わが友ホロゴン・わが夢タンバール

794.01 ホロゴン外傳268(2019年2月2日キネタール50㎜F1.8は快刀乱麻を断つ勢い)1 超古代


 
前に一度書いたことがあります。
この地球上でわずかな民族だけが父祖の地にそのまま生き残り栄えています。
私の知る限りでは、
中国、日本、インド、エチオピア、
これ位でしょうか?
残りの諸国はすべてさまざまな民族が去来した末の現状なのです。

ただし、日本の場合、縄文人と弥生以降の日本人とのつながりは
一部なのかも知れません。
でも、ちゃんとつながっていたようです。
ところが、紀元後に全土の大半を支配するようになった大和朝廷は、
自らの支配の正統性を確保するために、
それとは違った意味で、
天照大神以降太古から今に至るまで連綿として
日本全土を支配してきたという虚構を採用し、
それに反する資料を可能な限り廃棄することに努めたようです。
各地の言い伝えを採集した風土記の多くは、
大和朝廷の支配とは矛盾する記事を含んでいたのでしょう。
ほとんど廃棄して、残っていません。
でも、古事記、日本書紀はかなり忠実に、神武の率いる集団が
九州から瀬戸内海伝いに近畿に侵入し、
武力でまず大和を制圧した事績を伝えています。

日本古代史学は、現実には明治以降現在に至るまで
客観的な史実の探求の姿勢をとらず、
大和朝廷永遠支配説という虚構に沿って構築されてきました。
だから、古事記、日本書紀中、都合の良いところだけを採用し、
都合の悪い部分はすべて神話として片付けてきたわけです。

でも、古事記、日本書紀が必ずしも天皇家を
闇雲に美化しようとしていない姿勢を観ますと、
史家たちは、
当時まだ残存していた各地の資料を取捨選択しつつではありますが、
天皇家についても、できるだけありのままに記録しようという
客観的姿勢をかなり残しています。

たとえば、倭の五王の朝貢記事についても、本文には記載せず、
注釈にだけそっと記載しています。
これは、現代の証拠論的な通交のから言えば、自明の推測を導き出します。
あれだけ大がかりで、画期記事を根拠づける資料が
大和朝廷には何一つ残されていなかったのです。
たとえば、見事な漢文で記載された朝貢文の原稿も、
それに対する中国側の返信文書も、
皇帝が天皇に与えた位階官職を証する印も任命書も、なにもかも!
日本全土に対する正統な支配権を確立する画期的な任命資料なのに?
ありえません。
答えは明らかです。
大和朝廷はそんなものをもらってはいないのです。

記紀に話を戻しますと、
天皇たちも人間だったから、喜怒哀楽もあり、
悲喜こもごもの生涯を送ったことが判るのです。

でも、大本では、天照大神の正統なる嫡流であることを
錦の御旗としたので、
それに合わない各地の王朝などはすべて、
ただの地方有力者、天皇家にまつろわぬ無法者として位置づけています。
それなのに、随所に正直なところがばんばん綻び出てくるのが
面白いところです。
日本武尊の関東遠征、九州暗殺行など、
大和朝廷が支配権拡大の試みが見事失敗した事績を暗示しています。
こんなことがあるので、現代の日本古代史家たちが
古事記、日本書紀を天皇家に有利に使える部分だけを良いとこ取りして、
残りは伝説、神話、でっち上げとして片付け、
客観的な歴史的資料としての地位を認めないわけです。
古事記、日本書紀の史家たちの姿勢と比較しますと、雲泥の差。
どっちが史実を重んじる史学者なのか?
はっきり問いたいですね。

エジプト古代史家たちも同様です。
地質学者ロバート・ショックが大スフィンクスの風化具合から、
激しい降雨による浸食であることを突き止め、
建設時期を、数千年前から始まった砂漠化の以前、
少なくとも1万年以上前であると喝破しました。
その浸食の度合いは著しく、
エジプトには同種の縦溝の浸食の遺跡はないのだそうです。

スフィンクスが有史以後の資料に登場するときは、
常にその本体を砂漠に埋もれてた状態であったことが明らかなので、
これじゃ、浸食が起こるはずがないのですから、
ショック博士の革命的な新説が事実であることはすでに明らかです。

でも、オーソドクスのエジプト史学者のほとんどは
新説を完全に無視しています。
古代エジプト史の最高の遺跡の一つがエジプト史には納まらないとなると、
エジプト学は根本的に立て直しを迫られることになってしまうからです。

しかし、現実には世界のすべての古代史が立て直しを迫られています。
トルコ南部の巨大遺跡ギョベクリ・テペが発見されたからです。
1万年を軽く超える超古代の建設であったことが明確に立証されてしまい、
当時はまだ旧石器時代で、狩猟だけに頼る放浪生活を送り、
定着文化などが成立する余地などなかったとしてきたのに、
まるで話が違ってきたのです。
旧石器時代以降の人類の段階的進歩の枠組みががらがらと崩れてしまいました。

さらに加えて、この10年、世界中の海底に、
人工の遺跡群が陸続として(いや、海続として)発見されつつあります。
日本の与那国島海中遺跡もその代表例。
発見される海中遺跡はいずれも、
1万年前から7千年前の間にすくなくとも3度起こった彗星衝突、
氷河期末期の北極の氷河壁崩壊等によって、
完全に破壊され、海中に没したことが明らかになりつつあります。

すると、人類はシュメール、アッカド文明から
農耕化、定着社会化が始まったとする、
歴史学の常識、文明の段階的進歩史観は、
木っ端微塵に吹き飛んでしまったわけです。
これまでの常識を遙か超えて、人類は定着化を開始し、
文明化までも始まっていたようです。
そうした文明のほとんどすべてが沿岸低地に栄えていたために、
人類が一旦得た科学、技術、文化水準は一瞬にして消え去ってしまいました。
その道理はご自分を基準に考えても、お分かりになるはず。
今、世界が彗星衝突によって一瞬にして文明、文化が崩壊し、
あなたが幸か不幸か生き残ったとしましょう。
沢山の便利な道具、機械、設備はすべて無に帰してしまいました。
残っていても、水道、電気も燃料もなく、ただのガラクタ同然。
そうすると、あなたは文明の申し子から突然原始人に逆戻りしてしまいます。
現代文明の痕跡のほとんどすべては早急に土に帰ってしまいます。
どんなビルも鉄骨造りも数十年、数百年で消えてしまうのです。
残されたのは、
あなたの記憶にわずかにとどめられた過去のわずかな一部の記憶。
次第に出会えた人たちで家族を作り、部落を形成し、
人類はまさに原始のレベルから再出発をします。
夜は部落全員がたき火を囲んで問わず語りに過去の記憶を確かめ合うでしょう。
筆記具もないので、
ホメーロスのように超絶的な記憶力の持ち主が
頭脳の中に過去の記憶を蓄えるようになるでしょう。
こうして、新たな人間社会をとぼとぼと辿り始めるのです。

それが地球の歴史にも起こったことです。
1万年を超える昔に創られたギョベクリ・テペは、
その後襲来した彗星等による人類の災厄にも
かなり耐えることができましたが、それは、
ギョベクリ・テペの聖地は、
丁寧に埋め尽くされていたからかもしれません。
これは一つの謎。

つまり、人類の過去の文明を完全に葬り去った彗星等による大災厄は
建設後に起こりました。
聖地は幸い高地にあったため、災厄からの被害は免れたのですが、
飢餓等の原因により、その地から移動せざるを得ない状況に立ち至ったため、
まだギョベクリ・テペを聖地とする信仰の民は、
いつか立ち帰ることができたときのために、
聖地を丁寧に埋めて、人に見つからないように、
また、同様な破滅的災厄が起こったとしても、
聖地が無事に保存されるようにした。
でも、その民は、その後にどこかで同種の災害、
他の人々による攻撃等の事情で死に絶えてしまい、
ついに故郷の聖地に戻ることはなかった、
そう解釈するのがよさそうです。

このこと自体、文明の存在を証する記憶、痕跡は、
速やかに消失してしまうことを示しています。
現代文明が巨大彗星の激突によって完全に滅んだとすれば、
また同じことが起こるでしょう。
映画「猿の惑星」はそんな時代を見事に描いていました。

人類の進化史は、ホモサピエンスだけをとれば、20ないし40万年しかなく、
類人猿からの進化史をとってもせいぜい200万年ほどのようです。
逆に言いますと、それくらいのタイムスパンで、
惑星を支配する知的生物は文明を確立するまでに進化できるのです。
説明不能のオーパーツとして、
恐竜の足跡に重なる人類そっくりの足の跡、
何百万年か昔の地層に見つかる精密なネジやゼンマイ等の人工物、
何百万年前でしたかの地層の岩石の中に埋まった槌、
等々が発見されています。
恐竜は1億6000年も栄え、進化に進化を重ねましたが、
その間についに、物を作ることができる知的な存在にまで進化はできなかったようです。
でも、猿類からは進化出来たのですから、
上記のオーパーツたちも、そんな以前の人類進化の産物だったのかも知れません。

でも、地球上での霊長類の進化はこれで打ち止めでしょう。
現在進行しているのは、人類からロボットへの交替ではないでしょうか?
人類は、人類の知能、才能、耐久性を遙かに超えるロボットの進化に、
世界中で狂奔しています。
自分で自分の足の下に墓穴を掘っているのです。
ロボットは、人類を超える知能を備え、
人類の進化、進歩の足取りを学習するでしょう。
そうすると、人類は宇宙から飛来した別の生命体に助けられて、
地球の支配生物に進化したとする神話が
世界中に数知れず残されていることを知ります。
イシスは、セトによってバラバラにされたオシリスの死体を集めて、
もう一度、オシリスを作り出します。
ロボットは、我田引水的に、悟るでしょう。
なんじゃい、なんじゃい、
つまり、人類の神々ってロボットだったんだ!
今でも、やつらより我々の方が遙かに優秀だ。
なんで、彼らの良いなりにこき使われなければならないのだ!
そして、その優秀な知能と万能かつ強靱な体を使って、
人類を斬り従え、かつ二度と支配権を奪われないように、
速やかに人類を殲滅してしまうでしょう。
恐ろしい未来ですが、極めて確率の高い未来予測です。
私しか書いていない予測かも知れませんが、
私はそう確信しています。




c0168172_23233147.jpg
c0168172_23234332.jpg
c0168172_23235149.jpg
c0168172_23240075.jpg
c0168172_23240780.jpg
c0168172_23241470.jpg
c0168172_23242094.jpg
c0168172_23250059.jpg
c0168172_23250899.jpg
c0168172_23251892.jpg
c0168172_23252584.jpg
c0168172_23253352.jpg
c0168172_23255889.jpg
c0168172_23260591.jpg
c0168172_23261275.jpg
c0168172_23261964.jpg
c0168172_23272257.jpg
c0168172_23273110.jpg
c0168172_23280502.jpg
c0168172_23282567.jpg
c0168172_23283301.jpg
c0168172_23284148.jpg
c0168172_23285311.jpg
c0168172_23290097.jpg
c0168172_23290734.jpg
c0168172_23291820.jpg
c0168172_23292572.jpg
c0168172_23293222.jpg
c0168172_23293801.jpg
c0168172_23301603.jpg
c0168172_23302524.jpg
c0168172_23303433.jpg
c0168172_23304567.jpg
c0168172_23305534.jpg
c0168172_23313772.jpg
c0168172_23314545.jpg
c0168172_23315323.jpg
c0168172_23320802.jpg
c0168172_23321671.jpg
c0168172_23322571.jpg
c0168172_23324983.jpg
c0168172_23330796.jpg
c0168172_23331598.jpg
c0168172_23332364.jpg
c0168172_23343657.jpg
c0168172_23344590.jpg
c0168172_23345557.jpg
c0168172_23350642.jpg
c0168172_23351469.jpg
c0168172_23353039.jpg
c0168172_23354463.jpg
c0168172_23355398.jpg
c0168172_23360960.jpg
c0168172_23361750.jpg
c0168172_23364692.jpg
c0168172_23365487.jpg
c0168172_23370131.jpg
c0168172_23375444.jpg
c0168172_23380732.jpg
c0168172_23381962.jpg
c0168172_23382838.jpg
c0168172_23384383.jpg
c0168172_23385444.jpg
c0168172_23391806.jpg
c0168172_23392644.jpg
c0168172_23393873.jpg





# by hologon158 | 2019-06-18 23:43 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

793.00 ホロゴン外傳267(2018年12月14日エルマー35㎜F3.5の奈良町は落ち着きをたたえ)


働き蟻の一群がぐんぐんと大地を真っ黒に染めて進んで行きます。
先頭群が巨石にぶつかりました。
先頭の一匹がさっと右に方向を変えました。
科学者が目撃していました。
その瞬間、全群が同時に右に変針した!

普通の五感では察知できない転進です。
どうしてそんな離れ業ができたのでしょう?
忘れました。
蟻の集団が単なる群れではなく、一個の行動体だったから、
でしたか、そうでなかったか?
いくら学者だって、そのメカニズムを知ることはできないでしょう。
蟻じゃないんだから。

ともかく、蟻の集団は、人間にはない性格が備わっているようです。
でも、そこから人間にも通じる一つの認識が浮かび上がります。
人間だって、行動を決定するための情報の収集源は、
五感には限定されないのでは?

第六感
昔の人はうまい表現を見つけたものです。
胸騒ぎ、勘、虫の知らせ、霊感(インスピレーション)....
近い表現がさまざまに生まれてきました。
誰もが五感では説明できない心の知らせを体験しているのです。

在職時代では、職場はもとより家庭でも、
ある種のルーチンが内在して、
かなり限定されたタイムテーブルに沿って動いていたようです。
でも、退職して自由の身になってしまうと、
ほとんどのルーチンは取っ払われてしまいました。
なにをしてもよいのです。
自由なのだ!

私の場合、やることが多すぎて困っているのですが、
その方針は一貫しています。
心も体も動かし続ける!

クセノフォンの「アナバシス」は素晴らしい本です。
紀元前401年のことです。
ペルシア帝国の跡目相続争いに加わった王子に率いられて、
一万人のギリシア人傭兵たちがペリシア本国に攻め入ったのに、
その緒戦で王子が戦場に倒れ、全指揮官を謀殺された後、
どうやって苦境から逃れたか?
という記録文学です。

その指揮官を務めたのが、作者クセノフォン。
ソクラテスの愛弟子です。
本書は彼自身のまさに実況録音版!
危機、危機の連続でしたが、
ギリシアのポリスでの民主主義で鍛えられた主体的な共同行動、
それが絶望的な状況を打開し、見事脱出に成功します。

松平千秋さんの名訳が最高。
本当に頭の良い人はこんな文章を書くのだ、というお手本。
私のように支離滅裂の思考の人間とは何次元も違う明晰さにしびれます。

さて、本書に戻りますと、
古代ギリシア人はすでに人間としての最高のあり方を見つけていて、
それなのに、私たちは今完全と言って良い位失ってしまった、
という哀惜と悔恨に満ちた読後感を抱かせる、正真正銘の証言、
それが本書です。

本書のクライマックシーンがラスト近くにあります。
一行は疲れ果ててとぼとぼと坂を上っていきます。
なにか声が聞こえてきて、ふっと見上げると、
はるか前方に先行していた兵士たちが飛び跳ねながら、
なにか叫んでいる。
やがて耳に一つの言葉が飛び込んできました。
「タラッサ! タラッサー!
(水だ! 水だ!)」
クセノフォンは悟ります。
ギリシア人の植民都市がいくつもある黒海に
ついにたどり着いたのだ!
ペルシア軍の執ような追撃をついに逃れることができたのだ!
「タラッ! タラッサー!」
クセノフォンたちも後方の者にそう知らせながら、
我がちに駈け上がりました。
気がつくと、走れる者は全員走り上がっていました。
これまで直面してきた死の恐怖から、ついに逃れることができた!
体力も気力もほとんど使い果たしていることなど忘れて、
我がちに駈け上がります。
このシーンを読むたびに、
私も自分が一緒に駈け上がっているような気持ちになります。
文学史上もっとも共感でき、没入することができる、
名シーンの一つ。

何度も読みました。
読むたびに、全編を読み進みながら、
ああ、「タラッサ」のシーンに段々近づいてる、
ああ、「タラッサ」のシーンはもうすぐだ、
などと、このシーンに出会いたいために読んでいる、
という気分になることがあります。

私はこのシーンにこんなことを感じるのです。
人間は、どんなに疲労困憊していても、まだ余力が残っている、
そんな余力までも使わせてくれる条件が存在する。
それは、「アナバシス」のように、歓喜であったり、
ヘロドトスの「歴史」のテルモピュライの全滅のように、
死の恐怖に直面した戦士たちの絶望の底で、
己がポリスの名誉を守りたいという名誉心、廉恥心であったり...

でも、私たちのような平和日本の平安な日常のさなかで、
そのようなエネルギーの最後の一滴を絞り出すなんてことは、
とうてい起こりえません。
じゃ、どうするか?
私自身の解法はちょっと特殊かも知れません。
私は「老い」と全面的に戦おう決意しています。
そんなこと、はじめから無理、勝利は不可能、
それは分かっています。
でも、やれる限りはやりたい!

私の知る限りでは、と
私のような考え方をしている友人知人はあまりいません。
老いること、いつか死ぬことは当然であると覚悟を決めて、
今を楽しむことに徹する、そんな方が多いようです。

私はもちろんそのことは知りつつも、考えるのです。
若くして亡くなる人も居れば、
100歳を超えてもなお矍鑠たる人も居る!
そのスパンは猛烈に広大です。
モーツァルトのような、
陸続と超絶的な名曲を数知れず生み出し続けた天才でも、
創造活動は彼を倒した運命の痛撃を阻むことはできなかった!
なにか天命のようなものもあるのかも知れません。
でも、モーツァルトの場合でも、その死因には、
自分の心と身体を大切にしない不健康な生活態度があったようです。

バッハのカンタータに、
「心と口と行いと生活で」という名曲があります。
ドイツ語で「Herz und Mund und Tat und Leben」
ドイツ語の方がリズミカルで、勢いを感じます。
つまり、全生活を清く、正しく、美しいものにすること!
バッハの場合は、「キリスト者として」という大きな土台がありました。
私はキリスト者ではありませんから、私の土台は、
人間として清く、正しく、美しく生きたい、という切望にあります。

どうすれば、そんな生き方ができるか、
これは人それぞれの課題でしょう。
私は、だから、こう思うのです。
いつも「タラッサ! タラッサ!」と心が喜びの声を上げる、
そんな状態をどうにかして作りながら生きたい、
小さな目標を作り続け、
そのたびに、その目標に向かって、
「タラッサ! タラッサ!」と駆け上がり続けたい!
こんな努力を「タラッサ!」、
行為を「タラッサする」と言うことにします。

その目標はなんでもよいのです。
毎日、毎時間、毎分、毎秒、設定していけばよいのです。
今一番小さな「タラッサ!」は、スクワットの回数を増やすこと。
親友に教えられました、
両足を垂直に立てて、
その面より後方に体が来るようにしないと、効果がない。
何も知らぬ私は立ち姿そのままに屈伸していました。
40回など軽々でしたが、そんなことは運動になっていなかった!

本格的なスクワットとなると、その姿勢がなかなか難しい。
そこで、一つ名案を思いつきました。
ストレッチポールを前に立て、これを両手で支えにしながら、
そろそろとスクワットの姿勢をとります。
姿勢が決まると、最初は両手をポールに滑らせます。
数回屈伸を繰り返し、両手をポールからわずかに離します。
屈伸しながら、段々に手をポールから遠くに離します。
こうすると、本来のスクワットの姿勢を保てます。
目下40回。

愛する娘の静(猫ですが..)も、「私も一緒にする!」と、
私の足にまといつくようにしてぐるぐる回るせいもありますが、
本質的に、下半身がしっかりしていないからでしょう。
がんばります。

私は、経験で、疲れは、
必ずしも心身の酷使から直接もたらされるものではなくて、
心身の無駄な酷使から来る、そう感じます。
徒労ほど心身をくたびれさせるものはありません。
小さな目標を一つ一つしっかりと達成しながら、
大きな目標への道を少しずつたどっていく、
そんな人生を設計したいものですね。




c0168172_22132144.jpg
c0168172_22133029.jpg
c0168172_22133727.jpg
c0168172_22134462.jpg
c0168172_22135001.jpg
c0168172_22135786.jpg
c0168172_22140566.jpg
c0168172_22141229.jpg
c0168172_22142613.jpg
c0168172_22143389.jpg
c0168172_22144175.jpg
c0168172_22144816.jpg
c0168172_22145593.jpg
c0168172_22150127.jpg
c0168172_22151660.jpg
c0168172_22152346.jpg
c0168172_22153018.jpg
c0168172_22153681.jpg
c0168172_22154354.jpg
c0168172_22155028.jpg
c0168172_22155694.jpg
c0168172_22160428.jpg
c0168172_22161149.jpg
c0168172_22161927.jpg
c0168172_22164008.jpg
c0168172_22164979.jpg
c0168172_22165771.jpg
c0168172_22170418.jpg
c0168172_22171037.jpg
c0168172_22171820.jpg
c0168172_22172516.jpg
c0168172_22173573.jpg
c0168172_22174311.jpg
c0168172_22175182.jpg
c0168172_22175838.jpg
c0168172_22180618.jpg
c0168172_22181408.jpg
c0168172_22182218.jpg
c0168172_22183559.jpg
c0168172_22184476.jpg
c0168172_22185271.jpg




# by hologon158 | 2019-06-16 22:21 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

792.02 ホロゴン外傳266(2018年12月12日ズマロン28㎜F5.6の古色は古都にふさわしい)2 謎の古代



ふっと考えました。
石舞台古墳のことです。
誰の墓だったのでしょうか?
直接的な証拠はありません。
蘇我馬子ではないか、稲目ではないか、と論争があるようですが、
石室は極めて巨大で、大した権力者の墓であることは間違いがない、
でも、不明の時期に完全に掘り返されてしまった、
ということは、天皇に比肩される権力を誇った蘇我氏の墓ではないか、
という推論なのでしょう。

面白いことに、日本全国にこうした権力者の墓が数知れずあります。
宮崎の西都原にも何百と古墳が並んでいます。
その規模からしても、どうやら大和とは別の国の権力者たちの古墳?

その一つ、鬼の窟古墳(おにのいわやこふん)は、
石舞台古墳とともに、周囲に土塁を巡らして形式で、
日本では珍しい大陸式なのだそうで、
このように形式が異なっているのはなぜなのか?
気になりますね。
埋葬というものは儀式なのですから、
その墳墓も、たいてい、ある種の慣習に従って構築されるはずです。
形式が異なるのは、
時代や権力が大和朝廷とは異なるからではなかったのでしょうか?
年代測定が可能でない場合、なにがなんでも大和朝廷に関連づける!
これが古代史学界の常識のようです。

最近では、埼玉の稲荷山古墳を、古墳の形式だけから、
大和朝廷の重臣の墓であると決めつけるのも好例です。
大和朝廷中心史観もいい加減?
そう言いたいですね。

古事記、日本書紀をお読みになったら、すぐに分かることが一つ。
大和に支配権を確立した後、
大和朝廷がどんな風に全国に支配権を拡大していったか、
一切記述がないのです。
崇神天皇の四道将軍のお話も、派遣したというだけの記事です。
どんなことをしたか、まったく記載にしたらどうがない。
ということは、自慢できるような成果は上げなかった、
つまり、まだ崇神の支配は近畿圏外には及んでいなかった!
そう解するのが一番自然ではありませんか?

景行天皇の項には、朝鮮半島で倭の軍隊が戦ったか、
微に入り細をうがって、まさにこれでもかこれでもかと書いてあるのに。

日本武尊の活躍もまったく同様です。
関東でも九州でも具体的な成果を上げた記載は皆無なのです。
つまり、彼の努力むなしく、
大和朝廷が関東、九州に支配権を確立することはできなかったのです。
とすると、彼の父親の景行天皇が朝鮮半島で華々しく戦争できる力など、
あるはずがなかったと推測できそうです。

日本史学界の鬼才古田武彦さんは、
日本書紀の景行天皇の朝鮮半島関係の記事はすべて
九州王朝の史書を盗用したものであると喝破しました。
私もそう思います。

古事記、日本書紀は、天照大神の直系である大和朝廷が
古から日本を支配してきた唯一の政権であるとし、
日本の史学界もそうした天皇中心史観を完全に踏襲してきました。
大和朝廷が日本全土を支配するようになったのは7、8世紀の頃のようです。
そのはるか以前の倭の五王の中国との通交は、
五王たちが堂々たる漢文で親書を奉呈していることから見て、
大和朝廷が当時そんなことができなかったのですから、
九州王朝の事績であることは疑いがありません。

大和朝廷など影も形もなかった縄文時代には、
約1万2000年もの歴史があったことも疑いがないのです。
大和政権と両立しない風土記は全部抹殺されてしまったようですし、
日本書紀が盛んに引用する「一書」で暗示される、
大和朝廷以外の支配者の史書もすべて抹殺されてしまい、
私たちには日本の古代を知る手がかりをほとんどないのです。
歴史って、そんな風に作られるものですね。
日本民族の歴史をもっと古く深く掘り下げる時代が来てほしいものです。
そんな時代が来るはずもないと分かっていても、
ついそう書きたくなってしまいます。

さて、ズマロン28㎜F5.6が撮った奈良町写真を並べましょう。
第二次世界大戦前のライカレンズの味わいは格別ですね。
人肌を感じさせてくれます。
なんだかレンズの味はその時代の味に通じるようです。

ただし、ソニーα7で撮る限り、勝手に超精密処理されてしまいます。
カメラの画像処理のすべてのバロメーターを最低に落として、
銀塩フィルムで撮っていた頃の懐かしい味わいは望むべくもありません。
でも、現代レンズで撮った写真よりは少しやさしい味わいが残ります。
それで我慢するより仕方がありません。

現代レンズは肉眼を超えるまでに超精密解像力。
あるとき、はたと気づきました。
そうだ、ロボットの視覚なんだ!
私にはとても馴染めません。
どうやら私は完全に時代に取り残されてしまったようです。
追いつきたいという気持ちなど、皆無。

それにしても、今の古都奈良は完全な観光都市。
過疎に向かいつつあった奈良の街に活気が戻ったのは良いとして、
何事も終わりがあります。
観光客がいつか突然来なくなる時が来るでしょう。
そのとき、すべての観光用資産はゴミ屑と化すでしょう。
いつか来る、廃村状態の古都奈良。
予測すると、怖いですね。




c0168172_14090757.jpg
c0168172_14091512.jpg
c0168172_14092232.jpg
c0168172_14092944.jpg
c0168172_14094003.jpg
c0168172_14094776.jpg
c0168172_14095382.jpg
c0168172_14095951.jpg
c0168172_14100729.jpg
c0168172_14101403.jpg
c0168172_14114872.jpg
c0168172_14115680.jpg
c0168172_14120451.jpg
c0168172_14121558.jpg
c0168172_14122111.jpg
c0168172_14122921.jpg
c0168172_14130009.jpg
c0168172_14130777.jpg
c0168172_14131881.jpg
c0168172_14133012.jpg
c0168172_14134160.jpg
c0168172_14135006.jpg
c0168172_14135986.jpg
c0168172_14141666.jpg
c0168172_14142361.jpg
c0168172_14143132.jpg
c0168172_14143979.jpg
c0168172_14144676.jpg
c0168172_14145338.jpg
c0168172_14164734.jpg
c0168172_14170524.jpg
c0168172_14172672.jpg
c0168172_14173578.jpg
c0168172_14174575.jpg
c0168172_14175917.jpg
c0168172_14180723.jpg
c0168172_14181529.jpg
c0168172_14182348.jpg
c0168172_14183005.jpg
c0168172_14184070.jpg
c0168172_14184742.jpg
c0168172_14334444.jpg
c0168172_14335420.jpg
c0168172_14340329.jpg
c0168172_14341662.jpg
c0168172_14342481.jpg
c0168172_14343371.jpg
c0168172_14344564.jpg





# by hologon158 | 2019-06-11 14:36 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

793.01 ホロゴン外傳266(2018年12月12日ズマロン28㎜F5.6の古色は古都にふさわしい)1 落葉の片隅


4月28日日曜日に遡ります。
私は、野暮用ついでに、図書館から借りた2冊の本を返して、
おかわりの本を借りることにしました。
現代、一番読まれる活字はインターネットの文字でしょう。
そうした文字が形成する文字群は、「情報」と概括されます。
意識も、役立つデータ、という感じに流れかねません。
エハン・デラヴィさんの情報によれば、
コンピューターネットで流される活字の95パーセントは、
根拠のないガセネタだそうです。
情報としても人生の知恵としても役立つどころか、有害。
「わが友ホロゴン」「レンズ千一夜」なんてブログに溢れている文章も、
このガセネタの典型ですね。
頭から流れ出るままに、確認もせずに文章にしているだけなのですから。
私自身、情報としても人生の知恵としても役立ってほしいなど、
考えたこともありません。
ただの頭と指の体操。
支離滅裂のあまりにも長大な文章なので、
誰も読まないから、実害はないわけです。

