わが友ホロゴン・わが夢タンバール

727.01 ホロゴン外傅229「2018年2月13日エルマジ95㎜f2.4が奈良町を過ぎて」1 21世紀のトロイ


前にも書きましたが、
いくら考えてもよく分からないことがあります。
トルコのギョベクリ・テペ遺跡のことです。
1万年以上前の神域らしい遺跡群が発見されました。
YouTubeで検索されると、沢山の紹介ビデオが見つかります。
シュメール、アッカドが人類の文明の始まりだと、
歴史学は断定して、その事実を基礎に、人類の歴史を考えてきました。
私たちもそう習いました。
じゃ、ギョベクリ・テペはなんなのだ?

歴史学者たちは、その傍らで、シュメール、アッカド、エジプトの
突然の文明の開花を準備する先行プロセスが見つからないことに、
居心地の悪さを感じてきました。
楔形文字やヒエログリフには、
そのような文字体系への進化プロセスの痕跡がまったく見つからないのです。
近ごろ、シュメール、エジプトでも、文字の前段階のような記号が見つかり、
楔形文字やヒエログリフはその地その地で創造されたのだと、
学者たちは唱え始めているようです。
でも、そうした記号と楔形文字やヒエログリフとの間の進化プロセスとなると、
一切そんな形跡がみつかっていないのに、どうしてそう言えますか?
坊やにお正月のお年玉を500円上げます。
半年ほどして、坊やの机の引き出しに5千円札が見つかります。
坊や、「引き出しに大事に仕舞っておいたら、増えたの」
誰が信じますか?

シュメール、アッカド、エジプトの巨大建造物についても、
それに先行する準備段階となるような同種の遺跡が見つからない。
エジプトの大ピラミッドに先行するとされるピラミッドは、
似ても似つかぬ稚拙な作りです。

だから、文明は突如いきなり成立したかのようにして、
進化プロセスの解明は一切省いたまま、
歴史学は築かれてきました。
そうした文明に先行する文明の存在を示唆するような遺跡は無視され、
あるいは、単なる単発的なローカルのデータとされてきたようです。

でも、ギョベクリ・テペ遺跡は歴史学の常識を完全に覆してしまいました。
まだ全貌は判明しておらず、1万年前の前後にわたって作られたこと以外には、
誰が、なんのために、どのように制作したか、判明していません。
でも、どう見ても、宗教的に、あるいは政治的に重要な意味があったこと、
制作するためには、かなり高度な思考力、知識、企画力、実行力のある組織が
必要だったことは間違いがありません。

不思議です。
シュメールの都市文明は紀元前3500年頃に始まったとされます。
ギョベクリ・テペはそれよりも約7000年もさかのぼるのです。
まだ文字は発見されていないようです。
でも、文字がないのに、神域を建設できたのです。
南米アンデスのインカやその先行文明はどうやら文字を持たなかったようです。
でも、人類の驚異のと言うべき偉大な都市、建造物を生み出すことができました。
つまり、文字がなくても、もしくは、ないからこそ、
思考力も記憶力も、文字文明の人間には考えられないほどに、
深遠かつ広大なものとなっていたと考えられます。
つまり、文字がないことは欠如ではなく、単に不要だった。
人間は記憶と思考によってすべてを把握し、管理し、計画し、実現した。

でも、そのように考えても、ハイ、それで納得しました、
ということはとてもできませんね。
ギョベクリ・テペにしても、重さ何トンという巨大な板状の柱を建て、
周囲に石壁を巡らしています。
そんな石は、近くに発見された石切場で切り出され、
現場に運ばれたのです。
知的なデザイン設計に基づいて、石は加工され、配列されたのです。
たったひとりの人間にできるわけがありませんから、
ある集団がたがいに分担しあって実行したのです。
文字が無くても、言葉で意志を統一しない限り、工事は不可能。
言葉によるコミュニケーションがあり、
一定のデザインに基づく一致協力した工事施工がなされたのです。
安定した食料、工具等の資材を供給するルートもあったのです。
すでに、社会があり、このような巨大なプロジェクトを実現するための、
組織と言葉と道具があった、としか言いようがありません。
なんのためにこのようなモニュメンタルな建造物を造ったのでしょう。
日々の生きるためのものではありません。
宗教もあり、思弁もあった!
これら全体がすでに一種の文明、文化の成熟を証明しています。

ということは、私たちが教えられてきた文明の発祥学説は、
まるででたらめ、無根拠の憶説に過ぎなかったのです。
人類の歴史は、私たちが知っているよりもはるかに淵源を遡り、
未知の豊かな歴史を秘めているのです。
遺跡がないじゃないか?
地上にある限り、実のところ、時間の経過とともに、
文明の所産はすべて消滅してしまいます。
金属も含めて、いかなるものも時間に対抗することはできません。
発見された遺跡、遺物は、いわば奇跡的なほどの幸運な条件のおかげ。
でも、そんな幸運のおかげで、
至るところに未知の遺跡が見つかりつつあります。
歴史学者たちは必死に抵抗し、無視しようとしています。
史学における既成のエスタブリッシュメントの足もとが崩れつつあり、
史学の基礎となる思考体系そのものが無意味になりつつあります。

かつて「イリアッド」は完全な架空の伝説、そう信じられていました。
ハインリヒ・シュリーマンは、実在の記録と確信して、
トロイの遺跡を発見、発掘しました。
ギョベクリ・テペは21世紀のトロイなのです。



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# by hologon158 | 2018-06-24 12:06 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

726.06 ホロゴン外傅228「2018年2月2日スピードパンクロ35㎜F2が平野に出没」6 時代遅れ


6月21日木曜日、
写真家吉田正さんの写真教室でした。
時代はどんどんと変わりつつある!
こう感じさせられることが余りにも多い、この頃ですが、
今回の教室で、
写真世界も、そうした時代の潮流が怒濤のように押し寄せ、
写真という独特の表現手段が大きく変わろうとしている、
そんな実感を強く抱かされました。

昔から、議論がありました。
写真は記録なのか、それとも表現芸術なのか?
私も、気がついてみたら、写真を趣味としてから、
40年を軽く超えてしまいました。
私は終始、写真は記録であり、ドキュメンタリーである、
そう考えてきました。

誰かに写真芸術として表現したい、という気持ちは、
最初からありませんでした。
私の体験のビジュアルな倉庫、そう考えてきました。
だから、たとえば、モノクローム専科が12、3年続き、
終始自分で現像引き伸ばしを楽しんできたのですが、
フィルムはあっさりと現像し、
伸ばしも、覆い焼きや焼き込みなどのテクニックは使わず、
あっさりと焼き付けるだけに止める主義を通しました。
自分が体験したイメージを写真化するとき、
なにも除かず、なにも付け加えない主義でした。

現在、デジタルカメラで撮影していますが、
昔ながらの露出補正だけ使って、開放オンリーで撮影。
そのファイルをプリントするときも、
画像処理ソフトはただ一つレベル補正を使い、
濃度を私好みに揃えることしかしません。
もちろんトリミングなど、一切いたしません。
私のように、ブログ倉庫にお好みの写真を貯めるだけ、
という人間には、自分の記録写真をことさら美化したり、
アートにしたりするのは、自分の記憶を歪めるに等しいからです。

もっとも、私の写真もかなり幻想的です。
これは、私が撮影現場で露出補正を自動的に変え、
オールドレンズたちの独特かつ個性的な開放描写と相まって、
私好みのロボグラフィ描写にしているからです。
40数年間たゆまず写真を撮ってきたのですから、
それ位のことはお茶の子さいさい、というところです。
だから、私の写真たちのイメージは私の意図通りなのです。

吉田先生の写真教室でも、一種の二分化が進みつつあります。
撮ったまま、もしくはそれに近い状態で撮っている人、
次々と手の込んだ処理技術を習得して、
オリジナルの写真とはまったく異なる写真世界を展開する人。

吉田先生は元来モノクローム写真の芸術家ですから、
写真教室での講義もアドバイスも、
本来の写真表現の範囲から超えることはありませんでした。
でも、近ごろは、Photoshop等のソフトの使用により、
写真を自由自在に画像処理して作品を創造する方向に、
気がついてみると、かなり重点が移動きたようです。
写真はRAWで撮り、画像処理ソフトで思いのままに現像し、
さらにさまざまに加工することで、独自の世界を創り出しなさい、
そんなスタンス。

変化の典型的な一例はトリミング。
以前は、トリミングをしてみても、
それは、撮影者の意図をそのままでは表現できていない、
ということの実証のためで、
もっともっと頭と心を使って、画面全体で一つとなるよう、
心がけましょう、という指導の方法でした。
今は、自分の意図を明確化する方法として、
余分なものは切り捨てましょうというニュワンス。
デジタルカメラの解像度が超絶的に高まっているため、
画像をどれだけトリミングして、切り詰めても、
画像劣化がないせいでしょうか?

オリジナルの写真画像に手を加えて、別物にする、
それはモノクロームの時代から行われてきたことで、
けっして邪道でも逸脱でもありません。
ですから、上記のようなトリミングはまだ許容できます。
でも、いやしくも「写真表現」である限り、
限度があります。
でも、画像処理によってまったく別物に変えてしまうのは、
写真を素材とする、別種のアートではないか、
私はそう疑っています。
というより、そう確信しています。
そのせいでしょうか?
私は、画像処理ソフトを駆使して作られた写真作品には、
まったく心が動かされないのです。

かなり困惑しています。
どうやら、私は時代遅れ、時代に取り残されつつあるようです。



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# by hologon158 | 2018-06-22 23:35 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

726.05 ホロゴン外傅228「2018年2月2日スピードパンクロ35㎜F2が平野に出没」5 借金財政


現在、私のマックのハードディスクに入っている写真ファイル2171個の中、
まだブログに掲載していないものは60でした。

つまり、毎日1ファイルを全部ブログに掲載しても、
現在、私の2つのブログ「わが友ホロゴン」「レンズ千夜一夜」には、
隔日ごとに各1掲載、つまり2つのブログで1ファイルずつ掲載中ですから、
少なくとも2ヶ月はかかる計算。

でも、内15個以上は300枚程度以上の写真が入っています。
これらは少なくとも3回分の記事に搭載することになりそう。
つまり、15×2=30回分が加算されますから、
60のファイルを消化するためには3ヶ月程度はかかりそうです。

その3ヶ月の間に、毎週少なくとも2つ、つまり60個のファイルが加わる。
ということは、3ヶ月経って、本日未消化分を全部消化しても、
結局同数のファイルがハードディスクに残されていることになります。
つまり、どこまでも60ファイル、3ヶ月分ほどの滞貨を抱えて、
営々と借金財政を続けるのが私の運命、ということになりそうです。

こうしてはおられませんね。
この記事、今日中にアップしましょう。




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# by hologon158 | 2018-06-20 23:35 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

726.04 ホロゴン外傅228「2018年2月2日スピードパンクロ35㎜F2が平野に出没」4 ギコチナイ


6月16日土曜日、
月1回の劉継紅先生の二胡レッスン日でした。
二胡をお聞きになった方は多いでしょう。
でも、ヴァイオリンのような西洋の弦楽器の弦が4、5本から、
さらに多いものまであるのに、
二胡はたった2本、これなら簡単だろう、と、お思いでしょう。
弦が多くなればなるほど、指の移動距離は短くなります。
二胡はたった2本しかないので、
指がそれだけ長い距離飛ばなければならない。
フレットもないので、正しい位置に指を着地させるのも至難。

世界で一番難しい楽器、そう言う音楽家も居ます。
それなのに、なんでそんな難しい楽器を習い始めた?
すべての事の原因と一緒です。
縁、です。

20年ほども前からでしょうか?
中国音楽に魅せられるようになりました。
旅行と映画が縁でした。
十数年前に、閔恵芬さんという偉大な二胡奏者を知りました。
聴けば聴くほどに、二胡に魅せられました。
私はどんどん何かに魅せられる人間などで、
その頃、一足先に別の中国楽器揚琴を習いはじめていました。
揚琴は独奏もしますが、二胡の伴奏楽器として最適です。
だから、最初から、付虹先生に揚琴を習いつつ、
二胡演奏家の陳少林先生に二胡曲の揚琴伴奏を習い始めていました。

私より先に二胡を始めた妻がまさに奇跡的な縁で、
旅先の青森で劉継紅先生を知り、弟子入りしました。
劉継紅先生は上記の閔さんに優るとも劣らない大演奏家です。
でも、これも縁だと思いますが、
四半世紀前に、北京電影交響楽団のコンサートマスターの地位を捨てて、
日本に移住され、東京音大で作曲を学んだ後、
日本人に二胡を教えるパイオニアになられたのです。

7、8年前に北京中央音楽院ホールで開催されたリサイタルを拝見。
会場は満員。
テレビ局も来て、テレビで放映されました。
堂々たる演奏でした。
劉継紅先生の特質は、音楽理解の深さ、曲の理解の深さと、
その理解を演奏の隅々まで活かす表現力、音色の多彩さ、
二胡演奏技術の高さにあります。

日本で巷に名を知られた演奏家たちは、たった一本、
もしくは限られた数の自慢の音色、演奏法だけです。
どんな曲も同じ演奏法一本で通します。
美しい、だけど、退屈です。
左手の動きに注目してみてください。
指を別々に大きく開いて、弦を一本の指で押さえる、
そんな奏法の演奏家がほとんどですが、これは拙い奏法。
日本で一番有名な女性二胡奏者など、素人同然です。
正しい教育を受けていないのです。

日本在住の二胡演奏家たちのCDはたくさん出ていますが、
すべて自家製か無名の小メーカーの製品です。
CBSソニーが作った二胡CDは劉継紅先生の2枚だけ。
でも、先生が選ばれた生涯の使命は、日本に二胡を普及させること。
ですから、二胡教授に徹しておられます。

4年ほど前でしたが、劉継紅先生、
妻がわざわざ大阪から習いに来ているのを気の毒に思い、
大阪にも足を伸ばして、二胡教室を開かれました。
その縁で、私も二胡を習いはじめたというわけです。

ただし、これは少なくとも2つの点で選択ミスでした。

① 二胡という楽器、余りにも難しすぎ!
たいていの二胡の先生は、
美しい音を出すのに必要最小限の技術を教えて、
あとはどんどん曲を弾いて楽しむ、という教授法です。

二胡の技法を現代的に作り上げた大家張鋭ですが、
劉継虹先生は、この張鋭先生のたった一人の弟子で、
中国音楽界の至高の演奏家劉明源先生の愛弟子でもあります。
いわば、二胡の最良の伝統の継承者として、
お二人から最高の技法を吸収し、ご自分でも開発して、
本来の二胡技法をしっかりと日本に定着させたい、
これが先生の志です。

一歩一歩、基本から積み上げることが唯一の二胡習得技術、
そうお考えですから、
初歩から一歩一歩着実に習得させるのが教授法の基本。
基本をおろそかにすると、どこかで確実に挫折する、
そう知っておられるからです。
私も3年目に入っていますが、まだ曲に入っていない!

