わが友ホロゴン・わが夢タンバール

716.01 ホロゴンデイ201「2017年10月5日Mホロゴンが奈良町巡行」3 ソール・ライター


2月15日木曜日、
4ヶ月ぶりに吉田正写真教室を受講しました。
先生も受講者の皆さんもお元気で、
以前に変わらず活発で和気藹々とした教室でした。

例の通り、前半は講義、後半は受講者の写真講評。
前半で印象的だったのはやはり優れた二人の写真家。
まず、わざわざ持参された写真集は、
マイケル・ケンナのモノクローム写真集。
私も同じ写真集を持っていますが、
写真展には未だ遭遇したことがありませんでした。

吉田正さんのお話では、
どうやら四つ切り程度の大きさで常に展示していたそうで、
写真のスケール感豊かな作風とは裏腹のプレゼンに、
彼の意図は垣間見えるようです。
大げさな写真世界を構築する気持ちはまるでなく、
自分の作品たちが一貫してミクロコスモスの雰囲気をたたえるよう、
写真家は工夫していたのかも知れません。
一枚、一枚が自足して、静寂の気を漂わせています。

もう一人は、ソール・ライター。
ドイツの出版社シュタイデル者が発掘した写真家として、
映画まで作られて、
どうやら世界的に有名になったようです。

YouTubeでも、紹介ビデオを観ることができます。
Saul Leiter
https://www.youtube.com/watch?v=RJdIJkt3Gz8

私が一番知りたいことは、
彼がファッション誌の写真家の職を捨てて、
隠遁してしまい、人に知られることなく、
こつこつと独特のストリート作品を撮り続け、
しかも自分から進んで、ストリート作家として、
世に作品を問う気持ちなどまるでなかったこと。

一体どうして、写真作家としての人生を捨ててしまったのか?
どうやって暮らしていたのか?
興味深いですね。
吉田さんのお話では、
同居の女性が生活費を稼いでいたようです。
奥さんなのかどうかは定かではないのですが、
そうまでして、どこにも発表する気もないままに、
あまり人が関心を抱きそうにない写真を撮り続ける、
そのあたりがまるで分かりませんね。

私のように、もともと別の職業を持っていて、
写真は完全にホビーに徹していて、しかも、
そのことを人にあまり知られたくないのであれば、
写真家的な行動をセーブするのは当然です。
でも、彼は、すでに職業写真家としてキャリアを積み、
そのキャリアに乗っかって、自分の写真世界を世に問う、
そんな道筋が普通と考えられるのに、
そうした形をとらなかったのですから、不思議ですね。

もう1つ、面白いことがあります。
ソール・ライターがそんな風にして撮り貯めた写真群、
たいていの写真好きの方には、本来、完全に無縁の、
極めて地味で、かなり意味不明な写真だらけ。
私はどうか、と言いますと、
圧倒的に驚嘆する写真が少しあり、
なんだか分かる写真もあります。
でも、半分以上は私には理解不能で、
正直言って、「ゴミ箱行き」と言いたくなります。
そのあたりがカルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛、
セバスチアン・サルガドとはかなり違う感じ。
それなのに、今、熱狂的な賞賛を浴びていること、
これがよく分かりません。
どうやら私はぜんぜん写真のことなど分かっていないらしい。

そのあたりが、無名のまま世を去った後で発掘された、
女性写真家、ヴィヴィアン・マイヤーと違う、
そう私には思われます。
ヴィヴィアン・マイヤーの写真群は驚異に満ちています。
カルティエ=ブレッソンのような偉大な写真家ではありません。
あくまでもアマチュア写真家のスタンスで生きた人です。
写真撮影が生活であり、人生であり、喜びであった、
一人のアマチュア写真家が日常に接する出来事、人々に、
素直に反応している心の記録が残されています。
その写真群は、撮影者の新鮮な驚き、喜び、
作為のない自然なリアクションの瞬発性に満ちています。
私には、撮影の瞬間のヴィヴィアンの気持ちが分かります。

でも、ソール・ライターが撮影時、どんな気持ちだったか、
私には分からないことが多い、と言うほかはありません。
彼の撮りたい写真を撮ろうという作意がありありと感じられ、
しかも、その作意に共感を感じることが中々難しいのです。
彼を発見したシュタイデル社の写真集を手に入れて、
再三、ページを繰ってみるのですが、
「ああ、この人って、こんな気持ちでこれを撮ったんだな!」
そんな共感が心に閃かないものがかなりあるのです。

伊丹市立美術館で写真展が開催されます。
2017/4/29(土・祝)-6/25(日)

私にはソール・ライターが理解できるんだろうか?
それを確かめに参ります。
理解できれば嬉しいし、理解できなくても、支障はありません。
私はそんな人間だというだけ。




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# by hologon158 | 2018-02-24 15:23 | ホロゴンデイ | Comments(0)

716.01 ホロゴンデイ201「2017年10月5日Mホロゴンが奈良町巡行」2 母なる大地


昨日、我が家に2ヶ月ほど滞在した二女一家が帰宅しました。
第二子出産のためでしたが、波瀾万丈の2ヶ月でした。
撮影に出られたのは、その前の1ヶ月を含めて、
たった2回。
その他、所用で外出したついでに、ヒットエンドランで撮っただけ。

ロボグラフィはその点しごく便利にできています。
犬も歩けば棒に当たる、と言いますが、
私の場合は、レンズ歩けばロボグラフィに当たる、でしょう。

今回のホロゴンは、今回の疾風怒濤時代が来る直前の撮影です。
至極、のどかに、のんびりと撮っていますね。
私にとって、ホロゴンは故郷、母なる大地なのですから。



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# by hologon158 | 2018-02-19 22:50 | ホロゴンデイ | Comments(0)

716.01 ホロゴンデイ201「2017年10月5日Mホロゴンが奈良町巡行」1 私の故郷


ちょっとした機会に、
和歌山から奈良に写真を撮りに来るアマチュアカメラマンの
プリントを観ることができました。
自分のことは棚に上げて、言わせていただきますと、
まるで駄目でしたね。

① 被写体がありふれています。
誰でも、そちらに向いて撮れは、どんな初心者であれ、
同じような写真が撮れてしまうでしょう。

② のっぺりとした光で、くっきりと浮かび上がりません。
ただ、撮っただけだなあ、という感じ。

③ ディジタルプリントの質があまりにも低すぎます。
なにかしらアート処理をして、粒状化し、淡彩に仕上げています。
でも、そんなアート処理がここでなんのためになされたか、
それが分かりません。
リアルな画像よりも印象的で、美しい画像になるのであれば、まだしも、
ぼけぼけにすることで、特定の場所が不特定のどうでもよい場所、
行きたくもない場所になってしまうのはいかがでしょうか?

推測するに、この写真家、
自分がどんな画像にしたいのか、分かっておられません。
確固とした写真観も、撮影技術も、デジタル処理能力もないまま、
画像処理ソフトを漫然と試しているにすぎません。
技法の文献ばかり読んで、
写真史の方はしっかりと学んでおらず、
自分の感性もしっかり鍛えておられないのでしょう。

以前にも、
「カルティエ=ブレッソンの写真には、
手ぶれや、ピントのずれがあるのが、よくありますねえ」
こう言って、自分にはそんな失敗はないと言わんばかりに、
優越感の表情でにんまりする人に出会ったことがあります。
手ぶれ防止の現代カメラに寄っかかっているに過ぎず、
銀塩カメラを手にしたら、ろくな写真も撮れないのに、
そんなこと、ちっともご存知ないうえ、
カルティエ=ブレッソンがわざわざそんな写真を
作品として発表している真意も価値も分からないのですから、
ただの「ど素人」。
自分たちがカルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛を超克してしまった、
そう心から信じている写真家がプロにもアマにもどっさり居そうです。
つまり、みんな、ただの「ど素人」です。

私は、そんな幻想を抱かないので、
そして、写真史は、写真術や写真思想の超克の歴史ではなく、
時代とともに変化しているだけと知っているので、
自分が40年撮り続けても、素人の域から一歩も出ていない、
まして、偉大な先人たちを超克するなど想像だにできない、
そう確信できます。
私も素人ですが、少なくとも自分の場所は弁えています。

最初の頃に書きましたが、
私は、オリンパスの昇華型熱転写プリンター、
確かP400だったと思いますが、このプリンターで印刷し、
写真集仕立てに編集し、製本所に本格的に製本してもらって、
数十冊、各1冊限りの写真集を作っていたことがあります。

久しぶりにその一冊を書棚から抜き出しました。
そんな写真集の第1巻「アイルランド」です。
2000年5月15日発行。
印刷時に表面をコートしていますので、
20年近く経っているのに、いささかの劣化もありません。
製本所の造本も見事です。

当時はカルティエ=ブレッソンに倣って、
ストリートスナップ中心でした。
スナップ、瞬間芸の写真が混じっています。
一応のスナップ技術を必至で駆使していたようです。
今では完全に夢と化した技術を、
当時は曲がりなりにも使えたようです。

10年一昔と言いますが、20年も経てば、
私は当時の私とは完全に別人。
写真に対する思い入れも撮り方もまったく別もの。

ただし、こうした写真集製作は、
自分が写真作家だと信じたり、志したりしたからではありません。
写真家である「かのように」の遊びとしてでした。
今、私は、その正反対、真実の素人遊びとして、
ブログを楽しんでいます。
私の2つのブログはどちらも、
作品としての思い入れなど一切ないままに、
「味噌も××も一緒にした」かのように、
自分の撮った写真を撮影順にただ倉庫の棚に収めていく、という、
作品発表とはなり得ない、プライベートな貯蔵作業。
そこに、人の理解を拒むような、完全自動書記風の、
雑念速記作業がダブルのですから、
よほどの暇人以外には、
私のブログをのぞいてみようとは思わないでしょう。

でも、私の気持ちはすっきりしています。
自分に高下駄を履かせたりしていない。

初心に戻って、ホロゴンを使ってみました。
やっぱり私の故郷です。




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# by hologon158 | 2018-02-16 12:11 | ホロゴンデイ | Comments(0)

715.05 ホロゴン外傅220「2017年9月27日ズミクロン35㎜F2の新大阪」5-完-写真は足し算


「写真は引き算だ」
よく言われる言葉です。
どんな人が見ても、なにを撮りたかったか、分かるように、
邪魔なものは全部画面から外せ!
これが写真家に課せられる至上命令。

実際、なにを撮りたかったか、さっぱり分からないのが、
初歩的なアマチュア写真の通例です。
要するに、撮影者だけが撮りたかったものを知っています。
でも、それを邪魔するファクターが一杯画面にひしめいている、
だから、見る人には、撮影者が何を撮りたかったか、分からない。
そんな写真がほとんどです。

撮影時、光景を前にして、なにが邪魔で、なにが必須か?
初心者にはなかなか分からないものです。
撮って、撮って、撮り続けて、
撮れた写真を観て、観て、見続けて、
ようやく経験的にしっかりと身に付くものです。
そこで、「写真は引き算である」
そう言われるのです。
最初からそれが分かる人がいます。
でも、あなたは、自分がそうだと思っても、
その判断はたいていの場合間違っています。
そう思った方が安全です。

私はもともと不器用でセンスなどない人間でしたから、
ただただ闇雲にシャッターを切っていただけでした。
でも、写真経験が40年を超えると、かなり分かってきました。
分かって来たのに、その挙げ句が面白いですね。
私は、人が見て、どう思うか、なんて、
すっかり超越してしまいました。
人は人、私は私、そうじゃないですか?
だから、光景を整理して写真を撮る必要がなくなってしまいました。

私の父が出張で東京に出かけました。
今から何十年も前の話です。
東京駅は当時も雑踏で、人がひしめいていました。
はるか後ろから呼び止められました。
「※※くーん!」
父は振返りました。
東京在勤の友人です。
「この人ごみの中で、僕のことがよく分かったな?」
すると、友人は答えました、
「分からないでか!
東京で、そんな格好できる人間なんて、お前くらいだよ!」
父は、手持ち品を入れた風呂敷を腰に巻いていたのです。
人が見てどう思うかななど、一向に気にせず、
成り振りかまわず、やりたいことをやる男だったのです。
私の父ですから。

そんな父を持った私です。
ホロゴンウルトラワイドを手に入れた頃からですが、
自分の写真を人が見てどう思うかなど、気にするのはやめました。
私がなにを撮りたかったは、人がどう思おうとも、
私一人が分かっておれば、それでよいのです。
写真に余分なものが一杯詰まっていても、
まったく問題がありません。
私は自分が何を撮りたかったか、分かっているし、
別に人に見てもらう必要もなくなってしまったのですから。

たしかに写真は「表現」です。
でも、私の写真は、私に向かっての表現。
どんなに沢山のガラクタ、邪魔者が写真に写っていても、
自分がなにを撮りたかったかは、ちゃんと分かっています。
つまり、目の前の光景、がらくたの山のような光景、
これこそ私が撮りたい写真なのですから。
私にとって、
「写真は足し算」なのです。



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# by hologon158 | 2018-02-12 15:32 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

715.04 ホロゴン外傅220「2017年9月27日ズミクロン35㎜F2の新大阪」4 拒否反応


半月前、左下奥歯にブリッジを入れてもらいました。
後ろから2、3番目がダメになったのです。
だから2本をカバーする遠隔ブリッジ。
最初は違和感がありましたが、
一週間で、気がついたら、ブリッジを入れた左側で、
違和感なく、ものを咬んでいました。

ところが、その後数日で急変。
そのブリッジの支えの両側2本の歯、
おそらくその歯茎が痛み始めたのです。
痛みは次第にクレッシェンドしてきました。
週末は歯医者さんがお休みなので、
先週金曜朝、行きつけの歯医者さんに飛び込みました。

