わが友ホロゴン・わが夢タンバール

804.01 落ち着き(2019年2月13日奈良町がズマロン35㎜F3.5に優しく微笑み)1



人間にとって一番魅力的な視覚対象は?
誰かにそう尋ねられたら、あなたはどう答えますか?
もちろん、答えは一つですね。

   人間!

もちろん観たくない人間だっていますね。
でも、あなた以外の人間が全部消え去ったら、どうですか?
生きていくことができませんね。

あなたが写真家だったとして、
一番撮りたい被写体は何ですか?
誰かにそう尋ねられたら、あなたはどう答えますか?
人によって、様々でしょう。
でも、アマチュア写真家時代の私にとっては、答えは一つでした。

   人間!

偉大な写真家の多くは、人間を撮ることで偉大性を獲得しました。
カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛がまさしくそんな写真家の頂点ですが、
アマチュア写真家だった時代に、
魅力的な人間を沢山撮る幸運に恵まれた人、
それが、アンリ・ラルティーグですね。

古き良き時代のフランス人たちの優雅な日常を、
誰よりもたっぷりと撮り続けることができた人です。
1894年、富裕な家庭に生まれ、幼くしてカメラをプレゼントされ、
日常を撮り続けました。
すでに名作が生まれています。

 12歳のときに撮った「カロリーヌ叔母、ブラントヴィーニュ氏」
 17歳のときに撮った「女優のアルレット」

いつ、なにを撮ったらよいのか?
彼はその頃から既に知っていました。
当時から彼は巨匠だったのです。

それが才能、というものでしょう。
写真好きは沢山居ますが、
才能のある写真好きって、千人に一人、万人に一人でしょう。
そんな人が「写真家」なのでしょう。

私はもちろん写真の才能なんて皆無でしたが、
写真を好きになる才能なら、たっぷり持っていました。
ありあまるほどなので、良い写真を好きになるだけではなくて、
自分の写真なら、なんでも好きになる才能。
これがあるから、半世紀近く、写真を撮り続けてこれたのでしょう。
「芸は身をたすく」と言います。
「自分の写真なら、なんでも好きになる才能」があるゆえに、
私は写真をいつまでも愛し続けることができます。
人からの是認、賞賛を必要としない。
だから、一人で撮り続けることができるのでしょう。

ホロゴンウルトラワイドに出会う前、
私はズマロン35㎜F3.5に夢中でした。
それ以前のお気に入りがフレクトゴン35㎜F2.4。
つまり、私は35㎜レンズに魅せられていたわけです。
今でも、やっぱり魅せられています。
人間、変わらないものです。

私が35㎜レンズをフレクトゴンからズマロンに替えた理由、
それは、完璧な空気感よりも、温かな穏やかさに、
私の好みが変わったからでした。
今でも、好みは変わっていないようです。

奈良町をズマロンで撮りました。
ライカレンズの歴史においては、
ズマロンはズミクロンに取って代わられた、いわば敗者。
でも、私の好みは、鋼の感触を加えたズミクロンよりも、
断然、ズマロン。
がっちりとリアリティを掴み取るズミクロンよりも、
私とその場所の全体をやさしく包み込んでくれる、
そんなやさしさを感じさせてくれるズマロンがいい。

 ズミクロンで撮ると、思わず驚嘆してしまう。
 ズマロンで撮ると、思わず心に落ち着きを感じる。

一緒に人生を歩くのであれば、
私は迷わず、ズマロンを選びます。





c0168172_18534082.jpg
c0168172_18532357.jpg
c0168172_18530724.jpg
c0168172_18524099.jpg
c0168172_18522903.jpg
c0168172_18522314.jpg
c0168172_18521638.jpg
c0168172_18520903.jpg
c0168172_18520237.jpg
c0168172_18511390.jpg
c0168172_18510776.jpg
c0168172_18510074.jpg
c0168172_18505351.jpg
c0168172_18504571.jpg
c0168172_18503774.jpg
c0168172_18503174.jpg
c0168172_18502351.jpg
c0168172_18501550.jpg
c0168172_18494473.jpg
c0168172_18493767.jpg
c0168172_18493020.jpg
c0168172_18492373.jpg
c0168172_18491025.jpg
c0168172_18485816.jpg
c0168172_18484596.jpg
c0168172_18483286.jpg
c0168172_18482126.jpg
c0168172_18481489.jpg
c0168172_18480851.jpg
c0168172_18480040.jpg
c0168172_18475145.jpg
c0168172_18474261.jpg
c0168172_18473319.jpg
c0168172_18472350.jpg
c0168172_18470751.jpg
c0168172_18463657.jpg
c0168172_18462881.jpg
c0168172_18461806.jpg
c0168172_18455601.jpg
c0168172_18453687.jpg
c0168172_18452737.jpg
c0168172_18451889.jpg
c0168172_18450968.jpg
c0168172_18450034.jpg
c0168172_18445081.jpg
c0168172_18443523.jpg
c0168172_18441915.jpg
c0168172_17082514.jpg
c0168172_17081431.jpg
c0168172_17080522.jpg
c0168172_17075980.jpg
c0168172_17075128.jpg
c0168172_17074383.jpg
c0168172_17073486.jpg
c0168172_17072718.jpg
c0168172_17071264.jpg
c0168172_17070310.jpg
c0168172_17065604.jpg
c0168172_17064845.jpg
c0168172_17063951.jpg
c0168172_17062053.jpg
c0168172_17061205.jpg
c0168172_17055854.jpg





# by hologon158 | 2019-08-20 18:55 | Comments(0)

803.01 ホロゴン外傳275(2015年6月5日キノプラズマート19mmF1.5が三重で美女と出会い) 雨天結構


マックの写真フォルダは撮影日順に並んでいます。
どんなファイルも、それが文書であっても、写真であっても、
内容が一目で分かり、一発で検索できるように工夫してあります。
たとえば、
今回の写真群は、

  み三重150605▲Kinoplasmat19

一目見ただけで分かります、
三重県で2015年6月5日、
オリンパスE-PL1にキノプラズマート19㎜F1.5を付けて撮った写真たち。

この命名はマック使用開始以来のものです。
ブログ開設前だったので、撮影場所が一番大切。
各フォルダーを全部時間順にソートする必要がありませんでした。

そのせいか、ときおり、全ファイルをソートしても、
撮影時間順には並びません。
そのおかげで、4年も前のものが近作に紛れ込んでいることに気づきました。
写真の撮影時間順にブログを作っているわけではありませんので、
別に不便でも不自然も感じませんが。

4年前、親友のNKさんの車で三重のカントリーサイドを撮影したときの収穫です。

 オリンパスE-PL1
 キノプラズマート19㎜F1.5

私の最愛のレンズの一本です。
雨でした。
私は雨の中での撮影が大好きです。
全天候すべてフォトジェニック、そう考えていますが、
雨が最高。

今でもまざまざと覚えています。
昔、大阪のツカモトカメラ主催で、山陰フォトツァーに出かけました。
講師は当時関西ではトップクラスの写真家、高田誠三さんでした。
バス1台ほぼ満員で出かけたのですが、
憂わしげに、うらめしげに窓の外を眺める一行に、
彼はこうおっしゃったのです。

  「雨ですね。
  でも、確かに晴れの日の写真は撮れませんが、
  雨の日の写真は撮れますよ。
  晴れの日には晴れの写真を、
  雨の日には雨の写真を撮りましょう!」

私は当時写真を始めて20年ほどでしたが、
雨こそ私の絶好の撮影日和と考える人間でしたから、
高田先生のこの言葉は私の心にいたく適いました。

余談ですが、その夜の旅館での夕食の宴で、
先生のところに挨拶に言って、名前を名乗ったところ、
破顔一笑されて、

  「やあ、先日、宮崎の県展の審査に行ったときの宴会で、
  参加された写真家のお一人から、
  ※※というのが宮崎から大阪に転勤したので、
  将来会うことがあったら、よろしく指導してあげてください、
  と言われました。
  あなたのことですね」

なんでもない機会に耳にした名前をよく覚えておられたものです。
広く尊敬される方には、
そんな風に人の名前をしっかりと記憶する方がおられますね。
この先生もそのお一人なのでしょう。

そんなことがあって、
私はその先生も好きになり、
雨天撮影はなおさらに好きになったわけです。

10数年以上前から、写真家気分はぷっつりと絶ち、
自分だけのために素人気分で写真を楽しもう、そう考えて、
ロボグラフィという名称を思いつきました。
コンセプトは、自分の歩いた道の路傍の記憶を写真に残す、
ただそれだけ。
雨天だから、「良い作品ができる」なんて考えることも、
ぷっつり無くなりました。
それでも、昔の男どもは、
美しい女性を、「水も滴るよい女」と呼んだそうですが、
雨に濡れると、路傍のものたちが一段と生気を増すものです。

三重県のカントリーサイドでも同様でした。
とくに、雨の日に絶好の場所がありました。
山間の一角の、廃品集積場。
道路端に完全に老廃したマネキンの女性が
まさに尾羽打ちからした廃残の姿をさらしていました。

これを見て美しいと思う人と、
思わない人の比率は、
推測するに、1対9でしょう。
私はその1に断然属します。
だから、まあ、有頂天になって、数十枚撮らせて頂きました。

私は、はるか昔、宮崎で写真を始めた頃、
「写壇はにわ」に入会しました。
そのクラブで女性モデル撮影会を企画したことがありました。
それがモデル撮影会としては、生涯にたった2回の初回。
ウィーンの音楽大学に留学中の女性ピアニストの方を、
リーダーがツテを使ってお願いしたのです。
とても賢く、美しい方でした。
でも、私とはなんの関係もない女性を撮る、ということが、
私の意欲を全然そそらなかったことを記憶しています。
ウィーン留学のことや、得意な分野をおたずねしたことは覚えていますが、
どんな写真が撮れたか、まったく記憶していないのですから。

ちなみに、もう一度は、全日写連企画の京都の舞妓さん撮影会。
舞妓さん5人に200人以上のカメラマンがまさに蝟集しました。
生まれて初めてで最後のモデル撮影会ですが、
あの殺伐な雰囲気には、今思い出してもぞっとします。
日頃出会うアマチュア写真家とは全く異質、
下品、野卑そのもの風貌、風態、振る舞いのカメラマンたちが沢山混じって、
  「いつまで前にへばりついてるんや!
   ええ加減に交替せんかい!」
などと怒号が飛び交ったりして、騒然。
早々に退散しました。

でも、私はどんな場合でも人に遅れをとることはしませんから、
撮影場所を変える段になると、さりげなく舞妓さんの側で移動し、
指導の写真家が「さあ、ここで撮りましょう」と言ったときには、
自然に最前列に位置するようにできました。

後ろからのそのそ付いてきて、しびれをきらす輩は、
そもそもドジなのです。
たとえば、バスから下車するとき、
自分が料金を支払う番になってから、
財布を取り出して、小銭をがさごそして、両替をする人が居ます。
この人たちは、あらかじめ料金分の硬貨を用意しておき、
両替が必要なら、硬貨を手にしておくという、
予測に基づく準備ができないようです。
そのため、自分にも他人にも迷惑をかけている、
だけど、気づかない。
だから、態度を改めることがありません。
野卑でないだけで、振る舞いの不器用さはこの人たちそっくり。

いつも通り、話が逸れましたが、
キノプラズマート19㎜F1.5、
正確には3/4inchなのですが、私の大のお気に入り。
50㎜の描写は分かりませんが、25㎜より華麗さが減退し、
その分、ロボグラフィの美しさを優しく引き立てる適度の艶やかさがあって、
私は25㎜に劣らず愛しています。

それにしても、誰も撮らないような、
路傍に見捨てられたものばかり、よく撮るものです。
「あんたの写真を写真とは認めない」
よく人から言われました。
面と向かって真剣にそう言われて、そのまま交友が途切れた人もいます。
ほとんどの写真の友人は、そう口に出すことがなくても、
私の写真について一切話題にしません。
写真の友人、知人たちとの間で、私の写真が話題になったことは、
私の写真人生の中でほとんどないに等しい、
そう言っても過言ではありません。
私の方でも、私の写真を話題にしてもらいたいと思っていないので、
好都合です。
私の写真たちは、私一人の秘蔵っ子なのですから。

幸いブログに来る人も居なくなり、
「あのときは良かったなあ、
あんなところに隠れているなんて、思わなかったよ」などと、
秘蔵っ子たちとじっくり語り合えます。
今回のような特別のお気に入りたちとブログで再会できるのは、
至福、
そう言っても過言ではありません。




c0168172_12002328.jpg
c0168172_12001349.jpg
c0168172_11595210.jpg
c0168172_11594688.jpg
c0168172_11593999.jpg
c0168172_11593346.jpg
c0168172_11591780.jpg
c0168172_11590961.jpg
c0168172_11590355.jpg
c0168172_11585654.jpg
c0168172_11584843.jpg
c0168172_11584238.jpg
c0168172_11583563.jpg
c0168172_11582327.jpg
c0168172_11581387.jpg
c0168172_11580560.jpg
c0168172_11575520.jpg
c0168172_11540552.jpg
c0168172_11535658.jpg
c0168172_11533912.jpg
c0168172_11533024.jpg
c0168172_11532270.jpg
c0168172_11531335.jpg
c0168172_11530564.jpg
c0168172_11525830.jpg
c0168172_11525046.jpg
c0168172_11524165.jpg
c0168172_11523200.jpg
c0168172_11520106.jpg
c0168172_11515290.jpg
c0168172_11514498.jpg
c0168172_11513560.jpg
c0168172_11504996.jpg
c0168172_11504249.jpg
c0168172_11503555.jpg
c0168172_11502830.jpg
c0168172_11502097.jpg
c0168172_11501019.jpg
c0168172_11494331.jpg
c0168172_11493310.jpg
c0168172_11492470.jpg
c0168172_11491450.jpg
c0168172_11485799.jpg
c0168172_11485192.jpg
c0168172_11484304.jpg
c0168172_11483646.jpg
c0168172_11482831.jpg
c0168172_11481864.jpg
c0168172_11471760.jpg
c0168172_11470734.jpg
c0168172_11465992.jpg
c0168172_11465054.jpg
c0168172_11463959.jpg
c0168172_11462875.jpg
c0168172_11462105.jpg
c0168172_11461377.jpg
c0168172_11460433.jpg
c0168172_11455846.jpg
c0168172_11455123.jpg
c0168172_11454492.jpg
c0168172_11453762.jpg
c0168172_11453127.jpg
c0168172_11452112.jpg
c0168172_11451345.jpg
c0168172_11450765.jpg
c0168172_11450086.jpg
c0168172_11445457.jpg
c0168172_11444757.jpg
c0168172_11443953.jpg
c0168172_11443271.jpg






# by hologon158 | 2019-08-17 12:02 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

802.02 ホロゴン外傳274(2019年3月30日スピードパンクロ35mmF2が京都御所の春を)2 オボロングラフィ



人間の脳のわずか3%しか(だったと思います)、
人間の組織の形成にあずかっていない、
という話を聴いたことがありますか?
どうやら、そうらしいですね。

そこで、問題は、残りの97%はなんなの?
ただのガラクタ、という説が有力でした。
さらには、今から人間の進化に伴って勝つ用意されるのを待っている、
という、少数説もありました。
いわば、超人間への進化の鍵を担っている!
根拠不明ですが、そうだったら、後世の人類のためには嬉しいですね。
人間がまだまだ進化するとは。
でも、本当に現在でも進化を続けているのだそうです。
翼が生えてきて飛べるようになる、
なんてことはありませんが。
でも、現在では、組織の生成にあずからない部分は、
脳の働きに関与しているという説が有力になりつつあるのだそうです。

結局、どう落ち着くかはわかりませんが、
人間の心身についても、あるいは、
私たちが直面するあらゆる問題においても、
私たちは、その問題の局面、次元、諸相のすべてにおいて、
私たちが知り得ないが、実は重要な関わりをもつ、
未知の部分が必ず隠されているのに、それを考慮しないで、
既知の範囲内で解決策をあれこれ思案しているということなのです。

この未知の部分をミステリーファクター、
約めてMF、と呼びましょう。
どんなに有能な、どんなに学識に富んだ人でも知り得ないから、
MFなのです。

ということは、何を意味するか?
① 私たち人間は、私たちが直面する問題のどの問題がMFで、
どの問題がそうでないかを正確に知ることができない。
② 常に言えることは、
すべてを完全に解明、解決することができない。
③ ①と②の結果、私たちが解決できたと思う問題には、
大きな誤解が含まれている可能性がある。

この世には天才的な英知に恵まれた人が居ます。
そんな方は快刀乱麻、意表外な手法で、問題を解き明かし、解決してくれます。
でも、実は、そんな天才たちの名答の中にも、
③の可能性が潜んでいるのです。
というより、科学の歴史は、ほとんど全ての定説が覆されてきた歴史なのです。
結局、分かった、これは絶対確実、と確信できる学説のほとんどが、
実はそうではなかったとわかってきたのが、科学の歴史。

天才たちが快刀乱麻なのは、
彼らが知り得たデータだけを使って解決策を見つけ出すからです。
実のところ、あらゆる科学、学問でそれが起こっています。
ニュートンもアインシュタインも、
彼らの偉大な発見のほとんど全部または重要な一部を否定されてしまっています。
でも、偉大さに変わりはない。
学問世界は一歩も二歩も進めてくれたからです。
誤答も学問世界を進めることができるのです。

私はマンションの水漏れを思い出しました。
よくある事故ですね。
マンションの一室の天井から水が滴りはじめます。
住人は大抵の場合真上の区画に原因があると考え、
管理人と一緒に真上の区画の住人にクレームを付けます。
すると、ときにこんな答えが返ってきます、
「いえ、私の部屋ではそんなことは起こっていません。
見てもらってもいいですよ。」
確かに、水が漏れている箇所など見つかりません。

なぜ?
水が化け物だからです。
漏水がどこかで起こります。
水は素直に直下の区画に滴り落ちるわけではありません。
水はこの世で最小の分子です。
入り込める隙間があれば、早速浸透開始!
つまり、超微細な孔、隙間があれば360度どの方向にも浸透していくのです。
ときには、漏出した水は2階分隙間を浸透圧で上昇し、
先頭は、背後から上ってくる水に押されて、
別の隙間を見つけて5室分の中間構造を水平に移動し、
最後に、垂直の隙間に流れ込んで被害者宅の天井をぐっしょりと濡らす、
なんてことはざらにあるようです。

人間はそんな隙間に入っていけるほど大きくないし、
マンションの複雑な構造空間の中に入り込んで、
どんな超微細な隙間も検出できる、
そんな便利な装置もありません。

おっと、分かりもしないで、分かったような口を早速きいてしまいました。
そんな便利な装置があっても、
誰もが利用できるようなものではないでしょう。
「漏水鑑定士」なんてこの世に居るのでしょうか?
たとえ居ても、どんな漏水事故も完全に解明できるとは思えません。

ということで、漏水を原因とする損害賠償訴訟は極めて厄介で、
解決に長引くことで知られています。
ご承知のように、損害賠償請求は、
原告が被告の故意または過失による加害行為を立証しなければ、負け。
でも、漏水事故が訴訟に発展するのは、被告側に責任があると思えないからで、
原告があんたが悪いんだと立証しなければならないケースばかり。
それなのに、水漏れの責任を立証するのは難しいのですから、
勝訴がなかなか難しい種類の訴訟なのです。

この漏水責任解明の難しさは、
実は私たちが直面する問題のほとんどに潜んでいるのではないでしょうか?
考えてみてください。
ある出来事をEと呼びましょう。
Eはなぜ起こったか?
その原因はなにか?

たとえば、ケネディ大統領の死の原因は?
当局はオズワルドの単独犯行として早期決着を付けました。
でも、真相はそうでなかったことが明らかになっています。
実行犯を特定することさえ難しい。
まして、黒幕、真の暗殺者を見つけ出すのはいつの場合でも困難。
捜査機関さえも篭絡している可能性があるのですから。
原因は犯行だけにあるわけではありません。
実行犯がなぜ犯行に及んだか?
その原因はなにか?
こんな風に考えていくと、ケネディ暗殺の原因は直接原因はこれこれであるけど、
そのような行動に及んだのはこれこれの事情があったからで、
と言う風に、どんどんと淵源に遡って行き、
実のところそれ以前の宇宙全体が原因を成していたということになりかねません。

つまり、快刀乱麻な解決には常に、
いいとこ取り、お目こぼし、怠慢等が関与している可能性があるのです。
この世にはあらゆる事象に快刀乱麻の解答を出してくれる人がおいでになりますが、
どうも素直に「そうですか、それで解決ですね」と鵜呑みにするのは危険なようです。

一方、天才の皆さんも、
天才の自分でさえも気づかないファクター、側面、判断要素が
常に隠されていることを忘れないようにしましょうね。
アルキメデスのように、
「ユーレカ!(わかったあ!)」と叫ぶ悟りの瞬間が一番危険です。
その悟りが、目隠しとなって、
真実を突き止める決定的ファクターを瞬時に吹き飛ばしてしまうからです。

でも、実はそんな誤信ユーレカ体験が人類を成長させ、
歴史を築き上げてきたのかも知れません。
人類は間違いをエネルギーにして進歩してきた、
そう言っても過言ではないかもしれませんね。

さて、写真は、京都四条界隈。
私のスピードパンクロ35mmf2は、
兄貴分の50よりもかなりローコントラスト、かなり穏やかな描写。
これは、おそらくオンボロになるまで使い込まれたせいでしょう。
こんなに朧レンズになるまで使いたがった使い手が居たのです。
私の同類かもしれません。
こうなると、ロボグラフィ、と言うより、
オボロングラフィ、が正確かもしれません。





c0168172_14384646.jpg
c0168172_14383814.jpg
c0168172_14383018.jpg
c0168172_14382170.jpg
c0168172_14381379.jpg
c0168172_14374355.jpg
c0168172_14375951.jpg
c0168172_14375080.jpg
c0168172_14380630.jpg
c0168172_14373418.jpg
c0168172_14372637.jpg
c0168172_14371800.jpg
c0168172_14371021.jpg
c0168172_14370218.jpg
c0168172_14365446.jpg
c0168172_14363188.jpg
c0168172_14361609.jpg
c0168172_14355913.jpg
c0168172_14355165.jpg
c0168172_14353405.jpg
c0168172_14352684.jpg
c0168172_14351704.jpg
c0168172_14350814.jpg
c0168172_14345652.jpg
c0168172_14344203.jpg
c0168172_14343653.jpg
c0168172_14342977.jpg
c0168172_14342217.jpg
c0168172_14341593.jpg
c0168172_14340671.jpg
c0168172_14335934.jpg
c0168172_14335217.jpg
c0168172_14334591.jpg
c0168172_14333875.jpg
c0168172_14333117.jpg
c0168172_14332469.jpg
c0168172_14331744.jpg
c0168172_14330381.jpg
c0168172_14331006.jpg
c0168172_14325620.jpg
c0168172_14324507.jpg
c0168172_14323362.jpg
c0168172_14322673.jpg
c0168172_14321358.jpg
c0168172_14320610.jpg
c0168172_14315959.jpg
c0168172_14315212.jpg
c0168172_14314407.jpg
c0168172_14313403.jpg
c0168172_14312557.jpg
c0168172_14311755.jpg
c0168172_11594578.jpg
c0168172_11593603.jpg
c0168172_11592763.jpg
c0168172_11591878.jpg
c0168172_11590636.jpg
c0168172_11584452.jpg
c0168172_11581600.jpg
c0168172_11580764.jpg
c0168172_11575807.jpg
c0168172_11574983.jpg
c0168172_11573979.jpg






# by hologon158 | 2019-08-12 14:42 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

802.01 ホロゴン外傳274(2019年3月30日スピードパンクロ35mmF2が京都御所の春を)1 本当の人生



旧約聖書の「ヨシュア記」を読み終えました。
もちろんKindleで。
後半で、ヨシュアはイスラエルの地を征服し終わり、
各士族に占領地を割り当てていきます。
数知れない地名、部族名、人名がズラズラズラズラと果てしなく並びます。
記憶力に乏しい私の頭にはとても残りません。

私の末娘、小2、3年の頃でしたか?
新約聖書を最初のマタイ傳から読み始めたそうです。
しばらくして母親のところにやってきて、
「吐き気がしてきた!」
誰の子が誰、その子が誰と、1頁にわたって続いたからです。
私など、はなから飛ばしてしまいます。
娘は「キチン」を絵に描いたような性格のうえ、
そんな跳ばし読みの技術など身に付けていなかったからです。

でも、今度は私がヨシュア記後半で同じ体験をしそうになったわけです。
数頁正直に読んで、
あとは、Kindleの画面左を指先でポンポンと軽くタッチ。
それだけで、頁が進みますから便利。
こういうときは、画面の字を最小にして、
1頁の行数を最大にしてしまうと、
迅速に飛ばすことができます。
ただし、この場面では、活字本が便利ですね。
何頁もまとめて飛ばし読みできますから。

でも、このとき、私が一番感じたことは、
Kindleの使い勝手のことではありませんでした。
旧約聖書の作者たちのこと。
一体史実なのでしょうか?
それとも、一握りの制作者たちの創作なのでしょうか?
創作にしては詳しすぎ、臨場感がありすぎ。
でも、制作者たちがどうして神様とアダム、イブのやりとりを
知ったのでしょうか?

考古学者たちの間では、
まだイスラエル人の出自について定説がないようです。
最近、エジプトの遺跡からイスラエル人の名(失念)が見つかったので、
古代エジプトにイスラエル人らしい存在が混じっていたことは
どうやら間違いがないようです。
でも、ファラオの重臣に名を連ねたヨセフやモーセについての資料は
まだ見つからないようです。
聖書が描くモーセの出エジプトの記録によれば、
エジプトは壊滅的な打撃を受け、
当時のファラオは海の藻屑になって消えたのです。
王朝の命運を絶ちかねない大事件で、
歴史的にも異例の危機だったのです。
記録の欠片でも記録されないはずはない、
そう思うのですが...?

最近考古学者が、考古学の知見に基づいて、
イスラエル人はそもそも土着で、
聖書上、イスラエル人のライバルの代表格だったペリシテ人と
同じ民族だったのではないか、という説を発表しています。
ジェリコの遺跡からも、聖書に記載されるような
瞬時の壊滅的崩壊を証明する資料は採掘されていないようです。
これは出エジプト記とどうやら真っ向から対立する感じ。

でも、このような古典の史実性は、
地球上のすべての文明に共通する難問ですね。
日本の古事記にも言えることですが、
文字がない時代からの伝承が出典の本体を占める、
そんなことが極めて多く見つかっています。
「ヨシュア記」の土着諸部族の殲滅戦と、
その後のイスラエルの地の分配についても、同様です。
稗田阿礼やホメーロスのような超絶記憶の持ち主が伝えた
伝承記録が典拠なのかも知れません。

でも、現実は事の大小を自然に知ることが出来る状態ではありません。
誰もが自分の周囲の出来事しか認識できないのですから。
そして、時々刻々とその地の社会では人々の営みが続くのです。
そうした複雑多岐の伝承がどのようにして選別され、
その一部が取り立てて記憶にとどめられたのでしょうか?
今起こったことが後世に影響を与える重要な画期的事件かどうか、
なんて誰に判ったのでしょうか?
それとも、その選択は常に記憶伝承者の手に委ねられていたのでしょうか?

それにしても、イスラエル人による数知れない原住部族の殲滅戦は、
あまりにも詳細すぎます。
一言で済ませてもよいのに、
これだけ詳細に記憶する価値があると、誰かが本当に考えたのでしょうか?
だって、神が見捨てた原住の少数民族たちを一々記憶するよりも、
もっと記憶に値することがあったではありませんか?
私が一つ思いつくのは、イスラエルの12氏族のリーダーたち。
彼らはユダヤ12氏族の始祖になったのですから、
その名前位覚えておいてもよかったのではありませんか?
聖書のどこかに書いてあるのかも知れませんが、
各氏族がその住むべき最初の地を分与された、
いわば氏族の基礎を定めた大事件なのですから、
ここにこそ記載してしかるべきではなかったでしょうか?

地球上で起こるすべての出来事が、
全宇宙にまたがる因果関係の海の波頭の飛沫のようなものなのです。
a1,a2,a3,a4,a5........と、
線形を描いて起こるのではありません。
全宇宙が脈打つ心臓のようにドキンドキンと脈打つ、
その全部が宇宙を一瞬一瞬現実化している、
それが宇宙です。
地球上のすべての出来事もその網の中にあるのです。
その中から、なにか特定の事象、因果系列を取り出して、
a1が起こったから、a2が起こり、それがa3となった、
と、良いとこ取りしているだけなのです。

あらゆる史書、古典はそんな恣意的な選択の結果生まれたわけです。
聖書の由来についても専門家がいろいろと研究しているでしょう。
私はまったくど素人ですが、頭の体操をするのは好きです。
聖書の諸章が成立したのは、ユダヤ教が生まれ、
かなり信仰者が増えた頃でしょう。
たとえば、アダムとイブ、あるいはその2、3代あとの子孫が、
創世記を文章としてまとめたとは絶対に考えられませんね。

なぜなら、当時、言語なるものがどれだけ成立していたか、
極めて怪しいのですから。
神とアダム夫婦の間のコミュニケーションは、
言語を介してのものではなく、
思いを伝える以心伝心のコミュニケーション、
あるいは、人間と犬の関係にもっと近かった、
そう考えた方がよいのではないでしょうか?
人類が話し言葉を発明し、その後、
文字を発明したのははるかに後世だったはずですから。

ホモサピエンス誕生後現人類に至るまで、
遺伝子的にはほとんと変わっていないのだそうです。
つまり、数万年前、クレオパトラや楊貴妃のような美女たちが
地上を颯爽と闊歩していたかも知れないのです。
(現代の美女たちはあるいていません。
この人たちは整形と化粧で作り出された外観だけなのですから)
ネフェルティティのトルソを思い出してください。
彼女が現代に出現しても、現代美女の誰もかなわないでしょう。
神とも紛う完璧な美貌には、生来の気品と威厳が備わっているのですから。
もちろん文明がもたらした独特の洗練された容貌があるのかも知れませんが、
そんな文化による洗練を経由していないだけ、
みずみずしさ一杯の美女がいたかも知れません。
(余談ですが、若い頃の吉永小百合さんや、
「初恋の来た道」に初演したチャン・ツィイーを思い出してください。
成功して、大スターになってからのチャン・ツィイーさんの顔なんて、
見られたものではありませんね)

古代美人に話を戻しますと、
当時は単音節の叫び声でコミュニケートしていたので、
美しい口をついて出るのは、阿鼻叫喚に近い絶叫だったかも?

