わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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510.06 ホロゴンデイ118「2014年3月22日 ホロゴンが祇園四条を舞妓さんと?」6 淘汰の歴史



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中国音楽が好きなので、You Tubeであれこれと探して楽しんでいます。

    CCTV民族器乐电视大赛

民族楽器テレビコンクールとでもいうのでしょうか?
数年前から毎年You Tubeに掲載されるコンクール模様から、
ニューフェースたちが続々と出現していることが分かります。

ここでも、現代的な現象が起こっているようです。

    「百匹目の猿」現象

ライアル・ワトソンがとても面白い「生命潮流」という本で記載した現象。

    一定数以上の猿が一つの行動(ここでは芋を洗って食べる行為)をすると、
    群れ全体に広がり、さらには接触のないはずの群れにも伝播する。
    実はワトソンの創作だったそうです。
    あまりにも超自然的でしたから、私も例証そのものは信じていませんでした。

でも、私はこの現象を別の意味でなら、十分納得できると考えています。

    これまで誰もができないと信じていたことを、
    誰かができたとき、一つの壁が破れ、
    その後に続く者が現れる、そんな現象。

100メートル競走の10秒を壁を破った後の現象がそれです。
1968年に破られて以来、陸続として続いています。

    ウィキペディアによりますと、
    「10秒の壁が破られた背景には、
    選手の努力やトレーニング方法の改良とともに、
    用具や環境の変化が大きな影響を及ぼしたと考えられている」
    でも、私は、もちろんそうなのでしょうけど、
    第1の要因は、それが可能だと知ったことにある、そう思います。

中国楽器でも、演奏技術の高度化は際限がないようです。
中国楽器の演奏技術のピークは20歳前後の若い頃にあるそうです。
そんな人が全国から集まって、テレビコンクールを競うのですから、
勢い超難度の演奏技術を競いあいます。

    以前は、中国音楽のクラシックを演奏する人が多かったのに、
    西洋音楽を編曲することで、さらに難易度の高い音楽にして、
    これでもかこれでもかと、絢爛華麗な音楽を競いあいます。

中国の琵琶演奏家が語るには、

    彼の母校、北京中央音楽院は古典音楽を教える大学なので、
    来る人が少なくなっている。
    中国伝統音楽の奏者たちの受け皿だった合奏団も、
    北京には以前3つ大きな楽団があったのに、今では1つに減り、
    伝統音楽の奏者たちの生きる場が次第に狭まっている、とのこと。

だからなのです。

    新進気鋭の演奏家たちは、
    たとえば、日本の雅楽演奏家の東儀さんのように、
    誰にも負けない超高度のテクニックを磨きあげて、
    どんな音楽にも対応できるように、レパートリーを拡げることで、
    この難関を突破しようとしているのです。

時代に適応して変わることのできる者が生き残って、
新しい音楽を作り出し、
適応して変わることのできない者は消えていき、
それとととも、伝統音楽も次第に忘れ去られていく、
これが歴史の流れなのかもしれませんね。
by Hologon158 | 2014-03-31 21:13 | ホロゴンデイ | Comments(0)

510.05 ホロゴンデイ118「2014年3月22日 ホロゴンが祇園四条を舞妓さんと?」5 写真は現地



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前回、私が一般意味論のことを思い出したのは、
実は、写真との関連においてでした。

    「地図は現地ではない」のですから、
    当然ながら、「写真も現地ではない」

でも、写真はこれを逆手にとって、こう見せかけてきました、

    「写真は現地である」

たしかにそう思うのは無理がなかったのです。
ところが、近ごろ、状態は劇的に変化しました

    デジタル画像がスーパーリアリティの域に達してしまい、
    そのうえ、フォトショップのような画像処理ソフトが、
    現実に合わせるのではなく、制作者の意図に合わせて、
    写真データをどのようにでも修正できるようになってしまいました。

今、私たちは、写真を見るとき、
「写真は絶対に現地ではない」と自分に言いきかせる必要があります。

    でも、じゃ、現地はどうなのだ?
    そんな現地などこの世にない可能性だってあるのです。
    カメラそのものがすでにフィクションを用意してくれているからです。

