わが友ホロゴン・わが夢タンバール

814.00 聖書(2019年6月14日やっぱりホロゴン15mmf8UWの奈良町が一番好き)神から賜った?


今日は、ちょっと面白い記事を掲載することにしましょう。
私だけが面白いと思うだけかもしれませんが、
もともと、本ブログ、私だけを読者とするのですから、
それで良いのです。

さて、キリスト教の聖典である新約聖書には、
原典が残されていないことをご存じですか?
誰が作成したかについては、研究がなされていますが、
その内容は、絶対的真実であり、神から与えられたものである、
そう絶対的に信じられてきました。

でも、生身の人間に与えられたものなのであるからして、
その真実生、聖性を保障するものでなければなりません。
でも、最初に文書の形で整理した、いわゆる原典が
どのような経緯で成立し、
どのような経緯で失われたか?
私がこれまで読んだ関係書では、
そのことを解明しようとした記述に出会ったことはありません。
どうやら成立、喪失の経緯を解明する試みなど、する必要がない、
とされているようです。
だって「神から賜った聖なる書」なのですから。
これで問題はすべて解決、
それを超えて、誰が作ったかなんてことを詮索すること自体、
おかしなことですね。
文書に冠せられた名前の人が筆記した、それで良いではないか、
というところでしょう。

次ぎに、その最初の文書が一冊あった筈ですが、
その一冊がどのような経緯で失われたかも、
あまり触りたくない話題なのかもしれません。
神から賜った聖なる書なのに、失われてしまった!
全くその記録が残されていない。
もっと大切にしなきゃ!

そんな大切な書とは知ってか知らずかは別として、
いろいろな可能性が考えられます。

①奪われた。
②なくしてしまった。
③捨ててしまった。

そのどれかなのでしょう。
どれもこれも、滅法不名誉である点に変わりはないからです。
でも、誰も聖なる書の最初の原典版、
まさに神授の至宝の行方を探ろうとしないのは不思議です。

いいでしょう。
私が探ってみることにしましょう。
もしかすると、世界最初の究明の試みを今からすることになるかも?
そんな筈はないですね。
私が知らないだけでしょう。

でも、そんな解明の試みがなされたか否か、
私は全然は知らないですから、いいでしょう。
暇ですから、一度、聖書出現の昔に戻って、
ちょっと考えてみることにします。

これは世界的なコンセンサスのようですが、
現在残された昔の聖書の中には、
神から直接授かったオリジナルの聖典は混じっていません。
まして、その聖書の部分、例えば、「マタイ伝」の原本も、
残されていません。
そんな各部分の文書の存否など完全に忘却の彼方。
それらをまとめた聖書も、
すべて何世紀か後の写本からの写本、
その写本からまた写本、
という風に、すべて、何代目かのコピーのコピー。

しかも、印刷もコピー機もなかったので、
一冊一冊すべて手書き、その又手書き、さらに手書きと、
全部人の手で書き写してきました。
当然、誤字脱字、さらには無断書き換えまで混じっています。
現在残されているすべての写本も、
それ以前に幾世代かの筆写を繰り返してきた産物。

そこで、起こる最大の疑問は、
一体、原典である聖書の各部分はどうやって授かり、
それは、どこに行ってしまったんだろ?

余談かもしれませんが、
「この神様から与えらえれた」って、どんな方法でなのでしょうか?
2つの方法が考えられますね。
① 羊皮紙を綴じた書籍として?
それとも、
② 神様が選択した人の頭脳を経由して?
もっとも②としても、結局、その
人が①の方法によって書籍化したのでしょうね。
新約聖書の諸編の多くには、
制作者もしくは書簡の差出人の名前が冠せられています。
私は研究していないので、真相は不明ですが、
その名前の人が制作したが、それは神から与えられた霊感によってである、
ということのようです。
とすると、神様が採ったのは②だったと考えるのが穏当かもしれませんね。

学問的には、マルコ伝が最初に成立し、
マタイ伝とルカ伝はこのマルコ伝を参考にして成立している、
ヨハネ伝はまったく別個独立に成立しているとされています。
いずれにせよ、成立プロセスは記録されておらず、一切不明の状態。
神がこの世に与えたもうた聖典であるとされているのですが、
それなら、愚かな人間たちが絶対に誤解することのないように、
誤謬、誤記、矛盾などない「完全無欠なドキュメント」を人類に贈るはず。
神さまの与えたもうたものにしては、紆余曲折がありすぎます。
さまざまな食い違いがあり、
イエス像もそれぞれに微妙に異なっています。
このあたり、とても不可解、ということになりますね。
特に、ヨハネ伝のイエスは、
他の三福音書(共観福音書と呼ばれます)のイエスとはかなり違います。

その上、さらに考えてみると、
神が与えたもうたとすれば、贈与のプロセスがあったはずです。
でも、筆者が居るのですから、神から霊感を与えられて、
いわば夢中筆記に近い形でそれぞれの福音書をこの世に送り出したはずです。
でも、そうした作成プロセスについては一切伝承が残っていないようです。

マルコ伝については、ウィキペディアによれば、2世紀のパピアスという人が、
マルコはペトロの言葉を忠実に筆記したものであると主張したようです。
でも、これじゃ、神からの霊感じゃない。
「神授説」には直接結びつかない感じ。

たとえば、モーセがエホバの神から十戒を与えられた事情、
マホメットがコーランを天から与えられた事情、等々、
さまざまな宗教で聖典授与の秘伝が残されていますね。
それが新約聖書の場合にはないようです。
そして、さらに不思議なこと。
どんな形であれ、淵源においては、神から与えられたものなのであれば、
この世に二つとない聖なる書なのですから、
福音書4巻(他のすべての書も同様)の最初の筆記本が
この世から消えてしまったというのは、かなり不思議ではありませんか?
ちゃんと保管していたのでしょうか?

まだまだ不思議があります。
共観福音書同士でもかなりの食い違いがあるのは理解できません。
神さまが勘違いなさるとは?

私はこう推測します。
初期の信徒たちはイエスの行跡をしっかりと記憶するために、
記録する必要があると考えたのです。
当然です。
そこでまず、どんな形かは別として、
マルコ福音書が成立します。
たった一冊ですから、
各地の信徒にイエスの真実を伝えるために、
読み書きができる信徒一同、一生懸命に協力して、
写本を作成して、諸方に送り届けたでしょう。

でも、当時はまだイエスを記憶する信徒がかなり居たはず。
十二使徒の生き残りや、イエスを目の当たりに目撃した信徒が
残っていたかも知れません。
そんな人たちは、マルコ福音書を読んで、さまざまに考えたでしょう、
「概ね正確だけど、
中には正確じゃない部分が混じっている。これは直さなきゃ!」
そこで、マタイ伝とルカ伝が順次どこか別の場所で成立していったのでしょう。
だから、違いが沢山あるのです。
人が違い、立場が違うと、さまざまな記憶の違い、
見解の違いが起こるのは当然であり、
それが、イエス伝の複数誕生とかなりの差異を生んだのでしょう。

だから、福音書は人が作ったもので、神から与えられたものではありませんでした。

マタイ伝、ルカ伝の制作者とその仲間たちも、
マルコに負けじ、と、せっせと写本を作って、諸方の同信徒たちに送り届けたでしょう。
これらの最初の福音書を読んだ信徒たちは、
最初の最初から、いぶかしんだでしょう、
「なんだか、いろいろ食い違いがあるなあ。
どうしてなんだろうなあ?」
ということで、福音書は神の与えたもうた「聖なる書」ではなく、
いわば事実経過報告書として、人間が作ったものだったのです。

そうすると、聖書の各文書の最初の筆記者は、
神からの霊感に動かされたと否とに関わらず、
当時のことでしたから、おそらくパピルスにだろうと思いますが、
人間の作ったものに、人間が手書きして作成したのです。
とすると、原本と写本との間に、
その書物それ自体の「聖性」に関する区別などありませんでした。
一冊の聖なる宝物を作るつもりなどなくて、
イエスその人のことを、イエスと会ったことのない信徒たちに
伝えたい気持ちで作成されたもので、
だから、内容そのものが肝心要めだったのです。
だから、制作者たちも、どんどんコピーを作って、
それぞれに所持したでしょうから、
原本とコピーの区別などなかったのでしょう。
だから最初から、どれが原本か、どれがコピーかなんて、
誰も気にしていなかったなった!
これが真相ではないでしょうか?

ほかにも、たとえば、マグダラのマリアの福音書等々、
さらに多くの福音書が作られた事情は、
私の説を証明しているのではないでしょうか?

初期キリスト教徒たちは、誰か権力者の庇護を受けたわけではないようです。
いわば「新興宗教」として苦労を重ね、
ときには迫害を受けることもあったでしょう。
そのような艱難辛苦を重ねる信徒たちにとって、
誰かが作った各福音書第一号を
聖なるものとして特化する事情などなかったのでしょう。
イエスの教えと事績をひたすら伝え残したいだけ。

以上が、私の推理する、福音書原典喪失の真相です。
極めて自然な出来事だったのです。

だから、聖書に所収の文書の筆記者が最初に書いた、
いわゆる「原本」がどれかなど、誰も気にしなかった。
書いた本人だって、気にしなかった。
「マルコ伝」で言えば、いわゆる原本をM1、
次ぎにそれを丸々書き写したものをM2、M3等々とすると、
M1からすべて筆写したものではなくて、
その後の写本は、続々と増えるM3以降の写本を手当たり次第に使って、
書き写しては、各地の字を読める幹部に次々と分け与え、送付し、
最初から区別などする必要がなかったので、
M1もいつしか写本と混じり合って、
誰かに分け与えられてしまったのでしょう。

つまり、本文内容そのものが大切なのであって、
それが筆記された文書それ自体の聖性には、
原本も写本も別に違いはなかったのです。

私はキリスト教徒ではないので、平気で発表していますが、
このような問題を本気で考える人の99%はキリスト者でしょう。
そうすると、まさか上記のような事情を真相として発表する人が、
居るわけもありません。
だから、誰も発表していない!



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# by hologon158 | 2019-10-14 21:41 | Comments(0)

813.00 いつもの光景(2019年5月15日エルマー35㎜F3.5が奈良町で平常心を発揮)幸せになります




南米に不可思議そのものの遺跡があります。

  ティワナク

石造建築の巨大な岩石部材が、
大巨人がよってたかってひっくり返したような形で散らばっています。
石材の切り出しの精密さは現代でも難しいと言えるほどに完璧です。
古代の粗末な道具では絶対にできないほどの精度。
しかも、かなり複雑な形をしています。
建築の工法に「有り継ぎ」というものがあります。
これにそっくりの役割を担っているらしいのです。

有り継ぎは、角度を変えた切り込みを対面式に設けて、
部材を互いに組み合わせて、
前後にびくとも動かないようにする工法です。
youtubeでどんなものか確認できます。
日本建築では木材と木材の継ぎに使います。
ティワナクではこれを大きな石材同士で行っているのです。
巨大な石材をそのように加工する精密さもさることながら、
そのような工法を工夫する知能は大変なものです。
ある技術者は、これは航空機の滑走路として、
こうやって組み合わせて前後に動けないように、
土台として使ったものであると主張しています。
この主張は、建設当時に航空機があったことを前提としていますが、
別に航空機でなくても、巨大な石造建築をずれないようにするためには、
完璧な工法と言えそうです。

このティワナク遺跡はいつの時代のものか分かっていません。
年代測定に使える性質の出土品がないからです。
ある人は、遺跡の天文学的方位に依拠して、
1万2000年以上前だと主張しています。
既存の考古学会ではもちろん認められていない説です。
既存の考古学会は、地球の文明は6千年前、
シュメール、アッカドから始まったという、
全地球一直線、一方向の進歩学説なのですから、
それ以前に宗教や階級社会を象徴するような都市建築など、
絶対にありえないと考えます。
進歩はさすらいの狩猟経済から、定着の農業経済と進んで、
ようやく、社会、階級、信仰等が始まり、文明社会に至ったのであり、
つまり、それ以前の文明の痕跡などどこにもある筈がない、という立場です。

日本史学界が天皇家の万世一系のみを認めて、
大和朝廷が現実に始まった当時以前、同時の他の王朝の存在を
一切認めないのととてもよく似ています。

あらゆる学問がそうですが、
支配の正統性を証する学問である歴史学は、
現在の支配者の正統性を根拠づける任務が第一。
日本の史学界はまさにその典型、王道を行っているわけです。
でも、おかげで、まったく整合性のない、場当たりの論議で、
倭の五王を大和朝廷であると強弁し続けたり、
大和朝廷と全然つながらない縄文時代を、
ただの野蛮の先史時代として、深く研究しなかったり、と、
幼稚な手口が見え透きすぎます。
日本の古代史学者って、なんだか学問社会の官僚、
そんな感じさえします。

さて、話を世界に戻しますと、
世界の考古学資料は次第に主流派に不利になりつつあります。
ギョベクリ・テペ、日本の与那国島海中遺跡のように、
既存の学説では説明が付かない、
より古代の文明の存在を証明する遺跡がバンバン発見されつつある今、
文明のシュメール、アッカド起源説は消し飛んでしまったようなのです。

むしろマヤの暦が何万年も昔から始まっていて、
マヤ暦の1年がグレゴリオ暦のそれよりもさらに精確であることは、
マヤははるか昔からの暦に関する天体等の観測結果に依拠していること、
こうした事情は、暦を精密化できるだけの長大な期間、
さらに古代の文明が存在したことを暗示します。
暦の精密化以外は野蛮な文化、なんて奇妙すぎますからね。

スフィンクスの建設も、地質学的な立証により、
もはやエジプト古代文明の枠を飛び越えて、
はるか古代に遡らせる必要ができてしまいましたし、
大ピラミッド等の三大ピラミッドは、その建設方法には、
クフ王の時代のエジプトでは不可能な、
というより、現代でも極めて難しい工法で建設されていて、
三大ピラミッドの直前、直後とされるエジプト王朝の
ピラミッド群の幼稚な完成度とは、あまりにもチグハグすぎます。
完璧なまでに精密正確なピラミッドを建設する工法が、
3つのピラミッドに相次いで使われたということは、
その工法が伝承された事実を実地で証明しています。
それなのに、そんな工法のわずか100年ほど前でしかない、
初期ピラミッド群もその後のピラミッド群も、
大ピラミッドに比べると、幼稚すぎます。
つまり、三大ピラミッド群を建設するための高級技術を
開発発展させるための時間も段階的な発展も一切なく、
いきなり三大ピラミッドが登場し、
三大ピラミッド群の建設が完了すると、
古代エジプト人はその工法を全部忘れてしまった、
というのは、あまりにも奇怪すぎますね。
同じ土地でそのようなことが起これば、
それは、別の民族、別の文明がその期間中エジプトを占拠した、
ということを意味することは明らかです。
でも、そんな歴史上の痕跡もありません。
だとすると、遺跡の年代整理がおかしい、そう言わざるをえないのです。

こうして、今では古代史学は空中分解の状態なのですが、
既存の史学界はさまざまな新発見に対応する術も頭も持ちません。
世界の史学界もなぜか既成の特権を固守する役人根性だらけ、
という感じ。
根拠もない推測を重ねに重ねて、
古代史をシュメール、アッカド以降の歴史的時間に
すべてのデータを整理し尽くしてしまって、
今更軌道修正など絶対に無理という状態だからです。
既存の史学者たちは、新しいデータを考慮して、
歴史的パラダイムを再構築しようとすると、
自分たちの拠って立つ基盤そのものを否定せざるを得ないという、
厄介な泥沼に落ち込んでしまうからです。
誰でも、身に付けた既成概念を振り捨てるのは難しいものです。
簡単に言えば、学会自体が遺跡化しているようです。

こうして古代史学者たちは、
サーカスのピエロ風のアクロバットを演じることとなります。
たとえば、大ピラミッドの精確無比なデータが何を意味するか?
これには知らんぷりを決め込むこととなります。
農夫たちが農閑期に作ったんだ、なんて説なのですから。
近傍の住宅遺跡を発見して、それが数百人程度の規模なのに、
建設者たちの住居が見つかったと大喜びしています。
でも、その程度の工事人たちがあの巨大ピラミッドを建設した?
20年で?
ご冗談を!

この程度の頭だから、
自分たちの説を裏付けると思われる発見にはすぐ飛びつくのです。
たとえば、大ピラミッドをクフ王の墓と結論づけた最大の論拠は、
ハワードがクフ王のカルトゥーシュに囲まれた名前の落書きを
内部の壁に見つけたことにありますが、
不思議なことに、それ以外に、大ピラミッド内部には、
いかなるヒエログリフも装飾も見つからないのです。

クフ王がこの壮大そのものの自分の墓を建設し終わったとき、
工事人頭を呼んで、
「よし、これを記念して、どこかに余の名を落書きしておいてくれ」
なんて言ったのでしょうか?
落書きは、根拠のないいたづらか、
それとも、現代の証拠ねつ造以外の何ものでもありませんね。

こんな風に古代史は証拠も学説も錯綜を極めていて、
正確な史実の再現など、当分不可能なのかも知れません。
こんな事態において、私たちにできることは、
絶対確実なことだけ確認しておくこと、これだけでしょう。
私には、その一つだけが真実であると思われます。
それはなにか?

ティワナクにせよ、大ピラミッドにせよ、
現行の史学界の常識である製造年代の人間には、
絶対に建設不能であったこと、
こんなものを作る技術は一切存在しなかった、
これだけだろうと思われます。
古代には、私たちの想像を絶する何かが起こっていたのです。

さて、写真は、エルマー35㎜F3.5の写真たち。
第二次世界大戦前のライカレンズの中核が、
エルマー50㎜、35㎜でした。
中判、大判等の大型フォーマットのカメラの時代に、
ストリートフォトの新境地を開拓できたのも、
エルマーのリアリズム溢れる精密描写と、
高性能の35㎜フィルムの開発のお陰だったのではないでしょうか?
超絶描写の現代レンズで撮った写真を見ますと、
私はのけぞってしまいます。
エルマーで撮った写真を前にすると、
なんでもない光景なのに、幸せになります。
私だけかもしれません。





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# by hologon158 | 2019-10-11 23:16 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

812.00 初めての街(2019年6月20日ビオゴン21㎜F4.5が田原本駅に降り立った)



奈良の小都市の一つ田原本は初めての町。
近鉄橿原線の沿線にある町ですが、
一度も撮影したことがなかったのです。
大和の地の小さな町にはなにかがあるかも知れない。
そんな魅力をいつも感じながら、縁がなかった町です。
スペシャルセットを用意しました。

  ソニーα7
  ビオゴン21㎜F4.5

単独行でしたが、この点はよいのです、
近頃はほとんど単独行ですから。
とにかく歩くこと。
これが至上命令。
そして、それができることが何よりも喜び。

でも、歩いていると、色々なことに出会いますね。
先日、奈良町で、一人の人物とすれ違いました。
奈良町を歩くと、時折出会います。
知人ではありません。
黒豹タイプの精悍な風貌に目が止まり、記憶。
浅黒い顔で、目が光り、いつも黒の服装を着ているあたりから、
連想が生まれたらしい。
私は体格も優れず、風貌は平凡そのものなので、
きっとあちらさんは私になど目を止めなかったでしょう。
だから、出会うのではなく、私がふっと目にとめる、そんな関係。

ところが、すれ違って、愕然としました。
視線も風貌もぐっと弱々しくなり、
歩きながら、顎をフラフラと弱々しげに上下させておられたのです。
私もいつかはそうなるのでは?
そんな未来に気づかされる出来事でした。
私ときたら、生涯運動という運動をせず、
ひたすら読み書き仕事だけの人生だったのですが、
私の体力は、毎日6時間の熟睡を含む完全に規則正しい生活と、
毎週末の写真行脚だけに支えられてきたようなものです。
両親から良い身体を授かったのでしょう。
生涯、ほとんど病気らしい病気をしない健康体で、
精神的にも安定していましたが、
どんな人に転機があるようですね。
20年前に、布団の中で、膝がカクカクすることに突然気づき、
それ以来、毎朝15分間、
自分で考案したプログラムでストレッチするようになりました。

私の特技は、即座に反応し、即座になにか対応策を講じ、
一度始めたことは、容易なことでは止めないこと。
ストレッチもその一つ、
初めてから1日として欠かしたことがありません。
これは効きました。
あっという間に、膝は滑らかに作動するようになり、
その頃、揚琴、リコーダーを始めたことも手伝って、
こうした楽器習得の修練も身体を使う敏捷性を培ってくれたこと、
次第に写真人生を深めたこと、などが、
私に次第に体力をつけてくれたようです。
最近の収穫は肩甲骨。
楽器演奏の秘けつは肩甲骨の自由な動きにあると、突然気づき、
YouTubeでさっそく秘けつを伝授してもらうことにして、
肩甲骨を自由に駆使できる運動を学んで以来、
まず、揚琴が断然プロフェッショナル風サウンドに一変し、
リコーダーも余裕のあるサウンドとなり、
まだ初心者同然の二胡が突然滑らかなサウンドを奏でるようになりました。

それだけではありません。
肩甲骨はどうやら身体全体の動きを高速化してくれるようです。
ここ数年、かなり敏捷にレスポンスするようになっていたのですが、
いわゆる「肩甲骨はがし」を習得して以来、
さらに敏捷となり、私の周辺でモノがころころっと落ちそうになると、
なんの意識も視線も動かぬまま、手足身体がすっと反応して、
気がついたら、受け止め、落下を防いでいる、
という状態に変わりました。

おかげさまで、どうやら私の身体は、
現在が最高の状況にあるようです。
水素吸引とアーシングが身体を支えてくれていることが
基礎条件なのですが、
動きそのものを敏捷にしてくれたのは、
まさに肩甲骨だ、と感じています。

さて、話を田原本に戻しますと、
初めての町はどうだったか?
可もなく不可もなく、というところでしょうか?
まず実感したことは、この町も沈滞している!
人通りが大変に少なく、空き家もかなりあります。
この町でも、高年齢層が住民の大半を占めているのでしょう。
でも、静かな町では静かなロボグラフィを撮ることができるようです。
ビオゴン21㎜F4.5を両手で保持しながら、
ひたすら歩き回って帰りました。

私の場合、写真作品を目指していないので、
なんでもかでも、視線が合ったら、パチリと一枚撮る習慣。
「視線が合う? なんじゃ、それは?」
といぶかしく思う方もおいででしょう。
でも、そうなんだから、仕方がありません。

路傍の者たちも退屈しているのです。
だから、ちらっとでも自分に目を向けてくれる者が居たら、
大歓迎、小旗をさっと取り出して、
夢中に振りながら見送ってくれるのです。
どんな町でも、なにかに出会える、
それが写真の喜びなのです。

ビオゴンはそんな私の気持ちを代弁してくれます。
精一杯がんばってくれました。
私は、自分の立場をよくわきまえています。
いつも、だれもが、
「なんでこんなもの、撮ってるの?
こんなもの、誰も喜ばない」という表情。
とくに、ホロゴンのような超広角でのロボグラフィは、
いわば絶対と言って良い位、無視されてきました。
でも、私は、それであればこそ、
自分のレンズとロボグラフィを大切に感じてきました。
誰一人認める者がなくても、
私は自分のレンズを愛し、
自分の出会った場所の記憶を愛してきました。

こんな人間に一番ふさわしい場がブログ。
私のように、偶然の検索結果として、一瞥する人以外には誰も来ない、
そんなブログを喜々として楽しみ、大切に思っている人が五万と居るでしょう。
パブリックな時空間に自分の隠れ場を潜ませる、スリル!
これぞ、現代が私にプレゼントしてくれたスリリングな醍醐味!
そんな感覚と言えば、同行の皆さんなら分かって頂けるでしょう。

ビオゴン21㎜は、同じ焦点距離のスーパーアンギュロンとは
まったく異なる境遇、と言えそうです。
スーパーアンギュロンをメインツールとして愛用した写真家は
かなり多いようです。
でも、ビオゴンと来ますと、
ハッセルブラッドSWCのビオゴン38㎜を愛した写真家なら、
沢山おいでですが、ビオゴン21㎜を愛用した写真家は?
私は思い当たりがありません。

