わが友ホロゴン・わが夢タンバール

708.02 ホロゴン外傅214「2017年9月3日プラナー50㎜F2が奈良で輝く」2 ピッカピッカや



プラナー50㎜F2、
往年の殿様一眼レフ、コンタレックスの標準レンズです。
神様だって写ってしまうんじゃないか?
手に入れた当時、夢中になって使いました。

コンタレックス・スーパーがボディ。
まるでターミネターのようにメタリックに輝くボディ。
最初、フィルムバック仕様でした。
ハッセル同様に、複数のバックを持っていれば、
異種のフィルムを使い分けられる。
堂々たる偉観でした。
便利だ、と、一見思うでしょう?
ところが、フィルム交換の為には、
フィルムバックを一々はずさなければならない。
私の記憶では17かそこらの厳格に決まった順番で操作をしないと、
着脱ができない。

ジェット戦闘機が戦闘中にでも垂直落下し始めたら、
地面に衝突する前に機体を回復するためには、
50ほどの手順を決まった順序でやり遂げなければならぬ、
そう読んだことがあります。
手作業で運転していた昔のことですから、
戦闘中で、機体をどこかやられ、自分も負傷し、
なお敵の戦闘機に追撃されている状況で、
この手順を淀みなく完遂してしまう。
まあ、一種の超人なのでしょう。
今はコンピューターで自動化されているのでしょうか?

コンタレックス、それほどではありませんが、かなり厄介です。
でも、この操作、ハッセルよりもカッコいいのです。
この手順をパンパンパーンと流れるようにやってのければ、
まあ、一人前のコンタレックス使い。

ところが、数ヶ月ぶりに使うことがありました。
忘れもしません、鶴橋の市場の中でした。
5歳位の男の子が寄ってきて、私の前に座り込んで、
「おっちゃん、ピッカピッカやねえ」
このあたりは、私も得意満面でしたね。
ところが、フィルムバック交換を初めて、
幾段階目で、はたっと手が止まりました。
「次、どうするんだったかな?」
思い出さない。
このあたりは、実にかっこ悪い。
「おっちゃん、難しいんやねえ」
眠ってても、できると思っていたのに、
確かに眠っていてもできたのでしょうけど、
人が見ていると意識した途端、できない!
私は一人前のコンタレックス使いではなかったわけです。

これに懲りて、その後、通常の開閉式に変更し、
使い勝手は抜群に改良されたのですが、
その後、フレクトゴン35mmF2.4に出会って、
そのソフトな実在感に魅せられて、
以降は、剛毅精密路線から柔和茫漠路線に乗り換えてしまい、
いつしかレンズの大半とボディとは売り払ってしまいました。

でも、この50mmと、35mmはまだ持っています。
なにしろこの2本、神レンズなんですから。
「ここまで撮ることができるよ」という、
一種の指標として使っています。





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# by hologon158 | 2017-10-24 11:34 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

708.01 ホロゴン外傅214「2017年9月3日プラナー50㎜F2が奈良で輝く」1 横綱相撲


朧の名玉タンバールのシリーズの後には、
完璧な標準レンズのシリーズで平衡をとることにしましょう。

  ツァイス往年のフラグシップモデル、
  コンタレックスの標準装備、
  プラナー50㎜F2
  横綱相撲をとるレンズです。

なんで横綱相撲なんだ、ですって?
5回シリーズで奈良のあちこちを撮り歩いた写真から、
まずは、30枚少しざらっと並べて、ごらん頂くことにしましょう。
そしたら、納得していただけるでしょう。            



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# by hologon158 | 2017-10-22 23:08 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

707.10 ホロゴン外傅213「2017年9月9日タンバール90㎜F2.2生駒幻泳の1日」10-完-レッスン



昨日は大阪加美に参りました。
一番上の孫プリンスのピアノレッスンに付き合うため。
保育園から先生のお宅まで徒歩10分。
いつもこれが楽しみ。
孫とのおしゃべりを楽しめるからです。

歩きながら、先日の運動会では、
縄跳び走で目も覚めるような超高速を見せたのを褒めると、
自分でも分かっているという自信ありげな表情で、
「逆回しでも29回続けられるよ」
ぺぺ(私のこと)、
「じゃ、縄跳びでは保育園で一番?」
「いや、2回飛びを××ちゃんは××回もできるよ。
おれにはできない」
できることとできないことをちゃんと分かっている。
だから、天狗になりませんね。

それにしても、保育園という環境はうまく行くと、
子供達の切磋琢磨の場としては最高です。
2歳から6歳まで5年間もの長きにわたて。
同じクラスで30人近い子供達が付き合うのですから。
男の子、女の子入り交じって人間関係を体験します。
でも、最上級クラスになると、2つに別れるようです。
孫プリンスの親友はみんな男の子。
「前に結婚するって言ってた★ちゃんは?」
「★ちゃんはすぐ怒るから、いやだ」
すでに愛は冷めているようです。
「ふーん、★ちゃんはお母さんもすごい迫力だからねえ」
でも、「☆ちゃんの方がきついよ。
人のことなのに、いつもすごい言い方で怒るんだ」
女の子たちの口やかましさはすでに本格的になり、
男の子たちがそれに辟易するあたりまで、
大人の社会の縮図がすでに展開しているようです。
2人とも、孫プリンスが幼いときから好きだった子ですから、
長年の振る舞いを見るにつけ、
いつしか愛は冷めてしまったという感じ。

母親が懇談会で聞いてきました、
妹の3歳の孫プリンセスは、3歳児クラスのリーダー格だそうです。
当たり前かも知れません。
2歳半年上のお兄ちゃんといつもやりあっているのですから、
かなりの状況に対応できるようになっているからです。
関東にもう一人孫プリンセスがいます。
まだ2歳。
でも、この子は母親譲りのおませさん。
ママとしっかり抱き合ってお昼寝していると、
その腕の中からママを見つめて、にっこりしながら、
「ありがと」
もうママはメロメロになってしまいます。

このママの方も、私たち両親が別々ですが、
それぞれに海外旅行に出かけるとき、
最初に財布を取り出したときに、
メモが差し込まれていることに気づきました、
「パパ、気をつけていってきてください」
相手の気持ちを読んだり、推測できることはよいことです。
それができない人は、育ちも手伝って、
部下をいじめたり、頭ごなしにののしったり、と、
やたり威張りちらすものです。
こんな人、どんな人生を送っているのでしょうか?




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# by hologon158 | 2017-10-21 23:01 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

707.09 ホロゴン外傅213「2017年9月9日タンバール90㎜F2.2生駒幻泳の1日」9 未曾有の危機


人間の歴史は、非合理、迷妄、迷信、混濁、混乱の世界から、
合理、明晰、理解、開明、秩序の世界へと前進してきた、
そう要約できれば、世界は進歩し続けて来た、めでたしめでたし、
と、手放しで喜び合えるところです。
でも、実態はまるで、新幹線に乗っていたはずなのに、
気が付けば、雑草生い茂る線路敷きにかろうじて打ち付けられた、
錆び付いた単線線路をゴットンゴットン、喘ぎ喘ぎ走る、
トロッコ電車に乗っていた、そんな状況ですね。

あらゆることが袋小路に入り込み、
世界は開明されるどころか、暗黒世界へと転落していくようです。
科学は、世界の進歩、開化、発展に寄与するどころか、
世界を制御不能の暗黒の袋小路に追い込む道具となるばかり。

村長程度の頭しかない政治家たちは、
世界規模で流動し変動する政治経済に直面して、
村社会同様に、自分のさじ加減一つで動かせると、
「押してダメなら、引いてみな」式政策を展開して、
世界を動かしていると、愚かしくも胸を張る始末。

さらには、人間も宇宙もコントロール不能の未知の泥沼状態なのだ、
ということがますます明らかとなりつつあります。
地球は周期的に彗星の奔流の中に曝されていて、
しかも、どうやら21世紀は最も危険な周期に当たっているらしい。
その奔流は既に地球上の生物を二度絶滅寸前に追い込んでいます。
母なる地球、なんて生易しい存在ではありません。
人類の何千倍もの長期間繁栄と進化を続けた恐竜さえも滅ぼした、
太陽系と地球は、実のところ、人類なんて、
地球表面を這いずりまわる寄生生物以上の何物でもありません。

さらに、プレートの上に不安定にのっかった日本は、
火山噴火と地震の二重大災害の危険に曝されている。
世界地震学会が想定している現時点における最大の危険は、
なんと阿蘇山なのだそうです。
阿蘇山の下には計り知れないマグマが集積されつつあり、
やがてこれが地上に噴出したとき、日本列島全体がマグマに覆われて、
死の世界と化する危険性があるのだそうです。

さらに、富士山が東に向かって噴火すれば、
東京は、世界でも珍しい粘度の高い火山灰に覆われて、
交通機関はすべて壊滅してしまい、
東京は政治経済の中枢としての機能を瞬時に失ってしまい、
日本経済は容易に再起できない壊滅状態に陥り、
何千万という関東の住民は生活が困難となるどころか、
生存そのものの危機にさらされることになります。

長い間そうであったように大地にへばりつく程度の状態であれば、
大災害が人類に与える影響はかなり軽減されることでしょう。
でも、世界各地の都市に人口が集中し、
その都市のあり方も、天空、地下の上下両方向に発展した現代では、
大災害は都市の機能を壊滅させかねず、
流通機構を失った都市住民は、もちろん自活などできないので、
速やかに生存の危機にさらされてしまいうのです。

地球文明が発展し、人口が爆発的に増加すればするほど、
災害は、人類の破滅につながるダモクレスの剣となってしまいました。
要するに、踏んだり蹴ったりの世紀、それが21世紀らしい。

アメリカ合衆国政府もNASAも、日本政府もそろって、
上記のような危機の可能性を完全に無視しています。
このようなクライシスが発生する確率が計算不能。
予測不能のクライシスに対して、対策を講じたり、
予算を投入したりすることはできないからです。

怖い時代が来てしまいました。




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# by hologon158 | 2017-10-21 21:52 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

707.08 ホロゴン外傅213「2017年9月9日タンバール90㎜F2.2生駒幻泳の1日」8 静、受診


10月13日金曜日、
ちょっとあわてました。
昨夜、妻が愛する娘静(猫ですが)の顎の下に、
ちょっと大きめのかさぶたを見つけたのです。
「なんでもないって!」と抗議する静を移動ケースに入れて、
今朝一番で行きつけの獣医さんまでタクシーを飛ばしました。
もう7、8年ご無沙汰していた医院です。
静も弟のピッピも病気、怪我一切なしで来たからです。

静はまだこの世で一番かわいい美少女の一人。
他にも二人(こちらは人間)美少女が居ますが、
三人の優劣を決することは未だにできません。
でも、静、美少女なのですが、
時間の経つのは恐ろしいもので、すでに14歳!
それじゃ、人間に換算したら?
なんて口走る輩は許しませんので、そのつもりで。

獣医さん、ちょっと調べて、
「どうやら表面にできた傷の直り際という感じですね。
数日以内にはかさぶたがとれますから、
ご心配なく。」
ほっ!

ついでに血液検査もしていただきました。
待つこと10分、
「数値は全部正常です。
猫の場合(猫? いったい誰のことを言っているのだ?)、
この年齢では(どの年齢だ、うら若い少女に失礼な!)、
腎臓の数値が悪化することが多いのですが、
正常域です。」

一時はぞっとした私ですが、
静は純粋に少女のままなのだ、と再確認できた一日でした。

静、診察室から出た瞬間、
移動ケースの中敷き(妻の毛糸上着)にフードを見つけて、
その中に顔を潜り込ませました。
血液検査のために、一人、検査室に連れていかれて、
注射針でグサッとやられて、
かなりショックだったようです。

帰宅後、おいしいおやつを上げました。
ついでに、弟のピッピも少しもらって、ご機嫌。
この二人は私たちの大事な子宝なのです。

今朝、静を抱き上げて、顎の下を調べてみました。
たとえようもなく柔らかな和毛が美しく波うち、
かさぶたは影も形もありませんでした。
成長期の少女のように、快復が速いのです。
見上げる顔はちょっと迷惑そう。
彼女も忙しいのです。




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# by hologon158 | 2017-10-19 10:37 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

707.07 ホロゴン外傅213「2017年9月9日タンバール90㎜F2.2生駒幻泳の1日」7 ホメーロス



ホメーロスの「オデュッセイア」を読んでいます。
すでに10回以上は読んだ愛読書が10冊ほどありますが、その一つ。
岩波文庫の松平千秋訳は最高ですね。
完全に日本語の名文になりきっていることに、読む度に驚嘆させられます。
彼のクセノポンの「アナバシス(一万人退却)」も至上の名訳ですが、
オデュッセイアも一歩もひけをとりません。

よほどの才能と見受けますが、
原作者のホメーロスときたら、こちらはもう、けた外れの天才!
文学界における世界三大文章家を言えと言われたら、
私は躊躇なく次の三人を上げます。

   ホメーロス
   シェークスピア
   紫式部

いずれもその時代にあって、その後の文学をすべてあわせ考えても、
これ以上の奇跡的な文学を生み出した人はいない、
私はそう確信しています。

ホメーロスがなぜ奇跡的なのか?
文章を通じての性格描写、情況、出来事、精神状態の
完璧な文章表現、場面展開、筋立て、フィードバックを含めた、
読者の心をつかんで離さない表現技法、なにもかもが完璧、
そう言いたい位。
それなのに、ホメーロスは紀元前8世紀頃、
つまり、3000年近い昔の人なのです。

何度も書いていることですが、
その時代に文字と文学を生み出していた古代文明はほんのわずか。
それどころか近代になるまで、
世界中の諸国の識字率はきわめて低かったと言われています。
ホメーロスは、伝説によれば、盲目であったとか、
数人、少なくとも複数人の吟唱をまとめあわせた、合作であるとか、
とにかく諸説フンプンというところ。

