前回の続きです。
喫茶店を出ると、車付きの御神輿の行列。
私がお祭りが好きではないのに、
至る所でお祭りにぶつかります。
お祭りも私のために神様が用意してくれた、
異色のロボグラフィによる沿道サービス、
そう受け取って、遠慮なく接近して
撮らせて頂きます。
なんだか、飲み屋のお姉ちゃん風のかなりソフトな女性たち、
完全なレスラー姿のむくつけきゴリラたち、
普通のお兄ちゃんたち、
そして、かわいい普通の子供たちと、
おそらく通天閣界隈の業者一家の有志による行列らしく、
浪速っ子たちを無作為抽出したら、
こうなった、と言わんばかりの、
なんだか物騒で、それでいて、実に楽しげな一団でした。
行列のお兄ちゃんの一人、私のレンズをじっと見て、
「ライカですか?」
少しは知識がありそう。
そのあたりの男性を無作為抽出しても、
10人に1人はライカを知っている、そんな感じがします。
私、
「いや、ロシアのレンズですよ」
これでぐっと私の格が落ちるわけですが、
オリオンがライカのエルマリートやズマロン各28㎜におさおさ劣らぬ
名レンズであることをくどくど説明するのも、
なんだか貧乏ったらしいので、やめました。
面白いことは、見渡しても、通天閣、商店街あたり一帯に
アマチュアカメラマンは一人も見当たりませんでした。
私は、お祭り写真家でもなんでもないのに、
行列から1m以内で撮り続けていました。
と言っても、私の前を通り過ぎてくれたので、
私は、お祭りカメラマンよろしく、
行列の周囲をぐるぐる駆け回ったりはしません。
所詮、私のような永遠のレンズ試写レベルで撮る素人は、
出会い頭ガッチンコと対面したものを撮るだけ。
でも、ここでもやっぱり考えてしまいました。
女性が実にたくましく、積極的です。
やっぱり21世紀は女性の世紀となりそうですね。
本気でのめり込んでいる。
おそらくこの祭りの本番になるまで、
幾度かミーティングしたり、
企画担当者が頭を使ったりして企画立案し、
服装、小物道具なども取り揃えて、
と、みんなで頑張ったのでしょう。
私は、生涯、そんなグループ行動に馴染まないまま、
一人で仕事をし、写真を撮り、文章を書いてきました。
だから、私という人間には、ある種の欠落があるのでしょう。
そのために、アマチュア写真時代も、その後のど素人時代も、
私の写真はいつも私一人が楽しむだけで、
写真撮影の努力がある種の写真作品として結実することは、
ついにほとんどありませんでした。
「まあ、下手ではないんだけど、
いつもなんだか筋違いな写真だなあ」
という印象ばかり醸し出していたかもしれません。
そんな「はぐれ羊」みたいな人間だから、
こうして、人の来ないブログを心行くまで楽しめるのでしょう。
これも一種の幸運、そう私は受け取っています。
いつも、どこでも、どんな写真でも、満足できるのですから。
ついでに、私の作文も一つ付録に付けます。
何十という文章がたまってしまい、全然はけませんから。
ご存じでしょうか?
と、言っても、前にも書いたことがありますが、
エジプトの遺跡の中で、三大ピラミッドと並ぶ超絶古代遺跡、
それが大スフィンクスですね。
地質学者のロバート・ショックと考古学者ジョン・ウェストが、
1992年、極めてショッキングな新説を発表しました。
大スフィンクスは、
1万年以上前に建設された!
証明は実にシンプルでした。
① 大スフィンクスおよびその周辺の遺構の石積みに、
垂直に刻み込まれた溝があるが、これは降雨による摩耗である。
② サハラ砂漠ができたのは紀元前5、6千年頃で、雨がなかった。
だから、現在学会が認めるエジプト文明はスフィンクスを構築していない。
③ 溝の摩耗の状態に照らして、
スフィンクスが1枚岩から削り出されたのは1万年以上前である。
世界の古代史学会には、文明起源について既に確固たる定説が存在しました。
シュメール、アッカドが最古の文明であり、
エジプト文明はそれらにわずかに遅れて出現した。
その学説は孤立した学説ではなくて、
人類の文明発展史に組み込まれています。
つまり、確固たる文明など持たなかった狩猟採集民が定住して農耕民族となり、
その後に社会、宗教、文明が発展した。
ショック博士の新説は、
まだ狩猟採集民が個々バラバラに放浪していたとされる時代に、
大スフィンクスのような壮大な彫刻とこれを守る神域構造が建造されたことになる、
ということになります。
確固たる定説を基盤にして発掘調査研究を築き上げてきた学界が、
この説を受け入れるはずがありません。
この新説が報告された学会では、
ショック博士らの新説の根拠に対する直接的反論は出なかったようです。
なにしろ何百年も誰も気づかなかった視点と証拠に基づいていたからです。
そこで、足下をすくわれた思いの考古学者が執ように迫ったのは、
大スフィンクスが建てられたとされる時代の遺跡なんて、
他にないじゃないか?
もしあるのなら、示してもらおうじゃありませんか!
ということでした。
この反論は学問の常識に照らして、
「お前の母ちゃんでべそ式ごまかし」ですね。
誰もが遺跡など簡単に残るものではないことを知っています。
石だけが残ります。
他のすべての金属等の素材はすべて時とともに解体消滅してしまいます。
現代文明が滅んだとしますと、石などほとんど使っていないので、
千年も経つと、ほとんど痕跡が残らないと言われています。
石だって、壊されたり、自然の風化によって、自然に帰してしまうのがほとんど。
だから、1万年以上前の遺跡がスフィンクス以外に見つかっているか?
見つかっていないであれば、ショック説は間違いなのだ、と、
旧説の学者が迫ったのですが、
なんと1万年以上昔に遡る壮大なギョベクリ・テペ遺跡がその後に発見され、
上記の旧説学者の反論は完全に無効に帰してしまいました。
その後、世界の各地の海中に遺跡がどんどん発見されています。
なぜ、そんなことが起こったか?
地質学上、地球の海面は約1万1000年前から約7000年前に、
幾度かの彗星衝突等による北半球の氷壁の崩壊によって、
大洋の水位が100m以上上がってしまったことが明らかになっています。
つまり、水没する前は、海のかなり深くまで地表であり、
現在発見され続けている海中遺跡は当然のことながら、
地表に存在した文明の遺跡なのです。
ということは、現在、従来の古代史学の中には、
この完全なパラダイムシフトの波に呑まれて、
完全な見直しを迫られる時代になっているようです。
でも、面白いですね。
学者たちって、軽業師じゃないので、
そう簡単に、鮮やかな宙返りを決めるなんてことはできません。
地盤そのものをすくわれた状態で立ち往生し、
そんな新説などひっくるめてなかったことにしましょう、
というような反応に終始しているようです。
さて、古代史学がこれからどんな風に危機に正しく対応するようになるか?
見ものですね。
アインシュタインの相対性理論、それに続く、量子力学、
さらには現代の百家争鳴の革命的理論爆発の連続に、
ニュートン物理学の学者たちは静かに消えていってしまいました。
古代史学の旧派の学者たちも、一人一人、静かに消えていく、
ということになりそうです。
私は、そのような旧派の皆さんの運命には関心がありません。
私だって、存在自体時代遅れになりつつある人間なのですから。
やっぱりきになるのは、アトランティス大陸の発見、
そして、地球外文明との接触ですね。
「人類の歴史はもっともっと古く、深い!」
「私たちはこの広大な宇宙の中で孤独ではなかった!」
そう確信したいですね。


















































#
by hologon158
| 2019-12-01 22:44
| ホロゴン外傳
|
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7月22日月曜日、
付虹先生の揚琴レッスンが終わってから、
環状線新今宮駅に直行しました。
近頃、天満橋筋商店街と通天閣界隈が定石となっています。
いずれにせよ、遠出の撮影は、
揚琴レッスンのような行事とできるだけ組み合わせて、
交通費をはしょることにしています。
通天閣界隈はまさに外国人観光客のメッカ。
とくに観光客3人に2人は中国人、という感じ。
付虹先生に聴きました、
中国の企業は休暇の時期について制限を加えていないそうです。
まさに欧米なみのバカンス。
自由なバカンスなど、時期でもとることがままならない
日本のサラリーマンはまさに地獄なのでしょう。
だからと言って、
日本経済が他を圧する成果を上げているとはとても思えませんね。
本日持ち出したセットは、
ソニーα7
オリオン28㎜F5.6
私に言わせれば、ロシアの超名レンズ。
とにかく誇張なく、ナチュラルに、かつ立体感たっぷりに撮れます。
どうしてこんなに?
と、時々舌を巻きます。
ツァイスのトポゴン25㎜F4のコピーだと聴きました。
トポゴンは超絶描写。
オリオンは自然描写。
私には、レンズとしての稀少価値、風格という点で前者が上でも、
描写性では、オリオンの方が好きと言いたいですね。
今回は、開放から1段絞って、F8で常焦点として使いました。
小型でさりげない外観なので、とにかく撮りやすい。
今では誰も撮らないストリートスナップも自由自在。
幾度も書きますが、公道、商店街等の戸外の公共の空間では、
通行人にはプライバシーの権利などなく、
店舗等も見てもらうことを目的として外観を設計しています。
公道上にいる人間に「見るな」と強制することはできないのですから、
「撮るな」ということもできません。
どちらも等質の視覚行為だからです。
だから、カメラマンは路上等の公共空間に居る限り、なにを撮っても、
それがなんらかの違法、不適法意図に基づく撮影でない限り、
撮影の自由が憲法によって保障されています。
憲法が保障する表現の自由そのものの行為だからです。
ですから、写真家たちはずっと自由に撮影してきました。
おかげで、カルティエ・ブレッソンや木村伊兵衛の傑作は、
人類の遺産となっています。
人間の生を諸相をこれほどに生き生きと描き出した芸術は、
古今未曾有、そう言っても良いでしょう。
「撮るときは声をかけて了解をとりましょうね」
なんてアドバイスを写真家たちに言った人はいませんし、
言われたら、写真家たちは鼻で笑い飛ばしたでしょう、
「そんなことをして、一体何を撮れるんだね?」
公共空間でのトラブルを嫌う行政機関は、わざとごまかして、
いかにも不適法、非社会的行動であるかのように思わせているだけなのです。
なぜなら、このような制約の雰囲気を醸成することで、
デモ等の政治的な表現行為までも事実上制約できる効果があるからです。
政治学の第一の基本原理は「権力は腐敗する」なのです。
現首相の行動を観れば、よーくお分かりのことと思います。
そして、現代日本社会はそうした腐敗現象が氾濫している社会なのです。
それがお分かりにならないようであれば、
あなたはフランス革命以前のアンシャンレジームの生き残りだ、
そう言われてもしかたがないでしょう。
さて、オリオン28㎜F6、実に快調でした。
撮っていて思うのですが、
女性たちが大きくダイナミックな体躯と、
果断な生き方を育てつつあるようです。
その点で、日本人、中国人、韓国人、区別がつきません。
おかしなことに、欧米の白人たちが、
昔ほど長身巨大に見えなくなったようです。
そんなに大きくないラテンや東欧諸国からも
沢山来ているせいかも知れませんが。
でも、逆に、アジア人が大きくなりつつあるという感じがします。
男性の場合、体格よりも髪型の方が区別の指標になりそうです。
とくに中国人青年たちのどんぐりの袴のような、
横一線に切りそろえた髪型は楽しいですね。
でも、彼らには申し訳ないけど、撮影は主に女性中心です。
以前に3度ばかり撮影をご一緒した女性写真家は逆、
男性中心に撮られていて、笑ってしまいました。
自分が撮りたいものを撮る、これが撮影の基本ですね。
そうでないと、撮る意欲が湧かず、撮った写真を見ると、
気分が乗っていないのがばれてしまいます。
要は、撮りたいものを撮りたいように撮る、
これが私たち写真趣味の人間の必須の心構えですね。
くれぐれも言いますが、
傑作を撮って、人に感嘆してもらうなんて考えないことです。
そんなこと起こりっこないのですから。
あなたご自身、誰か素人が撮った写真をいつまでも覚えていますか?
自分でも、自分が撮った写真をどんどん忘れてしまうのに、
人に無理なことを求めないことです。
通天閣に来ると、必ず通天閣筋向かいの喫茶店に入ります。
おそらく20年を超える付き合いです。
私より少し年下の男性二人が30年以上がんばっています。
今回は、私が居る間、ずっと満席。
私も半時間ほどで滞在を切り上げて出ました。
入ってきた家族連れが満席に気づいて出ようとするのを、
「今から出ますから、どうぞ」
と呼び止めたからです。
これからも長い付き合いです。
喫茶店にもうけてもらわなきゃ。
この観光ブーム、いつまで続くか、分かったものじゃありませんから。
たとえば、どこか交通ターミナルで一度テロが発生してご覧なさい。
当分、日本中閑古鳥が続き、
観光業界は倒産が相次ぐことになるでしょうから。















































#
by hologon158
| 2019-11-29 11:59
| ホロゴン外傳
|
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どなたもそうだと思うのですが、
私は生涯にかなり沢山の人と会ってきました。
人間は一体生涯に何人の人と出会うのでしょう?