言葉に深い意味を与えるようになった複雑な概念は
遙かに後世になってから出現します。
古典ギリシア人や中国人、インド人が
そうした思考の飛躍に大きく貢献しましたが、
そのお隣あたりでは、
「おれ、あんた、きらい! 
殺す! 
キャーワワー!」
という感じだけだったかも知れないのです。
たとえば、ゲルマン神話やサガを読むと、
抽象的な概念などまったく無縁ですね。

話を元に戻しましょう。
旧約聖書も、イスラエル人が文字を持たない時代をかなり経た後で、
次第に言葉が整備され、文字が発明されて、
文章力、記憶力、思考力が高められながら、
かなりの時代を経た後で、制作、編纂の段階に至ったはずです。

さらに、私が勝手に思うのですが、
諸文明を創造した神もしくは神々は、
それぞれに独立の別種族だったようです。

なぜ?
神様はどうやら地上の人類と言葉を交わしたようです。
ところが、各地、各時代の言語はそれぞれ全然別で、
文字もまるで違う。
神に呼びかける神の御名も全然違う。
地球の創造神が一人もしくは一種族であったとすれば、
なんで地球上でてんでばらばらの時代に、
てんでばらばらの言語なのでしょう?
たとえば、シュメール、アッカドの楔形文字と、
エジプト文明の象形文字との間には、
地理的にはかなり近いのに、なんの関連性もないようです。
それぞれに宇宙を創造したはずの神様が、
地球上にあちこちに同時的もしくは経時的に沢山出現していることは、
どう説明すればよいのでしょうか?

これは今私が思いついただけのことなので、
偉大な学者たちがすでに決着を付けている問題かも知れません。
でも、その決着の付け方は、たいていの場合、
①ある神だけが本物で、後はでっち上げ、
②神様なんて、全部でっちあげ、
という手法でしょう。

では、①の場合、
その本物の「本物性」をどうやって万人に証明できるのですか?
どうもそのあたりはあやふや、という感じがします。

それと、もう一つ、私がいつも思うのは、
どの宗教でも、天界の存在と人間は直にコミュニケートしていたのに、
なんであるときから以降、
神様たちは自分の創造した民に全然ご無沙汰なの?

この点は、近頃のUFOについても同じ事が言えます。
合衆国を初めとして、いくつかの政府はすでに、
UFOを捕獲し、かつ宇宙人と交渉があると言う方がいます。
そんな宇宙人と交渉できるようになった政府が
その事実をひた隠しに隠そうとするのはわかります。
宇宙人からできるかぎり最良最大の情報と利益を確保したいからです。

でも、宇宙人はどうなのですか?
はるか遠くの星から遙々何光年も超えて飛来したのです。
地球文明の科学技術水準を遙かに超えています。
はるか遠くの星から飛来して、外交関係の糸口をつかんだのに、
いつまでも自分たちの存在を否定し続ける一政府とだけ
秘密に交渉し続ける利益がどこにあるのでしょう?
そんな利己的な地方政府とだけ交渉し、
利用されるだけというのでは、なんのメリットもないではありませんか?

キリスト教の神を含む古えの神々も、現代の宇宙人も、
私たち一般人には永遠に隠された存在、という感じがします。
私が言っていることはかなり幼稚なのでしょう。
でも、どんな場合でも、シンプルがベストです。
神様は私と会えるのです。
存在すれば、会えるはず。
でも、私は神様と会ったことがない。
宇宙人ははるばる地球に到来したのです。
みんなに「こんにちわ!」って挨拶したっていいじゃないですか?
それなのに、いつまでも隠れん坊ごっこ。
どうもわけがわかりません。

私は、単純なのでしょう。
でも、自分で直接確認できないことを容易に信じることはできないのです。
だから、いつまでも無神論者。
宇宙人の存在は認めます。
私たち自身がそうなのですから。
でも、地球外の宇宙人が地球にコンタクトしている事実は
とても信じられません。
むしろ宇宙は余りにも広すぎて、
億単位の文明世界が宇宙に散在しても、
時間と空間とが違って、すれ違い、
それが真相なのではないでしょうか?
だとしたら、ほんと、残念。
地球人以外の文明の主人公たちに出会ってみたいものですね。

さて、今回は、春爛漫を演出する枝垂れ桜の京都御所。
写真の仲間と参りました。
小雨日和でしたが、かなりの人出でした。
季節ごとの花々を主題とする写真家は多いでしょう。
私が写真雑誌を眺めるのを止めたのは、
今から30年以上前。
桜どころか、およそ花を主題とする写真家たちの業績など、
全く知らないと言っても良いでしょう。
しかも、私は花の写真を撮りたいという気持ちもありません。
私が撮っているのは、私と花とのプライベートな接触の記録。
こちらが「やー!」と声をかけ、
桜が「よー!」と返す、ただそれだけ。
でも、桜たち、頑張っているな、と、少し安心できる、
そうすることで、お互いの無事を確かめあう、というスタンス。
それ以上の気持ちはありません。

すでに幾度も御所を訪れましたが、
今回は、ソニーα7にスピードパンクロ35㎜F2を付けました。
古都の雨交じりの穏やかな初春の光景。
いつもの通り、編集した組写真ではなく、
撮影順に並べることで、私の人生の一コマを記録しています。
撮影者の私の記憶と合体することで、体験がよみがえります。
私だけにしかできない、「美しきひとときの思い出」
これに、私一人にしか理解できない個人的な思考の記録を組み合わせる。
私一人のためのブログ活用法をついに確立できた、
そう考えて、悦に入っています。
日々、道行きで交差する多くの人々の眼差しはかなり暗い、
そんな感じがします。
「もう人生でやることを全部やり終えた」
そんな思いが滲み出てくるような眼差し、表情です。
私は、違います。

「これからが、本当の僕の人生だ」

ついでに、書いておきます。
私の写真の色はニュートラルではありません。
現実の再現でもありません。
フォトショップで、色再現を調整するなんてことはしません。
例えば、ソニーα7のカラーバランスは「オート」に設定。
でも、クラシックレンズには様々に色の偏りがあります。
それがそいつのクセなのです。
それが私のお気に入りの理由なのです。
どうして、それを修正する必要があるのですか?
そんなレンズたちのクセを慈しみたいのです。
それを写真表現のミス、失敗だと思う人は、
私の意味不明写真など見なければ良いのです。




c0168172_17365759.jpg
c0168172_17364941.jpg
c0168172_17364087.jpg
c0168172_17362965.jpg
c0168172_17362285.jpg
c0168172_17361352.jpg
c0168172_17360571.jpg
c0168172_17354834.jpg
c0168172_17355677.jpg
c0168172_17353944.jpg
c0168172_17353197.jpg
c0168172_17352055.jpg
c0168172_17330422.jpg
c0168172_17325602.jpg
c0168172_17310044.jpg
c0168172_17305042.jpg
c0168172_17303690.jpg
c0168172_17302848.jpg
c0168172_17301573.jpg
c0168172_17300767.jpg
c0168172_17295590.jpg
c0168172_17294814.jpg
c0168172_17293836.jpg
c0168172_17293104.jpg
c0168172_17292486.jpg
c0168172_17291538.jpg
c0168172_17290637.jpg
c0168172_17285847.jpg
c0168172_17285039.jpg
c0168172_17284356.jpg
c0168172_17283423.jpg
c0168172_17271319.jpg
c0168172_17270642.jpg
c0168172_17265824.jpg
c0168172_17264419.jpg
c0168172_17263609.jpg
c0168172_17260997.jpg
c0168172_17260033.jpg
c0168172_17255243.jpg
c0168172_17254527.jpg
c0168172_17253883.jpg
c0168172_17252873.jpg
c0168172_17252108.jpg
c0168172_17251496.jpg
c0168172_17250144.jpg
c0168172_17245426.jpg
c0168172_17244712.jpg
c0168172_17243871.jpg
c0168172_17241407.jpg
c0168172_17240434.jpg
c0168172_17235614.jpg
c0168172_17234989.jpg
c0168172_17234207.jpg
c0168172_17233587.jpg
c0168172_17232750.jpg
c0168172_17231775.jpg
c0168172_17231040.jpg
c0168172_17230315.jpg
c0168172_17225458.jpg
c0168172_17224762.jpg
c0168172_17223572.jpg








# by hologon158 | 2019-08-07 17:39 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

801.02 ホロゴン外傳273(2019年4月8日スピードパンクロ35mmF2が奈良町なら任しとき)2 二枚腰、三枚腰で



イエスのところにローマ軍の百人隊長がやってきます。
彼が病を言葉一つで癒やすと聴いたからです。
イエスが話を聞いて、
「それでは参りましょう」
と言うと、
百人隊長は答えます、

  「むさ苦しいところにおいで頂く必要はありません。
   ここでただ一つ言葉を頂ければよいのです」

ローマ人らしい言葉ではありませんか?
カエサルが侵入者を破ったとき、
元老院に送った報告文を思い出します、

  「来た、見た、勝った」

これがローマ人でした。
実は、私は、カエサルはしゃべりすぎと思います、
「勝った」だけで良かったのではありませんか?
カエサルは韻にこだわったのです、

  「Vini Vidi Vici」

でも、国事なのです、飾りは余計、そんな感じがします。
イエスの前に現れた百人隊長は、飾りにこだわりませんでした。
彼の方がローマ人らしいと言えそうです。

私は、実のところ、ローマ人と対極にあります。
やたらしゃべりまくり、やたら書きまくる。
ただし、私の友人たちは私よりも雄弁なので、
私の出る幕はほとんどありませんが。

でも、私は社交的な人間ではありません。
職業生活で言葉を実用のものとして使った時代でさえもそうでしたが、
すでに人とのコミュニケーションをほとんど絶っている今、
すべてが独り言に近くなっています。

すると、言葉はなにかを伝えるためのものではなくなります。
いわば自分自身の内燃機関を燃やすための燃料。
有効な燃料、たとえば、ガソリンがあるときは、
ガソリンも使うでしょう。
しかし、原子力は絶対に使いません。
自分で中から被爆してたら、元も子もない。
でも、大抵は近くにあるものを、
不要物と見たら、めったやたらに放り込んでいる、
それが私の文章です。

日本の祭り囃子がそうですね。
小さな定型パッセージをどこまでもどこまでも際限なく繰り返す。
この繰り返しが段々と自分自身と祭りに集まった人の心を浮き立たせ、
舞い上がらせます。
ラベルの「ボレロ」を思い出してください。
段々と楽器が加わってきます。
あなたはそうは思わないかも知れませんが、
私には、ラストは阿鼻叫喚の修羅場としか思えません。
多くの音楽愛好者はそれで興奮し感激するのでしょう。
でも、私が作曲者だったら、阿鼻叫喚は一瞬で、
ラスト半分で、段々と楽器が一つずつ消えていき、
ラストは楽器1本のピアニッシモで終わります。

でも、その曲は、ラベルの原曲と違い、
「ブラボー、ブラボー」のスタンディングオベーションはよばないでしょう。
聴衆は深く静かな満足感を抱きながら、静かに立ち去るでしょう。
演奏者も出番が済んだら、一人一人姿を消すことにしたら、
アンコールアイテムとなりますね。

でも、ラベルは拍手喝采を選んだのです。
別にフランス的な嗜好と言うわけではありません。
静かに終わる作品も沢山ありますし、
シャンソンにもそんな歌がかなり多くあります。
私は、どちらかと言うと、そちらが好みですね。
たとえば、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」のラストのように。

でも、そんな人間ですが、
文章を書くと、めったやたらに饒舌となります。
これはなぜか?
結局、家族の呪いのようなものかも知れません。
母親はアルツハイマーとなりましたが、
心身ともに強壮であったために、
アルツハイマーの状態でかなり長生きしました。
私は絶対にそんな風になりたくないで
しかも、当たりクジがかなり沢山混すね。
アルツハイマーの原因はまだよく判っていないようです。
罹患の機序も、遺伝でも伝染でもないようです。
つまり、宝くじのようなもので、じっている。
だから、防ぎようもないのでしょう。
でも、私は絶対に防ぐ、そう決意しています。
その方法は、心身を使いまくること。

理由はありません。
ひたすら心身を動かして、「通りゃんせ、通りゃんせ」と輪を作り、
アルツハイマー疫病神がこの輪を破って入ってこれないようにする、
そんなスタンスです。

偶然ですが、毎夜就寝前に観る韓流ドラマは、
「記憶~愛する人へ~」」
イ・ソンミンという、私に言わせれば、稀代の名優。
突然アルツハイマーを宣告された、やり手弁護士を熱演しました。
宣告されても、どうしようもない。
だから、必死で生きようと、仕事に家庭に没入する姿は、
痛々しいけど、心を揺さぶられます。
もし自分がそんな宣告を受けたら、どうするだろうか?
そう考えると、このドラマ、他人事ではないという感じ。

幸い、今の所、あまり老いの兆候もなく、
はつらつと人生を楽しんでいます。
人生って、結局は、自分ではどうしようもないものです。
そして、自分は、5年後、10年後、20年後、さらには30年後、
どうなるか、まったく予測不能です。
実は、どんな年齢の人でも、事情は変わりありません。

例えば、あなたが80としましょう。
ああ、残り少なくなったなあ、と嘆きますか?
でも、105歳まで元気で生きる人だって、ザラとは言いませんが、
かなりおられます。
すると、まだ人生を楽しむ時間は35年も残っているのです。
そんな可能性など頭から否定してしまって、
「ああ、俺の人生、あと10年あるかなあ」などと嘆きつつ、
やる気を失って、うかうかと日々を暮らしますか?

それも人生でしょう。
でも、私は確信しているのですが、
人は自分の予測する方向についふらふらと誘われるものです。
ああ、もう残り少なだとよろけたら、その通りになるでしょう。
80歳のあなたが、まだ人生の半分近くも残っているぞ、
よし、これはうかうかできないぞ、そう思ったら、
短期、長期、あれこれと計画を立てよう、という気になり、
そんな計画に沿って、生きるかもしれません
「人間万事塞翁が馬」と言うではありませんか?
どんな状態になっても、「どんと、来い」とばかり、
二枚腰、三枚腰でしなやかに受け止めていきたいものですね。






c0168172_11410811.jpg
c0168172_11405956.jpg
c0168172_11404616.jpg
c0168172_23343274.jpg
c0168172_23342347.jpg
c0168172_23340761.jpg
c0168172_23333820.jpg
c0168172_23333015.jpg
c0168172_23332307.jpg
c0168172_23330172.jpg
c0168172_23324012.jpg
c0168172_23305495.jpg
c0168172_23304120.jpg
c0168172_23303356.jpg
c0168172_23301673.jpg
c0168172_23293978.jpg
c0168172_23293069.jpg
c0168172_23291437.jpg
c0168172_23290156.jpg
c0168172_23285223.jpg
c0168172_23275958.jpg
c0168172_23274613.jpg
c0168172_23271459.jpg
c0168172_23270063.jpg
c0168172_23264786.jpg
c0168172_23253121.jpg
c0168172_23252191.jpg
c0168172_23250727.jpg
c0168172_23242184.jpg
c0168172_23230388.jpg
c0168172_23225092.jpg
c0168172_23215191.jpg
c0168172_23212514.jpg
c0168172_23211605.jpg
c0168172_23210381.jpg
c0168172_23204863.jpg
c0168172_23203345.jpg
c0168172_23194711.jpg
c0168172_23193834.jpg
c0168172_23193051.jpg
c0168172_23191979.jpg
c0168172_23185496.jpg
c0168172_23173799.jpg
c0168172_23172670.jpg
c0168172_23171143.jpg
c0168172_23170031.jpg
c0168172_23165138.jpg
c0168172_23164226.jpg
c0168172_23162779.jpg
c0168172_23161978.jpg
c0168172_23160393.jpg
c0168172_23154610.jpg
c0168172_23153221.jpg
c0168172_23152108.jpg
c0168172_23151142.jpg
c0168172_23145470.jpg
c0168172_23144349.jpg
c0168172_23143516.jpg
c0168172_23142084.jpg
c0168172_23141062.jpg
c0168172_23140055.jpg
c0168172_11395265.jpg






# by hologon158 | 2019-08-01 23:59 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

801.01 ホロゴン外傳273(2019年4月8日スピードパンクロ35mmF2が奈良町なら任しとき)1 セネカ



セネカを読むほどに、
私はセネカが他人とは思えなくなります。
次の言葉など、私は自分がしゃべっているかのように感じます、

「わたしの言葉を信じていただきたい。
尊重すべき、人間のあらゆる過ちを超越した人間のやり方とは、
自分の時間から一滴たりとも時を奪われぬようにすることなのです。
ですから、その人の人生はきわめて長い。
時間はつねに彼の支配下にあり、
その全部が彼の自由になるものだからです。
したがってどんな時も使われずにむだに津後されることはなく、
他人の勝手にされることはありません。
なぜなら、彼は時間の吝嗇な監視人として、
自分自身の時間と取り換えるに値するものなど、
何も見つけなかったかです。
それゆえ、彼は時間だけはたっぷり持っていました。
が、自分の人生から多くの時を民衆に奪われているような人々には、
つねに時間が欠乏しているでしょう。」
(「時間の短さについて」)

数日前、留守電がありました。
私が退職前に所属した機関からです。
私宛ての封筒が届いたそうです。
聴いたことのない差出人です。
私はこう答えておきました、
「私の親しい人はすべて私の住所と電話を知っています。
それを知らない人なのですから、
おそらく仕事上の連絡でしょう。
今後もそうですが、すべて処理はそちらに委ねます。
私は過去から完全に抜け出して、
今の人生を満喫しているので」

これが私のスタンスです。
多くの退職者が過去を記憶したいと強く希望しています。
私の親友のお一人も会うたびに、
在職中の難儀や苦心談を文字通り果てしなく話してくれました。
それは彼の硬派的な生き方を遺憾なく報告するもので、
私も興味津々で耳を傾けました。
そして、よくぞここまで細部の隅々までよく記憶できるものだと、
心から驚嘆させられました。

私はほとんど覚えていないからです。
私は自分の過去のことなど、はっきり言って、どうでもよい。
過ぎたことは過ぎたことなのです。
だから、彼の談義に少しは感じました、
もうそんなこと全部忘れて、
現在の人生に心のすべてを注ぎ込んだらよいのになあ。
過去はすでに起こったもので、変えようもないのに。
今の人生に何一つ付け加えないのに?
すでに付け加え終わっているのだから。

ある人は言うでしょう、
私たちは過去の蓄積によって成り立っている。
だから、過去は大切だ。
でも、私はそうは思わないのです。
過去は大切ですが、
記憶しておかなければならないわけではありません。
過去の蓄積は、私がそれと意識すると否とに関わらず、
私の基盤となっているのです。
それで良いのではありませんか?
記憶している方がベターであると考える根拠はありません。
一々思い出さないと、有効に働いてくれないというわけではないはず。
思い出し、あるいは、いつまでも覚えておこうと心に願うこと、
こうした気持ちが、現在から自分の目を逸らしかねません。
私には無駄なエネルギーの消費と思えます。
いちいち何度も思い出さないと、楽しく生きていけないのであれば、
十分な滋養になっていないのではありませんか?

たとえば、プロ野球で、名投手と対決した打者が、
剛速球をバットでガシッとはじき返して、
ホームランをかっ飛ばすとき、
これまで重ねてきた打撃練習、これまで対戦してきた名投手たちの難球を、
一々思い出すでしょうか?
思い出しませんね。
思い出していたら、打てませんね。
その瞬間は、彼の過去などすべて意識から消え去り、
完全な無心となって剛速球を捉えるのではありませんか?

人生も同様です。
人と向き合ったとき、その人の過去などどうでもよい、
と言っても良さそうです。
過去のエピソードなど、
その人の現在を知るうえでの不可欠のデータではありません。
私が知りたいのは、今、彼がなにを考え、どう生きているか、
それだけです。
過去のエピソードは、彼がいわば無限の体験が重なった自分の過去から、
彼が人に知って欲しいほんの一部をピックアップしたに過ぎません。
それを知ったからと言って、本当に彼という人間を知ることになりませんし、
むしろ、クローズアップ効果により、
逆に誤解に導かれるかも知れません。

実のところ、ある人を知りたかったら、
ご本人から過去の経験談を聞くよりも、
現在のご本人を一見し、
彼の一挙手一投足を観察する方が確かですね。

ところが、こんな見方をしていると、何が起こるか?
ちょっと破壊的、と言ってもよいかも知れません。
あんまり沢山の人と付き合うことができないのです。
なぜ?
一目見たら、この人とは語り合いたいかどうか?
この人を知りたいかどうか?
判ってしまうからです。
そして、この人が私と語り合いたいかどうか?
私を知りたいと思っているかどうか?
これも判ってしまうからです。
極めて広い交際を保って居られる方がおいでになります。
私には驚異以外のなにものでもありません。
私にはそんなに沢山の友人との交わりを楽しむ時間などない。

おそらく人間の大きさが違うのでしょう。
私は大変に小さな器の人間なのでしょう。
だから、すべての時間を私自身のために使いたい。
そして、心から敬愛できる友人のためにだけ、自分の時間を割きたい。
なぜなら、そのような友人との交わりだけが人生を豊かにしてくれるから。

今回のクックの映画用レンズ、
スピードパンクロ35mmF1.5
ソニーα7に着けました。

兄貴格の50mmの鮮鋭強靭な画像は望めません。
どうやらレンズがくたびれているのでしょう。
でも、私の方もいい加減くたびれているので、
いわば肩肘張るパフォーマンスとは無縁。
とても自然体で、何気ない雰囲気で撮れます。
くたびれた人間が、くたびれた路地裏で、
くたびれたロボグラフィたちと対面するにはふさわしい。
そんな穏やかな佇まいをさりげなく画像化してくれます。
私だけが体験した記憶をしっかり止めて、
「ま、こんなところだったんじゃないですか?」
と、澄まし顔。
私だけにちらっと見える、かすかなウィンク。




c0168172_15125439.jpg
c0168172_15124536.jpg
c0168172_15122793.jpg
c0168172_15121906.jpg
c0168172_15121023.jpg
c0168172_15120148.jpg
c0168172_15115358.jpg
c0168172_15113508.jpg
c0168172_15113508.jpg
c0168172_15112654.jpg
c0168172_15111844.jpg
c0168172_15111844.jpg
c0168172_15110459.jpg
c0168172_15105593.jpg
c0168172_15104713.jpg
c0168172_15103377.jpg
c0168172_15101865.jpg
c0168172_15101090.jpg
c0168172_15100298.jpg
c0168172_15094951.jpg
c0168172_15094176.jpg
c0168172_15093270.jpg
c0168172_15091769.jpg
c0168172_15090943.jpg
c0168172_15090144.jpg
c0168172_15085357.jpg
c0168172_15084617.jpg
c0168172_15083615.jpg
c0168172_15082850.jpg
c0168172_15081766.jpg
c0168172_15080930.jpg
c0168172_15080036.jpg
c0168172_15075286.jpg
c0168172_15073875.jpg
c0168172_15073185.jpg
c0168172_15072431.jpg
c0168172_15071787.jpg
c0168172_15071013.jpg
c0168172_15070382.jpg
c0168172_15065137.jpg
c0168172_15064451.jpg
c0168172_15063704.jpg
c0168172_15063054.jpg
c0168172_15062324.jpg
c0168172_15061508.jpg
c0168172_15060380.jpg
c0168172_15055656.jpg
c0168172_15054948.jpg
c0168172_15054221.jpg
c0168172_15053494.jpg
c0168172_15052754.jpg
c0168172_15051936.jpg
c0168172_15051259.jpg
c0168172_15050392.jpg
c0168172_15045180.jpg
c0168172_15044320.jpg
c0168172_14593248.jpg
c0168172_14591929.jpg
c0168172_14591183.jpg
c0168172_14590452.jpg
c0168172_14585753.jpg
c0168172_14585149.jpg
c0168172_14584301.jpg
c0168172_14583415.jpg
c0168172_14581768.jpg






# by hologon158 | 2019-07-29 15:14 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

800.02 ホロゴン外傳272(2019年3月20日キネタール50mmF1.8が奈良町に下品の美を楽しみ)2



今、気付いたのですが、
本ブログの記事が800号の大台に達しました。
記事数そのものはその何倍かあるでしょう。
1000号に達するまで、エキサイトさん、ブログを続けてくださいね。

近頃、ますます、路上で渋面男性に出会うことが多くなっています。
こんな方は通りすがりに挨拶をしても、
まったく反応を示しません。
傲岸な部分もあるのでしょう。
「おれは..部長様だったのであるぞ」
というような自負があって、
こんな方は職場の廊下で部下から最敬礼の挨拶を受けても、
「フン!」としかめっ面で、
ますますふんぞり返って、
肩で風切って通り過ぎたのでしょう。

でも、今では、その栄光ある地位も失ってしまった。
それなのに、しがみつきたい。
なぜ?
他にはなんにも残ってないから?
そして、なんにもすることもないから?
こんな方の奥さん、
すでに空っぽのご主人に愛想を尽かしているかも知れません。

  「いい加減にしてほしい。
  いつまで部長様気取りなの?
  家の中までふんぞりかえって、家事一つしない!」

しないのではないのです。
できないのです。
包丁一つ研げないし、まして調理もできない。
あなた、タマネギの千切りできますか?
それも、涙なんか流さないで?
キャベツのコールスローできますか?
それも、半玉全部?
ハンバーグ、作れますか?
それも最初から?

私はできます。
大抵の料理が作れます。
リンゴの皮むきもできます。
知っていますか?
コツは包丁を動かすのではなく、
リンゴを動かす!
洗い物も、食器棚への片付けもできます。
その他、家事一切ができます。
妻はそれを良いことに、機会があるたびに、
静かに指示します、
「これこれ、しておいて」
私も然る者、ひっかくものです、
大抵は従いますが、ときどき、
「それは自分でして」
このあたりは長年鍛えてきた呼吸ですね。
というより、長年繰り広げてきた戦いかも?