② 二胡は小手先の技術で弾くものでない。
全身を、適切なやり方でコントロールし、駆使しないと、
本当の音は鳴りません!
私は、一生、いかなるスポーツもせず、旅行と写真と音楽を趣味として、
家に居るときは、書斎の机の前に姿勢を正して座り、読書し、仕事し、
という生活をのべつまくなしに続けてきた人間です。
そのための動きしたことがないので、でくの坊のようなものです。
でも、その事情はスポーツマンや他の楽器演奏家でも同様です。
二胡にふさわしい体の使い方は全然別のものなので、
どんな人も最初から学び直さなければならないのです。
とくにフラダンスのような腰つきまで求められるのですから、
まあ、オールドファッションの本の虫にはとんでもない課題。

ただし、数年前ですが、一つだけ、
二胡学習にかなりアドバンテージとなる動きを学びました。
アレクサンダーテクニック。
音楽家、舞踊家、俳優たちの動作の基本的テクニックです。
本も何冊も出ています。
Youtubeでも学ぶことができます。
あなたが何をしている人でも、これは絶対に役に立ちます。
そのもっとも基本的なテクニックは、モンキー。
どんな体勢からでも、流れるような動きで、次の体勢に移るためのテクニックです。
たとえば、財布が小銭がこぼれ落ち、くるくる回りながら溝に向かって行く。
モンキーテクニックを使うと、すっと体を沈めて、
さっとコインをすくいとり、すっと体勢を元に戻せます。
水銀のような動きです。
これができるようになると、体を動かすことで疲労するということがなくなります。

でも、アレクサンダーテクニックのことは劉継紅先生には一言も言っていません。
「それにしては、ギコチナイ動きはなんなの?」と言われそうで。




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# by hologon158 | 2018-06-18 21:34 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

726.03 ホロゴン外傅228「2018年2月2日スピードパンクロ35㎜F2が平野に出没」3 第二の人生を


少し前のことになりますが、6月4日月曜日、
陳少林先生の揚琴伴奏レッスン日でした。
いつもの曲を果てしなく繰り返しているのですが、
次第になんとか様になってきた感じがします。
二胡の主奏を揚琴が伴奏するのですが、
伴奏者にとってうれしいことに、
中国音楽の場合、2つの楽器が一緒になることで、音楽になる、
そんな作りになっています。
日本の歌謡曲のように、
伴奏が「ブンチャッチャ」とリズムを合わせるだけ、
というのとは大違い。
そんな曲もないわけではありませんが、
私が自分で課題曲を選ばせてもらえるので、
まともにがっぷり四つに組む曲を選んでいます。
段々と音楽らしくなっていくのがうれしいですね。

ところが、陳少林先生のレッスンの楽しみは、
実は別のところにもあります。
一曲が終わるごとに、二人で夢中に話し込んでしまうのです。
さまざまな話題を話しますが、
今日一番面白かった話題は、二胡の学習の問題。
陳少林先生にもかなりの数のピアニストが習いに来ています。
ところが、ピアニストが二胡を習得できる方の比率は、
これまで楽器を習ったことのない人より低いのだそうです。

二胡は他のあらゆる楽器と違います。
もっとも、実のところ、どんな楽器もそうなのでしょうけど、
二胡は、二胡自体の修得が特別に難しいのです。
たった2本の弦が縦に重なっていて、
間に挿入した弓を押し引きして音を出すのですが、
押し弓と引き弓とでぜんぜん奏法が違う。
2本の弦、内弦と外弦でも違う。
さらに、フレットまでない。
ピアノとはまったく異なるコンセプトの楽器。
ヴァイオリンとは似ているように見えますが、
似ているのはほんの一部で、
ヴァイオリンの奏法は二胡には役立ちません。

プロの音楽家たちは徹底的に心身を一つの楽器に特化しているので、
すでに身につけた技術が二胡演奏の邪魔になります。
プロには、二胡習得のために、自分の修得した技術を捨てて、
初心者となって、一から二胡を学び直さなければならない。
でも、これが大変に難しいのだそうです。
だから、たいていの方は途中で挫折するのだそうです。

この話から発展した方向は、当然のことかも知れませんが、
過去を振り捨て、新しい方法を修得するという点で、
退職老人の生き方と重なるという話しに移行しました。
退職男性は、長年、階級社会での勤めを続けたせいで、
どんな人も自分より社会的地位が上か下かを、
とっさに見積もる癖がついてしまっています。
でも、退職者同士にそんな階級差など消えてしまっています。
でも、そこをなんとか、資力、年齢、過去の地位等、
いわば名残の振る舞い等を見積もって、
自分より上か下かを見極めて行動しようとします。
現実には、退職者間にはそんな階級差など無意味、
ということをなんとか無視したい。
無意味なのに、まるで階級差があるかのように振る舞わないと、
気持ちが落ち着かないのです。

そのギャップがあるために、
正常で健全な人間関係を築き直すことが困難な方もいます。
以前に書きましたが、
そのせいで、不機嫌となり、自分の殻に閉じこもろうとし、
見知らぬ人間と温かい挨拶など交わすことができません。
退職後の第二の人生に備えて、
もう一度、新しいことを学び直すエネルギーもないので、
テレビ漬け、新聞漬け、家事一切あなた任せ、
食っちゃ寝、食っちゃ寝の人生に堕してしまい、
どんどん老いさらばえていく老後、
という羽目に陥りかねません。

有職時代の名残にしがみつきたい人か、
第二の人生をポジティブに生きようとする人か、
目を見たら、分かります。
あなたも、鏡を見る度に、まず、眼差しをチェックしましょう。
好奇心にきらきらと輝く眼差しをしていますか?




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# by hologon158 | 2018-06-14 21:38 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

726.02 ホロゴン外傅228「2018年2月2日スピードパンクロ35㎜F2が平野に出没」2 果てしない道


若い女性ピアニストの演奏をYoutubeで観ました。
ロシア生まれ、ドイツで活躍する美しい女性です。
実に愛らしく、はつらつとして、演奏も超絶テクニックで、
絢爛たる輝きに満ちています。
でも、聴いているうちに、なんだか物足りなくなってきました。
なにが足りないんだろうなあ?よく分かりません。

そこで、マルタ・アルゲリチを思い出し、
かなり年輩になってからの演奏に切り替えてみました。
ショパン・コンクールで優勝した当時の初々しい乙女の姿は今いずこ?
でも、演奏ははるかな高みに昇っていました。
もうしわけない。なにもかもがけた外れに違いました。
どんな超絶技巧のピアニストでも、
たとえば、辻井邦明君にしても、彼女には遠く及びません。

超絶技巧派の若者たちはその技巧をギラギラと輝かせて演奏します。
マルタ・アルゲリチは超絶技巧のすべてが表現の土台に溶け込んで、
若者たちも真っ青になる自然なタッチで、
一音一音と誰も知らぬ物語を今生み出してくれる感じがします。
若い超絶技巧のピアニストたちもなにかを物語ってくれます。
でも、その端々から、自慢の鎧がちらちらかいま見えてきます、
「私って巧いでしょ?どう?私みたいに巧い人、いないでしょ?」
マルタ・アルゲリチは最初から違いました。
テクニックよりも、音楽がまず聞こえてきました。
指の先から、今この瞬間、
これまでに聴いたことがない音楽が生まれてきました。
作曲家の作曲譜は音符記号が並んでいるだけ。
その譜面から、誰も聴いたことがない美しい音楽、
奇跡のような響きを聴かせてくれる、それが名演奏家の真骨頂です。

ディレンマがあるようです。
美しい音楽を創造するためには、
超絶テクニックを磨き上げる必要があります。
でも、テクニックを磨けば磨くほど、巧さだけが目立って、
音楽がその陰に隠れていく、そんな演奏家がたくさんいます。
一世代に何人か、そんな割合でしか、
本物の芸術家は生まれないのですから、
「神頼み」でもするほかはないかもしれませんが。

ついでに書きますが、
辻井邦明君については、猛烈に心配しています。
あまりにもコマーシャリズムの波頭に押し上げられすぎています。
彼はもっと本物の演奏、真の芸術に向かって、
心と体を集中しなければならない時期にいるのです。
コンサートのようなパフォーマンスの機会を激減し、
テレビなんかには出ず(私はテレビがないので、想像ですが、
きっと引っ張りだこでしょう)、
自作の創作なんかもっと後にすべきなのです。

彼の創作をコンサートでも聴きましたが、
ただのムードミュージックに少し芸術味が加わった程度です。
本物の芸術ではありません。
その証拠に誰か、彼の創作曲をコンサートに使ったり、
録音したりしていますか?
単なる印象音楽なのです。
骨格がなく、本当の意味で聴く人の心を揺さぶる訴え、
主張、内容がありません。

たとえば、彼の自作の演奏を聴いた後で、
サティでも聴いてご覧なさい。
一音一音から浮かび上がってくる響きの深さ、
音楽全体が私の心を揺さぶる重さが段違いに違います。

もちろん、辻井君は心の衝動に突き上げられるようにして、
霊感に導かれて作曲しているのでしょう。
でも、それが正真正銘の芸術作品か、と問い直してみると、
ハイブローなフュージョン以上のものではない、と感じます。
心に直接突き刺さって来る天才の霊感が感じられません。

本当に超一流の芸術家に大成したければ、
演奏家として生きるのか、作曲家に転身するのか、
選択すべきです。
魂の導きに従って、一つを選んで、
狭く孤独な道を高みに向かってよじ登っていくべきです。
そうでないと、若き日の鮮烈な輝きの彼方、円熟の境地に到達して、
本物の芸術を創造する偉大な芸術家たちの仲間入りすることは、
とてもできないでしょう。
芸術界にはな若き天才たちが溢れているのですから。
半世紀もすると、誰も覚えていない、ということになりかねません。

なにかしら、現状では、彼がなにをやっても、
無条件で大喝采、そんな雰囲気があり、
すでに成功を収めてしまったという感じさえします。
でも、偉大な芸術家たちを知っている人間には、
ひいきの引き倒し、という感じさえします。
興行界の鉄則は「まだ新鮮な内に絞り出せるだけ利益を搾り取れ」。
なぜ?
大衆は飽きやすいので、しばらくしたら、
次のスターを求めるからです。

真のアーティストに大成したいのであれば、
音楽史を彩る偉大な演奏家たちの蛾々たる峰々を見上げると、
まだまだ、というところです。
辻井君はこれからまだまだ辛苦の努力を重ねていかねばなりません。
周囲がそれを許すだろうか?
なんだか心もとないですね。
彼については、本気で心配しています。




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# by hologon158 | 2018-06-13 11:52 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

726.01 ホロゴン外傅228「2018年2月2日スピードパンクロ35㎜F2が平野に出没」1 変化ヘンゲ


かなり前のことになりますが、
2月2日第一金曜日は、大阪平野区の孫二人のピアノレッスン当番でした。
共稼ぎの娘と私と妻とが輪番で月4回のピアノレッスンに付き添い。
これはこれで楽しい仕事です。

普段はマンションに一番近いJR久宝寺駅で下車して、
あれこれと孫たちの家庭のために食料品等を運びます。
2月2日はそれがなかったので、別ルートをとることにしました。
久宝寺で各駅停車の普通電車に乗り換え、平野駅で下車し、
杭全神社、平野商店街を経由して、南下してマンションに。

装備は軽量セット、
ソニーα7
スピードパンクロ35㎜F2

本ブログの表題はホロゴンとタンバールを双頭態勢。
私にとっては、この2本こそはクラシックレンズのカリスマ。
でも、タンバールは別格です。
広角使いの私には自家薬籠中のものにしたとはとても言えません。

一方、ホロゴンも、そこまで豪語するつもりはありませんが、
それでもフィルム時代から36枚撮りフィルムに換算して、
何千本も撮ってきた最愛のレンズです。
このホロゴンの最大のチャームポイントは、
それがメタモルフォーゼレンズ中のレンズであること。
ホロゴンにかかると、平凡な路地裏野郎たちが主役に躍り出ます。
完全に化けるのです。

第二次世界大戦後の最高の名優の一人に数えられるのが、
宇野重吉さんです。
昔、彼の創設した劇団の俳優の回顧談を読んだことがあります。
宇野さんが劇団の俳優たちと食事をしたとき、
食堂のメニューを読み上げたのです。
俳優たちはみんな泣いたそうです。
ただ、食事のメニューの羅列なのです、
「カレーライス、オムライス、チキンライス、ビーフカツレツ...」
でも、経験豊かな俳優たちでさえも、なぜか泣くほど哀しくなった!
これぞ、俳優のセリフが生み出した言葉のメタモルフォーゼ!

ホロゴンも、宇野さんの離れ業に近い変化(ヘンゲ)の達人なのです。
ホロゴンほどの鮮やかなメタモルフォーゼの達人レンズは、
私の知る限りでは、たった2本です。

   アストロ・ベルリンのパンタッカー50㎜F2.3、
   クックのスピードパンクロ35㎜F2。

そんな私の評価は多方面から異論を呼ぶでしょうし、
第1、レンズによるメタモルフォーゼなんて、認めない、
そう主張する向きもかなり多いだろうと思います。
私は全然気にしません。
料理と写真、どちらの味も完全にプライベートな感覚なのです。
互いに感受性の程度、質の比較、算定などできっこないのです。
だから、私は堂々と標榜できるわけです。
私にとって、最上のメタモルレンズは上記の3本だ!

大阪平野では、その一本の妙技をかなり堪能できました。
4回に分けて、ご覧頂きましょう。




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# by hologon158 | 2018-06-12 11:03 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

725.02 ホロゴン外傅227「2015年5月31日ゾンネタール73㎜F1.5が通天閣界隈に出没」2-完-再出発!


アブニールコンサートよ、さらば!

