わが友ホロゴン・わが夢タンバール

759.00 美との対話10「2018年12月9日モジリアニも螺旋が好きだったみたい」



前回のケルト紋様の話題をつないでみましょう。
今回はモジリアニと対話してみました。

ずらりとマックの画面に並べてみて、感じました。
モジリアニはわざと歪めているんじゃないんだ!
ケルトの螺旋紋様と同じく、螺旋を描く命の線なんだ!
奇をてらって、わざわざ歪めたのではないのです。
モデルと対峙して筆を進めてゆくと、
気がついたら、命のエネルギーが立ち上る気を感じて、
その上昇線に合わせて生き生きと筆を走らせてゆくと、
こんな絵になった、ということではないでしょうか?

私はモデルとなる人物を前にして絵を描いた、
という体験を持っていません。
でも、かってに想像するのですが、
もしモデルさんがなにかの事情で完全に気落ちしていたら、
絵なんか描けないでしょう。
もしモデルさんが絶望のあまり滂沱と涙を流していたら、
やっぱり、絵なんか描けないでしょう。

昔、まだカメラ雑誌を見ていたころのことです。
月例の特選作品にとんでもないものがありました。
と言っても、私がそう思うだけで、選者は大きく買っていたようです。
ネオンの巷の壁にもたれているらしい青年の顔の大写し。
バックにはネオンがボケて、青年の顔は種々の色で浮かび上がっています。
青年の目からまさに滂沱と涙が流れ落ち、頬をすっかり濡らしています。
涙にもネオンが映って、色とりどり。
失恋の絶望でしょうか?
哀れを通り越して、悲惨に近い感情の表現!

でも、見た瞬間、感じました。
これはフェイクだ!
真実、道ばたでこんな青年を見つけたら、
あなた、撮りますか?
当時はまだ誰もズームなど使わず、
望遠も300ミリなど使わない時代でしたから、
せいぜい200か180の望遠でしょう。
まじかに接近してしゃがみこみ、望遠レンズを向けて
顔だけ大きくクローズアップしたりしますか?
できませんね。

親しい友人でない限り、気づいた振りなど見せず、
まして、接近して写真など撮りませんね。

そして、もう1つの疑問。
そんな人物に出会ったことがありますか?
私はありません。
涙を流している青年など、遠くからでも見たことがありません。

瞬間的に感じたことは、これは完全なやらせだ!
そんなものに特選を与えますか?
これは私の特殊な考えかたかも知れません。
でも、写真雑誌にはあきらかな「やらせ」写真が横行しています。
私には「やらせ」はただちに分かりますし、
そんな写真を高く評価することもありません。
写真を初めてから今まで、その気持ちは変りません。

実のところ、そんな感じ方はプロの写真家、
写真芸術家の作品にも同様に感じてしまいます。
ドアノーのパリの街頭風景はとても温かい雰囲気ですが、
カルティエ=ブレッソンより高く評価する気持ちになったことはありません。
結局「やらせ」臭を嗅ぎ取ると、どんなに気持ちの良い写真でも、
かすかに後ずさりさせられてしまうのはどうしようもありません。

モジリアニは、現実の人間を前に座らせて描いたのですから、
写真で言う「やらせ」には違いありません。
でも、絵画ではそんなことは問題になりません。
画家は現実を一種の永遠のイメージに変容させる魔術師なのですから。
私たちは特定のモデルの名前はもとより、
素性、性格、人生など知る必要などありません。
モデルの女性たちは、モジリアニの魔術によって、
永遠界の化身と化してしまうのです。

彼女たちは生命感に満ちています。
空疎な画像だ、と、誰も感じません。
ケルト紋様はそんな魔術的な変容を起こす原動力になっている、
私はそう感じます。
ただ直立不動の人物には感じられない上昇エネルギーを、
ケルト紋様の螺旋デザインが沸き立たせてくれるのです。
そのお陰で、若い頃の直立像にはなかった独特の動感が生まれている。
すくなくとも私にはそんな風に働いてくれるのです。




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# by hologon158 | 2018-12-09 14:13 | 美との対話 | Comments(0)

758.02 ホロゴンデイ211「2018年5月19日近頃人気の中崎町でホロゴン活躍」2 死ぬまで学ぶ



死ぬまで、学ぶことができる」
それが人間の人間たる所以なんだ!
そう考えたいですね。

先日、朝のバス停の立ち話が耳に入ってきました。
老婦人がお二人。
年長の方がぼやきました、
「このごろ、ちっとも体が動かんようになって、
なにをするのもシンドウて、
困りますわ」
すると、年下の方が、
「誰でもそうなるんですねえ。
仕方がありませんねえ......」

近くでこの会話を耳にした私、
言ってあげたかったですねえ。
「そうじゃありません。
いや、そうなんでしょう。
でも、だから、なにもしないで、
座して老衰を待ち、死を待つ、なんてことをしないで、
少しでも、老いを遅らせ、
死が来るまでできるだけ活発な人生を送りたいものですね。
そのためには、自分の心身に合ったエクササイズは何か?
自分で考えなくちゃ!」

もちろん、私はまだ衰えるほどの年齢にはなっていません。
でも、20年前、ストレッチを始めたのを皮切りに、
体によいこと、体をより強くできることをどんどん採り入れて、続けてきました。
おかげで、すこぶる元気です。
毎日生き生きと目覚め、生き生きと動き回り、さっと入眠でき、ぐっすり眠れます。

友人にも勧めます。
私はお節介焼きなのです。
「知ったことかあ!」とは考えない。
ある友人は、破顔一笑して、
「体に良いことは分かりますが、
でも、続けられませんよ」
でも、彼のこの言葉は間違っています。
彼にも長年続けていることがいくつもいくつもあることを私は知っているからです。
誰もがそうです。

人間は基本的に習慣の動物なのです。
一番簡単な例を上げましょう。
毎朝、ご飯を食べますね。
歯を磨きますね。
サラリーマンであれば、靴を磨きますね。
奥さんにさせるのであれば、かかさず奥さんが靴を磨いたか、
チェックを怠りませんね。
朝、お出かけの前に顔を洗い、服を着替えますね。
あなたが妻を持つ男性であれば、
出かける前に、愛妻にチュッとしてあげますね。
あなたが通勤者であれば、駅に向かって歩きますね。
この調子で、あなたは毎日絶えずなにかを続けて、
けっして自分からやめようとは思いませんね。

でも、たとえば、ギャンブルだったら、
やめよう、なんとかしなくちゃ、とがんばりますね。
前者はやめようとは思わず、後者はやめようと思う。
なぜ、
前者は体にも人生にも良いことであるのに、
後者は体にも人生にもまるで良くないからです。

じゃ、少しずつ、少しずつ、
体によいこと、老化を防ぐことも採り入れたらいかがですか?
体によいんだから、必ず癖になります。

一番大切なポイントははっきりしています。

「自分の人生の主役を、
人生の最後の最後までつとめる」

これです。

だとすると、あなたは次に、一つの問いに回答する必要があります。

「あなたはどんな人生を生きたいか?」
言い換えると、
「あなたはどんな風に生きたいか?」

単純明快に回答できますね、
「自分が生きたいように生きたい」
「ああ、やりたいことは全部やれた、
そんな風に終わりたい」

人生はサドンデスです。
いつ、どんな形で人生を終えるか、
私たちは選択できません。
となると、目標が一つ明らかになります。

「いつ死んでもよい、そんな人生を送ろう」

その秘訣を単純化することもできそうです。

「これをやり終えたら、もう死んでも良い、
そう思えるようなことをやり続けよう」

でも、人生に大きな価値があるものの多くは、
その実現のために大変な時間と労力を必要とするものです。
そんな時間も価値あるものと考えましょう。
そんな準備期間に世を去ることになっても、
よしとすることにしましょう。

自分が本当にやりたいことなのですから、
そのためのプロセスを習慣化することは容易です。
一つだけじゃつまらないのであれば、
いくつでも目標を増やしましょう。
ますます人生が楽しくなります。

心を大きく広げることは、必ず人間の心身に好影響を持ちます。
そんな風にできることで人生を埋めましょう。
毎日が晴れ晴れと暮らせます。

吉田正さんの写真教室で、さる高名な建築家のビデオを拝見しました。

運動着姿で公園を伸し歩き、
精神の体操が必要だ、とのたまわって、
体操らしき動きをされます。

でも、ですよ。
その体の動きがなんともぎこちなく、
腕だけちょっと動かすのですが、
腕の動きもぎこちなく、胴体が全然連動していません。
腰がズンドウで、固まったままなのです。

真剣にかつ長期的にエクササイズをしてこなかったことが一目瞭然。
口と実とが合わない現状から、彼が心もあまり鍛えていない、
なんだか、心も身体もぬくもっていない、
私はそう感じますね。
道理で、直線を多用したデザインのコンクリート建築ばっかり!
どの建築からもやわらかさ、温かさ、ぬくもりがカケラも感じられない。

私は、ケルト紋様、螺旋、曲線、放物線が大好き。
どこまでも成長していく曲線を感じたり、シャッターを押します。
建築家の道も永遠につながる道なのかも知れません。
でも、私はどうもその道を辿りたいとは思えません。

Another road to Another ideal.
私はホロゴンに導かれて、ケルト紋様の線に沿って、
死ぬまでロボグラフィの道を辿ることにしましょう。




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# by hologon158 | 2018-12-08 22:43 | ホロゴンデイ | Comments(0)

758.01 ホロゴンデイ211「2018年5月19日近頃人気の中崎町でホロゴン活躍」1 水平垂直愚直



物事をやるにつけて、
それがどんなことであれ、
ある日、突然、ひらめくことがあるものせす。
「そうだ!
ついにできるようになったぞ!」

たとえば、自転車の運転。
車の運転もそうでしょう。
ある日、突然、苦もなくできるようになる!
なると、それがただちに分かる!
「ああ、がんばった甲斐があったなあ。
こんな日が来るとは思わなかったなあ」
それがブレイクというものでしょうか?

私にとって、生涯でいくつか、ドラマチックなブレイク体験があります。
きわめて特殊なブレイクです。
その一つは十年以上前の出来事で、
このブログにはおそらく二、三度は書いたと思います。
ホロゴンのノーファインダー撮影。
要するに、ファインダー画面を見ずに、
水平垂直の写真を撮る。

写真家は普通その必要性をお感じにはならないでしょう。
超広角レンズで路上スナップをするとき、
アイレベルに構えて、ファインダー画面で作画効果を確認しないと、
撮らない、という人は、超広角レンズなんか使わない方がよいのです。
あなたの身長が160センチだとしましょう。
突っ立ったままアイレベルでカメラを構えると、
撮影位置は地上150センチあたりになりそうですね。
1から3mあたりに、あなたが生涯出会ったことがないような美女がいて、
なにかに夢中になっている。
さあ、撮ったぞ!

標準レンズならあまり問題はないのです。
ホロゴンだと困ったことがおきます。
直角三角形を思い出してください。
最短辺3の二乗+短辺4の二乗=斜辺5の二乗

① 被写体と短辺4よりも遠くで撮るとき
最短辺の直角部分が被写体の頭。
最短辺の下端が被写体のつま先。
短辺4と斜辺5の交点がホロゴン。
そうすると、比例的に言いますと、
被写体とホロゴンの距離は、
頭4、対、つま先5の比率になります。
つまり、頭の方が近いように写ります。
ということは、被写体がホロゴンに向かって倒れている、
そんな感じで写ります。
直角三角形の形より遠くに行けば行くほど、
斜辺の長さが短辺4の長さに少しずつ近づきます。
だから、超広角でも遠くから撮ると、
人物はみんな直立して撮れるわけです。

問題が起こるのは、
② 直角三角形の短辺4よりも接近して撮るとき。
ドラスティックに、直角三角形を回してみましょう。
短辺4が被写体になります。
短辺4の直角部分が被写体の頭。
短辺4と斜辺5の交点が被写体のつま先。
斜辺5がホロゴンとつま先の距離になります。
ということは、
ホロゴンと頭の距離とホロゴンとつま先の距離は3対5。
被写体はホロゴンに向かってどんと倒れているように写る!

そこで、私はホロゴンを私の体の中点付近、
腹の辺りで撮ることにしたのです。
いわば、臍下丹田にホロゴンウルトラワイドを据えて撮る!
気合いが入ります。
人物は正立して、普通に撮れます。

1997年6月、つまり、今から21年半前、
カメラのマツバラ光機で運命の出会いを果たして、
2、3ヶ月後に私がたどり着いた方法がこれでした。
でも、最初は散々でした。
ちょっとカメラが傾いただけで、
人物はあらゆる方向に倒れるのですから。
要するに、大地に対して完全に水平垂直に構えなければならない!
横位置に半年かかりました。
縦位置は10年以上かかりました。
ホロゴンウルトラワイドでは、カメラの前面から指がちょっと出れば、
指先がソーセージのように写ってしまうからです。
ホラー的に気味の悪い写真が撮れるわけです。

でも、「がんばれば、なんでもいつかはできるようになる!」
これが私の得た教訓でした。

面白いことが一つあります。
人生の大切なことはシンクロナイズしている!
それを知りました。
丁度同じ頃、私はヨガマットを手に入れて、
毎朝起床直後にかかさずストレッチするようになったのです。
ホロゴン撮影も続けてきて、なんとか15㎜でも撮れるようになりました。
ストレッチも続けてきて、体は敏捷に動き、体型もあまり変らず。
もちろんお腹は出ていません。
投資予算はたった3000円(マット1000円、今年5月に買い替え2000円)!

私が得たもう1つの教訓。
「ひたすら続けること、これが成功の鍵」

この調子で今ひたすら続けていることが10以上あるようです。
やればやるほどすべて成果が目に見えてきます。
ますます楽しく続けることになります。

どなたもそんな風に続けていることがおありでしょう。
あいにく体によいこととは限らない。
でも、楽しいから、やりたいから、続けていますね。
だとすると、体によいことも始めましょう。
やればやるほど効果が目に見えるようになり、
そうすると、どんどん楽しくなり、続けたくなりますから。

なお、近頃、ホロゴン写真で歪んでいるのが散見されます。
これは、私が、立ち止まらないで、歩きながら撮っているせいもありますが、
もう一つ、あまり水平垂直にこだわらなくなってきたこともあります。
つまり、どんな風に撮れても、私には気にならなくなってきた、という感じ。





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# by hologon158 | 2018-12-06 18:30 | ホロゴンデイ | Comments(0)

757.00 美との対話9「2018年12月5日コレッジョはナチュラル美女が好きだったみたい」



コレッジョ(本名はアントニオ・アッレグリ)は、
15世紀末頃、北イタリアのコレッジョで生まれ、
パルマ公国を中心に活躍した画家です。
生れた町の名で呼ばれたのですから、
コレッジョの町が生んだ数少ない有名人なのかも知れませんね。

宗教画を主に描いた画家のようですが、その名は、
ヴァザーリ「ルネサンス画人伝」(1550年刊)にはありません。
とてもやさしい味わいで美しい女性たちを描きました。
ダ・ヴィンチにもちょっと似ています。
でも、作風にわずかに風俗画的なファクターもある感じで、
ヴァザーリから見れば、二流だったのかも知れませんね。
もしかすると、コレッジョクラスの画家は一杯いるのかも知れません。
しかし、日本人にはかなり人気が高いようで、
イタリアルネサンスの巨匠に数えられているようです。

ロンドン・ナショナル・ギャラリー、ルーブルで何作か観ましたが、
もっと偉大な画家たちの名作が私に植え込んだ強烈な印象と比較しますと、
どんな状態だったか思い出さないあたり、二流に見えたことは否めません。
美しい女性たちが一糸もまとわない姿をさらしていて、
私の目には少し風俗画過ぎる感じだったように記憶しています。

でも、こうして改めて観てみますと、たしかにそうなんだけど、
まあ、どの女性もなんと愛らしい唇でしょう!
赤ん坊の唇に近いですね。
どの女性も、けっしていやらしくはなくて、とても魅力的。
もっとしっかり観ておくんだった!