でも、たとえば、ギリシアの神々にかんする記述にせよ、
トロイア戦争の経緯にせよ、
実に確固たる共通の土台が、
客観的に存在し伝承された史実の根幹があるように思えます。
人間の様々な美徳、体験を重ねて得られる体験、学習、
人と人との交わりから生まれる種々の感情、人間関係、
そうした人間にまとわりついた諸条件は現代と変わらない、
そう言いたい位に成熟し、深化していることが明らかです。

ホメーロスの作とされるもう一つの古代叙事詩の最高傑作、
「イーリアス」にも、
限りなく気高く、限りなく純粋な愛がいくつも登場します。
とりわけ、古代が生んだもっとも高貴な人間であるヘクトールと、
その妃アンドロマケのしばしの憩いのひとときの下りなど、
古今を通じてこれ以上に麗しいカップルはなかったのでは、
と思えるほどに、深い情感と、
来るべき不幸を予感しながら、その運命を甘受しようとする、
気高い諦観と人間性の香りに満ちています。

私は、この2冊の叙事詩は、後世さまざまに編集されたとしても、
その原作、その最高のオリジナリティは、
たった一人の人間の手によって作り出された、
そう確信しています。
こんなに凄い天才作家がギリシアに同時に二人も生まれて、
それが一人のホメーロスとして混同されるようになった、
なんて、およそありえない、私にはそう感じられるからです。

もし一人の天才作家の作品ではなく、
これが多くの物語作者たちの創作が時代を経てまとめられた、
とすると、共通の歴史、知識、文化の中で、
深い人間観察と高い文学性を備えた物語作者たちが沢山居た、
という、さらに驚くべき可能性を示唆することになりそうです。

さて、その一冊「オデュッセイア」ですが、
他のすべての叙事詩との違いは、
主人公やその妻ペネロペー、王子テレマコス等の重要人物は、
その内心の心の動き、内心と行動との落差まで細やかに描き出されます。

そして、物語の後半、オデュッセウスが、
圧倒的な敵が待つイタカに帰国してからの物語は驚異。
まさにドキュメンタリータッチの迫真のリアリズム。
現代のどんな冒険小説と比較しても、
サスペンスにおいては対等、
畳みかけるように起こる様々な出来事の豊かな雰囲気表現、
登場人物たちの人間性の豊かさ、品格の高さ、
そして、終始、まさに永遠のリアリティと言いたくなるほどに、
まるで自分が立ち会っているかのようなディテールの表現、
その隅々から香り立つ、極めて高い文学性、
これらに関しては、現代のいかなる作家にも優るとも劣らない。
つまり、作家は現代の作家たちに比肩し、あるいは凌駕するほどの、
洞察力と文才の持ち主!
3000年前の人間も現代人と変わりはなかったのかもしれない!

ホモサピエンスに進化してから現代までの何万年か、
生物的には何一つ進化した部分はない、と言われています。
文明の進展にともなう人間関係の複雑化、
生活の多様性等のなかから生まれる、
以前にはなかったような関係、感情、生き方などはあるでしょう。
でも、「オデュッセイア」「イリアッド」「春秋左氏傳」
「論語」「史記」等の古典を読みますと、
本質的な人間存在の人間関係、感性、感情、徳性、等々の人間的条件は、
ギリシアや中国ではすでに明確に豊かに深化していることは明らかで、
そうだとすると、他の諸文明でも、かなり古くから成熟していたけど、
それを記録する文字がなかったために、伝承されていないだけ、
という可能性を想定することも十分に合理性があると感じます。

というより、現代の日本、アメリカの政治家たちの低劣な人間性、
我執に満ちた独善的行動をみていると、
なんだかむしろ現代文明の発展にともなって、
人間性そのものは劣化の道をたどり始めているのではないか?
そんな疑いをますます強めつつあります。
人間は、実は深く静かなプロセスの中で、人間社会の頂点を極めてしまい、
人知れず台頭しつつあるメカニズムに取って代わられようとしている、
そんな可能性を真剣に考える時期にきてしまったと感じます。
そう感じるのは、私だけでしょうか?




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# by hologon158 | 2017-10-17 23:03 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

707.06 ホロゴン外傅213「2017年9月9日タンバール90㎜F2.2生駒幻泳の1日」6 低め安定


今回は私の5歳になる孫プリンスの話。

目下、パパとママは住居の購入を目指しています。
経済的な観点もありますが、
保育園のお友達と同じ学校に子供たちを行かせたいという企画。

先日、私の妻が候補地の検分を手伝いました。
小さな空き部屋が一階にありました。
妻が「ここに勉強部屋作ったら?」
プリンス、顔を輝かせて、
「うん、おれ、勉強する!」
妻、「なに勉強するの?」
彼、「野球の勉強」

4歳の頃から恐竜にはまり、ビデオをどっさり、
図鑑も8冊も買い込んで、
平かなのルビで、カタカナを自分で覚え、
百を超える恐竜の名前と分類(肉食か植物食か等々)、体長、
生息した時期(ジュラ期等)を正確に覚えていたのですが、
今は、阪神タイガースにはまってしまい、
選手名鑑をすり減るほど眺めて、
選手の名前、ポジション、打撃フォーム等を全部記憶しています。
もちろん大人用ですが、5歳でもなんとかクリアーしちゃうようです。
記憶力のおかげでしょう。
私の誕生日と年齢まではっきり覚えています。
保育園のクラスメート28名の姓名と生年月日等も全部暗記。

とにかく好きなことは海綿のように吸収してしまいます。
私は、子供の頃から一貫して、記憶力が弱いので、
理解力を鍛えました。
だから、なにかを思い出すためには、
想い起こすための努力がいちいち必要です。
ところが、孫プリンスはその必要がありません。
あなたが自分の名前を忘れないのと同じ、
瞬時にデータが浮かんできます。
私には絶対にできない芸当。

妻は孫プリンスに言いました、
「勉強部屋で勉強するのはそんなことじゃなくて、
たとえば、宇宙のこととか....」
この人もちょっとずれています。
なにしろ就寝前の読書が、以前は「淀どの」の研究本とか、
なぜか日清戦争関係書だったり、あるときは論語だったりしていたのが、
今では、多元宇宙論とか量子論とか。
自分の現在の関心を5歳の孫につたえようと、
子供用の宇宙関係本を盛んに買い与えている始末。
まだ、5歳ですよ。
実際に、すでに孫プリンスは宇宙にも慣れ親しみつつあります。

私は、苦手の教科については手も足も出ませんでした。
だから、その教科をとりわけ克服しようと努力した?
いいえ、一向に。
だから、塾には一切通わず、
自分の好みの教科だけで受験戦争を乗り切ったようなものです。
プリンスも自分で自分の道を切り開いて行くと期待したいものです。

近い将来、孫プリンスに勉強部屋が与えられるでしょう。
4歳の頃、恐竜にのめり込んだときなど、
8冊の図鑑をとっかえひっかえ取り出しては、
恐竜のことを頭に収めていました。
先日は、私に阪神タイガースの選手たちの打撃フォームを、
次々と実演してくれました。
まだ5歳で、野球の手ほどきもまだ受けていないのに、
フォームの違いを認識し、かつ真似することができる。
パパに「どう? 正確につかんでる?」と尋ねると、
「かなり正確ですよ。
ちゃんと特徴をつかんでますよ」
とすると、かなりの認識能力です。

5、6歳の男の子が父親の車を動かした、
という記事を以前も見たことがあります。
幼児の能力は見くびらないのがよさそうです。
むしろ私は疑っています。
日本の学校教育は、子供たち一人一人の才能を伸ばそう、
なんてことは絶対に目指していません、
「標準化」「平準化」「均質化」が基本であり、
特殊な才能を伸ばす機会は与えられません。
先生たちがそんな才能と無縁だからです。
天才とは苦しむものであり、
さまざまな特殊な才能は人を不幸にし、
社会の役には立たない、そうされているのです。

憲法無視の政党がどこまでも政権を維持できるのは、
日本の学校教育のお陰、そう言っても過言はないでしょう。
合い言葉は「安定」、ただこれ一つ。




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# by hologon158 | 2017-10-16 23:10 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

707.05 ホロゴン外傅213「2017年9月9日タンバール90㎜F2.2生駒幻泳の1日」5 美と人生と



10月11日水曜日、
午後12時45分、近鉄奈良駅近くの歯科で治療、
午後5時から新大阪駅近くのココプラザでリコーダーの練習。

まず、歯科治療ですが、バスが20分早く着いたので、
東向き通りをしばらく撮影。
ソニーα7には、
ライカの古い28mmFレンズ、
ズマロン28mmF5.6を付けました。

もちろん、すべてのレンズの原則、
開放オンリーです。
と、言っても、F5.6なのですから、十分絞り込んだも同然。
ズマロン35mmF3.5に似た、とても美しい仕上げの金属鏡胴と、
立体感と深みのあるイメージ。
方形のフードがとても良く似合います。
と言うか、ほとんどフードだけでその存在を誇示できる、
珍しいケースかも知れません。

洋品店の窓の窪みにおかれた観葉植物を撮っていると、
年輩の女性が背後から声をかけました、
「きれいな葉ですね」
ちょっと立ち話。
「私はこれが好きで、通りかかる度に撮っているのですが、
いつもどこかキリッとした品が際だっていて、
好きですね。」
「花を撮るのがお好きなのですか?」

このあたりで、会話の車輪が脱線します。
「いえ、道ばたのものなら、なんでも撮ります」
この回答は理解を超えていたようです。
写真は美しいものを撮る、
その美しいものとは、誰もが美しいと思うものに限られる、
これが一般のコンセンサスのようです。
美の基準の問題です。
上記の考え方は、いわば美の民主主義。
多数決で決めよう!

でも、私の感じるところでは、
美ほど民主主義が似合わないものはありません。
全世界の人がこれは美しいと断言しても、
私が美しいと思わなければ、
それは美しくはない。
逆に、私が美しいと感じたら、
全世界の人がこれは美しくないと断言しても、
美しい。
さらに、言えば、あなたがこれは美しいと思うものを、
全世界の人が異口同音に「その通りだ!」と叫んでも、
あなたは自分の感覚は平凡だなんて思う必要もないのです。
常に自分の感覚によって決まる、
これが美の本質ですね。
極度にプライベート。

でも、ぐらっとよろめく体験をしたことがあります。
10年ほど前、友人たちと写真展を開催したことがあります。
その一つを見に来てくれた知人が、
見終わったあとで、こうぼそりと言ったのです、
「実はあんたの写真、好きじゃないんだ」
私は愕然としたことを覚えています。
好悪は人それぞれなのですから、
私は、自分の写真を「美しいでしょ!?」なんて、
人に押しつけるつもりはありません。
でも、なにも私に向かってはっきり言わなくても、ねえ?
至上の美のみを美と認める人です。
自分には醜いものを平気で撮る人間には辟易したのでしょうか?

今、この出来事を思い出して、
はたと気づきました。
そうなんだ!
この世の中には、人が美と感じられないものを喜んで撮って、
ブログに掲載している人もたくさん居るでしょうけど、
こんな写真好きじゃない、いや、きらいだ、
そう感じる人がたくさん居るんだろうなあ。
そこで、フェイスブックにせよ、ブログにせよ、
大なり小なり、多くの読者が共感できるように、
自己主張をかなりセーブしている方が多いでしょう。

会議で自分の主張を通そうと決意している提案者は、
出席者たちに巧みに話を持ちかけて行って、
この際、賛成に回る方が流れに沿った動きだ、
そう感じさせるように持っていきます。
誰も、いきなり、
「私の提案に賛成するか反対するかは、あなたの自由ですよ」
なんて持ちかける人はいませんね。

私のロボグラフィブログ2つはどうやら、
この誰もやらないような提案をし続けてきたようです。
そうか、あのときの知人のように、
「このブログ、好きじゃない」
そう、たいていの方に思わせるように、
ひたすら自分本位にブログを続けてきたのですから、
あのときの知人のように、
「このブログの記事も写真も好きじゃない」
そう感じて、2度とアクセスしない人が居るかも知れない、
というより、大半がそうかも知れませんね。

でも、怪我の功名のようなもので、お陰様で、
一人静かにブログ人生を楽しんでこれました。
私にとっては、
これからますますブログが存在価値を増すことになりそうです。
というのは、高齢になればなるほど、
心も体も、劣化を防止するためには、心身どちらにせよ、
エクササイズ、トレーニングとなるような方法を沢山見つけ、
それらを絶え間なく実行しなければならない、
ブログは心の劣化の防ぐ、とてもよいメソッドだ、
そう悟っているからです。

その最高の実例がイチローですね。
誰も真似のできないような苛酷なエクササイズを、
一日も欠かさず続けてきたようです。
歴史に名をとどめるため?
私はそうではないと確信しています。
もしそうだとしたら、もうこのあたりのまさに絶頂期で、
名声に包まれて引退するのが最上の策ではありませんか?
年々、彼の出番は減り続けているのですから。
偉大なスタープレーヤーとしての記録を数え切れないほど
樹立してきたイチローにとっては、
代打の安打記録なんて、蛇足としか言いようのないデータ。

そうではなく、野球選手としての日々を重ね続けること、
これこそ、彼の最高の喜びなのではないでしょうか?
イチローの最大の願いはなにか分かりますか?
私には分かります。
「現役の大リーグプレーヤーとして死を迎えること」

私もそうです。
日々無為に過ごし、静かに朽ちていく?
とんでもない!




