わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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548.03 ホロゴン外傳136「2014年9月24日 宮崎貞安さんのペラール24mmF4で奈良町散歩」3 コピペ天国



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№546.14のように考えてきますと、近ごろ、多くの論文についても、
もう一つの見方があるんじゃないかという気がしています。

    近ごろの論文の多くは、ウィキペディアなどの情報を安直に利用して、
    そのコピペの切り貼り細工で作られていると評判ですが、
    私たち凡人には想像を絶するほどに頭のよい人たちもいるのです。
    そんな人なら、真剣に先人の論文で先人の研究成果を調査し探究するうちに、
    頭の中に自然とそのキーセンテンスが刷り込まれて、自分の論文に使ってしまう、
    そんな無意識のコピペだってあるのではないでしょうか?

たとえば、司法試験、外交官試験のような難関の登竜門試験は、
まさにコピペの天国かも知れません。

    教科書の記述や予備校などで教える模範解答を丸呑みにして、
    水際だった回答を記す、
    そんな記憶力の天才たちがいて、
    高得点で合格して要職を占める傾向があるようです。

    だけど、こんな人は、その反面、独創性、創造力、人間性といった、
    本来人の上に立つ人間に望まれる資質など微塵も備えていない、
    そんな可能性だって大いにありそうです。

さらに進んで、この1世紀間、日本は完全な学歴社会となり、
子供の頃から学習塾でたたき込まれてきた才能の根幹は暗記力でした。
そんな学歴から生まれてきた日本の指導者層の中には、
いわば作られた贋の英才俊秀たちが一杯混じっているかも知れません。

    批判されると「俺に楯突く気か!」と激高し、
    「サシで来い、コテンパンにやっつけてやる」といきまく、
    どこかの首相や市長たち、
    この人たちには包容力も反省力もなにもない感じがするのは、
    その種の俊才であるせいかもしれません?
    そんな気がしてきて、ヒヤリとするものを感じます。

歴史にはそんな亡国の実例が一杯あるからです。

    たとえば、中国には、科挙によるエリート選抜制度が極に達して、
    創造性、人間性のない秀才たちが要職を占領して、
    幾度も王朝を亡ぼした歴史が残されているからです。

曹操には、自分のそんな可能性に気づいて、即座にこれを正すだけの、
人間としての大きさと賢さがありました。
だから、王朝を創始することができた、そんな感じがありますが、

    日本の政治経済マスコミが今暗礁に乗り上げてしまっていることには、
    この種の暗記重視の選抜試験が生んだ学歴社会の指導者層が、
    人間性、創造力を失ってしまったことを示している、
    そんな可能性もありそうな気がしてきました。

    たとえば、安部首相は国会の所信表明演説で、
    集団自衛権にも消費税増税にも一言も触れなかったのですが、
    この2点が国民に大きな不安と不満をかき立てていることを知っていて、
    しかも、来年の地方選挙まではごまかしによって、ぼかしてすり抜け、
    その後に一気呵成に実施しようという魂胆ではないでしょうか?
    前回の衆議院総選挙では、原発も集団自衛権も一切公約に含めずに、
    国民を自民党へと導いたのとまったく同じ手口。
    主権者である国民のための政治など、微塵も感じられません。
    ずるさだけが目立ちます。
    これが我が国の内閣首班なのです。
    でも、いつも事なかれ主義に徹して、
    流れにしたがう日本人にはふさわしいリーダーかも?
by Hologon158 | 2014-09-30 12:14 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

548.02 ホロゴン外傳136「2014年9月24日 宮崎貞安さんのペラール24mmF4で奈良町散歩」2 経験から学ぶ



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報告

№546.12で我が子(猫ですが)のピッピが、
食事時に逃げ回るゲームを楽しむ際に、
私が寝室の襖にもうけたフラップドアを閉じたことを
ちゃんと記憶して、無駄なことは試さなかったと書きました。

猫でもちゃんと記憶力があって、
経験から学んだことを記憶していることを証明したのですが、
昨夜は、ピッピが経験から学ぶことを証明する出来事がありました。

    昨夜は、夕食の用意ができて、
    逃げ回るピッピを寝室に追い込もうとしました。
    ところが、絶対に寝室に入ろうとしないのです。

    この4日ばかりの経験から、寝室は罠であることをしっかり覚えて、
    猛烈なスピードでダイニングやそれと一体となっているキッチンを
    ばんばんと駆け回って、オーディオシステム、ソファー、
    さらには、カーテンの狭い隙間に駆け込んで、私を翻弄しました。