なかなかの腕前の先生なので、たちどころに原因を解明。
私の噛み合わせがかなり強いうえ、咬みどころが移動するので、
ブリッジ部分に力がかかってしまったのです。
噛み合わせのきつい部分を少し削っていただき、
噛み合わせを調整していただくと、
もうほとんど痛みはなくなりました。

どなたもそうですが、食事中、なにかを夢中に考えているので、
歯のことなど忘れてしまいますね。
信長も詠ったように、「人生五十年」の時代には、
人間は、身体にガタが来る前にたいてい世を去っていました。
男女とも世界有数の長寿国となった日本人は、
とりわけて、さまざまな部位がすり減るという憂き目に、
誰もが出遭うことになりそうですね。

無事歯科医の治療が済んで、外に出て決断。
この日は夕方孫プリンス6歳のピアノレッスンの付き添い日。
さっさとJR奈良線の大和路快速で平野に移動することにしました。
これに備えて、スピードパンクロ35mmF2付きソニーα7を、
バッグに忍ばせてきました。
前回京都に持ち出したのは、スピードパンクロ50mmF2。
35mmは私の所有です。
場所は違いますが、ここは一つ勝負させてみよう、というわけです。

50mmは、私に言わせると、
私の所有するアストロベルリン50mmF2.3と並ぶメタモルレンズ!
メタモルフォーゼを起こす異貌のロボグラフィを生み出すレンズ。
そして、スピードパンクロ35mmF2は、
私にとっては、アストロベルリンに次ぐ、メタモルレンズ。
ならば、同族の50mmとどれだけ勝負できるか?
さあ、お立ち会い、というわけです。

35mmはチビレンズです。
レンズの大きさは50mmの半分位。
35mmフィルムサイズを完全にカバーするには足りない、
という点では、どちらも、一緒。
不足の程度も同じ位。
だから、どちらも35mm映画フィルムのレンズとして、
同系列の姉妹レンズではないか、と思うのですが、真相は不明。

昼食を、JR平野駅近くのすてきな喫茶店でいただいたのですが、
私は、近ごろ時間間隔がマヒしてしまい、まだ午前中と誤解して、
豪華な果物、ゆで卵、トースト、コーヒーのセットを注文。
470円で豪勢なモーニング!
でも、食べながら、時計を見て、キョトン!
もう正午を回っていた!
というわけで、撮影しながら、平野から加美に南下して、
午後4時、孫の保育園近くの喫茶店に転がり込んで、
カレーライスを注文してしまいました。
お腹がペコペコだったのです。

スピードパンクロ35mmF2は、いつもながら、絶好調。
50mmに共通して言えることが一つ
開放最短撮影距離の接写をしたときの背景、
とくに空のボケの雰囲気が大変に甘いのです。
まさに幽玄。
ゾンネタールのようなクリーンで冴えた透明感とは違います。
むしろぎっしりと空気が詰まった感じ。

カレーライスは適量で、しっかりと煮込まれて、満足。
これからこのお店、愛用させていただきましょう。

午後4時25分、喫茶店を出発。
描写性はかなり似ています。
暗部の描出力が優れていて、
光の当たった部分にほんわりとフレアがつくので、
夢のような味わいが自然に出ます。
ただし、50mmはかなりデモーニッシュな傾きがあって、
豪勢なメタモルフォーゼをひき起こしてくれます。
35mmはかなり穏やかです。
デモーニッシュな味はほとんどありません。
それだけに普段使いしやすいとも言えそう。

先日の京都では、寒さによる電池の激しい消耗に苦しみました。
今回はそんな苦労は絶対にしないぞ!
JR奈良駅のコンビニで熱いお茶を購入し、
ダウンジャケットの内ポケットに入れ、
電池4本入れたバッグをそれにピタリと当てて収納。
JR平野駅下車後、その1個をソニーα7に装填。
すると、電池残量はしっかりと100%表示。
京都では、100充電しておいたはずの電池2個の、
ソニーα7に装填時の残量表示が10%と40%だったのとは大違いです。

さて、保育園に孫プリンスを迎えに行き、
今来た道をまっすぐ引っ返して、
ピアノの先生のマンションに参りました。
6歳ですが、私と対等に話します。
さて、今日はどんなおもしろいニュースを聞かせてくれるか?
楽しみにしていたのですが、彼の近ごろの関心は阪神タイガース。
阪神タイガースの公式ブックを舐めるように読み、
平かなとカタカナしか読めないのに、
選手たちの漢字名等、野球に関係のある漢字を自習。
昨年のタイガースの負傷選手たちの負傷時の顛末、
その後の復帰の具合を事細かに教えてくれます。
どうして、そんなディテールを知ったかの、謎。
「昨年、病気で消えていた選手がいたね?」
すると、即座に、
「横田?」
「今、どうしてる?」
「二軍でがんばってるよ」
知っていることは、思い出す必要がありません。
右手がどちらか、目がどこについているか?
そんな問題と同様、答えが分かっているようです。
私はそんな記憶力とは無縁だったので、いつも驚き。
ちょっと羨ましいという感じ。

ところで、ブリッジ部の痛みですが、まだ続いています。
分かりました。
2本の歯がダメになって、その両側の2本でブリッジ。
つまり、両側、とくに内側の歯に負担がかなりあって、
拒否反応を起こしているのです。
2本の欠損を放置したら、
上の歯が降りて来るというリスクを回避するため、
このブリッジは絶対に必要なのですから、
当分、右側主体でものを噛むこととして、
なだめなだめながら、段々と慣れてもらわないと。



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715.03 ホロゴン外傅220「2017年9月27日ズミクロン35㎜F2の新大阪」3 笑いの天才


2月1日木曜日、
奈良町に出かけました。
それにしても、2018年元旦になったと思うと、
あっと言う間に、2月。
「白駒が隙を過ぐるが如し」
まことにその通りです。
ときどき、考えます。
昔の哲学者ロックが、時間とはPerpetual Perishingだと言ったのは正しい。
でも、自分の人生が砂時計のように崩れ続けて、
あっと言う間になくなってしまう、なんて、
絶対に許すものか?
人間のさまざまな営みはまさに「抵抗」ですね。
むざむざ崩れさってよいものか!
でも、そんな営みにいそしむ人間たちが心を同じくするわけでもなさそう。
むしろ人間って、てんでばらばら、それが面白い。
今日久しぶりに図書館に参りました。
なにか読むに値する本を探したい、
そう考えたのです。
でも、無惨な結果に終わりました。
どれを見ても、ぜんぜん食指が動かない!
そこで気づきました。
結局、私は世界を広く知りたいとは思っていない!
私が好む場所、人、もの、アート、そんなものだけを、
私の関心のサーチライドは照らし出しますが、
それ以外のものはちらっとも興味を抱けない。
そうなのです。
本来の落語の楽しさを味わうためには、
格調も風格も邪魔なんじゃないか?
そんな感じがしてしまうのです。

その点、二代目桂枝雀は、私が出会った限りでは、
最高の「笑いの天才」、
そう言い切ってもよさそうです。
Youtubeに数知れずアップされています。
江戸の落語と大阪浪速の落語との違いであり、
私が大阪人であるから、そんな感じ方をするだけ、
そうなのかもしれません。

志ん朝のときもそうでしたが、
枝雀についてグーグル検索して絶句しました。
すでに亡くなっていたのです。
凄いと思う人の多くがすでに世を去っている、
そんな経験が多すぎます。
凄い人間のストックが段々と減っている、
そんな感じを拭うことができません。
政治家なんて、なんだかカスだけ残った感じ。

枝雀の死がショックだった理由が
どうやら鬱病が高じての自殺だったということ。
ウィキペディアによりますと、
「古典落語を踏襲しながらも、
超人的努力と空前絶後の天才的センスにより、
客を大爆笑させる独特のスタイルを開拓する」
でも、その陰には、心身をすり削る苦しみが、
彼をさいなみ、擦り切らせていったようです。
あらゆるものに広く深くサーチライトを当てる、
そんな人生は私には無縁だったのです。
結局、桂枝雀の落語CDを5枚借りて退散しました。
なぜ、枝雀か?
落語ファンデもなかった私が突然落語に目覚め、
立川志の輔、古今亭志ん朝と出会い、
目下落ち着いた先は桂枝雀、
というわけです。

なぜ?
志の輔はエネルギッシュで、
とくに創作落語の語りに抱腹絶倒させられます。
でも、志ん朝に出会うと。
まだまだ本物の域に達してはいないな、という感じ。
緩急自在の呼吸、という点で、志の輔はまだまだ、と感じるから。

志ん朝という人は本物の落語の天才、
そんな感じがします。
語りの呼吸、緊迫感は一分の隙もなく、
古典落語を今創作しつつ語る、そんな自在さがあります。
でも、最高に面白いか、というと、
残念ながら、いつも最高に面白いとは言いがたい。
古典芸能としての落語の継承者、中興の祖としては申し分ないけど、
落語の本質が「笑い」、リラクセーションにあるとすれば、
志ん朝はその本質をいつも極めてくれているとは言いがたい。

私が最近落語熱に感染して、出会った中では、
そんな落語の本質、奥義に一番近かったのは、
どうやら桂枝雀らしい、私はそう考えています。

YouTubeで、彼の講演を見ていますと、
なんと目が悲しげなことか?
どこか屈託があり、鬱屈があり、途方に暮れた視線に戸惑います。
人々の苦悩を和らげ、その人生にいくばくかの潤いと慰めを与えるため、
しばしの笑いを生み出すために、どれだけ苦しみ、どれだけ苦悩したか?
そうして、ついには一人の天才が鬱病の末に自殺を図って死に至る、
なんて痛ましいことでしょう。
もう言葉が続きませんね。




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# by hologon158 | 2018-02-04 23:33 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

715.02 ホロゴン外傅220「2017年9月27日ズミクロン35㎜F2の新大阪」2 生きる!!


約1年前から毎晩半身浴を続けています。
最初は半時間でしたが、今はきっかり1時間。
どれほどの効果があるかは分かりませんが、
体に良いことだけは間違いがないと信じて、続けています。
もともと寝付きがよく、熟睡できる質でしたが、
ますます好転しています。
睡眠が毎夜例外なくサドンデス風で、瞬時に就眠。
毎夜、1から3回トイレに立ちますが、
それも突然目覚め、寝床に戻ると、瞬時に就眠。
水素吸入と半身浴の効果が現れている、
私はそう信じています。

さて、昨夜、半身浴を楽しんでいたときのこと、
ふっと、昔指導していただいた大先輩のことを思い出しました。
頭脳明晰、熟考果断をもってなり、稀に見る逸材とうたわれた人。
人の話を聴くときは、しっかり目を閉じて、全身耳にするのです。
こうなると、いい加減なことはできなくなりますよ。
(ちなみに、私はじっと目を見続けます。
私はこちらの方が好みですね。
表情の微妙な変化を読み取れます。
それだけ、私に聴く力がないせいでしょう。)

若い頃からスキーを楽しんできました。
その切っ掛けは、若い頃の出来事。
60歳ほどの大先輩と温泉に入ったのです。
その大先輩の太ももを見て、びっくりしたのです。
細かった。
そして、考えました、
これじゃいけない、
体が全然できていない。
大きな仕事をできる人ではない!

そこで、彼はスキーを始めたのです。
名案を思いつきました。
夏は縁側に新聞を敷いて、その上に載ってターンの練習。
その後、高松宮だったと思いますが、
皇族が視察に見えて懇談した機会に、スキーの話題になり、
その場で、フロアに新聞を敷いて、
実地にやってみせたという逸話の持ち主です。

私が指導を受けたのは、彼が40過ぎのころのことですが、
たしかに見事な太ももの精悍そのものの風貌、身体つきでした。
顔の表情の動きも歩き方もまさにキビキビした人でした。
私はその当時は、毎週撮影に出るほかは、運動など無縁で、
仕事と読書と音楽鑑賞と、完全な書斎の虫でした。
でも、かなり年配になってから、
なんだか膝がカクカクと固くなってきた感じがして、
ふっと、いきなり、自分も立派な太ももにならなきゃ、
そう決意しました。

決意を不動のものにしてくれたのもまた、上記の先輩でした。
というのは、彼は、私が会って以来、
声望にふさわしく活躍したのですが、たった50歳で、
突然、直腸がんで世を去ってしまったのです。
惜しまれつつの、まさに夭折でした。
家族、友人、後輩たちが追悼本2巻を編纂しました。
誰からも慕われ、尊敬された人物の風貌が浮かび上がる、
あたたかい追悼文集でした。

これを読んで、彼のことを偲んで、考えました。
一旦ガンが体内で育ち始めたら、身体を鍛えていても、
ガンそのものを退治することは無理だろう。
でも、ガンと戦う体力はあればあるほど良いだろうし、
頑健になればなるほど、
健康を維持するエネルギーも増大するだろう。

それ以来、さまざまな健康法、体力増強法を採りいれ、
始めたものは止めることなく、現在まで続け、
幸い、大きな病気にもかからずにきました。
おそらく現在が私の体力の頂点でしょう。
でも、この頂点をできるだけ長く続けたいものです。

揚琴は楽器ですが、運動法にもなります。
グーグルで検索していただければ、形が分かります。
幅70㎝、奥行き50㎝の盤上に張られた百数十本の弦。
その5オクターブ近い音階を瞬間移動でスティックを走らせて、
細かいトレモロを刻みながら演奏する性質上、
私の腕、指の敏捷性は猛烈に増強されました。
目の前で何かがどこかから落ちようとしたら、
気がついたらちゃんと受け止めてしまい、
ほとんど取り落とすことがない、
という芸当もできるようになっています。

でも、「107歳 生きるならきれいに生きよう」という本を書かれた、
声楽家、嘉納愛子さんも、調べてみますと、
109歳で老衰のためにお亡くなりになっていました。
このあたりが人間の寿命の限界なのでしょう。
それは当然です。
どんな生物もいつかは必ず死にます。
そうでないと、地球が生き物で一杯になってしまいます。
大切なことは、
生きている限り、自分一人でやりたいことを楽しめる人生!

