わが友ホロゴン・わが夢タンバール

16.7 ホロゴンデイ4「2005年11月27日の心斎橋アメリカ村」7 近頃の若い女性、後ろ姿もなぜか立派で


人間という生き物、油断がないようで、油断がありますね。
前から見ると、その人が見せたいものが見えます。
でも、後ろから見ると、その人が見せたいと思わないものが見えてしまいます。
その人の生活ぶり、
その人の精神状態、
その人の人生。
怖いですね。
その点、ちょっと安全になるのは、冬。
分厚いコートが、ブルゾンが目隠しとなってくれます。
そのせいか、
みんななかなか絵になる、
と言ったら、失礼でしょうね。
それでも、歩き方、頭の動き、目の配りなどを見ていると、
やっぱり精神状態が見えてくるようですね。
どんな季節も、やはり、油断しない方がよろしいようで。

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# by Hologon158 | 2008-08-30 22:35 | ホロゴンデイ | Comments(0)

16.6 ホロゴンデイ4「2005年11月27日の心斎橋アメリカ村」6 ドラマを支えるのはいつも渋い脇役ですね


ドラム缶が好きだ、
以前に、そう書きました。
付け加えましょう。
ゴミ箱も好きです。
この人、どんな人なのだ?
思わず、そんな疑問が頭を走りましたね。
でも、その質問は筋違い。
ただしい疑問はこうです?
「ホロゴンって、一体なんでこんなものが好きなのだ?」
ホロゴンが大好きなのです、ドラム缶とゴミ箱。
でも、正直言って、私も大好きなのです。
ゴミ箱を見ると、いつも思います。
こいつ、がんばってるな!
ドラム缶と一緒で、汚いものを全部引き受けましょう!
下積みでありながら、不平、不満などこぼすことなく、
黙々と働き続ける人がときどき居ます。
そんな人、時がたつにつれて、
次第に、重厚な存在感を漂わせ始めます。
ちょっと話してみると、言葉少なですが、
ずんと来るような、含蓄に富んだ語り。
まじめに働いてきたゴミ箱って、そんな風格がありますね。
誰も気にとめない存在だけど、
実は、路傍の一角で、(月並みな表現ですが)いぶし銀のように、
静かな光を発しているのです。
今回は、隠退してなおどっしりと職場に陣取っている、
アイスクリームボックスと一緒に、
お三方に登場していただきました。
どうです?
この渋さ!

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# by Hologon158 | 2008-08-30 13:08 | ホロゴンデイ | Comments(2)

16.5 ホロゴンデイ4「2005年11月27日の心斎橋アメリカ村」5 効果を上げることができたら、それで十分?


前ブログ「ホロゴン讃歌」(http://plaza.rakuten.co.jp/ultrawide/)でも、
随分各地のマネキンを採り上げました。
マネキンが次第にリアルになり、
さらには、それを通り越して、スーパーリアルとなり、
気味が悪いほどに先鋭化し、エキセントリックになる。
この進化の最終的には人間不在、人間抹殺にたどりつく、
このプロセスって、軍事力の発展によく似ていませんか?
なんでも人肌のあたたかさを第一とする世代の人間である私としては、
なんとも居心地の悪い進化プロセス。
でも、それが現代において流行していること、
ということは、
ヤング・ジェネレーションは奇抜なマネキンが好きなのですね。
アメリカ村のマネキンは、それ自体、リアルな現代型ですが、
その利用法の方がもっと奇抜。
品はないけど、意表を突きます。
効果を上げることができたら、それでいいじゃないか!
そういうわけですね。
それでいいんでしょうか?
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# by Hologon158 | 2008-08-30 09:50 | ホロゴンデイ | Comments(0)

17.3「2008/8/23ローライ3.5F大阪茶屋町初撮り報告」3 ホロゴンとローライ3.5Fで紡ぎ出す新たな夢


茶屋町は、新しいファッションストリートです。
アメリカ村よりずっと洗練されたファッションが売り物。
自ずと、集まる若者の質が違います。
簡単に言うと、こちらの方がおとなしい。
お店のデザインも、そんな客層をしっかりターゲットにして、
すっきりとしたデザイン、洗練されたプレゼンでまとめているようです。
もう相当に暗いので、ローライ3.5Fを開放にして、
手持ち限界8分の1秒で撮り続けました。
このシャッター、もしあなたが未体験なら、
どこかのお店で是非試してみてください。
「豆腐に釘を刺すような」という風な表現がありましたね。
まさにそんな感じ。
それなのに、頼りなくない!
タイムラグもなく、手ぶれもなし。
メカニズムの極致を体験する思い。
さっそく4枚ばかりプリントしてみました。
私のプリンターは昇華型熱転写。
ほとんどの方が知らないことですが、
インクジェットとは比較を絶する高性能。
1ドットに3階調(1,0,1/2)しかないインクジェットに対して、
1ドットにRGBの3層が重ねて転写されるので、
256の3乗、つまり1670万階調が表現可能なのです。
なんと言っても、その階調表現が上品にして鮮烈。
ポジのダイレクトプリントが下品に見えるのですから、不思議です。
さて、ローライ3.5Fの試写、
全部8分の1秒から15分の1秒の写真ですが、
驚きました。
鮮鋭で、しかも深みがあります。
ホロゴンに負けない、見事な描写力。
そして、プリントした写真を見ていて、
凄いことに気づきました。
1枚目をよーくごらんください。
このレンズの開放描写、ホロゴンに似ている!
中央が鮮鋭かつ豊麗な描写をしているのに、
周辺に向かうにつれて、なんだか像が落ち込んでゆくのです。
だから、主題を巧みに強調してくれる。
これは強い仲間が現れた!
ホロゴン15mmF8とプラナー75mmF3.5、
この2本のレンズを共用することによって、
一つの主題に対して、まったく異質な写真が作れるじゃないか!
いつか、この2つの異質な写真群を組み合わせて、
ちょっとした写真集ができればいいな。
夢が拡がりました。
おっと、念のため、付け加えておきます。
「ホロゴン讃歌」でも書きましたとおり、
たった一冊の自分のための写真集ですよ。

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[撮影メモ]
私が常に日の丸構造で写真を撮ることはどこかで説明しました。
1枚目と3枚目、それにしては、ちょっと変ですね。
上に寄っています。
二眼レフなので、パララックスがあることを忘れていました。
近接は、ファインダーで構図を決めてから、
二眼の間隔分、カメラを下ろしてからシャッターを切るべきでした。
# by Hologon158 | 2008-08-30 00:34 | ホロゴンニュース | Comments(4)

17.2「2008/8/23ローライ3.5F大阪茶屋町初撮り報告」2 プラナー80mmF2.8と勝負!と行きたかったのですが


次は、路上風景3枚です。
前にも書きましたが、
以前、写真の友人からローライ2.8Fを借りたことがあります。
プラナー80mmF2.8は名レンズとしての誉れ高いレンズです。
確かに、大変に見事に写るレンズでした。
長い間使ってきたハッセル用の同一名のレンズとは違いました。
もっとあたたかで、もっとふくよかで、もっと鮮度が高い。
スーパーイコンタ6×9のテッサー105mmF3.5と撮り比べましたが、
どこか違う、すべてが違う、そんな感じでした。
開放で相当に甘く、バックのボケもそんなに美しくない印象。
でも、ちょっと絞ると、見事としか言いようのない、
香り豊かな表情を見せてくれるのです。
では、今回のプラナー75mmF3.5と比べてどうか?
そう考えて、「勝負!」という気持ちで臨んだのですが、
結論は、
「どうも、よく分からない」
それでも、そんな比較を忘れて、
開放の描写として、今回の写真を改めてチェックしてみますと、
「悪くないぞ!」
今回の3枚、どれもこれも、やはりあたたかいのです。
まったく硬くないのです。
2枚目は完全なる目測のノーファインダー撮影ですが、
2人の男性にかろうじてピンが来て、
中央のふくよかな女性の額縁となってくれました。
3枚目のレトロな雰囲気表現も現代レンズには無理。
3枚とも、空気感があって、
ボケのなかに空間的奥行きを感じさせてくれます。
段々、このレンズが好きになってきました。
しかし、私という人間、
初めてのレンズできちんと撮れたためしがないのです。
どこかから、「こんなのじゃないですよ、
プラナー75mmを馬鹿にしちゃいけないよ」とか、
「プラナー80mmは凄いレンズですよ、
もっと性根を入れて撮ったら、それが分かったはず」なんて、
おしかりのコメントが来るのでは?
ちょっと怖くなってきました。