猫だって、日々の積み重ねで賢くなっていくのです。

    経験から学び、正しい方法を選択し実行する、
    これはまさに理性、知性に基づく行動ではありませんか?
    本能ではけっして説明できない出来事。

でも、生物学者は数値化して再検証できないデータなど無視。

    生物学者は動物を人間には劣る下位の生命体として研究し、
    私たち飼い主は動物を伴侶として遇し、
    互いにギブアンドテイクしあう仲間と考えています。

この差は永遠に縮まらないでしょうね。
by Hologon158 | 2014-09-30 11:46 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

548.01 ホロゴン外傳136「2014年9月24日 宮崎貞安さんのペラール24mmF4で奈良町散歩」1 奈良町へ



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宮崎貞安さんから、彼の最新作ペラール24mmF4が送られてきたその日、
即日奈良町に飛び出しました。

    ボディはソニーα7。

小さなレバーを操作して距離を適宜修正しながら、
最短撮影距離も含めてすべて、
F8パンフォーカス、ノーファインダーで撮りました。

いつもの道をすこしずつ外しながら歩きましたが、
最後は餅飯殿通り、東向き商店街にたどり着くあたりは、
定番コースなのでしょう。

    このレンズ、ファインダーでチェックする限り、
    現代レンズらしい、キレがよく、高精細なのですが、
    パソコンに取りこんで見ると、かなりクラシカルな味わいがあります。
    パラメータを完全に最低に落としているせいもあるでしょう。

でも、これでないと私の心を震わせてくれないのはなぜでしょう?

    私が地味で落ち着いた性格であることを意味しているのでしょうね。
    それに、なぜか、とてもあたたかい表情で写ってくれます。

    満足。
by Hologon158 | 2014-09-30 11:31 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

547.00 ホロゴン画帖197「十坂帖 ホロゴンウルトラワイドは延暦寺お膝元で厳粛に」



織田信長による比叡山焼き討ちの際、
比叡山山麓の坂本は延暦寺の一角、前進基地であったために、
信長軍によって、日吉大社ともども全滅させられてしまいました。

    至るところで殺戮を繰り返した信長という男、
    生涯敵軍を殲滅し、晩年は家臣までもどんどん殺戮した
    アレクサンドロスと瓜二つの感じがします。
    2人とも、勝利を重ね、支配権を拡大するにつれて自我も拡大し、
    ついには神とまで思い上がって、最後はあっけなく死にます。
    最悪の勝利者だったという感じがします。

だから、坂本の町を歩いても、信長のことなど頭に浮かびません。

    僧侶、僧兵たちが闊歩していた往時を思ってしまいます。
    現在の坂本は往時を偲ばせるものではないかも知れません。
    でも、どこか森厳な空気が漂っています。

    大切に残したい町の1つ。




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by Hologon158 | 2014-09-30 10:20 | ホロゴン画帖 | Comments(0)

546.14 ホロゴンデイ124「2010年7月31日 滋賀坂本は穴太積みの石垣がライトモチーフ」14-完-曹操のコピペ



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№546.07の孫の次の言葉で気づいたことがあります。

  「帰っちゃだめ。まだ話があるんだから。
  ここへ来て座りなさい」

これは明らかに幼児の言葉ではありません。
両親が見ていたドラマの中にセリフなのでしょう。

  彼はすでにかなりの言葉を理解できるようです。
  だから、聴いた途端に語調そのままに反復します。
  その反復のおかげで、記憶の片隅にしまい込まれるのでしょう。
  そして、適切な瞬間に意識せずに飛び出してきます。

人間、誰しも言葉を発するとき、発語を組み立てる人はいません。
口をついて出てきてしまう、それが言葉というものです。

  孫がそんな言葉を発するとき、知らぬ間にその役柄になり切っています。
  だから、ほんとは目をキラキラと輝かせるあどけない顔なのに、
  その瞬間は幼児とは思えないようなシリアスな表情に一変します。
  役柄になり切っているのです。

