わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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633.06 ホロゴンデイ158「2016年2月16日高畑町をマクロホロゴンが一掃」6 ランダムロボグラフィ



2月25日、お昼は、行きつけの中国料理店に入り、
Aランチ900円(おいしい!)を頂きました。
午後1時出発。
通天閣商店街のあたりをぐるりと一巡するだけで、
1時間かかりました。
撮るものがそんなに多いのです。
午後2時、行きつけの通天閣下の喫茶店に入ったとき、
撮影枚数は318枚でした。

いつも惜しいなあ、残念だなあ、と思うことがあります。
私の行きつけブログはみなさん優れた写真家たちです。
枚数も程度の差はあれ、かなり撮っておられるはず。
でも、ブログで拝見できる写真は選ばれし少数者たちだけ。

私の見たいのは、そんな傑作写真の前後の写真たち。
その方がどんな風にものを見るのか、どんな風に撮るのか、
分かるような気がするからです。

私の場合は、平均して60%ほどの写真を撮影順に並べています。
自分だけ手札をさらけ出しながらポーカーしているような気に
時々なりますが、
でも、どんな風に見せても、ランダムアクセス、
これだけを撮影スタンダードに撮っていることはバレバレ。
だから、と言って、どうってことはないわけです。
ロボグラフィって、そんなものでしかないのですから。

ランダムロボグラフィ
これが写真コンセプトになりえないことは明らかです。
どこで撮ろうと、その町の気配、雰囲気を表現するものではなく、
せいぜい私自身の興味、関心、美意識、視線が明らかになるだけ。
これじゃ、ある町を表現するフォトストーリーにはなりません。

誰も、私がどう感じるなてことに関心を持たない。
だから、私は写真家には絶対になれないわけです。
だから、気楽に写真生活を楽しめます。

私の30年以上の銀塩ライフでもそうでした。
私のいわば裏面での楽しみ、心の開放、
それが私の写真生活の意義だったからです。
デジタルカメラに移行してからは、フィルム代がいらなくなり、
スキャンの手間も省けるようになって、
私のランダム傾向はさらに加速したようです。
ただし、撮影枚数は全く変わりません。
それは私の撮影リズムだからです。

モノクローム銀塩時代の撮影リズムは一日24本
(4本入り現像タンク6個分が最大枚数)、
つまり864枚がスタンダードだったからです。
なぜか一日撮影すると、ちょうどこの本数あたりに収まっている、
それが不思議なところでした。
若かったのです。
デジタル時代に入って、ほぼ同量の収穫を誇っていたのですが、
だんだん減少して400から700枚が標準に落ちてきました。
年なのですかねえ........





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by hologon158 | 2016-02-29 22:47 | ホロゴンデイ | Comments(2)

633.05 ホロゴンデイ158「2016年2月16日高畑町をマクロホロゴンが一掃」5 タンバール



2月25日木曜日、大和路快速で新今宮駅下車。
ただちに撮影開始。
名前は忘れましたが、
通天閣に突き当たる商店街を南下しつつ撮影。

反転して、行きつけの喫茶店に着きました。
「モーニングできますか?」
「時間過ぎました」
腕時計を見ると、午前11時3分。
大阪のおばちゃんだったら、言うでしょう、
「たった3分やないの、まけて!」
私は大阪のおっちゃんではないので、納得。

このなんでも「まけてしまう」精神が、
なあなあの精神を育て、日本を蝕んできたかもしれません。
近頃で一番解せないこと、それは、
清原が覚醒剤を使っているのを、
巨人のフロントは知っていたはず、ということ。
監督、コーチはもとより、トレーナーやマッサージ師は、
選手の心身状態を厳しくチェックするのが再重要なのですから。
わかっていたけど、それで仕事をしてくれたら、と、
目をつぶってしまったのでしょうか?

どうも球界の不祥事の淵源が巨人つながるケースが多すぎます。
野球人はあの広大な球場のすべての動きをただちに探知するほど、
目と心が観察に特化されている人々なのですから、
野球賭博にしたって、本来の野球人の動静以外のおかしな動きは、
ただちにばれたはずです。
どちらのケースも、明るみに出ると、
たちまち巨人という伝統の野球集団の不祥事となってしまう。
だから、どうも見て見ぬ振りをしたという疑いが濃厚です。
野球少年たちの夢を破る、あまりも薄汚れた事件が続きますね。

おっと、話が大きく逸れてしまいました。
タンバール90mmF2.2は重いですね。
しかも、開放付近中心で使いますから、
2段のヘリコイドリングを回して、
ピントを合わせるという力仕事も必要です。
かなり疲れました。

でも、びっくり仰天、

タンバール90mmF2.2はボケレンズの女王だった!

