わが友ホロゴン・わが夢タンバール

29.6ホロゴン外傳3「2008年9月の奈良職場界隈」6 蔦の絡まる旧家、美しいのやら、かわいそうなのやら?


蔦を近くで見たことがありますか?
気味が悪いですよ。
ヤモリそこのけの吸盤のついた指が壁にしっかりと張り付いて、
ぐいぐいぐいと昇ってゆきます。
幹は最初はただの草ですが、段々と樹木に成長し、
ついにはがっしりとした樹幹がたくましく大地から立ち上がるのです。
こうなったら、もうお終い、
蔦の絡まるチャペル状態に達してしまい、
蔦がわが世の春を謳歌し、その陰で家はひっそりと生き延びることに。
教会やお屋敷はわざとそうし向けているのでしょうか?
なにか建物によいことがあるのでしょうか?
お分かりの方居られましたら、教えてください。
私には、蔦と建物、蔦と人間は不倶戴天の敵としか思えないのですがねえ。
レストランに向かう途中のこのお宅も、
完全に蔦に乗っ取られた状態。
便所の窓までも、ブラインドになったげるよとばかり、がっぽり覆い被さっています。
きっとうっとうしいですよ。
でも、一つだけ美点があります。
かなりフォトジェニック!
逆光でちょっとフレアーが出ていますね。
これはフードがないため。
純正フードがあり、これが実にかっこいい。
でも、どこにも見つからない。
おそらく見つかっても、超高価。
目立たないけど、ちょっとは役に立つ程度の深さで、
有名な宮崎さんにでも作って頂こうかと考えています。
ええーいっ、もうばらしちゃおうかな?

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# by Hologon158 | 2008-09-27 14:51 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

29.5ホロゴン外傳3「2008年9月の奈良職場界隈」5 運命のレンズではないけれど、無視できない


よいレンズって、数知れずあります。
私自身も数十本遍歴してしまいましたし、
私の友人たちが遍歴してきたレンズたちはその幾倍も。
そんなレンズたちを拝見して、
基本的に、悪いレンズの方が少ないのではないか、とさえ思われます。
でも、この世に数知れぬ美女たちが存在するのと同様、
そのようにたくさんの名レンズが存在しても、
私には意味がないのです。
どんなに多くの美女に出会っても、
妻にできるのはたった1人。
(一夫多妻主義者とドン・ファンの方は無視)
私は妻に初めて出会ったときの姿をいまでもまざまざと思い出すことができます。
同じように、運命のレンズとの出会いは正真正銘の黄金の瞬間。
それがないのであれば、あなたに無縁のレンズと思ってください。
私はホロゴンウルトラワイドと初めてであったときのことをはっきりと記憶しています。
その瞬間、わかりました、「このカメラ、僕を待っていてくれた!」
でも、(と、突然、トーンダウン)
ネガをスキャンして、初めてそのレンズの画像を見た瞬間、
あっとのけぞるような極上のレンズに出会うことは避けられません。
不可避の出会いなのですから。
近ごろ、私、そんなレンズに出会ってばかりで、困っているのです。
先月のローライ3.5Eのプラナー75mmF3.5。
今月のこのチビレンズ。
最初のネガをスキャンして、
半切大の画像が私の28インチ・シネマディスプレイに出現した瞬間、
私の心はふんわりとあたたかい幸福感に包まれました。
あたたかい!
やわらかい!
やさしい!
でも、きりっと姿勢正しい!
早くその名を皆さんに打ち明けたい。
でも、もう少しぼくだけのものにしておきたい。
心は乱れます。
本日の画像は、ちょっと硬いですね。
どうも、まだ露出がうまくいかないのです。
このカメラ、もちろん露出計なんて付いていません。
というより、およそ、なんにも付いていない!
ホロゴンウルトラワイド同様、EV値で脳内露出計で決定しています。
でも、ホロゴンとはちょっと偏差があるようです。
もう少し、脳内露出計を調整してみます。

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# by Hologon158 | 2008-09-27 10:57 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

29.4ホロゴン外傳3「2008年9月の奈良職場界隈」4 ゴミがらみの写真でも絵にしちゃうレンズなんだから


やむを得ないある理由からですが、
このレンズも、ノーファインダーで撮って、
ノートリミングでアップしています。
でも、ホロゴン15mmF8とは画角が違うので、
これがなかなか難しい。
ホロゴンのように目一杯写るレンズなら、腹が座ります。
でも、そこまで画角が広くないので、十分覚悟ができない感じ。
水平垂直もなかなか決まりません。
ホロゴン同様、千本切りの修行が必要なのでしょうか?
でも、ホロゴンウルトラワイドのように大柄ではないし、
ボディよりも前に指が出ても、写り込んだりしませんので、
遙かに使いやすいのです。
この使いやすいということが散歩カメラの最大の条件かも知れません。
本日はゴミに関連する写真を3枚。
土地の持ち主、なぜかフェンスで応急に囲いを作ったです。
誰かがその囲いの中になにか捨てたようです。
持ち主、憤然として「ゴミ捨て禁止」の看板をかけました。
これが一番してはならないことであることを知らなかったのでしょう。
看板、断然効果的でした。
現代人のモットーは何だと思いますか?
「みんなでやれば、怖くない」
「誰かが悪いことしてるなら、私だってしていいじゃない?」
たちまち、フェンスの中は不法投棄で一杯になってしまいました。
3枚目は、ごみ集積場のカラス対策用の防護ネット。
ゴミ収集トラックが来て、ごみは回収済み。
残されたネット、まるで練習中のバレーダンサーのようではありませんか?
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# by Hologon158 | 2008-09-27 00:51 | ホロゴン外傳 | Comments(3)

29.3ホロゴン外傳3「2008年9月の奈良職場界隈」3 鉢植えの棚に主人の心が偲べるレンズ?


さて、こんな風にクイズ仕立てにしてはみたものの、
回答者の身になって考えてみますと、
そんな簡単に答えが出せるものじゃなし、
悪いことをしてしまったなあと後悔しています。
私の出した3条件って、大変に主観的、趣味的なものですから、
条件のとらえ方も十人十色。
でも、あえて言わせていただきますと、
レンズの写りって、意外と一定しているものです。
たとえば、ライカ用レンズには、
女性的で繊細精密なものが多いというような一定のテイストがあり、
ツァイス用のレンズの男性的に剛毅な写りとは一線を画します。
そのような区分法をつかって、私の写真をチェックしていただければ、
ある程度、絞り込むことは可能なのではないでしょうか?
本日は、ニューレンズ第三弾。
近くのちいさなお社だけの神社の前面。
その左隅の鉢植えの棚を見れば、
神社なのか、民家の庭なのか、さっぱり分からない情景です。
でも、よくご覧ください。
ちょっと小気味がいい位に、誇張のない立体感ではありませんか?
手入れをしている人の愛情がしっかりと伝わってきますね。
そんなやさしさをしっとりととらえてくれるレンズ、
それがこれなのです。
さて、これってなんだ?

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# by Hologon158 | 2008-09-26 21:11 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

29.2ホロゴン外傳3「2008年9月の奈良職場界隈」2 レトロなポスターに似合うレンズって何?


