わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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655.04 ホロゴンデイ166「2016年7月29日ホロゴンが我が懐かしの岡町に」4



久しぶりに鶴橋に来ました。
一人です。
この暑い最中に写真を撮ろう、なんて人はあまり居ないでしょう。
私にとって、写真に対する愛情は結婚の誓いの言葉そのものです。
「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、
悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、
晴れるときも、雨のときも、
これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、
その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
(ただし、わずかな修正がありますが)

鶴橋は、私にとっては、ロボグラフィの原点の一つ。
まあ、原点が何十とあるのですから、
なにが原点じゃ、減点じゃあ、となりかねませんが、
故郷と言った方がよいかも知れませんね。
これも何十とあるのはちょっとおかしいけど、
あるんだから仕方がありませんね。

鶴橋には大阪の庶民が生き生きと生きています。
私はエスタブリッシュメントの人間が嫌い
(pretty-bacchusさんは例外中の例外です)。
肩書きかざして威張る人間は、どんな階層の人間でも嫌い。
本音だけで生き、本音だけをしゃべる人間とだけつきあいたい。

私のロボグラフィが徹底的に底辺の世界で遊ぶのは、
それが一番伸び伸びと呼吸できる世界だからです。
念のために言いますと、
私は実のところ、昔で言うインテリ層の人間です。
本に埋もれ、仕事に埋もれて生きてきました。
でも、簡単に言うと、そんな層の人間には飽き飽きです。
なんにもできないのに、何でも分かっているような顔して、
批判と講評を講釈しているような人間とはおつきあいしたくない。
なんですって?
おまえがやってることはそれじゃないか、ですって?
うるさい!
ほっといてください。
私は日記を書いているだけなのです。
私は私の日記の中に君臨する無冠の王者なのですから、
言いたい放題、書きたい放題させていただきます。

現代は一億総評論家の時代です。
どんな階層の人間も自信たっぷりなご講釈がお好き。
でも、至高の高みからご託宣を下して、自分は涼しい顔をする、
そんなインテリの臭みはありません。
新聞かテレビの受け売りなんですから、
根拠などありません。
「僕知ってるんだもーん」と言い張っているだけ。
私はご託宣も受け売りもしたくない。
自分の頭で組み立て、自分の言葉で考えた文章を、
いわば垂れ流し状態にして、ブログに貯蔵したい。
まさに「心に浮かぶよしなきごと」をリアルタイムに記録して、
後年これを読めば、ああ、こんなこともあったんだ、
こんなことを考えていたんだなあ、と記憶を新たにしたい。

E.M.フォースターの「眺めのいい部屋」で、
フィレンツェの英国国教会の牧師がアメリカ人旅行客を揶揄します。
娘がローマのことを口に出すと、
父親が「ああ、あの黄色い犬が吠えていた町だね」と返した、
と言って、さも、大切なことを記憶せずに、
些末なことしか覚えていない旅なんて価値がないと言わんばかりに、
嘲笑するのです。
ローマであれば、バチカンだ、コロッセウムだと、
歴史的に重要な遺跡、施設こそ記憶に値するという杓子定規な精神。
でも、フォースターがこのエピソードを書き記した気持ちは、
どうやら「黄色い犬を覚えていて、なにが悪い?」
いきいきとした型にはまらない精神で生きてこそ、
ほんとに生きていると言えるのだ、ということのようです。
私もはっきりとフォースターとアメリカ人観光客の父親を支持します。
それでいいじゃない?
自分の歩いた道に自分流の道しるべを記して行ってこそ、
本当に自分の人生を生きることができる。
だから、私は、自分が果てしなく同じ場所に行って、
果てしなく路傍の種々をロボグラフィとして記憶することに、
言いしれぬ満足感を覚えるのです。
そう、この日、この場所で、こいつに出会ったんだ!




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by hologon158 | 2016-08-31 15:19 | ホロゴンデイ | Comments(4)

655.03 ホロゴンデイ166「2016年7月29日ホロゴンが我が懐かしの岡町に」3 特性のない男


若い頃、ロベルト・ムシル「特性のない男」に挑戦しました。
長大な小説で、かなり意味不明で途中で挫折してしまいました。
もしあなたがこれを読み通せたとしたら、
あなたはよほど変わっている、そう私は言いたい。

だめな小説ではありません。
でも、どうも意味がつかめない。
その中で一つ気になった言葉がありました。
うろ覚えですが、
主人公は壁があったら、必ず壁に袖をすって歩く、
そんな男だった。
特性のない男にもこんな特性があるようです。

でも、その特性が意味不明でした。
でも、年を経て、ときどき思い出すのですが、
なんだか分かるような気がしてきました。
なにも特記すべき業績もなく、無名でひっそりと生きる私も、
やっぱり「特性のない男」なんだ。

