わが友ホロゴン・わが夢タンバール

28.4ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」4 常滑にもオールド・ジャズのファンがいるらしい


同行したのは京都の写真家のAHさん。
というより、私がAHさんのお供をしたわけです。
「ホロゴン讃歌」の岡山編で書きましたが、
このAHさん、仕事上はディジタルカメラを中心に使いますが、
ホビーの道具はたった一つ、
エルマリート28/2.8付きライカ。
それも縦位置モノクローム専科。
主として田舎のストリートフォトですが、
人間を入れないのに、不思議にあたたかく、人の気配が濃厚。
なんでもない場所で、なんでもない風情で撮ってあるのですが、
なぜか、どこか、ぜんぜん違うのです。
見ていて、だんだんとその場所が分かってきて、
こちらも、気持ちが落ち着き、さらには元気がもりもり出てくる!
この方と、もう一人、神戸の写真家のOYさん、
このお二人は、不思議な暗合なのですが、
人柄が優しく、上品で、奥ゆかしく、絶対に人をけなさず、
写真を見せても、真っ正面から対峙して、
写真の不足はぜったいにおっしゃらない。
ご自分を売り出すような、みっともないことは絶対にしないので、
全国的に有名にならないでいますが、
知る人ぞ知る、大写真家。
AHさんとの撮影行は、AHさんが運転を担当し、
私がおしゃべりを担当することになっています。
京都から名神を経由して常滑に入って、
陶器の丘をしばらく歩くと、
丘の麓にジャズ喫茶を見つけ、休憩に入りました。
かなり大きなルームは暗く、部屋の端に巨大なスピーカー、
静かにオールド・ジャズが鳴っています。
照明のあたらない大きな壁面には巨大なジャズシーンの写真。
見事なモノクローム、
おそらく骨董価値のある写真なのでしょう。
古い時代のジャズはほとんど聴きませんので、
さだかなことは分かりませんが、
アート・ブレーキーとザ・ジャズメッセンジャーズでしょうか?
私たちが座った窓際には、オーネット・コールマンでしょうか?
ホロゴンで3枚だけ撮らせていただきました。
というわけで、今回は人の…で相撲をとる式で済ませました。
でも、なぜかオールド・ジャズのモノクロームが、
常滑色に染まっている感じで、
私は気に入っています。

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# by Hologon158 | 2008-09-18 10:22 | ホロゴンデイ | Comments(0)

28.3ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」3 丸壺が奏でる旋律は単調だけど腹に響きませんか?


斜面のくずれを防ぎ、地盤を保持する擁壁は、
地盤の重圧に耐えるだけの強度が必要です。
ところが、常滑ではこの擁壁材として陶器が使われているのです。
本当にこれが地盤の重圧に耐えるのでしょうか?
そのあたりの理論的な理屈付けはさておいて、
どうやら陶器の壺や円筒がちゃんと働いているようなのです。
コンクリートや石といった素材との違いは一目瞭然。
美しいのです。
そんな擁壁を随分たくさん撮りました。
まずは、丸壺から。
円が反復して、リズムを作り出します。
まさに壺を得た利用法。

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# by Hologon158 | 2008-09-18 00:28 | ホロゴンデイ | Comments(0)

28.2ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」2 老樹の幹に隠れる爺さん、元気かい?


陶器は大好きです。
でも、骨董趣味はありません。
生活の用具としての陶器が好きなのです。
常滑焼きがどのようなものか、私には皆目分かりません。
でも、町を歩いて分かるのは、
常滑の人々が陶器を心から愛していること。
町の中心にある丘全体が一つの陶器であるかのように、
見事、陶器がストリートに、生活に融けこんでいるのです。
私はひたすら路地から路地を歩いて、
ストリート、家々の表情を撮るだけです。
そんな、いわば表層をひっかいただけで、常滑を理解できるはずがない!
そうおっしゃる方も多いことでしょう。
でも、お忘れになってはいけません。
私は、どの町に行っても、その町の研究に行くのではありません。
路地裏、路傍で出会う素敵なものたちを採集するために行くのです。
町は町でご自分で繁栄への道を模索していただきましょう。
私は、自分の心を踊らせるものたちと一瞬の舞踏を踊るため、
路傍で見捨てられてじっとうずくまっていたものたちが、
私とホロゴンの姿を見て、すっくと立ち上がって、
朗々とアリアを歌い出す姿を撮るため、
町から町へと遍歴しているわけです。
ここでも、私とホロゴンが近づくと、
擁壁の間に挟まれたこぶだらけの老樹の幹から、
ちょっと怖い爺さんが立ち上がり、
左手をすっと挙げて、にっこり笑ってくれました。
「いらっしゃい! 元気かい?」
こんな出会いが私の生き甲斐なのです。

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# by Hologon158 | 2008-09-17 21:23 | ホロゴンデイ | Comments(0)

28.1ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」1 陶器の町にホロゴン片手にやってきた


今朝5時頃、ふと目が覚めて、トイレに立ちました。
寝室に帰りながら、ふと考えました、
「そうだ、待ったなしの人生なんだ、
今一番やりたいことだけやって生きよう!」
朝出勤しながら、その続きを考えました、
「そうだ、ブログ、もっと出したいものから順番に出そう!」
これまでは行き当たりばったりに、ハードディスクの中にあるフォルダーを選択。
各撮影日毎に1フォルダー、そんなフォルダーが内蔵ハードディスクの一つ、
1テラの中に220ばかり入っています。
これがおよそ私のこの12年間の撮影分の約半分です。
このフォルダー群をカーソルですっとなぞり、
「よし、今回は奈良で行こう」なんて考えて、選択していたのです。
こんな調子で4、5年はブログが保つな、うふうふ…
でも、これでは、撮った写真をただベタ並べしているだけ。
もっと、自分がほんとに撮りたかった場所をもっとフィーチャーして、
「ぼくはこんな写真が好きなんです」、そう打ち出して行くのが本筋じゃないか!
自分のためにも、自分がどんな写真を撮りたく、それをどれだけ実現できているか、
ちゃんと検証できるじゃないか!
そう気づいたのです。
行きたい場所にいっぱい行きました、
でも、その温度差はかなりあります。
よし、まず、常滑から行こう!
そう決断しました。
愛知県の陶器の町、常滑。
ずっと前から気にかかっていた町です。
町そのものが陶器のようなたたずまい。
12月17日冬の常滑、ホロゴン一本でどうやら20本ばかり撮ったようです。
スキャン画像だけでも385枚あるのですから。
この中から110枚選びました。
冬の日はすぐ暮れ、陽光はつるべ落としに斜光線に変わりました。
なぜか110枚中8枚に自分の影が写っていました。
順光に傾く私の好みがその一因。
けっしてナルシシズムではありません。
太陽が私の影を投げかけた壁、
ちょっと他の町とは違いますね。

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# by Hologon158 | 2008-09-17 19:48 | ホロゴンデイ | Comments(2)

27.6 ホロゴンデイ8「2008年9月11日大阪梅田ローライ」6 ローライの黒ってなかなか素敵じゃない?