キノプラズマート系とは異なり、周辺が暴れたりしません。
画面全体にふんわりとベールがかかります。
エルマジ95mmF2.4とかなり似ていますが、
ぼけレンズとしての性格はこちらの方がはるかに濃厚です。

ペッツヴァールは中心部がとてもしっかりとした画像になります。
エルマジは、湿板カメラ用だったと見えて、
35㎜に使うと、レンズの中心付近だけを使うようです。
だから、ソフトですけれども、しっかりした画像。
いわば、坂本龍馬なみに闊達だけど、鋭いのです。

タンバール90mmF2.2はもっと茫洋として、鷹揚な雰囲気。
いわば、西郷さんのように大きな構えです。
当時の誰もが西郷さんの人間の大きさを測れなかったように、
タンバールというレンズも規格はずれの大きさ。

ソニーα7で使ったのははじめて。
仰天しました。
なぜそうなったのか、分かりません。
分かっていることは、タンバールが私に喜びを与えてくれること。

以前は、水彩画のようだと感じていた画像が一変しました。
完全に油絵のイメージ。
タンバールの使用上もっとも気を付けるべき点として、
誰もが言う言葉は、
「オーバー気味で撮ること、
けっしてアンダーにはしないこと」
タンバールらしいソフトフォーカスを活かす最上の方法。
でも、私がタンバールに求めていたのは、
ソフトフォーカスレンズじゃなかった!
私のお気に入りレンズの鉄則、メタモルフォーゼだった!
だから、ソフトフォーカスの撮り方をしていたのじゃ、
ピンと来なかったのも無理がありません。
レンズの使い方の常識なんか、忘れましょう。

前にも紹介しましたが、
私の別ブログ「レンズ千夜一夜」の写真をご覧下さい。
1523 ビッグニュース!!
(タンバール90mmF2.2って本当に夢レンズだったのだ!)
2枚目、これは何だか分かりますか?
確か、消防用のホースの栓。
油絵に描かれたかのような厚み。
思い出すのは、ヘクトール73㎜F1.9。
F5.6あたりに絞るとこれに近い厚みのある描写です。
まさにゴージャス!

私にまず閃いたことは、
ああ、これでブログ名が名実ともに揃う。
「わが友ホロゴン、わが夢タンバール」




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by hologon158 | 2016-02-27 11:25 | ホロゴンデイ | Comments(0)

633.04 ホロゴンデイ158「2016年2月16日高畑町をマクロホロゴンが一掃」4 デッドエンド



前回書いた劣化は、写真にもそれが顕著に現れています。

私が40年前に写真を始めたとき、
カメラに露出計など付いていませんでした。
露出計が別売りでありましたが、
そんなかったるいことなどしません。
シャッター速度と露出を自分で決めて撮りました。
どうするか?
シャッター速度と露出の関係を試行錯誤して体で学び、
現場で光を読んでシャッター速度と露出を一々決めていたのです。
レンズにオートフォーカスなど付いていません。
いちいちヘリコイドリングを動かして、自分で焦点を合わせました。
こうして、どんなシャッター速度と露出で、
どこにピントを合わせたら、
どう撮れるかをゆっくりと学習していったのです。

写真クラブの例会では、シャッター速度と露出が決まり、
主題にしっかりとピントが来ている作品が上位にきました。
そうでない写真がどっさりあったからです。
でも、そんな失敗例もまた学習に役立ったのです。

それが現代ではどうですか?
なんと言いましたかね、思い出しませんね、
おー、思い出しました、Rawに設定しておいて、
ただシャッターを押せばいい。
あとはパソコンで思うがままに画像を調整すればよい。
そのこと自体、なにもいけないことではありません。
でも、そんなすべて機械任せの撮影をする限り、
写真撮影の技術、現場での色と光を読むセンスなど、
上達するはずがないではありませんか?