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# by Hologon158 | 2008-08-29 21:24 | ホロゴンニュース | Comments(0)

17「2008/8/23ローライ3.5F大阪茶屋町初撮り報告」1 まずは乗り物で描写を試したけれど


さて、ローライ3.5Fのフィルム2本昨日持ち帰ったことは報告しました。
早速、ポジ、ネガ各1本を現像してみました。
ホロゴンデイ4として、心斎橋アメリカ村をお送りしていたのですが、
緊急ニュースとして、間に挟むことにしました。
雨交じりの天候の薄暮、すでに薄暗くなった状況で、
F3.5開放と8分の1から30分の1秒で撮るという悪条件。
その結果を3回に分けて合計13枚お送りすることします。
まずは、メカニカルな乗り物で、描写を試してみました。
以前は、ハッセル500CM、SWCで随分撮ったのですが、
今から考えても、ろくな作品を撮ることができませんでした。
技術も才能もない状態で、背伸びをしていたのです。
近頃は、この12年間ほとんどホロゴンウルトラワイドで
さらにノーテクニックに磨きをかけてきたせいで、
改めてファインダーでピントを合わせながら撮る二眼レフに、
ちょっととまどい気味なのです。
ハッセル500CMのファインダーは秀逸でした。
ミノルタのアキュートマットに交換してから、
まるで映画を見るように、ドラマチックで鮮鋭でした。
ところが、ローライ3.5Fのファインダーは、
内蔵のルーペでピントをチェックすると、周辺は完全暗黒、
ルーペを解除して、ファインダーで見ると、
上から入る外光が邪魔をして、ほぼ全面ぼんやり。
これは、薄暮だったせいかも知れません。
画面全部をしっかり確認して構図を撮ることなど、はなっから無理でした。
結局は、心眼で撮る、
つまり、ローライに全部任せるより方法はありませんでした。
おっと、言い訳ばかりしていますね。
さて、写りはどうなのでしょうか?
このプラナー75mmF3.5の写りが良いのか悪いのか?
他のレンズ、プラナー80mmF2.8やクセノタールとどのように違うのか?
我ながら、まったく見当がつきません。
私に今言えることはただ一つ、
ちゃんとピントがあって、色も出ている!
よかった!
なにはともあれ、ごらんください。

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# by Hologon158 | 2008-08-29 17:06 | ホロゴンニュース | Comments(0)

16.4 ホロゴンデイ「2005年11月27日の心斎橋アメリカ村」4 ヤング・ストリートに超ヤングも出没し


ようやく獣医さんから帰ってきました。
子供(猫ですが)の一人銀太君、
なんにも言わないのに、自分が医者に行くことを察知。
朝から3か所ばかり隠れん坊しました。
最後は、これまで絶対に隠れたことのない場所に潜んだのですが、
あえなくお父様(私のこと)に発見され、ダイニングに連れ戻されました。
でも、タクシーが来て、呼び鈴が鳴った途端、
さっと押し入れに向かって脱走を図りました。
予期していた私が見事キャッチして、脱走失敗。
不思議です。
銀太君、自分が医者に行くことをどうして知ったのでしょうか?
獣医への運搬用バッグを棚から取り出せば、猫だって分かります。
以前、バッグを玄関にあらかじめ置いたのですが、これが失敗。
当時我が家にいた四人(みんな猫)の内、三人はまったく平然としていたのに、
病気のブチ君、ただちにバッグに急行して、
たっぷりとおしっこをかけてしまいました。
バッグが使えなくすれば、行かなくても済む、
こう考えるあたり、ちょっと子供っぽい!
今回はと考えてみると、前日、銀太君の居るところで、
獣医さんに検査のため連れて行こうと相談しただけなのです。
猫たち大変利口ですが、言葉まで理解しているとは考えがたいところ。
それ以外の徴候として考えられるのは、次の3点だけ。
1 姉(これは人間)が夫の転勤先の熊本から帰宅した。
2 この姉が半年前に帰宅したとき、医者に連れて行かれた。
3 朝いつも散歩に出してもらえるのに、今日は出してくれない。
銀太君、私の見るところ、この3点から危険を察知したのです。
さまざまなことで、私には分かるのですが、
今回のことで、
猫は長期記憶(半年前に医者に行った、そのとき姉が連れて行った)があること、
そして、推理力(さては、医者に連れて行かれる!)があることが分かります。
人間だけが論理的思考の持ち主ではないのです。

獣医さんには、犬、猫あわせて大小10人以上いました。
みんな可愛いですね。
でも、私は、動物ばかりでなく、人間の子供も大好きなのです。
たいていの方は自分の子供だけ可愛いようです。
私は、ユニバーサルに子供好き。
アメリカ村でも、子供を見かけました。
そのうち、可愛いのを三匹ばかり撮らせていただきました。
若者の街とはいえ、ちょっと若すぎます。
それでも、どこか遊園地の雰囲気を感じるのでしょうか?
みんな、至極楽しそうでした。

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[撮影メモ]
可愛い我が子を、突っ立ったまま、上から撮っている親をよく見かけます。
あれじゃ、頭でっかちで写ってしまうのになあ。
私の好みは、子供の目線にレンズを合わせる撮り方。
一眼レフだと勢いしゃがみこむ必要があります。
その点、ホロゴンは簡単。
子供の目の高さにすっとホロゴンを下げればいいだけなのですから。
ホロゴンは、子供にやさしいレンズなのです。
# by Hologon158 | 2008-08-29 12:31 | ホロゴンデイ | Comments(2)

16.3 ホロゴンデイ「2005年11月27日の心斎橋アメリカ村」3 猥雑な光景も緑の色調で救われているかな?


国によって、どうやら色の基調が違い、
写真を撮っても、その色に染まります。
これはどうやら風土の違いから来るようです。
たとえば、ネパールは赤、
中国は褐色、
日本はニュートラル。
どうやら、日本がニュートラルなのは、
私たちが子供の頃から日本で育つことにより、
日本の色彩に鈍感になっているせいかも知れませんね。
その点、アメリカ村に行きますと、
色は多彩かつサイケデリック。
これは人口色なのです。
いわば、一目を惹くための仕掛け。
保護色ではなく、
こんな言葉があるとは思いませんが、
いわば、喚起色。
工事現場を緑のネットで覆うことはよくありますね。
自然を破壊して、ビルに変える、
その現場を緑で表現する、
よし、工事ネットはこれだって考えた人、
ちょっと皮肉屋なのでは?

