わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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630.06 ホロゴン外傅157「2015年1月9日ペッツヴァールが近江八幡をさらりと」6 自撮り



自撮り棒というのがありますね。
中国人旅行者が使っているのを見て、知りました。
中国の発明なのでしょうか?
感心することは、実はその自撮り棒ではありません。
旅先で自分を撮るという行為。
自分の顔、姿を写真で確かめて、きゃっと喜ぶ人たち。

これが私には分からない。
ちょっとおかしいんじゃないか?
そう感じてしまいます。
まして、カメラに向かってニッコリ、なんて、
絶対にできません。
笑顔を作ったことがない。
笑いたいときにか、笑わないのですから。
私は変わっているのでしょうか?
だから、知らぬ間に撮られてしまった写真をもらったりすると、
歩行者にかってに自分の写真を撮られてしまった、
三億円犯人のような表情をしてしまいます。

しかし、どうやら80パーセントほどの人は喜ぶようですね。
私の家族も、私以外は全員喜びますので、
実のところ、90パーセントの高率。

写真を人からもらうと、捨ててしまいます。
家族が撮って保存している以外、私の写真はほとんどありません。
多分私の方が自意識過剰なのでしょう。

ところが、そんな私が近頃洗面のときに、
熱心に鏡をのぞき込むようになりました。
いやですねえ。
老いの兆候を探している!
というのは、この一、二年、久しぶりに出会う知人が、
ほとんど例外なく、猛烈に老いて見えるようになったからです。
たいていの場合、ちょっと、あるいは大幅にしぼんでしまった、
という感じ。
親友のDAさん(この人はまったく変わりません)、
電車内で「やあ! DAさん!」と声をかけられて、
振り向いたのですが、しばらくの間、
そこににこにこしている人物が誰なのか分からなかったそうです。
数年ぶりに出会ったその人物の顔がすっかり変わっていたからです。

歳をとるにつれて老いるのはやむを得ないことです。
でも、その速度が問題ですね。
その原因も問題です。
人が亡くなった途端に、指紋が消えてしまう、
と聞いたことがあります。
そのことから推測してみますと、
人間は一つのオーガニズムとして、
完全なコントロール下にあるんだけど、
そのコントロールが次第に緩み始めているのでしょうか?

このコントロールは心と体の両面で行われています。
とすると、心と体の両面で、
コントロールを強化するように努力すること、
これしかありませんね。

もちろん、だんだんと衰えて行くのはどうしようもない。
ロックだったかが言った「Perpetual Perishing」こそ、
宇宙のプロセスなのですから。
でも、私は絶対に抵抗したい。
私が考えるに、心身両面で、無為こそ敵です。
どちらも絶えず動かし、働かせること、
これがエクササイズです。

私が近頃オーディオシステムの前に座って、
音楽に耳を傾けることをしなくなったのは、
たしかに音楽を聴く行為は心のエクササイズになるのですが、
体のエクササイズにはならないからです。
目を覚ましている限り、心身どちらも同時に動かし続けること、
これが正しい方法だ、そう考えているからです。

たしかに水泳やマラソンは心身両面のエクササイズになるでしょう。
でも、私は体育系の人間じゃないので、そんなことはしたくない。
溺れるエクササイズなんて、したくないですね。

写真を撮ること、
楽器を学ぶこと、
そして、
ブログの文章を書くこと、
これが私の近頃お気に入りのエクササイズ。

篠田桃紅さんのように100歳を越えて現役でがんばっておられる方に
共通するところは、目の力ではないでしょうか?
目に心身の力、エネルギーが現れています。
もしかすると、永遠を見つめているのでしょうか?
それとも、憧れを失っていないからでしょうか?
変化をおそれないこと、これだけは確かです。
どこかに安住してしまったら、終わり。

退職者が突然緩んでしまう現象があります。
自分の人生は終わった、そう感じてしまう方に、
そんな現象が起こるようです。
とんでもない、職業はただの衣服に過ぎません。
それなのに、それを本質と思い間違っている。
以前も、電車内の老人二人、たがいに部長と呼びあっていました。
退職時部長だった人は死ぬまで部長なのでしょうか?
笑ってしまいました。

私は、極端ですが、自分の職業生活のことなど一切思い出しません。
脱ぎ捨てた下着のことを、あなたいつも思い出していますか?
ちょっと比喩が悪いかもしれません。
昔、持っていたけど、すでに売ってしまったダイヤモンドのこと、
いつも思い出していますか?
昔来ていた素敵なコートのことを思い出すことがありますか?
もちろん思い出さないか、思い出しても、考えるでしょう、
「いや、忘れよう、昔のことなのだから」
あなたの職業上の地位も同じことです。
今は、あなたとはなんの関係もない。
そのことを悟らなくちゃ。

人の上に立つ身として、あるいは人間としての
矜恃、誇り、志、ノブレスオブリージュを忘れない、
これは正しいことです。
でも、それは今あなたが生きるための糧、基盤としてであって、
昔を思い出し、懐かしむためのよすがとしてではありません。

80を過ぎた哲人アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドの姿を
弟子の一人が書きとどめています。
もともと小柄な人でした。
その背もかなり曲がっていました。
でも、頭をしっかりともたげ、ほほえみつつ空を見上げる
その眼差しはキラキラと輝き、とても力強かったそうです。
そんな人間になりたいものです。
いつまでも憧れを忘れない、
それが鍵なのではないでしょうか?




