている感じ。

    その船体の真下あたりから底部までの空間を、
    柳の木の天辺の一部を成す、枝と葉の流線模様が占めています。
    柳、帆舟、波は畳み込まれて、海が立ち上がっている感じ。
    135㎜望遠レンズで撮ったかのような光景です。

普通、中国の山水画は、独特のパースペクティブで描かれています。

    「三遠」と言います。
    高遠、平遠、深遠。

    高遠は、山の下から頂上を見上げる感じ。
    平遠は、山の上から近くの山を見る感じ。
    深遠は、山の手前の方から山の背後、たとえば、渓谷を見下ろす感じ。

西洋の遠近法とはまったく異なる3つの視点を1つの絵に組み込みます。
これが中国の山水画に独特の厚みと高さを与えました。

ところが、「晴波揚帆」は西洋風の遠近法の一点透視図法風なのです。

    ウィキペディアで調べてみると、
    生年は1864年1月1日、没年は1957年9月16日(95歳)です。

齊白石は西洋遠近法を知ることができたでしょうか?

日本の絵に遠近法が採り入れられたのは江戸時代、
18世紀後半から日本画に影響を与えていたとされています。
とすると、中国だって、ほぼ同時代に遠近法の影響を受けたはずです。

一方、ライカのエルマーやヘクトールの135mmF4.5は1931年以降の制作。
他のレンズ会社の35㎜用望遠レンズも同じ頃ではないでしょうか?
でも、ksmtさんや中将姫光学さんが蒐集しておられる、
ペッツバールの望遠レンズは19世紀後半からすでに出現しています。
齊白石だって、なんらかの望遠レンズ写真を見た可能性は否定できません。

私の画集には、山水画が20枚ほどしかありません。
彼本来の小品を中心に編集されている画集です。

    「晴波揚帆」と似た遠近法の絵はもう1枚しか見つかりません。
    他はすべて山水画伝統の三遠構図を使っています。

その2枚がいつ描かれたか、記載はありません。
それでも、上記の事情を総合すると、3つの考え方ができそうです。

    ①齊白石は望遠レンズで撮られた写真を見たことがある。
    ②西洋風の遠近法を学んで、一点透視図法的に構図した。
    ③齊白石は、伝統的な三遠主義から脱却しようと努力する内に、
    自分で西洋風の遠近法に近い図法を編み出した。

私としては、もちろん①の可能性を第1にとりたいですね。

    「晴波揚帆」は望遠レンズで撮った写真を見て描いたと言っても、
    誰も不思議に思わないだろうと言いたくなるほど、
    典型的な畳み込み効果が描き出されているのですから。

    西洋風の遠近法を採り入れたとして、
    齊白石が一点透視図法を使って、
    望遠レンズの畳み込み効果まで作画できたでしょうか?
    私には疑問ですね。

というわけで、中国水墨画の巨匠もまた写真の影響を受けていた、
その証拠をここに見つけた、私はそんな感じがしています。
by Hologon158 | 2014-02-25 17:40 | ホロゴンデイ | Comments(0)

502.18 ホロゴンデイ115「2014年2月15日 ホロゴンαウルトラワイドは大阪梅田で華麗に」18 夢の話



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今日は月1回の火曜日休業日。
くつろいでいます。

朝方久しぶりにくっきりと脳裏に残る夢を見ました。

    家族で旅をしています。
    まだ娘たちは小学生。
    駅に着きました。
    家族はさっさと身一つで下車。

    私は残されたいくつかのバッグや紙袋に、
    座席に散乱したあれこれと積めこみます。
    となりの女性が、
        「私のカメラの電池2個、返してください」
    荷物をひっくり返して、
    覚えのない奇妙な形の電池を見つけてお返しして、
    大急ぎで電車から飛び出ようとする私の目の前で、
    扉はピシャン。

    折り返し運転で、引き返し始めました。
    座席に戻ると、なにやか変わった少女が側に出現。
    次の駅で下車しようとすると、
    なぜか荷物はまた座席に散乱しています。
    おおわらわでバッグに詰め込んで飛び出ようとすると、
    また扉がピシャン。

    車掌が車掌室の透明ガラスの向こうに大儀そうに座っています。
    扉を開けてくれとジェスチャーしますが、
    そのときは電車が動き出していて、「ノー」の仕草。
    でも、なぜか電車が止まり、元の位置までバックして停車してくれました。
    車掌もようやく動いて扉を開いてくれました。

    いくつかの荷物をひっかかえて飛び降りて、
    駅前広場に出てタクシーを探しましたが、
    来るのは地元民の自転車ばかり。

    途方に暮れて、背後の地面に置いたバッグに目を落とすと、
    なんということでしょう、
    さっきの少女が眼をぱっちり開けて、
    バッグと並んで寝転がっているではありませんか!