そうやって日々出会う人の中に、
初対面の人が混じっている率はどれ位でしょう?
生涯に出会った人の数が一番多い人って、誰でしょう?
もしかすると、ナポレオンかも知れませんね。
生涯に幾度会戦を行ったのでしょう。
その都度大変な数の軍勢を指揮しました。
もちろん政治構造、軍隊構造はどれもピラミッド構造ですから、
彼が本当に人間性、能力を把握すべきスタッフの数は
かなり限定されていたかも知れません。
でも、彼らを理解し、適材適所に起用することで、
歴史的な勝利を収め続けたのですが、
その理解の中には、将軍たちが軍団をどのように指揮できるのか、
互いにどう協力し合えるのかを的確に理解することができたから、
生涯においてほとんど常勝を続けることができたのでしょう。
それに、ナポレオンは特別な才能の持ち主でした。
エルバ島から奇跡のカムバックを果たしたナポレオンを、
近衛兵たちが整列して出迎えました。
ナポレオンは兵士たち一人一人に名前で呼びかけたのです。
本当にただものではありません。
近衛兵たちは、感無量とばかりに心揺さぶられて、
「この人のためには死んでも良い」と思い詰め、
そして、ワーテルローで実際に死んでいったのでしょう。
私は、職業時代、大した仕事ではありませんでしたが、
ナポレオンとはまるで異なる場で人と出会い続けました。
ナポレオンが軍を指揮したときに必要とした眼力とは
別の眼力が必要でした。
でも、どんな人間なのか、ほとんど判断材料がない。
そこで、なにを重要な判断材料に使ったか?
目と言葉、この二つでした。
じっと目を見つめながら、あれこれと会話を交わす、
目を見つめ、なにか言葉を口に出すと、
どんな人間か、段々と判ってくるものです。
そして、もう一つ、同じくらいに大切なことは、
相手も私のことをわかってくれます。
ある種の信頼関係が結ばれないと、
この世の大抵のことはうまく行かないものですね。
私と同じような立場に居ながら、
ほとんど相手と目を合わせない人がいます。
会話も満足に交わさない。
これで相手が、人間が判るのだろうか?
いつもいぶかしく感じたものです。
でも、人をそんなに簡単に理解したつもりになるのは危険ですね。
目を合わせないように見えて、実はこれが作戦。
さりげなく斜交いに相手を観察する、
それがそんな人の手法なのかもしれません。
実は、路上スナップって、
このようなタイプの人向きなのかも知れません。
カメラを持ちながら、路上を進むのです。
対面歩行しつつ近づいてくる人の中には、
スナップ写真家じゃないかと気づく人だっているでしょう。
そうすると、何気ない振りをしながらも、
警戒を怠らないかも知れません。
その警戒の意味は人さまざまでしょう。
たとえば、世界中でかなりの国で、
撮られることを歓迎する人たちも多いようです。
中国も、高齢者はいやがりますが、若者は大歓迎。
大きな流れとしては、世界中がビジュアル化して、
喜んでレンズの前でパフォーマンスする人が増えているようです。
そうではあっても、人をスナップするのは困難ですし、
第一、気づかれたら、その人はお好みの外観をさっと作るので、
写真になりません。
自然な振る舞いの瞬間をキャッチするのが、
スナップ写真のコツだからです。
昔、カメラを胸に固定して、レリーズで撮る写真家が居ました。
これって、むしろ、「今から撮りますよ」と、
自分から進んで宣伝しているようなものではありませんか?
まず、探し求めるような視線はいけませんね。
その目つきとカメラで、路上スナップの最中とばれてしまいます。
注意を一点に集中しない、
視線を止めるとしたら、人ではなくものに、という風に、
ただ普通に見物しながら歩いている風情、
これが一番ですね。
私は、片手にカメラを持ち、
あるいは、ホロゴンのように両手で持ちながら、
撮りたい人を10m以上前方で見分けます。
そして、それからは全くあらぬ方に視線をやりながら、
さりげなく歩みを進めます。
そんな風にしても、目の片隅には見えています。
そして、「今だ!」と心がささやいた瞬間に、シャッターを落とします。
写真の中に、時々、人がこちらを見つめているシーンがあります。
これは、実は私を見ているわけではありません。
私を見つめたら、視線は、写真よりもはるか上方に逸れています。
今時誰も使わないクラシックなレンズに視線を止めているのです。
実のところ、ロボグラフィ専科に徹するようになって、
ストリートフォトはほとんど止めていました。
近頃、また撮り始めているのです。
おかげで、いざという瞬間の撮影行為はかなり下手になっています。
でも、楽しいものです。
撮りたいと思う何かを持っている人しか撮りません。
それが何かを共通して言い当てることはできません。
人さまざまです。
だから、魅力もさまざま。
でも、魅力があるから、撮ります。
スナップ写真家が10人同じストリートを同時に前後しながら歩いたら、
それぞれ独自の瞬間、別々の人を撮るでしょう。
スナップもまた一つの人間関係なのですから。
でも、この頃、久しぶりにスナップ路線も併用するようになり、
ストリートでのノーファインダースナップを楽しむようになっていますが、
かなりコツを忘れてしまったようです。
きっと動きも傍目にはぎこちないことでしょう。
どうやら県外に撮影に出ることがほとんど無くなり、
奈良市内の同じエリアを巡回しているのですから、
目先の変わったことも試して、心を躍らせる体験もときにはしてみたい、
というところでしょうか?
さて、今回のレンズ、
ズミクロン35㎜F2八枚玉、
ソニーα7に付けて、ノーファインダーで撮りました。
カルティエ=ブレッソンがこのレンズを愛用したかどうか?
私は知りません。
彼は生涯ライカを主に使ったようですが、
作品を観る限り、28㎜から135㎜まで、
さまざまな焦点距離のレンズを使ったようです。
でも、一番の主力は50㎜と35㎜だった感じ。
初期にはエルマーが主力だったことは間違いがありません。
私が撮っても、とても似た味わいで撮れるからです。
もちろん作品の質ではありませんよ。
初期のバルナック用スクリューマウントの、
このズミクロンを使ったのではないか、という気がします。
私のレンズに似たがっしりとした質感、立体感の描写を感じるからです。
かなり大きなスケールでの作品群がかなりあり、
パースペクティブもかなり自然で、
21㎜はもとより28㎜ならもう少し極端だろうという感じがするからです。
面白いことは、カメラ位置。
彼の場合、多くの作品で、
カメラが高い位置にあったことを感じさせるパースペティブ。
つまり、彼は立ったまま、丁寧にファインダーを覗いて撮っていた。
しかも、彼はたしか1m90ほどの長身。
だから、写真に若干見下ろすような感じがあります。
木村伊兵衛も同じような撮り方だった感じがします。
さほど長身ではなかったようで、
カルティエ・ブレッソンほど見下ろす感じは少ないのですが、
アイレベルにカメラを持ちあげて撮っているので、
やはり人物よりもちょっと高い視点を感じさせます。
二人とも撮影の瞬間に作品を作ってしまいたい、
そう考えて居られたのでしょう。
私の場合は、昔からそうですが、
作品作りという目標がないので、その点、実に気楽。
奈良の諸処でズミクロン35㎜F2八枚玉を、
すべてノーファインダー、ウェストレベルで撮りました。
ちょっと古めかしい色合いですが、
ネガフィルムの時代、もっと古めかしかったことを覚えていますので、
これはこれで新鮮味があって、よろしい。
現代レンズとPhotoshopに慣れている方は、
なんと色の悪いレンズ、使い物にならない、
そうお感じになるでしょう。
Photoshopを使えば、容易にニュートラルな色に修正できます。
でも、Photoshopで、色再現を修正するつもりはありません。
確かにクラシックレンズはそれぞれに独特にずれています。
現代人はそれを欠点と呼び、私は個性、コクと呼びます。
人間の面白さも同じスタンスがある感じですね。
人間って、欠陥だらけです。
独自の長所を得るために、なにかを捨てた、ということもありそうです。
現代人の理想像は、使う側から言いますと、
いわば高性能な部品として有効に機能すること。
個性、癖など無駄なファクターなのです。
現代では、商品開発、新機構の整備等、新たな計画は、
一部のプロジェクトチームがコンピューターを駆使してプログラムします。
計画、プログラムの実施者も生産ラインの一環に入ってしまい、
すべて厳格な役割指定を受けたパーツとしてシステムに組み込まれます。
要するに、人間も部品化しつつあるようです。
部品の理想はなにか?
廉価に製作調達でき、取り換え簡単、代替可能、ということにあります。
ああ、人間は部品になってしまいそうですね。
そこで、写真に話を戻しますと、
現代では、撮影行為は創造行為の準備段階に過ぎません。
大切なことは画像処理ソフトで、思いのままに加工して、
斬新かつ独創的な画像ファイルを創造することにあります。
ここだけの話ですが、
私には、そうして創造された現代の画像ファイルたちが、
まったく面白くない。
ちっとも心が動かない。
これは写真じゃない!
そう感じてしまうからです。
当たり前のことですが、現代の写真芸術は、
異質な2つのジャンルが混在してしまう過渡期に突入している、
そんな感じがします。
①写真アート
②ビジュアルアート
いつかは、①が消滅し、②だけになってしまうでしょう。
今でも、②の制作者たちは、
銀塩カメラによって作られた写真作品を憐憫の情をもって
見下す時代になってしまいました。
つまり、そんな時代変化がもう始まっているのです。
こんなことをうそぶく初心者自称アーチストがいます、
「カルティエ=ブレッソンって、
どうしてあんなにぶれた写真を
平気で作品にしているんですか?」
「昔のカメラで撮った写真って、まあ、許せるかな、
という感じですね」
私はこんな人たちと一緒に写真談をしたいとは思いませんね。


























































#
by hologon158
| 2019-11-26 22:52
| ホロゴン外傳
|
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長い間、人類だけが知性を持ち、考える力があるとされてきました。
でも、動物学者たちのこの四半世紀の研究は、
どうやらそうではないことを証明しつつあるようです。
すべての動物がかなりの割合で人類と共通のDNAを持ち、
かなりの生物が思考力と感情を持ち合わせていることを、
数々の実験が証明しつつあります。
今朝、我が家でも、息子(猫ですが)のピッピが証明してくれました。
ピッピとその姉の静は我が家のプリンス、プリンセス。
普段、静はキッチンで、ピッピは2階の自室(実は妻の書斎)で、
朝昼晩の三食の食事をとります。
でも、約1週間前から関東から私の末娘と、
その2人の女の子(私の孫、みんな人間です)が滞在。
静とピッピは、この二人が生まれて、
産後の約1ヶ月を我が家で過ごす間、
ベビーベッドの半分に代わる代わる居て、
二人の成長を見守った仲です。
二人もそれを知っています。
全然怖がらないのですから。
つまり、互いにスペシャルな気持ちが通い合う仲です。
孫たちは年に2、3度帰郷する度に、
見違えるほど大きく成長してきたのですが、
その孫たちとかつての赤ん坊の同一性を、
猫たちが見失うことはありません。
おそらく匂いのお陰でしょう。
嬉しいことに、
どちら側からも、親愛の情は未だに失われていません。
でも、食事どきは別。
普段、静もピッピも別々の部屋に一人こもって、
ゆっくりと食事を味わいます。
ところが、孫がうろうろするいつものキッチンフロアでは、
さすがの静も居心地が悪いので、
かねてから、自分の意志で、2階の私の書斎を食堂に変更し、
食事が済むと、リクライニングチェアの陰に安楽プレースを見つけて、
そこに寝そべって、お昼寝してきました。
ところが、8月11日日曜日朝、ついに孫一家が帰宅しまった後で、
異変が生じました。
まずは、平常通り。
静は、私の孫たちがタクシーで出発したのは見ていましたが、
また帰ってくるかも知れないとばかり、
朝食場所は上記の非常用スペースでとりました。
朝食後約1時間で、
後は行きたい場所でどうぞごゆっくりと、
私は私と妻の各書斎のドアを開きました。
私はその後、食器洗い、寝室の整理、
膨大な洗濯物のハンガーへのセット、
孫たちの荷物の宅急便ボックスの梱包完成等々、
1時間半ほど家事にいそしんだのです。
午前11時過ぎ、やれやれ、ゆっくり机に向かおうと書斎に入ると、
私の書斎椅子の向こうの陰にピッピの寝そべる姿。
この部屋は静の避難場所だったので、
ピッピのそんな姿を見かけるのは初めて。
お姉ちゃんの横に寝そべりたいのだな、と、
私もにっこりしながら、書斎椅子に座ろうとして、
そばの安楽椅子に目をやると、
いつもの静のお昼寝位置に静の姿はなし!
その代わり、ピッピの愛用のタオルが広げられていました。
ピッピは、このタオルを自分の場所確保用に使っているのです。
「ここはオレの場所だあ!」という意思表示。
どうやら、孫たちの滞在中、
ピッピはお姉ちゃんの安楽場所が羨ましくてならなかったのでしょう。
だから、自分が書斎に入れた今日、早速タオルを持ち込んで、
お姉ちゃんに向かって、「今日からは僕の場所だ」とデモしているのです。
この行動には、羨望の感情、自分の居場所の選択と確保の決意、
そのためのデモンストレーションの方法の選択実行等、
人間が自分の家の縄張りを明示するのを極めてよく似た
一連の意志実現行為が潜んでいると見てよいのではないでしょうか?