特性のない私でも望みを抱いてしまうものです。
何か自分の歩みの中に特記できることを残したい。
人に知られなくてもよい、
自分がある日、あるとき、ある場所で、あることをしたんだ、
そう言えるような行為で人生を埋めたい、そんな気持ち。

壁をすって歩いても、誰も気がつかないでしょう。
でも、自分は気がついている。
今日、僕はここを歩いているんだ、
そうしっかりと心に銘記する作業。
そうか、そうだったんだ、
僕は特性のない男と同じ生き方をしていたんだ、
そう気づいたのです。
日々平穏無事にルーチンをこなす生活も生き方です。
でも、私は一歩一歩足を踏みしめながら歩きたい、
できたら一歩一歩数えたい、そんな人間のようです。

ルーチンに生きる人にとって、
テレビや新聞は大きな意味があるでしょう。
2年に1度オリンピックを楽しむことも大きな行事なのでしょう。
私はテレビも観ないし、
オリンピックもときにネットニュースで楽しむ程度で、
私にとっては外の出来事。
私には、私の内なる作業をたゆまず続ける、
こちらの方が遙かに大切。

その点で、ちょうどドンピシャリ8年前の2008年8月に
本ブログを始めたことは大きな意味がありました。
日々たゆまず記事を作り続けることが、
私の第2の人生にとって大きな柱となりました。
目に見えて積み重なっていくのです。
こたえられませんね。

8年の間に、多くのブロガーが去っていったようです。
人生が変わって、ブログが意味を失ったのでしょう。
その人にとって、ブログは生きる行為じゃなくなったわけです。

でも、私のように、ブログを日誌と考える人間にとって、
ブログは生きる作業の一つになってしまいました。
写真ブログの場合、誰かに教えられました。
文章を付けるなら、簡潔に。
写真も厳選して。
人気ブログの大原則なのだそうです。
でも、その2つの原則を堂々と破って、なお超人気ブログとして、
君臨しておられるpretty-bacchusさんもおいでになります。

私の場合、起承転結のないだらだらとどこまでも続く文章と、
ただ単に撮影順にメッタヤタラに並べた写真は、
人を寄せ付けないバリヤー。
そのバリヤーの中で思いっきり思考の遊びを楽しみ、
自分の愛する写真たちをばんばんと見境無く並べて、
いつか見なおして一人楽しもうという目論見です。
気がついたら、容易に読み返せない量になってしまいましたが。

今困っていることが一つ。
★ブログの最初のホーム画面はとてもシンプルなのですが、
いつも最上段にこう書かれています。
「この管理画面は終了しています。
新しくなった管理画面をご利用ください」
新しいホーム画面を間違って開いたことが一度あります。
なんだか日々のアクセス数も表記してあるようです。
その表題があるのを見たとたん、別のページに瞬時に移行しました。
私はキーボード操作が猛烈に早いのです。

なぜ?
アクセス数など見たくないから。
いくら日記ブログだと割り切っても、
「11」なんて数じゃ、気勢があがりませんね。
いつまで旧ホームページ画面を使わせてもらえるのか、
分かりませんが、長くはないでしょう。
その時は、管理画面を瞬時にスルーできる手順を工夫するつもり。
確か右側にアクセス報告があったようなので、
設定画面を開くときは、当座は右側にマスクすることにしましょう。

それとも、ますます人が来なくなるような工夫をさらに工夫するか?
今でも、果てしない長文をまず掲載することで、バリヤーとしています。
写真も、最初の数枚で嫌気がさすようなものを冒頭に幾枚も重ねる工夫。
外野席「そんな工夫はいらん!
全写真、見る気が失せるものばっかりじゃないか!」
そうかも知れません。
長大な文章で埋まるブログですから、
どうやらネット検索にはかなり頻繁にひっかかるようです。
でも、試しにオープンしてみると、
まるで蜘蛛の巣にひっかかった赤トンボの気分におなりになるようです。
這々の体で逃げ出して、「わが友ホロゴン」は鬼門となる、
そんな具合のようです。
こうして書いている文章が意味、目的なんかない、
ただの頭とキーボードタッチの練習なのですから、
誰もまじめに読まないでしょう。
もっとも私にとっては、私が考えているすべてが私なのですから、
私のブログはますます大切です。
これだけ沢山の思案、思考を記録しているブログは、
pretty-bacchusさんと中将姫光学さんだけでしょうから、
我々みんなちょっと変わっているのでしょう。




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by hologon158 | 2016-08-30 12:43 | ホロゴンデイ | Comments(0)

655.02 ホロゴンデイ166「2016年7月29日ホロゴンが我が懐かしの岡町に」2 ただの銀メダル?