たしかにピント、色、構図、雰囲気、すべてにおいて、
見事な写真を初心者のみなさんがバンバン撮っている。
みなさん、いっぱしのアーチスト気分です。
でも、私には、そんな写真の多くは腰砕けに見えます。
たしかに凄い。
私のダサい写真とはまるで次元が違います。
でも、なぜでしょうか?
私の心は躍らない。
私の心に何にも残さない。
底がないからです。
心が苦労していないからです。
決死の思いでシャッターを押していないからです。

報道写真がそうです。
確かに凄い画像。
でも、ぴりっとも来ない。
秒10コマかなにかで、映画を撮るように、ばりばりと連写して、
その中からセレクトしているだけなのですから。
一発必中の決死の覚悟などカケラも見あたらない。

すべてがそんな形で簡便至極のパフォーマンスで済ませてしまう。
余暇にあなたはなにをしますか?
ただテレビを見ているだけ?
なにもかもすべて自分の頭で解決し、
自分の体で成就したローラのお父さんと、
テレビだけ見るお父さんとの間には、
無限の違いがあるのではありませんか?

頭は生涯使い続けることで成長し発達します。
でも、現代人は本当に頭を使って生きているのでしょうか?
どうやら、頭も体もメカニズムに依存する度合いが高まるにつれて、
人間は存在理由をどんどん失いつつあるのではないでしょうか?

これじゃ、なにも人間なんかいらないよ、
自分で全部やれるよ、
いつか機械がそう宣言するかもしれないのです。

オバマ→黒人→奴隷、
こんな18世紀に爆破されてしまった古い固定観念を
いまだに持ち続けている弁護士・代議士って、
人類の自由と平等への戦いの歴史など勉強しなかったことは
間違いありませんが、それだけではない、という感じ。
ほんとに心と頭を使って仕事をしてきたのでしょうか?

受験戦争で、受験のためだけの勉強をして、
人間の本質も歴史も何も学んでいない人間たちが国をリードする、
お寒い世界です。

でも、彼らだけではありません。
私たち全員が自分の心と頭を自分で鍛える習慣を忘れつつある、
それが現代ではないでしょうか?

18世紀から20世紀前半までは、
人間の自由と平等を回復しようとする人間の苦闘の歴史でした。
20世紀後半から21世紀は政党、企業等の非人間的メカニズムが
人間を道具化し奴隷化しようと着々と布石に成功しつつある歴史。
私はそう読んでいます。

なぜか恐竜は1億6000万年も進化し繁栄しつづけました。
人間はヒューマノイドに進化してからせいぜい数万年にして、
自分が開発したメカニズムに痴呆化され、
支配権を奪われつつあるというのに、
便利になったからいいじゃないの?
楽しんだら、それでいいじゃないの、
だって、人生、短いんだし、がんばっても、意味ないもん、
と無気力化しつつあるのが現状。

「人間は万物の霊長」と誰かが言いましたが、
そうではなく、
「恐竜が万物の霊長」
「人間は生物のデッドエンド」
そんな感じがしてきました。




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by hologon158 | 2016-02-26 18:51 | ホロゴンデイ | Comments(0)

633.03 ホロゴンデイ158「2016年2月16日高畑町をマクロホロゴンが一掃」3 他力本願



月曜日、揚琴レッスンのハシゴ日でしたが、
かなり疲労困憊して、とても外出できる状況になく、お休み。
それ以来3日間、静養してきました。
そろそろ始動しなきゃ。
と言うことで、今日2月25日、撮影に出ました。
その報告はまた後で。

ちょっと愕然とするような考えを抱いたことを書きます。
この3日間、YouTubeもかなり観ました。
一つ、おかしなことを考えついたのです。

もしかすると、人間は段々ボウフラになって行くんじゃないか?

ロシアの映画に登場する歌のシーンをいくつか観たのがきっかけ。
ロシアの女性って、美しいですね。
そんな美しい女性がさまざまな状況下で、思索し、苦悩します。
ただ表情だけが写し出されます。
その表情だけで表現し、ドラマを生み出しています。
そう言えば、昔の映画って、そうだったなあ。

そう言えば、韓流ドラマもそうだったなあ。
チェ・ジウさんやイ・ヨンエさんが素晴らしかったのは、
顔の表情の豊かな変化だけで芝居ができたからです。
目の動き一つで、なにを考えているか、瞬時に読み取れました。
まるで万華鏡のように、心が揺れ動くのが見えました。

そう言えば、近頃は、韓国でも、
そんな芝居ができる女優が少なくなりました。
日本は?
かなり前から、いない。
アメリカもそうです。
(イギリスにはまだいるようですね。
フランス、ドイツになると、私の専門外)