俳優に向いているかも知れません。

  ぺぺは俳優、メメはピアニスト、ママはタップダンサー、
  パパは野球選手、と、それぞれ孫の将来の夢を描いています。
  孫には迷惑な話ですね。

孫の記憶の話で思い出した逸話があります。
三国志演義のエピソード。

誰だったか忘れましたが、大変な逸材をうたわれる人が、
曹操の宮廷に一時滞在したときのことです。

  曹操の才気煥発な秘書が客人に主君の英才ぶりを自慢します。

     「優れた兵書までご自分で著されています」

  相手は、「どれ見せてご覧」
  そして、その書(竹簡だったのでしょうか)にざっと目を通し、
  あざ笑って、

     「なんだ、先人の書の丸写しじゃないか」

  秘書立腹して、

     「そんなはずがありません、
     どうしてそう言えるのですか?」

  客人せせら笑って、

     「だって、私だってそらんじているんだから」
     そして、全文違わず暗唱して見せました。

  秘書驚いて曹操にこの出来事を報告しますと、
  曹操、即座に自分の兵書を焼き捨てるように命じた、というのです。

読んだ当時、不思議に思ったものでした、

  自分で苦労して考えを巡らし、その結果を書き記したのだから、
  贋作、模作でないことは自分で分かっているのに、
  なぜ労作をそう簡単に廃棄処分してしまったのだろう?

孫のことで別の可能性が考えられることに気づきました。

  曹操は三国時代きっての英才でした。
  ライバルの劉備や孫権はただの戦争屋、武弁にすぎなかったのに、
  詩人としても抜きんでた、至上屈指の文人政治家でもあった人です。
  その上に、並々ならぬ志を立てた野心家でしたから、
  おそらく孫子、呉子、六韜、三略など、
  過去の偉大な兵書を数知れず読みあさり、そらんじていたことでしょう。

  そうして、自分の兵書を書いたのですが、
  その書き方はモーツァルトや三島由紀夫のように、
  頭の中から流れ出るアイデアをさらさらと書き写すようだったのでは?
  そうだからこそ、自分のアイデアと信じていた文章の中に、
  近ごろはやりの言葉で言えば、
  かなり先人の文章を無意識に「コピペ」してしまった可能性に気づいた、
  そんなところではないでしょうか?

それだからこそ、客人の方も一読しただけで暗誦する芸当もできたのかも?

  そうなら、後代の知識人たちにだって見破られてしまうかも知れない、
  曹操は、安全性のためには恩人一家だって皆殺しにするほどに、
  石橋を叩いて渡る男だったので、即座に焼き捨てるように命じたのでは?

  それとも、歴史上誰もも知られていない戦術家の書を偶然発見して、
  自分の名前で出したのが真相で、この客人がこれを見破ったのかも知れない、
  そう考えて、大事をとったのでしょうか?

三国時代の研究家、三国志演義フェチの皆さんはどう考えているのでしょうか?
知りたいですね。
by Hologon158 | 2014-09-29 21:33 | ホロゴンデイ | Comments(0)

546.13 ホロゴンデイ124「2010年7月31日 滋賀坂本は穴太積みの石垣がライトモチーフ」13 ヴォイニッチ写本



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ヴォイニッチ写本なるものをご存じですか?

    羊皮紙に書かれた謎の言葉と謎の絵。
    女性の絵をのぞけば、地球上には存在しない植物等の存在物の絵に、
    誰も読めない未知の文字で書かれた文章が付けられた体裁で、
    これらが見事な筆致で描かれているのです。

平均9インチ×6インチの羊皮紙の小型四つ折り本ですが、
おそらく全部で246頁に及ぶ、かなりの大作なのです。

    1912年にウィルフリド・マイケル・ヴォイニッチが発見して以来、
    中世の写本だとされて、
    多くの人がその謎解き、解読に狂奔してきたのですが、
    これがついに解けないまま。

この写本のさまざまな解読を巡る顛末を調べたドキュメンタリー、
ゲリー・ケネディ、ロブ・チャーチル「ヴォイニッチ写本の謎」(青土社)

    暗号専門家たちによる暗号解読の苦闘をはじめとして、
    さまざまな解読の努力がすべて失敗したことが延々と描かれます。

どうやら、可能性は次のようです。

作成者については、

    ① 真正の中世の写本、造本
    ② 発見者とされるヴォイニッチを含む、誰かの偽作

そして、内容については、

    A 真摯な意図に基づく意味のある文書
    B 心身になんらかの異常をもつ人の(我々には無意味な)労作
    C 完全なでたらめ

このさまざまな組み合わせのどれなのか?