近ごろのフランス料理がそうですね。

    本場フランスではどうなのか、知りませんが、
    日本のフランス料理店が競って出すお料理は、
    自然素材を使って、新鮮な味わいを出す方向にあるようです。
    でも、だからと言って、料理が自然かと言うと、
    絶対にそうではないようで、
    ますます手の込んだ調理が作り出す味わいはそれぞれに未知の領域に。
    
写真もフランス料理と同様に、
「写幻」の世界に移行してしまったと言うべきかもしれません。

こうなると、写真との付き合い方も変質することになりそうです。

    写真にはアートと記録、2つのファクターがあると言われてきました。
    でも、どうやら次第に記録ファクターは存在感を失いつつあるようです。
    たとえば、エッチングによる画像を創作する人は、
    自分がリアリティのある記録を主眼に置いているとは、
    夢にも思わないでしょう。

    カメラ、レンズは記録の道具であるとされてきた歴史が、
    撮影者に一つの幻想を与えています。
    でも、写し出された超現実は現実ではありません。

99%の撮影者は、私の意見に賛成しないでしょう。

    だって、見たままに撮れてるじゃないか?
    私は1%の少数意見でも別に構いませんね。
    そうじゃないことを知っているからです。
by hologon158 | 2014-03-31 10:56 | ホロゴンデイ | Comments(0)

510.04 ホロゴンデイ118「2014年3月22日 ホロゴンが祇園四条を舞妓さんと?」4 10年経てば



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先ほど、ふっと懐かしい言葉を思い出しました。

「一般意味論」

アルフレッド・コージブスキーという人の創り出した理論。
学生の頃、幾冊も関係書を読みました。
最大の啓蒙書はS.I.ハヤカワという人の本でした。
猛烈に分かりやすくて、おもしろい本でした。
SFにも一般意味論を活用して危機を打開していく
という趣向のものがあったと記憶しています。

私は別に学問的関心があったわけではありません。
これが人生で生きていく上で、
かなり実践的な知恵を教えてくれるのではないかと思ったからです。

一般意味論の本質を表現する言葉がありました。

   「地図は現地ではない」
   「言葉はそれが意味する現実ではない」

アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドが
「具体者取り違えの誤謬」と呼んだものに相当します。

   実際には、この世はこの取り違えによって成り立っているようなものです。
   宗教や政治の世界は、人間にさまざまな概念を押しつけます。
   そして、それこそが本質的に重要であると教えます。

一番わかりやすいのは、
「日本」「韓国」「中国」という概念。

   このような概念が昔から存在したかと言いますと、
   まるでそんなものは存在していませんでした。
   国の違いでもって争ったり競争したりするようになったのは、
   近代的な国家観が成立してからです。

国境、国家、人種、民族、
いつの間にか成立した概念が紛争、対立を生み出しています。

   みんな人間、
   地球はみんなのものなのに。

同じことが日常生活でも私たちを縛り付けています。
夫婦喧嘩もそうですね。

   実に些細なことに端を発して、深刻な夫婦冷戦に発展します。
   目の前に突きつけられた線香花火が世界を覆う業火のように見えてしまって、
   互いに一歩も譲らない激戦区になってしまいのです。

「地図は現地ではない」
このことに気づくことはとても難しいのです。

すばらしい逸話を一つ知っています。
私はいつもこの逸話でものごとを測ることにしています。

前にも書いたことがあるかも知れません。
英語辞典の編纂者で、博識の極致のような偉人として知られた、
文学者サミュエル・ジョンソンの話。

   彼の腰巾着のような存在がボズウェル。
   このいわば弟子が自分の下宿に先生を招待したのです。
   ところが、下宿の女将から断られてしまいました。
   意志消沈したボズウェルは先生のところにやってきて、
   取り返しの付かない失礼を働いてしまったと必死で謝ったのです。
   すると、ジョンソン博士、からからと笑って、

       「気にするんじゃないよ。
       私はそんなことで気を悪くしたりはしないよ。
       だって、考えてごらん。
       10年経ったら、このことを覚えていると思うかい?」

私はこの逸話をサミュエル・アレグザンダーという
英国の哲学者の著書の中で呼んだのですが、

   アレグザンダーはジョンソン博士の言葉こそ、
   「本当の意味での哲学的な心構え」であると説明しました。

       「ものごとを正確な、実物大の大きさで見ること」

一般意味論の「地図は現地ならず」とまったく同じ考え方です。

   あなたは10年前、どんなことで悩んだり、失望したり、怒ったりしたか、
   覚えていますか?