# by hologon158 | 2017-10-15 11:57 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

707.04 ホロゴン外傅213「2017年9月9日タンバール90㎜F2.2生駒幻泳の1日」4 過剰エネルギーで 


月曜日、親友のDAさんと佐保路を歩きました。
彼から尋ねられました。
「平素はどんなところを回っているですか?」

彼も奈良郊外に住んでいて、
今では定年退職後も仕事を継続しつつ、
週半分はフリーの身です。
佐保路と奈良市内を主な猟場として、撮影を楽しんでいます。
私とちょうど正反対で、「一発必中型」
好みの光景にぶつかると、
奥行きと高さのある見事な情景をしとめます。
いつも書いていることですが、
気配の写真家入江泰吉先生の衣鉢を継ぐような、
大和路の情感の写真家。
だから、一日に撮るのはせいぜい十数枚程度。

私は数で稼ぎますが、情感のこもった写真作品など、
間違っても撮りません。
だから、撮れるのは一山のロボグラフィ。
私だけが心を通わせる、プライベートメモ。

しかも、その撮り方はぐっと迫って、いきなり撮る。
主題と背景という構造はなくて、そのものずばりだけ。
同じルートを何十回とパトロールし、
同じものに出会って、
「おっ、元気にやっているね!」と、一枚撮ります。

撮るもの、撮り方が一緒なので、
マンネリに陥る危機を常にはらんでいます。
すでにマンネリなのでしょう。
でも、本人の心の中では、まるっきりそんな気分はありません。
この世の中、人がやることで、
マンネリ的なんだけど、マンネリにならないものがあります。
いくらでも見つかります。

野球のバッター。
ピッチャーが同じ位置から同じボールを投げ、
同じ位置に構えるキャッチャーのミットに収まる。
バッターはそのボールを途中でバットで邪魔をする。
ただ、それだけ。
でも、野球選手たちはおそなく何十万回とバットを振り続けて、
この邪魔の技を磨きあげます。

弓道もそうですね。
同じ距離にある同じ大きさの的。
同じ大きさの弓に同じ大きさの矢をつがえて、
弓を引き絞り、矢を的めがけて放つ。
この行為を何年も、何十年も反復します。

夫婦の交わりもそうですね。
何年も何十年も一緒に暮らし、
あきることもなく、この世の魅力的な女性たちにも心を動かさず、
夫婦もそうですね。
何年も何十年も一緒に暮らし、
あきることもなく、この世の魅力的な女性たちにも心を動かさず、
多くの場合、死ぬまで一緒に暮らします。
私なんか、まだ日々、妻に驚かされています。

つまり、同じことをしても、決して飽きないことがあるのです。
私にとっては、ロボグラフィがその一つ。
50年間、まだ飽きたことがありません。
というより、ますます面白くなっていく。
十年近く前にモノクロームフィルムを廃棄しました。
最初の12年間に撮り溜めた3600本。
廃棄する前に、フィルムをランダムに10ほど選んで、
光にかざして、チェックしてみました。
モノクロームを楽しんだ人ならおわかりでしょう。
白黒フィルムを光にかざすと、
ある角度でリアルが映像が浮かび上がります。
驚きました。
今と同じ、ロボグラフィが大半を占めている。

私の選んだ職業は最初からいきなり過重で責任の重い仕事でしたから、
写真ははじめからライバルとの競争ではなくて、
週末の撮影はまさに仮想空間に現実の責任の忘却、
生きる行為からの逃避、カタルシスだったのでしょう。

でも、いつも同じアイテム、空間を同じように撮るという行為は、
漫然と続ける限り、エキサイティングなときめきを誘うことがなくなり、
いつかは心をすり減らしてしまいます。

じゃ、どうやって、ロボグラフィを飽きずに続けてきたのか?
もちろん、私の特技によって。
私は記憶力に極めて乏しい。
このような人間は、撮影の際、
いわば記憶をゼロにリセットするのが比較的簡単なのです。
幾度も繰り返し撮ったロボグラフィを前にしても、
改めて、ぎょっとすることができます。
「わっ、こんなもの、見たことがない!」

そうできる一つの梃子が、
メタモルフォーゼに対する私のスペシャルな傾斜です。
ある現実のものを見て、自然に、
そこにはない空想的なイメージに置き代わってしまうのです。

たとえば、ゴミ箱は、たいていの方にとってはゴミ箱。
でも、私は、ときに、別のものを見つけます。
今日も大阪加美の下町の街角で、
なにかにギョッとしたらしく、
目を大きく開いて立ちすくむオバQを見つけました。
ジュース缶の収納ボックスでした。
そして、面白いことに、写真に写っているのは、
私の第一感どおりのオバQです。
でも、そう感じるのは私だけかもしれません。
こんなものを人に見せても、誤解を招くばかり。
だから、私は人に「見て見て」と言ったりはしません。

でも、ときどき、自分が写真の最上の楽しみ方を見つけた、
そう自画自賛したくなります。
だから、今もそうしているのですが、
まさにこれぞ「永久機関」の一種かも知れません。
他人の認知、賞賛を必要としない。
自分自身が努力をしなくても、
写真撮影のエネルギーが湧いてくる。
そのエネルギーがブログにもなだれ込んでくる。
きっとどなたにも付き合いきれない過剰の世界なのでしょう。
それでよいのです。
私はこの過剰エネルギーで人生を楽しんでいるのですから。





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10月5日木曜日、
奈良町に参りました。
今日は図書館通いの日です。
突然、近頃、ホロゴンとご無沙汰に気づきました。
ならば、いっそのこと、ホロゴン15mmF8Mを使ってやろう!
午後12時45分のバスに飛び乗って、高畑町で下車。
気の向くまま足の向くままホロゴン行脚。
さすがに使い勝手が良い!
いつもパンフォーカス、フォーカシングが不要なので、
他のレンズの1.5倍のスピードで撮れます。
私には、やっぱりホロゴン!
というわけで、今日はホロゴン15mmF8Mと深いおつきあい。

奈良町を歩いていて、一つ感じること。
中国、韓国からの旅行者が俄然目立ちますが、
若い日本人女性も増えている。
男性はかなり少ない。
若い男女の比率は5対1ほどでしょうか?
若い男たち、暇なときはなにをしているんでしょうね?

近頃は、超広角レンズを軽く使いこなす人が増えました。
ありふれた標準レンズの範疇に収まってしまったようです。
どなたもが気軽に使っているようです。
でも、一ついつも感じることがあります。
どなたも超広角レンズの活用法が限定されています。
広く大きな光景を撮る!

もちろん私もそんな使い方をします。
でも、超広角レンズの一番面白いポイントは、
超接近して、深く撮る、ここにあるのでは?

私がこう考えるのも、私の性格故なのでしょう。
友達づきあいと一緒。
広く満遍なく、ただのおつきあい、なんてつきあい方は、
まっぴらゴメン。
心を割って話せる、そんな交わりでないとねえ。

というわけで、今日はホロゴン15mmF8Mと深いおつきあい、
というわけです。

奈良町を歩いていて、一つ感じること。
若い日本人女性も増えている。
若い男性との比率は5対1ほどでしょうか?
若い男たち、暇なときはなにをしているんでしょうね?
私のように、ブログをせっせと作っているのかな?



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# by hologon158 | 2017-10-14 22:24 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

707.02 ホロゴン外傅213「2017年9月9日タンバール90㎜F2.2生駒幻泳の1日」2 いつも同じ



10月4日水曜日、
昼食の後、午後12時45分、歯医者さん。
午後5時、新大阪駅近くのココプラザでリコーダー練習。
2つの用件の間が抜けています。
みなさんはどう使うのでしょうか?
私の場合、空き時間は3つの用途にあてます。
① 歩く!
② 歩きながら、撮る!
③ 途中休憩時間がとれたら、ポメラで文章を書きまくる。
Yoshiさんには負けますが、
呼吸するように撮り、呼吸するように考えを巡らし、
呼吸するように書きたい、これが私の理想。

私のブログは、同じものが同じ撮り方で頻出することで有名です。
(この最後の句はただの装飾ですから、キッとならないでね)
人が来ないし、来ても、あまりにいつまでも写真がつながっているので、
いつも途中で挫折する人がほとんどでしょうし、
私の過去の写真を覚えている人なんか居ないでしょうから。

でも、問題は私自身です。
撮影者本人はいったいこの問題をどう考えているんだ!
と、厳しく追及されると、
ここは、やっぱり、正直に白状させていただきましょう。

私はその瞬間、まるっきり思い出さないのです、
その被写体を何度も撮ったことなど。
今向き合って、今撮りたい、ただそれだけ。
前に何度撮ったことも関係がない。

あなたを愛している誰かを見つめるとき、
「ああ、前にも見たから、まあ、いいや」
なんて、考えませんね。
飽きずに眺め尽くそうとしますね。
それと同じ。

しかも、私は写真家じゃないので、視覚効果を考えて、
慎重に光を読み、構図を決めて、なんてことはいたしません。
いきなり特定の場所にカメラを持っていって、
ノーファインダーの場合は、そのままシャッターを落とす、
ピントを合わせる必要がある場合は、
常時拡大表示してある液晶画面でピントを合わせ、
その瞬間にシャッターを落とす、
この2つのやり方で撮ります。
撮りたいものだけを画面いっぱいに撮り、
構図、布置など考えないのが私の流儀だからです。

ほんのときたま、記事を検索する必要があって、
以前の記事を見返すことがあります。
その機会に写真を見返します。
「下手だなあ」とか「もう少し構図を考えなきゃ」なんて、
けっして考えません。
「ああ、こいつにここで会ったなあ」と感慨に耽るだけ。
これも、恋人にあったときと一緒ですね。
ただ、見つめるだけ。





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# by hologon158 | 2017-10-12 11:14 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

707.01 ホロゴン外傅213「2017年9月9日タンバール90㎜F2.2生駒幻泳の1日」1 タンバール 


9月9日、友人3人と、友人の車に同乗して、
生駒市の南部を撮影しました。

車の使用は、普段しない撮影スタイルです。
「湯水とともに赤子を流す」という言葉がありますが、
「乗り物のスピードと撮影チャンスは反比例する」
これはある無名の写真好きの至言です。
私のことですが。

ある風景写真家は、助手席に座って、
バックミラーを曲げて、過ぎ去る光景をチェックしたそうです。
かなり危険な行為ですが、こうすることで、
高速で走る車中からでも、撮影ポイントを見逃さない、
そんな工夫をしていたのでしょう。

でも、こんなエピソードから、かなりの風景写真家は、
自分と風景とを分けて考えるのでは、と感じます。
入江泰吉さんは違ったようです。
その場の空気、情感、気配の中に自分を感じるまで、
じっとその場を感じ、その場に溶け込もうとされたようです。

ロボグラファーは、歩きながらですが、
その場、そのものになにかを感じた瞬間にシャッターを落とします。
感じない限り、シャッターを落としません。
心がどこかで結ばれていない限り、友人とは言いませんね。
それと同じ、私がその場のなにかに心が通じる感触があって、
はじめてロボグラフィが成立するからです。
つまり、とても内密のプライベートな交情の記録。
だから、外部に発表しても、理解して頂けないでしょう。

タンバールは、私にとっては大切なレンズ。
ロボグラフィにとても相性がよいレンズだからです。
誰かがあなたの愛する人を見ても、なにも感じないかもしれない。
それと同じ。
タンバールは私が感じたままの気持ちをその場に染み渡らせる、
そして、その気持ちは、他の人には無縁、理解困難、
そんな感じがあるのですから。




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# by hologon158 | 2017-10-10 23:33 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

706.05 ホロゴン外傅212「2017年9月6日ゾンネタール50㎜F1.1S奈良町幻想」5-完-ワクワク



9月30日は私の孫二人は運動会でした。
「ワクワクカーニバル」と銘打って、
保育園の子供たちがさまざまに演技します。

下から2番目のクラスの3歳の孫プリンセス、
初めての運動会でしたが、リラックスして楽しんでいました。
5人ずつ走る駈けっこでは、断トツの1位でした。
駈けっこするのなら、まっすぐ走るだけ!
3歳の子供たちの多くはなかなかまっすぐ走れません。
絶対にお兄ちゃんに負けないと決意している妹です。
今、なにをするのか、しっかり理解します。
だから、頭をしっかり立てて、
文字通りまっしぐらにゴールに向かって走りました。

5歳の孫プリンスは最年長のクラス。
5つも出し物があります。
その一つが縄跳びをしながら走るリレー。
運動能力が一目で分かってしまう競技です。
1回ごとにロープが足にからまって、
その場で止まってしまう子から、
韋駄天走りをしながら、その走りに合わせて、
ロープが完璧に回転している子まで。
ただし、そんな子は毎年、3、4人ですね。

孫プリンスはこの縄跳び走りが大好き。
1週間前にマンションの小広場でやってくれました。
ロープが孫プリンスの4、5cm前で地面にぶつかり、
孫はそのロープを後ろに引きながら回ります。
これじゃ、走れませんね。
ロープが長すぎるのです。
ロープが本人の足下直前に最下点に来るように、
ロープを調整しました。
あっと言う間に、孫は縄跳び名人に変身しました。
縄跳びしながら走れます。
その動きが足がしっかり延びて美しい。
これなら、縄跳び走も完走できそう。

本番は予想を遙かに超えていました。
全員が順番に縄跳びしながら、グラウンドを一周するのです。
大抵の子はうまく走れません。
きちんと縄跳びしながら走れる子もスピードはゆっくり。
孫プリンスの番になりました。
それまでの子供たちはどんどん順番に数メートル置きに出発。
でも、孫プリンス、先行の友達がかなり進むまで、
その場を動きません。
いきなり出発しました。
コマ落としをしたかのように、猛スピードで、
流れるように駆け抜けました。
その秘訣は直ちに分かりました。
たいていの子は肘全体を動かして縄を回します。
孫プリンスは、腕を下に伸ばし、手首をくるくる回していました。
私の周囲の人も一斉に驚きの声を上げました、
「あれ、なに?」
「早い! 早すぎる!」
「凄い!」
孫プリンス、自分が高速で走れるのを知っていたので、
スピードに乗って走れるまで、先行者が邪魔にならないように、
間隔を置いたのです。
もちろん、あっと言う間にスピードに乗り、
第2コーナーを回った後、直線で先行者は抜きました。
そのあたりの計算までして走れるのですから、
運動の勘はかなりのものです。

