わが友ホロゴン・わが夢タンバール

29.14 ホロゴン外傳3「2008年9月奈良職場界隈」14 今日、私は最高に幸せです!


人生、今日は最高だなあと思う日があるものです。
高校2年のある日の暮れ方、天空全部を糸巻き雲が埋め、
それが極上のゴールドに輝いたとき、
大学1年、明石の天文博物館のプラネタリウムが済んで、
ドーム室を出ようとしたその瞬間、
マスカーニのオペラ「カバレリア・ルスティーカーナ」の間奏曲が
ドーム一杯に拡がったとき、
大原美術館でモローの小さな「雅歌」と題する聖書画を見たとき、
アイル・オブ・スカイの北西果ての峠に立って、
大きな空と大きな海、
そのすべてに音がなに一つない、そう知って驚愕した次の瞬間、
ポンポンポンという、船の排気音がかすかにかすかに聞こえたとき、
桂林郊外の揚堤という小さな村に向かう道の側の草地に座って、
桂林のあの丘が空気遠近法で重なる遠景を見晴るかした際、
やはり音が何一つ聞こえないのに、
揚堤への細い道を遠く男が一人自転車で走る姿を目にしたとき、
プラド美術館でベラスケスの「ラス・メニーナス」を目にしたとき、
ホロゴンウルトラワイドを手に入れた日、
マウリッツハイスで、フェルメールの「デルフトの光景」と出会ったとき、
佐伯祐三展で「煉瓦焼きの家」を見たとき、
などなど…
そのすべてが、思いがけない突然の出会い。
人生って、そんな不意打ちに満ちています。
いやなことだって、不意にやってきます。
でも、よいことも不意にやってくるのですから、
どちらも不平を言わずに受け取りましょう。
そうでないと、人生が意地悪をするかも知れませんからね。
そして、
今日、
私はいつもより1時間早く目が覚めたのです。
不眠になったことがないという、不思議な男なのに、
たとえ目が覚めても、アブラカタブラ、あっという間に睡眠に戻れる私なのに、
はっきりと目が冴えている自分に気づいたのです。
予感だったのです。
やむなく、妻に気づかれぬよう、マットの上で静かに静かにストレッチ15分。
本日と火曜日は仕事はお休みにしています。
70本とたまりにたまったネガをスキャンするぞと勇んで取りかかりました。
すると、これがなんともはや、素敵な色にあがっているではありませんか?
たった1時間、生駒駅界隈で撮った2本ですが、
どれもこれもゴージャス!
次のホロゴンデイ、決定!
ブログに、古道具店の写真5枚をアップしました。
そして、しばらくして見ますとneonさんという方がおいでになっている。
画家!
それも古いものがお好き。
うれしくなって、その方のブログに飛んでみたのです。
そして、その画面の小さな絵をクリックして拡大。
その瞬間、私の心が幸せに包まれました。
まあ、一度、おいでになってください。
その後、1時間かかって、数ヶ月遡ってみました。
どの絵もどの絵も、私を幸せにしてくれました。
凛々しく立ち上がる古い家並みたち。
素敵なハーフトーンと質感。
独創的で、しかもさりげない!
これが至福の時というものなのでしょうね。
おっと、これくらいでやめよう。
あせらず、時々訪問して、ゆっくりと味あわせていただこう。

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# by Hologon158 | 2008-09-29 12:42 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

29.13 ホロゴン外傳3「2008年9月奈良職場界隈」13 愛古党結成宣言!


骨董店は苦手ですが、
古道具屋さん、これは素敵ですね。
コンセプトはひたすら一つ、
古い道具を大切にしましょう。
使わなくなったら、別の人が使ってあげましょう。
よい道具は永遠です!
数ヶ月前、京都の骨董店に偶然入って(生まれて2度目位でしょうか?)、
韓国の数十年前の食器の一つ、スッカラを見つけました。
ただの大スプーンで、黒く汚れているのですが、とっても美しい形状。
楕円形の皿から、幅5ミリ程度の板厚の柄がすっと長く伸びているのです。
そのバランスがなかなか芸術的!
尋ねますと、1枚の板の端5分の1程度を皿の形状に丸くたたき込み、
残りを板棒になるまでたたき潰しているのです。
猛烈に時間と手間のかかる、完全手作りの職人芸。
あんまり気に入ったので、2本手に入れて、
金属磨き「ピカール」で丁寧に辛抱強く磨きました。
現れ出でたるは、極めて重厚かつ渋い光をほのかに発するゴールド。
作り手の心がこもった、本当の意味の道具というのはこういうものでしょうか?
陶磁を代表とする韓国の民芸の芸術性、心の温かさは世界最高と評価されていますが、
こんなささやかな道具に、その一旦に触れた思いがします。
それ以来、朝のシリアルを小さな方で、
カレーライスを大きな方でと、常用スプーンになっています。
味が違うか、ですって?
無論!(これ、韓国語でも同じ発音みたいですね)
スッカラの舌触り、極上なのです。
えっ? 奥さんに使わせないのか、ですって?
そうじゃないのです。
私は、小さな方を妻のために大枚はたいて買って帰ったのです。
と言っても、1本1500円でしたが。
ところが、妻は、他の人が口に入れて使ってきたものって、使いたくないというのです。
それもそうかなあ、なんて、ちらっとも思わないのが、私。
話がまた逸れましたが、
私が昼歩く界隈にも、そんな古道具店が一つあります。
ただし、いつ行っても閉まっています。
どうやら閉店してしまったみたい。
でも、その看板はがんばっています。
どっこい、おれは死なないよ。
だから、看板もガラス戸も苗字の方から薄れつつあります。
道具店の部分は、あくまで閉店に反対のご様子で、まだくっきり残っています。
店の左半分は雨戸が閉じられたまま。
この雨戸がすごい!
もうまるでビュッフェらの現代抽象画。
これぞ、私が勝手に造語した「時間芸術」の極致。
つまり、なんでもないものが経年変化により芸術と化した状態。
こんなものを見たとき、「ああ、いいなあ!」と思う人、
「わあ、汚い。どうしてほっとくの? 捨てちゃえよ!」と思う人、
この違い、大きいですね。
前者は、また造語しますと、「愛古党」
この党も、どこかの政党のように、極度に少数派に転落しつつあります。
私もその党員。
このブログにおいでの方も、おそらく大半がその党員。
党員の責務は、時間芸術を発見し、鑑賞し、讃歎し、
そして、できれば写真に保存すること。
がんばりましょう。
それとも、ひょっとしたら、ぼく独りかな?

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# by Hologon158 | 2008-09-29 09:51 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

29.12 ホロゴン外傳3「2008年9月奈良職場界隈」12 どこに顔が隠れているか分からない、それが町の面白味


町の地面
現代でもっとも酷使されている地表部分。
車やバイクや人の足ががんがん踏みつけ、痛みつけます。
その痕跡がすべて地面に残ります。
ネイティブアメリカンのトラッカー(追跡名人)は、
コンクリート地面の1年前の痕跡まで読み取ってしまうということです。
どんなことでもそうですが、
目利きが見えるものを、
ぼんくらは全部見逃してしまう、
これが世の中の道理。
こうして、能力の低い者は高い者を理解できないこととなります。
私は、トラッカーの能力ゼロ。
自分の大切なもちものさえも、ときどきどこに行ったか分からない始末。
でも、なぜか町の地面の面白い形象には目が行きます。
すでに住民がいなくなって久しい小さなビルのたたき。
マンホールの蓋が顔になっていました。
行方不明の経営者でしょうか?
駐車場のイエローラインがまっしぐら目指すのは、
北極ならぬ赤極。
まるで、このライン君、赤が大好きな私みたい。

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# by Hologon158 | 2008-09-29 00:04 | ホロゴン外傳 | Comments(4)

29.11ホロゴン外傳3「2008年9月の奈良職場界隈」11 現代の馬がバイク、とすればドライバーは騎士?


