わが友ホロゴン・わが夢タンバール

33.18ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」18 祭り嫌いに、祭りだワッショイ!


祭りを撮るのが好きでないことは書きました。
皮肉なことに、そういう私の前にいつでも祭りが出現するのです。
バドガオンでも合計3つのお祭りに巻き込まれてしまいました。
1つめは、バドガオン郊外の小さな村で。
村に入り込んだ途端、どこでもドアから現れたように、
仮面の神様を中心とする祭列が突如出現し、
広場に入り込みました。
村の人が総出でこれを出迎えて、もうてんやわんやの大騒ぎ。
外国人は私一人でしたが、この外国人も祭りの渦の中に埋もれてしまい、
もうまるでもみくちゃ。
誰も私のことを気にする人なんて居ません。
仮面の神様にお祝儀を上げているようですね。
若い女性、マニキュアの指で捧げものの器を上品に支えて、
騒乱の渦に巻き込まれても、この表情を崩しません。
それが美女の美女たるゆえんかも知れませんね。
きりっとあちらに視線を流したりして、かっこいいですね。
ひょっとしたら、恋人が見ているのに気づいていたのかも。
3枚目は、バドガオン最大のお祭りの見物客たち。
2つ目のお祭りです。3つ目は後で書きます。
なまはげかスペインの闘牛祭りのようなお祭り。
十数人の仮面をかぶった神様が大通りを闊歩し、
100人以上の男の子たちがその前方を逃げます。
まだこちらは子だくさんなのです。
時折、神様が狂ったようにいきなり駆け出し、
男の子をつかまえます。
つかまえられた男の子が賢くなるのか、
鬼にされてしまうのか、
食べられちゃうのか、
ちゃんと聞いたのですが、全部忘れました。
それだけでなく、お祭りの写真、ろくに撮っていない!
ハレの日の催し物は、私の言うロボーグラフィには当たらない、
どうもそう感じてしまうようです。
それに、日本のお祭りにハイアマチュアの人たちがどっさり集まり、
そこのけそこのけとカメラマン同士押し合いへし合いする光景を見るたびに、
あんなみっともないことをしたくない気持ちもちょっとあります。
なまはげ祭りを道路脇で見物するのは女の子たち。
こころなしか、面白くなさそうな、沈んだ表情ですね。
なんで男の子だけが参加できるの?
ヒンズー教はまだまだ男性上位。
思えば、日本が近代化できた根底には、
日本人が極めて非宗教的だったことがあるかも知れませんね。
おかげで、女性が日増しに強力化されつつあるようですね。
ときどき戦士のような風貌、足取りの見上げるほど背の高い女性に出会いますね。
そんな方とすれ違うとき、心の中で思わず最敬礼。
ありがとさんよ、ぶっとばさないでくれて。
思い返せば、先ほどの祭りの美女も大きかったなあ。

c0168172_2111683.jpg
c0168172_21113115.jpg
c0168172_21114972.jpg

    [撮影メモ]
     炯眼な方は、私がこれまでに幾枚か望遠レンズを使っていることに
     お気づきになっていることでしょう。
     そう、一本、望遠レンズをバッグに忍ばせていたのです。
     友人から借りたアストロベルリンのタッカー125mmF2.3。
     M42仕様になっていますが、かつての映画用レンズ。
     70ミリ用だと聞いたことがありますが、本当かどうか?
     知る人ぞ知る、超名レンズ群、それがアストロベルリン。
     加工賃も含めて超高価なレンズもあるようです。
     でも、F2.3シリーズは安価で、しかも見事に写ります。
     このレンズもたしかに良いレンズ。
     黒エナメル塗りの見事な作りでした。
     大変に柔らかい描写をするレンズでした。
     今回の3枚の内、縦写真がそれです。
     美女にぴったりのレンズかも知れませんね。
# by Hologon158 | 2008-10-16 21:16 | ホロゴン写真展 | Comments(0)

33.17ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」17 沈思の女性って美しいですね

c0168172_17532930.jpg


アテネ国立博物館で観たと記憶していますが、
「沈思のアテーナイ」というレリーフ、
これは忘れることができません。
美しい横顔がちょっとうつむいて、沈思の眼差し。
小品ですが、
ギリシア美術史上もっとも美しいレリーフだと思いたいですね。
古来、美しい女性をうつむかせて描いた絵が少なからずあります。
フェルメールの女性の多くがうつむいています。
それがフェルメールの魅力の秘密の一つなのかも知れません。
レンブラントにも有名なバテシバがダビデ王に懸想されて思い悩む絵があります。
実はレンブラントの奥さんなのです。
レンブラントは、愛妻のもっとも美しい姿を描こうと思い立ったのです。
そして、彼が選んだのは、バテシバであり、うつむく姿勢だったわけです。
なんだか納得できないような、納得できるような感じ。
その後に、私のうつむく少女の写真を話題にのせるのは、
ちょっと面はゆいというか、身の程知らずという感じがします。
そのうえ、この写真、私の前のブログでも今回のブログでも既出。
二重に、お許しくださいとまず言っておきます。
でも、この写真は、この旅行の最高の収穫なのですから、
これを外すわけには参りません。
それに、このふっくらなほっぺ、
ちょっと両手で包んでみたいと思いませんか?
この写真を見るたびに思うのです、
この子、いったい何を考えているのだろう?
知りたいですね。
この子が今では成人直前だろうと考えますと、感無量になります。
この世の中、私の関知しないところで一杯大切なことが変化していくのですね。
この子に、今会って、このとき何を考えていたのって尋ねても、答えられないでしょう。
たいていの悩みって、そんなものですね。
何年か経つと、もう悩んだことも忘れてしまう。
人間って、忘却を生きる武器にしているようですね。
でも、こうして写真に撮ってしまうと、
この少女自身はこのときここでなにか思い悩んでいたことを忘れているのに、
撮った方は忘れることができなくなっているのです。
おかしなものですね。

      [撮影メモ]
       この写真の使用レンズをあてられる人はまずいないでしょう。
       改造レンズだからです。
       コニカのいにしえの6×4.5判パールについていた標準レンズ、
       ヘキサー75mmF3.5なのです。
       往年の名レンズです。
       不思議なことに、中判用の名レンズを35ミリ用に改造しても、
       撮れるものの質感、味わい、厳しさは、
       中判オリジナルのときとまるで変わらないようです。
       パールは蛇腹がへたって穴だらけというのが時にあるようです。
       もしそんなものを見つけたら、是非手に入れて、
       有名なレンズ改造家宮崎さんにお願いしてみたらいかが?
       こんな風に、濡れたようにしっとりと、
       そして、活き活きと写りますよ。
       いいですよ…
# by Hologon158 | 2008-10-16 18:11 | ホロゴン写真展 | Comments(4)

33.16ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」16 黄金の時間にさしかかったのは曲がり角だった


アンリ・ラルティーグ、
この写真家をご存知でしょうか?
7歳のとき、父からカメラをプレゼントされて、
死ぬまで、その大半を無名のアマチュアとして撮り続けた人です。
私など、生涯の全部を無名の素人として撮り続けることになりますので、
この人はまさに生涯の模範。
その写真が幼少時から晩年までずっと魅力的なのです。
さまざまなフォーマットのカメラで撮り続けたようですが、
強烈に魅力的なのが、1:2.1という極端に長い長辺をもつカメラのもの。
いつも長辺の一方の画像が横流れしていますので、
ひょっとすると、レンズが回転するパノラマカメラなのかも知れません。
このカメラによる作品、全部空気感があって、雰囲気満点。
私も昔ワイドラックスというパノラマカメラを使ったことがあります。
レンズがくるりと140度回転します。
シルクロードに2週間のバスの旅に出かけるというので、
急遽手に入れ、三脚につけて試し撮りしてみました。
35ミリフィルムが9センチ幅にワイドになり、
見事なパノラマになっていました。
これはシルクロードの広大な砂漠を撮るのに強力な武器になると勇んで出かけました。
10本近く撮ったでしょうか?
現像から上がってきたポジを、胸をときめかせつつのぞき込んで、
唖然、呆然、茫然、憤然、そして凍り付いてしまいました。
そのすべてのネガの両側にソーセージがしっかり写っていたのです。
私の指!
なんにも考えずに、普通のホールディングをしていたのです。
まだホロゴンウルトラワイドを手に入れる前のことでした。
画角110度のホロゴンでも指が写るのです。
140度で写らない筈がない、バカ、バカ、バカ!
ただちにワイドラックスを売り飛ばしてしまったことは言うまでもありません。
でも、売り飛ばしたことに後悔はありません。
とてもシャープですが、とても硬い写りなのです。
ラルティーグの使用したレンズはおそらくブローニーなのでしょう。
大変にやわらかい。
ビビというとても可愛い奥さんを田舎の街道上で撮った作品があります。
パノラマを縦位置に撮っています。
底部から街道が画面ほぼ3分の2まで昇って行き、
その中央に、美しいビビがすっと立っています。
その頭部の少し上の方で、街道の白い路面が右にカーブして消えてゆきます。
ビビの背後にはたった一本の大樹がすっと聳えています。
つまり、下面から街道、ビビ、大樹と空だけでシンプルに構成されています。
もちろん大地と空とは黄金分割。
1923年、まさに古き良き時代だった!
この写真一枚が時代の雰囲気を力まず自然に映し出しているのです。
単なる記念写真、でも、ただならぬ芸術!
私は、いつもこの人の写真を見るたびに、心の中でつぶやいてしまいます。
この人は欲がなかったのだ!
天才だった!
でも、長い間、自分では気づいていなかった!
カルティエ=ブレッソンとラルティーグ、
写真の2人の天才はどちらもフランスの古きよき時代の裕福な家庭の生まれ。
この符合になにか意味があるような気がしてきます。
たとえば、豊かな人間関係に取り囲まれて育つことによって、
人と人との触れあい、コミュニケーションのニュアンスのすべてを感じ取れる、
そんなセンシティブな人間に育ったのかも?
そして、スナップを撮るとき、その豊かな感受性が活きているのかも?
くれぐれもご注意申し上げます。
天才の作品を観た後で、自分の写真を見るものではありませんよ。
その落差にめまいしてしまうでしょうから。

c0168172_15235340.jpg

# by Hologon158 | 2008-10-16 15:24 | ホロゴン写真展 | Comments(2)

33.15ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」15 この3人、今も仲良しだろうな!