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# by hologon158 | 2018-12-05 18:14 | 美との対話 | Comments(0)

756.02 ホロゴン外傳242「2018年9月12日奈良町をBiogon21㎜巡回す」2 朴葵姫さん



クラシックギタリストの朴葵姫パク・キュヒさんをご存じでしょうか?
ご存じない?
それは残念ですねえ。
天上の音楽をプレゼントしてくれる音楽家なのですから。

1985年韓国生まれ。
確か3歳で来日してギターを始め、
たぐいまれな才能を最高の教育で磨いて、
今や各国で活躍して、世界的なギタリストになろうとしている人です。

Youtubeで検索すると、「パク・キュヒ アルハンブラ」と検索すると、
彼女の比類のないトレモロの美しさを味わうことができます。
彼女の演奏の後、他の人のアルハンブラは聴かない方がよいでしょう。
大巨匠は別として、たいていのギタリストのトレモロは
かなりぎこちなく聞こえてしまいます。
テクニックの問題だけではなくて、
心のやわらかさに秘密がある、そんな感じがします。

さらに、Youtubeで検索していただきますと、
さまざまなギター名曲の演奏シーンを観ることができます。
片端から試聴されたらお分かりになるでしょう。
極めて確かな演奏技術をほとんど目立たせることなく、
奥行きが深く、しっとりとした感触で難曲をさらりとこなし、
肩肘を張らないで、ギター音楽を楽しめます。

今回の公演は、前半がスペインの優れた作曲家たちの名曲。
後半が、パラグァイの異色の名作曲家バリオスの名曲4つが中核。
最後に、現代の作曲家ヒナステラのあらゆる技法テクニックを披露する
難曲中の難曲「ギターソナタ」。
圧倒的な演奏でした。

今回は妻の予定があわず、私一人の鑑賞。
コンサートは、一人じゃ、ちょっと詰まりませんね。
ただし、私が小学校6年1学期まで過ごした大和高田市での公演。
さざんかホールは、私が子供の頃遊んだ池の端に建設されました。
懐かしい場所です。
こんな懐かしい場所に、もう一つ思い出ができた、
そんな気持ちです。

この日使ったレンズはフォクとレンダーの逸品、
セプトン50mmF1.4
ライカMマウント改造版ですから、
もちろんソニーα7に付けました。

昔、何人かのレンズ・フェチから聴きました、
「セプトンが最高の標準レンズです」
あらゆる標準レンズを試写できた人など居ないので、
これは科学的ステートメントではなくて、
それぞれの人がたまたま使うことができたレンズたちの内で、
セプトンこそベストと感じる人がかなり居たということで、
それぞれのレンズ愛の表現と受け止めるべきでしょう。

でも、実際に使ってみますと、
セプトンにこれほどの愛情を感じる人たちの気持ちは、
とてもよく理解できる、そう言いたくなります。
とても気品に満ちた清冽な描写なのですから。
私の思い出の町、大和高田市で使うのにふさわしい名玉でした
その写真は「レンズ千夜一夜」で並べることになるでしょう。
いつになることやら?




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# by hologon158 | 2018-12-03 18:45 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

756.01 ホロゴン外傳242「2018年9月12日奈良町をBiogon21㎜巡回す」1 何のために?



何のために写真を撮るのか?
ただの体と心の運動のため?
それもよいでしょう。
でも、そんなつもりだけで写真を撮っている人はあまりいないでしょう。
ほとんどは自分自身や家族の記録として、でしょう。

稀に写真家を目指す人がいます。
元来、写真を撮るためにカメラを操作するということは、
大変に難しい作業でした。
写真修行はカメラの操作の習熟と見る目を養うという、
2つの作業が平行していたものです。
でも、デジカメ時代になって、事情は一変しました。
カメラを手に入れた瞬間から、
写真作品らしいものが撮れるようになったのですから、
子供でも老人でも、その気になれば、
昔の写真家が鯱立ちしても撮れなかったような、
露出とピントで写真を撮ることができる時代になりました。

じゃ、偉大な写真家たちを陸続と輩出しつつあるか?
どうもご本人たちはそうお思いのようですが、
写真史を長年研究してきた私には、事情は完全に逆と思われます。
機器に良くなるに比例しては、傑作は増加しない、
そう言って差し支えない、私にはそう思えます。
そうではありません。
写真制作に注がれる心のエネルギーの重みに比例して、
傑作は増加します。
道具に頼れば頼るほど、傑作は減少します。
使いにくい道具を苦心惨憺して使いこなそうとする、
そんな努力が傑作を生む下地になるようです。

そんなことはない。
現代の機器は私たちの心を解放してくれる、
写真制作のために機器の制約から解放されて、
心を創造エネルギーに傾注できるから。
どなたもそうおっしゃるでしょう。
そうかも知れません。
でも、現代のカメラについては、話がちょっと違う、
そんな感じがします。
常に撮影機器のフィルターを通して写真が生まれます。
デジタルカメラを使えば子供でも傑作が撮れるのは、
デジタルカメラがデータにさまざまの加工をしてくれるからです。
どんなに心を傾注しても、生まれてくる傑作は、
カメラがご親切にも幾層にも創造的改良を加えてくれた結果でしかない、
そんな気配さえ感じられます。

もっともそのような仕組みは銀塩時代のカメラ、レンズでも同様です。
程度の差でしかないかも知れません。
でも、当時のカメラは幼児には絶対に使えず、
年配の初心者にも使いこなせず、
そもそも写真を撮ることなど絶対にできませんでした。
デジタルカメラが履かせてくれる高下駄がどんなに高いかが分かります。

そんな時代に、なんのために写真を撮るか?
趣味人にはなんの問題もありません。
ただひたすら、写真を楽しめばよいのです。

でも、写真家にとって、難しい問題です。
たとえば、ピカソたちの創造した抽象画の時代に、
一体何人の抽象画家が輩出したでしょうか?
でも、何人が美術史に残るでしょうか?
よく考えてみると、時が経つにつれて、
製作当時の時代、状況の記憶が消え去るにつれて、
どんどん消えていくのではないでしょうか?

デジタル写真も同様です。
その作品が、ときには、何千万という価格で競り落とされるそうです。
コマーシャリズムが芸術までも巻き込んだ、奇怪な様相。
銀塩時代の偉大な写真作家たちが聴いたら、
頭に湯気を立てて怒ったでしょう。
たとえば、写真世界のバッハとも言うべきエドワード・ウェストンの、
最高のビンテージプリントが100万前後でしかなかったのに?

スポーツ選手たちが何億もの報酬額で契約するのと似ています。
コマーシャリズムでの活用度、利用価値が飛躍的に増大したからで、
選手たちが以前より偉大になったからではありません。
ベーブ・ルースもルー・ゲーリックも長島も王も、
その年俸も広告料も何桁も少なかった。
種々の効果的な媒体が活用できるので、
宣伝価値は、昨日のスターより、今日のスターの方が遙かに大きいだけ。
つまり、使い捨ての時代です。

ユーザーは今日のスターたちを卵の時代から注目してきたかのように、
親しげに話題に上せます。
でも、明日には忘れ去るでしょう。
いつまでも過去の人などにこだわってられない、
どんどん新しいスターの方が利用価値大というわけです。
イメージだけが来て去っていく時代。
デジタルイメージそっくりじゃありませんか?

私は自分自身を知っていますから、
人に写真作品を提示する写真家の道はもとより、
記念撮影を中核とする素人写真の道も選ばず、
写真を自分の人生のためだけに活用することにしました。
これは大成功だったと、私は自負しています。
十数年前に銀塩写真の撮影を断念し、
デジタルカメラに移行したことも私の道を補強してくれました。
デジタルカメラは記録用途には抜群に有利だからです。

たまに私のブログが検索にヒットして、
間違っておいでになる方がいます。
みなさん、写真ブログと勘違いされます。
確かに最初は写真ブログだったので、この誤解はやむを得ません。
でも、10年一昔です。
「呉下の阿蒙にあらず」という言葉があります。
誰もが変わります。
私も変わりました。
傑作写真をものしたいと意気込む私は遠くに消えてしまいました。
現職から退いて、隠遁生活に入ったせいもあるでしょう、
他人になにかを求める気持ちなど完全に失せました。

私の父は84歳まで心身とも一応健康でした。
頭脳も明晰でした。
朝食を頂いて、「ちょっと横になってくる」と寝室に入り、
10分後には息を引き取った姿を母が発見するまで、
意識は清明を保ちました。
その1、2ヶ月前、
「重臣たちの昭和史」という大部2巻をたった2日で読んでしまった位。

一方、母親はその少し前からでしょうか、
アルツハイマーを発症して以来十数年生きました。
猛烈に頑健だったから、身体が負けなかったからです。

つまり、私の老年期は二者択一です、
意識清明かアルツハイマーか?
どうやらアルツハイマーやぼけの兆候はありません。
とすると、私にとって、身体を強壮に保つことが使命となります。
私はかなり強壮です。
生涯のほとんどを机にしがみついて生きてきたようなもので、
体を鍛えたことがなかった人間です。
でも、この20年間は違います。
スポーツこそしませんが、さまざまなエクササイズで絶えず体を鍛えてきました。
写真撮影はウォーキングエクササイズも兼ねています。
近頃は、前日一日中歩いても、ぜんぜん疲れず、
翌日に疲労など残りません。
体の動きもシャープになりました。
目の前でなにかがおっこちそうになると、
意識などせずに、次の瞬間、私の体がただ反応して、キャッチしています。
ロボグラフィ撮影はまさしく瞬発力の強化につながっているようです。

というわけで、多くの人が、
いったい何のために写真を撮っているだろうと、
じっと手を見ているだろうに、
私は違います。
さわやかに、
「それは、私の人生の記録と体力維持強化のため!」

私の2つのブログはそうしたエクササイズのレポート、
というわけです。
私の写真に意味を求めようとしても、無駄です。
単に私が感じたから撮っているだけ。
私の写真たちの配列、組み合わせに意味を求めるのは間違いです。
ひたすら撮影順に並べているだけ。
私の日記帳なのですから。




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# by hologon158 | 2018-12-03 11:50 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

755.00 美との対話8「2018年10月22日この世の奇跡、敦煌石窟寺院に圧倒され」



今回は中国の美との対話。
世界の遺跡の調査が進むにつれて、
過去の文明が果たしてきた測りしれないほどの奇跡的な事業が、
各地に発見されつつあります。
その一つが敦煌ですね。

面倒なので、ウィキペディアから引用させていただきます。
「敦煌市の東南25kmに位置する鳴沙山(めいささん)の東の断崖に
南北に1,600mに渡って掘られた莫高窟・西千仏洞・
安西楡林窟・水峡口窟など600あまりの洞窟があり、
その中に2400余りの仏塑像が安置されている。
壁には一面に壁画が描かれ、
総面積は45,000平方メートルになる。」
日本の仏像の国宝は、ネットによれば、合計136件。
そのうち、75件が奈良県にあり、関西だけで128件。
まあ、ほとんどが関西にあることになります。
敦煌には日本の国宝クラスが数知れずあります。

ウィキペディアによれば、
作られ始めたのは五胡十六国時代、
敦煌が前秦の支配下にあった時期の355年あるいは366年で、
その後の元代に至るまで1000年に渡って彫り続けられた。
つまり、日本の仏像よりもはるかに古いものが沢山あります。
これに数知れないほどの壁画が加わって、
莫高窟は世界の至宝の一つに数えられています。
仏像だけとってみたら、約4年に1体ずつ制作されたのですから、
不可能な制作ではありません。
でも、どこの国に、1000年間も一つの地域で、
これだけの信仰の対象、信仰の証し、よすがを、
連綿と制作し続けることができたでしょう?

上記の本から、私の気に入ったものを選び出してみました。
完成度、美しさの高さは、信仰の高さを証明する、
と言うと、かなり事態をねじまげてしまいそうですが、
この地の人たち、莫高窟の建設維持に携わった人たちの、
真摯な祈りの気持ち、制作意志の強固さは、
もうそれはそれは凄まじく、まさに尋常ではありません。
現代人にこれだけの手仕事ができるんだろうか?

このように考えると、ここには、
人類の創造性の最高の証明の一つがある、
そう言ってよいでしょう。




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# by hologon158 | 2018-11-27 15:32 | 美との対話 | Comments(0)

754.00 ホロゴンニュース4「2018年10月23日前田義男写真展 Inland Sea」


11月23日土曜日、写真展に参りました。
京都三条サクラヤビル6階のギャラリー古都。

   前田義男写真展
     「Inland Sea
      -時はゆっくりと流れて-」

私の古い友人です。
若いときから、写真の天分に恵まれて、
すてきな写真を撮り続けるアマチュア写真家でした。
「才能は天分。
才能がなければ、努力しても多寡がしれているよ」
そう、私に悟らしめた張本人が彼ともう一人の友人IUさん。
IUさんは今でも定職を持ち、現役で働いていますが、
前田さんは、すでに退職して、いくつもの写真教室で講師をして、
写真家として活躍しておられます。

もっぱらモノクロームを表現の手段として、
若い頃はまさに類い稀なストリートフォトの名手でした。
その後、都市景観の斬新な切り取りで名声を上げ、
プロ作家となってからは、これまでの修練の成果を駆使して、
人間を取り巻く環境を切り取った一連の作品群を組み上げて、
静謐の気配を表現する、独自の境地を熟成させつつあります。

作家のお許しを得て、持参したレンズで十数枚ピックアップして、
彼の独特の作風をブログ上で再現したいと思ったのですが、
持参したのはホロゴン15㎜F8。
開放値がF8だけに、暗い会場で撮った写真はざわめきに満ちて、
とても彼の個性溢れる作品展のエッセンスを伝えることは無理。
やむなく、私が愛してやまない一枚だけ紹介させて頂きます。

ただし、念のためお断りさせていただきます。
ホロゴンというレンズは、バロック的な過度の誇張の名人です。
ギャラリーのスポットライトの反射も写真画面に入り込んでしまい、
このレンズで前田さんの作品の静謐性を再現するのはとても無理。
ここでは、前田さんの作品の舞台を私がホロゴンで撮ったら、
こんな風になるかな、という試み、そうお考えください。




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# by hologon158 | 2018-11-23 23:22 | ホロゴンニュース | Comments(0)

743.01 ホロゴン外傳241「2018年5月9日ビオゴン21㎜F4.5が天王寺で一暴れ」1 後知恵なら誰でも?




とんでもない本を少し読みかけてしまいました。
図書館で借りました。

柘植久慶著「世界の会戦 こう戦えば勝てた」
世界史上の転回点となった会戦、対決を取り上げて、
敗者側はこうすれば勝てて、歴史を変えることができた、
という趣旨です。
たとえば、関ヶ原の合戦の際、
石田三成はこんな風に行動すれば、家康に勝てた!
簡単なことじゃないか!

三章ばかり読んで、あほらしくなりました。
事件の当事者たちには手に入れることが不可能だった各種の情報、
とくに、その合戦後のその地の人間たちの運命、歴史の変遷、
この合戦に大きく関係した両当事者の歴史、国家体制、その歴史、
その他その時点での情報なんだけど、たとえば別文明の情報など、
当事者にはどんなにしてもキャッチすることができなかった各種の情報、
さらには、その当時、まだ存在しなかった思考法、知識、
(たとえば、世界史上のさまざまな戦術に関する知識、
多くの偉大な戦術家が最後に犯した失敗に関する知識)
そんなものを知っている筆者が、
そのときはこうすればよかったんだよ、
と、したり顔でのたまわっても、
私たちの歴史的な認識、見識、自分自身の人生での参考など、
欠片も手に入れるなどできません。

現在私たちがなにかをしようとするときも、
ハンニバルや三成とまったく同じ状態です。
知るべきであるけど、とうてい知り得ない情報が山ほど隠された状態で、
すべての決断を下さなければなりません。
だから、本書の製作にあたり、著者は、各事件の当時に戻り、
当事者が知っていたはずがない過去、現在、未来の情報は一切切り捨てて、
その当事者の立場、認識だけを前提として、
勝利を収めるためになにをすることができたかを探るべきでした。

あなたのことを考えてみましょう。
あなたが何歳であれ、これからどんな人生を歩むか?
来年、あなたは何をするか?
予測がつきますか?
あなたの過去を振り返って、
さまざまな人生の転回点を思いだし、
その時点にもう一度立ったとして、
その後の人生、世界のことなどまったく知らない状態で、
その決断をこう変えたら、こうなっただろうに、
と、正しく思い返すことができますか?
そんな風になるなんて、まった知らなかったんだから、
もう一度人生をやり返させてあげようと言われても、
どうしようもない、また同じことをやっちゃうだろうな、と、
両手を上げるより仕方がないのではありませんか?

人間はそうやって生きてきたのですし、
これからもそうやって生きていくほかはないのです。
人生には、それと知らずに、
死角だらけの曲がり角にいきなり飛び込むような冒険が、
所嫌わずいっぱい隠れているのです。
そんな冒険を、幸運にも衝突事故に遭わずに生きてこれたから、
今がある、それが人間です。

一例だけ挙げておきましょう。
筆者は、マホメット2世の率いるオスマントルコ軍に包囲された
コンスタンチノープルの中の富商たちは、
皇帝に資金を提供するなど一切の助力をしなかったと書いています。
帝都があえなく陥落すると、マホメット2世が指定した一部を除き、
すべての人たちが殺戮され、財産は略奪されてしまいます。
なんで必死に献金して豊かな予算をつぎ込んで、救援を招いて、
自分の命と財産を救おうとしなかったんだ?
柘植さんがこれをわざわざ書いているのは、
迫り来る運命に誰もが盲目だったという趣旨。
でも、著者は結果を知っているのですから、彼らの愚を笑うのは簡単。
でも、彼らは危機が幾度も襲来する時代に生きていたのです。
そんなに盲目であったわけではありません。
では、なぜ?
その理由は簡単です。
永遠の都コンスタンティノポリスが異教徒の手に落ちるなんて、
当時、誰も予測できなかったのです。
オスマントルコ軍がどんなに強力で、
この永遠の都を陥落させるために、どんな準備をしているのか、
そんなことも分かりませんでした。
孤立無援、これは危ないぞと悟ったときには手遅れだったのです。
そのとき、柘植さんがその場に居たら、彼だったら、
的確に対応策をアドバイスできたのにねえ、惜しかったなあ......
なんて、当の柘植さんも含めて、誰がそう考えますか?