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# by Hologon158 | 2008-08-29 00:19 | ホロゴンデイ | Comments(0)

16.2 ホロゴンデイ「2005年11月27日の心斎橋アメリカ村」2 若者の街は、なぜかホロゴンの街でもあるのだ


本日は大変に忙しい一日でした。
私にとっては、今日が夏休みの始まりなのです。
まず、大阪に出て、
ユニバーサルジャパン近くのマンションで、
揚琴の先生のレッスン。
前回よりも手首の動きが悪くなったと厳しい指摘。
本日の講評は5段階評価の下から2番目、
「がんばって」
これにがっくりしましたが、その後梅田に直行。
先日預けたローライ3.5Fの試写フィルムを受け取りました。
さっそくその場でライトボックスに載せて、ルーペでチェック。
露出がめちゃめちゃですが、画像はしっかりしています。
これなら問題ない!
これで一安心、元気を取り戻しました。
昼食後、マック・プロ用に2つのOSを購入しました。
新OS「レパード」とウィンドウズXP。
帰宅して、さっそくマック・プロにレパードをインストール。
その後、レパードのBoot Campなる便利ソフトを使って、
マックのハードディスクにパーティションを設定し、
こうして作った一室にXPをインストール。
かくして、わがパソコンは変身!
マックとウィンドウズの両方のシステムで動くことになりました。
これまで、職場と我が家の両方でウィンドウズを使うため、
レッツノートをえっちらおっちら運んでいたのですが、
もうレッツノートは職場専用に昇格。
身軽に通勤できるようになりました。
これが成功したのが午後9時半。
ようやくブログに取りかかることができた次第。

本日は、アメリカ村の服飾店風景。
実は、私はまったく服飾に無関心の人間です。
自分がどう見えるか、ほとんど気になりません。
人が自分をどう見るか、気にしてもしかたがない。
それよりも、自分が自分をどう見るか、
それを気にしたい、というタイプの人間。
でも、写真というのは、つまるところは外観。
写真をする内に、プレゼンテーションということに
次第に関心が及ぶようになりました。
アメリカ村のプレゼンは、それぞれになかなか個性的。
すべて若者のセンス。
品はないけど、ぐっと押し出す力感はあります。
そのあたり、ホロゴンに通じるところがあるのでしょう、
ホロゴンも愉しんでいるようです。
2枚目の右側はお客さん、マネキンではありませんよ。
なんとお店の商品の別バージョンを着用しているのです。
店員さん、すこしうろたえて、
「どこで買ったんですか?」

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# by Hologon158 | 2008-08-28 21:54 | ホロゴンデイ | Comments(4)

16 ホロゴンデイ「2005年11月27日のアメリカ村」1 顔のないマネキンは現代を知らずして象徴している?


さて、ホロゴンと私が歩いたある日、
その日に撮った写真から適当に選んで繰り広げるミニ写真展、
それが「ホロゴンデイ」シリーズです。
奈良の片田舎から突然大阪一の若者の街、アメリカ村に飛びましょう。
心斎橋の北端付近に南北に拡がるファッションストリート、
それがアメリカ村です。
ニューヨークのハーレムばりに壁面が落書きと貼り紙で覆われた街。
なにをしているのか、得体の知れない外人たちがたむろする街、
パンクなファッションがよく似合う街、
それがアメリカ村です。
まずは、顔のないマネキンたち。
ファッションを売り物にするショップのデコレーション。
なにを考えて、こんな風にプレゼンしたのでしょうか?
顔がないって、なかなか意味深ではありませんか?
今や、人間自身の個性ではなく、
ファッションの個性で勝負する時代、
そんな時代性をちゃんと表現しているではありませんか!

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[撮影メモ]
例によって、ずばり真っ正面からの撮影。
あんまり脳がなさ過ぎるじゃないか!
なんで、いつも正面なんだ?
もっと斜に構えたら、もっとファッショナブルじゃないの?
そうおっしゃる方は多いと思います。
私は、実は左から7:3に髪を分けているのですが、右が3なのです。
ご承知のように、逆の髪型が大半。
大体、これと同比率でしょうか?
写真でも同様ではないでしょうか?
斜め撮影型と正面撮影型との比率も7:3以下でしょうね。
でも、私の場合、写真は記録です。
斜めより正面の方がものを正確かつ広く撮れる、
私はそう思うのですが。
でも、私が真っ正面から撮るのは、そんな理由からではありません。
私は、いつもものごとに対して、真っ正面から対決する、
そんなやり方を通してきた、その影響なのでは?
しかし、正面作戦がいつも成功するとは限らない!
人生も写真もその点で良く似ているようですね。
# by Hologon158 | 2008-08-28 00:34 | ホロゴンデイ | Comments(2)

15 ホロゴンはノーファインダー、これは必然なのだ!(再録)(ホロゴン撮影法)


皆さんは、15ミリ超広角でノーファインダーなんて、そんなバカな、そうお感じでしょうね。
私だって、ホロゴンを手に入れるまで、ノーファインダーで撮ったことは一度もありません。
だいいち、盗み撮りみたいで、卑怯じゃありませんか!
実際、たいていの超広角写真家がお撮りになる写真はアイレベルの写真です。
一番素敵なのはジャン・ルー・シーフでしょうか?
ライカのスーパーアンギュロン21ミリを巧みにあやつって、まさにアイレベルで、
息を呑むような美しい女性写真を見せてくれます。
超広角で斬新かつ革新的な映像を撮った写真家は沢山いますが、
彼ほどに美しい写真を撮った人はすくないのではないでしょうか?
でも、ホロゴンをアイレベルで撮ると、どうなるでしょう?
人は、頭でっかち尻すぼみ!
地面と焦点面との距離が、頭と焦点面との距離の倍以上に遠のいてしまうのですから、当然。
それが面白いという方はそれでいいのです。
私は、何度も何度も念押しをしていますが、写真家ではありません。
記憶の情景を思い出す「よすが」となるように、
自分の記憶するイメージにできるだけ近い映像が欲しいのです。
じゃ、なんで15ミリなんかで撮るのだ? 
それは、21ミリでも、私の記憶像よりは狭いから。
人間の一瞬の視野は30度だ、いや、注意点はピンポイントだなどとよく言われます。
でも、人間は、電光石火の早業で、全視野の情報を統合し、
不足分は記憶が補って、全視野のイメージを目と脳の中に作り上げるようです。
その脳内のイメージを復元できるのはホロゴンだけなのでは?
私はそう考えるのです。
ホロゴンは、比類のないほどに歪曲収差が補正されたレンズなのです。
したがって、ウェストレベルで撮りますと、完全に歪曲のない映像が得られます。
しかも、趙接近でないと、人物がはるか遠方にぶっとんでしまいます。
こうなると、ウェストレベルで接近戦を挑む、それしかないじゃありませんか?
その一例をご覧ください。
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[撮影メモ]
ネパールのヒンズー教の聖地パシュパティナートの早朝。
河の沿岸にガート(焼き場)が並んでいます。
右手に見えるのは、その活動中の煙。
河にかかる橋をガートのお手伝いさん、
昔で言う穏坊の少年がやってきました。
褐色の肌も美しく、彫刻のような容姿。
まさに「絵になる少年」!
私、少年をにこやかに見ながら、その真っ正面を進み、
左側をすれ違う直前、50センチ手前で、
腰のホロゴンウルトラワイドのシャッターを落としました。
少年は私の顔を見ています。
当然ながら、写真を撮ったことも気づきました。
私は、ただちに、にっこり笑い、「ダンニャバード(ありがとう)」
すると、少年、にっこり笑い返してくれました。
近頃分かってきたのですが、
私がこんな接近戦を平気で敢行できるのは、
どうやら私がいかなる反応に出会っても、
ちゃんと対応できる自信があるからのようです。
長年、職業柄、どんな修羅場になろうと、
どんな論戦になろうと、
他人に手綱を与えたことがないという経験の強みかも知れません。
でも、一番の武器は、なんと言っても、
善意、親愛の気持ちではないでしょうか?
「お前をダシにして、傑作写真を撮ってやるぞ」
なんて、内心考えながら写真を撮っていたら、
相手にもそれが分かってしまいのではないでしょうか?
誰だって、ダシにされるのはいやですよね。
# by Hologon158 | 2008-08-27 21:34 | ホロゴン撮影法 | Comments(4)

14 上海の裏町は夕映えも人情映画風に(ホロゴンメッセージ)