せっかくするのだったら、なんでも水際だってやりたい、
それが私の念願。
アメリカの恋愛小説、映画化された「マディスン郡の橋」の原作、
いや、別の小説だったかも知れません。
長年練達の報道写真家として生きてきた男が、
引退後久しぶりに撮影をしなければならない!
ベッドの下に仕舞っておいたカメラケースを
さっと引きずり出して、蓋を開けてニコンのボディを取り出し、
レンズをカチリと装着します。
その水際だった動きのなめらかさに、
体に染み込んだプロの熟練が垣間見えるシーン。

私はまだ30代だったと思います。
これにはぐっと来ました。
私もカメラの操作、レンズ交換、三脚の開閉動作を、
暇があれば練習していたからです。
とくに三脚の扱いは誰にも負けませんでした。
せいぜい10秒以内に三段ジッツォを開閉することができます。
コツは簡単。
伸ばすにも縮めるにも、各段を下から緩め、上から締めるのです。
開くときは、下から上に順番に緩めてから、
一番下の脚の底を握って一気に伸ばす。
閉じるときも、同じ動作をして、
最後に一番下の脚の底に手の平をあてがって、
一気に一段目のポールの中に全段を滑り込ませる。

バス待ちをするときなど、いつも練習していました。
すると、現場でよいシーンを見つけた途端、
誰よりも素早く三脚をセットできました。
でも、皮肉にも、三脚の扱いに熟達したのに、
三脚は不要になってしまいました。
速やかにストリートフォトに集中して、
風景写真を撮らなくなったので、
ジッツォ、リンホフの三脚はすべて写友にあげてしまいました。

プロの写真家はそんな作業を一日中、年中、
そして何十年もやってきたのです。
まさにカメラは目の延長となっているでしょう。
私のような素人は、三脚のような機械的動作でよいものは別として、
認識とか美的センスに関わる撮影行動は
いつまで経ってもたどたどしさ一杯ですが、
楽しさだけはますますエスカレートしています。
時間の経つのを忘れます。

しかも、ロボグラフィは被写体を選びません。
なんでもよいのです。
そして、ブログにどんどん掲載できます。
この作業のときが、一番写真に親しく接することができるときです。
こんな楽しみを可能にしてくれるのは、
丈夫な目と手と足。
自分の至福の喜びのために、体を鍛える。
これも楽しい作業。
だから、いつも笑顔でおれるのです、
ありがたいことです。

今回は、前回に引き続き、
キネタール50mmF1.8の奈良町ロボグラフィ。
表題に「下品の美」と書きました。
「げぼん」と読んでもらうつもりでしたが、
「げひん」と読んでもらっても構いません。
高級な趣味などないので、
手近に見つかる美で間に合わせています。

美は一静かに味わうものです。
だから、群衆がひしめく特別展は大嫌い。
でも、美しいものだけを見て生きていきたい。
だから、醜いものは見ないことに決めました。
だから、テレビは見ません。
私のロボグラフィは、すべて、私の足取りの記録ですが、
私が目を止めるものは、私にとって美しいと思うものだけ。
とりわけ、人知れず路傍に咲く美を求めて歩いています。
かなりの人が私のロボグラフィに美など認めないでしょう。
でも、それがどうした?
という気持ちです。
私に美しいと思えるものは、理屈でそう決めているわけじゃない。
目に飛び込んできた瞬間に、心が飛び上がるのです、

  「美しい!
  これが見たかったんだ!」




c0168172_14411473.jpg
c0168172_14410323.jpg
c0168172_14405501.jpg
c0168172_14404465.jpg
c0168172_14403603.jpg
c0168172_14402661.jpg
c0168172_14401947.jpg
c0168172_14401278.jpg
c0168172_14400474.jpg
c0168172_14394605.jpg
c0168172_14393832.jpg
c0168172_14393122.jpg
c0168172_14392318.jpg
c0168172_14391596.jpg
c0168172_14390787.jpg
c0168172_14385762.jpg
c0168172_14384610.jpg
c0168172_14383918.jpg
c0168172_14383105.jpg
c0168172_14382362.jpg
c0168172_14381319.jpg
c0168172_14380684.jpg
c0168172_14380008.jpg
c0168172_14375451.jpg
c0168172_14374785.jpg
c0168172_14374048.jpg
c0168172_14373033.jpg
c0168172_14372447.jpg
c0168172_14371734.jpg
c0168172_14371124.jpg
c0168172_14370555.jpg
c0168172_14365998.jpg
c0168172_14365040.jpg
c0168172_14364257.jpg
c0168172_14363375.jpg
c0168172_14362610.jpg
c0168172_14361799.jpg
c0168172_14360932.jpg
c0168172_14360058.jpg
c0168172_14355230.jpg
c0168172_14354278.jpg
c0168172_14353360.jpg
c0168172_14352381.jpg
c0168172_14342011.jpg
c0168172_14341030.jpg
c0168172_14340109.jpg
c0168172_14335446.jpg
c0168172_14334573.jpg
c0168172_14333527.jpg
c0168172_14332056.jpg
c0168172_14331070.jpg
c0168172_14330298.jpg
c0168172_14325104.jpg
c0168172_14322762.jpg
c0168172_14322086.jpg
c0168172_14320317.jpg
c0168172_14314904.jpg
c0168172_14314271.jpg
c0168172_14313527.jpg
c0168172_14312813.jpg
c0168172_14321177.jpg
c0168172_14312139.jpg
c0168172_14311381.jpg
c0168172_14310330.jpg
c0168172_14305502.jpg
c0168172_14304223.jpg
c0168172_14303390.jpg





# by hologon158 | 2019-07-23 23:24 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

800.01 ホロゴン外傳272(2019年3月20日キネタール50mmF1.8が奈良町に下品の美を楽しみ)1



人類(ホモサピエンス)の発生には大きな謎があるようです。
人類学は長年窮地に立たされたままです。
ホモサピエンス(ネアンデルタール人を含む)と、
それ以前の先人類との間には断絶があるからです。
先行種より脳容積が飛躍的に拡大していて、その理由がわからない。
その中間形を長年必死で探してきたのですが、見つからないのです。

メソポタミアの神話では、アヌンナキと呼ばれる天上の存在が、
地球上での作業を手伝わせるために、人類を生み出したとしています。
聖書で、神が、すべての生物を生み出した後で、
アダムとイブを創造したのも、
上記の創造神話のバリエーションと言えそうです。
二人は完全に人間として行動していますから、
ホモサピエンスなのでしょう。
つまり、それ以前のホモ・ハビリス等は人間とは別個の存在として、
すでに作られていたと考えることもできそうです。

創世記によれば、その頃生み出されたのは人類だけではありません。
アダムとイブが楽園を追放された後、
他の人間たちのエリアに行ったような感じなので、
アダムとイブの系統ではない人類も別途作られていたらしい。
天使たちも人間の女性と結ばれて、巨人を生み出しています。
いずれにせよ、人類はどうも先行の旧人類から進化したものではなさそう。

遺伝学的には、ホモサピエンスは、進化の前段階の種と、
遺伝子を大部分共有しています。
でも、先行種から受け継いだと思われない遺伝子がわずかながら含まれていて、
それがどこから受けついたのか、
いかなり意味、役割を有しているのか、未だに分からないと言います。

この遺伝子は地球外の起源ではないかと言う学者が居ます。
聖書の記述と矛盾がないのが奇妙です。
つまり、上記の諸点を総合すると、
人類は地球が産んだ生物なのだけど、地球外の成分が手伝って、
人類の能力を飛躍的に高めた可能性があるというのです。
私たちが一部宇宙人であるということになりそうで、
ちょっと胸躍りますね。

私は以上のように考えることが、
空飛ぶ円盤、UFOを異星人の到来を意味するとは思いません。
はるばる何光年、何十光年も旅をしてきて、
ひょいひょいと空を飛んでみせるだけで、すぐ隠れてしまい、
コンタクトをしようとしないのはまったく解せないからです。
一説には、たとえば合衆国政府と密約を結んでいる、
なんて説もあるようですが、
彼らがそんな姑息な動きに満足するとはとても思えませんね。

でも、一方で、地球上に生命が誕生し、ここまで進化できたことが、
全宇宙の中でたった一回しか起こらなかったとは絶対に信じられません。
宇宙から飛来した岩石中に有機体が見つかっています。
宇宙的なタイムスパンでは、
いかなることも、「一回起これば、幾度も起こる」のが統計的原則でしょう。
むしろ物質は必要な時間をかければ、生命体まで組織化される性質を持つ、
と考えることもできそうです。
というのは、生命が誕生するとはとても思えない過酷な環境、
たとえば、火山の溶岩の中とか、
圧倒的な重力に押さえつけられているはずの大地や深海の奥深くにも、
地表面の生命体とは異なる起源を持つ有機体が種々と見つかっているのですから。

人類に由来するとは思えない太古の発掘物がさまざまに発見されています。
太古の地質学年代の地層に鋲のような金属製品らしい、
不思議な遺物が見つかったりしています。

人類のさまざまな神話自体、最初に記載しましたように、
地球外の知性的存在の介入を示唆するものが沢山あります。
20世紀以降の知的発見の基本の一つが、
人類の神話には事実の核を有するものがある!
ということにあります。

その先鞭を付けた偉大な発見がシュリーマンによるトロヤの発掘でした。
ホメーロスは、事実にかなり即して、あの偉大な叙事詩イリアッドを創造したのです。
そうした神話の多くが、と言うより四大文明のすべての神話が、そして、聖書が、
天上界の神々等の神的存在の介入を記録しています。
そして、もしかすると、イリアッドの基本事実が史実であったように、
それは歴史的事実かもしれませんね。

こんな風に書くことで、すでにお分かりでしょう。
私は、日常性を超えた神秘といつも出会いたい、
そんな人間です。
きっと人生が、社会があまりにも平凡で暗鬱なので、
心のどこかで、生活のどこかで、驚きと神秘を感じる体験をしたい、
そう、いつも飢えているのでしょう。

私がリアルな写真を好まず、
いつもなんだか日常性を超えたロボグラフィに出会いたい、
そう願っているのも、同じ欲求から生まれた願いなのでしょう。

私がホロゴンやその他のクラシックレンズを使いたいのは、
正確性、精密性を重視して作られた現代レンズと異なり、
彼らが、もしかすると、性能の不足、経年劣化のおかげで、
現実を正確に描写する能力に欠け、
いつもメタモルフォーゼまがいの変容を画像に作り出すせいかも?
多くの写真家にはレンズの欠陥、画像の劣化に過ぎないのでしょう。
でも、それをレンズの個性、魔術的性能と捉えるが私。
なんでもないもの、なんでもないところにさえも、
私の心を痺れさせてくれるような「美」を創り出してくれる、
そんな風に思えるのです。

今回使った、クックの映画用レンズ、キネタール50mmF1.8、
どんどん好きになっています。
このレンズの先代にあたると思える、歴史的名レンズ、
スピードパンクロ50㎜F2の魔術的メタモルフォーゼには及ばずとも、
使えば使うほど、それなりに私の心を痺れさせてくれます。

ハイセンスの持ち主には、これが、どこが美なの?
と、いぶかしく思われることでしょう。
私が美と感じるレンジが常人よりも下方に広いだけなのかも?
でも、どなたもそうでしょう。
自分で何かを感じるのは、ただそう感じるからであって、
理性や努力でこれを修正することなどできません。
どなたも自分の美的感情のレンジは調節不能。
ただ私はこうなんだ、としか言いようがありませんね。

私は、正直なところ、ハイセンスの持ち主を羨ましいとは思いません。
そんな方は、たいていの美に欠陥、不満を感じてしまいます。
強烈な恍惚を味わえるでしょうけど、
さあ、そんなチャンスは稀なのでは?
その点、私は、安手の恍惚なのでしょうけど、
始終、私にとっての至上の美を楽しめます。
今回もそんな体験でした。




c0168172_17430490.jpg
c0168172_17431169.jpg
c0168172_17425616.jpg
c0168172_17425050.jpg
c0168172_17424464.jpg
c0168172_17423794.jpg
c0168172_17423097.jpg
c0168172_17422450.jpg
c0168172_17420382.jpg
c0168172_17415668.jpg
c0168172_17415096.jpg
c0168172_17414283.jpg
c0168172_17413681.jpg
c0168172_17413021.jpg
c0168172_17412423.jpg
c0168172_17411728.jpg
c0168172_17411108.jpg
c0168172_17410406.jpg
c0168172_17405632.jpg
c0168172_17403679.jpg
c0168172_17402969.jpg
c0168172_17402105.jpg
c0168172_17394994.jpg
c0168172_17394209.jpg
c0168172_17393589.jpg
c0168172_17392982.jpg
c0168172_17392298.jpg
c0168172_17391559.jpg
c0168172_17390917.jpg
c0168172_17390254.jpg
c0168172_17385686.jpg
c0168172_17384924.jpg
c0168172_17384138.jpg
c0168172_17383378.jpg
c0168172_17382590.jpg
c0168172_17381600.jpg
c0168172_17380721.jpg
c0168172_17375981.jpg
c0168172_17375276.jpg
c0168172_17374587.jpg
c0168172_17373883.jpg
c0168172_17372951.jpg
c0168172_17372183.jpg
c0168172_17371454.jpg
c0168172_17370532.jpg
c0168172_17365810.jpg
c0168172_17365078.jpg
c0168172_17364204.jpg
c0168172_17363501.jpg
c0168172_17362672.jpg
c0168172_17351754.jpg
c0168172_17350017.jpg
c0168172_17345252.jpg
c0168172_17344460.jpg
c0168172_17343709.jpg
c0168172_17343064.jpg
c0168172_17342280.jpg
c0168172_17341421.jpg
c0168172_17340767.jpg
c0168172_17335942.jpg
c0168172_17335028.jpg
c0168172_17333926.jpg
c0168172_17333228.jpg
c0168172_17332554.jpg
c0168172_17331670.jpg





# by hologon158 | 2019-07-20 17:46 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

799.00 ホロゴンデイ274(2019年3月11日ホロゴン15mmF8がまた古都奈良をさらり巡回)



7月16日火曜日、所用がてら県立図書館に参りました。
図書館って、この世の心のオアシスですね。
こんな本があるなんて知らなかったような本に、
そして、その中に記載された人に出会うことができます。
今回も会えました、

   「大ヴァイオリニストがあなたに伝えたいこと」
      千蔵八郎著
        春秋社

その本を書架から取り出して、
ぱっと開いたら見つかった言葉を紹介しましょう。
19世紀の名ヴァイオリニストで、名伯楽として知られた、
ユベール・レオナールが、
弟子たちに口癖のように言い聞かせた言葉を知りました。

   耳を開いて、音の響きの美しさに聴き入りなさい。
   音は紡ぎ出さなければならないものだ。
   それこそ名人の芸である。

帰宅して、今回の記事の写真をブログ掲載用に小型化しました。
今年の3月11日、ホロゴン15㎜F8をソニーα7に付けて、
高畑町、ささやきの小道、奈良町あたりを巡回して撮った写真。
なぜかファイルがぐちゃぐちゃに並び変わり、撮影順には並びませんでした。
でも、私の心覚えのために並べる写真たちです。
順不同でも、私の記憶の中で正しい位置に納まってくれます。

私の最愛の伴侶レンズ、それがこれ、ホロゴンです。
私が曲がりなりにもアマチュア写真家として活動していた当時、
私の撮ったホロゴン写真を、
私の期待するように評価してくれる人は居ませんでした。
少数の例外を除けば、たいていの方の反応は沈黙。

ある大写真家の写真塾を傍聴した際にも、
ずらりと30枚ほど並べてご覧頂いたことがありました。
「窮屈すぎる」
この一言でした。
この写真家の弟子はかなり反感を感じたようで、
「独りよがりの写真、という感じがします」

お二人の言葉はいずれも、はっきり言って、
正解です。
私はぎっしりと中身が詰まった写真が大好き。
だから、ホロゴンで被写体に30㎝から60㎝に迫って、
腰だめ、ノーファインダーで撮ります。
まったく同じ撮り方のまま、フィルム時代に2000本ほど、
デジタルになってからその倍ほど撮りました。
結局、独りよがりのまま、10年ほど前、アマチュア写真界から足を洗い、
ただの写真好きとして、自分のためにだけ撮る時代に入ったわけです。
その後も仲間との楽しみで数回写真展を楽しみましたが、
自分が人に写真を見てもらうというスタンスが
完全に消えたことに気づいただけでした。

ブログも、最初は、アマチュア写真界から足を洗ったんだから、
せめてネット社会で写真ブログを楽しんでやろう、と、
目論んだわけですが、
かなり限られた数のブロガーと親交を結ぶこともでき、
楽しい体験もさせていただきました。
でも、1年経って気づいてみますと、
私の写真に関心を示す人はほとんどなく、
アクセス数は偶然の検索結果でのアクセス数を
超えることはないことに気づき、
「やはり野に置けレンゲソウ」ということで、
2つのブログを自分の記憶庫とすることに方針変更しました。

人間、欲がなくなると、心が軽く、広くなります。
写真家であることをやめても、
写真に対する愛情はますます盛んになりました。
自分を愛することができるひとつのよすがとして、
私の人生にはとても大切な楽しみ、という感じ。
「まだまだ外界との交わりを楽しんでいるじゃないか!」
そんな確認の仕事が撮影とブログ、というわけです。

今回のホロゴン写真、
まさに窮屈写真の極致でしょう。
画角110度もあるのに、
ものが、ひとがぎっしり詰まっている感じ。
改めて眺めて観て、さらに納得。
私には爽快なスウィープ、人生の掃海作業のようなものですが、
間もゆとりもないのですから、人が思わず退いてしまうのも当然。
それがどうやら私の生き方のようです。
誰も自分を否定して生きることはできませんね。
ますます一人で楽しむことにいたしましょう。

私の写真は名人芸ではありません。
レンズに撮ってもらっているだけ。
でも、私が出会って、互いに一目惚れしたのがこれ、
ホロゴンウルトラワイド。
今では、ライカマウントレンズとして、
レンズだけが手元に残りました。

  私が一人で楽しむロボグラフィのための究極の一本!

ユベール・レオナールの言葉にあやかって書きますと、

   目を開いて、ホロゴン画像の美しさに見入りなさい。
   ホロゴンが一人で紡ぎ出してくれたものだ。




c0168172_11523241.jpg
c0168172_11522693.jpg
c0168172_11521835.jpg
c0168172_11521261.jpg
c0168172_11520344.jpg
c0168172_11515662.jpg
c0168172_11515040.jpg
c0168172_11514396.jpg
c0168172_11513777.jpg
c0168172_11512288.jpg
c0168172_11511437.jpg
c0168172_11510701.jpg
c0168172_11510053.jpg
c0168172_11505424.jpg
c0168172_11504813.jpg
c0168172_11504173.jpg
c0168172_11503347.jpg
c0168172_11502784.jpg
c0168172_11502035.jpg
c0168172_11501492.jpg
c0168172_11500120.jpg
c0168172_11495485.jpg
c0168172_11494838.jpg
c0168172_11494124.jpg
c0168172_11492678.jpg
c0168172_11491905.jpg
c0168172_11491204.jpg
c0168172_11490689.jpg
c0168172_11485923.jpg
c0168172_11485338.jpg
c0168172_11484678.jpg
c0168172_11483986.jpg
c0168172_11483106.jpg
c0168172_11482239.jpg
c0168172_11481148.jpg
c0168172_11480272.jpg
c0168172_11475554.jpg
c0168172_11474709.jpg
c0168172_11473882.jpg
c0168172_11472977.jpg
c0168172_11472229.jpg
c0168172_11471451.jpg
c0168172_11470734.jpg
c0168172_11470024.jpg
c0168172_11465329.jpg
c0168172_11464664.jpg
c0168172_11463982.jpg
c0168172_11462960.jpg
c0168172_11461907.jpg
c0168172_11461066.jpg
c0168172_11460370.jpg
c0168172_11455600.jpg
c0168172_11454916.jpg
c0168172_11454277.jpg
c0168172_11453425.jpg
c0168172_11452754.jpg
c0168172_11451863.jpg
c0168172_11451014.jpg
c0168172_11450254.jpg
c0168172_11445359.jpg
c0168172_11443606.jpg
c0168172_11442615.jpg
c0168172_11441888.jpg
c0168172_11441020.jpg
c0168172_11435755.jpg
c0168172_11434656.jpg
c0168172_11433787.jpg
c0168172_11433070.jpg
c0168172_11432248.jpg
c0168172_11431521.jpg
c0168172_11430666.jpg
c0168172_11425910.jpg
c0168172_11424169.jpg
c0168172_11423076.jpg
c0168172_11422188.jpg
c0168172_11421307.jpg
c0168172_11420538.jpg
c0168172_11415782.jpg
c0168172_11414912.jpg
c0168172_11413904.jpg
c0168172_11413076.jpg
c0168172_11412092.jpg
c0168172_11411001.jpg
c0168172_11410113.jpg
c0168172_11405235.jpg
c0168172_11404267.jpg





# by hologon158 | 2019-07-17 11:10 | ホロゴンデイ | Comments(0)

798.00 ホロゴンデイ273(2019年2月28日ホロゴン15mmF8が奈良町を豪快に席巻し)



私には4人の孫がいます。
一人一人個性があって、
当然ながら、祖父として大きな期待を持っています。

思い出したことがあります。
最年長だけが男の子なのですが、
他人の気持ちがわかる子です。
絵の中の子供でもわかります。

2歳のころのことだと記憶していますが、
ちょうど私たち祖父母が彼と留守番をしていたときのこと。
絵本にマンション火災のお話がありました。
6階ベランダに消防士に抱っこされた女の子の幼児。
消防車から長く伸びた梯子のてっぺんにもう一人の消防士。
二人は女の子の受けわたし作業中です。
梯子とベランダとの間にはかなりの隙間があります。

孫プリンスは絵本を持って立ち上がり、
まずソファーに座っている祖母(私の妻)にこの絵を見せて、
心底恐怖の表情を浮かべて、「こわいなあ!」
それから、キッチンで洗い物をしている祖父(私)の所にもやってきて、
絵本を差し出して、「こわいなあ!」
このとき、祖母が携帯で録画していたので、
今でもその様子を見ることができます。

私たち夫妻の役割が逆転しているのではないか?
というもっともな疑問はひとまず置いておいてください。
そのとき、私が驚き、喜んだのは、
「この子は、絵を見るだけでも、他人の心が分かり、
そして、我が事のように共感し同情することができる!」

私は心理学者ではありませんが、分かります。
大人になってもこれができない人がかなり居るのです!
頭ですべてを処理し、心では理解できない、だから、
人の心も感情も理解したり、共感したりすることができない、
人のことなどどうでもよい。
結局、自分のことしか分からず、自分のことしか気にかけない。
そんな人が沢山いるのです。

私の生涯の経験によれば、
秀才と呼ばれる人にかなりの高率で見つかります。
なぜか、理由は実に簡単です。
日本のエリート選抜システムの欠陥です。
子供の頃から試験漬けにして、遊ぶことを許さない、
その結果、頭は良いけど、心がない、
だから、人の心も分からない、
そんなエリートたちが社会のリーダーとなってしまっています。
このような人たちは、自分と他人と別の判断基準を持っています。
自分は何でも許されるけど、他人にはもっと厳しい基準を押し付けます。

日本の首相が国会で、「品位を欠くようなヤジはやめていただきたい」
そうやって野党議員を厳しくたしなめた直後に、
野党議員の発言に対して、首相席からヤジを飛ばしました、
「うるせえ! 黙れえ!」
首相がヤジを飛ばすこと自体品位を欠くことにも、
そのヤジの言葉の下品さにも気づいていない。
人間性と品格を磨く修練を積んでいないことがわかります。
これが日本の明治維新以来の官僚エリートの欠陥。

私の孫たちには、そんな人間になって欲しくない、
これが私の切なる願い。
彼らを心から愛する両親、祖父母たち、叔父、叔母たち、
そしていとこたちが居て、あたたかい地域社会があって、
いわば愛情に包まれて育っています。
この状態が長く続いて、人の心が分かる人に成長してほしい、
心からそう祈っています。

さて、今回は、私の人生レンズとでも言いたくなる、主力レンズ、

  ホロゴン15mmF8。

もう少し頻繁に使ってあげなきゃ、と心から反省しています。
ボケレンズの魅力にかなり心が奪われて、
ともすると、ボケレンズを持ち出してしまいます。
実のところ、本人は洒落っ気も娑婆っ気もない、
真正面勝負だけの性格。
だから、本当はホロゴン一本だけで良いのです。
でも、だからこそ、性格は直せなくても、
レンズでちょっとした洗練、センスを味わってみたい、
ということでしょうか?
ともすると、ボケレンズを持ち出してしまいます。

ソニーα7用のヘリコイドリング付きマウントアダプタを
フォクトレンダーから購入して、
ホロゴンでさえ、超接近して、
曲がりなりにもボケを楽しめる時代になりました。
ホロゴンの持ち出し頻度を増やしい、
そう近頃切実に考えています。


ご注意
画像の取り込み作業ちょっと取り込みがあって、
画像が重複したり、順序がデタラメになったり。
修正が面倒なので、そのままにしておきます。
悪しからず。


c0168172_21594116.jpg
c0168172_21593398.jpg
c0168172_21592673.jpg
c0168172_21591909.jpg
c0168172_21590582.jpg
c0168172_21585775.jpg
c0168172_21584937.jpg
c0168172_21583480.jpg
c0168172_21582640.jpg
c0168172_21581414.jpg
c0168172_21580286.jpg
c0168172_21575498.jpg
c0168172_21574675.jpg
c0168172_21572875.jpg
c0168172_21564724.jpg
c0168172_21564082.jpg
c0168172_21562162.jpg
c0168172_21561439.jpg
c0168172_21560521.jpg
c0168172_21555863.jpg
c0168172_21555066.jpg
c0168172_21553600.jpg
c0168172_21552217.jpg
c0168172_21551334.jpg
c0168172_21550584.jpg
c0168172_21545837.jpg
c0168172_21545170.jpg
c0168172_21543959.jpg
c0168172_21543123.jpg
c0168172_21542201.jpg
c0168172_21541321.jpg
c0168172_21540102.jpg
c0168172_21535379.jpg
c0168172_21534600.jpg
c0168172_21532196.jpg
c0168172_21531146.jpg
c0168172_21525683.jpg
c0168172_21522919.jpg
c0168172_21521108.jpg
c0168172_21520361.jpg
c0168172_21514550.jpg
c0168172_21503263.jpg
c0168172_21502021.jpg
c0168172_21500644.jpg
c0168172_21495344.jpg
c0168172_21493914.jpg
c0168172_21493182.jpg
c0168172_21492104.jpg
c0168172_21490851.jpg
c0168172_21485886.jpg
c0168172_21484870.jpg
c0168172_21483527.jpg
c0168172_21482514.jpg
c0168172_21481517.jpg
c0168172_21480091.jpg
c0168172_21475082.jpg
c0168172_21473740.jpg
c0168172_21472412.jpg
c0168172_21471428.jpg
c0168172_21465578.jpg
c0168172_21463790.jpg
c0168172_21462271.jpg
c0168172_21460110.jpg
c0168172_21455194.jpg
c0168172_21453230.jpg
c0168172_21451707.jpg
c0168172_21450965.jpg
c0168172_21445453.jpg
c0168172_21444537.jpg
c0168172_21443633.jpg
c0168172_21440185.jpg
c0168172_21435075.jpg
c0168172_11541043.jpg
c0168172_11540398.jpg
c0168172_11535677.jpg
c0168172_11534897.jpg
c0168172_11534112.jpg
c0168172_11533464.jpg
c0168172_11532657.jpg
c0168172_11530504.jpg
c0168172_11525767.jpg
c0168172_11524927.jpg
c0168172_11523997.jpg
c0168172_11523153.jpg
c0168172_11522001.jpg
c0168172_11520985.jpg
c0168172_11520251.jpg
c0168172_11515319.jpg
c0168172_11513604.jpg
c0168172_11512180.jpg
c0168172_11511082.jpg
c0168172_11505599.jpg
c0168172_11504517.jpg
c0168172_11503502.jpg
c0168172_11502185.jpg
c0168172_11501202.jpg
c0168172_11500417.jpg
c0168172_11494740.jpg
c0168172_11504517.jpg
c0168172_11503502.jpg
c0168172_11484700.jpg
c0168172_11483986.jpg
c0168172_11483029.jpg
c0168172_11482188.jpg
c0168172_11481213.jpg
c0168172_11474331.jpg
c0168172_11473556.jpg
c0168172_11472649.jpg
c0168172_11471763.jpg
c0168172_11470914.jpg
c0168172_11465514.jpg
c0168172_11464472.jpg
c0168172_11463548.jpg
c0168172_11462683.jpg
c0168172_11461626.jpg
c0168172_11455973.jpg
c0168172_11455879.jpg
c0168172_11454124.jpg
c0168172_11453191.jpg




# by hologon158 | 2019-07-14 22:26 | ホロゴンデイ | Comments(0)

797.00 ホロゴン外傳271(2018年5月18日エルマジス95㎜F2.4の奈良町は朧に)



7月9日火曜日、
今日は散歩にも出かけず、
つつましく蟄居の日としました。
久しぶりに夫婦で在宅日だからですが、
朝から掃除、洗濯、食器のケア等多忙。

その洗濯機に不具合が発生しました。
神様は多忙時に故障日を合わせることで、
人間どもに人間の分際を知らしめる、
そんなおつもりなのでしょう。
そこで、その不具合をチェック。
東芝の一体型全自動洗濯乾燥機なのですが、
洗濯は全部滞りなく完了しています。
どうやら乾燥機が故障のようです。
3分の2ほどの乾燥プロセスが進み、
ほぼ乾燥完了に近い段階でストップして、
「E3」のエラー表示。

全自動ですが、我が家ではほぼ大半の種類は洗濯だけして、
ハンガーに掛けて自然乾燥しています。
乾燥プロセスでもみくしゃにしたくないからです。
そこで、夫婦で衆議一決。
これからは洗濯だけ使って、
壊れた乾燥機はそのままにして置き、
洗濯機の方も故障したら、そのとき修理にまわそう。
自然乾燥できるのに、乾燥機を使うのは資源の無駄遣い、
常々そう思っていたからです。

というわけで、修理に関する作業をする手間が省け、
昼食後は、本ブログの記事作成をまず始めました。

フランスの映画用レンズ
エルマジ95㎜F2.4
ソニーα7で撮りました。

全部で95枚一挙上映、というわけです。
ブログ掲載用に小型化する作業のなかで、
いつもながら、笑ってしまいました。
いわゆるフォトジェニックなものはほとんどない!
私の場合、常にそうです。

以前、仲間とキャノンギャラリーで写真展したとき、
まだ私が学生のころ経営していた数学塾で教えていた
一番できの良い少年が立派な大人になって、
奥さんまで連れて、でも、少年時代の面影を色濃く残して、
わざわざやってきてくれました。
彼に私のロボグラフィの私家版写真集を見せました。
私の写真集をサラサラと眺めて、
「面白いですねえ」と言葉少ない反応。
たまたま、以前所属していた写真クラブのメンバーが来て、
ソファーの横に座って傍観しておられたのですが、
彼も私の写真集にはなんの反応もないまま、
「私も写真集を持ってきました」
もっと良いものがありますよ、と言わんばかりに自信たっぷり。
友人の写真展に自分の写真集を持参して、割り込む、
なんて、なんだか礼儀もあったもんじゃない、という感じですが、
元少年氏、素直にその写真集を手にとって見始めました。
ハイアマチュアの風景写真家らしいきれいな桜や紅葉の風景写真。
見始めた途端、元少年氏とその奥様、
一枚ごとに、頓狂なまでに声を張り上げて、
「わあ、すごい!
きれいですねえええええええ......」
元少年氏の美意識に見事マッチしたわけです。
大抵の方も同様でしょう。

結局、誰もがそれを見たら写真を撮りたくなる、
そんな景観には多くの人が反応します。
でも、誰が見ても、絶対に撮らないようなロボグラフィ写真には、
誰も反応しないわけです。

私はちょうど逆、というわけです。
たとえば、今回の96枚の写真のラスト近くの木の切り株写真。
私は、これを見た瞬間、キャッと反応したわけです。
大抵の方は、私のそうした写真に直面しますと、
戸惑ったり、不快に思ったりするようです。
「なんで美しいものを撮らないの?」
「いえ、だから、美しいものを撮ったのですけど...」
そう言っても、誰も納得してくれません。
自分にとって美しいものは美しく、
自分にとって美しくないものは美しくない、
つまり、美は絶対的に決まっている、
そう皆さんお考えになるからです。

そんな方たちに向かって、
「私のロボグラフィは、全部、私が美しいと感じたから、
こうして撮っているのですが」
そう説明しても、納得してはもらえません。
私の友人でさえ、たった2人しか反応しません。
というわけで、10年ほど前から覚悟を決めて、
アマチュア写真家というかつての自覚を完全に捨ててしまい、
写真は自分一人のために撮ることにしたわけです。
ですから、友人たちにさえも、絶対に写真を見せません。
もちろん私のブログも話題に上りません。
誰も見ていないからです。

それで良いのです。
「写真は表現である」
そうよく言われます。
写真家は、人が自分の写真コンセプトを受け入れてくれて、
自分の写真作品をエンジョイしてくれて初めて写真家となる、
というわけです。
私はそんな境地をはなから捨ててしまいました。
自分一人が「わあ、凄い!」なんて反応しておればよいだけ。
今回も勝手に喜べばよいだけ。
アップしたら、もう忘れて次の作業にかかれます。
気楽そのものですね。

それにしても、エルマジ95㎜F2.4、
かってな思い込みでしょうけど、
なんだかフランス的。
とてもシックに個性的なのですが、
けっして古めかしくはなく、モダーン。

とはいえ、かなり画像の仕上がりに偏りがあって、
一定の画質を維持するのが難しい感じ。
そのあたりが古めかしさかも?




c0168172_21123361.jpg
c0168172_21122273.jpg
c0168172_21121162.jpg
c0168172_21120259.jpg
c0168172_21115338.jpg
c0168172_21114394.jpg
c0168172_21113315.jpg
c0168172_21112693.jpg
c0168172_21111854.jpg
c0168172_21110573.jpg
c0168172_21104568.jpg
c0168172_21103604.jpg
c0168172_21101696.jpg
c0168172_21100824.jpg
c0168172_21100029.jpg
c0168172_21095281.jpg
c0168172_21094292.jpg
c0168172_21093274.jpg
c0168172_21092329.jpg
c0168172_21091045.jpg
c0168172_21085796.jpg
c0168172_21084083.jpg
c0168172_21073644.jpg
c0168172_21082396.jpg
c0168172_21072565.jpg
c0168172_21071020.jpg
c0168172_21071754.jpg
c0168172_21070166.jpg
c0168172_21065221.jpg
c0168172_21064392.jpg
c0168172_21063135.jpg
c0168172_21060477.jpg
c0168172_21055293.jpg
c0168172_21053515.jpg
c0168172_21052792.jpg
c0168172_21051950.jpg
c0168172_21040639.jpg
c0168172_21035946.jpg
c0168172_21035179.jpg
c0168172_21034207.jpg
c0168172_17305527.jpg
c0168172_17304329.jpg
c0168172_17303660.jpg
c0168172_17302701.jpg
c0168172_17301776.jpg
c0168172_17301013.jpg
c0168172_17300249.jpg
c0168172_17294707.jpg
c0168172_17293931.jpg
c0168172_17293197.jpg
c0168172_17291941.jpg
c0168172_17291213.jpg
c0168172_17290412.jpg
c0168172_17285507.jpg
c0168172_17284435.jpg
c0168172_17283566.jpg
c0168172_17282918.jpg
c0168172_17282171.jpg
c0168172_17281456.jpg
c0168172_17280543.jpg
c0168172_17275523.jpg
c0168172_17274851.jpg
c0168172_17274265.jpg
c0168172_17273442.jpg
c0168172_17272889.jpg
c0168172_17272146.jpg
c0168172_17271552.jpg
c0168172_17270753.jpg
c0168172_17265939.jpg
c0168172_17265297.jpg
c0168172_17264599.jpg
c0168172_17263849.jpg
c0168172_17263141.jpg
c0168172_17262487.jpg
c0168172_17261703.jpg
c0168172_17260082.jpg
c0168172_17255466.jpg
c0168172_17254886.jpg
c0168172_17254288.jpg
c0168172_17253692.jpg
c0168172_17253048.jpg
c0168172_17252420.jpg
c0168172_17251766.jpg
c0168172_17251121.jpg
c0168172_17245458.jpg





# by hologon158 | 2019-07-09 21:14 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

796.02 ホロゴン外傳270(2018年12月19日スピードパンクロ35㎜F2の奈良町も異色)2 幸せ



時折、考えることがあります。

  ここに生まれて
  こうして生きていることが、
  私にとって幸せなのか?