カトマンズの東近郊の古都バドガオン、
バクタプルとも呼ばれますが、
バドガオンという音楽的な響きが大好きなので、
私はバドガオンとしか呼びません。
カトマンズ、パタンに二王国と鼎立したバクタプル王朝の都です。
まあ、行ってみてください、
町ぐるみ文化遺産、町ぐるみ古都の重厚な雰囲気に包まれ、
まるでタイムマシーンで17世紀に運ばれたような気分になります。
この町の路地裏、最高!
まず、住民たちが実にあたたかい!
一週間以上この町に居て、毎日毎日ほとんど路地裏だけで過ごしました。
当然幾度も同じ場所を通過します。
こんな観光客も珍しいと見えて、
住民たちもすぐに私のことを覚えてくれました。
この3人の友達もそうでした。
寒い冬です、ひなたぼっこが一番。
思い思いに編み物に励んでいます。
この寒さで裸足。
質実剛健の民族なのです。
この3人を見て、三国志演義を思い出しました。
劉備、関羽、張飛が桃園で義兄弟の誓いをします。
ただの一介の市井の人に過ぎなかった、ちょっと無頼の若者たち。
でも、この友情が歴史を作り出します。
一人ではなにも出来なかったかも知れない3人、力を合わせると、
劉備は帝王となって王朝を創業し、
他の2人は「万夫不当」(1万人がかかってもかなわない)の英雄として、
歴史に名を残すことになります。
たがいに能力を伸ばし合った、私はそう信じます。
古典ギリシアのアテーナイ、
ルネサンスのフィレンツェ、
エリザベス1世のロンドン、
ルイ14世のパリ、
フランス革命のパリ、
江戸末期の明治維新を作り出した長州、薩摩、
これらの小さな地域に、わずか2,30年の間に、空前の人材が輩出して、
わんさかわんさかと御輿を担ぐようにして、
歴史をがらり、くるりと回転させてしまいました。
なんで?
私のかってな憶測ですが、
相互刺激効果!
これしかないと、私は信じます。
あいつがやれるなら、おれもやれる!
そんなことをお前がしたか?
よし、おれもやったるで!
この3人の女性だって、そうでしょう。
たがいに相手の編み物の成果を見て、
そうか、私なら、こうしてみよう!
私の一番言いたかったことにたどりつきました。
前回、私の友人2人のちょっととんまな実態をばらしてしまいましたが、
実のところ、私の現在はこの2人とその他数人の友人たちに負っているのです。
例外もありますが、私も含めてたいていは実に平凡な写真を撮ってきた連中。
ところが、たがいに親交を深めるうちに、
次第にそれぞれの良いところが不思議にぐんぐん伸びてきたのです。
今、それぞれに、その人しか撮らないような独特の写真を撮っています。
ほんとうに皆さんにお見せしたいほどのものばかりなのです。
いつか彼らの個展を東京と大阪でする、
これが私の夢。
私はどうなのか、ですって?
私にはこのブログがあるじゃないですか!
これこそ、私自身の夢。
夢を現実に生きている、それが今の私なのです。

c0168172_113431.jpg

# by Hologon158 | 2008-10-16 11:07 | ホロゴン写真展 | Comments(0)

33.14ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」14 陶器師町の陶器干しをホロゴンで


その人の人間性を知りたかったら、友達を見れば分かる。
そんな風に言う人がいます。
この言葉も、リンカーンのあの容貌についての言葉同様、嫌いですね。
そんなことをされたら、たまったものじゃない。
とくに私の場合は!
私の親友の一人ADさんは、28ミリの名人なのですが、
仏様顔負けの柔和でおだやかな人柄。
ここまではよいのです。
ときどき大変にずっこけることがあります。
滋賀県の近江八幡に撮影に出かけたときのことです。
広々とした水郷沿いの路を友人数人で三々五々撮影して歩いたのです。
もう一人の親友RAさんが後方でフィルムを変え始めました。
ライカのバルナック型なので、ちょっとややこしい詰め替え作業。
道ばたにたたずんだまま、なかなか終わりません。
30メートルばかり前方に進んで立ち止まって、彼を待つ私とADさん。
7,8分経って、ADさんが憐憫の眼差しをRAさんにくれながら言いました、
「いやあ、長いですね。
そんなに難しいのなら、家でしっかりと入れ替えの練習をしておかなくちゃ!」
そして、破顔一笑!
その顔は自信に満ちていました。
10分以上経ってようやくRAさん、フィルム交換完了。
やってきたRAさんに向かって、
「RAさん、カメラ持ちすぎですよ」などと、さんざん冷やかして、
さて、先に進もうとしたとき、ADさん、ふと手元を見て、
「あれっ、フィルム終わってますよ」
私とRAさん、10メートルばかり先で立ち止まり、RAさんを待ちました。
彼もバルナック型だったのです。
彼のフィルム交換、何分かかったと思いますか?
RAさんときっかり同時間!
そういう私も、実は先日もっとひどい失敗をやらかしました。
先日もサンプルを一組ホロゴンデイシリーズとしてアップしましたが、
近ごろ、職場界隈と、我が家の近く鹿野園界隈とをお気に入りの猟場にしています。
ときどきホロゴンウルトラワイド以外のカメラとレンズも愉しんでいるのです。
ある日、私もバルナックで撮影を愉しみました。
フィルム交換ももう少し手際よくやってのけました。
翌日、現像に出したフィルムを受け取りに参りました。
店主、「どうなさったんですか? 
フィルムのど真ん中が最後まで完全に切れてしまっていましたよ」
どうやら力任せにフィルムを巻き上げてしまったようです。
遅いけど確実なお二人、早いけど、撮影済みフィルムを一本損した私。
絶妙のコンビというところでしょうか?

c0168172_02296.jpg

# by Hologon158 | 2008-10-16 00:04 | ホロゴン写真展 | Comments(2)

33.13ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」13 目にも止まらぬ巻き上げでフィニッシュした日本人


「煙草は吸った方がいいよ、間が持てるから」
これ母の薦め。
こんな母親も少ないでしょうね。
大学入学直後の私、この母の教えによろこんで従ったでしょうか?
とんでもない。
「心配ないよ、間が保てないようなことは、ぼくの場合、ないんだから」
何時間でもしゃべり続けるのですから、間もなにもあったものじゃない!
でも、それは表向きの理由。
当時から、煙草が身体に悪いことは十分に分かっていました。
身体に悪いことは決してしない、それが私の生涯一貫した方針。
煙草に着火し、指でホールドし、そっとふかす、
その仕草のすべてが実に見事に決まっている人がいます。
まことにかっこいい。
だから、やってみるか?
それもしませんね。
だって、その反対に、煙草を巡る仕草のすべてがダサイ人の方がすっと多いのですから。
私の生涯一貫したもう一つの方針は、
人からかっこいいなと思われるようなことは一切しない!
たとえば、「なるほど…」なんて、独りしずかにうなづいて、
沈思黙考してから、やおら口を開く、なんてことは、
しない。
というより、できない。
いきなり言葉が口をついて出てしまうたちなのですから。
友達も終始悪かったですね、
こっちが黙ったら、平気で話題を奪ってしまうようなのばかり。
おかげで、丁々発止、とうとう深みのある人間性は培われずじまいになりました。
こんな環境では、もったいぶったこととは完全に無縁となってしまった私。
そんな私ですが、ここ、バドガオンの町に来て、
まるで維新前の江戸のようなたたずまいの商店街で、
水煙管を吸う老人を見つけて、感心しました。
「やあ、あの吸い方って、煙草のかっこよさ抜きにして、
純粋に煙草を愉しむ究極の方法なんだな!」
もし私が煙草中毒になっていたら、
最後にはきっとこの吸い方を取り入れていたことでしょう。
思い出しました、
人生に一度だけ、かっこいいことをしたことを。
アイルランドの首都ダブリンで撮影していたときのことです。
ホロゴンウルトラワイドのフィルムが終わったのです。
雑踏の中、交換動作にとりかかろうとして、目の隅にふと気づきました。
アメリカ人写真家とおぼしき男が、
手に使い古したニコンを手にして立っていて、
この男の視線は、はっきりとホロゴンウルトラワイドに集中していることに。
このとき位、流れるような動作でかつ極めて短時間に、
フィルムをすぱっと交換し、裏蓋をパチンと取り付け、
2度の目にも止まらぬ巻き上げ動作でフィニッシュしたことはありませんね。
私は、昔ながらの愛国思想とはぜんぜん無縁のやからですが、
このときだけは、日本人として、
カメラの扱いにおいて、アメリカ人に馬鹿にされるようなことをしてはならぬ、
なんていきり立ったのですから、おかしなものです。
ガラに合わぬことはしないこと、それが一番ですね。
c0168172_21255158.jpg

     [撮影メモ]
      たいていのカメラマンなら、
      このような老人を見つけると、
      左に回り、水煙管を前景にぼかして、
      煙管を吸う恍惚の表情をアップにして、
      望遠レンズでシャッと見事傑作をゲットしたことでしょう。
      あいにく15ミリ超広角の私です、
      いつものダサイやり方しかありません。
      通行人に混じって、路を進み、
      老人の横70センチほどに接近した瞬間、
      腰だめのホロゴンを脇に回して、チャッ。
      腰の据わらぬ撮り方ですが、
      老人の方がぐっと腰を据えてくれているので、
      なんとか写真になりました。
      腰の決まった被写体を撮れば、
      腰の決まらぬ撮り方でもちゃんと撮れる一例でした。
      ちなみに、5年後、バドガオンを再訪したとき、
      まだしっかりとお店を続けている老人の姿を見つけて、
      なんだか旧友に再会したようなうれしさを感じたものでした。
      それからまた五年後の今も水煙管たしなんでいるかな?
# by Hologon158 | 2008-10-15 21:26 | ホロゴン写真展 | Comments(2)

33.12ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」12 どうして扉に鍵が一杯ついてるの?