さて、新ブログを立ち上げて3週間突っ走ってきました。
65件の記事をアップし、およそ240枚ばかり写真を掲載しました。
44Mbなので、前ブログ「ホロゴン讃歌」の写真容量30 Mbは
随分前に、軽く突破したことになります。
おかげさまで、天井知らずとなり、
ぐーんと大空に駆け上っていく快感。
ホロゴン写真たちが大喜びで、ひしめき合いながら、
「次はぼくだね!」「いや、わたし!」と口々に声をかけてきます。
私も、にっこり笑い返しながら、
「待ってなさいね、そのうち、ちゃんと出番が来るからね」
とにかくなにものにも制約されず、
好きなように写真を選択して、
好きなように文章を付けて、
好きなときに記事をアップできる、
いいですねえ!
幸せですね!
仕事のある日、週末外出日は、午前零時、午後6時、午後9時前後に3回、
仕事のない日は、ランダムに3,4回、記事をアップする、
これを前ブログ「ホロゴン讃歌」以来、約4ヶ月、かかさず続けて、
今では習慣となってしまいました。
両ブログ合わせて、4ヶ月弱の間に、
合計489件の記事、1500枚弱の写真をアップしたことになります。
記事量としては、やや多いブログかも知れませんね。
でも、疲れるどころか、ますますブログが生き甲斐になりつつあります。
アクセス数は、実に安定して、毎日60人から70人ちょっと。
エキサイトは1日のアクセスを一人1回カウントに限定しているので、
どうやら、この数字の7、8割がいわゆる常連さんではないかと踏んでいます。
親しい友人たちの大半は、理由はわかりませんが、
依然として、頑強に見ることを拒んでいますので、
来ていただくのは、まったく利害関係のない未知の方がほとんど。
それが嬉しいですね。
でも、困るのは、幾度か書きましたが、
どんな方がどんな想いでご覧になっているのか、
皆目見当がつかないこと。
まるで深い淵のちょっと高い岸辺に立って、石を落とすのですが、
石はすっと沼の水中に落ち込み、深みに向かって姿を消すのに、
音が何一つ帰ってこない、そんな感じ。
とはいえ、これも書きましたが、
人気目当てにブログしているわけではありませんので、
今後も出したい写真を出し続けるだけ。
ちょっと暗い写真ばかり2シリーズ続きました。
露出計のないカメラですが、
私がホロゴンに与える露出値は一定して、暗めなので、
暗目の写真が続くことは、どうも防ぎようのない事態。
でも、同じ暗さでも、趣向を変えることはできます。
次のシリーズは、がらり雰囲気を変えて、
都会をターゲットとさせていただきましょう。

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まず、光と影の写真で気分転換と参りましょう。
中国随一の商業都市、上海。
でも、裏町に入ると、のどかな人情世界が路地裏に展開します。
夏まっさかりです。
おじいちゃんが夕涼みがてら、孫の手を引いて、
裏町を散歩しています。
その後ろ、2メートルばかりに接近して、
逆光で一枚頂きました。
2人がちょうご建物の影にさしかかり、
かろうじて全身の影が写りました。
腰だめ、ノーファインダーで撮るのですから、
こんな構図を意識して、スナップしたわけではないことは、
幾度も書いているとおりです。
# by Hologon158 | 2008-08-27 18:30 | ホロゴンメッセージ | Comments(2)

13.12「2006年12月17日の奈良壷阪山」12 五百羅漢の祈りの姿が消えたとき、起こるのは何?


壺阪寺は、たいていパスします。
別に目が悪くないこともありますが、
一番の理由は、入山料を取ること。
私は、原則として、入山料を取るお寺には入りません。
万人を受け入れるべき宗教施設が料金を取る?
許せないですね。
もっとも一度入ったことがあります。
そのとき入山料は取っていなかったはず。
でも、これは新しい寺で、私が撮りたいものもありません。
このお寺の奥に五百羅漢で有名な香高山があります。
その斜面の岩には無数に五百羅漢を初めとして、
さまざまな仏像が浮き彫りされているということです。
この日は、そのうち、五百羅漢だけ撮影しました。
幾たびに風化が進んでいるのが分かります。
あと2,30年で、ただの岩になってしまうのでは?
地蔵さんの群れは、実は、壺坂のどこで撮ったか、
記憶にありません。
でも、みんな良く似た雰囲気です。
それぞれに暗く沈んだ背景から浮かび上がる群像からは、
制作者たちの真摯な祈りが伝わってきます。
とはいえ、夜の闇の中では出会いたくないですね。

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[撮影メモ]
どの写真も猛烈に暗いですね。
ホロゴンウルトラワイドは、絞りがF8固定です。
明るさで言いますと、ぼんやり見える程度で、
EV値が7か8ですから、
シャッター速度で言うと、8分の1秒から15分の1秒。
私の手持ち限界ぎりぎりです。
とくに8分の1秒で撮るときは、
身体のどこか、お腹や足にぐっと押しつけて、
祈る気持ちで、そっとシャッターを落とします。
つまり、脂肪でグニャグニャのメタボ腹では、
支えになりませんから、8分の1秒は無理。
ホロゴンを使いたかったら、腹筋を鍛えてください。
じゃ、なんで三脚を使わないのだ?
三脚は、手持ち限界を超えて、
スローシャッターで撮るときに使うものです。
手持ちで撮れるなら、三脚なしで撮る練習をするべきです。
ずっとフットワークが軽快になり、
カメラ位置も三脚に制約されることがなくなるのですから。
私は、手持ち限界を超えると、写真は撮りません。
スローシャッターで特別の効果を出すこともありません。
カメラマンではないのですから。
さて、今回の写真たち、確かに暗いのですが、
地蔵や五百羅漢が祈る場所は異界なのです。
この暗さで正解なのでは?
# by Hologon158 | 2008-08-27 00:12 | ホロゴンデイ | Comments(0)

13.11「2006年12月17日の奈良壷阪山」11 冬の日にも緑豊か、ここは都会人にはPradise Lost 


壷阪山の自然をもう少し選んでみました。
なにしろ冬です。
冬枯れの光景もあります。
でも、意外なことに、緑豊かに花咲きみだれる光景もあります。
なんでこんな光景があるのか、
私にはちょっと理解できないのですが、
12月17日壷阪山で撮影したことは間違いがありません。
都会人のほとんどは、
こんな緑豊かな自然に包まれて生活するなんていやだとおっしゃるでしょう。
でも、私にとっては、Pradise Lostなのです。
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[撮影メモ]
幾度も幾度も書いていることなのですが、
私は、風景写真を撮りません。
ちょっとご理解いただけないことかも知れませんが、
今回の写真も風景写真ではありません。
ちょっとスケールの大きな場所を撮ったように見えます。
でも、これすべてホロゴンのなせる業。
実際のところ、さほど広くない場所で撮った
ロボーグラフィ(路傍写真)なのです。
神社の光景だけは鳥居から2,3メートルのところで撮りました。
でも、後の写真はすべて中心のポイントから30センチから50センチ程度。
つまり、すべて超接近写真なのです。
なんのことはない、すべてホロゴンマジック。
私は、腰をかがめて、ぐいとホロゴンを両手で突きだして、
キャベツを、ススキを、草むらを撮っただけ。
すると、ホロゴンが適当に背景処理をしてくれたわけです。
簡単に言いますと、
スケールがちっちゃな人間がちまちまと撮っても、
「オーケー、後は引き受けた」と、スケールの大きな写真にしてくれる、
それがホロゴン君なのです。
可愛いやつなんですよ。
# by Hologon158 | 2008-08-26 21:39 | ホロゴンデイ | Comments(0)

13.10「2006年12月17日の奈良壷阪山」10 村人は自然を活かし、自然に活かされて暮らしているみたい


壺坂山だけではありません。
すべての村で言えることは、
人々は動植物たちと共生していること。
持ちつ持たれつの親密で良好な関係をずっと維持しているようです。
都会はどうでしょうか?
街路樹はコンクリート道と檻のような鉄蓋のなかに閉じこめられています。
庭園はすべて管理され、煩雑に植え替えられて、
黄ばんだり、ぐったりとしたり。
うっそうと繁茂し、果てしなく成長するなんてことは、
絶対に許されません。
野生状態にある猿たちを見たことがありますか?
毛が触れば電流が流れるのではと思えるほど、活き活きとしています。
ボス猿になると、庶民猿の2倍ほどに成長して、
眼光炯々、毛は黒々として、生気満々。
チンパンジーも同様です。
毛が身体にべったりと張り付いて、
決まったルートでひょろひょろと巡回する動物園チンパンジーは、
結局、心身症状態に近いようです。
野生のチンパンジーは、毛がふさふさ、黒々として、
堂々たる風格を見せながら歩きます。
同一種とはとても思えないほどに差があります。
都会の植物も同様です。
私の中国音楽の師匠は、こうおっしゃるのです。
「都会の動物、昆虫はどんどん生気を失いつつある。
中国の昆虫はもっと「気」がある。
日本の昆虫は、弱々しくて、すぐにつかまる」
どうやら、人間だって、同一線上にあるのではないでしょうか?
自然に接して生きている人々が大樹だとすれば、
都会人は、偉そうに胸を張ってはいますが、
矮小な灌木とか蔓草、ときには根無し草、
その程度に矮小化してしまっているのではないでしょうか?