嘉納愛子さんほど生きるとしたら、
私たちの人生はまだまだ気が遠くなるほど長いですね!
そして、自分がそこまで生きるか、否か?
これは神のみぞ知るです。
ならば、そこまで生きるつもりで生きなきゃ!
そこまで生きるつもりで、人生を設計しなきゃ!

肝心なことは、いつ死んでも、
ああ、良い人生だった、そう心からつぶやける、
そんな生き方を続けること!
お互いにがんばりましょう。





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# by hologon158 | 2018-02-03 22:54 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

715.01 ホロゴン外傅220「2017年9月27日ズミクロン35㎜F2の新大阪」1 私のブログの独裁者


今、春日大社国宝殿の展示は、
「伝説の名刀たち」
観覧してはいません。
ただ、パンフレットもどこかでもらっただけ。
神殿秘蔵、あるいは、
春日大社の御神刀を製作してきた刀工、月山家秘蔵の
平安、鎌倉期の名刀たち。
国宝が6つ、重文が7つ、というのですから、壮観でしょう。

おもしろいことを思い出しました。
韓流ドラマの時代劇をいくつか見ました。
そんなに多くではありません。
韓流ドラマの時代劇はたいていの場合宮廷内に渦巻く陰謀の顛末。
忠臣たちは裏切りによって倒され、
悪臣は横暴、専横の限りを尽くしますが、
本来王位を継ぐべき王子は、悲運を耐えに耐え続けますが、
最後には、悪臣を倒し、王位と愛する女性を手に入れる、
というような筋立て。
つまり、物語の大半はこれでもかこれでもかの横暴、悲劇の連続。
かなり疲れます。

その間に、私の子供の頃よく口にしていた、
「チャンチャンバラバラ砂ぼこり」の剣劇が展開します。
日本の時代劇のような一撃必殺の瞬間技ではなく、
華麗な舞のような立ち回りです。
そんなとき、剣士たちは左手に携えた剣の鞘を払うと、
鞘を地面にポーンと放り出します。

これが私にはよく分からないのです。
たいてい装飾のない黒鞘のようです。
戦いが終わると、勝利した剣士は自分の鞘を探さなければなりません。
でも、何人も入り乱れての乱闘の場には、
いくつもの鞘が散乱しているはずです。
韓流ドラマの剣も日本刀に似て反りがあります。
まさか完全に同一規格ではないでしょうから、
自分の剣がぴたりと収まる、自分の鞘を探さなければなりません。
戦闘が終わって、平安のときがあっても、これは面倒な作業。
でも、たいていは自分の鞘を探している暇なんかないはずです。

また、武運拙く敗走を余儀なくされたりすると、もっと厄介。
その都度、無事逃げ延びても、当分鞘なしで過ごさなければならない。
大和武士たちのように、
剣帯で吊したり、腰帯に差し込んだりしておけば、
そんな不便はなかったのでは?
そんな疑問が浮かんでしまいます。

もちろん、華麗な立ち回りのためには、
腰に鞘があると、どうしても邪魔になる、
という不便を考えてのことでしょうけど、
ならば、せめて、鞘に様々に装飾、色彩を施して、
戦闘後見つけやすいようにしたら、どうなかな?
などと、余計な心配をさせられます。

日本刀の場合、立ち回りに邪魔のなる鞘を腰に残した理由は、
瞬時に滑らかに抜けるかどうかが一瞬の勝負を分ける、
ということがあるのかもしれませんね。
居合い抜きがその典型ですが、
鞘から抜く動作がきわめて重要な修練の対象とされたのでしょう。
「抜く手を見せず」という言葉は日本にしかないのかもしれません。
日本刀も昔は直刀だったようです。
それが段々と「反り」の工夫を凝らすようになったのも、
鞘から瞬時に抜くための秘訣だったのかもしれませんね。
日本刀のことも剣道のこともまったく無知な私ですから、すべて頭の体操。
おそらく、すべて私の根拠のないあて推量にすぎないのでしょう。

でも、春日大社の日本刀展のパンフレットの数本の名刀が
それぞれに微妙そのものの美しいカーブを描くのを見ながら、
この記事を書いていると、
なんだか自ずから上記のような考えが湧いて出ました。

幾度も書いてきましたが、
私はブログ記事の冒頭にたいてい長い文章を掲載しています。
これすべて私の指先から流れ出た妄想!
そうお考えくださいね。
すべて頭の体操。

50歳のころ決意したことがあります。
「老境に入っても、
絶対に心身とも衰えないぞ!」
もちろんそんなことは不可能です。
でも、女性ではありますが、
100歳を超えても現役で活躍している方もおいでになります。
嘉納愛子さん、篠田桃紅さんのお書きになった本を読みますと、
お二人ともそれなりに大病にかからなかったわけではない。
そうした苦境を克服して、それぞれに努力してこられたのです。
それならば、私だって、努力してみよう。

私は神様のこともよく書きますが、
究極のところ、完全な無神論者です。
だから、神頼みをするわけには参りません。
そして、私の人生はたった一回限り、
死ねば、私は宇宙の組成物質に戻る、
そう確信していますから、
この一生をなにがなんでも大切に生き通したい。

そのためには、惚ける訳にいかず、体力を衰えさせるわけにはいきません。
私はとても不器用な人間です。
だから、信じたいこと、それは、
「千里の道は一歩から」
「継続は力なり」
そこで考え出し、実行してきたことが少なくとも10はあります。
いったん始めたら、やめません。
たとえば、妻を愛するようになって、××年!
やめない。

もう少し単純なことでは、
写真を始めて、原則として、毎週撮影に出るようになって、
40年を超えました。
どんなに仕事が激務であっても、
仕事よりもまず遊ぶことを優先させました。
夏休みには必ず旅行をしました。
心を込めて遊べるから、心を込めて仕事もできる。
体力あればこそ、精神力がある。
そんな風に信じて生きてきました。
だから、精神が疲れることが今までほとんどありませんでした。

そんな私が2008年8月に始めたブログは大成功でした。
人気を博したからではありません。
1年経っても、ほとんど人は来ませんでした。
だから、それ以来、アクセス数チェックはきっぱり絶ち、
完全に日記として続けてきました。
そうすると、どんなことでも思う存分書けます。
オリバー・ウェンデル・ホームズ博士が、
たしか「朝の食卓の独裁者」という随筆を書いています。
私は「私のブログの独裁者」というわけです。

このブログこそ、私の心の体操道具。
そして、私の随想、思いつきの倉庫。
そして、怖いことですが、
もしかしたら、私の精神の健康度のバロメーター。
なにも書くことがなくなったら、
私はアウト、ということでしょうね。



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# by hologon158 | 2018-01-30 22:31 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

714.05 ホロゴン外傅219「2017年9月25日バルター50mmf2.3の奈良町は?」5-完-分からなくても



1月23日火曜日午後、
久しぶりに外出できました。
バッグに三種の神器を忍ばせました。
  ホロゴン15mmF8U付きソニーα7
  ポメラ
  ソニー・ウォークマン

どれも内蔵、外装の電池駆動なので、携帯には便利。
電池がなくなれば、使いものにならないのは不便。
でも、この世の中、便利な品のほとんどが
なにかしら電気に頼っているのですから、
良きにつけ悪しきにつけ、現代はまさに電子時代ですね。

バスを乗り継いで、市内循環バス停八軒町で下車。
所用をすませて、喫茶店で休憩。
35分ほどで86枚の収穫ですから、まずまず。

小雨が終わり、陽光が射して、
寒いけど、まずまずの陽気。
喫茶店のテレビでは、関東地方が大雪とのこと。
娘婿が都心への通勤に苦労しただろうな、
と、実にプライベートな感想しか浮かびません。
あほな首相や大統領がなにをしようがしまいが、
私にはどうしようもないので、心を痛めるのは、ヤメ!
世界がどうなろうと、知ったことか、という心境。

予期せぬ震災を予告する不穏な自然現象が、
日本列島のあちこちに頻発しているようです。
でも、こうした情報に接しておいても、
災害を未然に防ぐことには繋がらず、
予期した災害が発生したとしても、
生存のために役立つ物資など予測不能。
第1、マスコミが現実に起こった災害を予告、予知したケースが
これまで何件あったでしょうか?
こんな風に考えますと、さまざまな災害関連ニュースで、
絶えず心を痛めても、あまり人生にプラスにはなりそうにない。

でも、よくよく考えてみますと、
私のような一般大衆、人民が平安と平和を楽しめた日は、
歴史上、きわめて少ないのです。
人民のために真実に心を砕き、
その平和施策が成功した時代を築いた為政者もまたほとんど居ません。

さらに踏み込んで考えると、
私たちの人生って、酸いも甘いも全部引き受けて、前向きに生きたければ、
これと同じスタンスで鷹揚に構えるほかはないのではありませんか?
全部自分でコントロールしたいという人にとって、
ままならぬことが多く、人生は苦渋に満ちたものになるでしょう。
私がいつも考えることは、
どんなに苦しいこと、いやなこと、100パーセント、マイナスな出来事も、
その向こうに待っているプラスの出来事、
楽しいこと、うれしいこと、心を満たすことへのステップかも知れません。

自分ですべてをコントロールしようったって、できっこないし、
コントロールしたときだけ、プラスの結果を導き出せた、
そんなことを自信を持って言える人は
ほとんど居ないのではないでしょうか?
偶然に助けられ、人に助けられ、悪運に運ばれて、
幸せな結果に恵まれる、
それが人間社会の醍醐味であり、
人と共に生きる大切さの基盤、理由、意味なのではないでしょうか?

私など、ほとんど全部、周囲の人に「オンブに抱っこしてもらって」生きてきた、
そんな感じさえします。
これからも、オンブに抱っこしてもらって、
気楽に生きることにしましょう。

このあたりの楽しみ方、ホロゴン撮影とそっくり。
歩く速度で路傍光景がちらっと目に留まった瞬間に、
そちらに向かって両手の先にホールドしたホロゴンをぐっと伸ばして、
ノーファインダーでさっといただいてしまうだけ。
15mm超広角なのですから、
どう撮れるか、まったく予測不能なのに、
撮れた写真を見ると、「ああ、僕が撮りたかったロボグラフィがこれなんだ!」
と分かるような感じがして、胸を熱くできます。

段々と寒くなってきました。
でも、モンベルの軽いダウンジャケットに、
ネックウォーマー(と呼ぶのでしょうか?)、
毛糸のキャップで、完璧に防寒でき、
ホロゴンのロボグラフィ撮影は絶好調でした。

喫茶店の女主人から尋ねられました、
「写真家ですか?」
「とんでもない。
写真が好きで、たくさん撮っているだけですよ」

もちろん本職だなんて間違えっこないのですから、
「アマチュア写真家ですか」という意味ですが、
私にしてみれば、「とんでもない」というところです。
どんな写真家でも、目標は「傑作を!」でしょう。
そのために一喜一憂しておられるでしょう。
私は、そのような境地とが完全に異質な、
ひたすら楽しむ「一喜一喜、どこまでも一喜」の心境。
写真作品を作る、シャッターチャンスを逃さない、
なんていう境地は、私とは無縁。
ただただ、出会いを喜ぶだけ。
どこかに「喜び組」なんて集団がいましたね?
私は別な意味で、この組ですね。

ときどき、「ホロゴン マリリン・モンロー」とか、
「ホロゴン チェ・ジウ」でグーグル画像検索してみます。
ほとんど全部私のロボグラフィが何十枚、どきには何百枚か並びます。
ホロゴン以外のレンズで撮った写真もいっぱい混じっています。
文章内の語句で検索するからでしょう。
でも、その文章の記事の平均30枚の写真全部がピックアップされるのではなく、
なぜか1枚だけピックアップされるようです。
脈絡なく出現するので、
これは何だ? 
どこで撮った分だ?
と、自分でも戸惑うことがよくあります。
それがまた面白い。

そうは言っても、ただの地べた写真ですから、
どなたにも面白くもなんともない、意味不明のイメージばかりでしょう。
それが自分でもよく分かります。
私自身だって、意味不明のことが多いのですから。
そうすると、私はうれしくなってしまうのです。
自分で分かろうが分かるまいが、
全部、私だけのもの!