でも、アマチュアなら、かなり居るのではないでしょうか?
スーパーアンギュロンよりかなり廉価に入手できるうえ、
その描写性の深さ、立体感、迫力、リアリティは
スーパーアンギュロンにむしろ勝る、
そう言っても過言ではないからです。
でも、いざ、お金に困って売りに出すと、
うーむ、スーパーアンギュロンにしておたら良かったな、
と多くの方が弱っておられるでしょう。
とにかく、売れません。
21㎜超広角レンズの王者、
そう言ってもよい存在なのに、
誰も同調してくれない、という感じ。

私も2度売りに出して、2度とも諦めて、引き取って帰りました。
クラシックカメラ店の陳列棚で泣いているのが忍びなかったからです。
で、ますます愛用しています。
恵まれない子の方がかわいい、という感じ。
ホロゴンより遙かに使いやすいうえ、
ホロゴンとはまったく異質な絵をプレゼントしてくれます。
ホロゴンの弟分(実は兄貴)として、死ぬまで一緒、
ということになりそうです。



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# by hologon158 | 2019-10-07 17:13 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

811.02 いつもの日(2019年6月17日ホロゴン15㎜F8が奈良町を静かに散策したら)2 北と南と



あるところで、3年ほど合わなかった知人にばったり出会いました。

たった3年です、
相手が20歳台から50歳台までなら、そう書いても、
なんの支障も不具合も懸念もありません。
でも、70歳台だとどうなるか?
ほとんど同一性もないほどに老い衰えておられたのです。
なんだか仙人になりつつある、という感じさえしました。
もしかすると、1年1年の時の経過が、
一世代ほどもの変化を伴っているのかも知れない。

私から観て、相手がそうだとすれば、
相手だって、私を観てそう思うかもしれない。
そう考えると、さらに愕然とします。
そうであって、堪るか!!!
そう憤然と感じますが、相手だってそうでしょう。

先日、大阪の天満橋筋商店街を撮影したとき、
私が路地の入り口あたりで撮影していると、
やはり70過ぎのがっしりとした老人が通りかかり、
近くの雑草を指さして、
「元気で茂ってますなあ」
こんな風に気軽に声を掛け合うのが大阪人です。
私も、
「これが雑草ですよね。
どんな環境でも、絶対に生き抜くぞって、頑張ってますねえ」
彼、
「わしの方はあかんわ。
このごろ、足が弱なってしもうて」
観ると、ステッキを片手に持っています。
「膝がよくないんですか?」
こんな風にずけずけと踏み込むのが、大阪人です。
私も、大阪弁は喋れないけど、
心情、心根においてはれっきとした大阪人です。
「いや、なんとのう弱ってしもて、あかんわ」
「それだったら、一にも二にも、歩きましょう。
どんなにゆっくりでも良いから、歩きましょう。
それから、朝起きたら、布団の上でいいから、
自転車こぎをしましょう」
と、やり方を伝授。
「でも、最初から何回も続けたらいけませんよ。
ちょうどもうじき6月です。
6月1日に1回だけ、膝を自転車こぎしましょう。
あとはその日の数だけ、つまり、1回ずつ増やして行きましょう。
どこかこれで十分と思う数まで来たら、
そこで増やすのはやめて、毎日、その数だけ自転車こぎしてください。
そして、毎日、必ず散歩。
そうやって、体の衰えを自分でなんとか防ぎましょう。
たった一回の人生なんだから、
そう簡単に衰えてたまるか、という気持ちになってください」

いやあ、お節介もいいところですね。
これが大阪人です。
四海はみな兄弟、なのです。
でも、残念ながら、こんな風にアドバイスをしても、
その通り頑張ってみようという気持ちになる方は、
せいぜい10人に1人でしょうか?
簡単に言うと、ほとんど出会ったことがない。
私は基本的に、必死なのでしょう。
たった1回の人生、やり直しが効かないんだから、
どんな人からでもいい、アドバイスはまず試してみます。
私が毎日やっているエクササイズは10を軽く超えますが、
行きずりの人に教えてもらったことも3分の1は混じっています。

思い出しました。
かなり昔の商店街の年末の福引き光景。
いかにも庶民というおばちゃんが福引きの回転ドラムを回しました。
係のお兄ちゃん、あくまでも明るい声で、
「残念でしたあ、外れでーす。
はい、景品のティッシュペーパー。」
すると、おばちゃん、こちらもあくまでも明るく、
「おにいちゃん、もっかい(もう一回)させて。
今度は当たる予感がするねん!」
これが大阪のおばちゃんです。
縁もゆかりもない、町でばったり遇っただけのおっちゃんに、
本気で健康法を伝授する私とほとんど変わりがありませんね。

ソウルの韓国人はどこか大阪人に似ています。
お節介で、ただちに誰とでも打ち解ける。
韓流ドラマを観ていると、
大阪人とそっくりのリスポンスによく出会います。
中国人はどうなのでしょう?
上海人はかなり大阪人に似ている感じがします。
でも、日本に入ってくる中国人の出身地は、
広大な大陸にまたがっているせいでしょう、
行動様式も様々ですね。
大阪にも増えてきているようです。
私の中国楽器の師匠も、
揚琴の付先生は奥ゆかしく上品で、北京人です。
二胡の劉先生は開けっぴろげ、遠慮なくヅカヅカと踏み込んできます。
中国の大阪である上海人なのです。

どうやら韓国でも、振る舞いも言葉の訛りも、
ソウルは東京風、釜山は大阪風。
つまり、ソウルよりもなお一層大阪人に近い、という感じ。
緯度の違いが気候風土の違いに影響を与えている、
そんな感じがしますね。




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# by hologon158 | 2019-10-03 23:05 | ホロゴンデイ | Comments(0)

811.01 いつもの日(2019年6月17日ホロゴン15㎜F8が奈良町を静かに散策したら)1 観光たけなわ



6月17日月曜日のことです。
ソニーα7に私の伴侶ホロゴンホロゴン15㎜F8Uを付けて、
縦位置は右手で、水平は両手で握って、
手を垂らしたまま、撮り続けました。
いつもの「5つのノーと言える男になりたい」式撮影法。

   ファインダーを見ず、
   作画もせず、
   待つこともせず、
   考えもせず、
   トリミングも後でしない。

私のホロゴンとの20年の付き合い方です。
これひとつをとっても、
私は自分から写真家であることを放棄したことは明らか。
撮っている本人が作品作りを放棄しているのですから、
この20年間、私の写真を写真作品として認めた人はほとんどいません。

それでも、心満ち足りて、写真を撮り続けてきました。
なんでだろう?
私ははっきり理由を知っています。
人に認められることは、私の人生を強化してくれない。
何よりもまず、誰よりもまず、
私自身が自分を「よし!」としなきゃ、始まらない!
できたら、毎日、毎時間、毎瞬、「よし!」としなきゃ!

でも、時間って、ちょっとおっかないですね。
正月だと思っていたら、もう半年過ぎている!
こんなときは何時も、
ベーデの教会史の有名な挿話を思い出しますね。

宮廷の大広間でのことだったと記憶しています。
王の謁見中、大広間の両側の壁の天井近くにもうけられた窓を、
一羽の白い鳩がさっと飛び抜けていきました。
ほとんど目にもとまらないほどの一瞬の出来事。
そのとき、キリスト教の布教僧が王にこう言ったのです。

  「人の人生はあのようなものなのです。
   目にもとまらないほど素早く終わってしまいます。」

だから、今この瞬間にキリスト信仰に帰依して、
永遠の命を得ましょう、という教えなのですが、
いかなる人間にとっても、同じ道理ですね。
うかうかと過ごすと、大切なことはなにもしないまま、
あっという間に人生は終わってしまうのです。

私は20台半ばに、カール・ヤスパースの「哲学」の圧巻、
第2部の「実存開明」でこの話を読み、かなり感銘を受けたのでしょう、
しばらくして、テレビは、映画を観るだけで、番組を観るのは止めました。
それ以来結婚後も、子供の小さかった頃を除き、
ずっと今に至るまで、我が家では一切テレビを使わず、
ただビデオだけを観ています。
権力の走狗でしかないどこかの番組のために、
使用料など払いたくないからということもあります。

じゃ、浮いた時間をなにに使うのだ?
そう尋ねられると、痛いですが、
やりたいことは一杯ありました。
長い間、自宅でも夕食後仕事をしていましたが、
余った時間は読書と映画に注ぎ込みました。
それが人生の糧になったかどうか?
それは判りません。

目に見えて判る効果の一つは、
私が大抵の人と共通する話題がかなり少なくなったことは明らかです。
でも、私は後悔していません。
私が生涯付き合う相手は私自身だからです。
その私自身と語り合える話題はいくらでもあります。
私の生涯の伴侶である妻もテレビ嫌い。
おかげで、食事中も盛んにさまざまに語りあえます。
話題によっては対立することもありますが、
たいていは意気投合します。

妻は一種の傑物なのです。
これ以上に魅力的な人物に出会ったことはありません。
妻の方は、もう少しマシなのに出会えたら良かったのに、
そう思っているかも知れませんが。

いずれにせよ、二人とも、今、この瞬間に全身全霊をあげる、
という心意気で生活しています。
私はますますブログにのめり込んでいます。
というより、ブログ原稿の製作に、と言うべきでしょう。
写真は私の足跡、文章は私の心の軌跡、
いずれせよ、この絵日記というコンセプト、
大成功です。
読み返す暇など、ほとんどありません。
作るという行為が私の人生の行為なのですから、
別に読み返す必要、見返す必要などありません。
楽しい。

人間、誰しも苦しいこと、嫌なことがあります。
でも、くよくよしていたって、始まらない。
いじいじしていたって、誰も喜びません。
こんなときのために、良い言葉がありますね。
「ものは考えよう」
パスカルが言いましたね、
「人間は考える葦である」
何を考える?
どんなことにも、自分を喜ばせる何かがあるはず!
「それが何かを考える葦である」





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# by hologon158 | 2019-10-01 23:05 | ホロゴンデイ | Comments(0)

810.00 古都のはずれ(2019年6月13日スーパーアンギュロン21mmF3.4は奈良白毫寺でひと暴れ)



今日は、久しぶりに大関レンズを持ち出しました。

  ソニーα7
  スーパーアンギュロン21㎜F2.3

私のように、写真作品など撮らず、
さまざまなレンズの試写を楽しみながら、
ロボグラフィと名付けて、
自分の足跡を記録する人生を選んだ人間には、
自分自身の写真コンセプトに基づいて、
人間社会と自然と切り取る、なんていうやり方は無縁。
常に「行き当たりばったり」の写真なのですが、
これが私の人生そのものにとても似ています。
結局、私は行き当たりばったりに生きてきたんだなあ...
これが近頃私の心に浮かんでくる人生総決算のようです。

私が自分の職業を選んだのは、
小学校の頃、父と二人で散歩しているとき、
父がぼそっと一言つぶやいたのです、
「一生やる仕事は医者か...か、このどちらかがいいぞ...」
結局、小さな池に落ちた小石は静かに静かに沈殿して行き、
高校2年春のことでした、
外科医の義兄が持参した8㎜映写機で観た胃潰瘍の手術シーンで、
決まり!
あんなことはしたくない!
医者なんか、なるものか!
あとは一つの職業しか残されていなかった...
私の父は何年もかけて私をわなに誘い込んだようなものですが、
結局父の職業を選択させられたようなものですが、
私としては、感謝の気持ちしかありません。

就職してから、所属のチーフがぼそっと言いました、
「あんたのお父さん、エラいなあ。
ぼくなんか、子供二人に口を酸っぱくして、勧めたけど、
結局二人とも会社員になって、
とうとうぼくの後を継がなかった。」
この方もエラい人物でしたが、一つ気づいていなかった。
子供を導きたかったから、鼻面を引っ張れば引っ張るほど、逆らう。
自然と、その方向しかない状態に静かに導いていく、
これが一番ですね。

ただし、私は二人の娘を持ちましたが、
職業選択について、いかなる干渉、助言もしませんでした。
自分の人生は自分で切り開いてほしかったからです。
その結果、二人とも素敵な男性に出会って、
私たち夫婦を天国に連れて行ってくれる孫を二人ずつもうけてくれて、
そのおかげで、娘たちも夫婦仲はなおさら睦まじくなって、
そろって私たちを始終訪ねてくれます。

人生、どうやれば、どうなる、
という王道、秘訣などありませんね。
私は写真も同じだ、と思っています。

構想を練って、舞台を作って撮る人がいました。
でも、いつもつまりませんでした。
心に残らないのです。

作品コンセプトを練りに練って連作を撮る方もいます。
幾度か個展を観ましたが、
冒頭に掲示されたコンセプト文と陳列された写真群が、
どう結びあっているのか?
私にはちっともピンときませんでした。
理想は、その逆でしょう。
写真群をまず観たら、写真家のコンセプトが浮かび上がる、
ということでしょう。
でも、そんなことも絶対に起こりませんね。
感じる心は人ごとに違うのです。
同じシーケンスを観ても、全然別のストーリーが浮かび上がります。
いや、そうじゃない。
それはあんた自身の鑑賞能力の欠如を暴露するだけで、
達人なら、それができる、と反論されそうですね。
でも、達人しか理解できない写真展って、
一体、誰のためなのでしょう?
私には、コンセプト文など掲示しな
自分は自分で自分の写真世界を生み出したい、
そう考えるのが写真作家の本来のあり方ではないでしょうか?

私のブログの写真は、常に撮影順に並んでいます。
いかなる意味でも、作品にはならない。
そんな写真群を眺めても、私ではないので、
なんにも感じることができないのは当然です。
文章も、私の心に去来する雑感を高速タイピングしただけ。
人に通用するような文章など、はなから目指していない。

要するに、こんなブログを眺めるって、
時間の無駄なのです。




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# by hologon158 | 2019-09-27 18:09 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

809.00 整然(2019年5月18日エルマジ90mmF2.4は奈良飛火野のナギ林さえすっきりと)




韓流ドラマ「応答せよ1988」を見終わりました。
「冬のソナタ」2002年で完全に韓流ドラマにのめり込んでしまい、
学生時代からの外国映画ファンだった私が、
韓流ドラマに一辺倒になってから約16年、
外国映画を観るのは、ほんのささやかな道草のニュアンス、
心はひたすら韓流ドラマだけに集中しています。
原則としてまずTSUTAYAでレンタルし、
よほど気に入ったものだけ購入します。

長い間、チェ・ジウさん一辺倒でしたが、
次第に作品に恵まれなくなり、
とくにVIP的な境遇のヒロインを主に演じるようになって、
失速してしまいました。
彼女は、恵まれない薄幸の美女役が似合うのに、ねえ.........
惜しいことです。

次第に分かったことですが、
彼女は良い監督に恵まれたときにだけ、無敵になれる女優でした。
誰でもそんなところはあるでしょうけど、その違いが著しい。
そんな状況は原節子さんに似ています。
小津安二郎監督こそ、
この稀有の女優の美点を最大限に引き出すことができました。

韓流ドラマは、旅行でもしない限り、毎晩観てきましたから、
ざっと累計してみると、300作ほど観た計算になります。
韓流ドラマがなぜすごいか、分かりますか?
主演スターたちの魅力?
それもないわけではありません。
でも、日本と違い、韓流スターたちはスター性によりかかりません。
一作ごとに渾身入魂の演技を見せます。
汚れ役も厭わない。
そうでないと、生き延びれない。

全出演者が一丸となって、ドラマを盛り上げ、
そのドラマがまさに波乱万丈なのです。

さらに言えることは、韓流ドラマのすごみを支えているのは、
主役もさることながら、むしろ、脇役、助演俳優たちなのです。
もちろん、そんな名優はそんなに沢山はいません。
かなり限定された数の男性、女性の助演俳優たちが、
入れ替わり立ち替わりドラマを支えます。
彼らのすごいのは、その度に、完全に変身すること。
その絶大なる演技力を深い人間性が支えている、
そんな感じを受けます。

鶴橋の場末の韓国料理店の女将は、真剣な表情で、
「あの人たち、本当のスターなんですよ。」
私もそう思います。

「応答せよ1988」は5軒の人々の物語。
都会の片隅、忘れ去られたような下町に隣り合って生きています。
5組の両親たち、子供たちがかなり複雑、変幻自在の人間模様を描き出します。
それぞれに苦しみながらも、元気よく生き、それぞれに幸せをつかみ、
それでそこに済む目的を果たしたかのように、順次、ステップアップして去ります。

韓流ドラマがすごいのは、そうした体験の積み重ねが見事に花開いて、
主人公たち(本編では十数人居ます)がそれぞれに見事に成長していく、
そのプロセスがかなりリアルに描き出されるところにあります。
ゲーテのビルドゥングスロマン(経験で成長する人たちのドラマ)の伝統を、
日本の映画、ドラマはほとんど捨て去ってしまいました。
韓流ドラマはいまだに忠実にこの伝統を守り抜いているのです。
気がつくと、雑然とした下町の混乱の中から、
見事に成長した人間たちが次々とすっくと立ち上がります。
ドラマの主人公たちはあたたかい人間的感情に涙し、
観ている方もさわやかに涙を流すことができます。

「応答せよ」シリーズはすでに3編目。
どれもこれも傑作です。
3編とも韓流ドラマ史に名作として残るでしょう。
ですが、今回の1988年は取り立てて最高の名品となりました。

なぜ私がこんな風に韓流ドラマに魅せられ、
日本のドラマに魅せられないのか?
理由は明らかです。

韓国人はどうやら、喜怒哀楽そのままに振る舞う、
これを押し隠そうとすると、自分自身も周囲の人もかえって傷つける、
とする伝統があるようです。
ですから、どんな感情も隠さない、
だから、その表情を見た人は、感情をそっくり理解できる、という社会。

これに対して、日本文化には、感情をあからさまに出さない、
感情を押し隠す、それが成熟した人間の姿である、
とする伝統、文化があります。
これが邪魔をしている感じ。
名優たちは、無表情の裏に人間味のある葛藤を押し隠す演技を理想とし、
その内面が観客に伝わってこないことが多い。
日本の映画、ドラマでは、人気スターを重用する伝統の中で、
いわば下積みの訓練を経ていないにわか俳優が重用されるため、
大根が主演、助演の役柄を占めることになり、
観客は、その無表情の陰に、
いかなる情感も感得することができないことになります。
実際、そんな情感など抱いていないのですから、当然ですが。

韓国でも、人気スターが映画、ドラマに進出しますが、
人気にあぐらをかいて、ただ表面的に演じる限り、
百戦錬磨の助演俳優たちに完全に食われてしまいます。
だから、必死の演技となります。
シーン順に必ずしも制作されてはいないのでしょうけど、
どのドラマでも、主演俳優たちは、
助演の本物の俳優たちの薫陶を受けるらしく、
回を重ねるにつれて、
演技者としてどんどん成長していく姿を見ることができます。

しかも、脚本家が日本よりもはるかに有能です。
どんなシーンも伏線となり、どんなシーンも起こるべくして起こるように、
有機的な関連、連鎖が常に観る人をラストに向かって牽引してくれます。
日本のドラマは情緒的に流れて、有機的な関連、
出来事の必然的な連鎖に裏付けられていないことがよくあります。

日本文化そのものが古来静的な落ち着きを理想としてきました。
感情をむき出しにするなんて、もっての外、というわけです。
小津安二郎、原節子、笠智衆のトリオによる名作、
「晩春」「麦秋」「東京物語」が成功したのは、
そうした日本的な静を画像化することによって、
日本文化の香り、節度に満ちた人間ドラマを見事に表現したからでしょう。

でも、三流の監督、へぼ役者たちが演じると、
ただの退屈な三文芝居に堕してしまいます。

私という人間は、あいまいな決着でよしとしましょう、
というような微温的な結末には我慢ができない性格。
成人して就いた仕事も、
「わかりませんでした」という結末など絶対に許さない性格で、
いわば生きるか死ぬかとせめぎ合いに割り込んで行って、
それを双方が納得せざるを得ないような形に一刀両断して、
「これでどうだ! 文句あるか!」と大見得を切る、
そんな性格の仕事だったので、
ことさら韓流ドラマに心が惹かれるのかも知れません。

ついでに書きますと、韓流ドラマは原則として、
セックスシーンなどありません。
熱愛もとても節度のある表現にとどまります。
このあたりは絶対に変わらない。
それがとても安心してドラマを楽しめる要因にもなっています。

そして、ハッピーエンドの大原則。
世界はますますアンハッピーエンドに向かっています。
悪い奴ほどよく眠る世界です。
それだけに、ドラマだけは美しく清純であってほしい。
韓流ドラマはそんな私の気持ちを完全に大事にしてくれます。
いつも私の心を清らかに洗ってくれます。
これこそ、最大の魅力かもしれません。

近頃、ちょっと懸念していました、
韓流ドラマはマンネリ、退潮に向かっているのではないか?
でも、そうでもないようで、
依然として、次々と傑作を生み出しているようだ、
まだ活力を失っていない、
本作品でそう確認できました。
まだまだ韓流ドラマを楽しみながら生きることができます。

今回は、久しぶりにフランスのレンズを奈良町で使いました。

 カメラは、ソニーα7
 レンズは、エルマジ90mmF2.4

ペッツヴァールレンズです。
でも、ペッツヴァールの特徴であるとされている、
周辺のぐるぐる巻きの気配は見当たりません。
四隅の劣化もさほど顕著ではありません。
その意味では、周辺まできちんと撮れるので、
90㎜長焦点のペッツヴァールにしては、
全体でひとつの作品を構成しやすいレンズのようです。

でも、ちょっと不満。
私の写真はすべてノートリミング、ノーメイキング。
つまり、撮れたままなのですが、
これがペッツヴァールなの?
真面目にきちんとしすぎじゃないの?
という印象。
私のペッツヴァール的期待にちょっとそぐわない。
ペッツヴァールというのは、
もう少し意外性たっぷりのレンズじゃないかな?
韓流ドラマ的な大胆な遊びが欲しいなあ..........





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# by hologon158 | 2019-09-25 00:03 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

808.02 飛鳥路(2019年5月6日エルマリート28mmF2.8は変わりゆく田園を惜しみ)2



ジョージ・オーウェルという人は本当に世界が見えた人でした。
彼の1949年の未来小説「1984年」は、
世界の人間という人間がビッグブラザーの独裁に服し、
双方向テレビを通じて支配される世界でした。

今起こっているのがまさにそれです。
すべての報道が管理され、
人民は双方向的なパソコン通信を通じて支配され、
人民は報道がこの世に起こっている出来事であると信じて疑わない。

日本で言えば、NHKの報道に一喜一憂して、毎日をつつがなく暮らしている。
元号が改まった、
さあ、新時代到来だ!
さあ、待ちに待った東京オリンピックだ!
象徴天皇が交替しても、日本という国に変化など起こらない。
東京オリンピックはスポーツマンの祭典だけど、
ただの傍観者、見物人である私たちの人生に、
本質的になにかスペシャルな意味があるわけではありません。
遠くで過ぎ去るお祭りに過ぎない。
でも、なにか人生が変わるかのように、浮かれさせられている。
あらゆることについて、考え方、感じ方、生き方を押しつけられて、
疑うことを知らない。
すでに潜在的専制国家の人心支配に服しているのに、
まったく気づいていない。

私のように、テレビ、新聞と完全に絶縁している人間は、
ただ自分の人生をどう作っていくか、
これだけが大切。
でも、こんな人間はまさに社会のはみ出しものでしかない。
もっともネットで監視され、支配され、密かに影響されている。

日本だけではないようです。
世界は、私を置き去りにして、
あらゆる国で情報管理、人心操作が洗練化し、
どんどんと専制国家が深く静かに進行しているようです。
どうやら全地球が、オーウェルの描いた全地球専制世界に向かって
蕩々と押し流されていくようです。

アップルのリーダー、スティーブ・ジョブスは、
あるときからCIAと連携したようです。
全世界のiPhone使用者の情報は今やまさにiCloudを経由して、
CIAの集約管理検閲下に置かれてしまいました。

中国では、かなり前から、国民の携帯電話、電話等の情報システムは
政府の支配管理下に置かれて、
有害情報は速やかに抹殺されてきたようです。
中国政府に不利益な世界の情報網もすべてシャットアウト、
遮断されています。

iCloudに象徴されるように、
西側諸国も密かに同様の情報管理体制に組み込まれつつあるようです。

私と同様の体験をされてきた方が多いでしょう。
子供の頃、日本の未来は薔薇色でした。
日本国憲法によって、国民の自由、人権はしっかり保護され、
自由、平等、平和の社会になったのだ!
でも、この薔薇色の自由、平等社会は長続きしませんでした。

今、学校は日本国憲法を教えているのでしょうか?
しかし、日本国憲法は厳然として存在し、
日本国と日本国民の拠って立つ法的基盤であることに変わりはありません。
でも、自民党政府自体がこの体制を密かに切り崩し、
明治憲法的政治体制を固めようと鋭意努力をしています。
玉乗りの芸人がごろごろ転がる玉の上で、
一生懸命玉を錐でつついて破裂させようとしている、
そんなものであることに気づいていない。
でも、クーデターによって一気に政治体制を明治に戻そう、
そうしても、日本人は従順についてくる、
そう確信できるときがいつか来るかも知れません。
その日があまり遠くないのではないか?
そんな気がしてなりません。

さて、エルマリート28㎜F2.8第一世代の2回目です。
飛鳥に来て、何を撮ってるんだ?
そう感じる人が多いでしょう。
でも、私は何も飛鳥の観光案内をしたいわけじゃありません。
30回ほどは訪れたでしょうか?
大和に住む人間には故郷のように感じられる場所の一つです。
空気感そのものが違います。
そんな空気感を感じたいから、撮ります。

でも、次第次第に文明が侵食していく、そんな気配。
エジプトでは、三大ピラミッドのすぐ側まで、
灰色の都会が押し寄せていることにお気付きですか?
人口集中がこのまま進めば、
いつかピラミッドは街のど真ん中に押詰められてしまうでしょう。
大和路も同様です。
大災害から比較的安全な大都市近傍の安全空間という触れ込みで、
地方公共団体と企業が一体となって、
盆地全部を灰色の人工物で埋めようとしています。

あと何回飛鳥を訪ねるでしょう?
あと何回行けば、「飛鳥はもう大和路じゃなくなった」
そう悟らされるでしょう?