うふうふと嬉しくなって、書いています。
お一人から早速名答を頂きました。
でも、ちょっと違うのです。
条件1をクリアーしなければ!
私の手はあまり大きくないのです。
そんな私の手の中に収まるカメラとレンズ、
そして、この描写性!
別に珍品カメラ、レンズではないのです。
ごくオーソドックスなセット、
大変に名声が高いレンズ。
ただし、このカメラをお使いの方を私は見たことがありません。
でも、私が使うのは実に自然かつ合理的、そんなカメラなのです。
さて、なんでしょう?
本日も実は昼食後、このカメラをバッグから取り出しました。
午前中土砂降りの奈良でした。
雨は降っていませんが、道路も建物もみんな濡れに濡れています。
暮れ方を黄金の時間と呼ぶとすれば、
雨上がりは美女の時間!
なにしろ「水も滴るよい光景」なのですから。
(このあたり男性的偏見と、女性陣から総スカン食いそうですね。
いや、こういう男性、女性という区分をことさら強調する方が問題かな?)
ワイシャツ姿で右手に握って歩きます。
気づく人はさほど多くありません。
本日は、午後1時からの仕事の準備もあって、持ち時間15分。
それで、やっぱり1本使い切り、足りないほど。
これからずーっとお昼には撮影を続けることにします。
そんな撮影の成果は、また別にまとめてアップすることにましょう。
今回は、行きつけのレストランが並んでいるちいさな通りの入り口あたり。
昔ながらの学生服店、クリーニング店がこの通りをレトロにしています。
もう4年以上そのままに貼られたポスターは色あせ、
諸行無常の気配を漂わせています。
私のレンズはちょっと古いので、
こんな夢の国に一歩足を踏み入れたようなロボーグラフィーにぴったり。
これらの写真を見ていますと、
これまでなんでお昼に写真を撮らなかったのだろうか、
悔やまれてきますね。

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# by Hologon158 | 2008-09-26 18:06 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

29.1ホロゴン外傳3「2008年9月の奈良職場界隈」1 散歩カメラ、レンズは何が一番よいだろう?


「中性脂肪が異常に高いのですよ」
先月の検診の際、医師からそう告げられました。
血液検査の他の数値はすべて正常値なのに。
健康のことに一切留意しない男である私、のほほんと、
「それ、なんですか?」
「血液中ですぐにエネルギーに変換できるように蓄えられている脂肪なんですよ。
それ自体は病気でもないし、薬で治すというようなものではないけど、
放置すると、脳卒中になったり心臓疾患の原因になったり、
怖いですよお!」
全速力で突っ走っているので、
いつ倒れても、即座におさらばできるのであれば、喜んで倒れちゃおうじゃないか、
そう考えている私、ちっとも怖くない。
でも、半身不随、寝たきり状態は怖いですね。
対処法は少ないようです、
有酸素運動をすること、動物性タンパク質を控えること。
一日15分でもよいから歩くこと、そこから始めなさい。
とにかく職場と家庭、どちらも猛烈に多忙を極める生活なので、
運動ができるのは、昼食後の20分程度。
よし、それじゃ、まず、バッグを軽快なものに換えちゃおう。
ただ歩くだけじゃつまらない、
そうだ、歩きながらロボーグラフィを楽しんじゃおう!
そこで、私は、かつて夢見たあるカメラとレンズを調達したのです。
今回は、ホロゴンではない、ある別のレンズで撮った写真たちで、
ホロゴンデイ・シリーズ同様のシリーズものを作ることにしました。
私が散歩カメラの条件として考えたのは、次の3つ。
1 軽量で手の中に軽く収まる形状であること
2 ホロゴンに劣らぬ、広角の名レンズであること
3 カメラとレンズの組み合わせが理想の美しさをもつこと
3つとも極めて主観的な条件なだけに、
たいていの方は「そんなの、知るかあ!」でしょう。
でも、このブログにも相当数のレンズグルメの方がおいでになっているようです。
そんな方なら、ふむふむとうなづかれることでしょう、
「ははーん、組み合わせは、あれと、それと、これと、これくらいかな?」
9月14日、19日、24日、この3日、それぞれ20分ずつ散歩しました。
職場から行きつけのレストランの往還とレストランの界隈だけ。
毎日1本ずつ撮りました。
つまり、60分間で108枚撮ったわけです。
その中から、83枚選んで(選ぶなんてものじゃない、ほぼ全部じゃないか!)、
ホロゴンデイ・シリーズ同様に、フォトエッセイを20回仕立てでお送りします。
数回サンプルをお見せしてから、その辺りで種明かしと行きます。
これかなとお気づきの方、よろしかったら、なるべく早くご回答ください。
大変にオーソドックスな選択なので、そんなに難しいテストにはならない筈。
とくに、写真の写り具合をご覧頂けば、
回答はあれと、それと、これと、これくらいに収まるはず。
軽い頭の体操と考えて、お楽しみください。
まずは、職場から行く路地伝いの沿道風景から。

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# by Hologon158 | 2008-09-26 00:40 | ホロゴン外傳 | Comments(3)

28.33ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」33 黄金色に暮れてゆく常滑よ、さらば!


さて、常滑シリーズもようやく終わり。
33回138枚を勝手に構成してみましたが、
振り返ってみますと、粗製濫造もいいところですね。
ときおりコメントをいただく方々のブログを訪問しています。
私の「ある日のホロゴンと私」風の構成をしておられる方は皆無。
なぜだろうか?
考えてみました。
皆さん、写真を作品として構想しておられるわけで、
ある日撮った写真をとにかくそのままごっそり人に見せるなんて、
写真の本来の表現方法ではない。
ナンセンスもいいところです。
だから、誰もそんなこと、考えない。
私は、写真表現をするつもりはありませんから、考える。
でも、個人的には、この方法にもよいところがあります。
自分が歩いた場所で、その日、どんなものに出会い、
自分がどんなことを感じ、
どんな風にそれを写真にしたか?
それが一望できるのです。
偉大な写真家の皆さんがこんな風に写真を見せてくれたら、
どんなに楽しいでしょう。
たとえば、カルティエ=ブレッソンが、木村伊兵衛が、森山大道が
パリを、浅草を、新宿をその日どんな風に歩いて、どんな風に撮ったか、
それが判れば、写真家たちの写真に対する取り組み方、精神がわかるのでは?
私の場合、こんな研究はまったく不要ですね、もちろん。
わあ、この人、なんと雑然たるものに興味を持ってるんだ、
なんとも気楽に写真に収めてるなあ、
それにしても、もう少し撮り方があるのじゃない?
これじゃまるで、大根振り回してたたきまくっているだけじゃない?
これで研究は終わり。
常滑の夕暮れは黄金色に輝きました。
よい町でした。
あたたかい心が路地裏の隅々までじんわりと暖めた、そんな印象の町でした。
町がかもし出しているレトロな雰囲気、あたたかな空気感を
ホロゴンはちゃんと記録してくれたでしょうか?
もう一度訪れる機会があるでしょうか?

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# by Hologon158 | 2008-09-25 21:28 | ホロゴンデイ | Comments(7)

28.32ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」32 光と影にいまだに魅せられている私なのだ


モノクロームで写真を始めたせいでしょうか?
光と影がなにかドラマをしているような情景にぶつかると、
無性に撮りたくなってしまいます。
その当時、ものをそのもの自体の形状ではなく、
黒から白に至るグラデーションのある平面としてとらえる癖がついてしまったようです。
おかげで、歩いていても、ちょっと興味深いものにぶつかると、
頭の中にモノクロームの画像が浮かんでしまう傾向があります。
カラーに移行してから随分になるのに、それが直らない。
他の人の写真を拝見していて、不思議に感じることがあります。
多くの方が、カラーとモノクロを自由に併用しておられます。
私にはそんなフレキシビリティがないので、まことにうらやましい限り。
でも、たいていの方のモノクローム写真、
フィルムをただモノクロームに代えただけ、という感じがします。
よく、モノクローム写真に対するほめ言葉で、
「色を感じさせる」という言葉を使う方があります。
これも私には不思議。
ものを見ると、それ固有の色を感じるのは人間の普通の認識方法です。
モノクローム写真の醍醐味は、
ものに付着する色を完全に捨象して、
世界を白黒グラデーションだけの形状に還元してしまうことで、
私たちの視覚を超えた空間表現を創りだすことにあるのではないでしょうか?
私の見方は大変に古典的で狭いのかも知れません。
なんだっていいじゃないの?
そうおっしゃる方も多いことでしょう。
でも、私は古典的なモノクローム写真の傑作を沢山見てきましたので、
あの銀塩による深い黒と白を考えますと、
でも、ちょっと違うんだけど、
もしモノクローム写真を志すのなら、カラーは完全に捨てなきゃ、
という思いを捨てることができないのです。
私はモノクローム落第生なので、最初に書いた性癖が残っているとしても、
モノクロームに戻るつもりはありません。
でも、モノクロームを志した当時が懐かしいのでしょうか?
光と影と形だけの写真をやっぱり撮ってしまうようです。