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# by hologon158 | 2018-01-25 22:44 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

714.04 ホロゴン外傅219「2017年9月25日バルター50mmf2.3の奈良町は?」4 記憶


先週金曜日、私の孫の最年長6歳の孫プリンスのピアノレッスン。
月に1、2回付き添いします。
その行き帰りのおしゃべりが楽しい。
以前、保育園のクラス29人全員の誕生日を列挙してくれて、さらに
年少の3年3クラスの全員の誕生日も覚えていると報告しました。
そのとき強く印象に残った言葉。
「なぜそんなことを覚えているの?」という質問に対する答え。
「覚えておかなきゃならないことは覚えるの!」

今回はその連続のような記憶のお話。
保育園卒園にあたり、親子同伴の食事会を計画中だそうです。
孫プリンス曰く、
「まだ4人は参加するかどうか決まっていないの。
その内、...ちゃんは兄弟が4人居て、上の小学2年生のお姉ちゃんが、
...(失念)に出る予定ができそうなので、どちらにするか、
まだ決まっていないんだって。」
「参加が決まっているのは何人なの?」
「えーーと、...ちゃん、...ちゃん、...ちゃん、それから、
(と、後は口に出さないで、指折り数えて、)18人だよ」
「じゃ、残りの人は?」
「...ちゃん、...ちゃん、...ちゃん、(と、また指折り数え)
7人だよ。」
人数だけではなく、全員の出欠を記憶しています。

先生だって、ノートを見ないと、分からないのじゃないかな?
私なんか、そんなことを気にしたことがないので、ただただ驚き。
私は、自慢じゃないけど、子供の頃からずっと並みの頭でした。
覚えなくてもよいことはなぜか覚え、
覚えなければならないことは、不思議に、記憶できませんでした。
義務となると、途端に頭が働かなくなる人間でした。
このような人間には、孫の記憶力は不思議。

孫プリンスがどういう気持ちから、
クラスメートのデータを一々記憶するのか、
私には見当もつきませんが、将来何かに役に立てばよいのですが。

5歳の頃ですが、
恐竜が好きになると、百科事典を8冊手に入れて、
100以上の恐竜たちの名前、生存の時代、植物食か肉食かの区別、
体長その他の特徴を全部自分で百科事典を読んで記憶しました。
とにかく名前等の名称を網羅的に覚えるのが大好き。
近頃は阪神タイガースの選手たちのデータを覚え、
バットの振り方を覚えました。
恐竜のときは、平仮名を使って、カタカナを覚え、
阪神選手については、漢字も覚えつつあります。
どちらも書物を読んで記憶を蓄える方式。

そこで、思うのですが、子供たちの教育も、
「面白いから、興味があるから、覚える」というような学習方式を
どんどん採用してほしいものです。

ナポレオンのことを思い出します。
エルバ島から帰国して、ワーテルローの戦いに臨む前に、
何年ぶりかで参集した近衛兵たちを閲兵して、
古参兵たちを名指しで呼びかけて、感激させました。

我が孫もナポレオンも意識的に努めて記憶するのではないようで、
すっと頭に収まるのでしょう。
父親にその話をすると、彼、苦笑して、
「好きなことしか覚えないんですよ。
興味ないことは全然覚えません。
それで、困ってます」
まあ、そんなものでしょう。
人生で大切なことが、丁度彼の記憶したいことである、
そんな風に幸運に合致してくれることを祈るばかりですね。          




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# by hologon158 | 2018-01-24 17:02 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

714.03 ホロゴン外傅219「2017年9月25日バルター50mmf2.3の奈良町は?」3 後門の狐 


1月20日土曜日、
新大阪ココプラザで、劉継紅先生の二胡レッスンでした。

先生、私を見て開口一番、
「やせましたね、
ちょっとほっそりしてる!」
ここ3ヶ月の苦労が身にしみています。
レッスンでさらにやせました。

二胡という楽器、誰かが、世界で一番難しい、と言いました。
小手先でちょいちょい、とは行きません。
全身が協同動作となるように、
各部位をさまざまに動かさなければならない。
ヴァイオリン奏者だと、なまじヴァイオリンに似ているために、
ヴァイオリン奏法が邪魔して、二胡の音にならない。

右手は弓を左右に水平に動かしますが、
これもさまざまに螺旋を描いたり、回転したり。
その間、左手は弦を押さえつつ、その肩は背後にふんわりと旋回し、
肩胛骨は肩胛骨で、さまざまに回転させなければなりません。
そして、腰もお尻も旋回させなければなりません。
しかも、これら全身が適切に連動しなければ、
美しい音など出ません。

でも、日本人は体を柔軟に動かすことなど経験したことがない民族。
日本人は、江戸時代など、背筋を伸ばして正座し、
小揺るぎもしない、なんて、姿勢の正しさを身上としてきました。
二胡演奏家に一番向かない生活だったかも知れません。
私なども、江戸時代さながらに硬直した姿勢で生きて来ました。
とてもおいそれと二胡にふさわしい動きなどできません。

二胡演奏家の陳少林先生がしみじみと曰く、
「二胡を教えはじめて何年かは、
生徒さんはほんとに二胡がうまくなりたいと考えて受講している、
そう思ってました。
でも、何年か経つと、そうではないことに気づきました。
曲がりなりにも、そこそこに弾けるようになって、
自分の弾きたい曲を楽しく弾ければよい、というだけ」

私も、揚琴は本気できちんと弾けるようになりたい、
そう志して、本格的な修行というつもりで勉強してきました。
でも、二胡は、いわば妻のお相伴で始めたものですし、
常々、猛烈に難しいことは知っていたので、
まさしくどんなに下手でもなんとか好きな曲を弾ければ、という程度。

でも、劉継紅先生は違います。
そもそも日本に二胡を教えたいとお考えになって来日された方で、
類まれなる心身エネルギーの持ち主。
丸々2年間、まるで見込みのない私に向かって、
精力的に正式の二胡演奏のための訓練を行ってこられました。
徒労なんですけどねえ。

私が今受けているのは、もう一人の生徒さんと共同レッスン。
その女性がおっしゃってました。
「太極拳を習っています。
劉継紅先生のおっしゃることはほとんど太極拳と一緒なんですよ」
道理で、私より遙かに柔軟にこなして行かれるわけだ!

妻からは、以前に宣告されています。
「あなたはもうじき個人授業に戻ることになるよ。
二人の生徒のレベルが違いすぎ。
もうすぐあなたがついていけなくなる。
でも、あなたと組み合わせて共同レッスンを受ける初心者なんて、
当分現れないだろうから」
やれやれ。
風前の灯火、というところですね。

ちなみに、多くの人気の高い指導者の教育法はかなり違います。
いわば、欠陥には目をつぶり、良いところを伸ばそうと努める。
自己責任の原則で、やりたい曲をどんどん教えてあげる。
そして、褒め殺し!
みすみす「井の中の蛙」を製産する方法です。
ああ、そんな先生に付くのもバカらしい。
「前門の狼、後門の狐」状態。

やれやれ。



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# by hologon158 | 2018-01-21 23:56 | ホロゴン画帖 | Comments(0)

714.02 ホロゴン外傅219「2017年9月25日バルター50mmf2.3の奈良町は?」2 単なるメモ


今回の写真の多くは、奈良町十輪院近く、
私のお気に入りの喫茶店、
「チャポロ」(おうち雑貨カフェ)の店内風景。

この店内ロボグラフィをご主人のお許しを得て、よく撮ります。
今回の写真の中に、「ピエタ」像の写真(画集の一頁)があります。
私はこの「ピエタ」像がどこにあるものか、知りません。
楚々とした風情があって、表情、傾きがとてもやさしく、
かなりの名作なんだろうと思います。
その写真を観ているうちに、はっと気づきました。
私のロボグラフィと美術写真とは全然違う!

私はキリスト教の造形美術はまったく不案内ですが、
もし知っていたら、さっと気づくでしょう、
「ああ、あの教会のピエタだ!」
写真家はそのような導き、認識、想起を起こすように、
あるがままの姿を写真に写し取ろうとします。

ロボグラフィは違います。
そのような導き、認識、想起を起こさないで、
そのものが私の感じる別の異形を自分の記憶に止める、
これがロボグラフィの目標です。
ロボグラフィたちは、その場にあって、その瞬間だけ、
私に向かって、独特の表情、眼差しで挨拶をするのです。

試しに、もしお時間が余っていれば、
「ホロゴン ロボグラフィ」でグーグル画像検索して下さい。
数百枚の暗い写真が並びますが、ほとんどが私のロボグラフィ。
どこで撮ったか、なんてことはほとんど意味を成しません。
私とその場との出会いを現す写真、
私がその場、そのロボグラフィたちにどう感じたかを、
私だけが想起できる記録写真、それが私のロボグラフィ。
私以外の人にはほとんどなんの意味もないメモ。
道理で誰も関心を持たないわけです。




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# by hologon158 | 2018-01-18 22:19 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

714.01 ホロゴン外傅219「2017年9月25日バルター50mmf2.3の奈良町は?」1 落ち穂拾い



2018年1月になって、まだ昨年9月の撮影分を掲載しています。
供給過剰の冷蔵庫のような状態。
でも、私としては、可愛いレンズたちの手前、
置いてけぼりするわけにもいきません。
律儀にとぼとぼ可愛いレンズたちの足取りをたどる、
これしかありませんね。

ボシュロムのバルター50mmf2.3、
使う度に感じるのはいつも一緒、
このレンズ、律儀だなあ!
なにか突出した特徴を備えることがレンズの身上であり、
使い手の願いであるとすれば、このレンズ、
たとえば、同時代のスピードパンクロに一歩も二歩も譲ります。
でも、しみじみとした味わいをじんわり感じたい人には、
バルター50mmf2.3は最右翼かも知れません。

そんなバルター50mmf2.3の使いどころに、
路傍の落ち穂拾い一点張りのロボグラフィを持ってくる、
これは正しい選択じゃないかな、そう私は考えます。

ロボグラフィなんて、写真のジャンルではありません。
私のただの造語。
誰にも目に留めてもらわないまま、
路上、路端で塵芥と化す運命にあるがらくたたちに、
なにかしら共感を感じるのはなぜでしょうね?
とにかく写真を始めてから、私はそうでした。

「神は細部に宿る」
という言葉があります。
私はこの言葉が好きです。
ネットで意味を探索してみますと、
ピクシブ百科事典では、
「本当に素晴らしい技術やこだわりとは、一見して分かりにくい」
私が思うに、
「ものにせよ、人にせよ、組織にせよ、オーガニズムにせよ、
細部がしっかりと仕上げられてこそ、全体が活きてくる」
こんな感じでしょうか?

街、ストリート、路地がこの実例を提供してくれます。
目に見えない片隅を大切にケアしているストリートは、
歩いていても、気持ちがよいものです。
生活感が隅々に行き届いているからこそ、街路が活きてくるのです。
そんな隅々に焦点を当てるのがロボグラフィ、というわけです。




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# by hologon158 | 2018-01-17 21:39 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

713.05 ホロゴン外傅218「2017年9月5日エクター50㎜F1.9で高畑町一巡」5-完-私の美


よく想像してみることがあります。
この宇宙の今、この瞬間に、全宇宙に、
地球のような文明社会が幾つ栄えているんだろうか?

全宇宙に共通する「今」があるかどうかもしりませんが、
仮にあるとして、
おそらく何億、何十億、あるいは何百億の単位で数えられる!
私はそう信じています。

以前は、地球は奇跡的、例外的な惑星であるという説が有力でした。
人類は奇跡中の奇跡、というわけです。
でも、奇跡を信じるよりも、「ゴキブリの論理」を信じる方が簡単かつ確実です。
「ゴキブリが一匹見つかれば、あなたの家には三十匹はいるはず」

近頃、人類のものならず人工物があちこちの惑星に見つかり、
月面や火星にも人工物が続々発見されています。
近場でもそうなら、無限数に近い宇宙全体の中に限りなく生命が、文明が存在する、
そう考えるのが極めて自然です。

昔、人類の諸文明の諸宗教は、この地球の自分たちこそ、
宇宙を統べる神、あるいは神々のみそなわすただ一つの存在である、
そう信じていました。
でも、それはとんだ勘違いだと分かってしまいました。
人類なる存在は、宇宙創造後何十億年も経過した後に、
宇宙に存在する数限りない星の一つに進化して、たった数万年!
幸か不幸か、地球上のほとんどの生物種を押しのけて、
地球上の種の世界に君臨する種となりました。
でも、恐るべき環境破壊を繰り返したにもかかわらず、
地球を自分たちの生存にふさわしい環境にすることもできず、
地球上に発生するさまざまな天災地変に翻弄されるばかりで、
地球そのものを支配できる可能性などまったくない有様。

でも、私が書きたいことは、ちょっと別。
全宇宙にそれぞれに繁栄を極めている諸文明ごとに、
全然別の美、別の美の基準、別の美的感覚が育っているでしょう。
まさに、所変われば品変わる、です。
人間でさえ、時代、文明、文化、環境が変わるだけで、
まったく異種独特の美的感覚、美的基準が育つのですから。

そうした異世界の美を、芸術を味わってみたい、
そうは思いませんね。
どうやら、私はそこまで好奇心の強い人間ではないようです。
私が味わいたいのは、
私が心から喜べ、心から心を奪われる美だけ。

ところが、私が味わいたい美も、
時により、気分により、異種さまざまなものが浮かび上がります。
私が美しいと感じるものには、
人が美しいと感じないものだってあります。
人が美しいと感じるものを、私がそう感じないこともあります。
まるで「美」とは変幻自在の形相のようです。

手近で言えば、私がブログに掲載する写真のほとんどが、
私にとっては「私の美のカタログ」。
でも、たいていの方は、どこが美しい?
ちっとも美しいとは思えない、そうおっしゃるでしょう。
これは不思議でもなんでもありません。
1万人が居れば、1万の異なる美があるとさえ言ってよいでしょう。

今回も、エクター50㎜F1.9が私にさまざまの美を見つけてくれました。
どうやら私は混沌とした形の乱舞に美を感じることが多いようです。
今回の写真たちは、エクターが見つけてくれた美。
地味で、平凡な形の連続と、人の目には映るでしょう。
そんなものでも私には美しい、
そう感じることが私の生き甲斐、生きる糧、そう言えそうです。


こんな風に書くことで、
私は、自分が独創的だと言いたいわけではありません。
むしろ逆。
誰だって、そうなのだ、そう言いたいのです。
だからこそ、写真について言えば、
写真家として、人に感銘を与える写真作品を作ることは、
大変に難しいことなのでしょう。

だから、ブログって、私にとって大きな存在価値があるのです。
人が美と思えないようなものを堂々と陳列できて、
誰も文句を言わないスペースって、他にあまりないのでは?