   「あのときの怒りは今でも忘れていません」
   よく聞く言葉ですが、実際には、日常生活では完全に忘れていて、
   時折思い出すだけなのに、そう言います。

   でも、それも異例のことです。
   私たちは10年前のさまざまな苦悩、失望、怒りなど完全に忘れ去っています。
   でも、そのときは、宇宙の終わりが来たとでも言いたくなるほどに
   深刻な危機だと感じていたのです。

これをひっくりかえして考えてみますと、

   今、直面しているなにかはほとんどの場合、
   「10年経てば思い出せない程度のこと」なのです。
by Hologon158 | 2014-03-30 21:48 | ホロゴンデイ | Comments(0)

510.03 ホロゴンデイ118「2014年3月22日 ホロゴンが祇園四条を舞妓さんと?」3 唯一無二



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あなたがベートーベン、ビートルズ、ビル・エバンス、
ラファエロ、フェルメール、ピカソ、なんでもいい、
あるアーチストのファンとして、その作品に接するとしましょう。

どんなものであれ、そのすべての作品に必ず心の底から感動しますか?

    そんなことはありませんね。
    ときには、なんだ、これってつまらないじゃないか、
    そう思うことだってありますね。
    ベートーベンだって、とってもつまらない退屈そのものの作品があります。
    ピカソと来たら、かなり多い(これは私の主観です)。
    フェルメールだって、退屈な絵があります(ほんの少数)。

その違いはどこから来るのでしょう?
傑作と駄作との境界線を決めるのはなんなのでしょう?

    あなた、分かりますか?
    私は分かりません。

でも、傑作にぶつかると、分かりますね。
    
    理屈の問題ではありません。
    思わず生理的に反応してしまいます。
    心拍数が高まり、震え出し、汗が出て、
    ときには涙さえこみ上げてきます。
    そして、生きていてよかった!
    そう心の底から人生を肯定したくなります。

アートは普遍的なものではありません。

    常にプライベートな感じ方、体験、遭遇の問題です。
    自分の中でも変化することがあります。
    時空間の中を旅する間に、どこかでなにかに出会うということは、
    常に唯一無二の一回性の体験。
    人生の道程の中でその体験の瞬間を爆発的に輝かせてくれるのが、
    アートたち。

でも、そんなアートに出会うのはなかなか難しいですね。

    人によっては、類まれなる感受性をお持ちで、
    どんなものにでも感動に燃え上がれる人だっておいでのようです。
    手近では、ブログのコメント欄には、
    そんな感受性豊かな方がどっさり見つかりますね。
    最上級の賛辞が並ぶのですが、
    私にはどうしてそんな賛辞がここで登場するのか、
    まるで理解できないことがよくあります。

自分じゃかなり感受性が高くて、
写真のこともかなり分かっていると思っていたのですが、

    ブログを拝見するようになって、
    自分の感受性って、実に鈍いことがよく分かりました。
    ほとんどついていけない。

ブログって、自分を謙虚にしてくれるメディアですね。
でも、いつもいつも謙虚に「反省!」じゃつまりませんね。

    そこで、今では、人のブログのコメント欄はのぞかないことにしています。
    むしろ暇さえあれば大好きな画集を開くことにしています。
    ただの画集ですが、本当の意味での傑作には、
    そんな不十分な媒体であっても、突き抜けて、
    わっと襲いかかってくるインパクトがあります。

ブログの中でも、ときにその小さなイメージにもかかわらず、
私の心を揺さぶる傑作に出会うことができます。

    うれしいですね。
    そんな写真を作ってくれるブロガーは限られています。
    しかも、そんな優れた写真家でも、
    ときには冴えない写真を出すことがあります。
    ブログも人生のようなものですね。
by Hologon158 | 2014-03-30 18:11 | ホロゴンデイ | Comments(0)

510.02 ホロゴンデイ118「2014年3月22日 ホロゴンが祇園四条を舞妓さんと?」2 ため息をつく



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昨日の続き。
なんとか付虹先生の生徒たちによる演奏会を終えることができました。

    前回ほどあがることもなかったのですが、
    それにもかかわらず、一杯間違いました。
    あがっていないように見えて、心のかなりの部分を、
    演奏以外のなにかにとらえられてしまっているからでしょうか?