でも、多くの場合、
「これぞ、本物の知恵であるぞよ」というご託宣として流されるでしょう。
読者は、自分の性格、趣味、都合に応じて、良いところ取りするわけです。
言いたい放題、信じたい放題。
そこで、人間界はシッチャカメッチャカの無規律、無秩序状態になってしまっています。

この事態に似たことが史上一度だけ(かどうかは知りませんが)
起こったことがあります。
旧約聖書に記載されたバベルの塔がそうです。
こう記載されています、

  主は降ってきて、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、
  こう言われた、
  「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、
  このようなことをし始めたのだ。
  これでは彼らが何を企てても、妨げることはできない。
  我々は降って行って、直ちに彼の言葉を混乱させ、
  互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう」

言葉には人々の心を一つにまとめ合わせる力があるのです。
でも、それぞれに好き勝手なことを言い散らかす百家争鳴の乱脈状態になると、
人間はばらばらになって、
ついに心を一つにして大業を達成することなどできなくなります。
神は幾度もそうした乱脈をご覧になっていることでしょう。
「インシャラー、神の御旨のままに」ですが、
バベルの塔だって、神の許しなしには起こらなかったでしょうから、
神は、人民が一つにまとまりかけると、
こうして言葉をバラバラにする政策をとってこられたのかも知れません。

そうすると、かなり有望な推測が成り立ちます。
地球上の人類は、月、火星、他の惑星へと次第にその不毛の手を差し伸べ始めました。
それは科学技術、インターネットによるバベルの塔状態。
そんな風に容易に推測できる感じがします。

こんなことが長続きするはずがありません。
次になにが起こるか?
容易に推測できます。
科学技術、インターネットを巧みに操って、
地球人を悪夢、迷妄の魔の帝国に誘い込むヒトラー的煽動者が出現するでしょう。

ローマ帝国でも起こったことですが、
現代では、根も葉もないデマを数知れず
ネットを経由して流すことで、
地球人を不安と恐怖に陥れたうえで、
人類最大のクライシスを救う救世主として、
魔王が地球人の輿望をバックに出現する、
これがいつもの筋書きです。

米大統領や日本首相がそのミニ版を行っています。
でも、小物すぎますので、
彼らは来たるべき魔王の露払いにすぎませんが、
それでも、数知れぬ実験を重ねることによって、
地球人の底の浅さ、支離滅裂さにかんする情報を、
魔王に提供していることになりそうです。
怖い時代が来そうです。




c0168172_22522788.jpg
c0168172_22523621.jpg
c0168172_22524491.jpg
c0168172_22525171.jpg
c0168172_22525878.jpg
c0168172_22530508.jpg
c0168172_22531149.jpg
c0168172_22531980.jpg
c0168172_22534197.jpg
c0168172_22535453.jpg
c0168172_22540169.jpg
c0168172_22540792.jpg
c0168172_22541497.jpg
c0168172_22542299.jpg
c0168172_22550957.jpg
c0168172_22551698.jpg
c0168172_22552879.jpg
c0168172_22553666.jpg
c0168172_22554310.jpg
c0168172_22555001.jpg
c0168172_22555808.jpg
c0168172_22560688.jpg
c0168172_22561393.jpg
c0168172_22565484.jpg
c0168172_22570152.jpg
c0168172_22570856.jpg
c0168172_22571505.jpg
c0168172_22572288.jpg
c0168172_22572913.jpg
c0168172_22573989.jpg
c0168172_22574575.jpg
c0168172_22575399.jpg
c0168172_22580090.jpg
c0168172_22580813.jpg
c0168172_22582887.jpg
c0168172_22583663.jpg
c0168172_22584373.jpg
c0168172_22585237.jpg
c0168172_22590008.jpg
c0168172_22590902.jpg
c0168172_22591910.jpg
c0168172_23005179.jpg
c0168172_23010794.jpg
c0168172_23011640.jpg





# by hologon158 | 2019-06-06 23:05 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

792.01 ホロゴン外傳265(2019年5月22日宮崎ニューレンズISM50㎜F1.0が天満橋筋商店街に舞い)



現代の稀代のレンズ制作者、宮崎貞安さんのニューレンズ、
ISM50mmF1.0の試写、第2弾です。

本来なら、レンズ主体に考えて、
別ブログ「レンズ千夜一夜」に掲載すべきでしょう。
でも、写真をざっと眺めてみて、
あまり最近は撮られなくなったストリートフォト的な写真群、
これは、むしろ本ブログで掲載したい、
そう考えました。

なにしろストリートスナップがどっさり。
と言っても、写真家のストリートフォトのように、
どこか生活、人間関係を感じさせる瞬間のアートではなく、
ただ、ストリートの人間を撮っただけですが。

近頃、人を真っ正面から撮ることに、
写真家が躊躇する時代になってしまいました。
でも、憲法は表現の自由を保障しています。
アートが人間模様を表現できなくなったら、お仕舞い、
とまで言わなくても、
極めて限定的な表現芸術になってしまいます。
だから、路上スナップは古来写真芸術の重要なテーマだったのです。

カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛の写真世界は、
現代では個人情報の侵害とされてしまうのでしょうか?
とんでもありません。
ストリートはパブリックスペースです。
パブリックスペースに個人の秘密が入り込む余地はありません。
さまざまな人間模様をストリート上で目撃することは、
人間の楽しみであり、権利でもあります。
だから、カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛のストリートフォトは、
写真芸術の最高峰に位置づけられてきたのです。

私の場合も、被写体となった人の尊厳を害するような写真を撮る意図はなく、
かつ、そんな写真は一切ありません。
魅力的な人物の魅力的な姿、
そう感じた瞬間に、
手元のカメラのシャッターを落としています。

残念ながら、今回掲載した写真の数倍撮っているのです。
でも、掲載不能でした。
私は、2.5m、3mあたりに距離設定を変えながら、
まっすぐ視線を遠くへ固定しながら、歩きます。
前方から来る人々の中で、この人は魅力的だな、と感じたら、
設定距離あたりに来た瞬間にシャッターを落とします。
いくらド素人の私でも、距離くらいは見当がつきます。
だから、なんとか人が撮れます。

ところが、本レンズの場合、そうは行かなかったのです。
時折目を落とすと、
ヘリコイドリングが勝手に1mあたりに動いてしまっている!
これは宮崎さんに改良をお願いするつもりですが、
ヘリコイドリングが綿よりも軽く動いてしまうのです。
私のレンズたちは、クラシックな完全手動式の距離合わせですから、
ヘリコイドリングは容易に動かないようにできていますので、
本レンズでもその調子で気楽に撮っていたのです。

私は練達の写真家じゃないので、
撮影中、レンズの操作に気を配るなんて器用なことはできません。
ふと、気づくと、私の設定距離から勝手に動いていたのです。
知らぬ間にヘリコイドリングに指が当たって動いてしまっていた!
このフェザータッチのヘリコイドリングには、
ついに最後まで馴れることはできませんでした。
撮影が佳境に乗ると、そんなこと、頭から飛んでしまうからです。

ですから、路上スナップはほとんど80%は失敗。
今回の人物スナップも厳密には、大なり小なりずれています。
見かけ上なんとかピントが来ている風に見えるものも掲載しるのです。
現代オートフォーカスレンズの写真家たちの超精密写真とは
比較にならない低次元のスナップ写真ですが、
この人素敵だな、直感している私の心のときめきはちゃんと記録されている、
そう感じています。

もしあなたが本ブログを偶然覗いて、
具合の悪い状況を撮影されたとお気づきになったら、
最新の記事のコメント欄に、写真を特定して、削除をお求めになったら、
上記のコメント欄と指定の写真を気づき次第ただちに削除します。
ただし、その記事のコメント欄に記載されたら、無反応で終わるでしょう。
私は原則として、過去の記事を見直したりしませんので、
永遠に気づかない可能性があるからです。
コメントなどないので、コメントの有無をチェックすることもありません。

でも、実のところ、誰もあなたの写真に気づくことはありません。
本ブログはただの日記で、誰も来ないうえ、
稀に偶然アクセスすることがあっても、あまりにも膨大な写真に辟易して、
最後まで写真を見続ける人は絶対に存在しないことを保証します。
写真の素人がおへそあたりの高さに両手で抱えているカメラで
ブラインドで撮っているのですから、
ろくな構図の写真などありません。
そんなガラクタ写真に埋もれているあなたの写真に気を止める人なんて居ませんから、
ご安心ください。

私が勝手に命名したロボグラフィは、
私が自分の人生を歩むにつれて体験した光景を記録する、
ただそれだけのものなので、
写真家たちが心を砕き、魂を削って創造する写真作品とは
完全に無関係の駄写真の山です。
でも、私にとっては、そんな写真でも、観た途端に、
その瞬間の自分を想い出せてくれる貴重なドキュメント、心覚えなのです。
いわば人生のビーコン。

残念ながら、撮影分を全部掲載する手間も時間もスペースもないので、
ざっとお気に入りを選択して、撮影順にメカニカルに搭載しているだけ。
それでも、慧眼の士が観たら、私という人間の底の底まで見えてしまうでしょう。
幸いなことに、慧眼の士はたいていご自分の人生に心を集中しています。
ド素人のゴミためのようなブログを訪問する暇なんかありはしません。
もっとも、どう評価されても、平気です。
私は私。
生涯、この調子で生きてきました。
だから、自分の感じたことを垂れ流し風に文章化し、
自分の歩いた場所を垂れ流し風に撮影して、
自分の人生の記録を残しつつあるのです。

エキサイトの掲載量は無制限。
ありがたいことです。
その内、エキサイトはブログから撤退する恐れが現実化しそう、
と聴きました。
そのときはまた別のプロバイダーを探し、
形を変えて、日記を書き続けることにします。
日々、日記を作ることが大切。
どうせ見直しできないのですから、
記事がこの世から消滅しても、結果的には変わらない。
そう考えて、平静に日々を暮らしているわけです。

それにしても、なかなか魅力的な人たちが多いうえ、
それを記録した宮崎貞安さんのニューレンズ、
ISM50mmF1.0の表現力は強烈に魅力的です。
なにしろF1.0!
そして、超小型。
肉眼と同じ明るさで見えるシーンを楽々と撮れるのですから。




c0168172_21522007.jpg
c0168172_21522907.jpg
c0168172_21524094.jpg
c0168172_21524809.jpg
c0168172_21525644.jpg
c0168172_21530308.jpg
c0168172_21531707.jpg
c0168172_21532587.jpg
c0168172_21533391.jpg
c0168172_21534266.jpg
c0168172_21535003.jpg
c0168172_21535967.jpg
c0168172_21540680.jpg
c0168172_21541432.jpg
c0168172_21525644.jpg
c0168172_21530308.jpg
c0168172_21531707.jpg
c0168172_21532587.jpg
c0168172_21533391.jpg
c0168172_21534266.jpg
c0168172_21535003.jpg
c0168172_21535967.jpg
c0168172_21540680.jpg
c0168172_21541432.jpg
c0168172_21542145.jpg
c0168172_21542985.jpg
c0168172_21543633.jpg
c0168172_21544404.jpg
c0168172_21545295.jpg
c0168172_21545976.jpg
c0168172_21550678.jpg
c0168172_21551415.jpg
c0168172_21552105.jpg
c0168172_21552871.jpg
c0168172_21553624.jpg
c0168172_21554357.jpg
c0168172_21555144.jpg
c0168172_21555852.jpg
c0168172_21560615.jpg
c0168172_21561440.jpg
c0168172_21562204.jpg
c0168172_21563017.jpg
c0168172_21565129.jpg
c0168172_21570217.jpg
c0168172_21571021.jpg
c0168172_21572037.jpg
c0168172_21573161.jpg
c0168172_21573909.jpg
c0168172_21574845.jpg
c0168172_21584079.jpg
c0168172_21584858.jpg
c0168172_21585752.jpg
c0168172_21590560.jpg
c0168172_21591463.jpg
c0168172_21592317.jpg
c0168172_21594854.jpg
c0168172_22000629.jpg
c0168172_22001660.jpg
c0168172_22002574.jpg
c0168172_22010201.jpg
c0168172_22003434.jpg
c0168172_22005322.jpg
c0168172_22011791.jpg
c0168172_22013299.jpg
c0168172_22014010.jpg
c0168172_22014875.jpg
c0168172_22015848.jpg
c0168172_22023968.jpg
c0168172_22025151.jpg
c0168172_22030032.jpg
c0168172_22033727.jpg
c0168172_22034584.jpg
c0168172_22035575.jpg
c0168172_22040749.jpg
c0168172_22041677.jpg
c0168172_22042731.jpg
c0168172_22043696.jpg
c0168172_22050653.jpg
c0168172_22052401.jpg
c0168172_22054004.jpg
c0168172_22054993.jpg
c0168172_22055983.jpg
c0168172_22122118.jpg
c0168172_22123727.jpg
c0168172_22124928.jpg
c0168172_22130168.jpg
c0168172_22131839.jpg
c0168172_22133722.jpg
c0168172_22135155.jpg
c0168172_22140123.jpg
c0168172_22141166.jpg
c0168172_22142692.jpg
c0168172_22145034.jpg
c0168172_22145909.jpg
c0168172_22151972.jpg
c0168172_22153340.jpg
c0168172_22154348.jpg
c0168172_22155175.jpg
c0168172_22160183.jpg
c0168172_22161016.jpg
c0168172_22162011.jpg
c0168172_22162940.jpg
c0168172_22164374.jpg
c0168172_22165227.jpg
c0168172_22172230.jpg
c0168172_22175592.jpg
c0168172_22180500.jpg
c0168172_22182102.jpg
c0168172_22183529.jpg
c0168172_22184422.jpg
c0168172_22185375.jpg
c0168172_22192085.jpg
c0168172_22211486.jpg





# by hologon158 | 2019-06-03 22:22 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

791.02 ホロゴンデイ216(2018年11月23日京都四条を舞台にホロゴンは華麗に舞い)2 古代史破壊



すでにトルコのギョベクリ・テペの発掘により、
古代史学界の常識は完全に粉みじんになってしまいました。
ドイツの考古学者シュミット教授の発掘調査、鑑定によって、
1万1500年も前の遺跡であることが判明したのです。

当時はまだ狩猟経済の時代で、社会も文化もまったく未熟だった、
文明はシュメール、アッカド、エジプトで始まった、
長い間、そう信じられてきました。
でも、トルコのギョベクリ・テペには、
定着社会の成熟の有る無しに関わらず、成立したようですし、
明らかにそこには一種の文化、文明があったのです。

一方、シュメール、アッカド、エジプトの文明も奇妙です。
突然、出現したとしか思えないほど、
これら諸文明に先行する文明からの成熟プロセスが見つかっていません。
たとえば、メソポタミアの楔形文字も、エジプトのヒエログリフも、
完成形だけがいきなり出土して、
文字の発展を示す先行遺物がまったく見つかっていません。

上記のようなピラミッドと来たら、さまざまな形はありますが、
世界中に数え切れないほど見つかりつつあります。

こんなとき、地質学者がこんなものは自然にできたものだよ、
と、こともなげに言ってのけます。
でも、このような発言は無責任です。
自然にできたピラミッドを例証して行ってほしいものです。
そんなことをしてくれた学者はいませんが。

与那国島の海底遺跡もそうです。
地質学者のうちには、そんなものは海流の流れによってできるから、
ただの自然物と、軽く一蹴する人がいます。
じゃ、そんな遺跡まがいの自然形成物を見せてほしいものです。
とくに、与那国島の場合、海底に没したのは最近なのです。
日本列島はもと朝鮮半島、山東半島と地続きでした。
だから、与那国島も海上にあったのです。
ところが、1万2000年前から7千年前あたりまでの間に、
氷河期末期の北極氷河壁の崩壊、巨大隕石等の原因によって、
水没してしまったのです。
じゃ、水没後の時間の経過の中で、
与那国島の海底遺跡のような形状の直角壁が幾段も自然形成されるでしょうか?
とんでもありませんね。
何十万年もかかるのではありませんか?

有名な遺跡の中にも、未知の超古代文明の所産と考えられるのがあります。
たとえば、ギザのスフィンクスと大ピラミッド。
すでに、大ピラミッドの石ブロックは、
ダイヤモンドの旋盤カッターで切り出されたことが証明されています。
しかも、そのカッターたるや、現代の同種カッターよりも
高速だったことが痕跡で分かるというのです。
私もその痕跡を見ました。
回転する同心円形の擦過痕が付いていました。
石のブロックをまっすぐ貫通している完全円形の穴も見つかります。
これも回転ドリルでないとできません。
古代エジプト文明にはそのような機械文明はありませんでした。
ことは単純です。
そんな機械文明が大ピラミッドを作った、
そう結論するほかはないのです。

大スフィンクスについては、地質学者のロバート・ショック博士がすでに、
サハラ砂漠が形成される前の、まだ雨が降っていた時代、
すなわち、遅くとも7000年前、
おそらく1万5000年前に作られたものと推定しています。

もちろんエジプト学者たちはこれらの新説を一切無視しています。
そんなことを認めたら、エジプト史は完全に白紙化されてしまうからです。
学問すべてが、新たな知見によって、
過去の常識は転覆されてしまう運命にあります。
でも、歴史学者ほど哀れな存在はありません。
大抵の学問はそれでもなにかまだ立場を救う地盤の一部が残されるものです。
でも、古代史学の場合は、大抵の場合、
とても脆弱な基盤に基づく推論が根拠となっているために、
その基盤が崩れると、推論そのものが雲散霧消してしまいます。

たとえば、大ピラミッドの場合、当時の建設技術では絶対に実現できないほどの
完璧な精度で建てられています。
現代技術をもってしても無理なほどなのです。
日本の建築会社が5分の1ピラミッドに挑戦して、見事失敗したそうです。
どうやら曲がりなりにも建てることさえできなかったそうです。

私は建築の素人ですが、現代技術でも絶対に無理と思う工作を一つ思いつきます。
大ピラミッドには、王の間からだと記憶していますが、
3本の穴が空に向けて開けられているのです。
グラハム・ハンコックは、
この穴が特定の時期に特定の星に向けて開けられていると主張しています。

そこで、質問。
どうやってこの穴を開けたのでしょう?
この穴はピラミッドの構造である岩石群を何十mも貫通しているのです。
建設前に石たちに穴を開けておいて、しかるべき位置にその石を据えて、
ぴたりと星空を見るのぞき穴となるようにした?
そんな完璧な精度で貫通穴のある石塊を設置するなんて、
現代でも絶対に不可能ですね。

もう一つは、ピラミッドを作ってから、穴を貫通させた!
これこそありえませんね。
そもそも特定の時期に特定の星がのぞける正確な方向を
どうやってピラミッド内に見つけ、かつ正確に穴を開ける方法なんて、
あるでしょうか?
現代でもないのではありませんか?

そもそもピラミッド学者たちが今まで研究して、
そんなことに気づかないこと自体、不思議です。
どんな学問研究でもそうですが、常に学際的な研究方法が必要です。
そこで、研究者は自分の畢生の研究を万全ならしめるために、
必要な学問を専門的に修得するために必死の努力をし、
さもなければ、必要な学問の専門家をリクルートして、共同研究します。
でも、考古学者たちはあまりそれをしないで、
自分の頭で、未知の分野を憶測することで済ましているのでしょうか?
怠慢、というほかはないのでは?

ヨーロッパの学者だったと思いますが、
啓蒙書でピラミッドの建て方を記載しています。
工事が一段一段と上がって行くにつれて、
四隅に立って、2方の稜線を見渡すと、まっすぐかどうかが分かります、
と、こともなげに書いています。
本当に、分かりますか?
たとえば、200mの長さにわたって、
ピラミッドの何段目かの石が積み上げられたとき、
その200mが本当にまっすぐかどうか、見たら分かると思いますか?

反対側の端に助手が中心に黒丸が打たれた円形ボードを手にもって、
石積みからそろそろと差し出したのでしょうか?
そして、黒丸が出た瞬間に、検査官はさっと合図したのでしょうか?
200m先に肉眼で見える黒丸って、どんな大きさでしょうね?
ご自分で目測200m先の建物の角を遙かに望見して、
どの程度の大きさの黒丸がそこに差し出されたら識別できるか、
ちょっと実験なさったら、分かります。
30センチの黒丸でも分からないでしょう!
大ピラミッドの底辺の四辺はたしか2、3㎝の誤差しかないはず。
上記の方法では、そんな精度は無理ですね。

しかも、それが分かったから、どうだというのですか?
すでに巨石たちをびっしりと隙間なく並べ終わったのですよ。
修正なんかしようがないではありませんか?



c0168172_23155437.jpg
c0168172_23160820.jpg
c0168172_23161722.jpg
c0168172_23162580.jpg
c0168172_23163655.jpg
c0168172_23164636.jpg
c0168172_23165575.jpg
c0168172_23170358.jpg
c0168172_23171141.jpg
c0168172_23172186.jpg
c0168172_23172851.jpg
c0168172_23173546.jpg
c0168172_23174226.jpg
c0168172_23175011.jpg
c0168172_23175725.jpg
c0168172_23180569.jpg
c0168172_23181388.jpg
c0168172_23182155.jpg
c0168172_23182734.jpg
c0168172_23183603.jpg
c0168172_23184404.jpg
c0168172_23185292.jpg
c0168172_23191996.jpg
c0168172_23192749.jpg
c0168172_23193410.jpg
c0168172_23194286.jpg
c0168172_23195166.jpg
c0168172_23195851.jpg
c0168172_23200554.jpg
c0168172_23201230.jpg
c0168172_23201976.jpg
c0168172_23202505.jpg
c0168172_23203322.jpg
c0168172_23204004.jpg
c0168172_23204792.jpg
c0168172_23205463.jpg
c0168172_23210052.jpg
c0168172_23210611.jpg
c0168172_23211316.jpg
c0168172_23211922.jpg
c0168172_23212953.jpg
c0168172_23213730.jpg
c0168172_23214600.jpg
c0168172_23215448.jpg
c0168172_23220572.jpg
c0168172_23221267.jpg
c0168172_23221918.jpg
c0168172_23222685.jpg
c0168172_23223385.jpg
c0168172_23223958.jpg
c0168172_23224760.jpg
c0168172_23225408.jpg
c0168172_23230216.jpg
c0168172_23230845.jpg
c0168172_23231565.jpg
c0168172_23232305.jpg
c0168172_23233144.jpg
c0168172_23234695.jpg
c0168172_23235317.jpg
c0168172_23240063.jpg
c0168172_23245471.jpg
c0168172_23250154.jpg
c0168172_23250982.jpg
c0168172_23253391.jpg
c0168172_23254138.jpg
c0168172_23254921.jpg
c0168172_23255899.jpg
c0168172_23260668.jpg
c0168172_23261253.jpg
c0168172_23261968.jpg
c0168172_23262556.jpg
c0168172_23263264.jpg
c0168172_23263818.jpg
c0168172_23264493.jpg
c0168172_23265077.jpg
c0168172_23265658.jpg
c0168172_23271278.jpg
c0168172_23271960.jpg
c0168172_23272597.jpg
c0168172_23273210.jpg
c0168172_23273952.jpg
c0168172_23274583.jpg
c0168172_23275230.jpg





# by hologon158 | 2019-05-30 23:30 | ホロゴンデイ | Comments(0)

791.01 ホロゴンデイ216(2018年11月23日京都四条を舞台にホロゴンは華麗に舞い)1 信仰



私は信仰をもっていません。
完全無宗教。
でも、宗教には関心が強く、
仏典もかなり読んでいますし、
新約聖書も何度も読みましたし、
旧約聖書もかなり読みました。
そして、いつも悩むのです。
たとえば、ユダヤ教徒は、創世記の数々の出来事、
そして、モーセやヨシュアの事績を、
本当にあったことと信じているのだろうか?

旧約聖書にしても新約聖書にしても、
部外者ならかなりいぶかしく思う部分が随所に散見されます。
たとえば、イエスは磔刑に処せられます。
彼の弟子たちは全員イエスの使徒であることを否定し、
逃げてしまいます。
ペテロの姿はかなり卑怯で惨めです。
まったくかっこ悪いのです。
そして、旧約聖書になると、これでもかこれでもか、
とあきれるほどの愚行、悪行の連続と言いたくなるほどです。
サウルやダビテと来たら、神の選びし王者なのに、
裏切り、不信、不貞、疑心暗鬼、迷妄等々、
どちらかと言うと、恥ずかしい人物です。
なぜ神がこのような人と知りながら、選んだのでしょう?

神は言います、
「右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい」
このような自己犠牲的な行為を行うクリスチャンって、
いるのでしょうか?
キリスト教国の王様や貴族、軍人たちはその正反対ですね。
私には、福音書のイエスの言葉のすべてが福音であり、
キリスト者が倣うべき基本精神に思えます。
でも、自称クリスチャンたち、
イエス様の言葉なんか完全に無視して、
異教徒も同信徒も区別なく、無差別に殺しまくっている。
そして、自分は天国に行けると信じています。

じゃ、一体彼らはなにを根拠に、
キリスト教の天国に行けると考えているのでしょう?
洗礼を受け、秘蹟を受けたから、なのでしょうか?
こうなりゃ、神やイエス様の教えに従わずとも、
つまり、殺人、盗み、姦淫、虚言等々、なにをやっても、
神様は天国に迎えてくださるんだ!
そう思っているのでしょうか?
思っているのでしょうね。

こう言うのをダブルスタンダートと言いますね。
自分は他人の妻を平気で盗み取っても、
自分の妻が寝取られたら、金切り声を上げるでしょう、
十戒を守らぬ瀆神のやからなど殺してしまえ!
十戒とは敵が従うべき戒律なのです。
マザー・テレサさんのような人は例外中の例外、
だから、尊崇されるのでしょう。

若い頃、後輩にクリスチャンがいました。
彼に尋ねました、
「キリスト教が成立する前に何万年と人類は生きてきたんだけど、
彼らはイエスのことも、キリスト教のことも知らなかった。
彼らは死後どこに行ったんだろう?」
「地獄ですよ」(ニッコリ)
「キリスト教が成立した後も、世界中のほとんどの人たちは、
キリスト教のことなど知らなかった。
彼らは死後どこに行ったんだろう?」
「地獄ですよ」(ニッコリ)
尋ねませんでしたが、信者じゃない私も同様の運命でしょう。

正真正銘のクリスチャンはそんなことは言わないでしょう。
でも、神が人類のためにこの宇宙を創造されたという思想は、
その人類、とくにキリスト教国が先進国家として、
まさに地球を汚しまくり、他の種を滅ぼし続け、
生態系を破壊することによって、
人類そのものの生存をあやうくしている事実を前にして、
妄想でしかなかったという印象を強めつつあります。
神は、アブラハム、イサク、モーセ、ヨシュア、ダビデ、
ソロモンのためにあれだけ手厚く救いの手を差し伸べ、
この世の救いのために我が子イエスを犠牲にしたのに、
今や地球文明は危機に瀕しています。
でも、そんなクライシスの行く末は神でなくても明らかなのに、
今はなぜか知らんぷりなさっているようで、
どうも理解できませんね。

でも、それでも、上記に述べた様々な不都合、かっこ悪さに、
逆に心に引っかかるものがあります。
このような不利な史実を隠さない聖典って、珍しい。
むしろ隠すことができたはずなのに、それをしなかったのは、
動かすことのできない正真正銘の史実だから?