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# by Hologon158 | 2008-09-25 17:40 | ホロゴンデイ | Comments(0)

28.31ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」31 人は見かけによるものだというお話


29にお話ししたDAさんについてもう少し書きます。
実は、彼のことをあれこれ書いても平気な理由があります。
彼はこのブログを見ないのです。
猛烈な激務を毎日こなして、帰宅も遅いので、
遅い夕食を頂いた後は、愛する奥様とともに、
大好きなウィスキーや焼酎を傾けながら、
憩いと癒しの至福の一時を過ごす、
これが彼のライフスタイルなのです。
それを、変な写真満載のブログで崩すわけには参りません。
ご心配なく、
私の友人たちのほとんどが私のブログには近づきません。
なにも私のことを軽視しているわけではありません。
長年付き合っていて、私の写真はどっさり見てきましたし、
今後も見せられる身として、
ホロゴンとのお付き合いは十分足りているからです。
それに、彼ら、ファインダーをきちんと見て撮る、オーソドックススタイル。
私の写真はぜんぜん参考にならないのですから。
このDAさんに会ったのは、初心者写真教室の撮影会でした。
ずっと初心者で通しているのですね、私。
帰りに乗ったバスでのことでした。
黒ずくめの男が立って、足を組んでいます。
その胸にはライカが。
実にかっこ良かったですね。
こいつ、できる!
私はピンと来ました。
転居してきたばかりで、写真仲間が居なかった私、
同年配のこの人をつかまえてやろう、そう考えたのです。
付き合ってみると、実に仏様のようにあたたかで茫洋として、
春風駘蕩という言葉がよく似合う人物でした。
さて、写真は?と言いますと、これは長い間終始ひどかったですね。
ライカだって、買ったばかりだったのです。
ぼくには人を見る眼がないんだな、と、我ながらあきれました。
ところが、話しというものは逆転するのが順序ですね。
私の以前からのお気に入り、京都の伏見稲荷に幾度かご一緒したのですが、
彼は、ここで撮り貯めた写真で写真集を作ったのです。
写真集と言っても、
プリントを編集して製本所で製本してもらう、私家版。
これには驚きました。
異様な気配まで写し込まれて、見事だったのです。
そして今、彼は29で述べた事情から、
堂々たる1個の写真家への道を歩きはじめました。
出会いのときの印象は正しかったのです。
私はやはり人を見る眼があったわけです。
ちょっとした自慢話。
さて、最後のライトモチーフとして、
最後にとっておきの擁壁の写真を5枚。
壺擁壁たちも自分たちが擁壁写真のトリであることが分かっているようです。
ぐっと胸を張っているじゃありませんか?

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# by Hologon158 | 2008-09-25 00:31 | ホロゴンデイ | Comments(2)

28.30ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」30 常滑の暮れ方は陶器色?


常滑も次第に暮れ方となりました。
私は天気が悪ければ悪いほど好きなのですが、
晴天の日であれば、暮れ方が最高に好きなのです。
黄金の時間、そう呼んでいます。
ものが一番美しく輝くときであり、
人の肌も一番美しく見えるときです。
ところが、私という人間は、だからと言って、
そんな時間をことさらに表現しようという気持ちがあるわけではないのです。
以前なら、そんな風に動いたのですが、
ど素人として写真を愉しむことに決めてからは、
徹頭徹尾、写真制作向けの思考は無縁となってしまいました。
あっ、これは絵になるぞ!
そうだ、これを写真に撮らなくちゃ!
どうすれば、傑作写真になるかな?
なんて、ぜんぜん考えない。
ただ、ぶらぶら歩いて、「おっ、いいな!」と感じるシーンに出会ったら、
その瞬間にシャッターを落とし、
その後は、シェーンのように、振り返ることなく、さらば。
常滑焼きの土がどこでとられるのか、私は知りません。
でも、良い陶土のとれる地に陶芸家が集まることはよくあることでは?
常滑の暮れ方の色合い、深みを増して、
陶土のとれる土地にいかにもふさわしいのではないでしょうか?

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# by Hologon158 | 2008-09-24 21:19 | ホロゴンデイ | Comments(2)

28.29ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」29 逆境で写真に開眼した男の話


「人間、下り坂で真価が出る」なんて言いますが、
これは誇張ですね。
下り坂にあるとき、人間は仕事をする余裕はありません。
下り坂からなんとか挽回しようと奮闘します。
だから、下り坂で出るのは立ち直り力、いわば、根性。
才能に見合った仕事をするのは上り坂でのこと。
だから、本当の真価は上り坂で出るのではないでしょうか?
というより、下り坂に一旦はまりこんだ人間が、
反騰して、上り坂に戻ったとき、これが一番の見せ場でしょうね。
私の親友、ADさん、
企業の事情から、大阪支社から引き抜かれ、
東京本社に単身赴任を余儀なくされました。
本社は、そのまま本社に残ってもらって、活用したいという魂胆。
でも、妻子、自宅、そして写真を含めて生活のすべてを関西に残してきたADさん、
そうは問屋が参りません。
頑強に抵抗して、ついに4年後、大阪に返り咲きました。
そう、この男も、普通の出世屋さんとはぜんぜん異質の人間なのです。
その間、いわば人生の漂流状態に置かれた不安を彼がどう切り抜けたか?
それは写真を心の糧として生きることによってでした。
上京期間中、一度慰問に出かけたことがありました。
彼のマンションに泊まって、無理矢理、在京中のポジを見せてもらいました。
ルーペの中で、彼のポジたちが爆発しました。
信じがたいほど、彼の写真は変貌を遂げていたのです。
一皮剥けたなんて言葉がなまっちょろく思われるほど、劇的に。
休日になると、たった1人なのです。
そんな寂しさ、将来への不安の圧力にぐっと抵抗するため、
彼は、撮影に心を集中したのです。
火事場の馬鹿力ならぬ、逆境のど根性!
その結果、彼の精神エネルギーが写真に怒濤のように流れ込んだのではないでしょうか?
奈良に帰った彼は今、心をのびのびと開放させたのでしょうか?
信じがたいほどに見事な、正真正銘の写真家に成長しつつあります。
逆境を抜け出る努力が彼を磨いたことは事実です。
でも、彼の才能の真価は逆境を抜けた今発揮されつつあるのです。
私ごとに話を戻しますと、本日はその上り坂の写真たちです。
でも、上り坂を撮るからと言って、
お前の真価が発揮されているか、見てやろうじゃないか、
などと言われると、これは困ります。
なるほど、上り坂を登りつつありますが、
私自身はむしろもはや下り坂の人間なのですから。
でも、写真の場合一つ言えることは、
上り坂を撮る方が、下り坂を撮るよりずっとやさしいですね。

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# by Hologon158 | 2008-09-24 18:27 | ホロゴンデイ | Comments(2)

28.28ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」28 人は撮れるのに、自分は撮って欲しくない男の話