出来事の直後に書いた文章なので、
完全に時代遅れになってしまいました。
でも、折角だから、アップしましょう。

私は完全な運動音痴。
ほとんどの運動ができません。
かなり年をとってから分かったことですが、
どうやらこれは運動能力がなかったからではなく、
私がどんな運動も習わなかったからのようです。
私の父は、昔ながらの亭主関白で、家庭のことには一切くちばしを入れず、
だから、子供の相手ももちろんほとんどせず、
私にスポーツの手ほどきをしてくれたこともなく、
一方、私は子供の頃から勝ち負けを決めることは、
スポーツであれゲームであれ、全部嫌いだったからです。

長じて分かったことですが、
私は、精神の動きはかなり機敏で、
体も動きもかなり敏捷にできているようです。
とくに修羅場に強いようで、
私の職業は終始独断専行しつつ、
人を無理なく動かす必要のある性質の仕事でしたが、
どんな場面でも、誰が相手でも、論争に負けることなく、
口八丁手八丁のプロたち相手にイニシャティブを失うこともなく、
修羅場になればなるほど頭が働くタイプの人間だったようです。

だから、スポーツだって、正式に習っておれば、
人並みにはできる人間になっていたでしょう。
この10年、数cmから数十cmの距離を瞬間移動して演奏する揚琴を習ってきて、
覚えたのは、スティックの先端が弦の下に入り込んで、手から飛び出しても、
とっさにスティックを空中でつかみ取って、また演奏に戻るという、
まあ、ドジと言えばドジ、離れ業と言えば離れ業と言えるような技術だけ。
これも運動の一種だとすれば、まずまずの運動能力なのかも?

でも、実態は違いました。
小中学校を通じてひたすら本を読んでいたのですから。
おかげで、オリンピックだからと言って、
テレビにかじりついたこともありません。
オリンピックも見ないから、スポーツに魅力も感じない。
20年ほど前からテレビも無くしてしまったので、
余計にその機会はなくなりました。

ところが、パソコンでネット環境を楽しむようになって、
事情が一転しました。
YouTubeであらゆる競技を検索できるようになったのです。
私はもとよりあらゆるスポーツの競技内容、ルールなど無知なので、
関心はもっぱら人間にあります。
極限状況に立たされた天才たちが、あらゆる不利な条件をはねのけて、
志を貫徹する姿は美しく、また啓発的ですね。

近頃はスポーツ評論がかなり精密になったせいで、
一般視聴者もすべて評論家化して、
言いたい放題の論評がネットを飛び交いますね。
一番ひどいと思ったのは、レスリングの吉田選手について。
4個目の金メダルを逸して、銀メダルにとどまったことに対して、
敗因をしたり顔で分析したりする、
敗者をさらに踏みにじるような論評がネットにいくつも掲載されました。
でも、本当に起こった歴史的事実はオリンピック3連覇の後、
なお銀メダルを獲得したという史上稀に見る快挙を達成したことなのです。
他に何人の人がこんな快挙を成し遂げたでしょうか?

その間、吉田選手の階級の選手たちは幸せな環境にありました。
トップに成りたければ、
たった一人のライバルを研究すればよかったのですから。
レスリングの専門家と吉田選手に劣るとは言え、
いずれ劣らず天才に近い各国の選手たちは、
吉田選手のゲームをひたすら研究し続け、
彼女の弱点という弱点、取り口のシーケンスを研究しつくして、
その裏をかく練習を中心に各自奮励努力してきたのです。
一方、吉田選手は、各大会の決勝に誰が登場するかほとんど予測できないまま、
どんな選手が出てきても対応できるように、
人の幾倍もの努力をしなければならなかったのです。
4連覇をなしとげた伊調選手も奇跡的な偉業なのですが、
彼女以上に無敵を誇って、
女子レスリングの頂点として君臨し続けた吉田選手も
同じくらいに偉大と言わなければならない、私はそう信じます。

それにしても、柔道の野村忠宏と言い、レスリングのお二人と言い、
オリンピック史上に燦然と輝くアスリートを次々と輩出するのですから、
日本人の運動能力って、かなりのレベルにあるようですね。
伊調選手も国民栄誉賞をもらうでしょう。
吉田選手は3連覇した時点ですでに貰っています。
とすると、なぜ野村選手にはあげないのでしょうね?
どこか知りませんが、選出機構にゆがみがあるのでは?
国民栄誉賞は、その筋合いから言って、国民投票によるべきですね。





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by hologon158 | 2016-08-29 22:40 | ホロゴンデイ | Comments(0)

655.01 ホロゴンデイ166「2016年7月29日ホロゴンが我が懐かしの岡町に」1 吉田正写真教室

8月18日木曜日、吉田正さんの写真教室でした。

毎回前半は講師の講演ですが、これがいつも聞き応えがあります。
今回はアンセル・アダムズの言葉を紹介していただきました。
「アイデアがぼやけた写真よりも、
アイデアが鮮明なぼやけた写真の方がいい」