初心者コンサートとして発足した第一回から、
年2回のコンサートに合計4回連続も、
リコーダーアンサンブルで参加したのです。
最初は、二重奏で、前回は三重奏でした。
最初の3回は私が出演者で、
コンサート主催者の音楽家浜崎さんがサポート。
前回から、彼の友人の音楽家が参加して、三重奏となったので、
私の名前は消えて、リコーダーアンサンブルとして出演しました。

楽しい体験でした。
でも、練習は楽しいけれど、本番は最後まで緊張と失敗の連続でした。
前回も旋律を担当する最高音のリコーダーが私の担当でしたが、
リコーダー本来のジャンルである、ルネサンス、バロックはまだしも、
私は、リコーダー合奏に翻案した最近の歌はまったく不適合でした。
ロマンチシズムとか、失恋の悲しみ、喪失感なんて気分とは無縁の人間。
さりとて芝居なんかできる人間じゃないので、その気分を出すことも無理。

前回演奏をご覧になって、バスリコーダーで参加したいという方が出現。
ソプラノ、アルト、テナー、バスの4声部で構成される、
私の大好きなルネサンス、バロック曲ができる!
私はそう期待したのですが、
次回の11月コンサートの曲選びで挫折してしまいました。
他のメンバーは、ルネサンスの曲なんて関心がなかったのです。
私は現代の音楽に無縁。

以前も、「ダニーボーイ」、「少年時代」などを演奏したのですが、
私にとっては、たとえば、「少年時代」なんて、
それまでに聴いたこともない曲で、なかなか良い曲で、
聞くに楽しく、演奏するに苦しい選曲でした。
拙い初心者レベルをちょっと出た程度に低迷しているため、
気楽な練習のときでさえ、楽譜通りに吹くのが精一杯。
まして、郷愁に満ちたとか、悔恨、悲哀なんてムードなんて、
私の「前進、前進、また前進」的性格にはまったく不向きで、
コンサートレベルに達する演奏なんて、夢のまた夢でした。

4月の第四回コンサートが終わった直後に、
私はメンバーのお二人にお断りしました。
「私にはムリなので、これでお仕舞いにさせていただきます」
でも、「バスの方も参加されますので、
これまでできなかった完全なリコーダー四重奏ができるので、
是非やりましょう」と幾度もお勧め頂いて、
ついその気になって、11月コンサートの出演を承諾しました。

でも、選曲の段階になって、
私はルネサンス、バロックを希望したのですが、
お二人の同意を得ることができず、方針が完全に分裂してしまいました。
3日前に、きっぱりとお断り申し上げました。
さまざまに慰留を頂いたのですが、ムリなものはムリ、
2度も翻意するつもりはありません。
幸いバスリコーダーが加入されるのですが、
この方はリコーダー各種を全部揃えているうえ、
浜崎さんは私より遙かに優れたリコーダー演奏家です。
トリオの名演でコンサートを盛り上げることができるでしょう。
おかげで、ホッとしました。

かつてキリマンジャロ登頂トレッキングに参加した、
私の親友は、強壮な体力の持ち主でしたが、それでも挫折。
数日にわたって、果てしなく徐々に徐々に昇っていく、
ただひたすら刻苦勉励して歩き続けるコースなのでした。
そんな失敗体験で得た教訓が傑作でした。
「ただただ辛抱強く一歩一歩歩き続ける人だけが成功します。
パフォーマンスする人は絶対に登れません。」
人生そのものの教訓ですね。

私がアブニールコンサート体験を挫折したのは、
半年毎に、自分の実力を超えた演奏体験を重ねるという、
いわば挫折体験を連続したからです。
もう少し辛抱し、もっと努力すれば、出来た、
というレベルを超えていたのです。
「課題を設定して、その課題をクリアーする」、
これが人生を充実させる一つのメソッドでしょう。
でも、過大な課題は過重な負担となり、挫折になりかねません。
登山体験のない私がいきなりキリマンジャロに挑戦するような、
そんなムリな体験でした。

でも、この2年間をコンサートの準備にいそしむことで、
一つの収穫、つまり、リコーダーがますます好きになった、
これだけは確かです。
もう一度、自分の立ち位置、初心者に戻って、
再出発します。
幸い一向に鳴らなかった竹山リコーダー製のアルト、
これが1週間ほど前から、かなり朗々と鳴るようになりました。
練習をしたくなる環境を神様が用意してくれたからのようです。
心がカラリと晴れました。
さあ、再出発!




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# by hologon158 | 2018-06-09 14:48 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

725.01 ホロゴン外傅227「2015年5月31日ゾンネタール75㎜F1.5が通天閣界隈に出没」1 旅に出ない


この当時、妻が旅に出ていました。
私と子供たち(猫ですが)がいつも留守宅を守っています。
つまり、子供たちがいるために、一緒に旅をすることは不可能。
そして、私は、旅があまり好きでなくなってしまいました。
私のやりたいことは全部旅に出ずにできることばかり。
在職中は、毎夏かかさず、10〜14日ほどの旅行を楽しみました。
仕事のことを完全に忘れ、心行くまで撮影を楽しみたかったからです。
でも、退職すると、リフレッシュする必要がなくなりました。
撮りたいものは路地裏のロボグラフィなのですから、
別に遠くに出かける必要があるわけでもなし。

(ご存じの方は少ないでしょう、
ロボグラフィは私の造語です。
「路傍Robou」+「写真Photography」の頭を取って、
ロボグラフィと名付けました。)

私の撮りたいロボグラフィたちを満載して私を待ってくれている路傍は、
他のどこよりも、関西諸都市に一杯残されています。
だから、わざわざ旅をする必要がなくなってしまったというわけ。

そんなロボグラフィ満載のストリートを第一級路傍、第二級路傍などと、
まあ理由なく、格付けしていますが、
実は、どこにも思いがけないロボグラフィが隠れているのですから、
どこを歩いても、手を抜く、おっと目を油断させることはできませんね。
でも、文句なし、そこへ行けば大漁間違いなし、というのが、
正真正銘の第一級路傍。
大阪には一杯あります。
その中でも一番のお気に入りが数カ所あります。
その一つが西成の飛田本通り商店街と新世界通天閣界隈。

5月31日木曜日、小雨模様。
新今宮駅を降り立ち、南側交差点を南東に渡ると、
飛田本通り商店街の裏手に出ます。
商店街は通天閣下の一番北側の小路から交差点を南に渡って、
まっすぐ続くアーケード街に入ります。
この商店街の東界隈に有名な飛田新地があります。

この商店街はまさに大阪の下町中の下町です。
定職を持てない男たちがぞろぞろ居ます。
商店街自体、ゴミが落ちているわけではなく、
さりとて小ぎれいとはお世辞にも言えないけど、
小汚いとまでは言い切れないという、微妙な感じ。
商店街と利用者のみなさんの努力のおかげでしょう。

私は商店街を歩くとき、右側通行の原則を守ります。
いつも歩くときの右側を中心に撮影するわけです。
結局、往き還えりすれば、両側を撮影できる寸法。
もっとも、どちらにせよ、進行方向を中心に撮るので、
進行方向に向いて左側への視点で見つかる光景を見逃す危険があります。
だから、視線だけは反対側にも走らせるのが得策でしょう。

アーケードが切れるところで反転します。
すると、最初の街角に喫茶店があります。
これが行きつけの安息所。
そして、もちろんモーニングサービス目当て。
ここでゆっくり休んでから、北上することにしているのです。
今回は到着時間がサービス終了1分前。
滑り込み、セーフでした。

今回の写真群はどんぴしゃりその日の撮影分です。
宮崎貞安さんのニューレンズ、
ゾンネタール75㎜F1.5が活躍しました。
2回に分けてご覧頂きましょう。




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# by hologon158 | 2018-06-07 18:28 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

724.01 ホロゴン外傅226「2017年11月14ズマロン35㎜F3.5が雨模様の奈良町に」


6月4日月曜日、陳少林先生の揚琴伴奏レッスン日でした。
いつもの曲を果てしなく繰り返しています。
二胡の主奏を揚琴が伴奏するのですが、揚琴は脇役。
でも、伴奏者にとってうれしいことに、
中国音楽の場合、2つの楽器が一緒になることで、音楽になる、
そんな作りになっています。
日本の歌謡曲のように、伴奏が「ブンチャッチャ」とリズムを合わせるだけ、
というのとは大違い。
そんな曲もないわけではありませんが、
私が自分で課題曲を選ばせてもらえるので、
まともにがっぷり四つに組む曲を選んでいます。
段々と音楽らしくなっていくのがうれしいですね。

ところが、陳少林先生のレッスンの楽しみは、
実は別のところにもあります。
一曲が終わるごとに、二人で夢中に話し込んでしまうのです。
さまざまな話題を話しますが、
今日一番面白かった話題は、二胡の学習の問題。
陳少林先生の生徒にはかなりの数のピアニストがいます。
ところが、ピアニストが二胡を習得できる方の比率は、
これまで楽器を習ったことのない人より低いのです。

二胡は他のあらゆる楽器と違います。
もっとも、実のところ、どんな楽器もそうなのでしょうけど、
二胡は、二胡自体の修得が特別に難しいのです。
たった2本の弦が縦に重なっていて、
間に挿入した弓を押し引きして音を出すのですが、
押し弓と引き弓とでぜんぜん奏法が違う。
2本の弦、内弦と外弦でも違う。
さらに、フレットまでない。
ピアノとはまったく異なるコンセプトの楽器なのです。
ヴァイオリンとは似ているように見えますが、
似ているのはほんの一部で、
ヴァイオリンの奏法は二胡には役立ちません。

プロの音楽家たちは徹底的に心身を一つの楽器に特化しているので、
すでに身につけた技術が二胡演奏の邪魔になることがあるようです。
プロには、だからと言って、自分の修得した技術を振り捨てて、
初心者となって、一から二胡を学び直すことが大変に難しいのだそうです。
だから、たいていの方は途中で挫折するのだそうです。
そんなハードルを飛び越えた音楽家たちは、
もちろん、素人とはレベルの違うパフォーマンスでしょうけど。

この話から発展した方向は、当然のことかも知れませんが、
過去を振り捨て、新しい方法を修得するという点で、
退職老人の生き方と重なるという話しに移行しました。
退職男性は、長年、階級社会での勤めを続けたせいで、
どんな人もとっさに自分より上か下かを見積もる癖がついてしまっています。
そこで、資力、年齢、過去の地位の名残の気配、振る舞い等を見積もって、
自分より上か下かを見極めて行動しようとします。
ところが、現実には、退職者間にはそんな階級差など無意味。
だけど、まるで階級差があるかのように振る舞わないと、
気持ちが落ち着かない。
そのギャップがあるために、
正常で健全な人間関係を築き直すことができません。

以前に書きましたが、
そのせいで、不機嫌となり、自分の殻に閉じこもろうとし、
見知らぬ人間と温かい挨拶など交わすことができません。
退職後の第二の人生に備えて、もう一度、
新しいことを学び直すエネルギーもないので、
テレビ漬け、新聞漬け、家事一切あなた任せ、
食っちゃ寝、食っちゃ寝の人生に堕してしまい、
どんどん老いさらばえていく老後、
という羽目に陥りかねません。

目を見たら、分かります。
鏡を見る度に、まず、チェックするのは目ですよ。
あなたはきらきらと輝く好奇心に満ちたまなざしをしていますか?




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# by hologon158 | 2018-06-05 14:55 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

723.07 ホロゴンデイ203「2018年11月25日ホロゴン15㎜F8U京都東山で」7-完-ビルドゥングスロマン





ビルドゥングスロマンと呼ばれる小説のジャンルがあります。
ゲーテの「ウィルヘルム・マイスターの修業時代」がその代表作の一つ。
でも、実のところ、ビルドゥングスロマンは文学史上の最初から
文学の基本的なファクターでした。
たとえば、「オデュッセイア」
ここには、ビルドゥングスロマンの主人公が二人居ます。
イタカの王オデュッセウスとその子テレマコス、
二人とも旅と苦難を乗り越えたとき、
はっきりと旅の前とは違う、たくましい精神の持ち主になっていました。

最近では、J.R.R.トールキンの「The Lord of the Rings」。
主人公フロド・バギンズ、その友人サムがそうです。
二人は離れ小里のお人好し、世間知らずの青年たちでしたが、
想像を絶する恐ろしい体験を遙かに越えた苦難の旅を乗り越えたとき、
旅の前とははっきりと違った、気高く強靱な人間になっていました。

上記のすべてが旅と苦難という非常時の体験をフィルターとしています。
でも、私はこう考えたいのです、
すべての人間は、意識するにせよ、しないにせよ、
意図するにせよ、しないにせよ、
人生という旅と苦難を乗り越えていかなければならないのです。
そうして、気高く強靱な人間に、というか、
「気高く」は無理としても、とにかく、
人生の荒波に立ち向かえる強靱な人間になりたいものです。

大きな志を抱き、大きな目標を立てて、
その志の成就、目標の実現に向けて生涯苦闘する、
そんな人もいるでしょう。
でも、そんな人は稀ですね。
私たちの多くにできることは、
せいぜいささやかな人生を終焉までとぼとぼと歩き続けること、
これしかないものです。

そこで考えるのですが、
私たちにできることは、小さな目標を立てて、
その目標を忘れないようにして生きること、
これくらいではないでしょうか?

そのために必要なことは、2つ。
① 小さくても目標を見つけるだけの人生への意欲と判断力。
② 達成への持続的な努力を忘れない意志力。

まず、「あなた任せ」の生活はやめたいものです。
そこで、私は、乱暴なやり方ですが、隠者として生きることにしました。
44年間、意図するにせよ、しないにせよ、
いわば公益のために働いてきました。
引退した今となっては、私はひたすら自分のために生きたい。
社会のためにすることで私に残されたのは、
選挙に投票をすること、これ位です。
そこで、新聞、テレビを完全に捨てました。
なにかを受容するのは極力止めて、
一日を自分のため、目標達成のために使う!
勤務時間の定めなどなく、仕事がある限り、
土日も休日もない人生を送ってきたので、
これは私には至極簡単なことでした。

私が絶えず小さな目標を立ててやってきたことは、
いわば数知れずあります。
① 健康で長生きするためのエクササイズ
これは数え切れないほどあります。
その全部が継続しないと意味がなくなるものばかり。
だから、継続しています。
かなりの方は長続きしません。
私は、それが自分のためになるから、続けます。
それができないのなら、なんのために生きてきたか?
そう私は考えるからです。

② 人生のたのしみのための数々。
これが私のメインの目標です。
写真を撮ること
ブログ記事を作成すること
数種の楽器を習得すること
演奏会、発表会のために準備すること
たえず文章を書き続けること

合い言葉は、
「明日が終わりかもしれない!
だから、今を頑張ろう!」

もっとも私の場合、ビルドゥングスロマンじゃありません。
別に変身なんかする必要はありません。
自分自身を失わず、相変わらず私であり続けたい。
そうして、私にとって一番喜ばしい日々を味わい尽くしたい、
ただそれだけ。




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# by hologon158 | 2018-06-04 23:02 | ホロゴンデイ | Comments(0)

723.05 ホロゴンデイ203「2018年11月25日ホロゴン15㎜F8U京都東山で」5 挨拶


私の住まいの周辺に散歩道がいくらでもあります。
カントリーサイドですから。
ときどきですが、散歩中の高齢男性に会います。
私は必ず自分から先に挨拶をします。
ところが、驚くなかれ!
5人中4人は返事しません。
5人中5人が猛烈に暗く不機嫌な表情に沈んでいます。
5人中1人から返ってくる挨拶も渋々で、暗い。

日本の男性の多くが、見知らぬ人間とは挨拶を交わしません。
まして自分から明るく挨拶する、なんて人にはほとんどいません。
日本の高年齢の男性のほとんどは、未だに「村社会」に生きています。
相手が自分の集団の中にいるか否かで、がらりと対応を変えます。

私の住宅地の場合、挨拶しない理由はかなり単純です。
かなり前にある省庁の役人たちが資金を出し合った造成地なのです。
省庁は完全なる身分制に生きています。
目上か目下か、内部か外部か?
これで対応をがらりを変えます。
私は造成後十数年経ってから中古住宅を購入して移り住んだので、
もちろん「よそもの」なのでしょう。

私の友人の一人、ある大学の学長だった時代、
当時の文部省の所轄の問題で上京しました。
文部省の係長クラスの若い官僚、
客は学長なのに、両足を自分の机に上げたまま応対したそうです。
自分が決定権を持つのだ、という明確な意思表示。
つまり、ヘゲモニー闘争、「お山の大将ごっこ」をやっているのです。

私の別の知人は官庁のいわゆる特急組で、
まだ新米の頃、直属の助手とコンビを組みました。
そのやや高齢の助手が過労のせいでしょう、
椅子を傾けて背後の壁にもたせかけた状態で居眠りしました。
新米上司、いきなり椅子の足を蹴りとばしました。
床に叩きつけられた助手が恐怖の表情で見上げると、
「仕事中に居眠りするとは何事だあ!」

まあ、こんな人たちばかりでないのでしょうけど、
いずれにせよ官僚組織で生きいた人たちは、
親しく朝の挨拶を交わすなんて、上司か、
それとも、同期の友人同士だけなのでしょう。
鶏のペッキングオーダー同様に、
挨拶の仕方が地位の上下を見せつける示威行動になっている。
上司は、自分から挨拶するなんてありえない!
部下から挨拶を受けても、返事をしない!