以前、カミソリを研ぎ澄ましたような切れ味で写真を撮る人が居ました。
プロではありません。
退職後写真を始めたのですが、実にシステマティックに学習したのです。
一こまごとに露出、シャッター速度を記録するのです。
ストロボを使ったときもそのデータを全部記録。
理詰めの写真作り、
結果も当然ながら、理詰めの傑作群。
実に立派です。
見るたびに、圧倒される思いでした。
世の中、凄い人がいるものだなあ!
でも、心の中でぜんぜん納得していませんでした。
だけど、なんでこんなに冷たいの?
なんで、こんなにこちらを突き放すの?
心に入り込み、心を温めてくれるのが本当の傑作じゃないの?
それなのに、なんでこんなにただの映像でしかないの?
この方が子供を撮る撮り方を聞いたことがあります。
飴を用意しておくそうです。
公園などで遊んでいる子供の中でこれはと思う子を物色。
さりげなく近づいて、一緒に遊ぶのです。
飴が当然子供のこころを溶かします。
30分くらい遊んで、十分にこちらになじんだなと確信すると、
やおらカメラを取り出して、あれこれ動きを注文して、撮影。
これを聞いてあきれました。
この人は、子供が可愛いから撮るのじゃないんだ。
ただの被写体としてしか見ていないんだ。
風景にせよスナップにせよ、この人は、ただの被写体を撮っているんだ。
だから、あんなに冷たい写真なんだ。
写真から、あたたかい心がぜんぜん伝わってこないのも当然。
心を写真に込めていなかったのです。
技術だけを写真に注ぎ込んだだけなのです。
私は、この10年余、必要がない限り、カメラ雑誌を見ません。
とてつもなく巧い写真家たちがどっさり居られるようです。
そんな写真家の傑作、名作で雑誌は埋められています。
でも、私には無縁。
心の底からいいなっと思っているものを撮っていない写真など、
ただの撮影法のお手本に過ぎません。
このことはずっと前から一度書きたかったことなのです。
でも、こう書いた後で、自写像をアップする?
いい度胸だよ、お前さん。
ご覧の皆さんに笑われてしまうかも知れませんね。
誤解のないようにお願いします。
この生涯に、私の顔が写っている写真、おそらく300枚を切るのではないでしょうか?
私自身は、家族写真として、自分の写真は一枚も保有していません。
記念撮影のときが来ると、逃げてしまう、そんな少年だったのです。
カメラに向かって視線を流し、にっこり笑える人が居ますね。
あなたもそうですか?
これって、私には信じられないような行為なのです。
私は一日中笑っている男ですが、
意識して笑いを浮かべるのは不可能。
写真の自分を見るのも大嫌い。
理由はあまり言いたくありません。
ところがですよ、ご覧になってお分かりのとおり、
私は順光でものがしっかりと照らし出されている情景を撮るのが好きなのです。
日が西に傾きますと、いきおい、自分の影が写ります。
最初は、撮らなかったのです。
でも、そんなことをしていたら、魅力的な壁が撮れない、
そうだ、影を撮っても、誰もぼくだとは分からないぞ、そう気づいたのです。
以来、自分の影だけはおそらく何百枚と保有する人間になってしまいました。
影を愛するようになってしまった男の話でした。

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# by Hologon158 | 2008-09-24 00:45 | ホロゴンデイ | Comments(2)

28.27ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」27 レトロな私のレトロな窓写真をご覧ください


常滑シリーズも後7回を残すのみとなりました。
結局、合計138枚と、ホロゴンデイ・シリーズとしては最大のものになりそうです。
どのブログでも、厳選された傑作で構成されているのに、
常滑のスキャン分415枚、内138枚も大挙出演するのですから、
私がホロゴンでどんなに気軽に撮っているか、お分かり頂けることと思います。
とはいえ、それが私の撮影スタイルなのです。
目的地に着く前から、ロボーグラフィのターゲットがどんどん見つかり、
歩きながら、ひょいひょい撮っていくわけです。
思考はもちろん停止しています。
つまり、論理的思考モードから感動モードに切り替わっているのです。
ブログの文章からお分かりでしょうけど、
私は、論理的思考よりも直観で動く人間なので、切り替えは実に簡単。
論理的思考には時間がかかりますが、
感動は一瞬。
だから、いっぱい撮れちゃいます。
今回は、窓周りの光景で気に入ったものを集めてみました。
一番好きな写真は、ミシンも見える縁側。
なんともレトロな足踏みミシン!
私の友人にミシンショップの経営者が居ます。
彼に見せたら、感動するでしょうね。
こんな形のミシン(おそらくシンガー)を彼が売ったのはいつのことでしょうね。
思えば、時代はどんどんと変わり、
今では、すべてのマシーンがコンピューター制御に取って代わられた感じがします。
カメラさえも、今では、精巧な機械製品から電気製品に転落してしまったのですから。
(これは私の主観、「革新」「進化」と考える方の方が多いでしょうね。
500分の1秒から16000分の1秒になったんだから、当然じゃないか!)
常滑では、おそらくレトロな前時代的製品の愛用者が多いのでしょう。
ミシンの持ち主も私もいずれ時代に取り残され、押し流されてしまうのでしょう。
でも、コンピューター製品の激流に押し流されるのであれば、
溺れる私としては、藁ならぬホロゴンウルトラワイドを
右手につかみながら流されてゆくことにしましょう。
どうして右手か?
左手にはローライ3.5Eをつかんでいるからです。

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# by Hologon158 | 2008-09-23 21:07 | ホロゴンデイ | Comments(6)

28.26ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」26 僕は今人類史の先端にいるのだ!


ブログに着手してはじめて分かったことですが、
ブログを発表の場とする写真家が数知れず居られるのですね。
写真展、コンテスト位しか発表の場がなかった以前なら、
プロ、アマの写真家たちと素人との間には超えがたい溝がありました。
でも、ブログが登場して、
私のような素人でも、自分の写真を外部に発表できるのです。
私はよそのブログを自分から飛び回ることはいたしません。
時間がないので。
でも、こちらにおいで頂いた方のブログは一応お伺いすることにしています。
そうして見て、いやあ、驚きました。
おいでになる方、おいでになる方、みなさん、
私の写真なんか恥ずかしくなるような見事な写真をずらりと並べておいでになるではありませんか!
写真は今、一種のルネサンスを迎えつつあるのかも知れませんね。
ブログを発表の場にしている写真家の皆さんを拝見していて、
従来型のプロ、アマ写真家とはちょっと毛色の違った方が多いことが分かりました。
数え切れないほどの数の名レンズを次々と登場させるクラシックカメラ・フリークの方、
自分の生活のなかで撮った写真を日記風に構成して出している、生活派、等々。
そんななかで、私のブログに存在価値があるのでしょうか?
そう自分に問いかけて、ただちに、回答が浮かびました。
そうだ、この人たちもぼくも一緒なのだ!
ブログとして発表する価値があるかどうかなんて、誰も気にしてやしない。
誰かが見に来るかどうかだって、気にしてやしない。
ブログを作ることが楽しいのだ。
つまり、新種の創造行為なのです。
これまでも気楽でしたが、
そう考えると、なお一層気楽になりました。
そうなんだ!
ぼくは、今、ここで、人類がまったく知らなかった、
想像もできなかった、新しいことをしているのだ!
観衆の来訪、鑑賞、反応を予期、予測、期待しないで、
表現行為をするという、新種の表現行為!
誰一人訪問、アクセスする人がなくても、平気です。
自分という観衆がちゃんと居ます。
自分の表現をブログ上に積み重ねることによって、
自分自身、楽しみ、学び、成長することができるのです。
ついでに、ボーナスも待っているわけです。
誰かが突然訪問してくれるのです。
ドアをノック、ノック、ではなくて、
コメント、コメント…
「待ってました、いらっしゃい!」
うーん、こんな風に考えると、ますます楽しくなってきますね。
(これ、誰も読まないかもしれないのだから、よく考えると、
寂しい人なのかも知れませんね、私)
さて、もう一度、常滑の人々にご登場願いましょう。
ホロゴン15mmF8の悲しさ、
ほぼ60センチ程度に接近しないと、写真になりません。
人物の場合、なかなか難しい距離です。
でも、腰だめに保持しているので、心理的抵抗はほとんどありません。
今回の写真では、犬君とその同伴者(若い女性)だけが、
私の撮影に気づきました。
犬君にはにっこりと笑いかけ、
女性には「こんにちは」と挨拶して、切り抜けました。
その逆ができたら、私の人生言うことなしなのですが、
とんと女性にはもてない私、
女性に対してにっこりで勝負する勇気はついに出ず。

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# by Hologon158 | 2008-09-23 19:10 | ホロゴンデイ | Comments(0)