そこで思ったのですが、
子供の頃、教えてくれる大人が居たら、
私も運動嫌いにならなかったかもしれない。
父は家でも仕事尽くめでした。
母は4人の子供抱えて、
家事にやすみなく忙殺されていました。
学校では、どんな運動も基本動作を教えたりせずに、
いきなり本番でした。
体育の先生たち、基礎を教える気持ちなどなかったようです。
だから、運動嫌いの生徒は完全に置いてきぼりでした。

成人してからだんだんと分かってきたことですが、
私は別に運動音痴ではなかった。
ただ単に方法を習得する機会がなかっただけ。
でも、それが分かっても、運動嫌いが直るわけではありません。
まず、運動に必要な筋肉が鍛えられていない。
そして、長年、運動なしで生きてきたので、
別に運動したいとも思わない。

それでも、高年齢になるにつれて、
体を動かすことが大変におもしろいことがわかってきました。
そして、長生きしたければ、体を鍛えないといけないことも。
と言っても、別になにかスポーツするわけではありません。
よく書いていますが、
20年ほど前、膝がカクカク言い始めました。
私が毎朝必ずストレッチをするようになったのは、それから。

13年ほど前から揚琴を習い始めました。
楽器はすべて実は運動ですね。
全身を使うのですから。
楽器は順次、二胡、リコーダー、ハーモニカと増えていきました。
そして、すでに50年続けてきた写真。
これも私のようにストリート中心の人間は、
心も体も敏捷でなければ始まりません。
とくにこの10年ほどは路傍の草草を見つけて、
さっとしゃがんで撮るロボグラフィはとくに体力勝負です。
なんのことはない、気がついたら、
運動能力、とくに敏捷性を日々鍛えてきたようです。

10年前書斎の虫らしく、肩にほとんど筋肉がなかった私が、
今では、シュワルツネッガーのように、とまでは行きませんが、
とにかく首の周辺にも筋肉がついてきました。
一日中歩いても、ほとんど疲れませんし、
翌日には、疲れがぜんぜん残りません。

自分の身体がかなりどえらい変貌を遂げていることに、
私が気がついたのはつい最近です。
今では、身の回りでなにかが転げ落ちそうになっても、
次の瞬間には自動的に受け止めています。
要するに、ごく自然に動けるようになったようです。
心身ともにまさに現在の境遇、自由人にふさわしい人間に
生まれ変わりつつある、そんな気がしています。

これからが、私にとっては、本当の人生!
昔の人生を懐かしんでも、仕方がありませんね。
昔を今になすよしもがな、です。
残された可能性にすべてを賭ける、これしかない。
昔の職業、地位を鼻の先にぶら下げている人がいます。
「余を誰と心得るか?
先の副将軍水戸光圀なるぞ!
下郎下がれ!」
ご心配なく、我々みんな心得ていますよ。
私もあなたもただのおっさんであって、
それ以上でそれ以下でもない!

でも、こんな方と私はちょっと違いがありますね。
私はこれからの未来で自分の新しい人生を築く。
彼は過去の自分に恋々としがみついている。
新しい自分が欲しければ、過去の自分はあっさり捨てなきゃ!
彼は過去の全部が重石になってのしかかっていることに、
気づいでないのでしょうか?
自分の過去にばかり視線が行くので、
そんな方の目は沈みがちのようです。
きらきら輝いていないじゃありませんか?
今をワクワク楽しまなきゃ!!




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# by hologon158 | 2017-10-09 23:58 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

706.04 ホロゴン外傅212「2017年9月6日ゾンネタール50㎜F1.1S奈良町幻想」4 毎日訓練!


今回は、どなたにとっても人生で一番大切な基礎訓練のことを書きます。
何度も書いていますが、また、一纏めに書いてみましょう。

3週前から、突然思い立って、実行しています。
毎日必ず一回は、絶対に、歩く!
もちろん健康のため。

私の場合、決意したら、続けることができます。
かなりの方は、続けられないので、始めません。
でも、そんな方も本当は続けられるのです。
できないと思いこんでいるだけ。
そんな方もよくかんがえて見ると、
生涯にわたって続けてきたことが沢山あるはず。
たとえば、毎朝起きると、着替える。
歯を磨いて、顔を洗う。
朝食をいただく。
親のしつけかもしれませんが、
やっぱり、そうするのが必要、そうしたいから。
だから、結局、なにか新しいことを始めるときには、
それが自分には絶対に必要だ、有益だ、と思うことが肝心ですね。

私は、歩くことが絶対に必要、そう確信しています。
映画「七人の侍」に忘れられないセリフがあります。
略奪を繰り返す夜盗に業を煮やした百姓たちが、
自ら武器を取って戦おうと決意し、連戦錬磨の武士を雇います。
志村喬演じる老戦士は、百姓たちに走る訓練を施し、
こう叫ぶのです、
  「いくさとは走ることぞ!
   走れなくなるときは、死ぬときぞ!」

これは彼が体験して学び、実践して来た生存の極意ですね。
こんな貧困の村に雇われている身になったのは、
これまで幾度も敗北側にばかりついてきたせいなのです。
敗戦のなか必死で走り続けて落ち延びてきたのです。
勝利者側の兵士たちは打ち取った首の数で恩賞をもらうのですから、
必死に追いかけて来たはずです。
走れなくなった戦友、部下たちの多くは命を落としたのでしょう。

私たち人間すべてそうですね。
20年近く前、突然、膝がカクカクと音を立てたのです。
ちゃんと毎日歩いているのに、
ガタが来始めたのだろうか?
愕然としました。
そこで、何度も書いていますが、直ちにヨガマットを買い求め、
自分で思いついた腕立て伏せや腹筋体操や自転車漕ぎなど、
十種ほどのストレッチを10分程度、起床後欠かさず続けてきました。
肺炎のときだって、熱がない限り、続けました。

どんなことも、理想は呼吸です。
まったく意識していないけど、
やめると、それが命に不可欠と分かります。
そこまで必要性の高いことって、あまり多くないでしょう。
でも、つつがなく頑健であり続けることは、
しっかり呼吸し続けること!
これが長い一生の最大の希望条件。
妻を愛し、子供(猫を含む)、孫たちを愛すること、
写真を愛すること、
これらもそんな条件に私は数えます。

ストレッチの効用は、
単に体の柔軟性を高めることに限定されません。
体を鍛えることもできます。
両手を左右に振って、脇腹を思いっきり叩くこと、
この60回がストレッチの山場です。
最初は脇腹が痛かったのですが、今は「もっと強く!」

シャドウボクシングも取り入れました。
最初は頼りないものでした。
それがどんどんと中心にびしりと決まるようになり、
腕のスピード、確実性も高まりました。
最後に左右連打で締めますが、
その交替のスピードも格段に高速化しました。

効果の一つとして、
階段はすべて2段跳びあがりしますし、
路上走ることも楽々できるようになりました。

でも、考えました。
これだけじゃ、足りない。
水素吸引をずっと毎日欠かさず続けています。
これも健康を異常に高めてくれるようです。
第一の効能は、体内の悪性活性酸素2個と結合して水となり、
体外に排出してくれること。
第二の効能は、血行をよくしてくれること。
顔の血色が格段によくなりました。

でも、だからと言って、運動をしないで、
ぐーたらと食っちゃ寝るだけではだめでしょう。
ここでこそ、活発な運動、歩行が生きてくるはず。
そこで、夜30分から40分の半身浴も毎日絶対に欠かさずやってきました。
その間、マッサージ、エクササイズもやり続けます。
でも、まだまだ運動が足りない!
やっぱりもっと歩かなきゃ!
週2、3回の外出、撮影だけでは足りない。
とにかく毎日歩こう!
そう言う訳で、「毎日散歩」を始めたわけです。
毎回、1時間半から2、3時間、歩きまわります。
(もちろん合間に喫茶店で休憩を取ります)
お陰で、毎日、ぴんぴんと元気で、瞬時に就眠し、ぐっすり眠れます。

さあ、あなたもやってみましょう!
あなたが80歳でも、やってみましょう。
人間、90歳台でも筋肉を鍛えることができます。
心はもっと高齢でも鍛えられるはず!





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# by hologon158 | 2017-10-06 13:42 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

706.03 ホロゴン外傅212「2017年9月6日ゾンネタール50㎜F1.1S奈良町幻想」3 島々清しゃ


映画「島々清しゃ」を観ました。
内容紹介はネットでご覧ください。
名作「百円の恋」で、希代の名演を繰り広げた安藤サクラさんが、
都会からたまたま島にやってきたヴァイオリニスト。
音感が良すぎるために、周囲の音に耐えられず、
遮音ヘッドフォンを常時つけている少女と出会い、
なにが起こったか?

調べていませんが、
この二人を含むほんの数人だけがいわば本職のプロで、
他はかなり現地の沖縄の人々なのではないでしょうか?
そう思うほど、せりふ回しが稚拙。

ヴァイオリニストがいわば修行途中の子供たちを放り出して、
挨拶もなしに唐突に島を去るあたり、
どうも説明不足で、クライマックスの盛り上がりが今一つですが、
もともと深いせっぱ詰った理由から島に来た訳でもなさそうですから、
深い理由もなしに島を去るのも当然かも?
でも、そう感じさせるほど、主人公の人物設定が浅過ぎる感じ。

むしろ沖縄の小さな島の人々と風土が文句なしに清々しい。
その清浄の気に触れるだけで、
この映画の価値は十分ある、そんな感じがしました。
島の人たち、子供から老人に至るまで、
どこかが、なにかが違います。

私が少年時代を過ごした大和高田市の記憶がよみがえります。
そんな少年時代に私の周りに居た人たちよりも、
さらに心が澄んだ人たち、そんな感じがします。
風土と歴史が可能にしている、心の豊かさ、温かさ、なのかも。

そして、もう一つ印象的だったことは、
島の人たちが音楽に生きていること、
音楽が人生の隅々まで浸透していること。
生き甲斐なんてレベルではなく、
生きることそのものであること。

ヒロインのヴァイオリニストは島での体験を経てもなお、
とてもその域に達したとは思えません。
彼女が、知り合った人々に別れを告げずに、
ひっそりと島を立ち去ろうとしたのは、
彼女の敗北宣言だったのかもしれません。

翻って考えてみますと、
私にとって、写真も音楽もその域に達しているとは思えません。
沖縄の人たちは、生まれたときから、
土着の音楽に囲まれ、土着の音楽を呼吸できる、
このことが生きているのでしょうか?
沖縄の歴史を十分理解しているとは思いませんが、
私の知る限りでも、沖縄の人たちの歩んで来た苦難の歴史は、
沖縄の人たちは、音楽に生きることができたからこそ、
その苦難を耐え抜くことができたのかも知れませんね。

そのように考えると、大和の民ほどに、
音楽との距離が大きい民族は地球上少ないのかも知れません。
どの民族ももっと生き生きと音楽を生きています。
音楽は生きることに欠かせないファクターのようです。
誰でも歌い、誰でも踊り、誰でもなにかの楽器を演奏できます。
男も女もできます。
そうしなければ生きて行けないほどの切実さがどの民族にもあった、
ということかも知れません。

もっとも、日本でも平安朝まではそうだったのかも知れません。
詩歌管弦は平安貴族の基本的素養だったからです。
光源氏も踊りました。
平安朝の武士も詩歌をよくしました。
陸奥の勇将、阿部貞任に歌を良くした事績が、
2つも残されていることは有名ですね。
そして、民衆も歌と踊りに生きていたようです。

でも、鎌倉期以降、あまり風流な武人はいなかったようです。
辞世の句は残されていますが、
これはあらかじめ用意していたものです。
どんな状況で死を迎えるか予見不能です。
辞世の句を残せないような恥ずかしい事態は避けたいので、
余裕があればその場で作るけど、
無理なら、用意した句を詠いあげて死を飾る、
それが武士のわきまえだったわけです。

俳諧が武士階級に流行したことは事実ですが、
本物の域に達した人はわずか。
句会は、戦いに明け暮れ、明日をも知れぬ戦国の世に、
せめてひとときでも平安静穏のときを過ごしたい、
そう願った武将たちの安息の場だったようですが、
俳諧を生涯愛した武人はかなり少ないようです。
商人階級の音楽との距離もかなり武士たちに近かかったようです。
日本人の道徳観が音楽との距離を遠くして来たのかも知れません。

私と写真との距離も、
この戦国武将たちに似ている感じがします。
命を賭けるところまでは到底届いていません。
会社を出て、運転手に、
「うん、なんだな、今日は疲れたな、
よし、青坂に行こうか?
サナエにそう伝えてくれたまえ。
家には、会議が長引いているので、
今晩は帰れないかも知れない、
そう連絡しておいてくれたまえ」
そんな社長さんと似たスタンスかも知れませんね。

でも、そんな関係が50年間も続いてきたのですから、
私としては、写真を愛する点にかけては、
この社長さんより遙かにまさっている、
そう言わせてほしいですね。

こんな風にあれこれと考えて行きますと、
映画「島々清しゃ」の主人公は、
沖縄の風土、沖縄の音楽、沖縄に生きる人々なのだ、
そう考えた方が自然かな、そんな感じがしてきました。
日本にも、音楽を空気のように呼吸して生きる人たちがいる、
そう知ることができるのは嬉しいことですね。





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# by hologon158 | 2017-10-05 23:19 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

706.02 ホロゴン外傅212「2017年9月6日ゾンネタール50㎜F1.1S奈良町幻想」2 いわば反骨



すでによくお気づきのように、
私は、ちょっとまともでないようなものに、
強烈な志向を働かせる人間です。
これは子供の頃に付いてしまった性格、
もしくは、持って生まれた性格かも知れません。