    私は、この本がついにヴォイニッチ写本の謎を解く結果に終わる、
    そう期待して飛びついたのです。
    でも、読み進むうちに、その期待はどんどんと減退していきました。
    あらゆる手がかりがなんの意味もない幻想だと分かるプロセスなのですから。

そんな本がどうして多くの人々の心を奪ってしまったか?

    どうやら、現物は大変に手の込んだ見事な造りなのだそうです。
    現在イェール大学に所蔵されています。
    これだけの謎と紛糾の混乱状況にあるのです。
    研究を主題とするイェール大学としては、
    写本に使用されている羊皮紙、インク等の科学的鑑定によって、
    少なくとも真正の中世写本か、それとも後代の偽作であるか、
    これ位は鑑別することは可能なのではないでしょうか?

でも、そんな科学的鑑定が行われた報告はありません。
ただ大切に大仰に秘蔵されているだけのようです。

    なぜなのでしょうか?
    所蔵物の価値を一気に減少させるリスクは犯さない?
    それとも、なんらかの解答を独自に出しているのか?

上記の本の著者2人が最後に総括的に自分の見解を記載しています。

    これが完全に混雑混濁状態。
    要するに、「ぼく、わかんない」
    「わかんない」状態の本を出すんじゃない、そう言いたいですね。

私の考えを書きますと、

    筆跡から見て、複数の人間が文字を記した可能性があること、
    その全体としての描写、表現の斉一性、統一性を考えると、
    精神異常者の異常な精神状態から生まれるものではなさそうです。

    そうすると、総括的には次の可能性に絞られそうです。
    いつの時代にせよ、次のどちらか。

    X 真摯な意図の下に作られた意味のある写本
    Y 芸術的仮構も含めて、真実に基づかない無意味な空想作品または贋物

私の結論はただ1つ、Y。

    暗号の専門家や言語学者たちが解けない言葉、
    地球上のいかなる生物とも同定できない植物、
    これらを合わせて考えますと、Xとはとても考えられません。
    架空、仮想の植物を巡って、真摯な研究、学問がなされるなんて、
    考えられない。
    むしろ統一的な美意識、想像力によるフィクションとしての書物、
    そう考えるが一番自然と思われるからです。

しかし、やれやれ、ですね。

    普通「ヴォイニッチ写本の謎」なんて題名を付けますと、
    謎を解きほぐして、最後には快刀乱麻の解決を見せてくれる、
    そんな本だと思うじゃありませんか?

    ああ、この題名と立派な造本の見かけのせいで、
    遠く日本の片隅の私まで貴重な数時間を無駄に使わされてしまいました。
    迷惑ですね。
by Hologon158 | 2014-09-29 20:55 | ホロゴンデイ | Comments(0)

546.12 ホロゴンデイ124「2010年7月31日 滋賀坂本は穴太積みの石垣がライトモチーフ」12 頭の使い方



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私は、我が子に関しては猛烈にひいき目で見る人間ですから、
子どもたち(猫ですが)のことは我がブログの主要テーマになっています。

独創的なことを示す指標の1つに、
新しいことを思いつくことがあります。

長女の静、頭の新しい使い方を頭で考え出しました。

    夜中にトイレに立つことがあります。
    トイレから出ようとしますと、
    静がトイレの前に陣取っています。
    私を見上げてニャアーニャアーとせかします。
    要するに、夜食の催促。
    私がトイレから出ますと、遅いと言わんばかりの催促声。
    私がトイレの扉を閉めようとしますと、
    静が頭にぐいとスナップを効かせて扉を押して、バタン。

    あんまり急いでいるので、
    ゆっくりと扉を閉めようとするパパには我慢ができない。
    だから、パパに代わってドアを閉めてあげようというわけ。

別の日には、頭でドアを閉める変わりに、
身体をドアにすり寄せて、バタンと閉めました。

    慣れた1つの方法だけに頼らない、そして、
    頭や身体を本来の用法以外の用途に利用できるのは、賢い証拠です。

弟のピッピ、生後1年3か月のシャム系、
この子も頭の良さでは負けていません。

    パパ(私です)が食事(とくに夕食)の用意を始めると、
    要するに、鬼ごっこゲームの始まりです。
    逃げ場に恵まれたスペースでは、
    犬でも猫を掴まえることはできません。
    まして、人間の私には絶対に掴まえることができません。