だから、日本やアメリカの映画の潮流が変わって行くようです。
心のドラマから行動のドラマに、
内面のドラマから外観のドラマに、
これが現代的傾向のようです。

なぜなんだろう?
俳優の演技力が低下しているから、
かつてのようなドラマは撮れないのでは?
演技力が低下しているのは、人間的な力の減退故では?
日本の場合、政治家たちの能力の劣化は眼を覆いたくなるほどですが、
それは、政治家たちに観られる現象ではありませんね。
日本人全体が能力減退の潮流に追い込まれているからではないか?
そう疑いたくなります。

日本人だけじゃなさそうですが、
いわゆる先進世界での人の生活を見わたしてみますと、
もの、機会、他人、そんな他力に頼る比率が飛躍的に増大しています。
現代人の劣化の本質的な原因はそのあたりにあるんじゃないでしょうか?
他力本願になればなるほど、自力の必要性がなくなり、
一口で言えば、自分で考えることができなくなり、
自力を育てることができず、無能化しているのではないか?
そんな疑いに気付いて、慄然としています。

人間はなにかをすることで、能力を発達させてきました。
なにもしないで、能力など身につきません。

ローラ・インガルス・ワイルダーの「大草原の小さな家」に始まる、
一連のローラ・シリーズをお読みになったことがありますか?
著者の子供時代を描いた傑作文学ですが、
ローラのお父さんは一種のスーパーマンです。
大草原に開拓する農民としての体験と知恵を備えて、
家を建てることから、薫製を作ることまで、
どんなことも自分ですべてこなします。
子供の頃から体験したことをしっかりと蓄え、
自分の頭でどんな問題も解決します。
アメリカ人の理想「Help yourself」を一種実現しています。
お父さんが常にローラに教えたこと、それは、
なんでも自分で考えて自分で解決しなさい。
自分だけが頼りなのだ、ということ。
ローラはなんでも自分でしっかりと解決する女性に育ち、
さらには、見事な文学を残します。

現代ではどう教えますか?
しっかりマニュアルを読みなさい、
それでダメなら、ヘルプデスクに電話しなさい。
けっして、自分の頭、自分の力で解決しなさい、とは教えない。
これでは、一体、どんな大人に育つのでしょうか?
いつも誰かに助けてもらう大人に、ではありませんか?
次回に、別の例証を上げてみましょう。




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by hologon158 | 2016-02-25 22:51 | ホロゴンデイ | Comments(0)

633.02 ホロゴンデイ158「2016年2月16日高畑町をマクロホロゴンが一掃」2 発表会



2月20日土曜日、和歌山まで遠出してきました。
朝8時10分に家をでて、10時40分に目的地に到着。
私の揚琴伴奏の師匠、陳少林先生と、
その一番弟子の二胡演奏家の瓦野早紀子さん、
このお二人の二胡教室の発表会をコンサート形式で行ったのです。

私の出番は3曲。
「賽馬」と「八月桂花遍地開」の全員合奏の伴奏。
陳少林先生の独奏「良宵」の伴奏

先日の付虹先生の発表会で、独奏はめっためたに狂い、
伴奏は一応それなりに落ち着いて弾けた、
という先例があっただけに、緊張しました。
全員合奏は30数名もいるので、あがることもなく演奏できたのですが、
陳少林先生お一人の伴奏をするときのようには参りません。
なぜかテンポがずれたり、混濁したりと、かなり四苦八苦しました。

「良宵」の方は文字通り先生と百数十回以上練習してきて、
コンサートやライブショーでも幾度か伴奏しましたので、
なんとかきちんと伴奏できた感じがしますが、
まだまだ「なんとか間違わずに最後まで弾けた」という程度。
陳少林先生の演奏を盛り上げるところまでは
なかなかたどり着けそうにありません。

驚きがいくつかありました。

①先生お二人は無類に音程の正しい演奏家なので、
そのせいでしょうか、生徒さんの音程が
すべての曲目でぴたりと決まっていました。
だから、全曲、ちゃんと音楽になっていました。
これはとても難しいことなので、教え方がよほど良いのです。
(ちなみに、私の揚琴はとてもその域に達していませんから、
なおさら、驚き)

②陳少林先生の伴奏のお一人に古箏奏者がおられます。
先生の二胡の弟子なのですが、古箏も習っておられるのです。
その方が独奏しました。
絢爛優美な演奏で、圧倒的な印象。
控え室で聞いたのですが、和歌山の生徒さんたち、
驚異の表情で耳を傾けていました。
私は、と言えば、驚嘆と落胆のダブルショック。
私よりも少し前に習い始められたと思いますが、
私のはるか前を進んでおられる!