折角手に入れたローライ3.5Eが故障して私のもとから去った後、
どのローライを手に入れるか、もう一度、真剣に再検討しました。
いくつかのブログで、各種ローライ用レンズの撮り比べを拝見し、
廉価版のクセナー、テッサーからクセノタール、プラナーにいたるまで、
順光での撮影結果にそんなに差がないことはよく分かりました。
第二次大戦中、従軍記者となったリー・ミラーは、
マン・レイの恋人でモデルでもあった人ですが、
テッサー付きローライで見事なモノクローム作品を作っています。
じゃ、ローライコードでも軽くていいじゃないか、
それとも、クセノタールだっていいじゃないか、
いや、この際、思い切って、ワイドローライにステップアップしようか、
などと、いろいろ考えました。
私が出した結論はすでにあきらかですが、
その理由は実に簡単。
ローライはあくまでホロゴンのサブ。
しかも、究極の1機種にとどめたい。
その1機種で、絶対に後悔せず、買い換えも考えない。
プラナー75mmF3.5が凄い写りをすることはすでに確認ずみ。
これじゃ、ローライ3.5しかないじゃないか、というわけです。
Fではなく、Eになったのは、あくまで縁の問題です。
私にとっては、FでもEでも、どっちでもよかったのです。
最初に見つかったローライ3.5が「よしっ」と言えるものであれば、
それが「運命のカメラ」なのですから。
そんな運命のカメラとなった私のローライ3.5Eの試写は、
梅田の阪急百貨店一階の大プロムナード正面で終わりました。
最後の3枚は百貨店のショーウィンドウの写真。
特殊な照明のせいかも知れません、
それとも、単なる露出の間違いかも知れません、
いずれにせよ、ちょっと奇妙な色に仕上がりました。
しかし、ここでもプラナー75mmF3.5の開放描写は見事です。
深度が深く、背景も見事に描写されているので、開放という感じがしません。
2枚目のテラコッタ人形風の人物像、私は好きですね。
その暗部の漆黒が醸し出す纏綿たる味わいは、
35ミリではちょっと出にくいように思えます。
そこで、ローライ3.5Eの今回の試写についての結果判定と行きましょう。
このカメラ使えるぞ!

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# by Hologon158 | 2008-09-17 00:06 | ホロゴンデイ | Comments(4)

27.5 ホロゴンデイ8「2008年9月11日大阪梅田ローライ」5 絵馬に託された祈りを撮ってみたいと考えたけど


また、佐伯祐三に戻ります。
私は、油絵のことはまったく不案内なのですが、
たまに佐伯の油絵を見、いにしえのフェルメールや、
テンペラで書いたアンドリュー・ワイエスを考えますと、
画家たちのやってきたことは、こういうことではないかなと感じるのです。
つまり、
画家は、眼前の情景に対して、大きな情動、感動を感じます。
この情動、感動をいかにしてリアルに描き出すか、
正確に表現するか?
これが画家たちが全身全霊を上げて解決しようとした課題だったのでは?
佐伯祐三のパリの絵のもつ力は、
佐伯はその課題を、一枚一枚の絵の中で自分なりに解こうとして、
かなりの高さでその課題をクリアーしたことを証明しているのではないでしょうか?
たとえば、「郵便配達夫」
佐伯は、老人の白い顎髭を線で描かず、
純白の絵の具の断層による凹凸、立体感で描き出しているのです。
ちょっと遠くに離れると、
この凹凸がこの老人の年輪、落ち着きを見事描き出したように思えます。
そこで、考えるのですが、
佐伯たちがカンバスと筆と絵の具でもってやろうとしてきたことを、
私たちはフィルムとカメラとレンズとでもってやろうとしているのではないでしょうか?
その際、自分の感じている情動、感動を如実に再現してくれると信じて、
一つの情景を前にして、すべてを託することのできるレンズ、
それが問題です。
私は、これをホロゴンに見つけた積もりでがんばっています。
そんな12年の努力の末に、私の心には、
ちょっとした自由を遊んでみようじゃないかという余裕が生じたのかも知れません。
写真家じゃないのですから、
誰かに向かって達成を誇示しなければならないわけでないわけですし、
1個の作品をつくらなければならない責任もない、
とすれば、ホロゴンとは別な方向から、
自分の情動、感動を写真にしてみてもよいのでは?
そう考えるようになったのです。
私が選んだのがプラナー75mmF3.5。
本日の写真はお初天神界隈。
絵馬を撮ってみました。
最短撮影距離に近づき、選んだF5.6だったと記憶しています。
絵馬に託された、独り一人の幸福への祈願の気持ちを、
しっとりと表現してくれたように思います。
こんな自然さがプラナー75mmF3.5の魅力なのかも知れませんね。

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# by Hologon158 | 2008-09-16 21:34 | ホロゴンデイ | Comments(0)

27.4 ホロゴンデイ8「2008年9月11日大阪梅田ローライ」4 このローライって、もっともっと使いたくなるね


これまで随分たくさんの中型カメラと付き合ってきました。
ローライ2.8Fだって数ヶ月ですが、使ったことがあります。
ハッセルブラッド500CMとは十数年間付き合いました。
50mm、80mm、150mm、250mmを使いましたが、
とくに50mmと150mmは黒鏡胴でずっしりとして見事な作りでした。
すばらしくよく写りました。
ボディも最高、とくにミノルタのアキュートマットに焦点板を変えてからは、
ファインダーの映像はまるで映画を見るような美しいものでした。
でも、ついに心から満足することができないで終わったのです。
ローライを使ってみて、その使い勝手との対比から感じることは2つ。
まず、カメラが立派すぎました。
なんだか使わせてもらっているという感じ。
とくにシャッターを切ったときの「カッパーン」という、
切れ味がいいというか、大げさというか、曰く言い難い物々しいサウンド、
これについになじめませんでした。
もう一つ、画像もまた、切れ味がよいのですが、
どこか冷たく、どこかよそよそしいのです。
ローライ2.8Fはどうだったでしょうか?
これはあたたかい色調で、
ハッセルの同じプラナー80mmよりもずっと好感が持てました。
でも、結局我がものにすることができなかったのはなぜでしょうね?
気品がありすぎた、そんな感じがするのです。
いわば、上流社会の令夫人のような麗しさ。
ローライ3.5Eを使ってみて、まだ数本で言うのは時期尚早なのですが、
使っていて、大変に手になじみます。
とくに、シャッターが素晴らしい。
そして、画像がなんとも平凡で非凡。
飾らない下町のおねえさんという写りなのです。
言ってみれば、寅さんで永遠のお姉さん像を築いた倍賞智恵子さんのよう!
今回の写真の中で、換気ダクトでしょうか、
白づくめの画面の自然さ、さりげなさ、リアリティ、
これには参りました。

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# by Hologon158 | 2008-09-16 18:10 | ホロゴンデイ | Comments(0)

27.3 ホロゴンデイ8「2008年9月11日の大阪梅田ローライ」3 北新地撮るなら、断然クラシックレンズだよ


梅田駅前第2ビルの南側は、
高級飲み屋街として知られる「北新地」です。
私は生涯この種の遊びには無縁の人間。
呑むのは友人とだけ、そう決めて生きてきました。
まだ若い頃、職場の飲み会の二次会になんとクラブに。
横に座った若い女性が私に向かってなんと言ったと思います?
「あんた、無口ね」
これを話したら、友人たち、笑い転げましたね。
私は、そういった場所で話す語彙も話題は一切持っていない人間なのだから、
無口は事実だったわけです。
でも、北新地で思い出すのは、その話しではありません。
私の畏友RAさん、20年ばかりの期間を置いて、同じ店に行ったことがあるそうです。
すると、今ではマダムに昇格した、当時のホステスがRAさんの顔を見た途端、
「まあ、RAさん、お久しぶり」
RAさんも夜の遊びはしない人間、ただ知り合いに連れられて行っただけなのです。
そんな自分を覚えているはずがないじゃないか、と笑いますと、
「いえ、昭和…年の…月、…さんと一緒においでになったじゃありませんか」
一元の客を20年余も記憶している、
このマダムの頭脳の作りを見てみたいですね。
これがプロというものでしょうね。
だからと言って、マダムたちと話したいとは思いませんが、
北新地は夜昼幾度か通ったことがあります。
呑んで遊ぶためではなく、写真を撮るため。
ちょっと絵になる場所なのです。
今回も、ローライ3.5Eを手に北新地に向かいました。
もちろんひっそり閑としたものです。
地方都市の飲み屋街は、不況下、夜までひっそり閑として、
店のほとんどは死んでいます。
経済的繁栄を東京にだけ集中させる経済政策は明らかに間違っています。
10%の人間の繁栄のために、残り90%を犠牲にするのですから。
そのツケが今や日本人全体に重くのしかかりつつあります。
おっと、そんな思い話題を採り上げる場所はありませんね。
私は、ローライ3.5Eの試し撮りをしていたのです。
北新地で出会ったものたちを選んでみました。
すべて金のある客を釣るための仕掛け針。
金はないけど、カメラはある私も見事ひっかかりました。
1枚目と3枚目は開放です。
ますます、プラナー75mmF3.5が好きになってきました。

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# by Hologon158 | 2008-09-16 00:10 | ホロゴンデイ | Comments(2)

27.2 ホロゴンデイ8「2008年9月11日の大阪梅田ローライ」2 プラナー75mmF3.5の性能はなかなかのもの!