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# by hologon158 | 2019-09-18 12:09 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

808.01 飛鳥路(2019年5月6日エルマリート28mmF2.8は変わりゆく田園を惜しみ)1




私は現代の政治経済に完全に幻滅しているせいでしょうか、
超越的な次元とか宇宙とか古代史に関心が傾きがちです。
想像力を働かせる余地、自由が一杯あるからです。
でも、分からないのは宇宙人来訪、UFO。

いつかの国際会議で、カナダの元外相が発言して、
すでに地球には各種の異星人が到来して、コンタクトしている、
と、堂々と暴露したことがありました。

ヒラリー・クリントンさんも、前回の大統領選挙において、
大統領に当選したら、UFOに関するFBI全資料を公開すると公約しました。
二期8年間にわたって大統領夫人、国務長官として
政治の中枢に参画したのですから、
UFOの存在を証する資料の存在に接することができたからこその発言。
合衆国の機関がUFOと接触したことなどなく、
だから、UFOなど地球に来ていないという認識なら、
そんな公約を挙げる必要などまったくありませんね。
大統領に当選後、「調べてみたら、来訪の証拠はありませんでした」では、
まるで、詐欺ではありませんか?
それなら、公約に掲げる必要なんかゼロ。
もし尋ねられたら、
「私は8年間合衆国政府の中核に参画していたが、
UFOの来訪を証するような資料など、一度も見たことがない」
そう言えば、事は足ります。
だから、UFOの来訪を証するような資料に接したのです。
FBIはクリントン追い落としになぜか躍起になったことも加えて、
このこと自体が不気味ですね。

もう一つ、奇妙な事実があります。
人間の遺伝子DNA中、現在使われているDNAはたった3%でしかない、
というのは有名な事実ですね。
残りの97パーセントの役割はなんなのか?
この点で議論があるようです。
① ジャンクDNAとして、なんの意味も機能も持たない。
② 今後必要に応じて発現するスリーピングDNAである。
このあたりまでなら、まだ呑み込めます。

ところが、人間のDNAの解析に携わった研究者の中から、
2017年、衝撃的な異論が飛び出してきたようです。
③ 人間は異星人によってデザインされた。
97パーセントのスリーピングDNAは異星人に由来する遺伝子コードであり、
将来、異星人が到来したときに働き始める可能性がある。

なんということでしょう。
私たち自身が、地球人を装う、宇宙人の卵なのでしょうか?
97パーセントの遺伝子が発現すると、
生まれ出る地球人は宇宙人本来の姿で生まれることになるのでしょうか?
そんな回りくどいことをしなくても、
最初から、宇宙人と直接コンタクトできるハイブリッド的ヒューマノイドとして
創造しておけばよいのに?

最近は、いや、残り97パーセントもちゃんと機能している、
というい説も登場しているようですね。
調べてみてください。

前記のような超独創的な進化論が登場するのも、
ダーウィンの突然変異による進化説がとても信じがたいからです。
現生人類の脳容積が先行ヒューマノイドから増大しているのですが、
そんなめざましい進化を果たすに必要な時間などなかったからです。

突然変異は、無作為に起こる遺伝子変異が偶然進化につながるという、
1億円宝くじに当選するよりも稀な偶然に依存しています。
何十万年、何百万年ほどの時間の堆積があって、
ようやく実現するかしないか運次第、というような種の変化なのです。
人類でそれを見てみますと、
約280万年前にホモ・ハビリス(脳容積550CC)に、
約200万年前にホモ・エレクトス(脳容積1000CC)に進化し、
約20万年前にピテカントロプス(脳容積150CC)と
ホモ・サピエンス(脳容積1350CC)に進化したとされています。
あまりにも急激すぎて、突然変異では説明がつきません。
でも、さりとて、宇宙人加工説に一足飛びというのもどうか、
と思われます。

宇宙人がこんな迂遠な策を弄したのは、
大移住計画が実現して何万年か後に宇宙船の大編隊が
どこからか地球に到着した頃、
地球人もその宇宙人に生まれ変わって、大歓迎、
といシナリオなのでしょうか?
そうだとしたら、間近になると、その到来を予測できそうです。
突然新生児に意味不明の突然変異が発生し、
奇怪な姿の新生児たちが訳のわからない言語をしゃべり始めたとき、
でしょう。
怖いですね。

UFOに話を戻しますと、
どうも我が国では、UFO目撃記事はあまりないようですね。
私が知らないだけでしょうか?

私の高校時代の親友は大学生の頃突然UFOにのめり込み、
休学して北海道に移り住み、
同好の士たちとUFO観測基地を営んだことがありました。
1年ほどして、帰ってきました。
私を訪ねてきたので、質問してみました。

  「それで、UFOは見たの?」

彼、にっこり笑って、

  「見たと思ったら、見たと言えるけど、
  気のせいだと思ったら、気のせいかもしれない」

ぶっ倒れそうになりました。
そんなことのために、1年を棒に振ったのか?

YouTubeにも、宇宙人が語るビデオなんかがありますが、
いずれもわざと照明を落とした暗い室内で、
茫洋と定かでない姿の画像ばかり。
これは猛烈におかしい。
普通に携帯で撮っても、遙かにくっきり明確に撮れます。
まして、政府機関が記録のために録画するのです。
形姿、振る舞い、言葉、そのすべてが宇宙人を知る手がかりとなります。
だから、最高に鮮明な録画、録音を試みるのが当然。
それなのに、なぜかわざとぼんやり録画。
つまり、フェイクかコンピュータグラフィックスなのです。
一目で分かって、つまりませんね。

ということで、私は、地底人であれ、月世界人であれ、外宇宙人であれ、
UFOなる飛行物体が現実に地球表面を飛び回っていることについて、
未だにまったく信じることができません。

この銀河系だけで1千億を超える恒星がひしめいているのです。
現在時においても、
何十万という惑星に生命体が進化していると確信しています。
でも、光速で天がける宇宙船が発明されても、
地球にやってくるためには何百年、何千年、何万年とかかります。
そんな幾百世代を浪費するような星間移動を試みる価値などありません。
自分の星で活躍すれば、それで十分。
だから、いつの時代になっても、未知との遭遇など起こるはずがない、
だから、もちろんのこと、来ているはずもない。

それなのに、なんとかたどり着いたとしましょう。
せっかくたどり着いたのです。
当然、華々しく降臨し、人類と友好を図ることにするでしょう。
せっかく来たのですから、一杯調査し、
どっさり調査結果をお土産とする必要があります。
もしかしたら、帰り便の補給物資の供給だって必要かも?
でも、宇宙人の皆さん、遙々やってきて、
ようやくたどり着いたのに、こそこそこそこそ........
なんだかおかしい。
これが私の現在の結論。
依然として、私たちたちはこの宇宙のローカルエリアで、ひとりぼっち。
ちょっと寂しいですね。

さて、レンズはエルマリート28mmF2.8!
名にしおう、初代の8枚玉バージョンです。
親友のDAさんのレンズが2代目です。
2代目の方が色再現も優れ、レンズとして申し分ない感じ。
初代は色再現に関しては、2代目、3代目に譲る感じ。
かなり古風なのです。
それだけ、画像にクセがかぶさる感じがします。
でも、私は優れた写真作品を撮りたいわけではありません。
私は作家性は徹底的に拒否します。
古代レンズは、それこそクセの百貨店。
その程度が激しければ、それだけ古代レンズらしい、
そんな原則があるかどうかは知りませんが、
私が好んで求めたレンズたちは、私同様、クセだらけ。
エルアリート8枚玉もまさにそれ。
だから、可愛いのです。

飛鳥路はどんどん変わりつつあります。
あと30年もしたら、飛鳥路はマンション群に埋もれてしまうでしょう。
ハリイ・ハリスンの「人間がいっぱい」さながらになるでしょう。
それとも、人類は滅んでいるかも?





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# by hologon158 | 2019-09-15 22:20 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

807.02 猫が(2018年12月1日ズミクロン35mmF2通天閣界隈を)2 ミイラに?



古代エジプト人はさまざまな動物のミイラを作りました。
猫と来たら、何十万と見つかるそうです。
もちろん、猫の顔をした神様まで居ます。
何万年も昔から、猫や犬たちは人間の大切な仲間だったのでしょう。
すべての猫がミイラにされたわけではないでしょう。
古代エジプト人にかわいがられていた猫だけがミイラとなったはず。
その数が膨大だったわけです。
こう考えると、古代エジプト人がぐっと身近に感じられます。

それが理解できなかったのが、
ローマ帝国の初代皇帝オクタヴィアヌス。
彼は、パドゥアだったかどこだったか、忘れましたが、
南イタリアの富裕な都市に行ったとき、
市民がペット(猫だったか犬だったか失念)を抱いて散歩する姿を見て、
こう言ったと言います、
「このあたりの人たちは、人間よりも動物を大事にするようだな」
彼は戦争、政争に明け暮れて、
家庭で団らんの一時を過ごすなんてことはほとんどなかったのでしょう。
当時の市民たちの家庭生活にも愛が溢れていたから、
猫や犬が愛されたのです。
人を愛することができるから、動物も愛することができるのです。
子供のない人が猫を愛するのは、
我が子に注ぎたかった溢れる愛を猫に向け変えたのです。
プルタルコスに描かれたオクタヴィアヌス像には、
温かい愛情など欠片もない人生を送った人と思わせる冷たさがあります。
ライバルのアントニウスが
カエサルやクレオパトゥラへの溢れる愛に生きたのとは好対照。

我が家の長女静は、すでに12歳ですが、
すらりと美しく、しかも、とても賢い猫です。
我が一族三代の愛情を一身に集めています。
生まれながらに賢かったことはすでに書きました。
まだ生後3ヶ月ほどの頃、
台所のバケツをのぞき込もうとして、
バケツの縁に足をかけるとひっくり返る可能性を見て取ったらしく、
側の壁に両手をかけて立ち上がり、首を曲げて、
バケツの中をのぞき込んだり、
同じ年齢の頃、
大好きなサッカーをしていて、
ボールが居間の東壁を占拠するオーディオセットの下に転がりこんだ瞬間、
さっと右端に向かい、
巨大スピーカーの横からさっとオーディオセットの裏に走り込み、
次の瞬間には、意気揚々と玉をくわえて、意気揚々と姿を現したり。
どちらも最善の措置を瞬時に悟る、
切れ味の良い頭脳の持ち主であることを証明する出来事でした。

今回はそれから10年以上も経った一昨日のお話。
彼女は近頃、浴室の浴槽、窓枠のスペースで水分補給をとるのがお好み。
このときも、わずかに開いた引き戸の隙間から、
するりと姿を現した瞬間の出来事。
私が彼女の夜食を準備するために迎えにきたことを知っていて、
浴室から出てきたのです。
でも、私が引き戸を閉めようと手を伸ばしたその瞬間、
彼女はくるっと反転して、隙間に頭を差し入れて、私を振り返ったのです。
実に目覚ましい高速動作!
「このまま開けといて。
あとでまた水を呑むから」
という明確な指示。

言葉もときどき使います。
たとえば、私が二階書斎に上ろうと、
居間から玄関フロアにさしかかったその瞬間、
彼女はまことにゆったりとした風情で、
私の目の前にすっとさしかかり、
「ニー!」とささやいて、
私の進路を浴室に向け変えさせるのです。

「あら、ぐうぜんねえ」なんて風情ですが、
私が二階に行こうとしているのを悟った瞬間、
どこに居ても、万障繰り合わせて、私の進路をすっと横切って、
私をスワップする位置に出現できるように案配できるのです。

こうした体験の積み重ねで分かること、
それは、静にも意志があり、
かつその意志を実行するための作戦を選択する知恵もあるのです。
つまり、猫にも、心があり、精神がある!
犬や猫や馬、その他、さまざまな動物と暮らしたことがある人なら、
だれでも知っていることです。

中学時代、文鳥を飼っていましたが、
文鳥は私と親しみ、戸外の道角を私が回ったあたりで、
私が帰ったことを知り、玄関にバタバタと飛んでくるのです。
見えないので、足音で分かったようです。
面白いことに、当時小学生の弟とは互いに犬猿(人鳥?)の仲。
弟が帰宅しても、絶対に玄関に向かいに出ませんし、
事あると、突っつき合っていました。

さらに、高校時代に飼っていた熱帯魚だってそうでした。
私が餌をやるので、私が近づくと、
水槽の底から水面近くに一斉に上ってきたものでした。
でも、弟が近づいても、まるで知らんぷり。
水槽の外がどれほど見えていたか怪しいものですから、
もしかすると、足音が作り出す水面の震動で見分けたのかも?

古代のエジプト人はすべての動物が心を持っていると考えていたようです。
インド、中国の仏教徒も同様です。
「杜子春」で起こっていたように、
私たち人間も輪廻転生の中、
六道の底辺付近を行ったり来たりしていると考えられるからです。

我が家の娘静だって、もしかすると、誰か先人の生まれ変わりかも知れません。
とすると、よほど賢かった人に違いありません。
ご丁重にお付き合いさせていただきましょう。

さて、写真。
今回もズミクロン35㎜F2八枚玉の写真群。
よく書きますが、
私は写真家じゃなく、写真たちは私の足跡でしかないので、
Photoshopの加工は、最低限、濃度のレベル補正だけ。
カラー補正もトリミングも一切しません。
なぜ?
私一人が読者。
しかも、写真家ではないのですから、
撮れたままが一番。

でも、今回はそのレベル補正も半数ほどで済みました。
八枚玉はさすがに高性能なのでしょう。





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# by hologon158 | 2019-09-13 21:16 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

807.01 おれたちに(2018年12月1日ズミクロン35mmF2通天閣界隈を)明日はない? 1




四半世紀前からでしょうか?
もっと前からでしょうか?
コマーシャリズムが日本の永年の行事を商戦略に取り込み、
クリスマスだの、ハロウィーンだの、
バレンタインデイ、なんだの、と、
アメリカの行事まで取り込んで、
日本人なら当然そうすべきであるかのように市場をあおり立て、
日本人はそんなコマーシャルに浮き足立って、
あれやこれやと買わなくても良いケーキなどを買わされて、
幸せになっています。
一体誰の幸せなのでしょうね?

いいじゃないか、
それで私たちも幸せになれたら、
そうおっしゃる方もいるでしょう。
でも、他人の口車、戦術に乗って行動する習慣は
付けない方が良いのではありませんか?
最初は是々非々、自由な選択。
でも、気づいたら、買いたくないもの、
自分が買うなんて夢にも思っていなかったものを買わされている
そんな羽目に陥るだけではないでしょうか?
要らないものを買わされて、
自分の時間と自分のお金を貢がされるだけなのですから。
アメリカの心理学は20世紀後半以降、極端に発達しました。
企業が販売心理学の発達に巨額の資金を投じてきたからです。

コマーシャリズムが世界で一番成功を収めたのは日本でしょう。
子供の頃から、「先生のおっしゃるとおりするんですよ、
みんなと一緒にしなさいよ」と、
親から口を酸っぱくして教えられてきたので、
大勢の赴くところに付いていく習性が出来上がっています。

その証明。
あなたは料理店の前の行列に並んだことがありますか?
なぜ?
評判が良いから並ぶんだろうという考え方。
でも、あなたの嗜好は大勢の人の嗜好とぴたり一致しているのですか?
一致しているのでしょう。
でも、やっぱりおかしい。
味覚は優れて個人的なものであるはずなのに?
私は、たった一度、親友が食べたいという讃岐うどんの店で並びました。
私が知っている奈良の店でできた行列は、
全てその価値があるとは思えない店ばかり。
一時は盛況を極めたのに、今ではどこもひっそり閑としています。
効果はたった2つでした。

 ① 店のご主人が高慢人間と化した。
 ② 味が悪くなった。
 ③ 祭りの後、以前より客が少なくなった。

みんなと一緒に行動し考えようというのなら、
首相がおっしゃったら、ああ、そうか、日本は危機なのだ、
ミサイルだ、戦闘機だ、の、一杯買っておかなきゃ!
という気にすんなりとなってしまいそうですね。
アメリカの軍需産業が世界を支配している時代です。
軍需産業の商戦略は、

 ①平和が第一の敵。平和な国には敵を作り出せ!
 ②戦争が第一の商戦略。戦争がなければ、作り出せ!

軍需産業の得意の技は、おそれを利用すること。
でも、世界が一つになりつつあります。
軍需産業にとっては、絶対に避けたい事態。
だから、世界の分裂、衝突を作り出すために、世界中で活動しています。
気がついてみると、軍需産業を初めとする世界的大企業が世界を支配して、
人間は次第に奴隷化させられているのが現状。
でも、それに気づかないように、懇切丁寧にケアをしてくれています。

人口は加速度的に増加しています。
ねずみ算ほどでなくても、子を産めるジェネレーションが増加すればするほど、
生まれる子は増えるのですから、こわくなります。
世界人口は現在すでに76億を超えています。
ウィキペディアの予測によれば、
2100年には112億を超えるだろう!
問題は人口が増えれば増えるほど、
食料、水、資源の消費量は加速度的に増えること。
すでに現在でも不足しています。
飢餓に苦しむ未開国がどんどん増え、やむなく切り売り状態。
世界産業にどんどん土地、資源を買いたたかれています。
生存競争が民族間、国家間で激化するでしょう。
つまり、112億まで増えるはずはないと言えそうです。

アラスカかカナダで、地面の直下に燃料層が見つかり、
地上の大自然を全部剥ぎ取って、
実に低予算でエネルギー源を手に入れている地域があります。
こうして、人間を含む生命が生存できる自然環境が加速度的に消費されています。
大企業は生命体なので、人間の生存環境を確保する必要性は二の次、三の次。

前にも書きましたが、大企業は人間に変わる労働力、ロボットを鋭意開発しています。
これは創世記に神様がやったのと同じことです。

ついでに言いますが、
旧約聖書の神様は、複数形で登場しますし、
人間にかなりよく似た形姿をした助手たちがいたようです。
ヤコブの見たとおり、
空中と地上を結ぶエスカレーターで昇降する存在。
つまり、どこから見ても、地球外生命体ですね。
彼らがやったことは、地上に労働力を生産することでした。
バベルの塔事件がレポートするとおり、
神は一度失敗したので、言うことを聴かぬ労働力を一掃するために、
ノアの洪水を起こしました。
自分で作った人類なのに、コントロールできなかったから、
すべて廃棄処分するって、なんだか無様。
神様はなんでそんな無駄なことをしたのでしょう。
全能の神様に似つかわしくありませんね。

モーセ、ヨシュアによるイスラエルの地征服作戦も同様です。
イスラエルの地に満ち満ちていた人々も神の創造したアダムとイブの子孫。
それなのに、手当たり次第に、徹底的に廃棄処分し続けます。
こうした無駄な時間、資源の浪費は全能の神に似つかわしくありませんね。
全能ではなく、予知能力も計画性もない存在のようではありませんか?

そんな神様がやったことと同じように、
無駄な(昔風に言えば)穀潰しどもを整理する役割は
今度は一部の超エリート層とロボットに回ってくるのでしょう。
人間の能力中生産活動に必要なファクターの全ポイントにおいて、
ロボットは人間を追い抜きつつあります。
ロボットが人間を凌駕し終わったとき、
人間は償却資産となってしまいかねません。
ほんのわずかな産業貴族層がすでに企画しているのかもしれません。
不要な人間を償却してしまうと、
残された支配的エリート層と企業がユーザーとなります。
ヒューマニズムも償却資産に当然含まれるので、
世界は完全な弱肉強食の血で血を洗う、
おっと間違った、電気を電気で消滅させる、
永遠の戦争状態となるのが地球の運命かもしれません。
誰もこれを止められないのです。
歯止めがないために、いつかハルマゲドン状態となるでしょう。

もしかすると、あれほどさまざまな古代文明において
人間に介入していた先進の宇宙人たちも、
お先に同種の滅亡への道を辿ってしまったのかも知れません。
だから、旧約聖書時代では、エホバは人類に幾度も直接介入していたのに、
子イエスを地球に派遣したのを最後に、
地球には二度と訪れなくなりました。
ちょっと不思議です。
いや、訪れようにも、滅亡してしまったのかも知れません。

以上は完全な空想ですが、
かなりあり得る想定ではないか?
私はそう考えています。

どう考えても、地球上の人類生息環境は劣化の一途。
「おれたちには明日はない」?
子供達や孫達が心配ですね。

こんな時代にどう生きたら良いでしょう。
ルターに倣うより仕方がありませんね。

 「明日最後の審判の日であると教えられたら、どうしますか?」
  という問いに、ルターはこう答えました、
 「それでも、私は木を植えます」

さて、写真です。
2019年5月13日、
ユニバーサルシティで不虹先生の揚琴レッスンを済ませ、
午後は通天閣界隈を撮影しました。

  ソニーα7
  ズミクロン35mmF2八枚玉

このレンズ、かつては、ライカのレンズ中一番人気でした。
独特の実在感、重々しいほどの質感で抜きん出ていました。

現代の写真家にとって、レンズは素材製造具のような役割。
Photoshopで整形、加工しやすいことが一番の条件。
そのためにはニュートラル、クセのないことが最優先でしょう。
現行のズミクロンは、この8枚玉とは似ても似つかない、
優等生レンズでしょう。
私は昔も今も変わりなく、優等生は好きじゃありませんね。
レンズ、人間、どちらもその点は一緒。
というわけで、どんな風に使ってみても、
ズマロン35mmF3.5には及びませんね。




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# by hologon158 | 2019-09-10 16:24 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

806.2 真打ち登場(2019年4月25日パンタッカー50mmF2.3が奈良町で横綱相撲を)2 潮時かな?