小学生の頃は、相馬大作、赤穂浪士、山中鹿之助、
と言った、いわば反骨の士に強く牽かれました。
なにも意識して探したのではありません。
本が好きで、いろいろ読みあさりましたが、
知らない間に好みの人物が偏っていったようです。

学校でも、ボスにはならず、でも、ボスになびかず、
そんな立場にいつも立っていましたが、
誰からも圧力を受けず、いじめにも合わず、
もちろん、いじめもせず、
一生、暴力沙汰とも無縁で、目撃もせず、
平穏無事に自分のやりたいように生活してきました。

絶対に誰にも頭を下げないで済む、
そんな職業であった父の影響があったのでしょう。
結局、私も同じ道を歩み、世間で言う出世も求めず、
生涯、自分のやりたいように生きることができました。
こんなことを言えるのも、もしかすると、
日本中でも稀かも知れません。
私の職業の人間でも一生世渡りに苦労している人が
一杯いましたから。

おかげで、と言えそうですが、
私の生来の性格はたわむこともなく成長したようで、
今になっても、独立独歩の人間を好み、
人の上に立ちたがる人は無視して生きてきました。
私のロボグラフィの多くは、人に気がつかれずに、
片隅で、自分の存在を確固として保つ離れ者ばかり。
かなり欠点がありますが、その欠点がいとしい、
そんな風に感じさせる存在ばかり。
自画像のつもりでもないのですが。

優等生、社会の規範、押しも押されもしない指導者、
そんな輩は見飽きました。
そんな人間が一皮剥けば、常軌を逸したわがままで、
独りよがりな人間、家庭では横暴ということが多いようで、
どこかの首相や大臣、政治家たちに好例がぞろぞろ。

でも、自分の写真で一つ気にかかっていることがあります。
あまりにも写真たちがしっかり垂直水平すぎる。
これは、不正、悪を極度に憎む私の性格に、
しっかり根ざしていると言いたいところですが、
答えは簡単。
実は完全な自己訓練の結果に自縄自縛になっているだけ。

ホロゴンウルトラワイドという法外な超広角レンズと、
法外にホールディングしにくいカメラを使い続けて、
20年。
ノーファインダー、ブラインドで撮影するためには、
垂直水平を確保しないと、15㎜の画角がずっこけてしまう。
そのため、腰ダメでホールドして、水平垂直を出す訓練を、
ずっと続けてきたわけです。
そのために、デジタルカメラを使うようになっても、
自動的に水平垂直にホールドしてしまうからです。
とっさの縦位置スナップは例外として、
四角四面直立正座の写真ばかりなのですから、
やれやれ。




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# by hologon158 | 2017-10-05 11:30 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

706.01 ホロゴン外傅212「2017年9月6日ゾンネタール50㎜F1.1S奈良町幻想」1 素人芸


10月2日月曜日、
陳少林先生の揚琴伴奏レッスン。
前回の付虹先生のレッスンで、
12、3年ほども習ってきた末にようやく、
揚琴らしいスティック奏法を一部会得できたようです。

先生にこう尋ねたのです。
「トレモロをすると、手が疲れるのですが...?」
先生、
「それは手で叩いているからです。
手首を回すだけで、手首以外の体全部を脱力したら、
どんなに長い間演奏しても、ぜんぜん疲れません」

ああ、これまでなぜそれに気づかなかったんだろう?
実は、揚琴に向かわずに、中空でスティック奏法風に手を動かすと、
これまでも、ちゃんと手首を回していたのです。
揚琴の弦を叩くと、抵抗があるので、
手首を回す奏法を忘れて、弦を叩こうとしてしまっていた!

本日は、そんな会得をして最初の陳少林先生のレッスン。
最初に、二胡の名曲「良宵」
次に、中島みゆきさんの「糸」と、
北島三郎の「北国の春」
最後に、私の数少ない持ち曲の「陽関三畳」
弾き終わって、陳少林先生、
「完璧! これまでで一番良かった!」
歓喜の一瞬です。

その次の瞬間に、感激に浸る弟子が普通は言わない言葉、
「先生の二胡もすばらしい音でした」
頭の高い生徒ですね。
これまでの練習用二胡に換えて、
演奏用二胡を昨日初めて持って来られたのだそうです。
さすがに艶やかで心に沁みるサウンドでした。

私が付虹先生に揚琴を習っている目的は、
陳少林先生の二胡の揚琴伴奏をするため。
ちょっとずつ目標に近づいている感じがあって、
うれしいですね。

たいていのことが実はそうなのですが、
理想は、子供の頃から習い始めること。
楽器はその典型です。
ある音楽家ははっきりと言い切っています、
「楽器は子供の頃から始めないと、ものにはなりません。
大人になって初めても、プロには絶対なれません」
まさにその通りだと思います。

数年前、ある有名な二胡奏者のコンサート会場で、
休憩時間に聞こえて来た言葉を思い出します、
30代の男性でした、
数人の仲間の女性たちに向かって、
回りにも聞こえよがしに、こう豪語していました、
「ぼくは、いつか無伴奏で、二胡を即興で弾いて表現する、
そんな音楽を作りたいと思っているんですよ」

正直、笑ってしまいました、
「それって、無茶じゃない?
聞いた人が美しい、うん、分かる、と言えるような音楽に
なるわけがないんじゃない?」

私が陳少林先生の伴奏をしたいと思っていると言っても、
それは素人芸としての域でのこと。
しゃしゃり出ることなく、
聞こえるか聞こえないか、位が伴奏のベスト、
二胡の演奏をひっそりと脇で支えたい、それだけ。
そう考えているからです。

大オーケストラには、とんでもない名演奏家がいるのだそうです。
なぜソロ活動をしないのか?
ソロのコンサートでは上がってしまうからです。

私はその点だけははっきり似ています。
1人で揚琴を演奏すると、必ず上がりまくり、ミスだらけ。
ところが、陳少林先生の伴奏に回ると、ほとんどミスがなく、
第一、不思議なことに、全然上がりません。
陳少林先生の助手で日本人女性の二胡奏者の伴奏をしても、
本格的な二胡演奏家だから、上がりません。

素人の二胡奏者の伴奏に回ると、上がる。
妻の二胡の伴奏をすると、もう無茶苦茶。
これは素人だから、ではありません。
では、なぜ?
理由は明らか。
妻には内緒ですよ。
怖いから。






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# by hologon158 | 2017-10-03 16:32 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

705.02 ホロゴン外傅211「2017年9月1日プラナー50㎜F2で新大阪激写」2-完-クライシス


最近一番あやういケースが北朝鮮からの危機への対応。
たとえば、米軍は一撃の下に、安全かつ迅速に金政権を倒すことができる。
北朝鮮のミサイルはすべて安全に処理できるから、日本には危険がない、
そう軍事専門家は保証している。
どちらも完全な嘘です。
米軍が世界各地の敵対勢力を反撃の余地なく瞬時に倒したケースはありません。
まして、北朝鮮は、その国土はきわめて守りやすい、
迷路のような同種同形の丘陵に覆われた世界なのです。
その至るところにミサイル発射装置を含む臨戦態勢を隠す、
完全武装の軍事国家なのです。

それなのに、首相は北朝鮮への断固たる反撃を宣言し続けて、
挑発に次ぐ挑発を続けています。
でも、平和憲法の下、日本が北朝鮮と戦争することなど、
絶対に許されません。
集団自衛法は明確に憲法違反の違法な法律なのですが、
日本政府が勝手にこの法律に依拠して戦争をやろうとしても、
北朝鮮が日本もしくは日本の同盟国を攻撃しない限り、
日本は軍事行動に出ることなどできません。

もっとも、北朝鮮が日本に戦争を仕掛けるとしたら、
日本の軍隊が反撃する余地を残してもらえるとは思えません。
北朝鮮が日本を無力化するのは簡単だからです。
東京と各地の原発を一つずつ、丸の内、新幹線東京駅等の、
日本の政治経済の中枢を選んで、大陸間弾道弾を数発ずつ発射すれば、
日本は瞬時に終わりです。

政府御用達の専門家は、北朝鮮のミサイルは全部防げると、
ありがたく保証してくださっているのですが、
垂直に近い放物線を受けて落下するミサイルを途中で爆破できる装置などありません。

専門家はどうやってミサイルを完全に防止できると知ったのでしょうか?
実験した?
いえいえ、一度も実験したことはありません。
はっきり口から出任せなのです。
そんな専門家の保証の下に始めた太平洋戦争は完敗に終わりました。
つまり、日本の政府と軍事専門家は、
太平洋戦争に突入した日本人たちとまったく変わらない、
無能かつ危険な人たちなのです。
要するに、どのような側面でも、
人間は進歩しておらず、
むしろ混迷と無能を極めている、と言う他はありません。

よくよく考えてみますと、
世界の中で日本は、政治的にも自然的にも、数知れない危険に取り巻かれて、
一番安全性の薄い国家なのです。
政治的には、
ダイナマイトとマッチを手に遊ぶ幼児のように見えますが、
実のところ、北朝鮮は幼児どころではありません。
極めて知能の高い策謀家の支配する、強力な軍事国家。
そんな北朝鮮を脅したりすかしたり、
あやしたりして、安全にあしらい続けなければならない。
自然的には、
大地震(日本列島の至るところ)、大噴火(阿蘇山と富士山)、
そして、予期せぬ気候変化、台風の危険性は高まるばかり。

20年ほど前には、日本は地球の中でも一番の楽土、
21世紀は順風満帆の日本の世紀になるだろう、
などと信じていたのに......





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# by hologon158 | 2017-10-02 11:09 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

705.01 ホロゴン外傅211「2017年9月1プラナー50㎜F2で新大阪激写」1 スポーツマン



あらゆる人があらゆる場所で、毎瞬毎瞬、繰り返していること、
それは、程度の差こそあれ、すべて「一期一会」なのかも?

私は、ささやかな家庭行事でそれを感じました。
9月30日土曜日、大阪加美の孫たちの保育園運動会でした。

保育園は5年に組み分けされています。
今回の運動会はエポックメーキング的でした。
その最年長5歳児クラスに属する孫プリンスの最後の、
2番児クラスに属する3歳の孫プリンセスの最初の運動会。
(1歳児クラスは小さ過ぎて、運動会には参加しません)

この前まで赤ちゃんだった孫プリンセスが踊ったり、
駈けっこしたり(5人中、断トツ1位でした)。

孫プリンスは、運動がなんでも得意です(私とは正反対)。
まず、縄跳びリレーでパフォーマンス。
クラスメートはゆったりと飛びながら、のんびり走ります。
孫プリンスは、スタートした途端、
縄を大きく弧を描かせて、パンパンパンと一度も止まらず、
猛スピードでグラウンドを一周駆け抜けました。
ほとんどの子が肘を支点にして手を回して、縄を回転させます。
孫プリンスはどんなスポーツで手首を回して運動します。
だから、縄跳びの場合でも、縄の回転が一番大きく速く、
かつ同心円を描きます。
そのため、高速で駈けることができます。

「ソーラン節」を使った踊りもクラス全員でしました。
このときも、たいていの子は肘を支点にして手を回していました。
孫プリンスは肩中心なので、手が美しく動きました。
彼は誰かに教えてもらうことがほとんどありません。
縄跳び走も、踊りも、自分の体で覚えたのです。

次ぎに、最年長クラスの好例の紅白対抗リレー。
先生、みんなのスピードを知っているので、
一番早い二人が両チームのアンカー。
孫プリンスは白組の一人手前です。
ところが、クラスが奇数なので、孫プリンスは5番にも登場。
白組は4人までずっと赤に負けていました。
孫プリンス、ゴール手前で追いつき、コーナーワークで抜き去り、
それからはずっと白組がリードを保ちました。
孫プリンス、14番目にもう一度登場し、
やはりリードを保ったまま、アンカーにバトンタッチしました。
完全な運動嫌いの私とは似ても似つかぬ、
ずば抜けた運動神経の孫の姿には驚き。

自転車もすぐに覚えましたし、水泳も教室に通っています。
両親が阪神タイガースファンなので、彼もファン。
どうやら、身体を正しく使える人間は頭もよくなるようです。
全選手の顔、背番号、名前、守備位置も覚えています。
漢字もまだ読めないのに、
選手名鑑ですらすら読み上げてくれます。
小学校1年で少年野球に入る予定で、もう練習しています。
本の虫だった祖父とはまるで違う人生を送りそう。




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# by hologon158 | 2017-10-01 22:48 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

705.01 ホロゴン画帖213「2017年8月29日ネオスティグマート50㎜F1が大阪南方で」♯2


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# by hologon158 | 2017-09-29 23:08 | ホロゴン画帖 | Comments(0)

705.00 ホロゴン画帖212「2017年8月29日ネオスティグマート50㎜F1が大阪南方で」♯1



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# by hologon158 | 2017-09-29 16:37 | ホロゴン画帖 | Comments(0)

703.106 ホロゴン外傅210「2017年8月25日パンタッカー50㎜も奈良町に」6-完-画廊への散歩


2週間続けてきた毎日散歩、


一つ重大な問題が発生しました。

私はカメラを持たずに歩くことのできない人間なので、
散歩のたびに平均200枚の写真を撮ります。
近頃の2つのブログ投稿の頻度は、毎日各1本弱。
つまり、どんどんと滞貨が蓄積することになります。
最近の撮影分もまだ未搭載ファイルが2、30あります。
ブログ開始以前以後の未搭載ファイルときたら、何百もある。
そんなものも暇を見つけて記事にしたい。

人生、問題だらけですね。
この程度を問題と感じる私はかなり脳天気人間なのでしょう。
でも、ご心配なく。
因果は巡る、火の車、です。
いつか、私も処理不能の問題にアップアップするでしょう。
でも、それまでは、ちっちゃな悩みをエンジョイしましょう。

このような事態を招いたのは、私の生活が少しシフトしたせい。
揚琴、二胡、リコーダー、ハーモニカ、
4つの楽器を習得し、楽しむという音楽人生が静かに浮上。
とくにリコーダー、揚琴は、
年内に発表会やコンサートもあり、その準備が大変。

一つアイデアが浮かびました。
2つのブログにそれぞれギャラリーコーナーを設ける!
なんの説明もなく、写真だけワッと掲載する!
これでかなり負担が軽減されるかもしれません。
別ブログ「レンズ千夜一夜」では、さっそく実行しました。
こちらも、「ホロゴン画廊」というカテゴリを作って、
写真オンリーコーナーを設けることにしよう、
そう考えたのですが、
本ブログのカテゴリを調べると、どんぴしゃり、
「ホロゴン画帖j」が既にありました。
いつしか、使わなくなっていました。
精神は一緒です。
画帳を復活しましょう。




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# by hologon158 | 2017-09-28 21:54 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

703.105 ホロゴン外傅210「2017年8月25日パンタッカー50㎜も奈良町に」5 退歩一途



世界は進歩している、  
若い頃、そう信じていました。
だんだんと分かってきました。
進歩などしていない。

大ピラミッド一つとっても、それが分かります。
当時、大ピラミッドに先行する、このような大建設などなかった。
建築学科のある大学などなかった。
それなのに、大ピラミッドをいきなり堂々と建設したばかりでなく、
それから何千年も揺るぎなく屹立しているのです。
建設に必要な知識、技術をどうやって手に入れたのでしょう?