でも、この人間にも頭があります。

    逃げ場のないスペースに誘い込めばよいのです。
    我が家の1階の和室の襖にはフラップドアが設置されています。
    このドアに外部から椅子でつっかえをして、
    このフラップドアを利用不能としました。
    あとは和室にピッピを追い込み、襖を閉めたら絶体絶命。
    この数日お陰様でピッピの鬼ごっこゲームはパパの勝ち。

今日の夕食どきも、ピッピは颯爽と逃げ回り、遂に寝室に。

    勝ち誇ったパパ(私です)が襖をゆっくりと閉めますと、
    ピッピはフラップドアに向かって突進しました。
    これまでの数日間は、頭でドアを押したのですが、ついに開かず。
    昨日の夕食時、ピッピはやはりフラップドアに向かって逃げました。
    でも、今回は違いました。
    フラップドアの直前で立ち止まり、頭で押すもことなく、
    別の方向に逃げようとしました。

昨夜までの体験で、ドアがシャットアウトされていることを思い出したのです。

    たいていの場合、無駄と分かっていても、
    絶体絶命になると試してみるものです。
    それをしないで、無駄なことは試さない。
    だって、無駄なのだから。
    そんな行動をとれる人間は賢いと言って良いでしょう。

動物は短期記憶しか持たないと言われていますが、とんでもない嘘。
確かな記憶力を持っていて、その記憶にもとづいて行動することで、
無意味な行動を避けることができるのです。

    ピッピはまさにそんな賢明な行動をとったわけです。
    猛烈に賢いと言ってあげたいですね。
by hologon158 | 2014-09-29 10:58 | ホロゴンデイ | Comments(0)

546.11 ホロゴンデイ124「2010年7月31日 滋賀坂本は穴太積みの石垣がライトモチーフ」11 突然変異的進化



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デュフィ展を観て一番おもしろかったことは、
人間というものは突然変異的に進化するものだということ。

    最初期のこてこての油絵だけを見せられたら、
    かなりの専門家たちがこう結論したことでしょう、

        「うん、この人は見込みがない。
        その点だけは間違いないね。
        首をかけてもいいよ」

その頃の重く暗い素人作品と脱皮後の軽妙洒脱、天馬空を行くがごとき作品との間には、
なんの連関、つながりもないように見えます。

    もしデュフィが最初期の絵をその調子で描き続けていたら、
    日本でデュフィ展など開催されることはなかったでしょう。

考えてみると、たいていの画家に同じような脱皮、変身が起こっています。
もちろん脱皮前前に培った素養、技能、経験は
脱皮後もどこかで活かされているのでしょう。

    でも、1+1=という積み上げではなかったから、脱皮できたのです。
    それまでにはなかったなにか別の跳躍台となるファクター
    がその人の人生に突然、もしくは時熟して発生したのです。
    誰もそれを説明できないし、まして予測もできない何か。
    アーチストたちは誰もがそれを待ち望んでいるのですが、
    それが起こるのはなぜかほんの一部の人にだけ。

フェルメールにだってそれが起こっています。

    彼の修業時代の作品とされるものがありますが、
    猛烈に普通です。
    そんな初期作がほかに見つからないのは、
    彼が注意深く駄作、習作を処分してしまったからなのです。

一方、最初から天才を発揮した人もいます。

    レオナルド、カルティエ・ブレッソン、シューベルトがそうです。
    三人とも最初からその人そのものでした。

ところが、モーツァルトやベートーベンを含む多くの作曲家は
どんどんと変化し革新していきました。

モーツァルトは天性の天分だけでは説明できないなにかが生涯起こり続けたようで、
彼の音楽はなぜかぐんぐんと変わり続けました。

    ヨーロッパを次第に覆いつつあった自由、平等の思想、
    これらに触発された階級闘争の暗雲という時代の影響も受けたのでしょうか?