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by hologon158 | 2016-01-31 11:37 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

630.05 ホロゴン外傅157「2015年1月9日ペッツヴァールが近江八幡をさらりと」5 絶好の密林



それでも、結局、写真は世界を認識する方法なのです。
自分の全体で世界に対面するのです。
どんな写真でも、意図すると否とにかかわらず、
自分を露わにしてしまいます。

だんだんとわかってきました。
私のブログほどたくさんの写真を掲載し、
自分をさらけ出しているブログは見あたらないようですね。
みなさん、細心の注意を払って、
プライベートな情報を秘匿されています。
ただし、犬、ネコ、孫は別。
まして、政治的意見などもってのほかということです。

でも、私は心配していません。
平気で、なんでも思ったことを書きます。
どんなに書いても、私の全体のほんのひとかけらなので、
どうってことはない。

でも、やっぱりリスクがあるように見えます。
そこで、質問。
あなたに逃亡する必要が持ち上がったとしましょう。
どこに隠れますか?
そう、都会の巷の中に、ですね。

義経も天誅組も大和の国の南半分の山中に逃げ込みました。
天武天皇も徳川家康もそうでした。
人里は天武の時代からすでに村社会で、
よそものの隠れすむ環境などなかったからです。
現代には、いわばアノニマスな存在を許容する地域が
とくに東京や大阪には増殖しているようです。
義経も東京だったら逃げ延びることができたかもしれませんね。

私がやっていることがそれです。
あんまり写真が多すぎるので、
あんまり文章が長すぎるので、
よほどの酔狂な暇人以外は、私のブログには来ないし、
来ても記事は読まない。
そこまで暇じゃないから。
写真も途中でバカらしくなって見るのをやめてしまう。
そして、2度と来ませんね。

私はアクセスリポートは絶対に見ないことにしています。
私のブログは文章が多いので、
グーグル検索にひっかかる確率はかなり高いようです。
だから、検索目的に役立つかどうか確かめようと
アクセスする方もいるでしょう。
でも、一見して、退いてしまいます、
「こりゃ、間違った! なんじゃ、これは?」
2度とおいでにならないでしょう。
だから、アクセス数はなんの参考にもならない。
匿名のブログに匿名のアクセス者が何人居ても、
私には無関係、というわけです。
私のブログは、いつまで経っても、
私を隠す絶好の密林、というわけです。





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by hologon158 | 2016-01-30 21:43 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

630.04 ホロゴン外傅157「2015年1月9日ペッツヴァールが近江八幡をさらりと」4 心が先



まだ「書の読み方」を読んでいます。
なにしろ一つ一つ息を呑むような気合い、
そして、エネルギー感がこもっていて、圧倒されます。

三条実隆の仮名文字には仰天しました。
漢字主体で、その間に仮名が混じっています。
その仮名のバネの利いた描線の力感には、
大げさに言いますと、おそれとおののきを感じます。
どうすれば、このように雄大に、このように音楽的にかけるのでしょう。
音楽的と言うと、柔和で線の細い感触に傾きがちですが、
そのような趣は皆無。
比較的小さな、しかも細字なのですが、隅々まで力が漲っている。

三条流として、たくさんの弟子が集まったそうですが、
誰も真似ができなかったでしょう。
そもそも真似のできるものではないようです。
この字の形も力もすべて実隆自身の精神力を形にしたものだからです。
ここでも、心が先で、形は後。

写真でも同じことが言えますね。
20世紀後半にストリートフォトを志した世界のカメラマンの
少なくとも70%はカルティエ=ブレッソンに心を奪われ、
彼のスナップの極意を見つけようと、心を砕いてきたはずです。
(数値に根拠はありませんが、確信はあります)
私もそうでした。

でも、そんな写真の極意などないことが分かってきました。
人間は目だけで世界を知るのではありません。
心が、人間に備わる認識力のすべてをフルに使って、
世界を自分のためにつかみとります。
心と外界との間を隔てる区分など、本当は存在しません。
今この瞬間に自分が生きて認識する世界全体、それが自分。
カルティエ=ブレッソンの作品には、
その瞬間における彼自身が写っているのです。