これはぼやけた写真ばかり撮っている私には力強い言葉。
ただし、私の写真が「アイデアが鮮明」かどうかは怪しいものですが、
「ぼやけた写真」であることは間違いがないからです。
ただし、アダムズほど常に鮮明な写真世界を展開した人はいませんので、
彼の言葉の後半は彼の写真とは無縁。
アダムズはアマチュアの指導も行った写真家なので、
そんな写真修行中のアマチュアたちへのアドバイス、警告だったのかもしれません。
私は、ボケレンズを多様するだけに、とても励みになる言葉でした。

アダムズは生涯ボケた写真など撮ったことのない写真家でした。
なにしろ作った写真家グループの名称が「グループf/64」
大型カメラのレンズの最小絞りから来ています。
パンフォーカスでびしりと全景を決める、それが彼のコンセプトでした。
開放原則、ピンフォーカスでたった一点を止める私とは正反対。
でも、「アイデアが鮮明であること」、
これを至上とする点では変わらないなとうれしくなりました。

ただし、もう一つの言葉は私の根本テーゼとは一貫しません。
彼はこう言うのです、
「ネガは楽譜、プリントは演奏である」
現代のRAW撮影に似ています。
ニュートラルに撮っておいて、
画像処理ソフトで自在に自分の意図にあわせて画像を調整する。
アダムズは、モノクロームプリントの際に、
画面の隅々までしっかりと浮かび上がるように、
覆い焼き、焼き混みの細やかな処理を丁寧に施したそうです。
どちらの場合にも、そのような精緻な画像処理が
本来の写真作品を創造するための不可避不可欠のプロセスである
という考え方が一貫しています。

私は写真を始めた頃から終始一貫して違いました。
モノクローム時代は最高にニュートラルなフィルム現像に心がけ、
引き伸ばしにあたっても、引き伸ばしレンズをひたすらF8に絞って、
あっさりと露光するだけ。
焼き込み、覆い焼きは一切しません。

デジタル写真の時代になっても、
カメラの設定をなにもかも最低に落として、
jpgで撮影し、レベル補正で濃度を整えるだけ。
写真は作品でも何でもない。
私一人の記憶の保存手段。

近頃知って、ときどき楽しむ遊びがあります。
私が2つのブログ名をグーグルの画像検索をすると、
iPhoneの場合はかなり沢山の私の写真が画面に並びます。
ああ、あそこにも行ったなあ。
ここではこんな面白いものが待ってくれたなあ、
などと、懐かしく回想することができます。
ブロガーの皆さんはおやりになってみたらいかがですか?





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by hologon158 | 2016-08-29 17:39 | Comments(0)

654.03 ホロゴン外傅172「2016年7月27日マクロスイター26㎜で吉野を駆け抜けた」3-完-神に近い



あなたは神の近くにいますか?

8月17日水曜日、外出。
妻に要急の郵便を郵便局から発送してほしいと頼まれたのです。
ついでに、ルーチーンの薬を診療所でもらい、
ついでに、目の軽い炎症用の目薬が残り少なくなったので、
眼科にも寄ることにしました。

まず、診療所。
書棚に本が並んでいます。
名言集がありました。
とてもよい言葉がありました、

「人生に耳を澄ませなさい。
人生が底知れない神秘であることに目を向けなさい。
心躍る楽しいときばかりでなく、
退屈でつらいときにも同じように、
手で触れ、味わい、匂いをかぎ、五感のすべてを用いて、
人生の神聖なる核心に至る道を探しなさい。
結局のところ、人生のあらゆる瞬間が肝心要めのものであり、
人生そのものが恵みなのです」
(フレデリック・ビュヒナー)

そして、

(万物の中で、静寂こそがもっとも神に近い」
(マイスター・エックハルト)

この2つの言葉、ぜんぜん別の場所に見つけたのですが、
かなり通じるところがありそうです。
キーワードはどうやら、
「耳を澄ます」

私が出会った先輩に「男の中の男」とうたわれる人物がいました。
この人、なにかを話そうとすると、じっと目を閉じて耳を傾けるのです。
そんな人と語り合ったことがありますか?
初めてのとき、うろたえましたね。
自分が発言することについて実はなんにもわかっていない、
そんなことが分かってしまうのです。
優れた人でした。

でも、ちょうど50歳で直腸ガンで逝ってしまいました。
彼を慕う人たちが追悼文集を出版しましたが、
彼のそのような真摯に耳を傾ける姿が多くの人たちを魅了したようです。
その態度の裏に見えるこの方の心映えは、
「この瞬間は大切です。
私は心のすべてを傾けてあなたの言葉に相対しています」
強健そのものの人でした。
でも、密かに育っていった癌に勝てなかった。

彼が残した教訓は、
いつ逝っても心残りのないように、
人生の各瞬間を全身全霊を挙げて生きること。
私はこのことを忘れないようにして生きてきました。
その一番大きな原動力となったのは、
いつも書きますアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドの言葉、
「あなたが行うことすべてを生き甲斐としなさい」でした。
彼はたくさんのサンプルを列挙しています。
その中には、眠ることも食べることも入っています。