時々思うのですが、
もし現代日本の主要な乗り物が馬であったら?
きっとストリートフォトももっと美しい情景を描くことができたでしょう。
悲しいかな、馬ではなく、自動車とバイク。
たてがみを靡かせ筋肉を波打たせながら疾駆する、神々しいばかりの生き物と、
機械音を甲高く響かせながら疾走する、ずんぐりとしたメカニズム。
この対比は大きいですね。
人間の生活も文化もこれに伴って一変し、メカニズム主導型の世界になってしまいました。
でも、これはないものねだり。
この世界は、神から人、人から機械へと不可避的に移行してゆくようです。
やむなくバイクを撮ります。
でも、ないものねだりを止めますと、
バイクというのはなかなかの存在ではありませんか?
存在自体に躍動感があり、
動いていても停まっていても、絵になりますね。

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# by Hologon158 | 2008-09-28 21:53 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

29.10ホロゴン外傳3「2008年9月の奈良職場界隈」10 古都奈良のお店らしくちょっと古めかしく


今さっき帰宅しました。
大阪の路地裏を回ってきました。
実は、写真仲間は路地裏がそれほど好きではないのです。
私は田園、自然、村、都会なんでもござれなので、
自然と友人とは田園、村を訪ねることになります。
今日は、あいにく誰からも声がかからないので、
1人さびしく、というのは表向き、ほんとは浮き浮きと、
実は一番大好きな都会の路地裏探訪を愉しんできました。
道具はもちろんホロゴンウルトラワイド、
でも、サブに目下採り上げているスーパーアンギュロン21mmF4を携行。
いろいろ考えて、本日はこの二本の名レンズの共演とすることにしました。
共演であって、協演でも競演でもありません。
どうちがうのか?
協力して一つの写真を撮るのは無理だから、協演じゃない。
競争させると、レンズたちが喧嘩して、私を恨みます。
下手をして「死んでやる!」なんてことになったら、大変。
一度そんなことがありました。
コンタックスのプラナー85mmF1.4と、
コンタレックスのゾナー85mmF2とを両肩に掛けて京都を漫歩していますと、
古女房のプラナーが「死んでやる!」と肩から滑り落ち、ガチャン!
もうこりごりです。
そこで、まずホロゴンだけ出して、これしかない状態にして撮る。
一本終わると、スーパーアンギュロン21mmF4に交替。
こんな風にして、午後3時までに4サイクル、合計8本撮りました。
ちょっと少なかったですね。
これと比べると、超特急で撮った写真を3枚アップします。
これが古都奈良の古いお店なのです。

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# by Hologon158 | 2008-09-28 19:04 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

29.9ホロゴン外傳3「2008年9月の奈良職場界隈」9 それはスーパーアンギュロン21mmF4付きライカⅡfだった!


8で、fwkp6043さんからレンズの正解を頂きました。
ほっとしました。
もうこれ位にしましょう。
ほとんどの皆さん、写真機材なんかに関心はないでしょうから、
さぞかし退屈されたことを思います(もし私の文章をお読みなら)。
失礼しました。
でも、すこしだけ説明しておきます。
21mmというレンズは、画角が90度ですから、
110度のホロゴン15mmF8より相当に狭いわけです。
でも、広角レンズとしては超広角に分類されるレンズ。
1958年発売当時、ホロゴン15mmF8はまだなかったわけですし、
他に幾種類もの超広角があったわけではありません。
ライカ社だって作れなかったようで、
レンズメーカーの雄シュナイダー社に委託して制作したようです。
だから、大変に人気が高かったに違いありません。
目下、私は今年の6月21日に撮った管浦のネガをスキャンしています。
3ヶ月遅れでスキャンしているわけです。
営々としてスキャンしているのですが、まだ50本以上残っています。
いつもこんな状態です。
明日も撮影に出かけます。
1人なので、これは猛烈にはかどります。
そのホロゴン写真たち、私にせっつきます。
「いつまで浮気をしてるの?
もうそろそろ私たちの家庭に戻ってきて!」
私としては、浮気をしているつもりはありませんが、
そんなこと言っても、ホロゴン写真たち納得するはずがありません。
スキャン画像を見ながら思うのですが、
スーパーアンギュロン21mmF4による写真はとっても好きなのですが、
私にとっては、ホロゴンの凄みは特別。
そして、ホロゴンの写真のもつ雰囲気は私にぴったり来るのです。
スーパーアンギュロンには悪いけど、
なるべく早くこのシリーズは済ませることにいたしましょう。
今回は、竜舌蘭のような多肉質の植物。
剣先が林立するようで、その後ろに黒板壁の家と来ますと、
ちょっと剣呑な雰囲気のお屋敷です。
この漆黒の壁の向こうにはどんな生活があるのでしょうね?

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# by Hologon158 | 2008-09-27 23:59 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

29.8ホロゴン外傳3「2008年9月の奈良職場界隈」8 このレンズを使った大写真家がいた!


フランスにジャンルー・シーフという写真家がいます。
この人、私のレンズをメインレンズとしていたようです。
もっとも、作品の年代から見て、このレンズの改訂版の方が多いかも。
縦位置で超広角のデフォルメを殺さず、むしろ活かして、
それはそれは見事な写真を撮りました。
基本的にアイレベルで、ちょっと傾けて撮ります。
すべてモノクローム。
常にパンフォーカス、
おそらく増感して、粒子を荒らして、
荒々しげなほどにエネルギーに満ちた作品を作りました。
私は素晴らしいプリントの写真集を2冊持っています。
どちらも最高のモノクローム作品に満ちています。
彼のヌードは大変に有名ですが、
まるでモジリアニのモノクロ写真版といった感じで、
縦に長く引き延ばされた肢体が、周囲の光景と融け合って、
流麗な音楽を奏でるかのよう。
センスに溢れ、シックで、高級感に溢れています。
どちらの写真集でも、
そうしたヌードと風景写真とが対置されています。
あたかも、私は風景もヌードも等値だと考えているのですと言わんばかり。
彼の写真集をつくづく観ていて想うのですが、
この写真家、このレンズがなかったら、
このような作風にはならなかった!
私のような素人だけではないのです。
シーフは、このレンズにより、
カルティエ=ブレッソンと木村伊兵衛はライカにより、
ファン・エルスケンはローライにより、
近年の森山大道はリコーGRにより、
自己の作品世界を確立し、一世を風靡したのです。
なんだ、レンズに頼っていたのか!
なんて言いっこなし。
あなた、レンズなしで撮れますか?
どんなレンズでも、あなたの独特の個性で撮れますか?
ジョン・コルトレーンだって、リートが合わなくて、
彼の奔放自在なパッセージを思うようにふけず、苦労したと言います。
弘法は筆を選ぶのです。
まして、素人は道具を探すべきです。
彼のあまりにも素晴らしい写真たちを眺めている内に、
今、私はこのレンズをホロゴン同様に、
腰だめ、ノーファインダーで使っていますが、
ファインダーを使って、アイレベルで撮ってやろうか、
なんてアイデアがちらりと浮かびました。
真似しちゃ、いけませんよねえ。
路地のあちこちで撮った写真が今回。
シーフの真似をしているわけではなく、
Hologon158の真似をして撮っています。
これじゃつまらないですかね。
私のニューレンズ、もうお分かりでしょうか?