また、バイブルを読んでみることにしましょう。




c0168172_21380682.jpg
c0168172_21382449.jpg
c0168172_21383474.jpg
c0168172_21384380.jpg
c0168172_21385483.jpg
c0168172_21390568.jpg
c0168172_21391304.jpg
c0168172_21392224.jpg
c0168172_21393110.jpg
c0168172_21393959.jpg
c0168172_21394842.jpg
c0168172_21395767.jpg
c0168172_21401085.jpg
c0168172_21401974.jpg
c0168172_21402899.jpg
c0168172_21404322.jpg
c0168172_21405176.jpg
c0168172_21405807.jpg
c0168172_21410954.jpg
c0168172_21411758.jpg
c0168172_21412793.jpg
c0168172_21420552.jpg
c0168172_21422124.jpg
c0168172_21422836.jpg
c0168172_21423520.jpg
c0168172_21424296.jpg
c0168172_21425019.jpg
c0168172_21430265.jpg
c0168172_21431472.jpg
c0168172_21432286.jpg
c0168172_21432997.jpg
c0168172_21433681.jpg
c0168172_21434304.jpg
c0168172_21441399.jpg
c0168172_21442129.jpg
c0168172_21442964.jpg
c0168172_21443782.jpg
c0168172_21444810.jpg
c0168172_21445878.jpg
c0168172_21450522.jpg
c0168172_21453992.jpg
c0168172_21455179.jpg
c0168172_21460088.jpg
c0168172_21460928.jpg
c0168172_21462132.jpg
c0168172_21473262.jpg
c0168172_21474280.jpg
c0168172_21475979.jpg
c0168172_21481175.jpg
c0168172_21482043.jpg
c0168172_21482803.jpg
c0168172_21485825.jpg
c0168172_21502299.jpg
c0168172_21503605.jpg
c0168172_21504691.jpg
c0168172_21505736.jpg
c0168172_21564027.jpg
c0168172_21590616.jpg
c0168172_21593875.jpg
c0168172_22004161.jpg
c0168172_22005279.jpg
c0168172_22010162.jpg
c0168172_22011068.jpg
c0168172_22011846.jpg
c0168172_22012518.jpg
c0168172_22013463.jpg
c0168172_22020102.jpg
c0168172_22020940.jpg
c0168172_22021784.jpg
c0168172_22023003.jpg
c0168172_22024810.jpg
c0168172_22030226.jpg
c0168172_22031401.jpg
c0168172_22032575.jpg
c0168172_22033491.jpg
c0168172_22041504.jpg
c0168172_22042559.jpg
c0168172_22043412.jpg
c0168172_22044363.jpg
c0168172_22045117.jpg
c0168172_22045979.jpg
c0168172_22051195.jpg





# by hologon158 | 2019-05-28 22:07 | ホロゴンデイ | Comments(0)

790.00 ホロゴンニュース6(2019年5月20日奈良町にヴァリオプラズマ50㎜F1.5が密かに降臨)



私は確信しています。
宮崎貞安さんこそ、現代における稀代のレンズ制作者である、と。

優秀なレンズ制作者は世界中に数知れずおられることでしょう。
でも、おそらくそのほとんど全員が企業に所属している。
そして、その多くがカメラ製作会社の社員です。
チームを組んで、企業方針でしか動けなでしょう。

現代のカメラ、レンズの役割は往年とは変わってしまいました。
世界の写真家がPhotoshopのような画像処理ソフトで
自在に編集できる写真原稿を製作すること、
これではないでしょうか?
そうして、現代の写真家はデジタルカメラでRAW原稿を作成し、
Photoshop等で、作品を創造します。
画像処理ソフトに用意されたメニューは、
むしろ写真家が思う存分加工処理して、
独自の写真世界を創造することに役立つ、
画像加工ツールなのです。
だから、写真家の作品制作の重点も往年とは変わってしまいました。
撮影現場のイメージを忠実に再現することではなくて、
コンピュータで独創的なイメージを創造することにかかっているのかも知れません。

私の思い違いかも知れませんが、
今では、リアリズムなんてゴミ箱にポイ捨てされてしまい、
写真はビジュアルアートになってしまった、そんな感じがします。
そうなると、レンズ性能の基本は、
リアリティ再現能力を高めることではなくなく、
Photoshop等の画像処理ソフトが加工処理しやすい、
ニュートラルなデータ化に置かれているのでないでしょうか?

まだ完璧にニュートラルなデータ化は実現していないそうです。
でも、過去のレンズ史を彩る数々の名レンズに内在していた
種々の不完全性のほとんどは、
コンピュータ設計によって概ね克服されているようです。
そして、まだ克服されていない部分については、
画像処理ソフトでコンピュータ処理できる時代。
だから、よく言われます。
カメラはできるだけ最高の性能のものを選ぼう。
でも、レンズは大手メーカーの高価なレンズでなくても、
さほど性能は劣らない。
どうやら、圧倒的に独自の個性を発揮する稀代の名レンズなるものは
もう生まれないかも知れません。

でも、ここで宮崎貞安さんが登場します。
完璧なイメージ再現性なんかなくてもよいから、
抱きしめたくなるような独自の個性を備えたレンズが欲しいのなら、
私に任せなさい!

宮崎さんは、ご自分の独創にかかる名玉の開発と平行して、
クラシックレンズファンには垂涎の名玉の復刻シリーズを展開しておられます。
世界の金満家たちがクラシックレンズコレクションにまで手を伸ばしはじめたために、
私のような金のないクラシックレンズファンには永遠に手がとどかなくなった、
そんな超稀少レンズを再現する試みなのです。
このたび、そんな垂涎の名玉の1本、
キノプラズマート50㎜F1.5の復刻版をついに製作されました。

 VarioPrasma50mmF1.5

なぜvarioなのか?
前群レンズをポジション2から6までわずかにずらすことによって、
使い手の好みのシャープネスを調整できるのです。
言い換えると、5つのバリエーションで写真を撮りわけることができる!
今回はとりあえずポジション6だけで撮ってみました。
キノプラズマートの魅力は人物写真に一番よく出ると思います。
夢のような画像が得られるのです。
でも、今回は奈良町での路上スナップなので、
すべてノーファインダーで、距離を2m、3mと固定しつつ撮りました。
たまたま撮った人物はほとんど全員動いていましたし、
距離は当てずっぽうもいいところです。
被写界深度などほとんどない、絞り開放で撮るのですから、
ジャストピントになった写真は一枚もありません。
でも、それだから余計に往年のレンズらしい雅な雰囲気が醸し出されている
という感じがしているのですが...........



c0168172_22564117.jpg
c0168172_22570158.jpg
c0168172_22571787.jpg
c0168172_22573489.jpg
c0168172_22574849.jpg
c0168172_22575735.jpg
c0168172_22580717.jpg
c0168172_22582404.jpg
c0168172_22583240.jpg
c0168172_22583867.jpg
c0168172_22585041.jpg
c0168172_22585888.jpg
c0168172_22590521.jpg
c0168172_22591464.jpg
c0168172_22592114.jpg
c0168172_22592835.jpg
c0168172_22593548.jpg
c0168172_22594265.jpg
c0168172_22595024.jpg
c0168172_22595943.jpg
c0168172_23000737.jpg
c0168172_23001563.jpg
c0168172_23002276.jpg
c0168172_23003186.jpg
c0168172_23003866.jpg
c0168172_23004524.jpg
c0168172_23005351.jpg
c0168172_23005927.jpg
c0168172_23011066.jpg
c0168172_23012128.jpg
c0168172_23013110.jpg
c0168172_23014511.jpg
c0168172_23025040.jpg
c0168172_23030248.jpg
c0168172_23031501.jpg
c0168172_23032674.jpg
c0168172_23033819.jpg
c0168172_23035265.jpg
c0168172_23040452.jpg
F1.5

c0168172_23044476.jpg
F2

c0168172_23045503.jpg
F2.8

c0168172_23050569.jpg
F4

c0168172_23051783.jpg
F5.6

c0168172_23052800.jpg
c0168172_23053733.jpg
c0168172_23054594.jpg
c0168172_23055592.jpg
c0168172_23060550.jpg
c0168172_23061586.jpg
c0168172_23063255.jpg
c0168172_23064388.jpg
c0168172_23065327.jpg
c0168172_23070272.jpg
c0168172_23071469.jpg
c0168172_23072510.jpg
c0168172_23073409.jpg
c0168172_23074239.jpg
c0168172_23075426.jpg
c0168172_23080423.jpg
c0168172_23081566.jpg
c0168172_23082438.jpg
c0168172_23083451.jpg
c0168172_23084572.jpg
c0168172_23085502.jpg
c0168172_23090377.jpg
c0168172_23091502.jpg
c0168172_23092452.jpg
c0168172_23093308.jpg
c0168172_23094351.jpg
c0168172_23095456.jpg
c0168172_23100436.jpg
c0168172_23101493.jpg
c0168172_23102308.jpg
c0168172_23103188.jpg
c0168172_23105286.jpg
c0168172_23110105.jpg
c0168172_23111172.jpg
c0168172_23112259.jpg
c0168172_23114123.jpg
c0168172_23115012.jpg





# by hologon158 | 2019-05-22 23:17 | ホロゴンニュース | Comments(0)

789.02 ホロゴン外傳264(2018年11月14日奈良町がマクロスイター50㎜F1.8を大歓迎)2 兄と妹



金曜日、面白い発見をしました。
私の孫プリンスのことです。
4月、小学校2年生になったのですが、
妹の孫プリンセス1号は4歳の保育園生。
二人が小さいときは、
まあ、幼児が二人居て、ひしめいているという感じでした。
でも、金曜日、ピアノレッスンに付き添って、
孫プリンスが「兄」になったことを実感できる出来事に出会ったのです。

二人を連れて、徒歩15分ほどのピアノの先生のマンションに向かいました。
突然、妹が言い出しました、
「今日は、××ちゃんが後!」
兄が慌てて、
「違うよ、××ちゃん、
先週、後にしてあげて、そのとき、
今週は先にするって、約束したじゃない?」

この妹、物心ついてから、すべて自分のことは自分で決めます。
服も、オモチャの購入も、食事も、なにもかも即座に決然と。
それが全てにわたるので、あまりにも徹底的!
今まで出会ったことがないタイプ。
自分のやりたいことがはっきりと自覚できるのです。
だから、納得できないと、納得できるまで追求します。
いつかオモチャ屋でオモチャを半時間探し続けました。
決然たる表情で、何者も、母親でさえ、
介入、アドバイス、指示ができませんでした。

実のところ、一人だけ出会っています。
妻です。
つまり、孫プリンセス1号の祖母。
そうか、だから、そっくりなんだ!
これじゃ、どうしようもない、
と、私は納得しています。
二人の娘たちにもかなり遺伝しているようですが、
孫プリンセスほど徹底的ではありません。

ピアノ教室への道に戻りましょう。
兄から自分に不利な事実を突きつけられても、
彼女はびくともしません。
「後で!」の一点張り。
やむをえず、兄が妥協しました。
「じゃ、じゃんけんで決めよう。オレが勝ったら、オレが先やで」
こういう妥協案をすぐ思いつくあたりが、まず、お兄ちゃんらしい。
孫プリンセスも、ここは自分が勝てば、事は簡単、
そう考えたのでしょう、ここは素直に兄の提案に乗りました。
路上で対決!
兄がチョキで、妹はパー。
「これでオレが先やで!」
と、兄はにっこり。
ここでにっこりするあたり、男の子は甘い。
妹、きっぱりと、
「いや、お兄ちゃん、先!」

そうこうする内に、ピアノの先生のお宅に到着しました。
まだ5分あります。
玄関廊下に入って、議論再燃。
兄が順番を決めたいきさつを繰り返しても、妹は頑として、
「いや、後で!」
議論が沸騰して、お兄ちゃん、とうとう感情が激してきて、
泣き出しそうな顔になりました。
爆発寸前、突然、ドアを開けて出て行ってしまいました。
しばらくして、兄は戻り、平静な表情で言いました。
「ええよ、今日はオレが先にするから、
次回は先にするんやで!」
妹は無反応。
もちろん、次回も後番を主張するつもりなのでしょう。
でも、こうして一件落着。

兄がまだ幼児だったら、妹に向かって爆発したことでしょう。
でも、2歳半年下の妹がかわいくてたまらないのです。
その妹に対して爆発しそうになる気持ちを抑えきれなくなって、
大急ぎで外に出て、自分の頭を冷やしたようです。
今回は明らかに妹の無理押し。
それなのに、こんな風に自分で自分の気持ちを処理して、
この場を収めることができたのです。
ダテに小学2年生に進級したわけではない、という感じ。

でも、妹とのこのような関係はずっと続くでしょうね。
そして、ずっと妹に譲り続けることになるでしょう。
私の実体験からの予測。

そこで、思い出しました。
YouTubeで、アメリカのコメディアンの漫談。
「男と女の違い」がテーマ。
男は脳の中にたくさんの引き出しがあって、
あれこれのことがきちんと整理されて、引き出しに収められています。
でも、女は違う。
入れ物はたった一個、その中になにもかもが入っている。
男は引き出しを一つずつ開けて、論理的に解決しようとします。
でも、女にはぜんぜん通用しない!

随分昔のことを思い出しました。
私の甥の一人が4つのとき、突然、私にこう言ったのです。
「僕の頭の中にはたっくさん引き出しがあるんだ。
その中に一つ一つちゃんと入れてあるんだよ」
この子は本当にそんな子でした。
あまりにも杓子定規で、曖昧なところがない。
かなり人間関係に苦労して生きています。

コメディアンの漫談、まるで、この甥から聴いたような例え話。
というより、本当に引き出しがあるのかもしれません。
私にもありそうです。
だから、どんな場でも、一つ一つ整理して、論を進めます。
でも、私の苦い経験では、
このような論じ方はいつも肩すかしを食らいました。
ほとんどの人が論理には乗ってこないのです。
私の論理はあたかも聴かなかったかのように、
「私はこう考えたいのですが...」と、逸らされてしまいます。

妻と議論してもそうですね。
我が家では、妻が帰宅すると、呼び鈴を鳴らします。
長からぬプロムナードを進む間に、
私が二階から飛んでおりて、鍵を開きます。
ところが、妻は自分では絶対にそんなことをしません。
私が「なんで呼び鈴を押すの?」
妻、澄まして、「だって、バッグから出すのが面倒だから」
でも、タクシーで帰宅したときも同じです。
ちゃんと鍵の入った財布を一度は出しているのに?
わざとゆっくり下りても、問題は解決しません。
ドアの向こうで、私が鍵を開くのを待っています。
そのあたりは全然面倒ではないわけです。
そんなものです。
夫婦間に対等の論理は存在しませんね。

孫プリンスも、これから妹に苦労するでしょう。
でも、私が彼の成長を一つ見届けることができたのは、
彼が、屋外にいったん出ることにより、
妹に対する憤懣を平和的に自分の中で解消する、
という自己処理法を思いつき、実行できたこと。
しかも、その後、自分の不満を一切表情に出さなかったこと。
妹がいつもそんな風に振る舞うことを思い出し、
女性に意見、態度の修正を求めるのは無理なことを
こんなにも早く悟ることができたのです。
人間を学ぶこと、これが成長というものでしょう。

彼は幼い頃から、人をいじめたりせず、
自分の大好きなことを夢中で楽しみます。
これは自慢ですが、私とそのあたりがよく似ています、
それも小学校2年生で!
ちょっと嬉しくなっています。

さて、マクロスイター50㎜F1.8の続編です。
かつては、このレンズの魅力に魅せられる人がいました。
私もそうでしたし、今もそうです。
現代レンズを駆使し、フォトショップで自在に加工する方には、
理解できない、時代遅れ現象でしょう。
癖や欠点がありすぎて、
フォトショップで画像を改善することが難しい、ということでしょう。
マクロスイターも私も時代に取り残されてしまいました。
より上を、そして、完璧を求める社会になってしまったのでしょう。
でも、新製品を押し付けるコマーシャリズムがその内幕にあるのでは、
そう疑ってしまいます。
もう本当に必要なものしか買わない私の偏見なのでしょうけど?




c0168172_18014109.jpg
c0168172_18015296.jpg
c0168172_18020089.jpg
c0168172_18022619.jpg
c0168172_18023305.jpg
c0168172_18024081.jpg
c0168172_18024726.jpg
c0168172_18025465.jpg
c0168172_18030614.jpg
c0168172_18031411.jpg
c0168172_18032063.jpg
c0168172_18032755.jpg
c0168172_18033497.jpg
c0168172_18034545.jpg
c0168172_18035302.jpg
c0168172_18040051.jpg
c0168172_18040796.jpg
c0168172_18041930.jpg
c0168172_18042657.jpg
c0168172_18043373.jpg
c0168172_18044539.jpg
c0168172_18045320.jpg
c0168172_18050120.jpg
c0168172_18101090.jpg
c0168172_18102187.jpg
c0168172_18102994.jpg
c0168172_18103627.jpg
c0168172_18105501.jpg
c0168172_18110748.jpg
c0168172_18111671.jpg
c0168172_18112568.jpg
c0168172_18113252.jpg
c0168172_18114003.jpg
c0168172_18114996.jpg
c0168172_18115780.jpg
c0168172_18120523.jpg
c0168172_18121466.jpg
c0168172_18122277.jpg
c0168172_18123086.jpg
c0168172_18123711.jpg
c0168172_18124940.jpg
c0168172_18125715.jpg
c0168172_18130489.jpg
c0168172_18131131.jpg
c0168172_18132018.jpg
c0168172_18132861.jpg
c0168172_18133636.jpg
c0168172_18134420.jpg
c0168172_18135159.jpg
c0168172_18141831.jpg
c0168172_18142558.jpg
c0168172_18143304.jpg
c0168172_18144132.jpg
c0168172_18145039.jpg
c0168172_18145940.jpg
c0168172_18150735.jpg
c0168172_18151488.jpg
c0168172_18152990.jpg
c0168172_18154329.jpg
c0168172_18155503.jpg
c0168172_18160437.jpg
c0168172_18161284.jpg
c0168172_18162004.jpg
c0168172_18162725.jpg
c0168172_18163607.jpg
c0168172_18164939.jpg





# by hologon158 | 2019-05-20 18:20 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

789.01 ホロゴン外傳264(2018年11月14日奈良町をマクロスイター50㎜F1.8が格調高く)1 異貌の群れ

弘法大師様の言葉を読んでいます。
名言集なのですが、さすがにすごい言葉が並びます。
その中の「遍照発揮性霊集」巻第八の言葉。

(A)
 心暗きときは即ち遇う所ここごとく禍なり。
 眼明らかなれば、即ち途(ミチ)に触れて、
 皆宝なり。

(あなたの心が暗闇であれば、
巡り会うものはすべて禍いとなります。
あなたの心が太陽であれば、
出会うものはすべて宝となります。)

もう一つ。
五部陀羅尼問答偈讃宗秘論の言葉だそうです。
それにしても、エラく長ったらしい題名の書物ですね。
この題名を読んで、5分間、なにか別のことをしてください。
その後で、題名を思い出せますか?
私はもちろんできませんが、
私の親友にこんなことヘッチャラというのを1人知っています。
昔の和尚さんたちって、こんな題名の書物ばっかり一生付き合って、
よく覚えておれたものですね。
お大師さまは経典をそっくりそらんじておられたのですから、
こんなこと、居眠りしててもできるでしょう。
弟子たちを鍛えるために、
わざと題名まで難しくしてられたのでしょうね。

 (B) 
  珠を持てば善念生じ。
 剣をとる殺心の器。

(美しい水晶をもてば清らかな心が生まれ、
 剣をにぎれば人を斬りたいという心が
  起こってくるものです)

まず、(B)の言葉。
なんだか人間って、自分の使うもの、手近なものに左右されやすい、
そうおっしゃっているようですね。
それも、無条件に使い手がそのものの善し悪しを決めるのではなく、
もともと、使い手を善に導く手助けをしてくれるものもあれば、
使い手を邪に陥れるものもある、そうおっしゃりたいようです。
その善導の役割を担うものが「珠」。
こう来ると、私は当然に我田引水的に反応したくなります。
写真用のレンズも「珠」じゃない?
そう、「珠」だ!
私もたくさん「珠」を手に入れました。
多忙な職業生活の中では、そんな「珠」も剣のように振る舞って、
かえって私を傷つけたりしたかもしれません。
でも、引退してみると、すべての「珠」が輝きはじめたという感じがします。
私を戸外に誘い、ロボグラフィを見つけて撮らんものと、
私をどこまでも押し続けてくれるのですから。

そして、(A)の言葉、
「眼明らかなれば、即ち途(ミチ)に触れて、
皆宝なり。」
素敵な言葉ですね。
お大師様はこの気持ちで生涯行脚されたのでしょう。
「あなたの心が太陽であれば、
出会うものはすべて宝となります。」
そうおっしゃるのです。

私は信仰心を持ちません。
どうしても、どの宗教にせよ、
どうも本心から信じることができない部分があまりにも多過ぎます。
そして、どの宗教もその敬虔な信徒とされる者があまりにも低劣すぎます。
イエス様は「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」
「汝、殺すなかれ」とおっしゃったのに、
キリスト教徒は、迫害を耐えて、
ローマ帝国の公認の宗教になった途端、
教義に反する同宗の人々を憎々しげに迫害、殺戮し、
敵と見たら、めったやたらに殺しまくってきました。
十戒に「汝、姦淫するなかれ」と神様が命じたのに、
後世のキリスト教徒は法王から一般信徒に至るまで姦淫しまくっています。
神様が見ておられるのに!?
仏教とも似たり寄ったり、というところ。
私はこうしたいい加減さに我慢ができません。

大師様がご覧になったら、苦々しくこうおっしゃるでしょう、
「あなたの心が太陽でないので、
出会うものすべてを汚しまくっています。」

私は、自分の人生を汚物まみれにする彼らの轍を
踏むようなことはしなかったと言いたいところですが、
一つ、大師様の言葉に忠実にならって生きてきたことがあります。
究極の我田引水ですが、
ホロゴンとロボグラフィ、これがそうです。
ホロゴンをはじめとするレンズたちを手にすれば、
たちまち「珠を持てば善念生じ」という気持ちになり、
ストリートを彷徨い、ロボグラフィを撮り続けることで、
「眼明らかなれば、即ち途(ミチ)に触れて、
皆宝なり。」とばかり、
路傍に見捨てられたものたちを宝玉のように輝かせてきた、
私はそう言いたいのです。

もし誰かがこの文章を読んだりしたら、
「弘法大師様のお心に泥を塗るような所業じゃ!
ロボグラフィのどこが「宝」なんじゃ!」
と息巻く人がかなり居るでしょうね。




c0168172_17442138.jpg
c0168172_17443003.jpg
c0168172_17444969.jpg
c0168172_17450178.jpg
c0168172_17450801.jpg
c0168172_17451423.jpg
c0168172_17452090.jpg
c0168172_17452726.jpg
c0168172_17453399.jpg
c0168172_17454041.jpg
c0168172_17454748.jpg
c0168172_17455345.jpg
c0168172_17455961.jpg
c0168172_17460501.jpg
c0168172_17461479.jpg
c0168172_17462073.jpg
c0168172_17464290.jpg
c0168172_17465364.jpg
c0168172_17470283.jpg
c0168172_17471020.jpg
c0168172_17472820.jpg
c0168172_17474180.jpg
c0168172_17475828.jpg
c0168172_17481260.jpg
c0168172_17482010.jpg
c0168172_17482763.jpg
c0168172_17483386.jpg
c0168172_17485471.jpg
c0168172_17492006.jpg
c0168172_17492655.jpg
c0168172_17493478.jpg
c0168172_17494284.jpg
c0168172_17494840.jpg
c0168172_17495613.jpg
c0168172_17500322.jpg
c0168172_17513237.jpg
c0168172_17513921.jpg
c0168172_17520642.jpg
c0168172_17521333.jpg
c0168172_17522600.jpg
c0168172_17523286.jpg
c0168172_17523807.jpg
c0168172_17524718.jpg
c0168172_17530005.jpg
c0168172_17530675.jpg
c0168172_17531449.jpg
c0168172_17533286.jpg
c0168172_17534021.jpg
c0168172_17535012.jpg
c0168172_17540016.jpg
c0168172_17540825.jpg
c0168172_17541723.jpg
c0168172_17542522.jpg
c0168172_17543201.jpg
c0168172_17543834.jpg
c0168172_17544691.jpg
c0168172_17545312.jpg
c0168172_17550148.jpg






# by hologon158 | 2019-05-16 17:57 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

788.00 ホロゴン外傳263(2018年4月18日奈良町に満を持してスーパーアンギュロン21mmf4)アーシング



老いることに一つメリットがあることに気づきました。

20世紀後半以降の顕著な傾向があります。
病気が圧倒的に増えたこと。
種類も患者数も増えました。
たとえば、19世紀の人間は罹患せず、病名もなかった病気が、
圧倒的に増大しています。
公害に起因する数知れない疾患はもちろんのこと、
そうでない病気もたくさん増えています。

精神疾患もそうです。
カール・ヤスパースが精神医学の金字塔、精神病理学原論を著した当時、
ずいぶん昔に読んだので、詳細は忘れましたが、
彼が行った分類は、極めて少数でした。
現代の精神疾患の病名は数え切れないほどになり、
まさに日々増加しています。

私は、心身疾患のいずれについても、昔分類されていなかったのは、
診断方法が未開発、未熟であったからと考えていたのですが、
どうやらそうではなさそうです。
心身疾患のほとんどは文明化が進むにつれて発現してきたのです。
現代でも、たとえば、南米の平地の少数民族には、
そんな病気は一切存在していないことから、それは明らか。

さて、私のことを考えてみますと、
風邪のような文明病を除けば、
かつて発症した病気はたった一つ、
右網膜動脈閉塞症。
医師曰く、医学書には名称だけがあり、
症例は文献に記載されていません。
実態は血液の塊による血管のつまりなのですが、
それが網膜に行ったわけです。

そんな塊ができるのは、心臓疾患あるいは血管中のスポットの中での滞留、
それとも超多忙で心身を酷使したストレスに起因する血流の滞りのどちらか、
と推測されると言われました。
前者は検査しても見つからないので、後者であろうという推測。
これは心当たりがありました。
片道2時間40分の遠距離通勤、40人を超える組織を預かっているうえ、
自分の仕事は定員にして1.5人分。
私は多忙、ストレスにかなり強いうえ、
こうした過剰執務にむしろ適合した人間なので、
在勤期間中心身ともつつがなく過ごしていたつもりだったのですが、
さすがに、体の方は悲鳴をひそかに上げたようです。
結局、検査入院に1週間だけ仕事を休んだだけで、
普通に職場復帰できました。
前任者も前々任者も後任者もなぜか体を壊して、
任期開けもしくは待たずに退職に至ったそうで、
そんな地獄の職場から無事脱出できたのですから、
私は、幸運だったわけです。

40年数年の勤務期間中、風邪で1、2日ダウンしたことが幾度か、
でも、入院までしたのはこれがたった1回でした。
ついに、退職までつつがなく過ごし、
退職後もつつがなく過ごしてきました。
こうして、日々つつがなく、引退生活を楽しんでいるのですが、
近頃、自分が絶好の場所に住んでいることに気づいたのです。

退職後、私は、奈良市の中心部からバスで十数分、
低い春日山系の斜面につながる丘陵地帯の住宅地に、
居を定めました。
とても空に近く、雲が爽快に走り、空気も極上です。
他の地域への通過地点にはないので、
住宅地に無用の車両は走りませんから、とても静かです。
そして、徒歩5分のところに大きな神社があり、
その神域には静寂の森が広がっています。

そこで、3週間前から、アーシング散歩を始めました。
アーシングのことなど、ご存じないかもしれませんね。
アメリカで開発され、
日本在住のエハン・バラディさんが日本での唱道者。
YouTubeで、「エハン」+「アーシング」で検索すると、
彼の講義が幾つかあって、概要、効用が分かります。
お金がかからず、健康が著しく増進する方法です。
要するに、体内に蓄積された静電気をアースする方法。

人間は電気的存在です。
たとえば、脳内のシナプス間の情報伝達の一半を担うのが、
電気信号です。
東大が作ったコンピュータグラフィックスを見たことがあります。
まるで宇宙戦争でした。
シナプスとシナプスの空隙にバリバリッと電光が走るのです。
一番電気的な活動が活発なのは、もちろん、心臓です。
心臓のすべての細胞が電気的なリズムを刻み、しかも、
全細胞が同期しているそうです。

余分な静電気は体内の電気的活動を邪魔する危険性があります。
アースマットを買うか自製して、屋内コンセントのアース端子に繋ぐと、
自宅内にいながらにして、アーシングできます。
でも、余分な静電気を除去できるだけではありません。
地球表面に流れている電気的パルスが取り込まれ、
体を正常に保ち、病気を癒し、若返りを促してくれるのだそうです。
つまり、地球の大地と私の体をリンクしてくれるのです。
詳細は、アーシングの創始者クリントン・オーバーの著書、
「アーシング」(ヒカルランド刊)をお読みください。
でも、何よりもまず、ネットでアーシングの方法を検索して、
始めてみてください。
心よりも体が先に納得してくれますよ。

私は、キッチンのシンク前と書斎椅子の前にマットを置いて、
平素からアーシングしています。
でも、一番効果的なのはどうやら森林浴でのアーシング。
というわけで、この神社に通うようになったのです。
丘の斜面がその神域なのですが、その全体が雑木林。
その雑木林を周回するようにして、2段の道が走っています。
一番下の林間道は神社の東側の地域からバス道に出る通路。
そうした通行人が少し通ります。
その上の林間道はほとんど人が通いません。
これ幸い、とはこのこと。
「アーシングロード」、そう名付けました。
私だけに通じる暗号です。
「p.m.1、アーシングロードに進め!」というわけです。