つまり、「刺激と反応」だけが動物の行動原理ではないのです。
法律は、動物を人間が自由に所有、処分できる、
ただの動産と規定しています。
動物学者は、動物たちを自由に生物実験できる、
ただの下等動物と規定しています。
動物園も観光スポットも同様に、動物たちの意向など無視して、
世界中から動物を集めて、見せ物の対象としています。
かつては、人間にも自由に殺処理できる「奴隷」階級があり、
女性もまた男性の下位の劣等種でした。
今でもそう思っている人種、人間が居ます。
大体において、そう思っている人の方がかなり劣等種ですね。
全人類の自由平等の基本的人権を確立することは、
人類の大きな夢であり理想でもありましたが、
未だに上記の自由平等の原理は確立されていません。
生態学は、極小の微生物から人間に至るまでの
多種多様のすべての生命体が地球の平安な生態の維持のための
不可欠のメンバーであることを明らかにしました。
でも、政治家も大企業も絶対に上記の真実を認めようとしません。
彼らにとって、人類も含めて、
すべての種が生殺与奪自由な資産でしかないのです。
多くの生物学者たちも権力者の翼賛学説を捨てようとしません。
誰が地球上の真の支配者であるか、よーく知っているからです。
自分たちもお手軽に殺処理、とまでいかなくとも、
大ゴミ処理されてはたまらないというわけでしょう。
世界文明は地球を一つにまとめ合わせようとしています。
それは世界平和への一つの道とも言えるのですが、
反面、世界人口の歯止めのない爆発的開発を許す環境ともなっています。
お陰で、人類以外の生物種は急速に滅亡し、そのことによって、
貧困後進地域は必然的に飢餓への道をばく進しつつあるのです。
全生物、全人類の自由平等博愛の精神が実現される可能性はますます薄れ、
稀代の食糧危機の解決方法として、
人類の口減らし、ロボット等のAIメカニズムによる人類との交替が
現実化される危険性はますます増大しています。
膨大の絶滅種を生き返えらせることはできません。
そのおかげで、生態系は完全に破壊されようとしています。
22世紀はロボットの世紀となるのではないでしょうか?
さて、写真は、前回に引き続き、スピードパンクロ28㎜F2。
これはこれで、腰の座った描写力。
どこか、キネタールを思わせる切れ味の良さ。
メインレンズとして使っても、立派に働きそうです。
さすがスピードパンクロ族です。
でも、水を差すようで、
このレンズには申し訳ないのですが、
50㎜と比較してみると、
悠揚迫らざる貫禄、落ち着き、余裕という点では、
一歩も二歩も譲らざるをえない感じ。
これが不思議です。
同等の描写力でないと、使い分けを担当するのは無理。
性能に差をつけるのであれば、同じ名を冠するのは疑問。
それとも、同じブランド名を付けても、
高級バージョンと並バージョンがあるのでしょうか?
ブランド名を信じて、いわば尻馬に乗る、
私のような大衆クラスが足元をすくわれる商法ですが、
でも、自分のお気に入りのブランド名が付いてるだけで、
やっぱり気分が良いのですから、
まあ、それも仕方のないことでしょう。










































#
by hologon158
| 2019-11-21 22:13
| ホロゴン外傳
|
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7月以来、歯科で左下奥歯のブリッジのやり替えをしてもらっていました。
名人の先生で、先々週完了し、その使い勝手もチェック中。
歳はとりたくないもの、と言いたいところですが、
本来、生物的には、織田信長が日頃から主張し、
本当に実行したように、
「人生50年」が人間が人間らしく生きるための
本来のタイムスパンなのかも知れません。
でも、遙かに長生きして、さらに凄い仕事をした、
プラトンやダ・ヴィンチのような人も沢山居ます。
人間が創造的に、というか、
人生を謳歌して生きることができる時間、
それが各人に与えられた人生時間であり、
そのタイムスパンは人によって違うのかもしれませんね。
それが可能か否かはさておいて、
そのタイムスパンを最大限に延長したいものですね。
たった一回限りの人生なんだから、
悔いのないよう、活き活きと生きたいものです。
「ああ、退屈だ、なにをしようか?」
そう感じたら、危険信号ですね。
私は朝起きた瞬間から就寝する瞬間まで、
ほとんど一瞬たりと、そんな気持ちになったことがありません。
瞬時にストンと目を覚まします。
すると、掛け布団をめくって、
両手両足を中空に上げて、ぶらぶら高速振動。
こうして、いきなり朝のストレッチが始まります。
それからは、一日中ずっと、なにかをし続けます。
朝の家事だけでも幾種類もこなします。
私は、どんなときも「水際だった練達ぶり」したいので、
自動化できるように、
自分を訓練しています。
食器洗いでも、洗濯物を干すためにハンガーにセットするときでも、
高速かつスパッと動作できるように高速練習します。
たとえば、ブラウスやスポーツシャツだと、
さっと両肩をつかみ、空中でパチンと振るい、
さっと両側に引っ張って、洗濯機でできた皺を取ってから、
さっとハンガーにかける、そんな動作が超短時間でできるよう、
何事もエクササイズと思って修練します。
そんな家事の間、iPodやiPhoneを使います。
英語のドキュメンタリーや小説の朗読を聴いています。
聖徳太子は同時にいくつできたんでしたっけ?
私のような凡人でも2つぐらいは平行してできなきゃ。
たしか劉備の第二の軍師龐徳は10組の訴訟事件を同時に審理して、
的確に裁いたそうです。
これは異例ですね。
絶対に真似をしてはなりません。
たった一つのことでも、間違うのが凡人ですから。
なにごとも心を込めて、一つ一つやり遂げたいものですね。
上記の同時2つはメカニカルな家事動作のときだけの便法。
と言い訳したいところですが、
私は学生時代から2つ併行が原則だったようです。
国家試験もオペラを轟々と鳴らしながら勉強しました。
余計な雑音をシャットアウトできるので、
かえって集中力が高まる、そんな感じがするのです。
しかも、受験勉強への集中力が減退しそうになると、
音楽にさっと注意を移して、集中力の回復を図るという利点があります。
だから、今でも、同じやり方をしています。
たとえば、この文章、歯科治療を終えて、
近くのコメダ喫茶店でモーニングを楽しみつつ、
耳はモーツァルトの弦楽四重奏曲全集、
イタリア弦楽四重奏団の名演を楽しみつつ、
ポメラでこの文章を速射砲のように打ちこんでいるわけです。
こんな風にラチもないことを書き散らし、
誰も読まないのに、ブログにバンバンと掲載する、
一見無駄で、なんのやりがいもないことのように見えますが、
自分の気持ち、思考を活き活きと保ち続ける効能があります。
思考の速度に合わせてタイピングする、
これだけでも良い頭と体の運動になる、
そう思いませんか?
休憩後、図書館に参りました。
一冊返して、二冊借りました。
返還したのは、
イ・サンヒ著
「人類との遭遇」
早川書房
アメリカで人類学を修得した気鋭の韓国人類学者です。
この方の語り口の爽やかでわかりやすいこと、そして、面白いこと!
無類、と言いたくなるほど。
なぜ?
どうやら主題を自分でしっかりと研究し、
よく分かっていることが大前提のようです。
でも、それだけでは足りません。
早稲田大学のエジプト考古学の有名な学者が居られます。
長年現場で発掘作業を続け、数々の業績を上げ、
本も沢山出して居られます。
一冊読みました。
しっかりとした研究に裏付けられて、
とても分かりやすい達文です。
でも、不満です。
私たちを未知の知見の高みにぐいと引っ張り上げて、
ああ、そうだったのか?
エジプト史学の研究はそこまで進んでいるのか?
エジプト文明って、そんなにも深いのか?
そんな未知の真実の発見の喜び、
人類史の未知の扉を開いてもらったという感謝、
そんなものはちっとも感じさせてくださらないのです。
文章にいつもなんだか凡庸の気配が漂うのです。
「ふーん、そうですか?
面白いものですねえ」
という台詞を返すのがせいぜい。
イ・サンヒさんは違います。
どんな風に話が展開しても、
私は、ただただ手放しで讃歎、驚愕を感じるばかり。
そうだったのか?
知らなかった。
凄い!
これまで考えていたことなんか、ゴミみたいだ!
未知の知見だけではなく、
既知の知見をまったく新しい切り口で再解釈してくれます。
一行一行読み進めるにつれて、快い興奮に包まれます。
そんな知見、新しい知識の水平線がどんなものか?
安い本ですから、試しに読んでみてください。
その価値があります。
私がここで書きたいことは、
既知の知見にとらわれず、
新しい視点を勇敢に選んで、
知そのものの座標軸を勇敢に転換してしまう、
それが本物の学問ではないか、ということです。
日本では、学問、現実の研究の実態はそれと違います。
どんな学問も学会、学閥の支配構造の中にしっくりと安住しているようです。
たとえば、日本古代史では、東大閥、京大閥がそそり立って、
しのぎを削っているけど、
どちらも暗黙裏に天皇家絶対史観を堅持して、
天皇家が3世紀頃大和に支配権を確立した時代以前の
日本列島の有為転変の各国史の存在など認めません。
ですから、まだ大和朝廷の支配下に入っていない時代の発掘物まで、
大和朝廷に結びつけることが暗黙の約束になっています。
大和朝廷自体が記紀において、
大和王権を天照大神直系の日本の正統な支配者とする思想に立って、
大和王権と並立した諸方の支配者を同格対等の王権として認めなかったのですが、
そのために、そうした王権の存在を証明する文献資料は、
すべて抹殺してしまいました。
日本書紀がはっきりそう自認しています。
日本の史学者たちはどこまでも天皇家様々という感じ。
大和朝廷など欠片も存在しなかった縄文時代の歴史的研究など、
主流の史学者は一切無関心という感じがします。
でも、大和朝廷が始まる以前に、
1万年を軽く超える、想像を絶する長期間、
日本列島の人間たちは縄文文化を享受してきたのです。
与那国島海中遺跡もそうした古代縄文時代の史跡でしょう。
現代地質学の知見では、1万1000年前から数千年前までに少なくとも3度、
彗星衝突も含めて、破壊的なカタストロフィが起こり、
その都度、海面が劇的に上昇したために、
海岸線の人類居住地は、その都度、壊滅させられてしまった、
そう考えています。
そうした海中遺跡が今世界中でどんどん発見されつつあります。
そうすると、数千年前のシュメール、アッカド、エジプトの諸文明は、
人類の文明の曙ではなく、
それ以前の数千年の先行文明の生き残りだったのではないか、
という強力な疑いが濃厚になりつつあります。
人類史も同種のパラダイムの強烈な転換の時代にさしかかったいるようです。
イ・サンヒさんはそんな疾風怒濤の時代の人類史研究者として、
先入観などもたずに喜々として研究し、
その成果を本書にわかりやすくかみ砕いて紹介しておられるようです。
こんな本をさまざまな分野で読みたいものです。
最後になりましたが、この日持ち出したスピードパンクロ28㎜F2。
これもよいレンズです。
とてもナチュラルに、かつ真面目に撮れる、
いわば、ドキュメンタリーレンズ。
信頼感十分です。











































#
by hologon158
| 2019-11-19 23:59
| ホロゴン外傳
|
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YouTubeにセンセーショナルな記事が一つ見つかりました。
「シュメール人は、どこから来て、どこへ行ってしまったか?
シュメール人と日本人の共通点」
(https://www.youtube.com/watch?v=PWWHx51XOXs&t=642s)
シュメール人は日本へ渡ったという説です。
このブログが語る根拠データを列挙してみましょう。
確固内に、簡単に感想も記載しておきますが、根拠になるものなど、一つもありません。
① ともに膠着語であること。
(じゃあなくて、同一言語でないと無意味だろう?
シュメール人が日本の支配者となれば、なおさらじゃないか!)
② 天皇の古語はすべてシュメール語で解釈できる。
「スメ(皇)」「スメラ(天皇)」
古代バビロニア語の「sumer(スメル、シュメール)」と似ている。
「スメ」は神という意味で、天皇=神ということになり、
スメル国というのは漢字で書くと、「皇国」となり、
「神の国」という意味になる。
「ミコト(尊、命)」「ミカド(天皇)」は
「Migut(ミグト)が転訛したもの。
だから、古代の日本に天皇をいただいて天降った民族は、
シュメールの王族とその民だ。
(だったら、シュメール語そのものを使うはず!
似たものだけ探したって、意味がない!)
③ 天皇家の「十六八重菊花紋」と同じ16枚の菊花紋が
シュメールの粘土板に描かれている。
(世界各地で見つかっています。調査不足!)
④ 三種の神器(草薙の剣、八咫鏡、八尺瓊勾玉)と、
シュメール、バビロニアの三種の神器(剣、鏡、月像の首飾り)とは
同じと言っても過言ではない。
(過言だ!)
⑤ 日本の神話の八岐大蛇退治によって「草薙剣」を得たように、
シュメールの神話にも、
「7つの首を持つ竜を退治して、剣を得た」という話がある。
そうすると、日本の三種の神器は
シュメールの神から授かったものという見方もできる。
(この人の論理、ちょっとおかしいですね。
「君の一万円札、私の一万円札とそっくり。
だから、それ、僕のものだよ」という程度の論理。
それに、世界中にそっくりの英雄神話がある!