レンズテストとして、バイクは最適ですね。
色彩がレンズの色テストに使えます。
微細でメタリックなメカニズムがレンズのシャープネスのテストに使えます。
そんなわけで、プラナー75mmF3.5についても、バイクテストを実施。
赤いバイクとコーン、
緑のコーンとゴミ箱、
どちらも合格点を上げたいですね。
バイクの赤は上等ですし、ゴミ箱の緑はいかにもゴミ箱らしい自然な色。
シャープネスについても、3枚ともいいですね。
クラシックレンズの美点は、現実よりもシャープすぎないところにあります。
ヘルメットの質感もいいですね。
この接着状況に照らして、
カップルで来たのでしょうか?
バイクにはちゃんに警告ビラが貼り付けられています。
でも、ヘルメットからは、そんな警告などまるで気にしない雰囲気がうかがえますね。
それはさておき、私としては、見ればみるほど、
プラナー75mmF3.5のレンズ性能テストは高得点と行きたいところです。
でも、結論を出すのはまだ早い。
もっと別のネガもチェックして見ましょう。

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# by Hologon158 | 2008-09-15 21:02 | ホロゴンデイ | Comments(0)

27.1 ホロゴンデイ8「2008年9月11日の大阪梅田ローライ」1 ローライ3.5E初撮りの結果はいかに?

ニュー・ローライ3.5Eの試写フィルム2本が現像できました。
早速19枚を6回に分けて、ホロゴンデイ・シリーズの一環としてお送りします。
ホロゴンのサブとして使えるかどうかの正念場です。
手に入れたのは、梅田駅前第2ビルにある松本カメラ。
店主の松本さんはカメラ修理歴16年というベテランですが、
明晰、明敏、明朗で大変に好感の持てる人物。
私のローライ3.5Eについても、フェアプレイ。
「3.5Fの方が新しいので、しっかりできてますよ。
3.5Eはなんと言っても古いので、故障しやすいですよ」
このことはすでに経験ずみ。
でも、松本さんご自身がローライの修理ができるのですから、
現時点では実にスムーズに作動しているローライ3.5Eを見過ごす気にはなれません。
実際、購入当日に2本試写し、13日土曜日には西の京で7本撮りましたが、
快調そのもの、しかも、使い勝手も悪くありません。
さて、その試写結果はいかに。
まず、2枚ご覧ください。
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いかがでしょうか?
暗いビル内にある噴水での撮影なので、
どちらも開放、シャッター速度は30分の1秒だったと記憶しています。
暗いうえ、ファインダーでピントを見ることは近ごろ無縁だったので、
ピントはあやしいものですが、
写りは悪くないのではないでしょうか?
ちょっと嬉しくなってきました。
# by Hologon158 | 2008-09-15 16:35 | Comments(0)

26.15 ホロゴンデイ7「2005年5月29日の滋賀五個荘町」15完 日暮には畦づたいに帰ることにいたしましょう


そうこうするうちに、五個荘シリーズも終わりとなりました。
相も変わらず、一日撮りまくったものから選んでミニ写真展をしようという、
大変に無理で、安直なシリーズですが、
私自身は結構気に入っているのです。
ある土地、ある場所、あるイベントなど、
特定の被写体をライフワークとしておられる写真家は多いようです。
せっせと通い、幾百本と撮りだめ、その中から数十枚を選んで、
写真展をしたり、本を作ったり。
おそれ多いほどの努力と精神力。
私は、関西一円にお気に入りの場所がたくさんあります。
気分次第で滋賀に出かけたり、奈良で済ませたり。
おかげで、それぞれの場所の写真はどっさり貯まっています。
でも、そうしたものを集めて、なにか作品を作ろうという気持ちはさらになし。
作品を作るというのは、写真家の行為。
私は、だから、自分の写真を作品とは呼びません。
ただの「写真」
作品を作るためには、コンセプトが必要です。
でも、撮るときにコンセプトがないのに、後でコンセプトを作る、
それが写真とどう関係があるのでしょうか?
そういうやり方は、私もやる常套手段ですが、結局はごまかし。
そう分かってしまうと、私は、
たいそう気楽になって、ホロゴンデイ・シリーズを作っているわけです。
これなら、どなたでもできますし、
まとまりがあるので、整理、編集も容易。
一日行けば、1回必ず作れるわけで、安心感満点。
今後も、時折はホロゴンドラマと称して、習作的なミニ写真展はしますが、
たいていは、このホロゴンデイ・シリーズを続けさせていただきます。
本シリーズの最終回は、やっぱり水田。
この日の五個荘散策は、季節柄、水田が主人公だったからです。
水田、夕暮れと来ますと、自分の少年時代とまさに同じシチュエーション。
毎日毎日、日が暮れるまで野原で川で遊び、
とっぷりと暮れた、街灯もろくない暗い夜道をたどって、家に帰りました。
私はついに塾通いもせずに一人勉強を最後まで通した人間です。
時間はたっぷりありました。
親もなにも言わなかったのが、私の記憶です。
それとも、幾度も叱られたけど、ついに聞かなかったのかも知れませんね。
それだけに、暮れ方たどる家路はちょっぴり寂しさの混じったものでした。
でも、こんないい加減な少年時代に後悔はありません。
もう一度、少年時代を繰り返すことになっても、私は絶対に塾には行きませんね。
下手をして、人生が変わってしまったら、
妻にも会えず、子どもたちもできず、猫たちにも会えず、
第一、ホロゴンウルトラワイドに会えなかったでしょうから。

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# by Hologon158 | 2008-09-15 14:54 | ホロゴンデイ | Comments(0)

26.14 ホロゴンデイ7「2005年5月29日の滋賀五個荘町」14 佐伯のマネをするのはやめよっと!