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# by hologon158 | 2018-01-16 17:01 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

713.04 ホロゴン外傅218「2017年9月5日エクター50㎜F1.9で高畑町一巡」4 生きる意味


前回、古今亭志ん朝が63歳で世を去ったことを惜しむ文章を書きました。
年齢と人生の重みとの関係を思わず考えてみました。
ネットで有名人の訃報に接することがかなりあります。
一番気になるのは、たいてい私より年下。
有名人には多忙、過労に起因する疾病もあるでしょう。
さまざまな精神的労苦からの疲弊もあるでしょう。
有名人に限らず、20代、30代の夭折もたまにあるようです。

そこで、一つの疑問が浮かびあがります。
寿命を全うしない短命は、早すぎる死なのか?
ちょっと考えてみましょう。

「早すぎる」というのは、どういう意味なのでしょう?
自然的な寿命に照らして、という意味ではありませんね。
物故者の才能の十分な開花を待たずに、
あるいは、その人の生活圏の中でその人に課せられた使命を
十分全うしないで、という意味ですね。

そんな風に考えると、実のところ、
どんな人間も、早すぎる死を迎える運命にあるとも言えそうです。
私なども、才能は別になにもありませんが、
家庭の中で果たすべき責務はどんな年齢になってもなくならないでしょうから。

もっとも長生きをしたからと言って、
人生の価値を高めているというわけでもないでしょう。
そもそも人間にとって、生きたと言えるに値する人生を送らなければならない、
という使命があるわけでもありませんね。
遺伝子にそんな使命がそれぞれ組み込まれているわけではありません。
人間の社会が進むにつれて生まれてきた価値の一つ。
でも、人間に、生きるに値すると自他いずれかが、もしくは、
自他共に認める人生を送るべき使命が備わっているわけでもありませんね。

たとえば、古今亭志ん朝がさらに長生きをして、
父志ん生ほどの寿命を保ったら、どんな落語家になったか?
私たちが考えるのは自由ですが、
志ん朝さんに言わせれば、そんなの余計なお世話だ、
ってことになるでしょう。
彼が自分の人生をどう考えながら世を去ったか、
こんなことは誰にも分からないのですから。
むしろ、やるべきこと、やりたいことは十二分にやり尽くしたと、
満たされた気持ちで世を去ったかも知れませんし、
そちらの可能性の方が高い感じがします。

人間国宝になれなかったって?
あの世に持っていけない名誉を受けて、
なんの足しになるんだい?
へっ、笑わせやがる!

よくよく考えてみますと、
人間の人生を比較できるなんてことはありませんね。
人はそれぞれに他の人間と比べることのできない、
そして、比べる必要のない人生を送っている、
そう考えるべきです。

生涯の収支決算なんてありえません。
そんなことは誰にもできません。
なぜなら、神ならぬ身である私たちは、
自分以外の人間の人生を、評価できるほどの資料、眼力、鑑定眼など、
誰一人持っていないからです。

一例を挙げましょう。
古代アテーナイのソクラテスの行動、思考、人生を
プラトンとクセノフォンが書き残さなかったら、
誰もソクラテスのことなど知るよしもなかったのです。
ひいては、私たち人間が一人一人、その存在、人生により、
人類の思考の深化、文化に貢献しているかもしれません。
だとすると、知られているデータだけで人間を比較し、
その人の人生の価値、意味を値踏みするなんて、
無意味、有害ではないでしょうか?

そもそも死というのは初手から不条理なものです。
どなたもそうでしょうけど、
さまざまなジャンルでさまざまなすばらしい人たちの業績や人生に接して、
日々励ましてもらうのが私たちの人生ですね。
私など、グレン・グールドやマルタ・アルゲリチやジャクリーヌ・デュプレ
といった偉大な音楽家の演奏を数知れず聴いて、
励まされ、刺激を与えられてきたことか?
絵画、映画、映書物等を通じて、
数知れぬ偉大な人々の存在が私の人生に生きる意味を
計り知れず与えてくれてことか?
そうして得られたエネルギーを自分の身近な人たちとともに生きる指針、
エネルギー源、意味を生み出す一助になっています。

でも、そのような恩人たちの大半がこの世にはいない!
つまり、これまでの歴史、現代、そして未来への希望が一体となった
時空の広大なエリアこそ、私たちが生きる世界なのです。
そのように考えると、わくわくするではありませんか?
もしかすると、いかなる存在も忘れられることはない、
意識のレベルで気づくことだけが記憶ではない、
生きる基盤を提供してくれるのは、過去の世界全体なのだ、
私たちもすでに自分の前半生で貢献しつつあるのだ、
そう考えたいものですね。

このように考えますと、はかなく夭折した天才たちの貢献を、
しぶとく長生きした天才たちの貢献と比較することなどできない、
大切なことは貢献の質にある、そう考えることができそうですね。




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# by hologon158 | 2018-01-13 23:40 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

713.03 ホロゴン外傅218「2017年9月5日エクター50㎜F1.9で高畑町一巡」3 古今亭志ん朝


近頃、Youtubeで落語を楽しんできました。
まず、立川志の輔が気に入って、かなり聞きました。
威勢の良い胴間声で、ポンポンとキップのよい語りを聞かせてくれます。
この人の語りの後では、
他の落語家の語りがなんだかカッタルい感じがしてしまいます。

でも、古今亭志ん生の語りを聞くと、
たっぷりとった間合いがなんとも粋で、味わいが深く、しびれます。
このような巨人の前では、志の輔が小僧っ子に見えるのですから、
芸の奥深さは果てしがないようです。

思い出しました。
そう言えば、志ん生の2番目の息子の志ん朝って、
キップの良い声だった!
そこで、Youtubeで探してみました。
聞いてみて、仰天!
ああ、この人は天才だった!
今、そこで語りが生まれてくるように自然で、エネルギー一杯。

ネットで調べてみました。
2001年に63歳で世を去っていました。
なぜか受賞歴も乏しく、人間国宝にならず仕舞だった!
悲しいですね。
私は落語のことなどまったく無知なのですが、
また、落語界のことなどまったく無知なのですが、
円生、志ん生の世代に続く後代の落語の中では、
人間国宝の落語家たちも含めて、
この人の至芸に及ぶ人はあまり居ないのじゃないかな?
そんな気さえします。

夭折とは言いがたいでしょうけど、
志ん朝がいかに天才であったと言っても、
完全に熟するときを待たずに世を去ったことが悔しい、
そんな感じがします。
ちょっと49歳で世を去ったグールドを思い出させます。



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# by hologon158 | 2018-01-11 23:46 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

713.02 ホロゴン外傅218「2017年9月5日エクター50㎜F1.9で高畑町一巡」2 ピッピ御難


時代は変わるものですね。
実は久しぶりに中山獣医科に受診しました。
20数年ご厄介になっている、奈良ではトップクラスの医院です。 
長男のピッピ(猫ですが)が突然動きが鈍くなったのです。
食欲はあり、便秘でもなく、尿も出ていて、
体調はさほど問題はなさそう。
どうやら2歳半の孫娘が大好きでいつも寄り添う位置に寝そべるのですが、
孫娘それを良いことに遠慮なくまたがって遊びます。
12キロを超えているのですから、かなり重いので、
どこか痛めたのじゃないかな、と心配になったのです。
まだ4歳なのですから、身体を痛めてもらっては困ります。
これまでは病気一つしたことがないのですから、心配。

駐車場は満杯。
待合室には患者の保護者たちが数組。
年の暮れはいつも盛況なのですが、それほどでもない。
人間の病院の患者は老人だらけですが、
こちらの方は以前より患者さんが減少しているようです。
医療費がバカにならないからでしょう。
ペットの場合、医療保険をかけている人は少ないので、
医療費はバカにならないのですが、
家族の誰もそんなことは気にかけません。
子供たちはかけがえのない一家の宝なのですから。

私は車を運転しないので、タクシーを使いました。
数年ぶりです。
ひさしぶりに使ったボックスにピッピを押し込むのが大変。
これまでの兄姉たちとは段違いに大きい。
待合室には数組の先客はおおかた診察が済んだと見えて、
数分で「5号診察室」に呼ばれました。

まず体重測定。
「7.2kg!
ちょっと重すぎですよ」
次に、血液検査。
10分あたりして結果が出ました。
「どこも悪くありません。
強いて言えば、太りすぎです。
ダイエットさせてください」
ホッとしました。
これまでの兄姉たちとは比較にならないほどの重量級。
今日から、ダイエットです!

これまで我が家に居た猫たちのほとんど全員が負傷疾病の連続でした。
獣医さんに200万円ほどは間違いなく支払っています。
私の出費には厳しい監査を怠らない妻も、
子供たちの治療費は惜しげもなく財布をはたきます。
それほどに大切な子宝なのです。

受診前はなぜか体が重く、どこか疲れたように座り込んでいたピッピ、
異常なしの診断結果が分かったのでしょうか?
帰宅すると、ボックスからピョンと飛び出て、
身ごなしの軽やかなこと!




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# by hologon158 | 2018-01-08 23:28 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

713.01 ホロゴン外傅218「2017年9月5日エクター50㎜F1.9で高畑町一巡」1 エクトラ


エクトラ

なかなか魅力的な名前ですね。
ギリシア悲劇のヒロイン、エレクトラとも似た語感で、
女性の名を感じさせるところがあります。
コダックの製作したレンジファインダーカメラの雄。

触ったことがおありですか?
私は一度だけ触りました。
レンズ共々メカニカルな、ロボットを連想させる、
メカニズムの塊という感触と重さ。
魅力的なカメラです。

でも、不思議に、使いたいという気持ちを起こさせませんでした。
存在感がありすぎたのです。
欧米人の巨大な手の平になら、ふんわりとフィットしそう。
でも、手の小さな私にはあまりにもゴツ過ぎて、
手の中で駆使できる限界を遙かに超えていました。
コンタレックススーパーもそれなりに量感みなぎるカメラでした。
でも、どこか機能的な使い勝手のよい形でした。
ところが、エクトラは金属塊という感じだったのです。

でも、そのレンズたちはコダックレンズの頂点という、
雰囲気が備わっていて、エクトラがごめんだけど、
エクターレンズたちは使いたいと、食指が動きました。
幸運にも35㎜と50㎜の2本ともeBayで格安で手に入りました。
35㎜を先に手に入れ、その雄渾な描写にしびれました。

50㎜F1.9はエクトラの標準レンズです。
レンズ遍歴の掉尾に近い時期に私のもとにやってきました。
宮崎さんにライカMマウントに改造していただいたのに、
その後、私はすっかり忘れてしまったようです。
ほとんど使いもせず、ブログにも掲載しませんでした。
つまり、本ブログでは初登場のレンズです。
どうしてもっと使って来なかったか、と、
かなり悔やんでいます。



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# by hologon158 | 2018-01-05 21:46 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

712.06 ホロゴン外傅217「2017年9月21日ズマール50㎜F2中崎町巡り」6 家事と落語と



昨年11月から、家事一切をほとんど担当する毎日が続いています。
いきおい自分の趣味、楽しみの日課はほとんどできません。
撮影も1回出た切り。

そこで分かったことが一つ。
家事って、大変ですねえ!
これが在職中だったら、倒れていたでしょう。

でも、引退してみると、分かりました、
毎日、なにをするのも人生なのだ!
なにもかもが、実存主義で言う「アンガージュマン」なのです。

そして、人間に貴賤上下の区別がないのと同様、
人生においてすることにも貴賤上下の区別などない!
区別があるのか、いかにして取り組むか?
姿勢が問題。
そのように考えて来ると、
家事も趣味もその意味では変らない、そう気づきました。

とすると、いかにして家事に習熟するか?
これが問題です。
幸いにして、私は在職中から、在宅で仕事をすることも多くて、
週少なくとも2回の夕食作り、毎日の食器洗い等、
家事もかなり分担するようになっていましたから、
すでにかなりの熟練者です。
こうなると、積極的に取り組み、工夫し、修練を積むことが課題。
つまり、家事も創造的な仕事なんだ、そう思えるような工夫が必要。

家事それぞれにそんな工夫があれこれと分かってきます。
習熟すると、まさに流れるように作業することもできます。
あなた、タマネギのみじん切りやリンゴ、大根の皮むき、できますか?
リンゴの場合、包丁を動かさず、リンゴを動かすことで、
薄い皮を切らずに最後までむくことができますか?
こんなことができるようになると、楽しいものです。

でも、中には片手間で出来ることもかなりあります。
食器洗い、洗濯、掃除、布団の上げ下ろし等。
そこで、ウォークマンやiPodで音楽を聴きはじめ、
以前から聴いて来た英語の愛読書の朗読も聴き、
日本の文豪たちの朗読も楽しみ始めていたのですが、
ひょんなことで新たな分野を発見しました。
落語。
古今亭志ん生師匠にまず参ってしまいました。

さまざまな落語家の古典を聴いているうちに、
iPhoneのYouTubeでも音楽、朗読を聴くようになりました。
常用する切っ掛けはiPhoneの補助電源を見つけたことから。

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たった2000円で、iPhone6を2個携帯するのと同様の効果!
こうなると、常時、iPod代わりに使える!
YouTubeには、CD音質でバッハ、モーツァルト等の音楽が無数にあります。
さらに、朗読ファイルも!
そして、落語も!

そこで、1人、お気に入りの落語家を見つけました
立川志の輔。
語り口、スピード感、意外性、緊迫感、話題の面白さ、
あらゆる点で、これほどの人を私は知りません。
そんな志の輔の朗読ファイルもYouTubeで一杯見つかります。
ちょっと退屈だなあ、と思うような家事をするときは、
iPhoneのYouTubeで立川志の輔たちの朗読、落語を聞くことで、
その家事に専心することができます。
お試し下さい。

なんですって?
そんな楽しい落語を聞きながら家事をしたら、
どちらかがおろそかになってしまう?
あなた、どうかしてますよ。
聖徳太子じゃないのですから、
確かに幾つも同時に処理することは難しい。
でも、なにか難しい仕事をするときでも、
一つのことに専念しながら、いや、待てよ、
これに関連したなにかがあったなあ、
どうもこのひっかかりを見つけることで、
すっぱり疑問が溶けるのじゃないだろうか?