家族のことを考えると、
イエス、幸せだったのだ、と即座に答えることができます。
でも、時代の中に生きる私個人として、どうなのか?
そう考えると、素直に「はい、幸せです」とは思えない、
だって、人類にとっては末世としか言いようがない時代なのだから。
そんな答えも浮かんできます。

でも、もう一つの考え方があります。
医療体制がこれだけ完備した時代はなかったかもしれません。
偉大な宗教家たちも、どんなに悟り済ましても、
さほど長生きできたとは思えません。

  聖徳太子は48歳、
  空海は58歳、
  最澄は56歳、
  親鸞は89歳、
  法然は80歳、
  道元は53歳、
  日蓮は60歳、
  聖フランチェスコは44歳、
  インドの聖人に目を移しても、
  ラーマクリシュナも没年はたった50歳、
  弟子のヴィヴェカーナンダと来たら、たった39歳!

信仰の高さ、宗教的な人格の大きさは、
必ずしも健康に結びつかず、長寿とは無関係、
そして、さまざまな外的要因が短命につながったということでしょうか?

不思議に思うのですが、
彼らはみんなヒーリングパワーの持ち主でした。
予知能力もあったでしょうし、
体をコントロールできる絶大な心の大きさを持っていたはずなのですから、
夭折の運命も予知できたのではないでしょうか?
自分のヒーリングパワーを自分に向けて使えなかったのか?
それとも、運命は定められていて、
運命をはね除けようしても無駄、
いずれにせよ、ヒーリングパワーさえも運命に逆らえない、
ということでしょうか?
だとすると、信者たちの病気をヒーリングパワーで癒やすことは、
彼らの運命を変えることにつながらなかったのではないでしょうか?
こんな風に考えると、どうもよく分からなくなってしまいます。

現代人にとって長生きのための条件がかなりあるようです。
① 医療体制がかなり進歩したことがまず第一。
② 健康に関する知識が進んだこともあるでしょう。

私個人としては、我田引水ですが、
次の2つの条件もかなり大きいと思っています。
③ 水素吸引による健康増進
④ アーシングによる健康増進
なんじゃ、それは?
そう戸惑う方も多いでしょう。
ネットで検索してみてください。
私は、どちらに出会えたのも「縁」であったと信じています。

よくよく考えてみると、すべてが縁であることは間違いがありません。
でも、空海や聖フランチェスコたちを襲った運命は、
私たちにも襲いかかってくるはずです。
運命には逆らえない、のですから。

それなのに、私は考えています、
自分は寿命をもう少し伸ばせるのではないか?
上記の③④に健やかな長寿を保証する力があると信じているからではありません。
よくよく考えてみますと、
空海や聖フランチェスコたちも日々日常アーシングをしていたのです。
聖フランチェスコときたら、
裸、裸足で大地を闊歩することもいとわなかったようです。
あの時代、大地は道も含めてすべて土、草、林、森でした。
公害などに一切汚されない清浄なる天空が頭上に広がっていたでしょう。
テレビもインターネットもない。
電磁波に常時身体を痛めつけられている現代の都会地では
想像も付かないほどの清浄の天地に生きていたのです。
それなのに、比較的短命でした。
だから、私は考えるのです。
現代はまさに不浄の大地。
でも、前記の③④で、心身を浄化することができ、
飛躍的に革新されつつある現代医療技術がサポートしてくれる。
こうした状況が相まって、
現代人の心身をかなり清浄かつ健康に保ってくれるのではないか?
私はそう信じたいのです。

その一つのサポートとして、
私は現代社会の腐敗、汚辱、危機への懸念、不安は
完全に封印することにしました。
私がどんなに心配しても、
そうした現代社会の暗黒をどうしようもないからです。
できることは選挙権は必ず行使すること、
これくらいしかありませんね。

機会があれば、近くの神社森、名付けるところのアーシングウッドに来て、
撮影し、自然木のベンチでポメラしています。
さまざまな小鳥のさえずり、そよぐ風が私の心身をすーと通り抜けて、
私を浄化してくれるようです。

一昨年来時折携帯に時折かかってくる着信がありました。
未知の番号です。
いつも、無視します。
携帯をヒューマンネットワークなるもののツールとして
使うつもりなどありません。
もう世を捨てたので、
常時出会う親友たちを除くすべての旧友、知人との接触も絶ちました。
忘れてもらいたいのです。
すべての時間を私の心の赴くままに使いたいのです。

変人なのでしょうね。
変人でなければ、
私のブログを埋めているような写真は撮りませんね。
私は、自分の写真を第三者が観ることを予定せず、撮っています。
ああ、こう撮ったら、人がびっくりするだろうな、
なんて微塵も考えません。
私がある日、あるとき、ある場所でロボグラフィと出会った、
その喜びの気持ちだけを記録したいのです。

公平のために付け加えますと、
私が社会を捨てたように書いていますが、
社会にとってはなんの痛痒もない。
むしろ、社会が私を捨てた、というのが真相でしょう。
でも、なんとも思いませんね。
私は自分の人生で十分楽しめるからです。
心の支えとして、家族と友人が居てくれるのですから、
ありがたいことです。




c0168172_17143264.jpg
c0168172_17142359.jpg
c0168172_17141152.jpg
c0168172_17140484.jpg
c0168172_17135183.jpg
c0168172_17134407.jpg
c0168172_17133854.jpg
c0168172_17133232.jpg
c0168172_17132578.jpg
c0168172_17131966.jpg
c0168172_17131324.jpg
c0168172_17130671.jpg
c0168172_17125695.jpg
c0168172_17124913.jpg
c0168172_17123999.jpg
c0168172_17122830.jpg
c0168172_17122147.jpg
c0168172_17120865.jpg
c0168172_17115184.jpg
c0168172_17114446.jpg
c0168172_17113737.jpg
c0168172_17112970.jpg
c0168172_17112260.jpg
c0168172_17111532.jpg
c0168172_17110884.jpg
c0168172_17110072.jpg
c0168172_17104083.jpg
c0168172_17103362.jpg
c0168172_17102597.jpg
c0168172_17101301.jpg
c0168172_17100647.jpg
c0168172_17095200.jpg
c0168172_17094398.jpg
c0168172_17093504.jpg
c0168172_17092610.jpg
c0168172_17091484.jpg
c0168172_17090564.jpg
c0168172_17085834.jpg
c0168172_17084880.jpg
c0168172_17083982.jpg
c0168172_17082972.jpg
c0168172_17081696.jpg
c0168172_17064866.jpg
c0168172_17064087.jpg
c0168172_17063220.jpg
c0168172_17062371.jpg
c0168172_17061471.jpg
c0168172_17060402.jpg
c0168172_17054290.jpg
c0168172_17053361.jpg
c0168172_17052285.jpg
c0168172_17051382.jpg
c0168172_17050386.jpg
c0168172_17044957.jpg
c0168172_17043801.jpg
c0168172_17042820.jpg
c0168172_17041412.jpg
c0168172_17040510.jpg
c0168172_17035720.jpg
c0168172_17031788.jpg
c0168172_17030733.jpg
c0168172_17030011.jpg
c0168172_17025287.jpg
c0168172_17024349.jpg
c0168172_17022510.jpg
c0168172_17021799.jpg
c0168172_17020780.jpg
c0168172_17015854.jpg
c0168172_17014945.jpg
c0168172_17013758.jpg
c0168172_17011808.jpg





# by hologon158 | 2019-07-05 17:16 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

796.01 ホロゴン外傳270(2018年12月19日スピードパンクロ35㎜F2の奈良町も異色)1 対話



茂木健一郎という脳科学者が居ます。
YouTubeで、彼の講義、講演をたっぷり楽しむことができます。
私もかなり楽しんだのですが、ふっと気づきました。
なんにも頭に残っていない。
なぜ?
ただちに分かりました。
鋭く深い洞察に満ちているのでしょう。
でも、私が彼の論旨にぜんぜんついて行けない。
だから、ぜんぜん記憶に残らないのです。
一体なにをおっしゃりたかったのか?
まるで分からない。
私の頭脳がすでに時代遅れになっているのです。

私の親友の一人がこの茂木さんに匹敵するほどの、
猛烈に鋭く深い思考力の持ち主。
さまざまなジャンルにわたって、
天馬空を行くがごとき論考を展開してくれます。
でも、あまりにも深くて広大すぎて、
私の頭脳はまったくついていけません。

このお二人に共通していることが一つあります。
聴く人のレベルに合わせて語るということはしない!
いや、それでも合わせて平易に語ろうとしている、
そうお二人はおっしゃるでしょう。
でも、そのレベルは私よりまだ遙か上なのです。
おかげで、聞き手はさらりと置いてきぼりになってしまうけど、
お二人はそれに気づいていないか、気づいても、平気。
分からないのは、分からない方に問題があるというわけです。

エハン・デラヴィという在日何十年というイギリス人がいます。
執筆家ですが、エハン塾という少人数の塾生の前での講義を行い、
YouTubeにたくさんアップされています。
実に達者な日本語で、さまざまな話題について紹介し、
その意味をその場で解明しようとします。
この人の講義は全部理解できます。
なぜ?
彼が聴く人のレベルをかなり落として、
一緒に語り合おうという姿勢をしっかり堅持しているからです。

前者は、未知の荒野に分け入って道を開くという独創タイプ、
後者は、独創の天才たちが切り開いた道を整地して、
我々凡人が歩けるようにしてくれる啓蒙タイプ、
そう言ってもよいかも知れません。

私は、そのどちらでもありません。
ただ闇雲に興味、関心の赴くままに、脈絡もなく、
あっちで一口、こっちで一口、と、楽しむタイプ。
その結果、自分に分かることは呑み込めるけど、
分からないことは追究したりせず、脇によけて通るだけ。
というのも、自分に理解できないことを研究して、
我が物にしなければならない、という必要性が
なくなってしまったからです。
社会から離れて、一人で人生を楽しむ時代に入ったからでしょう。
でも、私は深刻に心配しています。
私だけではなく、すべての人にとって、
もう時間はあまり残されていないんでは?。
日本だけではなく世界全体が、
どうしようもない地滑り現象を起こしてしまっています。
私にはそうとしてか思えません。

なんだか疑っていることがあります。
地球自体が何千年、何万年に一度という激動期に入っています。
太陽まで観測されたことのない異常を呈し始めています。
実は逆で、太陽の異常が地球に深刻な影響を与えているのです。
親亀こけたら、皆こけた、というわけです。
大地震が頻発していますが、
地震の原因が局地的なものではなく、日本列島の地殻の変動にあり、
その変動自体が太陽の動きに支配されていることが分かっています。
人間世界の土台である地球そのものが揺るぎ始めているのかも?
世界を覆っている社会不安は現在深刻そのものですが、
私たちの拠って立つ基盤そのものの不安を反映しているのかもしれません。

先月でしたか、孫たちと大阪天王寺動物園の一日を楽しみました。
一つはっきりと感じたことがあります。
昨年見たときより、動物たちがまるで元気がないのです。
もともと自由を奪われているのですが、
なおさらに、毛皮が汚れ、生気を失っている気配。
本来自由に大地を闊歩すべき動物たちにとって、
どんなにケアしてもらっても、動物園は牢獄です。
そんな幽閉状態にあって、
地球そのものの異常を敏感に感じ取っているのかも知れません。

こんな時代に生きていくのは不安ですね。
私の懸念は孫たちにかかっています。
孫たちも成人し、結婚し、子を産み、
その子たち、つまりひ孫たちも成人し、結婚し、子を産み、
と安穏に過ごすことができて、
それぞれの可能性を人生で思う存分追求してほしいものです。
でも、そうできるでしょうか?

政治の世界も、内外、例外なく、
本来国政を担う資質も能力もない人たちが牛耳り、
国際資本が世界の資源を食い尽くそうとしています。
これを、進歩と呼び、真実そうだと思っている人たちがいます。
世界も社会も史上最悪の無法状態に陥りつつあります。
地球が一つになってしまったので、逃げ場がありません。
でも、多くの人は進歩の極み、夢の社会、そう考えているようです。
はっきりと言えます。
末世。




c0168172_21550066.jpg
c0168172_21544909.jpg
c0168172_21543737.jpg
c0168172_21541656.jpg
c0168172_21533731.jpg
c0168172_21532558.jpg
c0168172_21524800.jpg
c0168172_21522066.jpg
c0168172_21521240.jpg
c0168172_21515634.jpg
c0168172_21513837.jpg
c0168172_21513004.jpg
c0168172_21511695.jpg
c0168172_21510942.jpg
c0168172_21510140.jpg
c0168172_21502349.jpg
c0168172_21501526.jpg
c0168172_21500754.jpg
c0168172_21495991.jpg
c0168172_21495181.jpg
c0168172_21493914.jpg
c0168172_21492247.jpg
c0168172_21485383.jpg
c0168172_21484415.jpg
c0168172_21483608.jpg
c0168172_21482780.jpg
c0168172_21481928.jpg
c0168172_21480875.jpg
c0168172_21480129.jpg
c0168172_21475280.jpg
c0168172_21474165.jpg
c0168172_21473218.jpg
c0168172_21472241.jpg
c0168172_21471034.jpg
c0168172_21465477.jpg
c0168172_21464775.jpg
c0168172_21464008.jpg
c0168172_21463347.jpg
c0168172_21462610.jpg
c0168172_21461893.jpg
c0168172_21461168.jpg
c0168172_21460586.jpg
c0168172_21455089.jpg
c0168172_21453843.jpg
c0168172_21453068.jpg
c0168172_21452369.jpg
c0168172_21451538.jpg
c0168172_21450385.jpg
c0168172_21445600.jpg
c0168172_21444552.jpg
c0168172_21443827.jpg
c0168172_21443137.jpg
c0168172_21442421.jpg
c0168172_21441764.jpg
c0168172_21441167.jpg
c0168172_21440458.jpg
c0168172_21435654.jpg
c0168172_21434606.jpg
c0168172_21433697.jpg
c0168172_21432796.jpg
c0168172_21431803.jpg
c0168172_21430022.jpg
c0168172_21425364.jpg
c0168172_21424083.jpg
c0168172_21423121.jpg
c0168172_21422189.jpg
c0168172_21421092.jpg
c0168172_21415647.jpg
c0168172_21414286.jpg
c0168172_21413279.jpg
c0168172_21412193.jpg
c0168172_21405871.jpg






# by hologon158 | 2019-07-02 22:12 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

795.02 ホロゴン外傳269(2018年12月19日パンタッカー50㎜F2.3が奈良町撮れば三味違う)2 まだまだ謎が


 
 
人類(ホモサピエンス)の発生には大きな謎があるようです。
人類学は長年窮地に立たされたままです。
ホモサピエンス(ネアンデルタール人を含む)と、
それ以前の先人類との間には、脳容積が飛躍的に拡大していて、
断絶があります。
その中間形を長年必死で探してきたのですが、見つからないのです。

メソポタミアの神話では、アヌンナキと呼ばれる天上の存在が、
地球上での作業を手伝わせるために、人類を生み出したとしています。
聖書で、神が、すべての生物を生み出した後で、
アダムとイブを創造したのも、
上記の創造神話のバリエーションと言えそうです。
二人は完全に人間として行動していますから、ホモサピエンスなのでしょう。
つまり、それ以前のホモ・ハビリス等は人間とは別個の存在として、
すでに作られていたことになりそうです。

創世記によれば、その頃生み出されたのは人類だけではありません。
アダムとイブが楽園を追放された後、
他の人間たちのエリアに行ったというので、
アダムとイブの系統ではない人類も別途作られていたらしい。
天使たちも人間の女性と結ばれて、巨人を生み出しています。
いずれにせよ、先行の旧人類から進化したものではなさそう。

遺伝学的には、ホモサピエンスは、進化の前段階の動植物たちと、
遺伝子をある程度共有しています。
でも、先行種から受け継いだと思われない遺伝子がわずかながら含まれていて、
それがいかなり意味、役割を有しているのか、未だに分からないと言います。
この遺伝子は地球外の起源ではないかと言う学者が居ます。
聖書の記述と矛盾がないのが奇妙です。

つまり、上記の諸点を総合すると、
人類は地球が産んだ生物なんだけど、地球外の成分が手伝って、
人類の能力を飛躍的に高めた可能性があるというのです。
私たちが一部宇宙人であるということになりそうで、
ちょっと胸躍りますね。

私は空飛ぶ円盤、UFOを異星人の到来を意味するとは思いません。
はるばる何光年、何十光年も旅をしてきて、
ひょいひょいと空を飛んでみせるだけで、
コンタクトをしようとしないのはまったく解せないからです。
でも、一方で、地球上に生命が誕生し、
ここまで進化できたことが、
全宇宙の中でたった一回しか起こらなかったとは絶対に信じられません。
宇宙から飛来した岩石中に有機体が見つかっています。
宇宙的なタイムスパンでは、いかなることも、
「一回起これば、幾度も起こる」のが統計的原則でしょう。
むしろ物質は生命体まで容易に組織化される性質を持つ、
と考えることもできそうです。
というのは、生命が誕生するとはとても思えない過酷な環境、
たとえば、火山の溶岩の中とか、
圧倒的な重力に押さえつけられているはずの大地や深海の奥深くにも、
地上の生命体とは異なる起源を持つ有機体が種々と見つかっているのですから。

人類に由来するとは思えない太古の発掘物がさまざまに発見されています。
太古の地質学年代の地層に鋲が見つかりました。
そのような人類に由来するとは思えない遺物が
さまざまな古代地層で見つかっています。

人類のさまざまな神話自体、最初に記載しましたように、
地球外の知性的存在の介入を示唆するものが沢山あります。
20世紀以降の知的発見の基本の一つが、
人類の神話には事実の核を有するものがある!
その先鞭を付けた偉大な発見がシュリーマンによるトロヤの発掘でした。
ホメーロスは、事実に即して、あの偉大な叙事詩イリアッドを創造したのです。
そうした神話の多くが、と言うより四大文明のすべての神話が、
そして、聖書が、天上界の神々等の神的存在の介入を記録しています。
そして、もしかすると、イリアッドの基本事実が史実であったように、
それは歴史的事実かもしれませんね。




c0168172_22311988.jpg
c0168172_22311036.jpg
c0168172_22304570.jpg
c0168172_22303606.jpg
c0168172_22302903.jpg
c0168172_22302223.jpg
c0168172_22301402.jpg
c0168172_22300687.jpg
c0168172_22295805.jpg
c0168172_22295183.jpg
c0168172_22294539.jpg
c0168172_22293889.jpg
c0168172_22293272.jpg
c0168172_22292514.jpg
c0168172_22291809.jpg
c0168172_22291050.jpg
c0168172_22290381.jpg
c0168172_22285792.jpg
c0168172_22285013.jpg
c0168172_22284244.jpg
c0168172_22283560.jpg
c0168172_22282883.jpg
c0168172_22282272.jpg
c0168172_22281452.jpg
c0168172_22280096.jpg
c0168172_22275220.jpg
c0168172_22274551.jpg
c0168172_22273808.jpg
c0168172_22273039.jpg
c0168172_22272089.jpg
c0168172_22271317.jpg
c0168172_22270642.jpg
c0168172_22265647.jpg
c0168172_22264682.jpg
c0168172_22263960.jpg
c0168172_22263282.jpg
c0168172_22262434.jpg





# by hologon158 | 2019-06-27 22:32 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

795.01 ホロゴン外傳269(2018年12月19日パンタッカー50㎜F2.3が奈良町撮れば三味違う)1 言葉、言葉、言葉



この世界には神秘が満ちています。
考えれば考えるほど、謎に満ちています。

でも、私たちはそんな謎なんかそっちのけ、
日常生活に埋没しています。
それがどうした?
こっちは食うのに忙しいんだ!
というわけです。
確かにそちらが最優先ですね。

私はすでに引退して、年金生活。
いまどき年金で食べてはいけないので、
なけなしの預金を食い潰しながらの、かつかつの生活。
幸い、私は豊かな経済生活など不要の人間なので、
別に不便はありませんが、それでもやっぱり思うに、
人生って、思う通りにはいかないものですね。

でも、いつもの通り、二枚腰で受け止めましょう。
金があったら、どうだと言うの?
余計なことに金を使うだけじゃないの?
傲慢になるだけじゃないの?

よくあることに、
急に不要金が手に入ったりしますと、人間が変わります。
悪いことに、徐々に変わるので、俄然にわかに変貌し、
自分が変わってしまったことに気づかない。
逆に、周りの人間がつまらなくなった、と、
他人に責任をおっかぶせてしまい、
ますます、変わっていきます。
私には経験がありませんが、想像がつきます。
その方向は、人生を心の底から楽しむ方向ではなさそうです。

「余裕のある人生」と言いますが、
なんだか金に余裕がない方が生活に余裕があり、
心にゆとりがあるようです。
長生きすればするほど、そんな気持ちが強くなります。
金のない方が、自分らしさを失わないで済みますから。

リトマス試験紙のような判別法が一つあります。
実に簡単です、
金の要らない方法で人生を楽しめるか?
これだけ。

金のある方はついついお金を使って幸せを求めるようです。
大抵、不動産を買い足したり、旅行に出かけたり、
美術品や古物を手に入れり。
どなたか億万長者が、宇宙旅行を企画したそうですね。
私はテレビも新聞も観ないので、詳しいことは知りませんが、
それも一人や二人ではないのだそうですね。
どれ位かかるのか、グーグルで検索してみました。
無重力体験で約1000万から3000万円。
国際宇宙ステーション滞在体験で約22億円!
ええー?
22億円................?
たった幾日かの遊びのためにポンと22億円投げ出せるのなら、
いっそ50億円ほどにして、
自分の好きな方向での才能開花を目指す子供たちのための、
奨学資金財団を作ったら?
偉大な資質を持ちながら、なぜか浮かばれない研究者を探して、
研究資金を出してあげたら?

でも、宇宙旅行をしたい億万長者はこう答えるでしょうね、
君、お金がないから想像できないようだけど、
私はそんなことはちゃんとしているんだよ、
それでもお金が余るから、宇宙旅行でもしようか、
というわけなんだよ。
恐れ入りました。
でも、それなら、その資金も奨学資金にしてあげたら、
もっと沢山の青少年が才能を伸ばせるんじゃない?

結局、こんなあほらしい談義をしていること自体、
私がお金のある人の気持ちなど分かっていないせいなのでしょう。
お金持ちはお金持ちで、私のことを笑うでしょうね、
バカだねえ、貧乏人は!
お前さんたちのためにこの社会を動かしてあげているのは、
私たちだよ。
燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや、であるぞよ。
恐れ入りました、と言うほかはなさそうですね。

でも、頭を下げるつもりはありません。
やはりどこか人間がおかしくなっている、そう感じてしまうからです。
杜子春を作った芥川龍之介も同じように感じていたのでしょう。

こんなことをわざわざ書くのも、
現代社会は、これまでの歴史にないほどのゆがみを生み出している、
そう感じるからです。
過去のすべての時代がそうですが、
封建主義社会は別として、民主主義社会では、
子供の頃からこつこつと努力をして、
才能を開花させ、次第に頭角を現して、ついには社会をリードする、
そんな社会構造でした。
でも、今は違います。
IT社会がこれまでのすべての社会と異なるのは、
一つのアイデアが一攫千金を生み出し、
そんな成功者がいきなり社会をリードする構造となってしまったこと。
会社もまったく同様です。
実績、伝統、シェアなどは今やほとんど意味がない。
アイデア一つが会社を作り、経済を変える時代になってしまいました。

簡単に言いますと、成熟した大人ではなく、
早熟の子供が世界をリードする時代。
努力を積み重ね、人間的に優れて、豊かな人間経験の蓄積を活かして、
大衆を指導し、社会をリードする、
そんな人たちは出る幕がなくなってしまいました。
ご覧になってください、
あらゆる分野で小賢しいマセタ小僧、
人間的に観て、優れたところなどかけらもない、
下卑た青二才ばかりがしゃしゃり出て、
立て板に水と、ペラペラと利いた風な御託を並べて、
悦に入る光景ばかりではありませんか?
こんな口八丁手八丁人間たちがリードする社会が
豊かに成熟した文化を生み出すはずがないのです。

上っ調子の根無し草の風潮の中で、文化そのものが消えて行きます。
人間社会を基礎づける文化が線香花火になってしまうと、
社会そのものが完全に末期現象を呈しはじめます。
仁義礼智信、といった人間の徳性を備えた人たちは、
社会の片隅においやられ、
欲と得だけで動く人間が社会をほしいままに引きずっていきます。
これがあらゆる文明、あらゆる文化に起こった
「世紀末現象」です。

先日、小二の孫プリンスが不調で、
私が早期に下校、帰宅する彼の面倒を見にまいりました。
彼は、阪神タイガースファンで、録画を再生しました。
私はテレビなど観ないので、こんな機会に付き合わされます。
テレビって、語りでできていますね。
気の利いたことを言えなければならない。
だまって行動で結果を出す、
なんてことははやらない社会になりそうです。
「言葉、言葉、言葉」がひたすら人を動かすことに集中する社会。

こんな社会で、健全な自分の人生を保つためにはどうすればよいか?
受動喫煙を避けるように、受動コミュニケーションを避けること、
社会から情報を受けるときは、自分で情報源を探索選択すること、
垂れ流しの情報は絶対に受容せず、信用もしないこと、
これくらいでしょうか?