とくに絶対にちゃんと二胡に付いていけると信じていた「陽関三畳」、
途中で二胡がどこを弾いているのか、わからなくなりました。

    なぜそうなったのか、私には分かりません。
    適当に弾いて、分かるところが来て、
    ようやく伴奏に戻ることができました。
    だから、最後は一応一緒に終わることができたのですが、
    全く不本意な出来だったと言わざるを得ません。

二胡、揚琴ともみなさん、前回よりも上達しておられました。
中でも印象的だった方が、2人。

まず、客演の二胡奏者。

    「賽馬」という二胡演奏会定番のアンコール曲を独奏。
    これはよほどの自信のある奏者でないと弾かない曲です。
    これを付虹先生の揚琴伴奏で弾き、
    「紅楼夢」をお母様の揚琴伴奏で弾きましたが、
    どちらも堂々たる演奏でした。
    とりわけビブラートの響きのふくよかで甘い響きは独特で、
    二胡のすばらしさを満喫させてくれる演奏でした。
    お母様は、揚琴こそまだ確か3年になっていないのですが、
    ピアニストだけあって、音楽の骨格がしっかりしているのです。
    着実で余裕に満ちた演奏ぶりは、
    揚琴では先輩のはずの私とは段違いと言わざるを得ません。
    この2曲は、私たち生徒の水準の遙かな高みにありました。

もう一人の印象的だった奏者は、小学1年生のここちゃん。

    付虹先生のお子さんです。
    中国の音楽を演奏したのですが、
    はじめ両手でオクターブを弾くことで始めて、
    かなり初歩的な曲なんだなと思ったのは大間違い。
    第二変奏、第三変奏と、どんどん変奏するにつれて、
    音楽はきらびやかに歌いました。
    ここちゃんは、最初から最後まで落ち着きはらって、
    澄んだ音を響かせて、一音も打ち間違いもなく、
    堂々と美しい調べを弾ききってしまったのです。

         ママの付虹先生に習いだしてたった2ヶ月!

    挨拶も立ち居振る舞いも演奏の姿も最初から違います。
    音楽って、やっぱり努力だけでは追いつかないですね。
    才能とセンスの差をつくづく感じさせる演奏でした。

うまい人も下手な人もそれぞれにがんばった演奏会でしたが、
ふーむ、やっぱり才能のある人にはかなわないとため息をつき、
結局、音楽をしっかり奏でることのできる人と、
そこまで行かない人との間に横たわる深いギャップを悟らされる演奏会でした。

その間、伴奏を要する曲のほとんどを付虹先生が一人で伴奏されました。

    先生の豊かで自在な演奏を聴くことが楽しむことができたのですが、
    そんな演奏家に伴奏していただける揚琴二胡教室って、
    ほかにほとんどないのではないでしょうか?
    ああ、付虹先生という師匠に巡り会って幸せだとまたため息をつく。
    今日は忙しい日でした。

緊張が解けたせいで、午後5時からのディナーは、
みんなでにぎやかに談笑する楽しいひとときとなりました。
by Hologon158 | 2014-03-30 17:15 | ホロゴンデイ | Comments(0)

510.01 ホロゴンデイ118「2014年3月22日 ホロゴンが祇園四条を舞妓さんと?」1 いざ祇園へ!