集中するとしても、そうした多重思考、複眼思考ができなけりゃ、
よい仕事はできませんよ。
あなただって、そんな体験をいろいろ重ねてきたではありませんか?
ボールに両チーム全員が群がる昔のサッカーゲームみたいじゃ、
人生、底が浅くなりますよ。




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# by hologon158 | 2018-01-03 15:11 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

712.05 ホロゴン外傅217「2017年9月21日ズマール50㎜F2中崎町巡り」5  謹賀新年


あけましておめでとうございます。

昨年も公私にわたり沢山の出来事が起こりました。
社会では、日本国内国外、面白くない出来事がほとんど。
私的には、良くないこと、良いこと、様々起こりました。
とくに最後の2ヶ月は疾風怒濤!
完全に私のプライベートライフはほとんどない状態に。
お陰で、撮影はたった1回だけ。
ただ、所用で外出した道すがらの、いわば辻斬り撮影のみ。
ブログも回数がぐっと減りました。

そこで決めました。
社会の情勢が好転することなど、まったく期待できません。
でも、私的には、良いことしか起こらないぞ、
そう固く誓いました。

以前から心に誓ってきたことがあります。
美しいものしか見ない!
今年はさらにこの方針を徹底するつもり。

まあ、なにはともあれ、
本年もよろしくお願いいたします。




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# by hologon158 | 2018-01-01 14:44 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

712.04 ホロゴン外傅217「2017年9月21日ズマール50㎜F2中崎町巡り」4 手提げ


歴史の謎の一つのお話。
まだ就職したての頃でした。
出版史上出色の美術全集「人類の美術」(新潮社)の数冊を手に入れました。
その一つが、「アッシリア」

古代の神々、最古の英雄ギルガメシュなどの壁面浮き彫りが見つかっています。
この浮き彫りの見事なモノクロームプリントに魅せられたのですが、
彼らがほぼ一様に手にハンドバックのようなものを下げているのが不思議でした。
現在に至るまでこの疑問に対する回答を知ることはできません。
最近、Youtubeで、グラハム・ハンコックの番組だったと記憶しますが、
ギョベクリ・テペ、マヤ等の古代遺跡の多くで、
このハンドバックの浮き彫りが見つかっていることを知りました。
互いに場所も時代も遠く離れているのにもかかわらず。

手にぶら下げるのですから、片手を塞いでしまう。
まさにやっかいなお荷物です。
もっと便利な運び方はいくらでも考えられるのに、
なぜ手でぶら下げているのでしょうか?
どこにも、その説明が見つからないので、
例の通り、私一人勝手の推理をしてみました。

まず、単純な推論が成立するように思われます。
手にぶら下げてこそ大切な働きをしてくれる道具なのです。

でも、何のための働きなのでしょうか?
中には何が入っているのでしょうか?
この2つの問いは、もしかすると、1つなのかもしれません。

でも、この謎を解く鍵はほとんどない状態。
手がかりとして、どんなものがあるでしょうか?

まず、たいていの場合、手に提げていること。
でも、これを使っているシーンは見つからないこと。
原則として、なにも模様はないこと(実は装飾付きもありますが)。
持ち手がかなり太いこと。

アッシリアの壁面彫刻を見ますと、
提げているのは、ギルガメッシュや、鷹の頭を持つ神のように、
いわば神話的な存在に限られるようです。
一番典型的な例として、同じ図柄が複数見つかっているのは、
鷹の頭の神です。
まだ生きている獅子を左手に抱き上げています。
当時アッシリアにはライオンがたくさん生息していたようです。
ライオン狩のシーンは神殿の壁面彫刻の中でも屈指の傑作のようです。
矢を射当てられて、大地に体を沈めるライオンたちの姿は
異常なほどにリアルで、しかも尊厳に満ちています。

これらの彫刻で推論できることが一つ。
史上屈指の軍事国家であったアッシリアには多数の芸術家が居たが、
彼らは戦士だった!
つまり、戦士たちは平和時には神殿等のモニュメントの建設に携わったのです。
なぜ、そう推理するのか?
実に簡単です。
狩猟の現場に居て、ライオンたちを実際に狩った者しか、
これほどにリアルに瀕死のライオンを再現することはできなかったでしょう。

ところで、謎のハンドバックを手にする鳥の顔の人物は、
生きたライオンを左手で軽々と抱えているではありませんか?
ライオン狩のシーンでは、戦士たちとライオンはリアルな比率で描かれていました。
ところが、鳥顔の人物は大型の犬程度に見えるライオンをひょいと抱えています。
ライオンは噛みつかず、爪を立てず、抱かれるままになっています。
まさに人間を超える存在なのです。
その右手には例の手提げをぶらさげています。
どの文明の人物も常に手提げをぶら下げているだけ。

そうすると、最初に書いた通り、結論は一つのように思われます。
こうしてぶら下げているだけで、
この手提げはちゃんと機能していた!

ホモサピエンスを大幅にしのぐ体躯、
ライオンも軽々と抱きかかえて、しかも悪さをさせない力、
人間の理解を超える道具を常用するヒューマノイド。

これらを総合すると、こうした鳥人やギルガメッシュは、
外宇宙から飛来した異星人だったのではないでしょうか?

歴史的な補強として、
このような巨大な人間の骨格は発見されておらず、
このような巨人族も有史の伝承として、残されていないことがあげられます。

Youtubeにはたまに巨人の骨格発見記事がありますが、
コンピュータグラフィックスのガセネタである危険性が大きいので、
ひとまず置きましょう。

一方、アッシリアその他の遺跡に見つかる手提げバッグの存在、
巨人を思わせる多くの彫刻の存在、
聖書、ヴェーダ、マハーバーラタ、ギリシア神話等には、
巨人が出没していること、
さらには、人間と完全に相似形の小人族も登場すること、
これらの諸点を考えますと、
有史以前や古代には、さまざまな大きさの異星人が渡来して、
人間の文明にかなり大きな影響を与えたのかも知れない、
という可能性を無視することはできない、
そんな感じがします。

昨今、古代の考古学は空前の盛況を呈しているようです。
史学の常識を完全に逸脱する遺跡がどんどん発見されています。
沖縄与那国島の海底遺跡もそうです。
東西方向に約250m、南北方向に約150m、高さは26mの、
人工物としか言いようのない巨大な石造建築物が発見されたのです。

地質学者は当初自然に形成されたものと説明していたようです。
でも、こうした場合に、地質学者は、具体的な形成プロセスを解明したり、
自然形成を証明する類似の地形を例示すべきではないでしょうか?
「節理」でグーグル画像検索してみますと、山ほど節理の地形が見つかります。
でも、沖縄与那国島の海底のような形状の人工物まがいのものはありません。

でも、ほぼ垂直水平の段差であったり、
幅90センチの直線の溝が延々と続いていること、
近くの海底にストーンサークルと思われる列石が見つかったり、
と、もはや自然形成説は成り立たないよいうです。
しかも、世界中の大陸近くの海底に遺跡がどんどん見つかりつつあります。
地質学的にも、氷河期末期に2度、温暖化へのプロセスの中で、
極冠にたまった溶水が水深にして数十mを超える膨大な津波となって放出され、
世界の海の高さを一挙に押し上げ、
沿岸平野部が海底に没した可能性を主張する学説が提起されています。
このような奔流が与那国島の遺跡を襲ったとすると、
人類の痕跡がなにも残っていないことも、むしろ当然となります。

さらには、世界中の遺跡に、解明不能の建造物が見つかりつつあります。
大ピラミッドがまずその一例です。
古代エジプト史にも先例のない完璧な巨大ピラミッドが突然出現し、
それが超精密な精度で未来あげられ、
しかも、数千年経過した今もその精度は小揺るぎもしないのですから、
驚きです。

レバノンのバールベック神殿の千トンに及ぶ巨大礎石もそうです。
近隣の石切場から運ばれたことは分かっていますが、
その石切場から神域まではでこぼこ道。
でこぼこ道を千トンの物を運搬するクレーン車など、
現代でも存在しませんね。

第一、小さく切って組み上げても、さほど強度に変わりがないのに、
大ピラミッドにせよ、バールベックにせよ、
どうして、こんな恐ろしく巨大な素材を選んだのでしょう?
その答えは簡単です。
簡単に処理できたから。
およそ古今の人類にして、そのようなことを苦もなく言えた文明は、
ないのではないでしょうか?

話はぽんぽん飛びますが、戻りましょう。
今問題となっている手提げはなんだったのでしょうか?
まず、それが道具であったことは疑いがありません。
異星人にとって欠かすことのできない何かをしてくれる道具。
例外なく手に提げていたことがヒントになるのではないでしょうか?
体に装着していたのでは使えない機能を持つツール。
でも、この手提げを持ち上げたりして使っている例はなさそうです。
常に手に提げている。
とすると、武器ではないのかも知れないと言えそうです。

じゃ、なんだったのか?
地球人の私に分かるわけがありませんね。
宇宙人の言葉と地球の言葉の双方向性自動翻訳機とか、
走査式の思考読みとり機とか...
などと考えても始まりませんね。
異星人の道具、そう考えた途端、
地球人には完全に理解不能のツールとなってしまいますね。
たとえば、蟻さんたちが現代人類を眺めて、考えるかも知れません。
やつらがいつも手に持っている小さな道具、
あれは一体なんなんだ?
分かりっこありませんね。




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# by hologon158 | 2017-12-29 17:14 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

712.03 ホロゴン外傅217「2017年9月21日ズマール50㎜F2中崎町巡り」3 Phantagraphy


従来から、写真の証拠価値はきわめて疑問視されてきました。
本質的に異質な認識作用であるだけでなく、
意識するにせよ、しないにせよ、
カメラ、レンズが状景を驚くほど歪めてしまうからです。
それだけでなく、銀塩時代においてもすでに、
現像、引き伸ばしで自由自在に加工することが可能だったからです。

有名な話があります。
戦後共産ロシアのスターリン時代、
党大会においてでしたか、
党首脳がクレムリンのベランダだったでしょうか、
ずらりと序列どおりに居並んで、
群衆に挨拶をする習慣がありました。
ある年、首脳の1人が失脚してしまいました。
すると、その挨拶のシーンの写真から、
その人物が姿を消してしまったのです。
見事に修正されたわけです。

デジタルカメラの時代になると、
その変改、加工、修正、創作の可能性はさらに拡大し、
文字通り限りなく可能となってしまいました。
現代の映画をごらんになったら、おわかりでしょう。
あらゆるジャンルのフィクションのアクションシーンで、
登場人物をコンピューターグラフィックスにはめこみ、
自由自在に作られます。
映画スターは特殊なスタジオでただアクションをするだけ。
映画が出来上がってみると、ティラノザウルスとか、宇宙人とかと、
壮絶決死の死闘を繰り広げるシーンとなって、
観客の心を奪う仕掛けになっている訳です。

こうして今や、客観的真実なるものは、
極めてあやしげなファンタジーとなり、
リアリティを正確に報告する写真なるものの存在も、
ネス湖の怪獣並みとなってしまいました。
もうPhotographyという命名は完全に荒唐無稽。
Phantagraphyあたりがよろしいのではないでしょうか?

そこで、どこからか質問。
お前の写真はどうなんだ?
Photographyなのか?
それとも、Phantagraphyなのか?

もちろん、私の写真は一枚残らず、Phantagraphyですよ。
写真をはじめてからこの方、たったの一瞬でも、
リアリティを追い求めたことはありません。
あるがままの現実ではなく、私が観たいイメージを求めて、
40年間、そして、今もなお、
ひらすら夢見心地でシャッターを押してきました。

また、どこからか質問。
なんじゃ、なんじゃ、この薄汚いやつらが「夢」なのかい?
その通り!
これらの薄汚い写真から立ち上るなにか、
それが私の夢見るファンタジーなのです。
誰にも理解してもらえるとは思っていないし、
理解してほしいとも思わない。
私1人のための写真、それが私の理想なのですから。


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# by hologon158 | 2017-12-26 22:32 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

712.01 ホロゴン外傅217「2017年9月21日ズマール50㎜F2中崎町巡り」2 異質な情報



前にも書きましたが、心理学で有名な実験が一つあります。
アメリカの大学の大きな階段教室。
心理学科の学生たちが、たしか300人も出席しての講義の最中に、
プロの舞台俳優が、タイムスケジュールに合わせて、
台本通りに台詞を含む出来事のすべてを正確に演じたのです。

講師は、学生たちに再現レポートを提出させました。
結果は驚くべきものでした。
人間観察の訓練を受けていたはずの学生たちのレポートは、
ほとんど全部、驚くほど不正確で、
出演者の人数まで食い違っていたのだそうです。
受講者たちだけを取ってみると、
たった一つの客観的出来事なるものは存在しなかった、
そう結論づけるより仕方のない結果が明らかになったわけです。

私たちは、出来事は一個。
自分は関わった出来事をいつも正確に記憶している、
そう確信して生きています。
でも、本当にそうなのでしょうか?