まだ、佐伯祐三のことを考えています。
1928年、パリ近郊の村で描いた「煉瓦焼」という作品。
私は、この作品の前で動けなくなりました。
煉瓦工場だけがどーんと画面を支配している、
稚拙とも言いたくなるほどに、立体感のない、平面図。
だのに、こちらに向かって、ぐんぐん迫ってくるのです。
それ自体煉瓦でできた煉瓦工場ですが、不思議な形をしています。
ど真ん中に黒の太線で輪郭を描かれた白壁があって、
その中央が窪み、煉瓦を積み重ねたような開口部があります。
ここが窯と、その口でしょうか?
両側に、左は階段、右は傾斜路で昇ってゆく入り口があって、両眼のようです。
覆い被さる三角屋根はぐいっと惹かれた黒の太線だけ。
屋根の下の三角形の壁は赤。
屋根の上には、深い碧空が拡がっています。
ここでも、白、赤、黒とそれに濃紺、ただこれだけの色が
この絵をぎっしりと凝縮したエネルギー体に変容しているのです。
なんでこんなに力がみなぎっているのだろうか?
なんでこんなにぐいぐいと迫ってくるのだろうか?
天才だからだ!
なんて言ってみても、始まりません。
同じ人間が同じように手で、絵の具を使って描くだけなのに、
なんの意味も価値も認められないただの絵と、
見る者の存在価値、生きる意味まで問うほどに、
強烈な呼びかけをする絵があるのは、なぜなのでしょうか?
「お前は、やるだけのことをやっているのか?」
「お前は、生きているのか?」
やるだけのことをやっているとはとても言い難い私です、
ただ凝然と立ちつくすだけ。
ここで思い出しました。
たいていの哺乳動物の心臓の鼓動回数、生涯の総数は似ているそうです。
短命な動物はそれだけ猛烈な鼓動回数で新陳代謝を高速化するのだそうです。
人間の中にも、
そんな風に短い生涯を猛烈な速度で生き抜いてしまう人がいるのかもしれません。
モーツァルト、シューベルト、ラファエロ、佐伯はそんな超高速人だったのかも?
でも、超高速人だけが生きているわけではないのでして、
逆に、超低速人だって、それなりの人生、それなりの生きる意味があるのではないでしょうか?
そんな超低速人にはホロゴンが似合うようです。
あたり一面、全部引き受けちゃいましょうという包容力、
凝縮はないけど、許容、許し、和解の境地。
本日は、ちょっと言い訳めいた文章になりましたが、
畦あたりで、そんなやさしい情景を選んでみました。
こちらは、ただ撮っただけで、ちっとも人を驚かせませんが、
心を落ち着かせてくれる効果はあるのではないでしょうか?

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# by Hologon158 | 2008-09-15 10:57 | ホロゴンデイ | Comments(2)

26.13 ホロゴンデイ7「2005年5月29日の滋賀五個荘町」13 写真界佐伯祐三を目指す人、居ませんか?


佐伯祐三の話をもう少し続けさせていただきます。
彼のいわば全盛時1927年当時のパリの絵でびっくりしたのには、
もう一つ理由があります。
なんだか彼の絵は超広角レンズの視覚に近いのです。
そこから翻って、ホロゴンで佐伯のような写真映像ができないものか、
そう考えながら帰宅しました。
もちろん彼の絵の本質には油絵の具の材質感があります。
こってりとした肉厚の画像だからこそ現出できる、
重厚な雰囲気が彼の作品には漂っています。
これに対して、ホロゴンはあくまでもただの平面画像。
それでも、あの赤、黒、そしてなかんずく純白が出せたら、
佐伯祐三の写真的再現が可能になるのでは?
でも、現実は厳しいですね。
五個荘の町郊外の植物たちの写真です。
私にできるところは、この程度ですね。
誰か、写真界佐伯祐三を目指す人、居ませんか?

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# by Hologon158 | 2008-09-15 00:11 | ホロゴンデイ | Comments(0)

26.12 ホロゴンデイ7「2005年5月29日の滋賀五個荘町」12 夭折の天才佐伯祐三展にいろいろ思うことありて


本日は、圧倒的な芸術を体験してきました。
洋画家佐伯祐三展。
1898年に生まれ、わずか30歳で夭折した油絵画家。
天王寺公園の中にある大阪市立美術館で開催中です。
彼の全盛期のパリでの絵は古壁、旧家、窓等をモチーフとしています。
まさに、私がホロゴンで撮りたいようなものたちなのです。
実は随分昔、スーパーイコンタを持って、撮りに出かけたことがありました。
でも、あのように素晴らしく広告と経年変化に満たされた壁は、
わずか数日の滞在ではほとんど見つかりませんでした。
おそらく撤去されてしまったせいもあるでしょう。
それに、私の当時の技術ではもともと歯が立たなかったのです。
佐伯の絵は、刊行物でご覧になった方は多いでしょうが、
現物をご覧になった方は少ないのでは?
写真でも絵でも、その他もろもろの芸術すべてに言えることは、
写真、複製、印刷は、現物とはまったく別物であり、
現物の素晴らしさを伝える手段はまったく存在しないということです。
フェルメールの「デルフトの風景」でまさにそれを体験した私ですが、
佐伯の絵にもまた、フェルメールとはまったく異なる性質とはいえ、
一枚一枚、目の玉が飛び出るほどにびっくりし、
近接して細部を見て、讃歎し、驚嘆し、
離れて全体を見て、心が激しく揺さぶられました。
信じられないほどの凝縮力、エネルギー!
どうして、こんな風に家を、窓を、ドアを、壁を凝視できたのでしょうか?
全身を目にしてしまった男の渾身の作品たち。
これまで、これほどに心を揺さぶられる絵画展は見たことがありません。
私には、佐伯の絵の芯となる色は、白と赤と黒、この3色と思われました。
まず、純白、その表現しがたいほどに純粋な白に出会うと、
白って、色なのだ、
なんて素敵な色なのだろう、と今発見できたかのように、新鮮な驚き。
この白に組み合わされるのが赤と黒。
どちらも猛烈に徹底的に、赤であり黒でありという、これまたシンプルな色が、
白と響きあって、呼びかけあって、
ぐいぐいと盛り上がり(実際、彼の絵は微妙に立体的なのです)、
猛烈に爽やかで、猛烈に孤独で、猛烈に緊迫した情感を作り出すのです。
ぎりぎりにものたちに迫り、
心がものたちを突き通して、向こうに抜け、
それが絵に定着し、
今度は、絵の中から反転し、噴き出して、私たちに直撃するのです。
有名な最晩年の傑作「郵便配達夫」の白い髭の凄さ、
これは実物を見ない限り、絶対に理解できず、感じることもできません。
おっと、この絵なんか、白と赤と黒だけでできているではありませんか!
でも、一つご愛嬌がありました。
1925年の傑作「夜のノートルダム」、逆さまに展示されていました。
確かに暗黒のグラデーションで、ほとんどアヤメも分かたぬ風情なのですが、
2つの塔と深紅の大扉で、どちらが地上かは一目瞭然。
すでに5日が経過しているのに、誰も気づかないのでしょうか?
それとも、これはセーヌ川に映るノートルダムなのだという新事実が出てきたのでしょうか?
でも、図録には、ちゃんと正立した絵が掲載されています。
ちょっと理解しがたい出来事でした。

さて、こんなに凄い芸術に出会うと、
いかなる意味でも芸術ならざる、単なる記念写真にすぎない私の写真に向き合うのは、
ちょっとつらいところがあります。
でも、もともと無関係なのですから、気にすることなんかないな、
そう考え直して、4枚選んでみました。
なぜか、塀、垣根。
やはり、香り豊かな芸術の園から閉め出されて、
自分勝手に遊んでいる自分がちょっとかわいそうという気持ちからかも知れませんね。

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# by Hologon158 | 2008-09-14 20:58 | ホロゴンデイ | Comments(0)