神社本殿前の広大な広場から十数段の石段を下りると、
アーシングロードの南端です。
そこで、ウォーキングシューズを脱ぎ、
大きなビニール袋に入れて、ショルダーバッグに収めます。
裸足で静寂と瞑想の道に入ります。

最初は、思わず「痛い!」「痛い!」「痛い!」「痛い!」
鋭い小石やトゲ付の小さな木の実が散乱しているからです。
今では、平気です。
痛いけど、我慢できるようになりました。
そのうち、痛みを感じなくなるでしょう。

雑木林です。
楽しくくねくねと曲がっています。
女体のような灌木がたくさん見つかります。
どうも、私が男性のせいで、そう見えるようです。
私は一夫一婦制の厳格派で、
生涯、他の女性の手を握ったこともありません。
でも、見えるものは見えるもので、これはどうしようもない。
先頃、すぐれた女性写真家と撮影を共にしたことがありますが、
この方はなにかというと男性イメージが見つかるそうです。
一人一人見えるものが違うのですが、
性差があるとは知りませんでした。

ホロゴン道のちょうど中間に朽ちかけた木のベンチが2つあります。
その一つに、足代わりのブロックのちょうど上にそっと腰掛けます。
そして、持参のポメラを開いて、安楽に休息しつつ、
ブログの原稿を一つ書き上げる、それが習慣になりました。
樹幹をよぎっていくそよ風
さまざまな小鳥たちのさえずり
葉ずれのささやき
時折聞こえる参拝者のつぶやきのような会話
はるか彼方の車のささやくようなエンジン音
すべてが集中を助けてくれます。

このホロゴン道がいつまでも神気を保ち、
私に活力を与えてくれることを祈りたいものです。




c0168172_23043684.jpg
c0168172_23044561.jpg
c0168172_23045218.jpg
c0168172_23045937.jpg
c0168172_23051547.jpg
c0168172_23051875.jpg
c0168172_23052588.jpg
c0168172_23053146.jpg
c0168172_23053727.jpg
c0168172_23054942.jpg
c0168172_23055749.jpg
c0168172_23060317.jpg
c0168172_23061480.jpg
c0168172_23062155.jpg
c0168172_23063268.jpg
c0168172_23064066.jpg
c0168172_23065167.jpg
c0168172_23065914.jpg
c0168172_23070633.jpg
c0168172_23071213.jpg
c0168172_23071955.jpg
c0168172_23072669.jpg
c0168172_23073343.jpg
c0168172_23074051.jpg
c0168172_23075084.jpg
c0168172_23080274.jpg
c0168172_23092408.jpg
c0168172_23093129.jpg
c0168172_23093744.jpg
c0168172_23094387.jpg
c0168172_23095046.jpg
c0168172_23101984.jpg
c0168172_23103940.jpg
c0168172_23110137.jpg
c0168172_23110872.jpg
c0168172_23112109.jpg
c0168172_23112994.jpg
c0168172_23113788.jpg
c0168172_23114864.jpg
c0168172_23115717.jpg
c0168172_23120593.jpg
c0168172_23121260.jpg
c0168172_23121974.jpg
c0168172_23122887.jpg
c0168172_23123593.jpg
c0168172_23124968.jpg
c0168172_23125629.jpg
c0168172_23131824.jpg
c0168172_23132773.jpg
c0168172_23133406.jpg
c0168172_23134207.jpg
c0168172_23135799.jpg
c0168172_23140676.jpg
c0168172_23141329.jpg
c0168172_23142503.jpg
c0168172_23143384.jpg
c0168172_23144151.jpg
c0168172_23145493.jpg
c0168172_23150226.jpg
c0168172_23151045.jpg
c0168172_23151753.jpg
c0168172_23152612.jpg
c0168172_23153483.jpg
c0168172_23154998.jpg
c0168172_23155824.jpg
c0168172_23160636.jpg
c0168172_23161931.jpg
c0168172_23162896.jpg
c0168172_23164197.jpg
c0168172_23165451.jpg
c0168172_23170239.jpg
c0168172_23171118.jpg
c0168172_23172932.jpg
c0168172_23173744.jpg
c0168172_23175090.jpg





# by hologon158 | 2019-05-09 23:20 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

787.02 ホロゴン外傳262(2018年4月18日奈良町に満を持してスーパーアンギュロン21mmf4)2 義に殉ず


 
ギボンの「ローマ帝国衰亡史」は不朽の史書の一つですが、
時代に直近の直接的な資料に基づいて書かれた古代の史書、
ヘロドトス(ただし、後半)やトゥーキューディデースらとは、
別の手法で書かれました。
数知れない資料文献を渉猟して、
たぐいまれなる歴史的構想力で長大な年月の歴史をまとめ上げたのです。
ギボンは、ローマ帝国の衰亡プロセスは、
裏返せば、キリスト教の勃興のプロセスだったという観点でした。
だから、心躍る史実を綴った章の間に、
キリスト教に関する諸章が挟まっています。
クリスチャンじゃない私はキリスト教の教義に関心はないので、
全巻再三愛読した際にも、
キリスト教に関する章はすべて読み飛ばしました。

読んだ部分は実に壮大で、
次々と巨人たちが立っては倒れる波瀾万丈の記事が続きました。
私は、歴史的プロセスになど興味がありません。
歴史の奔流の中で揉まれつつ懸命に生きた人々の
姿、生き方、運命の変転を見るのが大好きだったのです。
私はたった一つの人生しかないと考えています。
だから、先輩たちに教えてもらいたいのです、
「どうすればたった一回の人生をよく生きることができるのか?」

ギボンに、まだ若い私に衝撃を与えたエピソードがあります。
前にも一度書きました。

ローマ帝国は一時期大変な混迷を極めたことがありました。
次々と、自薦他薦の皇帝たちが割拠しては消えていったのです。
そんな乱世の武将の一人が野望を遂げられず、武運尽きて、
寄せ手の十重二十重の包囲陣に追い詰められたのです。
もう絶体絶命の窮地。
今にも殺戮戦が始まらんとした刹那に、
包囲陣の中から一隊が粛々と動き始めたのです。
寄せ手に加わっていた蛮族出身の武将の一人が手勢を引き連れて、
追い詰められた敗将の陣に吸い込まれて行きました。
この武将を含めて、全滅の憂き目に遭ったことはもちろんです。

この話を思い出すたびに、よく考えます。
この武将はどんなつもりで死地に自ら赴いたのでしょう。
敗将になにか重大な恩義があったのでしょうか?
でも、たいていの人間なら、なにを今更、と考えて、
みすみす死にに行くことはないでしょう。
それをするから、歴史に残るのです。
これが「義に殉ず」なのでしょう。

日本史でも、王朝、政権の交代は幾度もありました。
でも、こんな風に敗者の運命にどこまでも付き従う、
そんな忠臣は極めて少ないのが日本人です。
命を捨てない忠臣たちはたくさんいましたが、
完全に敗者と決まった後で殉じた烈士たちと言えば、
平氏の一門、豊臣の家臣のわずかな一部、徳川幕府に準じた少数の侍たち、
これくらいでしょうか?

中国史には、そのような節義に殉じた忠臣たちが文字通り一杯居ます。
中国には、各王朝の史官は直前の王朝の歴史を史書として、
可能な限り正確に書き記す伝統がありました。
道に反した王朝は社禝を維持することを許されず、
天によって滅ぼされ、社禝は次の王朝に受け継がれるので、
まがりなりにも先王朝は現王朝の正当性を保障するからです。
だから、現王朝を正統化するための多少の歪曲はあっても、
次の王朝に自分たちの王朝の歴史を正確に書いてほしいために、
自分たちの王朝に関わらない部分では、先王朝の事績について、
かなり中立的に記載することが史官の真骨頂とされていたわけです。

でも、そんな伝統を持たず、
各王朝の事績を正確に記録する正史を持つ伝統がなかった日本では、
結局、力と力の勝負が歴史を築いてきました。
前王朝の事績を正確に記録する責務などありませんでした。
そのような状態では、
帝王も臣下も名を長く青史にとどめることを目指した中国と異なり、
日本では、「勝てば官軍」史観を超えることはなかったので、
いつも雪崩現象が旧政権に止めを刺し、
次政権を安定政権に押し上げてきたわけです。
実利があれば良し、後世の評価などくそ食らえ、
という現実主義の下では、
前政権に殉じるなんて、先行きの見えない阿呆のすること、
と言うわけでした。

ヨーロッパ史の場合は、次の支配者は先支配者とは人種が違う、
ということが多かったこともあるでしょう、
常に政権の交替は血で染められてきました。

ギボンが書いた事例は、
ヨーロッパが原則として国籍ごとに建国するようになった時代、
つまり、逆に、近代国家の成立とともに、
国民が成立するようになった時代に入る以前の事件でした。
だから、さまざまな人種を超えて、信義と友誼と利害関係が交錯する人間関係が、
民族とか国家という概念よりも重要な意味を持っていたという感じがします。

司馬遷の「史記」には、
「人は己を知る者のために死す」という言葉があり、
文字通りその言葉を実践する壮烈なエピソードが幾つも残されてます。
言葉ではきれい事を言っていても、命がかかるような局面になると、
突然、名よりも実を取る現実主義的な日本人とはかなり違うのです。
もっとも、時代は変わる、です。
こうした民族間の違いは次第になくなりつつあるかもしれませんね。
国際化の波が文化や国民性の違いを少しずつ払拭していくでしょうから。



c0168172_22313100.jpg
c0168172_22314030.jpg
c0168172_22315789.jpg
c0168172_22320516.jpg
c0168172_22321300.jpg
c0168172_22322024.jpg
c0168172_22322796.jpg
c0168172_22323502.jpg
c0168172_22324306.jpg
c0168172_22325449.jpg
c0168172_22330185.jpg
c0168172_22331069.jpg
c0168172_22332090.jpg
c0168172_22332739.jpg
c0168172_22333598.jpg
c0168172_22334253.jpg
c0168172_22335437.jpg
c0168172_22340227.jpg
c0168172_22341001.jpg
c0168172_22342066.jpg
c0168172_22342870.jpg
c0168172_22343733.jpg
c0168172_22344539.jpg
c0168172_22345770.jpg
c0168172_22350402.jpg
c0168172_22351526.jpg
c0168172_22353420.jpg
c0168172_22354601.jpg
c0168172_22355852.jpg
c0168172_22360811.jpg
c0168172_22361769.jpg

c0168172_19195952.jpg
c0168172_19195952.jpg
c0168172_19213895.jpg
c0168172_19215483.jpg
c0168172_19220180.jpg
c0168172_19220886.jpg
c0168172_19222376.jpg
c0168172_19223064.jpg
c0168172_19223891.jpg
c0168172_19225221.jpg
c0168172_19230526.jpg
c0168172_19231122.jpg
c0168172_19233298.jpg
c0168172_19234407.jpg
c0168172_19235126.jpg
c0168172_19240311.jpg
c0168172_19241752.jpg
c0168172_19242562.jpg
c0168172_19243308.jpg
c0168172_19243948.jpg
c0168172_19245251.jpg
c0168172_19250780.jpg
c0168172_19251638.jpg
c0168172_19252484.jpg
c0168172_19253195.jpg
c0168172_19253904.jpg
c0168172_19254779.jpg
c0168172_19255585.jpg
c0168172_19260384.jpg
c0168172_19261023.jpg
c0168172_19261699.jpg
c0168172_19262382.jpg
c0168172_19263406.jpg
c0168172_19264361.jpg
c0168172_19265208.jpg
c0168172_19270140.jpg
c0168172_19270914.jpg
c0168172_19271830.jpg
c0168172_19272681.jpg
c0168172_19273457.jpg
c0168172_19274394.jpg
c0168172_19275072.jpg
c0168172_19275948.jpg
c0168172_19280820.jpg
c0168172_19281595.jpg
c0168172_19282259.jpg







# by hologon158 | 2019-05-04 22:38 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

787.01 ホロゴン外傳262(2018年4月18日奈良町に満を持してスーパーアンギュロン21mmf4)



この頃、素敵な言葉がよく見つかります。

「藁屋に名馬を繋ぎたるがよし」

室町の茶人、村田珠光の言葉だそうです。
同種の馬群の中を駈けていると、
観る人が観れば分かるのでしょうけど、
観る目のない人には、
どれが名馬でどれが駄馬か、分からないものです。
でも、藁屋にただ一頭繋がれている姿を見れば、
誰の目にも名馬のただならぬ輝きには目を見張るでしょう。

アートはすべてコントラストが鍵です。
というより、この世界のすべてはコントラストが鍵です。
ホワイトヘッドはいみじくも喝破しました、
存在が創造的に変化していく鍵はコントラストにある。
どんな存在も安定、静止は堕落に通じます。
生きるためには変化し、向上するしかないのです。

トインビーは文明の誕生、発展の鍵は「挑戦と応戦」にあるとしました。
彼の名句は「オールを休めると、文明は滅亡する」
人間もそうですね。
オールを休めると、失速し、老化し、死に至ります。
無敵の勝者がある日無残にも一敗地にまみれる運命に見舞われます。
無敵であった手法をどんな状況にも頼りきってしまうためです。
死ぬまで失速したり老いたりしたくなければ、
ひたすらオールをこぎ続けること、
どんどんと革新していくこと、
これしかないのです。

あなた、テレビづけになっていませんか?
新しい情報を手に入れたい?
だったら、パソコンで十分、そうお考えではありませか?
でも、テレビ、パソコンから日々得る新しい情報が、
あなたにどれだけ役に立ちますか?
泡と消えて行くだけではありませんか?
一昨日のニュースがなんだったか覚えていますか?
生きることはニュースを追い求めることではありません。
自分自身の成長に役立つなにかを手に入れ、
変化し続けること、成長し続けること、ではありませんか?

ホワイトヘッドの最重要のコンセプトは、
「新しさnovelty」。
旧套墨守は退歩の引き金でしかない、
新しさこそが躍進の引き金、というわけです。
でも、新しさは従来の生活、従来の見方の延長上には見つかりません。
まったく新しい場に自分をどんどん自分を置いていかない限り、
新しさに直面することはできません。

こんな風に考えると、はたと気づきます。
私のように、どこにも行かないで、
いつも同じ場所で写真を撮っている人間に、
新しさはどこにあるでしょう。
どこにもないかも知れません。
でも、私のモチベーションは落ちません。
新しさは外になくてもよい、
内に新しさを感じることだって、できるはず、
私はそう考えたいのです。

負け惜しみでしょうか?
負け惜しみなのでしょう。
でも、私は開き直っています。
私のロボグラフィに新しさなどありません。
私にとっては、写真としての新しさなど無関係。
私は写真家ではないのです。
自分の人生に写真を活かしたいだけ。
私にとっては、今日、このロボグラフィに出会ったこと、
それが新しい体験。

村田珠光の言葉、「藁屋に名馬を繋ぎたるがよし」
こんな私に、どんな意味を持つでしょうか?
私にとっては、ロボグラフィこそ、それなんだ、
そう言いたい。

私は「人生、意気に感ず」という言葉が大好きです。
余談ですが、
中国人が古来一番大事にしてきた価値はなんだと思いますか?
私は「義」だと思います。
「義を見てせざるは勇なきなり」
これも名言ですね。
司馬遷の史記が今なお私たちの心をときめかせ続けるのは、
中国人が文字通りこの言葉を生きてきたからです。
一度約束したら、生涯守り続ける、
状況の変化なんていう現実主義はとらない、これが古代中国人でした。
司馬遷の「刺客列傳」はまさに義を守り、義に死んだ人々の記録。
諸葛孔明なんて、自分を見いだしてくれた劉備との約束を守り続けて、
一生義を守り、義に死んだ人間ですが、
そのような人が文字通り山ほど居るのが中国史の面白さです。

私もそんな人間でありたいと願ってきました。
その一つの実行が、「始めたことはやめない」です。
妻と一生生き続ける、というのが、私にとって最も大切な義なのですが、
このいわば大義に続いて守ってきたのが、
実のところ、写真を愛し続けることでした。
(音楽への愛情は実のところ妻よりも古いのですが、
これは妻も同様なので、お互い、許し合っているわけです)

職業生活の日々は長く厳しい時代でしたが、
それを一度もくじけずに、心身を壊さず生き延びることができたのは、
どんなに忙しくても、どんなに仕事が待っていても、
毎週末には撮影に出て、写真を撮り続けたことでした。

風景写真家はどうやら季節に左右されるようです。
季節ごとに被写体となる風景を追い求めるのですが、
たとえば、冬枯れともなると、長い休眠に入ることとなります。
目的地の往還はひたすら移動だけ。
ロボグラフィは違います。
一歩家を出た瞬間から撮影は始まります。
そして、家に入る瞬間まで撮影が続きます。
観ることは、ロボグラフィと出会うこと、
そして、ロボグラフィはどこにでも隠れているのですから。
「藁屋に名馬を繋ぎたるがよし」
なんでもない道ばたにはそんな名馬が待っているのです。

私にとって、「名馬」とは、私をはっとさせる存在。
やあやあ、そんなところで、頑張ってるじゃないか!
そう感じさせてくれるものたち、それがロボグラフィ。
私の写真は全部そんなロボグラフィ。

そして、私も社会の中で、
道ばたのロボグラフィとまったく同じ存在です。
誰も私のことなど気にとめない。
誰も私のことを忘れている。
でも、私の心は生き生きと躍動しています。
私は、体格も普通で、容貌、容姿はさえず、
風采の全然上がらない人間ですが、
でも、自分で言うのもなんですが、目だけは生き生きしています。
どの瞬間、どの場所でロボグラフィたちに出会えるか、
完全に予測不能の人生なので、油断できず、心をわくわくさせて、
周囲を観察しつつ歩き回っているのですから、
私にとっては、「途中」というものがありません。
いつも絶頂体験の可能性を秘めた瞬間が待っている!

こんな風に感じられるようになったのも、
私が写真で体験を記録するという態勢を創り出したからです。
どんな人も自分の好きなこととなると、
目が輝き、動作がキビキビとしはじめます。
私にとって、全瞬間がそれなのですから、
ずっと私の心は生き生きとし続けている。
自分で意識的に生み出した生き方ではありません。
私の人生にいつしか染みついた生き方です。
だから、私にとっては本物。

ホロゴンをソニーα7に付けて、
奈良町を歩きました。
他のどんなレンズとも異なる描写をプレゼントしてくれます。
完璧に近い補正が施された現代レンズの愛用者には、
容認しがたい癖の画像でしょう。
私のブログ写真など、ほとんどのアマチュアカメラマンの目には、
容認しがたいほど稚拙な失敗画像と映っていることは、
私も承知しています。
それでよいのです。
おかげで、私はひっそりと自分のブログ日記を楽しめます。
今回のスーパーアンギュロン21㎜F4によるロボグラフィたちも、
私にとっては、胸おどる瞬間の記録。




c0168172_22213615.jpg
c0168172_22214244.jpg
c0168172_22214947.jpg
c0168172_22215741.jpg
c0168172_22220246.jpg
c0168172_22221407.jpg
c0168172_22222009.jpg
c0168172_22222769.jpg
c0168172_22223308.jpg
c0168172_22223971.jpg
c0168172_22224411.jpg
c0168172_22225016.jpg
c0168172_22225738.jpg
c0168172_22230310.jpg
c0168172_22230892.jpg
c0168172_22231551.jpg
c0168172_22232180.jpg
c0168172_22232819.jpg
c0168172_22233541.jpg
c0168172_22234134.jpg
c0168172_22234738.jpg
c0168172_22235330.jpg
c0168172_22235924.jpg
c0168172_22240789.jpg
c0168172_22241419.jpg
c0168172_22242051.jpg
c0168172_22242880.jpg
c0168172_22243504.jpg
c0168172_22244220.jpg
c0168172_22245455.jpg
c0168172_22250753.jpg
c0168172_22251679.jpg
c0168172_22252694.jpg
c0168172_22253499.jpg
c0168172_22255282.jpg
c0168172_22260100.jpg
c0168172_22265282.jpg
c0168172_22270268.jpg
c0168172_22270957.jpg
c0168172_22271789.jpg
c0168172_22272482.jpg
c0168172_22273163.jpg
c0168172_22273868.jpg
c0168172_22274578.jpg
c0168172_22275316.jpg
c0168172_22280050.jpg
c0168172_22280870.jpg
c0168172_22282062.jpg
c0168172_22283215.jpg
c0168172_22284031.jpg
c0168172_22284770.jpg
c0168172_22294788.jpg
c0168172_22295720.jpg
c0168172_22300461.jpg
c0168172_22302331.jpg
c0168172_22303378.jpg
c0168172_22304118.jpg
c0168172_22305056.jpg
c0168172_22310621.jpg
c0168172_22312110.jpg
c0168172_22313143.jpg
c0168172_22314018.jpg
c0168172_22320940.jpg
c0168172_22322130.jpg
c0168172_22323073.jpg
c0168172_22323897.jpg
c0168172_22324879.jpg
c0168172_22325766.jpg
c0168172_22330693.jpg
c0168172_22331492.jpg
c0168172_22332332.jpg
c0168172_22333145.jpg
c0168172_22334195.jpg




# by hologon158 | 2019-04-30 22:36 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

786.03 ホロゴンデイ215(2018年11月10日信貴山の伽藍で我がホロゴンが千枚行にトライ)3 かなりうれしい


4月6日土曜日、新大阪のココプラザで考えたこと。

ココプラザにはもう3年通って来ていますが、
これまでに経験したことがないほど、人に溢れていました。
私を含めて、ほとんど80パーセントは、
どうやら第二の人生を生きる高齢者。
でも、一つ共通していることがあります。
目が生き生きしている!
自分のやりたいことを見つけて、一生懸命に打ち込む、
それが楽しくてたまらない!!
そんな人たちだからです。

私がここに来る目的は、二胡の学習です。
ですが、本人には酷な発言ですが、
見込みはありません。
二胡という楽器、スペシャルです。
あまりにも難しく、あまりにも学ぶことが多すぎます。

大抵の二胡学習者は楽しんでいることでしょう。
そこそこにそれらしく弾くのであれば、それで良いのです。
でも、私の師匠の劉継虹先生は別格中の別格なのです。
中国本土でも比肩する演奏家がほとんど居ないだけでなく、
二胡の伝統的な奏法の面では、あまりにも深遠な二胡教育家。
そんな演奏家だからこそですが、
日曜教室のレベルとはあまりにもかけ離れた、
極めて正統かつ本格的な教育をされるのです。

楊琴はピアノに、二胡はヴァイオリンに似ています。
楊琴は、なんとか弦をスティックでたたけば、曲がりなりも音が出ます。
二胡は、弓で弦をこすっても、本来の音は出ません。

楊琴は音を正しく出す方法を会得する必要があるのに対して、
二胡はそもそも本来の音を作る方法を会得する必要があります。

楊琴は努力次第でなんとかなる部分があります。
二胡は、方法、考え方が間違っていたら、どんなに努力しても、
曲がりなりにも弾けるようにはなりません。

私は性格的に楊琴に向いていますね。
1回でだめなら、百回でも繰り返す、そんなやり方。
二胡は、やり方が間違ったら、どんなに努力を重ねても無駄。
やれやれ。

実は、このレッスん後数日して、
はじめて曲がりなりにも二胡らしい音が出るようになりました。
すると、不思議なことに、他の楽器まで一斉に段を上がるようです。
3月頃から、突然、楊琴が本来の音らしい音が出て、
本来のトレモロらしいトレモロが出るようになりました。
2年ほど前に木管楽器の稀代の制作者杉原さんに作っていただいた、
往年の名制作者デンナーのアルトリコーダーの復刻も、
長い間、音が思うように出なかったのですが、
先月末、ようやく朗朗としてカラッとしたサウンドが出るようになりました。
それぞれに全く異なる性格、全く異なるジャンルの楽器なのですが、
どうも私という人間がなにか関門のようなものを突破かすり抜けてかして、
それぞれの楽器らしい音を鳴らせるようになったようなのです。

なぜほとんど同時に一つの段階を上がることができたのか?
理由は分かりませんが、ポタリポタリと少しずつコップに水を入れて行って、
突然満杯になって、水がさっとコップの外面を流れ落ちた、
そんな現象なのかも知れません。

どなたも人生で幾度も同様の体験をなさっているでしょう。
私は何事もそのようなレベルに達するのが遅い人間なので、
今回のように、一斉にレベルアップするということが遅咲きに起こったのでしょう。

一番最初に起こってほしい写真撮影では、
いつまでも初歩的なレベルに止まっているのが悔しいですね。
でも、それはこういうことかも知れません。
写真というものは、曲がりなりにもアート的な側面を持っているものです。
才能がない限り、努力だけでカバーできるレベルを突破することはできません。
私がやっている楽器で、私が達したレベルは、どれもこれも、初歩の初歩、
完全初心者から基本レベルへのアップ程度の出来事だった!
でも、かなりうれしいですね。





c0168172_23044867.jpg
c0168172_23045559.jpg
c0168172_23050006.jpg
c0168172_23050643.jpg
c0168172_23051238.jpg
c0168172_23052274.jpg
c0168172_23052732.jpg
c0168172_23053340.jpg
c0168172_23053916.jpg
c0168172_23054496.jpg
c0168172_23055077.jpg
c0168172_23055584.jpg
c0168172_23060190.jpg
c0168172_23061538.jpg
c0168172_23062195.jpg
c0168172_23062631.jpg
c0168172_23063227.jpg
c0168172_23063818.jpg
c0168172_23064428.jpg
c0168172_23065052.jpg
c0168172_23065627.jpg
c0168172_23070270.jpg
c0168172_23070900.jpg
c0168172_23071434.jpg
c0168172_23080025.jpg
c0168172_23080672.jpg
c0168172_23081239.jpg
c0168172_23081847.jpg
c0168172_23082478.jpg
c0168172_23083284.jpg
c0168172_23083983.jpg
c0168172_23085657.jpg
c0168172_23090335.jpg
c0168172_23091080.jpg
c0168172_23091797.jpg
c0168172_23092313.jpg
c0168172_23092922.jpg
c0168172_23093762.jpg
c0168172_23095312.jpg
c0168172_23100102.jpg




# by hologon158 | 2019-04-26 23:12 | ホロゴンデイ | Comments(0)

786.02 ホロゴンデイ215(2018年11月10日信貴山の伽藍で我がホロゴンが千枚行にトライ)2 先行文字文明


私は考古学が大好き。
とくに古代遺跡の発掘を巡って、近頃は動きが激しくなっています。
とくにトルコのギョベクリ・テペの発掘により、
古代史学界の常識は完全に粉みじんになってしまいました。
ドイツの考古学者シュミット教授の発掘調査によって、
どうやら1万1500年前の遺跡だと判明したのです。

当時はまだ狩猟経済の時代で、社会も文化もまったく未熟だった、
文明はシュメール、アッカド、エジプトで始まった、
長い間、そう信じられてきました。
でも、ボスニアのピラミッドもトルコのギョベクリ・テペも、
定着社会の成熟を前提としてしか成立しなかったことは明らかです。
明らかにそこには文明があったのです。

でも、確かにシュメール、アッカド、エジプトの文明は、
突然、出現したとしか思えないほど、
これら諸文明に先行する文明への成熟プロセスが見つかっていません。
たとえば、メソポタミアの楔形文字も、エジプトのヒエログリフも、
完成形だけがいきなり出土して、
文字の発展を示す先行遺物がまったく見つかっていません。

それなのに、その数千年以上前の文明が、
世界中でどうやら次々と発見されつつあるようです。
ピラミッドと来たら、さまざまな形はありますが、
世界中に数え切れないほど見つかりつつあります。
南極にもギザの三大ピラミッドにそっくりのピラミッド群が見つかっています。
しかも、遙かに巨大。

こんなとき、地質学者がこんなものは自然にできたものだよ、
とこともなげに言ってのけます。
でも、このような発言は、
自然にできたピラミッドを例証して行ってほしいものです。
そんなことをしてくれた学者はいませんが。

与那国島の海底遺跡もそうです。
どう見ても人工物!
地質学者のうちには、そんなものは海流の流れによってできるから、
ただの自然物と、軽く一蹴する学者がいます。
じゃ、そんな遺跡まがいの自然形成物を見せてほしいものです。
柱状節理の地形とはまるで違います。
とくに、与那国島の場合、海底に没したのは最近なのです。
日本列島はもと朝鮮半島、山東半島と地続きでした。
だから、与那国島も海上にあったのです。
ところが、1万2000年前から7千年前あたりまでの間に、
氷河期末期の北極氷河壁の崩壊、巨大隕石等の原因によって、
水没してしまったのです。
じゃ、その後の海流現象だと言うことになりますが、
その程度の時間の経過の中で、
与那国島の海底遺跡のような形状の直角壁が幾段も形成されるでしょうか?
とんでもありませんね。
何十万年もかかるのではありませんか?