28.25ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」25 よしや愛憐の夢は儚くとも


美しい言葉を見つけました。
尾久彰三さんの「丸ごと韓国骨董ばなし」(バジリコ発行)。
骨董趣味はありません。
お金がないので。
でも、数奇者たちの文章を読むのは好きです。
美への憧れに満ちているからです。
尾久さん、尾崎士郎の言葉を引用しています。

「去る日は楽しく、来る日もまた楽し。
よしや愛憐の夢は儚くとも、
青春の志に湧きたつ若者の胸は曇るべからず」

この言葉を読んで、じんときてしまいました。
いやあ、もう遙か前に若者でなくなってしまったなあ!
でも、私は成長することを好まない人間なのです。
だから、ついに大成も老成もすることなく、
現在もまだ子供っぽい思考、子供っぽい行動に終始して、
あっちこっちの路地裏をうろちょろしている有様。
「青春の志」はまさに夢となってしまいました。
でも、この胸を曇らせることのないままに生きてゆきたいものです。
私がその方策として考えたのは、たった一つ。
美しいものだけを見つめて生きていこう!
それなのに、なんだ?
汚いものばかり撮ってるじゃないの?
そうおっしゃる方がおいでになるかもしれません。
とくに今回の写真たちなど、なんですか、これ?
でも、よーく見ていただきたいのです。
みんな、路地裏の片隅で精一杯がんばっているじゃありませんか?
路地裏で、富も地位も名声もないみなさんが大事に使っているものたち、
そんな持ち主の虚飾のない心がここに見えてきませんか?
私の撮りたいロボーグラフィって、こういうものたちなのです。
私にこれらのものたち、人たちの心が全部見えてると豪語するつもりはありません。
写真にこれらのものたち、人たちの心を写し込む自信はさらにありません。
でも、これらのものたちと出会って、
ぐっと心に来るものを感じた、その瞬間の記憶だけは残したいのです。
それが私の現在の「志」と言えそうです。
そうすれば、「去る日は楽しく、来る日もまた楽し」と言えるかも?

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# by Hologon158 | 2008-09-23 15:44 | ホロゴンデイ | Comments(0)

28.24ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」24 この陶管たちを等閑視するのは難しい


また、ライトモチーフが戻ってきました。
擁壁を担う陶管たち、それぞれに不敵の面構えではありませんか?
彼らの面つきを見ていて思い出したのですが、
古墳には埴輪が置かれたようです。
そんな埴輪の中には、この擁壁の陶管に似た管もあったようです。
彼らも、古墳の法面をしっかりと支える役割を担っていたのではないでしょうか?
4枚目をご覧頂いたら分かりますが、
そんな陶管の下支えをしている陶管が地中に埋まっています。
天空を支えていた巨人アトラスも、
ヘラクレスの持ち帰ったメデゥーサの首によって石と化した後、
こんな面構えに変身したのではないでしょうか?
でも、私の好みは草で身を飾った陶管たち。
なかなかオシャレじゃございませんか?
でも、草たちは見返りに陶管を土に変えつつあるかも?
世の一部の女性と同様、
ひょっとしたら、オシャレが身を滅ぼすかも知れませんね。

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# by Hologon158 | 2008-09-23 13:24 | ホロゴンデイ | Comments(2)

28.23ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」23 曲がり角、エポケー、美しい言葉ですね


人生でも写真でも曲がり角が正念場ですね。
曲がり角のどちらに向かうか?
どちらの方向も、今この場からは見通すことができません。
右に行くのか、
左に行くのか、
引っ返すのか?
どちらにせよ、時が背後から押してきます、
立ち止まるわけにはいきません。
一旦選択すると、やり直すことはできません。
さあ、どうするか?
でも、私の経験を総合しますと、
どっちでもよいのです。
なぜって、そこを曲がるとどうなるか?
曲がってみなければわからないのですから。
そして、曲がってみても、まだ分かりません。
その道はまた次の曲がり角につながり、
曲がり曲がって、どこに行き着くか、
それは自分次第、運命次第なのですから。
別の方向にまがっていたら?
そんなことを考えるのは、まったくの時間の無駄。
考えても意味のないことは考えない、
人生を進めるために、人生に有害なものは棚上げする、
それをエポケー(判断停止)というようですね。
エポケー
美しい言葉です。
そして、美しい行動です。
自分の選択を100%信じたいものです。
人生でも写真でも、
私は、曲がり角を曲がって、
驚くべき人たち、ものたち、そして場所にどっさり出会ってきました、
そして、今、出会いつつあります。
そんな出会いが私という人間を作り上げているのです。
ただ、ただ、感謝あるのみ。

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# by Hologon158 | 2008-09-23 10:23 | ホロゴンデイ | Comments(2)

28.22ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」22 陶器に人類の未来を見てみたい


法隆寺の宮大工の聞き書きの中で、
小川三夫氏がこう語っているのを見つけました、
「道具というのは不思議なもんで、丁寧に丁寧に使っていると、
道具がそれに応えてくれるようになる。
道具は自分の手の分身やから、
毎日使っているうちに、
道具から魂みたいなものが伝わってくるようになるんだな。」
名人がすぐれた道具を毎日使っていて初めて言える言葉、
そう考えるべきで、私たち日曜写真家には無縁の境地です。
でも、だからと言って、無視できる言葉ではなさそうです。
カメラとレンズという道具は心を表現するものなのですから、
大工道具とはまた違ったアプローチがあるはず。
情景は心に伝わり、
その心の印象がレンズを通して、
フィルムに定着される、
これがカメラのメカニズム。
こう考えると、小川氏にならって、こう言うべきでしょう。
カメラとレンズを心から愛し、心から信頼して付き合うと、
それに応えてくれる、と。
陶器だって、そうかも知れません。
手作りの陶器には、ろくろを回す陶工の手と心の形が印象されます。
陶器の肌と形が人肌のあたたかみを覚えているのです。
そのような道具は、使う人がこれを愛して使いさえすれば、
その心にさえも感応し、応えてくれるかも知れません。
常滑には、陶器の町ならではの大甕が所々に置かれています。
どうやって作ったのでしょうか?
その存在感にはただならぬものを感じます。
ちょっと強引ですが、想像してみましょう。
いつか、現代の機械文明が破綻してしまったとき、
陶器に、中心的な生活具としての出番が回ってくるのではないでしょうか?
私たちは今、知らずして、機械語で思考し、ものを機能として把握しています。
心は冷え、周りの存在をつねに機械ととらえ、突き放しています。
陶器語で思考するようになれば、ひょっとすると、
ものを存在として、人間の友として把握できるようになるかも知れません。
そうなったら、
もっともっとあたたかい心の文化が花開くのではないでしょうか?

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# by Hologon158 | 2008-09-23 00:17 | ホロゴンデイ | Comments(2)

28.21ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」21 入江泰吉の戒壇院広目天像に思う


本日、書店で一冊の写真集を手に入れました。
「入江泰吉の世界 やまと余情」
(奈良市写真美術館編・発行、光村推古書院発売、2400円)
風景を撮って、そこに古代の気配を感じさせる、稀有の写真家ですが、
すでに彼の風景写真集は持っています。
それでもなお手に入れたのは、その11頁、
「東大寺戒壇院広目天像」故。
広目天の顔だけをアップにした正面像。
この像は、世界中の彫刻のなかで知的な容貌を見事に表現した白眉と私は考えるのですが、
その眼光の鋭いこと、これに仰天したのです。
入江泰吉のフレーミング、ライティングがこの眼光を惹きだしたことは明らか。
広目天の眼光の鋭さは、
入江泰吉の眼力の凄さを立証しています。
この作品のように、写真の中から、
撮影者の眼光が、意志力が、エネルギーが、
ぐいぐいと押し出してくるような、いわば「強い作品」が時々あります。
なぜそんなに強い作品が撮れるのだろうか?
まった不思議でなりません。
ただのメカニズムの所産であるはずの写真に精神が写り込んでいるのです。
私は素人ですから、そのような写真を撮りたいというのでけっしてないのです。
そうではなくて、写真のもつ可能性のはるか高みを下から仰ぎ見て、
写真って、凄い可能性を秘めたメカニズムなんだなあ、
でも、そのメカニズムを発動させて、立派な芸術作品を作り出すのは、
常に人間なのだなあと、讃歎の声をあげているのです。
このような高みから、私のレベルに下降しますと、
やっぱり妻が言うように、ぼくって、
最初にぶつかった壁をまだ超えてないのかな、という疑いがもたげてきます。
でも、その壁には窓がついているようですよ。
本日は、私の壁についた窓たちを紹介させていただきましょう。
この窓たち、向こうをまったくのぞけないものばかりなのですが、
逆に、写真の中から、誰かがこちらを見ているかも知れませんね。
馬鹿面と思われぬよう、お互い気をつけましょうね。

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# by Hologon158 | 2008-09-22 21:23 | ホロゴンデイ | Comments(0)

28.20ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」20 用の美も古びることでさらに芸術性を深め?