私が昔学んだことが正確であれば、
心理学的には、人間は認識した出来事を正確に記銘し、
その記憶はかなり長時間持続します。
でも、出来事の直後でさえ、
その記銘を正確に想起することはできないものです。

要するに、人間は生きるために必要な限りにおいて、
自分の置かれた諸条件の制約の下に、
記憶データを取捨選択して、
ランダムに認識し、記銘し、想起するだけ、なのかも知れない。
つまり、人間はロボットじゃない、ということになりそうです。

なんでこんなことを長々と書いてきたか、
と言いますと、
人間の記憶は写真とは違う、ということです。
人間は、あのときはこうこう、こんな風に起こったんだ、
と自信たっぷりに過去を報告するのですが、
実は現実とは驚くほど違っている、
そんなことが日常茶飯事。

人間の視覚は、一瞬ですべてを見渡すことなどできません。
「注意」という一点注視の体験を積み重ねて、
脳内で、出来事の体験を総合するというタイムプロセスなのです。
一瞬にして一望を記録してしまう写真とはまったく性質が違う。
つまり、実のところ、かなりあやふやな体験記憶なのですが、
一方、写真も嘘をつきます。

一番簡単な例は、レンズの焦点距離が違うと、
画像も違ってくること。
同じ場所に立って、15mmレンズと180mmレンズで撮ると、
同一の場所とは思えないほどに、視野が異なります。
同じ範囲を撮るために、撮影位置を変えて撮りますと、
前後の関係がまったく異なる2枚の写真が手に入ります。

以上の検討に立って、写真行為を考えてみますと、
私たちは写真を撮ることで、
視覚的な認識とはまったく異質な情報を得ている、
ということが言えそうです。




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# by hologon158 | 2017-12-25 18:00 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

712.01 ホロゴン外傅217「2017年9月21日ズマール50㎜F2中崎町巡り」1 質感


土曜から日曜にかけて一泊で二女のご主人が来ていました。
完全に孫プリンセス2号にメロメロ。
ついでに、土曜日は、長女一家4人もやってきました。
孫3人が久しぶりに勢揃いして、もう賑やかなこと。

夕食の準備の大半、調理、リビングルームへの配膳、
片付け、洗い物の大半を私が担当。
楽しいのなんのって!!!
(これは公式発言)
くたびれたのなんのって..........!!!
(これは本音)

6歳の長男孫プリンスも従姉妹の孫プリンセス2号にメロメロ。
自分の妹の孫プリンセス1号3歳が完全な女王様で、
兄である自分に対しても支配的に振る舞うので、
そんな気配を見せない孫プリンセス2号が可愛くてたまらない。
孫プリンセス2人が粘土遊びに夢中になり、
プリンセス1号が2号にカット用の回転板を渡して、
2号が折角使っていたハサミをさっと奪いとって、
粘土をしばらくカットした後、
1号の手の届かない場所にハサミを置いたのを見て取ると、
そっとハサミを取って、2号に渡してあげたりして、
やさしい心遣いを見せます。

保育園の自分のクラスはもとより、年下の3クラスまで、
100人を超す園児たち全員の名前はもとより生年月日まで記憶して、
性格、振る舞いも把握しているのですが、
なんでそんなことまで覚えておくの?と尋ねると、
彼、即座に決然と、

  「覚えておかなくちゃいけないことは覚えるの」

どうも生まれつきの性格のようですが、ご苦労なことで。
そんな性格だけに、妹同然の従姉妹にずっと気遣いを見せ、
幼児だけで別テーブルを囲んでの夕食も滞りなく進行。
楽しい一夜となりました。

でも、お陰様でブログは、この2週間、ほとんど数日置き。
人生に起こる出来事、仕事にはすべて優先順位があります。
家族、とくに孫たちのことは最優先なので、別に不服はありません。
今日は久しぶりに余暇ができました。
早速、本ブログの記事を作成。

ソニーα7にズマール50㎜F2を付けて、大阪中崎町を巡りました。
写真家吉田正さんの写真教室が終わった後の午後でした。
ズマールのやさしい息づかいがたまらなく魅力。
この教室も、12月も二女の出産騒動で出席不能なので、行けそうになく、
どうやら3ヶ月続けてお休みを余儀なくされそうで、寂しいですね。

ブログに掲載する作業として、
ズマールの下町ロボグラフィ写真を選択している間に、
ふっと気づきました。
私が自分の写真を選択する際の選択基準の一つに気づいたのです。
当然のことですが、その第1は、

   「メタモルフォーゼがあるか?」

現実を現実そのままに撮影したければ、
古いボケレンズなんか使う必要はありません。
現代の完璧性能のレンズたちを使えばよいのです。
ついでに、オートフォーカスなので、もう当たるを幸い、
右に左にばりばりとなぎ倒しちゃえばよいのです。
スナップだってなんだって、自由自在。

でも、肉眼を超えた写りすぎの結果起こる、
極めて科学的な意味での精密描写への方向の変容はあっても、
面妖、不思議な変身なんか起こりっこありません。

オールドレンズはさまざまな欠陥、性能不足のおかげで、
リアリズムをさまざまなバリエーションでそぎ落としてくれます。
それが予測不能の変容を起こしてくれる、それが嬉しいのです。

でも、それだけが私の選択基準じゃないことに気づきました。
肉眼での認識を超えた、曰く言いがたい、繊細微妙な質感描写が、
私の期待して、予期できない独特の変容を起こしてくれる!
ロボグラフィの本質はこの独自の質感描写にある!
そう気づいたのです。
そこで、第2の基準が明らかになりました、

   「曰く言いがたい微妙な質感を出してくれるか?」

現代の理想レンズの愛好者、現代の超リアルな細密描写を愛する人には
むしろ本来の写真表現を邪魔すると感じられるような、異質な肌触り、
それが私のお好みなのだ、
ズマールはそんなメタモルフォーゼ質感を醸し出すのが得意なのだ、
そう気づいたのです。
一言で言えば、

   「そっと愛撫するような感触」

そう言わせて頂きましょう。



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# by hologon158 | 2017-12-18 15:53 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

711.06 ホロゴン外傅216「2017年9月23日ビオゴン21㎜F4.5の飛鳥へ」6-完-ものを見ない


どこの家庭でもそうではないかと思うのですが、
私に対する最大の批判者は妻。

   「ろくにものを見ないで撮っている!」

私も賛成です。
私の写真の撮り方を見事に見抜いています。

遙か昔、数度参加した初心者写真教室ツアーの講師、
杉本(お名前は失念)先生は三脚必携主義。

   「ファインダーの中でぐるりと視線を回し、
   四隅が主題を邪魔していないか、支えているか、
   しっかりとチェックしなさい」

私は当時から、四隅どころか、中心もろくに見ないで、
撮っていました。
大成しないわけです。

ホロゴンウルトラワイドを伴侶とするようになってから、
ファインダーそのものを見ないで、腰あたりにホールドして、
乱写してきたのですから、まさに「ろくにものを見ない」
ビオゴン21㎜F4.5をソニーα7に付けた飛鳥でも、
超接写以外は全部ノーファインダーですから、
構図的に見えても、私の意図したものではない。
四隅どころか、どこまで撮れるかもまったく見当がつかない。
中央の主人公がどう写るのかさえ、予測不能。

さらに、ひどいことに、
ブログに掲載する写真を選ぶまで、見直しもしていない。
ですから、ブログに掲載された写真が初見。
作者自身、とても新鮮な気持ちで眺めているわけです。
そんな状態ですから、撮影時にはまったくイメージなどない。
撮影意図もない。
私はただ「いいな!」と感じるときだけシャッターを落とす。
実に気楽です。

ホロゴン以来、私の写真人生は一変しました。
よく書いてきました、

    「私の、私による、私のためのロボグラフィ」

でも、正確には、こうですね。

   「私の、私のレンズによる、私のためのロボグラフィ」

今回のビオゴン写真を観直して、その思いをますます強めました。





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# by hologon158 | 2017-12-15 12:13 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

711.05 ホロゴン外傅216「2017年9月23日ビオゴン21㎜F4.5の飛鳥へ」5 絶不調


前回書きましたが、
近頃疾風怒濤の中で翻弄される日々。
あれこれ起こって、我が家に釘付け状態。
今日は付虹先生の揚琴教室の発表会。
私は3曲の合奏に参加するほか、
独奏曲「櫻花」(「さくらさくら」変奏曲)を演奏予定でした。
これまで発表会での発表を休んだことはありません。
今回初めて、緊急休会。
期するところがかなりあったので、挫折感もかなりあります。

明日はレッスン日なので、発表会での課題曲を
せめて先生に聞いていただこうと思っていたのですが、
長女の長男の6歳の孫プリンセスがノロウィルス。
明日は早朝から応援することになり、
今年最後のレッスン日も受講できず。
まあ、踏んだり蹴ったりですが、
孫のためなので、喜びもあります。

でも、いつも感じることですが、
人生って、山あり谷ありで、
しかも、いつ山が来るか、谷に落ち込むか、
完全に予見不能ですね。
私たちにできることは、
ただただ運命を甘受すること、
そして、その中から最大限、人生の楽しみを拾い上げること、
これだけですね。

このあたり、私のようなノーファインダーで、
でたらめに写真を撮る人間の対処法とぴたり一致していますね。
なにが、どう撮れようとも、甘受すること。
私ができるだけ私のお気に入りの名レンズを使いたがること、
これは、運命を甘受するための支えになってくれるからです。
今は、私に与えられた恩恵をひたすら甘受し、楽しむこと、
これしかありませんね。



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# by hologon158 | 2017-12-10 23:53 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

711.04 ホロゴン外傅216「2017年9月23日ビオゴン21㎜F4.5の飛鳥へ」4 有為転変


12月4日月曜日
陳少林先生の揚琴レッスンでした。
来年1月に先生の和歌山教室の発表会があります。
これまで幾度か参加しました。
先生の二胡の伴奏として。

今回の曲目は「陽関三畳」
王維の名作を二胡、揚琴の音楽にしたものです。
二胡曲としても出色の傑作ですが、
これに付けられた揚琴伴奏が並外れてすばらしいのです。
二胡の調べに寄り添うにして絡み合うことで、
さらに豊かな印象を描き出してくれます。
名コンビのようなものです。
一人では絶対にできないような境地を生み出す、
それがコンビですね。

私が揚琴を始めたのも、この曲を弾きたかったから。
陳少林先生の指導でいくつも伴奏曲を学びましたが、
この曲から離れたことは一度もありません。
でも、ちゃんと弾けない。
当たり前です。
かなりテクニックを必要としますし、
第一、不動心のような、安定した精神がみなぎらないと、
お話にならない曲なのですから、
私のように安定しない精神の持ち主にはとても難しい曲。

でも、この日は巧くいきました。
私の次の生徒さんが10分前にお見えになったのです。
ちょっとおしゃべりした後、
「楊関三畳」を聞いていただくことになりました。
最初に、ピアニッシモのハーモニクスを7音の重ねるのですが、
その最初の関門からかなり微妙繊細なサウンドで響いてくれて、
最後まで間違わずになんとか弾けました。
13年か14年の期間中、今回が最高の出来でした。

ど素人であることは度外視して考えてみますと、
私は完全に伴奏者タイプです。
独奏をすると、上がりに上がってしまうのに、
伴奏だと、これまで300人ほどが最大で、
100人を超える聴衆の前で数回伴奏しましたが、
最初の最初から上がったことは一度もありません。
自分でも不思議ですが、そんなものなのでしょう。

陳少林先生の発表会の前に関門が一つありました。
12月10日の付虹先生の教室の発表会では、
独奏が1曲、伴奏が3曲です。
この独奏が鬼門中の鬼門。
日本の「さくらさくら」を揚琴独奏の変奏曲に仕立てたものです。
春爛漫の桜並木から花がハラハラと散る風情が出せるか出せないか、
これが本来の勝負どころ、見どころ。
でも、私の場合は、もっと低次元、
最後まで間違わずに弾けるか、
ただそれだけが私の目標です。
そんな桜の風情を表現するなど、夢のまた夢。

さて、どうなりますことやら........?
そう、2、3日前に書いたのですが、
その後の我が家は疾風怒濤。
ブログなんかそっちのけの日が続いています。
ちょっと異常事態が出来して、
残念ながら12月10日の発表会はお休みに。

人生って、異常事態が起こるときは、
かたまりで起こりますね。
おかげで、ブログ更新はほとんどできない有様。




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# by hologon158 | 2017-12-08 17:52 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

711.03 ホロゴン外傅216「2017年9月23日ビオゴン21㎜F4.5の飛鳥へ」3 朗読芸術


図書館では近頃朗読CDを主に借りています。
ネットのAudible com.で英語朗読ファイルを入手し、
図書館では日本語の朗読CDを借りるわけです。
日本語の方は、すでに100枚近く聴きました。
楽しい。
第1、目が疲れません。
第2、語りに心を集中できます。
だから、ストーリーに自然に没入できます。
お勧めします。

かなり以前から新潮社が朗読CDシリーズを出していました。
今でも販売していると思います。
でも、達者な朗読者もいましたが、
昔風のいかにも「朗読しています」風棒読みもありました。
それから一世代が経過して、
今はかなり若い世代の朗読者たちに変りました。
嬉しいことに、この若い人たち、
ほとんど例外なく、実に達者な朗読家なのです。
なんでこんなに変わったのだろう?

はっきり言えることが一つあります。
日本語の発声、イントネーションがかなり変わった!
日本語は、世界的にはかなり少数派の属する高低語です。
昔の朗読者たちの朗読は、基本通りに、正統派ですから、
どこかにアクセントを強めたりしたりせず、
坦々としているけど、どこか味のある、
語り口の妙味だけで聞かせるタイプでした。

その最高峰は、徳川夢声さんでした。
ラジオでの吉川英治作「宮本武蔵」の放送は一世を風靡しました。
新潮社から、その全編CDが刊行されています。
77枚、234,514円
ため息が出ますね。
そのうち、名場面集だけでも手に入れようかと思っています。
徳川夢声さんの朗読の醍醐味は、一にも二にも、間合い。
間をほんの5分の1秒も取りすぎると、退屈で下品になりかねません。
徳川夢声さんの間は終始どんぴしゃりで、絶妙の一言に尽きます。

現代の朗読者たちは、徳川夢声さんとは異なるテクニックを使います。
主な武器は、声色、感情表出、ダイナミクスでしょうか?
昔の朗読者たちが使わなかったテクニックがかなり華麗に駆使されます。
私は、かろうじて英語なら付いていける程度なのですが、
そんな私でも、英語朗読者たちの妙技にはいつも舌を巻かされてきました。
英米には朗読の伝統があります。
おそらくギリシア悲劇、シェークスピア劇等の演劇と、
独特の朗読文化の長い長い伝統に立つからでしょう。
そんな英米の朗読文化が長い間日本にも浸透してきました。
なんだか日本語そのものが変わろうとしているのでしょうか?
とにかく朗読が面白くなってきました。

と、ここまで書いて、閃きました!
間抜けだった!
なんでもござれのYouTubeに、朗読もあるはず!
YouTubeで、試しに「剣客商売 朗読」で検索してみました。
なんだ、なんだ、なんだ............!
これからは、図書館に一生懸命通う必要なんかなかった!
いくつも並んでいるじゃないか!
近頃、落語、それも古今亭志ん生師匠のそれにぞっこん。
図書館で見つけたのは5枚だけ。
ところが、YouTubeにはいくつも見つかりました。
古今亭志ん生 十八番 コレクションBOX ①
2時間以上もあります。
これが④まであるのですから!