③陳少林先生の演奏も迫力満点でした。
「戦馬奔騰」と呼ばれる超高速の曲なのですが、
豪快にして爽快な弾きっぷりに、
生徒たち、沸き立っていました。

④でも、陳少林先生が優れた演奏をされるのは、
私にとっては幾度も体験したことですが、
もう一人の和歌山の先生である瓦野早紀子さんの進化は
強烈な驚き、喜びでした。
名前は忘れましたが、優美にして華麗な曲を演奏されました。
中国の二胡演奏家たちに一歩もひけを撮らない名演奏でした。
とにかく伸びやかで、天馬空を行くかのよう、
高らかで颯爽とした弾きっぷりでした。
二胡という楽器は、ヴァイオリンとよく似たサウンドですが、
見かけは似ていても、すべてにおいて異質な楽器です。
ヴァイオリニストでさえも挫折することがあるのは、
むしろ当然のことなのかもしれませんが、
素人が挑戦するにはもともとかなり無理な楽器です。
そして、どんなに音感の悪いリスナーでも、
演奏の良悪はたちどころにわかってしまう楽器です。
瓦野さんはピアニストで正しい音感をお持ちなのが、
手伝っているのかもしれませんが、
志と修練とが見事にマッチしない限り、
優れた演奏家になることは不可能です。
いつかリサイタルを開かれる日を待ちたいですね。

コンサートは、手拍子で求められたアンコールもあって、
お二人の先生方の期待したとおりの好評でめでたく終了。
折から激しさを増した雨のため、反省会なしに終わりました。
私は陳少林先生、笛の奏者の男性と三人、
生徒さんの車でJR和歌山駅まで送っていただいて、
地下街の居酒屋で3人だけの反省会。
海鮮料理などを摘みながら、中ジョッキ2杯を楽しみつつ、
話に花を咲かせました。





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by hologon158 | 2016-02-24 22:22 | ホロゴンデイ | Comments(0)

633.01 ホロゴンデイ158「2016年2月16日高畑町をマクロホロゴンが一掃」1 がんばってるよ!



別ブログ「レンズ千夜一夜」のNo.1519の記事、
ホロゴンマクロ!(ついにホロゴンはMマウントアダプタで万能レンズに?)で、
ホロゴンでマクロレンズばりの
超近接撮影が可能になったことを書きました。
Mマウントアダプタ付きソニーα7+ホロゴン15㎜F8Mのセット。
これをマクロホロゴンと呼ぶことにしましょう。

2月16日、親友のDAさんと高畑町から奈良町へ一巡しました。
もちろんマクロホロゴンをもって。

写真を撮る人間って、釣り師に似ているかもしれません。
特定の季節に、特定の獲物を狙って、ある特定の漁場に、
それにふさわしい装備を揃えて臨む釣り師は、
特定のコンセプトに沿って撮影する写真家に似ています。
ちょうどその逆の釣りキチもいるでしょう。
装具をまずそろえて、それで釣れたら、獲物はなんでもいい、
なんて無茶な釣りを楽しむ人がいたら、私そっくりですね。
たしかに装備で釣れるもの、撮れるものは違います。
だけど、たいていはなにかが撮れるものだし、
撮れたら、大喜びしてしまいます。
特定の獲物を狙う限り、空振りに終わる危険が待っています。

でも、似ているのはそこまで。
釣り師が釣れる獲物は限られています。
でも、ロボグラファーが撮れる獲物は限りがありません。
何が待っているか?
何が撮れるか、
どう撮れるか?
予測も期待も予感も予知も推量も概算もなにもできない。
被写体選択のコントロールは不能なのです。

たいていの写真家、カメラマンはそんな事態を好みません。
自分で写真を作り上げてこそ、作品創造なのであって、
被写体やレンズに撮ってもらう、なんて、
アーチストらしい生き甲斐にはならん!

私の生き甲斐は、数知れない私のお仲間たちと出会うこと。
みんな、浮き世の片隅でなんとか生きていて、めげていない。
やあ、がんばってるかい?
楽しいですねえ。
(私の写真をご覧になったら、「うん、楽しいね」とは、
言えなくなるかもしれませんが.......)