ジークフリートもその一つ)
⑥ 国の呼び方もよく似ている。
シュメール人は自分たちの国を「キエンギ(葦の主の国)」と呼び、
古代日本では、「豊津芦原中国」と称していた。
(似てるだけじゃない、と、何度言ったら、解るの?
シュメール人だったら、「キエンギ」と名付けたはず。)
⑦ シュメール神話では
「ニビル星からアヌンナキが降りたって人類を作り、
地球に文明を興した」とされているが、
古事記等では、「天から来た神々が日本列島を作り、
そこに降りたって、日本を建国した(天孫降臨)」としている。
(シュメールが征服したのなら、文字通り、シュメール神話でなきゃ!)
⑧ 伊勢神宮の神官、渡会(ワタライ)氏の祖先は、
「乙乃古(うるのふる)」。
シュメール語で「ウルのフル」は、「牛の都」という意味
(それがどうした? 何の関係があるの?)
⑨ シュメールの最大の都は「スサ」で、その王を「スサノオ」と呼んだ。
日本の神話のスサノオと共通している。
(大和朝廷にとって、スサノオはいかなる存在でないんだけど?)
どうですか?
そうか?
日本人の先祖はシュメール人だったんだ、
天皇家はシュメールの直系の子孫なんだ、
そう納得できましたか?
もし、そうであれば、あなたは法律家にも、
あらゆる種類の学者にも向いていませんね。
もちろん、この記事を作成された方もそうです。
類似点を幾ら集めても、証拠、根拠にはなりません。それが判っていない。
作成者はこう言いたいのです、
「天皇家を頂く日本人はシュメール人だった」
たとえば、親子関係を証明したいのであれば、どうしますか?
血液検査ですね。
でも、シュメール人は紀元前2000年頃なぜか舞台から退場しているので、
これはできない。
とすると、次に来るのは、言語と文字。
まず、言語ですが、
シュメール人がもし強固に民族性と文化を保ったまま、
大陸を移動して、日本にたどり着いて、
日本の土着民族を征服したのであれば、
日本列島はシュメール語をしゃべっていたでしょう。
でも、そんな事実はありません。
日本人は、漢字が伝来するまで、
書き言葉を持っていたのでしょうか?
あれこれと古代語の存在を主張する人がいるようですが、
シュメール語ではありません。
たった一言で足ります。
シュメール人たち、何で楔形文字を使わなかったのですか?
文化の構成要素の最大に重要なものが文字と言語なのに、
シュメール人は、日本に到達し、征服しながら、
文字のない日本人たちに、
シュメール語もシュメール文字も伝えなかったことになります。
これじゃ、シュメール文化も伝えられず、意思疎通もできず、
満足に征服民を支配することもできなかったはず。
(ちなみに、古来、征服民族が、自己の言葉、慣習を捨てて、
被征服民族の言葉、慣習を全面的に採用した例は、
中国に政権を打ち立てた金、清等の異民族以外にはありません。
これは人口比が圧倒的に劣勢だった上、
はるかに偉大な文化、文明を持つ国だったからです。)
遺伝子はどうでしょうか?
私は遺伝学を勉強したことがないので、
そのあたりはありませんが、
シュメール人の遺伝子は見つかっていないようですから、
この点はペンディング。
残された謎の一つは、
シュメール人が民族として同一性を保ちながら、
はるばる日本までやってきたとすれば、
メソポタミアから日本まで、どのように移動してきたのでしょうか?
一個の民族が同一性を保ちながら民族移動をするためには、
土着の諸民族との間に発生する難問を一々解決しつつ、
移動しなければならなかったことは明らかです。
ただの旅人ではないのです。
一つの民族が、食料、居住、移動等の生存のための
あらゆる種類の利便、調達を含めて、
土着の民族と平和裡もしくは戦争裡に、
問題解決していなければならなかったはずです。
でも、どこの民族の居住地を使用し通過しようとしても、
たいていの民族はかつかつで暮らしているのですから、
異民族が自由に侵入し、通過することを許す民族などなかったでしょう。
そうすると、軋轢、トラブル、戦闘は絶え間なかったでしょう。
通過できたとすれば、大きな爪痕を残しつつでしょう。
その上、こうも考えられます。
土着の民族との戦いに勝てば、その地を征服すれば良い。
なにも幾度も戦闘を重ねながら、日本列島まで来る必要がどこにあったの?
そして、もし負ければ、その地を抜けることができず、
この場合も、日本に来ることはできなくなったはず。
いずれにせよ、もしシュメール人が壮大な民族移動の旅を敢行したならば、
そのようなシュメール人の移動の記録も痕跡も
まったく残されていないのは不思議ではないでしょうか?
天皇家はシュメールの直系であるかのような記載です。
だったら、天皇家は、「古事記」において、
偉大なご先祖様の壮大な遠征の英雄譚をしっかり書かせたはずです。
それなのに、なに一つほのめかすこともなく、
自分たちが九州のあぶれ者であったことを自認しています。
日本書紀にも古事記にも、
神武兄弟の故郷でも立場、称号を記載した部分はありません。
有力な豪族、という程度であったのでしょう。
まして、シュメールの「シュ」の字も出てきません。
なぜ?
日本書紀では、神武の父は、志高くとも、
九州の一地方の支配者の地位に甘んずるほかはなかった、
そう記載しています。
そこで、古事記では、神武とその兄は、従う人々と相談します。
「どこに行けば、天下を支配できるようになるだろうか?
東へ行ってみようと思う」と述べて、
遠征の途についたことを記載しています。
どうやら、遠征の始まりにおいては、兄が筆頭の指揮者だったようです。
記紀では、その後、苦労して大和にまで辿りつき、
和平と称して開いた酒宴の席で、
大和の支配者たちを謀殺した経緯を誇らしく記しています。
つまり、神武兄弟は、九州地方の支配権を得る可能性がないために、
はるばる東に向かって新天地を開拓する冒険に踏み出して、
ついに大和に拠点を確保することができたのです。
古事記は天皇家の主権の正統性を証明するために書かれたものです。
その古事記にそうはっきりと書かれているのですから、
天皇家は「古事記」の上記の記載を承認したのです。
つまり、天皇家はせいぜい九州の一地方の支配者に過ぎず、
九州で勢力を伸ばせる余地はまったくないので、
東に向かって、新天地を征服する大冒険を敢行したのです。
史学界は、こうした事情を一切無視して、
「古事記」「日本書紀」の記述は、
天皇家の正統性を証明するのに役立つ部分を適当に利用するだけで、
天皇家の大和征服以前の政治権力の存在など一切無視しています。
縄文時代にも諸地方にさまざまな権力者が鼎立していたでしょう。
これも無視。
天皇家の万世一系にそぐわないから。
だから、縄文時代の研究は日本史学の傍系に追いやられています。
天皇家の大和政権は紀元後3世紀頃に始まると言うのが定説です。
古事記は大和征服のプロセスを詳細に記載しています。シュメール人がメソポタミアから消えたのは紀元前2000年の頃です。
あまりにも時代が離れすぎています。
では、シュメール人は、いつ、日本に到来して、
シュメール文化を誰に伝えたのでしょうか?
古事記による限り、天皇家は、大和政権成立以前は、
国の支配者でもなんでもなかったのです。
とすると、天皇家成立以前にシュメール人が日本列島に到来したとすれば、
シュメール文化を受け取ったのは、
天皇家以前の日本列島の支配者たちではありませんか?
たとえば、中国史書によれば、
九州王朝の支配者も天皇を名乗っていたようです。
とすると、地理的関係から言っても、
シュメール文化の継承者は九州の支配者だった、
そう考えるのが素直ではありませんか?
最初に列挙した、天皇家シュメール王朝継承者説の証拠は、
あまりにも枝葉末節の牽強付会論で、幼稚すぎます。
たとえば、ケルト人については、
中央アジアからアイルランド、スコットランド、ウェールズ
の最果てまでの移動の経路が歴史的に解明されています。
もしシュメール民族がメソポタミアから日本列島まで移動したのであれば、
途中の諸国を通過する経路が、
諸国の遺跡発掘、史書等によって明らかになってもよいはずですが、
そんな発掘結果、研究結果は皆無。
要するに、シュメール人は、メソポタミアを去来した諸征服者の支配の下、
諸民族と混淆し、シュメール文化も吸収され、消えていっただけ、
そう考えるのが自然でしょう。
YouTubeって、実にいい加減な憶説を、好き勝手に発表して、
コマーシャル料を稼ぐ人たちの跳梁跋扈する場のようですね。
匿名なので、どんないい加減なことでも、
センセーショナルなデマを立ち上げて、
人の関心を呼ぶ、そんな打ち上げ花火装置として機能しているようです。
95パーセントは「口から出まかせ」、
そう考えるのが良さそうです。
もちろん、私もその口かもしれませんね。






































#
by hologon158
| 2019-11-15 23:01
| ホロゴン外傳
|
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米国で火星探査、火星移住計画が立てられつつあるようです。
参加者を募ったところ、
数は忘れましたが、信じがたいほどの人数が応募しているようです。
ところが、この有人火星探査は片道切符なのです。
つまり、まず、到達するかどうか不明。
到達しても着陸できるかどうか不明。
さらに、明確に決まっていることがあります。
一旦飛び出したら、もう地球に帰られない。
つまり、生きても、死んでも、地球に戻ることはできない!
日本で同種の公募が始まったら、
あなた、どうしますか?
それでも、やっぱり行きたいですか?
私ははっきりしています。
絶対に応募しない!
生きている限りは地球の空気を吸って生きたい。
生きている限りは、地球でやれることなら、なんでもやりたい!
火星で一体何ができるのでしょうか?
景色を見ることなら、もうはっきりわかっています。
すでにキュリオシティー・ローバーの画像で見てのとおり、
荒涼たる世界です。
かつては海があり、空気があったそうです。
でも、今は海もなければ、
人類が呼吸して生きることができる空気もない。
「なんだか基地の中って、息苦しいなあ。
大地の大気を思いっきり吸うことにしよう」
そう、思っても、基地の外には大気がない!
「ああ、退屈だ、よし、ちょっと出かけて、
お善哉頂くことにしよう」
と思っても、
お善哉屋さんを見つけるのは無理。
「そうだ、「瀬戸内少年野球団」の夏目雅子さんが観たくなった!」
そう考えても、TSUTAYAなんか火星にはない!
それなのに、どうして応募するのか?
ちょっと聴いてみたいですね。
「観るべきものは見つ。」
そんな充足感の中から一つの最後の希望が浮かび上がったのかも知れません。
衛星が航行中に宇宙の生の姿を眺めたい、
地球の姿を宇宙から見下ろしたい、
そんな光景を見ることができたら、死んでも良い!
一方では、逆に、
「この地球上ではよいことなんか何一つなかった」
「会いたくないあいつにいつまでも追いかけ回されている。
そんな奴らの居ない世界に行ってみたい」
そんな気持ちの方も居るかも知れません。
こんな風に御託を並べても、意味がありません。
自分以外の人の人生も気持ちもまったく想像の外だからです。
確認しようもないことを、オレは分かる、と力んでみても、
あまり説得力はありませんね。
分かること、それは、地球の人間の数だけ人生があり、
それぞれの人生の中を覗くことはできず、
まして想像することなどできない!
でも、水を差すようで申し訳ありませんが、
本当に火星に人間を送り込むことができるのでしょうか?
本当にヴァン・アレン帯を超えて宇宙に飛び出し、
星間飛行をすることなんてできるのでしょうか?
宇宙の放射線から人間を守るヴァン・アレン帯のない月や火星で、
頭上から降り注ぐ放射線をちゃんと防げるのでしょうか?
そうして、なんとか火星にたどり着いても、
来る日も来る日も狭い基地内で、
同じ仲間と暮らし、その仲間もいつか一人一人と消えていく。
仕事と言えば、火星表面での種々の観測と、
その結果を地球に報告すること、
そして、次々と体を壊して倒れる仲間の看病と埋葬、
それ位でしょうか?
景色も仕事もすぐに飽きてしまうでしょう。
日々の生活を活気づけ、
人生を意味づけてくれる発見などできるのでしょうか?
私には、想像できません。
NASAが絶対に基地として選ばない場所があります。
シドニア地区。
人面岩として知られる巨大な岩山や、
ピラミッド群等の遺跡に酷似するポイントが
幾何学的に配置されている場所です。
幾枚もの写真の一つには、目の中に瞳まで見えているのがあるそうです。
NASAは改めて撮影した写真で、
人面の気配などかけらもない岩山であると証明したと主張していますが、
著名な研究家は、画像処理の専門家に鑑定を依頼して、
その写真がPhotoshopで巧みに加工されたことを証明しています。
第一、最初の撮影が精度の低い画像であったとすれば、
ぼやけるだけで、そこに瞳の形などできるはずがありません。
キュリオシティ・ローバーが幾年も火星地表の写真を送り続けてくれているのですが、
そのコースはどのような基準で選択されているのでしょうか?
林のような木々の並び、
水らしい湿りの部分が変化している部分、
不思議な透明の通路のようなものが地中を走り、
一部露出している部分、
しっかりと同一緯度上に並んでいる四角い巨大な穴、
たしか高さ600mもある尖塔が平地に等間隔一線に3つも並んでいる場所、
そして、シドニア地区。
みんな撮り甲斐、調査し甲斐のある場所ではありませんか?