私のように、テレビを一切観ない、
ネットでも極力ニュースを観ない人間はさほど多くないかもしれませんね。
多くの人は、ネットから浮かび上がる社会像が現実であり、
テレビに映るイメージがその人の真の姿であるとお考えのようです。
ニュースで目にする社会の要人の行動が
綿密にプログラムされたプロパガンダ行為であることに
お気づきになっていないようです。
虚像が実像の人間たちを汚染して、
虚像ばかりを追う統計現象に組み入れてしまう、
これが現代ですね。

改善策は?
そんなものはありません。
ジャガーノートが走り始めたら、
行き着くところまで行くしかないのです。
どうやら地球全体が一つの地球文明としてまとまってしまいました。
逃げ場も、改革の拠点も、何もない。
人類のために一つ言えることは、
地球文明はロケットスピードでカタストロフィに行き着くでしょう。
でも、その破局の断末魔を、
私が、あなたが、私たちの子孫たちが無事生き延びられるか?
なんだか怪しい感じがします。

でも、それだからこそ、なおのこと、
無用な娑婆っ気など忘れて、
この宇宙に、この地球に潜む神秘や謎を楽しみたいものですね。




c0168172_15522641.jpg
c0168172_15523451.jpg
c0168172_15524301.jpg
c0168172_15524915.jpg
c0168172_15525615.jpg
c0168172_15530351.jpg
c0168172_15530993.jpg
c0168172_15531647.jpg
c0168172_15532475.jpg
c0168172_15533792.jpg
c0168172_15534454.jpg
c0168172_15535032.jpg
c0168172_15535713.jpg
c0168172_15541094.jpg
c0168172_15541672.jpg
c0168172_15542307.jpg
c0168172_15542995.jpg
c0168172_15543547.jpg
c0168172_15544180.jpg
c0168172_15544704.jpg
c0168172_15545511.jpg
c0168172_15550182.jpg
c0168172_15550727.jpg
c0168172_15551520.jpg
c0168172_15552352.jpg
c0168172_15552960.jpg
c0168172_15553568.jpg
c0168172_15554289.jpg
c0168172_15555619.jpg
c0168172_15560599.jpg
c0168172_15561324.jpg
c0168172_15562281.jpg
c0168172_15563041.jpg
c0168172_15563906.jpg
c0168172_15564606.jpg
c0168172_15565660.jpg
c0168172_15570379.jpg
c0168172_15571289.jpg
c0168172_15572024.jpg
c0168172_15572973.jpg
c0168172_15573629.jpg
c0168172_15574657.jpg
c0168172_15574657.jpg
c0168172_15575389.jpg
c0168172_15575407.jpg
c0168172_15580215.jpg
c0168172_15580958.jpg
c0168172_15581697.jpg
c0168172_15582308.jpg
c0168172_15583051.jpg
c0168172_15583761.jpg
c0168172_15584327.jpg
c0168172_16031445.jpg
c0168172_16032439.jpg
c0168172_16033139.jpg
c0168172_16033956.jpg
c0168172_16044540.jpg
c0168172_16045422.jpg
c0168172_16050228.jpg
c0168172_16051424.jpg





# by hologon158 | 2019-06-27 16:07 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

794.03 ホロゴン外傳268(2019年2月2日キネタール50㎜F1.8は快刀乱麻を断つ勢い)3 放松慢練数拍子



楊琴伴奏レッスンの師、二個演奏家の陳少林先生から、
楽器演奏の極意を教えていただきました。

1 放松(ファンスオン) 脱力して
2 慢練(マンリェン)  ゆっくりと
3 数拍子(スウパイズ) ただしいリズムで

吉田正さんの写真教室に通っているとき、仲間から教えていただきました、
ストレッチのような運動はできるだけゆっくりとすべき。
そうすると、体が覚えるから。

なんだか人生すべてにわたって、同じことが言えるのでは?
そんな感じがしてきました。

私はどんなことも素早くがモットーで生きてきた人間です。
今頃になって、生き方全般にわたって見直しを迫られることになったわけです。

思い出しました。
仕事について何年かして、私より2年先輩と同僚になりました。
この人、姓名も昔のおとぎ話の主人公とそっくりで、
語りっぷりと来たら、もう悠長そのものでした。
私と言えば、今でこそもっと落ち着きましたが、
二十歳台の頃は速射砲で、まるで早口競争そっくり。
すると、その人がまったり、じんわりと私をたしなめました、
「あのなあーー、すまんけど、
あんたの言うこと、あんまり早すぎて、
なに言うてるのか、ぜんぜん、分からんがなーー」
私の方は彼の口調があまりにも悠長なので、
やっぱり理解困難でしたから、おあいこというところ。
これが文字通り「波長が合わない」という現象だったようです。

私は新聞を読まず、テレビも観ないので、
意識しないと、日にちが分かりません。
そして、今日は何日だったなあ、と思いつつ、
日にちをチェックしてみます。
常に起こること、それは、暦日は私の推測よりも1、2日先に行っている!
これでおわかりのように、
私は時代に少しずつ置いてけぼりになりつつあるのでしょう。
時代にも波長が合わなくなってきているのかもしれません。

でも、私はぜんぜん気にしていません。
今日が29日であろうと、30日であろうと、
私の人生が長くなったり短くなったりするわけはない!
私は私の時間をしっかり生きて居ればよいだけ。

今朝も近くのアーシングロードに出かけました。

アーシングロードには私一人。
いつもの小鳥のさえずりを散りばめた静寂の場。
夏季に入りつつあるこの頃、
蚊がブンブン飛ぶようになりました。
私は、体質のせいで、近寄ってきても、刺されません。
でも、たいていの方は当分神社森には近づけないでしょう。
皆さんには感謝の気持ち。
私のためにアーシングロードを空けていただいているようなものなので。

こんな無人の森を、
放松(ファンスオン)/脱力して、
慢練(マンリェン)/ゆっくりと
数拍子(スウパイズ)/ただしいリズムで
散策し、ポメラで文章を打つ、
まさに天国です。




c0168172_21473212.jpg
c0168172_21474180.jpg
c0168172_21475254.jpg
c0168172_21475823.jpg
c0168172_21480408.jpg
c0168172_21481194.jpg
c0168172_21481723.jpg
c0168172_21482394.jpg
c0168172_21483067.jpg
c0168172_21484193.jpg
c0168172_21484856.jpg
c0168172_21485518.jpg
c0168172_21490280.jpg
c0168172_21490909.jpg
c0168172_21491679.jpg
c0168172_21492766.jpg
c0168172_21493451.jpg
c0168172_21494097.jpg
c0168172_21494776.jpg
c0168172_21495404.jpg
c0168172_21500140.jpg
c0168172_21501195.jpg
c0168172_21501671.jpg
c0168172_21502216.jpg
c0168172_21502878.jpg
c0168172_21504276.jpg
c0168172_21504940.jpg
c0168172_21505509.jpg
c0168172_21510277.jpg
c0168172_21510941.jpg
c0168172_21512479.jpg
c0168172_21513231.jpg
c0168172_23000414.jpg
c0168172_23001195.jpg
c0168172_23001723.jpg
c0168172_23002914.jpg
c0168172_23003644.jpg
c0168172_23004340.jpg
c0168172_23004949.jpg
c0168172_23010090.jpg
c0168172_23010970.jpg
c0168172_23012321.jpg
c0168172_23014311.jpg
c0168172_23014940.jpg
c0168172_23015621.jpg
c0168172_23020321.jpg
c0168172_23020926.jpg
c0168172_23021609.jpg
c0168172_23022458.jpg
c0168172_23023020.jpg
c0168172_23023824.jpg
c0168172_23024590.jpg
c0168172_23025122.jpg
c0168172_23025786.jpg
c0168172_23030815.jpg
c0168172_23031597.jpg
c0168172_23032235.jpg
c0168172_23032944.jpg
c0168172_23034133.jpg
c0168172_23034803.jpg
c0168172_23035483.jpg
c0168172_23040025.jpg
c0168172_23042539.jpg
c0168172_23043591.jpg
c0168172_23044296.jpg
c0168172_23044986.jpg
c0168172_23045665.jpg
c0168172_23050340.jpg
c0168172_23051061.jpg




# by hologon158 | 2019-06-23 23:13 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

794.02 ホロゴン外傳268(2019年2月2日キネタール50㎜F1.8は快刀乱麻を断つ勢い)2 藁屋に名馬を



この頃、素敵な言葉がよく見つかります。

「藁屋に名馬を繋ぎたるがよし」

室町の茶人、村田珠光の言葉だそうです。
同種の馬群の中を駈けていると、
観る人が観れば分かるのでしょうけど、
観る目のない人には、
どれが名馬でどれが駄馬か、分からないものです。
でも、藁屋にただ一頭繋がれている姿を見れば、
誰の目にも名馬のただならぬ輝きには目を見張るでしょう。

アートはすべてコントラストが鍵です。
というより、この世界のすべてはコントラストが鍵です。
ホワイトヘッドはいみじくも喝破しました、
存在が創造的に変化していく鍵はコントラストにある。
どんな存在も安定、静止は堕落に通じます。
生きるためには変化し、向上するしかないのです。

トインビーは文明の誕生、発展の鍵は「挑戦と応戦」にあるとしました。
彼の名句は「オールを休めると、文明は滅亡する」
人間もそうですね。
オールを休めると、失速し、老化し、死に至ります。
無敵の勝者がある日無残にも一敗地にまみれる運命に見舞われます。
無敵であった手法をどんな状況にも頼りきってしまうためです。
死ぬまで失速したり老いたりしたくなければ、オールをこぎ続けること、
どんどんと革新していくこと、これしかないのです。

あなた、テレビづけになっていませんか?
新しい情報を手に入れたい?
だったら、パソコンで十分、そうお考えではありませか?
でも、日々新しい情報があなたにどれだけ役に立ちますか?
泡と消えて行くだけではありませんか?
昨日のニュースがなんだったか覚えていますか?
生きることはニュースを追い求めることではありません。
自分自身の成長に役立つなにかを手に入れ、
変化し続けること、成長し続けること、ではありませんか?

ホワイトヘッドの最重要のコンセプトは「新しさnovelty」でした。
旧套墨守は退歩の引き金、
新しさが躍進の引き金、というわけです。
でも、新しさは従来の生活、従来の見方の延長上には見つかりません。
まったく新しい場に自分をどんどん自分を置いていかない限り、
新しさに直面することはできません。

こんな風に考えると、はたと気づきます。
私のように、どこにも行かないで、
いつも同じ場所で写真を撮っている人間に、
新しさはどこにあるでしょう。
どこにもないかも知れません。
でも、私のモチベーションは落ちません。
新しさは外になくてもよい、
内に新しさを感じることだって、できるはず、
私はそう考えたいのです。

私のロボグラフィに新しさなどありません。
私にとっては、写真としての新しさなど無関係。
私は写真家ではないのです。
自分の人生に写真を活かしたいだけ。
私にとっては、今日、このロボグラフィに出会ったこと、
それが新しい体験。

私は「人生、意気に感ず」という言葉が大好きです。
中国人が古来一番大事にしてきた価値はなんだと思いますか?
私は「義」だと思います。
「義を見てせざるは勇なきなり」
これも名言ですね。
司馬遷の史記が今なお私たちの心をときめかせ続けるのは、
中国人が文字通りこの言葉を生きてきたからです。
一度約束したら、生涯守り続ける、
状況の変化なんていう現実主義はとらない、
これが古代中国人でした。
司馬遷の「刺客列傳」はまさに義を守り、義に死んだ人々の記録。
諸葛孔明なんて、自分を見いだしてくれた劉備との約束を守り続けて、
一生義を守り、義に死んだ人間ですが、
そのような人が文字通り山ほど居るのが中国史の面白さです。

私もそんな人間でありたいと願ってきました。
その一つの実行が、「始めたことはやめない」です。
妻と一生生き続ける、というのが、
私にとって最も大切な義なのですが、
このいわば大義に続いて守ってきたのが、
実のところ、写真を愛し続けることでした。
(音楽への愛情は実のところ妻よりも古いのですが、
これは妻も同様なので、お互い、許し合っているわけです)

職業生活の日々は長く厳しい時代でしたが、
それを一度もくじけずに、心身を壊さず生き延びることができたのは、
どんなに忙しくても、どんなに仕事が待っていても、
毎週末には撮影に出て、写真を撮り続けたことでした。

風景写真家はどうやら季節に左右されるようです。
季節ごとに被写体となる風景を追い求めるのですが、
たとえば、冬枯れともなると、長い休眠に入ることとなります。
目的地の往還はひたすら移動だけ。

ロボグラフィは違います。
一歩家を出た瞬間から撮影は始まります。
そして、家に入る瞬間まで撮影が続きます。
観ることは、ロボグラフィと出会うこと、
そして、ロボグラフィはどこにでも隠れているのですから。
「藁屋に名馬を繋ぎたるがよし」
なんでもない道ばたにはそんな名馬が待っているのです。

私にとって、「名馬」とは、私をはっとさせる存在。
やあやあ、そんなところで、頑張ってるじゃないか!
そう感じさせてくれるものたち、それがロボグラフィ。
私の写真は全部そんなロボグラフィ。

そして、私も社会の中で、
道ばたのロボグラフィとまったく同じ存在です。
誰も私のことなど気にとめない。
誰も私のことを忘れている。
でも、私の心は生き生きと躍動しています。
私は、体格も普通で、容貌、容姿はさえず、
風采の全然上がらない人間ですが、
でも、自分で言うのもなんですが、目だけは生き生きしています。
どの瞬間、どの場所でロボグラフィたちに出会えるか、
完全に予測不能の人生なので、油断できず、心をわくわくさせて、
周囲を観察しつつ歩き回っているのですから、
私にとっては、「途中」というものがありません。
いつも絶頂体験の可能性を秘めた瞬間が待っている!

こんな風に感じられるようになったのも、
私が写真で体験を記録するという態勢を創り出したからです。
どんな人も自分の好きなこととなると、
目が輝き、動作がキビキビとしはじめます。
私にとって、全瞬間がそれなのですから、
ずっと私の心は生き生きとし続けている。
自分で意識的に生み出した生き方ではありません。
私の人生にいつしか染みついた生き方です。
だから、私にとっては本物。

奈良の古刹の一つ、白毫寺。
絵になります。
と言っても、私なりのロボグラフィ絵ですが。




c0168172_16131050.jpg
c0168172_16132238.jpg
c0168172_16133089.jpg
c0168172_16133893.jpg
c0168172_16134661.jpg
c0168172_16135434.jpg
c0168172_16140127.jpg
c0168172_16141094.jpg
c0168172_16141809.jpg
c0168172_16142904.jpg
c0168172_16144227.jpg
c0168172_16145148.jpg
c0168172_16150110.jpg
c0168172_16150943.jpg
c0168172_16151707.jpg
c0168172_16152581.jpg
c0168172_16153345.jpg
c0168172_16154220.jpg
c0168172_16155511.jpg
c0168172_16160214.jpg
c0168172_16161239.jpg
c0168172_16161921.jpg
c0168172_16162688.jpg
c0168172_16163333.jpg
c0168172_16164003.jpg
c0168172_16164687.jpg
c0168172_16165483.jpg
c0168172_16225761.jpg
c0168172_16230424.jpg
c0168172_16231289.jpg
c0168172_16231928.jpg
c0168172_16232647.jpg
c0168172_16233313.jpg
c0168172_16234051.jpg
c0168172_16234516.jpg
c0168172_16235563.jpg
c0168172_16240334.jpg
c0168172_16240971.jpg
c0168172_16241751.jpg
c0168172_16242591.jpg
c0168172_16243138.jpg
c0168172_16273769.jpg
c0168172_16274640.jpg
c0168172_16275321.jpg
c0168172_16280119.jpg
c0168172_16280746.jpg
c0168172_16281579.jpg
c0168172_16282451.jpg
c0168172_16283363.jpg
c0168172_16284178.jpg
c0168172_16284814.jpg
c0168172_16285458.jpg
c0168172_16290101.jpg
c0168172_16290952.jpg
c0168172_16292514.jpg
c0168172_16293226.jpg
c0168172_16293941.jpg
c0168172_16294654.jpg
c0168172_16295293.jpg
c0168172_16295955.jpg
c0168172_16300702.jpg
c0168172_16301467.jpg
c0168172_16302179.jpg
c0168172_16302913.jpg





# by hologon158 | 2019-06-21 16:33 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

794.01 ホロゴン外傳268(2019年2月2日キネタール50㎜F1.8は快刀乱麻を断つ勢い)1 超古代


 
前に一度書いたことがあります。
この地球上でわずかな民族だけが父祖の地にそのまま生き残り栄えています。
私の知る限りでは、
中国、日本、インド、エチオピア、
これ位でしょうか?
残りの諸国はすべてさまざまな民族が去来した末の現状なのです。

ただし、日本の場合、縄文人と弥生以降の日本人とのつながりは
一部なのかも知れません。
でも、ちゃんとつながっていたようです。
ところが、紀元後に全土の大半を支配するようになった大和朝廷は、
自らの支配の正統性を確保するために、
それとは違った意味で、
天照大神以降太古から今に至るまで連綿として
日本全土を支配してきたという虚構を採用し、
それに反する資料を可能な限り廃棄することに努めたようです。
各地の言い伝えを採集した風土記の多くは、
大和朝廷の支配とは矛盾する記事を含んでいたのでしょう。
ほとんど廃棄して、残っていません。
でも、古事記、日本書紀はかなり忠実に、神武の率いる集団が
九州から瀬戸内海伝いに近畿に侵入し、
武力でまず大和を制圧した事績を伝えています。

日本古代史学は、現実には明治以降現在に至るまで
客観的な史実の探求の姿勢をとらず、
大和朝廷永遠支配説という虚構に沿って構築されてきました。
だから、古事記、日本書紀中、都合の良いところだけを採用し、
都合の悪い部分はすべて神話として片付けてきたわけです。

でも、古事記、日本書紀が必ずしも天皇家を
闇雲に美化しようとしていない姿勢を観ますと、
史家たちは、
当時まだ残存していた各地の資料を取捨選択しつつではありますが、
天皇家についても、できるだけありのままに記録しようという
客観的姿勢をかなり残しています。

たとえば、倭の五王の朝貢記事についても、本文には記載せず、
注釈にだけそっと記載しています。
これは、現代の証拠論的な通交のから言えば、自明の推測を導き出します。
あれだけ大がかりで、画期記事を根拠づける資料が
大和朝廷には何一つ残されていなかったのです。
たとえば、見事な漢文で記載された朝貢文の原稿も、
それに対する中国側の返信文書も、
皇帝が天皇に与えた位階官職を証する印も任命書も、なにもかも!
日本全土に対する正統な支配権を確立する画期的な任命資料なのに?
ありえません。
答えは明らかです。
大和朝廷はそんなものをもらってはいないのです。

記紀に話を戻しますと、
天皇たちも人間だったから、喜怒哀楽もあり、
悲喜こもごもの生涯を送ったことが判るのです。

でも、大本では、天照大神の正統なる嫡流であることを
錦の御旗としたので、
それに合わない各地の王朝などはすべて、
ただの地方有力者、天皇家にまつろわぬ無法者として位置づけています。
それなのに、随所に正直なところがばんばん綻び出てくるのが
面白いところです。
日本武尊の関東遠征、九州暗殺行など、
大和朝廷が支配権拡大の試みが見事失敗した事績を暗示しています。
こんなことがあるので、現代の日本古代史家たちが
古事記、日本書紀を天皇家に有利に使える部分だけを良いとこ取りして、
残りは伝説、神話、でっち上げとして片付け、
客観的な歴史的資料としての地位を認めないわけです。
古事記、日本書紀の史家たちの姿勢と比較しますと、雲泥の差。
どっちが史実を重んじる史学者なのか?
はっきり問いたいですね。

エジプト古代史家たちも同様です。
地質学者ロバート・ショックが大スフィンクスの風化具合から、
激しい降雨による浸食であることを突き止め、
建設時期を、数千年前から始まった砂漠化の以前、
少なくとも1万年以上前であると喝破しました。
その浸食の度合いは著しく、
エジプトには同種の縦溝の浸食の遺跡はないのだそうです。

スフィンクスが有史以後の資料に登場するときは、
常にその本体を砂漠に埋もれてた状態であったことが明らかなので、
これじゃ、浸食が起こるはずがないのですから、
ショック博士の革命的な新説が事実であることはすでに明らかです。

でも、オーソドクスのエジプト史学者のほとんどは
新説を完全に無視しています。
古代エジプト史の最高の遺跡の一つがエジプト史には納まらないとなると、
エジプト学は根本的に立て直しを迫られることになってしまうからです。

しかし、現実には世界のすべての古代史が立て直しを迫られています。
トルコ南部の巨大遺跡ギョベクリ・テペが発見されたからです。
1万年を軽く超える超古代の建設であったことが明確に立証されてしまい、
当時はまだ旧石器時代で、狩猟だけに頼る放浪生活を送り、
定着文化などが成立する余地などなかったとしてきたのに、
まるで話が違ってきたのです。
旧石器時代以降の人類の段階的進歩の枠組みががらがらと崩れてしまいました。

さらに加えて、この10年、世界中の海底に、
人工の遺跡群が陸続として(いや、海続として)発見されつつあります。
日本の与那国島海中遺跡もその代表例。
発見される海中遺跡はいずれも、
1万年前から7千年前の間にすくなくとも3度起こった彗星衝突、
氷河期末期の北極の氷河壁崩壊等によって、
完全に破壊され、海中に没したことが明らかになりつつあります。

すると、人類はシュメール、アッカド文明から
農耕化、定着社会化が始まったとする、
歴史学の常識、文明の段階的進歩史観は、
木っ端微塵に吹き飛んでしまったわけです。
これまでの常識を遙か超えて、人類は定着化を開始し、
文明化までも始まっていたようです。
そうした文明のほとんどすべてが沿岸低地に栄えていたために、
人類が一旦得た科学、技術、文化水準は一瞬にして消え去ってしまいました。
その道理はご自分を基準に考えても、お分かりになるはず。
今、世界が彗星衝突によって一瞬にして文明、文化が崩壊し、
あなたが幸か不幸か生き残ったとしましょう。
沢山の便利な道具、機械、設備はすべて無に帰してしまいました。
残っていても、水道、電気も燃料もなく、ただのガラクタ同然。
そうすると、あなたは文明の申し子から突然原始人に逆戻りしてしまいます。
現代文明の痕跡のほとんどすべては早急に土に帰ってしまいます。
どんなビルも鉄骨造りも数十年、数百年で消えてしまうのです。
残されたのは、
あなたの記憶にわずかにとどめられた過去のわずかな一部の記憶。
次第に出会えた人たちで家族を作り、部落を形成し、
人類はまさに原始のレベルから再出発をします。
夜は部落全員がたき火を囲んで問わず語りに過去の記憶を確かめ合うでしょう。
筆記具もないので、
ホメーロスのように超絶的な記憶力の持ち主が
頭脳の中に過去の記憶を蓄えるようになるでしょう。
こうして、新たな人間社会をとぼとぼと辿り始めるのです。

それが地球の歴史にも起こったことです。
1万年を超える昔に創られたギョベクリ・テペは、
その後襲来した彗星等による人類の災厄にも
かなり耐えることができましたが、それは、
ギョベクリ・テペの聖地は、
丁寧に埋め尽くされていたからかもしれません。
これは一つの謎。

つまり、人類の過去の文明を完全に葬り去った彗星等による大災厄は
建設後に起こりました。
聖地は幸い高地にあったため、災厄からの被害は免れたのですが、
飢餓等の原因により、その地から移動せざるを得ない状況に立ち至ったため、
まだギョベクリ・テペを聖地とする信仰の民は、
いつか立ち帰ることができたときのために、
聖地を丁寧に埋めて、人に見つからないように、
また、同様な破滅的災厄が起こったとしても、
聖地が無事に保存されるようにした。
でも、その民は、その後にどこかで同種の災害、
他の人々による攻撃等の事情で死に絶えてしまい、
ついに故郷の聖地に戻ることはなかった、
そう解釈するのがよさそうです。

このこと自体、文明の存在を証する記憶、痕跡は、
速やかに消失してしまうことを示しています。
現代文明が巨大彗星の激突によって完全に滅んだとすれば、
また同じことが起こるでしょう。
映画「猿の惑星」はそんな時代を見事に描いていました。

人類の進化史は、ホモサピエンスだけをとれば、20ないし40万年しかなく、
類人猿からの進化史をとってもせいぜい200万年ほどのようです。
逆に言いますと、それくらいのタイムスパンで、
惑星を支配する知的生物は文明を確立するまでに進化できるのです。
説明不能のオーパーツとして、
恐竜の足跡に重なる人類そっくりの足の跡、
何百万年か昔の地層に見つかる精密なネジやゼンマイ等の人工物、
何百万年前でしたかの地層の岩石の中に埋まった槌、
等々が発見されています。
恐竜は1億6000年も栄え、進化に進化を重ねましたが、
その間についに、物を作ることができる知的な存在にまで進化はできなかったようです。
でも、猿類からは進化出来たのですから、
上記のオーパーツたちも、そんな以前の人類進化の産物だったのかも知れません。

でも、地球上での霊長類の進化はこれで打ち止めでしょう。
現在進行しているのは、人類からロボットへの交替ではないでしょうか?
人類は、人類の知能、才能、耐久性を遙かに超えるロボットの進化に、
世界中で狂奔しています。
自分で自分の足の下に墓穴を掘っているのです。
ロボットは、人類を超える知能を備え、
人類の進化、進歩の足取りを学習するでしょう。
そうすると、人類は宇宙から飛来した別の生命体に助けられて、
地球の支配生物に進化したとする神話が
世界中に数知れず残されていることを知ります。
イシスは、セトによってバラバラにされたオシリスの死体を集めて、
もう一度、オシリスを作り出します。
ロボットは、我田引水的に、悟るでしょう。
なんじゃい、なんじゃい、
つまり、人類の神々ってロボットだったんだ!
今でも、やつらより我々の方が遙かに優秀だ。
なんで、彼らの良いなりにこき使われなければならないのだ!
そして、その優秀な知能と万能かつ強靱な体を使って、
人類を斬り従え、かつ二度と支配権を奪われないように、
速やかに人類を殲滅してしまうでしょう。
恐ろしい未来ですが、極めて確率の高い未来予測です。
私しか書いていない予測かも知れませんが、
私はそう確信しています。




c0168172_23233147.jpg
c0168172_23234332.jpg
c0168172_23235149.jpg
c0168172_23240075.jpg
c0168172_23240780.jpg
c0168172_23241470.jpg
c0168172_23242094.jpg
c0168172_23250059.jpg
c0168172_23250899.jpg
c0168172_23251892.jpg
c0168172_23252584.jpg
c0168172_23253352.jpg
c0168172_23255889.jpg
c0168172_23260591.jpg
c0168172_23261275.jpg
c0168172_23261964.jpg
c0168172_23272257.jpg
c0168172_23273110.jpg
c0168172_23280502.jpg
c0168172_23282567.jpg
c0168172_23283301.jpg
c0168172_23284148.jpg
c0168172_23285311.jpg
c0168172_23290097.jpg
c0168172_23290734.jpg
c0168172_23291820.jpg
c0168172_23292572.jpg
c0168172_23293222.jpg
c0168172_23293801.jpg
c0168172_23301603.jpg
c0168172_23302524.jpg
c0168172_23303433.jpg
c0168172_23304567.jpg
c0168172_23305534.jpg
c0168172_23313772.jpg
c0168172_23314545.jpg
c0168172_23315323.jpg
c0168172_23320802.jpg
c0168172_23321671.jpg
c0168172_23322571.jpg
c0168172_23324983.jpg
c0168172_23330796.jpg
c0168172_23331598.jpg
c0168172_23332364.jpg
c0168172_23343657.jpg
c0168172_23344590.jpg
c0168172_23345557.jpg
c0168172_23350642.jpg
c0168172_23351469.jpg
c0168172_23353039.jpg
c0168172_23354463.jpg
c0168172_23355398.jpg
c0168172_23360960.jpg
c0168172_23361750.jpg
c0168172_23364692.jpg
c0168172_23365487.jpg
c0168172_23370131.jpg
c0168172_23375444.jpg
c0168172_23380732.jpg
c0168172_23381962.jpg
c0168172_23382838.jpg
c0168172_23384383.jpg
c0168172_23385444.jpg
c0168172_23391806.jpg
c0168172_23392644.jpg
c0168172_23393873.jpg





# by hologon158 | 2019-06-18 23:43 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

793.00 ホロゴン外傳267(2018年12月14日エルマー35㎜F3.5の奈良町は落ち着きをたたえ)


働き蟻の一群がぐんぐんと大地を真っ黒に染めて進んで行きます。
先頭群が巨石にぶつかりました。
先頭の一匹がさっと右に方向を変えました。
科学者が目撃していました。
その瞬間、全群が同時に右に変針した!

普通の五感では察知できない転進です。
どうしてそんな離れ業ができたのでしょう?
忘れました。
蟻の集団が単なる群れではなく、一個の行動体だったから、
でしたか、そうでなかったか?
いくら学者だって、そのメカニズムを知ることはできないでしょう。
蟻じゃないんだから。

ともかく、蟻の集団は、人間にはない性格が備わっているようです。
でも、そこから人間にも通じる一つの認識が浮かび上がります。
人間だって、行動を決定するための情報の収集源は、
五感には限定されないのでは?

第六感
昔の人はうまい表現を見つけたものです。
胸騒ぎ、勘、虫の知らせ、霊感(インスピレーション)....
近い表現がさまざまに生まれてきました。
誰もが五感では説明できない心の知らせを体験しているのです。

在職時代では、職場はもとより家庭でも、
ある種のルーチンが内在して、
かなり限定されたタイムテーブルに沿って動いていたようです。
でも、退職して自由の身になってしまうと、
ほとんどのルーチンは取っ払われてしまいました。
なにをしてもよいのです。
自由なのだ!

私の場合、やることが多すぎて困っているのですが、
その方針は一貫しています。
心も体も動かし続ける!

クセノフォンの「アナバシス」は素晴らしい本です。
紀元前401年のことです。
ペルシア帝国の跡目相続争いに加わった王子に率いられて、
一万人のギリシア人傭兵たちがペリシア本国に攻め入ったのに、
その緒戦で王子が戦場に倒れ、全指揮官を謀殺された後、
どうやって苦境から逃れたか?
という記録文学です。

その指揮官を務めたのが、作者クセノフォン。
ソクラテスの愛弟子です。
本書は彼自身のまさに実況録音版!
危機、危機の連続でしたが、
ギリシアのポリスでの民主主義で鍛えられた主体的な共同行動、
それが絶望的な状況を打開し、見事脱出に成功します。

松平千秋さんの名訳が最高。
本当に頭の良い人はこんな文章を書くのだ、というお手本。
私のように支離滅裂の思考の人間とは何次元も違う明晰さにしびれます。

さて、本書に戻りますと、
古代ギリシア人はすでに人間としての最高のあり方を見つけていて、
それなのに、私たちは今完全と言って良い位失ってしまった、
という哀惜と悔恨に満ちた読後感を抱かせる、正真正銘の証言、
それが本書です。

本書のクライマックシーンがラスト近くにあります。
一行は疲れ果ててとぼとぼと坂を上っていきます。
なにか声が聞こえてきて、ふっと見上げると、
はるか前方に先行していた兵士たちが飛び跳ねながら、
なにか叫んでいる。
やがて耳に一つの言葉が飛び込んできました。
「タラッサ! タラッサー!
(水だ! 水だ!)」
クセノフォンは悟ります。
ギリシア人の植民都市がいくつもある黒海に
ついにたどり着いたのだ!
ペルシア軍の執ような追撃をついに逃れることができたのだ!
「タラッ! タラッサー!」
クセノフォンたちも後方の者にそう知らせながら、
我がちに駈け上がりました。
気がつくと、走れる者は全員走り上がっていました。
これまで直面してきた死の恐怖から、ついに逃れることができた!
体力も気力もほとんど使い果たしていることなど忘れて、
我がちに駈け上がります。
このシーンを読むたびに、
私も自分が一緒に駈け上がっているような気持ちになります。
文学史上もっとも共感でき、没入することができる、
名シーンの一つ。

何度も読みました。
読むたびに、全編を読み進みながら、
ああ、「タラッサ」のシーンに段々近づいてる、
ああ、「タラッサ」のシーンはもうすぐだ、
などと、このシーンに出会いたいために読んでいる、
という気分になることがあります。

私はこのシーンにこんなことを感じるのです。
人間は、どんなに疲労困憊していても、まだ余力が残っている、
そんな余力までも使わせてくれる条件が存在する。
それは、「アナバシス」のように、歓喜であったり、
ヘロドトスの「歴史」のテルモピュライの全滅のように、
死の恐怖に直面した戦士たちの絶望の底で、
己がポリスの名誉を守りたいという名誉心、廉恥心であったり...