図書館の朗読CDもあらかた聞いてしまいました。
でも、これからはYouTubeを渉猟すれば、
おそらく一生聞いても聞ききれないほど見つかりそうです。
私がそこで思いついたアイデアは、
iPhoneの予備バッテリーを手に入れること。
これさえあれば、どこに出かけても、聞き続けることができる!
早速、保護ケースとしても使えるものをアマゾンで購入しました。

最後に、これまで聞いた朗読CDの中でもベスト10に入る、
すぐれた朗読をひとつ紹介しておきましょう。

朗読・山本周五郎「雨あがる」 
(https://www.youtube.com/watch?v=ZkVwrmIc1x8&list=
PL-Qgse30YFyVqpYiXF7V6uLCMQL-DHsC9&index=37)

名優日下武史の名朗読です。
これをお聞きになったら、あなたも朗読芸術に目覚めるはず。
人生、退屈を感じることなど、なくなりますよ。




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# by hologon158 | 2017-12-01 22:00 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

711.02 ホロゴン外傅216「2017年9月23日ビオゴン21㎜F4.5の飛鳥へ」2 着陸したのだ!


(今回は、私の写真は掲載しません。
私よりももっとすぐれた写真家の傑作を掲載するだけに留めましょう。
私も同じ撮り方をしている、と思われたら、業腹なので。
この発言の意味は最後までお読み頂いたら、お分かりになります)

最後に一つ考えてみたいことがあります。
飛行士たちは月面着陸をしていないのに、
アポロ11が月に行った、そんな可能性はあるのだろうか?

ヴァン・アレン帯が通過不能である可能性を無視すれば、
可能性はある、そういうことができそうです。
アポロ11の出発の直前、アームストロング船長は、
地球上で着陸船を試験飛行しました。
試験は見事失敗。
地上近くでコントロールを失って地上に激突しました。
船長は脱出装置でかろうじて死を免れたのです。
そのような不安定性は開発当初から分かっていたことでしょう。

惨めに失敗しながら、よくぞ、本番を敢行できたものです。
でも、この難問を見事に解決したからなのです。
NASA中枢部はすでに用意していたセカンドプランを実行したのです。
月までは現実に行くのです。
でも、月面には着陸船を無人で降ろす。
そして、地球には、いかにも本番実行と見せかけつつ、
スティーブン・スピルバーグ監督が制作した実況中継ビデオを、
リアルタイムで送信することにした。
つまり、NASAには月面着陸プランを実行する表チームと、
着陸偽装工作の裏チームと、2班あったのです。
飛行士たちはまさにこの両チームを橋渡ししたわけです。

すなわち、アームストロング船長、バズ・オズドリンたちは、
確かに人類最初の月旅行を成し遂げたのです。
でも、月には降りなかっただけ。

ただし、もう一つの可能性を考えることもできます。
確かに降りることは降りた、という可能性。
約21時間も不眠不休で活動したこととなっています。
でも、当時の宇宙服は月面の温度変化に耐えるものはなかった。
(赤道付近で、昼は110度C、夜-170度Cだそうです。)
そこで、比較的耐えられる時間帯に降下して、
最短時間で着陸の証拠となる工作をあれこれ行ったうえ、
さっさと飛び立ったのです。
命がけの超短時間作戦。
作業に全身全霊熱中したので、
ほかになにも覚えていないのは当然です。
そうしておいて、着陸時の悠然たる振る舞い等の一部始終は、
スピルバーグのビデオで間に合わせた、という、両面作戦。

ネットで真空中の温度変化を調べてみますと、
かなり、月面に近い設問での考察を見つけることができました。

  真空中での物体の温度変化についての質問です。
 (https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/
  q10172735055?query=月面の温度変化&status=solved)

 「初期条件は、時刻0で、温度が100℃とします。
  その結果は以下のグラフのようになりました。
  時間の単位は分です。
  温度100℃から約200分後に0℃になり、
  約600分後には、-60℃になりました。
  想像していたより遅い下がり方です。
  これは、比熱が高い水を充填した物質で計算したからだと思います。
  もっと、表面積が大きくて質量が小さい物質、
  例えばきわめて薄い球殻ですと、
  もっと温度の下がり方は極端だと考えます。」

そうすると、100℃とか-60℃といった極端な温度は耐えられないから、
21時間は無理としても、その半分位は、
当時の宇宙服でも耐えられる温度域で活動できたのかも知れません。
ただし、アームストロング船長たちがいみじくも言う通り、
自分たちの成すべき作業に文字通り没頭して、
星空、遠景に目をやることはついになかったのかも知れません。
極限状況下での生存のための戦いだったからです。

この作業には、だから、アポロ11でもっとも有名になった、
記念撮影は含まれていません。
(https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=
UTF-8&gdr=1&p=AS11-40-5869
#mode%3Ddetail%26index%3D8%26st%3D196)
バックの太陽が飛行士の全身の影を前に投げている写真。
反射面がないので、飛行士の前面は完全に黒つぶれのはずなのに、
なぜかむしろ純白に輝いている不思議な写真。

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月面では絶対にこの写真は撮れません。
反射面の沢山ある地球上でさえも、
この状況で、反射板も補助光もなければ、
シャドウのディテールを出そうと思えば、
露出設定をプラス側に大きく開けるしか方法はないことを、
すべてのカメラマンは知っています。
だから、ハッセルブラッド社の専門家がこの写真を見せられて、
当惑したように答えます、
「なぜこんな風に撮れたのか、私にはわかりません」

でも、私には分かります。
これは巨大な月面再現のスタジオで撮ったのです。
仕事に忠実なカメラマンは、飛行士の姿を浮き立たせるために、
真面目に作業しました。
ちゃんと、飛行士のシャドウにだけ補助光を与えたのです。
スターなのですから、しっかりと姿を浮き上がらせなきゃ!
着陸船もたいていシャドウが明るく浮き上がっていますね。
ご丁寧に星条旗がしっかり見える!
飛行士が露出補正をかけたからではないことは、
他のシャドウが全部つぶれていることから明らかですね。
しかも、シャドウ部は完全にブラックなのですから、
それを露出補正でこのように浮き上がらせようとしたら、
画面全体は飛行士の前面と同じ位に白く飛んでしまうでしょう。
第一、これが決定的なポイントですが、
飛行士の影もまた、飛行士の前面と同じく、白くなってしまう!

NASAの写真家も、プロジェクトの関係者たちも、
写真のイロハをまったく知らないで、
とくとくとして、こんな撮影不可能な写真をずらりと並べている!
これじゃNASAじゃなくてBAKA。

どなたか写真家がもし「いや、これは月面での実写だよ」とおっしゃるなら、
ぜひ、納得の行く説明をしていただきたいものですね。
きっと大変によい勉強になるでしょう。
コメントをお待ちしていますね。
よろしく!

こんな風に考えてきますと、
案外、第三のアイデアこそ、史上空前の快挙の真相かもしれない、
そんな感じがしてきました。
いかがですか?





# by hologon158 | 2017-11-29 17:38 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

711.01 ホロゴン外傅216「2017年9月23日ビオゴン21㎜F4.5の飛鳥へ」1 星を見たの?②


(レンズはビオゴン21㎜F4.5の飛鳥シリーズに移行しましたが、
記事は前回に続きます)

アポロ11号の乗組員がビデオ通りに月に行っていない。
この事実をまず確信したのは、
乗組員3名が月面での星空をぜんぜん見ていない、
覚えていないと記者会見で答えたことからでした。

Youtubeにその記者会見の実況があります。
「Apollo 11 press conference sky star」なんて検索語で、
一杯出てきます。
ご覧になってください。
とても苦しそうな表情で、しぶしぶそう答えるシーンは見物です。
私は、人が嘘をついているか真実を語っているかを
見分ける仕事をしていましたから、かなり分かります。
彼らは嘘はついていない。
「星空を見ていない!」
「記憶にない」

飛行士たちが月面着陸後最初に見たかったのは何でしょう?
月面の空!
そうではありませんか?
月面は着陸船からすでに間近に見下ろしています。
でも、月の空は、月面に降り立たないと、見えない!
地球上の星好きの悩みは、さまざまの邪魔があって、
全天の星空を美しく一望できないことです。
でも、月面は違います。
地上に視野を遮るものも、明かりもなにもないのです。
しかも、空気の層がないのです。
そんな月から星空を観たら、どんな風に見えるのだろうか?
誰もが想像するのですが、絶対に想像できない。
だから、着陸直後はもとより、滞在中に、
二人とも空を観なかったとは「絶対に」信じられません。

第一、見ないでいることは物理的に不可能ですよ。
その理由はあなたにも明らかですね。
月面には空気がないのです。
周りに建物もないのです。
つまり、目を上げる必要もない。
アームストロング船長たちが梯子を降り立った途端、
空一面を明るく輝く無数の星たちが瞬きもせず、
びっしりと埋めていたはずです。

別のインタビューでは、アームストロング船長、
少し余裕ができた表情で、
「空は真っ黒だった」
本当に?
そんな筈がありません。
太陽も、月面を明るく照らしても、月面に空気はないので、
月面から目を離すと、視界を遮るものは、
空気も光も含めて、なにもないのです。

飛行士たちが作業していて空を見なかった、見えなかったなんて、
そんなことはあるはずがない。
着陸船の姿も周囲の地面もすべて星空をバックにしているのですから、
目を開けている限り、いやでも、
満天の星が目に飛び込んでいたはずなのです。
その一例が見つかります。

 「美しい・・・宇宙飛行士がISSから撮った
息をのむような素晴らしい宇宙写真」
(http://karapaia.com/archives/52221498.html)

私がナミブ砂漠でキャンプしたときの空も、
上記の写真のイメージにかなり近かった。
今でも忘れることができません、
満天を文字通り埋めて輝く星々、
純白のベールを全天に靡かせている天の川、
明快そのものに読み取れる星座..........

つまり、二人は月面が星空だらけ状態だと知らず、
想像もしなかったので、星を見なかった、覚えていない、
あるいは、地球以外は暗黒だった、と答えたのです。
アポロ飛行士たちの頭部の大きく透明な窓は、
おそらく地上の透明板の中でもすぐれて透明な作りのはず。
そんな窓越しに見たら、
星空は、私たちの想像を絶するほど豪壮に輝いたはず。
それなのに、地球しか見えず、星が見えなかったって、
あなた、信じられますか?

要するに、アームストロング船長たち、
ほんとは月面の空を見たことがないのです。
この状況をこれ以外に説明することができる人がいたら、
教えてほしいものです。

そして、もう1つ。
これまでに、月面から星空を写した写真を見たことがありますか?
あったら、教えてください。
ハッセルブラッド社と提携していたうえ、
写真を撮るものだったら、誰でも知っている基礎知識なのですから、
そんな写真を撮るのは簡単です。
胸に付けているハッセルを外して、
着陸船の水平面に置いて、長時間露出をするだけ。
高感度フィルムですから、
開放なら、そんなに時間は必要としないでしょう。
60mm広角レンズを付けて撮れば、
水平垂直各50度、対角線67度の画角で星空が撮れます。
水平に7、8回動かせば、
地平線から満天の空のパノラマを撮ることができるのです。
でも、誰もしていないようです。
不思議ですね。

しつこいようですが、念のために、書いておきましょう。
どんなに忙しくても、彼らは星空を観ないわけにはいかなかった!

理由は簡単です。
① あなたが宇宙飛行士だと思って、
月面が降り立った瞬間を想像してください。
もちろん、月面を見渡しますね。
でも、地面ばかり観るわけではありませんね。
普通に目を回せば、なにが見えます?
アポロ11号はかなり平坦な地域に降りたとされています。
すると、視線を水平にしますと、当然ながら、
それよりも下に月面の地平線が広がっています。
だから、視野のほとんどを占めるのは?
星空!

太陽が月面を照らしている昼でも、
太陽光を散乱させる大気がないので、
太陽も星空の中に、
地上から観る月とほぼ同じ大きさで浮かんでいるのでしょう。
その太陽の周囲も星で埋められています。
地球は太陽よりももっと大きく星空の中に神秘の姿を見せてくれます。
人類が観たことがない光景、スペクタクル!

いくらアームストロング船長たちが月面での仕事に忙しかったとしても、
一番心が走るのは、
故郷、地球はどこにいる?
母なる太陽はどこにいる?
どちらも人類最初に月面に降り立った人間の最重要の使命であり、
好奇心であり、最大の関心事だったはずです。
そして、地球、太陽に目をやるときに、
地球、太陽を包む満天の星空を観ないわけにはいかない!
なんで、太陽は星空を隠さないんだ!
なんで、太陽の側でも星たちがくっきりと輝いているんだ!

いかがですか?
納得されましたか?
いえいえ、納得されない方の方が多いでしょう。
だって、アポロ11は月に行ったんだから!

そんな方にお聞きしたいですね。
あなたは、月面着陸に立ち会ってもいないのに、
どうしてそう確信できるのですか?
この世の中に、真実とされてきたことが虚構だったと判明したケースが
溢れているではありませんか?

私はここで、アポロ11が月にはいかなかった、と、
そこまで主張しているのではありません。
アポロ11はビデオ通りに月に行っていない、
アームストロング船長とバズ・オルドリンは月面で空を観ていない、
そう主張しているのです。



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# by hologon158 | 2017-11-28 22:04 | ホロゴン外傳 | Comments(0)