26.11 ホロゴンデイ7「2005年5月29日の滋賀五個荘町」11 手作りの家、終焉に近づきつつもなお輝き


もう一度、簾と格子のバリエーションをお送りします。
昔の家って、大工さんたちの手作りの感触が素敵ですね。
すでに廃屋となりつつある家でも、
不思議に手のぬくもりが残されているようです。
近頃、「木のいのち木のこころ」(新潮文庫)という本を読んでいます。
宮大工の西岡常一さんたちの聞き書き集です。
なんとも味わいの深い、懐も深い言葉たち。
その中で、西岡常一さんのこんな言葉を見つけました、
「近ごろの道具は昔に比べて質が落ちてます。
鉄の作り方が違うんでしょうな。
鉄は硬ければいいというもんやないんです。
「あま切れ」といいまして、柔らこうてよく切れるものがいいんです。
そんなものはめったに出ませんわな。
硬い刃物は硬いものに会いますと、ぱりんと折れます。
あま切れのものやったら、曲がることはあっても折れません。
それでいて時間がたつと刃が戻りますのや」
我田引水で申し訳ないのですが、すぐにピンと来ました、
なんだ、レンズと一緒!
ディジタルカメラは猛烈によく写ります。
銀鉛の四×五判のようななめらかさ。
でも、肉眼を超えているのです。
たとえば、シグマDP1のプリントを見て驚嘆した後、
ホロゴンやビオゴン21mmF4.5、ローライ3.5Eのプラナー等、
銀鉛の銘レンズの写真を見ますと、
まさに「あま切れ」の味わい、手のぬくもりがあります。
これでいい、これ以上のシャープネス、粒状性は行き過ぎだという気持ちになります。
こんな私の意見は今では完全な少数意見となりつつあるようです。
でも、やっぱりこの意見だけは捨てたくないですね。

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# by Hologon158 | 2008-09-14 00:34 | ホロゴンデイ | Comments(2)

26.10 ホロゴンデイ7「2005年5月29日の滋賀五個荘町」10 鯉たちもお祭り騒ぎか、いそいそ浮き上がり


本日は、友人4人と奈良市の南西部、西の京を歩いてきました。
五重塔で有名な薬師寺、鑑真和上の唐招提寺があるところです。
もっとも、この2つの寺はパス。
2つの寺の西側に沿って走っている近鉄線の西側を歩きました。
もちろん、私はホロゴンとローライ3.5E。
友人たちも個性的な装備です。
1人は、赤エルマー50mmF3.5付きライカM3と、
伝説の名レンズ、マクロスイター50mmF1.8付きアルパ9d。
もう1人は、ホロゴン16mmF8付きコンタックスG2と、
フォクトレンダーの6×6判、スコパー75mmF3.5付きブリリアント
やっぱりちょっと変わっていますね。
残り2人は現代的な装備ですが、ご心配なく、
この2人とも、人間そのものが変わっています。
つまり、変わった奴が5人揃ったというわけ。
私は別として、この4人、それぞれに素敵な写真を撮ります。
でも、私はこの4人のそれぞれにあたたかい人柄を愛しているのです。
私はローライ3.5Eでブローニー7本、
ホロゴンウルトラワイドでネガカラーフィルム6本、
合計13本を撮り尽くしました。
つまり、ニュー・ローライ3.5Eの筆下ろしは成功だったようです。
西の京はすでに歩いた道ですが、毎度のことながら、
次々と、あっと驚く被写体が私たちを待ち受けてくれました。
私はもちろん素人ですから、
友人たちが「ここにいいのがあるよ」と声をかけてくれたら、
いそいそと駆けつけ、「わっ、これはいいね、ありがとう!」と、
大喜びで撮らせていただきます。
私だって、お返しをしなくちゃと、
ホロゴンのためのロボーグラフィ・ポイントを見つけると、
みんなに声をかけるのですが、
さすがにこれはたいていパスされてしまいます。
「へっ、これがどうして写真になるの?」
とても絵にならぬと、敬遠されてしまうのです。
つまり、友人たちの間でも、
私は変なものを撮って変な写真を作るという評判を確立しているわけです。
さて、肝心のローライ3.5E。
前回、オールド・ローライ3.5Eで撮った葛城古道に続き、
ファインダーで画像を確認しながらの撮影。
常々、ホロゴンでノーファインダー撮影に徹してきた私には、
たいへん新鮮な体験です。
でも、いつになく、いささか疲れました。
でも、大きなファインダーで見る像はやはり素敵ですね。
本日は、曇り、降水確率40%の予報を大きくどんでん返し、
一日中、かんかん照りの真夏日でした。
途中で頂いた宇治金時の美味しかったこと。
(粒あん入りかき氷の上に宇治茶がかけられています、関西特有でしょうか?)
友人たち、ローライ3.5Eのコンパクトなこと、たたずまいの芸術的なことに一驚。
私も、ピント合わせ、シャッター、巻き上げ、フィルム交換等、
操作性はいずれも極めてスムーズで、大いに気に入りました。
写りはどうでしょうか?
明日早速現像に出します。
オールド・ローライ3.5Eのフィルムの現像も出来ていますので、
結果が出次第、報告させていただきます。
ホロゴンのサブとしての地位を確立できるか、興味津々というところです。
さて、遅れました、本日2回目のアップです。
五個荘町の中心部の大きなお寺はお祭りの準備中でした。
寺正面に巡らされた、鯉の泳ぐ大きな溝の上には竹細工の飾り、
境内から本堂には毛氈を敷き詰めた斜路が設置されています。
お祭りはほとんど撮りませんが、赤に目がない私です、
こんな準備風景は喜んで撮ります。
お祭りの仕掛けにも日本的な感性が出ているあたりが面白いですね。

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# by Hologon158 | 2008-09-13 22:27 | ホロゴンデイ | Comments(2)

26.9ホロゴンデイ7「2005年5月29日の滋賀五個荘町」9 緑豊かな水田が故里に私を運んでくれました


ちょっと年配の日本人に懐かしさをかき立てるものは?
そう問われれば、「田植え直後の水田」、そう答える人は随分いるのではないでしょうか?
少なくとも私にとってはそうです。
子供の頃、田んぼは遊び場でした。
畦を駆け抜け、
肥桶は避けて通り、
水田の中のタニシを捕り、ザリガニを探し、
水田や溝で、メダカを探し、
イトミミズがゆらゆら揺れるのを見て愉しみ…
農薬を使い始めて、そのすべての楽しみが夢となりました。
そして、食生活が変わり、
都会近傍を住宅地が埋めて、
水田は激減してしまいました。
子供の頃、布団に横になると、カエルの合唱が夜のしじまに高まり、
一人、水田のど真ん中に寝ているかのような錯覚さえ抱くほど、
全土がカエルの歌で埋め尽くされた感がありました。
うるさいほどの音響効果でしたが、不思議にぐっすりと眠れるのです。
もっとも、カエルの合唱に催眠効果があるかは不明です。
白状しますが、熟睡は私の特技、不眠になったことがない人間なのです。
毎夜すんなりと寝付けない方には、まことに申し訳ないことです。
近江平野には、今でも、水田がたっぷり残されています。
妻が、安土で、周囲が全部水田の道を歩いたことがあるそうです。
まるで海の中を歩くようだった、行ってみたら?
でも、なかなかその時期に行けないものです。
五個荘もすでに田植えが済んで、
海のように感じるのは無理。
それでも、懐かしさが私の心を満たしてくれました。
緑と水が描く放物線、
その先には、少年時代の思い出がありました。

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# by Hologon158 | 2008-09-13 00:54 | ホロゴンデイ | Comments(0)

26.8ホロゴンデイ7「2005年5月29日の滋賀五個荘町」8 古い町では、壁にまで人のぬくもりが感じられ


五個荘だけでないようです。
湖畔一帯あるいは至る所の海近くの町の旧家には、
船板を利用した壁がよく使われています。
船としてはもう老朽化しても、家の壁としては使えるわけです。
湖水、海水と戦ってきた板たちです。
家の壁として、雨水なんかどんと跳ね返す力を残しているわけです。
五個荘でも幾か所か見つかります。
船釘のあともあって、味わい深いものがあります。
ここらあたりに、現代とはまったく異なる価値観を感じます。
現代は、すべて使い捨て、新しいものこそ価値。
以前は、古いものはできるだけ捨てず活用する、
使い慣れたものこそ価値。
他の二枚からも、そうした価値観の人々の社会であることがうかがわれます。
歳をとってきたせいなのでしょうか?
近頃、やたら古いものに魅力を感じるようになりました。
ローライフレックス二眼レフに心が飛びついたのも、
そんな私の心境の変化が手伝っているのか知れません。
でも、ローライやライカ、そして私のホロゴンに代表されるように、
実は、古いものは新しいものに、機能的にも負けないどころか、
もっと優れたところが一杯あるのです。
住まいにもレンズ、カメラにも共通するところ、それは、
古いものには人肌のぬくもり、
人の心のあたたかさがあるのでは?
これが本来の人間の生きるべき道ではないでしょうか?