その後のことは覚えていません。
この一部始終をくっきりとした画像で記憶しているのです。

念のため書き加えておきましょう。

    この謎の少女、妖精のような美少女だったら、夢も楽しくなるのですが、
    なぜか、薄汚れた肌で、ちっとも可愛くありませんでした。
    夢の中でも、人生って、なかなかうまくいかないものです。

人間は毎夜眠りの中で必ず夢を見るそうですね。
昼間の経験の記憶をそんな風にして整理して、
記憶の中に収めるということを読んだことがあります。

    経験の記憶をシャッフルしているのでしょうか?
    でも、この夢がそんな整理にどう役立つのか、想像もつきませんね。
    もしかすると、ミキサーのように、シャッフルの表層だけが
    脈絡なくぐるぐる回っているのが夢かもしれませんね。

若い頃には、まさしく夢幻そのものの美しいイメージ、シーンを鮮明に夢見て、
くっきり脳裏に刻まれた状態で目覚めたことがよくありましたが、

    近頃は、おぼろにでも夢見たことを記憶することもないまま、
    ぐっすりと眠るばかり。

私は、おそらく珍しく幸運な人間で、不眠になることがありません。

    原則として、あくびもしません。
    寝るまでふつうに覚醒して、忙しく生活し、
    午前2時ちょっと前に、「さあ、寝よう」
    になると眠りに落ちて、夜中にトイレに立っても、
    また即時眠りに落ちて、朝8時には目覚ましの音とともにぱっちり目を覚まします。

そんな私の無意識の奥の奥の方でも、ちゃんと夢活動も行われているのでしょう。
でも、ときにはくっきりと記憶に残る夢も見てみたいものです。

    らちもない話ですが、久しぶりのことなので、記録しておきます。
by Hologon158 | 2014-02-25 15:41 | ホロゴンデイ | Comments(0)

502.17 ホロゴンデイ115「2014年2月15日 ホロゴンαウルトラワイドは大阪梅田で華麗に」17 扉を開く鍵

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前回の続き

ホロゴンαウルトラワイドの写真を見ていて気づきました。

    私の写真は日本画の朦朧体、書の草書体の写真なのではないか?

そこで、考えてみました。

    そして、朦朧体よりも草書体にいっそう似ているという結論。

朦朧体の絵はそれなりに雰囲気を出してくれますので、
誰にでもよく分かり、誰にでもそれなりに鑑賞できます。

    でも、ホロゴン写真は、ほんの少数の友人しか通用しません。

一方、達人の書いた草書体は、草書への造詣が深い方は例外として、

    私も含めてほとんどの方には読めません。
    まして、書として美しいのか、どこに個性があるのか、
    ということになると、もう完全にお手上げですね。
    フィーリング一筋頼みになってしまいますが、
    こうなると、もう専門家の意見などそっちのけで、
    仮に専門家の意見を知ったからと言って、
    だから、感動するわけにも行かず、
    書の美しさを満喫するための役には立たないでしょう。

ホロゴン写真がまさにそれです。

    だから、どうだって言うの?
    どうもこうも、なにも言ってません。
    これがなにかを表現しているの?
    いえ、なんにも表現していません。
    ただ撮っただけなので、すみません。

草書家は、仮名文字の崩し方の原則を厳密に守って書くのでしょうか?

    それとも、流れに沿って自由に崩すので、
    鑑賞者は文字の流れの一部を読みとることで、
    読めない崩し字を推定するのではないでしょうか?