バートランド・ラッセルは彼の弟子だったのですが、
彼の家に紹介したい人を連れていきました。
庭の芝生のところで仕事をしていると聞いて、裏に回りました。
芝生に小さな机を置いて、ホワイトヘッドは数学論文を書いていました。
二人は目の前に佇んで、気がついてくれるのを待ちました。
10分待っても、ホワイトヘッドはさらさらと書き続けたまま、顔を上げず。
畏敬の念にうたれた二人は、足音を潜めつつそっと立ち去ったそうです。
実は足音を潜める必要などなかったのですが。
どうやらホワイトヘッドは自分の言葉を実行していたようです。

私もそうしたいですね。
でも、難しい。
それができないのが凡人。
でも、それならば、凡人には凡人らしさはそのままに、
なんとか起きている間は本当にやりたいことをやり続けたいものですね。

眠るときはどうするの?
揚げ足取りがうまい方なら、そうつっこんでくるところですね。
ご心配なく。
私は、枕に頭を置いた瞬間に99パーセント眠りに落ちます。
一晩に必ず1ないし3回は目を覚まして、トイレに参ります。
愛する娘(猫ですが)の静も必ず目を覚まして、
トイレの扉の陰で待機し、
私が出てくると、扉を肩でぐいと押して、ドンと閉めてしまい、
鋭く、でも長く延ばした声で、
「ニャーーー(おやつちょうだい!)」
キッチンの隅のお皿に乾燥のカリカリを10個ほど落としてあげます。
そして、布団に戻り、またしても瞬時に深い睡眠に落ちます。

「午前2時に目を覚ましたら、もう眠れなくなったんだよ」
なんてせりふをよく聞きます。
私はこれをほとんど経験したことがありません。
あんまり悩みが多いので、
耐えきれずに深い睡眠に逃げ込む癖がついているのだ、
そう解釈することもできそうです。
まあそういうわけで、毎日忙しいですねえ。

牽強付会になりますが、
私が写真を撮るときは、もしかすると、神に一番近いときかも?
カメラを持って路地裏を、ストリートを彷徨うとき、
もうなにも考えない。
ただひたすら、目となって、ロボグラフィたちと相対します。
そんな気持ちにならないと見付からない、
そんなレアな体験を楽しむことができます。
私の写真をご覧になっても、みなさん、肩をすくめるだけでしょう、
このがらくたがどうしたの?
そう、あなたにはどうもしませんね。
私の、私による私のためだけの姿、表情、それがロボグラフィ。
私はその瞬間ロボグラフィたちと一体となっているだけ。



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by hologon158 | 2016-08-26 16:34 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

654.02 ホロゴン外傅172「2016年7月27日マクロスイター26㎜で吉野を駆け抜けた」2 化粧を落としたら?



先日、奈良教育大前の交差点に停車したバスから眺めていると、
歩道をさっと駆け抜けて、大学に吸い込まれていった自転車の女性、
とても美しい横顔でした。

でも、フッと感じたのです。
化粧を落としたら、どうなんだろうか?
かなり印象が違うんじゃないだろうか?

昔の化粧は美しさを引き立てる役割でした。
今は化ける道具なんじゃないか?
そのせいか、日本の映画スターたち、みんななんだかそっくりさんで、
私には区別が付きません。
そんな疑いを感じてしまいます。

ハネムーンのホテルの朝、
はじめて化粧を落とした新婦の顔にお目にかかって、
「わっ、失礼しました!
ルームを間違えました!」
なんて口走って部屋を飛び出してしまう男性がいるのでは?
そんなことを真剣に疑ってしまいます。

私の見方が意地悪すぎるのでしょうか?
私には女性の気持ちなど想像もつきませんが、
男性として思うに、化粧なしの普段着の女性が、
化粧をしてイブニングに着替えて美しく見えるのは当たり前。
逆に、普段着に着替えて、化粧を落としたときに、
美しい人が本当に美しい、そう思うのですが........

化粧の理想は、名前とは裏腹に、
化けるものではなくて、
美しさを補完するものであってほしい。

私の孫プリンセス2人は2歳と1歳、
まだ赤ん坊卒業したばかりの女性たちですが、
限りなく美しいですね。
肌そのものが滑らかに輝いているせいもありますが、
その表情がひときわ輝くときがあるからです。

どんなとき輝くでしょうか?
新しいものを吸収したとき、
心の底からうれしくなったとき、
なにか自分から人生最初の冒険をしてみたとき、
そんなときです。

よく考えてみますと、
女性が本当に心の内から輝きを見せるのは、
どんな年齢になっても、そんなときなのではないでしょうか?
本当の若さを決めるのは、外観の若さではなくて、
心の若さなのではないでしょうか?

だからと言って、無理矢理新しいものに挑戦しようと努力しても、
かなり背伸びしていて、無駄な感じがします。
心の奥底から湧いて来る関心、興味、志を素直に延ばしつつ生きる、
そんな人が美しいのではないでしょうか?