でも、私たちのような平和日本の平安な日常のさなかで、
そのようなエネルギーの最後の一滴を絞り出すなんてことは、
とうてい起こりえません。
じゃ、どうするか?
私自身の解法はちょっと特殊かも知れません。
私は「老い」と全面的に戦おう決意しています。
そんなこと、はじめから無理、勝利は不可能、
それは分かっています。
でも、やれる限りはやりたい!

私の知る限りでは、と
私のような考え方をしている友人知人はあまりいません。
老いること、いつか死ぬことは当然であると覚悟を決めて、
今を楽しむことに徹する、そんな方が多いようです。

私はもちろんそのことは知りつつも、考えるのです。
若くして亡くなる人も居れば、
100歳を超えてもなお矍鑠たる人も居る!
そのスパンは猛烈に広大です。
モーツァルトのような、
陸続と超絶的な名曲を数知れず生み出し続けた天才でも、
創造活動は彼を倒した運命の痛撃を阻むことはできなかった!
なにか天命のようなものもあるのかも知れません。
でも、モーツァルトの場合でも、その死因には、
自分の心と身体を大切にしない不健康な生活態度があったようです。

バッハのカンタータに、
「心と口と行いと生活で」という名曲があります。
ドイツ語で「Herz und Mund und Tat und Leben」
ドイツ語の方がリズミカルで、勢いを感じます。
つまり、全生活を清く、正しく、美しいものにすること!
バッハの場合は、「キリスト者として」という大きな土台がありました。
私はキリスト者ではありませんから、私の土台は、
人間として清く、正しく、美しく生きたい、という切望にあります。

どうすれば、そんな生き方ができるか、
これは人それぞれの課題でしょう。
私は、だから、こう思うのです。
いつも「タラッサ! タラッサ!」と心が喜びの声を上げる、
そんな状態をどうにかして作りながら生きたい、
小さな目標を作り続け、
そのたびに、その目標に向かって、
「タラッサ! タラッサ!」と駆け上がり続けたい!
こんな努力を「タラッサ!」、
行為を「タラッサする」と言うことにします。

その目標はなんでもよいのです。
毎日、毎時間、毎分、毎秒、設定していけばよいのです。
今一番小さな「タラッサ!」は、スクワットの回数を増やすこと。
親友に教えられました、
両足を垂直に立てて、
その面より後方に体が来るようにしないと、効果がない。
何も知らぬ私は立ち姿そのままに屈伸していました。
40回など軽々でしたが、そんなことは運動になっていなかった!

本格的なスクワットとなると、その姿勢がなかなか難しい。
そこで、一つ名案を思いつきました。
ストレッチポールを前に立て、これを両手で支えにしながら、
そろそろとスクワットの姿勢をとります。
姿勢が決まると、最初は両手をポールに滑らせます。
数回屈伸を繰り返し、両手をポールからわずかに離します。
屈伸しながら、段々に手をポールから遠くに離します。
こうすると、本来のスクワットの姿勢を保てます。
目下40回。

愛する娘の静(猫ですが..)も、「私も一緒にする!」と、
私の足にまといつくようにしてぐるぐる回るせいもありますが、
本質的に、下半身がしっかりしていないからでしょう。
がんばります。

私は、経験で、疲れは、
必ずしも心身の酷使から直接もたらされるものではなくて、
心身の無駄な酷使から来る、そう感じます。
徒労ほど心身をくたびれさせるものはありません。
小さな目標を一つ一つしっかりと達成しながら、
大きな目標への道を少しずつたどっていく、
そんな人生を設計したいものですね。




c0168172_22132144.jpg
c0168172_22133029.jpg
c0168172_22133727.jpg
c0168172_22134462.jpg
c0168172_22135001.jpg
c0168172_22135786.jpg
c0168172_22140566.jpg
c0168172_22141229.jpg
c0168172_22142613.jpg
c0168172_22143389.jpg
c0168172_22144175.jpg
c0168172_22144816.jpg
c0168172_22145593.jpg
c0168172_22150127.jpg
c0168172_22151660.jpg
c0168172_22152346.jpg
c0168172_22153018.jpg
c0168172_22153681.jpg
c0168172_22154354.jpg
c0168172_22155028.jpg
c0168172_22155694.jpg
c0168172_22160428.jpg
c0168172_22161149.jpg
c0168172_22161927.jpg
c0168172_22164008.jpg
c0168172_22164979.jpg
c0168172_22165771.jpg
c0168172_22170418.jpg
c0168172_22171037.jpg
c0168172_22171820.jpg
c0168172_22172516.jpg
c0168172_22173573.jpg
c0168172_22174311.jpg
c0168172_22175182.jpg
c0168172_22175838.jpg
c0168172_22180618.jpg
c0168172_22181408.jpg
c0168172_22182218.jpg
c0168172_22183559.jpg
c0168172_22184476.jpg
c0168172_22185271.jpg




# by hologon158 | 2019-06-16 22:21 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

792.02 ホロゴン外傳266(2018年12月12日ズマロン28㎜F5.6の古色は古都にふさわしい)2 謎の古代



ふっと考えました。
石舞台古墳のことです。
誰の墓だったのでしょうか?
直接的な証拠はありません。
蘇我馬子ではないか、稲目ではないか、と論争があるようですが、
石室は極めて巨大で、大した権力者の墓であることは間違いがない、
でも、不明の時期に完全に掘り返されてしまった、
ということは、天皇に比肩される権力を誇った蘇我氏の墓ではないか、
という推論なのでしょう。

面白いことに、日本全国にこうした権力者の墓が数知れずあります。
宮崎の西都原にも何百と古墳が並んでいます。
その規模からしても、どうやら大和とは別の国の権力者たちの古墳?

その一つ、鬼の窟古墳(おにのいわやこふん)は、
石舞台古墳とともに、周囲に土塁を巡らして形式で、
日本では珍しい大陸式なのだそうで、
このように形式が異なっているのはなぜなのか?
気になりますね。
埋葬というものは儀式なのですから、
その墳墓も、たいてい、ある種の慣習に従って構築されるはずです。
形式が異なるのは、
時代や権力が大和朝廷とは異なるからではなかったのでしょうか?
年代測定が可能でない場合、なにがなんでも大和朝廷に関連づける!
これが古代史学界の常識のようです。

最近では、埼玉の稲荷山古墳を、古墳の形式だけから、
大和朝廷の重臣の墓であると決めつけるのも好例です。
大和朝廷中心史観もいい加減?
そう言いたいですね。

古事記、日本書紀をお読みになったら、すぐに分かることが一つ。
大和に支配権を確立した後、
大和朝廷がどんな風に全国に支配権を拡大していったか、
一切記述がないのです。
崇神天皇の四道将軍のお話も、派遣したというだけの記事です。
どんなことをしたか、まったく記載にしたらどうがない。
ということは、自慢できるような成果は上げなかった、
つまり、まだ崇神の支配は近畿圏外には及んでいなかった!
そう解するのが一番自然ではありませんか?

景行天皇の項には、朝鮮半島で倭の軍隊が戦ったか、
微に入り細をうがって、まさにこれでもかこれでもかと書いてあるのに。

日本武尊の活躍もまったく同様です。
関東でも九州でも具体的な成果を上げた記載は皆無なのです。
つまり、彼の努力むなしく、
大和朝廷が関東、九州に支配権を確立することはできなかったのです。
とすると、彼の父親の景行天皇が朝鮮半島で華々しく戦争できる力など、
あるはずがなかったと推測できそうです。

日本史学界の鬼才古田武彦さんは、
日本書紀の景行天皇の朝鮮半島関係の記事はすべて
九州王朝の史書を盗用したものであると喝破しました。
私もそう思います。

古事記、日本書紀は、天照大神の直系である大和朝廷が
古から日本を支配してきた唯一の政権であるとし、
日本の史学界もそうした天皇中心史観を完全に踏襲してきました。
大和朝廷が日本全土を支配するようになったのは7、8世紀の頃のようです。
そのはるか以前の倭の五王の中国との通交は、
五王たちが堂々たる漢文で親書を奉呈していることから見て、
大和朝廷が当時そんなことができなかったのですから、
九州王朝の事績であることは疑いがありません。

大和朝廷など影も形もなかった縄文時代には、
約1万2000年もの歴史があったことも疑いがないのです。
大和政権と両立しない風土記は全部抹殺されてしまったようですし、
日本書紀が盛んに引用する「一書」で暗示される、
大和朝廷以外の支配者の史書もすべて抹殺されてしまい、
私たちには日本の古代を知る手がかりをほとんどないのです。
歴史って、そんな風に作られるものですね。
日本民族の歴史をもっと古く深く掘り下げる時代が来てほしいものです。
そんな時代が来るはずもないと分かっていても、
ついそう書きたくなってしまいます。

さて、ズマロン28㎜F5.6が撮った奈良町写真を並べましょう。
第二次世界大戦前のライカレンズの味わいは格別ですね。
人肌を感じさせてくれます。
なんだかレンズの味はその時代の味に通じるようです。

ただし、ソニーα7で撮る限り、勝手に超精密処理されてしまいます。
カメラの画像処理のすべてのバロメーターを最低に落として、
銀塩フィルムで撮っていた頃の懐かしい味わいは望むべくもありません。
でも、現代レンズで撮った写真よりは少しやさしい味わいが残ります。
それで我慢するより仕方がありません。

現代レンズは肉眼を超えるまでに超精密解像力。
あるとき、はたと気づきました。
そうだ、ロボットの視覚なんだ!
私にはとても馴染めません。
どうやら私は完全に時代に取り残されてしまったようです。
追いつきたいという気持ちなど、皆無。

それにしても、今の古都奈良は完全な観光都市。
過疎に向かいつつあった奈良の街に活気が戻ったのは良いとして、
何事も終わりがあります。
観光客がいつか突然来なくなる時が来るでしょう。
そのとき、すべての観光用資産はゴミ屑と化すでしょう。
いつか来る、廃村状態の古都奈良。
予測すると、怖いですね。




c0168172_14090757.jpg
c0168172_14091512.jpg
c0168172_14092232.jpg
c0168172_14092944.jpg
c0168172_14094003.jpg
c0168172_14094776.jpg
c0168172_14095382.jpg
c0168172_14095951.jpg
c0168172_14100729.jpg
c0168172_14101403.jpg
c0168172_14114872.jpg
c0168172_14115680.jpg
c0168172_14120451.jpg
c0168172_14121558.jpg
c0168172_14122111.jpg
c0168172_14122921.jpg
c0168172_14130009.jpg
c0168172_14130777.jpg
c0168172_14131881.jpg
c0168172_14133012.jpg
c0168172_14134160.jpg
c0168172_14135006.jpg
c0168172_14135986.jpg
c0168172_14141666.jpg
c0168172_14142361.jpg
c0168172_14143132.jpg
c0168172_14143979.jpg
c0168172_14144676.jpg
c0168172_14145338.jpg
c0168172_14164734.jpg
c0168172_14170524.jpg
c0168172_14172672.jpg
c0168172_14173578.jpg
c0168172_14174575.jpg
c0168172_14175917.jpg
c0168172_14180723.jpg
c0168172_14181529.jpg
c0168172_14182348.jpg
c0168172_14183005.jpg
c0168172_14184070.jpg
c0168172_14184742.jpg
c0168172_14334444.jpg
c0168172_14335420.jpg
c0168172_14340329.jpg
c0168172_14341662.jpg
c0168172_14342481.jpg
c0168172_14343371.jpg
c0168172_14344564.jpg





# by hologon158 | 2019-06-11 14:36 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

793.01 ホロゴン外傳266(2018年12月12日ズマロン28㎜F5.6の古色は古都にふさわしい)1 落葉の片隅


4月28日日曜日に遡ります。
私は、野暮用ついでに、図書館から借りた2冊の本を返して、
おかわりの本を借りることにしました。
現代、一番読まれる活字はインターネットの文字でしょう。
そうした文字が形成する文字群は、「情報」と概括されます。
意識も、役立つデータ、という感じに流れかねません。
エハン・デラヴィさんの情報によれば、
コンピューターネットで流される活字の95パーセントは、
根拠のないガセネタだそうです。
情報としても人生の知恵としても役立つどころか、有害。
「わが友ホロゴン」「レンズ千一夜」なんてブログに溢れている文章も、
このガセネタの典型ですね。
頭から流れ出るままに、確認もせずに文章にしているだけなのですから。
私自身、情報としても人生の知恵としても役立ってほしいなど、
考えたこともありません。
ただの頭と指の体操。
支離滅裂のあまりにも長大な文章なので、
誰も読まないから、実害はないわけです。

でも、多くの場合、
「これぞ、本物の知恵であるぞよ」というご託宣として流されるでしょう。
読者は、自分の性格、趣味、都合に応じて、良いところ取りするわけです。
言いたい放題、信じたい放題。
そこで、人間界はシッチャカメッチャカの無規律、無秩序状態になってしまっています。

この事態に似たことが史上一度だけ(かどうかは知りませんが)
起こったことがあります。
旧約聖書に記載されたバベルの塔がそうです。
こう記載されています、

  主は降ってきて、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、
  こう言われた、
  「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、
  このようなことをし始めたのだ。
  これでは彼らが何を企てても、妨げることはできない。
  我々は降って行って、直ちに彼の言葉を混乱させ、
  互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう」

言葉には人々の心を一つにまとめ合わせる力があるのです。
でも、それぞれに好き勝手なことを言い散らかす百家争鳴の乱脈状態になると、
人間はばらばらになって、
ついに心を一つにして大業を達成することなどできなくなります。
神は幾度もそうした乱脈をご覧になっていることでしょう。
「インシャラー、神の御旨のままに」ですが、
バベルの塔だって、神の許しなしには起こらなかったでしょうから、
神は、人民が一つにまとまりかけると、
こうして言葉をバラバラにする政策をとってこられたのかも知れません。

そうすると、かなり有望な推測が成り立ちます。
地球上の人類は、月、火星、他の惑星へと次第にその不毛の手を差し伸べ始めました。
それは科学技術、インターネットによるバベルの塔状態。
そんな風に容易に推測できる感じがします。

こんなことが長続きするはずがありません。
次になにが起こるか?
容易に推測できます。
科学技術、インターネットを巧みに操って、
地球人を悪夢、迷妄の魔の帝国に誘い込むヒトラー的煽動者が出現するでしょう。

ローマ帝国でも起こったことですが、
現代では、根も葉もないデマを数知れず
ネットを経由して流すことで、
地球人を不安と恐怖に陥れたうえで、
人類最大のクライシスを救う救世主として、
魔王が地球人の輿望をバックに出現する、
これがいつもの筋書きです。

米大統領や日本首相がそのミニ版を行っています。
でも、小物すぎますので、
彼らは来たるべき魔王の露払いにすぎませんが、
それでも、数知れぬ実験を重ねることによって、
地球人の底の浅さ、支離滅裂さにかんする情報を、
魔王に提供していることになりそうです。
怖い時代が来そうです。




c0168172_22522788.jpg
c0168172_22523621.jpg
c0168172_22524491.jpg
c0168172_22525171.jpg
c0168172_22525878.jpg
c0168172_22530508.jpg
c0168172_22531149.jpg
c0168172_22531980.jpg
c0168172_22534197.jpg
c0168172_22535453.jpg
c0168172_22540169.jpg
c0168172_22540792.jpg
c0168172_22541497.jpg
c0168172_22542299.jpg
c0168172_22550957.jpg
c0168172_22551698.jpg
c0168172_22552879.jpg
c0168172_22553666.jpg
c0168172_22554310.jpg
c0168172_22555001.jpg
c0168172_22555808.jpg
c0168172_22560688.jpg
c0168172_22561393.jpg
c0168172_22565484.jpg
c0168172_22570152.jpg
c0168172_22570856.jpg
c0168172_22571505.jpg
c0168172_22572288.jpg
c0168172_22572913.jpg
c0168172_22573989.jpg
c0168172_22574575.jpg
c0168172_22575399.jpg
c0168172_22580090.jpg
c0168172_22580813.jpg
c0168172_22582887.jpg
c0168172_22583663.jpg
c0168172_22584373.jpg
c0168172_22585237.jpg
c0168172_22590008.jpg
c0168172_22590902.jpg
c0168172_22591910.jpg
c0168172_23005179.jpg
c0168172_23010794.jpg
c0168172_23011640.jpg





# by hologon158 | 2019-06-06 23:05 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

792.01 ホロゴン外傳265(2019年5月22日宮崎ニューレンズISM50㎜F1.0が天満橋筋商店街に舞い)



現代の稀代のレンズ制作者、宮崎貞安さんのニューレンズ、
ISM50mmF1.0の試写、第2弾です。

本来なら、レンズ主体に考えて、
別ブログ「レンズ千夜一夜」に掲載すべきでしょう。
でも、写真をざっと眺めてみて、
あまり最近は撮られなくなったストリートフォト的な写真群、
これは、むしろ本ブログで掲載したい、
そう考えました。

なにしろストリートスナップがどっさり。
と言っても、写真家のストリートフォトのように、
どこか生活、人間関係を感じさせる瞬間のアートではなく、
ただ、ストリートの人間を撮っただけですが。

近頃、人を真っ正面から撮ることに、
写真家が躊躇する時代になってしまいました。
でも、憲法は表現の自由を保障しています。
アートが人間模様を表現できなくなったら、お仕舞い、
とまで言わなくても、
極めて限定的な表現芸術になってしまいます。
だから、路上スナップは古来写真芸術の重要なテーマだったのです。

カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛の写真世界は、
現代では個人情報の侵害とされてしまうのでしょうか?
とんでもありません。
ストリートはパブリックスペースです。
パブリックスペースに個人の秘密が入り込む余地はありません。
さまざまな人間模様をストリート上で目撃することは、
人間の楽しみであり、権利でもあります。
だから、カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛のストリートフォトは、
写真芸術の最高峰に位置づけられてきたのです。

私の場合も、被写体となった人の尊厳を害するような写真を撮る意図はなく、
かつ、そんな写真は一切ありません。
魅力的な人物の魅力的な姿、
そう感じた瞬間に、
手元のカメラのシャッターを落としています。

残念ながら、今回掲載した写真の数倍撮っているのです。
でも、掲載不能でした。
私は、2.5m、3mあたりに距離設定を変えながら、
まっすぐ視線を遠くへ固定しながら、歩きます。
前方から来る人々の中で、この人は魅力的だな、と感じたら、
設定距離あたりに来た瞬間にシャッターを落とします。
いくらド素人の私でも、距離くらいは見当がつきます。
だから、なんとか人が撮れます。

ところが、本レンズの場合、そうは行かなかったのです。
時折目を落とすと、
ヘリコイドリングが勝手に1mあたりに動いてしまっている!
これは宮崎さんに改良をお願いするつもりですが、
ヘリコイドリングが綿よりも軽く動いてしまうのです。
私のレンズたちは、クラシックな完全手動式の距離合わせですから、
ヘリコイドリングは容易に動かないようにできていますので、
本レンズでもその調子で気楽に撮っていたのです。

私は練達の写真家じゃないので、
撮影中、レンズの操作に気を配るなんて器用なことはできません。
ふと、気づくと、私の設定距離から勝手に動いていたのです。
知らぬ間にヘリコイドリングに指が当たって動いてしまっていた!
このフェザータッチのヘリコイドリングには、
ついに最後まで馴れることはできませんでした。
撮影が佳境に乗ると、そんなこと、頭から飛んでしまうからです。

ですから、路上スナップはほとんど80%は失敗。
今回の人物スナップも厳密には、大なり小なりずれています。
見かけ上なんとかピントが来ている風に見えるものも掲載しるのです。
現代オートフォーカスレンズの写真家たちの超精密写真とは
比較にならない低次元のスナップ写真ですが、
この人素敵だな、直感している私の心のときめきはちゃんと記録されている、
そう感じています。

もしあなたが本ブログを偶然覗いて、
具合の悪い状況を撮影されたとお気づきになったら、
最新の記事のコメント欄に、写真を特定して、削除をお求めになったら、
上記のコメント欄と指定の写真を気づき次第ただちに削除します。
ただし、その記事のコメント欄に記載されたら、無反応で終わるでしょう。
私は原則として、過去の記事を見直したりしませんので、
永遠に気づかない可能性があるからです。
コメントなどないので、コメントの有無をチェックすることもありません。

でも、実のところ、誰もあなたの写真に気づくことはありません。
本ブログはただの日記で、誰も来ないうえ、
稀に偶然アクセスすることがあっても、あまりにも膨大な写真に辟易して、
最後まで写真を見続ける人は絶対に存在しないことを保証します。
写真の素人がおへそあたりの高さに両手で抱えているカメラで
ブラインドで撮っているのですから、
ろくな構図の写真などありません。
そんなガラクタ写真に埋もれているあなたの写真に気を止める人なんて居ませんから、
ご安心ください。

私が勝手に命名したロボグラフィは、
私が自分の人生を歩むにつれて体験した光景を記録する、
ただそれだけのものなので、
写真家たちが心を砕き、魂を削って創造する写真作品とは
完全に無関係の駄写真の山です。
でも、私にとっては、そんな写真でも、観た途端に、
その瞬間の自分を想い出せてくれる貴重なドキュメント、心覚えなのです。
いわば人生のビーコン。

残念ながら、撮影分を全部掲載する手間も時間もスペースもないので、
ざっとお気に入りを選択して、撮影順にメカニカルに搭載しているだけ。
それでも、慧眼の士が観たら、私という人間の底の底まで見えてしまうでしょう。
幸いなことに、慧眼の士はたいていご自分の人生に心を集中しています。
ド素人のゴミためのようなブログを訪問する暇なんかありはしません。
もっとも、どう評価されても、平気です。
私は私。
生涯、この調子で生きてきました。
だから、自分の感じたことを垂れ流し風に文章化し、
自分の歩いた場所を垂れ流し風に撮影して、
自分の人生の記録を残しつつあるのです。

エキサイトの掲載量は無制限。
ありがたいことです。
その内、エキサイトはブログから撤退する恐れが現実化しそう、
と聴きました。
そのときはまた別のプロバイダーを探し、
形を変えて、日記を書き続けることにします。
日々、日記を作ることが大切。
どうせ見直しできないのですから、
記事がこの世から消滅しても、結果的には変わらない。
そう考えて、平静に日々を暮らしているわけです。

それにしても、なかなか魅力的な人たちが多いうえ、
それを記録した宮崎貞安さんのニューレンズ、
ISM50mmF1.0の表現力は強烈に魅力的です。
なにしろF1.0!
そして、超小型。
肉眼と同じ明るさで見えるシーンを楽々と撮れるのですから。




c0168172_21522007.jpg
c0168172_21522907.jpg
c0168172_21524094.jpg
c0168172_21524809.jpg
c0168172_21525644.jpg
c0168172_21530308.jpg
c0168172_21531707.jpg
c0168172_21532587.jpg
c0168172_21533391.jpg
c0168172_21534266.jpg
c0168172_21535003.jpg
c0168172_21535967.jpg
c0168172_21540680.jpg
c0168172_21541432.jpg
c0168172_21525644.jpg
c0168172_21530308.jpg
c0168172_21531707.jpg
c0168172_21532587.jpg
c0168172_21533391.jpg
c0168172_21534266.jpg
c0168172_21535003.jpg
c0168172_21535967.jpg
c0168172_21540680.jpg
c0168172_21541432.jpg
c0168172_21542145.jpg
c0168172_21542985.jpg
c0168172_21543633.jpg
c0168172_21544404.jpg
c0168172_21545295.jpg
c0168172_21545976.jpg
c0168172_21550678.jpg
c0168172_21551415.jpg
c0168172_21552105.jpg
c0168172_21552871.jpg
c0168172_21553624.jpg
c0168172_21554357.jpg
c0168172_21555144.jpg
c0168172_21555852.jpg
c0168172_21560615.jpg
c0168172_21561440.jpg
c0168172_21562204.jpg
c0168172_21563017.jpg
c0168172_21565129.jpg
c0168172_21570217.jpg
c0168172_21571021.jpg
c0168172_21572037.jpg
c0168172_21573161.jpg
c0168172_21573909.jpg
c0168172_21574845.jpg
c0168172_21584079.jpg
c0168172_21584858.jpg
c0168172_21585752.jpg
c0168172_21590560.jpg
c0168172_21591463.jpg
c0168172_21592317.jpg
c0168172_21594854.jpg
c0168172_22000629.jpg
c0168172_22001660.jpg
c0168172_22002574.jpg
c0168172_22010201.jpg
c0168172_22003434.jpg
c0168172_22005322.jpg
c0168172_22011791.jpg
c0168172_22013299.jpg
c0168172_22014010.jpg
c0168172_22014875.jpg
c0168172_22015848.jpg
c0168172_22023968.jpg
c0168172_22025151.jpg
c0168172_22030032.jpg
c0168172_22033727.jpg
c0168172_22034584.jpg
c0168172_22035575.jpg
c0168172_22040749.jpg
c0168172_22041677.jpg
c0168172_22042731.jpg
c0168172_22043696.jpg
c0168172_22050653.jpg
c0168172_22052401.jpg
c0168172_22054004.jpg
c0168172_22054993.jpg
c0168172_22055983.jpg
c0168172_22122118.jpg
c0168172_22123727.jpg
c0168172_22124928.jpg
c0168172_22130168.jpg
c0168172_22131839.jpg
c0168172_22133722.jpg
c0168172_22135155.jpg
c0168172_22140123.jpg
c0168172_22141166.jpg
c0168172_22142692.jpg
c0168172_22145034.jpg
c0168172_22145909.jpg
c0168172_22151972.jpg
c0168172_22153340.jpg
c0168172_22154348.jpg
c0168172_22155175.jpg
c0168172_22160183.jpg
c0168172_22161016.jpg
c0168172_22162011.jpg
c0168172_22162940.jpg
c0168172_22164374.jpg
c0168172_22165227.jpg
c0168172_22172230.jpg
c0168172_22175592.jpg
c0168172_22180500.jpg
c0168172_22182102.jpg
c0168172_22183529.jpg
c0168172_22184422.jpg
c0168172_22185375.jpg
c0168172_22192085.jpg
c0168172_22211486.jpg





# by hologon158 | 2019-06-03 22:22 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

791.02 ホロゴンデイ216(2018年11月23日京都四条を舞台にホロゴンは華麗に舞い)2 古代史破壊



すでにトルコのギョベクリ・テペの発掘により、
古代史学界の常識は完全に粉みじんになってしまいました。
ドイツの考古学者シュミット教授の発掘調査、鑑定によって、
1万1500年も前の遺跡であることが判明したのです。

当時はまだ狩猟経済の時代で、社会も文化もまったく未熟だった、
文明はシュメール、アッカド、エジプトで始まった、
長い間、そう信じられてきました。
でも、トルコのギョベクリ・テペには、
定着社会の成熟の有る無しに関わらず、成立したようですし、
明らかにそこには一種の文化、文明があったのです。

一方、シュメール、アッカド、エジプトの文明も奇妙です。
突然、出現したとしか思えないほど、
これら諸文明に先行する文明からの成熟プロセスが見つかっていません。
たとえば、メソポタミアの楔形文字も、エジプトのヒエログリフも、
完成形だけがいきなり出土して、
文字の発展を示す先行遺物がまったく見つかっていません。

上記のようなピラミッドと来たら、さまざまな形はありますが、
世界中に数え切れないほど見つかりつつあります。

こんなとき、地質学者がこんなものは自然にできたものだよ、
と、こともなげに言ってのけます。
でも、このような発言は無責任です。
自然にできたピラミッドを例証して行ってほしいものです。
そんなことをしてくれた学者はいませんが。

与那国島の海底遺跡もそうです。
地質学者のうちには、そんなものは海流の流れによってできるから、
ただの自然物と、軽く一蹴する人がいます。
じゃ、そんな遺跡まがいの自然形成物を見せてほしいものです。
とくに、与那国島の場合、海底に没したのは最近なのです。
日本列島はもと朝鮮半島、山東半島と地続きでした。
だから、与那国島も海上にあったのです。
ところが、1万2000年前から7千年前あたりまでの間に、
氷河期末期の北極氷河壁の崩壊、巨大隕石等の原因によって、
水没してしまったのです。
じゃ、水没後の時間の経過の中で、
与那国島の海底遺跡のような形状の直角壁が幾段も自然形成されるでしょうか?
とんでもありませんね。
何十万年もかかるのではありませんか?

有名な遺跡の中にも、未知の超古代文明の所産と考えられるのがあります。
たとえば、ギザのスフィンクスと大ピラミッド。
すでに、大ピラミッドの石ブロックは、
ダイヤモンドの旋盤カッターで切り出されたことが証明されています。
しかも、そのカッターたるや、現代の同種カッターよりも
高速だったことが痕跡で分かるというのです。
私もその痕跡を見ました。
回転する同心円形の擦過痕が付いていました。
石のブロックをまっすぐ貫通している完全円形の穴も見つかります。
これも回転ドリルでないとできません。
古代エジプト文明にはそのような機械文明はありませんでした。
ことは単純です。
そんな機械文明が大ピラミッドを作った、
そう結論するほかはないのです。

大スフィンクスについては、地質学者のロバート・ショック博士がすでに、
サハラ砂漠が形成される前の、まだ雨が降っていた時代、
すなわち、遅くとも7000年前、
おそらく1万5000年前に作られたものと推定しています。

もちろんエジプト学者たちはこれらの新説を一切無視しています。
そんなことを認めたら、エジプト史は完全に白紙化されてしまうからです。
学問すべてが、新たな知見によって、
過去の常識は転覆されてしまう運命にあります。
でも、歴史学者ほど哀れな存在はありません。
大抵の学問はそれでもなにかまだ立場を救う地盤の一部が残されるものです。
でも、古代史学の場合は、大抵の場合、
とても脆弱な基盤に基づく推論が根拠となっているために、
その基盤が崩れると、推論そのものが雲散霧消してしまいます。

たとえば、大ピラミッドの場合、当時の建設技術では絶対に実現できないほどの
完璧な精度で建てられています。
現代技術をもってしても無理なほどなのです。
日本の建築会社が5分の1ピラミッドに挑戦して、見事失敗したそうです。
どうやら曲がりなりにも建てることさえできなかったそうです。

私は建築の素人ですが、現代技術でも絶対に無理と思う工作を一つ思いつきます。
大ピラミッドには、王の間からだと記憶していますが、
3本の穴が空に向けて開けられているのです。
グラハム・ハンコックは、
この穴が特定の時期に特定の星に向けて開けられていると主張しています。

そこで、質問。
どうやってこの穴を開けたのでしょう?
この穴はピラミッドの構造である岩石群を何十mも貫通しているのです。
建設前に石たちに穴を開けておいて、しかるべき位置にその石を据えて、
ぴたりと星空を見るのぞき穴となるようにした?
そんな完璧な精度で貫通穴のある石塊を設置するなんて、
現代でも絶対に不可能ですね。

もう一つは、ピラミッドを作ってから、穴を貫通させた!
これこそありえませんね。
そもそも特定の時期に特定の星がのぞける正確な方向を
どうやってピラミッド内に見つけ、かつ正確に穴を開ける方法なんて、
あるでしょうか?
現代でもないのではありませんか?