私はそういうのが大嫌い。
就職してから今まで終始、
どんな人にも自分から親しく挨拶をすることにしてきました。
おもしろいですね。
私に向かって、私より先に挨拶の言葉を出す人に、
ほとんど出会ったことがありません。
返事しない人、不機嫌に返す人には数知れず出会ってきました。
でも、平気です。
私は、その点に関する限り、誰にも引け目を感じなくて済んで、
気持ちよく過ごしてこられたからです。

そこで、目下の人には挨拶しない人が退職すると、
かなり面倒な生活を送ることになります。
終始不機嫌な気持ちで生きることになりかねません。
私の住宅地は同じ省庁のOBがかなり集まっているので、
彼らの内ではかつての上下関係が一生ついて回っているのでしょう。
一方、私のような部外者は十把一絡げに目下に位置づけられているらしい。
目下に挨拶など返してたまるか、ということになるようです。

でも、そんな風に生きて、人生が明るくなるのでしょうかねえ?
人を傷つけると、自分の魂も傷つけます。
人を突き放すと、自分も世界からすこし離れてしまいます。
老後の孤独の闇が深まるばかりではありませんか?
身分関係に生きる人は、身分にあぐらをかくことで、
次第に自分の周りに壁をこしらえ、これを高くしていき、
内側の狭い空間にひっそりとこもることになります。

こんな方の夫婦関係もかなり上下の隔てがありそうです。
よく、ぶすっと暗い表情の旦那さんが先に歩き、
1、2歩遅れて、つまらなさそうな奥さんが追尾する、
そんなご夫婦に出会います。
どんな夫婦関係なんだろう?
少なくとも二、三のことが確実です。
夫婦の間に温かい会話なんかあるんだろうか?
夫は家事なんてほとんどできず、手伝いもしないだろう。
暗い家庭なんじゃないかな?

このような「挨拶事情」を助長しているのが、
日本語の挨拶言葉、礼儀が複雑で、言いにくい。
返事の仕方もさまざまで、とっさに選択を迫られる、
こんなことが絡んでいるようです。
そのうえ、「おはようございます」って、とても発音しにくく、
しかも、言葉にへりくだった語感があり、
イントネーション次第で身分関係のニュアンスを暗示することができます。
「おはよう」というと、簡単だけど、
これも同格、目下への言葉ですから、いつも使うわけには行きません。

英語は簡単ですね。
「good morning」
「おはようございます」は、
「お」「は」と口をしっかり開く言葉が2つも最初に来ます。
「good morning」なら、「グ モー ング」、
一口で足ります。
なんて言いやすく、爽やかな語感なのでしょう。
友達同士なら、「hi」
さらに簡単。

さらにカナダやオーストラリアでは、
身分関係など容易に突破できる人間関係があるようです。
第二次世界大戦中のことです。
カナダ人の大佐が一兵卒のカナダ人歩兵に地面を指さして指令しました。
「煙草が落ちてるぞ」
すると、兵卒、さらりと、
「自分で拾いな」
こんな社会では、人間的な卓越が指揮関係の拠り所になります。

でも、たいていの国では、マーフィの法則が当てはまります、
「人間は無能の極致まで出世する」
日本がそうですね。
首相を見てください。
彼が自分から「おはよう」なんて爽やかに声をかける、
そんなシーンを想像できますか?

いつでも、どこでも、誰にでも、明るく声をかけましょうね、
「おはよう!」
「こんにちわ!」
「元気?」
「ご苦労様!」



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# by hologon158 | 2018-05-30 23:45 | ホロゴンデイ | Comments(0)

723.05 ホロゴンデイ203「2018年11月25日ホロゴン15㎜F8U京都東山で」5 挨拶


私の住まいの周辺に散歩道がいくらでもあります。
カントリーサイドですから。
ときどきですが、散歩中の高齢男性に会います。
私は必ず自分から先に挨拶をします。
ところが、驚くなかれ!
5人中4人は返事しません。
5人中5人が猛烈に暗く不機嫌な表情に沈んでいます。
5人中1人から返ってくる挨拶も渋々で、暗い。

日本の男性の多くが、見知らぬ人間とは挨拶を交わしません。
まして自分から明るく挨拶する、なんて人にはほとんどいません。
日本の高年齢の男性のほとんどは、未だに「村社会」に生きています。
相手が自分の集団の中にいるか否かで、がらりと対応を変えます。

私の住宅地の場合、挨拶しない理由はかなり単純です。
かなり前にある省庁の役人たちが資金を出し合った造成地なのです。
省庁は完全なる身分制に生きています。
目上か目下か、内部か外部か?
これで対応をがらりを変えます。
私は造成後十数年経ってから中古住宅を購入して移り住んだので、
もちろん「よそもの」なのでしょう。

私の友人の一人、ある大学の学長だった時代、
当時の文部省の所轄の問題で上京しました。
文部省の係長クラスの若い官僚、
客は学長なのに、両足を自分の机に上げたまま応対したそうです。
自分が決定権を持つのだ、という明確な意思表示。
つまり、ヘゲモニー闘争、「お山の大将ごっこ」をやっているのです。

私の別の知人は官庁のいわゆる特急組で、
まだ新米の頃、直属の助手とコンビを組みました。
そのやや高齢の助手が過労のせいでしょう、
椅子を傾けて背後の壁にもたせかけた状態で居眠りしました。
新米上司、いきなり椅子の足を蹴りとばしました。
床に叩きつけられた助手が恐怖の表情で見上げると、
「仕事中に居眠りするとは何事だあ!」

まあ、こんな人たちばかりでないのでしょうけど、
いずれにせよ官僚組織で生きいた人たちは、
親しく朝の挨拶を交わすなんて、上司か、
それとも、同期の友人同士だけなのでしょう。
鶏のペッキングオーダー同様に、
挨拶の仕方が地位の上下を見せつける示威行動になっている。
上司は、自分から挨拶するなんてありえない!
部下から挨拶を受けても、返事をしない!

私はそういうのが大嫌い。
就職してから今まで終始、
どんな人にも自分から親しく挨拶をすることにしてきました。
おもしろいですね。
私に向かって、私より先に挨拶の言葉を出す人に、
ほとんど出会ったことがありません。
返事しない人、不機嫌に返す人には数知れず出会ってきました。
でも、平気です。
私は、その点に関する限り、誰にも引け目を感じなくて済んで、
気持ちよく過ごしてこられたからです。

そこで、目下の人には挨拶しない人が退職すると、
かなり面倒な生活を送ることになります。
終始不機嫌な気持ちで生きることになりかねません。
私の住宅地は同じ省庁のOBがかなり集まっているので、
彼らの内ではかつての上下関係が一生ついて回っているのでしょう。
一方、私のような部外者は十把一絡げに目下に位置づけられているらしい。
目下に挨拶など返してたまるか、ということになるようです。

でも、そんな風に生きて、人生が明るくなるのでしょうかねえ?
人を傷つけると、自分の魂も傷つけます。
人を突き放すと、自分も世界からすこし離れてしまいます。
老後の孤独の闇が深まるばかりではありませんか?
身分関係に生きる人は、身分にあぐらをかくことで、
次第に自分の周りに壁をこしらえ、これを高くしていき、
内側の狭い空間にひっそりとこもることになります。

こんな方の夫婦関係もかなり上下の隔てがありそうです。
よく、ぶすっと暗い表情の旦那さんが先に歩き、
1、2歩遅れて、つまらなさそうな奥さんが追尾する、
そんなご夫婦に出会います。
どんな夫婦関係なんだろう?
少なくとも二、三のことが確実です。
夫婦の間に温かい会話なんかあるんだろうか?
夫は家事なんてほとんどできず、手伝いもしないだろう。
暗い家庭なんじゃないかな?

このような「挨拶事情」を助長しているのが、
日本語の挨拶言葉、礼儀が複雑で、言いにくい。
返事の仕方もさまざまで、とっさに選択を迫られる、
こんなことが絡んでいるようです。
そのうえ、「おはようございます」って、とても発音しにくく、
しかも、言葉にへりくだった語感があり、
イントネーション次第で身分関係のニュアンスを暗示することができます。
「おはよう」というと、簡単だけど、
これも同格、目下への言葉ですから、いつも使うわけには行きません。

英語は簡単ですね。
「good morning」
「おはようございます」は、
「お」「は」と口をしっかり開く言葉が2つも最初に来ます。
「good morning」なら、「グ モー ング」、
一口で足ります。
なんて言いやすく、爽やかな語感なのでしょう。
友達同士なら、「hi」
さらに簡単。

さらにカナダやオーストラリアでは、
身分関係など容易に突破できる人間関係があるようです。
第二次世界大戦中のことです。
カナダ人の大佐が一兵卒のカナダ人歩兵に地面を指さして指令しました。
「煙草が落ちてるぞ」
すると、兵卒、さらりと、
「自分で拾いな」
こんな社会では、人間的な卓越が指揮関係の拠り所になります。

でも、たいていの国では、マーフィの法則が当てはまります、
「人間は無能の極致まで出世する」
日本がそうですね。
首相を見てください。
彼が自分から「おはよう」なんて爽やかに声をかける、
そんなシーンを想像できますか?

いつでも、どこでも、誰にでも、明るく声をかけましょうね、
「おはよう!」
「こんにちわ!」
「元気?」
「ご苦労様!」



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# by hologon158 | 2018-05-30 21:29 | ホロゴンデイ | Comments(0)

723.04 ホロゴンデイ203「2018年11月25日ホロゴン15㎜F8U京都東山で」4 ゾンネタール75mmF1.5!


5月19日土曜日、20日日曜日、
親友のINさん、彼のお得意さんの女性お二人と、
大阪、奈良を歩きました。
お二人は姉妹で、お姉さんは心理学者、ハーブ研究家等、
妹さんはハーブ研究家だそうですが、
お二人とも写真、カメラも趣味。
お姉さんのメインはシュナイダーのクセナー75mm付きローライコード。
妹さんはズマール50mmF2付きライカバルナック。
ズマールにはレアものの四角フード。
私はそんなものがあることすら知りませんでした。
私よりもかなりの通です。

年に数回旅行を楽しんでおられて、幾度目かの来日、
今回は関西の旅を楽しむことにしたとのこと。
中国系ですが、カナダ国籍を持ち、英語と中国語が話せます。
私は日本語がなんとか話せる程度。
英語ときたら、ほんの少し英会話を学んだだけ。
長年英語の映画を楽しんできて、片言ですが、なんと意志疎通はできます。
不思議なことですが、冗談だけはしゃべれます。
よく「冗談が言えるようになったら、英会話も一人前」と言われますが、
あれは嘘です。
冗談に語彙、文法は不要。
単なる機転で十分。


まず、19日土曜日。
朝、地下鉄谷町線中崎町駅で待ち合わせました。
駅の側のビル3階にクラシックカメラの老舗があります。
「カメラのマツバラ光機」
ご主人とは幾十年ものおつきあいですが、凄い人です。
老舗ツカモトカメラから独立して30年ほどでしょうか?
日本でも有数のクラカメ店を築き上げられました。

でも、午後にならないと開店しません。
クラシックカメラの修理、メンテの名人なので、
いつも夜中にその仕事をされるそうです。
ということで、お店訪問は午後にして、
中崎町商店街の西詰めから出発して、
撮影しつつ天神橋商店街まで歩きました。

私の装備は、
カメラはソニーα7。
レンズは2本。
ホロゴン15mmF8U(ウルトラワイドから抜き出した、ライカMマウント改造版)
ゾンネタール75mmF1.5

なんだ、そのレンズは?
本邦初登場!
宮崎貞安さんのニューレンズです。
75mmと言えば、ライカのズミルックス75mmF1.5が有名ですが、
こちらは大型、重量級、超高価です。
エルマー73mmF1.9という名レンズもあります。
1930年代のポートレートレンズ。
幾世代かあるようで、描写はさまざま。
私が使った最初のレンズは、すこしぼってりとしたコクのある画質で、
開放は夢のようなソフト描写でした。
2度目に使ったのは、かっちりとした硬派の描写で、満足できませんでした。

ゾンネタール50mmF1.1は猛烈にソフト。
とくに私のは10本ほど作られたソフトバージョン。
私は、いつも書きますように、現代的な超高画質レンズが大嫌い。
宮崎貞安さんには、機会あるごとに、
現代レンズには絶対に求め得ないような、
柔和な描写のレンズを作ってください、
とくに、開放描写は欠陥だらけ、収差だらけで結構です、
徹底的に遊んでください、とお願いしていました。
上記のゾンネタール50mmのソフトバージョンは、
そんなリクエストから生まれたものです。

ゾンネタール75mmF1.5は50mmF1.1の精神をかなり受け継いでいます。
別ブログ「レンズ千夜一夜」で、
これから75mmの写真群を続々掲載する予定ですが、
ここでまずはっきり言えることが2つ。
① 開放からソフトでありながら、
きわめて端然として清冽な描写を楽しめる長焦点レンズです。
女性ポートレートにはもってこいの戦力となりそう。
② 銀塩時代の標準レンズとほとんど同じ大きさ(わずかに長いけど、
大幅にスリム)で、たった200グラムと圧倒的に軽量。
おかげで、使い回しが実に軽快。
ニュークラシック、そんな位置づけができそうです。




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# by hologon158 | 2018-05-26 22:50 | ホロゴンデイ | Comments(0)

723.04 ホロゴンデイ203「2018年11月25日ホロゴン15㎜F8U京都東山で」4 瞑想の道具


この日、京都東山の斜面でホロゴンが楽しくさえずりました。
他のすべてのレンズとの違いが一つ。
私はホロゴンを持った途端に、写真の初歩、構図を忘れます。
ただ、そちらに向かって、一枚シャッターを切る、ただそれだけ。
楽しいのです。
その場を楽しみ、シャッター音を楽しむ、それに尽きます。
1032枚撮りました。

写真家の皆さん、眉をひそめるでしょう。
写真は数じゃない。
そんな撮り方で入魂の一枚が撮れるわけがない!
その通り!
私も異論はありません。

多くの写真家は狩人です。
私は哲学者カントでありたい。
カメラ、レンズは狩猟銃じゃない。
瞑想の道具であってほしい。

カントは、心を瞑想の森に遊ばせたのでしょう。
家に戻ると、早速机に向かい、
心に浮かんだモチーフを紙に書き記したでしょう。
私は、ホロゴン写真一枚ごとに、
そのとき、その場での私を思い出すことができます。
人には意味不明でも、私には鮮明です。

私はこれを「ロボグラフィ」と呼んでいるのですが、
この言葉は絶対に写真ジャンルにはなりません。
絶対的にプライベート。
私向けの情報だけしか含まれていないのですから。