それなのに、なんだかただただ荒れた大地をうろうろしているだけ、
そんな感じがするのですが....
でも、よくよく考えてみると、
NASAはただの科学調査機関ではないのです。
歴とした合衆国軍事機構の一つで、
合衆国の国益のためにすべてを捧げる機関なのです。
上記のような場所もなんらかの秘密の調査がなされているはずです。
でも、調査結果は国益のために利用するもので、
一般大衆にはけっして公表されません。
前記の等間隔に並ぶ3基の尖塔について、
NASAは一蹴しています。
「パレイドリア(あんたたちの目がおかしいんだよ)」
でも、NASAはパレイドリアという言葉の意味を完全に誤用しています。
パレイドリアは、様々な原因による「見間違い」なのです。
よくよく冷静に観察してみたら、
なんだ、そうではなかった、ただの....だったと、必ず分かるのです。
上記の3本の尖塔や、
月面で撮影されてグーグルムーンにしっかり掲載されている、
たしか推定1400mの見事なタワーは、
いくら見直しても、ありふれた地上物であるとは見えないのです。
どちらもしっかりと天を突かんばかりに突っ立っているタワーなのです。
そして、カメラは見間違いなどしません。
NASAの衛星のカメラは最高クラスの精度を持っています。
光線具合なんて、錯覚を起こさせるファクターなど無縁なのです。
NASAがすべきことは、そんなものが月面や火星面では
これこれの自然メカニズムが働いて出来上がったもので、
けっして誰かが作ったものではない、と証明することなのです。
できるはずがないのですが。
一般に、多くの人は、専門家が軽く一蹴してしまうと、
そうなのか、専門家がそう言ってるのなら、そうなんだ、と、
ごくごく簡単に納得してしまう傾向があります。
どうでもよいことなら、それでいいでしょう。
でも、火星や月に人類以外の先進生物が建設したものがあるとしたら、
危険性を孕む大変な問題であり、
また、価値を数知れず生み出す大発見ではありませんか?
もしNASAがこれはパレイドリアで、
ただの自然物がそう見えるだけだと言うのであれば、
科学的に立証すべきです。
でも、そんな立証ができるはずがないのです。
塔は塔なのですから。
自然にできるはずがありません。
つまり、自然物だなんて立証できるはずがないのです。
科学者、専門家って、こんな先入観か偏見にとらわれて、
とんでもない無責任放言をして平気なようです。
沖縄の与那国島の海中遺跡についても、
地理学者は、当初、一蹴していました。
「こんなもの、海流が自然に作り出すものですよ」
でも、同じ地理学の知見によれば、
中国、朝鮮半島、日本列島は6千年ほど前まではつながっていたそうです。
与那国島の海底に沈んだ巨大な岩山に、
たった6千年で、こんな垂直、直角、平行等の幾何学形状が交錯する、
不可思議な地形を切り出すことができる海流なんてあるでしょうか?
地質学的に自然な地形の変動は、
断層とか火山、彗星の爆発のような突発現象を除けば、
100万年、1000万年、億年の単位で起こるものではありませんか?
いや、6000年もあればできるんだ、
ここにも、あそこにも同種の地形が海中に自然形成されているよ、と、
証拠を列挙して欲しいものです。
YouTubeで与那国島の海底遺跡を検索してみてください。
人類に誇るべき壮大な遺跡ですよ。
でも、現在の史学では説明しようがない遺跡です。
なにしろ天皇家よりもはるかにはるかに昔、
壮大な城塞構造物を岩山から切り出すことができる国家が、
縄文時代に栄えていたことを証明することになるのですから。
一方、縄文時代はまだ狩猟経済で、文化的にも高くはなかった、
だから、縄文人にそんな巨大なピラミッドみたいな城郭を作れるはずがなかった、
これが史学の常識ということになりそうです。
学問は、従来の学説では説明できないデータの出現によって一歩進みます。
一旦作り上げた学説を金科玉条に、異常データの無視し続ける学問は、
いつか自爆します。
でも、学者は若い時の自分の業績に乗っかって、学問世界に地歩を築きます。
そん基礎業績を否定すると、
自分の名声、業績は全て無に帰するかもしれません。
よくよく考えてみると、同情の余地がありそうですね。

























































#
by hologon158
| 2019-11-11 23:18
| ホロゴン外傳
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6月24日月曜日、
第4月曜日は、付虹先生の楊琴レッスン日。
4オクターブほどを縦横無尽に駆け巡るのが、
ツィンバロン属の最終進化版である楊琴の真骨頂です。
横にしっかり張り巡らされた弦を竹のスティックがたたきます。
スィートスポットはごく狭い感じで、
せいぜい1.5㎝もありません。
楽譜を見ながら、盤面を見るということはできないので、
ピアノのように、ブラインドで弾くか、
それとも、楽譜を暗記して、盤面を見ながら弾くか、
どちらかを選ぶことになります。
記憶力のない私は前者を選択しました。
かなりできるようになりました。
でも、難しいのは、それよりも、正しいテンポで弾くこと。
これがなかなかできません。
日本人にとって、テンポは鬼門かもしれません。
なんて、日本人を共犯に仕立てても仕方がないのですが、
私たち、子供の頃からたいてい4拍子で、
1、2、3、4と行進してきましたね。
オイッチ2、オイッチ2と行進し、
「右向けえ、右!」なんてやっていたのですから、
リズム感など身につくはずがありません。
中国は違うようです。
伝統的な音楽にもさまざまな変拍子があります。
ラテンやアフリカの諸民族と来たら、
多種多様の変拍子を胎児のときから聴いたり感じたりして育します。
日本でも、事情は変わってきました。
現代の子供たちは多種の変拍子、アウトタクトで自在に歌えます。
「機関車トーマス」の英語の主題歌もかなり変拍子です。
私の孫プリンスは2歳、3歳のころ、
そんな英語の主題歌を自在に歌っていました。
私の母は、太平洋戦争の頃、
ラジオで「フィリピン上陸」なんて報に接すると、
隣近所の奥さん方が集まって、一生懸命発音を練習したのですが、
誰一人正しく「フィリピン」と発音できなかったそうです。
孫プリンスなど、3歳から4歳にかけて恐竜に入れ込んでしまい、
8、9冊の特集本を買いそろえ、
優に100を超える恐竜の名前を覚えて、
自在に言い当てることができました。
「プシッタコサウルス」なんてさらりと言い当てる。
大人でも一口で言えないような難解発音語ですね。
時代は変わるものです。
恐竜以前の動物の進化を概説する入門書を読みましたが、
数十種の珍種絶滅種の名前など、ほとんど記憶不能。
テスト。
「ディロフォサウルス」なんて名前を見た途端、
口で発音できますか?
こんな名前を30ほど並べ、3分間与えられ、
時間経過後にどれだけ暗唱できるか?
なんてテストをされたら、何問正解できるでしょうね。
私はそんなテストをされたら、
単音節または2音節の名前ばかり10個ほど選んで、
それだけ記憶します。
覚えっこないような難読名なんかに目をやると、
頭がこんがらかりますね。
話が逸れましたが、
楊琴は、ピアノと似ていて、
両手が別の音型を描いたり、和音を作ったりしますから、
暗譜が必要です。
性根を入れて、集中的に覚えなければなりません。
ボケ防止にはかなり効果的、
そう考えて、がんばりましょう。
レッスンの後、環状線京橋駅に移動し、
駅前商店街の中華チェーン店「ミンミン」で昼食。
それから、商店街内外のロボグラフィをスィープしました。
装備は実にシンプル。
オリンパスE-PL8
スピードアナスチグマート25㎜F1.5
私のCマウントレンズ中の最愛のレンズが、
このレンズとキノプラズマート。
奇しくも、というか、当然、と言うか、
レンズ設計は同じなのだそうです。
どうしてそんなことが起こったのか?
どちらかがコピーしたのか?
それともパテントを譲り受けたのか?
判りませんが、レンズデザインは一緒なのに、
結果的には、それぞれに独特の描写をしてくれます。
どちらが良いとか、好きとか、言えないのが妙です。
Cマウントレンズの土俵で、私は明晰レンズも好きですが、
茫洋レンズはさらに大好き。
本レンズはそんな茫洋メタモルレンズの極致、という感じ。
面白いことに、この2種、どちらも、レンズとしての作りが見事で、
独特に個性的な雰囲気、風格があります。
制作者が気合いを入れて作ったという感じ。
一生愛しちゃいましょう。
京橋は、私にとって、鶴橋、通天閣、心斎橋等の
第一級ロボグラフィ地よりは少し落ちる、
いわば第二級ロボグラフィ地。
かなり狭い商店街に限定されるからですが、
これがとても面白い。
一つ通りを狭い方に回りますと、
欲求不満な男性方が遊ぶようなお店も並んでいたりして、
かなり低俗と言うか、サードクラスの通人向き、
と言ったら、良いのでしょうか?
はっきりと場末風の雰囲気があり、
一生涯そうしたあらゆる遊びとは無縁の私も、
ロボグラフィの被写体として楽しめる場所というわけです。
普通、こんないわゆる岡場所、というのは、
剣呑な雰囲気がありそうですが、そこが大阪人の遊び場です。
日本でも指折りの庶民の町、
皆さん、肩の力が抜けて生きている、
そんな雰囲気がこの町にも漂っています。
ただちょっと気になったのは、
遊び場であれ食堂であれ、
どの店も、一様にくたびれてきています。
昔から遊んできた連中が揃ってあの世に旅立ったり、
くたびれたりしてゆく趨勢の中、
若い連中はこんな場所には来ないようです。
つまり、どのお店もじり貧状態という雰囲気。
でも、そんな雰囲気はまさにロボグラフィ環境なのです。
ピッカピカの一年生風のストリートは、
ロボグラフィなど用意してくれていまえせん。
京橋の商店街のような黄昏の町こそ、
かなり楽しいロボグラフィを時々刻々と生み出してくれている、
そんな感じがします。
そんな黄昏のロボグラフィを並べてみましょう。
面白いことに、上記のような場末風路地のロボグラフィには、
キノプラズマートはあまり似合いません。
ところが、スピードアナスチグマート25㎜F1.5は、
こんな場末風路地が得意中の得意。
そのあたりに、ダルメーヤーの面目躍如たるものを感じます。
肩の凝らない三流の光景でこそ生きる二流レンズ、
それが、スピードアナスチグマート。
少し方向を変えて考えてみますと、
ちょっと神話的な想像力を掻き立ててくれるレンズです。
いわば、マーヤー的ベールがフンワリとかぶさってきます。
ウィキペディアには、
「マーヤー (サンスクリット語: माया Māyā) は、
インドの宗教やインド哲学に現れる概念である。
元来、ブラフマーなどが用いる神の力・神秘的な力を意味し、
その後、幻影という意味に変化した。
人を幻惑させる力という意味で、
「幻力」と訳されることもある。」
とすると、スピードアナスチグマートは、
「マーヤーレンズ」の一本であると、言えそうです。


























































#
by hologon158
| 2019-11-05 23:19
| ホロゴン外傳
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幾度も書いていますが、
私は二胡を習っています。
「牛に牽かれて善光寺詣り」という成句がありますが、
私の場合、「妻に牽かれて二胡学習」
二胡の大演奏家、劉継紅先生の二胡大阪教室。
この教室のマネージメントを妻が担当している関係で、
助手として引き込まれたようなものです。
以来、3年、おそらく劉継紅先生の弟子中、
最も遅い上達速度の弟子としてダントツの存在。
それでもようやく曲の演奏に挑戦するレベルに到達しました。
「郷愁」を選びました。
でも、この曲を美しく弾くための奏法の一つを
しっかり練習することとなりました。
スラー。
そして、音の作り方。
これを一緒に勉強することとなりました。
曲を演奏するとき、
単に一本の棒のように一音を弾ききるのは単調すぎます。
体を柔らかく動かすことで、一音にふくよかな余韻が生じます。
二胡の場合、左手が棹を支え、右手が弓を左右に水平に動きます。
そのとき、四分音符は八分音符2つ分と考えて、
八分音符ごとに体の動きを変えることで、
音に膨らみが生まれます。
その際に動かし方は4種あります。
実のところ、二胡奏者でもそんな風に体を動かしていません。
だから、多くの二胡奏者はどこかで体を痛めるのだそうです。
劉継紅先生は体を痛めたことがありません。
自然な動きで体を滑らかに動かすことで、
体を休め、無理なく美しい音を出すのです。
このあたりからは、劉継紅先生のノウハウなので、
詳しくは書きませんが、
自然に滑らかに体を動かすことで、体は常にやわかさにほぐされ、
とても健康に良いのだそうです。
他の楽器の多くは、楽器の本質的な構造上の必要で、
どこかで無理をするのだそうです。
たとえば、竹笛は、魅力的ですが、どうしても息を無理に使うために、
プロの演奏家としては40歳あたりが限度なのだそうです。
二胡だけは、正しい演奏法を身につければ、高齢になっても演奏できます。
毎回授業終了後喫茶店で食事がてら、しばらくお話をうかがいます。
音楽に関しては宝庫と言えるほどの知識と経験の持ち主です。
中国における二胡教育の基礎を気づいた張鋭先生の薫陶を受け、
若くして北京電影交響楽団に採用されて、
リーダーである偉大な演奏家劉明源先生に師事し、
中国政府が実施したたった2回の全国二胡コンクールに優勝し、
交響楽団のコンサートマスターとなり、
さらに、北京中央音楽院に入学卒業されました。
当時は毎日たった1時間の睡眠で
コンサートマスターと学業を両立させておられた、
というのですから、大変なエネルギー。
その後、来日して、東京音大作曲科を卒業され、
以来、日本における二胡の普及に力を尽くしてこられました。
そんな先生ですから、中国の音楽事情と、
音楽に関する造詣にわたるお話のすべてが、
面白いこと、啓発的なこと!