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# by Hologon158 | 2008-09-27 20:48 | ホロゴンデイ | Comments(2)

29.7ホロゴン外傳3「2008年9月の奈良職場界隈」7 心やさしい文化も映画も今では世界から消えようとして


私が映画の申し子のような人間であったことはすでに書きました。
小学生の頃から洋画を見てきました。
数知れぬ洋画を観てきました。
出会った名画、名監督、名優、数知れず。
心を揺さぶる作品にもたくさん出会いました。
私にとって、映画は生き甲斐だったのです。
3年前、私はある決断をしました。
美しいことだけを見つめて生きていこう。
新聞を読むのを止めました。
テレビを観るのを止めました。
映画を観るのも止めました。
映画は、今では観るに耐えないものになってしまったからです。
コンピューターグラフィックスがすべてを絵空事に変えてしまいました。
そして、セックスとバイオレンス。
吐き気がします。
時代を表現するものが映画であるとすれば、
もうこれしか描くものがなくなったという感じ。
今、私が見るのは韓流ドラマだけ。
ここには、人間の志、理想、愛、節度と信義がまだ生きているからです。
つまり、私たちが失ったすべてが。
今書いた言葉のほとんどが、日本ではもう死語。
前にも書きましたが、美しい心、美しい言葉なので、もう一度書きます。
ウォンビンという韓国スターが来日しました。
韓流ドラマに出会う以前だったのですが、偶然テレビをつけていますと、
記者会見で日本人女性ライターがしたり顔で尋ねました、
「あなたの顔のなかで一番好きなのはどこですか?」
彼は即座に答えました、
「私は、どうすれば心を磨くことができるか、それだけを考えているので、
そのようなことを考えたことはありません」
どこの世界に、これだけの言葉を即座に自然に吐ける人がいるでしょうか?
そのときは、ただひたすら感嘆したのですが、
その後韓流ドラマに出会って、そうなのか、
この人たち、自分たちの自然な姿、心をドラマで見せているんだと分かりました。
3年間で数十のドラマを見ましたが(私はいつも徹底的に好きになるので)、
その印象、その讃歎はいまでも不変。
日本の映画事情はまったく知りません。
小津や黒澤の名画は心から敬愛しますが、
現代映画は寅さんと釣りバカ以外は観る気になれません。
なにしろ常にセリフがたどたどしく不自然で、動きはただの演技だけ。
とても観ておれないので。
昔はどんなちいさな町にもいくつかあった映画館はほとんど姿なし、
という現状は、映画そのものが時代遅れとなりつつあることだけでなく、
日本映画が真実の芸術に深化できなかったことを物語っています。
芸術とは、人間の心を磨き、精神を高めるものでなければならないのですから。
映画の看板も、ほれこの通り、朽ちていくだけ。
やむをえないことでしょう。
私のニューレンズ、こんなシャドウが大変に落ちてしまう壁に向いているようです。
露出がうまく言っていないことをさしひいても、
シャドウ部はちゃんとグラデーションよろしく描写されているのです。
古いレンズだけがもつ特技。

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# by Hologon158 | 2008-09-27 17:22 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

29.6ホロゴン外傳3「2008年9月の奈良職場界隈」6 蔦の絡まる旧家、美しいのやら、かわいそうなのやら?


蔦を近くで見たことがありますか?
気味が悪いですよ。
ヤモリそこのけの吸盤のついた指が壁にしっかりと張り付いて、
ぐいぐいぐいと昇ってゆきます。
幹は最初はただの草ですが、段々と樹木に成長し、
ついにはがっしりとした樹幹がたくましく大地から立ち上がるのです。
こうなったら、もうお終い、
蔦の絡まるチャペル状態に達してしまい、
蔦がわが世の春を謳歌し、その陰で家はひっそりと生き延びることに。
教会やお屋敷はわざとそうし向けているのでしょうか?
なにか建物によいことがあるのでしょうか?
お分かりの方居られましたら、教えてください。
私には、蔦と建物、蔦と人間は不倶戴天の敵としか思えないのですがねえ。
レストランに向かう途中のこのお宅も、
完全に蔦に乗っ取られた状態。
便所の窓までも、ブラインドになったげるよとばかり、がっぽり覆い被さっています。
きっとうっとうしいですよ。
でも、一つだけ美点があります。
かなりフォトジェニック!
逆光でちょっとフレアーが出ていますね。
これはフードがないため。
純正フードがあり、これが実にかっこいい。
でも、どこにも見つからない。
おそらく見つかっても、超高価。
目立たないけど、ちょっとは役に立つ程度の深さで、
有名な宮崎さんにでも作って頂こうかと考えています。
ええーいっ、もうばらしちゃおうかな?

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# by Hologon158 | 2008-09-27 14:51 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

29.5ホロゴン外傳3「2008年9月の奈良職場界隈」5 運命のレンズではないけれど、無視できない


よいレンズって、数知れずあります。
私自身も数十本遍歴してしまいましたし、
私の友人たちが遍歴してきたレンズたちはその幾倍も。
そんなレンズたちを拝見して、
基本的に、悪いレンズの方が少ないのではないか、とさえ思われます。
でも、この世に数知れぬ美女たちが存在するのと同様、
そのようにたくさんの名レンズが存在しても、
私には意味がないのです。
どんなに多くの美女に出会っても、
妻にできるのはたった1人。
(一夫多妻主義者とドン・ファンの方は無視)
私は妻に初めて出会ったときの姿をいまでもまざまざと思い出すことができます。
同じように、運命のレンズとの出会いは正真正銘の黄金の瞬間。
それがないのであれば、あなたに無縁のレンズと思ってください。
私はホロゴンウルトラワイドと初めてであったときのことをはっきりと記憶しています。
その瞬間、わかりました、「このカメラ、僕を待っていてくれた!」
でも、(と、突然、トーンダウン)
ネガをスキャンして、初めてそのレンズの画像を見た瞬間、
あっとのけぞるような極上のレンズに出会うことは避けられません。
不可避の出会いなのですから。
近ごろ、私、そんなレンズに出会ってばかりで、困っているのです。
先月のローライ3.5Eのプラナー75mmF3.5。
今月のこのチビレンズ。
最初のネガをスキャンして、
半切大の画像が私の28インチ・シネマディスプレイに出現した瞬間、
私の心はふんわりとあたたかい幸福感に包まれました。
あたたかい!
やわらかい!
やさしい!
でも、きりっと姿勢正しい!
早くその名を皆さんに打ち明けたい。
でも、もう少しぼくだけのものにしておきたい。
心は乱れます。
本日の画像は、ちょっと硬いですね。
どうも、まだ露出がうまくいかないのです。
このカメラ、もちろん露出計なんて付いていません。
というより、およそ、なんにも付いていない!
ホロゴンウルトラワイド同様、EV値で脳内露出計で決定しています。
でも、ホロゴンとはちょっと偏差があるようです。
もう少し、脳内露出計を調整してみます。

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# by Hologon158 | 2008-09-27 10:57 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

29.4ホロゴン外傳3「2008年9月の奈良職場界隈」4 ゴミがらみの写真でも絵にしちゃうレンズなんだから


やむを得ないある理由からですが、
このレンズも、ノーファインダーで撮って、
ノートリミングでアップしています。
でも、ホロゴン15mmF8とは画角が違うので、
これがなかなか難しい。
ホロゴンのように目一杯写るレンズなら、腹が座ります。
でも、そこまで画角が広くないので、十分覚悟ができない感じ。
水平垂直もなかなか決まりません。
ホロゴン同様、千本切りの修行が必要なのでしょうか?
でも、ホロゴンウルトラワイドのように大柄ではないし、
ボディよりも前に指が出ても、写り込んだりしませんので、
遙かに使いやすいのです。
この使いやすいということが散歩カメラの最大の条件かも知れません。
本日はゴミに関連する写真を3枚。
土地の持ち主、なぜかフェンスで応急に囲いを作ったです。
誰かがその囲いの中になにか捨てたようです。
持ち主、憤然として「ゴミ捨て禁止」の看板をかけました。
これが一番してはならないことであることを知らなかったのでしょう。
看板、断然効果的でした。
現代人のモットーは何だと思いますか?
「みんなでやれば、怖くない」
「誰かが悪いことしてるなら、私だってしていいじゃない?」
たちまち、フェンスの中は不法投棄で一杯になってしまいました。
3枚目は、ごみ集積場のカラス対策用の防護ネット。
ゴミ収集トラックが来て、ごみは回収済み。
残されたネット、まるで練習中のバレーダンサーのようではありませんか?
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# by Hologon158 | 2008-09-27 00:51 | ホロゴン外傳 | Comments(3)

29.3ホロゴン外傳3「2008年9月の奈良職場界隈」3 鉢植えの棚に主人の心が偲べるレンズ?