漫画「じゃりン子チエ」で、
絵の先生から「のびのびと書きなさい」と言われて、
無理矢理「ノビノビ、ノビノビ」と絵を描こうとして、
かえって萎縮している優等生を後目に、
本当に絵を描くのを楽しんでいる、劣等生の女の子の方が
遙かに生き生きとした絵を描けるのに似ています。
もっとも私のこんな考え方に同調する人って、
今ではほとんど居ないだろう、私はそう感じています。

一つ質問。
デジタルカメラ愛用者のあなたに尋ねましょう。
① 画像設定を、解像度を最低に落としたり、
シャープネスやコントラストをデフォールトから低い設定に移していますか?
② 銀塩時代のフィルム写真よりも
デジタル写真の方が色や精密感が格段に向上したと感じていますか?

①にはno、②にはyes、
こう回答する人が95パーセントでしょう。
①にはyes、②にはno、
こう回答する人は1パーセント、
残りの4パーセントはケースバイケースという回答に収まりそうです。

そこで、私は95パーセントの方にこう申し上げたいのです。
あなたの選択、生き方をどうこう言うつもりはありませんが、
そんなあなたが私のブログに来るとしたら、
私にはそのお気持ちはとても理解できませんね。
私の写真は、デジタル移行後もひたすら銀塩画質が夢。
残念ながら、どのカメラも、すべてのパラメーターを最低にしているのに、
なお、デジタル画質で、ときどきイライラさせられますが、
少なくとも、ツルツルピカピカではありません。

題材がフォトジェニックと言えるレベルを遙かに下回る、
まさにアンチフォトジェニックのレベル。
しかも、意味不明のロボグラフィがバンバンと出現します。
これらは、私にとってはイマジネーション・ゲーム。
眺めていると、さまざまなイメージが万華鏡のように浮かんできます。
肉眼でなにかを感じるから撮りますが、
私の古代レンズたちがさらにこのイメージを、幽玄な魔術で、
不可解な遊びに満ちた幻影に作り替えてくれます。

私は撮影後、いつも撮影画像をチェックするわけではありません。
とくにノーファインダーで撮るときは、
ピント合わせを必要としないので、
撮影時に腰だめで撮る関係で、
液晶は確認せず、かつマイナス1.5程度に落としているので、
撮影後も液晶画面ではよく見えないので、
撮影結果もノーチェック。
帰宅後もマックに数百枚取り込んだ後は、
時間がないので、満足に開いてみないのが普通です。
数週間後、もしくは数ヶ月後にブログの順番が来たときにようやく見ることが多い。
「やあやあ、初めまして!
わあ、こんなロボグラフィが撮れてたのか!」
と、新鮮な喜びを味わいつつ、ブログ記事を作っています。
つまり、私のレンズたちが撮ってくれた画像の最初の鑑賞者が私というわけです。

すべてが場所とレンズと時間の相乗効果が生み出してくれたプレゼント。
いつも書いていますが、「自分の写真」だと思わない。
というより、思えない。
プレゼントって、いつなにをもらっても、
うれしいものじゃありませんか?
しかも、「役人の子はにぎにぎをよく覚え」ではなく、
すべて無償のプレゼントなのですから、
喜びは純粋そのものなのですから。
だから、写真の趣味が永続し、
どんな写真も私に人生の喜びを与えてくれるのです。

私の写真をつらつら眺めて、
「どこがプレゼントなの?」
そう感じるとしたら、あなたはこのブログとは無縁です。
時間の無駄はよしましょうね。




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by hologon158 | 2016-08-24 23:19 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

654.01 ホロゴン外傅172「2016年7月27日マクロスイター26㎜で吉野を駆け抜けた」1 片手間ロボグラフィ



7月27日夏期休暇で帰省した孫プリンセス2号の一家と、
涼を求めて、吉野にドライブしてきました。
娘はプリウスを使っていたのですが、
孫プリンセス2号が生まれて、ルノーのカングーに換えました。
これが大成功で、とても快適なドライブを楽しめました。

ケルンの映画用レンズ、マクロスイター26㎜F1.1を
オリンパスEP-L1に付けました。
孫プリンセス2号中心のショートトリップなので、
246枚しか撮れませんでした。
なにしろロボグラフィの宝庫だったのですから。

かなりの枚数が車窓スナップ。
130枚ばかりアップしてみましょう。
今度は本格的な撮影に挑戦したいものです。




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by hologon158 | 2016-08-23 15:37 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

653.04 ホロゴンデイ165「2016年7月15日ホロゴンも祇園祭りをかすめた」4-完-感じる心を



ちょっと遡りますが、8月12日金曜日のことでした。
先週眼科医に受診して、
左目の眼球の表面のちょっとした炎症という診断を受け、
点眼薬を処方していただきました。