月面にも、推定1600mという塔が見つかります。

  The Moon Exposed! MILES HIGH Tower Discovery & Much More!
  https://www.youtube.com/results?search_query=Moon+tower

Google Moonの座標軸が見つかりますから、
ご自分で確かめることができます。
いつの時代に、誰が建設したか、分かりません。
分かっていることは、
人類には不可能な建築をやってのけた誰かがいる。
今でも使っているとしたら、怖いですね。

始皇帝陵の兵馬俑もそうですね。
始皇帝陵そのものの構想はピラミッドを遙かに上回る
巨大なものだったと言われています。
兵馬俑は現在8000体見つかっているようですが、
まだまだ埋まっているはずです。

なぜ?
司馬遷の「史記」によれば、
始皇帝は、中国全土を征服するために、
百万にも及ぶ大軍を編成して、作戦を実施したのです。
しかも、同時に幾方面に向かって征服戦を実施したのですから、
そのような規模の軍団がいくつもあったらしい。
そんな古今未曾有の大軍団を動かした始皇帝が、
永世にわたって自分を守護すべき兵馬俑を8000にとどめたとは思えません。
兵馬俑は、疑いもなく、実戦部隊として陣形を組んで配置されたはずです。
とすると、先鋒、本陣、両翼、後裔の5陣は最低限必要です。
しかも、本当に戦える精鋭軍団であるはず。
なぜって、黄泉の国でどんな敵に遭遇するか、予測しがたいのですから。
つまり、まだまだ埋まっているのです。

マラトンの戦いのとき、遠くペロポンネソス半島のスパルタから、
王に率いられた重装歩兵(ホプリテース)のスパルタ軍団が
フル装備のまま走りに走ったとヘロドトスは記録しています。
現代人には想像もつかない荒技、難業です。

ホメーロスの「オデュッセイア」をお読みください。
3000年ほども大昔のお話なのです。
そんな昔のギリシア人がどんなに典雅、気品に満ちた生活をし、
どんなに思慮深い思考、振る舞いをしていたか?
そして、ホメーロスがどんな近代の古典小説にも劣らぬ、
筆致、構想で物語を編んだかをご覧になれば、
そして、当時、日本を含む世界のほとんどの地域が、
中国、インド、エジプト、メソポタミアを除いて、
どんなに野蛮のレベルでいきていたか?
ついでに、現代の混迷を極める政局をリードする政治家たちの、
目も当てられないような人間レベルにも思いを巡らせば、
地球上の文明は、科学技術文明の発展にもかかわらず、
人間の質のレベルにおいては、衰退の一途を辿っている、
そんな思いを深めてしまうのではないでしょうか?

このように考えて来ると、一つの教訓に達しないわけにはいきません。
いかなる文明も、技術文明の極致に達しながら、あえなく滅亡していく。
巨大社会は人間を劣化させ、袋小路に追い込んでしまう。
そんな感じを抱かざるをえないのですが、いかがでしょうか?




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# by hologon158 | 2017-09-26 23:11 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

703.104 ホロゴン外傅210「2017年8月25日パンタッカー50㎜も奈良町に」4 不染鉄展



奈良県立美術館に参りました。
「没後40年 幻の画家 不染鉄」
ウィキペディアによれば、
「その作品は、
「克明な描写と、古絵巻に学んだ大和絵的手法を融合した作品」と評され、
「俯瞰と接近の相まった独創的な視点」も特徴として挙げられる。」

まったく未知の画家です。見甲斐のある展示であることを祈りつつ、
800円を渋々払いました。
でも、この出費は大いに有益だったようです。

入館して、展示作品の数枚目「夕月夜」を見て、
いきなり、心がふんわり躍りました。
縦長の構図ですが、
山水画特有の遠近法を無視して、
下から上まで細かく描く手法ではなく、
下4分の1ほどに3戸ほどの家の輪郭が
背後から光に照らされてふんわり浮かび上がり、
上部(半分以上)は縦の線が光の中にほんのり浮かび上がるだけ。
私の大好きな光の描画です。

元来大和絵と水墨画の修行を積まれた方なのでしょうか?
横長の長巻図の「水郷の巻」「思い出の記」は傑作。
水郷、田園の生活を精密に描きこんで、見飽きません。
猛烈に細い筆で見事な描線で生き生きと描かれています。

昭和10年の「雪景山水」は縦2m、横86cmの堂々たる掛け軸。
描線がしっかりして、リアルなのに、思い出の中の光景。
この画家はいつも自分の心の中の桃源郷を描いていた、
そんな感じ。

線画の掛け軸「聖観世音」が2枚。
うち、大きい方の金泥が少し施された方が秀逸。
線画なのに、量感がみなぎっていて、
この画家が並々ならぬデッサン力を持つことを証明する力作。

代表作の一つが、
《山海図絵(伊豆の追憶)》大正14(1925)年 木下美術館蔵
186cm×210cmと、比較的大きな絵です。
グーグルで検索していただければ、ご覧いただけますが、
絵の大きさ以上に、スケールの大きな鳥瞰図。
でも、ヨーロッパの大画家たちのように、
見上げるほどの超巨大な絵ほどではありません。
むしろ正面に観ながら、静かに味わう絵。

観るうちに、だんだんと不思議な印象が大きくなります。
西洋的なパースペクティブではなく、
なにか心理的な遠近法によって描かれているようです。
なによりも不思議なのは、富士山がただの小山なのです。
周辺の建物の高さを考えると、せいぜい200mほどの小山。
でも、堂々たる風格で、画全体を支配しています。
これが不染鉄の魔術なのでしょう。

戦後の晩年になると、漆黒が画面を支配するようになります。
なにか画家の心の奥底の闇を表すようです。
漁村に画家自身が住んだのでしょうか?
海浜の絵が幾枚もあります。
「夜の漁村」が一番気に入りました。
浜よりも一段高い平面の平屋建てのガラス窓は
屋内の証明が住人のシルエットを浮きだしています。
斜面の浜には数隻の漁船が引き上げられています。
岸近くの海には2隻の漁船が浮かんでいます。
これらの漁船がすべて黒のグラデーションで、
漆黒の闇の中に実にリアルに浮かび上がります。
これも不染鉄の魔術。

でも、晩年の奈良の神社仏閣の絵では、
ペンキのような漆黒がべったり塗りたくられた感じで、
定規で引いたような直線が目立つ一方では、
若い頃の、心を平安で満たすような穏やかな表現は
すっかり影を潜めてしまい、どうもいただけませんでした。
アートが作家の心の表現であるとすれば、
なんだか推測したくなります、
晩年の不染鉄の心には黒々とした苦悩が巣くっていたのでは?

生涯を通じて、リアリティがファンタジーに変容していく、
言葉では表現できず、絵筆でも描き出せない玄妙な移りゆきを、
魔法のように一枚の絵に結晶させる、そんな魔術世界に生きた人、
そんな印象を抱かせられました。

この絵画展で私が強く抱いた印象が一つあります。
回顧展は画家のメッセージを伝える媒体にはなりえないなあ。
不染鉄の画業の最高点を示す10枚を1壁面1枚で見せてもらえたら、
遙かに雄弁で、遙かに印象深かった、そんな感じがします。
でも、それにはあまりにも壁面が大きすぎます。
つまり、美術館は、本当の芸術に対峙できる場にはなりえない。

バカ言え、一枚ずつしっかりと対峙すれば、よいのだ!
お前の鑑賞力の弱さを暴露しているのだ!
第1、なにが傑作かを自分で選別できない人間が、
見せる側にその選別を任せる、三流の鑑賞者の姿勢だ!
そう厳しくおっしゃる通の方もおいででしょう。

おっしゃるとおりですね。
でも、私は三流の鑑賞者だから、当然の姿勢です。
私の場合、傑作の後に駄作が並ぶと、
どうしても、幾本ものの邪魔物が
心の中に放り込まれる感じがしてしまうのです。




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# by hologon158 | 2017-09-25 12:12 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

703.104 ホロゴン外傅210「2017年8月25日パンタッカー50㎜も奈良町に」4 歩くこと



9月17日土曜日、奈良県立美術館に参りました。
65歳以上の奈良市民は、美術館、神社仏閣はタダなのです。
美術館の中で散歩しよう!

先々週月曜日から、思い立って、
毎日必ず一回は、絶対に、歩く!
もちろん健康のため。
これを実行しています。

私は、決意したら、続けることができます。
かなりの方は、続けられないので、始めません。
でも、そんな方も本当は続けられるのです。
できないと思いこんでいるだけ。
そんな方もよくかんがえて見ると、
生涯にわたって続けてきたことが沢山あるはず。
たとえば、毎朝起きると、着替える。
歯を磨いて、顔を洗う。
朝食をいただく。
靴を履いたら、歩き始める。

親のしつけかもしれませんが、
やっぱり、そうするのが必要、
だから、自然に、いつもそうする。
だから、結局、なにか新しいことを始めるときには、
それが自分には絶対に必要だ、有益だ、と思うことが肝心ですね。

私は確信しています、
歩くことが絶対に必要。
映画「七人の侍」の印象的なシーンの一つ。
略奪を繰り返す野武士に業を煮やした百姓たちが、
自ら武器を取って戦おうと決意し、連戦錬磨の武士を雇います。
志村喬演じる老戦士は、百姓たちに走る訓練を施し、
こう叫ぶのです、
「いくさとは走ることぞ!
走れなくなるときは、死ぬときぞ!」

これは彼が命をかけた体験で学んだ極意ですね。
こんな貧困の村に雇われているところを見ると、
これまで幾度も敗北側にばかりついてきた不運な人なのです。
敗戦のなか必死で走り続けて落ち延びてきたのです。
走れなくなった戦友、部下たちは全部命を落としたのです。

私たち人間すべてそうですね。
20年近く前、突然、膝がカクカクと音を立てたのです。
愕然としました。
ちゃんと毎日歩いているのに、
ガタが来始めたのです。
そこで、何度も書いていますが、
直ちにヨガマットを買い求め、
自分で思いついた腕立て伏せや腹筋体操や自転車漕ぎなど、
十種ほどを10分程度欠かさず続けてきました。
肺炎のときだって、熱がない限り、続けました。
どんなことも、理想は呼吸です。
まったく意識していないけど、
やめると、それが命に不可欠、
そんな気持ちでやりたいものです。
そこまで必要性を高められることって、あまり多くない。
でも、健康な若さを保つこと、
つつがなく頑健であり続けることは、
長い一生の最大の希望条件です。
妻を愛し、子供(猫を含む)、孫たちを愛すること、
写真を愛すること、
これらもそんな条件に私は数えます。

ストレッチの効用は、
単に体の柔軟性を高めることに限定されません。
体を鍛えることもできます。
シャドウボクシングも取り入れました。
最初はなんとも頼りないものでした。
それがどんどんと中心にびしりと決まるようになり、
腕のスピード、確実性も高まりました。
最後に左右連打で締めますが、
その交代のスピードも格段に高速化しました。
走ることも楽々できるようになりました。
今では、なにかあると、自然に身体が動きます。

私は、水素吸引をずっと毎日欠かさず続けています。
これも異常に健康を高めてくれるようです。
第一の効能は、体内の悪性活性酸素(フリーラジカル)の除去。
フリーラジカル2個と水素が結合して水となり、体外に排出。
第二の効能は、血行をよくしてくれること。

でも、だからと言って、運動をしないで、
ぐーたらと食っちゃ寝るだけではだめでしょう。
ここでこそ、活発な運動、歩行が生きてくるはず。
そこで、夜30分から40分の半身浴も毎日絶対に欠かしません。
その間、マッサージ、エクササイズもやり続けます。
でも、まだまだ運動が足りない!
週2、3回の外出、撮影だけでは足りない。
やっぱりもっと歩かなきゃ!
とにかく毎日歩こう!

水素吸引、ストレッチ、散歩、半身浴、全身マッサージ、
規則正しい野菜中心の食事、規則正しい睡眠、
これらすべてが不可欠。
というわけで、朝から晩までかなり忙しい。
でも、やることなくなったら、人間、おしまい!