ホロゴン写真は、たとえば、「岩走る垂水の上の....」の和歌の、
「ば」と「う」だけ読めるようなものです。

    誰も写真がなにを意味するか、読めません。
    私だって、読めません。

    当たり前です。
    写真的な意味では、なにも意味していないからです。

ただ、その場を撮っただけ。

    これは私の心を意味しています。
    写真を見たら、私だけがその場でなにを感じたか読めます。
    写真のどこにも、読解の鍵など隠されていません。
    私の心にだけ隠されています。
    ホロゴン写真はその隠された扉を開く鍵。

つまり、私の写真は私だけしか分からないものなのです。

    スペシャルだから、ではなく、
    単にプライベートなだけ。
    妻の目配せの意味が分かるのは、夫だけ。
by Hologon158 | 2014-02-25 14:18 | ホロゴンデイ | Comments(0)

502.16 ホロゴンデイ115「2014年2月15日 ホロゴンαウルトラワイドは大阪梅田で華麗に」16 深夜に一人笑う


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深夜に一人笑う、というのは不気味ですが、
昨夜、自分のブログを開いてみて、改めて笑ってしまいました。

    とにかく写真が多すぎますね。
    倉庫ブログなのですから、当たり前ですが、
    それにしても度を超していますね。

写真ブログの本来の使命を一言で言えば、

    「選択の妙味」に尽きるでしょう。
    「乾坤一擲の勝負」と言っても良さそうです。

私のように、
    「選択しない」、
    「傑作で勝負しようとしない」、
    「写真ブログ、みんなで渡れば怖くない」
    こんなブログは論外ですね。
    当然ながら、そんなブログは、あまり見かけませんね。

結局、私の性格に根ざしているのでしょう。

    「しつこい」というのではありません。
    私はしつこい性格ではありませんから。
    そうではなく、平等主義のようなものです。
    お気に入り以外は全部棄てちゃう、そんな姿勢がきらい。

ポジの時代は完全に逆でした。

    ちょっとでも写真的にキズがあれば、ポイしちゃう、
    そんな徹底選抜主義者でした。
    おかげで、後悔しています。

    後で何度、後悔のほぞをかんだことか!
    そうだ、あの写真よかったなあ、ふっと思う浮かんで、
    ファイルを探してみても、見つからない、
    まったく記憶していないのだけど、
    間違いなく棄ててしまったのだ、
    そう悟って、キリキリ心を痛めることが幾度もありました。

今でも、そんな写真を幾枚も記憶しています。

    たとえば、キノプティックのアポクロマート100mmF2の写真。
    京都の寺院の赤い門扉の前に置かれた油絵の道具箱。
    アポクロマートらしい、強烈に抜けのよい写真でした。
    大いに気に入っていたのです。

         でも、ない。
         いくら探してもない。

今では絶対に棄てない主義になりました。

    でも、ネガフィルムというものは、
    フィルムを眺めても、写真が浮かび上がりません。
    ですから、ネガをいくら保存していても、
    直接写真を楽しむわけには参りません。
    
撮影順にブログに並べるのが一番閲覧に便利。

    私のような人間は、人のことなど考えている暇がありません。
    自分で撮った写真なんだから、ブログに陳列して見たい。
    これぞ、ブログの醍醐味ですね。
    ならば、ありったけ並べていいじゃないか?

利点が2つ。

    ①もちろん、自分の写真を楽しめること。
    ②そして、誰も付き合わないこと。

    この忙しい現代、付き合っておれますか?
    友人宅を尋ねて、子供の頃の写真アルバムを延々見せられる、
    それにそっくりなのですから。
by Hologon158 | 2014-02-25 13:54 | ホロゴンデイ | Comments(0)

502.15 ホロゴンデイ115「2014年2月15日 ホロゴンαウルトラワイドは大阪梅田で華麗に」15 ニューウェイブ



劉継紅先生の演奏会の最初から最後までで、
もっとも強烈な印象を受けたのは、先生の集中力と爆発力でした。

    もともと限られた時間にいくつかのプログラムを進行するのですから、
    一つ一つのプログラムをきちんと計画通り進める必要がありましたが、
    もう最初の演奏会でプログラムは吹き飛んでしまいました。

演奏が始まると、先生の頭からは、
時間もプログラムも完全に吹き飛んでしまいます。
一つ一つの演奏に心のすべてが集中してしまいます。

    この凝縮力がただものではありません。

付虹先生がおっしゃっていました。

    「これほどに感情のこもった演奏は経験したことがありません」
    嬉しい言葉でした。

    もっときれいに、もっと流麗華麗に弾く演奏家はいるでしょう。
    でも、これほどに心のこもった演奏ができる演奏家は、
    ほとんどいないのではないでしょうか?