さて、こんな風にクイズ仕立てにしてはみたものの、
回答者の身になって考えてみますと、
そんな簡単に答えが出せるものじゃなし、
悪いことをしてしまったなあと後悔しています。
私の出した3条件って、大変に主観的、趣味的なものですから、
条件のとらえ方も十人十色。
でも、あえて言わせていただきますと、
レンズの写りって、意外と一定しているものです。
たとえば、ライカ用レンズには、
女性的で繊細精密なものが多いというような一定のテイストがあり、
ツァイス用のレンズの男性的に剛毅な写りとは一線を画します。
そのような区分法をつかって、私の写真をチェックしていただければ、
ある程度、絞り込むことは可能なのではないでしょうか?
本日は、ニューレンズ第三弾。
近くのちいさなお社だけの神社の前面。
その左隅の鉢植えの棚を見れば、
神社なのか、民家の庭なのか、さっぱり分からない情景です。
でも、よくご覧ください。
ちょっと小気味がいい位に、誇張のない立体感ではありませんか?
手入れをしている人の愛情がしっかりと伝わってきますね。
そんなやさしさをしっとりととらえてくれるレンズ、
それがこれなのです。
さて、これってなんだ?

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# by Hologon158 | 2008-09-26 21:11 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

29.2ホロゴン外傳3「2008年9月の奈良職場界隈」2 レトロなポスターに似合うレンズって何?


うふうふと嬉しくなって、書いています。
お一人から早速名答を頂きました。
でも、ちょっと違うのです。
条件1をクリアーしなければ!
私の手はあまり大きくないのです。
そんな私の手の中に収まるカメラとレンズ、
そして、この描写性!
別に珍品カメラ、レンズではないのです。
ごくオーソドックスなセット、
大変に名声が高いレンズ。
ただし、このカメラをお使いの方を私は見たことがありません。
でも、私が使うのは実に自然かつ合理的、そんなカメラなのです。
さて、なんでしょう?
本日も実は昼食後、このカメラをバッグから取り出しました。
午前中土砂降りの奈良でした。
雨は降っていませんが、道路も建物もみんな濡れに濡れています。
暮れ方を黄金の時間と呼ぶとすれば、
雨上がりは美女の時間!
なにしろ「水も滴るよい光景」なのですから。
(このあたり男性的偏見と、女性陣から総スカン食いそうですね。
いや、こういう男性、女性という区分をことさら強調する方が問題かな?)
ワイシャツ姿で右手に握って歩きます。
気づく人はさほど多くありません。
本日は、午後1時からの仕事の準備もあって、持ち時間15分。
それで、やっぱり1本使い切り、足りないほど。
これからずーっとお昼には撮影を続けることにします。
そんな撮影の成果は、また別にまとめてアップすることにましょう。
今回は、行きつけのレストランが並んでいるちいさな通りの入り口あたり。
昔ながらの学生服店、クリーニング店がこの通りをレトロにしています。
もう4年以上そのままに貼られたポスターは色あせ、
諸行無常の気配を漂わせています。
私のレンズはちょっと古いので、
こんな夢の国に一歩足を踏み入れたようなロボーグラフィーにぴったり。
これらの写真を見ていますと、
これまでなんでお昼に写真を撮らなかったのだろうか、
悔やまれてきますね。

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# by Hologon158 | 2008-09-26 18:06 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

29.1ホロゴン外傳3「2008年9月の奈良職場界隈」1 散歩カメラ、レンズは何が一番よいだろう?


「中性脂肪が異常に高いのですよ」
先月の検診の際、医師からそう告げられました。
血液検査の他の数値はすべて正常値なのに。
健康のことに一切留意しない男である私、のほほんと、
「それ、なんですか?」
「血液中ですぐにエネルギーに変換できるように蓄えられている脂肪なんですよ。
それ自体は病気でもないし、薬で治すというようなものではないけど、
放置すると、脳卒中になったり心臓疾患の原因になったり、
怖いですよお!」
全速力で突っ走っているので、
いつ倒れても、即座におさらばできるのであれば、喜んで倒れちゃおうじゃないか、
そう考えている私、ちっとも怖くない。
でも、半身不随、寝たきり状態は怖いですね。
対処法は少ないようです、
有酸素運動をすること、動物性タンパク質を控えること。
一日15分でもよいから歩くこと、そこから始めなさい。
とにかく職場と家庭、どちらも猛烈に多忙を極める生活なので、
運動ができるのは、昼食後の20分程度。
よし、それじゃ、まず、バッグを軽快なものに換えちゃおう。
ただ歩くだけじゃつまらない、
そうだ、歩きながらロボーグラフィを楽しんじゃおう!
そこで、私は、かつて夢見たあるカメラとレンズを調達したのです。
今回は、ホロゴンではない、ある別のレンズで撮った写真たちで、
ホロゴンデイ・シリーズ同様のシリーズものを作ることにしました。
私が散歩カメラの条件として考えたのは、次の3つ。
1 軽量で手の中に軽く収まる形状であること
2 ホロゴンに劣らぬ、広角の名レンズであること
3 カメラとレンズの組み合わせが理想の美しさをもつこと
3つとも極めて主観的な条件なだけに、
たいていの方は「そんなの、知るかあ!」でしょう。
でも、このブログにも相当数のレンズグルメの方がおいでになっているようです。
そんな方なら、ふむふむとうなづかれることでしょう、
「ははーん、組み合わせは、あれと、それと、これと、これくらいかな?」
9月14日、19日、24日、この3日、それぞれ20分ずつ散歩しました。
職場から行きつけのレストランの往還とレストランの界隈だけ。
毎日1本ずつ撮りました。
つまり、60分間で108枚撮ったわけです。
その中から、83枚選んで(選ぶなんてものじゃない、ほぼ全部じゃないか!)、
ホロゴンデイ・シリーズ同様に、フォトエッセイを20回仕立てでお送りします。
数回サンプルをお見せしてから、その辺りで種明かしと行きます。
これかなとお気づきの方、よろしかったら、なるべく早くご回答ください。
大変にオーソドックスな選択なので、そんなに難しいテストにはならない筈。
とくに、写真の写り具合をご覧頂けば、
回答はあれと、それと、これと、これくらいに収まるはず。
軽い頭の体操と考えて、お楽しみください。
まずは、職場から行く路地伝いの沿道風景から。

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# by Hologon158 | 2008-09-26 00:40 | ホロゴン外傳 | Comments(3)

28.33ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」33 黄金色に暮れてゆく常滑よ、さらば!


さて、常滑シリーズもようやく終わり。
33回138枚を勝手に構成してみましたが、
振り返ってみますと、粗製濫造もいいところですね。
ときおりコメントをいただく方々のブログを訪問しています。
私の「ある日のホロゴンと私」風の構成をしておられる方は皆無。
なぜだろうか?
考えてみました。
皆さん、写真を作品として構想しておられるわけで、
ある日撮った写真をとにかくそのままごっそり人に見せるなんて、
写真の本来の表現方法ではない。
ナンセンスもいいところです。
だから、誰もそんなこと、考えない。
私は、写真表現をするつもりはありませんから、考える。
でも、個人的には、この方法にもよいところがあります。
自分が歩いた場所で、その日、どんなものに出会い、
自分がどんなことを感じ、
どんな風にそれを写真にしたか?
それが一望できるのです。
偉大な写真家の皆さんがこんな風に写真を見せてくれたら、
どんなに楽しいでしょう。
たとえば、カルティエ=ブレッソンが、木村伊兵衛が、森山大道が
パリを、浅草を、新宿をその日どんな風に歩いて、どんな風に撮ったか、
それが判れば、写真家たちの写真に対する取り組み方、精神がわかるのでは?
私の場合、こんな研究はまったく不要ですね、もちろん。
わあ、この人、なんと雑然たるものに興味を持ってるんだ、
なんとも気楽に写真に収めてるなあ、
それにしても、もう少し撮り方があるのじゃない?
これじゃまるで、大根振り回してたたきまくっているだけじゃない?
これで研究は終わり。
常滑の夕暮れは黄金色に輝きました。
よい町でした。
あたたかい心が路地裏の隅々までじんわりと暖めた、そんな印象の町でした。
町がかもし出しているレトロな雰囲気、あたたかな空気感を
ホロゴンはちゃんと記録してくれたでしょうか?
もう一度訪れる機会があるでしょうか?