私は喫茶店等の飲食店でカウンター席に絶対に座りません。
「一人だから、カウンター席に」と言われると、
後も見ずに出てしまい、その店は二度と使いません。
殺し屋もそうだと、聴きました。
おっと、すぐ出て行くことではなくて、
酒場など人の多い場所での位置取りのことですが。
全視野の見通しがきかない場所は選ばないのだそうです。
私もいやですね。

もっとも、四人席だからと言って、
窓側にいつも座るわけではありません。
カウンターに面して、バックが見えない席と違う、
フリースペースが周辺にあって、見通しがよいからでしょう。

ある喫茶店で、私の横に来たサラリーマンの男性二人、
不思議に窓を見る側に並んで座りました。
後で誰か来るのかも知れませんが、不思議な座り方です。
人間の考え方、感じ方、行動って、まさに人それぞれですね。

私は必ず対話者の目が見える位置に座ります。
相手を理解するためには目を見るのが一番ですね。
私は対話するとき、誰が相手でも、目を見ながら話します。
相手をしっかり理解できますし、
私の言葉もしっかり理解してもらえます。

煙草を使う方もいましたね。
近頃はほとんど居なくなりました。
でも、こんな人の挙措応対はなかなか見ものです。
ちょっと思案を要する受け答えが必要なとき、
わざと煙草を取り出してゆっくりと火をつけ、
一服深々とくゆらし、立ち上る煙をじっくり見送ってから、
やおら、
「おっしゃることはよく分かりました...
考えてみたのですが...
私としては、賛成いたしかねる...
と言うほかはありませんねえ...」
ここで、また、一服深々と吸って、
しばらくしてふっと吐き出して、
その煙の行く末を見極めたうえで、
「まず、この点に関しては、
押さえるべきポイントが3つあるようです。
まず私が言いたい第一点はこうです...」
このあたりで、対話者は、
「あかん、相手がわるかった、一枚も二枚も上手って感じ」と、
劣勢に立ち始めるわけです。
私はもう少し上手でしたから、

相手がそんな小道具を使いそうになったら、すかさず、

「もうしわけない。
私は煙草が大嫌いなんですよ。
煙を吸うだけで気分が悪くなります。
後でゆっくり吸って頂くことにして、
私の提案にまず答えて頂きたいですね」
なんて、出る杭をすかさず打ってしまう。

話を逸らそうとしたら、

「それは後でゆっくりうかがいましょう。
まずは私の提案に答えて頂きましょう。
そうでないと、一歩も進まない」
どう出てこようと、ボールは絶対に渡さない、
これからも、その主義で行きましょう。

もっとも、昔の話ですね。
今はただの無職の徘徊老人。
でも、実態はそうでも、
自分ではいつまでも元気旺盛を感じたいものです。
だから、私は誰にも負けない位速く歩きます。
階段は一段抜きで威勢良く上ります。
絶対にとぼとぼと思案投げ首で歩いたりはしません。

ストリートを撮影するときも一緒です。
視線は何歩も先に飛んでいます。
撮りたいロボグラフィがあったら、さっと体を沈めて、
ノーファインダーでシャッターを落とします。
ピントを合わせる必要がある場合でも、
さっと合わせて、すっと立ち上がります。
撮りたい人が前方に見えた途端、目をそらし、
行き過ぎるまで絶対に目を合わせません。
レンズによって、私の好みの距離に合わせてありますから、
目の隅で人がその位置に来たと感じたら、
伸ばした手の先で静かにシャッターを落とします。

フォーカルプレーンシャッターの銀塩一眼レフを使っていた時代は、
相手がレンズの奥を見たら、キラリと光るので、
撮られたことに感づいてしまいます。
でも、私の場合、ウェストレベルで低く構えますから、
レンズをのぞき込めない位置なので、
気づかれたことはありませんでした。

カルティエ・ブレッソンや木村伊兵衛はそんな瞬間技の超名人でした。
カルティエ・ブレッソン、190㎝を超える大男でしたが、
空気のように気配を消すことができたようです。
これは真似ができませんね。

写友にカルティエ=ブレッソン風のスナップ名人が二人も居ます。
というより、居ました。
二人が消えたわけではありません。
まだ健在です。
でも、今では、二人ともスナップはあまり撮りません。
撮るとしても、遠景か、近景では顔は出さないように配慮しています。
二人の妙技をエンジョイできなくなったことが、
私にとっては人生の妙味を損なう一つの出来事。

このような時代ですから、写真家が人を主題として撮るときは、
今では十中八九サクラですね。
かつてドアノーがそんなサクラを使う名人でしたが、
人間の哀歓をやさしく写し止める名シーンばかりなので、
許しましょう。
でも、サクラを使う限り、私にとっては、残念ながら、
カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛のような、
一期一会の味わいを写し止める名作群を超えることは無理。
人生の一瞬、哀歓のシーンを見事にキャッチする離れ業にこそ、
写真の醍醐味はある、それが私の感じ方。

現代の若者たちはカメラを持った途端になにかを写すことができます。
昔は、初心者は逆立ちしても満足な写真は撮れませんでいした。
何年も何年もカメラの操作、光と写真の相関性を勉強し、
実地体験し、数知れない失敗経験を重ねて学び取らないと、
人に見せる作品など作れませんでした。
じゃ、それだけ写真文化は進んだか?
とんでもありません。
easy come,easy go.です。
本当の写真作品、写真芸術など見ることができない時代です。
腰の据わらない写真を撮って、Photoshopでどんなに加工しても、
Photoshop加工サンプルにはなっても、写真作品になどなりません。
そんなサンプルで組み写真を組んでも、
ただの着想だけの疑似作品でしかない。

かつての写真作品は、たとえば、ユージン・スミスの名作たちは、
文章がなくても、並べられた写真だけで、
人間の懊悩、苦難、深遠なメッセージが届きました。

今は、キャプションで説明されても、
「それがどうした?」
写真がつまらないから、何枚集めても、写真作品になどならない。
そんな気持ちなら、たとえ何年写真をやっても、
ろくな写真は撮れないでしょう。
それが分からない人はまあお好きになさってください。

でも、それが分かったら、何年も何年も苦労しましょう。
自分の写真たちと対話し、自分が本当になにを言いたいか、
自分の心のそこから引き出してください。
そのためには、自分自身に語るに値するなにかを蓄えることが
まず第一歩ではありませんか?
銀塩時代の写真家たちは、果てしなく学び、
自分と対話し、自分の心を鍛えました。
寝ても覚めても、自分の言いたいことは何なのか?
写真とは何なのかを考え続けました。

そんなこともせず、自分を厳しく鍛えることもなく、
日常に埋没したままの人生を送り、
さあ、写真でも撮りましょうと、
そのときだけ写真家気取りになって、
現場の光のことも空気のことも念頭に置かず、
ただ、全自動カメラのシャッターを安直に落として、
「さあ、先生に見せて、これを組み合わせて、
写真展の出品作にしてもらいましょう」
なんて、ちょっとおかしいのでは?

喫茶店の席の座り方から写真論まで飛んでしまいました。
でも、結局、ラストが私の一番言いたいことでしょう。
私は写真を初めてほとんど30数年、一度もたゆまず、
ずっと大量の写真を撮り続けてきました。
銀塩フィルムの時代とデジタルカメラの時代の撮影量はほぼ同量です。
まったく同じスタンスで撮り続けてきたようです。
じゃ、それだけ苦労して、写真家になれたか?

そう尋ねられますと、言下にお答えできます。
「なれませんよ、なれるはずがないじゃないですか?」
どうして?
写真家に成れるのはわずか一握りの選ばれた者だけなのです。
写真家に成れる才能と、
その上に、自分の写真を撮れるようになるための努力、訓練、
この両輪が揃わないと、絶対に写真家になど成れません。

現代のように、完全オートフォーカスで写真が撮れ、
あまつさえ画像処理ソフトで自由自在に作り替える時代には、
あなたがどんなに写真の生得の才能に恵まれていても(そんな人は稀ですが)、
その才能はあっという間にすり減らされ、
偉大な写真作品の絶対条件である一期一会の気配など、
Photoshopで瞬時に吹き飛ばされてしまいます。

どうやら、キャンディットな写真芸術の時代は終わってしまいました。
写真データを活用するグラフィックアートの時代。
でも、グラフィックアートはただの商業ユースでしかありません。
一瞬成功すれば、それでよいのです。
永遠の人の心に刻まれる芸術的真実など欠片もない。

絵の世界でも同様です。
ある作家がキャンバスだか台版だか分かりませんが、
壁面に上から絵の具を流していました。
ダ・ヴィンチ、フェルメール、ゴッホ、ピカソがこれを見たら、
なんと言うでしょう?
こう言うでしょう、
「なにをやってもよいけど、
自分のことを芸術家と呼ぶことだけは止してくれよ」

完全オートで撮られたデジタルデータのPhotoshop加工、
絵の具流し、
どちらも同列です。
出来上がったもののほとんど全部が、
制作者の心から生み出されたものではありません。
自分の手で、自分の心でなにかを創造する行為には絶対になり得ない。

私は銀塩カメラからデジタルカメラに切り替えた時点で、
自分の作品を制作するなんて気持ちは一切捨てました。
デジタル操作を最小限に切り詰めて、
レンズの個性的表現が前面に出るように工夫して、
レンズたちの個性を楽しむスタンスに一変したのです。
写真家でも写真制作者でもなく、ただの写真愛好家。
だから、私は、撮ったまま順番に並べて、
心安らかに自分の記憶を楽しむことができます。

アストロ・ベルリンのパンタッカー50㎜F2.3、
さすがに私のセカンド・レンズ!
こんなに心に食い込んでくるレンズを差し置いて、
いろいろレンズテストを楽しむのはそろそろやめた方が良いな。





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# by hologon158 | 2019-09-04 21:30 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

806.01 真打ち登場(2019年4月25日パンタッカー50mmF2.3が奈良町で横綱相撲を)1 空は見なかった!



7月16日、アポロ11号月面着陸の50周年記念日だったようです。
でも、私は既に何回か書きましたが、
まったく信じていません。

YouTubeにその検証記事のシリーズがあります。
「アポロ計画の嘘 徹底検証」
アポロの月面着陸を直接否定する証明は理論的に無理です。
不存在を立証することは不可能だからです。
シャーロック・ホームズにもソクラテスにも不可能。
このことは覚えて置いてください。
よくこんな言葉を聞くことがありますね、
「やってないんだったら、
やってないことをちゃんと証明しろよ」
これは発言者がバカであることを証明するだけ。

アポロ計画に戻りましょう。
NASAが発表したビデオや写真が月面で撮られたと主張するのであれば、
そこに撮られているシーンは月着陸の証拠にはならないと証明することはできます。
そうした証明を根気よく一つ一つ果たしていく、
とても真摯な研究ビデオです。

私は着陸の瞬間のビデオを当時見た記憶があります。
そして、見た瞬間、これは嘘だ、と悟りました。
着陸船が月面に下降していくシーンです。
沈黙の中に飛行士の落ち着いた静かな声が響きました。
「えっ、どうして?」
私はその声を聴いた途端思いました。
月着陸船の下降噴射のジェットエンジンの音が、
まったく聞こえなかったからです。

車の中の会話を録音してごらんなさい。
エンジン音が会話を邪魔するのを防ぐことなどできません。
後に聴きますと、月着陸船に装備されたエンジンは、
当時世界最大の出力を持つ化け物エンジンだったのです。
室内には空気がありました。
小さく軽い月着陸船は猛烈に振動し、
その内部空間は耳をつんざくエンジン音に満たされていたはず。

別のYouTubeで、11号の出発直前にアームストロング船長自身が
地球上で着陸船の降下訓練を実施したビデオを見ることができます。
着陸船は、下降を安定させる翼がないために、木の葉のように煽られ、
ついには制御不能となり、船長が非常用パラシュートで脱出した後、
地上に激突して炎上します。
手動式なのです。
空気があっても、下降操作が極めて困難であることは疑いがありません。
ところが、月面は空気がない上に、月の上空での重力の影響も未体験なのです。
機体をささえる空気クッションなしに、
ひたすらエンジンの出力操作だけで垂直下降しなければなりません。
誰が操縦したか知りませんが、生まれて初めてなのに、
着陸船はまるでエレベーターが下りていくように、
完全に水平をたもったまま、スーッと下降してゆき、
なんの衝撃もなく、無事着陸します。
大阪弁で「そんなアホなあ」と言いたくなります。

たしかNASAは6回着陸に成功したそうです。
1回も失敗していない。
「そんなアホなあ...........」

月面探査を終えた着陸船がポーンと空中に飛び上がるビデオがあります。
でも、着陸船は、母船に見事一発でランデブーしないと、
そのままあの世に向かってまっしぐらになってしまうのです。
翼のない着陸船がある瞬間にある方向に向かって月面から飛び上がり、
正しい放物線を描いて飛行し、
月上空を周回する母船に見事一点でドッキングできる、
そんな芸当が本当に可能なのでしょうか?
月着陸の偉業の成功を最終的証明する感動のシーン!
そのシーンは母船から撮影できたはずです。
でも、母船へのドッキングシーンのビデオを見たことがありますか?
あったら教えて欲しいものです。

もう一つ、疑惑を決定的に証明する出来事があります。
月から無事生還した3飛行士は記者会見に臨みます。
YouTubeにビデオがありますから、ご覧ください。
うろ覚えですが、記者からこんな質問が出ました、

  「月面で見る、星空、地球、太陽はどんな光景でしたか?」

そのとき、アームストロング船長はなんと答えたか?
ぱっと顔を輝かせて、こう言ったでしょうか?

  「私はそれを見るのが夢だったのです。
   でも、私が想像したものとはまったく違いました。
   想像を遙かに遙かに超えていました。
   今でも、目をつぶれば、その光景が脳裏に再現しますし、
   私がいつか死ぬとき、月面で見た空の光景が
   私の脳裏に輝やいていることでしょう」

宇宙飛行士でなくても、あなただって、私だって、
月に行きたいと考えるのであれば、
その一番の望みは月面に立って空を見上げることではありませんか?

ところが、船長は、それまでも暗かった表情をさらに暗くして、
絞り出すようにこう答えたのです。

   「月面での作業に忙しくて、
   とうとう空を見ることはありませんでした」

隣席の同僚オルドリンともう一人の本船に残ったコリンズも、
その表情は暗く、とっても気の毒そうな風情で見守るばかりでした。
私がオルドリンだったら、こう付け加えたでしょうね、

   「ごめんなさい。
   私は船長じゃなかったので、
   十分月面での空を楽しませて頂きました。
   それはもう言葉に尽くしがたいほどに壮麗でした!
   まあ、聴いてください........」

ウィキペディアで調べて、あっと驚きました。
二人の月面滞在時間はそんなに短かったのでしょうか?
いえいえ、逆。
21時間半だった!
その間、とうとう空を見ることはなかった?
嘘だあ!

想像してください。
月面の空って、見上げる必要なんかないのですよ。
地平線から上はいきなり空、その暗黒の空には、空気がないので、
地球上では想像もできないほどに輝く無数の星が散りばめられている!
地球も太陽も探す必要などありません。
とくに地球は燦然と輝いて、
24時間隠すものなの何もない空にかかっているのですよ!
見たくないと思っても、視野を常に埋めているのが月面の空なのです。

月面着陸に成功した6回すべての月面写真に、
宇宙飛行士たちが撮った星空、太陽、地球の写真を見たことがありますか?
私はありません。
NASAも、科学者たちもとくとくと訳知り顔に説明します。

  「月面上の作業を撮影するために設定した露出では、
  空の星は写らないのです。
  だから、真っ暗なのです」

そうでしょう、そうでしょう。
でも、ハッセルブラッドは手動で絞り、
シャッター速度を動かして、露出を変えることができます。
しかも、そんな露出調整をやっていたことも証明されています。
なぜなら、ほとんどの月面写真はいかなる光線状況であれ、
しっかり適正露出で撮られているからです。

ビデオはおそらく自動露出でしょう。
あんなに喜々として飛び跳ねる飛行士の姿を撮影していた同僚、
ちょっと星空も撮っておかなければ、と、どうして思わなかったのでしょうか?

月面では空気がないので、星は小さく、光量も少なくて、写らないのです、
と、専門家はとくとくと説明しています。
行ってきたのでしょうか?
地球上の大気が星の光を増幅しているとでも言うのでしょうか?
逆ではありませんか?
地球上の大気や地上の光が星の光を弱めているのです。
それがない月面で、星の光が小さすぎて、見えなかった?
本当ですか?

しかも、彼らは、その前提として、
カメラは明るいものだけが撮れるように設定されていたと、
知ったかぶりに説明しています。
でも、この専門家たち、ハッセルブラッドを知らないのです。
台に載せたハッセルのシャッターをバルブB、つまり、開いたままにして、
飛行士は秒数をいくつも変えながら星空を撮れるのです。
このあたりのやり方は、地球上で星空を撮影する人たちなら常識。
ここでも、NASAのために、
なにも知らない人たちをだますお先棒を担ぐ連中が活躍しているわけです。

そのあたりの撮影法は、月との往還の宇宙船の窓からでも同じです。
でも、往還の宇宙船上でのビデオを見ても、
地上の私たちが観たこともない天空全部を埋め尽くす星空に、
窓にしがみついて狂喜乱舞している飛行士の姿なんか見えません。
なんだか本を読んだり、手帳を覗き込んでいる姿ならあります。
それほど忙しかったのでしょうか?

それとも、飛行士たちの肉眼にも星など観えなかったのでしょうか?
そうだったら、アームストロング船長の反応はさらに不可解、
むしろ不正直ではありませんか?
こう答えたはずですね、

   「いやあ、私たちもそれを観るのが楽しみだったのです。
   でも、月面では星なんかかすかにしか見えなかったのです。
   だから、月面での作業に忙殺されたわけです。
   ほんとうにがっかりですよ」

オルドリンも横で「そうだ、そうだ」と頷いたでしょう。

最後に、もう一つ。
アームストロング船長は82歳で亡くなりました。
バズ・オルドリンは89歳で生存しています。
ヴァン・アレン帯を2度も通過し、
8日間も宇宙空間を旅し、
20時間も放射線の降り注ぐ月面で過ごしたのに、
放射線被害を受けた形跡はまるでなかったようですね。
不思議です。

アポロによる月面着陸以来半世紀、
ついにどこの国も月面着陸を試みることさえしていない、
と不思議に思う人が多いようです。
私に言わせれば、話は逆。
今でも行けないのには、
バンアレン帯及び宇宙空間での放射能の致命的な汚染、
ロケット技術、月面生存のための技術等が現代科学技術でも未解決なため。
だから、人類は一度も月に行っていないのです。
よくアポロ着陸の跡が発見されたと写真がネットに掲載されます。
現代ではいかなる写真加工もフォトショップで自由自在なのです。
ご苦労様、と、申し上げておきましょう。

さて、写真です。
今回は、私のセカンドベスト。

  ソニーα7
  パンタッカー50㎜F2.3

暗い写真群ですね。
でも、これが私の好みの濃度なのです。
パンタッカーは、暗部の描出性に関する限り、
どんなレンズにも負けない位に優秀。

こんな暗い写真を好むなんて、
性格がどんなに暗い人なんだろう?
そう思われるかもしれません。
でも、心理学的には逆なのかもしれません。
暗い人間が暗い作品を作っていたんじゃ、
人間が持ちませんね。
人間とその表現はシーソーのようなものです。
性格の暗い人は、明るい作品を作ります。
性格の明るい人は、暗い作品を作ります。

私は、どんなことがあっても、
日本一立ち直りが早い人間なんだそうです、
妻の見立てでは、ですが。
でも、私もそう考えています。
どんなことがあっても、良い未来への踏み台、
そう自然に考えることができるからです。

私のブログには暗い写真が堆積していますが、
それだけ自分の人生を明るく作る糧になっている、
そう私は確信できる、というわけです。




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# by hologon158 | 2019-09-02 14:38 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

805.02 観光シーズン(2019年4月28日オリオン28㎜F6は奈良町でそっと微笑み)2 My fair ladies



数年前でしたか?
パリに世界中の観光客が溢れ、
観光スポット、目抜き通りを歩いても、
パリジャンにはほとんど出会わない状態になっている、
と、聴きました。
今では、世界中の大都市が同様の状態になっているようです。

私はマスコミ関連のニュースをほとんど見ないので、
世界情勢がどうなっているのか、さっぱり判りませんが、
どうやら中東も含めて、日本に直接影響、危機を及ぼすような
紛争、摩擦の危険はかなり軽減したようですね。

そのお陰でしょうか?
私が住む奈良市にも週日を含めて連日海外からの観光客が溢れています。
日本経済に及ぼす影響がどの程度かも知りませんが、
少なくとも奈良の観光施設、商業施設は
一種の観光景気のまっただ中にあるようです。

数年前、こうした海外からの観光ブームが押し寄せる前までは、
奈良市は次第に高齢化の波に洗われ、
貧寒たる地方都市と化そうとしていました。
通行人も車もまばらで、ひっそりと沈滞しきっていました。

それが今はどうでしょう?
市内から郊外にかけて、新興住宅地が雨後の筍のように乱立しはじめ、
ほとんど住民を失いつつあった古い住宅街、高畑町にも
代替わりの二世代目、三世代目が帰郷して建て替えを始めています。
このあたりから見て、
どうやら最近のとくに津波を中心とする大規模災害が影響を与えているようです。
奈良は山に囲まれた盆地で、過去の大災害のすべてから逃れてきた、
災害最少地域の一つだからです。
一度どこかで、岡山、奈良、富山、金沢がトップランクだと読みました。
神戸の海岸線の埋め立て住宅地に林立する高層マンションの人たちも
かなり危機感を募らせていることでしょう。
南海トラフが勃発したら、その位置次第では、
大津波の直撃を食らう危険があるからです。

そして、世界的な観光ブームが奈良の景気を押し上げました。
こうして、今や、奈良の経済もにわかに息を吹き返したようです。

でも、世間はまったく気がついていないのですが、
この古都奈良の活況はしがない年金生活者の私にもある種の影響を与えました。

私は長い間ストリートフォトを楽しんできました。
でも、貧寒となった街々で、ときに出会うとしても、
記憶にないほど過去に青春を卒業した人たちばっかりじゃ、
モチベーションがまったく高まりません
そこで、昔から好きだったロボグラフィ専科に落ち着いていました。
思い返してみますと、
長い間、ロボグラフィ9に対してストリートフォト1の割合でした。

でも、気がついて見ますと、場所によりますが、
この割合がかなり逆転に近くなってきたことに気づきました。

もちろん今でも、ロボグラフィは盛んに撮っています。
持ち出すレンズがその方向を決めるのが実情です。
写真家でもなんでもないのですから、
作品作りとか作風なんて無縁です。
私が出会ったものたち、人たちを記録する、
これだけがレンズの役割です。

ですから、どちらにせよ、作画は一切無縁。
ストリートフォトはものであれ、人であれ、超近接を除き、
常にノーファインダー、ノーメイキングで撮っています。
こちらに気づいているような視線が写っていることがありますが、
これは写真家ならお分かりのように、
私が撮ったから見たのではありません。
撮る前にレンズを見た瞬間の姿なのです。
私の使うレンズはすべて古典的なスタイルのレンズばかりです。
現代の電気製品の部品的なレンズではありません。
個性があり、超精密感と金属工芸美を備えた、骨董品的なスタイル。
でも、使う人はほとんど居なくなりました。
私にしても、長い間、私の仲間以外には、
この種のレンズを使う人に出会ったことがありません。

時にそんなレンズに気づく人がいます。
珍しい、なんだろう?と目をとめた瞬間、私がシャッターを落としたわけです。
でも、私は常に前方か逆方向に視線を向けてさりげなく歩いて居るので、
こうしてレンズに目を止めた人が、
そのレンズで写真を撮ったことに気づいたかどうかは、私にも判りません。

というわけで、写真家のように、構図を確かめ、
狙い澄まして撮ったスナップではありませんし、
撮った本人に、現代社会の姿を記録したい、なんて意図もないのですから、
実はこれもまたロボグラフィでしかないのです。
カルティエ=ブレッソンのような人間社会の営みの形を
写し止めるストリートフォトとは完全に似て非なるものです。

話は変わりますが、
そんなことよりも驚かされることがあります。
日本人、中国人、台湾人、韓国人、ヴェトナム人、タイ人、
どこの国の人でもそうですが、一様に体格がよくなり、
眼差しもきりりと締まり、表情も豊かになって、
欧米の白人たちが混じっても、過去のように、
巨大タンカーが群小の小型貨物船を左右に押し分けるようにして押し通る、
というような印象はまったくなくなりました。
気がついてみると、
高さも振る舞いも表情も個人差が主として目立つ、
そんな時代になっているようです。

むしろ、欧米の白人女性の外観スタイルには、
なんだか水ぶくれの弛みが目立ち、
中国人、日本人女性たちのような、
キリリとした矜恃、美しく健康的なプロポーションはうかがえない、
という印象さえ抱きます。

東大寺、興福寺のような世界的な観光スポットには人種を問わず、
海外からの観光客が溢れています。
でも、奈良町のような、
さほど有名でもない、ただの地方都市の商店街には、
俄然アジア系と日本人が多い、
そんな感じがします。
観光スポットに関する関心度、情報量が違うのでしょう。

こうして普通の速度で歩きながら、
右に左にばったばったとシャッターを切り倒しながら歩くのですが、
どうしても、女性、それも美しい女性に傾きますね。

昔、4歳の甥に尋ねました、
「男の子と女の子とどっち好き?」
即座に答え、
「女の子だよ。」
「なぜ?」
「だって、男の子だもん!」
そして、「おじちゃんは?」
こう切り込まれて、思わず、
「さあ、どうかなあ」とぼかしてしまいました。

正直なところ、ヴィジュアルなレベルでは、
男性なんて見たいとも思いませんね。
それにしても、日本人を含めて、女性たちには、
確固たる個性と気迫を帯びている人が多くなりました。
それに対して、どこの国もそうですが、
男たちははっきり負けていますね。
映画を見てもそうです、
かつての骨っぽいガッツに溢れた男たちはどこに行ったのでしょう?