    彼の晩年の作品、ドン・ジョバンニ、魔笛やレクイエムには、
    ベートーヴェンを彷彿とさせる深淵重厚な響きを聞くことができます。
    もし彼が長生きしたら、彼よりもたった14歳年下のベートーヴェン
    (モーツァルト没年には21歳だった)とかなり近い、
    深刻深遠な曲を生み出したことは疑いのないところではないでしょうか?
by hologon158 | 2014-09-28 22:38 | ホロゴンデイ | Comments(0)

546.10 ホロゴンデイ124「2010年7月31日 滋賀坂本は穴太積みの石垣がライトモチーフ」10 バッハの赤



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あべのハルカス14階のイタリアンレストランでランチ。

    年金生活者の私には1700円は痛いけど、
    パリのセンスを味わった後にラーメンでは気分が出ません。
    ところが、出てきたアサリのパスタを見て、正解だったことを知りました。
    緑の野菜を散らして、あっさりとした雰囲気に仕上げたパスタが
    デュフィの絵の風合いにかなり近い感じで、
    味もよし、ご機嫌になりました。

食後、天王寺駅南界隈をぐるりと一巡して、
北側の動物園に面する古い商店街の喫茶店に入り休憩しました。

    美術館で購入した画集「Retrospective Raoul Dufy」を開きました。
    フランス装の感じに仕立てた、227頁もある大部の美しい画集、
    嬉しいことに、たった2300円。
    これが買わずにいられましょかっというところ。

一番気に入った超大作2枚は、希望していたとおり、
ちゃんと見開き頁に大きく納めてくれるあたり、
私の気持ちがよーく分かった学芸員なのです。

    褒めてあげましょう。

私が大好きになった一枚を開きながら、この文章を書きました。

    「ヴァイオリンのある風景(バッハへのオマージュ)」と題された一枚。

    バッハにとって、ヴァイオリンの選択は正しい、
    オルガン、チェンバロと並ぶ最愛の楽器だったのですから

問題は、この絵をかなりディープな赤でほとんど埋めたことです。

    そんな絵はほかにはないようです。
    バッハの音楽に赤を連想するなんて、とても奇抜、
    最初はそう考えたのですが、
    見るうちに、そうでもないかもしれないという感じがしてきました。

バッハのヴァイオリンソナタは、無伴奏ヴァイオリンほどは有名ではないかもしれません。

    でも、その1番だったでしょうか、
    最初にヴァイオリンがピアニッシモから次第に高まってフォルテに至る、
    緊張感みなぎるシーンがあります。

私は、バルヒェットとロベール・ヴェイロン=ラクロアの至高の名演レコードで、
それを夫婦揃って生まれて初めて聞いたとき、
大げさに言いますと、気が遠くなるほどの感動を味わいました。

    その後、バルヒェットを超える演奏に出くわしたことがありません。
    そのたった一音が私の心一杯になるまでひたひたと
    注ぎ込んでくれたネクタールはきっと真紅だったのだ、
    そう気が付いたのです。

マタイ受難曲の究極のクライマックスのコラールも、
リヒターの指揮でザ・シンフォニーホールに響きわたったとき、
そのカラーは真紅でした。

    デュフィがバッハのことをよく分かっていた人かどうかは分かりません。
    しかし、これも我田引水ですが、
    私と似か感じ方をした人だったのかなという感じがして、
    勝手に一人うれしくなっています。
by Hologon158 | 2014-09-28 22:12 | ホロゴンデイ | Comments(0)

546.09 ホロゴンデイ124「2010年7月31日 滋賀坂本は穴太積みの石垣がライトモチーフ」9 デュフィ展



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あべのハルカス16階の美術館に行ってきました。

    デュフィ展

実のところ、まったく未知の人でした。

    美術通に言わせれば、それは私の無知を暴露するものなのでしょう。
    とても狭い関心と経験の人間なのですから、
    そう言われても、平気です。
    人生の中で知ることができることしか知り得ないのですから。

いつも書いていますが、私はその美術本来の鑑賞力などありません。

    私の心がびくんと躍るか?
    ただこれだけが私の芸術鑑賞のスタンダード。
    
来なけりゃ、どんなに有名でも、私には無縁。

    そんなものは無数もあります。
    それに、体験可能性はとても狭い人間なのですから、
    きっと沢山のすごいアートに出会わないで、一生を終えるのでしょう。
    でも、知らぬが仏です。
    知っただけでも、もの凄い芸術家たちが一杯いるのですから、
    それだけでも私の人生を満たすには十分すぎます。

デュフィについてはなんの先入観もなく、
なにも予習せず、ただ、チラシの絵にちょっと牽かれて、行くことにしたのです。
特別展だから仕方がないのですが、1400円は年金生活者にはつらい!