私が写真を始めたのは、遠く宮崎の地ででした。
「写壇はにわ」という素敵な名前の写真クラブに入会しました。
リーダーの会長OT先生さんは、中学校の校長を務める、明朗快活な写真家。
あたたかで包容力のある人柄で、
若いメンバーたちをしっかりと統率し、
巧みに指導してくれる人物です。
今でもお元気で、当時のメンバーも数人残っています。
みんな若いときから写真を趣味にしてきた人間ですから、
いつ宮崎に戻っても、昨日別れたかのように歓迎してくれ、
写真のことを語り合えます。
私はこの会長やメンバーから写真のことを学んだのです。
そのメンバーの一人IMさんなど、実に豪快です。
自動露出のないマニュアル機を使っていた時代のことです。
朝、露出とシャッター速度を設定します。
すると、夕方までそのまま。
「心配ないよ、これで全部撮れるよ」
いささか乱暴で、ここまで真似はできませんが、
その基本的姿勢は一本筋が通っています。
写真を撮るとき、カメラ操作に心をわずらわしたくない!
九州男児らしい、この思い切りの良さが忘れられません。
私も大和男児です、負けてはいられません。
感じたら、撮れ!
これで通してきました。
常滑の路地裏の家回りでも感じました。
生活上施されたり置かれたりしているものが、
時間とともに、次第にその場にしっかりと融けこみ、
リズムを刻みはじめ、
たくまずして造形美術と化してゆきます。
すべてのものがそうなるというわけではありません。
ほとんどのものは速やかにガラクタ化してしまいます。
やはりどこかでなんらかのセンスのある人間、
たいていは施工者と家の持ち主でしょうが、
なにも芸術するつもりではなくて、巧みに手を入れることによって、
あるものだけが造形美術的存在に昇格するようです。
と、まあ、私がかってに考えているのですが、
いかがでしょうか?

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# by Hologon158 | 2008-09-22 19:22 | ホロゴンデイ | Comments(0)

28.19ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」19 車にも働く時あり、休む時あり


飛鳥稲淵の棚田に咲く彼岸花の撮影。
たくさんの風景写真家がさまざまなシーンを撮影しています。
それぞれに彼岸花や案山子の前に立ち、あるいはしゃがみこみ、
じっと対象を見つめて、しばし沈思黙考の体。
本当は、そんな撮影方法こそ正しいのでしょう。
でも、そんな姿を見ると、もどかしくて仕方がないのです。
なんで考えてるの?
なにを考えてるの?
考える暇があったら、パッと撮ったらいいじゃないの?
考えれば考えるほど、鮮度を損なうよ。
こんな風に思ってしまうのです。
だから、私は、
撮りたいものがあったら、さっと近づいて、
腰あたりの高さでホロゴンをさっと突き出し、
パッと撮る!
撮りなおしは、原則として、しない。
何枚撮っても、1枚目以上に撮れることはめったにないのだから。
ファインダーを使うローライ3.5Eでも同様です。
撮りたい距離にローライ3.5Eを構えて、
ファインダーでポイントにさっとピントを合わせ、
パッと撮る。
私の場合、名画、名作を創らなければなどという娑婆っ気がないから、
こんな風に気楽に撮れるのかも知れません。
でも、本質的に写真ってそうなんじゃないですか?
写真には鮮度がある!
一瞬にして対象を捉える、それが写真の特質だ。
私はそう感じるのです。
ノーシンキング。
考えたら、だめ!
感じなきゃ!
私はいつもそう考えて撮ってきました。
でも、実は、たくさん撮ってしまう被写体があります。
廃車。
廃車を見ると、いつも勇者の亡骸を想います。
過去、高速道路を颯爽と疾走していたのに、
今、この道端にうずくまって、わずか1mmだって動くことができない。
哀れです。
だけど、いつもそうなのですが、よく見ますと、
どこか「わがこと成れり」といわんばかりの落ち着きと、
もう疲れたよ、
このあたりで隠退させてもらおうじゃないのといわんばかりの諦観とが、
車に独特の威厳と存在感を与えています。
そんな威厳と存在感を写真に撮るのは難しいものです。
だから、原則を破って、幾枚も撮ることにしています。
というより、幾枚も撮ることに喜びを感じるのです。
そんなときも、けっして思考は働かせません。
そうではなく、「群盲象を撫でる」のたとえどおり、
ノーファインダーのホロゴンで、車を撫でるように走査するのです。
そして、心の中で静かに目礼して去る、
それが、勇者への手向けというものではないでしょうか?

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# by Hologon158 | 2008-09-22 15:33 | ホロゴンデイ | Comments(2)

28.18ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」18 時の流れは人もものも変えてしまうらしい


今日、飛鳥で7,8年前まで写真の勉強会をやっていた友人と出会いました。
たった3人で、月1回写真を持ち寄って、プロジェクターで投影して、
互いに論評しあって、勉強していたのです。
私より格段に巧い人たちの写真を見ることができ、
大変に勉強になりました。
一昨年は、その1人とやはり稲淵で出会ったのですが、
その女性、全国的な写真クラブの奈良県本部委員を務め、
まさに会員を指導中でした。
残るもう1人(男性)と、2年後の今日、
奇しくも同じ稲淵で出会ったわけですが、
見ると、カメラなしの手ぶら。
近ごろは、写真は撮らず、奥さんと旅行ばかりしているとのこと。
1人(私)は、写真クラブなるものに嫌気がさし、
アマチュア写真界とは縁を切って、ど素人になり、
1人は写真の先生に昇格し、
1人は写真を止めしまう。
てんでばらばらになってしまいました。
ちょっと寂しいですね。
そんなわけで、今回の主題は、時の流れに流されて風化するものたち。
かつてはピカピカだった常滑焼きの自販機は薄汚れ、
交通標識はうら錆びれて、道ばたでへの字口となり、
換気ダクトは、針金で必至に食い止めていますが、今にも折れてしまいそう。
そして、2人のコーンは無粋な巌と標識とに隔てられ…

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# by Hologon158 | 2008-09-22 00:25 | ホロゴンデイ | Comments(2)

28.17ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」17 飛鳥の曼珠沙華に酔いしれた後、常滑の壁に飛び