YouTubeで黒沢の「用心棒」のリメイクの決闘シーンを観ました。
三船敏郎と仲代達矢、
映画界、演劇界を背負って立った名優たちの、
面差し、面構え、人間の大きさを記憶している私は、
その二人の役の現代版には、ただ絶句。
なんだ、普通の現代の男じゃないか?!

現代の日本の政治家たちも首相以下そろいもそろって、
風格も面構えも気宇も腹も覚悟もなんにも感じられない、
ただのこけおどしのおっさんたち。
自分で道を切り開いた初代と違い、
全部お膳立てしてもらって受け継いだ
二代目、三代目が牛耳っているのですから、
株式会社日本が危機に瀕するのも当然です。

さりとて女性たちも、
そんな男たちに、
「さあ、どいて。あんたたちじゃダメ。私たちに任せなさい」
と、面と向かって宣言できるまでに、
経験、自信、気宇を備えるに至っているとは言いがたい。
こんな中抜け時代に危機が襲ってきたら、もうお終い、ですね。

世界的に見ても同様です。
トランプを大統領に選んだアメリカがその典型例です。
つまり、はっきりと言えます。
あんな人をリーダーを選ぶことで、
アメリカは世界を牽引する力を失ってしまったという感じがします。
現代は、災厄と畳一枚で隣り合わせている危機の時代。
怖いですね。
日本は、また世界は、一体どうなるんでしょうね?

私は、こんな風に危ぶんでみても、
社会的にいかなる役割もないのですから、
無力、無意味でしかないという感じがします。
だから、こうして、写真で楽しんでいるわけです。

今回の写真では、オリオンが活躍しています。
奈良町を行き交う人々、とくに女性たち、
まさに絵になる人が溢れている感じではありませんか?





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# by hologon158 | 2019-08-30 17:42 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

805.01 観光シーズン(2019年4月28日オリオン28㎜F6は奈良町でそっと微笑み)1 オリオン座



あなたは星空が好きですか?
私は好きですね。
星空だけじゃなくて、空そのものが大好き。
だから、バスに乗っても、歩いても、
どこに居ても、空を見上げています。

長い間、日本の大気はスモッグによって汚染されていました。
10年ほど前から、日本の空が子供の頃の透明感を取り戻したようです。
とくに、この1、2年。
美しい空を楽しむことができるようになりました。

私が一番好きなのは、夕方と夜の空です。
私は生涯絶対に忘れることのできない夕焼けを見ました。
高校3年のときです。
その空の光景はいつでもマザマザと思い出すことができます。
記憶力が常人より劣っている私にして、
いつでも思い出したくなったら、即時に想起できるから、
私の人生の最高のシーンの一つなのです。

当時、我が家は大阪府豊中市岡町にありました。
豊中は南北に連なる丘陵地帯の西側スロープの上に位置しています。
このスロープは西に向かって緩やかに下降し、
隣の伊丹市、尼崎市から神戸市まで次第に上昇し、
真西に六甲山系に盛り上がっていました。
我が家の窓からは、西方全景がパノラマになって見えていました。
要するに、我が家の窓から見ますと、日没の太陽は、
六甲山と、その懐の丘、甲山(かぶとやま)の上に落ちていくのです。
私の高校生の頃はまだ家々で埋め尽くされていませんでしたから、
緑の中に適度に人間の味わいを添えた、
数十キロに及ぶ自然のスロープの上に、
巨大な天空の穹窿が覆い被さるという感じで、
実に雄大な景観でした。

でも、その時の光景はスペシャル中のスペシャルでした。
一人、留守番をしていたと記憶します。
屋内に私一人だったのですから。
2階の西側の部屋が私の勉強部屋兼寝室でした。
机の前の大きな窓は南を向いています。
勉強中ふっと目を上げると、
お隣の蔵の上空にはゴールドが広がっていた!
大急ぎで、もっと西空が見える窓に移動しました。

その景観に覆い被さる大天井の青空の全体を、
くっきりとした糸巻き状の巻雲の列が覆っていたのです。
見る見る内にその糸巻きの絨毯が黄金色に彩られました。
見渡す限りの大空が、
真っ青な地からくっきり浮かび上がる黄金の絨毯と化したのです。
後にも先にもこれほどに完璧なゴールドを空に見たことはありません。
当時の私は2.0近い視力の持ち主でしたから、
壮大な黄金の絨毯の細部の細部までくっきりと眼に焼き付きました。

もう大声で叫びたい気分でした。
性格的に、かなりお節介な私ですから、
家人が居たら、知らせたでしょう。
でも、あいにく、誰も居ない。
道行く人はどうだろうと見下ろしますが、
帰宅を急ぐせいでしょうか、
誰も顔を上げようとしないで、通り過ぎて行くばかり。
かなりヤキモキさせられました、
「誰にとっても、生涯で最高の夕焼けだろうに、
それに気づかないなんて!」

阪急豊中線は南北に走っているので、
この光景は電車の中からも見えたでしょう。
事実、私も、これほどではないけど、
壮麗な夕景に幾度か車窓で接したことを記憶しています。
私は大学からの帰り、
いつも夕方には六甲山を見る左側に立っていたのです。
前記のゴールド夕焼けほどではありませんが、
豪壮な空のページェントに接しました。
観る度に、こう言いたくなりました。
「わあ、凄い!
皆さん、観ましょう!」
でも、内気な人間でしたから、そんなことを口に出すこともできず、
周りを見回すと、その都度、ほとんどの例外なく、
車内で西側を向いてつり革を握っている男女はすべて、
俯いたり、眼をつぶったり、読書したりして、
眼前の絶景に気づこうとしませんでした。
多くの人はご自分の世界に籠もってしまって、
夕焼けにも空にもあまり関心はないのではないか?
そんな感じを抱いてきました。
と言うより、今でも、抱いています。

さて、夜空ですが、
私は、天文学も大好きですが、
深夜に天体望遠鏡を据えて、天体観測するのは苦手。
それよりも、星空を肉眼で見るのが大好きでした。
私の子供時代、青年時代には、空も美しいし、
(大阪、神戸のような都会はスモッグの時代でしたが)
私が住んだ地も、いつもかなりローカルでしたから、
視野を邪魔するビルもイルミネーションの渦もなかったので、
空は文字通り暗黒でした。
そして、その暗黒の大半を星屑が埋め尽くしていました。
有名な星座はすべて観ることができました。

もちろん冬が一番でしたが、その星空の王者は、
もちろん、オリオン座でした。
シリウスもおおぐま座もカシオペヤ座も素敵な景観でしたが、
なんと言っても、私が一番大好きな星座は、
オリオン座でした。

面白いことに、古代史を勉強しますと、
古代でも、ほんの少しのずれはありますが、
現代と同じ星空で、しかも、満天の星の中から、
現代の人間が認識するのと同じ形の星座を見分けて、
天上の存在として尊崇し、憧れていたのです。

文明は星座にそれぞれ別名をあてていたようですが、
どんな文明でも、オリオン座は最高にスペシャルな星座だったようです。
グラハム・ハンコックとロバート・ボーヴァルは、
三大ピラミッドは、
オリオン座のベルトを構成する3つの星の位置関係を
地上に再現したものであると発見しました。
オリオン座のファンは私だけではなかった!

古代のエジプト人たちは、星空にインスピレーションを得て、
神学、哲学等、さまざまに思想をこらし、文明の基礎としてきたようですから、
二人の発見はどんぴしゃり正解でしょう。

オリオン座は人類の文明、文化の基本ファクターだった、
そう言えるようです。
近頃は、そのオリオン座のもっとも輝く星ベテルギウスが、
超新星爆発をしたのではないか、と話題になっています。
一説によれば、まだ爆発にまでは至っておらず、
もし爆発したら、地球の真昼の空にその姿が見えるだろう、
その場合、地球に深刻な被害をもたらす危険さえある、
とさえも言われています。
怖いですね。
直接被害がなくても、オリオン座の壮大壮麗な姿が、
永遠に失われてしまうことは明らか。
もし超新星爆発するとしても、100年後くらいにお願いします。

おっと、忘れていました。
星空、オリオン座のことを書いたのは、
今回の記事の写真を撮ったレンズからの連想でした。

 ソニーα7に付けた、
 オリオン28㎜F6

オリオン28㎜F6というレンズ、
いつも書いていますが、「小さな巨人」レンズです。
道具としての存在感にしても、描写力にしても、
ライカのレンズ史上最高のレンズの一つ、
エルマリート28㎜F2.8第一世代のような貫禄はありません。
でも、使う度に舌を巻きます。
こんな廉価版レンズがどうしてこんなに過不足なく、円満で温かで、
しかも、正確な雰囲気描写をしてくれるのだろう?

オリオン、私の最高のお気に入りレンズたちの輪に、
次第次第に加わって行こうとしている、
そんな感じが強くなっています。





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# by hologon158 | 2019-08-28 17:30 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

804.02 安心立命(2019年2月13日奈良町がズマロン35㎜F3.5に優しく微笑み)2 悩むことでもないか?



若い頃から物忘れは日常茶飯事。
なんだか自慢のようですが、実は自慢。
私の特技の一つが、これ、
「忘れる!」

妻から「日本一立ち直りの速い人間」と言われています。
そうだと思います。
その秘訣がこれ、ただちに忘れる!

日本で2番目か3番目にミスの多い人間ですが、
それでも晴れ晴れと生きておれるのは、この特技のお陰。
なにも引きづらない。
だから、暗く沈んだりすることがない。
子供の頃からやりたいことが一杯ある人間なので、
細かいことも大きなこともいつまでも引きづっている暇がない。
大きなことができる人は、小さなことにもこだわって、
跳躍台にすることができるのでしょう。
私は別に大きなことしたいわけではないので、
跳躍台は不要、というわけです。

たちどころに気分を切り替え流琴ができます。
近頃、突然、ルネサンスの気分になっています。
イタリアルネサンスのモットーは、
「古典ギリシアに帰れ」
私のルネサンスは、
「ホロゴンに帰れ」

ホロゴンの超パンフォーカス写真と、
ボケレンズたちの超ピンフォーカス写真、
この両極端のバランスを楽しむのが私の写真生活ですが、
近頃は、後者に激しく傾いていました。
そろそろしっかりとバランスを撮りながら、
写真生活を楽しまなくちゃ、というわけです。

私の近頃の必携品は、

  ポメラ
  Kindle 
  ソニー・ウォークマン
  iPhone

iPhoneは付属、補助、
別になくてもよいのです。
でも、上段3つはミニ書斎の本質的ツール。

喫茶店に入ると、基本的にはコーヒー一杯。
これで、気持ちを整えるのですが、
コーヒーを呑みながら、1時間ほどは粘ります。
まずはKindleでしばらく読書。
今は、旧約聖書と吉川英治「宮本武蔵」に夢中になっています。

旧約聖書は今ギデオンと300人のお話の最中。
出エジプト記からここまでいつも気にかかっていることがあります。
神は全能の神であり、宇宙全体の創造者です。
地球にアダムとイブを贈り、人類の時代を創造しました。
地球上の全人類がアダムとイブの子孫です。
でも、旧約聖書を読む限り、
エホバはイスラエルの民だけを選んで手厚く保護します。
だから、選民なのですが、これが私には疑問。
他のすべての民族も神の創造した人間ではないのでしょうか?
もっと大事にしてあげたら、と思いますね。
それなのに、エジプトからイスラエルの民をユダヤの地に導いた神は、
先住者たちをほとんど殲滅してしまいます。
彼らも神の子なのに、なぜ?

そして、神は全知全能の絶対神であり、
そんな神が選びたもうた民のはずなのに、
選べれし民イスラエル人は神の期待に十分応えているとは思えません。
旧約聖書を通じて果てしなく幾度も幾度もエホバへの信仰を忘れ、
無知迷妄のしくじりを重ねます。
サウルもダビデもソロモンも愚かな所業をいくつもいくつも重ねます。
すべて神の定めた運命なのに、なぜ?

歴史全体を通観すると、ますます神の意図を疑いたくなります。
結局、エホバの選びたもうたイスラエル人は、
折角2000年近くもディアスポラの苦渋を舐めさせられたのに、
世界全体の支配者となることもなく、
20世紀、出エジプト記で与えられた地にようやく戻ることができただけ。
なんだか、ただ「振り出しに戻った」だけではありませんか?

しかも、なんだかややこしいことになっています。
神は最初の方針を変えて、我が子イエスをこの世に送り、
イエスはキリスト教をこの世に送ります。
でも、キリスト教は地球規模では一部の人間の信仰にとどまってしまい、
たとえば、ヨーロッパやアメリカの教育階級の多くは、
表面上はともかくも、内面的には宗教から離れてしまいました。

そして、さらに悪いことに、
人間に地上の生物のほとんどを滅ぼさせ、
人間も、わずか数千年の文明を終焉に導くかのように、
コンピューターとロボットを主体とする機械文明に屈しつつあります。

すべてが神の御業であるとすれば、
神がこの世に人間を生み出し、信仰を与え、イエスを贈りたもうたのに、
ほんの数千年、つまり、宇宙創造からの期間を見れば、ほんの一瞬の間で、
滅亡に瀕する状態にしてしまおうとしている?
これじゃ、しばしの手慰みにすぎなかったのではないか、
と疑わざるをえない事態になっています。
恐竜には1億数千万年もの地上支配を許しながら、
たった数千年は短すぎ、失敗に過ぎるのではありませんか?
そう疑いたくなってしまいます。

でも、私には、信仰はお与えにはならなかったので、
上記のような疑問は、神の判断、選択を疑わせるものではなく、
神の存在を疑わしめるものなのですが、
それは、つまり、悩ましい事態でもなんでもないと言うことです。
私と妻は、かなり健全な体と心を天から授かって、
おかげさまで、二人して人生を心ゆくまで楽しむことができます。
ありがたいことです。
それだけで十分。




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# by hologon158 | 2019-08-24 11:47 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

804.01 落ち着き(2019年2月13日奈良町がズマロン35㎜F3.5に優しく微笑み)1



人間にとって一番魅力的な視覚対象は?
誰かにそう尋ねられたら、あなたはどう答えますか?
もちろん、答えは一つですね。

   人間!

もちろん観たくない人間だっていますね。
でも、あなた以外の人間が全部消え去ったら、どうですか?
生きていくことができませんね。

あなたが写真家だったとして、
一番撮りたい被写体は何ですか?
誰かにそう尋ねられたら、あなたはどう答えますか?
人によって、様々でしょう。
でも、アマチュア写真家時代の私にとっては、答えは一つでした。

   人間!

偉大な写真家の多くは、人間を撮ることで偉大性を獲得しました。
カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛がまさしくそんな写真家の頂点ですが、
アマチュア写真家だった時代に、
魅力的な人間を沢山撮る幸運に恵まれた人、
それが、アンリ・ラルティーグですね。

古き良き時代のフランス人たちの優雅な日常を、
誰よりもたっぷりと撮り続けることができた人です。
1894年、富裕な家庭に生まれ、幼くしてカメラをプレゼントされ、
日常を撮り続けました。
すでに名作が生まれています。

 12歳のときに撮った「カロリーヌ叔母、ブラントヴィーニュ氏」
 17歳のときに撮った「女優のアルレット」

いつ、なにを撮ったらよいのか?
彼はその頃から既に知っていました。
当時から彼は巨匠だったのです。

それが才能、というものでしょう。
写真好きは沢山居ますが、
才能のある写真好きって、千人に一人、万人に一人でしょう。
そんな人が「写真家」なのでしょう。

私はもちろん写真の才能なんて皆無でしたが、
写真を好きになる才能なら、たっぷり持っていました。
ありあまるほどなので、良い写真を好きになるだけではなくて、
自分の写真なら、なんでも好きになる才能。
これがあるから、半世紀近く、写真を撮り続けてこれたのでしょう。
「芸は身をたすく」と言います。
「自分の写真なら、なんでも好きになる才能」があるゆえに、
私は写真をいつまでも愛し続けることができます。
人からの是認、賞賛を必要としない。
だから、一人で撮り続けることができるのでしょう。

ホロゴンウルトラワイドに出会う前、
私はズマロン35㎜F3.5に夢中でした。
それ以前のお気に入りがフレクトゴン35㎜F2.4。
つまり、私は35㎜レンズに魅せられていたわけです。
今でも、やっぱり魅せられています。
人間、変わらないものです。

私が35㎜レンズをフレクトゴンからズマロンに替えた理由、
それは、完璧な空気感よりも、温かな穏やかさに、
私の好みが変わったからでした。
今でも、好みは変わっていないようです。

奈良町をズマロンで撮りました。
ライカレンズの歴史においては、
ズマロンはズミクロンに取って代わられた、いわば敗者。
でも、私の好みは、鋼の感触を加えたズミクロンよりも、
断然、ズマロン。
がっちりとリアリティを掴み取るズミクロンよりも、
私とその場所の全体をやさしく包み込んでくれる、
そんなやさしさを感じさせてくれるズマロンがいい。

 ズミクロンで撮ると、思わず驚嘆してしまう。
 ズマロンで撮ると、思わず心に落ち着きを感じる。

一緒に人生を歩くのであれば、
私は迷わず、ズマロンを選びます。





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# by hologon158 | 2019-08-20 18:55 | Comments(0)

803.01 ホロゴン外傳275(2015年6月5日キノプラズマート19mmF1.5が三重で美女と出会い) 雨天結構


マックの写真フォルダは撮影日順に並んでいます。
どんなファイルも、それが文書であっても、写真であっても、
内容が一目で分かり、一発で検索できるように工夫してあります。
たとえば、
今回の写真群は、

  み三重150605▲Kinoplasmat19

一目見ただけで分かります、
三重県で2015年6月5日、
オリンパスE-PL1にキノプラズマート19㎜F1.5を付けて撮った写真たち。

この命名はマック使用開始以来のものです。
ブログ開設前だったので、撮影場所が一番大切。
各フォルダーを全部時間順にソートする必要がありませんでした。

そのせいか、ときおり、全ファイルをソートしても、
撮影時間順には並びません。
そのおかげで、4年も前のものが近作に紛れ込んでいることに気づきました。
写真の撮影時間順にブログを作っているわけではありませんので、
別に不便でも不自然も感じませんが。

4年前、親友のNKさんの車で三重のカントリーサイドを撮影したときの収穫です。

 オリンパスE-PL1
 キノプラズマート19㎜F1.5

私の最愛のレンズの一本です。
雨でした。
私は雨の中での撮影が大好きです。
全天候すべてフォトジェニック、そう考えていますが、
雨が最高。

今でもまざまざと覚えています。
昔、大阪のツカモトカメラ主催で、山陰フォトツァーに出かけました。
講師は当時関西ではトップクラスの写真家、高田誠三さんでした。
バス1台ほぼ満員で出かけたのですが、
憂わしげに、うらめしげに窓の外を眺める一行に、
彼はこうおっしゃったのです。

  「雨ですね。
  でも、確かに晴れの日の写真は撮れませんが、
  雨の日の写真は撮れますよ。
  晴れの日には晴れの写真を、
  雨の日には雨の写真を撮りましょう!」

私は当時写真を始めて20年ほどでしたが、
雨こそ私の絶好の撮影日和と考える人間でしたから、
高田先生のこの言葉は私の心にいたく適いました。

余談ですが、その夜の旅館での夕食の宴で、
先生のところに挨拶に言って、名前を名乗ったところ、
破顔一笑されて、

  「やあ、先日、宮崎の県展の審査に行ったときの宴会で、
  参加された写真家のお一人から、
  ※※というのが宮崎から大阪に転勤したので、
  将来会うことがあったら、よろしく指導してあげてください、
  と言われました。
  あなたのことですね」

なんでもない機会に耳にした名前をよく覚えておられたものです。
広く尊敬される方には、
そんな風に人の名前をしっかりと記憶する方がおられますね。
この先生もそのお一人なのでしょう。

そんなことがあって、
私はその先生も好きになり、
雨天撮影はなおさらに好きになったわけです。

10数年以上前から、写真家気分はぷっつりと絶ち、
自分だけのために素人気分で写真を楽しもう、そう考えて、
ロボグラフィという名称を思いつきました。
コンセプトは、自分の歩いた道の路傍の記憶を写真に残す、
ただそれだけ。
雨天だから、「良い作品ができる」なんて考えることも、
ぷっつり無くなりました。
それでも、昔の男どもは、
美しい女性を、「水も滴るよい女」と呼んだそうですが、
雨に濡れると、路傍のものたちが一段と生気を増すものです。

三重県のカントリーサイドでも同様でした。
とくに、雨の日に絶好の場所がありました。
山間の一角の、廃品集積場。
道路端に完全に老廃したマネキンの女性が
まさに尾羽打ちからした廃残の姿をさらしていました。

これを見て美しいと思う人と、
思わない人の比率は、
推測するに、1対9でしょう。
私はその1に断然属します。
だから、まあ、有頂天になって、数十枚撮らせて頂きました。

私は、はるか昔、宮崎で写真を始めた頃、
「写壇はにわ」に入会しました。
そのクラブで女性モデル撮影会を企画したことがありました。
それがモデル撮影会としては、生涯にたった2回の初回。
ウィーンの音楽大学に留学中の女性ピアニストの方を、
リーダーがツテを使ってお願いしたのです。
とても賢く、美しい方でした。
でも、私とはなんの関係もない女性を撮る、ということが、
私の意欲を全然そそらなかったことを記憶しています。
ウィーン留学のことや、得意な分野をおたずねしたことは覚えていますが、
どんな写真が撮れたか、まったく記憶していないのですから。

ちなみに、もう一度は、全日写連企画の京都の舞妓さん撮影会。
舞妓さん5人に200人以上のカメラマンがまさに蝟集しました。
生まれて初めてで最後のモデル撮影会ですが、
あの殺伐な雰囲気には、今思い出してもぞっとします。
日頃出会うアマチュア写真家とは全く異質、
下品、野卑そのもの風貌、風態、振る舞いのカメラマンたちが沢山混じって、
  「いつまで前にへばりついてるんや!
   ええ加減に交替せんかい!」
などと怒号が飛び交ったりして、騒然。
早々に退散しました。

でも、私はどんな場合でも人に遅れをとることはしませんから、
撮影場所を変える段になると、さりげなく舞妓さんの側で移動し、
指導の写真家が「さあ、ここで撮りましょう」と言ったときには、
自然に最前列に位置するようにできました。

後ろからのそのそ付いてきて、しびれをきらす輩は、
そもそもドジなのです。
たとえば、バスから下車するとき、
自分が料金を支払う番になってから、
財布を取り出して、小銭をがさごそして、両替をする人が居ます。
この人たちは、あらかじめ料金分の硬貨を用意しておき、
両替が必要なら、硬貨を手にしておくという、
予測に基づく準備ができないようです。
そのため、自分にも他人にも迷惑をかけている、
だけど、気づかない。
だから、態度を改めることがありません。
野卑でないだけで、振る舞いの不器用さはこの人たちそっくり。