柘植さんには現代の地球を救うための方策を是非教えて欲しいですね。
現世界では、毎年4000種の生命が死滅していると読んだことがあります。
つまり、生命環境は最悪の滅亡線を辿っているのです。
つまり、地球が供給可能な食料の量は激減しつつあるのです。
それなのに、人間だけは爆発的に増大する傾向を辿りつつあります。
(ねずみ算にちょっと近いほどにドラマチックな増加曲線)
でも、誰もが結婚したいし、
結婚すれば、子供は欲しいものです。
それも、一人よりは二人、二人よりは...
こうして、あと2、30年で、人口は100億を超えてしまい、
食料をはじめとする各種資源が枯渇して、奪い合いとなり、
地球は生き地獄と化すかもしれません。
そんなことは多くの人の目に明らかです。
でも、この地球全体を踏みにじるジャガーノートのばく進を
どうやって止めたら良いのでしょう?
これは誰にも分からないのです。
柘植さんに、尋ねてみたいものです。

空港を飛び立つとき、下界をご覧になったことがありますね。
最初は機内から街路上の人、車が見えます。
しばらくすると、人の姿が消えます。
そうして、もう少し上空に来ると、車の動きも見えなくなり、
さらに上ると町そのものがかすみとなって視認できなくなります。
私たちの世界認識って、こんな遙か上空から下界を見下ろす程度です。
そんな視点しかないのに、
自分を取り巻く社会のこれからの運命を予測し、
さらには、現にある危機からの脱出に成功するための方法を
見つけなければならないのです。
つまり、正しい方法を見つけだすための過去、現在、未来の
数知れない重要因子をしっかり認識できないのに、
とりあえず解決方法を見つけなければならない。
これが何時の時代にも人間に課せられた宿命なのです。

私たちは垂れ込めた厚い靄の中で、
定かに見えない敵と戦っているようなものです。
時々ではありません、人生のすべての瞬間、
こんな敵と立ち向かっているようなものなのです。
あなたの人生がうまく行っているとすれば、
あなたが賢明であるためだけではありません。
賢明であるばかりでなく、
とてつもない幸運に恵まれ、
しかも天の助けのような偶然が重なって来たからなのです。

これまで世界は多くの危難に見舞われて、
多くの文明は危難に耐えきれずに、滅亡してきました。
でも、地球上に人類が生息し続け、
曲がりなりにも進歩を果たしてきたのですが、
それは、常に新しい辺境を開拓する方法によってでした。
文明は常に局所的だったからです。

21世紀は古今未曾有のグローバル化の時代です。
地球文明はほとんど一体となってしまいました。
休閑地、後背地、未開の地、辺境、避難場所なんか、
全部なくなってしまいました。
今人類が使っていない土地は使い道のない死の地なのです。
これまでのように、ニューホライズンに明日を託す、
なんてことができなくなってしまった。

皆さんもそうだと思うのですが、
それぞれに明日を託したい子孫が居ます。
私にもまだ若い子供たち夫婦とその子供(私の孫)たち
が居ます。
私は生涯戦争を知らない、歴史上稀な幸運に恵まれた日本で
生涯を過ごしてこれた世代の人間です。
私たちの同時代に多くの国は戦争に巻き込まれていました。
こうなると、日本人や、その他、多くの戦争のなかった民族は、
稀と言うより、歴史上唯一の幸運に恵まれてきたのかもしれません。
子孫たちもそんな幸運に恵まれて欲しいものです。

柘植久慶をAmazonで検索してみると、396件もヒット!
信じられせん。
今、76歳ほどでしょうか?
ウィキペディアの記載によれば、
著作は1986年以来270冊を超えるとのこと。
つまり、
32年間営々と著述を続けて来たとして、一年あたり8.4冊!
まるで自動速記機械じゃありませんか?
そんな超高速文って、あなた、信じられますか?
まあ、頑張って頂きましょう。
私は近づかないことにします。



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# by hologon158 | 2018-11-22 18:35 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

743.01 ホロゴン外傳241「2018年5月9日ビオゴン21㎜F4.5が天王寺で一暴れ」1 後知恵なら誰でも?



とんでもない本を少し読みかけてしまいました。
図書館で借りた本です。

柘植久慶著「世界の会戦 こう戦えば勝てた」中央公論社

世界史上の転回点となった会戦、対決を取り上げて、
敗者側はこうすれば勝てて、歴史を変えることができた、
という趣旨です。
たとえば、関ヶ原の合戦の際、
石田三成はこんな風に行動すれば、家康に勝てた!
簡単なことじゃないか!

三章ばかり読んで、あほらしくなりました。
事件の当事者たちには手に入れることが不可能だった各種の情報、
とくに、双方の軍隊のスタッフ、戦備、配置、動き等の現場の状況のすべて、
その合戦後のその地の人間たちの運命、歴史の変遷、
この合戦に大きく関係した両当事者の歴史、国家体制、その歴史、
その他その時点での情報なんだけど、たとえば別文明の情報など、
当事者にはどんなにしてもキャッチすることができなかった各種の情報、
さらには、その当時、まだ存在しなかった思考法、知識、
(たとえば、世界史上のさまざまな戦術に関する知識、
多くの偉大な戦術家が最後に犯した失敗に関する知識)
そんなものを知っている筆者が、
そのときはこうすればよかったんだよ、
と、したり顔でのたまわっても、
私たちの歴史的な認識、見識、自分自身の人生での参考など、
欠片も手に入れるなどできません。

現在私たちがなにかをしようとするときも、
ハンニバルや三成とまったく同じ状態です。
知るべきであるけど、とうてい知り得ない情報が山ほど隠された状態で、
すべての決断を下さなければなりません。
ほとんど五里霧中。

だから、本書の製作にあたり、著者は、各事件の当時に戻り、
当事者が知っていたはずがない過去、現在、未来の情報は一切切り捨てて、
その当事者の立場、認識だけを前提として、
勝利を収めるためになにをすることができたかを探るべきでした。

あなたのことを考えてみましょう。
あなたが何歳であれ、これからどんな人生を歩むか?
来年、あなたは何をするか?
どんな風に生きて、どんな風に死ぬか?
予測がつきますか?
あなたの過去を振り返って、
さまざまな人生の転回点を思いだし、
その時点にもう一度立ったとして、
その後の人生、世界のことなどまったく知らない状態で、
その決断をこう変えたら、こうなっただろうに、
と、正しく思い返すことができますか?
そんな風になるなんて、まった知らなかったんだから、
もう一度人生をやり返させてあげようと言われても、
どうしようもない、また同じことをやっちゃうだろうな、と、
両手を上げるより仕方がないのではありませんか?

人間はそうやって生きてきたのですし、
これからもそうやって生きていくほかはないのです。
人生には、それと知らずに、
死角だらけの曲がり角にいきなり飛び込むような冒険が、
所嫌わずいっぱい隠れているのです。
そんな冒険を、幸運にも衝突事故に遭わずに生きてこれたから、
今がある、それが人間です。

一例だけ挙げておきましょう。
筆者は、マホメット2世の率いるオスマントルコ軍に包囲された
コンスタンチノープルの中の富商たちは、
皇帝に資金を提供するなど一切の助力をしなかったと書いています。
帝都があえなく陥落すると、マホメット2世が指定した一部を除き、
すべての人たちが殺戮され、財産は略奪されてしまいます。
なんで必死に献金して豊かな予算をつぎ込んで、救援を招いて、
自分の命と財産を救おうとしなかったんだ?
お前さんたち、アホか?

そうじゃありません。
その理由は簡単です。
永遠の都コンスタンティノポリスが異教徒の蛮族の手に落ちるなんて、
当時、誰も予測できなかったのです。
オスマントルコ軍がどんなに強力で、
この永遠の都を陥落させるために、どんな準備をしているのか、
そんなこと、ちっとも分かりませんでした。
孤立無援、これは危ないぞと悟ったときには手遅れだったのです。

そのとき、柘植さんがその場に居たら、彼だったら、
的確に対応策をアドバイスできたのにねえ、惜しかったなあ......
なんて、当の柘植さんも含めて、誰がそう考えますか?

むしろ柘植さんには現代の地球を救うための方策を是非教えて欲しいですね。
現世界では、毎年4000種の生命が死滅していると読んだことがあります。
生態系はどんどん壊れ、生命環境は最悪の滅亡線を辿っているのです。
つまり、地球が供給可能な食料の量は激減しつつあるのです。
それなのに、人間だけは爆発的に増大する傾向を辿りつつあります。
(ねずみ算にちょっと近いほどにドラマチックな増加曲線)
あと2、30年で、人口は100億を超えてしまい、
食料をはじめとする各種資源が枯渇して、奪い合いとなり、
地球は生き地獄と化すかもしれません。
そんなことは多くの人の目に明らかです。

空港を飛び立つとき、下界をご覧になったことがありますね。
最初は機内から街路上の人、車が見えます。
しばらくすると、人の姿が消えます。
そうして、もう少し上空に来ると、車の動きも見えなくなり、
さらに上ると町そのものがかすみとなって視認できなくなります。
私たちの世界認識って、こんな遙か上空から下界を見下ろす程度です。
そんな視点しかないのに、
自分を取り巻く社会のこれからの運命を予測し、
さらには、現にある危機からの脱出に成功するための方法を
見つけなければならないのです。
つまり、正しい方法を見つけだすための過去、現在、未来の
数知れない重要因子をしっかり認識できないのに、
とりあえず解決方法を見つけなければならない。
これが何時の時代にも人間に課せられた宿命なのです。

私たちは垂れ込めた厚い靄の中で、
定かに見えない敵と戦っているようなものなのです。
時々ではありません、人生のすべての瞬間、
こんな敵と立ち向かっているようなものなのです。
あなたの人生がうまく行っているとすれば、
あなたが賢明であるためだけではありません。
賢明であるばかりでなく、
とてつもない幸運に恵まれ、
しかも天の助けがあったからなのです。

これまで世界は多くの危難に見舞われて、
多くの文明は危難に耐えきれずに、滅亡してきました。
でも、地球上に人類が生息し続け、
曲がりなりにも進歩を果たしてきたのですが、
それは、常に新しい辺境を開拓する方法によってでした。
文明は常に局所的だったからです。

21世紀は古今未曾有のグローバル化の時代です。
地球文明はほとんど一体となってしまいました。
休閑地、後背地、未開の地、辺境、避難場所なんか、
全部なくなってしまいました。
今人類が使っていない土地は使い道のない死の地なのです。
これまでのように、ニューホライズンに明日を託す、
なんてことができなくなってしまった。

皆さんもそうだと思うのですが、
それぞれに明日を託したい子孫が居ます。
私にもまだ若い子供たち夫婦とその子供(私の孫)たち
が居ます。
私は生涯戦争を知らない、歴史上稀な幸運に恵まれた日本で
生涯を過ごしてこれた世代の人間です。
私たちの同時代に多くの国は戦争に巻き込まれていました。
こうなると、日本人や、その他、多くの戦争のなかった民族は、
稀と言うより、歴史上唯一の幸運に恵まれてきたのかもしれません。
子孫たちもそんな幸運に恵まれて欲しいものです。

でも、幸運は長続きしそうにはありませんね。
この地球全体を踏みにじるジャガーノートのばく進を
どうやって止めたら良いのでしょう?
これは誰にも分からないのです。
柘植さんに、ぜひ尋ねてみたいものです。




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# by hologon158 | 2018-11-20 18:01 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

752.00 美との対話7「2018年11月17日神のごときレオナルドの美にひれ伏して」



人間の中にはスペシャルな人たちが居ます。
その才能が神によって与えられた、としか言いようのない人たち。
偉大な人間さえも遙かに超越している存在。
そんなに沢山与えられたわけではありません。
ほんの一握りでしょう。
思索で言えば、ソクラテス。
彼のあとには、沢山の天才的な思索家が続いています。
でも、彼らはすべて彼以前の巨人の肩に乗っかって仕事をしました。
ソクラテスは違います。
「汝自身を知れ」なんて、彼以前には誰も考えませんでした。
彼こそが「人間とは何か?」という根源的な思惟の創始者なのです。

ソクラテス級のスペシャルな立脚点を見いだした巨人は僅かです。
音楽で言えば、モーツァルト。
美術で言えば、もちろん、レオナルド・ダ・ヴィンチ。

ルネサンスの巨人たちの評伝「ルネサンス画人伝」の作者、
ヴァザーリは、中国史における司馬遷、
古代ギリシア史におけるヘロドトス、トゥーキューディデース、
といった偉大な史家ほどではありませんが、かなり近い存在です。
なぜって、司馬遷たちは、長い歴史のある一部に光を当てました。
彼ら偉大な史家が出現して、大変な筆力で事績を記録し、
人類の宝としたからこそ、その時代の英雄たちは歴史上燦然と輝き、
後世に永く記憶されることとなりました。
彼らがいたからこそ、その時代の英雄たちは特別な存在となりました。
たとえば、項羽と劉邦の人間性、器、才能の違いは、
人類共通の記憶となりました。
でも、たとえば、唐の大宗李世民、明の太祖朱元璋、清の始祖ヌルハチ、
このような項羽と劉邦に匹敵するような歴史的存在の人柄、人生、業績を、
あなたは知っていますか?
彼らには司馬遷に匹敵するような偉大な史家はいなかったからです。

ヴァザーリはそこまで大きな仕事をしたわけではありません。
もし彼が「画人伝」を書かなかったしても、
上記3人は美術史にほとんど比類のない名声の記憶を人類に残しています。
でも、とにかくヴァザーリは16世紀に出現して、
ルネサンス期の偉大な画人たちの生き生きとした記憶を書き記してくれました。
ヴァザーリはミケランジェロの弟子でしたから、
師匠の伝記が白水社の訳書上では136頁と突出しています。
これに続くのがラファエロの50頁、
ジョットー、ティツィアーノの30頁、
ダ・ヴィンチの18頁。

でも、各伝の冒頭に破格の讃辞を特記しているのは三人だけです。
レオナルド、ラファエロ、ミケランジェロ。
レオナルドに対する讃辞はその中でもさらに破格です。
「この上なく偉大な才能が、多くの場合、自然に、ときに超自然的に、
天の采配によって人々の上にもたらされるものである。
優美さと麗々質、そして能力とが、
ある方法であふれるばかりに一人の人物に集まる。
その結果、その人物がどんなことに心を向けようとも、
その行為はすべて神のごとく、他のすべての人々を超えて、
人間の技術によってではなく神によって与えられたものだということが、
明瞭にわかるほどである。
人々はそれをレオナルド・ダ・ヴィンチにおいて見たのである」云々。
ヴァザーリはレオナルドのことを、さらにこう言います。
「真に驚嘆すべきであった神的な人であった」

さらに、ラファエロの項にもレオナルドのことが記載されています。
「たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチは、男の顔を描かせても、
女の顔を描かせても他者の追随を許さぬものがあり、
とくに人物の優雅さや動きにかけては、
他の画家たちを遠く引き離している人だが、
彼の作品を見たときに、ラファエロは驚嘆し、茫然自失してしまった。
(中略)
全能力と全知識を傾けてレオナルドの様式を模倣するよう努めたのである。
しかし勤勉や努力にもかかわらず、いくつかの難しい点では、
ラファエロはレオナルドを凌駕することがついにできなかった。」

私は、ヴァザーリを読む遙か前に、レオナルドに出会った頃、
レオナルドのマントヴァ公夫人イザベラ・デステの素描に出会い、
それ以来、素描の神業にかけて、
レオナルドを凌ぐ人は居ないのでは、と考えてきましたが、
さらに、レオナルドの多くの素描、とくに自画像を見るにつけ、
さらに、ヴァザーリの「画人伝」を読んで、その思いをさらに強め、
現在まで意見を変えたいと思ったことは一度もありません。

上記の素描に描かれたマントヴァ公夫人イザベラ・デステは、
ルネサンスを代表する知性的な女性として大変に有名です。
その上、大変な美貌でした。
ところが、レオナルドは、上記の素描を一枚描いただけで、
それも他にやってしまい、ついにイザベラの絵は描かなかったのです。
しかも、たった一枚描いた素描のイザベラは横顔。
当時最も魅力的な女性であったのに、なぜ、こんなに消極的?

私は、こんな話が大好きで、勝手な謎解きを楽しむ癖があります。
ただちに、答えが頭に浮かびました。
私の回答はこうです。
レオナルドは、イザベラが嫌いだったのです。
賢いうえに、美しい。
その2つの武器を使って、男たちの上に君臨し、
イタリアの政界に大きな勢威を振るっていた。
イザベラは当代最高の女性として敬愛される生涯を過ごしました。
でも、誰よりも鋭敏で深い眼差しをもつレオナルドには、
イザベラの優雅な微笑みの陰にかすかな驕慢の奢りを感じたでは?
その上、女性よりも男性の方を愛する質であったことも手伝って、
レオナルドは、庇護者として君臨する女性に唯々諾々と従いたい、
なんて思わなかったのではないでしょうか?
まして、そんな女性のために、後世に残るような傑作など、
絶対に描きたくなかったのでは?

しぶしぶ描いた素描は横顔だったのもそのせいかもしれませんね。
正面像をまともに描いたりしますと、
レオナルドのイザベラに対するそんなマイナス感情がばれてしまう。
さりとて、本心を押し隠して、ただただ優美な公妃に見えるよう、
いわばフィクションとなるような描き方をするなんて、
彼には絶対にできない。
だから、なんとしても、描かないで済まそう、
そう考えたのではないでしょうか?