そんな演奏を聴いたせいか、面白いことに気づきました。

    中国の伝統楽器での音楽界にもニューウェイブが起こっている。

若手二胡演奏家のビデオを沢山見ることができます。

    軒並みに超絶技巧なのです。
    音楽もそんな超絶技巧を生かすような疾風怒濤、絢爛豪華。
    なんだ、彼女たち、二胡でヴァイオリン音楽をやっているんじゃないの?
    西洋音楽に負けまいとするあまり、
    中国伝統音楽はクラシック化しつつあるのです。

サンプルを2つ。
まず、二胡から、

    Introduction and Rondo Capriccioso
    引子与回旋随想曲 Erhu(二胡)- Sun Huang 孙凰
    (http://www.youtube.com/watch?v=p4aOmJgUbM4)

    孫鳳さんは、劉継紅先生と同じく全国器楽コンクールの優勝者。
    いわば二胡界の若手ホープのようです。
    4本で演奏するヴァイオリン曲をたった2本の、しかも同時に弾けない弦で、
    さらりと弾いてのけるのですから、恐れ入ります。

次に、揚琴でも同じ傾向が見られます。

    揚琴奏者の許學東の作曲した「瑤山夜畫」が人気のようです。
    これもまた超絶技巧の雪崩のような作品です。

    瑤山夜畫 揚琴協奏-曹紫琳
    (http://www.youtube.com/watch?v=tAgtAEkxevc)

でも、私の目には、中国伝統音楽が西洋音楽に降参しているように映ります。

    二胡がヴァイオリンの音を出している。
    凄いけど、二胡の音色に無尽蔵に含まれている奥深い情感が消えています。
    しみじみとした共感こそ、二胡や揚琴の伝統音楽の魅力なのに......

劉継紅先生は演奏会で幾度もこうおっしゃいました、

    「二胡の音楽には人間が出ます」

    人間がまず大切で、人間性が二胡の音楽の質を決めるのです。
    あらゆる芸術が結局はこの言葉に収束するようですね。
    
技巧が前面に出ると、人間が隠れてしまいかねません。

    でも、現代では、日本でも中国でも、芸術でも写真でも、
    結局は、超精密化していくのが潮流なのでしょう。

そんな潮流に居心地の悪い想いをしているのは、
私だけなのでしょうか?



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by Hologon158 | 2014-02-25 13:36 | ホロゴンデイ | Comments(0)

502.14 ホロゴンデイ115「2014年2月15日 ホロゴンαウルトラワイドは大阪梅田で華麗に」14 他はいらない


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昨日は午前中の付虹先生のレッスンの後、
午後の陳少林先生の揚琴伴奏レッスンまでの時間が開きました。
午後のレッスンの開始時刻が15分遅れることになったからです。

ユニバーサルシティ駅近くで昼食をとった後、
西九条駅で下車。
半時間撮影を楽しみました。
ところが半時間撮って駅に帰りますと、かなり疲労感。
珍しいことです。

    どうやら土曜日の劉継紅演奏会のサポーターとして、
    会場の机を全部畳んで背後の壁に移動させたり、
    80の椅子を並べたり、
    劉継紅先生の演奏中は、全身を見たくて、最後列で立ったままだったり、
    興奮の一日を過ごしたせいで、
    疲労がちょっと蓄積しているようです。

それでも、西九条でのホロゴンαウルトラワイドの撮影はかなり快調でした。

    178枚の収穫。
    これだけ撮れれば満足です。

それにしても、ホロゴンαウルトラワイドの使用頻度が増大しつつあります。

    ホロゴンウルトラワイドとホロゴンαウルトラワイドがあれば、
    ほかは何もいらない、
    そんな気持ちになってしまいそうで、
    怖い!
by Hologon158 | 2014-02-25 10:52 | ホロゴンデイ | Comments(0)