いつも通り、話が逸れましたが、
キノプラズマート19㎜F1.5、
正確には3/4inchなのですが、私の大のお気に入り。
50㎜の描写は分かりませんが、25㎜より華麗さが減退し、
その分、ロボグラフィの美しさを優しく引き立てる適度の艶やかさがあって、
私は25㎜に劣らず愛しています。

それにしても、誰も撮らないような、
路傍に見捨てられたものばかり、よく撮るものです。
「あんたの写真を写真とは認めない」
よく人から言われました。
面と向かって真剣にそう言われて、そのまま交友が途切れた人もいます。
ほとんどの写真の友人は、そう口に出すことがなくても、
私の写真について一切話題にしません。
写真の友人、知人たちとの間で、私の写真が話題になったことは、
私の写真人生の中でほとんどないに等しい、
そう言っても過言ではありません。
私の方でも、私の写真を話題にしてもらいたいと思っていないので、
好都合です。
私の写真たちは、私一人の秘蔵っ子なのですから。

幸いブログに来る人も居なくなり、
「あのときは良かったなあ、
あんなところに隠れているなんて、思わなかったよ」などと、
秘蔵っ子たちとじっくり語り合えます。
今回のような特別のお気に入りたちとブログで再会できるのは、
至福、
そう言っても過言ではありません。




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# by hologon158 | 2019-08-17 12:02 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

802.02 ホロゴン外傳274(2019年3月30日スピードパンクロ35mmF2が京都御所の春を)2 オボロングラフィ



人間の脳のわずか3%しか(だったと思います)、
人間の組織の形成にあずかっていない、
という話を聴いたことがありますか?
どうやら、そうらしいですね。

そこで、問題は、残りの97%はなんなの?
ただのガラクタ、という説が有力でした。
さらには、今から人間の進化に伴って勝つ用意されるのを待っている、
という、少数説もありました。
いわば、超人間への進化の鍵を担っている!
根拠不明ですが、そうだったら、後世の人類のためには嬉しいですね。
人間がまだまだ進化するとは。
でも、本当に現在でも進化を続けているのだそうです。
翼が生えてきて飛べるようになる、
なんてことはありませんが。
でも、現在では、組織の生成にあずからない部分は、
脳の働きに関与しているという説が有力になりつつあるのだそうです。

結局、どう落ち着くかはわかりませんが、
人間の心身についても、あるいは、
私たちが直面するあらゆる問題においても、
私たちは、その問題の局面、次元、諸相のすべてにおいて、
私たちが知り得ないが、実は重要な関わりをもつ、
未知の部分が必ず隠されているのに、それを考慮しないで、
既知の範囲内で解決策をあれこれ思案しているということなのです。

この未知の部分をミステリーファクター、
約めてMF、と呼びましょう。
どんなに有能な、どんなに学識に富んだ人でも知り得ないから、
MFなのです。

ということは、何を意味するか?
① 私たち人間は、私たちが直面する問題のどの問題がMFで、
どの問題がそうでないかを正確に知ることができない。
② 常に言えることは、
すべてを完全に解明、解決することができない。
③ ①と②の結果、私たちが解決できたと思う問題には、
大きな誤解が含まれている可能性がある。

この世には天才的な英知に恵まれた人が居ます。
そんな方は快刀乱麻、意表外な手法で、問題を解き明かし、解決してくれます。
でも、実は、そんな天才たちの名答の中にも、
③の可能性が潜んでいるのです。
というより、科学の歴史は、ほとんど全ての定説が覆されてきた歴史なのです。
結局、分かった、これは絶対確実、と確信できる学説のほとんどが、
実はそうではなかったとわかってきたのが、科学の歴史。

天才たちが快刀乱麻なのは、
彼らが知り得たデータだけを使って解決策を見つけ出すからです。
実のところ、あらゆる科学、学問でそれが起こっています。
ニュートンもアインシュタインも、
彼らの偉大な発見のほとんど全部または重要な一部を否定されてしまっています。
でも、偉大さに変わりはない。
学問世界は一歩も二歩も進めてくれたからです。
誤答も学問世界を進めることができるのです。

私はマンションの水漏れを思い出しました。
よくある事故ですね。
マンションの一室の天井から水が滴りはじめます。
住人は大抵の場合真上の区画に原因があると考え、
管理人と一緒に真上の区画の住人にクレームを付けます。
すると、ときにこんな答えが返ってきます、
「いえ、私の部屋ではそんなことは起こっていません。
見てもらってもいいですよ。」
確かに、水が漏れている箇所など見つかりません。

なぜ?
水が化け物だからです。
漏水がどこかで起こります。
水は素直に直下の区画に滴り落ちるわけではありません。
水はこの世で最小の分子です。
入り込める隙間があれば、早速浸透開始!
つまり、超微細な孔、隙間があれば360度どの方向にも浸透していくのです。
ときには、漏出した水は2階分隙間を浸透圧で上昇し、
先頭は、背後から上ってくる水に押されて、
別の隙間を見つけて5室分の中間構造を水平に移動し、
最後に、垂直の隙間に流れ込んで被害者宅の天井をぐっしょりと濡らす、
なんてことはざらにあるようです。

人間はそんな隙間に入っていけるほど大きくないし、
マンションの複雑な構造空間の中に入り込んで、
どんな超微細な隙間も検出できる、
そんな便利な装置もありません。

おっと、分かりもしないで、分かったような口を早速きいてしまいました。
そんな便利な装置があっても、
誰もが利用できるようなものではないでしょう。
「漏水鑑定士」なんてこの世に居るのでしょうか?
たとえ居ても、どんな漏水事故も完全に解明できるとは思えません。

ということで、漏水を原因とする損害賠償訴訟は極めて厄介で、
解決に長引くことで知られています。
ご承知のように、損害賠償請求は、
原告が被告の故意または過失による加害行為を立証しなければ、負け。
でも、漏水事故が訴訟に発展するのは、被告側に責任があると思えないからで、
原告があんたが悪いんだと立証しなければならないケースばかり。
それなのに、水漏れの責任を立証するのは難しいのですから、
勝訴がなかなか難しい種類の訴訟なのです。

この漏水責任解明の難しさは、
実は私たちが直面する問題のほとんどに潜んでいるのではないでしょうか?
考えてみてください。
ある出来事をEと呼びましょう。
Eはなぜ起こったか?
その原因はなにか?

たとえば、ケネディ大統領の死の原因は?
当局はオズワルドの単独犯行として早期決着を付けました。
でも、真相はそうでなかったことが明らかになっています。
実行犯を特定することさえ難しい。
まして、黒幕、真の暗殺者を見つけ出すのはいつの場合でも困難。
捜査機関さえも篭絡している可能性があるのですから。
原因は犯行だけにあるわけではありません。
実行犯がなぜ犯行に及んだか?
その原因はなにか?
こんな風に考えていくと、ケネディ暗殺の原因は直接原因はこれこれであるけど、
そのような行動に及んだのはこれこれの事情があったからで、
と言う風に、どんどんと淵源に遡って行き、
実のところそれ以前の宇宙全体が原因を成していたということになりかねません。

つまり、快刀乱麻な解決には常に、
いいとこ取り、お目こぼし、怠慢等が関与している可能性があるのです。
この世にはあらゆる事象に快刀乱麻の解答を出してくれる人がおいでになりますが、
どうも素直に「そうですか、それで解決ですね」と鵜呑みにするのは危険なようです。

一方、天才の皆さんも、
天才の自分でさえも気づかないファクター、側面、判断要素が
常に隠されていることを忘れないようにしましょうね。
アルキメデスのように、
「ユーレカ!(わかったあ!)」と叫ぶ悟りの瞬間が一番危険です。
その悟りが、目隠しとなって、
真実を突き止める決定的ファクターを瞬時に吹き飛ばしてしまうからです。

でも、実はそんな誤信ユーレカ体験が人類を成長させ、
歴史を築き上げてきたのかも知れません。
人類は間違いをエネルギーにして進歩してきた、
そう言っても過言ではないかもしれませんね。

さて、写真は、京都四条界隈。
私のスピードパンクロ35mmf2は、
兄貴分の50よりもかなりローコントラスト、かなり穏やかな描写。
これは、おそらくオンボロになるまで使い込まれたせいでしょう。
こんなに朧レンズになるまで使いたがった使い手が居たのです。
私の同類かもしれません。
こうなると、ロボグラフィ、と言うより、
オボロングラフィ、が正確かもしれません。





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# by hologon158 | 2019-08-12 14:42 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

802.01 ホロゴン外傳274(2019年3月30日スピードパンクロ35mmF2が京都御所の春を)1 本当の人生



旧約聖書の「ヨシュア記」を読み終えました。
もちろんKindleで。
後半で、ヨシュアはイスラエルの地を征服し終わり、
各士族に占領地を割り当てていきます。
数知れない地名、部族名、人名がズラズラズラズラと果てしなく並びます。
記憶力に乏しい私の頭にはとても残りません。

私の末娘、小2、3年の頃でしたか?
新約聖書を最初のマタイ傳から読み始めたそうです。
しばらくして母親のところにやってきて、
「吐き気がしてきた!」
誰の子が誰、その子が誰と、1頁にわたって続いたからです。
私など、はなから飛ばしてしまいます。
娘は「キチン」を絵に描いたような性格のうえ、
そんな跳ばし読みの技術など身に付けていなかったからです。

でも、今度は私がヨシュア記後半で同じ体験をしそうになったわけです。
数頁正直に読んで、
あとは、Kindleの画面左を指先でポンポンと軽くタッチ。
それだけで、頁が進みますから便利。
こういうときは、画面の字を最小にして、
1頁の行数を最大にしてしまうと、
迅速に飛ばすことができます。
ただし、この場面では、活字本が便利ですね。
何頁もまとめて飛ばし読みできますから。

でも、このとき、私が一番感じたことは、
Kindleの使い勝手のことではありませんでした。
旧約聖書の作者たちのこと。
一体史実なのでしょうか?
それとも、一握りの制作者たちの創作なのでしょうか?
創作にしては詳しすぎ、臨場感がありすぎ。
でも、制作者たちがどうして神様とアダム、イブのやりとりを
知ったのでしょうか?

考古学者たちの間では、
まだイスラエル人の出自について定説がないようです。
最近、エジプトの遺跡からイスラエル人の名(失念)が見つかったので、
古代エジプトにイスラエル人らしい存在が混じっていたことは
どうやら間違いがないようです。
でも、ファラオの重臣に名を連ねたヨセフやモーセについての資料は
まだ見つからないようです。
聖書が描くモーセの出エジプトの記録によれば、
エジプトは壊滅的な打撃を受け、
当時のファラオは海の藻屑になって消えたのです。
王朝の命運を絶ちかねない大事件で、
歴史的にも異例の危機だったのです。
記録の欠片でも記録されないはずはない、
そう思うのですが...?

最近考古学者が、考古学の知見に基づいて、
イスラエル人はそもそも土着で、
聖書上、イスラエル人のライバルの代表格だったペリシテ人と
同じ民族だったのではないか、という説を発表しています。
ジェリコの遺跡からも、聖書に記載されるような
瞬時の壊滅的崩壊を証明する資料は採掘されていないようです。
これは出エジプト記とどうやら真っ向から対立する感じ。

でも、このような古典の史実性は、
地球上のすべての文明に共通する難問ですね。
日本の古事記にも言えることですが、
文字がない時代からの伝承が出典の本体を占める、
そんなことが極めて多く見つかっています。
「ヨシュア記」の土着諸部族の殲滅戦と、
その後のイスラエルの地の分配についても、同様です。
稗田阿礼やホメーロスのような超絶記憶の持ち主が伝えた
伝承記録が典拠なのかも知れません。

でも、現実は事の大小を自然に知ることが出来る状態ではありません。
誰もが自分の周囲の出来事しか認識できないのですから。
そして、時々刻々とその地の社会では人々の営みが続くのです。
そうした複雑多岐の伝承がどのようにして選別され、
その一部が取り立てて記憶にとどめられたのでしょうか?
今起こったことが後世に影響を与える重要な画期的事件かどうか、
なんて誰に判ったのでしょうか?
それとも、その選択は常に記憶伝承者の手に委ねられていたのでしょうか?

それにしても、イスラエル人による数知れない原住部族の殲滅戦は、
あまりにも詳細すぎます。
一言で済ませてもよいのに、
これだけ詳細に記憶する価値があると、誰かが本当に考えたのでしょうか?
だって、神が見捨てた原住の少数民族たちを一々記憶するよりも、
もっと記憶に値することがあったではありませんか?
私が一つ思いつくのは、イスラエルの12氏族のリーダーたち。
彼らはユダヤ12氏族の始祖になったのですから、
その名前位覚えておいてもよかったのではありませんか?
聖書のどこかに書いてあるのかも知れませんが、
各氏族がその住むべき最初の地を分与された、
いわば氏族の基礎を定めた大事件なのですから、
ここにこそ記載してしかるべきではなかったでしょうか?

地球上で起こるすべての出来事が、
全宇宙にまたがる因果関係の海の波頭の飛沫のようなものなのです。
a1,a2,a3,a4,a5........と、
線形を描いて起こるのではありません。
全宇宙が脈打つ心臓のようにドキンドキンと脈打つ、
その全部が宇宙を一瞬一瞬現実化している、
それが宇宙です。
地球上のすべての出来事もその網の中にあるのです。
その中から、なにか特定の事象、因果系列を取り出して、
a1が起こったから、a2が起こり、それがa3となった、
と、良いとこ取りしているだけなのです。

あらゆる史書、古典はそんな恣意的な選択の結果生まれたわけです。
聖書の由来についても専門家がいろいろと研究しているでしょう。
私はまったくど素人ですが、頭の体操をするのは好きです。
聖書の諸章が成立したのは、ユダヤ教が生まれ、
かなり信仰者が増えた頃でしょう。
たとえば、アダムとイブ、あるいはその2、3代あとの子孫が、
創世記を文章としてまとめたとは絶対に考えられませんね。

なぜなら、当時、言語なるものがどれだけ成立していたか、
極めて怪しいのですから。
神とアダム夫婦の間のコミュニケーションは、
言語を介してのものではなく、
思いを伝える以心伝心のコミュニケーション、
あるいは、人間と犬の関係にもっと近かった、
そう考えた方がよいのではないでしょうか?
人類が話し言葉を発明し、その後、
文字を発明したのははるかに後世だったはずですから。

ホモサピエンス誕生後現人類に至るまで、
遺伝子的にはほとんと変わっていないのだそうです。
つまり、数万年前、クレオパトラや楊貴妃のような美女たちが
地上を颯爽と闊歩していたかも知れないのです。
(現代の美女たちはあるいていません。
この人たちは整形と化粧で作り出された外観だけなのですから)
ネフェルティティのトルソを思い出してください。
彼女が現代に出現しても、現代美女の誰もかなわないでしょう。
神とも紛う完璧な美貌には、生来の気品と威厳が備わっているのですから。
もちろん文明がもたらした独特の洗練された容貌があるのかも知れませんが、
そんな文化による洗練を経由していないだけ、
みずみずしさ一杯の美女がいたかも知れません。
(余談ですが、若い頃の吉永小百合さんや、
「初恋の来た道」に初演したチャン・ツィイーを思い出してください。
成功して、大スターになってからのチャン・ツィイーさんの顔なんて、
見られたものではありませんね)

古代美人に話を戻しますと、
当時は単音節の叫び声でコミュニケートしていたので、
美しい口をついて出るのは、阿鼻叫喚に近い絶叫だったかも?

言葉に深い意味を与えるようになった複雑な概念は
遙かに後世になってから出現します。
古典ギリシア人や中国人、インド人が
そうした思考の飛躍に大きく貢献しましたが、
そのお隣あたりでは、
「おれ、あんた、きらい! 
殺す! 
キャーワワー!」
という感じだけだったかも知れないのです。
たとえば、ゲルマン神話やサガを読むと、
抽象的な概念などまったく無縁ですね。

話を元に戻しましょう。
旧約聖書も、イスラエル人が文字を持たない時代をかなり経た後で、
次第に言葉が整備され、文字が発明されて、
文章力、記憶力、思考力が高められながら、
かなりの時代を経た後で、制作、編纂の段階に至ったはずです。

さらに、私が勝手に思うのですが、
諸文明を創造した神もしくは神々は、
それぞれに独立の別種族だったようです。

なぜ?
神様はどうやら地上の人類と言葉を交わしたようです。
ところが、各地、各時代の言語はそれぞれ全然別で、
文字もまるで違う。
神に呼びかける神の御名も全然違う。
地球の創造神が一人もしくは一種族であったとすれば、
なんで地球上でてんでばらばらの時代に、
てんでばらばらの言語なのでしょう?
たとえば、シュメール、アッカドの楔形文字と、
エジプト文明の象形文字との間には、
地理的にはかなり近いのに、なんの関連性もないようです。
それぞれに宇宙を創造したはずの神様が、
地球上にあちこちに同時的もしくは経時的に沢山出現していることは、
どう説明すればよいのでしょうか?

これは今私が思いついただけのことなので、
偉大な学者たちがすでに決着を付けている問題かも知れません。
でも、その決着の付け方は、たいていの場合、
①ある神だけが本物で、後はでっち上げ、
②神様なんて、全部でっちあげ、
という手法でしょう。

では、①の場合、
その本物の「本物性」をどうやって万人に証明できるのですか?
どうもそのあたりはあやふや、という感じがします。

それと、もう一つ、私がいつも思うのは、
どの宗教でも、天界の存在と人間は直にコミュニケートしていたのに、
なんであるときから以降、
神様たちは自分の創造した民に全然ご無沙汰なの?

この点は、近頃のUFOについても同じ事が言えます。
合衆国を初めとして、いくつかの政府はすでに、
UFOを捕獲し、かつ宇宙人と交渉があると言う方がいます。
そんな宇宙人と交渉できるようになった政府が
その事実をひた隠しに隠そうとするのはわかります。
宇宙人からできるかぎり最良最大の情報と利益を確保したいからです。

でも、宇宙人はどうなのですか?
はるか遠くの星から遙々何光年も超えて飛来したのです。
地球文明の科学技術水準を遙かに超えています。
はるか遠くの星から飛来して、外交関係の糸口をつかんだのに、
いつまでも自分たちの存在を否定し続ける一政府とだけ
秘密に交渉し続ける利益がどこにあるのでしょう?
そんな利己的な地方政府とだけ交渉し、
利用されるだけというのでは、なんのメリットもないではありませんか?

キリスト教の神を含む古えの神々も、現代の宇宙人も、
私たち一般人には永遠に隠された存在、という感じがします。
私が言っていることはかなり幼稚なのでしょう。
でも、どんな場合でも、シンプルがベストです。
神様は私と会えるのです。
存在すれば、会えるはず。
でも、私は神様と会ったことがない。
宇宙人ははるばる地球に到来したのです。
みんなに「こんにちわ!」って挨拶したっていいじゃないですか?
それなのに、いつまでも隠れん坊ごっこ。
どうもわけがわかりません。

私は、単純なのでしょう。
でも、自分で直接確認できないことを容易に信じることはできないのです。
だから、いつまでも無神論者。
宇宙人の存在は認めます。
私たち自身がそうなのですから。
でも、地球外の宇宙人が地球にコンタクトしている事実は
とても信じられません。
むしろ宇宙は余りにも広すぎて、
億単位の文明世界が宇宙に散在しても、
時間と空間とが違って、すれ違い、
それが真相なのではないでしょうか?
だとしたら、ほんと、残念。
地球人以外の文明の主人公たちに出会ってみたいものですね。

さて、今回は、春爛漫を演出する枝垂れ桜の京都御所。
写真の仲間と参りました。
小雨日和でしたが、かなりの人出でした。
季節ごとの花々を主題とする写真家は多いでしょう。
私が写真雑誌を眺めるのを止めたのは、
今から30年以上前。
桜どころか、およそ花を主題とする写真家たちの業績など、
全く知らないと言っても良いでしょう。
しかも、私は花の写真を撮りたいという気持ちもありません。
私が撮っているのは、私と花とのプライベートな接触の記録。
こちらが「やー!」と声をかけ、
桜が「よー!」と返す、ただそれだけ。
でも、桜たち、頑張っているな、と、少し安心できる、
そうすることで、お互いの無事を確かめあう、というスタンス。
それ以上の気持ちはありません。

すでに幾度も御所を訪れましたが、
今回は、ソニーα7にスピードパンクロ35㎜F2を付けました。
古都の雨交じりの穏やかな初春の光景。
いつもの通り、編集した組写真ではなく、
撮影順に並べることで、私の人生の一コマを記録しています。
撮影者の私の記憶と合体することで、体験がよみがえります。
私だけにしかできない、「美しきひとときの思い出」
これに、私一人にしか理解できない個人的な思考の記録を組み合わせる。
私一人のためのブログ活用法をついに確立できた、
そう考えて、悦に入っています。
日々、道行きで交差する多くの人々の眼差しはかなり暗い、
そんな感じがします。
「もう人生でやることを全部やり終えた」
そんな思いが滲み出てくるような眼差し、表情です。
私は、違います。

「これからが、本当の僕の人生だ」

ついでに、書いておきます。
私の写真の色はニュートラルではありません。
現実の再現でもありません。
フォトショップで、色再現を調整するなんてことはしません。
例えば、ソニーα7のカラーバランスは「オート」に設定。
でも、クラシックレンズには様々に色の偏りがあります。
それがそいつのクセなのです。
それが私のお気に入りの理由なのです。
どうして、それを修正する必要があるのですか?
そんなレンズたちのクセを慈しみたいのです。
それを写真表現のミス、失敗だと思う人は、
私の意味不明写真など見なければ良いのです。




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# by hologon158 | 2019-08-07 17:39 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

801.02 ホロゴン外傳273(2019年4月8日スピードパンクロ35mmF2が奈良町なら任しとき)2 二枚腰、三枚腰で



イエスのところにローマ軍の百人隊長がやってきます。
彼が病を言葉一つで癒やすと聴いたからです。
イエスが話を聞いて、
「それでは参りましょう」
と言うと、
百人隊長は答えます、

  「むさ苦しいところにおいで頂く必要はありません。
   ここでただ一つ言葉を頂ければよいのです」

ローマ人らしい言葉ではありませんか?
カエサルが侵入者を破ったとき、
元老院に送った報告文を思い出します、

  「来た、見た、勝った」

これがローマ人でした。
実は、私は、カエサルはしゃべりすぎと思います、
「勝った」だけで良かったのではありませんか?
カエサルは韻にこだわったのです、

  「Vini Vidi Vici」

でも、国事なのです、飾りは余計、そんな感じがします。
イエスの前に現れた百人隊長は、飾りにこだわりませんでした。
彼の方がローマ人らしいと言えそうです。

私は、実のところ、ローマ人と対極にあります。
やたらしゃべりまくり、やたら書きまくる。
ただし、私の友人たちは私よりも雄弁なので、
私の出る幕はほとんどありませんが。

でも、私は社交的な人間ではありません。
職業生活で言葉を実用のものとして使った時代でさえもそうでしたが、
すでに人とのコミュニケーションをほとんど絶っている今、
すべてが独り言に近くなっています。

すると、言葉はなにかを伝えるためのものではなくなります。
いわば自分自身の内燃機関を燃やすための燃料。
有効な燃料、たとえば、ガソリンがあるときは、
ガソリンも使うでしょう。
しかし、原子力は絶対に使いません。
自分で中から被爆してたら、元も子もない。
でも、大抵は近くにあるものを、
不要物と見たら、めったやたらに放り込んでいる、
それが私の文章です。

日本の祭り囃子がそうですね。
小さな定型パッセージをどこまでもどこまでも際限なく繰り返す。
この繰り返しが段々と自分自身と祭りに集まった人の心を浮き立たせ、
舞い上がらせます。
ラベルの「ボレロ」を思い出してください。
段々と楽器が加わってきます。
あなたはそうは思わないかも知れませんが、
私には、ラストは阿鼻叫喚の修羅場としか思えません。
多くの音楽愛好者はそれで興奮し感激するのでしょう。
でも、私が作曲者だったら、阿鼻叫喚は一瞬で、
ラスト半分で、段々と楽器が一つずつ消えていき、
ラストは楽器1本のピアニッシモで終わります。

でも、その曲は、ラベルの原曲と違い、
「ブラボー、ブラボー」のスタンディングオベーションはよばないでしょう。
聴衆は深く静かな満足感を抱きながら、静かに立ち去るでしょう。
演奏者も出番が済んだら、一人一人姿を消すことにしたら、
アンコールアイテムとなりますね。

でも、ラベルは拍手喝采を選んだのです。
別にフランス的な嗜好と言うわけではありません。
静かに終わる作品も沢山ありますし、
シャンソンにもそんな歌がかなり多くあります。
私は、どちらかと言うと、そちらが好みですね。
たとえば、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」のラストのように。

でも、そんな人間ですが、
文章を書くと、めったやたらに饒舌となります。
これはなぜか?
結局、家族の呪いのようなものかも知れません。
母親はアルツハイマーとなりましたが、
心身ともに強壮であったために、
アルツハイマーの状態でかなり長生きしました。
私は絶対にそんな風になりたくないで
しかも、当たりクジがかなり沢山混すね。
アルツハイマーの原因はまだよく判っていないようです。
罹患の機序も、遺伝でも伝染でもないようです。
つまり、宝くじのようなもので、じっている。
だから、防ぎようもないのでしょう。
でも、私は絶対に防ぐ、そう決意しています。
その方法は、心身を使いまくること。

理由はありません。
ひたすら心身を動かして、「通りゃんせ、通りゃんせ」と輪を作り、
アルツハイマー疫病神がこの輪を破って入ってこれないようにする、
そんなスタンスです。

偶然ですが、毎夜就寝前に観る韓流ドラマは、
「記憶~愛する人へ~」」
イ・ソンミンという、私に言わせれば、稀代の名優。
突然アルツハイマーを宣告された、やり手弁護士を熱演しました。
宣告されても、どうしようもない。
だから、必死で生きようと、仕事に家庭に没入する姿は、
痛々しいけど、心を揺さぶられます。
もし自分がそんな宣告を受けたら、どうするだろうか?
そう考えると、このドラマ、他人事ではないという感じ。

幸い、今の所、あまり老いの兆候もなく、
はつらつと人生を楽しんでいます。
人生って、結局は、自分ではどうしようもないものです。
そして、自分は、5年後、10年後、20年後、さらには30年後、
どうなるか、まったく予測不能です。
実は、どんな年齢の人でも、事情は変わりありません。

例えば、あなたが80としましょう。
ああ、残り少なくなったなあ、と嘆きますか?
でも、105歳まで元気で生きる人だって、ザラとは言いませんが、
かなりおられます。
すると、まだ人生を楽しむ時間は35年も残っているのです。
そんな可能性など頭から否定してしまって、
「ああ、俺の人生、あと10年あるかなあ」などと嘆きつつ、
やる気を失って、うかうかと日々を暮らしますか?