先日も友人に、話の流れの都合上、ちょっと見せました。
友人は途方にくれた表情で、一言、大阪弁で、
「なんや、それ?」
この人、鑑識眼がありますね。




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# by hologon158 | 2018-05-16 23:03 | ホロゴンデイ | Comments(0)

723.03 ホロゴンデイ203「2018年11月25日ホロゴン15㎜F8U京都東山で」3 リコーダー三重奏


アブニールコンサートでのリコーダー三重奏のことを幾度も反芻しています。
以前から分かっていたことですが、
私という人間、どうやら独奏タイプではありません。
揚琴でかなりの数の公開演奏に参加しました。
その中には正式なコンサートが2公演。
多数の観衆の前での各種ライブが数回。
二胡、揚琴の発表会が十数回。
小人数の聴衆を前にしての小演奏会も数回。
フェリーのロビーでの演奏も一回参加しました。
経験はかなりありますが、私のパフォーマンスは厳然と2分されます。
独奏だと、必ず上がる。
伴奏だと、二重奏でも、上がりません。

アブニールコンサートには最初から4回連続でリコーダー演奏で参加しました。
最初の三回は2本の重奏。
私が主奏、音楽家の浜崎さんが伴奏でサポート。
上がりに上がりました。

今回は三重奏でした。
お二人の音楽家が伴奏に回って支えてくれて、
私がリードパートを吹くという形式。
自信をつけるために、猛烈に練習しました。
練習を重ねた上に三人に増えたのだから、今回は上がらないだろう、
そう多寡をくくっていました。

過信でした。
演奏する内にじわじわと震えが下から湧き上がってくるのです。
音が震えそうになります。
そこで、それを押さえようと、必死で音を吹きます。
リコーダーは息の強さでピッチが変わる楽器です。
安定したピッチで演奏しないと、音楽になりません。
上づったら、ピッチが上がり、音楽が必死の様相を呈します。
これを防ぐために、音を押さえ、震えを抑えようと必死になります。
もうこうなると、泳げないのに、浮き輪の空気が漏れてしまって、
岸にもう少しというあたりで、無我夢中でもがくカナヅチ状態。

妻がわざわざ奈良から神戸まで足を運んで、
私に内緒で、私の演奏を観ていました。
これを知っていたら、私はもう完全にひもの切れた風船、
上がりに上がってしまったでしょう。
その妻は、私の震えには気づかなかったようですが、
「音がうわずって、強すぎたわよ。
真ん中か、右の人が第一パートを吹いたら良かったのに」

今回のアブニールコンサート、一般参加者としては私が一番多数回出演。
リコーダー以外に、揚琴、二胡の合奏に合計2回参加したのですから。
後者はすべて揚琴伴奏です。
10年以上付虹先生に鍛えていただいたせいもあるでしょう、
たった3年のリコーダーとは比較にならない位基礎を固めてもらっています。
幾度も間違いました。
でも、まるで上がりませんでした。
そんなときは音を出さないようにして、すぐに「正道に戻り」、
かなりしっかりとラストを締めました。

でも、妻の感想は厳しいものでした。
「先生の音だけがしっかりと聞こえて、
他の人はばらばらだった。
それに、あの顔、なに?
付虹先生以外の人はみんな仏頂面だった。
もっとにこやかにしなきゃ!」

私は、自然に笑顔がこぼれるほど音楽を自分のものにしていないし、
まして作り笑いなど生涯やったことがありません。
付虹先生はプロですから別として、
誰でも、笑顔を自然に作るのは難しいようです。
別グループの二胡奏者の女性は、ライブによく出ておられるそうです。
さすがに、演奏が終わると、実に美しい笑顔になりました。
私のように、必死でなんとか間違わずに弾ければ幸い、
というレベルの人間にはとても無理ですね。

リコーダー合奏の私以外のメンバーお二人は、
次回以降も続けるお気持ちです。
折りよく、と言うか、折り悪しく、と言うか、
コンサートの観客にバスリコーダーをお持ちの方がいて、
参加したいというご希望だそうです。

リコーダーアンサンブルは基本的に四重奏です。
ソプラノ、アルト、テナー、バスの4声部がそろったとき、
ハーモニーが揃います。
4声部のリコーダーアンサンブルを楽しんでみたい、
そう希望してきましたが、
まさか練習だけ参加して、コンサートには出ない、
というわけには行きませんね。

私が抜けても、浜崎さんはもちろんソプラノリコーダーも吹けますから、
浜崎さんを第一パートにして、
もっと聞き応えのあるリコーダーアンサンブルができます。
そのうち、もう一人、リコーダー奏者が見つかるでしょう。

ちょっと寂しくなりそうな私のリコーダー人生ですが、
リコーダー固有の名曲たちに戻ることにしたいという気持ちが強い。
折りよく、ヘンデルのリコーダーソナタ2曲のチェンバロ伴奏が、
なんと幸運なことに、Youtubeで見つかりました。
本当にチェンバロ奏者が我が家に来たような気分で、
アルトリコーダーを楽しめることができます。

RJPというサイトで、伴奏CDと楽譜セットがたくさん見つかります。
これまでこの伴奏を愛用してきました。
コンピュータソフトによる製作です。
サンプリングされたチェンバロサウンドを伴奏に仕上げたものです。
これでも、楽しめますが、
本物の演奏となると、別格です。
自分の下手なリコーダーが本物らしく聞こえるのですからうれしいですね。
こんな風に、相棒にも聴衆にも迷惑をかけない楽しみ方こそ、
下手の横好きにはふさわしい。

こんな風に方向を決めると、心がすずやかになりました。
浜崎さんたちはがっかりされるでしょうけど、
いざ私抜きでやってみたら、もっとのびのびと音楽が歌うでしょう。
アブニールコンサートのデッドスポットにライトがさっと当たることになるでしょう。
アンサンブルは下手な奏者のお守りじゃないのですから。



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# by hologon158 | 2018-05-13 22:20 | ホロゴンデイ | Comments(0)

723.02 ホロゴンデイ203「2018年11月25日ホロゴン15㎜F8U京都東山で」2 鈴木春信展


5月8日水曜日、
大阪天王寺のアベノハルカスの鈴木春信浮世絵展に参りました。
江戸時代の木版多色刷りの錦絵の描法を確立した、
いわば始祖のような画家なのだそうです。

ほとんどすべてA4ほどの小さな摺絵です。
色彩も極度に限定され、総体に淡い色調。
女性の顔がとても繊細で薄い描線ですっと一線、
あえかにはかなげ、あでやかに艶麗に描かれて、
筆舌に尽くしがたいほどにデリケート。

女性の全身像は、中国の仇英の影響だそうで、
まさにモジリアニの顔の曲線で全身を描き出したようで、
それでいて、仇英同様に、バランスが絶妙で、あえかで艶やか。

水曜の午前中は穴場なのかも知れません。
最初から最後まで1人で1枚ずつしっかりと鑑賞できる客数。
絵のカルチャー組らしい男女数人の一人が、
ちょっと声高に、
「...さん、これ位やったら、俺でも描けるって思ってるやろ!」
写真と同じで、絵でも、圧倒的に慢心できる人が居ますから、
これはおそらく図星なのでしょう。
係員の女性がすっとんで行って、ひそやかに、
「あの、ほかの方のご迷惑にならない程度に小さくお願いします」

鑑賞に時間がかかる理由の一つが、
掲示文を全部律儀に読む人がいるからです。
そのうえ、春信は衣の模様のなかに隠し文字を忍ばせたそうで、
その図解まで掲示されています。
すると、二人連れのおばちゃんたち、
「あ、これが「十」の字やあ、
そう言われないと、分からんわなあ....」
絵は知識じゃないのです。
説明で分かるような種類のデータの判読ではありません。
未知の美との対面、超越的な感動の衝撃、
ショック、インスピレーション、啓示なのです。
文字、説明、題名など放り出してしまいましょう。
ただ、絵と素で向かい合う、これしかつきあい方はありません。
愛する人、愛するものとの出会い、交わりと同じではありませんか?

春信の美人たちの頬の繊細な描線は、単なる巧みさ故ではありません。
剛直なほど力強い描線をどのような形であれ一線で描き出せる筆力、
これは精神力の賜物です。
小さな絵に小さなスペースで、たとえば、
水の流れ、雨足、川、簾、格子等、
狭い間隔の線を超絶的に反復する箇所が随所に出現します。
その描線の繊細な重なりの正確性、そこから生まれる表現の強靱さ、
そのすごみ、その極致から生まれる音楽性は圧倒的です。
春信はものすごい修練、鍛錬の果てに作品を生みだしたのです。

春信という人は、江戸美術の巨人の一人なのかも知れない、
そんな強烈な印象でした。
まったくいかなる知識もないので、
私の勝手な途方もないでたらめな印象かもしれませんが、
私は学識の高さ、深さを誇るつもりなどありませんので、
思ったまま書きなぐるだけ。

でも、展示の最終スペースで、
春信が凡百に遙かに勝ることが証明されていました。
同時代、あるいはその後の浮世絵画家たちの作品が並んでいました。
春信の絵がはるかな高みにあることは一目瞭然でした。
描線がほんのわずかですが、頼りないのです。
天才と凡才の違い。

でも、たった2枚だけ、
「ああ、この人だけは違う!」
春信とはまったく作風が違います。
ふくよかで、あでやかで、のびのびとしています。
名板を見て、納得!
「喜多川歌麿」!

歌麿の線の方が強い。
でも、春信のように、消え入らんばかりにあえかに、
それなのに確かな線をすっと伸ばして、
その線がいつも生きている、これは天才の技。

それにしても、春信の線をこれほどまでに活かし切る、
彫り師の技の凄さ!
小さな作品に天才たちの入魂の仕事がぎっしりと詰まっています。
ただの庶民の手仕事が偉大な芸術として人類の遺産になる、なんて、
彼らの心にちらりとも浮かんだでしょうか?




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# by hologon158 | 2018-05-10 22:19 | ホロゴンデイ | Comments(0)

723.01 ホロゴンデイ203「2018年11月25日ホロゴン15㎜F8U京都東山で」1 生き甲斐


近頃、老夫婦にあちこちで出会います。
たいてい、男性が先に歩き、女性が1メートルほど後方。
その男性の95%に共通点があります。
苦虫をかみつぶしたように不機嫌で、とても暗い表情。
とくに目がどんよりと曇っています。
実のところ、そんな表情は老人に限ったことではありませんが。

私の経験では、心の中が歓びに沸き立っている人は、
どんなに暗い表情を装っても、隠しきれない部分があります。
目。
目は心の光、輝きをじかに映し出します。
だから、目が暗然と淀んでいるのに、心の中は歓喜に沸き立っている、
そんな人に出会ったことはありません。
詐欺師とは、さまざまな特殊な職業の人間は別ですが。
大抵の人の目は心を隠せないのです。

家の外、ストリートで、公衆の面前でこんなに暗然とした風情だと、
家の内ではどうなのでしょう?
どちらも同じ表情なのだとすると、その方、
パブリックな対人関係を大切にする気持ちを失っているのでは?
そんな気持ちはまだ持っていて、
これでも精一杯明るく振る舞っているのだとすると、
その心の内の暗さはただならぬ程度になっているのでは?

どんなものでもよい、達成したい目標を持っていたら、
こんな暗い表情など浮かべるはずがないのでは?
この方、人生でもうなにか達成したい目標などないのでは?
そんな感じがします。

子供の目をしっかり見て下さい。
輝いているではありませんか?
内から光が発しているではありませんか?
心の内にも外にも心底関心があり、
目標、希望、歓喜がほとばしり出ているようです。

思うのですが、
老齢になったからと言って、
当然に人生の目標、希望、歓喜を失うわけではないはず。
自分から目をつぶり、扉を閉ざし、窓を閉め、
道を歩き出そうとしていないのです。
人生の生き甲斐だった仕事にすべて燃焼し切ってしまった、
そう考えているのであれば、人生を自分で狭めているのです。
人生の最初から最後まで、心は生き甲斐で満たされ、
ああ、生きていてよかった、
こんなことができたのだから、
こんなものに出会えたのだから、
そう心の底から歓びがほとばしり出るように生きる、
これこそ人生の目標ではありませんか?
名声も地位も富も、人生の目標ではありません。
生き甲斐のある人生がたまたま名声、地位、富をもたらすかもしれません。
でも、それはいわば余光のようなものです。
自分の心の内に光と歓喜で満たす、これが本当の目標。
そう考えて生きたいものです。

私は、名声も地位も富もすべて無縁の人生ですが、
いつも心に自問します、「ぼくは生きているか?」
鏡を見る度に確認します、「ぼくの目は輝いているか?」

一つ、人生を生き甲斐のあるものにする秘訣をお教えしましょう。
実に簡単です。
どんな瞬間にも、四の五の言わず、こう信じるのです、
今やっていること、それがなんであっても、
そう、これこそ今やるべきことなんだ!
これこそ今したいことなんだ!

やってみて下さい。
なかなか難しいですよ。
でも、やってみれば、案外、簡単にできるものですよ。
どんな年齢の人間でも実は一緒、
私は、あなたは、次の瞬間には死ぬかも知れないのです。
だとすると、明日のこと、来年のことはひとまず置いて、
今、この瞬間に心を集中しましょう。
すべてを人生の目標にすれば、
達成感、生き甲斐、喜びがすべての瞬間を満たすでしょう。
騙されたと思って、お試しください。




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# by hologon158 | 2018-05-07 22:50 | ホロゴンデイ | Comments(0)

722.03 ホロゴン外傅225「2017年11月24日奈良町はパンタッカー50㎜F2.3の里で」3-完-アブニールコンサート


4月28日土曜日、第四回アブニールコンサート。
大成功だったようです。
私は3つの演目に出演して、くたくたに疲れきりました。
コンサート皮切りに、揚琴合奏。
第2部冒頭に、リコーダーアンサンブル。
最後から2番目に、揚琴、二個合奏団。
全コンサートにまたがって出演するのですから、
演奏のための待機、後始末で、公演の3分の1は舞台裏。
なんとか大きなミスはなく、3演奏とも終わりましたが、
実力不相応に欲張った報いで、どれも不消化に終わりました。

帰路、JR神戸線の大阪行き快速で疲れを休めていますと、
妻からメール、「今、どこ?」
私、「大阪行き快速の中」
妻、「私も」
私、「えっ、どこに行ってたの?」
妻、「コンサート」
見てほしくなかった!
それを知っている妻、私に内緒で来ていて、
さんざんの酷評でした。
リコーダーは、強く吹きすぎ、リコーダーらしくない。
真ん中の人か右の人が主旋律を吹いたら、もっと違ったはず。
揚琴も、付虹先生の音だけが聞こえて、伴奏が邪魔をしていた。

私がリコーダーを強く吹き過ぎたのには理由があります。
私は、揚琴は上がらず、リコーダーは上がりました。
リコーダー合奏は一応はそのままに演奏できたのですが、
ともすると、音が震えそうになることに気づきました。
それじゃ、そうならないように強く吹く、
なんとか凌ぐ、
でも、また震えそうになる、強く吹く、
という悪循環でした。

リコーダー合奏は続けたいけど、
大きなホールでの演奏はもうこりごりです。
間の悪いことに、コンサートに来ていた男性から、
グループ参加の希望があったことを知りました。
バスリコーダーをお持ちの男性が、
「私もバスリコーダーで四重奏に加わりたい」
私も、ダウランドなどのルネサンスの四重奏曲をしたい。
でも、コンサートはもうこりごり。