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# by hologon158 | 2017-09-22 12:00 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

703.103 ホロゴン外傅210「2017年8月25日パンタッカー50㎜も奈良町に」3 コトバ


オオカミやハイエナのような組を組んで狩をする動物たちは、
経験により役割を分担しているようです。
ティラノザウルスも、リーダーが待ち伏せをし、
若いのがそこへ追い立てて、リーダーが躍り出て一撃、
という風に狩をしたという説があります。
人間も同様に狩をしたのでしょう。

でも、突然、突発的な危機が起こったとき、
ルーチーンの分担は意味を失ってしまいます。
そんなとき、言葉を使えた人間が次第に勢力を伸ばし、
ついには支配的地位についたのでしょう。

じゃ、動物たちは言葉を話したり、理解したりできないのか?
道具を作り、道具を使うのが人間だけの特技だとされてきたのに、
今では、道具を作り、道具を使う動物がどんどん見つかっています。
言葉も同様です。
まだ、学会の承認を得ていないのかも知れませんが、
プレーリードッグなどは言葉を話し、遠くの仲間に情報を教える、
そんな研究書が出版されています。

我が家の子供たち(猫ですが)も、私たちの言葉を理解します。
もう7、8年前ですが、今は亡き銀太(男の子)がソファーで、
いつまでも眠りこけている姿に、つい、妻と二人で笑って、
「ああ、いつも眠ってたんじゃ、バカになるね」
その瞬間、銀太はがばっと頭を起こし、私たちに向かって、
「ニャーニャーニャーオー、ギャギャギャ、ワー」
後にも先にも聞いたことがない複雑なイントネーションで、
目を三角にして、私たちに怒鳴ったのです。
「そんなことない、バカにしないでよ、
ぼくはこうして考えてるんだ!
バカになんか絶対にならないよ!」
銀太は、私たちの表情も動作も一切見ないまま、
言葉だけを聞いて、私たちが自分を笑っていると分かった、
そう考えないと、理解できない出来事でした。

今朝もそんな出来事がありました。
我が家にこの25年間住んだ、幾人もの子供達(猫ですが)中、
ずば抜けた賢さの少女が静です。
毎夜、私は2回か3回、小用に立ちます。
(不眠の心配はありません。
布団に戻ると、瞬時に、文字通り瞬時に、睡眠に戻ります)
静は耳聡く私の音を聞きつけて、扉の前で待ちます。
私が出た後のトイレの扉を肩で押して、グイと閉めて、
トイレから出た私を振り仰ぎながら、
「お腹すいたの」なんて言葉を発しつつ、終始並走し、
キッチンの静専用のお皿に私を導きます。

今朝は2度目が起床時刻の半時間前でした。
こんなときは朝食直前なので、
寝室への通路にあたるキッチンに入るとき、
起きてから朝食を上げるよという趣旨で、
「後でね、後」
こう言ったのです。
すると、私を先導していた静はピタリと足を止め、
私を見送ったまま、ついにキッチンには入りませんでした。
これも私の言葉の意味を即座に理解したのです。
猫だって、本能ばかりじゃないのです。
待つことを知っている。

おそらく犬もそうなのでしょう。
馬もそうなのでしょう。
人間、犬、猫、馬、みんな、
この星の住人、パートナーとして、
お互いの理解を深めつつあるのかもしれませんね。



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# by hologon158 | 2017-09-19 23:05 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

703.102 ホロゴン外傅210「2017年8月25日パンタッカー50㎜も奈良町に」2 奈良写真美術館



昨日、好例の散歩に出かけて、
突然思い立って、破石町(ワリイシチョウ)バス停で下車。
高畑町のちょっと高級な住宅街を撮影しつつ、
奈良写真美術館を訪れました。

大和路の写真家入江泰吉が全フィルムを奈良市に遺贈して、
この美術館が設立されたのですが、
今では訪れる人も少なくなり、存立が危ぶまれているそうです。

私の見るところ、奇妙な二律背反に苦しめられているのです。
入江先生は「気配の写真家」として知られます。
現代の大和路を撮っていながら、
飛鳥、奈良時代の人々の息吹、気配を感じさせる達人だったのです。

でも、彼のフィルムは、モノクロームもカラーも、
今では完全に褪色しています。
四×五判が基本ですが、そのフィルムをデュープして、
今ではどうやらPhotoshop等でオリジナルの画像を復元する、
そんな処理をしているのです。
ところが、そうした処理をする技術者、それを指導する学芸員が、
入江さんのオリジナルの写真を観たことがない。

入江さんは土門拳とともに、そうした事態を憂えて、
写真集を盛んに出版することで、
作品が褪せて面影を失い事態を救おうとされたようです。
でも、残念ながら、その写真集も激しく褪色してしまいました。

写真美術館の学芸員は、オリジナルの復元に努めるのですが、
結局、参考にできる資料がないまま、
現代の感性で美しく仕上げることになってしまいます。

私は写真美術館設立時から入江さんの写真を観てきましたが、
最初期の頃は、まだ褪色もそれほどでなく、
かつ入江さんのオリジナルネガ、プリントを知っている、
入江さんの弟子の写真家がプリント制作を指導したので、
まさに気配を感じさせる写真たちに仰天し讃歎したものでした。

ところが、数年前に1回、そして、ひさしぶりに昨日、
展示された作品群を拝見して、二度とも、がっくり。
現代のデジタル写真そのままに、
輝かしい色彩で、超精密な、華麗なるプリント。
オリジナルはもっと淡く、もっと地味で、
だから、遙か昔に失われた時代を感じさせてくれたのに、
今は、これでもかこれでもかとハイコントラスト。
これじゃ、気配などどこにも立ち上りません。

前座の写真家の展示がまさにそれでした。
ものすごい精密画像で、現実にはない、デジタル色。
現代人はこれを喜ぶのでしょう。
でも、私には、節度もセンスも深みもなにも感じられず、
品格のかけらもない、パソコン加工のアートデザイン。

その展示の次の部屋から始まる入江さんの作品群が、
同列同等のデジタル写真世界になり切っている、
そんな感じがしました。
これじゃ、偉大な写真家の面影はなくなって、
現代のデジタル作家と比較して、
優劣をいろいろ思案してしまう、普通の写真家じゃない?

だとすると、記念美術館なんて、誰も来ないんじゃない?
つまり、
本物の気配の写真家だった入江さんの作品を観たい人は、
来ない。
現代の超精密写真を愛好する若い人たちも、
入江さんの写真は、中途半端で物足りないから、
来ない。

美術館には一般の写真展展示室が一つあります。
おりから大きなアマチュア写真団体の幹部の写真展。
20年以上前だったと思います。
私も入会していたことがあります。
各支部に幹部が来て、写真を選んで、採点してくれました。
その得点で年度賞を競いあうのです。
会員も5点ずつ選択して、いわば互選し合います。

選者の採点も、メンバーの選択も私にはでたらめで、
選評を聴くのもたえがたくなって、
8ヶ月で、さっさとやめました。
それだけに、顔見知りに出会いたくないので、
写真展をのぞくのはやめました。
私もとんだ回り道をしたものだと苦笑しつつ、
美術館を後にしました。

私も気がつくと、写真を長年愛してきたのですが、
写真家の世界から足を洗って十数年、
一人で自分の写真とだけ付き合う今、
こんな回り道もけっして無駄じゃなかった、
自分の写真を見つけることに役だったかも知れない、
そんな気持ちがしています。





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# by hologon158 | 2017-09-16 18:22 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

703.101 ホロゴン外傅210「2017年8月25日パンタッカー50㎜も奈良町に」1 至上の愛



久しぶりに会った写真の友人に尋ねられました、
「どう、あんた、まだ写真やってんのか?」
私、にんまり、
「もちろんですよ。
ほとんど毎日のように撮ってますよ。
撮った写真を使って、ほとんど毎日、
2つのブログの記事を作っていますよ」
さっそく携帯で、2つのブログを見せました。
携帯を使わないという現代では天然記念物人間のうえ、
オーソドックスな名作を好む人です。
ピンと来なかったようですが、
私が元気に写真を撮り続けていることには安心されたようです。

毎日、自分の近所を撮り続けた写真家がいます。
木村伊兵衛。
浅草に住み、浅草界隈を撮り続けました。

ときどき考えます、
木村伊兵衛の毎日もロボグラフィだったのかな?
どうも違うみたいですね。
あくまでも写真作品を日常の営みの中に見つける、
そして、いつか何らかの形で写真作品として発表する、
これが目標だったのでしょう。
だから、気楽な散歩と見えて、
実は神経を張り詰めた真剣勝負の足裁きだったのかも?
浅草の町、路地、人々と真っ向勝負していたのでしょう。

木村伊兵衛のコンタクトを何枚か見ました。
発見した情景は逃がさない! そんな迫力で、
何枚も何枚もシャッターを押し続けています。

感動しますが、ちょっと退いてしまう面もあります。
ああ、写真家って、大変なんだなあ。
寝ても覚めても写真のことを考えているんだろうなあ。
神経がすり減るんじゃないかな?
ただし、木村伊兵衛は精神的にとても安定した人で、
そんな苦労とは無縁だったようです。
でも、木村伊兵衛ほどタフではない多くの写真家が、
薬物中毒に走ったり、アルコールに溺れたり、と、
追い詰められたのも無理ないなあ。

でも、突然、眼前に現れた絶妙の一瞬、
即座に心と体と反応して、
絶妙の位置を占めて、
絶妙の方向に向かって、
絶妙の瞬間にシャッターを切る!
そして、予測も期待もできなかった、
生涯最高の写真が天から贈られる!
その醍醐味を生涯忘れることはない!
そんな写真家の人生は、
一つの生きるに値する人生なのでしょう。

これって、オペラ歌手や合奏の演奏家に似ています。
自分一人では達成できないパフォーマンス。
人と場所と時間がピタリと合わさったとき、
最高の演奏が生まれる。
私も、ザ・シンフォニーホールの
クラリネット奏者カール・ライスターのコンサート。
モーツァルト「クラリネット五重奏曲」
その第2楽章で、そんな至福の演奏を味わうことができました。
まるで時空の中にすっと差し込まれたような、
たった一本の絹糸となったピアニッシモ。
じかに心の中にすっと刺し通ってきました。
カール・ライスターのような演奏家でも、
そのときの日本人演奏家たちとの出会いと協演は、
おそらく生涯でも出会いだったのでしょう、
だからこそ、屈指の至福のピアニッシモに結実した、
そんな感じがします。
ライスターのCDでも、他の演奏家のYouTubeの演奏でも、
他の曲の演奏の中でも、
そんなピアニッシモなど聴いたことがないのですから。

木村伊兵衛は数知れない下町スナップの傑作を残しましたが、
自分の作品を見る度に、
ライスターが一本のピアニッシモに覚えたような永遠の瞬間が、
心の中に蘇る思いをしたでしょう。
それだから、木村伊兵衛は浅草の下町、路地を、
生涯にわたって経巡りつづけたのでしょう。

こんな風に考えると、同じ下町歩きでも、
木村伊兵衛と私とでは、その中身は月とすっぽんほど違います。
でも、人間というのは、だから、面白いのでしょう。
十人十色。
私には私なりの喜びがある。
自分なりの、自分だけの喜びを味わい、
他の人生を羨んだりしない、
そんな人生を送りたいものですね。

一記事30枚平均でダラダラと並ぶ私の写真をご覧になって、
なにかを感じる人などいないでしょう。
でも、私は、私の目と心がその瞬間揺らいだ、そんな記録が、
このロボグラフィなのです。

インドの古えの王が、愛する妃に尋ねたそうです、
「王妃よ、そなたがこの世で一番愛する人はだれじゃ?」
「それは王様、あなたです」という答えを期待したのです。
妃は躊躇答えました、
「それは私自身です。
王様も同じではありませんか?」
言ってみれば、これが「ロボグラフィの精神」です。
自分で、自分だけが愛せるシーンを一歩ごとに見つけて、
そのシーンを無心に一枚の写真にする。
それで終わり、一件落着。

そんな気持ちをたっぷり味あわせてくれるレンズが、
アストロ・ベルリンのパンタッカー50㎜F2.3。
ライカM9に付けたことで、
ソニーα7に付けるよりさらにコクのある写真になった、
そんな感じがしますが、いかが?



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久しぶりに会った写真の友人に尋ねられました、
  「どう、あんた、まだ写真やってんのか?」
私、にんまり、
  「もちろんですよ。
  ほとんど毎日のように撮ってますよ。
  撮った写真を使って、ほとんど毎日、
  2つのブログの記事を作っていますよ」

さっそく携帯で、2つのブログを見せました。
携帯を使わないという現代では天然記念物人間のうえ、
オーソドックスな名作を好む人です。
ピンと来なかったようですが、
私が元気に写真を撮り続けていることには安心されたようです。

毎日、自分の近所を撮り続けた写真家がいます。
木村伊兵衛。
浅草に住み、浅草界隈を撮り続けました。

ときどき考えます、
木村伊兵衛の毎日もロボグラフィだったのかな?
どうも違うみたいですね。
あくまでも写真作品を日常の営みの中に見つける、
そして、いつか何らかの形で写真作品として発表する、
これが目標だったのでしょう。
だから、気楽な散歩と見えて、
実は神経を張り詰めた真剣勝負の足裁きだったのかも?
浅草の町、路地、人々と真っ向勝負していたのでしょう。

木村伊兵衛のコンタクトを何枚か見ました。
発見した情景は逃がさない! そんな迫力で、
何枚も何枚もシャッターを押し続けています。

感動しますが、ちょっと退いてしまう面もあります。
ああ、写真家って、大変なんだなあ。
寝ても覚めても写真のことを考えているんだろうなあ。
神経がすり減るんじゃないかな?
ただし、木村伊兵衛は精神的にとても安定した人で、
そんな苦労とは無縁だったようです。
でも、木村伊兵衛ほどタフではない多くの写真家が、
薬物中毒に走ったり、アルコールに溺れたり、と、
追い詰められたのも無理ないなあ。

でも、突然、眼前に現れた絶妙の一瞬、
即座に心と体と反応して、
絶妙の位置を占めて、
絶妙の方向に向かって、
絶妙の瞬間にシャッターを切る!
そして、予測も期待もできなかった、
生涯最高の写真が天から贈られる!
その醍醐味を生涯忘れることはない!
そんな写真家の人生は、
一つの生きるに値する人生なのでしょう。