今回のお話で一番感動したことは、
音階スケールを何時間弾いても、飽きない!
あらゆるニュアンス、テクニック、奏法を駆使すると、
音階一つだけで見事な音楽になり、全然飽きないのだそうです。
ほとんどの二胡演奏家はたった一種の音色、奏法で、
どんな曲もすべてまかなっています。
音楽そのものの味よりも、演奏家自身の味の方が大切。
劉継紅先生は音楽、曲想にふさわしいテクニック、技術を駆使されます。
こんな先生の手にかかると、
ただの音階が、弾いて飽きない、
聴いて飽きない一種の名曲に変身するのだそうです。
とにかく大変な芸術家に師事することとなったものです。




























































#
by hologon158
| 2019-11-01 21:50
| ホロゴン外傳
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また古い記事です。
毎日どんどんポメラで文章を書いています。
ボケ防止に役立つ最高の習慣、私はそう考えています。
とにかく名文を書こう、大向こうを唸らせよう、なんて考えない。
ひたすらキーボードを叩きまくって、思いつくまま、指向くままに、
ガンガンと書きまくって、そのまま読み返しはブログ作成時、
という調子の駄文集。
写真の撮り方とまったく一緒。
5月4日土曜日、快晴です。
すでに初夏のような気候。
ちょっと用があって、外出することにしました。
私の周辺ロボグラフィコースの一つ、
裏道伝いに白毫寺、高畑町経由で奈良町に至るコース。
昼食は、ちょうど頃合いのよい場所にほっかほっか亭があります。
主婦のバイト口のようで、気さくなおばちゃんたちが作ってくれます。
のり弁当を注文。
たった360円で、文句なしに楽しめます。
近くに立ち寄り先があって、
そこで休憩がてら、いくつか用を済ませ、ついでに昼食。
作りたてのあたたかいのり弁当に舌鼓を打ちます。
グルメではない私にとっては、
炎天に近い田舎道を1時間半撮影してきただけに、
豪勢な食事です。
食事しながら、常時携帯しているウォークマンで、
イエルク・デムスのベートーヴェン・ピアノソナタ集を楽しみ、
かつ、ポメラを開いてこの文章を打つのですから、
私にとってこの世の贅沢、というわけです。
生涯金儲けとは無縁、ささやかな家計は全部妻に委ね、
ついでに、使う方も妻に担当してもらって、
少しの小遣いだけで、仕事と趣味だけを楽しんできた人間、
欲も得もありません。
これは気楽ですよ。
そして、世は大型連休と騒いでいるようですが、
私の人生はずっと連休、というわけで、
連休が済めば働かなきゃならない皆さんには申し訳ないけど、
実に太平楽。
本日持ち出したセットは、
ライカM9
ツァイスのビオゴン35㎜F3.5
ツァイスらしい雄勁な描写です。
でも、線が太いわけではありません。
かなりリアリズム派の描写。
フレクトゴンのような「どこかが違う」味わいを楽しむ人間には、
ちょっと華麗で分厚すぎて、それがちょっと物足りないけど、
あるがままの光景の再現力という面で見れば、
堂々たる発言力の持ち主、と言うことができそうです。
この辺りの描写性には、もしかすると、ライカM9が関係しているらしい。
画像の厚みがほどほどで、色もあっさりというソニーα7の味と違います。
私としては、最初は、物足りなかったソニーα7に慣れてしまうと、
ライカの方が過激すぎる、という感じに変わってしまいました。
休憩場所を出発したのが午後12時過ぎ。
破石町バス停近くの喫茶店で休憩をとったのが午後2時15分。
半時間、入江泰吉記念の奈良市写真美術館を閲覧しただけで、
かなり炎天下、撮影しづくめ。
いささか渇水状態になりました。
入江先生の企画展は「祈り」
大和路に溢れる祈りの気配をとらえた作品群。
四×五判の銀塩フィルムの作品はほとんど完全に褪色しています。
そのデジタル再現も以前よりましになりましたが、
赤や緑の原色が混じると、突然、デジタル臭がぷんぷん香ります。
もう技術者たち、自然の赤や緑を感じる目を持っていないのでしょう。
それに四×五判の穏やかな質感にあふれる肌触りも消えています。
デジタルのやたらシャープな金属臭でしかない。
だから、質感と臨場感を失って、ただ精密描写なだけで、
入江先生の作品からあふれ出てきた気配などとても感じられません。
カルティエ・ブレッソン、木村伊兵衛、土門拳、
彼らの新しい写真集も同様です。
やたらシャープでコントラスト抜群だけど、
これはおかしいのです。
彼らの作品は堂々たる質感ではありましたが、
デジタル的な意味でのシャープさなど皆無でした。
ものの質感であって、画像のシャープネスとは無関係。
でも、デジタル写真しかしらない技術者、製本家には
その違いが分からないし、分かっても、再現不可能。
写真家は常に仕上がりのイメージを心に感じ取りながら、
写真作品を創造します。
でも、再現技術の革新の波にどうしようもなく押し流され、
写真芸術として生きながらえようと思ったら、
画像が根底から変質していくことを甘受しなければならないようです。
瀬戸正人さんの「旅しないカメラ」は、
まさにそんなデジタル色を使って創造した作品群。
つまり、見たまま、撮ったままではなく、
猛烈なデジタル処理から生み出されたビジュアルアート。
私がエンジョイしたい世界ではありません。
副題にこうあります、
「...まだ見ぬ、もう1枚の写真を求めて」
いえいえ、それは写真じゃありません。
「別の1枚のデジタルイメージ」ですよ。
本題は「旅しないカメラ」ですが、これは正鵠を得ています。
カメラによる撮影画像はただの原稿。
事務所に居ながらにしてもデジタル処理の旅を重ねに重ねて、
自分だけのオリジナルなカラーとイメージを探索するのです。
青い鳥はカメラの中にはいません。
事務所のコンピューターの中にいるのです。
私はそんな青い鳥を探したいとは思いません。
どうやら時代遅れになってしまったようです。
2時45分、喫茶店を出発。
図書館を目指しました。
撮影しながら、奈良町を東から西に縦断して、
図書館で良寛さんの本を一冊借りて、
近鉄駅前で少しショッピングの後、
いつもの休憩場所のパン屋さんに着いたのが午後4時5分。
子供たち(猫ですが)が昼食を待っているので、
午後4時34分発のバスに乗らなければならない。
そこで、アイスコーヒー150円を楽しみながら、
この文章を超特急で書きまくっているわけです。
携帯用ワープロのポメラはますます快調です。
マックのOSのステップアップで、
前のバージョンのATOKが使えなくなったので、
それが使えるポメラが今や私の文章作成マシーンとなりました。
考えるスピードでタイピングできます。
最高のワープロ!
これなら、カントの三批判、マルクスの資本論、
ドストエフスキーのカラマーゾフほどの大作だって、
軽く書けるかもしれない!
なんて、間違っても考えませんが、
我が2つのブログの文章が否応なくさらに長文となることは必至。
誰も一目見ただけで、
「この人、ほんとにぼけちゃった!」と、
ますますアクセスは全滅一歩寸前でしょう。


























































































#
by hologon158
| 2019-10-30 22:43
| ホロゴン外傳
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久しぶりに宮崎貞安さんの最高傑作レンズを使いました。
ソニーα7
ゾンネタール50㎜F1.1Soft
本来の50㎜ゾンネタールに、
宮崎さんにお願いして、
ソフトフォーカスに調整していただいたバージョンです。
確か10本ほど作ったとお聞きしました。
開放が一段とほんわか描写になりました。
本来のバージョンも頂いていたのですが、
こちらは友人にたっての希望でお譲りしました。
でも、あまりお使いになっていないようです。
「開放でピント合わせるのが大変なんや」
その通りです。
元来、超大口径なのですから、ヘアピンである上、
オートフォーカスカメラから写真を始めた方には、
ヘリコイドリングを動かしてピントを合わせるのは無理。
特に近頃は写真年齢が上昇しているので、
若者の鋭い目を失って久しい方が多いのですから。
一方、私は、と言えば、マニュアルフォーカスが断然いい。
オートフォーカスレンズを使ったのは例外中の例外だけ。
40数年間終始、オーソドックスなヘリコイド付きレンズを使ってきたので、
写真を撮るための当然の作業ですから、慣れています。
でも、今回は、絞りをF1.1に固定したまま、
距離をほぼ3mに固定しておいて、
手元に片手で握ったカメラでシャッターを落とす、
ブラインド撮影に終始しました。
奈良町に海外の観光客が溢れていたからです。
なにしろF1.1のヘアピンなのですから、
おそらくほとんど合焦していないでしょう。
まさにオリンピック精神です。
つまり、参加することに、おっと、
シャッターを切ることに意義がある!
作品作りを強いられる写真家さんたちは大変でしょう。
時流に乗った売れっ子の写真家たちの一部が、
喫煙、飲酒、ときには薬に走ったのも無理からぬところです。
なにしろ、生活と名声とがかかっているのですから。
そのうえ、私のような素人と違い、
センス、感受性、選択基準がまるで違います。
私が「いいな!」と喜ぶ写真など、彼らに選ばせたら、
ほとんど没、いや、全部「ゴミ箱」でしょう。
私は、はるか前に「写真家志望」とはさよなら。
自分一人のさすらい人生の道ずれとしてカメラを常時携帯し、
その道行きの証拠写真として、写真を撮るようになると、
ほとんどが「合格!」という時代になりました。
なんで昔からこうしなかったんだろう?
週一回撮影に出て、
出る度に常に36枚撮りフィルムを24本撮り切って帰り、
その翌日に4本フィルム入りの6本フィルムタンクで、
約1時間で全部現像していました。
風呂場に24本フィルムを吊り下げるのですから、いつも壮観でした。
乾くと、6コマごとにカットして、フィルムシートに挿入し、
その晩は書斎を暗黒にして、まずコンタクトシートを焼き、
それから、目ぼしいものを六つ切り、四つ切りのペーパーに焼く、
写真フェスティバルを満喫したものでした。
懐かしいですねえ。
十数年で職務が多忙になって、ネガカラー、ポジに移行。
ポジの時代になると、資金の関係で、
撮影ペースは半分に落としたものの、
現像からあがったフレーム入りのポジフィルムを
B4判ライトボックスに1本分並べて、
手裏剣よろしく、不要分をライトボックスから外に飛ばしてしましました。
だから、ほとんど残っていない。
惜しいことをしました。
今の私の基準で行けば、大抵の写真、残したいと思ったでしょう。
すべて私の人生行路の証拠写真なのですから。
当時の写真の一部は、40冊ほど、
写真集に仕立てて製本してもらったのですが、
これらは、私が写真家になったつもりで、
オリンパスEP-L1で完璧なプリントに仕上げ、
序文から奥付まで全部編集して、
大阪の雲雀屋製本所で見事な一冊本写真集にしてもらいました。
何年経っても、製本したばかりのようにピッカピカの本です。
市販本よりずっと立派です。
でも、実はほとんど観たことがありません。
いつか死期が突如訪れそうになったときに、
これらの写真集で過去を呼び返してみましょう。
今は、今を生きるのに忙しいから、観る暇などありません。
さて、ゾンネタールに話を戻しましょう。
確かに現代レンズです。
見事な色で撮れます。
でも、根底にレンズ黄金時代の雰囲気が流れています。
描写、表現に、コクがあり、芯があり、歌があるのです。
まあ、そう自分で思っているだけかも知れませんが、
とにかくF1.1ヘアピンの威力は大変なものです。
このレンズは、私の歴史を作ってくれました。
独特の描写性には、他のどのレンズにもない風合いが感じられます。
どこまでの私の伴侶となることでしょう。
ときどき思うのですが、
宮崎貞安さんというレンズ名人、
もしかしたら、私を含む、一部のクラシックレンズ愛好家のために、
神さまが贈ってくださった天使かもしれません。
さて、ゾンネタールを奈良町に持ち出したのは久しぶり。
このレンズの魔術的な描写を久しぶりに満喫しました。
折から、ゾンネタールの生みの親、宮崎さんから、
ヴァリオプラズマ50㎜F1.5が届きました。
幻の一本と化したキノプラズマートの復刻版です。
「レンズ千夜一夜」で早速採り上げてみました。
図らずもゾンネタールとの対決となったわけです。
私としては、興味津々。





























































#
by hologon158
| 2019-10-24 16:59
| ホロゴン外傳
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生命って、どうやって生まれたのでしょうね?