ネパールで不思議なことの一つ、
扉に鍵がどっさり設置してあること!
2、3個はざら、5、6個が重なるようにしてバーに設置され、
がっちりと扉を固めているのも稀ではありません。
それだけ、空き巣、強盗の危険が増大しているのでしょうね。
実は、ネパールにも、十年前から経済不況が階層社会と絡み合って、
貧富の差が増大し、社会不安、経済不安が次第にたかまりつつあるようです。
この情勢が極限近くまでたかまってきたことは、
先頃のニュースで皆さんもよくご存知のところです。
9とはちょっと論旨が矛盾するようですが、
世界経済がネパールを押し流してしまう危険もないわけではないようです。
扉の鍵の数がそんな不安の大きさを物語っているようです。
私は、ヨーロッパでは、二度ばかりスリに遭ったりしましたが、
怖い目、いやな目に遭ったことは一度もないのです、
ヨーロッパでもアジアでも路地裏ばかり歩いてきたのに。
どちらかと言うと、貧相な風体で、いつも薄汚れた服装、
そして、これは絶対的にそうなのですが、
金なんか、ちっとも持っていそうにないこと、
そのうえ、路地裏に金のある奴が来るはずがないということ、
こうした点がその理由なのだろうと推測します。
しかし、もっと根本的な理由を私は知っています。
それは、路地裏には悪人はそんなに多くいない!
ほんとうの悪人を捜したかったら、
中央の政界、官界、財界を探しましょう!
いかにも善人そうなみせかけ、
いかにも偉そうな風貌、
いかにも民衆の味方のような振る舞い、
そんな立派な人物を見たら、偽物と思って間違いがなさそう。
経験を積んだ検事さんがこんなことを言っていました、
「これまで出会った大物の悪党はみんな、
私がこれまで出会ったもっとも立派な風采の人物でした」
ほんものの善人、
ほんものの人物って、
みかけは並、普通なのですよね。
だって、本物は見かけを気にしないのですから。
この考え方を今回の写真に逆に適用してみますと、
この家、いかにも頑丈に施錠してありますが、
実は金目のもの、ほとんどないかも知れませんね。
c0168172_17475857.jpg

     [撮影メモ]
      これはもちろんホロゴン。
      暮れ方の黄金の時間です。
      例の水平垂直撮影法がこんな光景にはぴったり、
      などと考えて撮ったわけではありません。
      私はこの撮り方しか知らないのですから。
      でも、ここでは成功だったように思います。
      ホロゴンって、どんなに歪曲の少ないレンズか、
      よくお分かりいただけるはず。
      こんな折り目正しい写真が水平垂直を守るだけで、
      ノーファインダーで撮れるのです。
      どう? 使ってみたいと思いませんか?
# by Hologon158 | 2008-10-15 17:53 | ホロゴン写真展 | Comments(6)

33.11ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」11 心から笑ったことがありますか?


現代化のあまり進んでいない国を訪れて、
一番びっくりすること、そして一番嬉しいことは、
少年たちの目が輝いていること!
このことは幾度か書きました。
テレビもテレビゲームもない!
だけど、子供です。
遊びたい!
そこで、自分たちでゲームを創案し、伝承します。
不思議なことに、ネパールの子供たちの遊びには、
戦後日本の子供たちの遊びとそっくりなのがいくつもあったこと。
ベッタン、
メンコ、
お手玉、
輪回し、
石蹴り、
かくれんぼ、
おままごと、
坂すべり、
木登り…
みんな、懐かしいですね。
なにっ?
ご存じない?
そう、随分前に日本では絶滅してしまった遊びばかり。
テレビと受験戦争が子どもたちを野原から追い出し、
家に追い込んでしまったのです。
おかげで、目が死んでしまいました。
遠くを見ることがなくなると、目は光を失ってしまうようです。
ネパールの子供たち、自分が幸せであることに気づいていないでしょう。
日本の子供たちも、自分が不幸せであることに気づいていないでしょう。
ネパールの遊びの内、おままごと、石蹴り、輪回しを見ていただきましょう。
みんな真剣で、ほんとうに楽しそうじゃありませんか!
子供の頃、全身使って遊んだことのない人、
心から笑ったことのない人は、
それがどんなに楽しいこと、どんなに幸せなことか、ご存じないのです。
今からでも遅くない、
遊んでみたらどうですか?
腹の底から笑えるようなことをしてみたらどうですか?

c0168172_01318.jpg
c0168172_012211.jpg
c0168172_013998.jpg

# by Hologon158 | 2008-10-15 00:04 | ホロゴン写真展 | Comments(2)

33.10ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」10 若奥様、なにをお祈りするのでしょうか?


カトマンズの町を歩いていて気づいたことがあります。
階層によって、お参りするお寺が違うのです。
一般庶民は小さな祠にお参りします。
お参りの時間があるようです。
朝のある時刻になると、祠に行列ができます。
いかにもおばちゃん、おっさん然とした、いわば庶民の皆さんが、
お盆にいろいろお供えを載せて、ぴったりひしめき合って並びます。
カトマンズの中心街にある、外壁を彫刻が埋める由緒あるヒンズー寺院、
豪華な装飾の大寺院は彫像も金づくめ、
お参りの女性も、一見してそれと知れる高価な生地のサリーに身を包んでいます。
第一容貌が違います。
年配でも、おばさんではなくて、はっきりと奥方様の風格、
若い女性となりますと、おねえちゃんではなくて、
はっきりと良家の若奥様の風情。
日本の昔と違い、インド、ネパールでは、お嬢様、若奥様も、
けっして楚々たる風情はなくて、むしろ凛然とした気品をたたえていて、
その振る舞いだけ見ても、庶民とは画然と区別されます。
お供えも器も豪勢そのもの。
成金趣味ではなく、由緒ある逸品。
このあたりの社会層の区分は日本ではほとんどなくなりました。
今でも、どこかに行けば、深窓の令嬢は存在するはずです。
でも、あまりにも数が少ないので、お目にかかる機会がない。
お目にかかるのは、すべて階層の区別など到底できない、
奇抜な現代ファッションに身を固めた、けばけばしい女性たち。
平等化は悪いことではありません。
でも、文化が平準化されるときに起こるのは、常に古き良き文化の破壊。
平等化されるときに切り捨てられるのは、
いつも最高クラスの文化生活なのです。
現代日本は、欲望、あるがままの姿を称揚し、推薦する社会です。
高度に文化的な社会は、理想、あるべき姿を称揚し、推薦する社会。
現代日本は、自己中だけが生き残れる社会、文化。
高度に文化的な社会は、真・善・美を尊ぶ人が自由に呼吸できる社会。
この違いは大きいですね。
私はそんな高い文化の階層の人間ではありませんが、
下劣、低劣な欲望をむき出しにする現代文化を軽蔑します。
ここだけの話しですが、現代の大写真家たちの作品に満足できないのは、
その思想、思考、願望があまりにも低次元の層から始まっているからなのです。
自己をさらけ出す勇気が賞賛されます。
でも、高貴な人間性を培う努力を賞賛する動きはぜんぜん存在しません。
そんな人間性を持つ人間が社会の中心層にいないからです。
そこで、現代の写真家たちの作品を一口で言いますと、
気品がない。
詩がない。
夢がない。
理想がない。
あるのはむき出しの現実だけ。
写真はもっと人の心を高め、清め、
理想を思い出させ、
夢を見させてくれるものであってもよいのではないでしょうか?
でも、そんな写真を撮るためには、
むき出しの情念を浄化して、
自身、真善美を尊び、夢を見る人間になる必要があるのかも知れません。
でも、そんな写真、現代では誰も見向きもしないでしょうね。

c0168172_21484826.jpg

    [撮影メモ]
     話しがどうもつい写真に逸れがちですね。
     お参りの若奥様に話題を集中すべきでした。
     でも、若奥様はそのまま寺院の奥に消え、
     私は、フィルムを巻き上げつつ、にんまり。
     これではロマンスは生まれませんよね。
     さて、この写真の撮影方法ですが、
     この女神の彫像の周囲に蝋燭立ての柵が円形に取り巻いています。
     私は、若奥様が蝋燭をお灯明で点火しようとしたその瞬間、
     女神のお顔の手前30センチばかりに
     ホロゴンを突き出したのです。
     私の注意はあくまでも女神に集中(と見えたはず)。
     若奥様は、私が目の前に居ることに気づいても、
     女神を撮っているものと考えたことでしょう。
     でも、私の目的はあくまでも若奥様だったのです。
     この奥行きの深さ、広さがホロゴンの神通力なのです。
# by Hologon158 | 2008-10-14 22:06 | ホロゴン写真展 | Comments(0)

33.9ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」9 ここでもお百度参りは切実なようで


ボーダナートの大ストゥーパは世界一の仏舎利塔だそうです。
その大ストゥーパを中心に、仏教寺院、僧院が沢山集まっています。
僧侶たちの多くはチベットからの亡命僧のようです。
中国に国を奪われたチベットの人たちは、
インドとネパールにいわば分宿を余儀なくされているわけです。
ストゥーパの真っ正面とおぼしき場所に捧げ物のようなものがおかれていました。
その中心にはダライ・ラマの肖像写真。
チベットの人たちの願いがそれだけで分かります。
どうやら、この大ストゥーパでも、お百度参りのようなものが行われているようです。
時計回りに、僧侶、善男善女がぐるぐると回っています。
祖国に帰りたい、肉親、友人に会いたい、
そんな切実な願いがボーダナートの大ストゥーパに沿って上昇し、
天空高くに飛翔してゆくような感じさえします。
そんな中、独りの少年だけは逆回りなのです。
いたづらではなさそうです。
頭を垂れて、左手を壁にすりながら、断固逆行し続けていました。
なにか祈願しているのでしょうか?
少年の境遇、このときの心境を知りたいものです。
今でも気になっています。

c0168172_003125.jpg

    [撮影メモ]
     お百度参りをする参拝者は随分多いのです。
     お参りの邪魔をするわけにはいきません。
     でも、少年に接近しないと撮れません。
     せめて70から80には近寄りたいものです。
     こんな場合、放物線状に動くことにしています。
     まず、お参りの人たちの邪魔をしないように、外に出て、 
     少年と平行に進みます。
     ちょうど太陽に向かって正対する位置に来たとき、
     放物線を描いて、お参りの人の隙間に入り込み、
     少年に接近して一枚シャッターを切って、
     すっと外に退避しました。
     右側の影はお参りの人の影。
     つまり、ぎりぎりの間隔で撮影に成功したわけです。
     手の中でレバーを引いてフィルムを巻き上げながら、
     自問自答します、
     どうだったかな、ちゃんと撮れたかな?
     うん、撮れたはず。
     でも、心はこの問いをずっと持ち続けるのです。
     これが銀塩カメラの醍醐味ではないでしょうか?
# by Hologon158 | 2008-10-14 19:00 | ホロゴン写真展 | Comments(2)

33.8ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」8 いつも笑顔でいるって、難しいことだね


パタンの小さな仏教寺院に入ってみました。
ヒンズー寺院と基本的な作りは一緒。
中庭があり、周囲にお堂があります。
でも、ちょっと違うのは、中庭の中央に大きなお堂があり、
中にびっしりと仏像が詰まっているのです。
その底部近くに、この仏像を見つけました。
非常に小さな仏様です。
フレクトゴン35mmF2.4は、私の記憶では、10センチまで寄れます。
本来のマクロではないので、そんなに美しくは撮れないのですが、
開放では像が微妙なニュアンスで崩れるので、
マクロとしても、ちょっと面白いレンズなのです。
頭部だけで約10センチもな小仏像をその中に見つけました。
お堂の内部は非常に暗いので、
前面の柵にカメラを押しつけて、たしか8分の1秒で撮りました。
この柔和さ、ほのかな笑顔、
すべてを理解し、すべてを許す、そんな表情、
まるで京都太秦の広隆寺の弥勒菩薩様のようです。
こんな笑顔ができるようになれば、
長生きできそうですね。

c0168172_2258564.jpg

# by Hologon158 | 2008-10-14 17:00 | ホロゴン写真展 | Comments(2)

33.7ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」7 あなたは友人とぴったりひっついて座れますか?