これって、オペラ歌手や合奏の演奏家に似ています。
自分一人では達成できないパフォーマンス。
人と場所と時間がピタリと合わさったとき、
最高の演奏が生まれる。
私も、ザ・シンフォニーホールの
クラリネット奏者カール・ライスターのコンサート。
モーツァルト「クラリネット五重奏曲」
その第2楽章で、そんな至福の演奏を味わうことができました。
まるで時空の中にすっと差し込まれたような、
たった一本の絹糸となったピアニッシモ。
じかに心の中にすっと刺し通ってきました。
カール・ライスターのような演奏家でも、
そのときの日本人演奏家たちとの出会いと協演は、
おそらく生涯でも出会いだったのでしょう、
だからこそ、屈指の至福のピアニッシモに結実した、
そんな感じがします。
ライスターのCDでも、他の演奏家のYouTubeの演奏でも、
他の曲の演奏の中でも、
そんなピアニッシモなど聴いたことがないのですから。

木村伊兵衛は数知れない下町スナップの傑作を残しましたが、
自分の作品を見る度に、
ライスターが一本のピアニッシモに覚えたような永遠の瞬間が、
心の中に蘇る思いをしたでしょう。
それだから、木村伊兵衛は浅草の下町、路地を、
生涯にわたって経巡りつづけたのでしょう。

こんな風に考えると、同じ下町歩きでも、
木村伊兵衛と私とでは、その中身は月とすっぽんほど違います。
でも、人間というのは、だから、面白いのでしょう。
十人十色。
私には私なりの喜びがある。
自分なりの、自分だけの喜びを味わい、
他の人生を羨んだりしない、
そんな人生を送りたいものですね。

一記事30枚平均でダラダラと並ぶ私の写真をご覧になって、
なにかを感じる人などいないでしょう。
でも、私は、私の目と心がその瞬間揺らいだ、そんな記録が、
このロボグラフィなのです。

インドの古えの王が、愛する妃に尋ねたそうです、
「王妃よ、そなたがこの世で一番愛する人はだれじゃ?」
「それは王様、あなたです」という答えを期待したのです。
妃は躊躇答えました、
「それは私自身です。
王様も同じではありませんか?」
言ってみれば、これが「ロボグラフィの精神」です。
自分で、自分だけが愛せるシーンを一歩ごとに見つけて、
そのシーンを無心に一枚の写真にする。
それで終わり、一件落着。

そんな気持ちをたっぷり味あわせてくれるレンズが、
アストロ・ベルリンのパンタッカー50㎜F2.3。
ライカM9に付けたことで、
ソニーα7に付けるよりさらにコクのある写真になった、
そんな感じがしますが、いかが?






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# by hologon158 | 2017-09-15 22:18 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

702.09 ホロゴン外傅209「2017年8月2日アンギュロンが奈良町に」9 にんじんジュース




一昨日からにんじんジュース健康法を始めました。
友人からガン予防に効くということで勧められたのですが、
ありがたい情報でした。
水分をどんどん摂ることが一番の健康法、そんな感じがします。

ジューサーが高いので、
とても安いミキサーとガーゼを同時購入。
TESCOM テスコム ミキサー TM8200
サンベルム 調理用品 ビストロ先生お料理ガーゼ WH K42013

にんじん、リンゴ、リンゴジュース、最後に、
レモンをミキサーに入れて、どろどろにし、ガーゼでこせば、
立派に、甘味なジュースの出来上がり。

ガーゼで漉すのが大変じゃないか?
そんな方は2、3万出せば、ジューサーが手に入ります。
私は資金がないので、濾過作業をせっせとします。
ガーゼ代だけで済みますし、すでに3回濾過作業をしましたが、
これが実に簡単で、楽しい。
学校の先生も、悪ガキ生徒を絞るのは楽しいのでしょうか?
そんなことはないでしょうね。
学校の悩める先生も、悪ガキに手こずったら、
にんじんジュースを思いっきり絞りましょうね。

冗談はさておき、作業は実に簡単で、
出来上がったジュースは意外にもおいしい!
産地直送の無農薬にんじん、リンゴをどっさり買い込み、
毎日せっせと作っては吞んでいます。
妻も喜んでいます。

にんじんジュースは、作るプロセスも楽しいし、
おそらくがん予防効果も、水素吸引とあいまって、
かなり強力でしょう。
これ、目下、なんの根拠も確かめていない受け売りですが、
そう信じられたら、真剣にやってみたらよいのです。

第2の人生では、なにをするかが重要ではなくなります。
なにかを達成しなければならないという使命も課題もないので、
どんなことも等しく大切な人生の仕事。
心を込めてするかどうか、これが重要となります。
心を込めて何かをすれば、人生の基礎固めとなり、
それだけ長生きできます。
おざなりにすれば、人生の基礎を少しずつ削りとっていき、
それだけ早く老いぼれます。

どんなことにも、優れたやり方とまずいやり方があります。
毎日がそんな知恵を一つ一つ学べる大切なプロセス。
なんでもそうですが、そんな気持ちですれば、
楽しいものです。




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# by hologon158 | 2017-09-14 22:27 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

702.08 ホロゴン外傅209「2017年8月2日アンギュロンが奈良町に」8 闇、深まる



ときどき考えます、
一体世界はどうなってしまったんだろう?
今からどうなって行くんだろう?

私が子供の頃、周り至るところに、
若い男女、子供たちが溢れていました。
大学生になって、コンサートに通うようになりましたが、
ホールを埋めた聴衆はほとんど若い男女だけでした。
マンモス小学校が各地にできていました。
今、私の住む奈良市など、ほとんど老人だけ!

この文章を書いたのは9月9日土曜日、
ポメラを大和西大寺駅内のパン屋さんの喫茶室で書いていました。
周囲を見渡すと、女性店員さん以外は、
客も配達員も、十数人すべて老人だけ!
バスから工事現場を見ると、
路上に立つ警備員はいつも老人。

若い頃、よく考えたものでした。
年をとるって、どういうことだろう?
まったく想像もつかなかったのです。
今、その老人の域に達して分かりました。
砂上に楼閣を作るようなものだ。
さまざまな波浪が楼閣を押し流してしまいます。
でも、また楼閣を作り続けなければならない。
そうしないと、ただの爺さんにはってしまう。
そうならないためには、
日々努力しなければならず、そのために費やすエネルギーは、
若い頃よりも遙かに増量しなければなりません。
砂上の楼閣の崩れる後から後から築きなおさなければならないから。

いつも「継続は力」ということを書いています。
やることは、ピラミッドのように、すべてしっかりと基礎を固めて、
下から順番に土台を築いていかなければならない。
そうしないと、すべてががらがらと崩れてしまう。
家はどんなところに建てますか?
永年崩れない堅固な地盤の上に、ですね。

以下の文章を書い続けたのは、9月11日月曜日、
朝、バス停でバスを待っていました。
我が家に一番近いバス停は一駅向こうの終点から折り返してきます。
バス停と言っても、ただの三叉路で、標識も別の場所にあります。
乗客は三々五々やってきた順にそのあたり、互いに遠慮して、
ちょっと離れた場所にたむろして待ちます。
バスが停車する地点からそれぞれに数mずつ離れています。
でも、来た順番を覚えています。
だから、時間的に列を作っているわけです。

でも、そんなことをかまわないで、
遅れてきたのに、ずばり中心点に立つ人がたまにいます。
自営業風にちょっと威張った50年輩の男と、
年齢を問わない、ちょっと年を食った女性。
こんな人は、人生の中でなにかを学んで来たとしても、
人に譲るということは学ばなかったようです。
私は自由人が好きです。
でも、唯我独尊の御仁だけはごめん。

ちょっと話が逸れたようで、申し訳ありませんが、
私の感じるところでは、
自分以外の人を大切にすること、
これも人生の一つの堅固な土台なのではないでしょうか?

私は長年写真を楽しんできましたが、
若い頃所属したカメラクラブ二つは、
メンバーの大半が青年(男性がほとんど)で、
仲間の写真を熱心に鑑賞し、
互いに敬意を表しあい、教えを乞いました。

30数年前、ふるさとの奈良に戻ってきて、
写真クラブに入りましたが、すでに時代は完全に変わっていました。
メンバーはほとんど老人と女性。
「我こそ天才なり」と天狗になっている人がざらに居て、
他人の写真はほとんど見ず、
もし見ても、それはネタ探しのためでした。
コンテスト屋、賞金稼ぎが横行していたのです。

でも、本当に写真を愛しているのだろか?
本気で疑ってしまう人ばかりでした。
会社の出世競争を写真にも引きずっている、
そんな連中には、同好の士、という親近感など、
ちらっとも感じられなかったのです。
私は、そんな方向に人生を積み上げていきたいとは思いません。
人の評価、賞賛を求めて生きる人は、
いつか精神の泉が枯渇してしまい、
評価、賞賛を求めても、それが得られないときが来ます。
肩書き、名声、地位は、
人生をその上に築く堅固な土台ではないのです。

ネットの記事にこんなのがありました。
人は歩く速度で残りの寿命が予測できる。
だんだんとノロくなると、危険域に近づいている、というわけです。
私の住む住宅地は、私よりかなり年輩の人が沢山住んでいます。
でも、一様にしなびてきて、一様にノロノロトボトボと歩いています。
でも、歩いている人はまだまし。
ぜんぜん家から出てこない人がかなり居るようです。

もっとも歩き方、速度は人様々なので、
歩測が残り寿命に正確に対応しているとは考えません。
でも、元気に大股で歩いていた人が、
急に肩を落としてトボトボと歩くようになったら、
やはり危険信号ですね。

ホワイトヘッドのことを思い出します。
弟子の哲学者の一人が書いていました。
80を過ぎて、さすがに背は丸くなったけど、
いつもほほえみを絶やさず、
頭をしっかりと高くして、空を見上げ、
その目はきらきら輝いていたのだそうです。

ハーバードの学生たちが絶えず彼のマンションを訪ねて来ました。
たいていの権威者は、こんな訪問者たちにはご託宣を垂れ、
若者は渇仰のまなざしで偉人を見上げる、という構図。
ところが、ホワイトヘッドは違いました、
いつも目を輝かせて尋ねたそうです、
「あなたは今なにをしていますか?
このごろどんなことを考えていますか?」

世界はまだまだ老化していくでしょう。
どうやら地球文明は老年期に入ったようです。
現代は最低の政治家たちに良いように引きずり回されていますが、
このような衆愚政治の迷走が続くと、
しびれを切らした大衆は独裁者を求めはじめる危険があります。
世界は闇に向かいつつあるのかも知れません。
そうであればあるほど、私たちは一人一人正気を失わず、
体力と知力をしっかりと強化することが使命となります。
お互い、がんばりましょう。



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# by hologon158 | 2017-09-13 18:51 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

702.07 ホロゴン外傅209「2017年8月2日アンギュロンが奈良町に」7 モーツァルトの生産力



今日、ある人からおもしろい話を聞きました。
モーツァルトの作曲のことです。
誰かが全曲の量を計算したのです。
その結果、モーツァルトの生涯、
生まれてから書きはじめても、
死ぬまでに全曲を書ききれない。
だから、モーツァルトの近親数人も作曲したものをすべて、
モーツァルトの名で楽譜を売り出して、金を稼いだ、
という新説。

面白いですね。
でも、モーツァルトの曲を聴いてみてください。
ピアノ協奏曲、
ヴァイオリン等の協奏曲、
ピアノ等の各種ソナタ集、
オペラ、
弦楽四重奏曲、
ディベルティメント、
宗教曲、
交響曲、
なんでもよいのです。
初期の作品は別として、モーツァルトとが成熟した後、
作品にばらつきはありません。
それぞれに同時代に類を見ない、
というより、時代を完全に超越した、圧倒的に独創的で、
圧倒的に気品と優雅さに満ちた音楽世界が広がります。
そして、どれも紛れもないモーツァルトの香りに満ちています。

モーツァルト家もかなり天分の家系ですが、
モーツァルトはこの世にたった一人の稀有の天才です。
大天才の家系はいくつもありますが、
軸となる大天才の血筋を引いていても、
大天才の域に到達した人は例を見ません。

名古屋大の研究室が時間より早く走るニュートリノを検出した、
という記事が出たことがあり、
そのときも、私は即日、本ブログで書きました。
それは計器の間違いで、そんなことはありえない。
別のサイクロトロンで同一の結果が検出されない限り、
そんなものは信じない方がいい。

数人モーツァルト説もこれにそっくりです。
それはありえない。
バッハ家がよい先例です。
子供たちを含めて、バッハ一族に、
大バッハに匹敵する作曲家はいないし、
大バッハの作曲であることを示す、高貴なたたずまいは、
何人にも到達不能な境地でした。
モーツァルトも同様に考えることができます。

だとすると、計算方法にどこかあやまりがある、
というもう1つの可能性を考えた方がよさそうです。

モーツァルトの作曲する姿の目撃談によれば、
まさに頭の中からよどみなく流れるようだったそうです。
事実、残されたモーツァルトの自筆楽譜には、
ほとんど訂正の痕がないそうです。

ある人の研究によれば、
モーツァルトの曲は限定数の特定のイディオム(特定の音型)によって
構成されているのだそうです。
どの作曲家の曲も同様です。
だから、今まで聞いたことがなかった音楽を聴いても、
これはベートーベンだ、チャイコフスキーだ、モーツァルトだと、
かなり正確に識別できるのです。

とすると、一族の者がモーツァルトの名をかたって曲を売る、
そんなことをできたとは思えませんし、
第一、発売前にモーツァルトのチェックを受けたとすれば、
ますますモーツァルトがチェックしたとすれば、
親戚の曲などすべて却下したでしょう。
ますます、モーツァルト多数人作曲説は成立見込みなし、
そう考えるのですが、いかがでしょうか?




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# by hologon158 | 2017-09-12 22:43 | ホロゴン外傳 | Comments(0)