今回も、すべて顔を中心に、大幅にクローズアップして、
部分撮りに徹しました。
レオナルドの描線の美しさは筆舌に尽くしがたいものがあります。
いくつかはヨーロッパで直に観賞することができました。
作品世界の豊かさにおいては、ラファエロやミケランジェロに
はるかに及ばないレオナルドですが、素描のたった一本の線で、
それでも彼らに優るとも劣らない美の創造者であることを、
誰に対しても証明することができたのではないでしょうか?




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# by hologon158 | 2018-11-17 22:19 | 美との対話 | Comments(0)

751.00 ホロゴンデイ210「2018年5月2日ホロゴン15㎜F8Uいつもの奈良町に繰り出して」


前にも書いたことがあると思いますが、
ある科学者の水分子に関する試算。
どこでもよいのですが、
たとえば、あなたの家の近くの海岸に行って、
コップ一杯の水をすくって、
これをグリーンランドの海岸に持っていって、
その浜辺の波に放り込みましょう。
そして、ネプチューンにでもお願いして、
海という海を完全に攪拌してもらいましょう。
それから、はるばる旅をして、
南米ラプラタ河口に佇み、すっと腰をかがめて、
コップ一杯の海水をすくい採りましょう。

さて、問題は、
「このコップの中に最初のコップの水は含まれているか?」
この問題を出した科学者がどうやって計算したか知りませんが、
答えはこうなんだそうです。
「イエス、含まれている。
100±10個の水分子が見つかる」
なんと90から100も!

海はそれほどに細かい分子によってできあがっているのです。
水分子って、こんなにも小さいのです。

こんな水分子と比較すると、
人間は、宇宙のように巨大なのです。
人間の脳で記憶情報がどうやって伝達されるか、
調べたことがありますか?
脳細胞の中にニューロンの突起が縦横に走り、
対応する次のニューロンと向かい合っています。
でも、ぴたりとくっついていないのです。
ミクロ的にわずかに隙間があるのです。
この隙間を電気が走り、情報を伝達するのです。
まるで宇宙戦争のような光景です。
ミクロだけど、壮大な景観なのです。

そんな形で伝達される記憶ファクターがどうして
「ぼくが9歳だったときの母との思いでの一つ」として、
脳裏を横切るのでしょうか?
ニューロンレベルのデータと意識レベルのデータとの間には、
一体何段階のプロセス、階層が介在しているのでしょうか?
まさにミステリーとしか言いようがありません。
でも、そんなにも複雑幽玄の存在が人間なのです。

もっとも、猿はもとより、猫や犬たちだって、
かなり人間に近い有機体オーガニズムなのです。
原子レベル、分子レベルから始まって、
無限の階層構造の中間のどこかで、
自意識を帯びる人間存在となるのです。
そして、もしかすると、そのような人間存在や、
それと同等の存在から幾段も幾段も上って行ったら、
その果てに銀河系となり、さらに上って行ったら、
神となるのかもしれません。

とすると、私たち人間は、
自分の体の中でニューロン単位で起こっている現象を、
そのレベルで意識し理解することなどできないように、
神も、人間レベルの事象を認識したり理解したりすることは
ないのではないか、と考える方が自然ではないでしょうか?

つまり、たとえ、神がどんなに慈愛深き恵みの神であっても、
その慈愛の心は神ご自身の存在を限りなく清く美しく、
限りなく健康的で創造的なものにする、
そんな方向に集中するのではないでしょうか?

人間でもそれが正しいやり方でしょうね。
できる限り心身を健康的にしたければ、
身体を鍛え、心を鍛え、良い物を食べ、しっかり睡眠をとる!
すべて外を整えることで、内にその影響を及ぼす、
そんなやり方しかないではありませんか?




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# by hologon158 | 2018-11-14 23:59 | ホロゴンデイ | Comments(0)

750.03 ホロゴンデイ209「2018年3月31日ホロゴン15㎜F8Uが鶴橋詣で」3  美の裁定者



私はロングシートの通勤電車が大嫌いです。
目の前の7人掛けのシートに乗客が詰まっていると、
作文に精神を集中するのは難しいですね。

私のかつての友人の対策がすさまじい。
山手線なんに乗りますと、彼はまず整理作業に取りかかります。
前の席の7人のうち、この世界のために惜しくはない人から整理していくのです。
すると、たいていの場合、誰も残らない。
こうして人員整理を済ませると、心安らかに自分のやりたいことに取りかかれるという算段。

ずいぶん乱暴な人員整理法です。
一目見ただけで、そんなことが分かるでしょうか?
分かりませんね。
とるに足りない風貌、貧相な風采でも、
実は人生のいつかあるとき、世界のために、あるいは誰かのために、さらには、あなたのために、
かけがえのない貢献を果たす運命にあるかもしれません。
いかにも重要人物らしい堂々たる風貌の紳士が実は大悪党で、
この世のため社会のために小石一つ動かさないかも知れません。
私は風貌外見をまったく信用していません。

まだ若いとき、
東京地検特捜部の検事だった人が苦笑しながら言っているのを聞いたことがあります、
「私が生涯に出会ったもっとも秀でた容貌の人物は二人とも政界を股にかけた希代の悪党、詐欺師でした。
こういう輩は人を信用させるために、まず外見を立派に磨きあげるのです」

こんな言葉を若いときに聞くと、いけませんね。
もともと外観に気を使わない人間だった私はますます外観を忘れるようになりました。
服や持ち物など、自分で選んだことがない。
機能一点張り。
ひとつだけこだわってきたのは靴でした。
ただし機能面だけ。
一日中歩くのですから、いくら歩いても疲れないのがよい。
でも、これは私の外見をブラッシュアップするのに役立ちませんでした。
気に入ったものにぶつかると、ひたすらそれ一足で、
ほとんど穴が開くまで履きつぶします。

さて、人間の値打ちの話題に戻りましょう。
先日、JR大和路線で王寺に向かうときのことです。
大和路線の車両は二人掛け3列に四人掛け1セットのシートが2つで構成されています。
私は、これが大のお気に入り。
ロングシートで向かい合う車両が大嫌い。
いつも膝の上に置いたポメラDM20で作文するのが私の楽しみ。
文章を書くための第一の条件は集中できること。
いわゆるロマンスシートがベスト。
妻と同行するときは、常に窓際に彼女が座り、
私はおつきの者として通路側を守ります。
ふっと斜め前方4人席を眺めると、
目を上に向けた女性が目に入りました。
眉目秀麗、とても美しい横顔でした。
私は生涯ただ一人の女性しか愛したことがありませんが、
眼の洗濯は楽しませていただいてきました。
そのたびに、この世に女性と子供と動物たちがいなければ、
つまり、男しかいなければ、悪夢そのものだろうなあ!
これが私の正直な気持ち。

ところで、その美しい横顔の女性が視線を落として、
前方、つまり私の方に顔を向けたのです。
その方にもうしわけありませんが、
ゆとりを感じさせない窮屈な面差しで、
ちっとも美しくありませんでした。
私の趣味に合わないだけ、と言えばそれまでですが、
ここでの要点は、幸運な一点から見ると美しい容貌であっても、
別の観点から見れば、ちっとも美しくない、ということがある、
ということらしい。
逆に言えば、どこから見ても、ちっとも美しくない方、
たとえば、あなたや私ですが(失礼!)、
もしかすると、あなたが鏡で確認できない一点から見ると、
美しいかも知れないのです。

さらに、真剣な瞬間にはきりっと美しい人でも、
弛緩した状態ではゆるみきって、
別に美しくなんか見えないかも知れません。

全能の人、どこにも非の打ち所もない人なんて居ません。
逆に、完全無能、どこもかも欠点だらけ、という人も居ません。
あなたの周辺の人、あなた自身についても、このように考えると、
さまざまな美点が思わぬところに隠れているかも知れないのです。
気長に、注意深く見つめること、これが大切なようですね。

このような反省は写真撮影にも生きてきますね。
なにかフォトジェニックなポイントに巡り会っても、
無造作にシャッターを落としたりしないことです。
さまざまに視点を変え、
あなたの心にかなうイメージが見つからないかどうか、
いつも辛抱強く情景と向かい合うのが良いようです。

そうは言いつつ、実のところ、
私自身はそんな撮り方はけっしていたしません。
「これはいい!」そう感じたら、ずかずかと近寄って、
いきなりシャッターを落とします。
撮った後で、もっと良いショットの可能性を探ったりしません。
撮るときだって、たいていファインダーなどのぞきません。
液晶画面の場合、拡大設定で使いますので、
50mmや100mmレンズのピント確認だけで済ませます。
45年も撮っていますので、どんな風に撮れるか、
たいてい予測、想像できることもありますが、
一番の理由は、私が出会ったロボグラフィたちを、
出会い頭、新鮮な気持ちのままに撮りたいから。
ホロゴンウルトラワイドと出会って以来、
そんな撮り方に転身してしまいました。
そうして撮れたイメージこそ、私が出会った実像なんだ、
私はそう考えています。
だから、記憶に値します。
写真家は、自分の作品の鑑賞者の心を揺り動かし、
忘れ得ぬ印象を植え付けたいと考えるでしょう。
でも、私の関心事はただ一点自分の記憶をイメージ化する、
ただこれだけ。

もうしわけありませんが、
(というのは単なる修辞。ちっとも気にしていない)、
私の写真を稀に眼にする人がどう感じるか、
なんて、その人の問題であって、私にはなんの関係もない。
ネットに氾濫するブログの大半は私と同じスタンスでしょう。
写真家気分でブログ記事を投稿している人は稀でしょう。
よく言われる言葉がありますね、
「私は読者に責任がある」
多くのブロガーもそうでしょうけど、
そんなこと、夢にも考えたことがありませんね。

私の写真の先生田島謹之助さんはよくおっしゃっていました、
「1枚、2枚見ても確かなことは言えないけど、
3枚も見たら、その人のことを見抜けますよ」
私はついにそんな眼力を備えるには至りませんでした。
自分自身の写真だって何万枚観たか分かりませんが、
自分の性格など未だに皆目不明のまま。
まして、他人の性格なんか、
妻子や親友たちのも含めて、まるっきり不明。
みんなどんどん変わっているのですから。

というわけで、私以外の人のことはその人に任せて、
私自身は私の迷妄の泥沼をもがき続ける日々を送っているわけです。
これも楽しいものですね。
私は別に趣味の、美の、人間性の裁定者ではないのですから。





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# by hologon158 | 2018-11-06 12:35 | ホロゴンデイ | Comments(0)

750.02 ホロゴンデイ209「2018年3月31日ホロゴン15㎜F8Uが鶴橋詣で」2 鬼門



私は我が子(猫ですが)のために、
一日3回の食事を準備します。
その最後が午後11時半前後。
昨日もその準備のために食堂に参りました。

食堂の隣が和室です。
襖が開いていました。
その襖の向こうに、末っ子のピッピの顔が見えました。
片目だけ襖から出して、
私の来るのをチェックしているのです。

この辺りが猫らしいねえ。
犬のように、ダイレクトにぶつかってきません。
食事の容易をするのは私と決まっていて、待っていたのに、
「ああ、嬉しい!」と言わんばかりに飛び出して来ない。
「そうかもしれないな... でも、ひとまず確かめなきゃ」
と言わんばかりの慎重さ。
つつましく、慎重なのです。

最長期にわたって人類の伴侶として生きてきた生物は、
おそらく犬と猫に尽きるでしょう。
でも、犬と猫とではスタンスがかなり違うようです。
犬は、犬自身がどう考えてきたかは分かりませんが、
人間の見地から見れば、完全に人間に従属してきた、
という感じがあります。
でも、猫については、そのような見地が疑わしくなります。
猫と人間、この両者の重心は、
fifty-fiftyとまで行かずとも、
少なくとも、fourty-sixty、あたりではないか?
そんな感じがします。
人間が猫を完全にコントロールできた試しはありません。
逆に、猫が人間をコントロールしてきた形跡はあります。
古代エジプトのように、神として崇められた時代さえあります。

我が家では、25年間にわたり、
かなり沢山の猫たちが家族として同居していました。
未だに一人一人の記憶はくっきりと残っています。
私たち人間家族と距離との距離、関係は、
文明毎、文化毎、民族毎、個人毎にそれぞれ違っています。
猫はそれだけ融通無碍に生きている、そう言ってもよい、
そんな感じがします。

以前、路地で見かけた事件を思い出しました。
珍しく放し飼いの犬が路地に猫を追い込んだのです。
行き止まり!
そう思いこんだ犬が浅はかでした。
追い詰められたという感じで振り向いた猫。
躍りかかる犬。
次の瞬間、痛みに悲鳴を上げて飛び上がったのは犬でした!
猫が前足の鋭い爪を一閃!
犬の鼻を小さく切り裂いたのです。
続いて、猫はひらりと塀の上に。
古来、寡兵が大軍にかけてきた起死回生の罠でした。

ペロポネソス戦争でも、たしかプラタイアという小ポリス、
はるかな大軍で押し寄せたテーバイ軍を袋小路に誘い込み、
全滅に近い大損害を与えた事件がありました。
優勢に立って、「こりゃ、楽勝だあ!」と、
慢心する瞬間が鬼門ですね。




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# by hologon158 | 2018-11-03 15:28 | ホロゴンデイ | Comments(0)

750.01 ホロゴンデイ209「2018年3月31日ホロゴン15㎜F8Uが鶴橋詣で」1 下町で



いつも、薬はできるだけ呑まず、医者は避けること、
そう書いていますが、時折、ルーチンの薬をもらいに参ります。
診療所はかなり混んでいて、ユーザー全員が老人!
いつもいつも考えます。
医者にならなくて、よかった!

その医院の壁に、どこかの小冊子のページが張り付けてあります。
「赤蜻蛉」
歌詞と楽譜と写真が見開き2ページいっぱいに。
よい歌ですね。
一節が一息で歌えるのですから、大変にシンプルな歌です。

「赤蜻蛉」とか「ふるさと」とか「里の秋」とか、
私たち日本人には懐かしい歌が沢山ありますね。
今の小学校でも教えてもらっているのでしょうか?
いないかも知れませんね。
生活が完全に変わり、自然も文化も完全に変わってしまい、
ほとんどの子供たちが都会生まれとなってしまうと、
赤トンボが飛ぶのを見たことがなく、
ウサギが野を走る姿もみたことがないのですから、
歌詞は理解不能かも知れませんね。

私は幼時から小学校6年1学期まで、
当時まだ田園に囲まれていた小さな町、
大和高田市で育ちました。
大和川が故郷の川、二上山が故郷の山。
万葉集の舞台です。
かなり風流な地で育ったわけです。
玉虫、ウスバカゲロウ、蛍、クワガタ、カブトムシ等の昆虫が
網戸もない縁側から飛び込んでくるのですから、
おかげで、風流人に育ちました、と言いたいところですが、
根が根だけに、きわめて散文的な人間に育ちました。

小学校2年生のころでしょうか?
父が私に与えたのは、中村孝也先生の日本の歴史でした。
10冊程度の分冊になっていたと記憶します。
面白くて、幾度も幾度も読み返しました。
ウィキペディアで調べてみると、第二次世界大戦前に活躍した、
かなりの経歴の歴史学者のようです。
皇国史観一辺倒だった主任教授にちかづかず、
皇国史観には反発していたそうなのですが、
私が読んだ「日本の歴史」は、成人後考えると、
まるきり皇国史観で固められていた記憶があります。
まあ、当時の学者というものは、五十歩百歩だったようで。

それでも、魅力的なエピソードがちりばめられ、
私の歴史好き、英雄好みの下地を作ってしまったようです。
これが私を散文好き、詩分からん人に育てたと言いたいところです。
と言うのは、学生時代から半世紀にわたり、俳人の父にとっては、
意外なほど散文的な人生を歩んだということになりそうです。

でも、おかしなものです。
英雄好みと言っても、
勝ち組は好きではない、負け組が好き、
と、はっきりと好みが幼いときから決まっていました。
生活にも好みがはっきり出て、
少年時代、誰の子分にもならず、決して親分にもならず。
威張らず、威張らせず。
頭を下げず、下げさせず。
成人後も、それができる仕事を選び、
就職時からほとんど頭など下げることなく、
一生同じ生き方をい通すことができました。

どうやら幼時に人生のラインが決まってしまい、
性格も決まってしまうのです。
不思議なものですね。
そして、こわいものですね。

大学に入るまで、戻ったことはありませんでしたが、
大学入学後、時折、ふるさとの大和高田に参りました。
私の育った家はもうありませんでした。
誰も保存など考えなかったようで。
おもしろいものです。
父の職場の裏の空き地にたった一つ併設された官舎だったのですが、
幼時の記憶は幼時のパースペクティブで残っています。
自宅はかなりの邸宅で、職場は高層なる景観で、
裏の空き地もはてしなく広大で、
その広場にたった一本そびえた楠は空に届かんばかり、
そんなイメージが今でも残っています。

東大寺も同様でした。
幼い頃、大仏殿も大仏様も空に届くほどでした。
大学になって行ってみて感じたのは、
なんて小さい建物、なんて小さい仏様だろう!
ところが、数年して行ってみますと、
印象はがらりと変わりました。
なんて壮大な建物、なんて巨大な仏様だろう!
正しいパースペクティブがようやく身に付いたということでしょう。

もしかすると、人生に出会うすべてについて、
上記と同様のことが起こっているかも知れません。
パースペクティブの取り方によって、大きくもなり、小さくもなり。

あんなにすてきな美女と思った恋人と結婚してみると、
なんだ普通のお姉ちゃんじゃないか?
しばらくすると、なんであんなに専制的なんだ?
耐えられない!
それに、ただのおばちゃんじゃないか!
ところが、さらに、年齢を加えると、
ああ、やっぱりこの人は素敵な永遠の美女なんだ!
となれば、「二人仲良く暮らしました」と言えるのですが、
相手あってのことです。
奥様の方はとっくの昔にあなたを見限っているかもしれません。
そして、下手をすると、
ああ、人生失敗した!
なんて因業ばばあなんだ!!