パタンの寺院の西面。
ベンチがあります。
常連さんなのでしょう、互いに顔見知りの老人たちが集まっています。
密接距離というのをご存知でしょうか?
人が、ある距離を超えて近づいてくると、圧迫感を覚える、その距離です。
民族により、国により、文化により、地方により、人により異なるそうです。
さらには、近づく相手にもよります。
恋人なら、密接距離はゼロとなるでしょう。
仇敵なら、はるか彼方に見えただけで、嫌悪感、圧迫感、不安がこみあげてくるでしょう。
つまり、密接距離は無限大。
友人同士ならどうか?
日本人男性なら、友人同士でも、ぴったりひっつくのはちょっと無理。
ところが、中国人は男同士平気で手を握って歩きます。
ロシア人ときたら、しっかり抱き合って、接吻までします。
こうなると、かなり短いですね。
ちなみに、この距離が長いのがドイツ人だそうです。
ドイツ人は、どこに行っても、誰と居ても、
肉体的にだけではなく、精神的にも、間隔を置きたがるそうです。
ネパール人はどうでしょうか?
この写真の友人たちをご覧ください。
両側に随分余裕があるのに、皆さん、びたびたとくっつき合って、にこにこ顔。
もちろん少し寒いので、たがいに温め合う目的もあるのかも知れません。
それにしても、日本人はそんな風に暖をとることはしないのですから、
ネパール人も密接距離が大変に小さいようですね。
でも、おもしろいものですね。
左端の男性をごらんください。
ちょっと離れて座り、なんだか疎外感を漂わせていますね。
この人たちと知り合いではないのでしょうか?
それなら、もっと離れて座ってもよさそうなものです。
両側にいっぱいベンチがあるのですから。
このあたりの人間関係、皆目見当がつきませんが、
専門家が見たら、たちまち見破ってしまうかも知れませんね。
カトマンズは、たしか海抜が千メートルを越えるはず。
そのうえ、盆地です。
ヒマラヤが北と西に聳えているのですから。
そのうえ冬と来るのですから、日没が大変に早いのです。
その残り日のあたたかさを少しでももらおうと、
老人たち、傾く太陽にしっかりと対面し続けているわけです。

c0168172_2230327.jpg

     [撮影メモ]
      ホロゴンと老人たちの距離は約2メートル。
      だから、老人たち、私に気づいたのです。
      私に向かって、なにか言いかけてきました。
      私も、適当に、英語で返事します。
      意味が通じようが通じまいが、そんなことは問題じゃない。
      肝心なことは、たがいに笑顔を交わせるということ。
      これ以上離れたら、とても写真にはなりません。
      ホロゴンは、その意味で、引っ込み思案の方には向きませんね。
      ちなみに、私の密接距離は、自分から近づく場合は、30センチ。
      つまり、ホロゴンで撮る最短距離が私の密接距離なのです。 
      
# by Hologon158 | 2008-10-14 00:05 | ホロゴン写真展 | Comments(2)

33.6ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」6 古都パタンの闇をひとっ飛びしたお話


「リトル・ブッダ」の撮影地、パタンはカトマンズとは町つづき。
カトマンズに5泊してから、パタンに2泊しました。
ヒンズー教と仏教の寺院が林立し、壮観です。
日本人には異質なデザインのせいでしょうか、まさに宇宙的景観。
そんな寺院の一つに入ってみました。
日本のお寺と違い、ちいさな入り口から入ります。
すると、中庭に通じる通路の両側に、
一段高い休憩所のような板の間が作られています。
右側の板の間に男たちが4人談笑しています。
横になった男の足下には、疵だらけのバイクヘルメット。
逆光で4人のシルエットが燃えています。
すっとヘルメットにホロゴンを近づけて撮りました。
すると、男の一人(眼鏡の男です)が、
「なにをしているのですか?」
なんと、日本語。
「ヘルメットとあなたたちのシルエットが美しいので、撮らせてもらいました」
もちろん、ここでにっこり。
しばらくおしゃべりをしました。
その一人だけが日本語を今勉強しているのです。
幾人か日本語をしゃべれる人に出会いました。
それだけ日本経済がネパールにも進出しているのでしょうね。
暮れ方、レストランを見つけて夕食を頂いた後、
ホテルへの帰途につきました。
街灯などありません。
まるで暗黒。
突然、窪みに脚をとられて、宙を飛び、身体は地面に落ちたのですが、
不幸にも顔は溝に一瞬ドブン!
ほんの少し、泥水が口に入ったようでした。
懐かしいニオイ!
子供のころ、ドブで遊んだときのことが一瞬甦りました。
転倒しながら、肩のペンタックスMEが放物線を描いて一回転するのを、
なぜか感じました。
そして、バチャッという水音。
カメラが水たまりに落ちたのです。
自分の顔が泥だらけになっているのなどそっちのけで、
カメラから水を拭き取りました。
大急ぎでホテルに帰り、バスルームに飛び込んでまずしたことはカメラの清掃。
見上げた心がけですね。
MEの巻き戻しレバーの軸はASA感度の設定ボタンになっています。
このボタンの下に泥水が入り込んで、フリーになってしまいました。
でも、損害はその程度で、使えることを確認。
ほっとして、次にシャワーを浴びました。
膝小僧が血だらけになっていました。
翌日の夜、また現場を通りかかりますと、
その深い窪みにはちゃんと蝋燭が立ててあるではありませんか!
誰か、私が宙を飛ぶのを目撃したのでしょうか?
それとも、昨晩だけ、蝋燭を立て忘れたのでしょうか?
膝の傷はあとで化膿して、旅の間痛みがとれません。
持参した薬が効かないのです。
我慢ができなくなって、地元の薬屋(ぜんぜんそれらしくない屋台風)に飛び込んで相談。
すると、軟膏を処方してくれました。
これが俄然効きました。
外国で罹患した疾病は地元の薬で治すのが一番なのでしょうか?
ちなみに、泥水が少し入ったお腹の方はその後ますます元気そのもの。
旅に出て一度も不調になったことがない胃腸のせいでしょうが、
ひょっとして泥水って栄養があるのかな?

c0168172_20265575.jpg

# by Hologon158 | 2008-10-13 20:30 | ホロゴン写真展 | Comments(0)

33.5ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」5 町の東西が分かってからがほんとの旅

c0168172_17192458.jpg

カトマンズの道をぐるぐるぐるぐる歩き回りました。
道はぬかるんで悪いのですが、人は滅法よろしい。
どこに行っても、だましたり、口車に乗せたりという客引きゼロ。
というより、大変に親切。
写真を撮ったことが分かっても、大人も子供もおねだり一切なし。
どこに行っても感じたことは、
たとえば、シュリーマンやイザベラ・バードが幕末日本を旅したときに感じたことを、
今ぼくはここで感じているのだということでした。
ちょっと低開発国風で、経済も貧困、生活はいわば19世紀的、
人間も素朴なので、つい劣等に見たくなってしまう。
でも、これはとんでもない誤解。
旅でいろいろな出会いがありましたが、
ネパール人は固有の文化としっかりとした見識を持つ国民なのです。
それは、まさにシュリーマンたちが日本で感じたことなのです。
子どもたちの態度からもそれが知れました。
けっして物怖じしたり、大げさにはにかんだりしないのです。
自分をしっかりと堅持して、外国人である私とも対等に振る舞い、
隙を見せません。
ときどき「ワン・ダラー」などと声をかけてくる子もいます。
「ノー・ダラー」なんて返しますと、にやっと笑います。
くれないのはちゃんと分かっているけど、
駄目もとで言ってみただけと言わんばかり。
その態度に物乞いの卑屈さなどかけらもありません。
誇り高いのです。
貧乏旅行中の日本人学生に食事を振る舞ったことがありましたが、
ルートの選択を誤ったと後悔していました。
「インドから入ったので、ネパール人が親切にしてくれても、
なにか魂胆があるに違いないって構えてしまうのです。
だから、素直に親切を受け入れることがなかなか難しいのです。
ネパールからインドに入ればよかった」
私に言わせれば、インドとネパールを一度に回ろうとするのが間違い。
ネパールからインドに入ったら、きっと手ひどくだまされたに違いありません。
外国旅行は、一旅行一国が原則です。
でも、日本の現状は、会社に一旦就職したら、
全身全霊会社にとっぷりと浸りきり、無私の忠誠を尽くさなければならない。
長期旅行など論外。
彼も、当分旅行はできまいと考えて、貧乏旅行をしているのです。
私は、もともとそんな忠誠心まどかけらもない人間でしたから、
相当若いときから、旅行を楽しんできました。
十数年前から、写真撮影のための個人旅行に切り替えてからは、
一国どころか、ほとんど一都市が原則です。
最初は西も東も分からない町が数日経って、
地図なしに方向、位置が分かるようになる。
それからが旅の醍醐味なのですから。