ところが、おかしなことに気づきました。
私の揚琴とリコーダーのサウンドが、
コンサート後ガラリと変ったのです。
朗々と歌い出しただけでありません。
揚琴は絶えずチューニングしていますが、
付虹先生の揚琴たちや、先生が調律した生徒の揚琴、
これまでは私の揚琴とは違う音でした。
カラッとして、よく弾みます。
もちろん音程も文句なし。
一方、私の揚琴はどうしてもきちんと調律できず、
音の方がなんだか湿っぽい。

150本以上の各種のピアノ弦が4オクターブを超える音階を作ります。
低音は螺旋1本、最高音は細い弦が5本並んで、1つの音になります。
低音の調律は簡単ですが、4本弦、5本弦の高音部は難しい。
一番下の弦をピタリと合わせて、5本まで順次調律して、
一番下の弦に戻ると、僅かに高音にずれています。
理由は知りません。
一番上から始めても、同様にずれます。
わずかでも不揃いだと、当然ながら、音がずれます。
私のように、音痴に近い人間でも、音の濁りが分かります。
ところが、コンサート後はとても弾んで澄んだ音に一変。

揚琴のスティック(琴竹)は、本体が竹で、
先端部の象牙、プラスチックの打弦部分を
しなやかなゴムチューブで覆います。
細いチューブに切れ込みを入れ、両端だけを輪にします。
このチューブの両端の輪にスティック先端から押しこみます。
一番先頭の輪が打弦部分の根に収まり、反対の輪は、
スティック先端にひっかかった状態になります。
こうして、背中を全部むき出しにした水着を着た美女、
そんな感じになります。
でも、無理矢理押しこむと、ゴムの先頭の輪が破れます。
コツが必要です。
でも、慣れると、なんとか出来るようになります。

ツィンバロン一族の中で、こんな風にゴムと竹と象牙という、
精巧で繊細なスティックを使う楽器は他にありません。
クラシック楽器と同じ音階になっている唯一の楽器なので、
このスティックを使って出した音は繊細で躍動的です。
要するに、素晴らしい楽器なのです。
それだけに習得は難しい。

たとえば、ピアノは指先が直接打鍵します。
ところが、揚琴はグリップから22、3㎝先に打鍵部があり、
空中でしなやかに振り下ろして音を作ります。
スティックを操る支点は遠いのに、
スティックの打鍵ポイントも、揚琴の弦の正しい打鍵位置も、
とても狭い。
だから、どちらかが簡単にずれます。
ずれますと、音が濁ります。
手首のしなやかな運動が鍵なのですが、
その際、指全部がそれぞれ独特に動いて、
手首の運動を支えたり、助けたりします。
この動かし方を習得するのが大変に難しいのです。
付虹先生の生徒中、今のところ、正しく習得しているのは、
付虹先生のお子さんと一番古い弟子の女性一人だけのようです。
ところが、コンサートが刺激になったようです。
私も突然、「ああ、こうだったんだ!」と分かったようです。
コンサート前とはまるで違うサウンドにしびれています。

そして、リコーダー。
私は、今回のコンサートで知りました、
私にはコンサートで合奏する能力はない。
揚琴は12年ほどでようやく少しブレイクできたようです。
それをリコーダーでたった2年半で同じことをやろう、なんて!
もう背伸びをするのはやめました。
でも、このとき試用したリコーダー2本、
ソプラノのフォン・ヒューネ、竹山リコーダーのアルト、
この2本がとても安定して、のびのびと歌うようになりました。
折しも、YouTubeで素敵な録音を発見しました。

Handel Sonata No 1 in G minor for Alto Recorder (Modern Pitch) 
https://www.youtube.com/watch?v=f-trjaMtQS0

Handel Sonata No 2 in a minor Accompaniment for Alto Recorder  
https://www.youtube.com/watch?v=CmKq7CQUP-A&t=2s

リコーダーの楽しさの一つは、
偉大な作曲家の古典作品を素人が弾ける!
その最大の作曲家がヘンデルでしょう。
彼には素敵なリコーダー作品がいくつもあります。
その最高峰がアルトリコーダーのためのソナタ。
もっともオリジナルがリコーダー用だったかどうかは知りません。
でも、私のような素人初心者でも吹けるのです。
上記の2つの録音は伴奏CD。
私はすでにヘンデルのリコーダーソナタ7、8曲の伴奏録音を持っています。
でも、チェンバロ伴奏です。
でも、上記の2作はコンピュータでの製作らしい上記よりも素敵な音楽。
どうやらかなりの名手の実演の録音らしい。
そんなプロの伴奏でリコーダーを楽しめるのです。
これからは、こちらの楽しみに専念します。
ただ、しっかりとした技術を身につけるために、
できるだけ早く優れた先生に教えを乞うことにします。

近頃、楽器趣味は写真趣味に匹敵する重みを持ちつつありますが、
こちらの方も、写真に劣らず、背伸びをすることなく、
素人芸を楽しむ境地を固めつつあるようです。




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# by hologon158 | 2018-05-06 23:05 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

722.02 ホロゴン外傅225「2017年11月24日奈良町はパンタッカー50㎜F2.3の里で」2 診療所


4月18日水曜日、
30数年行きつけの高畑診療所に受診しました。
先月の血液検査の結果を聴きに行ったのです。
診察待ちの間に血圧を測定します。
70−125
いつも通りです。

名医として知られる先生、
「どうですか?」
「いつも通りです。
好調です。」

限界値の10倍以上に跳ね上がっていた血清アミラーゼのことなど、
先生、気にも止めないご様子です。
私の方から尋ねました、
「血清アミラーゼの方はどうでしたか?」
「ああ、あれ、ね」
と、検査表を繰って、
「1225あったのが、2ヶ月後の検査では125に下がっていますから、
まだ限界値より少し越えていますが、
問題ないでしょう」
「やっぱり。
どうなっているんでしょうね?」
「もしかすると、唾液腺に小さな結石があるのかもしれません。」
「でも、すぐに下がるので、大したことはないでしょうね」
「そうでしょう」
というような具合で、自分で診断して、終わり。

とんでもない数値が出た第一回血液検査のときは、妻の入院騒動の最中。
過労状態で心身とも疲れていた時期だったのでした。
第二回血液検査は、そんな妻も大したことなく無事退院したことで、
次女の第二子出産騒動が始まっていましたが、
とにかく難局を乗り切った気分のときでしたから、
そんな私の心の動きが如実に反映したようです。

先生には、
「唾液腺になにか小さな異常がある可能性はあると考えて、
ストレッチのときなどに、口を激しく開閉したり、
口の筋肉を鍛えるような動きをしたりして、
顔面を丈夫にすることで、
間接的に唾液腺に良い影響を与えるようにしています」
先生、
「それはいいことです。
顔はとても大切な部位で、神経もいっぱい集まっていますから」

先生、
「なにか運動していらっしゃるんですか?」
私、
「いえ、していません。
生涯、スポーツをしたことがない人間です。
でも、よく歩いています。
10年以上前から、中国楽器の揚琴を習うようになり、
手が極端に敏捷に動いたり、反応したりするようになりました。
楽器をするうえ、よく歩いていますので、
現在は快調そのものです。
なにしろ105歳まではピンピン生きたいと思っていますので、
今頃から衰えるわけには行きませんよ」
先生、なにか珍しいものを見るような顔で、
終始笑っておられました。

以上のような経過で、
問診は最初の一言だけ、あとはおしゃべり、という状態で、
診察は終了しました。
要するに、目下、絶好調。

診療が終わると、さっそくカメラを取り出しました。

ソニーα7
スーパーアンギュロン21mmF4

私の21mmレンズの伝統の名レンズの中では、かなり小型。
でも、形に似合わず、重さは半端ではありません。
おそらくレンズが分厚いのでしょう。
描写は後継のF3.4やビオゴン21mmF4.5よりも素直ですが、
さすがにスーパーアンギュロン、重厚で立体感があります。
でも、F3.4の豪快なやんちゃぶりと違い、落ち着いた雰囲気。
このあたりのファクターがあるから、
他の2本にしっかり対抗できているようです。

診療所の周辺ロボグラフィを撮影した後、
バス停高畑町から近鉄奈良駅に移動。
銀行で送金を終えると、まだ午前11時10分。
昼食前に一仕事とカメラを取り出して歩きだそうとした、
その瞬間、餃子の「王将」の正面。
足はさっさと王将に入っていってしまいました。
よく焼いた餃子とチャーハンで早めの昼食。
奈良町を周遊しつつ、ロボグラフィを撮り続けました。

いつもの被写体、いつもの撮り方です。
レンズが違うので、少しずつ印象はずれます。
でも、ちょっと見る目のある人が見たら、
いつも同じ撮り方なのにあきれることでしょう。
さらに、目のある人が見たら、
なんだ、いつも同じようなものばっかり撮ってる。
私は別に自分の創造性の枯渇、と言うより、もとからないのですから、
創造性の欠如を隠すつもりはありません。
楽器と一緒。
写真を一枚見て、音を一音聴いただけで、
ああ、なんだ、この人行き詰まっている、
そう気づいてしまうでしょう。

でも、生きるって、そんなものでしょう。
いつもなにかしらに出会う。
出会うことで、なにかが生まれる。
人間に出会うことが一番刺激的かも知れません。
でも、ときに、人間は邪魔になります。
えり好みができにくい。
もの、場所、光景となると、そんな不便はなくなります。
自分の好きなもの、場所、光景を選り好みすることができます。

人間には、それぞれ独自に、ものを見る眼が備わっています。
人によって、その眼はぜんぜん違います。
なにかを見ると、気持ちが良くなり、
なにかを見ると、不快を感じる。
趣味、センスの違いもありますが、経験の違いも大きいかも知れません。
いずれにしても、自分でも説明できません。

一つ分かることがあります。
私は本格的に写真趣味にのめり込んでから、すでに45年経ちました。
最初から、風景よりもストリートフォトでしたが、
その主体はロボグラフィでした。
最初から乱写していました。
でも、正直なところ、なにを撮ってよいのか、分かりませんでした。
撮ることで、自分の気持ちを確かめるプロセスだったようです。
実際、撮りたいものが常に分かるようになれば、一人前かも知れません。
私が一人前になったのは、ホロゴンウルトラワイドを手に入れてからだった、
私はそう考えています。

私がホロゴンウルトラワイドを使い始めた当時、
日本に15mm超広角を使う人間はほとんど皆無でした。
作例など見たことがありません。
京都の写真家がホロゴンウルトラワイドを愛用していると、
コンタックスサロンの責任者から私家版写真集を見せてもらいましたが、
歪んだパースペクティヴのただの超広角写真でした。
スーパーアンギュロン21mmの写真家たちにかなり共通する、
超広角特有のパースペクティブを活用するやり方の真似事でした。

ホロゴンを自分の目の延長にするには、
当時の36枚撮りフィルム千本ほども撮らなければなるまい、
そう心に決め、最初の10年でその目標を軽くクリアーしました。
そのホロゴンウルトラワイドからレンズだけ取り出し、Mマウントに改造してもらって、
ソニーα7に付けるようになって以来、
さらに愛用するようになり、結ばれてから20年近く経過した今、
36枚撮りフィルムに換算して、3千本は越えたでしょう。
それでも、まだ自分の手の先、自分の目、という感じにはなっていません。
この10年、クラシックレンズをあれこれと楽しむようになったせいもありますが、
レンズの描写性を味わう方向に心が変容してしまったせいでしょう、
ホロゴンの描写を最愛としながらも、
他の名レンズたちも本気で愛するようになったようです。
「ホロゴン、命!」とこだわる気持ちが薄らいだわけです。
代わりに、すべてのレンズが私の体験の記録者になる、
そんなスタンスで写真人生を楽しんでいます。
これはこれで無上の楽しみ。




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# by hologon158 | 2018-05-05 22:38 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

722.01 ホロゴン外傅225「2017年11月24日奈良町はパンタッカー50㎜F2.3の里で」1 池波正太郎


近頃、池波正太郎の剣客商売シリーズを読んでいます。
それも古書で。
奈良町に古書店が2軒あります。
その一つがお気に入り。
ほとんどの古書に白紙を掛けて、題名をしっかり大書してくれる、
そんなサービスが好ましいお店です。
連続して2回、剣客商売と鬼平犯科帳の2シリーズの単行本を、
8冊ばかり手に入れました。
記載してある価格より大幅にディスカウントしてくれます。
これじゃ、このお店、ますますお気に入りになりますね。

実はどちらのシリーズも、文庫本で全編持って、読了しています。
その後、朗読CDでどちらのシリーズもかなり沢山手に入れて、
iPodやウォークマンに入れて、愛聴してきました。
不思議に飽きないのです。

なぜだろう?
ときどき考えます。
山本周五郎や藤沢周平の短編群も読みごたえがあります。
文学性においても、展開するドラマが浮かび上がらせる人間たちの姿も、
ほのかに残る余韻も、池波正太郎よりもかなり上質です。
でも、ハッピーエンドに終わるとは限らない。
私は、時代小説で人生を学びたいとは思いません。
ひたすら心をのどかに休ませたい。
そこで、池波正太郎の方をかなり偏愛しています。

お話はかなり単純です。
主人公の秋山小兵衛、その子、大五郎が悪党たちを颯爽と切り捨てて、
ほとんど必ずハッピーエンドで幕。
かなり展開は単調です。
ドラマ性がかなり稀薄で、底が浅いのに、
愛読者はぜんぜん飽きない!
ある種の人間にとって大切な心の深さを感じさせてくれるうえ、
読後感がとても爽やかだからでしょう。

でも、文庫本は活字が小さい。
愛読していた当時はまったくそんな風には感じなかった。
いえいえ、私の目が老化したのではなく、
物語にふさわしい開放感が字面にも欲しいのでしょう。
解決作として、最近、老眼鏡を手に入れました。
黄色いケースに入ったNEO CLASSICS。
眼鏡店の店主が勧めてくれて、
私の目によく合っているらしいのを選んだのですが、
裸眼の像よりも1.5倍ほども拡大してくれて、
視界がとてもクリアーに開ける感じで、気に入りました。
文庫本でも自在に読めますが、
古書店で手に入れた単行本はもっと読みやすい。

後期の1冊「二十番斬り」
昭和60年代初期の刊行。
本シリーズは1973年(昭和48年)が出発点ですから、
古書店のはかなり新しい出版ものです。
でも、ちょっと古びています。
小振りの読みやすい薄表紙の軽い本で、
さすがに文庫本よりも気持ちよく読めます。

この短編の中で、
66歳の小兵衛が目眩のために動けなくなり、
友人の医師小川宗哲に宣告を受けるのです。
「小兵衛さんの躰に、今日のような徴候があらわれたのは
少しもふしぎではない。
あらわれるのが遅すぎたと申してもよろしい」
「小兵衛さんの躰の仕組みが変わってきたのであろうよ。
つまり、ようやくに老人の躰になった、とでも申したらよいかのう」
「六十六歳で、ようやくに
老人の躰に向かいつつあるしるしを見たと申すは、
いや、お若い、お若い」

私は少し体力が落ちたかな、という程度。
でも、筋肉は以前より一番しっかりして、運動性は今が絶好調。
老いを感じさせるような低下はまだ経験していません。
睡眠と毎朝15分のストレッチを健康のバロメーターにしています。
若いときから睡眠は終始快調です。
電気を消して目をつぶったら、ストンと深い睡眠に落ち、
2度か3度、小用に立ちますが、かならず一緒に目を覚ました娘、
静の夜食(乾燥)を少量上げて寝室に戻り、即時入眠し、
朝すっと目が覚めると即座に、意識は清明になります。
睡眠時間は通常5時間半で、多くて6時間弱。
でも、起きている限りは、たいてい、眠気を催さず、
夜も朝もあくびをしません。
このあたりのメリハリの良さは誰にも負けません。
ずっとこの調子が何年も続いています。
若さの証明ではなく、ただ私の心身状態が良好なだけかも?
でも、毎日の活動を支えてくれていることは確か。

ストレッチはかなり激しいメニューです。
すべて全力を挙げて、数を数えながら、休みなくこなします。
たとえば、腹筋体操などをやると、体調が分かります。
よく考えてみると、丸20年休みなく続けてきましたが、
どんどん力感が増してきました。
今が絶頂という感じ。
友人たちにも勧め、このブログでもかなり頻繁に勧めています。
さて、どれだけの人が私の勧誘に乗ってくれているか?