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# by Hologon158 | 2008-08-26 18:12 | ホロゴンデイ | Comments(0)

13.9「2006年12月17日の奈良壷阪山」9 愛古経済なんてものがあってもいいんじゃない?


ビルが建ち並ぶオフィス街、
新興住宅地、
このような場所を歩くと、
どうしても見つからないものが一つあります。
それは、古いもの
現代経済は、古いものの存在を許さないことで成り立っています。
消費経済とは、まさに人間が生きる道具を、
できるだけ早く更新することで成立します。
コマーシャリズムは、古いものの殺し屋経済なのです。
おそらくこの百年の間に、全人類は、
これまで生きてきた人類全部が使った以上のものを作り出し、
それとほぼ同量を廃棄したはずです。
でも、廃棄されたものは、新しい商品として甦るのでしょうか?
一部の例外を除いて、全部焼却され、投棄されてしまいます。
膨大な資源がこうして日々雲散霧消しているのです。
でも、地球上の資源は有限です。
いつか全人類の需要を満たさない量に近づきます。
すると、なにが起こるでしょうか?
平等に配分しあう、愛他的社会?
そんなことはありえません。
たがいに資源を確保し、他国の資源を奪う、
資源戦争が始まるでしょう。
イラク戦争をはじめとして、実はもうそんな戦争が始まっているのです。
ちょっと暗い未来を予測してしまいました。
せめてもの救いは、
都会の消費経済に惑わされない人々の生活様式にあります。
壷阪山の家並みを少し歩くだけでも、
この町の人々がものを大切にしていることがわかります。
ロボーグラフィにも啓蒙的な意味があるのかも知れない、
そんなことに今気づきました。
いかなるものにも存在理由と尊厳があることを知ること、
古いものは大切にしなければならないと心から自覚すること、
それが地球を救う第一歩なのかも知れませんね。

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# by Hologon158 | 2008-08-26 00:21 | ホロゴンデイ | Comments(2)

13.8「2006年12月17日の奈良壷阪山」8 無人の公園で遊ぶのは誰?


無人の公園
長い間、公園には必ず人がいました。
たいてい、おばあちゃんと孫、
ママと坊や。
今、公園は、人のいない空間となってしまいました。
誰もいない空間はどこにでもあります。 
田舎では、草地、斜面、河原の土手など、
どこも、すっきりと気持ちのよいスペース。
心が広がり、大の字にねて、空を見上げたい、
そんな気持ちになります。
都会では、
寂しく、空しく、わびしく、そして異常なスペース。
足音をしのばせて、さっさと遠ざかりたい、
そんな気持ちにかられます。
なんでこんな風に変わってしまったのでしょう?
少子化、高齢化の社会変化のせいもあるでしょう、
幼児を対象とする猟奇的な犯罪の増加も間違いなく一因、
両親が共稼ぎで、公園に行く暇がないこと、
子供の遊び方が変わってしまったこともあるでしょう。
原因がなんにせよ、いやはや寂しい社会となりつつありますね。
壷阪の公園も、やはりひっそりとして、
遊具が空しく放置され、異空間と化していました。
今回だけは、
ホロゴンで撮ったせいではないのです。

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[撮影メモ]
1枚目、
みなさん、お思いになるでしょうね。
「うまいこと、トリミングしたものだね」
でも、「ホロゴン讃歌」で書きましたし、また今度書きますが、
私はファインダーを見ない代わりに、トリミングもしないのです。
トリミングをしたら、ノーファインダーで撮っても、なんの意味もありません。
作画は捨てて、全部ホロゴンに任せる、それが私のポリシー。
トリミングは、ホロゴンの作画にクレームを付けることになりますからね。
このようにホロゴンを信頼してあげますと、
ちゃんと信頼にこたえてくれます、
それが1枚目のフレーミングなのです。
# by Hologon158 | 2008-08-25 21:00 | ホロゴンデイ | Comments(0)

13.7「2006年12月17日の奈良壷阪山」7 壷阪山のコラージュはちょっと貧弱かな?


コラージュ
この芸術形式をどう思いますか?
私は、実は、大好きなのです。
まったく無縁のものを組み合わせる。
その組み合わせが、その一つ一つにはなかった、ある印象を作り出す。
でも、そのためには、制作者に独特のセンスが必要。
たいていの場合、ただのごった煮。
私が欲しいコラージュ芸術は2つ。
一つは、アイルランドの手書き聖書「ケルズの書」
ダブリン大学で、1頁だけ観ました。
古びて重厚さをさらに増した書物、
手書きの絵文字と美しい書体、
点在する彩色画、
これらが一体となって、えもいわれぬ夢の書となっていました。
もう一つは、あるアメリカ人が作った日記。
各頁、写真、絵、その他もろもろのものがびっしりと貼り合わされ、
見事な筆記体の日記がそこかしこを埋め尽くす、
分厚いスクラップブック。
これは、考えようによっては、偏執狂的に過剰であり、
混沌として錯綜を極める現代の芸術的表現となっています。
でも、たいていのコラージュ美術は独りよがりで、
グッと心に突き刺さるものにはなかなかお目にかかることができません。
その点、時間はなかなか立派な芸術家なのです。
田舎に行くと、
ある一つの家の壁が貼り紙でびっしり覆われている、
そんな光景に出会います。
かってに推測するのですが、
この家のご主人、断り切れない性格なのです。
誰も、自分の家の壁を貼り紙で汚したくないものです。
でも、一度承諾してしまいますと、もう断れなくなります。
「武田製薬さんのビラ貼ってあるじゃないですか、
それなのに、なぜうちは駄目なのですか?」
別のお宅に頼んでも、
「山田さんちに行きなさいよ、
あそこのご主人、しっかり頼んだら、うんと言ってくれるよ」
律儀な性格なので、適当に剥がしてしまうこともできません。
こんな風にして、村の「広告塔」に祭りあげられたまま、歳月が流れます。
貼り紙は、その性格上、他と区別され、目立たなければなりません。
勢い、互いにケンカしあいます。
随分長い間、壁の上で、関ヶ原の決戦が繰り広げられてきたことでしょう。
だから、長い間、この壁、けばけばしくて、見られたものじゃなかったはず。
でも、だんだん、貼り紙たちはくたびれ、色あせ、破れてきます。
果てしなく夫婦げんかを繰り返してきた老夫婦のようなものです。
気が付いてみると、
時が、貼り紙も壁もひとしく、やさしく変質させて、
たがいにしっとりと寄り添わせ、壁になじませているのです。
コラージュのできあがり

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# by Hologon158 | 2008-08-25 17:34 | ホロゴンデイ | Comments(0)

13.6「2006年12月17日の奈良壷阪山」6 どの町でも片隅から聞こえてくるのは、ドラム缶エレジー


ドラム缶
こいつが大好きなのです。
まず、語感。
なんて気持ちの良い響きでしょう。
ド・ラ・ム・カ・ン
カーンと飛び出して、
大空に向かって、威勢よく駆け上ってゆく。
次に、形。
どっしりと大地に腰を下ろし、
すっくとまっすぐ立ち上がり、
周囲の何者にも負けない、
この存在感がいい。
そして、仕事ぶり。
誰もがいやがる、汚れ役を引き受けます。
石油、雑草、ゴミ、廃棄物…
果ては、焼却炉となって、火炎まで、
誰も引き受けない、いやなものをあっさり呑み込んで、
ぐち一つ言わず、片隅に泰然自若と控えている。
だから、出会うたびに、心の中で挨拶します、
「よう、おっさん、がんばってるね!」
そして、必ず、絶対に必ず、
ポートレートを1枚撮らせていただき、
「ありがと! また、会おうね」