先週、点眼薬が4分1程度に減っていることに気づきました。
ほとんど治りましたが、まだ朝方ちょっと目やにが出ます。
念のため、もう一瓶頂こうと眼科を訪れたら、お休み。
掲示板に「お盆休み」と掲示。
なんだって?
お盆?
年中休みで、テレビ新聞も見ないので、
お盆のことも忘れてる!
ネットで調べたのですが、ちゃんと本日は「平日営業」と明記。
つまり、お盆休みはホームページには反映されていない。
最初に作ったまま、なのでしょう。

眼科でもお休みとるのか?
当たり前ですね。
でも、アベイラブルな人間ですから、
ただちに決意、
「よし、今ある点眼薬が終わるまでに、治す!」

近くの喫茶店でワッフルのモーニングをいただき、
ブログの原稿を1つ書き上げてから出発。
私の大好きな古い市場を撮影しました。
中華料理店のご主人が声をかけてくれました、
「いいの撮れましたか?」
ご主人、風景写真家なのです。
今でもタチハラの四×五を担いで奈良の朝の絶景を求めて、
山野を渉猟しておられるのです。
前にも2回お話をしました。
とても爽やかなお人柄で、話が合います。
今回は話し込んでしまいました。
昼食もおいしい焼き肉定食をいただきながら、
お客がいない間は夢中になって話し続けました。
おっしゃる言葉がいちいちごもっともです。

「なにか感じない限り、写真は撮れません。
無理して作った写真を見ても、なにも感じません。
どう撮ればよいのですかと尋ねられますが、
教えることなんかできません。
自分の心から湧きあがる何かがないと、写真なんか撮れません。
風景写真を撮りますが、
現場に行ってみないと、なにが撮れるかわかりません。
そんなものがこの世にあったのか、
と思うようなすごい光景が私を待ってくれています。
でも、自分が感じる心を持たないと、
その場にいても、なにも感じず、なにも撮れないでしょう。
一説によると、感じる心は300年前の先祖から伝わるものなのだそうです。
つまり、いくら勉強しても、無理ですよ」
私、
「私たちの先祖は実は20代も遡ると、100万人を超します。
300年というと、1世代25年で計算すると、12代前です。
それでも、沢山います。
(今計算すると、6144人)
そんな先祖たちそれぞれからよいものをいっぱい引き継いだのでしょう」
これは本当だと思います。
もちろん300年前という限定には根拠はないでしょう。
でも、感受性とかセンスは生まれつきのものであるとすれば、
遺伝的が要因が一番大きいと考えるのがよさそうです。
美しいものを感じる、そんな心が、
写真でも絵でも音楽でも、基礎的な条件ですね。

私にもちょっと遺伝されているみたいなのですが、
ちょっと方向が歪んでいて、人が美しいと思わないものでも、
なぜか美しいと感じる、そんな才能みたいですね。
きっとご先祖様も、誰にもアピールしないなにかを作っては、
一人悦に入っていたのでしょう。
でも、分かります。
そのご先祖様も、そんなこと、気にしていなかったでしょう。
でも、小便器をひっくり返して「これがアートだあ!」
なんてことはしていなかった、これは間違いないですね。
なぜって、私は自分の写真を、作品だとは絶対に言わないし、
まして、「これもアートだあ!」なんて絶対に言わないのですから。





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by hologon158 | 2016-08-23 02:14 | ホロゴンデイ | Comments(0)

653.04 ホロゴンデイ165「2016年7月15日ホロゴンも祇園祭りをかすめた」4 「Outlander」



数日前、iPodでの英語朗読が一作終わりました。
Diana Gabaldonという女流小説家の「Outlander」

20世紀の女医クレアが18世紀のスコットランドにタイムワープしてしまい、
恋をして結婚までし、あげくの果ては2人も人を殺す羽目に陥り、
激しく苦悩します。
あれこれと苦闘することで、
未来を大きく変えているのではないか?
信頼を置ける僧侶にこのことを打ち明けます。
すると、彼はこう言うのです。
あなたは20世紀においても、医師として、
命を助けたり、失わせたりしているではないか?
人間は誰しも、生きることで未来を変えているのですよ。

この回答はちょっと筋違いです。
クレアは自分もその中に生きている20世紀を
自分で変えているかも知れないのですから。

でも、人間は誰しも、生きることで未来を変えている、
このことは絶対的真実ですね。
確かに自分は微々たる存在かもしれません。
でも、この世界を支配する原理はチェーンリアクションなのです。
この宇宙はカオスであり、
カオスの一番典型的な例は、
「アマゾンのどこかで蝶々が一羽ぱたりと死んで地面に落ちたこと、
この出来事がウォール街の大暴落を引き起こした原因だった」
すべての行動がチェーンリアクションの中で起こり、
かつ、チェーンリアクションを変えるのです。
因果関係の連鎖から逃れるすべはありません。