もう一つの健康バロメータは歩行。
歩きながら、体にどこか重さを感じたり、と、
歩行そのものを意識すると、体の疲れが分かります。
快調のときは、歩いていることを忘れるものです。
絶好調のときは、帰宅するまで、足のことを忘れています。
翌日に一切残りません。
このあたりのピークもまた近頃になってのことです。
105歳まで元気で生きるためには、まだ何十年もあるのですから、
秋山小兵衛のように、目眩を感じたり、
なんて横道逸れるわけには参りませんねえ。




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# by hologon158 | 2018-05-04 11:15 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

721.03 ホロゴン外傅224「2017年11月7日奈良町古色はペッツヴァール200㎜が得意」3 合奏リハーサル


4月11日水曜日、
28日のアブニールコンサートでの合奏の練習日でした。
散々でした。

このコンサート、初心者でも気楽に参加できる、
そんな希有の企画として出発しました。
今回が4回目。
私はリコーダーを始めたばかりの初心者でしたが、
主催者の音楽家の浜崎さんがリコーダーもおやりになると聞いて、
機会があって、指導をお願いしますと、
教えるなんてできませんが、折角ですから、二重奏を練習して、
私の企画するコンサートでやりましょう、
という見事な口車にうっかり乗ってしまい、
3回、二重奏で参加しました。
小規模な企画で、小さなホールで、
お客さんと和気藹々とした交歓の場という雰囲気を楽しんできました。

今回が4回目。
今度は、もう一人低音を受け持つ方が参加して、三重奏でやりましょう、
という魅力的な提案にうまうまと乗ってしまい、
4回目の参加することにしました。
でも、予想外のことが2つ起こりました。
① 三重奏になると、当然ながら(とは知りませんでしたが)、
音の調和が必須ということになり、
自由に吹き飛ばすことなど許されない。
② 次第に参加者も増え、コンサート会場が200人規模の小ホールから、
いきなり500人も中ホールに拡張。

① 合奏
まず、合奏ですが、生涯、本格的に合奏などやったことがなかったし、
和音の勉強もしたことがない。
音の高さに対する感覚もない。
そんな人間が、これまでめったやたら、
自由自在、自分勝手に吹き飛ばしてきたリコーダーを、
他の声部と合体して、一つの和声となるように吹くなんて、
簡単にできっこありませんね。

② 会場
リコーダーは、大きな音を出そうとして、音を強めると、
ピッチが上がります。
元来とても秘めやかなおっとりとした音の楽器なので、
小ホールで小編成で音楽を楽しんでいたバロック時代までは生き延びましたが、
次第に編成も演奏空間も拡大するにつれて、使いものにならなくなり、
ヘンデル、モーツァルトの時代以降は使われなくなりました。
20世紀中葉に復活しましたが、
フランス・ブリュッヘン、ミカラ・ペトリのようなリコーダー演奏家でも、
演奏空間は基本的に小さなホールで演奏するのが通例でした。
今回は中ホールで、リコーダーには大きすぎるうえ、
悪いことに、音響特性がかなり偏っていて、音が全然遠くに伝わらないので、
結局、マイクを導入するとのこと。
名手の演奏ならマイクも結構でしょうけど、
下手な演奏は、マイクでさらに下手さ加減が増幅されます。
今回の3曲はすべて歌から編曲なので、
ボーカル部分を担当する私が一番下手なのですから、
その下手さ加減をマイクでさらけ出す羽目になりそう。

どうやら、合奏の極意は「節度」「ハーモニー」のようです。
揚琴でそれを学び、リコーダーでさらに思い知らされました。
私という人間は生涯ずっと、一人ですべてを決めてきましたので、
強調し、協力し、力を合わせて目的達成、
なんてことをほとんどしたことがありません。
自分を殺したことなどほとんどない、という、
かなり偏った人生を送ってきましたので、
共同歩調をとる合奏は、実のところ、私には一番不向き。
そのことを、今頃になって思い知らされました。
やれやれ。

まあ、それでも、音楽家お二人の指導を受けて、
まあまあの程度にこぎ着けたという風に言っていただきましたが、
困ったことに、私自身はまるでどう良くなったかが分からない。
分からないから、改善が保存される自信がない。
という感じで、ちょっと心許ない思いをしています。




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# by hologon158 | 2018-05-03 21:39 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

721.02 ホロゴン外傅224「2017年11月7日奈良町古色はペッツヴァール200㎜が得意」2 野郎ども


前回の続きです。
今は、若者はライブには集まっても、コンサートホールには来ない。
男の子たちは受験勉強に追われて、鉄道オタクしている暇はない。
それだけ余裕のない時代に移行しつつある、
そんな感じがします。
時代は変わるものです。

鉄道博物館ははじめて。
私は鉄道ファンではありません。
子供の頃SLによく乗りましたが、
だから、懐かしいという気持ちもありません。
おかしな思い出しかないからでしょう。
高校の卒業旅行は信州、佐渡夏の旅でした。
長野からSLで大阪に戻りました。
真夏の暑い午後でした。
幾度もトンネルを抜けました。
機関車の黒煙がトンネル内では車内に逆流します。
トンネルを出る度に窓を開け、
トンネルに入る度に窓を閉めるのですが、
いつも遅れます。
閉め遅れた窓、閉め忘れた窓もあります。
その度にもうもうと黒煙が吹き込みました。
つまり、トンネルを入る度に、車内は濃霧さながらの黒煙の渦。
3日ぶりに帰宅して、玄関に入った私を迎えた母、
仰天の目を大きく開いて、
「まあ、一体どうしたの?」
白いワイシャツも私の顔も完全に真っ黒だった!
なぜか帰宅するまで、私は気がつかなかったのです。
同行の友人たちを見て、なぜ気づかなかったのか?
今でも不可解。
徐々に変化すると、目も心も慣れるようですね。

そんな事情もあったせいでしょうか?
SLを懐かしむ気持ちは全然ありません。
まして、写真を撮りたいなんて、思ったことは一度もない。
そんな私が鉄道博物館をぐるぐる歩き回ったのです。
広大な扇形車庫に巨大な機関車が並んでいます。
その魁偉な姿、すさまじいばかりの量感には圧倒されました。
SLオタクでもないのに、かなり魅了されました。
とくに蒸気機関車の運転席のすさまじい雰囲気に納得させられました。
これこそ仕事野郎の戦場だった!

新幹線はコンピュータが運転しているのだそうです。
もちろん非常事態には手動をする運転手の出番なのでしょうけど、
平常運転の間、運転手はなにをしているのでしょうね?
実際の司令はすべて中央管理室のような施設で行われるでしょうから、
新幹線内にもうけられた計器のチェックと、非常事態における要員、
この程度が仕事なのでしょうか?
走行中の新幹線の運転席で、運転手が窓に脚をかけていた、
と、問題になったことがあるそうですね。

こんなことを考えると、現代でも鉄道オタクがいるとして、
その関心の方向は人間的なファクターから機械工学的なそれに
変わっているのではないでしょうか?

その内、カメラを持って鉄道博物館を再訪してみようか、
という気になっています。
私には珍しい被写体ですが、これもロボグラフィの一種。
あの黒い山のような機関車の壮大なものの迫力、
車体、運転席から溢れて出てくる人間たちのすさまじい営み、
生きざまの痕跡を写真に撮ってみたい、
そんな気がします。

先日、JR奈良駅の精算機の前で十人ばかりの男たちを見ました。
2、3人の男を囲むようにして、防弾チョッキでしょうか、
ちょっとものものしいグレーの装備の警察官たちが7、8人。
精算しながら眺めると、なにやら事情を聴取しているのですが、
驚きました。
一般人だけではありません、警察官たちまでも全員、
普通の体格、若者顔、静かな声音、おっとりとした物腰。
どう見ても、高校生風の子供。
かつては、警察官たちは、一般人よりも少し背が高く、
がっしりとして、いかにも柔道か何かで鍛えている物腰、
底力のある声色、マッチョの語り口、鋭い眼差しでした。

ああ、あの噴出するようなエネルギーに満ちた機関車野郎たち、
「この男危険につき」迫力満点の刑事たち、
あんな野郎どもはどこに行ったんだろう?




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# by hologon158 | 2018-05-02 22:21 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

721.01 ホロゴン外傅224「2017年11月7日奈良町古色はペッツヴァール200㎜が得意」1 鉄道博物館


4月28日土曜日は第四回アブニールコンサートでした。
その報告はもっと後でします。
今回のシリーズはペッツヴァールSVE200㎜の奈良町散歩。
このペッツヴァール、無銘で、ただの寸胴の鏡胴だけ。
宮崎さんにライカMマントに改造して頂く手間を省き、
Kマウントのヘリコイドリングにセットしました。

ぼけレンズと言ってしまったら、おしまいだあ.........
現実には、ぼけレンズなのでしょう。
でも、その柔和な表情は格別です。
およそ現代の名レンズたちとは対蹠的。

私は現代の名レンズが嫌い。
だから、ペッツヴァールが大好き。
こんな対称的な構図では、態勢からの隔離は必至ですね。
ここに並ぶボケボケ写真をご覧になったら、
私の意見に同感する方はごくごく少ないでしょう。
それが分かるから、余計に嬉しくなる。

私はそんな人間です。
大事な場面で多数決に譲っていたら、私の人生はゼロでしょう。
誰がなんと言おうとも、こうなんだ、と心が決まったら、
グラリとも動かない、そんな風に生きてきました。
でも、どうでも良い場面では、意見が違っても、
がんばらず、そっと自分だけ別のことをしてきました。

ペッツヴァールレンズって、使い手を選びます。
私はまだペッツヴァールの美点を生かし切ってはいないでしょう。
でも、それでも、ペッツヴァールにぞっこん惚れ込んでいる、
そのことだけは、ペッツヴァールも分かってくれているようです。




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4月7日土曜日、京都鉄道博物館に行きました。
「近鉄団体貸切列車あおぞらⅡで行く!
乗ったままでの洗車体験と
京都鉄道博物館夜間貸切の旅」
というツアーに参加したのです。
絶えず活発に動き回りたい妻が見つけたワンデイトリップ。
長女と孫プリンス6歳、孫プリンセス1号3歳に合わせたつもりでしたが、
終わってみたら、なんのことはない、
半日も特急電車に閉じこめられたまま、
近鉄布施、八木、橿原神宮、大和西大寺、京都と、
半日かけて、ゆっくり移動するだけでした。

イベントとしては、西大寺車庫に入って、洗車体験。
こう書くと、どんな光景を想像しますか?
私たちの想像は、自家用車の洗車光景の大型版でした。
あの大きな車両が噴射するシャワーの中をゆっくり通り、
しっかりと隅々まで洗われるスペクタクルを体験できる、
そう想像していたのでした。

でも、まるで違いました。
6両がゆっくり動き、その窓に洗剤が散布され、
確か2本のブラシが回転するゲートを通過するだけ。
特急の前面と後面は係員がブラシでゴシゴシ。
あっと言う間に完了。

特別列車なので、随所で時間待ちをしながら、
3時間少し、のそのそと徘徊したという感じでした。
後は持ち込みのお弁当をいただく程度なので、
孫たちが退屈。
楽しんでいたのは鉄道オタクのおっさんたちだけ。
書き遅れましたが、6両はほぼ満員でした。
数百人の乗客の7割ほどは男たち。
みんな長年鉄道を愛してきた鉄道ファンたちのようです。
私たちのような家族連れはわずかでした。
中でも熱心な鉄道写真オタクの男たちが
先頭車両の前面の昇降ルームに出たり入ったり、
中で右往左往したり。
私たちの席は最前列の4人席でしたから、
男たちが動く度に扉がガタゴト開閉する音に辟易。
子供たちも退屈、ということで、
あまりワクワクするトリップではありませんでした。

おもしろいのは、鉄道写真オタクたちの年齢。
昔、蒸気機関車などの鉄道写真がはやり始めた頃、
通勤列車駅にもカメラを持った青年、子供が
ホームの端にチョロチョロしていたものです。
そんな青年、子供たちが興味を失わないまま年をとったのが
かなりツアーに参加していたようです。
つまり、かなりの歳の連中。

コンサートホールの観客が一斉に老化してきたように、
鉄道オタクのみなさんも老化傾向のようです。
コンサートも鉄道写真も、もしかすると、
日本経済の興隆のうねりの中で起きた現象なのかも知れませんね。





# by hologon158 | 2018-04-29 22:14 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

720.04 ホロゴン外傅223「2017年11月27日奈良帯解をクセノン50㎜F2.8が駆け抜け」4 興福寺


4月5日木曜日
昼食後、パワーウォーキングに出発しました。
もう1週間、続けています。
おかげで体調は万全なのですが、
毎日、少なくとも200枚から300枚撮るので、
ただでさえ、ブログに収容しきれないストックを抱えているのに、
この調子で増えると、
ますますブログ掲載の時期は遅れに遅れることになりそうです。

でも、私が飽きずに歩けるのは、カメラを持っているからです。
多くの人は内省と記憶力に長けているようです。
お出かけのとき、本もカメラも持たない方がかなり居られます。
ウォークマンを見たり、携帯で音楽を聴くわけでもない。
電車や喫茶店で座っても、ただじっと沈思黙考の体。
感心します。

私はそれができません。
元々思考型の人間ではないし、記憶力がまるでないので、
沈思黙考が不得意。
思考やアイデアを記憶の倉庫に貯え、これを適宜取り出す、
なんて芸当はできません。
ポメラもカメラも私の思考と記憶の道具なのです。
写真を見ると、撮った理由、撮ったときに感じたことなど、
いろいろな情報が浮かんできます。
ポメラやマックでキーボードを叩くと、
なにか書きたかったことが浮かびあがり、
忘れていたことが忘却の闇から浮かび上がってきます。