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by hologon158 | 2016-02-24 21:31 | ホロゴンデイ | Comments(0)

632.07 ホロゴン外傳159「2016年1月30日超ベス単が加美で華開いた」7-完-デンナー

2月21日に到着した私の新しいリコーダー、
デンナーのことを書きます。

この楽器の制作依頼を斡旋してくれたのは親友のAKさん。
彼は楽器への造詣がとんでもなく深い人です。
自分でも各種さまざまな楽器を収集し、
実際に演奏してきた経験が強みです。
彼の言葉の中に一つ実感のできない言葉がありました。
うろ覚えですが、
「名器とそうでない楽器の違いが一つあります。
たとえば、ストラディヴァリを聞いても、
他のよくできたヴァイオリンと違いがわからないものです。
専門家でもそんな聞き分けができる人はほとんどいません。
ところが、ストラディヴァリを弾くと、
演奏者はうれしくなってしまうのです。
いくらでも弾くぞ、どんどん音がよくなるぞ、
そう感じるのです。
ヴァイオリンに限りません。
楽器の名器はみんなそうなのです。
演奏心地がたまらなくいいのです」

千住真理子さんも、ストラディヴァリを初めて弾いたとき、
びっくり仰天したと書いておられます。
その名器デュランティは弾き心地がまったく違う。
音がホールいっぱいにわっと膨れ上がっていくようだったそうです。

最新作のバッハの無伴奏ヴァイオリン全曲には驚倒させられました。
他の演奏家たちの録音では、ヴァイオリンを美しく彩るように、
ホールトーンや残響音が録音されています。

彼女のヴァイオリンは違いました。
ほとんど残響音ゼロで、まるでSPのようです。
そのままデュランティがそこに鳴っています。
ここに千住真理子さんの強い意向が感じられます。
デュランティに色づけは要らない!
音だけを聞いてほしい!
そして、バッハを弾くことがたまらなく楽しい、
という気持ちが伝わってきます。

グリュミオーやシェリングのような滑らかさは不足しています。
もっとゴツゴツとした、生の感触に近いのですが、
これが私のバッハだという心意気が伝わってきます。

これと次元は違いますが、デンナーにそれを感じます。
最初の日、たった半日でしたが、1時間ほどずつ休ませながら、
4回、各15分ほど吹いてみました。

ほんとうは、すぐにバンバンと弾くのは禁物。
初日は10分程度に止めて、
順次エイジングをはじめなければならないのですが、
AKさんの言葉に助けられて、
「そんなに気にしなくてもいいですよ。
黒タンや柘植はすぐ割れます。
ローズウッドは強いですから、もっとラフに使えます。
割れても、杉原さんがちゃんとなおしてくれますよ」

上から下まで朗々と鳴ります。
これまでのアルトリコーダーとはまったくの別物。
「スギハラ・デンナー」、そう呼ぶことにしました。

昨日2月23日が3日目でした。
午前中は妻が隣室に居たので、音を潜めて鳴らしました。
とてもスムーズなのです。
午後は妻も階下に居るので、遠慮せず、
音量を高めてみました。
なんということでしょう?
これまでに経験したことがないほどの、
抜けがよく、軽やかで豊かなサウンド。

河中さんのお話では、
段々とよくなり、2年ほどでピークに達し、
そのままの調子が保たれるだろう、とのこと。
そのピークに達したら、
スギハラ・デンナーはどんな音になるんだろう?
もちろんどれだけ吹き込むかで違うでしょう。
真面目に正しく吹き込むこと、これしかありません。
楽しみです。




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by hologon158 | 2016-02-24 14:07 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

632.06 ホロゴン外傳159「2016年1月30日超ベス単が加美で華開いた」6-完-写真家吉田正


2月18日吉田正さんの写真教室で、
友人の画家平野遊さんの水彩画展「川向こうの街」の紹介を受けました。
3月3日から15日まで、奈良県葛城市当麻寺側の古民家ギャラリー。

吉田正さん、この画家の一番大好きな画家が
アメリカの画家エドワード・ホッパーだと話され、
幾枚か代表作を画面に投影されました。

彼の代表作は『ナイトホークス』(Nighthawks)
グーグル画像検索すれば、筆頭でご覧になれます。
私も大好きな作品です。
私は、勝手にこう読んでいます。

車も走らず、人通りもほとんどなくなって、
深夜を超えた頃でしょうか?
中央のカップルはもちろん恋人同士ですが、
なぜか、二人の間に隙間があります。
男性が女性に別れ話をおずおずと切り出した瞬間なのです。
女性は凍り付いています。