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# by Hologon158 | 2008-09-12 21:54 | ホロゴンデイ | Comments(4)

26.7ホロゴンデイ7「2005年5月29日の滋賀五個荘町」7 男は、背中で勝負するもんだぜ!


さて、まずニュースから。
結局、ローライ3.5Eを別ルートで手に入れました。
前のローライよりも少し高いのですが、
前のローライよりもずっと状態がよくて、相当な美品。
そのうえ、フードとケース、ストラップまで付いているのです。
シャッター速度もテストしていただきましたが、
8分の1秒、15分の1秒だけが半分近いスピード、
でも、それよりも低速、高速、いずれもほとんど正常値という、
申し分のない結果となりました。
30分の1までしか手持ちで使えないと覚悟しましょう。
それでも、レンズの開放値3.5で撮りますと、
ASA感度400のフィルムで、EV値6.5、
つまり、ほとんど肉眼では暗すぎると感じる程度まで手持ちで撮れる!
ホロゴン専科の私がローライを手に入れる!
なんで?
もう一度、お尋ねになる方も多いことでしょう。
自分でも納得できる理由を考えたいものです。
欲しいからだ!
そう言ってしまえば、おしまいですが、それじゃ理由にならない。
自分のやっていることを台無しにするのであれば、
血迷っただけの結果に終わってしまいます。
私の写真の目的をもう一度思い出して欲しいのです。
私は、自分が歩いた道、そこで感動したものたち、人たち、
ありふれた路傍の存在なのだけど、
私に向かって、忘れがたい歌を歌ってくれた存在、
そんなものたち、人たちの記録を撮りたいのです。
ホロゴンは非常に求心的なレンズなので、
そんな一点集中型の感動を写真にあらわすのに適しています。
でも、私の超接近水平垂直撮影法は、拡散的な雰囲気描写となると、
あまり適したものとは言い難いようです。
だから、私の写真はもの、人図鑑にはなりますが、
私がこれらのもの、人を撮った場所、情景を写真にするのは、
私の手に余ります。
ホロゴンではたった一つの撮り方でしかできないからです。
そこで、まったく異質なレンズを使うことによって、
そうしたもの、人のバックグラウンドを空気感をもって、
情景描写できる、そんなレンズとして、
プラナー75mmF3.5を選択したのです。
このレンズならそんな写真が撮れるのか?
そう真っ正面から問われますと、
私の腕でそうできるか、覚束ないですね、としか答えようがありません。
でも、私の心の中で、
このレンズなら、うまくやってくれるのではないか?
そんなつぶやきが聞こえたのです。
私がこれまで出会ったレンズの中で、
その開放描写にしびれるほどのエクスタシーを感じさせた、初めてのレンズ!
この決断が吉と出るか、凶と出るか?
お楽しみに。

さて、五個荘では、当日、お祭りの準備に出会いました。
そのお祭りの参加者を含めて、五個荘の人たちを撮った写真を選んでみました。
最後は、往時をしのんでの、近江商人後ろ姿。
4、5枚目の男たち、こう言いたいのかも?
「男は、背中で勝負するもんだぜ!」

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# by Hologon158 | 2008-09-12 18:20 | ホロゴンデイ | Comments(0)

26.6ホロゴンデイ7「2005年5月29日の滋賀五個荘町」6 花々がわが世の春を謳歌している


今度は、花と緑とうるおい路線で行きましょう。
野原を歩いていて、出会った花の名前をすらすら言える人がいますね。
どうしてそんな芸当ができるのでしょうか?
私には分かりません。
なにしろ子供の頃一生懸命覚えたのは軍艦の名前だったという人間なのですから。
昔、本名を知られたら、支配されるという考え方があったようです。
逆に、相手の名前を知ったら、それだけで正体を見極めたと考える向きは今でもあります。
その考え方で行きますと、
花の名前を知らない私は、花を十分理解していないこととなります。
そうかも知れません。
でも、花を目の前にしたとき、
その花の美しさを味わうために、名前がほんとうに必要でしょうか?


大地
三界をバックグラウンドとして、
花々がわが世の春を謳歌している、
気持ちがいいそよ風が吹くようです。

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# by Hologon158 | 2008-09-12 00:36 | ホロゴンデイ | Comments(2)

26.5ホロゴンデイ7「2005年5月29日の滋賀五個荘町」5 コンクリートにも地獄が待っているというお話


私も時代の申し子なのでしょうか?
コンクリートの質感になぜか心惹かれるのです。
そして、もっと惹かれるのは、
コンクリートの経年変化に伴うメタモルフォーゼ。
酷使に耐えるという常識がしっかり根付いたために、
へたってしまうまでこき使われる頑張り屋がいますね。
この頑張り屋と同じ運命がコンクリートを待ちかまえています。
めったやたらに使い込まれてしまって、
へとへとにすり切れてしまう。
でも、そこからが人間もコンクリートも勝負です。
こんな頑張り屋が酷使地獄を乗り越えたときに見せる、
あの風雪に耐え抜いた風貌!
これこそ人間の味というものでしょうか?
そんな味わいを見せてくれるコンクリートたちを紹介しましょう。
擁壁と道路、
これに打ちっ放しの建物を加えれば、
コンクリート頑張り地獄三幅対となりましょうか?
みんな、疲れてますね。
でも、がんばってるね。

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     [撮影メモ]
       例の飛びこみ自殺型撮影法や、
       まだ説明したことはありませんが、拝み倒し撮影法、
       可愛い猫だねよしよし撮影法なんかを使って撮っています。
       アスファルトも混じっていますが、
       難しいこと、言いっこなしね。
# by Hologon158 | 2008-09-11 21:43 | ホロゴンデイ | Comments(2)

26.4ホロゴンデイ7「2005年5月29日の滋賀五個荘町」4 心に絵が浮かぶと撮ってしまう男の話


人がどんな気持ちで写真を撮るのでしょうか?
私にはぜんぜん分かりません。
私の場合は、実に単純な気持ち。
実は誰にも言ったことのないことなのですが、
目の前にある光景に、私は絵を感じるのです。
この絵、ホロゴンの撮影結果の予測とはぜんぜん違います。
ホロゴン写真が完全に予測不能であることは幾度も書きました。
私の心に浮かぶ絵というのは、
目の前のものたちがちょっとばかりドラマをするのです。
互いに響き合うようなセリフ回し。
そんなドラマが心をビンと動かします。
すると、遮二無二接近して、ずばっと撮るのです。
このドラマを再現するために撮るのではありません。
このドラマが、
ホロゴンも喜ぶぞ、なにか写真にしてくれるぞと感じさせてくれるのです。
つまり、引き金。
心にそんなドラマが浮かんでこないまま、
「ここは一つ、押さえておきましょ」なんていう気持ちから撮っても、
ろくな写真にはなりません。
まあ、ドラマを感じても、ろくな写真にならないことも多いのですが。
目の前の光景がリズミックなものである場合、
絵もリズミカルになります。
今回の写真は、いわば二拍子の絵を感じたから撮ったのでしょうか?

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# by Hologon158 | 2008-09-11 20:01 | ホロゴンデイ | Comments(0)

26.3ホロゴンデイ7「2005年5月29日の滋賀五個荘町」3 異常な人間による異常な写真は正常かしら?