私たちはカルティエ=ブレッソンではありません。
私たちはカルティエ=ブレッソンのその瞬間に躍動した精神を
想像すべくもありませんが、
カルティエ=ブレッソンの作品に自分を投影して、
感動することはできます。
後日、その写真を見るカルティエ=ブレッソンだって、
その写真の瞬間におけるカルティエ=ブレッソンではないけど、
記憶がその瞬間の自身を取り戻してくれるでしょう。
だから、私たちは彼が自分の作品に感じるほどの深さで、
彼の作品を感じ取り読みとることはできないのです。

結局、あらゆる芸術に言えることですが、
作家ほどにそのアートを深く感じ取ることはできません。
それでも、そこには人間の認識、感情の深さの、
より深い、より高いレベルが表現されているために、
私たちは啓発され、刺激され、
人間と世界に対する新しい見方を知ることができ、
その体験によって自己を高めることができるのでしょう。

カルティエ=ブレッソン以前の人たちは、
カルティエ=ブレッソンのように世界を眺めることはできなかった。
カルティエ=ブレッソンの作品によって、
世界の一つの新しい見方、感じ方を学ぶことができたのです。
だから、彼の作品はアートなのです。
でも、それをどんなに真似ても、真似は真似。
世界に対する新しい目を開くことなどできません。

私の写真の師匠は田島謹之助さんですが、
彼がいつも言っていた言葉をいつも思い出します。
「よい写真を撮りたかったら、
りっぱな人間にならなければいけませんよ」
その意味は上に書いたようなことだったんだなあ、
今更ながら、気づいても、ちょっと遅すぎるかもしれません。
自分と誠実に向き合い、世界と誠実に向き合う人間がつかみとる世界像、
そんな写真でなければ、人が感動するような写真作品となるはずがない、
そういうことなのでしょう。
この点はプロもアマもありませんね。




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by hologon158 | 2016-01-30 01:10 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

630.03 ホロゴン外傅157「2015年1月9日ペッツヴァールが近江八幡をさらりと」3 ブレイク!



かなり遡りますが、1月24日日曜日、冷え込みました。
日本列島全体が冷え込んだことでしょう。
もっともニュースを一切見ないので、
我が家の周辺だけがスペシャルに冷えているだけかも?
一日中自宅静養ならぬ自宅冷養しました。

揚琴とリコーダーの練習を主に楽しみました。
昨日、三重でリコーダーの先輩と二重奏を楽しんだ効果が
はっきりと出ました。
私のドルメッチリコーダーが張り切ったのです。

昨日は、スティンズビィSr.と張り合うという過酷な試練。
演奏者は練達、スティンズビィSr.は世界でトップクラス
(もしくはトップ)の名人がオリジナルを復元したものです。
ドルメッチもイギリスのリコーダー復元の先駆者となった人です。
かなり優れた楽器なのですが、
なぜかウィンドウェイが狭く、息が水滴となって、
音をかすれさせやすいという弱点をもっています。
一緒に並んで吹いてみると、その落差に驚嘆させられます。

ビゼーのオペラ「真珠とり」に、
テナーとバスのすばらしい二重唱があります。
その二重奏をスカラ座に出演したこともあるバスと、
音大1年生のテナーが一緒に歌うほどの落差だったのに、
今日は部屋の湿度、温度が適切だったのかも知れません。
ときには、澄んだ音だって出せた、そう思いたいところです。

以前、シュワルツコップが日本の若い歌手の卵たちを
レッスンした際のドキュメンタリーを観たことがあります。
教え終わった歌手に向かって、にこやかに、
「よかったですよ。
今後はアマチュアとして音楽を楽しんでくださいね」
言いにくいことを明るくやさしく言い切ったことでしょうか?

10人中9人は激しく断崖から転げ落ち、
立ち直ることはできないまま、
シュワルツコップのアドバイスに従ったことでしょう。
でも、私はそのとき思ったのですが、
そうはならないかも知れない。
この一言が重く強靱な、生涯忘れ得ぬバネとなって、
シュワルツコップの教えを素直に我がものにして、
優れた歌手に脱皮成長したかも知れません。
冗談ではなく、本気でそう思いました。

私のようなお遊びの趣味でも、
優れた音楽家の優れた演奏に接すると、
奇妙なことに、なにか新しいエネルギーをもらったような感じで、
自分の演奏がどこか違ってしまい、まさにレベルアップ、
そんな経験を幾度もしたからです。

今回も、かなり強烈なインパクトを受けたようです。
ドルメッチのサウンドがかなりふっくらとして、締まりました。
気のせいかもしれませんが、
勢いにのって、YouTubeのビデオ、
ジャン・バティスト・ルイエのソナタ作品1の第一楽章の、
チェンバロソロで演奏するアルトリコーダーを主旋律として、
セカンドパートを演奏してみました。
気のせいかもしれませんが、
一昨日までよりもサウンドが締まり、
しっかりとファーストパートに追随することができました。

そして、続いて、ヘンデルのリコーダーソナタイ長調を、
チェンバロの伴奏で独奏してみました。
これもかなりの成功!
しっかりとチェンバロの伴奏を意識しながら、
第4楽章まで間違わずに弾くことができたのです!
チェンバロが1拍ないし半拍お休みの間に、
リコーダーが音を際だたせたり、
逆に、こちらがチェンバロを支えたり、
そんな気分を味わうことができました。