バーテンはグラスを洗っていたのですが、
男性の言葉に小耳にはさんで、
思わず「おっ」と顔を向けてしまっています。

美しい女性がよく見える位置に座った紳士も、
うつむて素知らぬ風情ですが、興味津々で耳をそばだてている。
紳士は、思わず顔を向けるようなことはしないのです。

男たちはハットをかぶったままです。
カップルの男は長居するつもりがないから、
もう一人の男性もちょっと一杯のつもりだったから、
そんなシチュエーションが私の推測を裏付けている、
そう考えてもよさそうです。

「平野さんはこのホッパーにかなり似た絵を描かれます」
もちろんホッパーは私の大のお気に入りです。
以前も何回か書きました。
でも、その絵を投影画面で見ていて、ふと気づきました、
「吉田さんのニューオーリンズ時代の写真も、
かなりホッパーを思わせますね」
吉田さん、苦笑して、
「実はずいぶん以前にも人にそう言われたことがあります」

アメリカの風土、文化の中で生まれる人間関係の空隙、孤独を
徹底的に描いた画家です。
そんな孤独の淵によろめきながら、からくも踏みとどまろうとする、
多くは女性たちの魂の切実なあえぎが聞こえてきます。
息苦しくなるほどに、濃密な絶望と切望のあえぎに満ちています。

文明が発達するにつれて、人間が都会でひしめきあえばあうほど、
人間関係は希薄となり、一人一人の人間は孤独の狭間に滑り落ちて、
逃れるすべを見失ってしまう。
公共の現代建築の設計理念は大衆処理を第一に置く傾向にあります。
大衆は水のように「流れ」として処理されてしまいます。
それであればあるほど、
一人一人の人間の心も感情も置き去りにされます。
でも、一人一人の人間はちゃんと心を持ち、
大衆として処理されることに多かれ少なかれ抵抗を感じます。
人間は自分の放り込まれた環境が自分をやさしく包んでくれないことに、
意識するにせよしないにせよ、違和感、疎外感を感じています。
自分の周辺の人間も、心を持った存在ではなくて、ただの環境と化した。
これが現代の人間環境というわけです。

こんな現代的傾向が進むにつれて、
偉大なアーチストの基本的なコンセプトは孤独、疎外となりつつあります。
アンドリュー・ワイエスとその周辺の人々にはまだ自然環境がありました。
だから、彼の絵からは、疎外よりも同化が色濃く漂ってきます。
どうやら都会がニッチだったホッパーにとって、
自然環境は避暑地的な意味合いを超えなかった感じがします。
自分のニッチにはなりえず、逃げ場にもならない。
だから、彼も彼の絵の人物たちも、
都会の孤独と真っ向から向かい合うより仕方がなかったのです。

吉田さんの写真世界は違います。
ホッパーと基底においては共通する都会であり、
イメージ的にはホッパーと共通するところがありますが、
よく考えてみますと、そうではあっても、
基調はあくまでも人間性の回復への強い志向にあります。
逃げ場のない孤独とどうしようもなく向き合う人間の姿ではなく、
孤独の中からなんとかして人間的な触れ合いをつかみとろうとする
強い意志が浮かび上がってきます。
だから、たとえ人間の姿がないシーンにさえも、
人間を感じさせられてくれます。

この流れは年々さらに太くなっていく感じがします。
人生をどこまでも肯定しようという意志が
ますます強くなっていかれるようです。
人よりも遥かに困難で苦しい人生を生き抜くことで、
ますます強靭な精神を育てつつ、写真にそれを反映させている、
これが吉田正さんの写真世界に力動感を与えています。

ホッパーの画集を繰っていると、だんだん息苦しくなってしまいます。
でも、吉田正さんの写真集のどれを繰っていても、
だんだんと元気が出てくるのは当然なのでしょう。
カルティエ=ブレッソンがそうでしたが、
吉田正さんほどに、写真に作家の人間、心がしっかりと
刻みこまれている写真はほとんど見ることができません。
私が私淑するもう一人の写真家の林孝弘さん位でしょう。

私は三人の写真を拝見する度にこう感じるのです、
「見ていると、笑いがこみ上げてくるな」
私にそう言わせる写真をもっともっと見たいものです。




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by hologon158 | 2016-02-23 11:59 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