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# by Hologon158 | 2008-09-25 21:28 | ホロゴンデイ | Comments(7)

28.32ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」32 光と影にいまだに魅せられている私なのだ


モノクロームで写真を始めたせいでしょうか?
光と影がなにかドラマをしているような情景にぶつかると、
無性に撮りたくなってしまいます。
その当時、ものをそのもの自体の形状ではなく、
黒から白に至るグラデーションのある平面としてとらえる癖がついてしまったようです。
おかげで、歩いていても、ちょっと興味深いものにぶつかると、
頭の中にモノクロームの画像が浮かんでしまう傾向があります。
カラーに移行してから随分になるのに、それが直らない。
他の人の写真を拝見していて、不思議に感じることがあります。
多くの方が、カラーとモノクロを自由に併用しておられます。
私にはそんなフレキシビリティがないので、まことにうらやましい限り。
でも、たいていの方のモノクローム写真、
フィルムをただモノクロームに代えただけ、という感じがします。
よく、モノクローム写真に対するほめ言葉で、
「色を感じさせる」という言葉を使う方があります。
これも私には不思議。
ものを見ると、それ固有の色を感じるのは人間の普通の認識方法です。
モノクローム写真の醍醐味は、
ものに付着する色を完全に捨象して、
世界を白黒グラデーションだけの形状に還元してしまうことで、
私たちの視覚を超えた空間表現を創りだすことにあるのではないでしょうか?
私の見方は大変に古典的で狭いのかも知れません。
なんだっていいじゃないの?
そうおっしゃる方も多いことでしょう。
でも、私は古典的なモノクローム写真の傑作を沢山見てきましたので、
あの銀塩による深い黒と白を考えますと、
でも、ちょっと違うんだけど、
もしモノクローム写真を志すのなら、カラーは完全に捨てなきゃ、
という思いを捨てることができないのです。
私はモノクローム落第生なので、最初に書いた性癖が残っているとしても、
モノクロームに戻るつもりはありません。
でも、モノクロームを志した当時が懐かしいのでしょうか?
光と影と形だけの写真をやっぱり撮ってしまうようです。

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# by Hologon158 | 2008-09-25 17:40 | ホロゴンデイ | Comments(0)

28.31ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」31 人は見かけによるものだというお話


29にお話ししたDAさんについてもう少し書きます。
実は、彼のことをあれこれ書いても平気な理由があります。
彼はこのブログを見ないのです。
猛烈な激務を毎日こなして、帰宅も遅いので、
遅い夕食を頂いた後は、愛する奥様とともに、
大好きなウィスキーや焼酎を傾けながら、
憩いと癒しの至福の一時を過ごす、
これが彼のライフスタイルなのです。
それを、変な写真満載のブログで崩すわけには参りません。
ご心配なく、
私の友人たちのほとんどが私のブログには近づきません。
なにも私のことを軽視しているわけではありません。
長年付き合っていて、私の写真はどっさり見てきましたし、
今後も見せられる身として、
ホロゴンとのお付き合いは十分足りているからです。
それに、彼ら、ファインダーをきちんと見て撮る、オーソドックススタイル。
私の写真はぜんぜん参考にならないのですから。
このDAさんに会ったのは、初心者写真教室の撮影会でした。
ずっと初心者で通しているのですね、私。
帰りに乗ったバスでのことでした。
黒ずくめの男が立って、足を組んでいます。
その胸にはライカが。
実にかっこ良かったですね。
こいつ、できる!
私はピンと来ました。
転居してきたばかりで、写真仲間が居なかった私、
同年配のこの人をつかまえてやろう、そう考えたのです。
付き合ってみると、実に仏様のようにあたたかで茫洋として、
春風駘蕩という言葉がよく似合う人物でした。
さて、写真は?と言いますと、これは長い間終始ひどかったですね。
ライカだって、買ったばかりだったのです。
ぼくには人を見る眼がないんだな、と、我ながらあきれました。
ところが、話しというものは逆転するのが順序ですね。
私の以前からのお気に入り、京都の伏見稲荷に幾度かご一緒したのですが、
彼は、ここで撮り貯めた写真で写真集を作ったのです。
写真集と言っても、
プリントを編集して製本所で製本してもらう、私家版。
これには驚きました。
異様な気配まで写し込まれて、見事だったのです。
そして今、彼は29で述べた事情から、
堂々たる1個の写真家への道を歩きはじめました。
出会いのときの印象は正しかったのです。
私はやはり人を見る眼があったわけです。
ちょっとした自慢話。
さて、最後のライトモチーフとして、
最後にとっておきの擁壁の写真を5枚。
壺擁壁たちも自分たちが擁壁写真のトリであることが分かっているようです。
ぐっと胸を張っているじゃありませんか?

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# by Hologon158 | 2008-09-25 00:31 | ホロゴンデイ | Comments(2)

28.30ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」30 常滑の暮れ方は陶器色?


常滑も次第に暮れ方となりました。
私は天気が悪ければ悪いほど好きなのですが、
晴天の日であれば、暮れ方が最高に好きなのです。
黄金の時間、そう呼んでいます。
ものが一番美しく輝くときであり、
人の肌も一番美しく見えるときです。
ところが、私という人間は、だからと言って、
そんな時間をことさらに表現しようという気持ちがあるわけではないのです。
以前なら、そんな風に動いたのですが、
ど素人として写真を愉しむことに決めてからは、
徹頭徹尾、写真制作向けの思考は無縁となってしまいました。
あっ、これは絵になるぞ!
そうだ、これを写真に撮らなくちゃ!
どうすれば、傑作写真になるかな?
なんて、ぜんぜん考えない。
ただ、ぶらぶら歩いて、「おっ、いいな!」と感じるシーンに出会ったら、
その瞬間にシャッターを落とし、
その後は、シェーンのように、振り返ることなく、さらば。
常滑焼きの土がどこでとられるのか、私は知りません。
でも、良い陶土のとれる地に陶芸家が集まることはよくあることでは?
常滑の暮れ方の色合い、深みを増して、
陶土のとれる土地にいかにもふさわしいのではないでしょうか?

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# by Hologon158 | 2008-09-24 21:19 | ホロゴンデイ | Comments(2)

28.29ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」29 逆境で写真に開眼した男の話


「人間、下り坂で真価が出る」なんて言いますが、
これは誇張ですね。
下り坂にあるとき、人間は仕事をする余裕はありません。
下り坂からなんとか挽回しようと奮闘します。
だから、下り坂で出るのは立ち直り力、いわば、根性。
才能に見合った仕事をするのは上り坂でのこと。
だから、本当の真価は上り坂で出るのではないでしょうか?
というより、下り坂に一旦はまりこんだ人間が、
反騰して、上り坂に戻ったとき、これが一番の見せ場でしょうね。
私の親友、ADさん、
企業の事情から、大阪支社から引き抜かれ、
東京本社に単身赴任を余儀なくされました。
本社は、そのまま本社に残ってもらって、活用したいという魂胆。
でも、妻子、自宅、そして写真を含めて生活のすべてを関西に残してきたADさん、
そうは問屋が参りません。
頑強に抵抗して、ついに4年後、大阪に返り咲きました。
そう、この男も、普通の出世屋さんとはぜんぜん異質の人間なのです。
その間、いわば人生の漂流状態に置かれた不安を彼がどう切り抜けたか?
それは写真を心の糧として生きることによってでした。
上京期間中、一度慰問に出かけたことがありました。
彼のマンションに泊まって、無理矢理、在京中のポジを見せてもらいました。
ルーペの中で、彼のポジたちが爆発しました。
信じがたいほど、彼の写真は変貌を遂げていたのです。
一皮剥けたなんて言葉がなまっちょろく思われるほど、劇的に。
休日になると、たった1人なのです。
そんな寂しさ、将来への不安の圧力にぐっと抵抗するため、
彼は、撮影に心を集中したのです。
火事場の馬鹿力ならぬ、逆境のど根性!
その結果、彼の精神エネルギーが写真に怒濤のように流れ込んだのではないでしょうか?
奈良に帰った彼は今、心をのびのびと開放させたのでしょうか?
信じがたいほどに見事な、正真正銘の写真家に成長しつつあります。
逆境を抜け出る努力が彼を磨いたことは事実です。
でも、彼の才能の真価は逆境を抜けた今発揮されつつあるのです。
私ごとに話を戻しますと、本日はその上り坂の写真たちです。
でも、上り坂を撮るからと言って、
お前の真価が発揮されているか、見てやろうじゃないか、
などと言われると、これは困ります。
なるほど、上り坂を登りつつありますが、
私自身はむしろもはや下り坂の人間なのですから。
でも、写真の場合一つ言えることは、
上り坂を撮る方が、下り坂を撮るよりずっとやさしいですね。