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# by Hologon158 | 2008-08-25 15:55 | ホロゴンデイ | Comments(0)

13.5「2006年12月17日の奈良壷阪山」5 リアリティって、決して現実ではありませんよ、念のため


「写真」って、誰が付けたんでしょうね?
とんでもない誤訳ですよね。
Photograghyの翻訳であれば、
「光画」の方がずっと適切です。
光がない世界を撮ることはできないのですから。
Photograghyも光画も、その言葉自体は、
真実を写し取るなんて、一言も言っていない。
眼前の光景、出来事をあるがままに撮ることなんて、
誰にもできませんね。
ある瞬間に、ある方向から、あるレンズで撮る、
もうこれだけで、撮影者の解釈が写真に入り込みます。
一方的あるいは一面的な主張の不十分な映像化、
たいていの場合、それが写真にできる精一杯。
ホロゴンで撮った写真と来ると、
もう真実のかけらなど、ほとんど残っていない。
どのように水平垂直を守って撮っても、
デフォルメの要素がひそかに入り込みます。
そのうえ、ホロゴン特有のドラマ化も得意。
本日の写真をご覧ください。
京の秋が大和の冬に侵入し、
京の秋の方がリアリティがある。
一番リアリティに欠けるのが自分の影。
ただし、これはホロゴンマジック。
でも、念のため申し上げておきますが、
私は、けっして影の薄い人間ではありませんよ。

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# by Hologon158 | 2008-08-25 00:12 | ホロゴンデイ | Comments(0)

13.4「2006年12月17日の奈良壷阪山」4  歴史を刻む土塀にはちょっとこだわりたい


本日は、独り家で留守番。
私はテレビを一切観ませんので、
外界の出来事はすべてインターネットのみ。
おかげで、全部自分の時間です。
揚琴の練習が50パーセント。
ブログが20パーセント程度でしょうか?
後は読書と音楽。
合間に、ローライ3.5Fにストラップを付けました。
手に入れたローライは中古品で、ストラップなし。
純正ストラップを買うほど、懐に余裕があるわけではない。
そこで、ローライ3.5Fのストラップ取り付け部分に
手持ちの円形ストラップ・リングをはめ込みました。
ボディの隠退により取り残されていたコンタックス用ストラップをこれにセット。
このストラップは、基部にリングを覆う保護カバーがついていて、
ボディにこすれ疵を付けません。
昨日は、ストラップなしでの撮影。
誰かと接触して、手からこぼれ落ちることがないよう、
随分気を遣いました。
これで一安心です。
操作性が格段に向上しました。
慣れれば、ノーファインダーに移行する予定ですが、
まだ画角がつかめません。
ホロゴンの癖が出て、ぐんぐん前に接近してしまうからです。
近づくのはホロゴンで十分。
ローライ3.5Fは、
私の本質的な性質にふさわしく、
もっとおっとりとした使い方をしたいものです。
ボディの皮が数カ所すり切れて、茶色くなっています。
この部分にマジックをそっと塗りつけると、
もうローライ3.5Fはキラキラと輝いて、新品同様。
ますます気に入りました。

さて、今回は土壁、土塀。
子供の頃、奈良盆地の南、二上山の麓には、
医者をしていた叔父一家が住んでいました。
叔父は、大和高田の私の父(長兄)の家にスクーターで遊びにきては、
帰りがけ、私に向かってにっこり、「どう、行くか?」
この一言で、私はスクーターの後部座席につかまって、
叔父の家に泊まりがけの小旅行をしたものでした。
その叔父の家は二上村の真ん中にありました。
くねくねと昔ながらの細い土道を走ります。
両側の農家はすべて白い漆喰塀に包まれていました。
あの光景を忘れることができません。
おかげで、私は土塀フリークとなったわけです。
残念ながら、奈良のどこに行っても、土塀、土壁はもうほとんどなくなってしまいました。
壺坂村の土塀、土壁もご覧のように風前の灯火。
でも、このひび割れ、この剥がれの一つ一つに、歴史が詰まっている、
そんな感じがしませんか?

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# by Hologon158 | 2008-08-24 22:00 | ホロゴンデイ | Comments(6)

13.3「2006年12月17日の奈良壷阪山」3 私たち、木にこだわりと思い出をもつ最後の世代かもしれないね


近頃、木造家屋が激減して、
林業が危機に瀕していると聞きます。
たとえば、現代家屋が数十年経ったとき、
経年変化を積み重ねて、
今、田舎で見るような木造家屋のような、
しっとりとしたたたずまいを醸し出すことを
期待できるでしょうか?
とても無理ですね。
どうも、私たちは、古き良き日本家屋の終焉に
立ち会っているのではないでしょうか?
それがどうした?
そうお感じの方も多いかも知れません。
でも、私は日本家屋で育ったのです。
古い日本家屋を見ると、
なんとも表現しがたい懐かしさを感じるのです。
私の心に沿ったやさしさ、あたたかさが木造家屋にはあります。
木の階段、簾、窓、戸袋、戸板、板壁など、
古い木たちが見せてくれる質感、古めかしさ、雰囲気は、
まるで子守歌のように心に響き、
忘れていた幼年時代の思い出を取り戻してくれるようです。

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# by Hologon158 | 2008-08-24 15:47 | ホロゴンデイ | Comments(0)

13.2「2006年12月17日の奈良壷阪山」2 玄関にも個性が必要というお話のひとつ


随分前に聞いた話です。
実話かどうかも分かりません。
ある巨大アパート。
朝、ご主人が寝室で目を覚ますと、
隣に寝ていたのは、お隣の奥様だった!
その後、どんなことが起こったか?
いくつもドラマができそうですね。
全部同じ玄関扉が並んでいて、
なぜか鍵が開いていたために、
酩酊してご帰還になったお隣のご主人、
同じ玄関から入って、
同じ間取りの寝室に転がり込んだら、
奥さんが替わっていたというわけ。
それにしても、隣同士で、夫婦が同じ寝方をしていたんだろうか?
その夜、この家のご主人はどこに居たのだろうか?
などと、いろいろ疑問が出てきますが、それはさておき、
そんな事故があいついだせいかどうかは知りませんが、
玄関の色を交互に塗り分けているマンションとか、
玄関ごとになにか特色のある飾りを付けているマンションをときどき見かけます。
でも、現代のマンションでは、
玄関まわりに個性を与えること限界があります。
その点、昔ながらの町家の玄関は限りなく個性的です。
玄関に主の個性が表れる、なんて、もうしません。
そんなことを書きますと、
それじゃ、お宅の玄関から推測するに、
さしずめあなたは無個性、無センス、殺伐、殺風景、貧弱、貧寒…
などと、たたみかけられてはたまったものじゃありません。
でも、壷阪山でも、個性的な玄関にいくつも出会いました。
これほど互いに違っていますと、
どんなに酔ってても、間違うことはなさそうですね。

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# by Hologon158 | 2008-08-24 10:18 | ホロゴンデイ | Comments(0)