632.05 ホロゴン外傳159「2016年1月30日超ベス単が加美で華開いた」5 吉田正写真教室



1月18日木曜日、吉田正さんの写真教室でした。
ほぼフルメンバーでした。

来る度に増す一つの印象があります。
受講者のみなさん、私も含めさせていただきますが、
すでに自分の撮りたい写真を撮りたいように撮っている!
見応えがあるのです。

いつもながら、びっくりさせられるのが、
中国人の若いお母さんのリンさん。
まだ小さな、とても美しく賢そうな娘さんとその友達の自然な姿を、
見事なポートレート、スナップに仕上げています。
文句なし。
娘さんが樹影がかかる壁に寄り添って立つシーンでは、
娘さんの横顔を含む影が壁に映る角度から撮っているで、
ポートレートが重層的に膨らんでいます。
しかも、露出の設定が見事なのでしょうか?
逆光なのに、娘さんの本来なら陰影の中に暗く沈むはずの顔が、
レフ板を入れたように、しっかりと明るく浮かび上がっている。
恐れ入りました。
間違いなく私よりもずっとセンスがあります。

もうおひとり、驚いたのは虫愛でる姫君のような女性。
雲や蜂の幼虫をわざわご自宅に飼って、
マクロレンズにチューブをかませて、
等倍どころか何倍も拡大して撮っておられます。
この虫や蜘蛛たちの顔がなんともユーモラスでかわいい。
異貌でありながら、
まるで人間の同胞のような印象で浮かび上がらせてくれます。
でも、この印象は正しいのです。
彼らは私たちの同胞、地球の仲間。
彼らが生きていける世界を護る、それが私たちの使命。

それなのに、地球上の資源を自分たちだけの利益のために
食いつくそうとする企業や政治家たちは人類の敵なのです。
アフリカの肉食動物やカラハリのブッシュマンは
猟場の食料を食い尽くすことがありません。
必ず半分は残るようにする。
そうすることで、猟場の生態系は回復できます。
全部食い尽くすと、生態系が下位のものに乗っ取られてしまい、
肉食動物やブッシュマンのように、
生態系の頂点に立つ存在は食料を失うからです。

そんな配慮の必要をまるで感じない現代人ははるかに馬鹿、
と言うより、その必要性が分かっているのに、
利益のために無視するのですから、犯罪。

おっと話が横に飛びました。
始まる前、見学の方がおられたので、私が案内しました。
教室への道すがら、
「吉田先生ご存じですか?」
「はじめてで、よく存じ上げません」
「すばらしい人間で、すばらしい写真家ですよ。
話が含蓄に飛んでものすごくおもしろい。
メンバーの写真もいいですよ。
20分と言われているでしょうけど、
最後まで楽しんでいただいて結構ですよ」
ただの生徒が言うことか?
これが私の悪いところですね。
でも、この方、ついに最後までおられました。
おそらく入会されるでしょう。
写真世界への最上の門の一つをくぐることができるでしょう。




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by hologon158 | 2016-02-22 23:35 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

632.04 ホロゴン外傳159「2016年1月30日超ベス単が加美で華開いた」4 ジュディ・オングさん



前回の学生がそうでしたが、
本職のプロを凌ぐ才能を示す人はいるものです。
優れた版画家として活躍しておられるジュディ・オングさんも
そんな方ですね。

すばらしい作品を続々と創造しておらえます。
「ジュディ・オングの版画」でグーグル画像検索してみてください。
その生き生きとした画像に圧倒されますよ。
本職も趣味もなにもかも一流どころか二流に達しなかった私としては、
うらやましいなんて思う域を越えています。
まさに不思議!
才能は一つの分野に限られない、
いくつもの分野に溢れ出る、ということなのかもしれません。

でも、そのダイナミズムをちょっと想像できる感じがします。
超々多忙な仕事の日々。
そうであればあるほど、心はどこかに、
リラックスの別天地に遊びたいという気持ちが募ります。
そんなとき、本当に心からやりたいというものが見つかった人にだけ、
このようなことが起こるのではないでしょうか?

ジュディ・オングさん、
ほんの短時間でも見つかったら、版画制作に没入し、
余裕が短時間であればあるほど、創造衝動は高まり、
彫刻刀は入魂の切れ味を見せるのではないでしょうか?
作業時間は短くても、常に余暇を見つけて没頭することで、
塵も積もれば山となるのたとえ通り、
陸続と傑作群を生み出してこられたのでしょう。
ここにも「継続は力なり」の大原則が生きている、
そんな感じがします。





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by hologon158 | 2016-02-22 22:35 | Comments(0)