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# by Hologon158 | 2008-09-24 18:27 | ホロゴンデイ | Comments(2)

28.28ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」28 人は撮れるのに、自分は撮って欲しくない男の話


以前、カミソリを研ぎ澄ましたような切れ味で写真を撮る人が居ました。
プロではありません。
退職後写真を始めたのですが、実にシステマティックに学習したのです。
一こまごとに露出、シャッター速度を記録するのです。
ストロボを使ったときもそのデータを全部記録。
理詰めの写真作り、
結果も当然ながら、理詰めの傑作群。
実に立派です。
見るたびに、圧倒される思いでした。
世の中、凄い人がいるものだなあ!
でも、心の中でぜんぜん納得していませんでした。
だけど、なんでこんなに冷たいの?
なんで、こんなにこちらを突き放すの?
心に入り込み、心を温めてくれるのが本当の傑作じゃないの?
それなのに、なんでこんなにただの映像でしかないの?
この方が子供を撮る撮り方を聞いたことがあります。
飴を用意しておくそうです。
公園などで遊んでいる子供の中でこれはと思う子を物色。
さりげなく近づいて、一緒に遊ぶのです。
飴が当然子供のこころを溶かします。
30分くらい遊んで、十分にこちらになじんだなと確信すると、
やおらカメラを取り出して、あれこれ動きを注文して、撮影。
これを聞いてあきれました。
この人は、子供が可愛いから撮るのじゃないんだ。
ただの被写体としてしか見ていないんだ。
風景にせよスナップにせよ、この人は、ただの被写体を撮っているんだ。
だから、あんなに冷たい写真なんだ。
写真から、あたたかい心がぜんぜん伝わってこないのも当然。
心を写真に込めていなかったのです。
技術だけを写真に注ぎ込んだだけなのです。
私は、この10年余、必要がない限り、カメラ雑誌を見ません。
とてつもなく巧い写真家たちがどっさり居られるようです。
そんな写真家の傑作、名作で雑誌は埋められています。
でも、私には無縁。
心の底からいいなっと思っているものを撮っていない写真など、
ただの撮影法のお手本に過ぎません。
このことはずっと前から一度書きたかったことなのです。
でも、こう書いた後で、自写像をアップする?
いい度胸だよ、お前さん。
ご覧の皆さんに笑われてしまうかも知れませんね。
誤解のないようにお願いします。
この生涯に、私の顔が写っている写真、おそらく300枚を切るのではないでしょうか?
私自身は、家族写真として、自分の写真は一枚も保有していません。
記念撮影のときが来ると、逃げてしまう、そんな少年だったのです。
カメラに向かって視線を流し、にっこり笑える人が居ますね。
あなたもそうですか?
これって、私には信じられないような行為なのです。
私は一日中笑っている男ですが、
意識して笑いを浮かべるのは不可能。
写真の自分を見るのも大嫌い。
理由はあまり言いたくありません。
ところがですよ、ご覧になってお分かりのとおり、
私は順光でものがしっかりと照らし出されている情景を撮るのが好きなのです。
日が西に傾きますと、いきおい、自分の影が写ります。
最初は、撮らなかったのです。
でも、そんなことをしていたら、魅力的な壁が撮れない、
そうだ、影を撮っても、誰もぼくだとは分からないぞ、そう気づいたのです。
以来、自分の影だけはおそらく何百枚と保有する人間になってしまいました。
影を愛するようになってしまった男の話でした。

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# by Hologon158 | 2008-09-24 00:45 | ホロゴンデイ | Comments(2)

28.27ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」27 レトロな私のレトロな窓写真をご覧ください


常滑シリーズも後7回を残すのみとなりました。
結局、合計138枚と、ホロゴンデイ・シリーズとしては最大のものになりそうです。
どのブログでも、厳選された傑作で構成されているのに、
常滑のスキャン分415枚、内138枚も大挙出演するのですから、
私がホロゴンでどんなに気軽に撮っているか、お分かり頂けることと思います。
とはいえ、それが私の撮影スタイルなのです。
目的地に着く前から、ロボーグラフィのターゲットがどんどん見つかり、
歩きながら、ひょいひょい撮っていくわけです。
思考はもちろん停止しています。
つまり、論理的思考モードから感動モードに切り替わっているのです。
ブログの文章からお分かりでしょうけど、
私は、論理的思考よりも直観で動く人間なので、切り替えは実に簡単。
論理的思考には時間がかかりますが、
感動は一瞬。
だから、いっぱい撮れちゃいます。
今回は、窓周りの光景で気に入ったものを集めてみました。
一番好きな写真は、ミシンも見える縁側。
なんともレトロな足踏みミシン!
私の友人にミシンショップの経営者が居ます。
彼に見せたら、感動するでしょうね。
こんな形のミシン(おそらくシンガー)を彼が売ったのはいつのことでしょうね。
思えば、時代はどんどんと変わり、
今では、すべてのマシーンがコンピューター制御に取って代わられた感じがします。
カメラさえも、今では、精巧な機械製品から電気製品に転落してしまったのですから。
(これは私の主観、「革新」「進化」と考える方の方が多いでしょうね。
500分の1秒から16000分の1秒になったんだから、当然じゃないか!)
常滑では、おそらくレトロな前時代的製品の愛用者が多いのでしょう。
ミシンの持ち主も私もいずれ時代に取り残され、押し流されてしまうのでしょう。
でも、コンピューター製品の激流に押し流されるのであれば、
溺れる私としては、藁ならぬホロゴンウルトラワイドを
右手につかみながら流されてゆくことにしましょう。
どうして右手か?
左手にはローライ3.5Eをつかんでいるからです。

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# by Hologon158 | 2008-09-23 21:07 | ホロゴンデイ | Comments(6)

28.26ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」26 僕は今人類史の先端にいるのだ!


ブログに着手してはじめて分かったことですが、
ブログを発表の場とする写真家が数知れず居られるのですね。
写真展、コンテスト位しか発表の場がなかった以前なら、
プロ、アマの写真家たちと素人との間には超えがたい溝がありました。
でも、ブログが登場して、
私のような素人でも、自分の写真を外部に発表できるのです。
私はよそのブログを自分から飛び回ることはいたしません。
時間がないので。
でも、こちらにおいで頂いた方のブログは一応お伺いすることにしています。
そうして見て、いやあ、驚きました。
おいでになる方、おいでになる方、みなさん、
私の写真なんか恥ずかしくなるような見事な写真をずらりと並べておいでになるではありませんか!
写真は今、一種のルネサンスを迎えつつあるのかも知れませんね。
ブログを発表の場にしている写真家の皆さんを拝見していて、
従来型のプロ、アマ写真家とはちょっと毛色の違った方が多いことが分かりました。
数え切れないほどの数の名レンズを次々と登場させるクラシックカメラ・フリークの方、
自分の生活のなかで撮った写真を日記風に構成して出している、生活派、等々。
そんななかで、私のブログに存在価値があるのでしょうか?
そう自分に問いかけて、ただちに、回答が浮かびました。
そうだ、この人たちもぼくも一緒なのだ!
ブログとして発表する価値があるかどうかなんて、誰も気にしてやしない。
誰かが見に来るかどうかだって、気にしてやしない。
ブログを作ることが楽しいのだ。
つまり、新種の創造行為なのです。
これまでも気楽でしたが、
そう考えると、なお一層気楽になりました。
そうなんだ!
ぼくは、今、ここで、人類がまったく知らなかった、
想像もできなかった、新しいことをしているのだ!
観衆の来訪、鑑賞、反応を予期、予測、期待しないで、
表現行為をするという、新種の表現行為!
誰一人訪問、アクセスする人がなくても、平気です。
自分という観衆がちゃんと居ます。
自分の表現をブログ上に積み重ねることによって、
自分自身、楽しみ、学び、成長することができるのです。
ついでに、ボーナスも待っているわけです。
誰かが突然訪問してくれるのです。
ドアをノック、ノック、ではなくて、
コメント、コメント…
「待ってました、いらっしゃい!」
うーん、こんな風に考えると、ますます楽しくなってきますね。
(これ、誰も読まないかもしれないのだから、よく考えると、
寂しい人なのかも知れませんね、私)
さて、もう一度、常滑の人々にご登場願いましょう。
ホロゴン15mmF8の悲しさ、
ほぼ60センチ程度に接近しないと、写真になりません。
人物の場合、なかなか難しい距離です。
でも、腰だめに保持しているので、心理的抵抗はほとんどありません。
今回の写真では、犬君とその同伴者(若い女性)だけが、
私の撮影に気づきました。
犬君にはにっこりと笑いかけ、
女性には「こんにちは」と挨拶して、切り抜けました。
その逆ができたら、私の人生言うことなしなのですが、
とんと女性にはもてない私、
女性に対してにっこりで勝負する勇気はついに出ず。