生まれて初めて!
弾き終えて、感動に胸を熱くして、
身じろぎもできない私!
というのは、ちょっと大げさですが、
RJPグレートクラシックスとして、
リコーダー練習用CDをどっさり作り出してくださる
制作者の石田誠司さんに感謝の気持ちで一杯。
闇雲に無伴奏で幾度も練習するよりもはるかに勉強になり、
他の演奏者と合奏する訓練にもなります。
初心者用として最高のレッスンCDといえそうです。

でも、感激している場合ではないのです。
2月11日、付虹先生の生徒たちの発表会の予行演習があるのです。
私は、「金瓶似的小山」という美しい独奏曲と、
揚琴伴奏付き二胡の名曲「陽関三畳」の伴奏を演奏します。
「陽関三畳」は2年ほど前に挑戦して、
途中でぐちゃぐちゃになってしまった、遺恨の曲です。
今回は再挑戦。
あのころの私じゃないんだ!
そう見せつけたいところですが、
それ以来、長く遠ざかっていた曲です。
もう一度しっかりと学び直さなければなりません。
明日、そのたった一回の合奏練習日なのです!
ああ、リコーダーどころじゃない!




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by hologon158 | 2016-01-29 16:37 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

630.02 ホロゴン外傅157「2015年1月9日ペッツヴァールが近江八幡をさらりと」2 カラーに転向



モノクロームからカラーに転向して、なにが起こったか?
ぜんぜん写真が撮れなくなったのです!

カラーらしくなるのに、少なくとも5年かかりました。
(ただし、今でもモノクロームを引きずっていますが)

なぜか?
理由を教えてくれる人も居ないので、苦しみました。
と言っても、ただの遊びの中でも苦しみなので、
まあ、大したことはなかったですが。

私は仕事でも、くだくだ悩んだりせず、
ただただ進め、進め!で一生通した人間なので、
専門でも遊びでも奥義に近づくことなどついにできなかった人間。
そんな人間にしては、一番悩んだ時期かもしれません。

そして、だんだんとわかってきました。
モノクロームとカラーでは、
もの、空間の見方、つかみ方がぜんぜん違う!

カラーでは、ともかくリアリティがそのまま眼前にあります。
すぐれたレンズを使ってもなかなか難しいことですが、
目は正確に色を認識し、これを写真に再現しようとします。
ところが、モノクロームは、実景と写真とはまるで違います。
さまざまな色が白から黒までのグラデーションのどこかに収まりますが、
色付きで見ている目のグラデーションと、
モノクローム写真のグラデーションはまったく違います。
濃い色なのに、モノクロームでは浅くなってしまうものもあれば、
浅い色と見えるのに、モノクロームでは深く沈むことがあります。
カラー写真では、ものたちがそのままの色と形で収まりまるのに、
モノクローム写真では、さまざまな面と線とが交錯し入り交じり、
別種の空間構造が浮かびあがるのです。

私がカラーに適応しにくかったのは、
私が知らぬ間に、実景をモノクローム画像に変換して認識する、
そんな視覚習慣を付けてしまっていたからなのだと分かったのです。

当時も今と同じで、私はどんな写真を撮りたいか、
あらかじめ心の中に絵を描いたりしません。
予期も予感も期待も絶対にしない。
その場にぶつかったなにかを撮る、それだけ。
いきあたりばったり。
でも、その場の光景がどんな写真になるかは、
即座に認知できるようになっていた。
でも、モノクロームに適した光景とカラーに適した光景は違うのです。

私がカラーで最初撮ろうとしていたものは、
モノクロームイメージだったのです。
カラーイメージとはまったく一致しないので、
撮れた写真はいつも当て外れになってしまったわけです。
そんなずれをなんとか克服するまでに少なくとも5年かかりました。
そして、幸運の女神が微笑んでくれました。
まさにそのころ、私はホロゴンウルトラワイドに出会ったのです。
それからは、ホロゴンのカラーを追い求めるようになりました。

だから、私にはカラーとモノクロームを使い分ける
いうような器用なことはできなかったようです。
それを自然に使い分けることができるのは本物の写真家だけ、
私はそう信じています。

アマチュアの方が時にはモノクローム写真を撮っても、
私には、ただカラー写真をモノクロに変換しただけ、
としか見えません。
たしかに画像は白黒なんだけど、
モノクローム写真の言葉を読みとることができない。
色がごちゃごちゃしてるので、モノクロームに変換してみただけ。

モノクローム写真は、白から黒までのダイナミックな処理と、
面、線の大胆な組み合わせが作り出す音楽。
カラーが交響楽だとすれば、
モノクロームは無伴奏チェロなのです。
まるで同じものじゃない。