正しいパースペクティブで配偶者を見る鑑識眼が備わっている人は
ほとんどいないでしょう。
おかげで、いつもいわば近視眼的に感じ取ってしまうわけです。

でも、中には、先入観を排して、
ただしいパースペクティブで人を観ることができる人がいます。
でも、きわめて稀ですが!

「ああ、私のことだ」、そうあなたがお感じなら、
「そうお感じになること自体、そんな才能の欠如を示している」
そうお答えせざるを得ませんね。

前漢の高祖、唐の大宗李世民、徳川家康がそんな人間の代表格でしょうね。
だから、長期安定の王朝を建てることができました。
彼らの側近には文に強い政治家、武に強い名将がずらりと並びます。

一方、蜀の劉備は、文には孔明、武には関羽、張飛しかおらず、
彼らを相次いで失いますと、速やかに王朝は衰亡してしまいました。
彼らクラスの英傑がさらに幾人も揃っていないと、
漢、唐、宋、徳川幕府クラスの王朝を創立し、
これを長年維持することができないのでしょうね。

日本でも、上記クラスの安定王朝は平安、徳川の2つしかありません。
(ただし、余談に近くなりますが、縄文時代は1万年以上続いたのです。
これは奇跡を越えて、不可能と言いたくなるほどの超寿命の文化です。
なぜ、それほどに永続できたか?
縄文時代の秘密を解明すること位、
世界の歴史学、文明学で重要な課題はありません。
私が断言するから、間違いありません。)

連想ゲーム式長文の私ですから、一体、話の主題はなんなのか?
お分かりにならないでしょう。
私自身、まったく分からないのですから。

一体、なんだったかな?
そう、そうでした。
故郷、でした。

私はその故郷に帰って、幸せに定住することができました。
育った都市、大和高田市ではありませんが、
奈良の文化の中心、というより、日本文化の発祥の地である、
奈良市に住みたいという願いを在職中にかなえることができました。
官庁でも会社でもそうでしょうが、
ほとんどの場合、アパート、マンションです。
私は、就職最初に4戸1という奇妙な集合住宅に最初住んだだけで、
その後は、一生、集合住宅に住んだことがありません。
夫婦とも、自分の人生、自分の趣味があって、
近所付き合いをしている暇がなかったし、
実のところ、そんなこと面倒で、大嫌いだったからです。

奈良有数の住宅街である高畑町に1戸建てが開いているという情報があり、
機会を見つけて、占拠したわけです。
なんでもそうですが、「求めよ、さらば、与えられん」ですね。
そのまま十数年間居座り、転職後も現在の自宅を買い受けて、
まほろばの地に安住してきました。

この日も、診療所を簡単に済ませて、
あとはゆったりと奈良町で過ごしました。
観光客で一杯ですが、窮屈なほどあふれているというわけではありません。
私の好みの場所では、ほとんど人影さえまばらになります。
おかげで、思う存分ロボグラフィを撮影し、
2回喫茶店に入って、思う存分文章をポメラDM20で叩き出している。
私はきっとパラダイスに居るのでしょう。
いくら脳天気の私だって、ただの普通の人です。
いやなこと、気がかりなことはいくらでもあります。
でも、私は楽しいことをするときは、
きれいさっぱり悩みは忘れることができます。
だから、脳天気なのでしょうね。



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# by hologon158 | 2018-10-30 23:37 | ホロゴンデイ | Comments(0)

749.01 美との対話6「45年間も倫敦で水彩画を描いた牧野義雄に脱帽!」



図書館で「マイ・フェア・ロンドン」という本を借りました。
牧野義雄(明治2年12月25日生、昭和31年10月18日没)
著者はピーター・ミルワード、恒松 郁生、東京書籍
掲載された霧の都倫敦の風景画がとても楽しい。
どこもかも、いつも、もう霧だらけ。

牧野義雄という画家、
ロンドンの古き良き時代を45年間も描き続けたそうです。
これだけ一つの都市を描き続けた画家はそんなに居ないのでは?
しかも、外国で!

ウィキペディアの記載によれば、その画法は、
「牧野は霧を描くに当たり、
1910年(明治43年)に発表した自叙伝「日本人画工 倫敦日記」で
「水中に1時間入れて吸い取り紙の様になし、その濡れている内に描く。
乾くに従って近景を描く」と語る。
紙が十分濡れている内に遠くの最もぼやけた部分を描き、
乾くに従って近くのはっきりした部分を描くことで、
霧独特の奥行きある情景を表現した。」

本書に収められた絵を見る限り、
心象風景風の作品群は夢のエピソードという感じで、
音楽で言えば、フュージョンと言った印象。
ぐいぐいと心に食い込んで来るものは感じませんが、
ダルメーヤーのフレア一杯のレンズが大好きな私には、
とても好感の持てる光景です。

もっとも、当時のロンドンは産業革命まっただ中、
どうやら、気象現象の霧に当時の暖房燃料石炭のスモッグが混じり、
濃く、暗く、臭く、大変に健康に悪い現象だったようです。
そのために、何千という大量の死者を度々出したということです。

そう言えば、大阪府豊中市在の私も、子供の頃、冬になると、
数m先はまったく何も見えない濃霧の中を登校したものでした。
これが大好きでした。
でも、日本でも、ロンドンと同様、
濃霧には人為的な原因が絡んでいたのでしょうか?
当時は、山の上から大阪平野を見ますと、
大阪の上にくっきりと線があり、その下はどす黒いガス空間でした。
「ガス平線」と呼んだのは、確か徳川夢声だったと記憶しています。
台風一過の朝だけが、そうしたガス平線を吹き消していました。
今では「ガス平線」は無くなり、冬季の濃霧も稀になり、
大空は、大地から天空まですっきり見通せることが多くなってきました。
単なる気象変化とは思えません。
長年の空気浄化の努力のおかげでしょうか?

そんなことを考えると、
牧野義雄の絵もそんな汚れた空気の時代の記録とも思えて、
心から楽しむのは躊躇されますが、
一方では、私が愛するボケレンズたちの表現にも通じる所があり、
タンバールの幽玄にも通じる所もあり、
やはりここはスモッグのことは忘れて、
牧野の幽玄な表現の妙味を味わいたいものですね。

脱帽!




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# by hologon158 | 2018-10-27 14:50 | 美との対話 | Comments(0)

747.04 ホロゴン外傅240「2018年3月29日スーパーアンギュロン21㎜F3.4が奈良町を席巻」4 使い勝手



前回記載したマックの症状はまだ続いています。
というより、悪化したかも知れません。
旧OSで記事の文章と掲載写真を作成し、
旧OSのハードディスクに収納しても、
新OSではこのハードディスクは読み取ることができません。
そこで、外付けハードディスク1に収納します。
無事立ち上げたと思うと、外付けハードディスク1を読んでいない。
もしくは、外付けハードディスクを読んでいたとしても、
作業中に消えてしまい、結線をつなぎ返したりしても、
読んでくれない。
これじゃ、ブログ作成ができない。

と、ここまで書いて、気づきました。
そうだ、外付けハードディスク2の方にも
ブログデータを保存すれば、なんの支障もない!
ここで気づきました。
アップルのシステムが問題と言うより、
むしろ私の脳内システムの方がクラッシュ寸前ではないか?

スーパーアンギュロン21㎜F3.4が撮った奈良風景4回シリーズ。
今回で終了です。
スーパーアンギュロン21㎜F3.4を使う写真家はかなり多いようです。
ホロゴンウルトラワイドやライカマウントホロゴンを使うプロは、
ほとんど居ないようです。
レンズ特集雑誌に掲載するために撮る程度。
有名なレンズ収集家の写真家なんか、
パソコン掲載のホロゴンウルトラワイドを紹介するビデオで、
ホロゴンウルトラワイドの両脇をがっちり掴んで、
とくとくと解説をなさっていますが、
この行動自体、化けの皮を剥がしています。
この方、ストリートでホロゴンウルトラワイドを、
ただの一度も使ったことがない。
そんな持ち方をしたら、すべての写真の両サイドに、
フランクフルトソーセージそっくりの指が写っているからです。

スーパーアンギュロン21㎜F3.4は画角が狭いうえ、
筐体がボディから突き出ているので、
上記のようなアクシデントは起こりません。
画角が狭い分、超接近しないと撮れないホロゴンと違い、
さまざまな距離で自在に撮れます。
使い勝手がおそらく3倍は自在、という感じ。
しかも、描写は極めてダイナミック。
画像にアクセントがあるのです。
しかも、ホロゴンのように、カメラがわずかに歪むと、
超広角風の地滑りが起こるという現象も目立ちません。

いっそのこと、私もホロゴンをやめて、
スーパーアンギュロン派に転向しようか?
不思議にこんなささやきが私の心に響いたことは、
たったの一度もありません。
ホロゴンで苦労すればするほど、愛着が増します。
私は、写真家ではないので、撮影結果など、二の次。
撮影行為を楽しめることこそ、私の楽しみ。
私のようなスタンスで、使い勝手の悪いカメラ、レンズを使う、
そんな写真愛好家はかなり多いのではないでしょうか?




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# by hologon158 | 2018-10-22 23:44 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

748.00 ホロゴンニュース3「2018年10月21日成田順子創作人形展」命溢れる天童たち




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昨日、思いもかけないアートに出会いました。

成田順子創作人形展 
天夢のおとずれ

実は、私たち写真仲間のリーダー、写真の師匠である、
写真家、コピーライターの林孝弘さんの妹さんなのです。
冒頭に掲載しましたパンフレットは林孝弘さんの製作です。
建仁寺の本坊の小書院で10月28日まで開催されています。

林さんの文章をまずお読み下さい。

「かぐわしき楽の音を響かせて、天上から降り立った
風神・雷神・龍神...
さまざまな神や童、幻想のけものたち。
成田順子の豊かな想念から生まれ、
稀少な古裂や装飾品と巧みの手によって創り出された、
清らかで高雅な人形の数々が
風神・雷神図を所有する、秋の名刹に集います」

主に幼い童たちが主人公です。
粘土で、モデルなしに創り出された人形なのですが、
どう観ても、人形ではありません。
そのまま生きています。
ほとんど同じ風貌ですが、一人として同じ表情はありません。

ときには初々しい表情の生身の幼童。
ときには神々しい霊性を帯びた神秘の存在。

支えなしに、しっかりと自立しています。
ただ立っているだけではなく、
超越世界から現実世界に降り立った聖なる存在、
そう思わせる、不思議なたたずまいをたたえつつ、
そこに静かに佇立しています。
その雰囲気が、夢と現実の狭間の印象を生み出しています。

パンフレット表の「青龍」は中国の伝説の四神の一人。
この四神が、作りの豪華さ、入念さ、完成度の高さ、
内からわき上がって来る精神性の高さにおいて、
ひときわ群を抜いていて、
どうやら、本展のクライマックス的存在とうかがわれます。

でも、私のお気に入りは、別。
不動明王の脇侍である、八大童子うちの二人、
矜羯羅童子(コンガラドウジ)と制吒迦童子(セイタカドウジ)。

奈良市の北当尾(とうの)の里に所在する古刹、浄瑠璃寺に、
見事な不動明王三尊像があります。
私はその脇侍である上記の二童子をこよなく愛しています。
とくに右側の矜羯羅童子の愛らしく、敬虔な表情は絶品なのです。
幾たびにわくわくした気持ちで面会し、うっとりしたものです。

成田さんの矜羯羅童子と制吒迦童子はぐっと小さく可愛いのですが、
その表情の豊かさ、愛らしさ、確かな生命感は全然負けていません。
浄瑠璃寺の矜羯羅童子もその合掌する両手の表情が絶品ですが、
成田さんの矜羯羅童子の合掌も、指先だけが触れ合うだけで、
ちょっと浮き上がる両手の表情がなんともいじらしく、
溢れんばかりの敬虔な思いをたたえています。

「成田順子 人形」でグーグル画像検索していただきますと、
成田さんの過去の作品の一部がご覧頂けます。
これらの小さな写真からは、
今回の作品群が醸し出す、言い知れぬ神秘性、精神性を
うかがい知ることはとても無理ですが、
一個独特の境地にある作家であることはお分かりいただける筈。

もし関西にお住まいであれば、
ぜひ、京都建仁寺においでください。
偉大な画家たちのふすま絵が部屋部屋を埋める仏閣のただ中に、
小粒ながら、深い精神性をたたえた人形たちが、
けっして劣らない存在感に包まれて、静かに佇立する、
不思議な空間!
すべてが浅薄で一過性の域を出ない自称アートが氾濫する現代では、
滅多に出会うことのできない正真正銘の芸術を味わって下さい。






# by hologon158 | 2018-10-22 14:31 | ホロゴンニュース | Comments(0)

747.03 ホロゴン外傅240「2018年3月29日スーパーアンギュロン21㎜F3.4が奈良町を席巻」3 奈良町で



私のMacBook Airの苦闘は続きます。
私のマックのOSはかなり旧型になります。
なぜ、新しいOSにしない?
新しいOSの使い心地がまるでマックらしくないから。
何年前になるでしょうか?
縦型9インチのSE/30を店頭で観て、一目惚れ。
アイコンとマウスの使い勝手の良さ。
そのお絵かきソフトで、呼び方は忘れましたが、
クロッキー風の点描がマウスでさらさら画けるのに、
感涙。
さっそくマックを導入しました。

それ以来、仕事もホビーもマック一筋でした。
かなり長い間、シャープの28インチディスプレイで、
写真も半切大で楽しめる夢の空間を満喫してきたのですが、
8年ほど前でしたか、落雷でMac Proが一瞬にしてご臨終。
以来、仕事で使っていたMacBook Airで我慢する時代。
極小9インチディスプレイにすっかり馴染んでしまいました。
海外旅行も一切止め、撮影も近場だけでひたすら歩く、と、
人生全部が縮小する時代にふさわしいアイテム。

アラビアンナイトに瓶の中の老婆の話がありますね。
このおばあちゃんは、どんな環境に置かれても、
これじゃ私には狭すぎる、と、不平たらたら、
かなりぶっ飛んだスケールの心の持ち主でしたが、
結局、どこまでも欲をかきすぎて、
元の小さな瓶の中に戻されてしまいます。
私は、自分から小さな瓶に入り込んで、
住めば都、と心から満足するのですから、
強烈にこんまいスケールの人間、ということでしょう。

今回の事件は、
エキサイトが私の旧OSへの対応を打ち切ったという、
冷酷な旧ユーザー切り捨て事件。
私の推測するところ、
アップルがエキサイトに強要したのです。
新しいOS、新しいマックへの切り替えの販促作戦。
おかげで、エキサイトブログにアクセス不能に!

現在はこの小さなMacBook Airの内蔵ハードディスクに
パーティションを切って、3分の2を旧OSで、
3分の1を一段新しいOSで駆動していました。
理由は、これもアップルの意地悪作戦。
新しい携帯の写真を読めなくしてしまったのです。
前回の携帯写真の取り込みもエキサイトACCESSも、
私の新しいOSで処理できますから、
でも、どっこい、その手に乗るものか!

でも、今度は、その新しいOSでの立ち上げ、駆動が、
3回に1回は突然画面が暗黒になって不能となる、
そんな理由不明の妨害に悩まされるようになりました。
そこで、私の方の頭脳、心のオペレーションソフトを、
バージョンアップしました。
そのOSの名は「おしん2018」!
「なにが起ころうと、辛抱強く耐えよう!」
昔、世界的に人気を呼んだ連続ドラマの主人公になる!
実のところ、私は当時からテレビなど観なかったので、
一度もドラマを見たことがありません。
でも、ヴェトナムで青年と知り合い、
彼の田舎の実家に招待されて、
ご両親から昼食をご馳走してもらったとき、
おとうさんが何度も嬉しそうに口にしたのが、
「オスィン、オスィン」
ヴェトナムの田舎でも「おしん」が放映されていたのです。
どこの国でも、庶民たちは「おしん」を観て、
おしんに倣って生きよう、がんばろう、
と元気づけられたのでしょう。
私もそんな状況に追い込まれたようです。

旧OSで、記事の文章と写真を全部用意しておき、
マックを一旦閉じて、オプションキーを押しながら、
新OSを立ち上げて、
その新OSで、ブログを立ち上げ、記事を投稿する、
という迂遠な作業が必要となってしまいました。
なんども立ち上げる作業。
ポメラなら一瞬で立ち上がるのに、何分もかかる!
しかも、ときにうまくマックが立ち上がらない!
そうすると、微笑みながら、また繰り返す!
そんな状況をじっと辛抱して、生きる!
まあ、私の人間修業に役立つ、そう考えて、
我慢しましょう。




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# by hologon158 | 2018-10-20 16:58 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

747.02 ホロゴン外傅240「2018年3月29日スーパーアンギュロン21㎜F3.4が奈良町を席巻」2 なにを今更?