半時間前に帰宅しました。
撮影の興奮と生ビールでちょっと酔った勢いで、
本日は6枚一挙掲載します。
奈良の南部、飛鳥に稲淵という部落があります。
素敵な棚田があって、毎年この時期に案山子祭りが開催されます。
折りから曼珠沙華のシーズン。
この2つが楽しみで毎年訪れます。
でも、今年は驚きました。
沿道、不法駐車の車両の列。
棚田には観光客の群れ。
飛鳥を舞台とするテレビドラマが放映されたとかで、
どっと人が押し寄せたらしいのです。
常に人気のない路地を歩いている私たちです。
面くらって、棚田を避け、稲淵の部落をまず探索しました。
結果的に、これが大成功。
ありきたりの棚田と曼珠沙華と案山子のトリオではなく、
もっとつつましい初秋風景が撮れました。
いやあ、楽しい一日でした。
同行は、ヘリアー105mmF4.5改造レンズを付けたペンタックス6×4.5と、
ホロゴン16mmF8付きコンタックスG2を武器とするARさん、
エルマリート28 mmF 2.8付きライカM3と、
マクロスイター50 mmF 2付きアルパ9dを武器とするADさん、
いずれ劣らぬクラシックカメラ・フリークの一行。
私は、先週に引き続き、久しぶりにファインダーをのぞきながらの
ローライ3.5E撮影の醍醐味を満喫しました。
でも、やっぱり本腰を入れての撮影はホロゴンウルトラワイド。
もっとも、例のとおり、ノーファインダーですが。
午後3時、空模様が猛烈に怪しくなってきましたので、
稲淵を離れて、飛鳥の中心、石舞台に移動しました。
この石舞台の近くまで来たとき、
まるで日食のように、あたりは不吉な闇に包まれました。
そして、突然雷鳴、経験したことがないほど猛烈な驟雨が襲いかかってきました。
運良く、今晩開催する予定の、草地公園に設定された舞台に逃げこみました。
泳げるほどの、横殴りの雷雨が続き、
出演予定者たちが心配そうに雨を見守ります。
その後ろ姿があんまりかわいそうなので、
数枚、撮影させていただきました。
(このあたり、論旨に矛盾あり?)
20分ばかり雨宿り。
後で、同行者から笑われました。
「撮れるはずがない位暗い状態で、
雨の光景をホロゴンでずっと撮り続けていた人が一人いますね」
私の本日の収穫は、メインのホロゴンで7本、サブのローライ3.5Eで6本。
この部落でも、壁を随分撮りました。
私は、人生でも写真でも、常に壁にぶつかって停止しちゃう運命にあるようです。
ホロゴンという壁にぶつかって12年間、ずっと停止したまま、
私の停止も気合いが入っているようです。
そこで、常滑で撮った壁を一挙掲載することにしました。
しばらく前に描きましたように、私は写真で絵を描きたい一人。
壁は絶好のカンバスなのです。
描く絵は大体において抽象画。
経年変化により自然に発生した加齢現象と私の合作でしょうか?

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# by Hologon158 | 2008-09-21 22:21 | ホロゴンデイ | Comments(0)

28.16ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」16  煉瓦道からメタモル派の皆さんへのメッセージ


写真を撮る方には、大別して、3種類あるようです。
まず、リアル派。
写真は、文字通り「真実を写す」べきものであると信じている人。
次に、メタモル派。
写真は、現実を美しく変容してくれるものであり、
写真は夢である、そう信じている人。
最後に、上記2派を行ったり来たりしているメタリアル派。
私は、完全無垢なるメタモル派。
おっと無垢は言い過ぎ。
濃度だけは軽く調整します。
もともとフィルムはすべてマイナス1.5から2に仕上がっています。
ホロゴンウルトラワイドは露出計のないカメラなので、
脳内露出計そのものをそのように調整ずみだからです。
でも、いくら何でも写真的に暗すぎと思われるようなときに、
ほんの少し明るくして、写真全体の濃度を一定に保っています。
私は、自分のネガの実景をすべて記憶しています。
その実景よりも常にデモーニッシュ(魔的)に、
常にドゥリーミー(夢幻的)に仕上げてくれるのが、
ホロゴン15mmF8。
私はそう信じて、12年間ひたすらホロゴンを愛してきましたし、
ホロゴンも、私の愛にこたえて、
常にリアリティをメタモルフォーズしてきてくれたのです。
本日の煉瓦道もそうでした。
現場は、ただの暗い、ぼんやりとして人気のない倉庫内を車が抜ける通路。
それがホロゴンの手にかかると、
どこか異空間の香りが漂うようになるのですから、不思議。
3枚目の丘の上からの景色も、
太陽が燦々と降り注ぐ下界から、
この丘だけが暗く寂しく切り離されているようです。
でも、私の一番のお気に入りは2枚目。
こんな写真をプレゼントしてくれるたびに、
ホロゴンに対するいとおしさは、さらにさらに高まるのです。
私のブログにはまさにほんの一握りの方がおいで頂きます。
エキサイトは、アクセスされた実人数をカウントするのでわかるのですが、
ブログをはじめてから、毎日アップダウンはありますが、
平均数において、終始70名弱の方がおいでになっているだけ。
まさにコンスタント。
要するに、当ブログ、成長株ではないわけですが、
そのあたりもホロゴンに似合っています。
そこで推測するのですが、この方々、写真を撮る方も撮らない方も、
みんな多かれ少なかれメタモル派なんじゃないでしょうか?
いかがです?
図星でしょ?

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# by Hologon158 | 2008-09-21 00:42 | ホロゴンデイ | Comments(4)

28.16ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」16 ブルーの管擁壁に憂愁を見るなんて、どういう人?


常滑の陶器の擁壁、
それぞれに美しいのですが、
私は今回のブルー管の擁壁が一番お気に入りです。
どこか憂愁の気配を漂わせ、
しんと静まりかえっています。
厳密に言いますと、内2つは擁壁ではなく、ただの堆積。
でも、細かいことは言いっこなし。
時間の経過が管に綿密に刻み込まれています。
絵でこれを描こうとしたら、実に長時間の労苦を要することでしょう。
写真、万歳! ですね。

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# by Hologon158 | 2008-09-20 21:03 | ホロゴンデイ | Comments(4)

28.15ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」15 素敵な写真家が今も飛び立ってゆく


若手写真家のホープ、澤田勝行さんから案内の葉書を頂きました。
東京コニカミノルタプラザで、10月21日(火)から30日(木)まで、
写真展「風の棲む街へ」を開催します。
私が彼に初めて会ったのは、2004年富士フォトサロン。
大阪芸大の卒業制作展だったと思います。
若者らしい、新鮮溌剌とした実験的な作品が並ぶ中、
一番大きな壁面を占めていたのは、
「風の唄」、
瀬戸内海の島々で撮った十数枚の連作でした。
明らかにローライ(それもテッサー)で撮ったと思われる、
スクエアのモノクローム。
私の頬をさっとかすめて、涼風がさっと通り抜けていった、
そんな印象の作品でした。
その前に置かれた卓上に数十枚のプリントを収めたポートフォリオ。
これも拝見して、この人はただ者ではない、そう確信しました。
さいわい彼自身が居ました。
話してみると、この作品の雰囲気をそのまま人間にしたような、
質朴で、謙虚で、思慮深い、まさに爽やかな好青年。
この人は、絶対に立派な写真家になる、いや、もうなっている、
私は確信しました。
その年、彼はその連作で富士フォトサロン新人賞に応募し、
見事、最年少で受賞してしまいました。
審査員(坂田 栄一郎)の評が素敵です。
「写真家は五体を吹き抜ける涼風に身を委ね、
出会いに胸をときめかせながら彷徨う。
人々、風景、ものたちを清浄無垢な心が捕える。
一枚一枚の写真から伝わってくる体温、呼吸、鼓動が、
見る人の心を揺さぶり、
心の奥底に染みわたる。
彼は心で写真と向い合っているのだ」
ほんとうに、この言葉どおりの作品を撮る写真家なのです。
私は、正直に申し上げますが、現代の今をときめく写真家たちの写真、
まったく理解もできず、評価もできません。
その写真の裏にある写真家の人間像にもまったく魅力が感じられないのです。
つまり、共感するところがぜんぜん見つからない。
でも、私にも共感でき感動できる写真を撮る写真家がいる、
そう分かったことは大きな喜びでした。
東京近辺に在住の写真愛好家の皆さんには、是非おいでになってください。
私同様、おいでになれない方は、
アサヒカメラ10月号に掲載されます。
ご覧になってください。
このような写真家を紹介しますと、
自分のことはとても書く気になれませんね。
まあ、写真をざっとご覧ください。
おっと、見なくても別にいいですよ。
常滑の路地光景です。