13.1「2006年12月17日の奈良壷阪山」1  壷阪山の駅を下りると、まず出迎えてくれるのが廃自転車


さて、私の新ブログも開設後17日、
記事数も、一日も休みなく、合計53件(1日平均3.1件)までこぎ着けました。
「アユタヤ」「勝山廃村」と陽と陰2つのシリーズを終え、
ようやくブログとしての軌道に乗ることができたようです。
このブログを始めるにあたり、考えたこと、それは、
自由にしよう!
「ホロゴン讃歌」はサイクル方式をとりました。
いくつかのカテゴリーを規則正しく順繰りにたどって、ブログ世界を構築する。
そして、ブログに統一感を与えたいと考えたのです。
でも、これはブログを体験したことのない人間の浅知恵。
ブログって、そんな風に構築する建築物のようなものではなく、
川の流れなのです。
訪問者は、誰も昨日以前の記事に戻ったりはしません。
時折川に手をつけてみて、
「冷たい、いい気持ち」とか、
「なんだ、生ぬるいじゃないか」
それで、終わり。
自分のブログが誰かに長続きする印象を与えるだろうなんて、
期待するのは、完全な自己幻想。
そんなことが分かってきました。
よし、それじゃ、もっと勝手気ままに、
遊ぼう!
それが本ブログの基本スローガン1。
「ホロゴンデイ」(ホロゴン讃歌の時代の「ある日のホロゴンと私」シリーズ)、
「ホロゴンドラマ」(ある場所、あるテーマの写真展)をメインとしますが、
その中間でも、別の記事を書きたくなったら、
どんどん横道に逸れる、
自分が楽しければ、ええじゃないか!
これが本ブログの基本スローガン2。

さて、そこで、早速「ホロゴンデイ」シリーズ3に。
2006年冬の壷阪山です。
人形浄瑠璃の「壺坂霊験記」という、
明治期の新作をご存知でしょうか?
お里、沢市の世話物です。
小粒ですが、江戸時代の古典に劣らぬ佳作。
その舞台となったのが壺阪寺。
城下町ですが、今では、眼病の霊験あらたかなこのお寺も観光スポット。
お城に通じる街道一本を主軸とする小さな町ですが、
私ごのみのロボーグラフィの宝庫なのです。
まずは、ぼろ自転車たちから始めましょう。
走るには、新品がいい。
でも、撮るには、絶対、ぼろ自転車!
駅に通じるたった一本の通路の片側には廃屋、
そして、その前に廃自転車。
たいていの観光客には奇異、醜悪に感じる光景でしょう。
でも、私には、実に気の利いた歓迎デコレーション、
そう見えるのですが…
私の方がおかしいのでしょうかねえ?

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# by Hologon158 | 2008-08-24 00:48 | ホロゴンデイ | Comments(0)

12 私の目の前には、映画から抜け出たような青年が


ホロゴンには内緒ですよ。
実は、今日、何年ぶりかで、カメラを手に入れてきたのです。
「えっ、ホロゴンウルトラワイド一本で撮り続けるんじゃなかったの?」
しっ、声が高い!
もっと、小さな声でお願いします。
おっと、そんなに興奮しないで!
静かに、静かに!
ホロゴンに聞こえちゃうじゃないですか!
手早くお答えしましょう。
もちろん、そのつもりですよ。
ホロゴンは私の唯一無二の伴侶!
この事態はなにが起ころうとも変わりません。
でも、一つだけ、私には果たせない夢があったのです。
私がはじめて手に入れた、のではなく、
手に入れようとしたクラシックカメラは、
なにを隠そう、ローライ二眼レフだったのです。
ある日、生まれて初めて中古カメラ市をのぞいてみました。
そのとき、私の目に飛び込んできたのは、
クセノタール75/3.5付きローライだったのです。
手持ちがなかった私は、予約だけして帰宅の徒につきました。
だが、待てよ、ほんとにこれは賢い買い物なんだろうか?
突然、心の中に正気が甦りました。
コンタックスの一眼レフを手に入れたのは、
当時、大阪でも屈指の老舗であったツカモトカメラ。
ただちにツカモトカメラに直行し、
服部さんというベテランに相談したのです。
彼曰く、「いいカメラ、いいレンズですよ。
プラナーにけっして劣りません。
でも、クセノタールから始めると、必ずいつか、
プラナーにしとけばよかった、そう考えるようになりますよ」
こうして、クラシックカメラをローライから始めるという構図は、
わずか半時間で消えてしまったのです。
以来、ローライとは縁の薄い人生を歩んできました。
友人からプラナー80/2.8つきをお借りして、
そのレンズが当時私の常用レンズだったハッセルブラッドの
同一名のレンズを遙かに凌駕するレンズだと分かりました。
でも、お金がないので、泣く泣くお返ししました。
本日、久しぶりに現在の大阪のクラシックカメラ店の雄、
カメラのマツバラ光機に顔を出し、ご主人の松原さんと旧交を温め、
歓談1時間、お尋ねしました、
「ローライのプラナーでは80ミリと75ミリどっちがいいですか?」
松原さん、言下に、「そりゃ、75ミリですよ。
信じられないほど、素晴らしい描写をしますよ」
お店には80ミリのローライは一杯あるのに、75ミリは一台もない。
だから、商売気から出た発言ではないのです。
そんなケチな人ではありません。
「この頃、75ミリのいいのはあんまり出回らないんですよ」
信じられないのは、その後のこと。
その後、クラシックカメラ店を物色している内に見つけたのです。
極めて美しいレンズがつき、ボディも各種の動きも一級品、
それなのに、信じられないほど安価!
もちろんただちに手に入れました。
でも、ほんとうにちゃんと写るか、これは水物。
薄暮になりつつある大阪の町を2本撮り、
早速現像に出しました。
さて、ちゃんと写っているかな?
使い物になると証明されれば、ローライはホロゴンのサブに。
うまく組み合えばよろしいのですが…

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[撮影メモ]
台湾にチョーフンという町があります。
名画「悲情城市」の舞台となった山の斜面の町。
その古い映画館跡。
すでに薄暮に近いころです。
台湾の学生たちも観光にやってきて、反転して移動を開始。
その先頭の男の前に立ちはだかったのが、かくいう私。
素敵な面構えの青年でした。
青年の目の前4、50センチにホロゴンを突き出して、
いきなりシャッターを切り、
すかさず、「シェーシェー(ありがとう)!」
そして、にっこり。
青年もにっこり、素敵な笑顔を返してくれました。
古い名画の雰囲気がちょっぴり出てるな、
そう思っていただければ、嬉しいのですが。
# by Hologon158 | 2008-08-23 22:12 | ホロゴンニュース | Comments(8)

11 すべての存在はイクイバレントなのだ、そうホロゴンが教えてくれる


すべての存在は等価である。
ホロゴンを使っていると、ときどきそんな風に感じます。
大写真家の森山大道は、この「等価」というフレーズを、
すべてのものが、写真もポスターも含めて、
被写体となりうる存在であるという意味で使いました。
私の場合、少しというか、大幅にというか、
まるっきり意味が違うように思われます。
「勝山廃村」シリーズの千秋楽を飾った、石段の写真は、
正直に申し上げて、ホロゴンでこれまで撮った写真の中で、
私が一番気に入っているものなのです。
自画自賛と笑わないでください、
というより、笑ってください。
でも、そこに本物の岩がある、そんな感じがするのです。
今回は、その「石段」とイクイバレントな存在として、
この一枚を選んでみました。
撮り方はまったく同じです。
ホロゴンをおっかぶせるようにして撮りました。
20から30センチの距離です。
理論上はピントなど来るはずがないのに、ちゃんと来ています。
どこか石段と似ているとお感じになりませんか?
そして、ご覧ください。
私(ホロゴン)に向かって、大きく手を広げて、
笑っているではありませんか!
一生でただ一度注目され、写真のモデルとなったのですから。
本ブログに移って最初の2つのシリーズは、
実のところ、私の本来の写真ではなかったかも知れません。
私が撮りたいのは、路傍に見捨てられたものたちなのです。
でも、この宇宙にこのものが居る、
だから、この宇宙はこうして存在するのです。
いかなるものも不可欠の存在なのです。
小さなものたちに、本来の重要性を取り戻してあげる、
それがホロゴンの仕事なのかも知れません。
その意味で、
すべての存在は等価である。

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# by Hologon158 | 2008-08-23 00:10 | ホロゴンメッセージ | Comments(4)