ワトスンとクリックが二重らせん構造を発見して以来、
生化学は飛躍的な進化を遂げました。
人間の遺伝子地図を完成させようと、
企画実行するまでになったのですから。
でも、遺伝子構造がくまなく解明されたからと言って、
なぜ命が生まれたか?
どんなプロセスが命を生み出したのか?
なぜこんな風に様々に進化を遂げてきたのか?
こんなことはまったく分からないでしょう。
まず第一に遺伝子の螺旋構造、機能、情報処理を見ると、
実に科学的な先進技術の粋を尽くしたものだと、
唖然とし、讃嘆せざるを得ません。
一つの細胞の核の中に一組ずつ収められています。
染色体は螺旋構造でぐるぐると絡み合い、
これをほぐすと、なんと1mほどの長さになるのだそうです。
ミクロ的に超精密かつ高度に機能化された構造として、
この世に遺伝子ほどのメカニズムはないのではないでしょうか?
そこで、質問。
遺伝学では、遺伝時のニュー個体の登場に当たって、
染色体に突然変異が起こることによって進化してきたとされています。
でも、突然変異のおそらく99パーセントは、
そのような有意義な突然変異につながりません。
チンパンジーがタイプライターを1ヶ月叩き続けても、
その文字列の中に含まれる有意な単語が生まれる率は、
ランダムな文字列と同程度でしかないでしょう。
まして、遺伝子は生体の誕生と存続を可能ならしめるものです。
それに変更を加えようとするのですから、
エッフェル塔の3本脚の鉄塔のどこかのビスを抜くように、
時には、有意義な進化が起こせないどころか、
有害であるために、その個体を死に至らしめてしまいます。
そのような稀中の稀なる突然変異に頼ろうとしても、
遺伝子登場の最初期には、
遺伝子の螺旋構造のような超精密な機構をランダムな突然変異で作り出す、
なんて芸当は絶対に不可能だったでしょう。
個体そのものの総体は健全に存続し続けることをバックボーンとして、
遺伝子の突然変異は、その個体の極小の一部を作り変えるのです。
個体そのものを新たに作り出すなんてことはできっこないのです。
要するに、現代の進化論は、
種の進化のメカニズムを説明する理論でしかない。
その基礎となる遺伝子構造、
遺伝のメカニズムの発生を説明するものではないのです。
奇妙なことがあります。
人間は細胞核に一つ一つ内蔵された二重らせんの遺伝子の
わずか3パーセントしか使っていないのだそうです。
この3パーセントは、進化の道筋を考えると、
地球上を闊歩した、無限数の祖先たちを組成した遺伝子群が
進化の道筋にすこしずつ拡大する方向で進化してきたものに違いありません。
さまざまな組成ファクターが共通しているからです。
しかし、私たちの前身がなんであったか、未だに発見されていません。
時間的に近縁種と思われる、ホモ・ハビリス等の脳容積に比較すると、
突然超巨大な脳に変わっているので、
直接、ホモ・ハビリスたちから進化したとは考えにくく、
橋渡しとなった中間形がいつか見つかるかもしれない、
そう期待されています。
ミッシングリンク、と呼ばれます。
でも、そんなリンクの発見は期待薄かも知れません。
化石となって残る可能性は極めて稀少だからです。
恐竜がいい例です。
1億数千万年の間におそらく何億、何十億、いや、何百億と、
地上に栄えたはずの竜盤目の超巨大恐竜の骨格化石も、
どの種も全身骨格はほとんど見つかっていないことを見ても、
化石となって残るのは稀なる幸運によってであると分かります。
生物学の現在の知見をまとめた本を読みますと、
① 生命が地球に生まれたと推定される当時、
地球には生命を産む環境にはなかった。
② 一方、その当時、一番生命誕生の条件を備えていたのは火星。
③ その火星に隕石衝突の衝撃で飛び出した岩石の中に、
生命の源となる有機体がカイコのように包まれて、
地球にたどり着いた可能性がある。
ということです。
つまり、もしかすると、地球上の生物の祖先は
火星に居たかも知れないとされています。
とすると、二重らせんの基本形は火星で作られたのかも知れません。
この考え方の基礎として、
宇宙の物質には組織化に向かう性質があって、
どこであれ、それを可能にする条件がありさえすれば、
物質は有機体に向かって進化し、
さらに複雑化して、さまざまな生命存在を生み出す可能性を秘めている、
という考え方が有力になりつつあるようです。
ただし、そんな風に宇宙のそこかしこで生命が誕生し、
人間同様に宇宙に飛び出すほどに進化発展しても、
無限の時空のそこかしこの局所的な進化にすぎず、
たがいにコミュニケートしあえるチャンスは無限小である、
と考えるのが一番自然です。
そう考えると、寂しいですね。
でも、一方では、ほっとしますね。
ヨーロッパの無頼な冒険野郎たちが中南米の先進文化に遭遇したとき、
起こったことは野蛮の勝利でした。
ヨーロッパは、ギリシア、ローマ、ケルトの時代から現代まで、
諸民族、諸文明のるつぼで、戦争に次ぐ戦争の歴史をたどってきました。
そんな殺戮のノウハウに支えられた無敵の戦争屋たちに、
アステック、インカの戦士たちがかなうわけがなかったのです。
ピサロやコルテスは信じていました、
自分たちはキリスト教の勝利に貢献している。
文明と文明が衝突すると、常に野蛮が勝利します。
中南米で培われた知恵、知識、技術はほとんど全部、
失われてしまいました。
このような行動は彼らが初めてではありません。
どうやらキリスト教は、「汝の隣人を愛せ」という、
イエス・キリストの教えなど体よく脇によけて、
血塗られた剣によって拡大していったのです。
矛盾をはらんだ文明は外面は発展しますが、
内面はそれだけ退化していく、
これが文明の鉄則です。
地球上の生物を何度でも殲滅できるまでに
軍事力を強化発展させ続けた現代ヨーロッパ文明は、
次第に低劣な精神文化に墜ち続けてきました。
そのおかげで、現代文明の端くれにつかまった日本社会も
その果実を収穫しつつあるのです。
テレビをご覧ください。
どこに知恵がありますか?
テレビを初めとするマスコミは、情報発信メカニズムから、
ひそかに人身操作システムに変質を遂げてしまいました。
私は数十年、テレビを観ませんが、
孫の家や大衆料理店で目に入ります。
腹を立てないでくださいよ、
バカがバカの大衆をさらにバカにするためのあの手この手、
そんな印象一色。
昨夜も孫の家でそんな番組を観ました。
子供のグループサウンズの歌と踊り。
これをどこで鳴らしても、90パーセントほどの子供たちが、
どこで、何をしていても、その場で踊り歌い始めるのです。
ここまで子供たちを均質化してしまったのです。
私の孫たちはそんな笑って見ているだけでしたが、
親まで一緒に歌い踊る家庭もあるでしょう。
怖い。
心底、怖い!
オーウェルが「1984年」で予言したとおりの、
怖い世界になりつつあります。
「1984年」の世界が現代と共通している点が2点。
① 大衆操作の方法がテレビであること。
② 大衆は操作されていることに気づいていないこと
以前、麻生が日本国憲法は少しずつなし崩しに崩していけばよいので、
真っ向から憲法改正など目指す必要などないと、
講演会で堂々とぶったことを思い出します。
そして、まさにそのとおりに実行しつつあります。
すでに、そのように実行するための客観的状況は整ったので、
堂々と公言したのです。
つまり、
国民は順化され、野党は政権担当能力を失ってしまった、
我が党は事態はもう掌握できた、
そのような意図が国民に伝えることがむしろ、
国民の馴化を促進できる、
そう踏んでの秘策暴露だったわけです。
案の定、国民の大半は軽く聞き流しました。
私はもうすでにはっきりと希望を失っています。
すでに、ネットでもニュースを見るのをやめました。
それでもなにかと動向がいやでも目に入ります。
ますます行けないという感じ。
私に希望を抱かせるような情報など一切ありません。












































































































#
by hologon158
| 2019-10-19 11:55
| ホロゴン外傳
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今日は、ちょっと面白い記事を掲載することにしましょう。
私だけが面白いと思うだけかもしれませんが、
もともと、本ブログ、私だけを読者とするのですから、
それで良いのです。
さて、キリスト教の聖典である新約聖書には、
原典が残されていないことをご存じですか?
誰が作成したかについては、研究がなされていますが、
その内容は、絶対的真実であり、神から与えられたものである、
そう絶対的に信じられてきました。
でも、生身の人間に与えられたものなのであるからして、
その真実生、聖性を保障するものでなければなりません。
でも、最初に文書の形で整理した、いわゆる原典が
どのような経緯で成立し、
どのような経緯で失われたか?
私がこれまで読んだ関係書では、
そのことを解明しようとした記述に出会ったことはありません。
どうやら成立、喪失の経緯を解明する試みなど、する必要がない、
とされているようです。
だって「神から賜った聖なる書」なのですから。
これで問題はすべて解決、
それを超えて、誰が作ったかなんてことを詮索すること自体、
おかしなことですね。
文書に冠せられた名前の人が筆記した、それで良いではないか、
というところでしょう。
次ぎに、その最初の文書が一冊あった筈ですが、
その一冊がどのような経緯で失われたかも、
あまり触りたくない話題なのかもしれません。
神から賜った聖なる書なのに、失われてしまった!
全くその記録が残されていない。
もっと大切にしなきゃ!
そんな大切な書とは知ってか知らずかは別として、
いろいろな可能性が考えられます。
①奪われた。
②なくしてしまった。
③捨ててしまった。
そのどれかなのでしょう。
どれもこれも、滅法不名誉である点に変わりはないからです。
でも、誰も聖なる書の最初の原典版、
まさに神授の至宝の行方を探ろうとしないのは不思議です。
いいでしょう。
私が探ってみることにしましょう。
もしかすると、世界最初の究明の試みを今からすることになるかも?
そんな筈はないですね。
私が知らないだけでしょう。
でも、そんな解明の試みがなされたか否か、
私は全然は知らないですから、いいでしょう。
暇ですから、一度、聖書出現の昔に戻って、
ちょっと考えてみることにします。
これは世界的なコンセンサスのようですが、
現在残された昔の聖書の中には、
神から直接授かったオリジナルの聖典は混じっていません。
まして、その聖書の部分、例えば、「マタイ伝」の原本も、
残されていません。
そんな各部分の文書の存否など完全に忘却の彼方。
それらをまとめた聖書も、
すべて何世紀か後の写本からの写本、
その写本からまた写本、
という風に、すべて、何代目かのコピーのコピー。
しかも、印刷もコピー機もなかったので、
一冊一冊すべて手書き、その又手書き、さらに手書きと、
全部人の手で書き写してきました。
当然、誤字脱字、さらには無断書き換えまで混じっています。
現在残されているすべての写本も、
それ以前に幾世代かの筆写を繰り返してきた産物。
そこで、起こる最大の疑問は、
一体、原典である聖書の各部分はどうやって授かり、
それは、どこに行ってしまったんだろ?
余談かもしれませんが、
「この神様から与えらえれた」って、どんな方法でなのでしょうか?
2つの方法が考えられますね。
① 羊皮紙を綴じた書籍として?
それとも、
② 神様が選択した人の頭脳を経由して?
もっとも②としても、結局、その
人が①の方法によって書籍化したのでしょうね。
新約聖書の諸編の多くには、
制作者もしくは書簡の差出人の名前が冠せられています。
私は研究していないので、真相は不明ですが、
その名前の人が制作したが、それは神から与えられた霊感によってである、
ということのようです。
とすると、神様が採ったのは②だったと考えるのが穏当かもしれませんね。
学問的には、マルコ伝が最初に成立し、
マタイ伝とルカ伝はこのマルコ伝を参考にして成立している、
ヨハネ伝はまったく別個独立に成立しているとされています。
いずれにせよ、成立プロセスは記録されておらず、一切不明の状態。
神がこの世に与えたもうた聖典であるとされているのですが、
それなら、愚かな人間たちが絶対に誤解することのないように、
誤謬、誤記、矛盾などない「完全無欠なドキュメント」を人類に贈るはず。
神さまの与えたもうたものにしては、紆余曲折がありすぎます。
さまざまな食い違いがあり、
イエス像もそれぞれに微妙に異なっています。
このあたり、とても不可解、ということになりますね。
特に、ヨハネ伝のイエスは、
他の三福音書(共観福音書と呼ばれます)のイエスとはかなり違います。
その上、さらに考えてみると、
神が与えたもうたとすれば、贈与のプロセスがあったはずです。
でも、筆者が居るのですから、神から霊感を与えられて、
いわば夢中筆記に近い形でそれぞれの福音書をこの世に送り出したはずです。
でも、そうした作成プロセスについては一切伝承が残っていないようです。
マルコ伝については、ウィキペディアによれば、2世紀のパピアスという人が、
マルコはペトロの言葉を忠実に筆記したものであると主張したようです。
でも、これじゃ、神からの霊感じゃない。
「神授説」には直接結びつかない感じ。
たとえば、モーセがエホバの神から十戒を与えられた事情、
マホメットがコーランを天から与えられた事情、等々、
さまざまな宗教で聖典授与の秘伝が残されていますね。
それが新約聖書の場合にはないようです。
そして、さらに不思議なこと。
どんな形であれ、淵源においては、神から与えられたものなのであれば、
この世に二つとない聖なる書なのですから、
福音書4巻(他のすべての書も同様)の最初の筆記本が
この世から消えてしまったというのは、かなり不思議ではありませんか?