      [撮影メモ]
       これはホロゴンによるノーファインダー撮影。
       110度の画角のある超広角レンズだとは誰も気づきません。
       どこからどこまで写るか、撮ってる本人だって分からない。
       まして撮られる方はまったく見当がつかないはず。
       それに、私はけっして周辺の写したい人に目をやりません。
       あくまでも遠く中空に視線を集中して、
       あのあたりを撮るぞ、撮ってやるぞ、という気勢。
       撮り終わった後も、人の方は原則として見ません。
       自分の視線の方向をもう一度しっかりにらんで、
       よし、ちゃんと撮れたぞ!という思い入れでうなづくのです。
       すごく好奇心を燃やしている視線を感じると、
       ふとそこに君がいるのに気づいたよと言わんばかりに、
       くるりと視線をその人に回して、
       「おや、なんだ、そこに居たの?」といわんばかりの笑顔で、
       「こんにちは」
       向こうも気楽だし、こっちはもっと気楽。
       たいていその国の言葉がしゃべれない町を回りますので、
       自然な笑顔、これが万国共通の国際語ですね。
       みなさん、平素から常に笑顔で人に接することにしましょうね。
       そうでないと、急に笑顔はできませんよ。
# by Hologon158 | 2008-10-13 17:23 | ホロゴン写真展 | Comments(0)

33.4ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」4  朝まだき、ホロゴン、少年と出会う


カトマンズの町、気に入りました。
冬のカトマンズはなかなかに厳しい気候です。
厳寒はもちろんですが、時折雨が降ります。
降ると、街中ほとんどどこに言っても、どろんこのぬかるみ道。
サリーの女性、巧みに深いぬかるみを避けて、平気で歩いています。
2日目の朝はやく、高台の大仏舎利塔ストゥーパを目指して散策しました。
このとき出会った少年のホロゴン写真、
前にもアップしましたが、今回もう一度掲載させていただきます。
カトマンズからゆっくりと下ってゆく街道でした。
ふと下を見ると、脇道から来たのでしょう、
6歳くらいの少年が1メートルほどの位置に近づいてくるのが見えたのです。
なにか考え込んでいるような真摯な表情。
こんなに小さくても、もう一人前の思索ができそうな容貌です。
右手にストラップを巻き付け、両手でしっかりと保持していたホロゴンを、
とっさに左脇に写して、少年から80センチほどの距離で1枚。
少年はまったく気づかずに通り過ぎてゆきました。
今、もう成人前、どうしているでしょうね?
やっぱりこんな表情で朝歩いているのではないでしょうか?
帰国して、現像してみて、びっくりしました。
私にとっては、おそらく超接近水平垂直撮影法の開眼となる一枚となったのです。
これまで撮ったいかなる広角レンズでも撮れない、なにかが写っていました。
それが冷え冷えとし、冴え冴えとした空気感だったのかも知れません。
c0168172_14135269.jpg

     [撮影メモ]
      どんなにフレクトゴン35mmF2.4が名レンズであっても、
      ホロゴンのこの描写を見てしまうと、
      もうフレクトゴンに戻ることはできませんでした。
      レンズの世界にユニバーサルにあてはまる箴言は、
      「上には上がある」
      でも、ホロゴン15mmF8に出会ってから、
      まだ、これ以上のレンズに出会ったことはないのです。
      SWCビオゴンも、名にし負うライカ用スーパーアンギュロン21mmも、
      もうしわけないけど、ホロゴンの敵ではありません。
      強烈すぎて、人肌のフレーバーが足りないのです。
      ハイパーゴンという強烈な大判用超広角レンズがあります。
      たしか前後対称形の半円形超薄型レンズの2枚玉。
      究極の超広角として知られています。
      でも、その写りは極端にシャープすぎて、辟易してしまいます。
      ホロゴン16mmF8もまた現代風に超シャープ。
      ホロゴン15mmF8は、さすがにフレクトゴン35mmF2.4の親戚です、
      中庸を得た大人のレンズなのです。
      何ごとも「過ぎたるは及ばざるがごとし」ですね。
      今書き出した超名レンズたちの愛用者のみなさん、
      こぞって大反対なさることでしょう。
      それが自然、それが当然。
      誰だって、自分の奥さんが一番可愛い!
      そうでしょ?
      そうじゃないかな?
# by Hologon158 | 2008-10-13 14:22 | ホロゴン写真展 | Comments(0)

33.3ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」3 日本人ってかわいそうな存在なのです


ネパールをサバティカルの目的地に選んだのは、
映画「リトル・ブッダ」を観たことから。
キアヌ・リーブスが若き日の仏陀を演じたのですが、
その少年シッダールタの育つ都の光景、
私には地球外のどこかではと思うほどに奇想天外で、しかも見事な様式感。
もう、仰天し、目を奪われました。
後日、この映画はネパールの古都パタンとバドガオンで撮られたと知ったのです。
ネパールと言えば、ほとんどの方はヒマラヤを目指します。
私が目指したのは、カトマンズ、パタン、バドガオン3古都の路地裏。
ふん、変わってるね!
たいていの方は、そんな私の心情を理解できないことでしょう。
でも、構いません。
ヒマラヤの峰を観たのは、バドガオンのホテルの屋上からだけ。
大きなもの、高いものを見たければ、私はいつでも空を見ます。
ヒマラヤよりも神々しく、エベレストよりも高い。
これで十分心が拡がります。
撮りたいのは、路地裏であり、そこで待っていてくれる人、もの、場所。
カトマンズの通勤風景を撮りました。
こんな風に歩いて通勤できるって、幸せですよ。
一歩一歩自分に沈潜しながら職場に向かうのです。
騒音と群衆に心の大半を奪われて通勤している日本人って、
ほんとうにかわいそうな存在なのです。
自分では気づいていないけど。

c0168172_1315427.jpg
c0168172_13155950.jpg

      [撮影メモ]
        まだ、フレクトゴン35mmF2.4で撮っていますね。
        これらの写真をごらんになれば、
        まだ当時、私がアマチュア写真家路線を歩んでいたことがわかりますね。
        いつもちょっとなにかしら思い入れが構図を決めています。
        こんな写真を撮り続けていたら、
        今頃、胸を張って、私、写真家を志望しています、って力んでいたことでしょう。
        なんの思い入れもない、ただの写真が撮りたくなったとき、
        ホロゴンがお手伝いしましょって、言ってくれたわけです。
        ホロゴンとの出会いは、奇縁であり、運命であった、
        そう感じています。
# by Hologon158 | 2008-10-13 13:19 | ホロゴン写真展 | Comments(0)

33.2ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」2 たどりついたのは、アラビアンナイトの国だった!


カトマンズ空港上空に近づいたとき、ふとガイドブックを見たのです。
空港で滞在ビザを取得する必要があります。
その要件として、パスポートの残り期間が半年以上とあります。
なにげなしにパスポートをチェックすると、あと3ヶ月!
着陸するまでの半時間は針のむしろに座った気分。
通関後でしたか、ビザ取得のテーブルが並んでいて、
厳しい目つきの役人たちが6人ばかりずらりと座っています。
3回、チェックを経て、申請書に判子をもらっていくようです。
これは厳しいチェックだ、とても見逃してはくれまい!
旅は初手で挫折かと覚悟を決めて、パスポートとビザ申請書を提出。
第1関門   バン!
第2関門   バン!
第3関門   バン!
あっけなく空港ロビーに立つ私。
「ちょっと、待ちなさい!」
なんて呼び止められないうちに、手荷物だけだったのを幸い、
田舎の停車場みたいなたたずまいのロビーを、
真っ黒な顔の男たちがひしめいて、客引きをしている中をすり抜けて、
大急ぎでタクシー乗り場に。
おんぼろタクシーの扉を自分でバンと思いっきり引っ張って閉めて、
クッション乱立の座席に倒れ込んだときの開放感!
1泊だけ予約したホテルの名を告げて、「行け! 行けえ!」
もう矢でも鉄砲でも持ってこいという気分。
すでにカトマンズはとっぷりと暮れて、
空港から首都へのメインロードのはずなのに、街灯もない!
ほんとにこのタクシー、カトマンズに向かっているのか?
がたぴし走ること約15分、突然、前方に光り!
タクシーが接近するにつれて、
前方が赤く明るく燃え上がってくるではありませんか!
まるでアラビアンナイトのバグダードもかくやと思われるエキゾチックな輝き。
もっと接近して、それがただの沿道の商店の赤色電球による照明だったと分かりましたが、
その照明の下に見える夜の商店街のたたずまい、人々の営みがさらにエキゾチック!
突然、腹の底から喜びがわき起こってきました!
ついに来たぞ、夢のカトマンズ!
この赤く燃えるカトマンズの夜を今も忘れることができません。
そして、ホテルでの寒い夜を震えながら過ごした朝、
まだ太陽が昇る前にホテルを出て、さっそく撮影を開始しました。
数メートル先が見えない、濃い靄。
まっすぐ坂を下って、ちょっと鄙びたお社に出ました。
その辺りで出会った子供たちをまず撮らせてもらいました。
それぞれに個性的です。
目を見てください。
日本の都会の子供たちとちょっと違います。
目が生きている!

c0168172_10195714.jpg
c0168172_10202242.jpg

      [撮影メモ]
       この2枚は、ペンタックスの超小型一眼レフMEに付けた、
       東独ツァイスのフレクトゴン35mmF2.4で撮っています。
       ホロゴン15mmF8が来る前の、私の常用レンズ、カメラ。
       このフレクトゴンは、知る人ぞ知る、隠れた超名レンズ!
       孔子様の称揚した中庸の美徳を守ると、
       どんなにすばらしい存在になれるか、
       身をもって証明してくれるレンズ。
       どこにも突出した特色はないけれど、
       できあがった写真は常に空気感と臨場感に溢れています。
       その後ホロゴンに席を譲って、友達にもらわれていった私の旧友。
       ここでもう一度言わせていただきます、
       フレクトゴン、ありがとう!
# by Hologon158 | 2008-10-13 10:36 | ホロゴン写真展 | Comments(2)

33.1ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」1 極寒の朝、聞こえてくるのは?