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# by Hologon158 | 2008-09-23 19:10 | ホロゴンデイ | Comments(0)

28.25ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」25 よしや愛憐の夢は儚くとも


美しい言葉を見つけました。
尾久彰三さんの「丸ごと韓国骨董ばなし」(バジリコ発行)。
骨董趣味はありません。
お金がないので。
でも、数奇者たちの文章を読むのは好きです。
美への憧れに満ちているからです。
尾久さん、尾崎士郎の言葉を引用しています。

「去る日は楽しく、来る日もまた楽し。
よしや愛憐の夢は儚くとも、
青春の志に湧きたつ若者の胸は曇るべからず」

この言葉を読んで、じんときてしまいました。
いやあ、もう遙か前に若者でなくなってしまったなあ!
でも、私は成長することを好まない人間なのです。
だから、ついに大成も老成もすることなく、
現在もまだ子供っぽい思考、子供っぽい行動に終始して、
あっちこっちの路地裏をうろちょろしている有様。
「青春の志」はまさに夢となってしまいました。
でも、この胸を曇らせることのないままに生きてゆきたいものです。
私がその方策として考えたのは、たった一つ。
美しいものだけを見つめて生きていこう!
それなのに、なんだ?
汚いものばかり撮ってるじゃないの?
そうおっしゃる方がおいでになるかもしれません。
とくに今回の写真たちなど、なんですか、これ?
でも、よーく見ていただきたいのです。
みんな、路地裏の片隅で精一杯がんばっているじゃありませんか?
路地裏で、富も地位も名声もないみなさんが大事に使っているものたち、
そんな持ち主の虚飾のない心がここに見えてきませんか?
私の撮りたいロボーグラフィって、こういうものたちなのです。
私にこれらのものたち、人たちの心が全部見えてると豪語するつもりはありません。
写真にこれらのものたち、人たちの心を写し込む自信はさらにありません。
でも、これらのものたちと出会って、
ぐっと心に来るものを感じた、その瞬間の記憶だけは残したいのです。
それが私の現在の「志」と言えそうです。
そうすれば、「去る日は楽しく、来る日もまた楽し」と言えるかも?

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# by Hologon158 | 2008-09-23 15:44 | ホロゴンデイ | Comments(0)

28.24ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」24 この陶管たちを等閑視するのは難しい


また、ライトモチーフが戻ってきました。
擁壁を担う陶管たち、それぞれに不敵の面構えではありませんか?
彼らの面つきを見ていて思い出したのですが、
古墳には埴輪が置かれたようです。
そんな埴輪の中には、この擁壁の陶管に似た管もあったようです。
彼らも、古墳の法面をしっかりと支える役割を担っていたのではないでしょうか?
4枚目をご覧頂いたら分かりますが、
そんな陶管の下支えをしている陶管が地中に埋まっています。
天空を支えていた巨人アトラスも、
ヘラクレスの持ち帰ったメデゥーサの首によって石と化した後、
こんな面構えに変身したのではないでしょうか?
でも、私の好みは草で身を飾った陶管たち。
なかなかオシャレじゃございませんか?
でも、草たちは見返りに陶管を土に変えつつあるかも?
世の一部の女性と同様、
ひょっとしたら、オシャレが身を滅ぼすかも知れませんね。

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# by Hologon158 | 2008-09-23 13:24 | ホロゴンデイ | Comments(2)

28.23ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」23 曲がり角、エポケー、美しい言葉ですね


人生でも写真でも曲がり角が正念場ですね。
曲がり角のどちらに向かうか?
どちらの方向も、今この場からは見通すことができません。
右に行くのか、
左に行くのか、
引っ返すのか?
どちらにせよ、時が背後から押してきます、
立ち止まるわけにはいきません。
一旦選択すると、やり直すことはできません。
さあ、どうするか?
でも、私の経験を総合しますと、
どっちでもよいのです。
なぜって、そこを曲がるとどうなるか?
曲がってみなければわからないのですから。
そして、曲がってみても、まだ分かりません。
その道はまた次の曲がり角につながり、
曲がり曲がって、どこに行き着くか、
それは自分次第、運命次第なのですから。
別の方向にまがっていたら?
そんなことを考えるのは、まったくの時間の無駄。
考えても意味のないことは考えない、
人生を進めるために、人生に有害なものは棚上げする、
それをエポケー(判断停止)というようですね。
エポケー
美しい言葉です。
そして、美しい行動です。
自分の選択を100%信じたいものです。
人生でも写真でも、
私は、曲がり角を曲がって、
驚くべき人たち、ものたち、そして場所にどっさり出会ってきました、
そして、今、出会いつつあります。
そんな出会いが私という人間を作り上げているのです。
ただ、ただ、感謝あるのみ。

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# by Hologon158 | 2008-09-23 10:23 | ホロゴンデイ | Comments(2)

28.22ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」22 陶器に人類の未来を見てみたい


法隆寺の宮大工の聞き書きの中で、
小川三夫氏がこう語っているのを見つけました、
「道具というのは不思議なもんで、丁寧に丁寧に使っていると、
道具がそれに応えてくれるようになる。
道具は自分の手の分身やから、
毎日使っているうちに、
道具から魂みたいなものが伝わってくるようになるんだな。」
名人がすぐれた道具を毎日使っていて初めて言える言葉、
そう考えるべきで、私たち日曜写真家には無縁の境地です。
でも、だからと言って、無視できる言葉ではなさそうです。
カメラとレンズという道具は心を表現するものなのですから、
大工道具とはまた違ったアプローチがあるはず。
情景は心に伝わり、
その心の印象がレンズを通して、
フィルムに定着される、
これがカメラのメカニズム。
こう考えると、小川氏にならって、こう言うべきでしょう。
カメラとレンズを心から愛し、心から信頼して付き合うと、
それに応えてくれる、と。
陶器だって、そうかも知れません。
手作りの陶器には、ろくろを回す陶工の手と心の形が印象されます。
陶器の肌と形が人肌のあたたかみを覚えているのです。
そのような道具は、使う人がこれを愛して使いさえすれば、
その心にさえも感応し、応えてくれるかも知れません。
常滑には、陶器の町ならではの大甕が所々に置かれています。
どうやって作ったのでしょうか?
その存在感にはただならぬものを感じます。
ちょっと強引ですが、想像してみましょう。
いつか、現代の機械文明が破綻してしまったとき、
陶器に、中心的な生活具としての出番が回ってくるのではないでしょうか?
私たちは今、知らずして、機械語で思考し、ものを機能として把握しています。
心は冷え、周りの存在をつねに機械ととらえ、突き放しています。
陶器語で思考するようになれば、ひょっとすると、
ものを存在として、人間の友として把握できるようになるかも知れません。
そうなったら、
もっともっとあたたかい心の文化が花開くのではないでしょうか?