    だから、大阪人らしくしっかり元を取りたいものです。
    ただし、お金ではなく、感動で。

初期の油絵が並んでいました。

    がっかりしました。
    下手っぴぃ!
    べたべたとやたら絵の具を塗り付けただけ。
    心が沈みました。

ところが、やがて彼は木版画を手がけます。

    すばらしい!
    小さなスクエア画面一杯を、
    切れ味の鋭い線と面が白あるいは黒で埋めています。

そして、いきなりというわけでもなさそうですが、
とにかく時満ちて、ついに変身!

    あっさりと爽やかなブルーを基調とする絵は
    私の心を完全に虜にしてしまいました。

最初に私を驚かせたのは、

    「イエールの広場」
    「馬に乗ったケスラー一家」

マチスとシャガールを足して2で割ったような味わいなのですが、
まさに独自です。

    版画やテキスタイルのデッサンで、手が自在に動くようになり、
    線の描き方が格段に上達した感じがします。

とくに後者は219×267の超巨大作なのですが、

    これが、ちっとも重くない。
    地面の緑、背景の森と空の青、馬たちの茶、そして人肌のピンク、
    これだけの少ない色のバリエーションが描き出す音楽。
    中空に、不思議な空間がふわっと出現したという感じ。
    
タペストリの下絵として描かれた巨大作「アンフィトリテ」も圧巻。

    「アンフィトリテ」の左側下方に海辺らしいところに3人の人物。
    その中央のパラソルの婦人の後ろ姿のエレガントなこと!
    まさにパリジェンヌ。
    そして、その上方にバウスプリットをことさらに押し立てるようにして、
    波を切ってこちらに帆走してくる帆船の姿。
    その筆のシンプルで美しいこと!
    下方のご婦人とちょうとバランスをとっているのです。

彼の油絵作品は充満が基調なのですが、あっさりとした下塗りで、
主題もまるで水彩のようにあっさりと描かれて、
うるさくなく、重くなく、爽やかなのです。

    彼のデッサン、クロッキーがその秘密を明かしてくれるようです。
    軽妙で、主題だけをしっかりと出すのですが、
    その味わいは常にあっさりとして、空気感を重視している感じ。
    油絵の画面一杯にモチーフが散開しているのですが、
    わき役たちは絶対に主役を邪魔していないし、
    適度に空間が広がって、モチーフたちがのびのびと踊るのを許している、
    そんな感じ。

    ああ、描き始めた頃のあのベッタラベッタラとして重苦しく、
    たどたどしい印象はどこに行ってしまったのでしょう?

「電気の精」という12m以上もある長大な水彩画がありました。

    その中央にオリンポス山に座を占めるゼウスの姿。
    これが全体の中核なのですが、
    その左下にヘルメスが空中に浮かんでいます。
    その姿の完璧なこと!

    おそらくこの絵は古代から現代へと時系列で人物が並べられ、
    右から左に向かっていることになっているようですが、
    その最後にアフロディテらしき女神の飛翔する姿。
    その線もとても美しい!

他にも幾枚も幾枚も、線も面も配置も色も、
なにもかもデュフィらしい爽やかさに満ちた絵たちが並び、

    幸せだあ!

    美術史上の評価がどんなものか知りませんが、
    そんなことはどうでもよい。
    私の心を躍らせ、幸せにしてくれたのですから、

彼は、私の美術史上のスターの一人に昇格しました。

    28日が最終日なので、金曜は平日の最後。
    おかげで観衆はかなり少ないのですが、
    あれこれと評価の言葉が耳に入ってきます。
    大急ぎでiPodを取り出し、モーツァルトのピアノ協奏曲集を選んで、
    あとは私だけの世界に浸りきることができました。

貸し出しのイヤホーンがありますが、
あれだけはよした方がいいんじゃないでしょうか?

    芸術は理解するものじゃない、
    知るものじゃない。
    ただただ感じるだけ、
    そうではありませんか?

こんなたとえ話でお分かりいただけるのでは?

    前方の角を女性が曲がって、私と目があったのです。
    その女性のことなど、その瞬間まで知らなかった。
    人柄も人間性もなにも知らない。
    でも、美しかったら、瞬時にそう感じます。
    美しくなかったら、感じない。

これと同じことじゃありませんか?
ほんとうに心を躍らせてくれた芸術だけが私の心の中に残ります。
それ以外のものは忘れてもいいのではありませんか?

    画家を取り巻くさまざまな知識など、すぐ忘れます。
    でも、傑作に出会った感動だけは、一生、忘れないからです。
by Hologon158 | 2014-09-28 14:47 | Comments(0)