10月18日木曜日、写真家吉田正さんの写真教室でした。
写真作品を撮るのをやめて十年以上、
なにを今更、写真を習うなんて?
そういぶかしむ方もおいででしょう。
私もそんなつもりはありません。

ただ、吉田正さんの語りを聞きたいから。
そして、もう1つ、
教室のみなさんもちょっと変わっています。
かなり個性的な人物がそろい、
写真もすでにご自分の境地をお持ちの方が多い。
個性的な写真も楽しめます。

ついでに、私も月一回「写真家ごっこ」できます。
これが案外楽しい。
人に見せるつもりもないままに撮ってきた写真ですが、
組写真をそれらしく作る遊びを楽しんでいます。
今回はちょっと古い撮影分を漁って、
北京オリンピックの前の年に、
北京の胡同で撮った写真から12枚セットを作りました。

胡同は清朝時代の官僚たちの住宅街。
中庭を取り巻く作りで、四合住宅と呼ばれます。
清朝時代は、小さいながらもひとかどの邸宅だったわけですが、
共産中国になり、何軒かが共同で住む集合住宅街として、
完全な下町となりました。
トイレがなく、ストリートに共同便所がこしらえられてあります。
オープンな平土間に大小の穴が切ってあるだけで、
仕切がありません。
プライバシーの場と思っている日本人にはとても使いにくい場所。
中国人は平気です。
生理は万人共通なので、別に隠すものではないのだから。
ところ変われば品変わる、ですね。

E.T.ホールは人間同士の距離感が民族によって違うことを見つけました。
これ以上近づかれては不快になるという距離を、
「密接距離」と名付けていますが、この密接距離が民族で違う。
中国人はアラブ人と並んで、もっとも短いのだそうです。
つまり、たとえば、男同士触れ合っても、別に不快ではない。

一方、密接距離が一番短いのはドイツ人で、
日本人はこれに次ぐ位置にありました。
でも、日本人は変りました。
近頃は、行列や満員電車に慣れきって、
かなり密接距離が短くなっているようです。

私は通勤仕事をしましたが、まったく慣れませんでした。
今では、奈良の片田舎に住んでいますから、
この性向はますます高じて、
行列や群衆に激しい嫌悪を感じるまで至っています。
私は男性ですが、
女性でも近くに来られると、拒否反応を感じます。

ところが、おかしいですね、
向こうから接近されると、拒否反応でも、
こちらから近づく分には、まるで平気。
(誰でも、そうかな?)
だから、ホロゴンによる接近戦を平気で展開してきました。
今回、吉田正さんの教室に持参したのは、
北京胡同ロボグラフィ12枚セット。
全部、ホロゴンウルトラワイドで撮った写真です。
例の通り、ノーファインダー、ノートリミング。
つまり、15mmレンズを腰あたりに両手で下ろして、
被写体に30センチから60センチ、
せいぜい離れて1mの距離で撮っています。
つまり、ホロゴンのような超広角レンズの場合、
接近すればするほど、写真は迫真性を増します。

いつものように、
吉田先生とごく一部のメンバーが反応してくれました。
大半の方は無関心。
それでよいのです。
今回の写真はそのうち本ブログに掲載しますが、
なんの細工もなく、と言うか、
細工、工夫と言えば、超接近だけという撮り方で、
ただ真っ正面から撮っただけの写真です。

「ああ、自転車を撮りましたね」
即座に分かる写真です。
たいていの方は、意識するにせよ、しないにせよ、
これだけ吐けば、もう言うことはなくなります。
言うことがあるとすれば、
「これがどうしたんですか?」
私に言えることはただ単純に、
「どうもしません。
いいな、と思ったから、撮っただけです」

一つ言えることがあります。
行きずりの人に30cmから50cmに近づいて写真を撮れる人は
ほとんど出会ったことがありません。
でも、私はこれができます。
今でも続けています。
これには仕掛けがちゃんとあるのです。
こちらから近づいて撮ることはなかなか難しいけど、
向こうから近づいてきたところを撮るのは簡単なのです。
秘訣はたった一つ、
気配を消すこと、ただそれだけ。

でも、たいていの写真家は、そんな接近写真を撮りたいとは思わない。
物語性がふっとんでしまうからです。
いつも書いていることですが、
そんなことから、私の写真は作品性を失い、
私にとっての遭遇メモという存在になってしまいました。
私は後悔していません。
私の人生での出会いを記録できれば、それで十分。



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# by hologon158 | 2018-10-19 22:08 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

747.01 ホロゴン外傅240「2018年3月29日スーパーアンギュロン21㎜F3.4が奈良町を席巻」1 サイクル史観へ



近頃、歴史のパラダイムが完全に覆ろうとしています。
文明の単一成長史観から、
複数のサイクル史観へ。

単一成長史観というのは私の造語ですが、
人類が未開状態から少しずつ進歩して、
紀元前4千年紀にメソポタミアに文明が誕生し、
徐々に進歩して現代に至ったとする史観です。
この歴史学の常識をぐらつかせるデータがいくつも出始めています。
それよりも前に、文明の所産としか言いようの無い遺跡が
どんどん見つかりつつあるばかりではありません。
従来、シュメール文化よりも後世とされてきた遺跡が、
はるかに先んじて建設された可能性もどんどん生まれています

その最たるものは、トルコの
ギョベクリ・テペ遺跡。
約1万2000年前であることは動かしがたいようです。

巨石柱を中央に立てたサークル状の祭祀施設もしくは神殿。
当時はまだ定住しない狩猟民の時代であるとされてきました。
でも、Youtubeで検索していただければ一目瞭然ですが、
一定の社会が特定の宗教的信仰に動かされて行った建設事業です。
このような壮大な石造建造物群を生み出すためには、
かなり大きな集団が組織化され、
建築、土木等の知識、判断力に裏付けられた種々の作業を
システマティックに遂行する必要があります。
ただの狩猟採集に従事する旧石器時代人たちの
なしうるような事業ではありません。

もう一つ、地質学者ルドルフ・ショック教授が
スフィンクスについて画期的な発見をしました。
スフィンクス本体の表層部の後世の修復部分の下の層や、
修復部分に覆われていないオリジナルの表層の浸食状態を調べて、
その縦に深く刻み込まれた浸食の形は、
砂混じりの風の浸食によってはできず、
長期間にわたる上空から降り注ぐ雨による浸食であることを
証明しました。

ところが、エジプトに雨が降っていたのは、
現代から1万2000年ほど前が最後なのです。
しかも、スフィンクスは、経歴の長い間、砂に埋もれていたのです。
これでは浸食など起こりようがありません。
つまり、スフィンクスは1万2000年以上前に建設されたのです。

他にも、現代の建築工学技術でもってしても、
ほとんど不可能に見える巨大石造遺跡が、
マチュピチュ、サクサイワマン、バールベック等、
数知れず発見されています。
ボスニアには大ピラミッドを遙かに越える底面積の
巨大ピラミッドが発見されています。
要するに、現代の科学技術をもってしても驚異とされる精度の遺跡が
世界中で発見されつつあるのです。

一例を上げれば、大ピラミッド底辺には、
表面に敷き詰められていた鏡石が残されています。
つるつるピカピカの表面です。
花崗岩なので、ノミや石器では磨けないほど硬いのだそうです。
どうやって磨いたか、謎。

ピラミッドの底辺あたりの石の表面に回転鋸の痕跡が残されています。
Youtubeで見ることができます。
しかも、専門家に言わせると、現代の回転鋸よりも高速なのだそうです。

しかし、この半世紀に明らかになりつつある驚異の遺跡を
各地の考古学者たちは既成の古代史の中に押し込もうとしています。
たとえば、アンデスの遺跡の石組みは、
文字通りカミソリも入らぬほどの精度で不定形に組み合わされ、
信じがたいほどに精巧です。
山岳地帯で、巨大な石組みをどうやって運んだか、積み上げたか、
現代科学技術でも極めて困難。
でも、既成の考古学者たちは平然と、
これらの遺跡をすべて、
たった200年程度のインカ時代の所産であると結論づけています。
ところが、この石組の上層部は、インカ時代の所産なのですが、
底部とは似ても似つかない、ただの積み上げ石なのです。

このような奇跡のような精密建造の遺跡では、
同じことが至るところで起こっています。
わずか2、300年の間に、奇跡の工学技術を発達させたのに、
その伝統は突然失われてしまい、
あとはただ小型の不整形の石を積むだけになってしまった?
訳が分かりませんね。

同様のことがエジプトでも起こっています。
大ピラミッドは底辺各約230mの四角錘の精密建造物。
いわゆる王の間の床は完全に水平です。
正確無比の巨大建造物を構築したのです。
建築時期は約5000年前とされていますが、
以来、表層の鏡石のほぼ全部がはぎとられたほかは、
揺るぎもなく立ち続けています。

ある学者が、土台に水盤を並べて、基礎の水平を出した、
そう主張しています。
230m四方の基礎面を完全にならして、水盤を並べても、
もし肉眼では確認できないほどかすかに傾斜していたとすれば、
手近な水盤同士では水平をチェックできても、
両端ではかなり高さが違うということになるのは避けられません。
しかも、このピラミッドの底には小さな丘が残されています。
地形を完全に水平にならさないで、工事したのです。
上記の水盤説ははなから無効と言う訳です。
自分で試してみないで、机上の空論をひねり出して、
「そんなの簡単だい」と大きな顔をするのが学者さん。

そのうえ、その前後に、いくつもピラミッドが造られたようですが、
全部多かれ少なかれ崩れてしまい、
三大ピラミッドに比肩できる精度の高いピラミッドは皆無です。
大ピラミッド建造の技術はどのようにして発展し、
そして、なぜ継承されなかったのでしょうか?
そんな経緯を証明する遺跡はゼロ。
ただ三大ピラミッドだけがそびえ立つだけ。

ヒエログリフもそうです。
エジプトにも、世界のどこにも、
ヒエログリフに先行する発展段階など見つかりません。
楔形文字も同様です。
近頃、詳しいことは忘れましたが、
2、3000年前の絵文字らしきものがエジプトで発見されました。
エジプト学者らは狂喜乱舞のようです。
それ、ついにヒエログリフの祖先が見つかったぞ!
ちゃーんとエジプトで発達してきたのだ!

でも、私には不思議以外のなにものでもありません。
あまりに単細胞的な反応。
発展説を根拠づけるためには、すくなくとも、
誕生、成長、成熟と、3つの段階の遺跡が見つかり、
かつ、その間の継続を認めるに足りる関連性の証明が必要、
ということは当たり前ではありませんか?
はっきりと関連性をもつ3時点が見つかれば、結べます。
でも、2点だけでは、赤ん坊写真を振りかざして、
「アインシュタインの赤ん坊時代の写真を見つけた!」
と騒ぎまくるようなものです。
ひげもない赤ん坊が本当に彼の幼年時代かどうか、
分かるはずがないではないですか?

大ピラミッドがクフ王の建設であるとされたのも、
内部の壁に、かろうじてクフと読みとれる落書きが、
英国人により見つかったからだけなのです。
古来、落書きをする人間は、
落書きされる壁と無関係なよそものと決まっています。
底辺各約230m、高さ約140m、数百万個の巨石を、
完璧な精度で切り出し、運搬し、積み上げて、
古今未曾有の奇跡的な建築を完成させた王が、
自分が作ったことを証するために、ただ落書きだけさせる?
アホかあ!
(普通人なら絶対にしないような愚かな行動を見ると、
大阪では一言そう言います)
まさに、そんなことを主張する人間はアホ。
そんなアホな説が定説としてまかり通るって、
エジプト学者って、みんなアホか?
そう言いたいですね。

翻って現代文明を考えてみましょう。
機械文明が誕生したのはせいぜい19世紀です。
それからたった200年ばかりで、太陽系を無人衛星で探検でき、
地上の人類を何度も一掃できるほどの軍備を積み上げ、
スカイスクレーパーが林立する巨大都会を作りだしました。
要するに、わずか数千年の歴史が、
このような地球規模の文明を生み出してしまったのです。

人類の誕生がいつか明確ではありません。
どうやら10万年から30万年の間らしいと言われています。
当時の人間と現代人との間には、
遺伝学的になんの変りもないのだそうです。
突然変異による進化はもっと長い時間の所産です。
とすると、一度できたことは何度でもできたわけで、
つまり、長く見積もって1万年でここまで来れるなら、
人類の生存期間を最小の10万年と見積もっても、
その間に、幾度も文明が勃興し、滅亡した可能性だって、
あるのではありませんか?

その証明を一つ、最後にあげておきましょう。
マヤ暦の1年の長さは、グレゴリオ暦により正確なことは有名ですね。
この超絶的精度は長年月の観測のおかげだと考えられています。
ウィキペディアが正確かどうか分かりませんが、
紀元前5世紀ごろから使われていたのだそうです。
でも、一年の長さの超絶的精度がマヤ文明で達成されたかどうか、
これは明らかではありません。
どうやって計測し、どうやって記録し、
その記録の堆積からどうやって正確性を高めていったのか?
時間をどうやって測っていたのでしょうか?
先行諸文明からの伝承もあったのでしょう。
先行のオルメカ文明も時間を大切にする文明だったからです。
でも、どうやって伝承したのでしょうか?
すべてが謎です。

でも、明らかなことが一つ!
本当に誰かが計測し、記録し、後世に伝えた!
そんな知恵の継承の手だてをすでに確立していたのです。
このことを否定することはできないのです。
つまり、昔の人は、もしかすると、
現代人より賢かったのかもしれませんね。

というわけで、私に今言えることはこうです。
① 古代人の知能をあなどることはできない。
② 古代人は、先行文明の知恵を一部受け継ぎ、利用した。
③ 文明の形跡は、何万年かの時間が拭いさっているから、
形跡がないことは、古代先行文明の否定を合理化しない。

形跡がない理由を少し書きましょう。

ティラノザウルスは地上の王者でした。
数千万年、進化を重ねた属の頂点、到達点だったのです。
でも、完全な骨格は確かたった1体しか見つかっていない。

竜盤目の大型草食性恐竜たちも幾種類も栄えに栄えたようです。
大腿骨の年輪を数えると、成体は百数十年生き続けました。
それなのに、完全な骨格はほとんど見つかっていません。

ついでに、書いておきます。
ティラノザウルスのようなこの世で最も怖ろしい肉食獣が、
食料にしようと絶えず襲いかかってきたのに!
なぜ、そんなに長生きできたのでしょうか?
答えは簡単です。
余りに巨大で、肉食獣たちもかなわなかった!
余りに沢山居たので、肉食獣たちは食べきれなかった!
当たり前のことです。

1億数千万年も恐竜が地球上を支配したのは、
その間さまざまな危機がおとずれたのに、
恐竜たちはしぶとく生き続け、
生態系の頂点から末端の動植物に至るまで、
共存し続けることができました。
でも、完全な骨格なんて、ほとんど残っていません。
6千万年の長年月が、幸運に化石化したわずかを除き、
すべての痕跡を静かに消し去ったからです。
それほどに化石化して残るのは難しいのです。

人類が文明化するために使った資材も同様です。
彗星の衝突、氷河壁の決壊による超絶津波、火山、地震、
ありとあらゆる種類の地球規模の惨害が、
先行文明の痕跡を消し去ってきたのです。
でも、そんな惨害をなんとか耐え抜いた石造遺跡が、
世界各地に、海底に、見つかりつつあります。
ほとんどの史学者たちはこのようなデータを無視しています。
自分たちの立つ学問的基盤そのものを覆しかねないからです。
学ぶことを忘れて単脳化した学者ほど始末に負えないものはない。
その証拠にどんな廃品業者も持っていきませんね。

さらに、すでに見つかった遺跡の中には、
ここ数千年の現在の文明期には属さない、
太古の遺跡が混じっていて、私たちは気づかないだけ、
ということだって考えられます。
そんな太古の先行文明も、私たち人類の歴史なのです。
私たち人類がどんな体験を重ねて来たか、
私たちの中には太古の先行文明の知恵が隠されている、
その可能性もありそうです。
恐竜たちの歴史を、見つかった化石だけから判断していたら、
今でも、恐竜たちの生態、歴史について無知なままだったでしょう。
自分たちの祖先がさまざまな栄枯盛衰を繰り返して来た、
そんな可能性をむやみに否定したくないですね。

現在分かっていることだけを金科玉条にする限り、
人類に進歩はない、そう言っても過言ではないでしょう。




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# by hologon158 | 2018-10-16 15:16 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

746.00 美との対話5「2018年10月11日アンコールワットの美神たちと出会う」美神の誘い



アンコールワット
美しい響きですね。
いつか訪ねたいと思っていました。
敦煌、大ピラミッド、バールベック、パルミラ、
バビロン、ラサ、アンデスの遺跡、
そして、アンコールワット、
どこも、かなわぬ夢となってしまいました。

神様が「あと一回旅行させてあげよう」とおっしゃったら、
どこに行くでしょうねえ?
ちょっと思案してみましたが、
おそらく敦煌かアンデスの遺跡になるでしょうねえ。

でも、ふっと考えて、神様、いくら寛容でも、
許してもらえるのは、せいぜい2週間の旅だろう。
敦煌もアンデスも行ける場所はほんの一部になりそう。
神様けちだから、飛行機はエコノミークラスだろうなあ。
よしましょう!
自宅で、美と対面する旅を楽しむことにしよう。

図書館で借りたのは、
「アンコール・ワット:密林に消えた文明を求めて」
(「知の再発見」双書)
ブリュノ ダジャンス (訳 中島 節子)