c0168172_062416.jpg

職場から、2週間上げるから、どこでも良いから行ってきたら?
そう言われたら、あなたならどこに行きますか?
私の友人、臨床心理学者ですが、
文部省の留学奨学金をもらって、どこに行ったと思いますか?
アフリカ西海岸!
そこで、今や死に絶えようとする呪術者に1年間弟子入りしたのです。
呪術の根底には、臨床心理学に通じる健全な実践的思考が潜んでいるはず、
彼はそうにらんだのです。
現地の生活に完全に融けこんで、呪術の通過テストを次々と突破し、
帰国寸前、師匠から、呪術の奥義を授かり、
呪術の秘儀のための門外不出の祭具を託されたのです。
あなた以外には、この呪術を伝える人がいない。
いつの日か、誰かが弟子入りのために訪れたら、
秘儀のすべてを伝えて欲しいと相伝されたのです。
でも、彼は先年52歳の若さで惜しまれつつ世を去ってしまいました。
彼とともに、ある派の呪術も途絶えたこととなります。
話がちょっと逸れましたが、
1998年1月、私はネパールに行くことにしました。
冬のカトマンズは寒いのなんの!
私が泊まったホテルは一泊数百円と格安でしたが、
ストーブが壊れていて、毛布もたった2枚、最初の夜の寒さが身にしみました。
毛布をさらに5枚ほど借りて、全部重ねて寝ることにしたのですが、
こんどは重いのなんのって!
朝5時、近くのヒンズー寺院の勤行の詠唱と鐘の音に耳を覚ましました。
開かぬ窓をぎぎぎっと開いてみますと、
街には濃霧がどっしりと覆い被さっていました。
その濃霧の奥底から忍びやかに昇ってくる詠唱の響きの荘厳なこと!
「ああ、ぼくはネパールに居るのだ!」
心は、寒さよりも感動で震えました。
さっそくカメラを持ち出して、数枚撮影。
三脚がないので、窓枠にしっかりと固定して撮りました。
でも、たしか1秒か2秒。
ぶれています。
でも、この写真を見るたびに、
私の耳にはヒンズーの詠唱が聞こえてくるのです。

[メモ]
という次第で、私はネパールに飛びました。
私のネパール旅行は冬、夏各1回だけ。
今回は冬編。
しばらく後に夏編もお送りします。
まだホロゴンウルトラワイドを手に入れて半年しか経っていないときでした。
だから、今回もホロゴン15mmF8の写真は3分の1だけ。
でも、寛大に見てやってください。
私がホロゴン15mmF8を本格的に使った最初の旅行なのですから。
好奇心の強い方がおいでになっておられるなら、
使い始め当時のホロゴンの使い方と、最近の使い方を比較して、
検証していただくこともできますよ、
ほんとに成長しているのか、
それともちっとも成長していないのか?
# by Hologon158 | 2008-10-13 00:10 | ホロゴン写真展 | Comments(5)

32.16ホロゴンデイ12「2006年11月20日大阪心斎橋界隈」16 アメリカ村には天上大風は来ないけど


「天上大風」
良寛の書として、有名です。
なんと読むのでしょうね。
私は、良寛の研究者でもなんでもありませんが、
「てんじょうおおかぜ」と読みたいですね。
良寛さん、「天」「上」「大」の各文字ごとに、
墨を筆にたっぷり含ませて、にじむのを物ともせず、
ぐいぐいと書いています。
美しい字体ではありません。
むしろ素朴ですが、力があります。
気迫がみなぎっている感じ。
なにを言いたかったのでしょう。
別冊太陽の「良寛」で、
研究者が、「てんじょうだいふう」と読んで、
天上は宇宙、大風は仏の大きな慈悲の心ととっています。
でも、良寛さんは、子供から凧に書くことをせがまれると、
この文字を書いたそうなのです。
そうだとすれば、もっと素直にとりたいですね。
子どもたちにこう教えたのです、
あの大きな空を見てご覧、
雲が靡いて、静かに、平和に見えるだろ?
でも、あそこには大きな風が吹いているんだよ。
はたから見れば平穏に見えても、
中に入ってみると大変なことが起きている、
そんなことがこの世の中には多いのだよ。
そんな風に子供には教えるのですが、
良寛さんの内心は別なところにあった感じがします。
よそ目には、
行い澄ませて、清らかな修行の道を歩んできたように見える自分、
でも、本当はそうじゃないのだ、
多くの苦悩を抱えて、幾度くじけそうになったことか!
これからも、その苦悩を抱えて生きていかなければならない。
こんな解釈の方が、良寛の生涯と人間性にぴったり合っているように思えるのですが。
でも、素人解釈って、穴だらけなのでしょうね。
とは言え、機会があったら、一度ご覧になってください。
どこか、心のざわめきが聞こえてくるような、
独特のとげを持った文字なのです。
こんな良寛さん、好きですね。
さて、本シリーズも終わりになりました。
どっしりと大地に腰を下ろした、高速道路の支柱。
揺るぎのないように見えますが、
天上の大風が下りてきたら、ひとたまりもないでしょうね。
その柱の前を、柱に負けずがっしりとした男が通り過ぎます。
今もどこかでがんばっておられることでしょう。

c0168172_2314958.jpg
c0168172_2314511.jpg
c0168172_23152543.jpg

# by Hologon158 | 2008-10-13 00:05 | ホロゴンデイ | Comments(0)

32.15ホロゴンデイ12「2006年11月20日大阪心斎橋界隈」15 玉鬘の美しい姿を浮かび上がらせる蛍


日本の文学史上もっとも美しい光景はなんでしょうね?
私は、そんなに沢山日本文学を読んではいないのですが、
「源氏物語」にさまざまな美しいシーンを読むことができました。
ちなみに、もしお読みになりたいと考えている方がおられたら、
「新潮日本古典集成」で、原文でお読みになることを極力お勧めします。
私は古文が大の苦手。
そんな古文が苦手な人間でもすらすら読めるように、
文章の横に小さく赤字で現代語訳が付けられています。
古文を読むのが億劫になり理由の一つに、
一々別欄の注釈を読まなければならないことがあります。
それが不要なのです。
そして、どんどん読んでいく内に、もう赤字が目に入らなくなります。
次第に源氏物語の言葉遣いに慣れ親しむことができるからです。
さて、その「源氏物語」の「蛍」の章。
ここに、私が文学史上最高のビジュアルシーンを見つけました。
詳しい説明は省きます。
光源氏は、引き取って娘同然に育てている玉鬘(たまかずら)を
自分の弟兵部卿の宮に引き合わせようとします。
でも、玉かずらは未婚の女性ですから、燈火を落とした一間に。
これでは、玉鬘を弟に見せることができません。
そこで、御簾を隔てての対面の瞬間、
源氏はいっぱいの蛍を玉鬘のいる一間に放ちます。
蛍は、玉鬘の美しい姿をほのかに浮かび上がらせ、
目論んだとおりに、弟の恋心をかき立てるのです。
なんという美しいイメージ!
なんというビジュアルな表現力。
ここにも、言葉による写真的表現の一例があります。
近ごろ、andoodesignさんが火付け役となったのでしょう、
超大口径のレンズ探しが燎原の火のように拡がっています。
クセノン50mmF0.95のようなレンズであれば、
蛍が浮かび上がらせる玉鬘の姿を写真にすることができたかもしれませんね。
私は、ホロゴン15mmF8なので、そんな宵闇のシーンを撮るのは論外。
Andoodesignさんたちに、
そんなこの世と思えないような美観の撮影を期待することにいたしましょう。
ここでは、ホロゴンで撮った写真で我慢してくださいね。
暮れなずむアメリカ村の雑風景を選んでみました。

c0168172_2191222.jpg
c0168172_2192730.jpg
c0168172_2194171.jpg
c0168172_219548.jpg
c0168172_21101412.jpg

# by Hologon158 | 2008-10-12 21:12 | ホロゴンデイ | Comments(2)

32.14ホロゴンデイ12「2006年11月20日大阪心斎橋界隈」14 ストリートに熟成はありうるか?


11で紹介した、感受性豊かな美女、
とても印象的な言葉を述べたことを思い出しました。
「フィルム・カメラは、撮った結果がすぐに分からない。
どんな風に撮れたかなと想像するのが楽しい」
こんな言葉を若い女性の口から聞けるとは、
まったく思ってもいなかったので、驚きました。
このような方がおられる限り、
まだまだ銀塩カメラにも未来が残されているのです。
この、いわば熟成を待つ喜びは私も2,3度書きました。
現代社会は、熟成を待つことができない社会。
すべて促成出荷が原則。
写真も例外ではありません。
あまりにも味気ないではありませんか!
カメラも今では電気製品になってしまいました。
電気製品の本質は、新型が旧型に交替することにあります。
旧型に生き残る道はありません。
先日、ホロゴンウルトラワイドのサブに使うため、
ライカⅡ型というカメラを手に入れました。
なんと1936年製。
黒エナメルの塗装がいまでも艶々として、
完全に作動しています。
いわゆるバルナック型ですが、板金製。
ダイカストボディの後記のバルナックよりぐっと小振りで、
手の中にすっぽりと収まります。
作られて72年も経っているカメラがまだ現役なのです。
ポソリと落ちるシャッター音が極上。
結果としての写真も極上(これは主観的独断)。
うれしくなってしまいます。
本日の写真に写っている光景は熟成されたものではなく、
もちろんどんどん更新されるプレゼンテーション。
でも、街そのものはファッションストリートとして熟成しつつあり、
そのプレゼンの技法も熟成しつつあるようです。
だから、プレゼンは新しいように見えて、
ストリートとしての光景としては熟成の賜物なのかも知れません。
なかなかハードボイルドではありませんか。

c0168172_17593788.jpg
c0168172_17595766.jpg
c0168172_1801122.jpg
c0168172_180228.jpg

# by Hologon158 | 2008-10-12 18:02 | ホロゴンデイ | Comments(1)

32.13ホロゴンデイ12「2006年11月20日大阪心斎橋界隈」13 呉家林と森山大道、どこが違う?