写真のことを絶えず考えています。
素人だって言いながら、それはないだろ?
そうおっしゃるんですか?
写真家でないと、写真のことを考えたら、駄目なの?
そんなことはないですよね。
写真のことを絶えず考えていたら、写真家になってしまう?
そんなこともないですよね。
第一、考える方向が違います。
写真家はこう考えるのではないでしょうか?
どうすれば、自分の心を写真に表現できるか?
表現行為のターゲットは、写真を見る人です。
私は、そんなこと、考えません。
そうではなくて、
どうすれば、写真が自分の心に突き刺さるようなものになるか?
私の写真のターゲットは私一人。
じゃ、なぜブログをするのか?
そうお尋ねでしょうね?
もちろん、私が見るために、私が作るため。
私の、私による、私のためのブログ。
見る人も作る人も匿名なのですから、
はなっから表現行為でもなんでもありません。
私がブログが気に入ったのも、これ故。
つまり、売名だの、自己顕示欲だの、見せびらかしだのと、
言われなくて済むのですから。
もっとも、本日の写真のようなものをご機嫌で出してきて、
売名も自己顕示も見せびらかしもあったものじゃありませんね。
私の友人、私と似て、路傍のなんでもない放置品を撮ります。
ドラム缶を撮った写真を友達に送ったのです。
すると、折り返し電話が来て、
「あんた、もうこんな恥ずかしいこと、いい加減にやめときや」
私、大いに笑いました。
それが、正常な神経の持ち主の反応なのです。
本日の1枚目と3枚目は同じたい積ですが、
一体この下になにがあるのかなって、疑いたくなりますよね。
そして、2枚目。
たくさん顔が見えてきますね。
顔を割って闇から出現する蔦、
まるでエイリアンですね。
正常な神経の持ち主には、異常な写真と受け取られてもしかたがないですね。
本人自身、ちょっと異常じゃないかと思っているのですから。

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# by Hologon158 | 2008-09-11 00:23 | ホロゴンデイ | Comments(2)

26.2ホロゴンデイ7「2005年5月29日の滋賀五個荘町」2 飾らぬ町が都会人にはかえって美しく見える


どんなにがんばっても、抜け出られない枠があります。
その枠は、自分。
写真を撮っていても、その枠を感じます。
いわば、呪い。
どこまで言っても、自分の写真には自分のニオイが付いてしまう。
こうして、自分の写真を続々と登場させると、
このニオイ、枠が人の目にもあらわになってしまうのですから、
怖いですね。
でも、生きることは選択です。
選択は常に狭さに通じます。
枠は、でも、呪いであり制限であるとともに、
私たちのよって立つ基盤なのですから、
いわば、祝福でもあるわけです。
逃れようのないものを逃れようとすると、どうなるか?
自分を失ってしまう!
結局、自然体が一番いいのではないでしょうか?
ちょっと前置きが長くなりましたが、
なんだか田舎町って、こんな葛藤を経て、
ついに自然体に達した存在なのかも知れない、
そう感じたからです。
五個荘の町中で撮った写真からまずピックアップした3枚。
五個荘の裏もあれば、表もある、
どちらを撮っても、いわば飾らない姿。
華麗なる都会生活を忌避して、
田舎町の生活にあこがれを感じる、
これって、私が歳をとった証拠なのでしょうかねえ?

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# by Hologon158 | 2008-09-10 21:27 | ホロゴンデイ | Comments(2)

26.1ホロゴンデイ7「2005年5月29日の滋賀五個荘町」1 緑と青、日本人の故里の色かもしれませんね


京の町家の一日の次は、
滋賀の小さな町五個荘町の田園と参りましょう。
江戸時代には、近江商人が一つの勢力を築いたそうですが、
その近江商人を生んだ町の一つが五個荘なのです。
今でこそ田園に囲まれた小さな田舎町ですが、
町の中央は近江商人たちの立派なお屋敷が並び、
往時の活気をしのばせます。
どうも私たちは、歴史に関しては暗箱に放り込まれたようまのです。
御用学者たちが私たちにお仕着せにあたえる歴史観に縛られています。
江戸時代、人々は士農工商の身分に縛られて、
狭い区域で安穏と暮らしていた、そう教えられてきたのですが、
どうして商人たちは、日本全土に及ぶヒューマンネットワークを張り巡らせて、
武士階層を敬う形はとりながら、その実、相当に自由に暮らしていたようです。
五個荘のお屋敷を見ても、商人たちの闊達剛毅な生活が推測できます。
私も、この小さな町が気に入って3度ばかり足を運びました。
別にそのような五個荘商人たちの往時をしのぶためではありません。
ひたすら、ロボーグラフィを愉しむため。
近江米の産地です。
すでに田植えが終わっている水田がまずフォトジェニック。
今回のシリーズでは、この水田の緑が通奏低音となりそうです。
さしもの赤好きの私も、この緑には一目置きたいところ。
見事に整列する緑、
蒼空を写す水田。
このリズム、気持ちがいいですね、
来るべき稔りへの前奏曲のように聞こえませんか?


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# by Hologon158 | 2008-09-10 18:11 | ホロゴンデイ | Comments(0)

25ホロゴン外傳4「写真撮りたきゃ、いい靴探せ、靴を撮るならセプトン50/2にお任せ」(再録)


つい最近まで、私の写真友達は、私と一緒に歩くのをいやがっている様子でした。
なぜか?
私が、ボロボロの靴を常用していたからです。
靴より上だって、そんなに風采があがらないうえ、身なりにまったくかまわない人間なので、
総合すると、ごくごくみすぼらしい風体。
これにボロ靴ときたら、誰だっていやがりますよね。
そんな友人たちを尻目に、なぜそんな靴を履き続けていたのか?
私にとって、それは生涯最高の靴であり、代わるものが見つからなかったからです。
約5年前、お店で履いた途端、ひらめいたのです、
この靴は私を待っていたのだ!
おっと、このセリフ、前にも使ったことがあった。
そうです、ホロゴンと同じ気持ち、つまり一目惚れの状況です。
アシックスのゴム底、バックスキンのタウンシューズは、私の足にぴったりと寄り添い、
まるで何も履いていないかのように、軽快なのでした。
おかげで、たとえば、海外に出て、2週間、朝から晩まで街を歩きに歩いてもまったく疲れない、
そう、この靴履けば、スーパーマンに生まれ変わったのです。
でも、何事にも終わりがあるものですね。
底がほとんどつるつるとなり、側面の皮に穴が開いて、
雨の日、靴の中がピッチピッチチャップチャップランランランとなっては、
さすがの私も、ついにあきらめました。
約3か月前、別のアシックスが代替わり。
いまだに満足できませんね。
さて、本日のホロゴン外傳は、ドイツの名門フォクトレンダーが生んだ標準レンズの逸品、
セプトン50/2。
このレンズこそ古今最高と、熱烈に愛するユーザーがいるそうです。
「ふむふむ、悪いけど、ホロゴンがあるよ」と思いつつも、
そんな熱烈讃辞も無理はないなと感じるところもあります。
神戸三宮の靴ショップのプレゼンをご覧ください。
フォクトレンダーならではの清澄、上品かつ精緻な描写、そして立体感にしびれます。
わずか72dpiに画質を落としても、なおその片鱗がうかがわれるのではないでしょうか?
あなたはいかがお感じですか?