ポメラは私にとっては杖である、剣である存在。
とくに、ポメラDM20に換えてから、作文も好調です。
ますますブログの文章が長大化しつつあるようです。

ポメラで書く文章は、エッセイでも論文でもありません。
理路整然ならぬ、理路混濁のただの偶感の同時記録。
一端を論文、逆の一端を夢語りとすれば、
私のブログ文は、かなり夢語りに近いでしょう。
多くの人が、hologon158って、なんとでたらめの文章を
平気で発表しているものだ、とあきれていることでしょう。
誰も意味不明の駄文など読まないでしょうし、
たとえ、暇人が読んだとして、
その駄文の列の向こうになにが待っているか予測不能でしょう。
いずれにせよ、一回読んだら、もうこりごりでしょう。
というより、もし偶然アクセスされる方があったとしても、
記事一つを最後までたどるという通常の事態が起こらない。
ありがたいことです。

今回は、県庁前バス停で下車して、
興福寺の博物館と本堂を訪ねました。
久しぶりです。
阿修羅像を中核とする乾漆八部衆立像は圧巻ですね。
阿修羅を始めとする青年の容貌が清新の気に満ちています。
一時他に移転していて、博物館に帰ってきたのですが、
安全のためでしょうか、立ち位置を後退させてしまったので、
以前のような迫力を感じることはできなくなりました。
残念。

でも、東大寺博物館と違い、
保護ガラスの中に閉じこめないあたりもオープンマインドだし、
置き方、照明等のプレゼンテーションも秀逸です。
この見せ方が最大の効果を発揮しているのが、
乾漆十大弟子立像。
信仰一筋に生きる弟子たちの瞑想が生き生きと蘇る、
そんな雰囲気がみなぎっていて、
この精神性の高さはただものじゃない、と、
粛然とした思いを抱かせてもらえます。

法隆寺、東大寺、唐招提寺、興福寺、室生寺、新薬師寺など、
奈良の名刹に所蔵される仏教が興隆しつつあった時代の仏像群は、
信仰とは無縁に、芸術性の面でしか考えない私にとっては、
ギリシア、エジプト、インドの石窟群、敦煌石窟と並ぶ、
最上の造形芸術のメッカ、そう断言したい気持ちです。



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# by hologon158 | 2018-04-24 22:56 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

720.03 ホロゴン外傅223「2017年11月27日奈良帯解をクセノン50㎜F2.8が駆け抜け」3 古市町ウォーキング


4月4日水曜日
パワーウォーキングを続けています。
今日は妻が外出。
午後3時半頃には、豆腐屋の出張販売が来ます。
奈良で一番おいしい近藤豆腐店です。
奈良町に豆腐料理の店を営んでいます。
才能豊かなシェフが創作豆腐料理のコースを食べさせてくれます。
どれもこれも独創性に溢れ、豆腐が大好きになります。
その豆腐を自宅でいただけるのです。
毎週来てくれます。
私の住んでいる住宅地で、たった3、4軒だそうです。
健康に良い上に、猛烈においしいのにねえ。

おっと話がずれました。
この豆腐の販売車が来る前に帰宅しなければなりません。
妻のためにおいしい豆腐料理を作らなければならないので。
昼食は一人です。
その豆腐店の高菜漬けと豚三枚肉と卵と野菜で、
高菜焼きめしを作りました。
中華鍋を振り回してふっくりと仕上げました。

妻が居ると、あれこれおしゃべりしながら昼食を楽しむのですが、
一人のときは、ポメラで作文するか、読書しながら、頂きます。
消化に悪いかもしれませんが、作文にせよ、読書にせよ、
一層捗るので、おかまいなしです。
私は国家試験もゴウゴウとオペラをかけながら勉強しました。
父と同じ仕事を目指していたのですが、
お隣のご主人もたまたま同業でした。
後日、父に言ったそうです。
「あんなに音楽大きな音で聞きながら、よく通ったものだ」
そう言いつつ、自分は自宅で仕事をするときは、
古い倉を改造した書斎の密閉空間にこもって、
やっぱり音楽をかけていたのですから、
よくも私のことを言えたものだ、と言いたいところ。
私はどうやら、彼同様、
音楽をかけることで精神集中できるタイプのようです。
生涯音楽をかけ続けてきました。

この文章は、今回のショートトリップの回帰点にある、
コンビニのベンチで書きました。
いつものとおり、草餅と「おーいお茶」をコンビニで買って、
お三時(実はまだ2時15分ですが)を楽しみ、
ソニーのウォークマンが韓国のヘグム音楽を鳴らす中、
一心不乱にポメラDM20に文章を打ち込みました。
1文書の制限がなくなったので、文書作成に集中できます。
気持ちのよい風がほおをなぜ、ヘグムが心をなぜ、
草餅が舌をなぜてくれます。
至福のとき!



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# by hologon158 | 2018-04-21 23:16 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

720.02 ホロゴン外傅223「2017年11月27日奈良帯解をクセノン50㎜F2.8が駆け抜け」2 ヘビーウォーキング


4月30日金曜日(もうあれから20日も経っていますね)、
昼食後ウォーキングに出かけました。
そんな言葉があるかどうか知りませんが、
「ヘビーウォーキング」と呼ぶことにしました。
できるだけ脚力を鍛え、かつ撮影もしちゃおう、という、
欲張りプログラムです。

ご近所は田園過疎地帯です。
鹿野園町、白毫寺町まで、撮影しつつ、早足で40分歩きました。
ちょっとした休憩場所があるので、しばらく滞在し、
チョコレート少々とミネラルウォーターでエネルギーを補給。
ソニーα7に付けたのは、宮崎貞安さんの近作、
アポクアリア28mmF2。
右手で握り、ホロゴン以外のレンズの習慣で、
縦位置専科ですから、
そのまま手を突きだして、ノーファインダー撮影できます。
休憩を挟んで、結局前後各40分程度の撮影を楽しみながら、
わざとグイグイ早足で歩きました。
快調そのものの撮影散歩で、
前半で209枚、後半で115枚、合計324枚撮っていました。
概ね分あたり5枚、というテンポ。
まず、快調だったようです。

フォトジェニックな被写体が沢山見つかった、
ということではありません。
私とフォトジェニックとは無縁。
私が「いいな」と思ったものがそれだけ見つかった、ということ。
「いいな」と思うのは、写真としていい、ということとは無縁。

ただただ、こいつ、がんばってるな、
そう感じたら、撮る、それだけ。
私の写真は、私の心の弾みの記録、というだけのこと。

おかしなものです。
私は祭りが好きではありません。
でも、偶然、地元の小さな祭りの行列によく出会います。
私は桜が好きではありません。
別に桜に恨みはありませんが、
人が集まる場所が大嫌いなだけ。
今回もかなり沢山桜に出会いました。
一気に満開、という感じです。
わずかな時間しか花を咲かせられない、
それが桜の運命のようです。
自分でもそれが分かっているので、
必死で両手を天に向かって突き上げている、
そんな感じがあって、儚くけなげですね。
日本人はそんな桜の気持ちに反応するのかも知れません。

私は、桜に特別な思い入れはありません。
桜と言うと、桜見物の群衆、三脚を持ったカメラマンを思い出します。
この連想が深いなので、桜も少しとばっちりを食っているかも知れません。
袈裟が憎けりゃ、坊主も憎い、という逆パターンのようです。
でも、今回の道でも桜に会いましたが、
上記の付随物には会わず、おかげでかなり撮りました。
でも、基本的には、これもロボグラフィだから。

健康を増進するために始めたウォーキングです。
快調でした。



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# by hologon158 | 2018-04-20 21:44 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

720.01 ホロゴン外傅223「2017年11月27日奈良帯解をクセノン50㎜F2.8が駆け抜け」1 杉岡華邨


奈良町に書道家杉岡華邨の書道美術館があります。
かな書の一人者として、1995年文化勲章を受章した人です。
2000年に美術館ができたのですから、すでに18年。
私はずっと横目に見ながら通り過ぎてきました。
書に無縁だったわけではありません。
私の姉はかなりの書道家です。
私も書に関心がないわけではありません。
でも、折に触れて書に出会って、
「ああ、いいな」と感嘆できれば、それで幸せ、というスタンス。
でも、仮名文字はなかなか理解しがたいものが私にはありました。
だから、18年で初めて入館したわけです。

かなの書を一気にこれだけ見たのは生まれて初めて。
さまざまな歌、詩を書の作品にしたもので、
原文が下に貼られています。
でも、おかしいですね、書の文字とぜんぜん似ていない。
草書体なので、完全に崩してあるようですが、
どうしてここまで崩せるのか、
でも、ぜんぜん形が似ていない、
堪能な人は他人が書いた草書もすらすらと読めるんだろうかと、
戸惑ってしまいます。

でも、対座するようにして、じっと見つめていて、
ふっと感じました。
音楽と一緒だと考えることにしよう。
理解するのではなく、感じるしかない。
読み解こうとしないで、形を賞味しよう。

そうすると、なんだか印象が違ってきました。
わくわくと楽しさが湧いてくる作品がいくつか見つかりました。
すると、おぼろげながら、華邨先生の心の動きも、
違った風に感じられるようになりました。
もしかすると、書家も、言葉を頭で受け取らず、
言葉の向こうに響く音楽を感じながら、
筆を走らせたんじゃないだろうか?
頭で考えて、構成しようとするのではなく、
その時、その場の気持ちのままに一気呵成に筆を走らせ、
書き終わった瞬間に、はっと目が覚める、そんな感じ?

こんな風に感じるようになったからと言って、
仮名の書が味わえるようになったとは思いません。
こちらの方がまだ、頭で考えようとする姿勢から、
完全に抜けきってはいないからです。
だから、今回の成果は、
仮名の書が面白いと感じられるようになったことではなく、
時々訪れて、もっともっと沢山の書に接してみよう、
そうしたら、突然、なにかが感じられる、
そんな日が来るかも知れない、という程度でした。
それだけでも、一歩前進、そう考えたいですね。

今回から、久しぶりのレンズ特集。
ソニーα7に付けたのは、クセノン50㎜F2.8。
レチナⅡcに付けられていたシュナイダーの名レンズです。
私がレンズの凄みに生まれて初めてショックを受けた、
そのレンズこそ、これでした。
どうして、そんな風に思ったか?
まあ、奈良市南端の帯解で撮った写真たちをご覧下さい。
「ほんとにそうだなあ、凄いレンズなんだなあ」
そうお感じになるとしたら、あなたは我が党の士なのです。





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# by hologon158 | 2018-04-18 21:40 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

719.04 ホロゴン外傅222「2017年11月14日スピードパンクロ35㎜F2が新大阪に」4-完-老化を防ぐ


絶えず、考えていることがあります。

老化を防ぐにはどうしたらよいか?
もちろん体を動かし、鍛えることは大切です。
でも、もっと大切なことがあるのでは?
そのことをおろそかにすると、老化が進む、
それは何か?
ちょっと考えると、答えは明らかですね。
どんな場合でも、司令塔が一番大切です。
人間の場合で言えば、頭、これですね。

まず、頭が先だ!
どんなに体が丈夫、頑健でも、頭がぼけたら、急速に老化が進みます。
頭がしっかりしていたら、老化を防ぐための作戦を常に検討し改善し、
プログラムを組んで実施することができます。

どうやら、頭もまた、鍛えなければならないようです。
ぼんやりしていたら、頭はどんどん擦り切れて行きます。
では、どうやって鍛えるか?
私は、なんでも自分の頭で考えるのが好きです。
子供の頃から、いつも自分で考えてきました。

頭を使うというのはどういうことでしょうか?
自分の人生で解決しておくべき問題を、
自分で見つけること、
これが出発点ですね。

なにも問題がない人って、いるでしょうか?
私は信じます、そんな人は居ません。
生きるって、絶え間なく問題にぶつかり、
これを解決しようと苦闘する連続なのですから。

問いを正しく見つけ出すこと、これが最初の難問です。
多くの失敗はこの最初の難問を解くのに失敗して、
的外れの問いを設定してしまうことに起因します。

そして、問題も、その解決の方法も人様ざまですね。
だから、人間は独自の文化、独自の文明を創り出してきたのです。

引退してみると、仕事上の問題はなくなってしまいました。
毎日毎日、自分の歩くべき道、目的、方法を、
自分の力で創り出し、見つけだしていかなければならないのです。

昔、漫画サザエさんで見たのですが、
夫のマスオさん、暴漢の大男に襲われます。
突然、マスオさんは、これが夢の中だと気づきます。
すると、マスオさんは、にっこりして、
「じゃ、やってやるぞ!」
そして、暴漢を一発でぶっとばしてしまうのです。

引退後の人間って、このマスオさんですね。
なにかをしなければならない、という制約も義務もありません。
失敗しても、いいのです。
「失敗は許されない」なんて、力む必要がまるでない。
結果だって、どうでもよいのです。
あることを企画して、実行する、この作業が大事。
ある種の訓練であり、ある種の啓発にもつながります。
そうした企画と実行の積み重ねが、
いつかとんでもないほど達成感のある何かに繋がるかもしれない。
秘訣は、「笑顔で楽しく」
ただこれだけですね。




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# by hologon158 | 2018-04-17 23:01 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

719.03 ホロゴン外傅222「2017年11月14日スピードパンクロ35㎜F2が新大阪に」3 張本氏、退場!


私はスポーツというスポーツが全部できないという、
おそらくこの世に類例はあるまいと思えるほどの、運動音痴です。
だんだん分かってきたのですが、
それほど運動神経が悪いわけではなさそうです。
年をとっても、敏捷性はむしろ増してきて、
今が絶頂、という状態。
これは揚琴を練習してきたからのようです。
超高速で1㎝ほどから数十㎝まで無時間移動をしなければ、
音楽にならないから、これも一種の運動のようです。

では、なぜ運動をしなかったのか?
嫌いだったのです。
そんなことをするよりは、本を読んでる方が好きだった。
そして、家族の誰も、私に運動しようと勧めなかったからです。
ちなみに、両親とも、小学校から大学まで、
私の学校での学習、成績について一切尋ねませんでした。
なんらかの干渉もなし。
無関心だったり、冷たかったりしたわけではありません。
私にすべて任せてくれた、そんな感じがします。
でも、そのお陰で、運動も一切しないままだったわけです。

でも、運動そのものは好きでなくても、
ずばぬけた才能の持ち主で、かつ、
人間的にも魅力のあるスポーツマンには、
時折強い関心を抱いてきました。
古くは、F1のアイルトン・セナがそうでした。
近くは、もちろん、イチロー。
そして、今、大谷君。

高額の報酬を棄てて、最低年報に甘んじて、
大リーグという修羅の戦場に身を投じ、
おそらくニューフェースとしては、
大リーグ史上もしかするとベストテントップと思える位の。
大車輪の活躍を投打に見せています。

でも、私が書きたかったことは彼のことではなく、
プロ野球界の大御所の一人、張本勲氏の大谷評のこと。
大谷選手が3試合連続ホームランを打った快挙に対して、
「まぐれか、大リーグの投手の程度が下がったか、
おそらくその両方でしょう」
と評して、諸方面から酷評を受けていることはご存じのとおりです。

酷評は当然ですね。
志を貫いて、大リーグに身を投じた後輩の若い選手に対する
あたたかな気持ちなど微塵も感じられませんね。
まあ、そんなご意見番的な姿勢が彼の存在価値なのかも知れません。

でも、不思議です。
彼位の大御所的な立場に立てば、