今日は静養の日とすることにしました。

    昨日の演奏会と撮影でかなり疲れたようです。
    演奏が大成功だったら、今日も元気一杯撮影に出かけていたかも知れません。
    ただ、朝方、完全な土砂降りだったので、
    手を突きだして撮る私の撮り方はさすがに危険。
    やりたいことのいくつかあることも理由の一つ。

その一つが、ブログ新シリーズ。

    ホロゴンαウルトラワイドの撮った京都四条。
    3月22日に撮ったばかりの写真たち。

こんな風に新しいものばかりブログにアップしていますと、
貯まりに貯まった過去の撮影分はすべて置いてきぼりになってしまいます。

    本当は過去と現在を行ったり来たりして、
    バランスよく掲載していくのが理想ですが、
    ブログに掲載した姿を見たい、そう思わせる場所だってあります。

京都祇園から四条河原町近くまで、
かなり商業的にデザインされてしまった街。

    作られたものであっても、それでも、
    その事情は人間の町どこでも同じなのですから
    いかにも京都らしい雰囲気が隅々までみなぎっています。
    歩くに楽しく、撮るに楽しい街です。

撮影枚数が553枚とちょっと少ないのは、
サブに携行したアナスチグマート35mmF4.5で169枚撮ったからです。

    ホロゴン編の方を選択してみました。
    今のところは、363枚。
    30回シリーズになりそうです。

    判で押したように似ている写真が12枚ずつ30回も続きます。
    ホロゴンが嫌いな方は2週間ほどしてからおいで下さい。
    と言っても、次のシリーズだって、似たようなものです。
    もうほとんどの方が飽きてしまったでしょう。
    私は自分の人生が写っているので、飽きませんね。



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by Hologon158 | 2014-03-30 16:00 | ホロゴンデイ | Comments(0)

509.00 ホロゴン画帖179「十中帖 アナスチグマート35mmの中崎町散歩は大成功」



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画帖シリーズも飽きもせず続けて、179回目になりました。

    ただの練習帳ですが、こうして並べるのは楽しいものです。

私のブログは写真倉庫なので、時間順に並べています。
そうすることで、その時、その場の私を思い出すことができます。

    画帖も、時間順にピックアップしただけなのですが、
    ピックアップすることで、その時の私を思い出すというより、
    画帖を選択したときの私の好みを知ることができそうです。

どちらにせよ、ただ撮っただけの写真が並ぶのですから、
人にはどうでもよいことでしょうけど、
どちらも私のよい思い出となってくれそうです。
by Hologon158 | 2014-03-30 12:09 | ホロゴン画帖 | Comments(0)

508.10 ホロゴン外傳133「2014年3月20日 アナスチグマート35mmF4.5が雨の大阪に」10-完-緊張が抜けない



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昨日の続き。

午前11時京阪寝屋川駅に到着。
大阪の寝屋川市に参りました。

    揚琴師匠の付虹先生が教える揚琴、二胡の生徒たちの年一度の発表会。
    私もバッグに楽譜、スティック、衣装を忍ばせています。
    中華服の上着です。
    刺繍風の縫い取りの装飾があって、
    これを来ますと、私は中国人に変身します。

以前、大阪府庁での陳少林先生のグループの演奏会では、
私はたった3曲の揚琴伴奏担当でした。

    70名を越える大演奏団が演奏を終わり、
    私の出番が来るたびに、この中華服で悠然と
    (と本人は思っている)、
    姿勢正しく(と思っているのですが、
    妻に言わせると、すぐ猫背になり、顎を出すそうです)、
    二胡の演奏者たちの間を縫って、中央正面先頭の揚琴のところに行って、
    スティックを構え、陳少林先生に向かって静かにうなづくと、
    演奏が始まるという次第。

ホールの音響効果は猛烈によく、
この日使った揚琴もとてもよく鳴る揚琴で、
二胡、古箏、柳琴などの演奏者が70人居ても、
揚琴の音はホールの外までよく聞こえたそうです。

    後で、お客さんの方が二人、
    陳少林先生とメンバーのお一人にそれぞれ尋ねたそうです、

        「あの揚琴を弾いた男性は中国からの客演ですか?」

これは私の勲章の一つなのですが、
帰宅して妻に言って、損をしました。

    「アハハハハー」だけだった.....