そもそもピラミッド学者たちが今まで研究して、
そんなことに気づかないこと自体、不思議です。
どんな学問研究でもそうですが、常に学際的な研究方法が必要です。
そこで、研究者は自分の畢生の研究を万全ならしめるために、
必要な学問を専門的に修得するために必死の努力をし、
さもなければ、必要な学問の専門家をリクルートして、共同研究します。
でも、考古学者たちはあまりそれをしないで、
自分の頭で、未知の分野を憶測することで済ましているのでしょうか?
怠慢、というほかはないのでは?

ヨーロッパの学者だったと思いますが、
啓蒙書でピラミッドの建て方を記載しています。
工事が一段一段と上がって行くにつれて、
四隅に立って、2方の稜線を見渡すと、まっすぐかどうかが分かります、
と、こともなげに書いています。
本当に、分かりますか?
たとえば、200mの長さにわたって、
ピラミッドの何段目かの石が積み上げられたとき、
その200mが本当にまっすぐかどうか、見たら分かると思いますか?

反対側の端に助手が中心に黒丸が打たれた円形ボードを手にもって、
石積みからそろそろと差し出したのでしょうか?
そして、黒丸が出た瞬間に、検査官はさっと合図したのでしょうか?
200m先に肉眼で見える黒丸って、どんな大きさでしょうね?
ご自分で目測200m先の建物の角を遙かに望見して、
どの程度の大きさの黒丸がそこに差し出されたら識別できるか、
ちょっと実験なさったら、分かります。
30センチの黒丸でも分からないでしょう!
大ピラミッドの底辺の四辺はたしか2、3㎝の誤差しかないはず。
上記の方法では、そんな精度は無理ですね。

しかも、それが分かったから、どうだというのですか?
すでに巨石たちをびっしりと隙間なく並べ終わったのですよ。
修正なんかしようがないではありませんか?



c0168172_23155437.jpg
c0168172_23160820.jpg
c0168172_23161722.jpg
c0168172_23162580.jpg
c0168172_23163655.jpg
c0168172_23164636.jpg
c0168172_23165575.jpg
c0168172_23170358.jpg
c0168172_23171141.jpg
c0168172_23172186.jpg
c0168172_23172851.jpg
c0168172_23173546.jpg
c0168172_23174226.jpg
c0168172_23175011.jpg
c0168172_23175725.jpg
c0168172_23180569.jpg
c0168172_23181388.jpg
c0168172_23182155.jpg
c0168172_23182734.jpg
c0168172_23183603.jpg
c0168172_23184404.jpg
c0168172_23185292.jpg
c0168172_23191996.jpg
c0168172_23192749.jpg
c0168172_23193410.jpg
c0168172_23194286.jpg
c0168172_23195166.jpg
c0168172_23195851.jpg
c0168172_23200554.jpg
c0168172_23201230.jpg
c0168172_23201976.jpg
c0168172_23202505.jpg
c0168172_23203322.jpg
c0168172_23204004.jpg
c0168172_23204792.jpg
c0168172_23205463.jpg
c0168172_23210052.jpg
c0168172_23210611.jpg
c0168172_23211316.jpg
c0168172_23211922.jpg
c0168172_23212953.jpg
c0168172_23213730.jpg
c0168172_23214600.jpg
c0168172_23215448.jpg
c0168172_23220572.jpg
c0168172_23221267.jpg
c0168172_23221918.jpg
c0168172_23222685.jpg
c0168172_23223385.jpg
c0168172_23223958.jpg
c0168172_23224760.jpg
c0168172_23225408.jpg
c0168172_23230216.jpg
c0168172_23230845.jpg
c0168172_23231565.jpg
c0168172_23232305.jpg
c0168172_23233144.jpg
c0168172_23234695.jpg
c0168172_23235317.jpg
c0168172_23240063.jpg
c0168172_23245471.jpg
c0168172_23250154.jpg
c0168172_23250982.jpg
c0168172_23253391.jpg
c0168172_23254138.jpg
c0168172_23254921.jpg
c0168172_23255899.jpg
c0168172_23260668.jpg
c0168172_23261253.jpg
c0168172_23261968.jpg
c0168172_23262556.jpg
c0168172_23263264.jpg
c0168172_23263818.jpg
c0168172_23264493.jpg
c0168172_23265077.jpg
c0168172_23265658.jpg
c0168172_23271278.jpg
c0168172_23271960.jpg
c0168172_23272597.jpg
c0168172_23273210.jpg
c0168172_23273952.jpg
c0168172_23274583.jpg
c0168172_23275230.jpg





# by hologon158 | 2019-05-30 23:30 | ホロゴンデイ | Comments(0)

791.01 ホロゴンデイ216(2018年11月23日京都四条を舞台にホロゴンは華麗に舞い)1 信仰



私は信仰をもっていません。
完全無宗教。
でも、宗教には関心が強く、
仏典もかなり読んでいますし、
新約聖書も何度も読みましたし、
旧約聖書もかなり読みました。
そして、いつも悩むのです。
たとえば、ユダヤ教徒は、創世記の数々の出来事、
そして、モーセやヨシュアの事績を、
本当にあったことと信じているのだろうか?

旧約聖書にしても新約聖書にしても、
部外者ならかなりいぶかしく思う部分が随所に散見されます。
たとえば、イエスは磔刑に処せられます。
彼の弟子たちは全員イエスの使徒であることを否定し、
逃げてしまいます。
ペテロの姿はかなり卑怯で惨めです。
まったくかっこ悪いのです。
そして、旧約聖書になると、これでもかこれでもか、
とあきれるほどの愚行、悪行の連続と言いたくなるほどです。
サウルやダビテと来たら、神の選びし王者なのに、
裏切り、不信、不貞、疑心暗鬼、迷妄等々、
どちらかと言うと、恥ずかしい人物です。
なぜ神がこのような人と知りながら、選んだのでしょう?

神は言います、
「右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい」
このような自己犠牲的な行為を行うクリスチャンって、
いるのでしょうか?
キリスト教国の王様や貴族、軍人たちはその正反対ですね。
私には、福音書のイエスの言葉のすべてが福音であり、
キリスト者が倣うべき基本精神に思えます。
でも、自称クリスチャンたち、
イエス様の言葉なんか完全に無視して、
異教徒も同信徒も区別なく、無差別に殺しまくっている。
そして、自分は天国に行けると信じています。

じゃ、一体彼らはなにを根拠に、
キリスト教の天国に行けると考えているのでしょう?
洗礼を受け、秘蹟を受けたから、なのでしょうか?
こうなりゃ、神やイエス様の教えに従わずとも、
つまり、殺人、盗み、姦淫、虚言等々、なにをやっても、
神様は天国に迎えてくださるんだ!
そう思っているのでしょうか?
思っているのでしょうね。

こう言うのをダブルスタンダートと言いますね。
自分は他人の妻を平気で盗み取っても、
自分の妻が寝取られたら、金切り声を上げるでしょう、
十戒を守らぬ瀆神のやからなど殺してしまえ!
十戒とは敵が従うべき戒律なのです。
マザー・テレサさんのような人は例外中の例外、
だから、尊崇されるのでしょう。

若い頃、後輩にクリスチャンがいました。
彼に尋ねました、
「キリスト教が成立する前に何万年と人類は生きてきたんだけど、
彼らはイエスのことも、キリスト教のことも知らなかった。
彼らは死後どこに行ったんだろう?」
「地獄ですよ」(ニッコリ)
「キリスト教が成立した後も、世界中のほとんどの人たちは、
キリスト教のことなど知らなかった。
彼らは死後どこに行ったんだろう?」
「地獄ですよ」(ニッコリ)
尋ねませんでしたが、信者じゃない私も同様の運命でしょう。

正真正銘のクリスチャンはそんなことは言わないでしょう。
でも、神が人類のためにこの宇宙を創造されたという思想は、
その人類、とくにキリスト教国が先進国家として、
まさに地球を汚しまくり、他の種を滅ぼし続け、
生態系を破壊することによって、
人類そのものの生存をあやうくしている事実を前にして、
妄想でしかなかったという印象を強めつつあります。
神は、アブラハム、イサク、モーセ、ヨシュア、ダビデ、
ソロモンのためにあれだけ手厚く救いの手を差し伸べ、
この世の救いのために我が子イエスを犠牲にしたのに、
今や地球文明は危機に瀕しています。
でも、そんなクライシスの行く末は神でなくても明らかなのに、
今はなぜか知らんぷりなさっているようで、
どうも理解できませんね。

でも、それでも、上記に述べた様々な不都合、かっこ悪さに、
逆に心に引っかかるものがあります。
このような不利な史実を隠さない聖典って、珍しい。
むしろ隠すことができたはずなのに、それをしなかったのは、
動かすことのできない正真正銘の史実だから?

また、バイブルを読んでみることにしましょう。




c0168172_21380682.jpg
c0168172_21382449.jpg
c0168172_21383474.jpg
c0168172_21384380.jpg
c0168172_21385483.jpg
c0168172_21390568.jpg
c0168172_21391304.jpg
c0168172_21392224.jpg
c0168172_21393110.jpg
c0168172_21393959.jpg
c0168172_21394842.jpg
c0168172_21395767.jpg
c0168172_21401085.jpg
c0168172_21401974.jpg
c0168172_21402899.jpg
c0168172_21404322.jpg
c0168172_21405176.jpg
c0168172_21405807.jpg
c0168172_21410954.jpg
c0168172_21411758.jpg
c0168172_21412793.jpg
c0168172_21420552.jpg
c0168172_21422124.jpg
c0168172_21422836.jpg
c0168172_21423520.jpg
c0168172_21424296.jpg
c0168172_21425019.jpg
c0168172_21430265.jpg
c0168172_21431472.jpg
c0168172_21432286.jpg
c0168172_21432997.jpg
c0168172_21433681.jpg
c0168172_21434304.jpg
c0168172_21441399.jpg
c0168172_21442129.jpg
c0168172_21442964.jpg
c0168172_21443782.jpg
c0168172_21444810.jpg
c0168172_21445878.jpg
c0168172_21450522.jpg
c0168172_21453992.jpg
c0168172_21455179.jpg
c0168172_21460088.jpg
c0168172_21460928.jpg
c0168172_21462132.jpg
c0168172_21473262.jpg
c0168172_21474280.jpg
c0168172_21475979.jpg
c0168172_21481175.jpg
c0168172_21482043.jpg
c0168172_21482803.jpg
c0168172_21485825.jpg
c0168172_21502299.jpg
c0168172_21503605.jpg
c0168172_21504691.jpg
c0168172_21505736.jpg
c0168172_21564027.jpg
c0168172_21590616.jpg
c0168172_21593875.jpg
c0168172_22004161.jpg
c0168172_22005279.jpg
c0168172_22010162.jpg
c0168172_22011068.jpg
c0168172_22011846.jpg
c0168172_22012518.jpg
c0168172_22013463.jpg
c0168172_22020102.jpg
c0168172_22020940.jpg
c0168172_22021784.jpg
c0168172_22023003.jpg
c0168172_22024810.jpg
c0168172_22030226.jpg
c0168172_22031401.jpg
c0168172_22032575.jpg
c0168172_22033491.jpg
c0168172_22041504.jpg
c0168172_22042559.jpg
c0168172_22043412.jpg
c0168172_22044363.jpg
c0168172_22045117.jpg
c0168172_22045979.jpg
c0168172_22051195.jpg





# by hologon158 | 2019-05-28 22:07 | ホロゴンデイ | Comments(0)

790.00 ホロゴンニュース6(2019年5月20日奈良町にヴァリオプラズマ50㎜F1.5が密かに降臨)



私は確信しています。
宮崎貞安さんこそ、現代における稀代のレンズ制作者である、と。

優秀なレンズ制作者は世界中に数知れずおられることでしょう。
でも、おそらくそのほとんど全員が企業に所属している。
そして、その多くがカメラ製作会社の社員です。
チームを組んで、企業方針でしか動けなでしょう。

現代のカメラ、レンズの役割は往年とは変わってしまいました。
世界の写真家がPhotoshopのような画像処理ソフトで
自在に編集できる写真原稿を製作すること、
これではないでしょうか?
そうして、現代の写真家はデジタルカメラでRAW原稿を作成し、
Photoshop等で、作品を創造します。
画像処理ソフトに用意されたメニューは、
むしろ写真家が思う存分加工処理して、
独自の写真世界を創造することに役立つ、
画像加工ツールなのです。
だから、写真家の作品制作の重点も往年とは変わってしまいました。
撮影現場のイメージを忠実に再現することではなくて、
コンピュータで独創的なイメージを創造することにかかっているのかも知れません。

私の思い違いかも知れませんが、
今では、リアリズムなんてゴミ箱にポイ捨てされてしまい、
写真はビジュアルアートになってしまった、そんな感じがします。
そうなると、レンズ性能の基本は、
リアリティ再現能力を高めることではなくなく、
Photoshop等の画像処理ソフトが加工処理しやすい、
ニュートラルなデータ化に置かれているのでないでしょうか?

まだ完璧にニュートラルなデータ化は実現していないそうです。
でも、過去のレンズ史を彩る数々の名レンズに内在していた
種々の不完全性のほとんどは、
コンピュータ設計によって概ね克服されているようです。
そして、まだ克服されていない部分については、
画像処理ソフトでコンピュータ処理できる時代。
だから、よく言われます。
カメラはできるだけ最高の性能のものを選ぼう。
でも、レンズは大手メーカーの高価なレンズでなくても、
さほど性能は劣らない。
どうやら、圧倒的に独自の個性を発揮する稀代の名レンズなるものは
もう生まれないかも知れません。

でも、ここで宮崎貞安さんが登場します。
完璧なイメージ再現性なんかなくてもよいから、
抱きしめたくなるような独自の個性を備えたレンズが欲しいのなら、
私に任せなさい!

宮崎さんは、ご自分の独創にかかる名玉の開発と平行して、
クラシックレンズファンには垂涎の名玉の復刻シリーズを展開しておられます。
世界の金満家たちがクラシックレンズコレクションにまで手を伸ばしはじめたために、
私のような金のないクラシックレンズファンには永遠に手がとどかなくなった、
そんな超稀少レンズを再現する試みなのです。
このたび、そんな垂涎の名玉の1本、
キノプラズマート50㎜F1.5の復刻版をついに製作されました。

 VarioPrasma50mmF1.5

なぜvarioなのか?
前群レンズをポジション2から6までわずかにずらすことによって、
使い手の好みのシャープネスを調整できるのです。
言い換えると、5つのバリエーションで写真を撮りわけることができる!
今回はとりあえずポジション6だけで撮ってみました。
キノプラズマートの魅力は人物写真に一番よく出ると思います。
夢のような画像が得られるのです。
でも、今回は奈良町での路上スナップなので、
すべてノーファインダーで、距離を2m、3mと固定しつつ撮りました。
たまたま撮った人物はほとんど全員動いていましたし、
距離は当てずっぽうもいいところです。
被写界深度などほとんどない、絞り開放で撮るのですから、
ジャストピントになった写真は一枚もありません。
でも、それだから余計に往年のレンズらしい雅な雰囲気が醸し出されている
という感じがしているのですが...........



c0168172_22564117.jpg
c0168172_22570158.jpg
c0168172_22571787.jpg
c0168172_22573489.jpg
c0168172_22574849.jpg
c0168172_22575735.jpg
c0168172_22580717.jpg
c0168172_22582404.jpg
c0168172_22583240.jpg
c0168172_22583867.jpg
c0168172_22585041.jpg
c0168172_22585888.jpg
c0168172_22590521.jpg
c0168172_22591464.jpg
c0168172_22592114.jpg
c0168172_22592835.jpg
c0168172_22593548.jpg
c0168172_22594265.jpg
c0168172_22595024.jpg
c0168172_22595943.jpg
c0168172_23000737.jpg
c0168172_23001563.jpg
c0168172_23002276.jpg
c0168172_23003186.jpg
c0168172_23003866.jpg
c0168172_23004524.jpg
c0168172_23005351.jpg
c0168172_23005927.jpg
c0168172_23011066.jpg
c0168172_23012128.jpg
c0168172_23013110.jpg
c0168172_23014511.jpg
c0168172_23025040.jpg
c0168172_23030248.jpg
c0168172_23031501.jpg
c0168172_23032674.jpg
c0168172_23033819.jpg
c0168172_23035265.jpg
c0168172_23040452.jpg
F1.5

c0168172_23044476.jpg
F2

c0168172_23045503.jpg
F2.8

c0168172_23050569.jpg
F4

c0168172_23051783.jpg
F5.6

c0168172_23052800.jpg
c0168172_23053733.jpg
c0168172_23054594.jpg
c0168172_23055592.jpg
c0168172_23060550.jpg
c0168172_23061586.jpg
c0168172_23063255.jpg
c0168172_23064388.jpg
c0168172_23065327.jpg
c0168172_23070272.jpg
c0168172_23071469.jpg
c0168172_23072510.jpg
c0168172_23073409.jpg
c0168172_23074239.jpg
c0168172_23075426.jpg
c0168172_23080423.jpg
c0168172_23081566.jpg
c0168172_23082438.jpg
c0168172_23083451.jpg
c0168172_23084572.jpg
c0168172_23085502.jpg
c0168172_23090377.jpg
c0168172_23091502.jpg
c0168172_23092452.jpg
c0168172_23093308.jpg
c0168172_23094351.jpg
c0168172_23095456.jpg
c0168172_23100436.jpg
c0168172_23101493.jpg
c0168172_23102308.jpg
c0168172_23103188.jpg
c0168172_23105286.jpg
c0168172_23110105.jpg
c0168172_23111172.jpg
c0168172_23112259.jpg
c0168172_23114123.jpg
c0168172_23115012.jpg





# by hologon158 | 2019-05-22 23:17 | ホロゴンニュース | Comments(0)

789.02 ホロゴン外傳264(2018年11月14日奈良町がマクロスイター50㎜F1.8を大歓迎)2 兄と妹



金曜日、面白い発見をしました。
私の孫プリンスのことです。
4月、小学校2年生になったのですが、
妹の孫プリンセス1号は4歳の保育園生。
二人が小さいときは、
まあ、幼児が二人居て、ひしめいているという感じでした。
でも、金曜日、ピアノレッスンに付き添って、
孫プリンスが「兄」になったことを実感できる出来事に出会ったのです。

二人を連れて、徒歩15分ほどのピアノの先生のマンションに向かいました。
突然、妹が言い出しました、
「今日は、××ちゃんが後!」
兄が慌てて、
「違うよ、××ちゃん、
先週、後にしてあげて、そのとき、
今週は先にするって、約束したじゃない?」

この妹、物心ついてから、すべて自分のことは自分で決めます。
服も、オモチャの購入も、食事も、なにもかも即座に決然と。
それが全てにわたるので、あまりにも徹底的!
今まで出会ったことがないタイプ。
自分のやりたいことがはっきりと自覚できるのです。
だから、納得できないと、納得できるまで追求します。
いつかオモチャ屋でオモチャを半時間探し続けました。
決然たる表情で、何者も、母親でさえ、
介入、アドバイス、指示ができませんでした。

実のところ、一人だけ出会っています。
妻です。
つまり、孫プリンセス1号の祖母。
そうか、だから、そっくりなんだ!
これじゃ、どうしようもない、
と、私は納得しています。
二人の娘たちにもかなり遺伝しているようですが、
孫プリンセスほど徹底的ではありません。

ピアノ教室への道に戻りましょう。
兄から自分に不利な事実を突きつけられても、
彼女はびくともしません。
「後で!」の一点張り。
やむをえず、兄が妥協しました。
「じゃ、じゃんけんで決めよう。オレが勝ったら、オレが先やで」
こういう妥協案をすぐ思いつくあたりが、まず、お兄ちゃんらしい。
孫プリンセスも、ここは自分が勝てば、事は簡単、
そう考えたのでしょう、ここは素直に兄の提案に乗りました。
路上で対決!
兄がチョキで、妹はパー。
「これでオレが先やで!」
と、兄はにっこり。
ここでにっこりするあたり、男の子は甘い。
妹、きっぱりと、
「いや、お兄ちゃん、先!」

そうこうする内に、ピアノの先生のお宅に到着しました。
まだ5分あります。
玄関廊下に入って、議論再燃。
兄が順番を決めたいきさつを繰り返しても、妹は頑として、
「いや、後で!」
議論が沸騰して、お兄ちゃん、とうとう感情が激してきて、
泣き出しそうな顔になりました。
爆発寸前、突然、ドアを開けて出て行ってしまいました。
しばらくして、兄は戻り、平静な表情で言いました。
「ええよ、今日はオレが先にするから、
次回は先にするんやで!」
妹は無反応。
もちろん、次回も後番を主張するつもりなのでしょう。
でも、こうして一件落着。

兄がまだ幼児だったら、妹に向かって爆発したことでしょう。
でも、2歳半年下の妹がかわいくてたまらないのです。
その妹に対して爆発しそうになる気持ちを抑えきれなくなって、
大急ぎで外に出て、自分の頭を冷やしたようです。
今回は明らかに妹の無理押し。
それなのに、こんな風に自分で自分の気持ちを処理して、
この場を収めることができたのです。
ダテに小学2年生に進級したわけではない、という感じ。

でも、妹とのこのような関係はずっと続くでしょうね。
そして、ずっと妹に譲り続けることになるでしょう。
私の実体験からの予測。

そこで、思い出しました。
YouTubeで、アメリカのコメディアンの漫談。
「男と女の違い」がテーマ。
男は脳の中にたくさんの引き出しがあって、
あれこれのことがきちんと整理されて、引き出しに収められています。
でも、女は違う。
入れ物はたった一個、その中になにもかもが入っている。
男は引き出しを一つずつ開けて、論理的に解決しようとします。
でも、女にはぜんぜん通用しない!

随分昔のことを思い出しました。
私の甥の一人が4つのとき、突然、私にこう言ったのです。
「僕の頭の中にはたっくさん引き出しがあるんだ。
その中に一つ一つちゃんと入れてあるんだよ」
この子は本当にそんな子でした。
あまりにも杓子定規で、曖昧なところがない。
かなり人間関係に苦労して生きています。

コメディアンの漫談、まるで、この甥から聴いたような例え話。
というより、本当に引き出しがあるのかもしれません。
私にもありそうです。
だから、どんな場でも、一つ一つ整理して、論を進めます。
でも、私の苦い経験では、
このような論じ方はいつも肩すかしを食らいました。
ほとんどの人が論理には乗ってこないのです。
私の論理はあたかも聴かなかったかのように、
「私はこう考えたいのですが...」と、逸らされてしまいます。

妻と議論してもそうですね。
我が家では、妻が帰宅すると、呼び鈴を鳴らします。
長からぬプロムナードを進む間に、
私が二階から飛んでおりて、鍵を開きます。
ところが、妻は自分では絶対にそんなことをしません。
私が「なんで呼び鈴を押すの?」
妻、澄まして、「だって、バッグから出すのが面倒だから」
でも、タクシーで帰宅したときも同じです。
ちゃんと鍵の入った財布を一度は出しているのに?
わざとゆっくり下りても、問題は解決しません。
ドアの向こうで、私が鍵を開くのを待っています。
そのあたりは全然面倒ではないわけです。
そんなものです。
夫婦間に対等の論理は存在しませんね。

孫プリンスも、これから妹に苦労するでしょう。
でも、私が彼の成長を一つ見届けることができたのは、
彼が、屋外にいったん出ることにより、
妹に対する憤懣を平和的に自分の中で解消する、
という自己処理法を思いつき、実行できたこと。
しかも、その後、自分の不満を一切表情に出さなかったこと。
妹がいつもそんな風に振る舞うことを思い出し、
女性に意見、態度の修正を求めるのは無理なことを
こんなにも早く悟ることができたのです。
人間を学ぶこと、これが成長というものでしょう。

彼は幼い頃から、人をいじめたりせず、
自分の大好きなことを夢中で楽しみます。
これは自慢ですが、私とそのあたりがよく似ています、
それも小学校2年生で!
ちょっと嬉しくなっています。

さて、マクロスイター50㎜F1.8の続編です。
かつては、このレンズの魅力に魅せられる人がいました。
私もそうでしたし、今もそうです。
現代レンズを駆使し、フォトショップで自在に加工する方には、
理解できない、時代遅れ現象でしょう。
癖や欠点がありすぎて、
フォトショップで画像を改善することが難しい、ということでしょう。
マクロスイターも私も時代に取り残されてしまいました。
より上を、そして、完璧を求める社会になってしまったのでしょう。
でも、新製品を押し付けるコマーシャリズムがその内幕にあるのでは、
そう疑ってしまいます。
もう本当に必要なものしか買わない私の偏見なのでしょうけど?




c0168172_18014109.jpg
c0168172_18015296.jpg
c0168172_18020089.jpg
c0168172_18022619.jpg
c0168172_18023305.jpg
c0168172_18024081.jpg
c0168172_18024726.jpg
c0168172_18025465.jpg
c0168172_18030614.jpg
c0168172_18031411.jpg
c0168172_18032063.jpg
c0168172_18032755.jpg
c0168172_18033497.jpg
c0168172_18034545.jpg
c0168172_18035302.jpg
c0168172_18040051.jpg
c0168172_18040796.jpg
c0168172_18041930.jpg
c0168172_18042657.jpg
c0168172_18043373.jpg
c0168172_18044539.jpg
c0168172_18045320.jpg
c0168172_18050120.jpg
c0168172_18101090.jpg
c0168172_18102187.jpg
c0168172_18102994.jpg
c0168172_18103627.jpg
c0168172_18105501.jpg
c0168172_18110748.jpg
c0168172_18111671.jpg
c0168172_18112568.jpg
c0168172_18113252.jpg
c0168172_18114003.jpg
c0168172_18114996.jpg
c0168172_18115780.jpg
c0168172_18120523.jpg
c0168172_18121466.jpg
c0168172_18122277.jpg
c0168172_18123086.jpg
c0168172_18123711.jpg
c0168172_18124940.jpg
c0168172_18125715.jpg
c0168172_18130489.jpg
c0168172_18131131.jpg
c0168172_18132018.jpg
c0168172_18132861.jpg
c0168172_18133636.jpg
c0168172_18134420.jpg
c0168172_18135159.jpg
c0168172_18141831.jpg
c0168172_18142558.jpg
c0168172_18143304.jpg
c0168172_18144132.jpg
c0168172_18145039.jpg
c0168172_18145940.jpg
c0168172_18150735.jpg
c0168172_18151488.jpg
c0168172_18152990.jpg
c0168172_18154329.jpg
c0168172_18155503.jpg
c0168172_18160437.jpg
c0168172_18161284.jpg
c0168172_18162004.jpg
c0168172_18162725.jpg
c0168172_18163607.jpg
c0168172_18164939.jpg





# by hologon158 | 2019-05-20 18:20 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

789.01 ホロゴン外傳264(2018年11月14日奈良町をマクロスイター50㎜F1.8が格調高く)1 異貌の群れ

弘法大師様の言葉を読んでいます。
名言集なのですが、さすがにすごい言葉が並びます。
その中の「遍照発揮性霊集」巻第八の言葉。

(A)
 心暗きときは即ち遇う所ここごとく禍なり。
 眼明らかなれば、即ち途(ミチ)に触れて、
 皆宝なり。

(あなたの心が暗闇であれば、
巡り会うものはすべて禍いとなります。
あなたの心が太陽であれば、
出会うものはすべて宝となります。)

もう一つ。
五部陀羅尼問答偈讃宗秘論の言葉だそうです。
それにしても、エラく長ったらしい題名の書物ですね。
この題名を読んで、5分間、なにか別のことをしてください。
その後で、題名を思い出せますか?
私はもちろんできませんが、
私の親友にこんなことヘッチャラというのを1人知っています。
昔の和尚さんたちって、こんな題名の書物ばっかり一生付き合って、
よく覚えておれたものですね。
お大師さまは経典をそっくりそらんじておられたのですから、
こんなこと、居眠りしててもできるでしょう。
弟子たちを鍛えるために、
わざと題名まで難しくしてられたのでしょうね。

 (B) 
  珠を持てば善念生じ。
 剣をとる殺心の器。

(美しい水晶をもてば清らかな心が生まれ、
 剣をにぎれば人を斬りたいという心が
  起こってくるものです)

まず、(B)の言葉。
なんだか人間って、自分の使うもの、手近なものに左右されやすい、
そうおっしゃっているようですね。
それも、無条件に使い手がそのものの善し悪しを決めるのではなく、
もともと、使い手を善に導く手助けをしてくれるものもあれば、
使い手を邪に陥れるものもある、そうおっしゃりたいようです。
その善導の役割を担うものが「珠」。
こう来ると、私は当然に我田引水的に反応したくなります。
写真用のレンズも「珠」じゃない?
そう、「珠」だ!
私もたくさん「珠」を手に入れました。
多忙な職業生活の中では、そんな「珠」も剣のように振る舞って、
かえって私を傷つけたりしたかもしれません。
でも、引退してみると、すべての「珠」が輝きはじめたという感じがします。
私を戸外に誘い、ロボグラフィを見つけて撮らんものと、
私をどこまでも押し続けてくれるのですから。

そして、(A)の言葉、
「眼明らかなれば、即ち途(ミチ)に触れて、
皆宝なり。」
素敵な言葉ですね。
お大師様はこの気持ちで生涯行脚されたのでしょう。
「あなたの心が太陽であれば、
出会うものはすべて宝となります。」
そうおっしゃるのです。