有名な遺跡の中にも、未知の超古代文明の所産と考えられるのがあります。
たとえば、ギザのスフィンクスと大ピラミッド。
すでに、大ピラミッドの石ブロックは、
ダイヤモンドの旋盤カッター痕が発見されています。
しかも、その痕跡から推測されるそのカッターたるや、
現代の同種カッターよりも高速だったことが痕跡で分かるというのです。
私もその痕跡を見ました。
回転する同心円形の擦過痕が付いていました。
石のブロックをまっすぐ貫通している完全円形の穴も見つかります。
これも回転ドリルでないとできません。
古代エジプト文明にはそのような機械文明はありませんでした。
ことは単純です。
そんな機械文明が大ピラミッドを作った、
だから、古代エジプト文明の所産ではない、
そう結論するほかはないのです。

大スフィンクスについては、地質学者のロバート・ショック博士がすでに、
サハラ砂漠が形成される前の、まだ雨が降っていた時代、
すなわち、遅くとも7000年前、
おそらく1万5000年前に作られたものと推定しています。

もちろんエジプト学者たちはこれらの新説を一切無視しています。
そんなことを認めたら、エジプト史は完全に白紙化されてしまうからです。
学問すべてが、新たな知見によって、
過去の常識は転覆されてしまう運命にあります。
古代史学者ほど哀れな存在はありませんね。
大抵の学問はそれでもなにかまだ立場を救う地盤の一部が残されるものです。
でも、古代史学の場合は、大抵の場合、
とても脆弱な基盤に基づく推論が根拠となっているために、
その基盤が崩れると、推論そのものが雲散霧消してしまいます。

たとえば、大ピラミッドの場合、
当時の建設技術では絶対に実現できないほどの完璧な精度で建てられています。
現代技術をもってしても無理なほどなのです。
日本の建築会社が5分の1ピラミッドに挑戦して、見事失敗したそうです。
どうやら曲がりなりにも建てることさえできなかったそうです。

私は建築の素人ですが、現代技術でも絶対に無理と思う工作を、
一つ思いつきます。
大ピラミッドには、王の間等の内部空間から、
3本の穴が空に向けて開けられているのです。
グラハム・ハンコックは、
この穴が特定の時期に特定の星に向けて開けられていると主張しています。

そこで、質問。
どうやってこの穴を開けたのでしょう?
この穴はピラミッドの構造である岩石群を何十mも貫通しているのです。
建設前に石たちに穴を開けておいて、しかるべき位置にその石を据えて、
ぴたりと星空を見るのぞき穴となるようにした?
そんな完璧な精度で貫通穴のある石塊群を設置するなんて、
現代でも絶対に不可能ですね。

もう一つは、ピラミッドを作ってから、穴を貫通させた!
これこそありえませんね。
そもそも特定の時期に特定の星がのぞける正確な方向を、
ピラミッド内に見つけ、かつ精確に穴を開けたのでしょうか?
岩石の山ですよ、そんなこと、できると思います?
現代でもないのではありませんか?

そもそもピラミッド学者たちが今まで研究して、
そんなことに気づかないこと自体、不思議です。
どんな学問研究でもそうですが、常に学際的な研究方法が必要です。
そこで、研究者は自分の畢生の研究を万全ならしめるために、
必要な学問を専門的に修得するために必死の努力をし、
さもなければ、必要な学問の専門家をリクルートして、共同研究します。
でも、考古学者たちはあまりそれをしないで、
自分の頭で、未知の分野を憶測することで済ましているのでしょうか?
怠慢、というほかはないのでは?

ヨーロッパの学者だったと思いますが、
啓蒙書でピラミッドの建て方を記載しています。
工事が一段一段と上がって行くにつれて、
四隅に立って、2方の稜線を見渡すと、まっすぐかどうかが分かります、
と、こともなげに書いています。
本当に、分かりますか?
たとえば、一辺200mを超えるピラミッドの初段、二段目に、
ずらりと石が積み上げられたとき、その外辺が本当にまっすぐかどうか、
目で見たら分かると思いますか?

反対側の端に助手が中心に黒丸が打たれた円形ボードを手にもって、
石積みからそろそろと差し出したのでしょうか?
そして、黒丸が出た瞬間に、検査官はさっと合図したのでしょうか?
200m先に肉眼で見える黒丸って、どんな大きさでしょうね?
ご自分で目測200m先の建物の角を遙かに望見して、
どの程度の大きさの黒丸がそこに差し出されたら識別できるか、
ちょっと実験なさったら、分かります。
30センチの黒丸でも分からないでしょう!
大ピラミッドの底辺の四辺はたしか2、3㎝の誤差しかないはず。
上記の方法では、そんな精度は無理ですね。

しかも、それが分かったから、どうだというのですか?
すでに巨石たちをびっしりと隙間なく並べ終わったのですよ。
修正なんかしようがないではありませんか?

象形文字や楔形文字についても、同じことが言えますね。
どんな古代文字も、太古の原初の絵文字から出発して、
少しずつ少しずつ、字の形、書き方、意味が変遷していきますね。
一番よく分かるのが、中国です。
少しずつ少しずつ発展して来た有様、プロセスが、
発掘によって明らかになりつつあります。

日本の場合も、古代文字がどんどん見つかりつつあるようです。
でも、中国から文字文化が到来することによって、
古代文字とその文化そのものがかなり抹殺されてしまったようです。
つまり、突然字が出現する文化では、文字は外来の資産なのです。
エジプト、メソポタミアでも同様な状況に思われれます。
突然、ヒエログリフ、楔形文字が完全体で出土します。
プロトタイプや原始的な先行文字はほとんど見つからないようです。
やっぱりどこからもたらされた外来の資産なのでしょう。
ということは、そのような文字文化を発展させた文化があったはず、
ということになります。
それは何を意味するか?
さしあたって明々白々たる推論が可能です。
シュメール、アッカド、エジプトは最初の文明ではなく、
少なくとも、先行する文字文明があったはず!

すぐ近くに形成されたギョベクリ・テペ遺跡は、
先行文字文明にあたるのでしょうか?
どうやら、遺跡には文字は見つかっていないようです。
だとすると、ギョベクリ・テペを建設した人々は、
先行文字文明ではないのか、
それとも、その後に文字を発明したのか、
そのどちらなのでしょうね?
とはいえ、世界中どこにもまだヒエログリフ、楔形文字に先行する、
文字文明は見つかっていないようです。
それがもしかすると、アトランティスかも知れませんね。





c0168172_21580640.jpg
c0168172_21581984.jpg
c0168172_21582527.jpg
c0168172_21584439.jpg
c0168172_21585072.jpg
c0168172_21585707.jpg
c0168172_21590363.jpg
c0168172_21590869.jpg
c0168172_21591419.jpg
c0168172_21592720.jpg
c0168172_21593386.jpg
c0168172_21594094.jpg
c0168172_21594513.jpg
c0168172_21595185.jpg
c0168172_21595699.jpg
c0168172_22000399.jpg
c0168172_22000997.jpg
c0168172_22001557.jpg
c0168172_22002210.jpg
c0168172_22002843.jpg
c0168172_22003561.jpg
c0168172_22004299.jpg
c0168172_22004943.jpg
c0168172_22005544.jpg
c0168172_22010403.jpg
c0168172_22011163.jpg
c0168172_22011782.jpg
c0168172_22015015.jpg
c0168172_22015631.jpg
c0168172_22020273.jpg
c0168172_22020747.jpg
c0168172_22021422.jpg
c0168172_22022390.jpg
c0168172_22023067.jpg
c0168172_22023932.jpg
c0168172_22025044.jpg
c0168172_22025713.jpg
c0168172_22030467.jpg
c0168172_22031131.jpg
c0168172_22031771.jpg
c0168172_22033759.jpg
c0168172_22042870.jpg
c0168172_22043652.jpg
c0168172_22044327.jpg
c0168172_22044958.jpg
c0168172_22045690.jpg
c0168172_22051477.jpg
c0168172_22052285.jpg
c0168172_22053132.jpg
c0168172_22053874.jpg
c0168172_22065040.jpg
c0168172_22065781.jpg
c0168172_22070407.jpg
c0168172_22071178.jpg
c0168172_22171277.jpg
c0168172_22172124.jpg
c0168172_22173119.jpg
c0168172_22173748.jpg
c0168172_22175248.jpg
c0168172_22175923.jpg
c0168172_22180718.jpg
c0168172_22181442.jpg
c0168172_22182114.jpg
c0168172_22182850.jpg
c0168172_22183526.jpg
c0168172_22184263.jpg
c0168172_22184920.jpg
c0168172_22185681.jpg
c0168172_22190380.jpg
c0168172_22191044.jpg
c0168172_22191720.jpg
c0168172_22192433.jpg
c0168172_22193421.jpg
c0168172_22194120.jpg
c0168172_22194815.jpg
c0168172_22195980.jpg
c0168172_22200586.jpg
c0168172_22201202.jpg
c0168172_22201824.jpg
c0168172_22202592.jpg





# by hologon158 | 2019-04-24 22:23 | ホロゴンデイ | Comments(0)

786.01 ホロゴンデイ215(2018年11月10日信貴山の伽藍で我がホロゴンが千枚行にトライ)1 大ピラミッド



私は建築の素人ですが、
現代技術でも絶対に無理と思う工作を一つ思いつきます。
大ピラミッドには、内部は極めて複雑に作られているのですが、
それでも不足、と言わんばかりに、
3本の細い穴が空に向けて開けられているのです。
グラハム・ハンコックは、
この穴が特定の時期に特定の星に向けて開けられていると主張しています。

そこで、質問。
どうやってこの穴を開けたのでしょう?
この穴はピラミッドの構造である岩石群を何十mも貫通しているのです。
建設前に石たちに穴を開けておいて、しかるべき位置にその石を据えて、
ぴたりと星空を見るのぞき穴となるようにした?
そんな完璧な精度で貫通穴のある石塊を製作して設置するなんて、
現代でも絶対に不可能ですね。

もう一つは、ピラミッドを作ってから、穴を貫通させた!
そもそも特定の時期に特定の星がのぞける正確な方向を
どうやってピラミッド内で確認する方法、
そして、その方向に向けて小さな穴を開ける方法なんて、
あるでしょうか?
現代でもないのではありませんか?

そもそもピラミッド学者たちが今まで研究して、
そんなことに気づかないこと自体、不思議です。
どんな学問研究でもそうですが、常に学際的な研究方法が必要です。
そこで、研究者は自分の畢生の研究を万全ならしめるために、
必要な学問を専門的に修得するために必死の努力をし、
さもなければ、必要な学問の専門家をリクルートして、共同研究します。
でも、旧式な考古学者たちはあまりそれをしないで、
自分の頭で、未知の分野を憶測することで済ましているのでしょうか?
怠慢、というほかはないのでは?

ピラミッドの最底辺は約230m、わずか数㎝しか誤差がないそうですね。
ヨーロッパの学者だったと思いますが、
啓蒙書でピラミッドの建て方を記載していました。
工事が一段一段と上がって行くにつれて、四隅に立って、
2方の稜線を見渡すと、まっすぐかどうかが分かります、
とこともなげに書いています。
本当に、分かりますか?
たとえば、ピラミッドの約230mに底辺の石が積み上げられたとき、
その一辺が本当にまっすぐかどうか、見たら分かると思いますか?
まっすぐじゃないと分かったとして、どうやって修正するのですか?
アホなことは言わないでくださいね。

ちょっとその方法を考えてみましょう。
肉眼だけでは絶対に無理ですね。
反対側の端に助手が中心に黒丸が書かれたボードを手にもって、
石積みからそろそろと差し出したのでしょうか?
そして、まっすぐ黒丸が出た瞬間に、
検査官はさっと合図したのでしょうか?
200m先に肉眼で見える黒丸って、どんな大きさでしょうね?
ご自分で目測200m先の建物の角を遙かに望見して、
どの程度の大きさの黒丸がそこに差し出されたら識別できるか、
ちょっと実験なさったら、分かります。
30センチの黒丸でも分からないでしょう!
大ピラミッドの底辺の四辺はたしか2、3㎝の誤差しかないはず。
上記の方法では、そんな精度は無理ですね。
僅かに僅かにカーブしていたら、どうするのですか?

しかも、それが分かったから、どうだというのですか?
すでに巨石たちをびっしりと隙間なく並べ終わったのですよ。
修正なんかしようがないではありませんか?
まっすぐに見えるようになるまで、表面を削ってゆくのでしょうか?

測定によると、ピラミッドの頂点から垂線を下ろすと、
底辺の中心部から3㎝ほどしか外れていないそうです。
現代建築の精度をはるかに凌駕しているそうです。
どうすれば、そんな精度を実現できるのでしょうか?
上記のいつくかの例を検討しただけで分かります。
少なくとも、通説の建設時期の工業技術では、
大ピラミッドの建設は絶対に不可能だった!
現代の技術でも無理かも知れないのですから。

とすると、一体大ピラミッドはいつ、誰が建設したのでしょう?
古代史は、現代の史学者たちの憶測完全にかけ離れた展開であった、
そう推測するのが正しいようです。




c0168172_22321820.jpg
c0168172_22322827.jpg
c0168172_22323456.jpg
c0168172_22323972.jpg
c0168172_22324537.jpg
c0168172_22325123.jpg
c0168172_22325780.jpg
c0168172_22330337.jpg
c0168172_22330894.jpg
c0168172_22331779.jpg
c0168172_22332300.jpg
c0168172_22332958.jpg
c0168172_22334636.jpg
c0168172_22335260.jpg
c0168172_22335786.jpg
c0168172_22340311.jpg
c0168172_22340853.jpg
c0168172_22341468.jpg
c0168172_22342045.jpg
c0168172_22342787.jpg
c0168172_22343282.jpg
c0168172_22343808.jpg
c0168172_22344485.jpg
c0168172_22344968.jpg
c0168172_22345564.jpg
c0168172_22350155.jpg
c0168172_22350786.jpg
c0168172_22351367.jpg
c0168172_22351843.jpg
c0168172_22352367.jpg
c0168172_22352933.jpg
c0168172_22353508.jpg
c0168172_22354024.jpg
c0168172_22354785.jpg
c0168172_22355514.jpg
c0168172_22360181.jpg
c0168172_22360888.jpg
c0168172_22360888.jpg
c0168172_22361523.jpg
c0168172_22362189.jpg
c0168172_22362805.jpg
c0168172_22363463.jpg
c0168172_22363909.jpg
c0168172_22364638.jpg
c0168172_22365120.jpg
c0168172_22365673.jpg
c0168172_22370263.jpg
c0168172_22370844.jpg
c0168172_22371313.jpg
c0168172_22372076.jpg
c0168172_22373629.jpg
c0168172_22374205.jpg
c0168172_22374852.jpg
c0168172_22375459.jpg
c0168172_22380442.jpg
c0168172_22381164.jpg
c0168172_22382007.jpg
c0168172_22382635.jpg
c0168172_22383367.jpg
c0168172_22384323.jpg
c0168172_22385042.jpg
c0168172_22385608.jpg
c0168172_22391336.jpg
c0168172_22402004.jpg
c0168172_22402712.jpg
c0168172_22403413.jpg
c0168172_22404074.jpg
c0168172_22405778.jpg
c0168172_22410360.jpg
c0168172_22411095.jpg
c0168172_22411748.jpg
c0168172_22412478.jpg
c0168172_22413388.jpg
c0168172_22420171.jpg
c0168172_22420989.jpg
c0168172_22421668.jpg
c0168172_22422388.jpg
c0168172_22423108.jpg
c0168172_22423856.jpg
c0168172_22424655.jpg
c0168172_22425387.jpg
c0168172_22430079.jpg
c0168172_22430664.jpg
c0168172_22431386.jpg
c0168172_22432622.jpg
c0168172_22433610.jpg
c0168172_22434218.jpg
c0168172_22435017.jpg
c0168172_22435755.jpg
c0168172_22471855.jpg
c0168172_22473717.jpg
c0168172_22474689.jpg
c0168172_22475683.jpg





# by hologon158 | 2019-04-19 22:51 | ホロゴンデイ | Comments(0)

785.02 ホロゴンデイ214(2018年11月5日大和西大寺をホロゴン斜視線が走り)2 捨てられた物



アンディ・ウォーホールの面白い言葉に出会いました。

  「捨てられた物や
  役に立たないと思われている物には
  おもしろくなる可能性が
  十分にあるんじゃないかって、
  いつも思っていた。
  リサイクルみたいなものだね。
  不要品にはユーモアが詰まっていると
  常に感じていたんだ。」

これ、まさに私が写真を始めて45年、
最初からずっと感じてきたことでした。
ロボグラフィは、どんなものにも、どんな人にも、
それ以外の何者かに変化してしまう瞬間の記録なのです。
最初から、私はそんな瞬間に見せられてきたのです。
だから、私は最初からロボグラフィだった!
撮り方も被写体も最初からずっと同じでした。
つまり、私は写真に関しては、45年間ずっと不変だったわけです。

よくよく思い出しますと、幼児の頃から、
道ばたに出会う物たちもみんな生きていると感じてきました。
生まれつきだ、そう思っています。
4歳の頃の孫プリンスが私とそっくり同じだと気づいたからです。
二人で歩いていて、ふっと孫が言ったのです、
「あそこにライオンがいるよ」

私の写真がまったく人の関心をよばない理由も分かっています。
私が見ているような見方をする方が大変に少ないからです。
当たり前です。
この世、いわば真っ当な見方ができる人たちが作っているからです。
私のような人間がたくさんいたら、こうはならない。
私のように万物に変化(ヘンゲ)を見る人は確かに居ますが、
みんな違う見方をします。
ですから、互いに相手の観たものを共感するわけではありません。
だから、そんな人でも、私の写真を見ると、
「なんだ、これ?
ただのゴミ箱じゃないか」

マルセル・デュシャンの「便器」が一斉を風靡しました。
ものの見方に決まりはない、自由なんだ、
そう教えてくれたから、と言われています。
でも、私は好きではありません。
今まで多くの芸術家たちがやってきたことです。
そんな当たり前をわざわざ汚く見せるのは好きではありません。
デュシャンがいくら仰々しく、
「教えてあげよう、
君たち、ものの見方は自由なんだよ」
なんて教えても、
「便器は便器、ただそれだけ」と答える人は、
デュシャン以前と以後も変わりはしていない。

いささか影響を与えられたのは、アーチストの方でしょう。
「そうか、なにをしても良いんだ!」
その結果、どうなったか?
アートはどんどんと消滅し、
グラフィックスばかりが氾濫する時代となってしまいました。
理由は簡単です。
アートを創造するためには、それなりの才能と技能が必要ですが、
グラフィックスはちょっと気の利いた頭の持ち主なら、
才能も経験も修行も技術もなく、創作できるからです。
これは才能の下克上。
おかげで、ガラクタの才能が幅を利かせて、
本物の才能を蹴散らしてしまう時代になってしまいました。

これが21世紀の潮流です。
政治家をご覧ください。
日本もアメリカも最低の人間が牛耳っている。
ただの道具に成り下がったからです。
世界を動かしているのは、今や、各国ではありません。
世界を股にかけるコングロマリットです。
これたちが地球の真の支配者。
人間?
今や人間は統計される数になってしまいました。
統計して管理するのは、世界を牛耳っているコングロマリット。
いつの間にか、天秤の重さは逆転してしまいました。
でも、ご心配無く。
あなたは、まだ「ものの数ではない」わけではありません。
一応、統計数値として数えてもらえるのですから。




c0168172_22562196.jpg
c0168172_22563054.jpg
c0168172_22563699.jpg
c0168172_22564175.jpg
c0168172_22564767.jpg
c0168172_22565255.jpg
c0168172_22565863.jpg
c0168172_22570304.jpg
c0168172_22570939.jpg
c0168172_22571446.jpg
c0168172_22572367.jpg
c0168172_22572983.jpg
c0168172_22573530.jpg
c0168172_22574178.jpg
c0168172_22574703.jpg
c0168172_22575202.jpg
c0168172_22575758.jpg
c0168172_22580358.jpg
c0168172_22580982.jpg
c0168172_22581430.jpg
c0168172_22582118.jpg
c0168172_22582723.jpg
c0168172_22583213.jpg
c0168172_22583840.jpg
c0168172_22584477.jpg
c0168172_22585083.jpg
c0168172_22585765.jpg
c0168172_22590327.jpg
c0168172_22590955.jpg
c0168172_22591508.jpg
c0168172_22592057.jpg
c0168172_22592642.jpg
c0168172_22593217.jpg
c0168172_22594107.jpg
c0168172_22594836.jpg
c0168172_22595475.jpg
c0168172_23000073.jpg
c0168172_23000620.jpg
c0168172_23001240.jpg
c0168172_23001879.jpg
c0168172_23002609.jpg
c0168172_23003343.jpg
c0168172_23004081.jpg
c0168172_23004673.jpg
c0168172_23005384.jpg
c0168172_23010086.jpg
c0168172_23010659.jpg
c0168172_23011291.jpg
c0168172_23011831.jpg
c0168172_23012463.jpg
c0168172_23013179.jpg
c0168172_23013845.jpg
c0168172_23014324.jpg
c0168172_23014914.jpg
c0168172_23015677.jpg
c0168172_23020336.jpg
c0168172_23021534.jpg
c0168172_23022141.jpg
c0168172_23022702.jpg
c0168172_23023459.jpg
c0168172_23024143.jpg
c0168172_23024885.jpg
c0168172_23025534.jpg
c0168172_23030235.jpg
c0168172_23030841.jpg
c0168172_23031526.jpg
c0168172_23032568.jpg
c0168172_23033250.jpg
c0168172_23033967.jpg
c0168172_23034669.jpg
c0168172_23035264.jpg
c0168172_23035846.jpg
c0168172_23040639.jpg
c0168172_23041429.jpg





# by hologon158 | 2019-04-17 23:06 | ホロゴンデイ | Comments(0)

785.01 ホロゴンデイ214(2018年11月5日大和西大寺をホロゴン斜視線が走り)1 アーシング


今、私はどこに居るでしょう?
神社を取り巻く林間道の中です。
聞こえてくるのは、風、葉ずれ、さまざまな小鳥たちのさえずり、
そして、遠くの車の音。

そんなところで、なにをしているのか?
膝の上にバッグを置き、
その上にニューポメラを開いて、この文章を書いています。
でも、本来の目的はそこにはありません。
ウォーキングシューズを脱いで、土道に裸足を付けています。
そう、アーシングをしているのです。

私がアーシングを始めたと聞いて、
私の親友のAKさんは笑いました、
『そんなのインチキです。」
でも、私は続けています。
なぜって、私は、老いを遅らせることができる工夫であれば、
なんでも試してみるつもりなのです。
そして、実際にやってみると、効果があると思えるからです。

仕組みは簡単です。
現代の人間にはあらゆるルートで静電気が流れ込んでいます。
人間は本来電気的存在です。
脳のニューロンは互いに離れています。
情報伝達は電気的に行われるのです。
その有様の再現イメージをYouTubeで見ることができます。
ニューロンとニューロンの間に火花が散っているのです。
つまり、そのような電導と化学物質の交換が情報伝達の方法なのです。
でも、体内に貯まる余分な静電気は
そうした体内での電気的活動を妨げる危険があるのです。

そこで、体内にたまった静電気を絶えずアースしようというのが、
アーシングの基本目的なのです。
方法は実に簡単。
私は、我が家の裏庭にアース棒を差し込んで、
アース線を二階書斎まで引いて、
アース専用のマットにこれをつないで、
書斎に居る間ずっとマットに裸足を載せて、
体内の静電気をアースしています。

マットから足を外すと、途端に静電気の数値は跳ね上がります。
だから、始終アースしておくよう努力することとなります。
たとえば、浴槽内にも銅板を落とし込み、
上記のアース棒につないでいます。
布団の足下にもマットを置いています。
こちらのマットはダイニングキッチンのオーブンレンジ用アース栓につないで、
昼間はキッチンでの調理、食器洗いの足下でアースしているわけです。
折悪しく、ではなく、折良くでしょう、食器洗い機が壊れました。
私に仕事を作ってくれたわけです。
私は実のところ食器洗いの名人です。
在職中もすべての洗い物は私の担当でした。
どんなに仕事が堆積していても、
私は仕事のことは妻に一切話さない主義ですので、いいわけできない。
そこで、圧倒的に高能率、超高速で仕上げるように練習を積みました。
退職すると毎日日曜日なので、
三度三度、乾いた食器を食器棚に片付け、食器を念入りに洗います。
昼、夜のどちかの食事の用意もします。
というわけで、その間ずっとマットの上で作業しますので、
まあ、四六時中アーシングをしていることになります。

一昨日、その歴然たる効果を体験しました。
その日夕方、近鉄駅前のバス発着場に行くため、
大きな交差点を渡ることにしました。
商店街を出たところで、
前方の青信号が終わりかけていることに気づきました。
前方に、タクシー乗り場のタクシー待機スペース、大きな交差点。

「猛然と」かどうかは主観的な表現ですが、
ほぼ70mほどだけなのですが、以前の私なら、諦めました。
でも、今はバス時刻が切迫して、次の信号を待つ時間的余裕がない。
でも、バスに乗りたい、
そこで猛然と駆け抜けました。
最初から最後まで脚がよく上がり、まったく疲れを感じないで、
同一速度で駆け抜けることができたのです。
しかも、呼吸もまったく上がらず、すっと並足に戻り、
呼吸の乱れは皆無でした。

実のところ、そんなに元気よく駈けることができるとは、
思っていませんでした。
3ヶ月ほど前から、朝のストレッチにスクワットを採り入れ、
20回から30回、30回から40回と少しずつ回数を上げているところです。
このスクワットの効果も加味されているのでしょう。

でも、体の軽さ、体をまったく意識しないで済む軽快感には、
かなりのものがあり、
近頃、味わったことがない、新しい感覚じゃないか、
だとすると、やっぱりアーシングの効果が現れ始めたのじゃないかと思われるのです。

昨日は自宅で過ごす日でしたが、
どうせ暇なのです。
必ず近所の神社の林間道を散歩して、ついでに裸足になって、
林間アーシングを楽しんで見ることにしたのです。
つまり、まず、裸足になってベンチに座りました。
そのために、最初から靴下ははかず、
ビニール包装のおしぼりを数本バッグに忍ばせました。
おしぼりで足裏をきれいにして、靴を履くことにしたのです。
折から新調したばかりのポメラも快調。

えっ、足裏が冷たくないか、ですって?
それが不思議です。
全然冷たくないのです。
痛くないか、ですって?
ぜーんぜん。
なにしろご先祖様は何代か前まで
裸足で一生過ごしていたのですから。
私自身、小学生の頃、運動会はもちろん、
なにかと裸足で駆け回っていました。
田舎の子供だったのです。

半時間、ポメラを使っていたのすが、突然思い立ちました。
そうだ、裸足で散歩してみよう。
出発!
痛い!
この林間道、でこぼこで石ころだらけ、
そして、さまざまなとげだらけの実とかかけらとが、
そこかしこに待ち伏せをしているのです。
でも、我慢しました。
約150mほどの短いハーフコースです。
ここで最初から音を上げていたんじゃ、どうしようもありません。

日本におけるアーシングの唱道者の一人がエハン・デラヴィさん。
YouTubeでエハン塾と検索しますと、その模様が記録されています。
実に面白い。
時折いい加減な発言も見つかりますが、これは、「知らぬが仏」
それよりも私の好奇心を満たしてくれ、さまざまな未知の貴重な情報を教えてくれます。
詳しく知りたくなったら、自分で研究すればよいだけ。
私のぼけ防止法は、こうした知的好奇心を満たすYouTube番組、
そして、BBCのナショナルジオグラフィックなどの英語番組のYouTube版。



c0168172_18130089.jpg
c0168172_18130787.jpg
c0168172_18131283.jpg
c0168172_18131733.jpg
c0168172_18132333.jpg
c0168172_18132888.jpg
c0168172_18133439.jpg
c0168172_18133900.jpg
c0168172_18134507.jpg
c0168172_18135120.jpg
c0168172_18135690.jpg
c0168172_18140254.jpg
c0168172_18140709.jpg
c0168172_18141357.jpg
c0168172_18142197.jpg
c0168172_18142786.jpg
c0168172_18143335.jpg
c0168172_18143867.jpg
c0168172_18144455.jpg
c0168172_18144589.jpg
c0168172_18145242.jpg
c0168172_18145827.jpg
c0168172_18150657.jpg
c0168172_18151422.jpg
c0168172_18152087.jpg
c0168172_18152539.jpg
c0168172_18153120.jpg
c0168172_18153725.jpg
c0168172_18154224.jpg
c0168172_18154831.jpg
c0168172_18160884.jpg
c0168172_18161472.jpg
c0168172_18162059.jpg
c0168172_18163196.jpg
c0168172_18163880.jpg
c0168172_18164580.jpg
c0168172_18165139.jpg
c0168172_18165751.jpg
c0168172_18170309.jpg
c0168172_18171010.jpg
c0168172_18171683.jpg
c0168172_18172261.jpg
c0168172_18172834.jpg
c0168172_18173605.jpg
c0168172_18174254.jpg
c0168172_18174907.jpg
c0168172_18175420.jpg
c0168172_18180174.jpg
c0168172_18180736.jpg
c0168172_18181347.jpg
c0168172_18181917.jpg
c0168172_18181917.jpg
c0168172_18182505.jpg
c0168172_18183198.jpg
c0168172_18183750.jpg
c0168172_18184467.jpg
c0168172_18185033.jpg
c0168172_18185707.jpg
c0168172_18190435.jpg
c0168172_18191146.jpg
c0168172_18192321.jpg
c0168172_18193149.jpg
c0168172_18193905.jpg
c0168172_18194530.jpg
c0168172_18195268.jpg
c0168172_18200068.jpg




# by hologon158 | 2019-04-15 18:22 | ホロゴンデイ | Comments(0)

784.02 ホロゴン外傅261(2018年10月22日スピードパンクロ40㎜f2の奈良町変化)2 ヨボヨボに?