この体験で思うのですが、
この世に一つ、絶対に正しい格言がありますね。

    「交差点、みんなで渡れば怖くない」
    (ただし、日本でしか有効ではありませんので、
    お間違いのないように。
    中国なんかでこれをやると、
    道路上にあなたとお仲間の残骸が散乱することになるかも)

私が陳少林先生の演奏会で、比較的堂々と振る舞えたのは、
みんなと一緒に演奏する一員だったからです。

    昔のことですが、
    難破して、救命ボートに独りぼっち大海原をさまようと、
    水も食料もたっぷりあるのに、死んでしまう、と読んだことがあります。

さて、昨日の行動計画は、
正午まで商店街と路地を撮影。
正午、駅まで戻って昼食。
午後1時すぎ、リハーサル。
と言っても、レストランのフロアなので、ちょっと触らせてもらうだけ。

    一年ぶりに触る揚琴です。
    「陽関三畳」出だしのハーモニクスの位置を確認しなければなりません。
    右手のスティックで目的の弦をポンとたたくのですが、
    それと同時に左手の人差し指でその弦の中央をそっと押さえることで、
    ハーモニクスになります。
    楽器なんでもそうでしょうが、揚琴もそれぞれにその位置が違います。
    その位置を正しく押さえると、得も言われないような寂しい音が響きます。
    間違うと、ブチャッと音が潰れます。
    天国と地獄の差。

そして、トレモロも練習しておかなくちゃ。

    緊張すると、左手の動きがぎこちなくなって、
    トレモロが両手でぐいちになってしまいます。
    本当に難しいですね。

午後3時が本番です。
だいたい2時間の予定。

    ということは、私は40から50分経ってから、独創曲を2つ弾いて、
    それからまた同じほど時間が経った後で、
    「陽関三畳」の伴奏。
    つまり、ずっと緊張が抜けない。

まあ、いいでしょう。

    人間、精神が緩みっぱなしでは、
    冷めたビフテキのような人間になってしまいますね。
    ときに、こんな風に緊張するのもよいことです。

さて、演奏会の後はディナー。
和洋折衷のお料理で、これが今日のお楽しみ。
その料理を気も晴れ晴れと頂けるかどうか?
ちょっと気がかり。
by Hologon158 | 2014-03-30 11:01 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

508.09 ホロゴン外傳133「2014年3月20日 アナスチグマート35mmF4.5が雨の大阪に」9 「小城故事」



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29日大阪行きのJR大和路線快速の中で書きました。

人間の性格って、そう簡単に変わるものではありませんね。

    田舎の田園に小高い木立に囲まれて、
    静かに鎮座している旧家のようなものです。
    最初は木立も生け垣もなにもない平地に建った新築の日本家屋。
    それから幾代も住み続け、生活を重ねて、現在の姿になったのです。
    これを元に戻すなんてことはできません。

人間の性格もそうですね。

    その人生のすべての体験、年輪が積み重なって、今の私があります。
    ドラマごとにまったく異質な人間性をもつ人間を演じる俳優の凄さは、
    ここにあります。
    ある人生を一歩一歩歩んで今の自分になった人物を
    どうすれば演じることができるのか?
    私には想像もつきません。
    私には絶対にできません。
    このことを今痛感しています。

付虹先生の生徒たちの演奏会を今日大阪寝屋川のレストランで開催します。

私の最初の曲は「小城故事」

    テレサ・テンの歌った歌の揚琴編曲版。
    YouTubeで聴くことができます。
    私は10枚セットのCDを持っていて、iPodに収めてあります。
    中国語のとてもなめらかでしっとりとした語感を、
    テレサ・テンさんのたとえようもないやさしい声が増幅してくれて、
    聴くものの心を限りない平安に誘ってくれます。

ところが、揚琴は、ピアノと同系統、
本質的にぶつ切りの音で音楽を作る楽器です。

    付虹先生のCDの一枚には「在水一方」が収められています。
    先生ご自身の性格が純粋で謙虚でやわらかいので、
    揚琴のテクニックと相まって、テレサ・テンさんに劣らない、
    心を癒すサウンドを聴かせてくれます。
    でも、当然のことですが、私にはとても無理。