10 男が後ろ姿を自分で見ることができなくて、ほんとに良かったよ


どうして男の背って、寂しそうなんでしょうね?
どこか屈託がありげで、
どこか悲しそうで、
どこか疲れた感じ。
心が内側に向かっていて、
自分が今どこにいるか、ふと忘れてしまうとき、
こんな背をしてしまうのでしょうか?
松江大橋の朝です。
大きな空、
美しい彩雲、
抜けるような青、
そして、水。
すがすがしい朝なのです、
胸に澄んだおいしい空気がふんだんに流れ込み、
視線はぐんと蒼空に向かって駆け上ってもよいはず。
それなのに、
男はうつむき加減で、
視線はともすると足下に落ちていきます。
すでに退職され、
どこか空しい想いをぬぐい去ることができないのでしょうか?
それとも、経営している会社の明日を憂えて、
資金繰りの胸算用に忙しいのでしょうか?
どうも、男性って、いくつになっても、
なにかと悩み、苦労、不安から脱出できない、
それがまともに背中に現れてしまう、ということでしょうか?
私も、後ろから見たら、そうなのかな?
そうなんだろうな…

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[撮影メモ]
私は、この方の背後1.2メートルほどです。
次第に接近しながら、
ホロゴンのシャッターを2度切りました。
これが1枚目。
2枚目は約60センチ後方。
早朝です、車もないので、橋のうえは静かでした。
朝の静寂にシャッターの乾いた音がはっきりと響き渡りました。
でも、この方はまったく振り返りもせず。
もちろん2枚目の方が私のお気に入りです。
これは、将来、松江シリーズのときにご覧頂きましょう。
いずれせよ、絶対にカメラを傾けない、
それが私の撮影法です。
写真ではなく、写っている光景に関心を抱いていただく、
それが肝心なのですから。
# by Hologon158 | 2008-08-22 21:20 | ホロゴン撮影法 | Comments(2)

9 みなさん、桃源郷に行ったことがありますか?


皆さんは桃源郷を信じますか?
どこかにある、
でも、見つからない、
たとえ見つかっても、
そこを離れると、二度と見つからない、
理想郷。
でも、これって、心の動きに似ていませんか?
絶対的に幸せな瞬間というものがあります。
今、この瞬間なら、死んでも良い!
そんな風に感じるときがありませんでしたか?
残念なことに、そんな瞬間って、続きませんね。
無理に求めても得られない、幸福の瞬間。
去ってしまうと、もう二度と戻らない瞬間。
桃源郷って、心の問題なのかも知れません。
幸せの青い鳥のように、
桃源郷を外に求めても、見つかりっこない。
心の中にこそ見つけるべきもの、
それが桃源郷なのかも知れません。
とすると、ずっと桃源郷に行き続けている、そんな幸せな人が、
あなたの側に居るかも知れませんね。
それともあなたがそうですか?
さて、自分の言葉をすぐひっくり返すのもいやなのですが、
私は、これまでに幾度か、
桃源郷にとても近いなと感じた場所に出会いました。
今回は、そんな場所の一つ。
パキスタンのカラコルム・ハイウェイをさかのぼり、
丘陵地帯に入って一泊したちいさな村。
朝6時すぎ頃、朝日が昇ってしばらくした頃、
散歩に出て、
小高い丘に立って、村を見下ろしました。
かすかに聞こえるのは、
小鳥のさえずり、
子供の声だけ。
静寂…
平安…
いや、その印象を言葉で表現するのは困難です。
一つ、はっきり言えること、
それは、私たち現代人が完全に失ってしまった境地であること。
やはり、この地上に桃源郷と言える場所はあるのです。

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[撮影メモ]
コンタックスRTSⅡにプラナー85/1.4を付けて撮りました。
私が写真を始めて最初に出会った名レンズ。
開放は、なぜかピントがほとんど来ない、大変に不思議なレンズでした。
でも、その夢幻のような描写は蠱惑的でした。
そんなレンズですが、F4から5.6に絞ると、
実にききりと見事な描写となります。
このときは、おそらくF8。
なんとも言えない清潔感溢れる描写をしてくれます。
このレンズ、ツァイスの伝統を引き継いで、
大伸ばしをすればするほど、
画像が立体的で精密に締まってきます。
10年ほど使って、友人に譲りました。
友人もその後処分したようです。
今、どこでどうしているのだろう?
# by Hologon158 | 2008-08-22 18:33 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

8.23「2005年7月3日の勝山廃村」22 そして、誰も居なくなった


最後の道

廃村の道を上りながら、そう考えました。
この村の人たちも、そんな風に感じながら、上っていったのだろうな。
この道、
こんな石段を見たことがありますか?
巨大な岩盤から切り出したステップ、
まるで巨人族タイタンの作った神々の道のように、
峨峨として、雄渾。
陰陰として、厳粛。
軽々と駆け上がり、駆け下りる道ではない。
一歩一歩、しっかりと足場を確認し、
一歩一歩、足を踏みしめながら、
一歩一歩、思い出を噛みしめながらたどる道。
最後の人はどんなことを考えたでしょうね。
楽しかったあの日のことを思い出しながら?
それとも、いつか戻る日を夢見ながら?
その目はしっかりとこの道を見つめていたに違いありません。
でも、すべては空しく消えてしまいました。
はるか前方で、
重々しい足音が、
かすかに、かすかに聞こえたみたい…

そして、
誰も居なくなった…

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[あとがき]
これで「勝山廃村」は終わり。
陰々滅々として湿っぽいシリーズだったかも知れませんね。
「アユタヤ」との対比、
陽から陰への反転、
それを狙ってみました。
勝山では、3つの村で、移動時間も入れて、3時間程度だったでしょうか?
駆け足でヒットエンドランした中から選んだ75枚でした。
写真家なら、同じ時間で撮影しても、
もっと多彩な写真群を使って、
ダイナミックなフォトストーリーを組み上げることができることでしょう。
素人なのですから、この程度です。
でも、私は気に入っています。
とくに、最後の一枚。
重々しく降る雨の中、傘の中でしゃがみこみ、
両手を伸ばして、ホロゴンウルトラワイドを
石段の傾きとほとんど平行に覆い被せるようにして、
8分の1秒で撮りました。
カメラと石段の距離は20センチほど。
それなのに、なんの歪みも感じさせないで、
望遠レンズで撮ったパンフォーカス写真のように、
石の道が凛然と立っています。
私としては、心から考えるのですが、
こんな石段、どこにもないけれど、
こんなレンズも、どこにもない!
ホロゴン、ありがとう!
# by Hologon158 | 2008-08-22 00:36 | ホロゴンデイ | Comments(8)

8.22「2005年7月3日の勝山廃村」22 岩の上に村を建てた人々って、一体どんな人たちだっただろうな


谷間のせせらぎが聞こえるあたりで、
AHさんと再会しました。
そろそろ戻ることにしました。
下りとは別の道をたどって、上ることにしました。
いくつかの生活排水の施設がそのまま残されている道。
まだ人々が生活しているようです。
でも、人声は寂としてなし。
この石段に来て、
私の村人たちへの敬意はさらに増大しました。
巨大な岩が作り成す自然の傾斜を利用して、
その岩を砕いて、石段の形を作り出しているのです。
でも、この道部分一列だけ岩が露出していたはずがありません。
家を建てる敷地にだって、でこぼこの岩盤があったはず。
その岩盤をさまざまに削り砕いて、家のための平面を作り出し、
ある部分は残して、石段道を形成したのではないでしょうか?
地震には絶対的に強い土地と言えそうですが、
村落をこのような岩の上に築くこととした人々の、
勇気、忍耐、エネルギー、ビジョンは並大抵のものではなかった、
私にはますますそう思えるようになりました。
長年踏みしめられてなめらかに磨かれた岩は、
雨で濡れに濡れて、ますます滑りやすくなっています。
村人たちは平素わらじをはいて行き来したのではないでしょうか?
気をつけながら歩を進めましたが、
心の中にいや増しに強まる、村人への敬意と、
永遠に失われた生活への哀惜の気持ちが、
私の頭をさらに重く垂れさせるのでした。

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# by Hologon158 | 2008-08-21 21:18 | ホロゴンデイ | Comments(0)