それも人生でしょう。
でも、私は確信しているのですが、
人は自分の予測する方向についふらふらと誘われるものです。
ああ、もう残り少なだとよろけたら、その通りになるでしょう。
80歳のあなたが、まだ人生の半分近くも残っているぞ、
よし、これはうかうかできないぞ、そう思ったら、
短期、長期、あれこれと計画を立てよう、という気になり、
そんな計画に沿って、生きるかもしれません
「人間万事塞翁が馬」と言うではありませんか?
どんな状態になっても、「どんと、来い」とばかり、
二枚腰、三枚腰でしなやかに受け止めていきたいものですね。






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# by hologon158 | 2019-08-01 23:59 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

801.01 ホロゴン外傳273(2019年4月8日スピードパンクロ35mmF2が奈良町なら任しとき)1 セネカ



セネカを読むほどに、
私はセネカが他人とは思えなくなります。
次の言葉など、私は自分がしゃべっているかのように感じます、

「わたしの言葉を信じていただきたい。
尊重すべき、人間のあらゆる過ちを超越した人間のやり方とは、
自分の時間から一滴たりとも時を奪われぬようにすることなのです。
ですから、その人の人生はきわめて長い。
時間はつねに彼の支配下にあり、
その全部が彼の自由になるものだからです。
したがってどんな時も使われずにむだに津後されることはなく、
他人の勝手にされることはありません。
なぜなら、彼は時間の吝嗇な監視人として、
自分自身の時間と取り換えるに値するものなど、
何も見つけなかったかです。
それゆえ、彼は時間だけはたっぷり持っていました。
が、自分の人生から多くの時を民衆に奪われているような人々には、
つねに時間が欠乏しているでしょう。」
(「時間の短さについて」)

数日前、留守電がありました。
私が退職前に所属した機関からです。
私宛ての封筒が届いたそうです。
聴いたことのない差出人です。
私はこう答えておきました、
「私の親しい人はすべて私の住所と電話を知っています。
それを知らない人なのですから、
おそらく仕事上の連絡でしょう。
今後もそうですが、すべて処理はそちらに委ねます。
私は過去から完全に抜け出して、
今の人生を満喫しているので」

これが私のスタンスです。
多くの退職者が過去を記憶したいと強く希望しています。
私の親友のお一人も会うたびに、
在職中の難儀や苦心談を文字通り果てしなく話してくれました。
それは彼の硬派的な生き方を遺憾なく報告するもので、
私も興味津々で耳を傾けました。
そして、よくぞここまで細部の隅々までよく記憶できるものだと、
心から驚嘆させられました。

私はほとんど覚えていないからです。
私は自分の過去のことなど、はっきり言って、どうでもよい。
過ぎたことは過ぎたことなのです。
だから、彼の談義に少しは感じました、
もうそんなこと全部忘れて、
現在の人生に心のすべてを注ぎ込んだらよいのになあ。
過去はすでに起こったもので、変えようもないのに。
今の人生に何一つ付け加えないのに?
すでに付け加え終わっているのだから。

ある人は言うでしょう、
私たちは過去の蓄積によって成り立っている。
だから、過去は大切だ。
でも、私はそうは思わないのです。
過去は大切ですが、
記憶しておかなければならないわけではありません。
過去の蓄積は、私がそれと意識すると否とに関わらず、
私の基盤となっているのです。
それで良いのではありませんか?
記憶している方がベターであると考える根拠はありません。
一々思い出さないと、有効に働いてくれないというわけではないはず。
思い出し、あるいは、いつまでも覚えておこうと心に願うこと、
こうした気持ちが、現在から自分の目を逸らしかねません。
私には無駄なエネルギーの消費と思えます。
いちいち何度も思い出さないと、楽しく生きていけないのであれば、
十分な滋養になっていないのではありませんか?

たとえば、プロ野球で、名投手と対決した打者が、
剛速球をバットでガシッとはじき返して、
ホームランをかっ飛ばすとき、
これまで重ねてきた打撃練習、これまで対戦してきた名投手たちの難球を、
一々思い出すでしょうか?
思い出しませんね。
思い出していたら、打てませんね。
その瞬間は、彼の過去などすべて意識から消え去り、
完全な無心となって剛速球を捉えるのではありませんか?

人生も同様です。
人と向き合ったとき、その人の過去などどうでもよい、
と言っても良さそうです。
過去のエピソードなど、
その人の現在を知るうえでの不可欠のデータではありません。
私が知りたいのは、今、彼がなにを考え、どう生きているか、
それだけです。
過去のエピソードは、彼がいわば無限の体験が重なった自分の過去から、
彼が人に知って欲しいほんの一部をピックアップしたに過ぎません。
それを知ったからと言って、本当に彼という人間を知ることになりませんし、
むしろ、クローズアップ効果により、
逆に誤解に導かれるかも知れません。

実のところ、ある人を知りたかったら、
ご本人から過去の経験談を聞くよりも、
現在のご本人を一見し、
彼の一挙手一投足を観察する方が確かですね。

ところが、こんな見方をしていると、何が起こるか?
ちょっと破壊的、と言ってもよいかも知れません。
あんまり沢山の人と付き合うことができないのです。
なぜ?
一目見たら、この人とは語り合いたいかどうか?
この人を知りたいかどうか?
判ってしまうからです。
そして、この人が私と語り合いたいかどうか?
私を知りたいと思っているかどうか?
これも判ってしまうからです。
極めて広い交際を保って居られる方がおいでになります。
私には驚異以外のなにものでもありません。
私にはそんなに沢山の友人との交わりを楽しむ時間などない。

おそらく人間の大きさが違うのでしょう。
私は大変に小さな器の人間なのでしょう。
だから、すべての時間を私自身のために使いたい。
そして、心から敬愛できる友人のためにだけ、自分の時間を割きたい。
なぜなら、そのような友人との交わりだけが人生を豊かにしてくれるから。

今回のクックの映画用レンズ、
スピードパンクロ35mmF1.5
ソニーα7に着けました。

兄貴格の50mmの鮮鋭強靭な画像は望めません。
どうやらレンズがくたびれているのでしょう。
でも、私の方もいい加減くたびれているので、
いわば肩肘張るパフォーマンスとは無縁。
とても自然体で、何気ない雰囲気で撮れます。
くたびれた人間が、くたびれた路地裏で、
くたびれたロボグラフィたちと対面するにはふさわしい。
そんな穏やかな佇まいをさりげなく画像化してくれます。
私だけが体験した記憶をしっかり止めて、
「ま、こんなところだったんじゃないですか?」
と、澄まし顔。
私だけにちらっと見える、かすかなウィンク。




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# by hologon158 | 2019-07-29 15:14 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

800.02 ホロゴン外傳272(2019年3月20日キネタール50mmF1.8が奈良町に下品の美を楽しみ)2



今、気付いたのですが、
本ブログの記事が800号の大台に達しました。
記事数そのものはその何倍かあるでしょう。
1000号に達するまで、エキサイトさん、ブログを続けてくださいね。

近頃、ますます、路上で渋面男性に出会うことが多くなっています。
こんな方は通りすがりに挨拶をしても、
まったく反応を示しません。
傲岸な部分もあるのでしょう。
「おれは..部長様だったのであるぞ」
というような自負があって、
こんな方は職場の廊下で部下から最敬礼の挨拶を受けても、
「フン!」としかめっ面で、
ますますふんぞり返って、
肩で風切って通り過ぎたのでしょう。

でも、今では、その栄光ある地位も失ってしまった。
それなのに、しがみつきたい。
なぜ?
他にはなんにも残ってないから?
そして、なんにもすることもないから?
こんな方の奥さん、
すでに空っぽのご主人に愛想を尽かしているかも知れません。

  「いい加減にしてほしい。
  いつまで部長様気取りなの?
  家の中までふんぞりかえって、家事一つしない!」

しないのではないのです。
できないのです。
包丁一つ研げないし、まして調理もできない。
あなた、タマネギの千切りできますか?
それも、涙なんか流さないで?
キャベツのコールスローできますか?
それも、半玉全部?
ハンバーグ、作れますか?
それも最初から?

私はできます。
大抵の料理が作れます。
リンゴの皮むきもできます。
知っていますか?
コツは包丁を動かすのではなく、
リンゴを動かす!
洗い物も、食器棚への片付けもできます。
その他、家事一切ができます。
妻はそれを良いことに、機会があるたびに、
静かに指示します、
「これこれ、しておいて」
私も然る者、ひっかくものです、
大抵は従いますが、ときどき、
「それは自分でして」
このあたりは長年鍛えてきた呼吸ですね。
というより、長年繰り広げてきた戦いかも?

せっかくするのだったら、なんでも水際だってやりたい、
それが私の念願。
アメリカの恋愛小説、映画化された「マディスン郡の橋」の原作、
いや、別の小説だったかも知れません。
長年練達の報道写真家として生きてきた男が、
引退後久しぶりに撮影をしなければならない!
ベッドの下に仕舞っておいたカメラケースを
さっと引きずり出して、蓋を開けてニコンのボディを取り出し、
レンズをカチリと装着します。
その水際だった動きのなめらかさに、
体に染み込んだプロの熟練が垣間見えるシーン。

私はまだ30代だったと思います。
これにはぐっと来ました。
私もカメラの操作、レンズ交換、三脚の開閉動作を、
暇があれば練習していたからです。
とくに三脚の扱いは誰にも負けませんでした。
せいぜい10秒以内に三段ジッツォを開閉することができます。
コツは簡単。
伸ばすにも縮めるにも、各段を下から緩め、上から締めるのです。
開くときは、下から上に順番に緩めてから、
一番下の脚の底を握って一気に伸ばす。
閉じるときも、同じ動作をして、
最後に一番下の脚の底に手の平をあてがって、
一気に一段目のポールの中に全段を滑り込ませる。

バス待ちをするときなど、いつも練習していました。
すると、現場でよいシーンを見つけた途端、
誰よりも素早く三脚をセットできました。
でも、皮肉にも、三脚の扱いに熟達したのに、
三脚は不要になってしまいました。
速やかにストリートフォトに集中して、
風景写真を撮らなくなったので、
ジッツォ、リンホフの三脚はすべて写友にあげてしまいました。

プロの写真家はそんな作業を一日中、年中、
そして何十年もやってきたのです。
まさにカメラは目の延長となっているでしょう。
私のような素人は、三脚のような機械的動作でよいものは別として、
認識とか美的センスに関わる撮影行動は
いつまで経ってもたどたどしさ一杯ですが、
楽しさだけはますますエスカレートしています。
時間の経つのを忘れます。

しかも、ロボグラフィは被写体を選びません。
なんでもよいのです。
そして、ブログにどんどん掲載できます。
この作業のときが、一番写真に親しく接することができるときです。
こんな楽しみを可能にしてくれるのは、
丈夫な目と手と足。
自分の至福の喜びのために、体を鍛える。
これも楽しい作業。
だから、いつも笑顔でおれるのです、
ありがたいことです。

今回は、前回に引き続き、
キネタール50mmF1.8の奈良町ロボグラフィ。
表題に「下品の美」と書きました。
「げぼん」と読んでもらうつもりでしたが、
「げひん」と読んでもらっても構いません。
高級な趣味などないので、
手近に見つかる美で間に合わせています。

美は一静かに味わうものです。
だから、群衆がひしめく特別展は大嫌い。
でも、美しいものだけを見て生きていきたい。
だから、醜いものは見ないことに決めました。
だから、テレビは見ません。
私のロボグラフィは、すべて、私の足取りの記録ですが、
私が目を止めるものは、私にとって美しいと思うものだけ。
とりわけ、人知れず路傍に咲く美を求めて歩いています。
かなりの人が私のロボグラフィに美など認めないでしょう。
でも、それがどうした?
という気持ちです。
私に美しいと思えるものは、理屈でそう決めているわけじゃない。
目に飛び込んできた瞬間に、心が飛び上がるのです、

  「美しい!
  これが見たかったんだ!」




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# by hologon158 | 2019-07-23 23:24 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

800.01 ホロゴン外傳272(2019年3月20日キネタール50mmF1.8が奈良町に下品の美を楽しみ)1



人類(ホモサピエンス)の発生には大きな謎があるようです。
人類学は長年窮地に立たされたままです。
ホモサピエンス(ネアンデルタール人を含む)と、
それ以前の先人類との間には断絶があるからです。
先行種より脳容積が飛躍的に拡大していて、その理由がわからない。
その中間形を長年必死で探してきたのですが、見つからないのです。

メソポタミアの神話では、アヌンナキと呼ばれる天上の存在が、
地球上での作業を手伝わせるために、人類を生み出したとしています。
聖書で、神が、すべての生物を生み出した後で、
アダムとイブを創造したのも、
上記の創造神話のバリエーションと言えそうです。
二人は完全に人間として行動していますから、
ホモサピエンスなのでしょう。
つまり、それ以前のホモ・ハビリス等は人間とは別個の存在として、
すでに作られていたと考えることもできそうです。

創世記によれば、その頃生み出されたのは人類だけではありません。
アダムとイブが楽園を追放された後、
他の人間たちのエリアに行ったような感じなので、
アダムとイブの系統ではない人類も別途作られていたらしい。
天使たちも人間の女性と結ばれて、巨人を生み出しています。
いずれにせよ、人類はどうも先行の旧人類から進化したものではなさそう。

遺伝学的には、ホモサピエンスは、進化の前段階の種と、
遺伝子を大部分共有しています。
でも、先行種から受け継いだと思われない遺伝子がわずかながら含まれていて、
それがどこから受けついたのか、
いかなり意味、役割を有しているのか、未だに分からないと言います。

この遺伝子は地球外の起源ではないかと言う学者が居ます。
聖書の記述と矛盾がないのが奇妙です。
つまり、上記の諸点を総合すると、
人類は地球が産んだ生物なのだけど、地球外の成分が手伝って、
人類の能力を飛躍的に高めた可能性があるというのです。
私たちが一部宇宙人であるということになりそうで、
ちょっと胸躍りますね。

私は以上のように考えることが、
空飛ぶ円盤、UFOを異星人の到来を意味するとは思いません。
はるばる何光年、何十光年も旅をしてきて、
ひょいひょいと空を飛んでみせるだけで、すぐ隠れてしまい、
コンタクトをしようとしないのはまったく解せないからです。
一説には、たとえば合衆国政府と密約を結んでいる、
なんて説もあるようですが、
彼らがそんな姑息な動きに満足するとはとても思えませんね。

でも、一方で、地球上に生命が誕生し、ここまで進化できたことが、
全宇宙の中でたった一回しか起こらなかったとは絶対に信じられません。
宇宙から飛来した岩石中に有機体が見つかっています。
宇宙的なタイムスパンでは、
いかなることも、「一回起これば、幾度も起こる」のが統計的原則でしょう。
むしろ物質は必要な時間をかければ、生命体まで組織化される性質を持つ、
と考えることもできそうです。
というのは、生命が誕生するとはとても思えない過酷な環境、
たとえば、火山の溶岩の中とか、
圧倒的な重力に押さえつけられているはずの大地や深海の奥深くにも、
地表面の生命体とは異なる起源を持つ有機体が種々と見つかっているのですから。

人類に由来するとは思えない太古の発掘物がさまざまに発見されています。
太古の地質学年代の地層に鋲のような金属製品らしい、
不思議な遺物が見つかったりしています。

人類のさまざまな神話自体、最初に記載しましたように、
地球外の知性的存在の介入を示唆するものが沢山あります。
20世紀以降の知的発見の基本の一つが、
人類の神話には事実の核を有するものがある!
ということにあります。

その先鞭を付けた偉大な発見がシュリーマンによるトロヤの発掘でした。
ホメーロスは、事実にかなり即して、あの偉大な叙事詩イリアッドを創造したのです。
そうした神話の多くが、と言うより四大文明のすべての神話が、そして、聖書が、
天上界の神々等の神的存在の介入を記録しています。
そして、もしかすると、イリアッドの基本事実が史実であったように、
それは歴史的事実かもしれませんね。

こんな風に書くことで、すでにお分かりでしょう。
私は、日常性を超えた神秘といつも出会いたい、
そんな人間です。
きっと人生が、社会があまりにも平凡で暗鬱なので、
心のどこかで、生活のどこかで、驚きと神秘を感じる体験をしたい、
そう、いつも飢えているのでしょう。

私がリアルな写真を好まず、
いつもなんだか日常性を超えたロボグラフィに出会いたい、
そう願っているのも、同じ欲求から生まれた願いなのでしょう。

私がホロゴンやその他のクラシックレンズを使いたいのは、
正確性、精密性を重視して作られた現代レンズと異なり、
彼らが、もしかすると、性能の不足、経年劣化のおかげで、
現実を正確に描写する能力に欠け、
いつもメタモルフォーゼまがいの変容を画像に作り出すせいかも?
多くの写真家にはレンズの欠陥、画像の劣化に過ぎないのでしょう。
でも、それをレンズの個性、魔術的性能と捉えるが私。
なんでもないもの、なんでもないところにさえも、
私の心を痺れさせてくれるような「美」を創り出してくれる、
そんな風に思えるのです。

今回使った、クックの映画用レンズ、キネタール50mmF1.8、
どんどん好きになっています。
このレンズの先代にあたると思える、歴史的名レンズ、
スピードパンクロ50㎜F2の魔術的メタモルフォーゼには及ばずとも、
使えば使うほど、それなりに私の心を痺れさせてくれます。

ハイセンスの持ち主には、これが、どこが美なの?
と、いぶかしく思われることでしょう。
私が美と感じるレンジが常人よりも下方に広いだけなのかも?
でも、どなたもそうでしょう。
自分で何かを感じるのは、ただそう感じるからであって、
理性や努力でこれを修正することなどできません。
どなたも自分の美的感情のレンジは調節不能。
ただ私はこうなんだ、としか言いようがありませんね。

私は、正直なところ、ハイセンスの持ち主を羨ましいとは思いません。
そんな方は、たいていの美に欠陥、不満を感じてしまいます。
強烈な恍惚を味わえるでしょうけど、
さあ、そんなチャンスは稀なのでは?
その点、私は、安手の恍惚なのでしょうけど、
始終、私にとっての至上の美を楽しめます。
今回もそんな体験でした。




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# by hologon158 | 2019-07-20 17:46 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

799.00 ホロゴンデイ274(2019年3月11日ホロゴン15mmF8がまた古都奈良をさらり巡回)



7月16日火曜日、所用がてら県立図書館に参りました。
図書館って、この世の心のオアシスですね。
こんな本があるなんて知らなかったような本に、
そして、その中に記載された人に出会うことができます。
今回も会えました、

   「大ヴァイオリニストがあなたに伝えたいこと」
      千蔵八郎著
        春秋社

その本を書架から取り出して、
ぱっと開いたら見つかった言葉を紹介しましょう。
19世紀の名ヴァイオリニストで、名伯楽として知られた、
ユベール・レオナールが、
弟子たちに口癖のように言い聞かせた言葉を知りました。

   耳を開いて、音の響きの美しさに聴き入りなさい。
   音は紡ぎ出さなければならないものだ。
   それこそ名人の芸である。

帰宅して、今回の記事の写真をブログ掲載用に小型化しました。
今年の3月11日、ホロゴン15㎜F8をソニーα7に付けて、
高畑町、ささやきの小道、奈良町あたりを巡回して撮った写真。
なぜかファイルがぐちゃぐちゃに並び変わり、撮影順には並びませんでした。
でも、私の心覚えのために並べる写真たちです。
順不同でも、私の記憶の中で正しい位置に納まってくれます。

私の最愛の伴侶レンズ、それがこれ、ホロゴンです。
私が曲がりなりにもアマチュア写真家として活動していた当時、
私の撮ったホロゴン写真を、
私の期待するように評価してくれる人は居ませんでした。
少数の例外を除けば、たいていの方の反応は沈黙。

ある大写真家の写真塾を傍聴した際にも、
ずらりと30枚ほど並べてご覧頂いたことがありました。
「窮屈すぎる」
この一言でした。
この写真家の弟子はかなり反感を感じたようで、
「独りよがりの写真、という感じがします」

お二人の言葉はいずれも、はっきり言って、
正解です。
私はぎっしりと中身が詰まった写真が大好き。
だから、ホロゴンで被写体に30㎝から60㎝に迫って、
腰だめ、ノーファインダーで撮ります。
まったく同じ撮り方のまま、フィルム時代に2000本ほど、
デジタルになってからその倍ほど撮りました。
結局、独りよがりのまま、10年ほど前、アマチュア写真界から足を洗い、
ただの写真好きとして、自分のためにだけ撮る時代に入ったわけです。
その後も仲間との楽しみで数回写真展を楽しみましたが、
自分が人に写真を見てもらうというスタンスが
完全に消えたことに気づいただけでした。

ブログも、最初は、アマチュア写真界から足を洗ったんだから、
せめてネット社会で写真ブログを楽しんでやろう、と、
目論んだわけですが、
かなり限られた数のブロガーと親交を結ぶこともでき、
楽しい体験もさせていただきました。
でも、1年経って気づいてみますと、
私の写真に関心を示す人はほとんどなく、
アクセス数は偶然の検索結果でのアクセス数を
超えることはないことに気づき、
「やはり野に置けレンゲソウ」ということで、
2つのブログを自分の記憶庫とすることに方針変更しました。

人間、欲がなくなると、心が軽く、広くなります。
写真家であることをやめても、
写真に対する愛情はますます盛んになりました。
自分を愛することができるひとつのよすがとして、
私の人生にはとても大切な楽しみ、という感じ。
「まだまだ外界との交わりを楽しんでいるじゃないか!」
そんな確認の仕事が撮影とブログ、というわけです。

今回のホロゴン写真、
まさに窮屈写真の極致でしょう。
画角110度もあるのに、
ものが、ひとがぎっしり詰まっている感じ。
改めて眺めて観て、さらに納得。
私には爽快なスウィープ、人生の掃海作業のようなものですが、
間もゆとりもないのですから、人が思わず退いてしまうのも当然。
それがどうやら私の生き方のようです。
誰も自分を否定して生きることはできませんね。
ますます一人で楽しむことにいたしましょう。

私の写真は名人芸ではありません。
レンズに撮ってもらっているだけ。
でも、私が出会って、互いに一目惚れしたのがこれ、
ホロゴンウルトラワイド。
今では、ライカマウントレンズとして、
レンズだけが手元に残りました。

  私が一人で楽しむロボグラフィのための究極の一本!