石から刻み出された聖なる像たち。
石壁からポンと飛び出してくるような迫真性があり、見事です。

専門教育を受けたり、特別に修業したりした彫刻家が集まった、
などということはなかったでしょう。
いきなり、造ってみよう、と、石壁を刻み始めたのでしょうか?
それとも、私たちがもはや知り得ない神殿建築の伝統を、
継承したのでしょうか?
おそらく後者でしょうけど、
このような神域、寺院の建築を幾度も試みたわけではないでしょう。
石工たち、彫刻家たちが寺院建築の専門家だったわけでもないでしょう。

おもしろいことは、現代のカンボジアの人たちの風貌にかなり似ていること。
「カンボジアの美女」とか、「ビルマの美女」で、
グーグル画像検索をしてみてください。

どこの国でも聖像はその民族の風貌に似る傾向があります。
彫り師が見慣れた風貌をいわば理想化して刻みつけるのは当然でしょう。
アンコールワットは仏教遺跡だと思いますが、
刻まれた彫刻群の中で、女性の像がかなり多いのでしょうか?
彼らは天女、聖なる存在なのでしょうか?
それとも、諸佛を崇敬する信徒なのでしょうか?
いずれなのか、私には分かりませんが、
分かることが一つ。
みなさん、とても美しく、そして、とても肉感的!
製作者たちの好みが反映しているのでしょうね。

日本人の女性像とはまったく違いますが、
でも、とても魅力的です。
石の中からポンと飛び出たら、
次の瞬間、にっこり笑いそうに思えるほどに、
はちきれそうな生命感にあふれています。

12世紀前半、ヒンドゥー教の寺院として建立され、
15世紀前半、仏教寺院に作り替えられたのだそうです。
美女たちはヒンドゥー教の美神、美女たちなのかも知れません
ウィキペディアによりますと、
境内は外周、東西1,500メートル、南北1,300メートル、
幅190メートルの濠で囲まれているというのですから、広大無辺、
どんなに目覚ましい絢爛豪華な大伽藍だったことでしょう。

参拝者たちにとって、参拝は、想像を絶する超越体験となったことでしょう。
参拝者たちは伽藍を彩る美女たちを憧憬のまなざしで見上げたことでしょう。
もしかすると、ガイドの僧侶が言ったかもしれません。
「仏法に帰依しましょう。
そうすれば、苦しみに満ちた俗世から浄土に昇天することができ、
浄土では、あのような美女たちがあなたを迎えてくれるでしょう。
そして、あなたは極楽の歓楽を永遠に尽くすことができるのです」
男性信徒にとっては、ありがたいお説教よりも効果的だったかも?




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# by hologon158 | 2018-10-11 18:03 | 美との対話 | Comments(0)

745.04 ホロゴン外傅239「2018年3月21日ビオゴン21㎜F4.5が奈良公園に」4 闇と孤独

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私はどちらかと言うと、暗闇に強い人間です。
子供の頃私が成長した奈良県大和高田市は田舎町でしたから、
夜、午後9時頃ともなると、寝静まった街路はほとんど暗黒でした。
でも、平気でした。

小学校6年2学期に大阪府豊中市に転居しましたが、
事情は変わりませんでした。
当時は、睡眠時間になると、廊下は完全に消灯しました。
トイレに立つと、トイレでも電気など点けません。
月明かりで代用。
小窓から庭を見るのが好きでした。
冬など、月光が冷たく青く庭を照らし、
まるで雪が積もったような気配に満たされていました。

はっきり記憶していますが、
大きな蜘蛛を裸足で踏んでしまいました。
グチャッという感触。
でも、その足をどうしたという記憶も、怖がった記憶もありません。
まあ、そんな少年でした。

だから、長じても、同様。
さまざまな国の都市を一人旅しましたが、
私の子供の頃そっくりで、大抵、夜間の街路はほぼ暗黒でした。
まあ、そんなあたりにいつも宿をとっていたのです。
でも、平気でした。

十数回旅をしましたが、怖い思いをしたことはありません。
友人に言わせると、
私がよほど幸運だったということのようです。
私も賛成です。
私は万事幸運に助けられて生きている、
といつも感じて、生涯を生きてきました。
別に人より幸運なわけがありません。
そうできる理由は実に簡単。
よく言われる言葉があります。
「棒ほど願って、針ほどかなう」
私は、ちょっと違います。
そのような願い方をしたことはありません。
あまり欲も徳もない人生で、
手に入れたものを最高に幸せと思い込むことにしてきました。
手に入らなかったものは手に入らなかったのですから、
悔やんでも、惜しんでも、まったく甲斐がありません。
手に入れたものに満足して、次のステップとすれば、
いつか、さらに幸運な境地に達するかもしれない、
そんな風に考えて生きてきました。

手に入れたものを最高に楽しむ生き方の一つとして、
どこででも、写真を楽しむ、という撮り方を選びました。
大抵のストリート写真家も風景写真家も猟場があります。
その猟場がいつも一定というわけではないでしょうけど、
とにかく猟場を探し、あるいは猟場に足を運ぶ必要がある。
私はそんな必要がありません。
家を出た途端、ときには、家の中でも、
足を運ぶルートはすべて猟場。

そうできる秘訣も実に簡単。
大抵の、ほとんどの写真家は、
一定水準以上の写真を自作と認め、他は捨てます。
写真を始めた頃に出会ったベテラン写真家を記憶しています。
50がらみのしっかりとした姿勢の男性でした。
「私が残している写真は1枚だけです。
ほかは全部捨てました」
格好いい!
そう心から讃歎しつつ、感じたことは、
「この人、寂しいひとだなあ」

あるプロの女性写真家が指導のときに豪語されました、
「私は一本のフィルムに4、5枚は作品が見つかります」
私を含めて、生徒はみんな一斉に讃歎のため息。
5本に1枚もなかったのですから。

それがいつしか変わりました。
「全部、私の足跡じゃないか!
みんな私の人生の証拠写真!」
そう変わったのです。

今でも、写真家、写真家志望、そんな皆さんは、
1枚の傑作を求めて、奮闘努力しておられるでしょう。
その傑作は、写真家自身だけではなくて、
多くの人がそれを見て、そのイメージに心を奪われ、
その作品としての意味に深く思いを巡らし、
感動に心を震わせる、そんなものでなければなりません。

私が感じるのは、「ご苦労様」のただ一言。
そんないわば第三者へのアピールが無用となって、
自分一人で自分の写真を楽しむ日々は実に安らかです。
そのすべてが自分の人生のレンガになってくれる、
という感じ。
人から見たら、いわば「世捨て人」なのでしょう。
私は世を捨てていませんが、世は私を忘れてもよい、
そんな気持ちになっているようです。

カール・ヤスパースはどこかで書きました、
「人は誰もが一人一人孤島である」
それじゃ、自分の島を豊かにしなきゃ、
という気持ちで生きるのが一番。
暗闇を怖がらなかった少年時代の私と、
孤独を怖がらない現在の私と、
どこも変っていない、それが私の正直な印象。





# by hologon158 | 2018-10-07 15:49 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

745.03 ホロゴン外傅239「2018年3月21日ビオゴン21㎜F4.5が奈良公園に」3


災難が起こりました。
エキサイトブログだけが読めなくなったのです。
アップルサポート、曰く、
近頃、古いバージョンでのサポートをやめるサイトが増えている!
逆じゃないの?
アップルの方が打ち切ってるじゃないの?
どんどんグレードアップするマックにユーザーを移行させるため!

幸い、私のマックブックAirで読めないアイフォンの写真を読む、
ただそれだけのために、
上位バージョンのOSを別パーティションにインストールしてあります。
この上位バージョン移行のインタフェースはますます進化して、
複雑怪奇になっていて、私は使いたいとは思わない。
そこで、パソコン上での仕事、楽しみはすべて現在のマックでやり、
ブログ記事の原稿をすべて作っておいて、
ブログを更新するときだけ、マックのOSを切り換えることにしました。
この上位バージョンにもサポート停止の魔の手がどんどん近づくでしょう。
悔しいですね。
でも、ブログ人生も楽しみたい。
なんとか切り抜けていきましょう。



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# by hologon158 | 2018-10-04 15:17 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

745.02 ホロゴン外傅239「2018年3月21日ビオゴン21㎜F4.5が奈良公園に」2 災厄列島


10月1日月曜日、
台風24号一過の朝でした。
山の端にわずかな雲気を観るだけで、全天快晴。
天気晴朗、完全無欠の秋晴れ。
台風24号、日本列島太平洋岸を疾駆し、
空のゴミをワイパーでごっそりぬぐい去ったという感じですね。

本当に久しぶりに、晴天の月に会うことができました。
青い空にすっと白く月面が見えているのです。
私の住む住宅地は奈良盆地の東側丘陵にあり、
バス道まで西空を見ながら下っていきます。
その間、ずっと晴天のお月様とおしゃべりしました。
お月様がおっしゃってました、
「近頃、君たち人間はすっかりバカになったねえ。」
私、
「そんなことありませんよ。
コンピューターとか携帯電話とか、
便利なものをどんどん発明していますよ」
お月様、にっこり笑って、
「君たち、分かっていないんだね。
おかげで、君たち、それなしになにもできないじゃないかね。
君たち、もうすっかり機械の奴隷になってしまっていることに
気づいていないね。
気づいても、もう手遅れだけどね。」

台風、和歌山県田辺市に上陸して、
奈良県南部を通過したようです。
奈良市の我が家には午後9時から10時頃通過していったらしい。
でも、かなり足音をひそめて、
「おじゃましましましたあ」という風情ですっと消えて行きました。
一階の南側リビングルームに居た妻はかなり風音を聞いたそうですが
二階北側の小さな書斎に居た私には、
揺れはなく、風音もぜんぜん聞こえませんでした。
二重サッシと北側という部屋の位置のせいでしょうけど、
大阪を駆け抜けた前回の台風のときには、
ちょっと恐ろしくなるような風音、振動を感じたのですから、
台風の経路によって、大変な違いですね。

よく台風のコースの右側が危険、と言います。
ジェーン台風、第二室戸台風、平成10年の台風7号は、
全部奈良の北側を駆け抜けた台風でした。
ジェーン台風は1950年、
私はまだ物心ついたばかりの幼児でした。
でも、くっきりと一シーンを記憶しています。
大和高田市の当時の住まいは平屋建てで、
両側に2室分の幅でどちらも廊下になっていて、
縁側には仕切の桟で区切られたガラス戸がついていて、
どちらも雨戸がありませんでした!
北側に大きめの平地、南側に瀟洒な日本風の築山付きの庭、
つまり、家の両側が開けているので、
暴風が我が家を容赦なく風雨で殴りつづけたのです。
南側ガラス戸が突風にあおられてガタガタと盛大に鳴り続け、
不気味にしなり、隙間から雨しぶきが飛び込みました。
いつガラス戸が吹き飛ぶかわからないほどの猛烈さでした。
ガラス戸の向こうの庭木は倒れんばかりにしなり、
ガラス戸にはバケツでぶちまけるように、
バシャバシャッと雨が叩きつけられていました。
下の姉がガラス戸を押さえながら、
「割れるーーー!」と泣き叫び、
私は床に転がって笑い続けたことを覚えています。
記憶はそれだけ、結局ガラス戸は割れなかったようです。

私は20年ばかりテレビを一切観ませんし、
今朝は朝食後すぐに家を出ましたので、
被害状況は分かりませんが、
深刻な被害が出ていないことを祈ります。

中国文明は黄河、揚子江の賜物であるとよく言われます。
洪水等の深刻な災害に対する防災、治水と被害回復の努力が、
漢民族を鍛えたと言われています。
ほぼ同じことが日本にも言えそうです。
日本ほど自然災害が各種頻発する国って、
他に例を見ないのではないでしょうか?
お役人たちが考え出した治水対策は、
全国の河川の河川敷と周辺斜面をコンクリートで固めるという、
土木業者支援事業でした。
五月雨を集めて早し全国の川、
内緒金を集めて懐暖かし議員さんたち、
ということで、周辺丘陵地帯の雨水があっと言う間に河川に集まり、
鉄砲水となって、不測の惨害を下流地帯に与える危険が増大しています。
林野庁の杉、檜等の事業林政策のおかげで、
保水力があり、その斜面から地下水が供給されていた日本全土の多くが、
保水力のない杉、檜林に覆われたことも、上記の惨害を助長しそうです。

でも、そのような人災の可能性がますます拡大する危険も怖いですが、
自然災害が度外れ様相を呈しつつあることがさらに恐ろしいですね。
地震、台風も恐ろしいけど、
南海トラフのような大津波を伴う地殻異変、
堆積されたマグマを日本列島にまき散らし、天候を一変される、
世界で噴火の危険No.1とNo.2である硫黄島、阿蘇山、
さらには、東京都に至近の富士山の大噴火はさらに恐ろしいですね。
これらは日本列島の重要な一部もしくは全部を滅亡させかねません。
孫たちのためにも、これらの災厄が今後何百年も起こらないことを、
毎日祈っています。




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# by hologon158 | 2018-10-01 22:36 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

745.01 ホロゴン外傅239「2018年3月21日ビオゴン21㎜F4.5が奈良公園に」1 カラオケ


私は一年ほど前から落語を楽しんでいます。
落語界って、人形浄瑠璃とよく似た状況にあるように思います。
大正期から第二次世界大戦を挟む昭和中期までに、
かなりの名人が輩出しました。
その後、テレビブームに乗って、
かなりたくさんの落語家が生まれましたが、
話技においても人間味においても、
先輩名人たちには遠く及ばないレベルと言わざるをえません。
中で、一人だけは例外的に正真正銘の名人だったように思います。

古今亭志ん朝

私が聞いた限りにおいては、ですが。
今そこで、志ん朝の中からその落語が生まれ出てくる、
そんな感じさえさせるほどの板に付いた自然な語り。

でも、ご本人が亡くなった今ですから、言えることでしょうけど、
ちょっと言い方が悪いけど、あまりにもピタリと決まりすぎて、
まるで着流しにネクタイをきちんとしめている、
そんな感じがしてしまうときがあるのです。

じゃ、誰がよいの?
そう尋ねられますと、もう答えは最初の最初から決まっています。

桂枝雀

私は、正直なところ、落語界のことなど知りませんし、
どこかで読んだこともありません。
すべて、図書館でCDを借り、Youtubeで検索し、
自分でCDを物色し始めて、それらを聞いた限りなのですが、
この人は特別です。
志ん朝のような完璧な芸術ではありません。
言い間違え、言いよどみもときにあります。
でも、いつも心が感じられるのです。
まるで生身の人間がその気持ちを全部さらけ出して語っている、
そんな感じさえします。

そんな語りの一つにカラオケを題材にしたものがあります。
彼の創作落語です。
ある日、カラオケにはまってしまって、
あるとき、「アンコールツッ」
というバカにするようなかけ声にムカッと来て、
26曲歌い続けたという顛末。

その中で、カラオケがなぜ気持ちよいのか、
と考えるくだりがあります。
家庭用も売り出されているが、
そんなもの買う人はあまり居ないだろう。
カラオケの醍醐味は、まるで歌手のように大好きな歌を
伴奏付きで歌えることにあるけど、それだけではない。
わたしの歌を人が聴いている、
これが一番大きな理由だとおっしゃるのです。

実は私はカラオケが大嫌い。
カラオケを歌ったこともなく、カラオケ喫茶に行ったこともない。
なぜ?
何十年もテレビを観ないせいもあるでしょうけど、
歌謡曲もポップスも聴いたことがなく、好きでもなく、
したがって、ただの一曲も歌えないことはさておいて、
歌声にさまざまな装飾をかけてもらい、
高下駄履かせてもらって、どうだ、高いだろう、
と威張るようなもので、
私には聴いていられないからです。

でも、枝雀さんの落語にうんうんその通りとうなづきながら、
ふっと、気づきました。
ブログって、まさにカラオケだ!

枝雀さんが言います、
一曲終わったら、みなさん、わいわい喝采するけど、
それは自分のときにも拍手をもらいたいからで、
本気になって賞賛しているわけじゃありませんね。
その証拠に、みんな、聴きながら、
一生懸命自分が歌う曲を探していますね。

ブログもそうですね。
人気ブログにはコメントが続々寄せられるようです、
これはコメントが端緒となって、
ブログ主に、自分のブログに答礼の訪問してほしいし、
人気ブログのコメント欄伝いにたくさんの人が
自分のブログに来てくれるかもしれないから、と、
そう気づきました。

その上、だんだんわかったことですが、
ブログもコマーシャルを引き受けると、
アクセス数に応じて謝礼を稼ぐことができるのだそうです。

数年前、電車の隣に座った青年、エクセルらしい表に一段ずつ、
一口文章を書き殴っていました。
速射砲のように、まさに目にも留まらぬ早業でした。
なんだろう、とちょっとのぞいてみました。
一番左がどうやらURL、次が名前のようです。
一口文章が目に入りました、
「おっしゃるとおりですね。おそれいりました」
「そこまで気づきませんでした。さすが」
「私もそうしたいと思っています」

何のことはない、ブログとは限らないでしょうけど、
そんな類のサイトで友達を増やそうと、
毎日、めったやたらと訪問して、コメントを送り続けているのでしょう。

まだ4、5歳の頃の孫が私の携帯を奪い取ったら、
人気のおもちゃの紹介サイトにさっとアクセスしていました。
妖怪メダルの新発売を紹介する人気サイトは、
それだけで生活できるほどの高収入になるのだと聴きました。
今はどうか知りませんが、私がブログを始めた頃、
毎日の訪問者が1000人を越すブログがコマーシャル掲載を受け入れると、
かなりの収入になると聴きました。
本当でしょうか?