私たちは、アマゾンの片隅の蝶々よりもかなり影響力のある存在です。
でも、それだけ私たちの行動、選択の一つ一つが引き起こす
チェーンリアクションが大きいとは言えません。
チェーンリアクションの本質は、
出来事の大きさは原因の大きさに応じて決まるものではないということ。
つまり、確かなことは、自分の行動がなんであれ、
なんらかの予測不能のチェーンリアクションを引き起こすこと、これだけ。
自分のある行動、ある選択(無行動、無選択も?)は、
はるか過去の誰かのある行動の影響を受けて起こったリアクションかも知れない。
でも、自分のこの行動、選択もまた、
未来に果てしない波動効果を引き起こすのです。

もしかすると、その果ての果ての源は、
神の「光あれ!」の一言だったかも知れません。
神はこの宇宙を創造するために、
この一言を発するだけで足りたのかも知れません。

ちょっと蛇足になりますが、
このように考えると、バイブルって、
実際に起こった宇宙の歴史を猛烈にはしょっていますね。
神はすべてに生き物の支配者として人間を創造します。
「神は自分のかたちに人を創造された。
すなわち、神のかたちに人を創造された。
すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」
これが天地創造の6日目なのです。
つまり、神は1日目から5日目までのプロセスを何十憶年もかけられたのに、
ホモサピエンスの創造にはわずか数十万年しかかけておられないのです。
それまでの間、生物たちを統べる存在はいなかったわけです。

しかも、せっかくお作りになった人類ですが、
かなり出来が悪いようです。
統べるはずの地球上の生物たちの大半をすでに滅ぼしてしまい、
残りも動植物を問わず早晩姿を消すでしょう。
頂点の捕食動物である人間だけが存在して、
下位のヒエラルキーの生物たちが全部消えようとしているのです。
あとは養殖と人工栽培だけで何十億の人類を養わなければならないかも?

神様は地上の生き物を統べる存在として人を創造したのに、
人類なしに何億年も栄枯盛衰しながらも存続してきた生き物たちを、
その人類が絶滅寸前に追い込んでしまう姿をごらんになって、
どうお感じになっているでしょうね?

生態系の頂点に立つ肉食動物たちは、狼にせよ鯨にせよラッコにせよ、
自分の生態系の生物たちを絶滅させないように、
意識的に自制することが報告されています。
ブッシュマンも同様です。
いわゆる未開の民とされる人たちはみんなそうでしょう。
なにが「未開」なのですか?
都会人たちの方がはるかに野蛮ではありませんか?
そして、その上におろか。

どうやら未開の民こそ神の付託を受けた民だったのでしょう。
ライバルを倒しつつ、目の前の獲物を残らずかっさらうことを
習い性とする蛮族たちは、神様とは無縁な鬼子のです。
だから、蛮族が地上を支配するようになって以来、
神は地上に姿を現すことがなくなった。
そんな感じがしますね。

もしかすると、「Outlander」のクレアのように、
どこかで現代の蛮族の一人がヴァイキング社会にワープして、
世界略奪の旅へと駆り立てて、現代世界を生み出し、
神の戦略を無に帰してしまったのかも知れませんね。




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by hologon158 | 2016-08-22 18:27 | ホロゴンデイ | Comments(0)

653.03 ホロゴンデイ165「2016年7月15日ホロゴンも祇園祭りをかすめた」3 イチロー讃



前回の続きです。
近頃一番優れた人間性を表した人はイチローですね。

私はテレビも新聞も観ないので、
ネットのニュースで知るだけなのですが、
どうやら42歳になっても、またレギュラーのポジションを失っても、
どんな状況にも即時に対応できるように、
全盛時代とまったく変わらないトレーニング、準備を
年がら年中継続してきたのだそうですね。

大リーグ史上もっとも高齢からキャリアを始め、
もっとも短時間に、もっとも高年齢で3000本安打の記録を作ったのも、
42歳というメジャー最高年齢でなお、
若いプレーヤーに優るとも劣らない運動能力を維持しているから。

そして、大リーグ史上稀に見る気品のあるプレーヤーとして、
アメリカ人たちから敬愛されているとのことです。
記録とか数字なんか問題じゃないのです。
人間として測りしれないほど大きな存在が今活躍を続けている、
アメリカ人たちは今さらながらそれを知り、
ベーブ・ルースやルー・ゲーリックのような伝説的なプレーヤーたちと並ぶ
不世出のプレーヤーを目の当たりにしているのだと悟りつつあるようです。
そして、思うに、その根底にはイチローの日常の生き方があるのです。

こんな風に考えてきますと、
今幸せか、幸せでないか、
自分の生涯が成功なのかどうか、
そんなことを思い煩う必要はないのです。

    ひたすら生き続けること、
    ひらすら誠実に今やるべきことをやり続けること、
    これが本当の人生なのでしょうね。

私たちの誰もが大いに見習うべきお手本がここにある!
だから、私も一歩から。
今日もブログを続けましょう。




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by hologon158 | 2016-08-21 15:30 | ホロゴンデイ | Comments(0)