吉田正さんの写真教室にモノクローム専科の女性がおられます。
この方はすでに5年以上モノクロームだけで撮って来られました。
もちろんデジタルカメラなんだけど、
最初からモノクローム設定でお撮りになっています。
だから、同じモノクローム写真でも、
近頃拝見するアマチュアのモノクロームとは一線を画する、
切れ味と深み、異次元の作品性が次第に備わりつつあるようです。

もしあなたがカラーとモノクロを使い分けたいとお考えでしたら、
一度よーく自分の胸に問いかけてみてください。
自分は両方の異種の認識を使い分ける能力があるかどうか?
なければ、モノクロームもカラーも「どっちつかず」、
というレベルに低迷する危険が潜んでいるかも知れません。

遊びなら、どうだっていいのです。
どんどん使い分けて、写真を楽しみましょう。
でも、もし本気で写真を撮りたかったら、
悪いことはいいません、
そんなことは止した方がいいですよ。




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by hologon158 | 2016-01-29 12:13 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

630.01 ホロゴン外傅157「2015年1月9日ペッツヴァールが近江八幡をさらりと」1 モノクローム




さて、今年初の撮影の2番手はペッツヴァールSVE100㎜F2.9
366枚中180枚ばかりセレクトしました。
ここでも、とにかく前口上は抜きにして、
ごらん頂きましょう。





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友人からメールで、写真仲間に尋ねてきました。
モノクロームはどう撮ったらよいのか?
カラーとどう使い分けしたらよいのか?
ひとまず考えたことを回答したのですが、
もう一度考えてみます。

私は写真歴の最初の12年間モノクローム専科でした。
当時は、写真は制作者がネガを原稿と扱って、
これにさまざまな手を加えて作品に仕上げるもの、
これが常識でした。
カラーは画像を撮影者自身がコントロールできないうえ、
ネガカラーの品質が悪いので、
使いものにはならないと考えられていました。

私も学生時代から白黒写真だけを撮ってきましたから、
宮崎に転勤して、アマチュア写真家を志したとき、
フィルム現像と引き伸ばしのセットを揃えました。
私は当時一流志向でしたから、
最初からかなりよいものを揃えました。
引き伸ばし機の機種は忘れましたが、富士。
ローデンシュトックの定評のある引き伸ばしレンズ、
ロダゴン50mmF2.8と80mmF2.8。
カメラも同じツァイスの名機、
コンタックスRTSⅡとスーパーイコンタ6×9。

ただちに写真クラブ「写壇はにわ」に入会。
当時、宮崎ではコンタックスを使う人は少なかったようです。
はにわでは私がはじめて。
みなさん、ニコン、キヤノン、ミノルタ、ペンタックス、
さらにオリンパスと、国産カメラ各社のユーザー。
最初から六切りプリントを出品したのですが、
他のレンズを寄せ付けないほどに生彩あふれる黒の締まりと、
それに劣らず、目を奪う白の輝きで、最初から好評でした。

私は当時から終始一貫して、ナチュラル志向でした。
カルティエ=ブレッソンの影響を受けて写真の道に入り、
今に至るまでずっと私の写真の神様は、
カルティエ=ブレッソンなのですから。
最初からノートリミング。
現像はあっさりと上げて、
引き伸ばしの際、F8に絞って、8から12秒程度露光して、
黒が締まるまで現像液を揺らし続ける、というシンプル手順。
実は焼き込みも覆い焼きもなし。
それで白から黒までしっかりグラデーションの整った写真ができました。

ツァイスレンズは一見シャープではないのに、
コントラストがよくて、立体感があり、三次元に仕上がるのに、
ニコンの写真が平板な二次元画像でした。
しかも、大伸ばしすればするほど、不思議なほどに、
ディテールが豊かになり、像がさらに締まります。

ポートレートをプラナー85mmF1.4のF5.6と、
ペンタックス6×7のF8で比較したことがありますが、
プラナーはそこに人物がそのまま居るのに、
ペンタックス6×7はディテールがやや崩れて、平板でした。
原版のフォーマットの大きさの差など、あっさりクリアー。
仲間の幾人かは約1年の間にコンタックスに転向してしまったほど。

12年間で3000本の35mmネガ、600本のブローニーネガを仕上げました。
月平均たった25分ですから、大した量ではありません。
その後、仕事の負担がますます増大して、
現像、引き伸ばしをする時間がとれなくなり、
泣く泣くカラーリバーサルに転向しました。
私がモノクロームとカラーの違いを実感したのは、このときでした。
★次回に続く★
by hologon158 | 2016-01-28 22:23 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