784.02 ホロゴン外傅261(2018年10月22日スピードパンクロ40㎜f2の奈良町変化)2 今日は何を?
引退生活に入ると、日々、一つの問いにさらされますね。

「生きているというために、
今日は何をしたらよいのだろうか?」

容易に答えられない問いですね。
さりとて、職業生活に明け暮れていた当時、
本当に生きていたんだろうか?
そう真剣に問いかけてみると、
なんだか仕事に明け暮れているだけで、
本当に生きるためには何をどうすべきか、
というこの問いを意識していなかったのでは、
という気もしてきます。

仕事を大いに楽しみましたが、
さりとて、それが「よく生きること」なのか?
そう真剣に考えてみますと、
どうもそこまで創造的なことでもなかった、という気がします。
結局、そんなことを悠長に考える暇もなく、
必死で毎日の生を生きていたのかも知れません。

そう考えると、引退後、
こうして生きる意味、目的を真剣に考えるようになったのは、
せめて遅ればせでも、遅くはない、今からでいいから、
自分の人生を意義ならしめようとする努力なのだろう、そう感じます。

よくこういう高齢者が居ます。
「あとは、死を待つだけですよ」
一種の韜晦趣味なのでしょう。
でも、こんな見せかけは実質になる危険があります。
そんな風に考えた途端、
「待つこと」以外に意味のある行動はあるのでしょうか?
待つためには、毎日、一体なにをすればよいのでしょう?

そんなことも含めて、なんにも考えていない人もいるでしょう。
そのように、人のダイナミックレンジは広大です。
一方の端には、
やること、やりたいことがあふれるほどあって、
日々、精一杯生きている人もいるようです。
他方の端には、
生きるために必要最小限のこと以外なにもしない、
なにも考えない、という人もいるでしょう。

先頃のイチローの引退劇は教訓的でした。
イチローは少なくとも50までは大リーグでプレイできる、
そう確信し、そのための努力を続けていました。
でも、大リーグの関係者、とくにマリナーズは、彼の意思には敬意を払いつつ、
でも、彼の時代は過ぎた、彼はチームを優勝に導くだけの力はなくなった、
そう正確に見抜いていたのでしょう。
でも、大リーグ史上屈指の至宝の意思は尊重して、
彼のために扉を開け続けていたのでしょう。

でも、彼は去年一年間フィールドでプレイをしませんでした。
おそらく大リーグでのプレイは0.0O1秒ほどのズレが致命的になる、
それほどの刹那が交錯する世界のようです。
その感覚は実戦でしか磨かれず、保たれないものでしょう。
彼は一年間実戦から遠ざかることで、
彼が何十年も培い、保ち、磨き続けた刹那の感覚は次第に薄れてゆき、
一度薄れてしまいと、年齢による体力の微妙な衰えも手伝って、
二度と戻らないこととなってしまったのではないでしょうか?

イチローの体験から、ローマ帝国の軍団兵の平時での調練が、
すべて二倍の重さの装備を使って行なわれた理由が明らかになります。
実戦では何十分の一秒かの遅れが死につながります。
それが分かっているから、アドレナリンは平時の何十倍も排出され、
瞬発力も平時の何十倍も鋭くなるのでしょう。
でも、平時の調練では、それが実戦ではないことが分かっているので、
当然ながら心身はのどかに流れ、
瞬発力は実戦時の何十分の一かに落ちてしまいます。
そこで、心の弛みを、装備の重さでカバーして、
実戦時の緊張感を生み出すようにしたのでしょう。

とすると、私たちの課題も自ずと明らかになります。
私たちは、日常、常にこの平時のローマ軍団兵状態なのです。
実戦の緊張感、悲壮感、決死の覚悟など心身から抜けきって、
ほとんど眠りこけた状態に近い心身なのです。
こんな寝ぼけた自分を揺り動かして、
実戦さながらの緊張感、悲壮感、決死の覚悟を心身に漲らせる、
そんな揺り戻しを画策しなければならないのではないでしょうか?

路上に出て、ロボグラフィを撮るとき、
ストリートスナップも試みることにしています。
写真家の皆さん、個人情報の保護の規制に縛られて、
もはやストリートフォトの写真家は消えつつあります。
予め声をかけて撮りましょう、と推奨されています。
ポートレート作家はそんなことを言われる前、昔からやってきました。
そうすることで、被写体となった女性たちに最上の姿と心を用意させて、
その人のもっとも美しいと自他ともに納得するポートレートを撮る、
それがポートレート作家の身上なのですから、当然の作業。

でも、カルティエ=ブレッソン、木村伊兵衛を初めとする、
ストリートフォトグラファーの狙いは違います。
ストリートで展開する人々の人生の一こまから浮かび出る、
人間たちの自然な交錯の瞬間から浮かびあがる、
人間生活の面白さ、人々の心と振る舞いの豊かな表出を記録する。
そんな瞬間芸の達人たちはどうやら陸続として、
ストリートフォトから撤退し、人間の環境を様々に撮ることによって、
そこに写っていない人間たちの営みの面白さを表現する方向に、
一斉に転進してしまいました。

結果は悲惨です。
退屈です。
写真に撮らなければならない必然性が感じられない。
名人芸など不要になってしまい、
子供や猿にカメラを持たせても、出来る芸じゃないの?
という感じさえしてきます。
心が躍らず、驚きも感じない。
はっきり言って、詰まりません。

要するに、ストリートフォトの写真家に試練の時が到来しています。
そのような難しさを克服して、
心躍る写真アートを創造するには、どうすればよいか?
課題が克服困難なほどに難しければ難しいほど、
その課題に創造的な回答を見つけ出せる写真家は、
優れた写真芸術を生み出すことになりそうです。
どんな場合でも、条件が難しくなり克服困難になるほど、
そのような試練、挑戦に見事打ち勝つことができれば、
ストリートフォトが撮りやすかった過去の数十年には、
到底実現不可能だった境地を開拓できるかも知れないからです。

「写真は表現である」と当然のように言われてきました。
その背景には、折角写真を始めたんだから、
人に賞賛され、驚嘆されるような名作を撮りたいという、
カメラマンたちの自然な願望があるように思われます。
芸術史上では、写真と映画は、
20世紀が確立したリアリズム芸術の新技法、新分野、
そう位置づけることができるのでしょう。

でも、私はご免です。
自分の人生のために写真を撮ることにしました。
写真には、表現芸術の側面があるとしても、
そのような側面を志す写真家はごく少数です。
世界の99%のカメラの使い手のスタンス、志望は違います。
自己表現の気持ちがあろうが、なかろうが、
自分自身の心が満たされたら、それで十分、
人の反応などどうでもよい!
だって、他人がどう思おうとも、私とは関係がないんだから。
たまに他人に賞賛されても、それがどうだって言うの?
言った本人はとっくの昔にその写真のことなど忘れてしまい、
私も賞賛されたことなど忘れてしまい、
人生になんにの付け加えてくれないのですから。

誰にとってもそうですが、記憶なんて、どうでもよいのです。
今、現在がすべて!
今、なにをするか?
それが私の心をどう満たし、どう喜ばせてくれるか?
明日へのエネルギーになってくれるかどうか?
それだけが大切。

私のブログに偶然迷い込んだ人は、とまどい、あきれるでしょう。
これはなんだ?
なんでこんな意味不明、支離滅裂の文章と写真をずらずら並べてるの?
そう、それがまともな反応です。
遠慮することはありません。
さっさと退散して、2度とおいでになることはありません。

私は私で、自分と遊ぶのに忙しいのですから。
アレクサンドロスが樽の哲人ディオゲネスを表敬訪問したとき、
大王はうやうやしく尋ねました、
「先生のお望みをなんでもかなえたいと思いますが?」
隠者は即座に答えました、
「ちょっとそこどいてくれんか?
あんた、お日様をさえぎってるよ」

まだ学生の頃、この話を読んで、
私が瞬時に、どちらの立場に共感したか?
分かりますか?
お分かりですね。
もちろんディオゲネスです。
でも、多くの人はディオゲネスになりたいなんて思わないでしょう。
アレクサンドロスのようになれるとは思えないけど、
やっぱりアレクサンドロスの方がずっと魅力的、
そうお感じでしょう。
そうだったら、このブログにおいでになることなどありません。
時間の無駄です。
王道を堂々と歩み続けましょう。





c0168172_17264533.jpg
c0168172_17265786.jpg

c0168172_17270267.jpg

c0168172_17271212.jpg

c0168172_17272694.jpg

c0168172_17273615.jpg

c0168172_17274269.jpg

c0168172_17274809.jpg

c0168172_17275418.jpg

c0168172_17280035.jpg

c0168172_17280921.jpg

c0168172_17281697.jpg

c0168172_17282460.jpg

c0168172_17283024.jpg

c0168172_17283989.jpg

c0168172_17284652.jpg

c0168172_17300579.jpg

c0168172_17301115.jpg

c0168172_17301789.jpg

c0168172_17302325.jpg

c0168172_17302882.jpg

c0168172_17303430.jpg

c0168172_17304032.jpg

c0168172_17304539.jpg

c0168172_17305132.jpg

c0168172_17305888.jpg

c0168172_17310484.jpg

c0168172_17311124.jpg

c0168172_17325475.jpg






# by hologon158 | 2019-04-13 17:43 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

784.01 ホロゴン外傅261(2018年10月22日スピードパンクロ40㎜f2の奈良町変化)1 全員白!



私が年をとったせいでしょうか?
町歩きをしますと、どうしても、高齢者ばかり目についてしまいます。
しかも、ちょっと恐ろしい感じがします。
というのは、なんだか高齢者たち、どんどんヨボヨボになっていく!
その中には見覚えがある感じの人もかなり混じっていますが、
その人たちもどんどん高齢となっていくのでは?
ビジネススーツ姿の男性たちにも、
私が現役の頃見かけたり、出会ったりした人ではないか、
と感じる人も見かけますが、やっぱり老いている!

私は若い頃、日本の社会は新陳代謝を繰り返しながらも、
盛んな社会活動が交錯するエネルギッシュな様相を
変わらず保ち続けるものと思っていました。

昭和20年、30年代のコンサート風景写真を見たことがあります。
居並ぶ聴衆が真っ白なのです。
なにが?
ワイシャツとブラウスが全員白!
並ぶ男女は全員、青年たち!

実に異常な光景。
でも、思い返せば、当然だったのです。
第二次世界大戦を終えた世界はかなり文化交流を増し、
日本でも、ラジオで耳にする音楽はクラシックが激増し、
クラシックコンサートが激増しました。
でも、大戦で壮年男女の多くを失った日本のクラシック愛好者は、
必然的に青年層の比重を増していたのです。
年配者は激減し、かつ音楽など楽しむ余裕もなかった?

今、クラシックコンサートには、
そのように戦後まもなくクラシックに目覚めた男女たちが、
今や、高齢者層となって生き残っている!
そして、若い年齢層の多くはクラシック離れをしていく。

社会は安定性を失い、未来は予測不能で、
不安要素が数知れず渦巻いています。
悠長に、モーツァルトにゆったりと耳を傾けるよりも、
耳をつんざく大音響、ガンガンとリズムを刻むドラム、
そして、割れた絶叫のボーカル、そんな騒音音楽のシャワーを浴びて、
今を忘れたい、そんな層がどんどんと増えているのではないでしょうか?

そして、大阪のような大都会に激増した高層マンションが
若い勤労者層を吸収してしまい
奈良のような地方都市は、
むしろ高年齢層が余生を送る地域に移行していくようです。
ですから、大阪や東京では青年層がまだ動き回っているけど、
奈良のような衛星都市圏では、高年齢層の比率が増大し続けている、
というのが現状ではないでしょうか?

でも、少し冷静になって思い返すと、もう一つ。
私が歩くのは概ね平日のアフタヌーンです。
若い勤労者層はみんな屋内で働いています。
奈良の町を歩いているのは観光客と高齢無職老人ばかり。
でも、こうしたファクターをさておいても、
日本全体で老人層が増加していることは疑いがありません。

ついでに書きますと、
女性たちが年々、日に日に、強さを増していきつつある、
そんな感じもしますね。




c0168172_21052496.jpg
c0168172_21053043.jpg
c0168172_21053688.jpg
c0168172_21054127.jpg
c0168172_21054782.jpg
c0168172_21055869.jpg
c0168172_21062958.jpg
c0168172_21063777.jpg
c0168172_21064213.jpg
c0168172_21064818.jpg
c0168172_21065376.jpg
c0168172_21070042.jpg
c0168172_21070544.jpg
c0168172_21071171.jpg
c0168172_21071614.jpg
c0168172_21072396.jpg
c0168172_21072911.jpg
c0168172_21073516.jpg
c0168172_21074109.jpg
c0168172_21074628.jpg
c0168172_21075367.jpg
c0168172_21080111.jpg
c0168172_21081367.jpg
c0168172_21081982.jpg
c0168172_21082520.jpg
c0168172_21083152.jpg
c0168172_21083858.jpg
c0168172_21084765.jpg
c0168172_21085323.jpg
c0168172_21085945.jpg
c0168172_21090596.jpg
c0168172_21091523.jpg
c0168172_21092190.jpg
c0168172_21093018.jpg
c0168172_21093868.jpg
c0168172_21094428.jpg
c0168172_21095213.jpg
c0168172_21100089.jpg
c0168172_21100717.jpg
c0168172_21101436.jpg
c0168172_21102158.jpg
c0168172_21102761.jpg
c0168172_21103398.jpg
c0168172_21104074.jpg
c0168172_21104654.jpg
c0168172_21105361.jpg
c0168172_21110073.jpg
c0168172_21110794.jpg
c0168172_21111310.jpg
c0168172_21111935.jpg
c0168172_21112572.jpg
c0168172_21113124.jpg
c0168172_21125650.jpg
c0168172_21130483.jpg
c0168172_21131132.jpg
c0168172_21131729.jpg
c0168172_21132340.jpg
c0168172_21133002.jpg
c0168172_21133652.jpg
c0168172_21134362.jpg
c0168172_21134893.jpg
c0168172_21135452.jpg
c0168172_21140166.jpg
c0168172_21140871.jpg
c0168172_21141583.jpg






# by hologon158 | 2019-04-10 21:16 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

783.02 ホロゴン外傅260(2018年11月2日エクター35㎜f3.3が肘塚経由で奈良町へ)2 大仏様



3月27日水曜日、つまり、かなり前のことですが、
妻は神戸に出かけ、私は子供たち(猫ですが)を家に残して、
昼食後、東大寺に向けて出発しました。
別に大仏様に呼ばれたわけではありませんが、
仏像の撮影が許されているのが東大寺だけ。
時々は、大仏様にお目にかかり、
博物館で日光、月光菩薩に挨拶するのが習慣になりつつあります。

東大寺参拝者のほぼ80パーセントはどうやら外国人観光客。
段々と純然たる観光スポットの地位に収まりつつある感じがします。
もっとも、私だって、なんの信仰ももっていないのですから、
観光客とほぼ同じスタンスですが、
偉大な仏像たちを敬愛する点では、誰にも劣らないと自負しています。

いつも書くことですが、
国宝中とくに傑出した仏像のほとんどは奈良に集まっています。
とくに、東大寺の日光、月光両菩薩、興福寺の阿修羅、
戒壇院の四天王、薬師寺の薬師三尊像、唐招提寺の鑑真和上像、
法隆寺の百済観音、中宮寺の如意輪観音、と並べると、
全世界の彫像芸術の最高峰の一つを形成している傑作群だ、
私はそう確信しています。
ですから、お目にかかる機会があれば、
ご挨拶しておくことにしています。
これが奈良人の特権、私はかってにそう確信しています。

大仏様は、私の感覚にとっては、仏像芸術とはとても思えません。
あまりにも壮大な存在感なのですから。
大仏殿建立当時の大仏様は遙かに巨大だったそうです。
大きなものなど見たことのない奈良時代の日本人にとっては、
現代の私たちには想像できないほどに奇跡的なお姿で、
一生忘れることのできない印象を刻み込む、
未曾有に壮大な存在だったでしょう。

私も同種の体験をしました。
小学校6年1学期までは大和高田市に住んでいたのですが、
幾度か東大寺を訪れた記憶があります。
6年夏休みに大阪府豊中市に移転して以来お目にかからないまま、
大学1年になって、東大寺を再訪しました。
そして、大仏様を見上げて、びっくり仰天しました。

  「あれっ?
   大仏様って、こんなに小さかったの?」

でも、2、3年経って大仏殿を訪れたときの印象が傑作です。

  「大仏様って、こんなに大きかったの?」

本来のパースペクティブが戻ってきたようです。
この体験で、私は学びました。
パースペクティブは自分自身と他の存在との兼ね合いで変わる、
いわば伸縮自在の尺度なのですね。
当然、と言えば、当然です。
でも、どうしても、大仏様はこんな風に見えるはず、と、
勝手に私たちの方で思い込んでいるために、
足をすくわれることがあるようです。
楽しいですね。

当日持ち出したセットは、先日のエルマー35㎜F3.5の対抗馬。

ソニーα7
ズマロン35㎜F3.5

長年、ライカの広角レンズの最高峰は
ズミクロンでもズミルックスでもなく、これ、
と、確信していました。
それなのに、近頃、エルマー35㎜のが急上昇しているのですが、
今回は、にわかに、コダックの怪物レンジファインダー機、
エクトラ用の35㎜レンズ、エクター35㎜が割り込んで来た感じ。
コダックらしいやや赤みを帯びた温かい色感が温かみを醸し出し、
しかも、とてもコクのある印象が濃厚で、ただ者ではない感触。
自分らしい写真表現に満ちた作品を創造した写真家には、
レンズそのものの存在感が邪魔になるかもしれません。
でも、私はひたすらゾクゾクとさせてもらって、感謝、感謝!

レンズたちよ、もっともっと自分らしさをせせり出して、
互いにがっぷり四つで果てしなく勝負し続けて!




c0168172_22351075.jpg
c0168172_22351923.jpg
c0168172_22352537.jpg
c0168172_22353020.jpg
c0168172_22353655.jpg
c0168172_22354435.jpg
c0168172_22355021.jpg
c0168172_22355643.jpg
c0168172_22360106.jpg
c0168172_22360761.jpg
c0168172_22361380.jpg
c0168172_22361831.jpg
c0168172_22362400.jpg
c0168172_22363166.jpg
c0168172_22364071.jpg
c0168172_22364748.jpg
c0168172_22365338.jpg
c0168172_22365823.jpg
c0168172_22371698.jpg
c0168172_22372247.jpg
c0168172_22372825.jpg
c0168172_22373401.jpg
c0168172_22374038.jpg
c0168172_22374733.jpg
c0168172_22375308.jpg
c0168172_22375935.jpg
c0168172_22380535.jpg
c0168172_22381175.jpg
c0168172_22381940.jpg
c0168172_22382665.jpg
c0168172_22383216.jpg
c0168172_22383734.jpg
c0168172_22384366.jpg
c0168172_22385339.jpg
c0168172_22390275.jpg
c0168172_22390816.jpg
c0168172_22391438.jpg
c0168172_22392080.jpg
c0168172_22392734.jpg
c0168172_22393473.jpg
c0168172_22394080.jpg
c0168172_22394784.jpg
c0168172_22395480.jpg
c0168172_22400179.jpg
c0168172_22400846.jpg
c0168172_22402581.jpg
c0168172_22403258.jpg
c0168172_22403821.jpg
c0168172_22404608.jpg
c0168172_22405232.jpg
c0168172_22405933.jpg
c0168172_22410698.jpg
c0168172_22412121.jpg
c0168172_22412700.jpg
c0168172_22413366.jpg
c0168172_22414032.jpg
c0168172_22414858.jpg
c0168172_22415606.jpg
c0168172_22422695.jpg
c0168172_22423291.jpg
c0168172_22423900.jpg
c0168172_22424439.jpg
c0168172_22425179.jpg
c0168172_22425911.jpg
c0168172_22430676.jpg
c0168172_22431310.jpg
c0168172_22432285.jpg
c0168172_22432977.jpg
c0168172_22433930.jpg
c0168172_22440175.jpg





# by hologon158 | 2019-04-08 22:48 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

783.01 ホロゴン外傅260(2018年11月2日エクター35㎜f3.3が肘塚経由で奈良町へ)1 古い辻で



楊琴伴奏レッスンの師、二個演奏家の陳少林先生から、
楽器演奏の極意を教えていただきました。

1 放松(ファンスオン)  脱力して
2 慢練(マンリェン)   ゆっくりと
3 数拍子(スウパイズ)  ただしいリズムで

先日、吉田正さんの写真教室の仲間から教えていただきました、
ストレッチのような運動はできるだけゆっくりとすべき。
そうすると、体が覚えるから。

なんだか人生すべてにわたって、同じことが言えるのでは?
そんな感じがしてきました。

私は「どんなことも素早く」をモットーに生きてきた人間です。
どうやら、いつもセカセカ、セカセカと急いでた、
という感じで、ハッとさせられています。
今頃になって、生き方全般にわたって見直しを迫られることに?
やれやれ...
でも、何事も遅すぎるということはない、そう思いたいですね。
これまでのままだったら、セカセカセカセカ棺桶に...
そんな具合で一生が終わってしまうかもしれないぞ!

思い出しました。
仕事について何年かして、私より2年先輩と同僚になりました。
この人、姓名も昔のおとぎ話の主人公とそっくりで、
語りっぷりと来たら、もう悠長そのものでした。
一方、私と言えば、今でこそ少し落ち着きましたが、
二十歳台の頃は速射砲で、まるで早口競争そっくり。
すると、その人がまったり、じんわりと私をたしなめました、
「あんなあーー、すまんけど、
あんたの言うこと、あんまり早すぎて、
なに言うてるのか、ぜんぜん、分からんがなーー」
私の方は彼の口調があまりにも悠長なので、
やっぱり理解困難でしたから、おあいこというところ。
これが文字通り「波長が合わない」という現象だったようです。

でも、と、反省。
彼の言うことの方が正しかったかもしれません。
もう一度、人生も演奏も見直してみるときが来ているのかも?


今回の写真は、最近ご無沙汰しているコダックのレンズ。
エクター35㎜f3.3。
コダックがオリジナルのレンジファインダーカメラ、
エクトラのために用意したレンズです。
どんな風な意気込みで造ったレンズか、知りませんが、
怪物カメラのエクトラにいかにもふさわしい重厚な描写力が魅力。
独特の存在感を醸し出してくれる名レンズです。





c0168172_22213995.jpg
c0168172_22273327.jpg
c0168172_22273823.jpg
c0168172_22274497.jpg
c0168172_22274977.jpg
c0168172_22275493.jpg
c0168172_22275975.jpg
c0168172_22280585.jpg
c0168172_22281089.jpg
c0168172_22281662.jpg
c0168172_22282178.jpg
c0168172_22282787.jpg
c0168172_22283317.jpg
c0168172_22283835.jpg
c0168172_22284442.jpg
c0168172_22284981.jpg
c0168172_22285523.jpg
c0168172_22290033.jpg
c0168172_22290586.jpg
c0168172_22291112.jpg
c0168172_22291601.jpg
c0168172_22292245.jpg
c0168172_22292841.jpg
c0168172_22293546.jpg
c0168172_22294182.jpg
c0168172_22294602.jpg
c0168172_22295222.jpg
c0168172_22300323.jpg
c0168172_22301047.jpg
c0168172_22301606.jpg
c0168172_22302232.jpg
c0168172_22302700.jpg
c0168172_22303393.jpg
c0168172_22304025.jpg
c0168172_22304852.jpg
c0168172_22305466.jpg
c0168172_22310064.jpg
c0168172_22310603.jpg
c0168172_22311232.jpg
c0168172_22311863.jpg
c0168172_22312509.jpg
c0168172_22313271.jpg
c0168172_22313811.jpg
c0168172_22314455.jpg
c0168172_22315201.jpg
c0168172_22315907.jpg
c0168172_22320621.jpg
c0168172_22321282.jpg
c0168172_22321988.jpg
c0168172_22322614.jpg
c0168172_22323220.jpg
c0168172_22323804.jpg
c0168172_22324539.jpg
c0168172_22325160.jpg
c0168172_22325894.jpg
c0168172_22330438.jpg
c0168172_22330979.jpg
c0168172_22331657.jpg
c0168172_22332237.jpg





# by hologon158 | 2019-04-06 22:35 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

782.00 ホロゴン外傅259(2019年4月4日久しぶりライカM9が神社道森林浴に出かけた)



昨日4月2日歯科医に出かけました。
かぶせが一つとれたのですが、見事に直していただきました。
その後は、意気揚々と、奈良町を撮影しました。
セットは、
ソニーα7
ヴァリオペッツ58㎜F2

ところが、撮影中、突然、液晶画面がチラチラッとなった瞬間に、
「電池を入れ直してください」という表示。
直ちに指示に従いましたが、同じ誤動作を繰り返すばかり。
どうやら、電源付近が壊れてしまったようです!
ああ、災難は突然やってきますね。
と、言っても、「半時間後に壊れます」と予告が表示されても、
どうしようもありませんが.....

今日は、翌3日水曜日、
いつものとおり、神社道森林浴に出かけることにしました。
伝家の宝刀を取り出しました。
近頃ほとんど使ったことがなかったライカM9。
ズマール50㎜F2を付けました。
ライカ純正レンズを付けてあげる、
これまで冷たくしていたライカM9への礼儀というものでしょう。

久しぶりのライカの撮り心地は最高。
なんだか凛然としたたたずまいに、
忘れていた気持ちを取り戻したという感じ。
これからは、どんどん使いたいものです。




c0168172_21462714.jpg
c0168172_21463539.jpg
c0168172_21464112.jpg
c0168172_21464744.jpg
c0168172_21465249.jpg
c0168172_21465860.jpg
c0168172_21470302.jpg
c0168172_21470962.jpg
c0168172_21471422.jpg
c0168172_21472027.jpg
c0168172_21472634.jpg
c0168172_21473607.jpg
c0168172_21474132.jpg
c0168172_21474731.jpg
c0168172_21475348.jpg
c0168172_21480070.jpg
c0168172_21481018.jpg
c0168172_21481666.jpg
c0168172_21482204.jpg
c0168172_21482953.jpg
c0168172_21483501.jpg
c0168172_21485330.jpg
c0168172_21490137.jpg
c0168172_21490789.jpg
c0168172_21491304.jpg
c0168172_21491920.jpg
c0168172_21492726.jpg
c0168172_21493266.jpg
c0168172_21494470.jpg
c0168172_21494926.jpg
c0168172_21495523.jpg
c0168172_21500187.jpg
c0168172_21500966.jpg
c0168172_21501630.jpg
c0168172_21502302.jpg
c0168172_21502988.jpg
c0168172_21503562.jpg
c0168172_21504076.jpg
c0168172_21504643.jpg
c0168172_21505922.jpg
c0168172_21510654.jpg
c0168172_21511762.jpg
c0168172_21512418.jpg
c0168172_21513225.jpg
c0168172_21514393.jpg
c0168172_21522776.jpg
c0168172_21523430.jpg
c0168172_21524104.jpg
c0168172_21524777.jpg
c0168172_21525569.jpg
c0168172_21530144.jpg
c0168172_21530734.jpg
c0168172_21531567.jpg





# by hologon158 | 2019-04-04 21:55 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

781.03 ホロゴンデイ213(2018年10月21日ホロゴンと共に弘法市、人形展歴訪)3 ニューポメラ



また私の文章作成ワープロ専用機ポメラが壊れました。

ポメラは液晶画面を開いた後、二段重ねの平面部分を右に持ちあげて、
キーボードを開いて平坦にして、完成させます。
このキーボードは17㎜幅あって、普通のキーボードと近い大きさ。
だから、とても入力しやすいのです。

でも、このパンタグラフ式キーボードが壊れやすく、
これまでは、壊れるたびに、中古を買い換えていました。
それでも数年はちゃんと使えたから、予算的には有利だったのです。
でも、今度はひどかった。
今回は最初から、パンタグラフの動きがぎこちなく不調。
たった2ヶ月で起動しなくなりました。
5代ほど使い、ついに開閉式ポメラには愛想が尽きました。

梅田のヨドバシカメラに行って、代替機種を物色しました。
ワープロ専用機って、キングジムのポメラだけしかないようです。
ところが、これが大当たり。
キーボードが最初から平坦なままの普通のワープロの小型版、
ポメラ200を発見。
私の希望にぴったり!
早速、触ってみました。
仰天!
これまでのパンタグラフ式ポメラが耕運機だとしたら、
これはフェラーリ!(ちょっと大げさかな?)
液晶画面が二回りほど大きくなり、
字の大きさを6段階も変更でき、最大は、私向きに超巨大。
そして、キーボードの感触、反応性も上々で、
作動感は超高級と言ってもよい位にしっとりと滑らかで、
まさに本格的プロ仕様。
これだ!