私は信仰心を持ちません。
どうしても、どの宗教にせよ、
どうも本心から信じることができない部分があまりにも多過ぎます。
そして、どの宗教もその敬虔な信徒とされる者があまりにも低劣すぎます。
イエス様は「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」
「汝、殺すなかれ」とおっしゃったのに、
キリスト教徒は、迫害を耐えて、
ローマ帝国の公認の宗教になった途端、
教義に反する同宗の人々を憎々しげに迫害、殺戮し、
敵と見たら、めったやたらに殺しまくってきました。
十戒に「汝、姦淫するなかれ」と神様が命じたのに、
後世のキリスト教徒は法王から一般信徒に至るまで姦淫しまくっています。
神様が見ておられるのに!?
仏教とも似たり寄ったり、というところ。
私はこうしたいい加減さに我慢ができません。

大師様がご覧になったら、苦々しくこうおっしゃるでしょう、
「あなたの心が太陽でないので、
出会うものすべてを汚しまくっています。」

私は、自分の人生を汚物まみれにする彼らの轍を
踏むようなことはしなかったと言いたいところですが、
一つ、大師様の言葉に忠実にならって生きてきたことがあります。
究極の我田引水ですが、
ホロゴンとロボグラフィ、これがそうです。
ホロゴンをはじめとするレンズたちを手にすれば、
たちまち「珠を持てば善念生じ」という気持ちになり、
ストリートを彷徨い、ロボグラフィを撮り続けることで、
「眼明らかなれば、即ち途(ミチ)に触れて、
皆宝なり。」とばかり、
路傍に見捨てられたものたちを宝玉のように輝かせてきた、
私はそう言いたいのです。

もし誰かがこの文章を読んだりしたら、
「弘法大師様のお心に泥を塗るような所業じゃ!
ロボグラフィのどこが「宝」なんじゃ!」
と息巻く人がかなり居るでしょうね。




c0168172_17442138.jpg
c0168172_17443003.jpg
c0168172_17444969.jpg
c0168172_17450178.jpg
c0168172_17450801.jpg
c0168172_17451423.jpg
c0168172_17452090.jpg
c0168172_17452726.jpg
c0168172_17453399.jpg
c0168172_17454041.jpg
c0168172_17454748.jpg
c0168172_17455345.jpg
c0168172_17455961.jpg
c0168172_17460501.jpg
c0168172_17461479.jpg
c0168172_17462073.jpg
c0168172_17464290.jpg
c0168172_17465364.jpg
c0168172_17470283.jpg
c0168172_17471020.jpg
c0168172_17472820.jpg
c0168172_17474180.jpg
c0168172_17475828.jpg
c0168172_17481260.jpg
c0168172_17482010.jpg
c0168172_17482763.jpg
c0168172_17483386.jpg
c0168172_17485471.jpg
c0168172_17492006.jpg
c0168172_17492655.jpg
c0168172_17493478.jpg
c0168172_17494284.jpg
c0168172_17494840.jpg
c0168172_17495613.jpg
c0168172_17500322.jpg
c0168172_17513237.jpg
c0168172_17513921.jpg
c0168172_17520642.jpg
c0168172_17521333.jpg
c0168172_17522600.jpg
c0168172_17523286.jpg
c0168172_17523807.jpg
c0168172_17524718.jpg
c0168172_17530005.jpg
c0168172_17530675.jpg
c0168172_17531449.jpg
c0168172_17533286.jpg
c0168172_17534021.jpg
c0168172_17535012.jpg
c0168172_17540016.jpg
c0168172_17540825.jpg
c0168172_17541723.jpg
c0168172_17542522.jpg
c0168172_17543201.jpg
c0168172_17543834.jpg
c0168172_17544691.jpg
c0168172_17545312.jpg
c0168172_17550148.jpg






# by hologon158 | 2019-05-16 17:57 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

788.00 ホロゴン外傳263(2018年4月18日奈良町に満を持してスーパーアンギュロン21mmf4)アーシング



老いることに一つメリットがあることに気づきました。

20世紀後半以降の顕著な傾向があります。
病気が圧倒的に増えたこと。
種類も患者数も増えました。
たとえば、19世紀の人間は罹患せず、病名もなかった病気が、
圧倒的に増大しています。
公害に起因する数知れない疾患はもちろんのこと、
そうでない病気もたくさん増えています。

精神疾患もそうです。
カール・ヤスパースが精神医学の金字塔、精神病理学原論を著した当時、
ずいぶん昔に読んだので、詳細は忘れましたが、
彼が行った分類は、極めて少数でした。
現代の精神疾患の病名は数え切れないほどになり、
まさに日々増加しています。

私は、心身疾患のいずれについても、昔分類されていなかったのは、
診断方法が未開発、未熟であったからと考えていたのですが、
どうやらそうではなさそうです。
心身疾患のほとんどは文明化が進むにつれて発現してきたのです。
現代でも、たとえば、南米の平地の少数民族には、
そんな病気は一切存在していないことから、それは明らか。

さて、私のことを考えてみますと、
風邪のような文明病を除けば、
かつて発症した病気はたった一つ、
右網膜動脈閉塞症。
医師曰く、医学書には名称だけがあり、
症例は文献に記載されていません。
実態は血液の塊による血管のつまりなのですが、
それが網膜に行ったわけです。

そんな塊ができるのは、心臓疾患あるいは血管中のスポットの中での滞留、
それとも超多忙で心身を酷使したストレスに起因する血流の滞りのどちらか、
と推測されると言われました。
前者は検査しても見つからないので、後者であろうという推測。
これは心当たりがありました。
片道2時間40分の遠距離通勤、40人を超える組織を預かっているうえ、
自分の仕事は定員にして1.5人分。
私は多忙、ストレスにかなり強いうえ、
こうした過剰執務にむしろ適合した人間なので、
在勤期間中心身ともつつがなく過ごしていたつもりだったのですが、
さすがに、体の方は悲鳴をひそかに上げたようです。
結局、検査入院に1週間だけ仕事を休んだだけで、
普通に職場復帰できました。
前任者も前々任者も後任者もなぜか体を壊して、
任期開けもしくは待たずに退職に至ったそうで、
そんな地獄の職場から無事脱出できたのですから、
私は、幸運だったわけです。

40年数年の勤務期間中、風邪で1、2日ダウンしたことが幾度か、
でも、入院までしたのはこれがたった1回でした。
ついに、退職までつつがなく過ごし、
退職後もつつがなく過ごしてきました。
こうして、日々つつがなく、引退生活を楽しんでいるのですが、
近頃、自分が絶好の場所に住んでいることに気づいたのです。

退職後、私は、奈良市の中心部からバスで十数分、
低い春日山系の斜面につながる丘陵地帯の住宅地に、
居を定めました。
とても空に近く、雲が爽快に走り、空気も極上です。
他の地域への通過地点にはないので、
住宅地に無用の車両は走りませんから、とても静かです。
そして、徒歩5分のところに大きな神社があり、
その神域には静寂の森が広がっています。

そこで、3週間前から、アーシング散歩を始めました。
アーシングのことなど、ご存じないかもしれませんね。
アメリカで開発され、
日本在住のエハン・バラディさんが日本での唱道者。
YouTubeで、「エハン」+「アーシング」で検索すると、
彼の講義が幾つかあって、概要、効用が分かります。
お金がかからず、健康が著しく増進する方法です。
要するに、体内に蓄積された静電気をアースする方法。

人間は電気的存在です。
たとえば、脳内のシナプス間の情報伝達の一半を担うのが、
電気信号です。
東大が作ったコンピュータグラフィックスを見たことがあります。
まるで宇宙戦争でした。
シナプスとシナプスの空隙にバリバリッと電光が走るのです。
一番電気的な活動が活発なのは、もちろん、心臓です。
心臓のすべての細胞が電気的なリズムを刻み、しかも、
全細胞が同期しているそうです。

余分な静電気は体内の電気的活動を邪魔する危険性があります。
アースマットを買うか自製して、屋内コンセントのアース端子に繋ぐと、
自宅内にいながらにして、アーシングできます。
でも、余分な静電気を除去できるだけではありません。
地球表面に流れている電気的パルスが取り込まれ、
体を正常に保ち、病気を癒し、若返りを促してくれるのだそうです。
つまり、地球の大地と私の体をリンクしてくれるのです。
詳細は、アーシングの創始者クリントン・オーバーの著書、
「アーシング」(ヒカルランド刊)をお読みください。
でも、何よりもまず、ネットでアーシングの方法を検索して、
始めてみてください。
心よりも体が先に納得してくれますよ。

私は、キッチンのシンク前と書斎椅子の前にマットを置いて、
平素からアーシングしています。
でも、一番効果的なのはどうやら森林浴でのアーシング。
というわけで、この神社に通うようになったのです。
丘の斜面がその神域なのですが、その全体が雑木林。
その雑木林を周回するようにして、2段の道が走っています。
一番下の林間道は神社の東側の地域からバス道に出る通路。
そうした通行人が少し通ります。
その上の林間道はほとんど人が通いません。
これ幸い、とはこのこと。
「アーシングロード」、そう名付けました。
私だけに通じる暗号です。
「p.m.1、アーシングロードに進め!」というわけです。

神社本殿前の広大な広場から十数段の石段を下りると、
アーシングロードの南端です。
そこで、ウォーキングシューズを脱ぎ、
大きなビニール袋に入れて、ショルダーバッグに収めます。
裸足で静寂と瞑想の道に入ります。

最初は、思わず「痛い!」「痛い!」「痛い!」「痛い!」
鋭い小石やトゲ付の小さな木の実が散乱しているからです。
今では、平気です。
痛いけど、我慢できるようになりました。
そのうち、痛みを感じなくなるでしょう。

雑木林です。
楽しくくねくねと曲がっています。
女体のような灌木がたくさん見つかります。
どうも、私が男性のせいで、そう見えるようです。
私は一夫一婦制の厳格派で、
生涯、他の女性の手を握ったこともありません。
でも、見えるものは見えるもので、これはどうしようもない。
先頃、すぐれた女性写真家と撮影を共にしたことがありますが、
この方はなにかというと男性イメージが見つかるそうです。
一人一人見えるものが違うのですが、
性差があるとは知りませんでした。

ホロゴン道のちょうど中間に朽ちかけた木のベンチが2つあります。
その一つに、足代わりのブロックのちょうど上にそっと腰掛けます。
そして、持参のポメラを開いて、安楽に休息しつつ、
ブログの原稿を一つ書き上げる、それが習慣になりました。
樹幹をよぎっていくそよ風
さまざまな小鳥たちのさえずり
葉ずれのささやき
時折聞こえる参拝者のつぶやきのような会話
はるか彼方の車のささやくようなエンジン音
すべてが集中を助けてくれます。

このホロゴン道がいつまでも神気を保ち、
私に活力を与えてくれることを祈りたいものです。




c0168172_23043684.jpg
c0168172_23044561.jpg
c0168172_23045218.jpg
c0168172_23045937.jpg
c0168172_23051547.jpg
c0168172_23051875.jpg
c0168172_23052588.jpg
c0168172_23053146.jpg
c0168172_23053727.jpg
c0168172_23054942.jpg
c0168172_23055749.jpg
c0168172_23060317.jpg
c0168172_23061480.jpg
c0168172_23062155.jpg
c0168172_23063268.jpg
c0168172_23064066.jpg
c0168172_23065167.jpg
c0168172_23065914.jpg
c0168172_23070633.jpg
c0168172_23071213.jpg
c0168172_23071955.jpg
c0168172_23072669.jpg
c0168172_23073343.jpg
c0168172_23074051.jpg
c0168172_23075084.jpg
c0168172_23080274.jpg
c0168172_23092408.jpg
c0168172_23093129.jpg
c0168172_23093744.jpg
c0168172_23094387.jpg
c0168172_23095046.jpg
c0168172_23101984.jpg
c0168172_23103940.jpg
c0168172_23110137.jpg
c0168172_23110872.jpg
c0168172_23112109.jpg
c0168172_23112994.jpg
c0168172_23113788.jpg
c0168172_23114864.jpg
c0168172_23115717.jpg
c0168172_23120593.jpg
c0168172_23121260.jpg
c0168172_23121974.jpg
c0168172_23122887.jpg
c0168172_23123593.jpg
c0168172_23124968.jpg
c0168172_23125629.jpg
c0168172_23131824.jpg
c0168172_23132773.jpg
c0168172_23133406.jpg
c0168172_23134207.jpg
c0168172_23135799.jpg
c0168172_23140676.jpg
c0168172_23141329.jpg
c0168172_23142503.jpg
c0168172_23143384.jpg
c0168172_23144151.jpg
c0168172_23145493.jpg
c0168172_23150226.jpg
c0168172_23151045.jpg
c0168172_23151753.jpg
c0168172_23152612.jpg
c0168172_23153483.jpg
c0168172_23154998.jpg
c0168172_23155824.jpg
c0168172_23160636.jpg
c0168172_23161931.jpg
c0168172_23162896.jpg
c0168172_23164197.jpg
c0168172_23165451.jpg
c0168172_23170239.jpg
c0168172_23171118.jpg
c0168172_23172932.jpg
c0168172_23173744.jpg
c0168172_23175090.jpg





# by hologon158 | 2019-05-09 23:20 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

787.02 ホロゴン外傳262(2018年4月18日奈良町に満を持してスーパーアンギュロン21mmf4)2 義に殉ず


 
ギボンの「ローマ帝国衰亡史」は不朽の史書の一つですが、
時代に直近の直接的な資料に基づいて書かれた古代の史書、
ヘロドトス(ただし、後半)やトゥーキューディデースらとは、
別の手法で書かれました。
数知れない資料文献を渉猟して、
たぐいまれなる歴史的構想力で長大な年月の歴史をまとめ上げたのです。
ギボンは、ローマ帝国の衰亡プロセスは、
裏返せば、キリスト教の勃興のプロセスだったという観点でした。
だから、心躍る史実を綴った章の間に、
キリスト教に関する諸章が挟まっています。
クリスチャンじゃない私はキリスト教の教義に関心はないので、
全巻再三愛読した際にも、
キリスト教に関する章はすべて読み飛ばしました。

読んだ部分は実に壮大で、
次々と巨人たちが立っては倒れる波瀾万丈の記事が続きました。
私は、歴史的プロセスになど興味がありません。
歴史の奔流の中で揉まれつつ懸命に生きた人々の
姿、生き方、運命の変転を見るのが大好きだったのです。
私はたった一つの人生しかないと考えています。
だから、先輩たちに教えてもらいたいのです、
「どうすればたった一回の人生をよく生きることができるのか?」

ギボンに、まだ若い私に衝撃を与えたエピソードがあります。
前にも一度書きました。

ローマ帝国は一時期大変な混迷を極めたことがありました。
次々と、自薦他薦の皇帝たちが割拠しては消えていったのです。
そんな乱世の武将の一人が野望を遂げられず、武運尽きて、
寄せ手の十重二十重の包囲陣に追い詰められたのです。
もう絶体絶命の窮地。
今にも殺戮戦が始まらんとした刹那に、
包囲陣の中から一隊が粛々と動き始めたのです。
寄せ手に加わっていた蛮族出身の武将の一人が手勢を引き連れて、
追い詰められた敗将の陣に吸い込まれて行きました。
この武将を含めて、全滅の憂き目に遭ったことはもちろんです。

この話を思い出すたびに、よく考えます。
この武将はどんなつもりで死地に自ら赴いたのでしょう。
敗将になにか重大な恩義があったのでしょうか?
でも、たいていの人間なら、なにを今更、と考えて、
みすみす死にに行くことはないでしょう。
それをするから、歴史に残るのです。
これが「義に殉ず」なのでしょう。

日本史でも、王朝、政権の交代は幾度もありました。
でも、こんな風に敗者の運命にどこまでも付き従う、
そんな忠臣は極めて少ないのが日本人です。
命を捨てない忠臣たちはたくさんいましたが、
完全に敗者と決まった後で殉じた烈士たちと言えば、
平氏の一門、豊臣の家臣のわずかな一部、徳川幕府に準じた少数の侍たち、
これくらいでしょうか?

中国史には、そのような節義に殉じた忠臣たちが文字通り一杯居ます。
中国には、各王朝の史官は直前の王朝の歴史を史書として、
可能な限り正確に書き記す伝統がありました。
道に反した王朝は社禝を維持することを許されず、
天によって滅ぼされ、社禝は次の王朝に受け継がれるので、
まがりなりにも先王朝は現王朝の正当性を保障するからです。
だから、現王朝を正統化するための多少の歪曲はあっても、
次の王朝に自分たちの王朝の歴史を正確に書いてほしいために、
自分たちの王朝に関わらない部分では、先王朝の事績について、
かなり中立的に記載することが史官の真骨頂とされていたわけです。

でも、そんな伝統を持たず、
各王朝の事績を正確に記録する正史を持つ伝統がなかった日本では、
結局、力と力の勝負が歴史を築いてきました。
前王朝の事績を正確に記録する責務などありませんでした。
そのような状態では、
帝王も臣下も名を長く青史にとどめることを目指した中国と異なり、
日本では、「勝てば官軍」史観を超えることはなかったので、
いつも雪崩現象が旧政権に止めを刺し、
次政権を安定政権に押し上げてきたわけです。
実利があれば良し、後世の評価などくそ食らえ、
という現実主義の下では、
前政権に殉じるなんて、先行きの見えない阿呆のすること、
と言うわけでした。

ヨーロッパ史の場合は、次の支配者は先支配者とは人種が違う、
ということが多かったこともあるでしょう、
常に政権の交替は血で染められてきました。

ギボンが書いた事例は、
ヨーロッパが原則として国籍ごとに建国するようになった時代、
つまり、逆に、近代国家の成立とともに、
国民が成立するようになった時代に入る以前の事件でした。
だから、さまざまな人種を超えて、信義と友誼と利害関係が交錯する人間関係が、
民族とか国家という概念よりも重要な意味を持っていたという感じがします。

司馬遷の「史記」には、
「人は己を知る者のために死す」という言葉があり、
文字通りその言葉を実践する壮烈なエピソードが幾つも残されてます。
言葉ではきれい事を言っていても、命がかかるような局面になると、
突然、名よりも実を取る現実主義的な日本人とはかなり違うのです。
もっとも、時代は変わる、です。
こうした民族間の違いは次第になくなりつつあるかもしれませんね。
国際化の波が文化や国民性の違いを少しずつ払拭していくでしょうから。



c0168172_22313100.jpg
c0168172_22314030.jpg
c0168172_22315789.jpg
c0168172_22320516.jpg
c0168172_22321300.jpg
c0168172_22322024.jpg
c0168172_22322796.jpg
c0168172_22323502.jpg
c0168172_22324306.jpg
c0168172_22325449.jpg
c0168172_22330185.jpg
c0168172_22331069.jpg
c0168172_22332090.jpg
c0168172_22332739.jpg
c0168172_22333598.jpg
c0168172_22334253.jpg
c0168172_22335437.jpg
c0168172_22340227.jpg
c0168172_22341001.jpg
c0168172_22342066.jpg
c0168172_22342870.jpg
c0168172_22343733.jpg
c0168172_22344539.jpg
c0168172_22345770.jpg
c0168172_22350402.jpg
c0168172_22351526.jpg
c0168172_22353420.jpg
c0168172_22354601.jpg
c0168172_22355852.jpg
c0168172_22360811.jpg
c0168172_22361769.jpg

c0168172_19195952.jpg
c0168172_19195952.jpg
c0168172_19213895.jpg
c0168172_19215483.jpg
c0168172_19220180.jpg
c0168172_19220886.jpg
c0168172_19222376.jpg
c0168172_19223064.jpg
c0168172_19223891.jpg
c0168172_19225221.jpg
c0168172_19230526.jpg
c0168172_19231122.jpg
c0168172_19233298.jpg
c0168172_19234407.jpg
c0168172_19235126.jpg
c0168172_19240311.jpg
c0168172_19241752.jpg
c0168172_19242562.jpg
c0168172_19243308.jpg
c0168172_19243948.jpg
c0168172_19245251.jpg
c0168172_19250780.jpg
c0168172_19251638.jpg
c0168172_19252484.jpg
c0168172_19253195.jpg
c0168172_19253904.jpg
c0168172_19254779.jpg
c0168172_19255585.jpg
c0168172_19260384.jpg
c0168172_19261023.jpg
c0168172_19261699.jpg
c0168172_19262382.jpg
c0168172_19263406.jpg
c0168172_19264361.jpg
c0168172_19265208.jpg
c0168172_19270140.jpg
c0168172_19270914.jpg
c0168172_19271830.jpg
c0168172_19272681.jpg
c0168172_19273457.jpg
c0168172_19274394.jpg
c0168172_19275072.jpg
c0168172_19275948.jpg
c0168172_19280820.jpg
c0168172_19281595.jpg
c0168172_19282259.jpg







# by hologon158 | 2019-05-04 22:38 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

787.01 ホロゴン外傳262(2018年4月18日奈良町に満を持してスーパーアンギュロン21mmf4)



この頃、素敵な言葉がよく見つかります。

「藁屋に名馬を繋ぎたるがよし」

室町の茶人、村田珠光の言葉だそうです。
同種の馬群の中を駈けていると、
観る人が観れば分かるのでしょうけど、
観る目のない人には、
どれが名馬でどれが駄馬か、分からないものです。
でも、藁屋にただ一頭繋がれている姿を見れば、
誰の目にも名馬のただならぬ輝きには目を見張るでしょう。

アートはすべてコントラストが鍵です。
というより、この世界のすべてはコントラストが鍵です。
ホワイトヘッドはいみじくも喝破しました、
存在が創造的に変化していく鍵はコントラストにある。
どんな存在も安定、静止は堕落に通じます。
生きるためには変化し、向上するしかないのです。

トインビーは文明の誕生、発展の鍵は「挑戦と応戦」にあるとしました。
彼の名句は「オールを休めると、文明は滅亡する」
人間もそうですね。
オールを休めると、失速し、老化し、死に至ります。
無敵の勝者がある日無残にも一敗地にまみれる運命に見舞われます。
無敵であった手法をどんな状況にも頼りきってしまうためです。
死ぬまで失速したり老いたりしたくなければ、
ひたすらオールをこぎ続けること、
どんどんと革新していくこと、
これしかないのです。

あなた、テレビづけになっていませんか?
新しい情報を手に入れたい?
だったら、パソコンで十分、そうお考えではありませか?
でも、テレビ、パソコンから日々得る新しい情報が、
あなたにどれだけ役に立ちますか?
泡と消えて行くだけではありませんか?
一昨日のニュースがなんだったか覚えていますか?
生きることはニュースを追い求めることではありません。
自分自身の成長に役立つなにかを手に入れ、
変化し続けること、成長し続けること、ではありませんか?

ホワイトヘッドの最重要のコンセプトは、
「新しさnovelty」。
旧套墨守は退歩の引き金でしかない、
新しさこそが躍進の引き金、というわけです。
でも、新しさは従来の生活、従来の見方の延長上には見つかりません。
まったく新しい場に自分をどんどん自分を置いていかない限り、
新しさに直面することはできません。

こんな風に考えると、はたと気づきます。
私のように、どこにも行かないで、
いつも同じ場所で写真を撮っている人間に、
新しさはどこにあるでしょう。
どこにもないかも知れません。
でも、私のモチベーションは落ちません。
新しさは外になくてもよい、
内に新しさを感じることだって、できるはず、
私はそう考えたいのです。

負け惜しみでしょうか?
負け惜しみなのでしょう。
でも、私は開き直っています。
私のロボグラフィに新しさなどありません。
私にとっては、写真としての新しさなど無関係。
私は写真家ではないのです。
自分の人生に写真を活かしたいだけ。
私にとっては、今日、このロボグラフィに出会ったこと、
それが新しい体験。

村田珠光の言葉、「藁屋に名馬を繋ぎたるがよし」
こんな私に、どんな意味を持つでしょうか?
私にとっては、ロボグラフィこそ、それなんだ、
そう言いたい。

私は「人生、意気に感ず」という言葉が大好きです。
余談ですが、
中国人が古来一番大事にしてきた価値はなんだと思いますか?
私は「義」だと思います。
「義を見てせざるは勇なきなり」
これも名言ですね。
司馬遷の史記が今なお私たちの心をときめかせ続けるのは、
中国人が文字通りこの言葉を生きてきたからです。
一度約束したら、生涯守り続ける、
状況の変化なんていう現実主義はとらない、これが古代中国人でした。
司馬遷の「刺客列傳」はまさに義を守り、義に死んだ人々の記録。
諸葛孔明なんて、自分を見いだしてくれた劉備との約束を守り続けて、
一生義を守り、義に死んだ人間ですが、
そのような人が文字通り山ほど居るのが中国史の面白さです。

私もそんな人間でありたいと願ってきました。
その一つの実行が、「始めたことはやめない」です。
妻と一生生き続ける、というのが、私にとって最も大切な義なのですが、
このいわば大義に続いて守ってきたのが、
実のところ、写真を愛し続けることでした。
(音楽への愛情は実のところ妻よりも古いのですが、
これは妻も同様なので、お互い、許し合っているわけです)

職業生活の日々は長く厳しい時代でしたが、
それを一度もくじけずに、心身を壊さず生き延びることができたのは、
どんなに忙しくても、どんなに仕事が待っていても、
毎週末には撮影に出て、写真を撮り続けたことでした。

風景写真家はどうやら季節に左右されるようです。
季節ごとに被写体となる風景を追い求めるのですが、
たとえば、冬枯れともなると、長い休眠に入ることとなります。
目的地の往還はひたすら移動だけ。
ロボグラフィは違います。
一歩家を出た瞬間から撮影は始まります。
そして、家に入る瞬間まで撮影が続きます。
観ることは、ロボグラフィと出会うこと、
そして、ロボグラフィはどこにでも隠れているのですから。
「藁屋に名馬を繋ぎたるがよし」
なんでもない道ばたにはそんな名馬が待っているのです。

私にとって、「名馬」とは、私をはっとさせる存在。
やあやあ、そんなところで、頑張ってるじゃないか!
そう感じさせてくれるものたち、それがロボグラフィ。
私の写真は全部そんなロボグラフィ。

そして、私も社会の中で、
道ばたのロボグラフィとまったく同じ存在です。
誰も私のことなど気にとめない。
誰も私のことを忘れている。
でも、私の心は生き生きと躍動しています。
私は、体格も普通で、容貌、容姿はさえず、
風采の全然上がらない人間ですが、
でも、自分で言うのもなんですが、目だけは生き生きしています。
どの瞬間、どの場所でロボグラフィたちに出会えるか、
完全に予測不能の人生なので、油断できず、心をわくわくさせて、
周囲を観察しつつ歩き回っているのですから、
私にとっては、「途中」というものがありません。
いつも絶頂体験の可能性を秘めた瞬間が待っている!

こんな風に感じられるようになったのも、
私が写真で体験を記録するという態勢を創り出したからです。
どんな人も自分の好きなこととなると、
目が輝き、動作がキビキビとしはじめます。
私にとって、全瞬間がそれなのですから、
ずっと私の心は生き生きとし続けている。
自分で意識的に生み出した生き方ではありません。
私の人生にいつしか染みついた生き方です。
だから、私にとっては本物。

ホロゴンをソニーα7に付けて、
奈良町を歩きました。
他のどんなレンズとも異なる描写をプレゼントしてくれます。
完璧に近い補正が施された現代レンズの愛用者には、
容認しがたい癖の画像でしょう。
私のブログ写真など、ほとんどのアマチュアカメラマンの目には、
容認しがたいほど稚拙な失敗画像と映っていることは、
私も承知しています。
それでよいのです。
おかげで、私はひっそりと自分のブログ日記を楽しめます。
今回のスーパーアンギュロン21㎜F4によるロボグラフィたちも、
私にとっては、胸おどる瞬間の記録。




c0168172_22213615.jpg
c0168172_22214244.jpg
c0168172_22214947.jpg
c0168172_22215741.jpg
c0168172_22220246.jpg
c0168172_22221407.jpg
c0168172_22222009.jpg
c0168172_22222769.jpg
c0168172_22223308.jpg
c0168172_22223971.jpg
c0168172_22224411.jpg
c0168172_22225016.jpg
c0168172_22225738.jpg
c0168172_22230310.jpg
c0168172_22230892.jpg
c0168172_22231551.jpg
c0168172_22232180.jpg
c0168172_22232819.jpg
c0168172_22233541.jpg
c0168172_22234134.jpg
c0168172_22234738.jpg
c0168172_22235330.jpg
c0168172_22235924.jpg
c0168172_22240789.jpg
c0168172_22241419.jpg
c0168172_22242051.jpg
c0168172_22242880.jpg
c0168172_22243504.jpg
c0168172_22244220.jpg
c0168172_22245455.jpg
c0168172_22250753.jpg
c0168172_22251679.jpg
c0168172_22252694.jpg
c0168172_22253499.jpg
c0168172_22255282.jpg
c0168172_22260100.jpg
c0168172_22265282.jpg
c0168172_22270268.jpg
c0168172_22270957.jpg
c0168172_22271789.jpg
c0168172_22272482.jpg
c0168172_22273163.jpg
c0168172_22273868.jpg
c0168172_22274578.jpg
c0168172_22275316.jpg
c0168172_22280050.jpg
c0168172_22280870.jpg
c0168172_22282062.jpg
c0168172_22283215.jpg
c0168172_22284031.jpg
c0168172_22284770.jpg
c0168172_22294788.jpg
c0168172_22295720.jpg
c0168172_22300461.jpg
c0168172_22302331.jpg
c0168172_22303378.jpg
c0168172_22304118.jpg
c0168172_22305056.jpg
c0168172_22310621.jpg
c0168172_22312110.jpg
c0168172_22313143.jpg
c0168172_22314018.jpg
c0168172_22320940.jpg
c0168172_22322130.jpg
c0168172_22323073.jpg
c0168172_22323897.jpg
c0168172_22324879.jpg
c0168172_22325766.jpg
c0168172_22330693.jpg
c0168172_22331492.jpg
c0168172_22332332.jpg
c0168172_22333145.jpg
c0168172_22334195.jpg




# by hologon158 | 2019-04-30 22:36 | ホロゴン外傳 | Comments(0)