629.10 ホロゴンデイ156「2016年1月9日ホロゴン15㎜F8UFの近江八幡」10-完-源氏物語



日本の書道史の入門書を読んでいます。
「書の見方」
一つ不思議な言葉を見つけました。
書の大家藤原伊行の「夜鶴庭訓抄」の言葉、
「物語は能書が筆を執るべきではない」が大きく影響して、
平安時代のには、物語を書写した古筆が少ないのだそうです。
鎌倉時代になって、ようやく能書家も物語を書写して、
手許において鑑賞するようなっていった。
「源氏物語」も鎌倉期の藤原定家本が代表的な写本。
(後述する事情があるので、定家が筆写したのは、
やっぱり写本だった可能性が高いでしょう)

でも、それ以前に、有名になっていたわけです。
平安期の物語文学、とりわけ「源氏物語」や
「竹取物語」はどうやって流布したのでしょうか?
石山寺に紫式部が源氏物語を制作した部屋がこれだと、
説明を受けた記憶があります。
どこで書いたにせよ、紫式部はまず原稿を書いたうえ、
自分なり近辺の人なりが紙に丁寧に書き移し、
完成すると、一巻ずつ綴じたはずです。
当時、物語を営利目的で作り出したとは思えませんから、
紫式部がこうして完成したのはたった一冊でした。
でも、とにかく当時は手書き以外には、
文章を他人に読ませる手だてはなかったわけです。
だから、書写したことは間違いがない。

おもしろいとわかれば、誰もが自分一人で読みたい、
親しい友にも見せてあげたいと思って、
喜んでコピーを作ったことは疑いがありません。
はるか後代の江戸時代でも、杉田玄白も福澤諭吉も
自分では購えない貴重な洋書全部をせっせと筆写したのですから、
平安時代にも同じことをしなかったはずがありません。

ちょっと話が逸れますが、
日本の奇書中の奇書が、沼正三『家畜人ヤプー』
濡れたように耽美的で精緻極まりない文体、
その根底に古今東西の古典への深い知識、
とにかくこの著者はただ者ではありません。
そこで、著者の正体が謎。
日本を代表すると言える程卓越した裁判官のペンネームだ、
というすっぱ抜きが流れたことがあります。
ご本人は断固否定して、未だに解決していません。

その裁判官が、稀覯本のサド小説を所蔵する人物を尋ねて、
フランス語だったかドイツ語だったか忘れましたが、
所蔵者に懇願して、
その本を全部筆写したという話を所蔵者が明らかにしました。
まだ、青焼きしか、コピーがなかった時代です。
稀覯本を青焼きするなんて考えられない。
でも、筆写までするというエネルギーは凄いですね。
筆写しかなかった時代の習慣が昭和まで残っていたわけです。

話を戻しましょう。
「源氏物語」はコピーのコピーが重なって、
かなりの量が流布したはずです。
「枕草子」だって、清少納言は、かなりの自信家ですから、
才女ぶりを当時の宮廷社会に誇りたいが故に、
あれだけの才気走った名文を陸続と生み出したのはないでしょうか?
「香鑪峰の御簾を掲げる」エピソードは、
清少納言のそんな性質を如実に物語っています。
彼女がエッセイを書き記すたびに、同輩がこぞって、
流麗な仮名文字を使ってこれを書写したことでしょう。

そして、思うのですが、
「源氏物語」や「枕草子」の当時の読者たち、
主に名門の宮廷、邸宅の女房たちと、
貴族の一門たちだったことでしょうけど、
写本をちゃんと読めたし、ちゃんと理解できたのです。
私には半分も(いや、せいぜい3分の1かな?)理解できないのに!
当時の文化の中ではふつうに理解できる言葉だったのでしょうけど、
紫式部も清少納言も漢籍の文章を下敷きに書いたり、
会話文のなかにこれを織り込んだりしています。
言葉そのものの理解も含めて、
当時の文学的素養、文化の高さを考えさせます。

これらのことを考えると、
一連の推論が成り立つようです。

①「源氏物語」や「枕草子」の写本を平安期に作成したのは、
いわゆる能書家ではなく、女房、女官たちだった。

②女房、女官たちにも能書家はいたはずですが、
能書家として世に認められた人は大変に少ないようです。
男性ばかりが字がうまかったはずがないから。
でも、能書家と認められるためには、
社会的地位のある男性でなければならなかった。
このあたり、歌人たちとは違う状況があったのかもしれません。

③そうすると、書は、歌よりも一段と高い条件、すなわち、
漢籍を初めとする高い教養を備えるべきものとされていた。

④でも、紫式部や清少納言も、
かなり高い教養を身につけていたことは文章から明らかです。
紫式部は、父が兄を教える場にいつも同席して、
兄を凌駕する賢さを見せて、
「妹と兄が逆だったらよかったのに」と、
父を嘆かせた逸話は有名ですね。

⑤ということは、紫式部たちはあくまで女房だったので、
識者とは認められず、たとえ、どんなに達筆であっても、
能書家に数えてもらうことはできなかった。

⑥だから、執筆者自身のいわばオリジナルも、
女房たちが盛んに筆写したものも、
いわば消耗品扱いで、大切に保管されることがなかったために、
どちらも幾度も重ねて写本されたものだけが幸運にも残された。