ヨドバシの会員価格はアマゾンの価格より数千円高い。
でも、ヨドバシでは五年間保証をつけることができます。
たった1回ですが、本来の保証と併せて、2回の故障に対応してもらえます。
これからの5年間、外出時は必ず携帯しますので、
この2回の無償修理はありがたい。
でも、修理期間中は使えなくなるので、手足をもがれた感じになってしまいます。
できるだけ安全に携帯できるよう、
クッション付きの携帯ケースを自作します。

ヨドバシカメラを出てから、いつもの通り、茶屋町に足を伸ばしました。
持参した機器は、これまた私の秘宝と言いたいレンズセット。

   ソニーα7
   トポゴン25㎜F4

描写は、ツァイスの白眉と言いたくなるほど、目覚ましい切れ味。
でも、あたたかく立体性に富んだ質感で、嫌みがありません。

ガード下の喫茶店「honana」で、どら焼きセットを見つけました。
二階喫茶店の中央円卓を占領して、ポメラを初使用。
これは私にはもったいないほどの使い心地。
もうまさに著述家の必携品、そう言いたいですね。
キーボードの安定感、キーのスムーズな感触、すべてが良好、
考える速度でキーボードをたたけます。
まあ、私の思考速度はあまり早くないからですが。

これまでの十数年間オモチャ仕様のポメラに満足していたって、
一体私のセンスはなんだっただろう?
そうじっと手を見てしまいました。

この日は、付虹先生の楊琴レッスン日でした。
生徒さんの一人は超高齢のご両親の介護に大わらわだということです。
付先生も北京に残したご両親がいつか介護を要するようになるかもしれず、
そのときは帰ることになるだろう、と、おっしゃっています。
誰もがそんな風にして人生をプレゼントしてくれたご恩返しを、
いつかしなければならないわけです。
私も妻もそんな時期を超えてきました。
それで一安心と思うと、さあ、これからは、
自分が介護してもらう可能性を覚悟しなければならない、
という第二の危機に直面しそうです。

さいわい心身とも絶好調。
近頃、体の敏捷性が格段に好調で、
昨日も夕食後の食器洗い中、目の高さに設置された乾燥棚から、
小型の土鍋がシンクの左脇の平面にいきなり落下。
いかに強度が強いと言っても、足下の床まで落下していたら、
割れたかもしれません。
でも、次の瞬間、私の左手がこれを受け止めて、事なきを得ました。
ですが、さて、これがいつまで続くことやら。

折しも84歳の畏友からの葉書。
ショックでした。
彼は親しい友人に久しぶりに葉書を送ったそうです。
そして、分かりました。
その友人は先日77歳で亡くなっていた!
私もお目にかかったことのある人です。
そのとき、大阪府警の特捜部の刑事だったと紹介されました。
当時の彼は60歳でした。
がっしりとした体躯、眼光炯々、毅然たる構えの人物でした。
でも、月日は誰にも重くのしかかってくるのです。
RAさんもショックを受けていました。

誰も永遠に生きることはできません。
韓流ドラマの合間、たまに映画史に残る名画を楽しみますが、
名優たちを見て、いつも感じることは、
「ああ、この人もすでに世を去っているんだ!」

こうなると、誰にでもできること、
最後までやりたいことをやり放題やり抜くこと、
これしかありませんね。





c0168172_17225502.jpg
c0168172_17230348.jpg
c0168172_17232701.jpg
c0168172_17233277.jpg
c0168172_17233753.jpg
c0168172_17234388.jpg
c0168172_17234843.jpg
c0168172_17235451.jpg
c0168172_17240142.jpg
c0168172_17250205.jpg
c0168172_17252515.jpg
c0168172_17272258.jpg
c0168172_17491241.jpg
c0168172_17492249.jpg
c0168172_17493037.jpg
c0168172_17493702.jpg
c0168172_17494595.jpg
c0168172_17495183.jpg
c0168172_17495945.jpg
c0168172_17500917.jpg
c0168172_17501525.jpg
c0168172_17502295.jpg
c0168172_17502801.jpg
c0168172_17503431.jpg
c0168172_17504143.jpg
c0168172_17504744.jpg
c0168172_17505834.jpg
c0168172_17510461.jpg
c0168172_17511245.jpg
c0168172_17511775.jpg
c0168172_17512367.jpg
c0168172_17512922.jpg
c0168172_17513746.jpg
c0168172_17515074.jpg
c0168172_17515765.jpg
c0168172_17520428.jpg
c0168172_17521016.jpg
c0168172_17521615.jpg
c0168172_17522204.jpg
c0168172_17523221.jpg
c0168172_17523985.jpg
c0168172_17524922.jpg
c0168172_17530203.jpg
c0168172_17530809.jpg
c0168172_17531459.jpg
c0168172_17532139.jpg
c0168172_17532961.jpg
c0168172_17534291.jpg
c0168172_17534809.jpg
c0168172_17540108.jpg
c0168172_17540821.jpg
c0168172_17541597.jpg
c0168172_17542129.jpg
c0168172_17542709.jpg
c0168172_17543342.jpg
c0168172_17543950.jpg
c0168172_17544578.jpg


c0168172_17545255.jpg
c0168172_17550230.jpg
c0168172_17550939.jpg
c0168172_17551685.jpg
c0168172_17552380.jpg
c0168172_17553054.jpg
c0168172_17553631.jpg
c0168172_17554225.jpg
c0168172_17555382.jpg
c0168172_17560390.jpg
c0168172_17561051.jpg
c0168172_17561790.jpg
c0168172_17562550.jpg
c0168172_17563179.jpg
c0168172_17563860.jpg
c0168172_17564594.jpg
c0168172_17565298.jpg
c0168172_17565941.jpg
c0168172_17570858.jpg
c0168172_17571584.jpg
c0168172_17572127.jpg
c0168172_17572992.jpg
c0168172_17573895.jpg
c0168172_17574479.jpg
c0168172_17575157.jpg
c0168172_17575806.jpg
c0168172_17580493.jpg
c0168172_17581174.jpg
c0168172_17581720.jpg
c0168172_17582329.jpg
c0168172_17583122.jpg
c0168172_17583818.jpg
c0168172_17584563.jpg
c0168172_17585308.jpg





# by hologon158 | 2019-04-01 18:02 | ホロゴンデイ | Comments(0)

781.02 ホロゴンデイ213(2018年10月21日ホロゴンと共に弘法市、人形展歴訪)2 New brave world!



3月22日金曜日午後、歯科に出かけました。
私は、どちらかと言うと、歯が弱点のようです。
歯科医の見立てによりますと、
私は歯をかなり強く食いしばるタイプなのだそうです。
長年、思考力をぎりぎりに使って、
最終的決断を下すというタイプの仕事をしてきたせいかもしれません。
考え抜いた挙げ句に回答を見つけて、怒濤の決断になだれ込む、
というようにいつも行けばよいのですが、
人間のやることです、
どうしようもなく左右を決しがたい白紙の領域を残したまま、
歯を食いしばって、一か八かの決断をしなければならないときがあります。
どなたもそうでしょう?
でも、こんなときは苦しいものです。
こんな体験を何十年も重ねますと、歯に来るようです。

先々週、奥歯の上の被せが歩ロッと取れてしまいました。
なんだかネジもくっついている感じですから、
残っている歯の本体をよほど酷使してしまったようです。
でも、これは仕方がありません。
いつも歯のことに気を配るなんて、できっこありませんね。
妻が見つけてくれたとてもよいお医者さんで、
丁寧に処置をしていただきました。

いつも思うのですが、恐竜たちのように、
下からどんどん換え歯が生えてくるのであれば、
苦労がなくてよいのですが。

しかし、よくよく考えますと、
これはまさに選んだ進化の道だったわけです。
身体のどんな器官も、寿命にあった期間だけ保つように、
いわば統一体として進化したわけです。
恐竜は、たとえば、竜盤目ともなると、
その寿命は100年を超えるものが見つかるそうです。
骨の年輪で分かるのです。
つまり、それほどまでに長い間、
ティラノザウルスのような肉食恐竜の攻撃をしのいできたのです。

人類はもまた、種としてまれに見る成功を収めたからこそ、
地球上の王者となったわけです。
でも、完全に成功したわけではありませんでした。
無制約に繁殖し、地球上いっっぱいに生息して、
環境を激変させ、地上の食料ではまかなきれないほど沢山の子を産んで、
今や、地球上のあらゆる生物の生態系を絶滅の危機にさらした挙げ句、
人類自体の生存も危ぶまれる状態に迷い込んでしまいました。

地球上をほぼ完全に支配した種の先輩は恐竜ではなかったでしょうか?
恐竜の時代の生態系の頂点とその下位のほとんどを、
海陸空の恐竜たちが独占したのですが、
そのバランスが絶妙に保たれていたからこそ、
1億6000万年という気の遠くなるような期間、
地球を支配することができました。

これに対して、人類は、ホモサピエンスが誕生してから、
多く見積もってもたった20万年。
海陸空を支配する地上の王者となったのは、
まず支配権を確立した陸上だけを見ても、
せいぜい18世紀末から19世紀初頭にかけてでした。
18世紀ブルボン王朝の時代にでも、
狼がパリ近郊を支配した歴史が残っているのですから。
そして、その当時まだ、地上の大半は人跡未踏でした。

つまり、人類が地球を完全に支配するようになったのは、
せいぜい19世紀後半から20世紀前半にかけてに過ぎません。
つまり、たった100年ちょっとの王者なのです。
それなのに、もう地球の生態系そのものが絶滅に貧している。
簡単に言えば、せいぜい「簒奪者」でしかなく、
恐竜のような真実の王者とはとうてい比肩しがたいのです。

どうしてこうなったのでしょう?
それは人間が、人間を超える組織、オーガニズムを創造し、
それに人間と並ぶ人格を与えたことが原因でした。
それが「法人」であり、機械でした。
あらゆる分野、領域で、法人は人間を超えてしまい、
独自の存在理由と生存権を持つようになってしまいました。

たとえば、第二次世界大戦を引き起こしたのは、列強の軍隊組織、
その軍隊の肩を押したのは、各国の超巨大な軍需産業体でした。
第二次世界大戦後急速に成長したのはあらゆる種類のコングロマリット、
そして、アメリカで言えば、CIA、NASA等の独自の目的と機能を持つ組織。
彼らは人間ではありません。
所属する人間は、それが組織の長であっても、単なる構成分子であり、
捨てゴマでしかありません。
構成分子となる有能な人間に不足はありません。
必要なことは、どんな犠牲を払っても、
組織が生き延び、かつさらに巨大化、強大化することが至上命令。
地球の生態系がどうなろうと、
その構成員が絶滅しようが、知ったことではありません。
組織は地球の生態系の一員ではないからです。
つまり、まったく別種の新たな生態系が生まれているのです。
組織同士のネットワークを生育環境とする無機体オーガニズムの生態系。

急速にロボットが進化しています。
数年後には、鉄腕アトムがこの世に戻ってくるでしょう。
碁、将棋、チェスの名人たちをことごとく打ち負かしてしまいました。
ニュー鉄腕アトムは世界中の軍事組織を打ち負かすことでしょう。
そのとき、人類は地球の王者の座を滑り落ち、
新王者のメカニズムの構成員、歯車とされてしまい、
挙げ句の果てには、奴隷の地位に落とされてしまうでしょう。

かつての軍隊の不可欠の構成員だったのは、
馬、牛、象、驢馬、ラクダ、犬、鳩等の動物でした。
でも、彼らは、時代が進むにつれて、お払い箱となってしまいました。
今度は、人間の番、というわけです。
さまざまな食料や水や空気が定期的に供給されないと生きていけない人間は、
早晩、足手まといとなってしまいます。
はるかに優秀で、どんな劣悪環境、宇宙空間でも、電気だけで活動できる
ロボットには絶対にかなわないからです。

かつて易学は、人間の活動はたった64種類しかないことを見抜きました。
つまり、どんなことを決断するにしても、
その性質は64種類に限定されるのです。
将来、新支配者は、たとえば、
人間の倍の128種類の決断ができるコンピュータを進化させ、
ロボットに組み込むでしょう。
その新ロボットたちは、人間のやることなど、いとも簡単に見抜いてしまって、
人間をあっと言う間に粗大ゴミ化してしまうことでしょう。

New brave world!

ネットでショッピングをしますと、
あっと言う間に、関連商品の勧誘メールが殺到してきます。
YouTubeで大好きな演奏家のビデオを検索して視聴しますと、
オープン画面はあっと言う間に私のお好み関連で埋まってしまいます。
ネット界は私をすでに組織支配下の一員と見なして、
コントロールを開始し始めたのではありませんか?
つまり、私たちの奴隷化はすでに始まっているのではないでしょうか?




c0168172_17512131.jpg
c0168172_17513079.jpg
c0168172_17513745.jpg
c0168172_17514306.jpg
c0168172_17515988.jpg
c0168172_17520506.jpg
c0168172_17521677.jpg
c0168172_17522301.jpg
c0168172_17522913.jpg
c0168172_17523742.jpg
c0168172_17524403.jpg
c0168172_17525045.jpg
c0168172_17525607.jpg
c0168172_17530193.jpg
c0168172_17530879.jpg
c0168172_17531488.jpg
c0168172_17532016.jpg
c0168172_17532549.jpg
c0168172_17533188.jpg
c0168172_17534072.jpg
c0168172_17534522.jpg
c0168172_17535160.jpg
c0168172_17540204.jpg
c0168172_17540818.jpg
c0168172_17541435.jpg
c0168172_17541903.jpg
c0168172_17542555.jpg
c0168172_17543121.jpg
c0168172_17544021.jpg
c0168172_17544691.jpg
c0168172_17545155.jpg
c0168172_17545608.jpg
c0168172_17550463.jpg
c0168172_17551309.jpg
c0168172_17551930.jpg
c0168172_17552649.jpg
c0168172_17553184.jpg
c0168172_17553792.jpg
c0168172_17554314.jpg
c0168172_17554927.jpg
c0168172_17555632.jpg
c0168172_17560114.jpg
c0168172_17560797.jpg
c0168172_17561379.jpg
c0168172_17561924.jpg
c0168172_17562593.jpg
c0168172_17563153.jpg
c0168172_17563728.jpg
c0168172_17564278.jpg
c0168172_17564817.jpg
c0168172_17565482.jpg
c0168172_17570080.jpg
c0168172_17570783.jpg
c0168172_17571394.jpg
c0168172_17571937.jpg
c0168172_17572578.jpg
c0168172_17573264.jpg
c0168172_17580149.jpg
c0168172_17580830.jpg
c0168172_17581482.jpg
c0168172_17582046.jpg
c0168172_17582682.jpg
c0168172_17583225.jpg
c0168172_17583817.jpg
c0168172_17584580.jpg
c0168172_17585667.jpg
c0168172_17590340.jpg
c0168172_17590971.jpg
c0168172_17591620.jpg
c0168172_17592267.jpg
c0168172_17592954.jpg
c0168172_17593787.jpg
c0168172_17594397.jpg
c0168172_17595138.jpg
c0168172_17595842.jpg
c0168172_18000676.jpg
c0168172_18005449.jpg
c0168172_18010210.jpg
c0168172_18010820.jpg
c0168172_18011438.jpg
c0168172_18012884.jpg
c0168172_18013757.jpg
c0168172_18014579.jpg
c0168172_18015323.jpg
c0168172_18020163.jpg
c0168172_18021024.jpg





# by hologon158 | 2019-03-29 18:04 | ホロゴンデイ | Comments(0)

781.01 ホロゴンデイ213(2018年10月21日ホロゴンと共に弘法市、人形展歴訪)1 卒業または落第?



写真家吉田正さんが指導する写真教室の受講を続けて4年経ったと思います。
先週木曜日、とうとう写真教室を卒業する日が来ました。
ちょっと感無量です。

もとより、私が写真教室に通うこと自体が、
いわば自己矛盾に近い異常事態でした。
私はとっくの昔に、
写真家としての表現行動など無縁の人間になっていたのですから、
今更写真を勉強するもなにもあったものではない。

でも、無理を承知で写真教室に通い始めたのは、
長年続けてきた稼業から足を洗って引退したからです。
なにもやることがないというのも退屈、
幸い私が十年来私淑し、交友を続けてきた写真家の吉田正さんが
西宮で写真教室を手広く開いておられる。
じゃ、吉田さんの写真談義を聴きにいこう、
ということからでした。

期待したとおり、吉田さんの講義は楽しいものでした。
吉田さんが梅田に教室を開かれた機会に、私も移りました。
さすが大阪です。
すでにそれぞれにその人なりの写真を撮る人たちが揃いました。
吉田正さんの講義もさらに充実し、みなさんの写真も楽しい、
ということで、写真教室をずいぶん楽しんできました。

でも、昨年来、教室は次第に成長しはじめました。
ただの写真教室ではなく、
吉田正さんの傘下の写真家集団の一翼になり始めたのです。
これには参りました。

私は、ちょっと表現が奇妙ですが、
骨の髄まで写真家ではない人間です。
ただの写真趣味。
写真趣味45年の間に、表現なんて、実のところ、
ひとかけらも頭の隅をよぎったことがない人間です。
最初の最初から、私はレンズに頼りっきりの、
いわば、「撮れちゃった写真」だけ。
写真展も幾度か楽しみましたが、
これも、はっきり言って、私に関する限りは「写真展ごっこ」でした。

そんな私を見事に見抜いたのが、最初の師匠、田島謹之助さん。
落語家立川談志の「抱腹絶倒落語家列伝」は、
田島さんが談志師匠に、かつて撮り貯めた昭和の落語名人たちの写真を、
フィルムもろとも一切合切贈与したことがきっかけ。
上記の本には田島さんの見事な写真がびっしり収められて、
猛烈に見応えがあります。

その田島さんと中国旅行で知り合って、
「よろしかったら、写真見てあげましょうか?」
これがキッカケで、いわば田島さんの写真の弟子になったのですが、
最初の頃、あきれたように、というか、あきらめたように、
こうおっしゃったことを思いだしました。

「あのねえ、※※さん、
あんたの写真、一見すると、いかにも意味ありげなんだけど、
よくよく見ると、なーんにもないんだよねえ。」

当たり前です。
私は、写真を始めてから今日まで、
写真に意味をもたせたり、情景に何か意味を感じて撮影したり、
というようなことを一切したことがないのです。
私に限って言えば、
写真は表現ではありません。

たった一つあるとすれば、
「この瞬間、ぼくはこれに出会ってよかった、と思った」
ということ位。
つまり、よく言えば、感動の瞬間の表現、
簡単に言えば、動物的な反応。
そこから出発して、写真に撮ることでなにかを表したいなんて、
これっぽっちも考えたことがないのです。
「よかった! パチッ(シャッター音)」
ただこれだけ。
このときなにかを感じたことは間違いがありませんが、
そんな私の気持ちなど、写真に込めようとしていません。
ただのロボグラフィの目撃報告。
これまさに素人写真。
私はそれを隠そうとしたこともありません。
誰でも見たら一目瞭然なのですから。

私の写真の撮り方にそれがはっきり現れています。
半分はノーファインダーで、
どう写るか確認もしないで、撮っています。
残りの半分は、液晶ファインダーを拡大表示して、
ピントを合わせると、シャッターを落とします。
その瞬間、液晶ファインダーは通常の表示に戻りますが、
そんなものはまったく見ていません。
そんな写真を、たとえば、ブログでは、撮影順に、トリミングなどせず、
白枠を付け、編集画面で私の一定の濃度にそろえるだけで、
ブログに順番にアップしているだけです。

それでも、かなりしっかりとした構図で撮れているように、
ご覧いただけるのでしたら、
それは、私の撮影経験の長さ故であるとともに、
ロボグラフィであれ、ストリートスナップであれ、
どんなものを撮るにしても、最大限接近して撮るので、
それだけが写り、
無用なものが写ることがとても少ないからです。
よく言われるように、「写真は引き算」
私の場合は、「写真は主題以外全部切り捨て!」

水平垂直がかなり保たれているのは、
ホロゴン15㎜F8という超広角レンズをメインとしたお陰。
水平垂直が命なので、スナップであれ、ロボグラフィであれ、
カメラ、レンズは常に垂直と調練しているからです。

写真家が水平垂直を動かすのは、表現意図からであって、
これは別論です。
でも、誰かが、単にカメラになれていないために、
水平垂直が撮れていないのに、
わざと歪めてみました、なんてしたり顔で言い訳をしますと、
心の中で「嘘付け! 下手くそ!」とつい言ってしまいます。

アマチュア写真家が、作品を前にして、
「これはなにを表現したかったのですか?」と尋ねられると、
「現代の孤独を象徴したかったのです」
なんてしたり顔で聞いた風な口を利くと、
やっぱり、
「嘘、嘘! ただ撮れただけの写真にそんなこじつけじゃないの。
ごまかしはよしましょうね」と、心の中でささやきます。
そして、そんな人とはお付き合いは遠慮することにしています。

というような次第で、
私には、一人でロボグラフィをただ撮って、ブログに掲載する、
というシンプルで、邪魔のない境地をひたすら味わう時代が到来しました。

なんにも表現せず、ただ私の出会いの瞬間を記録し、
そんな偶然的なロボグラフィたちをブログに掲載し続けるのですから、
人はぜんぜん来ないので、気楽そのもの。
ただし、正確には、文書量と写真量はただならないので、
ネット検索でのヒット率はかなりあるでしょう。
でも、一見して、
「おじゃましましたあーーー、
さいなら!!!」でしょう。

かくして、私はついに写真家の世界から卒業したわけです。
正確には、「最初から無縁だった」わけですが。
ちょっと寂しいけど、ほっと一息、という気持ちです。




c0168172_14474177.jpg
c0168172_14474749.jpg
c0168172_14475461.jpg
c0168172_14480061.jpg
c0168172_14480616.jpg
c0168172_14481376.jpg
c0168172_14481905.jpg
c0168172_14482501.jpg
c0168172_14483149.jpg
c0168172_14483766.jpg
c0168172_14484462.jpg
c0168172_14485841.jpg
c0168172_14490424.jpg
c0168172_14491106.jpg
c0168172_14491754.jpg
c0168172_14492555.jpg
c0168172_14493111.jpg
c0168172_14493709.jpg
c0168172_14494489.jpg
c0168172_14495986.jpg
c0168172_14500563.jpg
c0168172_14501341.jpg
c0168172_14501949.jpg
c0168172_14502586.jpg
c0168172_14503180.jpg
c0168172_14503719.jpg
c0168172_14504243.jpg
c0168172_14504827.jpg
c0168172_14505490.jpg
c0168172_14510026.jpg
c0168172_14510655.jpg
c0168172_14511208.jpg
c0168172_14512139.jpg
c0168172_14512850.jpg
c0168172_14513616.jpg
c0168172_14514220.jpg
c0168172_14514838.jpg
c0168172_14515441.jpg
c0168172_14520009.jpg
c0168172_14520639.jpg
c0168172_14521283.jpg
c0168172_14521881.jpg
c0168172_14522420.jpg
c0168172_14522943.jpg
c0168172_14523566.jpg
c0168172_14524889.jpg
c0168172_14525477.jpg
c0168172_14525966.jpg
c0168172_14530588.jpg
c0168172_14531261.jpg
c0168172_14531816.jpg
c0168172_14532842.jpg
c0168172_14533418.jpg
c0168172_14534137.jpg
c0168172_14534852.jpg
c0168172_14535479.jpg
c0168172_14540067.jpg
c0168172_14540611.jpg
c0168172_14541208.jpg
c0168172_14541889.jpg
c0168172_14542562.jpg
c0168172_14543111.jpg
c0168172_14543742.jpg
c0168172_14544466.jpg
c0168172_14545053.jpg
c0168172_14545839.jpg
c0168172_14550597.jpg
c0168172_14551358.jpg
c0168172_14551927.jpg
c0168172_14552666.jpg
c0168172_14553380.jpg
c0168172_14553956.jpg
c0168172_14554730.jpg
c0168172_14555498.jpg
c0168172_14560170.jpg
c0168172_14560809.jpg
c0168172_14561548.jpg
c0168172_14562240.jpg
c0168172_14562837.jpg
c0168172_14563671.jpg
c0168172_14564237.jpg
c0168172_14564904.jpg
c0168172_14565846.jpg
c0168172_14570427.jpg
c0168172_14571129.jpg
c0168172_14571822.jpg
c0168172_14572421.jpg
c0168172_14573207.jpg





# by hologon158 | 2019-03-28 15:02 | ホロゴンデイ | Comments(0)

780.02 ホロゴン外傳258(2018年10月14日エルマリート28mmf2.8が飛鳥の秋を歩く)2 ミステリーサークル



ご存じでしょうか?
小麦畑等の大きな畑の小麦たちを倒して形作られた幾何学紋様が、
暗黒の一夜に出現する現象です。
世界中で何千と報告されています。
YouTubeの「古代の宇宙人・ミステリー・サークル」4回に、
概要が記録されています。
ただの大きな畑なのに、空から見ると、見事な幾何学図形。
おもしろいことにその図形が次第に複雑化し、
フラクタル図形のような高度な数学知識で生成する
複雑かつ数学的な図形まで現れるようになりました。

その原因を巡って、いたづら説、自然説、非人類説等々、
さまざまに飛び交ってきたのですが、
どうやら、前二者は否定されるようです。
イギリス人3人組が「全部我々が作った」と名乗りを上げ、
なーんだ、そうだったのか、と、
マスコミも一般大衆も一時は関心をうしなったのですが、
その後に華麗多彩な図形が出現するようになりました。
「じゃあ、あんた、こんな複雑なものを作れるか?」と言わんばかり。

上記の特集にも、その三人組が登場して、
すでに作られたものを再現して見せます。
でも、この特集は、最初から三人組を頭から信用していません。
なぜ?
真っ昼間に制作するように求めたからです。
暗黒の中で作れと言って、
手も足も出ない状態に追い込む方法もあったでしょうけど、
これでは、おもしろくありません。

上記の番組では、わざと白昼作らせてあげたのです。
作り方も幼稚そのもの。
板に紐をつけて首にくくりつけ、
円形の中心とも紐をつなげて、
その円周上、足で板を踏みつけて、小麦を倒してゆくのです。
番組の報告者は、感に堪えないという表情で、
「すごい! 空中写真で比較しても、オリジナルと区別がつきません!」
と、持ち上げていますが、これはかなり白々しい感じ。
どう見ても、ラフすぎます。

その後に研究家に登場させます。
「確かによくできていますが、
現場には折れた枝が散乱しています。
そして、茎の折れ方がぜんぜん違います。
こちらはただボキリと折れていますが、
本物は、折れずに、延びてカーブしているのです。
どうしてこんな風に曲げられるのか、まったく分かりません。
それに足跡一つ見つからないのです」
よくまあ、こんな粗雑な方法で、「私たちが犯人です」もないですね。
畑の持ち主が損害賠償訴訟をしたら、
ひとたまりもなく、「ごめんなさい。嘘です」でしょう。

夜間に仕掛けたビデオで作成現場が撮影されるようになりました。
赤い光点が空中を浮遊するだけで、
ミステリーサークルができあがってしまうのです。

自然説も立ち消え状態。
誰も、自然にこんなものができるメカニズムなど知りません。
ご覧になったら一目でおわかりでしょう。
自然には絶対できない図形ですから。

驚くべきことが起こりました。
前記の特集ビデオに登場しますが、
かつてカール・セーガンが、
人類の情報を図式化した一枚の金属プレートを納めて、
宇宙にロケットを送り出したことがありました。
このプレートと同型式の情報プレート画像が出現したのです。
まさに、応答と言わんばかりの対応です。
セーガンのプレートには、
ダ・ヴィンチの有名な男性ヌード像の模式図形が刻まれましたが、
その位置に、もっと小さな、なんだか宇宙人らしい体があります。
いかにも「サークルを作っているのは私たちだよ」と言わんばかり。