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# by Hologon158 | 2008-09-09 23:54 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

24ホロゴン撮影法4「ノーシンキングは、ノータリンとは違うのだ」


一枚撮影する前に、ファインダーも見ずに、猛烈に考え込む友人がいました。
古典ギリシアの時代、冬の北方戦線、アテーナイ軍の陣営でのこと。
一人の人物が陣営の中をすたすたと通りかかり、
突然はたと立ち止まると、そのまま沈思黙考に入ってしまいました。
厳冬のさなか、そのまま佇立した状態で朝を迎えました。
日の出とともに、その人物は深い思索の海の底から浮かび上がり、
祈りを捧げたうえ、すたすたと立ち去ったのです。
それを目撃した兵士たちは、深い畏敬の念を抱いたと言います。
この人物は、すでに推量されたとおり、ソクラテス。
私の友人、ちょっとソクラテス風に深い思索の底に沈んでしまうのです。
私には、シャッターを押すまで、彼が一体どんなことを考えているのか、
皆目見当がつきませんでした。
私は、思索型の人間ではありません。
瞬発的に反応するタイプ。
だから思うのですが、いかに思索型の人間であっても、
写真を撮るときに、考えるのはいかがなものでしょうか?
写真に思索のプロセスが写るわけにはまいりません。
写真というのは、切り取られた一瞬なのです。
まな板の上でぴちぴち跳ねる魚を活け造りにする板前が、
包丁を1回下ろすごとに考え込んでいたのでは、
死に造りになることは必至。
でも、彼の写真は見事でした。
だから、活け造りを邪魔するような思索ではなかったのでしょう。
でも、明らかに邪魔になる思索もあります。
ある背景を前にして、それにふさわしい人物が通りかかるのを待つ人がいます。
明らかに頭の中に絵を描いています。
待っている間に、その絵は徐々に死んでしまう、私にはそう思えるのです。
写真は、絵ではないのです。
ターゲットは、一瞬に過ぎ去るイメージ。
コンポジションをやたらいじくることなんてできないのです。
感じるだけで十分ではないでしょうか?
カトマンズの朝まだき、大寺院へ向かう街道を歩いている私の目の下に、
突然、脇道から姿を現した少年に気づきました。
一瞬、ホロゴンを少年の眼前50センチばかりに回して、
シャッターを切りました。
どう写るか、どう撮りたいなんて考えもせず…

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# by Hologon158 | 2008-09-09 21:48 | ホロゴン撮影法 | Comments(0)

23ホロゴンメッセージ6「この世には数知れず写真はあれど…」


私にとって、撮りたいものは限られているのです。
写真家なら、それなりに写真世界があるでしょう。
その写真世界のなかで、さまざまな課題をこなして行き、
その課題を通じて、自己表現をすることになるのでしょう。
アマチュアカメラマンなら、それぞれに目標があることでしょう。
その目標を実現するために、刻苦勉励、奮励努力し、
それぞれに独自の作風、独自の個性を写真に盛り込もうと努力するでしょう。
私は、そんなレベルとはまったく無関係なので、気楽なものです。
ただ、撮ればよいのですから。
たしかに私はホロゴンウルトラワイドを使って、フィルム1500本以上撮りました。
でも、それはホロゴンによる撮影が巧くなりたいためではありません。
ホロゴンによる撮影法は、使い始めてすぐに確立してしまいました。
超接近水平垂直撮影法。
この撮影法、巧くなるもならないもないのです。
実に単純明快、誰でも出来ることなのですから。
以来、ひたすらこの撮影法だけで撮り続けています。
また、独自のホロゴン世界を構築するためでもありません。
独自の写真世界を構築するなんて、写真家のすることで、
私のすることではないのですから。
では、なにをしているのか、私は?
至極簡単なこと。
散歩して、出会った楽しい人たち、楽しいものたちを記録しているのです。
なんのために?
記憶のために。
じゃ、なぜホロゴンを使うのか?
ホロゴンで撮った写真が一番、自分の記憶にぴったり合っているから。
嘘だあ! こんな風に見えるはずがないじゃないか!
そうおっしゃる方もおありでしょう。
私も、最初の数年はそうでした。
私の視覚と写真との間におおきな懸隔、溝がありました。
でも、幾万枚目でしょうか?
私は、突然、ホロゴンが自分の視覚を強化してくれていることが分かったのです。
強化というより、魔術化なのかも知れません。
自分が見えるものより、自分が見たいものなのかも知れません。
本日の写真をご覧ください。
弘前の裏通りの美容室。
お店のご主人には申し訳ないのですが、ほんとうにうらぶれたたたずまい。
こんな雰囲気が大好きなのです。
時間と生活と心の旅が積み重なって、
お店がようやくこんな情感を醸し出すようになった!
うん、いい!
ホロゴン、もらいましょ!
それがこの写真。
私の心の揺らぎがこの光景に混じり込んでいる、
そんな気持ちにさせてくれるのがホロゴンなのです。

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# by Hologon158 | 2008-09-09 18:59 | ホロゴンメッセージ | Comments(0)

22. 17 ホロゴンデイ6「2005年10月22日の京都下町」17  2005年の空も今年の空も、空に違いはないけれど


これで2005年10月22日の京の下町ともさようなら。
17回分61枚を試しにざっと繰って見ました。
例によって、ホロゴンが撮ってくれた写真が並びました。
いわば「ロボーグラフィ・サンプル集」
これまでのホロゴンデイ・シリーズをご覧頂いて、
もうお分かりのことと思います。
私の写真は、あちこちで撮っていますが、
実は、地域性ゼロ。
どこで撮っても同じだし、
どこの写真群をチェックしても、たいていの場合、撮影場所は特定不能。
妻はよく言います、
「もっと場所を限定し、コンセプトをもって撮らなきゃ。
いつまで経っても、上達なんか望めない。ただの素人のまま」
ちゃんと分かっているのです。
「うん、そうかも知れないねえ」と答えつつ、
実のところ、その方向への方針転換は起こりそうにありません。
根本となるコンセプトが異なるからです。
彼女の要請には前提となる想定があります。
1 写真がうまくなることを、私が望んでいる。
2 写真作品と認められる写真を撮りたいと、私が望んでいる。
この想定は、2つとも間違っています。
でも、妻に私の望みをうまく説明することができないのです。
私の想定の方が異常だからです。
1 写真がうまくなることを、私は望んでいない。
2 写真作品と認められる写真を撮りたいと、私は望んでいない
巧い写真家は、カメラ雑誌、ウェブサイトに数知れず存在します。
でも、私には、娑婆っ気が多いなあとしか思えないのです。
どうも、うまさばかりが目をひいてしまうのです。
写真作品と銘打てば銘打つほどに、記憶に残る写真から離れていくのです。
私は、別に人に記憶して欲しいとは思いません。
自分だって、自分の写真をどんどん忘れて行くのに、
人にそこまで望むつもりはありません。
私がここでやっていること、それは、
純然たる生きる行為なのです。
これで十分。                                              

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# by Hologon158 | 2008-09-09 00:56 | ホロゴンデイ | Comments(0)

22. 16 ホロゴンデイ6「2005年10月22日の京都下町」16 人間のエネルギーって、歳相応なんだろうか


社会の高齢化が進むにつれて、ストリートフォトを撮っても、
子供が写ることは少なくなってきました。
子供好きの私にとって、つらい時代。
仕方なく、お年寄りを撮っています。
でも、お年寄りには悪いのですが、
子供を撮るのに比べると、撮影結果がややもすると、暗めになります。
生命感、エネルギー感という点で、随分差があります。
人間って、次第に「気」が落ちてゆくのでしょうか?
それなら、寂しいですね。
今回は、若い女性の写真も2枚。
さすがに、エネルギー感に満ちていますね。
イギリスのさる老公爵、このエネルギーを欲しかったので、
毎夜、領地から18歳程度の若い少女たちを呼び寄せて、
ベッドで一緒に寝てもらったといいます。
なんにも危険なことは起こらないのですが、
少女たちの方は、なんだかエネルギーを吸い取られる感じで、
喜べる事態ではなかったでしょうね。
ぼくだって、いやだな。

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# by Hologon158 | 2008-09-08 21:32 | Comments(2)