両書とも、女官が書いたということで、
地位の高い男性たちは読まなかったでしょうか?
そんなはずはありません。
どちらも読まずにはおれないほどの豊かな文学なのですから。
でも、読んでも、これを優れた書物であるなど言いたてたら、
馬鹿にされたのかも知れません。

うろ覚えですが、「紫式部日記」に一つ話が残されています。
道長に「源氏物語」のオリジナルを強引に奪い取られた。
そうなのでしょう。
でも、それは優れた文学を読みたいためではなく、
光源氏のモデルは道長であるという噂を知って、
どれ、ほんとかどうか、読んでみようか?
自分は人からどんな風に思われているのかな?
という、単なる好奇心からなのかも知れません。
このオリジナルはついに紫式部のもとには返ることなく、
消えてしまいました。
道長が「焼いてしまえ」と命じた可能性も考えられます。
唐の太宗が収集した王義之の書を、
全部自分の墓場に持って行ってしまったのは、敬愛するが故。
道長かそれともその跡継ぎの誰かが源氏物語を廃棄したのは、
源氏物語を嫌ったか、値打ちがないと思ったか、
太宗よりかなり低劣な理由からでしょう。

世界文学史上最高のレベルに位する、
世界最高の文章家の一人である紫式部が、
シェークスピアほども高い名声を得ることなく、
各時代の人々の熱い関心をよぶこともない理由は、
日本語で書かれたという事実にありますが、
日本人自身が源氏物語に全然関心を持っていないのですから、
世界に喧伝される可能性そのものがとても乏しいわけです。
これはとても恥ずかしいことだ、私はそう考えています。




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by hologon158 | 2016-01-26 16:41 | ホロゴンデイ | Comments(2)

629.09 ホロゴンデイ156「2016年1月9日ホロゴン15㎜F8UFの近江八幡」9 女性が粒選り



1月21日木曜日、吉田正さんの写真教室の続き
男性も素敵な写真をお撮りになりますが、
女性が粒選り、と言いたいほど、それぞれに出色。

まず、中国人の若いお母さん。
6歳の女の子を撮りだめておられます。
その作品5枚、いずれもあっと驚くほどに空気感と情感に満ちて、
娘さんがまるでドラマの中の女性主人公のようにすばらしい。
もしかすると、カメラやフォトショップに
美しいポートレート設定があるのかも知れませんが、
構図や瞬間までアシストしてくれるとは思えません。
こうなると、感性だけでは説明のつかない才能の差を感じます。

続いて、私が通っていた西宮教室から今回移ってこられた方。
多忙で、以前に撮った写真を持参したとのことでしたが、
とりわけ女の子を撮った横位置の作品は、
モノクロームに変換すればそのまま、
カルティエ=ブレッソンの作品と言ってもよさそうなほどに見事。
ポートレートの傑作「ウィリアム・フォークナー」ととても似た、
意表を突くデザイン。
「カルティエ=ブレッソン ウィリアム・フォークナー」で、
グーグル画像検索をすると、冒頭に出てきます。
フォークナーは画面右側に立っていて、右側を見ています。
視線の方向に空間を大きく撮るのが原則です。
心理的に窮屈となるからです。
ところが、フォークナーの足下に彼の愛犬2匹が居て、
フォークナーとは反対側を見て、見事バランスをとっている。
この方の場合も素材は違いますが、同種の釣り合いをとっている。
ご本人の感性の中に自然な釣り合い感覚が備わっているのです。
その他、一枚一枚、まるで異なるシチュエーションごとに
鋭い感性で最上の切り口を見つけておられます。

さらに、モノクローム専科の方の5枚も出色。
神戸の埠頭等を収めた横位置写真すべてに、
独特の方向性とスピード感があって、
この方も写真家としての資質十分。
近頃のモノクロームの98パーセントは、
カラーをモノクロームに変換しただけ。
でも、この方は違います。
数年モノクロームだけを続けておられる方だけに、
モノクローム写真特有の言葉で語っておられます。
このまま後10年もお撮りになったら、
見事なモノクローム作品展を開催できます。

一旦西宮教室をおやめになって、
吉田正さんの梅田教室開催に合わせて、戻ってこられた方も、
以前は21mm程度の広角を使って、
実に洒落て切れ味のよいストリートフォトをお撮りになって、
私はもとより、他の追随を許さない作家なのですが、
今、新しい境地に向けて、
意欲的に試験的作品をお撮りになっています。
プリントで持参されます。
前回はローキー、今回は超ハイキー。
吉田正さん、コメントの途中で、思わず拍手してしまわれたほど。

どうして女性たちは伸び伸びと冒険できるのでしょう?
不思議です。





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by hologon158 | 2016-01-26 11:30 | ホロゴンデイ | Comments(2)

629.08 ホロゴンデイ156「2016年1月9日ホロゴン15㎜F8UFの近江八幡」8 千年夢見る木



写真教室の生徒さんたち、きわめて個性的です。
異色の方の中に詩人までおられます。
詩集をいただきました。
アマゾンで売っています。

    千年夢見る木
    (尾崎まこと童話集)
            竹林館刊

背表紙の一言がすばらしい。
「あなたがあなたのままで強くやさしく生きるために」

この言葉のすべてがきわめて難しい。
「あなたがあなたのままで」生きることがでいる人って、
この世に幾人いるでしょう?
「強くやさしく」生きることが、あなたにはできますか?
たいてい「強く非情に」か、
「弱くやさしく」ではありませんか?