呉家林
ご存知でしょうか?
中国の写真家です。
友人のAKさんが写真集「Next door neighbours」を手に入れてくれました。
ライカでモノクロームのスナップを撮ってきた写真家。
この人、まさに中国のカルティエ=ブレッソンなのです。
見事な幾何学的構図、
画面上の人物、動物等の主人公たちが有機的に関連しあって、
まるでドラマを見るような構成、
写真として、もう文句なしの作品群がずらりと並び、壮観!
写真家自身、カルティエ=ブレッソンから多くのものを得ているようです。
もうまるでカルティエ=ブレッソン自身が撮ったかのような、
そっくりの写真まであります。
でも、模倣ではありません。
あっと驚くようなショットが次々と出現するのです。
この写真集を何度見たことでしょうか?
真似をするためではありません。
私にはスナップは撮れないことが分かっているので、
まったく別世界の写真家。
でも、目と心に喜びを与えてくれるのです。
たとえば、森山大道の写真集もいくつか持っています。
見るたびに、当惑を感じるのです。
凄い!
けど、なっとくが行かない。
この写真家、いっぱい言いたいことがあるし、
写真もどこか深いものがありそう。
だけど、楽しめない。
共感できない。
夢がない。
私が、肯定的、楽天的に生きる人間だから、合わないだけのことでしょう。
森山大道が分からないなんて、写真のトウシローもいいところだよ、
そう笑われそうです。
でも、私は、写真を見せてもらって、
元気がぐんぐん湧いてくる、
見てよかった、生きてて良かった!
そんな風に心から感じることができる写真が大好きなのです。
呉家林さん、
是非ご覧ください。
今回の写真はあいかわらず、ホロゴンによるロボーグラフィ。
アメリカ村はファッションストリートなので、
題材に事欠きません。
ご覧になって、元気が出てくるような写真ではありませんが、
私としては、この程度の写真で、大いに楽しめるのです。
自分の写真ですからね。

c0168172_15161765.jpg
c0168172_15163133.jpg
c0168172_15164617.jpg
c0168172_151726.jpg
c0168172_15171578.jpg

# by Hologon158 | 2008-10-12 15:18 | ホロゴンデイ | Comments(0)

32.12ホロゴンデイ12「2006年11月20日大阪心斎橋界隈」12 バイクに一番似合っている場所


伏見の街を撮り歩きながら、考えました。
ぼくは、なにを撮ろうとしているのだろう?
なんでこれを撮り、なんであれは撮らないのだろう?
どうやら、私は、ものそのものを撮っているのではないようです。
ものを見たとき、なにかイメージらしいものが心に浮かぶことがあります。
イメージが浮かばないのであれば、撮りません。
イメージが浮かんだとき、
そのイメージが自分自身の心にかなうようなものであれば、撮ります。
昨日は、仲の良い友人3人と歩いたのですが、
みんなてんでんばらばらのものを撮ります。
みんな心が違い、性格も違い、人生が違い、
写真に対する思い入れも違い、だから、写真の理想も違う。
だから、同じもの、同じ光景を見ても、まったく異なるイメージを抱くらしい。
だから、同じ街、同じ自然を撮っても、写真がぜんぜん違います。
写真にスタンダードはないのでしょうね。
写真はマラソンではなく、
写真に優劣もない、そう言いたいですね。
好きな写真とそうでない写真があるだけ。
もちろん、はっと心を突かれる写真、
心を揺さぶられる写真があります。
こんな写真は絶対に撮れないなあ、と心底脱帽する写真もあります。
でも、それは人生を豊かにする写真体験ではありますが、
その写真と同様のものを撮らなければならない、そんな目標となるものではありません。
よその奥さんを見て、わあ、美しい人だ!とびっくりすることがあっても、
だから、その奥さんと結ばれることは論外、というようなものです。
だから、写真はやりがいがあるわけです。
じっくりと腰を据えて、ゆっくりとゆっくりと自分の写真を作り上げてゆく、
そんな地面に根を生やすような営みが写真趣味なのではないでしょうか?
とすると、その営みの一日一日が貴重な体験の積み重ねであり、貴重な収穫。
だから、どの写真も大切なのです。
ブログを初めて、私は、ほとんどどなたもおやりにならないような、
「ある日のホロゴンと私」(ホロゴンデイ)シリーズを続けています。
ある日撮った写真をずらりと並べてゆく。
いわば、写真の才能の有無も、写真に対する思い入れの中身も全部さらけ出す、
猛烈に無謀な企画です。
でも、ここで考えたように、どの写真も私にとって大切な子供たちなのですから、
はたからは、見ちゃおられない駄作群であっても、
私にとっては、自分の写真たちに「お前たちみんな大切なんだよ」と語りかける行為。
こんな風に考えると、ますます私の駄作たちがいとおしくなってきました。
そこで、本日も、我が駄作を4枚。
前にもアメリカ村シリーズで出しましたが、またまたバイクと自転車。
どこに行っても、バイクと自転車を撮ってしまいます。
でも、バイクに一番似合っている場所があるとすれば、
それはアメリカ村ではないでしょうか?

c0168172_10194791.jpg
c0168172_1020182.jpg
c0168172_10201660.jpg
c0168172_10203248.jpg

# by Hologon158 | 2008-10-12 10:23 | ホロゴンデイ | Comments(0)

32.11ホロゴンデイ12「2006年11月20日大阪心斎橋界隈」11 アメリカ村は妖怪たちと出会う場所?


今日、お昼は、たしか日本のお稲荷さんの総本山である伏見稲荷近くまで北上。
以前も頂いたことのある料理店で昼食。
ショーウィンドウの中の鯖寿司があんまり美味しそうだったので、
内心、これだっと決めて、お店の入り口に入りかけたところ、
私の嗅覚を襲ったのは鰻の蒲焼きのニオイ。
店先で炭火で焼いているのです。
殺生な!
折角、鯖寿司に決定したのに!
でも、別に鯖党に義理はないので、さっさと鰻党に鞍替え。
なんともふっくらとかつ香ばしく焼き上げた蒲焼きだったことか!
心とお腹の底から満足して、店を出ました。
もう一度、街道ぞいに南下。
ロボーグラフィーをたっぷりを愉しみました。
2時間半ほどでしか、さんざんに歩いて、ちょっと疲れたところに、
ほどよく瀟洒な喫茶店を発見。
京の町家の鰻の寝床風の奥深い作りを利用して、
大変に居心地のよい喫茶室。
その一番奥に陣取って、ティータイム。
ついでに、持参した写真を見せあいっこしました。
私の写真を同行の仲間3人に見せていたところ、
お店でアルバイトしている若い女性がやってきて、
「私にも見せていただけますか?
写真が大好きなので」
一同、美しく若い女性は大歓迎。
さっそく隣のテーブルの椅子を引き寄せて座りました。
私が持参したのは、近ごろ、自宅近くの村落内で撮った最新作。
それも、すべてホロゴン15mmF8以外のお気に入りのレンズの試写。
この女性の反応は、すべて瞬時で、素直で、ストレートで、
豊かな感受性の持ち主であることが分かる表情と言葉。
私の写真がいつも受ける反応とは極端に違います。
嬉しくなって、とくに喜んでくれた写真を二枚プレゼントしました。
女性、大喜びしてくれて、
「私の部屋、周り写真だらけなのです。
この写真を飾ります」
写真を見たとき、その印象をただちに言葉で表現するなんて、
ほとんどの人には困難な、またはほとんど不可能なことです。
この女性、よほどに幸せな家庭に育って、素直な感受性を培ったのか、
ご自身が芸術的センスに恵まれた躍動的な精神の持ち主なのか、
それとも、その両方のファクターに恵まれたか?
いずれにせよ、大変に楽しい出会いでした。
さて、アメリカ村での出会い。
妖怪的な存在ばかりですが、よく見ますと、どこかご愛嬌。
考えてみますと、妖怪たちから見るときは、
私たちの方こそ、奇妙、奇怪なのかも知れません。

c0168172_09515.jpg
c0168172_015683.jpg
c0168172_0101613.jpg
c0168172_0171560.jpg

# by Hologon158 | 2008-10-12 00:18 | ホロゴンデイ | Comments(2)

32.10ホロゴンデイ12「2006年11月20日大阪心斎橋界隈」10 呑みそびれたウィスキーを思い出す場所


石峰寺の五百羅漢さんを撮ってきました。
伏見にある禅宗のお寺。
定かではありませんが、江戸時代の異能の画家伊藤若冲が制作に参画したとのこと。
黄檗山万福寺と良く似た雰囲気の原中国風のお寺の裏山に展開しています。
十数年前に訪れたときは、入山料などただ、
山腹に五百羅漢さんがごろごろと散開し、
斜面を自由に行き来して撮影した記憶がありますが、
今では、入山料を払い、竹の柵が設けられた遊歩道を散策して、
五百羅漢さんたちに面会する段取り。
当時も、土曜日に行った記憶がありますが、
他には人っ子一人なし。
撮影後、本堂の前に置かれたベンチに座って、
友人の持参したフラスコからウィスキーを頂こうとした途端、
ご住職の奥様が出現。
30分ばかり対談する羽目に。
戦前政府に勤めておられたご主人、住職の父の没後、
やむなく退職して、寺に収まりました。
奥様、東京の生まれですが、不思議な成り行きで突然京都に住むことになったのですが、
しみじみと述懐されたました、
「あれから50年経ちましたが、まだよそ者扱いのままです」
京都というのは、一面では非常に開明的ですが、一面では非常に排他的。
京都以外の関西人も、やはりよそ者なのです。
さて、羅漢さんですが、
おそらく柵越しであろう、長玉が要りそうだとは予測していたのですが、
私に90ミリは似合いません。
わざと無視して、ホロゴンとローライ3.5Eで撮りました。
結果的には、私の撮りたい写真にはそれで十分だったように思います。
ここでは、まさに15ミリとプラナー75ミリとが補完しあったようです。
15ミリで、大きな雰囲気描写のなかの羅漢さんを、
75ミリで、瞑想に沈潜する羅漢さんのポートレートを撮ることができました。
いかにも若冲が好みそうな、自由奔放の容貌の羅漢さんたちでした。
いつか見ていただきます。
今回は、心斎橋シリーズの続き、アメリカ村の光景です。
ジーンズショップ等の男性服飾関係。
さすがに奇抜ですが、奇抜ずくめのアメリカ村のなかで見ますと、
不思議にその場にふさわしいファッションと見えるのが不思議です。

c0168172_22302512.jpg
c0168172_22304115.jpg
c0168172_22305844.jpg
c0168172_223134100.jpg
c0168172_22314892.jpg

# by Hologon158 | 2008-10-11 22:35 | ホロゴンデイ | Comments(2)

32.9ホロゴンデイ12「2006年11月20日大阪心斎橋界隈」9 三流こそ、ロボーグラフィのお客様


私は、写真でアートしたいとは思いません。
いつも言うとおり、単なる記憶メモ。
でも、心はいつもアートしています。
いかなる芸術的才能もないのに、
路傍のなにかに触発されて、
「うん、これはアートだ!」と心を躍らせるのです。
この心と写真のギャップはとても埋めようがないのです。
じゃ、どうするか?
他人の絵や造形を見つけると、つい撮りたくなってしまうのです。
もちろん路傍に真のアートが転がっている道理がありません。
今回の写真だって、ただの広告とただの階段装飾。
だから、こんなものを撮影したって、アートにはならない。
これ、あたりまえの道理ですね。
でも、やっぱり撮ります。
というのは、こいつらだって、自分がアートじゃないのを知って、
路傍にしょうことなしに居座っているのです。
こちらだって、アートできないという点ではご同役。
じゃあ、ご同役どうし仲良くしたっていいじゃないですか!
というわけで、ノンアートをノンアーティストが撮ることになりました。
マイナス1×マイナス1はプラス1となってくれれば、
万事めでたし、めでたし。
世の中、そう甘くはありませんね。
やっぱりノンアートの駄作写真となってしまいました。
ところが、ここでもやっぱり私一流のどんでん返し。
私は、できそこないが大好きなのです。
自分の苦労の成果なのですからね。
三流が好きなのです。
一流の完全作は、ほっておいても、みんながちやほやします。
でも、こいつらは、作者は一生懸命作ったのですが、
しょせん、ただのお店の飾り。
そんな三流こそ、我がロボーグラフィのお客様なのです。
というわけで、ここに、心を込めてアップさせていただきます。

c0168172_0284187.jpg
c0168172_0285530.jpg
c0168172_029889.jpg

# by Hologon158 | 2008-10-11 07:28 | ホロゴンデイ | Comments(6)

32.8ホロゴンデイ12「2006年11月20日大阪心斎橋界隈」8 ああ、僕の人生はこれで終わった!