ついでに書きますと、中国人ってこんな性格だとお考えになっている人なら、
これを読んで、こう考えるでしょう、

    「ふーん、それなら、付虹先生は例外的な中国人なんだ」

    もしそうお考えになるのであれば、
    その人の中国人観は根拠のない固定観念、偏見です。
    なにごとも集団現象でものごとを判断する癖は捨てましょう。
    その人を正しく見ることができなくなります。

    日本人と百人つきあえば、
    百人全部が違う人間性をもっていることが分かります。
    世界中、どこの国の人間だってそうです。
    一人一人、みんな例外的な人間なのに、それに気づいていない。

そんな風に物事を簡略化して考え続けると、

    あなたは表面しか見ることのできない薄っぺらな人間になってしまいます。
    それじゃ、なにごとも奥の奥まで見通すこともできず、
    人と心を割ったつきあいもできなくなります。

話が逸れましたが、
私という人間は、テレサ・テンさんの描き出す抒情豊かな人間性とまるで違います。

    なにごとも挑戦と応戦ととらえて、ぶつかっていく式の人間。
    そんな人間が、「小城故事」をやさしさを込めて演奏する?
    難しいですね。
    まるでロボットを操作して豆腐をつかもうとするような感じ。

まあ、いいでしょう。
当たって砕けろ、です。
(と、ここでも、私流の闘争的姿勢。いけませんねえ)

    要するに、性格を変えるのは難しい、ということですね。
by Hologon158 | 2014-03-29 22:10 | ホロゴンデイ | Comments(0)

508.08 ホロゴン外傳133「2014年3月20日 アナスチグマート35mmF4.5が雨の大阪に」8 どうなってもいい



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月曜日は付虹先生の揚琴レッスン。
一年に一度の付虹先生の揚琴、二胡教室の生徒たちの演奏会を前に、
課題曲2曲の仕上げの日でした。

「小城故事」と「八月桂花遍地開」

    私の前のレッスンを受けた二胡の奏者(演奏会もしている方です)が、
    演奏会には出られないので、聞かせてほしい。
    そこで、2曲、演奏会をするつもりで弾きました。
    その方と付虹先生が聞いているだけで、だめですね。
    左手がきちんと回りません。
    だから、どうしても音が弱くなってしまいます。
    幾度か間違えました。
    でも、なんとか最後まで弾くことができました。

二胡奏者からはこう言っていただきました、

    「やっぱり違う、音がやわらかい」

先生からは、

    「左手が動いていませんでしたが、
    それ位弾けたら十分ですよ」`

「小城故事」はなんとかなるのです。
問題は「八月桂花」

    快速曲なので、途中でひっかかると、もう訳が分からなくなります。
    その都度最初に戻っていると、もう「八月桂花」じゃなくなって、
    「無限窮動」

演奏会は①揚琴、②二胡、③協奏のプログラム。

    私は①の最後、そして③にも、二胡の方の「陽関三畳」の伴奏をします。

「陽関三畳」は私がなんとか弾けるたった3つの中国曲の一つ。

    付虹先生の二胡の伴奏で2回通して練習しました。
    いつもは陳少林先生の伴奏で練習しているのですが、
    近頃は、二胡曲に編曲した大演奏家閔惠芬さんのCDでも伴奏を練習しています。

    最初はまったく合いませんでした。
    何十回も練習してみたら、ぴたりと合うようになりました。

もちろんのことですが、二胡に揚琴を伴奏するときは、
揚琴に二胡が合わせるのではなく、
二胡に揚琴が合わせなければなりません。

    だから、CDで練習するのは、
    少なくとも初心者には悪いことではないようです。
    おかげさまで付虹先生の二胡にもとてもよく合いました。
    こちらは大丈夫のようです。
    
独奏の部でしっちゃかめっちゃかになっても、
なんとか二胡伴奏で名誉を挽回したいものです。

    要するに、「真央ちゃん流挽回方式」ですね。
    そううまく行けばよいのですが。

今晩は2時間みっちりと弾き続けました。

    もうこうなりゃ、やるだけのことはやったので、
    どうなってもいい、そんな気分。
by Hologon158 | 2014-03-28 22:06 | ホロゴン外傳 | Comments(0)