詩人の目は輝いていました。
この方は本当に「強くやさしく」生きておられるのです。
吉田正さんもやっぱり「強くやさしく」生きておられます。

すてきな人たちに出会える場がこの教室。
教室が終わったあと、「ニューミュンヘン」で
一人、ビールとランチの舌鼓を打ちながら、
一つ詩を読んでみました。

「サクランボと大男」
すてきなすてきな詩でした。
心がほんのりとやさしくなれます。
私の孫たちにはまだ読めない、大人の心をあたため、
おおきく開いてくれる詩たちのようです。

もう一つ「林檎ランプ」
これもとてもやさしい心をうたっています。
この林檎ランプって、この詩集のことなのです。
もう一つ「誰なんだろう」
もうしわけありませんが、引用させていただきます、

  「林檎ランプ」

    あなたは誰なんだろう

    みんな寝静まった
    真夜中
    満天の星座が
    天井であるような
    大きな図書館で

    一番つつましい
    一冊を選び
    ていねいに
    ページを繰っている
    温かな
    指のあなたは

詩人が意図したとおりだろうと思うのですが、
私は、私自身のことをお書きいただいた、
そう直感しました。
「一番つつましい一冊」って、裏通りの路傍のことなんだ。
「ていねいにページを繰っている温かな指のあなた」
そんな裏通りで、住民のみなさん以外には目を留める人もない、
うらぶれ、薄汚れたロボグラフィたち一つ一つに丹念に挨拶して、
写真に撮らせていただいて、幸せになっている私のことなんだ!

尾崎さんは、まだ写真を撮りはじめて間がないとのことなのですが、
すでに詩人らしい余白と予感に満ちた写真をお撮りになっています。
お会いする度にお願いしています、
「ぜひご自分の写真に詩を付けた詩集を出してください」
それができる稀な詩人でしょう。

吉田正さんは遠縁の詩人中原中也さんの詩に写真を協奏させて、
見事な写真集をお作りになりました。
尾崎さんは最上の師匠に入門されたのです。
これからが楽しみな作家。
こんな方もいる教室に参加できて、幸せです。




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by hologon158 | 2016-01-24 23:06 | ホロゴンデイ | Comments(0)

629.07 ホロゴンデイ156「2016年1月9日ホロゴン15㎜F8UFの近江八幡」7 離れたくない!



1月21日木曜日、吉田正さんの写真教室でした。
なんとまあ、コの字型に並べた机に16人一杯座りました。
3か月で定員に達しそうな勢いです。

吉田正さんはいつもすてきな言葉を紹介してくれます。
今回のストラヴィンスキーの言葉はロボグラフィそのものでした。

「真の創造者は日常のたとえつまらないと思うものの中に
重要なものを見つける能力を常に持つことで分かる。
発見するために特別な旅行をすることはないのである。
彼が求めるものは身の回り手のとどくところにある」

正確ではないのですが、ほぼこのようは言葉でした。
いつも近場をぐるぐる回って、
なんでもない路地裏で、路傍で撮れるものを撮る、
そんなロボグラフィに飽きることがないのは、
同じものを撮っても、いつも新しい発見があるからです。

撮れないということがなく、
撮り足りないということもない。
撮りたいとあらかじめ想定して、
これを探し歩くということがありません。
全部出会い頭の衝突事故。
私が「創造者」となるつもりはまったくありません。
ただの心覚えだけ。

一昨年8月1日引退して、第2の人生にどっと乗り入れた頃、
年に2、3回は海外旅行をし、
毎月1回は国内の小旅行を楽しむつもりでした。
とんでもない誤算でした。
中国の雲南省を旅して、
海外旅行はもう当分やめよう、という気分。
国内小旅行はついにせず仕舞い!

そんなところに行かなくても、写真は撮れます。
それは昔から分かっていたこと。
分かったことは、我が家を離れたくないこと!
末娘一家だけが関東にいるのが心残りですが、
彼ら以外、私の心を満たすものは、
我が家と我が家の周辺に全部ある!

ストラヴィンスキーの言葉に出会って、
私の第二の人生の舞台は私の近場にある、
そうますます確信を強めることができました。
こんな人生の大切なことを教えてくれる写真教室って、
ほかにあるでしょうか?




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by hologon158 | 2016-01-24 11:53 | ホロゴンデイ | Comments(2)