ユベール・レオナールの言葉にあやかって書きますと、

   目を開いて、ホロゴン画像の美しさに見入りなさい。
   ホロゴンが一人で紡ぎ出してくれたものだ。




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# by hologon158 | 2019-07-17 11:10 | ホロゴンデイ | Comments(0)

798.00 ホロゴンデイ273(2019年2月28日ホロゴン15mmF8が奈良町を豪快に席巻し)



私には4人の孫がいます。
一人一人個性があって、
当然ながら、祖父として大きな期待を持っています。

思い出したことがあります。
最年長だけが男の子なのですが、
他人の気持ちがわかる子です。
絵の中の子供でもわかります。

2歳のころのことだと記憶していますが、
ちょうど私たち祖父母が彼と留守番をしていたときのこと。
絵本にマンション火災のお話がありました。
6階ベランダに消防士に抱っこされた女の子の幼児。
消防車から長く伸びた梯子のてっぺんにもう一人の消防士。
二人は女の子の受けわたし作業中です。
梯子とベランダとの間にはかなりの隙間があります。

孫プリンスは絵本を持って立ち上がり、
まずソファーに座っている祖母(私の妻)にこの絵を見せて、
心底恐怖の表情を浮かべて、「こわいなあ!」
それから、キッチンで洗い物をしている祖父(私)の所にもやってきて、
絵本を差し出して、「こわいなあ!」
このとき、祖母が携帯で録画していたので、
今でもその様子を見ることができます。

私たち夫妻の役割が逆転しているのではないか?
というもっともな疑問はひとまず置いておいてください。
そのとき、私が驚き、喜んだのは、
「この子は、絵を見るだけでも、他人の心が分かり、
そして、我が事のように共感し同情することができる!」

私は心理学者ではありませんが、分かります。
大人になってもこれができない人がかなり居るのです!
頭ですべてを処理し、心では理解できない、だから、
人の心も感情も理解したり、共感したりすることができない、
人のことなどどうでもよい。
結局、自分のことしか分からず、自分のことしか気にかけない。
そんな人が沢山いるのです。

私の生涯の経験によれば、
秀才と呼ばれる人にかなりの高率で見つかります。
なぜか、理由は実に簡単です。
日本のエリート選抜システムの欠陥です。
子供の頃から試験漬けにして、遊ぶことを許さない、
その結果、頭は良いけど、心がない、
だから、人の心も分からない、
そんなエリートたちが社会のリーダーとなってしまっています。
このような人たちは、自分と他人と別の判断基準を持っています。
自分は何でも許されるけど、他人にはもっと厳しい基準を押し付けます。

日本の首相が国会で、「品位を欠くようなヤジはやめていただきたい」
そうやって野党議員を厳しくたしなめた直後に、
野党議員の発言に対して、首相席からヤジを飛ばしました、
「うるせえ! 黙れえ!」
首相がヤジを飛ばすこと自体品位を欠くことにも、
そのヤジの言葉の下品さにも気づいていない。
人間性と品格を磨く修練を積んでいないことがわかります。
これが日本の明治維新以来の官僚エリートの欠陥。

私の孫たちには、そんな人間になって欲しくない、
これが私の切なる願い。
彼らを心から愛する両親、祖父母たち、叔父、叔母たち、
そしていとこたちが居て、あたたかい地域社会があって、
いわば愛情に包まれて育っています。
この状態が長く続いて、人の心が分かる人に成長してほしい、
心からそう祈っています。

さて、今回は、私の人生レンズとでも言いたくなる、主力レンズ、

  ホロゴン15mmF8。

もう少し頻繁に使ってあげなきゃ、と心から反省しています。
ボケレンズの魅力にかなり心が奪われて、
ともすると、ボケレンズを持ち出してしまいます。
実のところ、本人は洒落っ気も娑婆っ気もない、
真正面勝負だけの性格。
だから、本当はホロゴン一本だけで良いのです。
でも、だからこそ、性格は直せなくても、
レンズでちょっとした洗練、センスを味わってみたい、
ということでしょうか?
ともすると、ボケレンズを持ち出してしまいます。

ソニーα7用のヘリコイドリング付きマウントアダプタを
フォクトレンダーから購入して、
ホロゴンでさえ、超接近して、
曲がりなりにもボケを楽しめる時代になりました。
ホロゴンの持ち出し頻度を増やしい、
そう近頃切実に考えています。


ご注意
画像の取り込み作業ちょっと取り込みがあって、
画像が重複したり、順序がデタラメになったり。
修正が面倒なので、そのままにしておきます。
悪しからず。


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# by hologon158 | 2019-07-14 22:26 | ホロゴンデイ | Comments(0)

797.00 ホロゴン外傳271(2018年5月18日エルマジス95㎜F2.4の奈良町は朧に)



7月9日火曜日、
今日は散歩にも出かけず、
つつましく蟄居の日としました。
久しぶりに夫婦で在宅日だからですが、
朝から掃除、洗濯、食器のケア等多忙。

その洗濯機に不具合が発生しました。
神様は多忙時に故障日を合わせることで、
人間どもに人間の分際を知らしめる、
そんなおつもりなのでしょう。
そこで、その不具合をチェック。
東芝の一体型全自動洗濯乾燥機なのですが、
洗濯は全部滞りなく完了しています。
どうやら乾燥機が故障のようです。
3分の2ほどの乾燥プロセスが進み、
ほぼ乾燥完了に近い段階でストップして、
「E3」のエラー表示。

全自動ですが、我が家ではほぼ大半の種類は洗濯だけして、
ハンガーに掛けて自然乾燥しています。
乾燥プロセスでもみくしゃにしたくないからです。
そこで、夫婦で衆議一決。
これからは洗濯だけ使って、
壊れた乾燥機はそのままにして置き、
洗濯機の方も故障したら、そのとき修理にまわそう。
自然乾燥できるのに、乾燥機を使うのは資源の無駄遣い、
常々そう思っていたからです。

というわけで、修理に関する作業をする手間が省け、
昼食後は、本ブログの記事作成をまず始めました。

フランスの映画用レンズ
エルマジ95㎜F2.4
ソニーα7で撮りました。

全部で95枚一挙上映、というわけです。
ブログ掲載用に小型化する作業のなかで、
いつもながら、笑ってしまいました。
いわゆるフォトジェニックなものはほとんどない!
私の場合、常にそうです。

以前、仲間とキャノンギャラリーで写真展したとき、
まだ私が学生のころ経営していた数学塾で教えていた
一番できの良い少年が立派な大人になって、
奥さんまで連れて、でも、少年時代の面影を色濃く残して、
わざわざやってきてくれました。
彼に私のロボグラフィの私家版写真集を見せました。
私の写真集をサラサラと眺めて、
「面白いですねえ」と言葉少ない反応。
たまたま、以前所属していた写真クラブのメンバーが来て、
ソファーの横に座って傍観しておられたのですが、
彼も私の写真集にはなんの反応もないまま、
「私も写真集を持ってきました」
もっと良いものがありますよ、と言わんばかりに自信たっぷり。
友人の写真展に自分の写真集を持参して、割り込む、
なんて、なんだか礼儀もあったもんじゃない、という感じですが、
元少年氏、素直にその写真集を手にとって見始めました。
ハイアマチュアの風景写真家らしいきれいな桜や紅葉の風景写真。
見始めた途端、元少年氏とその奥様、
一枚ごとに、頓狂なまでに声を張り上げて、
「わあ、すごい!
きれいですねえええええええ......」
元少年氏の美意識に見事マッチしたわけです。
大抵の方も同様でしょう。

結局、誰もがそれを見たら写真を撮りたくなる、
そんな景観には多くの人が反応します。
でも、誰が見ても、絶対に撮らないようなロボグラフィ写真には、
誰も反応しないわけです。

私はちょうど逆、というわけです。
たとえば、今回の96枚の写真のラスト近くの木の切り株写真。
私は、これを見た瞬間、キャッと反応したわけです。
大抵の方は、私のそうした写真に直面しますと、
戸惑ったり、不快に思ったりするようです。
「なんで美しいものを撮らないの?」
「いえ、だから、美しいものを撮ったのですけど...」
そう言っても、誰も納得してくれません。
自分にとって美しいものは美しく、
自分にとって美しくないものは美しくない、
つまり、美は絶対的に決まっている、
そう皆さんお考えになるからです。

そんな方たちに向かって、
「私のロボグラフィは、全部、私が美しいと感じたから、
こうして撮っているのですが」
そう説明しても、納得してはもらえません。
私の友人でさえ、たった2人しか反応しません。
というわけで、10年ほど前から覚悟を決めて、
アマチュア写真家というかつての自覚を完全に捨ててしまい、
写真は自分一人のために撮ることにしたわけです。
ですから、友人たちにさえも、絶対に写真を見せません。
もちろん私のブログも話題に上りません。
誰も見ていないからです。

それで良いのです。
「写真は表現である」
そうよく言われます。
写真家は、人が自分の写真コンセプトを受け入れてくれて、
自分の写真作品をエンジョイしてくれて初めて写真家となる、
というわけです。
私はそんな境地をはなから捨ててしまいました。
自分一人が「わあ、凄い!」なんて反応しておればよいだけ。
今回も勝手に喜べばよいだけ。
アップしたら、もう忘れて次の作業にかかれます。
気楽そのものですね。

それにしても、エルマジ95㎜F2.4、
かってな思い込みでしょうけど、
なんだかフランス的。
とてもシックに個性的なのですが、
けっして古めかしくはなく、モダーン。

とはいえ、かなり画像の仕上がりに偏りがあって、
一定の画質を維持するのが難しい感じ。
そのあたりが古めかしさかも?




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# by hologon158 | 2019-07-09 21:14 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

796.02 ホロゴン外傳270(2018年12月19日スピードパンクロ35㎜F2の奈良町も異色)2 幸せ



時折、考えることがあります。

  ここに生まれて
  こうして生きていることが、
  私にとって幸せなのか?

家族のことを考えると、
イエス、幸せだったのだ、と即座に答えることができます。
でも、時代の中に生きる私個人として、どうなのか?
そう考えると、素直に「はい、幸せです」とは思えない、
だって、人類にとっては末世としか言いようがない時代なのだから。
そんな答えも浮かんできます。

でも、もう一つの考え方があります。
医療体制がこれだけ完備した時代はなかったかもしれません。
偉大な宗教家たちも、どんなに悟り済ましても、
さほど長生きできたとは思えません。

  聖徳太子は48歳、
  空海は58歳、
  最澄は56歳、
  親鸞は89歳、
  法然は80歳、
  道元は53歳、
  日蓮は60歳、
  聖フランチェスコは44歳、
  インドの聖人に目を移しても、
  ラーマクリシュナも没年はたった50歳、
  弟子のヴィヴェカーナンダと来たら、たった39歳!

信仰の高さ、宗教的な人格の大きさは、
必ずしも健康に結びつかず、長寿とは無関係、
そして、さまざまな外的要因が短命につながったということでしょうか?

不思議に思うのですが、
彼らはみんなヒーリングパワーの持ち主でした。
予知能力もあったでしょうし、
体をコントロールできる絶大な心の大きさを持っていたはずなのですから、
夭折の運命も予知できたのではないでしょうか?
自分のヒーリングパワーを自分に向けて使えなかったのか?
それとも、運命は定められていて、
運命をはね除けようしても無駄、
いずれにせよ、ヒーリングパワーさえも運命に逆らえない、
ということでしょうか?
だとすると、信者たちの病気をヒーリングパワーで癒やすことは、
彼らの運命を変えることにつながらなかったのではないでしょうか?
こんな風に考えると、どうもよく分からなくなってしまいます。

現代人にとって長生きのための条件がかなりあるようです。
① 医療体制がかなり進歩したことがまず第一。
② 健康に関する知識が進んだこともあるでしょう。

私個人としては、我田引水ですが、
次の2つの条件もかなり大きいと思っています。
③ 水素吸引による健康増進
④ アーシングによる健康増進
なんじゃ、それは?
そう戸惑う方も多いでしょう。
ネットで検索してみてください。
私は、どちらに出会えたのも「縁」であったと信じています。

よくよく考えてみると、すべてが縁であることは間違いがありません。
でも、空海や聖フランチェスコたちを襲った運命は、
私たちにも襲いかかってくるはずです。
運命には逆らえない、のですから。

それなのに、私は考えています、
自分は寿命をもう少し伸ばせるのではないか?
上記の③④に健やかな長寿を保証する力があると信じているからではありません。
よくよく考えてみますと、
空海や聖フランチェスコたちも日々日常アーシングをしていたのです。
聖フランチェスコときたら、
裸、裸足で大地を闊歩することもいとわなかったようです。
あの時代、大地は道も含めてすべて土、草、林、森でした。
公害などに一切汚されない清浄なる天空が頭上に広がっていたでしょう。
テレビもインターネットもない。
電磁波に常時身体を痛めつけられている現代の都会地では
想像も付かないほどの清浄の天地に生きていたのです。
それなのに、比較的短命でした。
だから、私は考えるのです。
現代はまさに不浄の大地。
でも、前記の③④で、心身を浄化することができ、
飛躍的に革新されつつある現代医療技術がサポートしてくれる。
こうした状況が相まって、
現代人の心身をかなり清浄かつ健康に保ってくれるのではないか?
私はそう信じたいのです。

その一つのサポートとして、
私は現代社会の腐敗、汚辱、危機への懸念、不安は
完全に封印することにしました。
私がどんなに心配しても、
そうした現代社会の暗黒をどうしようもないからです。
できることは選挙権は必ず行使すること、
これくらいしかありませんね。

機会があれば、近くの神社森、名付けるところのアーシングウッドに来て、
撮影し、自然木のベンチでポメラしています。
さまざまな小鳥のさえずり、そよぐ風が私の心身をすーと通り抜けて、
私を浄化してくれるようです。

一昨年来時折携帯に時折かかってくる着信がありました。
未知の番号です。
いつも、無視します。
携帯をヒューマンネットワークなるもののツールとして
使うつもりなどありません。
もう世を捨てたので、
常時出会う親友たちを除くすべての旧友、知人との接触も絶ちました。
忘れてもらいたいのです。
すべての時間を私の心の赴くままに使いたいのです。

変人なのでしょうね。
変人でなければ、
私のブログを埋めているような写真は撮りませんね。
私は、自分の写真を第三者が観ることを予定せず、撮っています。
ああ、こう撮ったら、人がびっくりするだろうな、
なんて微塵も考えません。
私がある日、あるとき、ある場所でロボグラフィと出会った、
その喜びの気持ちだけを記録したいのです。

公平のために付け加えますと、
私が社会を捨てたように書いていますが、
社会にとってはなんの痛痒もない。
むしろ、社会が私を捨てた、というのが真相でしょう。
でも、なんとも思いませんね。
私は自分の人生で十分楽しめるからです。
心の支えとして、家族と友人が居てくれるのですから、
ありがたいことです。




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# by hologon158 | 2019-07-05 17:16 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

796.01 ホロゴン外傳270(2018年12月19日スピードパンクロ35㎜F2の奈良町も異色)1 対話



茂木健一郎という脳科学者が居ます。
YouTubeで、彼の講義、講演をたっぷり楽しむことができます。
私もかなり楽しんだのですが、ふっと気づきました。
なんにも頭に残っていない。
なぜ?
ただちに分かりました。
鋭く深い洞察に満ちているのでしょう。
でも、私が彼の論旨にぜんぜんついて行けない。
だから、ぜんぜん記憶に残らないのです。
一体なにをおっしゃりたかったのか?
まるで分からない。
私の頭脳がすでに時代遅れになっているのです。

私の親友の一人がこの茂木さんに匹敵するほどの、
猛烈に鋭く深い思考力の持ち主。
さまざまなジャンルにわたって、
天馬空を行くがごとき論考を展開してくれます。
でも、あまりにも深くて広大すぎて、
私の頭脳はまったくついていけません。

このお二人に共通していることが一つあります。
聴く人のレベルに合わせて語るということはしない!
いや、それでも合わせて平易に語ろうとしている、
そうお二人はおっしゃるでしょう。
でも、そのレベルは私よりまだ遙か上なのです。
おかげで、聞き手はさらりと置いてきぼりになってしまうけど、
お二人はそれに気づいていないか、気づいても、平気。
分からないのは、分からない方に問題があるというわけです。

エハン・デラヴィという在日何十年というイギリス人がいます。
執筆家ですが、エハン塾という少人数の塾生の前での講義を行い、
YouTubeにたくさんアップされています。
実に達者な日本語で、さまざまな話題について紹介し、
その意味をその場で解明しようとします。
この人の講義は全部理解できます。
なぜ?
彼が聴く人のレベルをかなり落として、
一緒に語り合おうという姿勢をしっかり堅持しているからです。

前者は、未知の荒野に分け入って道を開くという独創タイプ、
後者は、独創の天才たちが切り開いた道を整地して、
我々凡人が歩けるようにしてくれる啓蒙タイプ、
そう言ってもよいかも知れません。

私は、そのどちらでもありません。
ただ闇雲に興味、関心の赴くままに、脈絡もなく、
あっちで一口、こっちで一口、と、楽しむタイプ。
その結果、自分に分かることは呑み込めるけど、
分からないことは追究したりせず、脇によけて通るだけ。
というのも、自分に理解できないことを研究して、
我が物にしなければならない、という必要性が
なくなってしまったからです。
社会から離れて、一人で人生を楽しむ時代に入ったからでしょう。
でも、私は深刻に心配しています。
私だけではなく、すべての人にとって、
もう時間はあまり残されていないんでは?。
日本だけではなく世界全体が、
どうしようもない地滑り現象を起こしてしまっています。
私にはそうとしてか思えません。

なんだか疑っていることがあります。
地球自体が何千年、何万年に一度という激動期に入っています。
太陽まで観測されたことのない異常を呈し始めています。
実は逆で、太陽の異常が地球に深刻な影響を与えているのです。
親亀こけたら、皆こけた、というわけです。
大地震が頻発していますが、
地震の原因が局地的なものではなく、日本列島の地殻の変動にあり、
その変動自体が太陽の動きに支配されていることが分かっています。
人間世界の土台である地球そのものが揺るぎ始めているのかも?
世界を覆っている社会不安は現在深刻そのものですが、
私たちの拠って立つ基盤そのものの不安を反映しているのかもしれません。

先月でしたか、孫たちと大阪天王寺動物園の一日を楽しみました。
一つはっきりと感じたことがあります。
昨年見たときより、動物たちがまるで元気がないのです。
もともと自由を奪われているのですが、
なおさらに、毛皮が汚れ、生気を失っている気配。
本来自由に大地を闊歩すべき動物たちにとって、
どんなにケアしてもらっても、動物園は牢獄です。
そんな幽閉状態にあって、
地球そのものの異常を敏感に感じ取っているのかも知れません。

こんな時代に生きていくのは不安ですね。
私の懸念は孫たちにかかっています。
孫たちも成人し、結婚し、子を産み、
その子たち、つまりひ孫たちも成人し、結婚し、子を産み、
と安穏に過ごすことができて、
それぞれの可能性を人生で思う存分追求してほしいものです。
でも、そうできるでしょうか?

政治の世界も、内外、例外なく、
本来国政を担う資質も能力もない人たちが牛耳り、
国際資本が世界の資源を食い尽くそうとしています。
これを、進歩と呼び、真実そうだと思っている人たちがいます。
世界も社会も史上最悪の無法状態に陥りつつあります。
地球が一つになってしまったので、逃げ場がありません。
でも、多くの人は進歩の極み、夢の社会、そう考えているようです。
はっきりと言えます。
末世。




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# by hologon158 | 2019-07-02 22:12 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

795.02 ホロゴン外傳269(2018年12月19日パンタッカー50㎜F2.3が奈良町撮れば三味違う)2 まだまだ謎が


 
 
人類(ホモサピエンス)の発生には大きな謎があるようです。
人類学は長年窮地に立たされたままです。
ホモサピエンス(ネアンデルタール人を含む)と、
それ以前の先人類との間には、脳容積が飛躍的に拡大していて、
断絶があります。
その中間形を長年必死で探してきたのですが、見つからないのです。

メソポタミアの神話では、アヌンナキと呼ばれる天上の存在が、
地球上での作業を手伝わせるために、人類を生み出したとしています。
聖書で、神が、すべての生物を生み出した後で、
アダムとイブを創造したのも、
上記の創造神話のバリエーションと言えそうです。
二人は完全に人間として行動していますから、ホモサピエンスなのでしょう。
つまり、それ以前のホモ・ハビリス等は人間とは別個の存在として、
すでに作られていたことになりそうです。

創世記によれば、その頃生み出されたのは人類だけではありません。
アダムとイブが楽園を追放された後、
他の人間たちのエリアに行ったというので、
アダムとイブの系統ではない人類も別途作られていたらしい。
天使たちも人間の女性と結ばれて、巨人を生み出しています。
いずれにせよ、先行の旧人類から進化したものではなさそう。

遺伝学的には、ホモサピエンスは、進化の前段階の動植物たちと、
遺伝子をある程度共有しています。
でも、先行種から受け継いだと思われない遺伝子がわずかながら含まれていて、
それがいかなり意味、役割を有しているのか、未だに分からないと言います。
この遺伝子は地球外の起源ではないかと言う学者が居ます。
聖書の記述と矛盾がないのが奇妙です。

つまり、上記の諸点を総合すると、
人類は地球が産んだ生物なんだけど、地球外の成分が手伝って、
人類の能力を飛躍的に高めた可能性があるというのです。
私たちが一部宇宙人であるということになりそうで、
ちょっと胸躍りますね。

私は空飛ぶ円盤、UFOを異星人の到来を意味するとは思いません。
はるばる何光年、何十光年も旅をしてきて、
ひょいひょいと空を飛んでみせるだけで、
コンタクトをしようとしないのはまったく解せないからです。
でも、一方で、地球上に生命が誕生し、
ここまで進化できたことが、
全宇宙の中でたった一回しか起こらなかったとは絶対に信じられません。
宇宙から飛来した岩石中に有機体が見つかっています。
宇宙的なタイムスパンでは、いかなることも、
「一回起これば、幾度も起こる」のが統計的原則でしょう。
むしろ物質は生命体まで容易に組織化される性質を持つ、
と考えることもできそうです。
というのは、生命が誕生するとはとても思えない過酷な環境、
たとえば、火山の溶岩の中とか、
圧倒的な重力に押さえつけられているはずの大地や深海の奥深くにも、
地上の生命体とは異なる起源を持つ有機体が種々と見つかっているのですから。

人類に由来するとは思えない太古の発掘物がさまざまに発見されています。
太古の地質学年代の地層に鋲が見つかりました。
そのような人類に由来するとは思えない遺物が
さまざまな古代地層で見つかっています。

人類のさまざまな神話自体、最初に記載しましたように、
地球外の知性的存在の介入を示唆するものが沢山あります。
20世紀以降の知的発見の基本の一つが、
人類の神話には事実の核を有するものがある!
その先鞭を付けた偉大な発見がシュリーマンによるトロヤの発掘でした。
ホメーロスは、事実に即して、あの偉大な叙事詩イリアッドを創造したのです。
そうした神話の多くが、と言うより四大文明のすべての神話が、
そして、聖書が、天上界の神々等の神的存在の介入を記録しています。
そして、もしかすると、イリアッドの基本事実が史実であったように、
それは歴史的事実かもしれませんね。




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# by hologon158 | 2019-06-27 22:32 | ホロゴン外傳 | Comments(0)