私も裕福な人間ではありませんが、
日記ブログにコマーシャルは邪魔です。
パソコン上の私の2つのブログは、あらゆる装飾を排除しています。
お気に入りとかなんとかそんなものも受け入れていません。
暗黒のバックグラウンドに文章と写真だけが浮かび上がるだけ。
おそらくブログ世界ではもっともシンプルな体裁でしょう。
ところが、携帯で私のブログを開くと、
勝手にiPhoneの画面下5分の1をバナー広告が占領。
過去記事の欄に勝手にコマーシャルが割り込んでいる!
こいつら、なんとかなりませんかねえ?
一応、復讐の意味で、いっさい目をくれず、
ましてオープンなど絶対にしない。
もしかすると、他人のアクセスをいっさい禁止する設定にしたら、
携帯での広告割り込みはなくなるのでしょうか?

でも、私は日記なのに、公開しています。
コメント欄も開いています。
アクセス禁止、コメント不可の設定もできるのに、
していません。
なぜ?
自分で勝手に、これからは本格的に日記とする、
と宣言する前に、幾人かのブロガーと親しくなってしまったからです。
でも、それがなかったとしても、そうしなかったでしょう。
なぜ?

ここで、ブログカラオケ論が浮上します。
なぜ、日記がいつも長続きしなかったか?
どうやら、自分一人の心覚えとして書くだけでは、
結局忙しさに負けてしまい、
どうせいつか読むはずもないんだから、と、
どんどんモチベーションが減退してしまったからでしょう。
でも、ブログを公開しておきますと、
どんな人が読むかもしれないという、緊張感が生まれます。
誰が誰やらわからない御仁が読んだって、
まったく気にすることはないのですが、
やっぱり、あまり恥ずかしいことはできません。
つまり、日記に書けないようなことはしない。
それだけで、生活にちょっとした緊張感が生まれます。

ただし、私には読者がいるんだから、という気分は皆無。
最初の一年、コメント数をチェックしたからです。
ほとんど人が来なかった!
一年間毎日数個以上の記事を出したのに、アクセス数が増えない。
その原因ははっきりしています。
つまり、検索の結果訪問する人は居ても、リピーターはほとんど居ない。
だから、累乗効果が起こらない。
私は思い切りのよい人間なので、それで来客のことは忘れ、
以来、ただの一度もアクセス数をチェックしたことはありません。
その後、別ブログ「レンズ千夜一夜」を始めましたが、
こちらはテーマそのものが拡散性がないので、
ハナからアクセス数など気にしたことがありません。
お陰さまで、自分の好きなように記事を出したり出さなかったり。
出すときは、数十枚ずつ写真をアップします。
そうしないと、どんどん撮影する新着分がはけません。
今でも70回ほどの撮影分が溜まりに溜まっています。

というわけで、ひたすらせっせせっせと、
一人カラオケを楽しんでいるわけです。
「ああ、今日はアップする写真が一枚もない!」
そんなときがいつか来るでしょうか?
もちろん、来ます。
誰も死を免れないように。
でも、それまでは大いに楽しみましょう。




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# by hologon158 | 2018-09-28 22:28 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

744.00 美との対話4「2018年9月26日日本の秘仏たちのふっくらの美しさに打たれ」



図書館で「日本の秘仏」(平凡社)を借りました。
各地のお寺の秘仏を特集したもので、
見事な精密描写の仏様の写真が並んでいます。
掲載写真をお借りしてブログに記録するときには、
デジタル写真の記録性のメリットを感じます。
複写しても、あまり画像が劣化しません。

でも、仏様としてのありがたみはかなり薄れてしまう感じがします。
美女の肌をシミ、そばかすまで写し取ってしまうのに似ています。
写りすぎです。
デジタルカメラやデジタル写真ソフトは、
そうしたシミ、そばかすをデジタル処理してしまいます。
現代の映画やポートレートに浮かび上がる美女たちは、
精緻きわまりない化粧に画像処理が加わって、
天女のようで、現実の女性とは完全に異質な存在です。
孫の家でテレビを見ましたが、
あらゆる番組の登場人物が毛穴一つない妖精じみた真っ白お化け。
強烈な違和感を覚えました。
みなさん、慣れてしまったのでしょうか?
結局、テレビに出現する存在はすべて人間ではない、
ただの映像、イメージなのです。

ちょっと話が逸れましたが、
デジタル処理でいやが上にも精緻な画像に処理された仏像たちは、
私が複写してブログに掲載するレベルになると、
かなり現実の存在に近い位に画像が劣化します。
まだ我慢ができる程度。

昔、新薬師寺の十二神将を撮影したいと思ったことがありました。
でも、特別撮影許可をもらうためには10万円ほども要ると聞いて、
諦めました。
そのときも、断念することに躊躇はありませんでした。
写真家ではないのです。
それだけのお金を出して三脚に35mmカメラを据えても、
どうせ補助光はストロボ1灯かせいぜい2灯。
陰の多い不自然な明暗のさえない仏像写真が撮れただけでしょう。
仏像写真家たちが撮った傑作仏像写真をお借りして、
ブログ記事を作るなら、安上がりだけではなく、
私なりに仏の心を感じることができるかも知れません。

仏教国はいくつ位あるのでしょうか?
そして、仏像を安置した仏教寺院のある国はいくつあるでしょうか?
私は知りません。
私が知る限りでは、元祖インドのほか、
中国、タイ、ビルマ、ラオス、カンボジア、韓国、台湾、
そして、日本でしょうか?

おもしろいことに、顔が少しずつ違うのです。
お国柄、民族色がしっかり反映されています。
同じブッダがそれぞれの国の人に似ていますね。
インドでは、ブッダははっきりインド人です。
中国も、インドほどではありませんが、中国民族的です。
日本の場合は、仏教が外来宗教であるせいでしょうか?
やや異国的、つまり、中国的という感じがします。
はっきりと日本人に似た仏像と言えば、石仏でしょうか?

今回収録の仏様たちは一定時期の限定公開秘仏ばかり。
かつては、秘仏にもひっそりお目にかかることができました。
今はおそらくワンサワンサの群衆に揉まれかねないでしょう。
参りません。


1 5349 滋賀県大津市 盛安寺 十一面観音立像

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2,3 滋賀県守山市 福林寺 十一面観音立像

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4 京都府加茂町 浄瑠璃寺 吉祥天立像

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5,6 滋賀県大津市 園城寺 訶梨帝母倚像

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7 奈良県斑鳩町 法隆寺 救世観音立像

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8 奈良市 五劫院 五劫思惟阿弥陀像

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9 広島県尾道市 摩訶閆衍寺 十一面観音立像 

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実はこの記事を書く前に、
「日本の秘仏」は図書館に返してしまいました。
すでにパソコンに取り込んでおいた画像の順に、
私愛用のテキストエディタMiにデータを記載しました。
ところが、いざ画像をブログに取り込む段になって、
なぜかどれがどれやら分からなくなってしまいました。

そこで、ネットで検索してみたのです。
驚きました。
私が本書から取り込んだ画像としっかり対照できる、
そんな精密画像はネットにアップされていない!
秘仏は、ネットにさえも公開されていない?
そうすると、そんな秘仏たちを精密画像で掲載する、
この「日本の秘仏」は、本気に秘仏たちのお姿を拝見できる、
数少ないチャンスを提供してくれているのかも知れません。
実際にお寺で拝観できたとしても、
厨子の奥深くに収められて、間近に近寄れないでしょうから。

もう1つ、面白い発見。
秘仏には、観音様を初めとする女性像が圧倒的に多い!
これも当然でしょうか?
上代からお寺さんたち、その美しさに酔いしれるあまり、
ちょっと恋心も手伝って、
「俗人たちになど見せるのはもったいない!」

そんなかなり俗っぽい想像をしてしまうのは、
観音様たちがとても美しいからなのでしょう。
制作年代はさまざまなのでしょう。
でも、どなたもふくよかですね。
そのあたりからも、感じるのですが、
日本人はかなり長い間中国文化、中国思想の影響を受けてきました。
仏教も、直接インドからではなく、中国仏教のフィルターを通りました。
理想の女性像についても、もしかすると同様のフィルターがあり、
美女の理想と言えば、中国の美女を思い浮かべる伝統が、
日本には静かに定着していたのかも知れませんね。
そのおかげで、僧侶も仏師も信者たちも、
ふくよかな頬の容貌にとりわけ惹かれてきたのかも?




# by hologon158 | 2018-09-26 18:46 | 美との対話 | Comments(0)

743.04 ホロゴン外傅238「2018年3月23日マクロスイター50㎜F1.8と春日大社で」4-完-自画自賛



私は自分が写真のど素人であると弁えています。
以前は写真家になりたいと思ったことがあるのに。
よく、不思議に思ったものでした。
なんで、こんなに素敵な写真をバンバン撮っているのに、
誰も私の写真に心を躍らせないんだろう?
そして、ある日、はっと気づいたのです。
「我が身可愛さのあまり」という言葉がありますね。
それなんだ!

コーサラ王とマッリカー妃のお話を思い出しました。
王が妃に尋ねたのです、
「この世で一番愛する者は誰か?」
妃は言下に、
「私です、王様もそうでしょう?」

自分を見るときは、客観視は無理なのかも知れません。
だとすると、写真だって、同じじゃない?
誰も自分の写真が一番好き、というわけです。
でも、自分以外の写真はどう?
そう尋ねられると、誰もがそれぞれに違った写真をあげるでしょう。
たで食う虫もすきずき、という言葉が写真にも当てはまるのです。
みんな一人一人違った人生を歩んできました。
違った趣味とセンスを持っています。
異口同音に「これが最高」と一致するような共通項はない!
そう断言することができるでしょう。
偉大なるカルティエ=ブレッソンについてだって、
アマチュア写真家がさらりと言ってのけるのを聴きました、
「あんなぶれぶれの写真、どこが良いんですか?」
「我々はもうカルティエ=ブレッソンを軽く超えてしまいましたよ」

というわけで、今から10年以上前に、
私は写真家志望をやめました。
気持ちがぐっと軽くなりました。
他人の評価を期待する必要がなくなったのですから。
そこで、なにが起こったか?
自分の写真をさらに深く強く愛するようになったのです!
人に頼るから、いつまでもくよくよすることになる。
人に頼まなくなると、平気で自分の写真を愛せます。

というわけで、幾度も幾度も念のために書いていますが、
私の2つのブログは写真ブログではありません。
「写真日記ブログ」
というより、正確には、
「写真ストック付き日記ブログ」
写真と日記とはほとんど連繋していません。
その場その場で感じたことを書き、
遅まきながら半年ほど前の写真をウェブに蓄積しているわけです。
全部、私のために。
いつか日記を読み返し、ああ、こんなことを考えただなあ、
いつか写真を見返し、ああ、こんな写真撮ってたんだ!

日記帳なら3日も続いたことがなかったのに、
2つのブログ、飽きもせず、ずっと盛んに楽しんでいます。
そして、相変わらず、
「ああ、いい写真、撮れたなあ!」と自画自賛しています。
つまり、自分の大好きな写真。
他の人もそうなのでしょう?
確かに、いい写真を見ることができます。
でも、そうでもないのもあります。
でも、温かい気持ちで見守ってあげなきゃ。




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# by hologon158 | 2018-09-25 22:22 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

743.03 ホロゴン外傅238「2018年3月23日マクロスイター50㎜F1.8と春日大社で」3 木の鬚


奈良、大和路にはさまざまな古い道があります。
その筆頭が「山辺の道」でしょう。
最初から最後まで歩いたのはたった2回ですが、
良いとこ取りであちこちピックアップして歩いた回数は、
数えきれないほど。
でも、近頃、古道の雰囲気を次第に失いつつあります。
際限なく拡大して行く住宅地が随所で鄙びた景観を浸食し、
古道のたたずまいとはほど遠い場所が増えているからです。

そんな現代化の波に現れることがない古道、
そう言えば、おそらく柳生街道とささやきの小径でしょう。
柳生街道は、ただし、林間をひたすら歩くだけで、
さほどロボグラフィにも景観にも恵まれません。
私も30数年で歩いたのはたった2回。
数え切れないほど歩いた古道と言えば、
私の場合、ささやきの小径が筆頭でしょう。

高畑町界隈は、昔風に言えば、奈良の高級住宅地と言えそうです。
さりとて大富豪の邸宅が並んでいるわけではありませんが、
静かなたたずまいの住宅街で、奈良公園と接しています。
東大寺、春日大社のバックグラウンドに広がる春日山は、
原生林を含んでいますが、このささやきの小径から飛火野にかけて、
天然記念物のナギ林が広がっています。
そのナギ林を西側に見ながら歩ける山道がささやきの小径なのです。
もっとも、ナギという木はさほど見栄えの良い木ではありません。
くねくねとのたくっていて、いじけた感じ。
見所は、この小径に覆い被さるような杉や松の古木林。
春日山の主のような老杉の他を圧する巨体にも会うことができます。

今回はそんな古木とマクロスイターとの出会いの記録。
この林に入る度に、思うのですが、
J.R.R.トールキンも私と同じように、
ブリテンの林で出会った老木たちに出会って、
老いた木の精の化身なのだと分かったのでしょう。
彼の生み出したユニークなキャラクター、Ent(木の鬚)は、
このささやきの小径にも、遙かな遠縁の親戚を持っているだろうな。




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# by hologon158 | 2018-09-22 19:12 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

741.02 ホロゴン外傅238「2018年3月23日マクロスイター50㎜F1.8と春日大社で」2 隠棲


8月31日に左肋骨を1本折ったことは報告しました。
治療法は固定とテープ貼付だけ。
固定は簡易なギプスのようなものが用意されているそうですが、
私はすでに購入していた姿勢矯正用のシャツで代用しました。
洗濯を考えて、2枚購入していたのですが、
タンクトップタイプなのですが、とにかく着用が猛烈に窮屈。
そして、着心地もやや拷問に近いので、お蔵入りしていました。
この肩の部分をハサミでジョキジョキ。
ただの筒になり、固定にもってこいの状態。
薄いので、目立ちません。
医師の許可を得て、これを着用。

たった2週間、9月15日頃には痛みがほとんど消えました。
友人3人と奈良公園を撮影し、ホロゴンで500枚弱撮影。
なんの疲れも痛みもなし。

昨日20日、そろそろ起床直後のストレッチを再開することに。
当初は、段階的に慣らし運転するつもりでした。
ところが、やってみると、なんの支障もなくフル運転。
150数えるブリッジや15回の腕立て伏せも含めて、
全コースをスムーズに完了。
おかげで、身体が快調そのものになりました。

生まれて初めての骨折でしたが、良い経験でした。
教訓1 災難はどこに待っているか、分からない。
教訓2 どんな場合でも、冷静に対処するだけ。
教訓3 なにもない平安な一日がどんなに大切か!

一つ、副産物がありました。
私は午前零時、ブログ作成や文章作成を止めて、
韓流ドラマを楽しむ時間に移行します。
その際、近ごろだと、芋焼酎のオンザロックを、
ちょっと大きめのグラスで頂いていたのです。
ふっと考えました。
夜間小用に立つのは、そのせいじゃないか?
(当たり前ですね。今頃気づく方が遅い!)
最初の1週間は、布団に寝ころび、起き上がるのが拷問。
大変な苦痛が走るのですが、私は実のところ、
あまり苦になりません。
苦痛は一時のもの、すぐに去り、記憶しない、
そう分かっているからです。
でも、やっぱり拷問には違いないから、減らしたい。
そこで、3分の1の量に減らして、
小さめのお湯のみのお湯割りにしました。
夜間の小用が激減しました。
私は、へべれけに酔う気分が大嫌いなので、
酒飲みではなく、一人ちょっと嗜みたいだけ。
今回の体験で、量は関係がないことが分かりました。

私は、やるべきことはなんでも習慣化することで、
一生、さまざまな体質改善をしてきました。
「なんでも3週間継続すれば癖になる」
どこかでそんな言葉を読んで、採用したのです。
そのとおりでした。
現在老化を防ぐためにさまざまな工夫をしていますが、
すべて癖になっているので、苦になりません。

数年前、旅行をやめました。
私のやりたいことはすべて我が家でできる!
そう気づいたからです。

これらのことを一纏めにしてみると、
どうやら私は人生をどんどん縮小化していっているようです。
いつでも身体を殻に引っ込められるカタツムリのように、
自分を安全な殻の中に包み込もうとしているのでしょう。
無理をしないで、今、ここで楽しめることだけを楽しもう!
身体はフルに使うけど、疲労は決して残さない。

ソクラテスは、若い頃は重装歩兵(ホプリテース)として、
遠征に従軍しましたが、高齢になると、アテーナイに止まり、
日々、対話に明け暮れました。
思弁の旅以上に遠くに行ける旅はなく、
思弁の旅以上に心を躍らせる旅はない、
そう考えていたようです。
私もソクラテスに倣って、我が人生をひっそり楽しみましょう。





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# by hologon158 | 2018-09-21 12:55 | ホロゴン外傳 | Comments(0)