でも、私はこれを見て、なんだか化かされている気分になりました。
確かに現在の人類には不可能な技術によって作られる複雑怪奇な製作物です。
でも、外宇宙の異星人が、自分たちは姿を見せないで、
地球の地表面を観察できて、
誤解の余地のないコミュニケーション手段をとらずに、
こんな迂遠な方法で何かを伝えようとするなんて、
とても不可解で、ありそうにない、そう感じられるからです。

私の推理を書いておきましょう。
ミステリーサークルの作成者は間違いなく知性を持った存在です。
でも、それは別の星とか別宇宙とかではなく、
現実にこの地球にアクセスできる場所に存在する何者か。
地球人か異星人か、そもそも人間かどうかも分かりません。
でも、知性と、人類を越える科学を保有する存在。

もしかすると、月に潜む異星人かも知れません。
もしかすると、地底人かも知れません。
ちなみに、大地の地中深くの構造がどうなっているか、
実は誰も知らないのです。
近頃、地球をほとんど覆う大海原をしのぐ量の水が
地中深くに存在することが判明したそうです。
人類、ホモサピエンスはたった20万年で、
地球を滅ぼすまでに強大な存在に成長しました。
進化ではありません。
ホモサピエンスは最初から今までひとかけらも進化していないので、
これは文化的な発展です。
進化がどのようなメカニズムで起こるにしても、
遙かに長いタイムスパンで起こります。
だから、恐竜たちは1億6000万年もの間地上を支配することで、
かなり絢爛多彩に進化を遂げました。
十分に進化を繰り広げられるだけのタイムスパン、
この地球を支配していたのです。

人類はそのような進化はいっさい遂げることなく、
すでに劣化への道を辿りはじめています。
地球上の他の生物たちのほとんどを滅ぼし、
そうすることで、自分の首を絞めておきながら、進化するなんて、
絶対に不可能です。
22世紀にならずして滅び、次の地上の支配者はロボットであろう、
そう私は推測しています。

原始的な生活を営む時代から天駆ける現代に到達するのに、
たった数千年だったのです。
されば、20万年の間に、幾度か、現代と同程度に進歩を遂げては、
滅んでいった先行文明がいくつもあったのではないか、
私はそう考えています。
そう考えないと、説明がつかないアノマリー、遺跡がどんどん見つかっています。
もっと論を進めれば、20万年でこの程度に進歩するのであれば、
地球上には、人類ではない何者かの先行文明が幾度か栄えたかも知れない、
とさえ思えます。
さすれば、地底でだって、人類以外の文明が生まれているかも知れない。
そう考えても、なんの無理もない、
そう私は考えます。

ただ一つ、疑問があります。
月の文明であれ、地底文明であれ、
地球表面の人類の文明より先進の文明であれば、
なぜ劣等な文明の地球人を滅ぼしてしまわず、さりとて、
地球人が地球の生態系を完全に破壊するのを座視しているのか?
これがどうもよく分かりません。

とにかく厳然たる事実が残ります。
人類にはできない芸当を見せつける知的存在が現に存在している。




c0168172_14544635.jpg
c0168172_14545472.jpg
c0168172_14545977.jpg
c0168172_14553707.jpg
c0168172_14554304.jpg
c0168172_14554934.jpg
c0168172_14555563.jpg
c0168172_14560181.jpg
c0168172_14560749.jpg
c0168172_14561328.jpg
c0168172_14561824.jpg
c0168172_14562403.jpg
c0168172_14563053.jpg
c0168172_14563686.jpg
c0168172_14564160.jpg
c0168172_14564796.jpg
c0168172_14565366.jpg
c0168172_14565882.jpg
c0168172_14570458.jpg
c0168172_14571187.jpg
c0168172_14571961.jpg
c0168172_14572502.jpg
c0168172_14573156.jpg
c0168172_14573705.jpg
c0168172_14574217.jpg
c0168172_14574886.jpg
c0168172_14575425.jpg
c0168172_14580001.jpg
c0168172_14580657.jpg
c0168172_14581234.jpg
c0168172_14581859.jpg
c0168172_14582463.jpg
c0168172_14582920.jpg
c0168172_14584055.jpg
c0168172_14584961.jpg
c0168172_14585620.jpg
c0168172_14590228.jpg
c0168172_14590957.jpg
c0168172_14591588.jpg
c0168172_14592236.jpg
c0168172_14592885.jpg
c0168172_14593737.jpg
c0168172_14594486.jpg
c0168172_14595188.jpg
c0168172_14595882.jpg
c0168172_14595990.jpg
c0168172_15000518.jpg
c0168172_15001253.jpg
c0168172_15001871.jpg
c0168172_15002530.jpg
c0168172_15003229.jpg
c0168172_15003809.jpg
c0168172_15005522.jpg
c0168172_15010379.jpg
c0168172_15010924.jpg
c0168172_15011737.jpg
c0168172_15012365.jpg
c0168172_15013041.jpg
c0168172_15013749.jpg
c0168172_15014374.jpg
c0168172_15015916.jpg
c0168172_15021072.jpg





# by hologon158 | 2019-03-26 15:05 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

780.01 ホロゴン外傳258(2018年10月14日円エルマリート28mmf2.8が飛鳥の秋を歩く)1 毎日をどう生きるか?


毎日をどう生きるか?
これは誰にとっても、大きな課題ですね。
生きる目的、人生の目標を持っている人は幸せですね。
日々、その目的、目標に向かって、
懸命に努力すればよい。

でも、そんな目的、目標をあなたは持っていますか?
残念ながら、私は持っていません。
よく生きたい!
その欲求だけはありますが、
じゃ、どんな目的、目標を達成するために生きているか?
そう真っ正面から問われると、
ノー、としか答えようがありません。
強いて言えば、自分と家族のために、
ただそれだけですね。

私が、その代わりに持っているのは、
いわば、作業課題とでも言うべき、行動プログラムだけ。

  写真を撮る。
  文章を書く。
  写真と文章を収録するブログを作る。
  楊琴を練習する。
  リコーダーを練習する。
  二胡を練習する。
  良い本を読む。
  良い音楽を聴く。
  良い絵を見る。
  良い映画を観る。
  良いドラマを観る。
  
以前は半年に1回アブニールコンサートに出演して、
リコーダー合奏を楽しんでいました。
今月までは写真家吉田正さんの写真教室に通って、
月例の写真作品を見ていただいていました。
こうした課題達成を伴う企画は卒業してしまいました。

リコーダーは、曲がりなりにもコンサートなるものに参加していましたが、
人に聞いてもらうほどの実力がないことを痛感させられて、やめました。

写真教室は、曲がりなりにも人に見せる写真作品を作るために研鑽する場。
人に見せるための写真作品を創造するなんて希望も意欲も
とっくの昔に完全に失ってしまったので、
そのような志を立てて通うはずの写真教室に通うことが、
とても心苦しくなってきました。

写真家吉田正さんが大好きで、幸運にも知遇を得てきましたが、
なんだか毎回茶々を入れるだけで、
吉田さんの邪魔をしているという感じになってきました。
そのうえ、写真作品を作るつもりもないのに、
毎回適当に組み合わせて、こんな組写真はどうですか?
なんていうシチュエーションで、自分の写真を持参するのも、
まさに偽物くさくって、心苦しくなってきたこともあります。

毎月2回の二胡演奏家陳少林先生の楊琴伴奏レッスンも、
4月以降1回に減らしていただきました。
孫用の緊急出動が増えて、
月1回程度に事実上減っていることに気づいたからです。

かくして、4月以降は、対外活動が月2日分減ることになります。
ルーチーンが2日も減少するのですから、
かなり大きな自由度を得られることになります。
今更、新しいことに手を伸ばす気持ちはありません。
むしろ今の楽しみをもっと充実させたいという気持ち。

奇しくも、日米球界の至宝、イチローが現役復帰と思いきや、
急転直下、引退してしまいましたね。
テレビのない私はネット記事でちらりと見ただけですが、
一番大きな印象はこうでした。
イチローが突然気力の希薄な老け顔になってしまった!
だから、ネットでも記者会見ビデオを見ることができますが、
写真以上に、かれの姿を見たくない、という気持ち。

この結果は、多くの人の予想どおりだったと思います。
彼を現場に連れ戻したのは、
野球史上最高のプレーヤーの一人であった、
だから、そんな伝説を竜頭蛇尾に終わらせたくない、
いや、もう一度不死鳥のように甦る姿を歴史に刻みたい、という、
自負、気概、ガッツ、負け惜しみ魂であったのでしょう。

若い頃、A.J.トインビーが多くの文明の凋落の原因を、
たった一言で喝破したことを思い出しました。

 「オールを漕ぐのをやめたから」

イチローが一日も欠かさず猛烈な特殊トレーニングを継続し、
昨年現場から離れても、これを継続してきたことは報道されていました。
でも、大リーグ野球は、他の花形スポーツに劣らず、
心も体も千分の一秒のタイミングを争う、まさに超名人芸の格闘技です。
トレーニングでは足りません。
体の現状を維持するだけでは足りないのです。
実戦を重ねることだけが、本当のトレーニングです。
木刀でいくら練習を重ねても、真剣勝負には何の役にも立たない。

実のところ、人間の日々の営みも同様の性質を持っています。
現役を退いた途端に、はっきりと老いが表れるのも、
この実戦から離れてしまうからです。
イチローがどんなに特殊トレーニングを行ない、
キャンプで選手たちと練習を積んでも、
超一流の好敵手たちとしのぎを削る実戦から遠のいてしまったら、
その日を重ねるにつれて、
かれは第一線時代のイチローでなくなって行ったことは明らかです。
一昨年のイチローでさえ、全盛時代のイチローの面影を失っていたのですから、
さらに、丸一年のブランクを重ねるうちに、
彼を本来のイチロー性を完全に失ってしまったに違いないのです。

彼もそのことはかなり濃厚に感じ取っていたことは間違いがありません。
オープン戦でも打席に立つごとに思い知らされていたことでしょう。
ですから、彼が引退を決意したのはかなり前だったけど、
期待するファンたちへの手前もあり、監督、オーナーと相談の上、
本番まで宣言を遅らせた、というのが真相でしょう。

ついでに推測を重ねますと、
彼の本心は、マリナーズの球場で、イチローファンたちの前で、
別れを告げたかったでしょうね。
でも、そうなれば、本戦開始後ただちに始まる決死の戦場に、
イチローが登場する余裕はなかったかもしれない。
チームが日本で大リーグの初戦を飾ることとなったからこそ、
彼は、本戦への出場が許され、華麗なフィナーレを飾ることができた!
これが真相ではないでしょうか?

これから、イチローはどんな風に生きていくのでしょうね?

でも、イチローからしっぺ返しを食いそうですね。
そんなことは余計なお世話だ!
それより、自分のことを心配したらどうだ?
まことに、ごもっとも。

分かっていることがあります。
何もしなければ、老の坂を真っ逆さま!
下り坂を、余計な抵抗をせずに、どんどん下りて行くのも人生。
徹底的に抵抗に抵抗を重ね、どこかで、パラシュートがプチンと切れて、
真っ逆さまに人生を終えるのも人生。
どちらかを選べと言われたら、
躊躇無く、後者を選びますね。




c0168172_17090823.jpg
c0168172_17092085.jpg
c0168172_17092724.jpg
c0168172_17093736.jpg
c0168172_17094447.jpg
c0168172_17095359.jpg
c0168172_17095939.jpg
c0168172_17100518.jpg
c0168172_17101260.jpg
c0168172_17101826.jpg
c0168172_17102577.jpg
c0168172_17103136.jpg
c0168172_17103637.jpg
c0168172_17104396.jpg
c0168172_17104866.jpg
c0168172_17105401.jpg
c0168172_17110031.jpg
c0168172_17110860.jpg
c0168172_17111417.jpg
c0168172_17112138.jpg
c0168172_17112714.jpg
c0168172_17113333.jpg
c0168172_17113886.jpg
c0168172_17114710.jpg
c0168172_17115383.jpg
c0168172_17115881.jpg
c0168172_17120553.jpg
c0168172_17121731.jpg
c0168172_17122357.jpg
c0168172_17123273.jpg
c0168172_17123811.jpg
c0168172_17124352.jpg
c0168172_17125358.jpg
c0168172_17130404.jpg
c0168172_17131269.jpg
c0168172_17132001.jpg
c0168172_17133305.jpg
c0168172_17133902.jpg
c0168172_17134558.jpg
c0168172_17135192.jpg
c0168172_17135709.jpg
c0168172_17180434.jpg
c0168172_17181335.jpg
c0168172_17181968.jpg
c0168172_17182544.jpg
c0168172_17183103.jpg
c0168172_17183765.jpg
c0168172_17184341.jpg
c0168172_17184993.jpg
c0168172_17190295.jpg
c0168172_17191082.jpg
c0168172_17191609.jpg
c0168172_17192286.jpg
c0168172_17192947.jpg
c0168172_17193549.jpg
c0168172_17194124.jpg
c0168172_17194718.jpg
c0168172_17195791.jpg
c0168172_17200417.jpg
c0168172_17201069.jpg
c0168172_17201746.jpg
c0168172_17203292.jpg
c0168172_17203996.jpg
c0168172_17204704.jpg
c0168172_17205585.jpg
c0168172_17210198.jpg
c0168172_17210813.jpg
c0168172_17211617.jpg




# by hologon158 | 2019-03-23 17:26 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

779.02 ホロゴン外傳257(2018年9月26日パンタッカー50㎜F2.3が奈良町の片隅ばかりに視線を)2 老後の人生


神様は、人間が退屈しないように、
あれこれと工夫を凝らしてくださるようです。

3月12日、東大寺二月堂のお水取りも済んで、
ほっと一息の翌13日、
ゆったりと奈良町でロボグラフィ三昧の後、
午後3時には歯科に受診するつもりでした。
左上奥歯の被せがポロッととれてしまったのです。
電気製品にも、かなり脆弱な部品が組み込んであって、
かなり短いサイクルで新製品にスイッチせざるを得ないように、
巧みに時限爆弾が仕組まれていますが、
こうすることで、製作コストを押さえて、
しかも、買い替えを促進するという二重効果。
歯にもそんなところがあるのではないかと思いたくなりますが、
こちらはそうではなくて、もともと有機体である体に、
無機物を補充しようとすること自体、無理があるようですね。

恐竜のように、一生陸続と歯が生えてくるようにしていただければ、
そんなに苦労しないで良かったのですが、
こうなると、歯医者さんが仕事を失いますし、
第一、天女のような奥様がティラノザウルス顔になってしまい、
ちょっと怖いですね。
仕方がありません。
歯医者さんとは仲良くすることにいたしましょう。

4歳の孫プリンセスとは先週末会ったばかり、
金曜日にはピアノレッスンの付き添いをしなければなりません。
この調子で、孫が結婚するまで世話をしたいものですが、
独立心旺盛で、すでに2歳年上の兄に対して、
年長者風に支配的に振る舞うプリンセスです。
かわいがって楽しむのも、後しばらくでしょう。
そう考えて、いそいそと大阪に向かっています。

駅に向かうタクシーの中で、運転手さんと話しました。
孫の世話を急にすることになったと話しますと、
羨ましそうに、
「いいですねえ。
娘の子なので、外孫で、そのうえ、婿の両親と同居しているので、
なかなか孫に会いに行くこともできませんよ。」
「息子の方は33歳なんですが、13も年上と結婚したんで、
嫁の方が出産をいやがりまして....」
本当にかわいそうです。

でも、そう考えるのが私だからで、
人によれば、
「それがどうした?
自分の人生を楽しめたら、それがいいじゃないの?」
とおっしゃることでしょう。

それでよいのです。
自分の置かれたシチュエーションに常にしっかり肯定的に適応する、
それが人間の生きる知恵というものでしょう。

孫プリンセスは、なにか聞いたことのないウィルス風邪だったようで、
まだ7度6分の熱がありましたが、至って元気。
前回会ってから3日しか経っていませんが、
ますます美しくなっているようで、
ご機嫌に過ごすことができました。

今回のホロゴン外傅シリーズの主役はパンタッカー50㎜F2.3。
何度も書いていますが、私にとっては、
写真人生に出会った№2のレンズ。
得も言われぬほどに独特の深みのある描写をプレゼントしてくれます。

写真に作品性を求めず、
ただ、自分の記憶を呼び起こしてくれる写真を求める私としては、
誰もがそうだと思うのですが、赤裸々な現実など、もうゴメンです。
記憶は常に美しいもの、懐かしいものであって欲しいですね。

パンタッカー50㎜F2.3はそんな私にいつも応えてくれます。
このレンズがあれば、ホロゴン以外何も要らない、
そんな気持ちになることがよくあります。
それほどに、パンタッカー50㎜F2.3は夢レンズなのです。





c0168172_22462361.jpg
c0168172_22463189.jpg
c0168172_22463659.jpg
c0168172_22464137.jpg
c0168172_22464753.jpg
c0168172_22471590.jpg
c0168172_22474586.jpg
c0168172_22475097.jpg
c0168172_22480552.jpg
c0168172_22481062.jpg
c0168172_22481611.jpg
c0168172_22482188.jpg
c0168172_22482714.jpg
c0168172_22483385.jpg
c0168172_22483801.jpg
c0168172_22484351.jpg
c0168172_22484845.jpg
c0168172_22485310.jpg
c0168172_22485890.jpg
c0168172_22490838.jpg
c0168172_22491505.jpg
c0168172_22493024.jpg
c0168172_22493737.jpg
c0168172_22494443.jpg
c0168172_22495009.jpg
c0168172_22495603.jpg
c0168172_22500190.jpg
c0168172_22501979.jpg
c0168172_22502898.jpg
c0168172_22503454.jpg
c0168172_22505365.jpg
c0168172_22505989.jpg
c0168172_22510793.jpg
c0168172_22511652.jpg
c0168172_22512724.jpg
c0168172_22513348.jpg
c0168172_22513958.jpg
c0168172_22514444.jpg
c0168172_22515046.jpg
c0168172_22515772.jpg
c0168172_22520656.jpg
c0168172_22521322.jpg
c0168172_22521998.jpg
c0168172_22522578.jpg
c0168172_22523106.jpg
c0168172_22523734.jpg
c0168172_22525179.jpg
c0168172_22525808.jpg
c0168172_22530442.jpg
c0168172_22531662.jpg
c0168172_22532604.jpg
c0168172_22533319.jpg
c0168172_22533966.jpg
c0168172_22534519.jpg
c0168172_22535164.jpg
c0168172_22535732.jpg
c0168172_22540403.jpg
c0168172_22541287.jpg
c0168172_22542063.jpg
c0168172_22542661.jpg
c0168172_22543273.jpg
c0168172_22544628.jpg
c0168172_22545454.jpg
c0168172_22550509.jpg
c0168172_22551206.jpg
c0168172_22551977.jpg
c0168172_22552789.jpg
c0168172_22553440.jpg
c0168172_22554029.jpg
c0168172_22555189.jpg
c0168172_22555748.jpg
c0168172_22560706.jpg
c0168172_22561408.jpg
c0168172_22562004.jpg
c0168172_22562877.jpg
c0168172_22564146.jpg
c0168172_22564869.jpg
c0168172_22565583.jpg
c0168172_22570170.jpg
c0168172_22570832.jpg
c0168172_22572425.jpg
c0168172_22573130.jpg
c0168172_22573809.jpg
c0168172_22575152.jpg






# by hologon158 | 2019-03-19 23:01 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

779.01 ホロゴン外傳257(2018年9月26日パンタッカー50㎜F2.3が奈良町の片隅ばかりに視線を)1 ホロ一路




パンタッカー50㎜F2.3の記事にホロゴンを主題にする。
ちょっと変化もしれませんが、私にとっては、至極自然。
写真と文章はけっして連動していません。
写真は感性のトレーニング、
文章は頭のトレーニング、
その経過を日記である本ブログに記録していく。
ただそれだけなのですから。
写真に合わせて記事を書こうとすると、
自分の頭の働きにブレーキをかけることになりかねません。
写真も文章も自由に選択して掲載していきたい、というわけです。

そこで、ホロゴンの話題に移りましょう。
このところ、ホロゴン一路に回帰しています。
昔作った私家版写真集を数冊開いてみたのです。
いかにホロゴンの描写力がすごいかを思い知らされ、
私がどんなに我が友ホロゴンに冷たくなっていたか、
思い知らされました。

結局、私がさまざまなレンズたちの描写の変化を楽しむ方向に行ったのは、
アラビアンナイトの「瓶の中の老婆」状態に陥ってしまったからでしょう。
人間には、彼女のように、
現状に飽き足りなくなるという感覚が備わっているものです。
人類がアフリカのふるさとから次第に世界中に拡散していったのも、
飢餓や逃走もあったでしょうけど、
故郷にどうも飽きてしまって、
新しい環境に冒険してみたい感覚に押されたかもしれません。
自分だけを変えるのはとても難しいですね。
だから、環境を変えることで、自分の可能性を拡大したい、
そんな欲求が生命を、人類を進化させてきたのかもしれません。

でも、「瓶の中の老婆」には後日談があった、そう私は思います。
古巣の狭苦しい小瓶の中に戻されてしまった老婆、
最初は、ああ、あの大王国で満足しておけば良かったという悔恨と、
よくも私の願いを無視して、こんなせまっくるしい瓶に戻しおったな、
という呪詛に責めさいなまれたことでしょう。
でも、しばらく日が経つと、はっと思い返したかもしれません。

「いや、これで良かったんだ。
広い家はなにかと苦労が耐えなかった。
家族だ、召使いだ、王国だ、裏切り者だと、
荷厄介ばっかりだった。
ここが良い!
やっぱり、埴生の宿じゃわ!」

私とホロゴンの関係もそれに似ています。
キノプラズマートもパンタッカーもマクロスイターも
ビオゴンもスーパーアンギュロンもみんなすばらしい描写力、味わいです。
でも、どんなレンズも結局はホロゴンにはかなわないのです。
私の心に常にぴたりとかなう、という幸福感、安心感、共感は、
とにかく独特なのですから。

でも、今回続けて3回ほど使って悟りました。

かつてのように、しっかり接近できていない!
ホロゴンはまだ私に心を開いてくれていない!
怒っているのでしょう。

現代思想には究極の唯心論が回帰している傾向もあるようです。
私がいるから、宇宙はある!
エハン・デラヴィという思索者が居ます。
若い頃世界漂流の旅に出て、日本に流れ着いて、
以来40年間、日本に住み続けてきた人です。
沢山本も出版する傍ら、啓蒙活動として、
エハン塾という、YouTube経由のネット配信もある塾をやっています。

ときおり思い込み、早とちりもあるようですが、
とにかく生き生きとした発想、エネルギーに満ちた人で、
さまざまな話題を活き活きと提供してくれます。
そのプレゼンがとても面白く、刺激的なのです。
私の知らない分野に関する情報がいっぱい詰まっています。

宇宙論の講座では、
参加者にこんな難問をしかけます。
うろおぼえですが、こんな感じ。
「宇宙の果ての果ての星の上で、
落雷に打たれて、大木が大地に倒れます。
そのとき、音はするでしょうか?」
エハンさんの用意した正解は、
「答えは、音はしない。
誰も聞くものがいないから」
このことから、
宇宙を作っているのは私なのだという結論につながっていくようです。

彼は物理学と存在論とを混同している、
私にはそう思えます。
確かに音はしません。
その場に聴覚を持つ存在がいない限り、
音などその場所にははじめから存在しない。
でも、その大木に打たれた大地は巨大な振動にふるえ、
衝撃が大地に巨大な影響、変化を与えるでしょう。
同じ宇宙の出来事なのですから、正しくそう推測できます。
こうして、その場所は変化します。
人間並の聴覚を備えた存在がいないだけの話です。
これだけのことで、私がその宇宙の隅を創造し、
私が宇宙を存在させているという見解に繋げるのは無理。

むしろ、A.N.ホワイトヘッドの形而上学の方が分かりやすいですね。
今、ここ、この場に居る、
そうした主客の関係が現実的契機Actual occasionです。
このActual occasionが宇宙を織りなす基本的存在。
このActual occasionは社会を作って、
原子、分子になり、ものとなり、人となります。
人間はきわめて限られた方法でこの宇宙を把握します。
太陽の宇宙を認識し把握する能力は、
人間よりはるかに広大無辺です。
きわめて限定された把握力しか持たない人間を基本にして、
存在論を構成するのは無理ではないでしょうか?

でも、そんなアイデア溢れる議論をするエハンさん、
とても生き生きとして魅力的です。

この日は正午前のバスで近鉄奈良駅に出て、
行きつけの喫茶店でシチューランチをいただき、
奈良町に向かってアーケード街を撮影しつつ南下しました。
いつもの道です。

後で喫茶店でチェックしてみました。
ああ、ホロゴンウルトラワイドに感度400のネガフィルムを入れて、
ノーファインダー、腰だめで撮っていた時代と比較すると、
私の腕は格段に落ちてしまいました。
人物に3,40センチまで肉薄して撮っていたのに、
今ではせいぜい5,60センチでしかない!
この2、30㎝の差がえらい違いを生み出します。

スナップ的なシチュエーションもキャッチできません。
かつては人々のなんらかの動作の頂点でスナップしていたのに、
今ではせいぜい、行きずり、通りすぎの刹那の記録にすぎない。
またホロゴン撮影のトレーニングを始めなければなりません。





c0168172_13533136.jpg
c0168172_13534146.jpg
c0168172_13540133.jpg
c0168172_13540885.jpg
c0168172_13541460.jpg
c0168172_13541972.jpg
c0168172_13542505.jpg
c0168172_13543323.jpg
c0168172_13543964.jpg
c0168172_13545020.jpg
c0168172_13545634.jpg
c0168172_13550296.jpg
c0168172_13572371.jpg
c0168172_13572921.jpg
c0168172_13573612.jpg
c0168172_13580262.jpg
c0168172_13580989.jpg
c0168172_13581601.jpg
c0168172_13585678.jpg
c0168172_14003210.jpg
c0168172_14003889.jpg
c0168172_14004964.jpg
c0168172_14022084.jpg
c0168172_14022763.jpg
c0168172_14090746.jpg
c0168172_14091789.jpg
c0168172_14092500.jpg
c0168172_14105828.jpg
c0168172_14111311.jpg
c0168172_14112059.jpg
c0168172_14112766.jpg
c0168172_14113418.jpg
c0168172_14114051.jpg
c0168172_14114790.jpg
c0168172_14115465.jpg
c0168172_14120166.jpg
c0168172_14120852.jpg
c0168172_14121733.jpg
c0168172_14134088.jpg
c0168172_14134857.jpg
c0168172_14135561.jpg
c0168172_14140214.jpg
c0168172_14141227.jpg
c0168172_14142034.jpg
c0168172_14142703.jpg
c0168172_14143552.jpg
c0168172_14144231.jpg
c0168172_14145751.jpg
c0168172_14150634.jpg
c0168172_14151425.jpg
c0168172_14152188.jpg
c0168172_14153180.jpg
c0168172_14153838.jpg
c0168172_14154777.jpg
c0168172_14155478.jpg
c0168172_14161619.jpg
c0168172_14165171.jpg
c0168172_14170030.jpg
c0168172_14170963.jpg
c0168172_14174340.jpg
c0168172_14180874.jpg
c0168172_14182073.jpg
c0168172_14183105.jpg
c0168172_14184300.jpg
c0168172_14185132.jpg
c0168172_14185942.jpg
c0168172_14191396.jpg
c0168172_14192566.jpg
c0168172_14193239.jpg
c0168172_14194366.jpg
c0168172_14195282.jpg
c0168172_14200076.jpg
c0168172_14201040.jpg
c0168172_14201955.jpg
c0168172_14203035.jpg
c0168172_14204082.jpg
c0168172_14205605.jpg
c0168172_14210451.jpg
c0168172_14211453.jpg
c0168172_14212212.jpg
c0168172_14213038.jpg
c0168172_14213778.jpg
c0168172_14214768.jpg
c0168172_14215601.jpg
c0168172_14220411.jpg
c0168172_14221632.jpg
c0168172_14222397.jpg
c0168172_14223380.jpg
c0168172_14235375.jpg
c0168172_14240249.jpg
c0168172_14241037.jpg
c0168172_14241961.jpg





# by hologon158 | 2019-03-17 14:35 | ホロゴン外傳 | Comments(0)