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# by Hologon158 | 2008-09-20 18:06 | ホロゴンデイ | Comments(0)

28.14ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」14 常滑は、小物もなかなか面白いね


結局、私は写真を絵画の代用にしているのかも知れません。
というのは、写真を撮りながら、
リファレンスとして絶えず見ているのは絵画なのですから。
一般的に愛好されている写真は、
ニュートラルであっさりとリアリティを出したものようです。
私は違います。
レンズも、絵画的な厚みと重厚な色再現のできるものを使ってきました。
いわばツァイス系。
ホロゴンやビオゴンはその極致なのですが、
だからと言って、絵画的表現がそのままできるわけでもなし、
あくまでも写真的表現を目指すべきであることは明らかです。
でも、性懲りもなく、絵画的表現を追い求めてしまう私。
近ごろ、佐伯祐三に仰天したことをきっかけに、
ホロゴンで油絵的表現ができないだろうか、などと妄想。
もちろんフォトショップなどで加工するのではありませんよ。
加工は邪道、そう固く信じている私なのですから。
油絵の特質は、どうやら、
絵の具を重層的に重ねることによって、
カンバス上に立体的な構造を作り出し、
二次元的なカンバスを実在感のある空間に変幻させることにありそうです。
その際、塗り重ねられていく内に沈み込む底層までもが、
いわば建築的な構造物として、絵に重厚な迫力、迫真力を与えるのですから、
平面的な画質から立体表現を求める水彩画や写真とはまったく異なる表現方法。
だから、一朝一夕には、というよりは、いくらがんばっても、
写真で絵画の真似ができようとは思いません。
でも、これからもちょっと気にかけておきたいのです。
ここ、常滑の写真たちは、どちらかと言うと、油絵的印象があるかも知れません。
いわば、ざっくりとした印象を大づかみに切り取った感じ。
これまさしくホロゴン15mmF8自体の特質。
もっとシャープで精密な超広角レンズが欲しければ、
選択肢はもっと現代的な超広角に傾くはず。
私は、古いタイプのレンズに固執して、
オールドファッションの写真を撮ることにいたします。
ひょっとしたら、いつか油絵のような写真が撮れないとも限りません。


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# by Hologon158 | 2008-09-20 15:58 | ホロゴンデイ | Comments(0)

28.13ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」13 撮っている私が奇妙なんで、車も奇妙に?


土曜日、
12に書きました理由で、撮影は取りやめたのですが、
さすがにちょっともの足りませんね。
私のように、いわば日曜写真を愉しむ素人でも、
シャッターの音を聞く喜びは格別です。
というより、毎日カメラで仕事をするプロと違って、
私のような素人こそ、カメラを操作する喜びは大きいのでしょう。
でも、せいぜい1週間に1回では、カメラに熟練するわけにはいきませんね。
前になにかの本で読みましたが、
篠山紀信さんなど、ストリートフォトを撮りに出ると、
100本単位で撮られるそうです。
私など、せいぜい10本前後なのですから、
天才が撮る100本の中には、
私たちが想像もつかないほど見事な写真が続々並んでいることでしょう。
(こう書きますと、妻はきっと怒ります、「写真は数じゃないの!」
でも、私は、写真はある程度数だと信じています。
下手の鉄砲数撃ちゃ当たる、ですよ)
そんな風に考えますと、
篠山紀信、森山大道、荒木経惟といった大写真家たちが常滑に来たら、
どんな写真を撮るか、想像したくなります。
一つ言えることは、どなたがお撮りになっても、
まったく別の写真世界が出現することでしょうね。
たとえ同じカメラ、同じレンズでも、そうでしょう。
たとえば、ダ・ヴィンチとミケランジェロとラファエロが
同じ女性を描いても、
それぞれにダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロであるように。
でも、私たち素人だって、多かれ少なかれ、同様かも知れません。
写真を撮るということは、自分の精神をフィルムに定着することなのでしょう。
こんなものが好きなのです、つまり、こんなものが好きなのが私なのです、
写真はそう物語るのですから。
常滑で撮った車の写真3枚。
そうです、
これが私なのですね。

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# by Hologon158 | 2008-09-20 12:25 | ホロゴンデイ | Comments(0)

28.12ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」12 なぜこんな風に家を彩色したんだろうな?


秋、彼岸花の季節になりますと、
風景写真とは縁がない私も、やっぱり彼岸花に挨拶に出かけます。
昔は、あまりよく言われなかった曼珠沙華ですが、
空に向かって細い葉を突き上げる姿は、
凛々しく優雅で、健気。
そのうえ、私の大好きな真紅なのですから、
この花は私の大のお気に入りなのです。
そこで、土曜日の今日、出かける予定にしていたのですが、
お目当ての飛鳥の彼岸花はまだ咲き始めたばかりという情報、
それに仲間のDAさんの都合もあって、明日に順延。
本日は、ブログとじっくりお付き合いすることにしました。
もっとも、彼岸花をまともに撮るわけではないのです。
彼岸花に挨拶をしながら、
飛鳥の野に路地にひっそり隠れているなにかを発掘したいというわけです。
彼岸花の写真でしたら、私なんか及びもつかない見事な写真を撮るご夫妻がいます。
今朝、Saltyfishさんのブログで目も醒めるような美しい彼岸花を見ました。
http://plaza.rakuten.co.jp/saltyfish/diary/200809190002/
是非、ご覧ください。
私の方は、あいかわらず常滑の暗い路地をうろうろしています。
なにしろ2005年12月17日常滑で撮った写真たちから140枚ばかり掲載予定。
どんどん消化しないと、写真たちが黙っていないので、忙しいのです。
常滑の路地を歩いていて、彩色された家屋にぶつかり、ぎょっとしました。
こんな彩色は、日本の一般家屋としてははじめて。
サイケデリックで、一見、奇矯としか言いようのない異様さなのですが、
ホロゴンで撮ると、絵になりました。
でも、その色彩をじっと見ていますと、
心を暗くする束縛から逃げ出したい、
そんな願望が浮かび上がってくるようです。
これをお書きになった方、いろいろ心に悩みを抱えておられるのでは?
そんな風に感じられるのですが…

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# by Hologon158 | 2008-09-20 10:37 | ホロゴンデイ | Comments(0)

28.11ホロゴンデイ9「2005年12月17日の陶器町常滑」11 朝市って、なぜか人を喜ばせるらしいね


到着したのは何時だったでしょうか?
もう朝というより昼に近い時刻だったことは間違いがありません。
でも、市がまだ続いていたのです。
誰も昼市なんて言いませんから、これも朝市なのでしょう。
随分前に、生まれて初めて海外に出て、
アテネのフリーマーケットに飛び込んで以来、
数知れないフリーマーケットを歩いてきました。
一番面白いのは、京都の東寺境内で毎月21日に開催される弘法市。
千店を超える店が出て、平均20万人が訪れるという桁外れの市です。
たくさんのカメラマンがライフワークにしているようです。
でも、人とは違う写真を撮らなくてはならない使命を担うカメラマンたち、
ときには店主の鼻先でとんでもなく厚かましい撮影ぶりを見せるようです。
露天のご主人たち、物を売りに来ているのに、
買わずに、写真だけ撮って言ってしまう写真家たちに段々業を煮やしているようです。
おかげで、近ごろ、撮りにくくなりました。
一番バイタリティに満ちていたのは台北のストリートマーケット。
押すな押すななんてもんじゃありません、まるで戦争でした。
こんなとき、超接近戦にもってこいなのがホロゴン。
台北ではいくつものストリートで数知れず写真を撮りました。
そのうち見ていただきます。
常滑の朝市は大変に慎ましいものです。
それだけに撮りにくいところがあります。
お見せできるのはたった3枚だけなのですから、
ホロゴンもちょっと肩身が狭い表情ですね。

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# by Hologon158 | 2008-09-20 00:04 | ホロゴンデイ | Comments(2)