ああ、僕の人生はこれで終わった!
そんな風に感じるときが幾度かあるものです。
でも、不思議ですね。
まだ、生きている。
それも、ピンピンと!
まだ、笑っている。
いやな体験なんか、どこかに飛んでしまって。
ある学者が書いていました、
苦悩とか苦痛、そういったネガティブな記憶をさっさと捨て去るように、
人間はできている。
一番良い例が出産だそうです。
これはまことに便利なメカニズム、一見そう見えますが、
ときに不便なことがあります。
写真がまさにそれ。
私など、撮影上、いっぱい失敗してきました。
撮っても写真にならないものがどっさりあるのに、平気で再三撮ります。
とんでもない手ぶれ、無意味な被写体ぶれも平気で繰り返します。
時折、二度と同じ失敗をやらかさない人がいます。
これ、まったくの偏見ですが、
そんな方の容貌、ちょっと似ていると思いませんか?
端正な面長の貴族的風貌、
目は冷徹にすべてを計量しているようで、
ちょっと薄手の唇をきっぱり結んでいる。
尊敬すべきですね。
でも、ちっとも真似をしたいとは思わない。
常に正しいって、なんだか詰まらないと思ってしまうのです。
正しさ、正確さよりも、自由がいい!
おかげで、失敗から学ぶことがほとんどない私です。
本日もまた、同じ馬鹿げた失敗を繰り返しています。
ところが、人生って、どこかユーモラスですね。
またしてもおかした失敗、それなのに、そんな失敗から、
今まで撮ったことがないような写真が生まれたりするのです。
だから、人生って楽しいのでしょうね。
今も、伏見稲荷のフィルムスキャンをしているのですが、
プレビューでは、「わー、こんなすごいの、これまで撮ったことがない!」と、
はっきりと断言したくなるような写真でしたのに、
スキャンしてみると、とんでもない手ぶれだったのです。
なんで、もう一枚撮っておかなかったのだ!
なんで、もう少し高速で撮らなかったのだ!
こんな反省が、明日の傑作にぜんぜんつながらない、
それが私という人間のようです。

c0168172_23392910.jpg
c0168172_23394919.jpg
c0168172_2340880.jpg

# by Hologon158 | 2008-10-11 00:02 | ホロゴンデイ | Comments(0)

32.7ホロゴンデイ12「2006年11月20日大阪心斎橋界隈」7 佐伯の絵が私になにかしらくれたらよいのだけど


私は、今、佐伯祐三の絵「共同便所」を見ています。
彼の死の年1928年に描かれたものです。
公園の隅などに置かれて、
渦巻き状の形から「エスカルゴ」と呼ばれた汚い公衆便所。
でも、佐伯が描くと、堂々たるモニュメンタルな塊がそそり立つのです。
暮れなずむ頃でしょうか、どんよりとした空を背景に、
広告の貼り紙だけが、佐伯得意の純白の地に真紅の文字。
これと対照的に暗く濃い褐色の壁面が存在感を高めています。
高揚感と絶望感がせめぎあっているようで、
なんとも言えない奇怪な雰囲気を醸し出しています。
私は、自分のホロゴン写真で目指してきたものが、
すでに佐伯の油絵によって、
遙かな高みにさらに引き上げられてしまったような思いをしているのです。
共同便所の新設から廃設までの時間の重なり、歴史を一枚に描き込んだかのような、
油絵の重層構造だけが醸し出せる重厚さが決定的な要因となっていることは明らか。
写真では、絶対に出せない、重みと渋み。
この重み、タッチ、褪色の地肌の表現、これらのエッセンスをみんな身体にしみ込ませたい!
ホロゴンで撮るときに、身体にしみ込んだエッセンスがじわりと浮かび上がり、
ホロゴンを活性化して、
これまでに撮れなかったほどの独特の重層表現を実現してほしい!
無茶苦茶に無理な注文ですね!
さて、シリーズに戻りますと、
大都会的なシーンを経て、アメリカ村にはいります。
その都会的シーンを3枚。
佐伯とはまったく無関係。
これが今私の撮れるものなのだから、仕方がありません。
でも、実は大好き。
とくに、一本の木。
なんで、ぼくはいつも孤独な木を撮ってしまうのだろう?

c0168172_21432874.jpg
c0168172_21434045.jpg
c0168172_21435538.jpg

# by Hologon158 | 2008-10-10 21:45 | ホロゴンデイ | Comments(0)

32.6ホロゴンデイ12「2006年11月20日大阪心斎橋界隈」6 双手の鳴る音は聞く、隻手の音は如何?


繰り返し繰り返し心に戻ってくる言葉があります。
その一つ、
映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」の演奏者の一人、
ハバナの打楽器奏者がこう言うのです、
「私はいつも考えるのです、
楽器を使わないで出せる打楽器の音って、どんなものだろう?」
これは、手を使ったり、床を叩いたりといったことを意味しているのではありません。
禅の公案「双手の鳴る音は聞く、隻手の音は如何?」
この類の、深い思索の末に出てきた言葉なのです。
彼もまだその答えを出すことができないでいるのです。
その時、私が考えたことは、
カメラを使わないで撮れる写真は如何?
マン・レイが考案した、印画紙上にオブジェを置いて露光するレイヨグラフや、
日光写真の類ではなく、
純粋に思索上の「思考実験」として考えてみたいのです。
いわば心に刻みつける写真でしょうか?
どなたにも、そのような瞬間のイメージがいくつか明確に刻印されているに違いありません。
でも、それは記憶のイメージであって、
写真のような克明なディテール描写を欠きます。
一番近いのは、詩のような言葉によって、
読み手に写真的イメージを思い起こさせることかも知れません。
思い出すのは、源氏物語で、光源氏の子、夕霧の大将の話。
光源氏の最愛の妻紫の上に淡い恋を抱きます。
ある日、御簾が風で靡いて、その隙間から義母の立ち姿を見てしまうのです。
たった一行ですが、紫式部の表現力は史上最高。
紫の上の匂うような姿が読者の心に彷彿と出現するのです。
でも、私にとって、この打楽器奏者の言葉から最後にたどり着いたのは、
ホロゴンによる写真のことでした。
ファインダーを見ないことにより、
自分自身の心の中には、いかなるイメージも湧かない状態とすることに成功しました。
これって、打楽器奏者の理想とはちょうど逆なのかも知れません。
でも、私がノーファインダーという撮り方に託したかったのは、
目とレンズとが、思考を介さずに、直結してくれるのではないか、ということでした。
そうすることによって、メカニズムとしてのレンズではなく、
有機体としての目に成り代わってくれるのではないか?
3000本、4000本撮り続けたら、そうなってくれるのではないか?
もうれつに大それたことだということは重々承知しています。
でも、人生、1回っきりなのです。
やるだけやってみます。
今、私が撮るホロゴン写真は月20本程度、つまり年間240本。
後4年で、始めてから2500本ほどになります。
そんなにもブログを続けることができるでしょうか?
ちょっと心許ない感じもありますが、
続く限り、ブログで皆さんにも検証していただくことにいたしましょう。

c0168172_1983548.jpg
c0168172_1984739.jpg
c0168172_199352.jpg

# by Hologon158 | 2008-10-10 19:09 | ホロゴンデイ | Comments(0)

32.5ホロゴンデイ12「2006年11月20日大阪心斎橋界隈」5 写真葉書の芸術家から又楽しいお便り


友人のARさんが、ライカの文献コピーを送ってくれました。
分厚い封筒を開いて、「やっ、ライカのコピーだ」と目を輝かせた途端、
そのコピーの隙間からざらざらっと写真葉書が7枚滑り落ちました。
ARさんが友人たちに出している写真通信。
この写真葉書を待っている人が全国におそらく100人単位でいるのです。
表は、上段が宛名書き、下段が本文、
裏は、全面ほとんどを占める見事な写真と、
その底部にキャプション(使用カメラ、レンズその他撮影データまで細かく記載)。
その各パーツがそれぞれに別の用紙にプリントされているのです。
つまり、コラージュ。
私の仲間はそれぞれに彼の葉書を貯めています。
私の夢は、彼の写真葉書展を開催すること。
大きな部屋の天井から床まで柱が林立する展示室。
その柱には、開展するアクリルボードが数段ずつ付いていて、
その中に彼の写真葉書をサンドイッチするのです。
観衆はこれを適宜回転させながら、読んでゆく。
宛名を見れば、何百人。
ARさんがどれだけの時間、友人たちのために費やしたかが分かるのです。
今回の写真葉書の主体は、先日、奈良の南部、飛鳥で撮った写真。
なんと旧フォクトレンダーの名レンズヘリアー105mmF3.5が撮影レンズ。
ヘリアーらしく清澄なリリシズムに満ちた空気感。
彼はクラシックカメラの収集家ですが、ただの収集家ではありません。
とっかえひっかえ持ち出して、見事な写真を撮るのです。
でも、友人として私が考えることは、
なんでARさん、一本のこれっきりレンズを選ばないのだろうか?
そうすれば、ARさんは自他共に認める写真家になれるだろうのに。
それをしたくないARさん、
なぜって、レンズたちがえこひいきなしに大好きなのですから。

c0168172_01441100.jpg
c0168172_0145871.jpg
c0168172_0152296.jpg
c0168172_0153489.jpg

# by Hologon158 | 2008-10-10 00:17 | ホロゴンデイ | Comments(2)