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# by Hologon158 | 2008-09-23 00:17 | ホロゴンデイ | Comments(2)

28.21ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」21 入江泰吉の戒壇院広目天像に思う


本日、書店で一冊の写真集を手に入れました。
「入江泰吉の世界 やまと余情」
(奈良市写真美術館編・発行、光村推古書院発売、2400円)
風景を撮って、そこに古代の気配を感じさせる、稀有の写真家ですが、
すでに彼の風景写真集は持っています。
それでもなお手に入れたのは、その11頁、
「東大寺戒壇院広目天像」故。
広目天の顔だけをアップにした正面像。
この像は、世界中の彫刻のなかで知的な容貌を見事に表現した白眉と私は考えるのですが、
その眼光の鋭いこと、これに仰天したのです。
入江泰吉のフレーミング、ライティングがこの眼光を惹きだしたことは明らか。
広目天の眼光の鋭さは、
入江泰吉の眼力の凄さを立証しています。
この作品のように、写真の中から、
撮影者の眼光が、意志力が、エネルギーが、
ぐいぐいと押し出してくるような、いわば「強い作品」が時々あります。
なぜそんなに強い作品が撮れるのだろうか?
まった不思議でなりません。
ただのメカニズムの所産であるはずの写真に精神が写り込んでいるのです。
私は素人ですから、そのような写真を撮りたいというのでけっしてないのです。
そうではなくて、写真のもつ可能性のはるか高みを下から仰ぎ見て、
写真って、凄い可能性を秘めたメカニズムなんだなあ、
でも、そのメカニズムを発動させて、立派な芸術作品を作り出すのは、
常に人間なのだなあと、讃歎の声をあげているのです。
このような高みから、私のレベルに下降しますと、
やっぱり妻が言うように、ぼくって、
最初にぶつかった壁をまだ超えてないのかな、という疑いがもたげてきます。
でも、その壁には窓がついているようですよ。
本日は、私の壁についた窓たちを紹介させていただきましょう。
この窓たち、向こうをまったくのぞけないものばかりなのですが、
逆に、写真の中から、誰かがこちらを見ているかも知れませんね。
馬鹿面と思われぬよう、お互い気をつけましょうね。

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# by Hologon158 | 2008-09-22 21:23 | ホロゴンデイ | Comments(0)

28.20ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」20 用の美も古びることでさらに芸術性を深め?


私が写真を始めたのは、遠く宮崎の地ででした。
「写壇はにわ」という素敵な名前の写真クラブに入会しました。
リーダーの会長OT先生さんは、中学校の校長を務める、明朗快活な写真家。
あたたかで包容力のある人柄で、
若いメンバーたちをしっかりと統率し、
巧みに指導してくれる人物です。
今でもお元気で、当時のメンバーも数人残っています。
みんな若いときから写真を趣味にしてきた人間ですから、
いつ宮崎に戻っても、昨日別れたかのように歓迎してくれ、
写真のことを語り合えます。
私はこの会長やメンバーから写真のことを学んだのです。
そのメンバーの一人IMさんなど、実に豪快です。
自動露出のないマニュアル機を使っていた時代のことです。
朝、露出とシャッター速度を設定します。
すると、夕方までそのまま。
「心配ないよ、これで全部撮れるよ」
いささか乱暴で、ここまで真似はできませんが、
その基本的姿勢は一本筋が通っています。
写真を撮るとき、カメラ操作に心をわずらわしたくない!
九州男児らしい、この思い切りの良さが忘れられません。
私も大和男児です、負けてはいられません。
感じたら、撮れ!
これで通してきました。
常滑の路地裏の家回りでも感じました。
生活上施されたり置かれたりしているものが、
時間とともに、次第にその場にしっかりと融けこみ、
リズムを刻みはじめ、
たくまずして造形美術と化してゆきます。
すべてのものがそうなるというわけではありません。
ほとんどのものは速やかにガラクタ化してしまいます。
やはりどこかでなんらかのセンスのある人間、
たいていは施工者と家の持ち主でしょうが、
なにも芸術するつもりではなくて、巧みに手を入れることによって、
あるものだけが造形美術的存在に昇格するようです。
と、まあ、私がかってに考えているのですが、
いかがでしょうか?

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# by Hologon158 | 2008-09-22 19:22 | ホロゴンデイ | Comments(0)

28.19ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」19 車にも働く時あり、休む時あり


飛鳥稲淵の棚田に咲く彼岸花の撮影。
たくさんの風景写真家がさまざまなシーンを撮影しています。
それぞれに彼岸花や案山子の前に立ち、あるいはしゃがみこみ、
じっと対象を見つめて、しばし沈思黙考の体。
本当は、そんな撮影方法こそ正しいのでしょう。
でも、そんな姿を見ると、もどかしくて仕方がないのです。
なんで考えてるの?
なにを考えてるの?
考える暇があったら、パッと撮ったらいいじゃないの?
考えれば考えるほど、鮮度を損なうよ。
こんな風に思ってしまうのです。
だから、私は、
撮りたいものがあったら、さっと近づいて、
腰あたりの高さでホロゴンをさっと突き出し、
パッと撮る!
撮りなおしは、原則として、しない。
何枚撮っても、1枚目以上に撮れることはめったにないのだから。
ファインダーを使うローライ3.5Eでも同様です。
撮りたい距離にローライ3.5Eを構えて、
ファインダーでポイントにさっとピントを合わせ、
パッと撮る。
私の場合、名画、名作を創らなければなどという娑婆っ気がないから、
こんな風に気楽に撮れるのかも知れません。
でも、本質的に写真ってそうなんじゃないですか?
写真には鮮度がある!
一瞬にして対象を捉える、それが写真の特質だ。
私はそう感じるのです。
ノーシンキング。
考えたら、だめ!
感じなきゃ!
私はいつもそう考えて撮ってきました。
でも、実は、たくさん撮ってしまう被写体があります。
廃車。
廃車を見ると、いつも勇者の亡骸を想います。
過去、高速道路を颯爽と疾走していたのに、
今、この道端にうずくまって、わずか1mmだって動くことができない。
哀れです。
だけど、いつもそうなのですが、よく見ますと、
どこか「わがこと成れり」といわんばかりの落ち着きと、
もう疲れたよ、
このあたりで隠退させてもらおうじゃないのといわんばかりの諦観とが、
車に独特の威厳と存在感を与えています。
そんな威厳と存在感を写真に撮るのは難しいものです。
だから、原則を破って、幾枚も撮ることにしています。
というより、幾枚も撮ることに喜びを感じるのです。
そんなときも、けっして思考は働かせません。
そうではなく、「群盲象を撫でる」のたとえどおり、
ノーファインダーのホロゴンで、車を撫でるように走査するのです。
そして、心の中で静かに目礼して去る、
それが、勇者への手向けというものではないでしょうか?

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# by Hologon158 | 2008-09-22 15:33 | ホロゴンデイ | Comments(2)

28.18ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」18 時の流れは人もものも変えてしまうらしい


今日、飛鳥で7,8年前まで写真の勉強会をやっていた友人と出会いました。
たった3人で、月1回写真を持ち寄って、プロジェクターで投影して、
互いに論評しあって、勉強していたのです。
私より格段に巧い人たちの写真を見ることができ、
大変に勉強になりました。
一昨年は、その1人とやはり稲淵で出会ったのですが、
その女性、全国的な写真クラブの奈良県本部委員を務め、
まさに会員を指導中でした。
残るもう1人(男性)と、2年後の今日、
奇しくも同じ稲淵で出会ったわけですが、
見ると、カメラなしの手ぶら。
近ごろは、写真は撮らず、奥さんと旅行ばかりしているとのこと。
1人(私)は、写真クラブなるものに嫌気がさし、
アマチュア写真界とは縁を切って、ど素人になり、
1人は写真の先生に昇格し、
1人は写真を止めしまう。
てんでばらばらになってしまいました。
ちょっと寂しいですね。
そんなわけで、今回の主題は、時の流れに流されて風化するものたち。
かつてはピカピカだった常滑焼きの自販機は薄汚れ、
交通標識はうら錆びれて、道ばたでへの字口となり、
換気ダクトは、針金で必至に食い止めていますが、今にも折れてしまいそう。
そして、2人のコーンは無粋な巌と標識とに隔てられ…

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# by Hologon158 | 2008-09-22 00:25 | ホロゴンデイ | Comments(2)