ちゃんと保管していたのでしょうか?
まだまだ不思議があります。
共観福音書同士でもかなりの食い違いがあるのは理解できません。
神さまが勘違いなさるとは?
私はこう推測します。
初期の信徒たちはイエスの行跡をしっかりと記憶するために、
記録する必要があると考えたのです。
当然です。
そこでまず、どんな形かは別として、
マルコ福音書が成立します。
たった一冊ですから、
各地の信徒にイエスの真実を伝えるために、
読み書きができる信徒一同、一生懸命に協力して、
写本を作成して、諸方に送り届けたでしょう。
でも、当時はまだイエスを記憶する信徒がかなり居たはず。
十二使徒の生き残りや、イエスを目の当たりに目撃した信徒が
残っていたかも知れません。
そんな人たちは、マルコ福音書を読んで、さまざまに考えたでしょう、
「概ね正確だけど、
中には正確じゃない部分が混じっている。これは直さなきゃ!」
そこで、マタイ伝とルカ伝が順次どこか別の場所で成立していったのでしょう。
だから、違いが沢山あるのです。
人が違い、立場が違うと、さまざまな記憶の違い、
見解の違いが起こるのは当然であり、
それが、イエス伝の複数誕生とかなりの差異を生んだのでしょう。
だから、福音書は人が作ったもので、神から与えられたものではありませんでした。
マタイ伝、ルカ伝の制作者とその仲間たちも、
マルコに負けじ、と、せっせと写本を作って、諸方の同信徒たちに送り届けたでしょう。
これらの最初の福音書を読んだ信徒たちは、
最初の最初から、いぶかしんだでしょう、
「なんだか、いろいろ食い違いがあるなあ。
どうしてなんだろうなあ?」
ということで、福音書は神の与えたもうた「聖なる書」ではなく、
いわば事実経過報告書として、人間が作ったものだったのです。
そうすると、聖書の各文書の最初の筆記者は、
神からの霊感に動かされたと否とに関わらず、
当時のことでしたから、おそらくパピルスにだろうと思いますが、
人間の作ったものに、人間が手書きして作成したのです。
とすると、原本と写本との間に、
その書物それ自体の「聖性」に関する区別などありませんでした。
一冊の聖なる宝物を作るつもりなどなくて、
イエスその人のことを、イエスと会ったことのない信徒たちに
伝えたい気持ちで作成されたもので、
だから、内容そのものが肝心要めだったのです。
だから、制作者たちも、どんどんコピーを作って、
それぞれに所持したでしょうから、
原本とコピーの区別などなかったのでしょう。
だから最初から、どれが原本か、どれがコピーかなんて、
誰も気にしていなかったなった!
これが真相ではないでしょうか?
ほかにも、たとえば、マグダラのマリアの福音書等々、
さらに多くの福音書が作られた事情は、
私の説を証明しているのではないでしょうか?
初期キリスト教徒たちは、誰か権力者の庇護を受けたわけではないようです。
いわば「新興宗教」として苦労を重ね、
ときには迫害を受けることもあったでしょう。
そのような艱難辛苦を重ねる信徒たちにとって、
誰かが作った各福音書第一号を
聖なるものとして特化する事情などなかったのでしょう。
イエスの教えと事績をひたすら伝え残したいだけ。
以上が、私の推理する、福音書原典喪失の真相です。
極めて自然な出来事だったのです。
だから、聖書に所収の文書の筆記者が最初に書いた、
いわゆる「原本」がどれかなど、誰も気にしなかった。
書いた本人だって、気にしなかった。
「マルコ伝」で言えば、いわゆる原本をM1、
次ぎにそれを丸々書き写したものをM2、M3等々とすると、
M1からすべて筆写したものではなくて、
その後の写本は、続々と増えるM3以降の写本を手当たり次第に使って、
書き写しては、各地の字を読める幹部に次々と分け与え、送付し、
最初から区別などする必要がなかったので、
M1もいつしか写本と混じり合って、
誰かに分け与えられてしまったのでしょう。
つまり、本文内容そのものが大切なのであって、
それが筆記された文書それ自体の聖性には、
原本も写本も別に違いはなかったのです。
私はキリスト教徒ではないので、平気で発表していますが、
このような問題を本気で考える人の99%はキリスト者でしょう。
そうすると、まさか上記のような事情を真相として発表する人が、
居るわけもありません。
だから、誰も発表していない!



































































#
by hologon158
| 2019-10-14 21:41
|
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南米に不可思議そのものの遺跡があります。
ティワナク
石造建築の巨大な岩石部材が、
大巨人がよってたかってひっくり返したような形で散らばっています。
石材の切り出しの精密さは現代でも難しいと言えるほどに完璧です。
古代の粗末な道具では絶対にできないほどの精度。
しかも、かなり複雑な形をしています。
建築の工法に「有り継ぎ」というものがあります。
これにそっくりの役割を担っているらしいのです。
有り継ぎは、角度を変えた切り込みを対面式に設けて、
部材を互いに組み合わせて、
前後にびくとも動かないようにする工法です。
youtubeでどんなものか確認できます。
日本建築では木材と木材の継ぎに使います。
ティワナクではこれを大きな石材同士で行っているのです。
巨大な石材をそのように加工する精密さもさることながら、
そのような工法を工夫する知能は大変なものです。
ある技術者は、これは航空機の滑走路として、
こうやって組み合わせて前後に動けないように、
土台として使ったものであると主張しています。
この主張は、建設当時に航空機があったことを前提としていますが、
別に航空機でなくても、巨大な石造建築をずれないようにするためには、
完璧な工法と言えそうです。
このティワナク遺跡はいつの時代のものか分かっていません。
年代測定に使える性質の出土品がないからです。
ある人は、遺跡の天文学的方位に依拠して、
1万2000年以上前だと主張しています。
既存の考古学会ではもちろん認められていない説です。
既存の考古学会は、地球の文明は6千年前、
シュメール、アッカドから始まったという、
全地球一直線、一方向の進歩学説なのですから、
それ以前に宗教や階級社会を象徴するような都市建築など、
絶対にありえないと考えます。
進歩はさすらいの狩猟経済から、定着の農業経済と進んで、
ようやく、社会、階級、信仰等が始まり、文明社会に至ったのであり、
つまり、それ以前の文明の痕跡などどこにもある筈がない、という立場です。
日本史学界が天皇家の万世一系のみを認めて、
大和朝廷が現実に始まった当時以前、同時の他の王朝の存在を
一切認めないのととてもよく似ています。
あらゆる学問がそうですが、
支配の正統性を証する学問である歴史学は、
現在の支配者の正統性を根拠づける任務が第一。
日本の史学界はまさにその典型、王道を行っているわけです。
でも、おかげで、まったく整合性のない、場当たりの論議で、
倭の五王を大和朝廷であると強弁し続けたり、
大和朝廷と全然つながらない縄文時代を、
ただの野蛮の先史時代として、深く研究しなかったり、と、
幼稚な手口が見え透きすぎます。
日本の古代史学者って、なんだか学問社会の官僚、
そんな感じさえします。
さて、話を世界に戻しますと、
世界の考古学資料は次第に主流派に不利になりつつあります。
ギョベクリ・テペ、日本の与那国島海中遺跡のように、
既存の学説では説明が付かない、
より古代の文明の存在を証明する遺跡がバンバン発見されつつある今、
文明のシュメール、アッカド起源説は消し飛んでしまったようなのです。
むしろマヤの暦が何万年も昔から始まっていて、
マヤ暦の1年がグレゴリオ暦のそれよりもさらに精確であることは、
マヤははるか昔からの暦に関する天体等の観測結果に依拠していること、
こうした事情は、暦を精密化できるだけの長大な期間、
さらに古代の文明が存在したことを暗示します。
暦の精密化以外は野蛮な文化、なんて奇妙すぎますからね。
スフィンクスの建設も、地質学的な立証により、
もはやエジプト古代文明の枠を飛び越えて、
はるか古代に遡らせる必要ができてしまいましたし、
大ピラミッド等の三大ピラミッドは、その建設方法には、
クフ王の時代のエジプトでは不可能な、
というより、現代でも極めて難しい工法で建設されていて、
三大ピラミッドの直前、直後とされるエジプト王朝の
ピラミッド群の幼稚な完成度とは、あまりにもチグハグすぎます。
完璧なまでに精密正確なピラミッドを建設する工法が、
3つのピラミッドに相次いで使われたということは、
その工法が伝承された事実を実地で証明しています。
それなのに、そんな工法のわずか100年ほど前でしかない、
初期ピラミッド群もその後のピラミッド群も、
大ピラミッドに比べると、幼稚すぎます。
つまり、三大ピラミッド群を建設するための高級技術を
開発発展させるための時間も段階的な発展も一切なく、
いきなり三大ピラミッド群が登場し、
三大ピラミッド群の建設が完了すると、
古代エジプト人はその工法を全部忘れてしまった、
というのは、あまりにも奇怪すぎますね。
同じ土地でそのようなことが起これば、
それは、別の民族、別の文明がその期間中エジプトを占拠した、
ということを意味することは明らかです。
でも、そんな歴史上の痕跡もありません。
だとすると、遺跡の年代整理がおかしい、そう言わざるをえないのです。
こうして、今では古代史学は空中分解の状態なのですが、
既存の史学界はさまざまな新発見に対応する術も頭も持ちません。
世界の史学界もなぜか既成の特権を固守する役人根性だらけ、
という感じ。
根拠もない推測を重ねに重ねて、
古代史をシュメール、アッカド以降の歴史的時間に
すべてのデータを整理し尽くしてしまって、
今更軌道修正など絶対に無理という状態だからです。
既存の史学者たちは、新しいデータを考慮して、
歴史的パラダイムを再構築しようとすると、
自分たちの拠って立つ基盤そのものを否定せざるを得ないという、
厄介な泥沼に落ち込んでしまうからです。
誰でも、身に付けた既成概念を振り捨てるのは難しいものです。
簡単に言えば、学会自体が遺跡化しているようです。
こうして古代史学者たちは、
サーカスのピエロ風のアクロバットを演じることとなります。
たとえば、大ピラミッドの精確無比なデータが何を意味するか?
これには知らんぷりを決め込むこととなります。
農夫たちが農閑期に作ったんだ、なんて説なのですから。
近傍の住宅遺跡を発見して、それが数百人程度の規模なのに、
建設者たちの住居が見つかったと大喜びしています。
でも、その程度の工事人たちがあの巨大ピラミッドを建設した?
20年で?
ご冗談を!
この程度の頭だから、
自分たちの説を裏付けると思われる発見にはすぐ飛びつくのです。
たとえば、大ピラミッドをクフ王の墓と結論づけた最大の論拠は、
ハワードがクフ王のカルトゥーシュに囲まれた名前の落書きを
内部の壁に見つけたことにありますが、
不思議なことに、それ以外に、大ピラミッド内部には、
いかなるヒエログリフも装飾も見つからないのです。
クフ王がこの壮大そのものの自分の墓を建設し終わったとき、
工事人頭を呼んで、
「よし、これを記念して、どこかに余の名を落書きしておいてくれ」
なんて言ったのでしょうか?
落書きは、根拠のないいたづらか、
それとも、現代の証拠ねつ造以外の何ものでもありませんね。
こんな風に古代史は証拠も学説も錯綜を極めていて、
正確な史実の再現など、当分不可能なのかも知れません。
こんな事態において、私たちにできることは、
絶対確実なことだけ確認しておくこと、これだけでしょう。
私には、その一つだけが真実であると思われます。
それはなにか?
ティワナクにせよ、大ピラミッドにせよ、
現行の史学界の常識である製造年代の人間には、
絶対に建設不能であったこと、
こんなものを作る技術は一切存在しなかった、
これだけだろうと思われます。
古代には、私たちの想像を絶する何かが起こっていたのです。
さて、写真は、エルマー35㎜F3.5の写真たち。
第二次世界大戦前のライカレンズの中核が、
エルマー50㎜、35㎜でした。
中判、大判等の大型フォーマットのカメラの時代に、
ストリートフォトの新境地を開拓できたのも、
エルマーのリアリズム溢れる精密描写と、
高性能の35㎜フィルムの開発のお陰だったのではないでしょうか?
超絶描写の現代レンズで撮った写真を見ますと、
私はのけぞってしまいます。
エルマーで撮った写真を前にすると、
なんでもない光景なのに、幸せになります。
私だけかもしれません。


















































































#
by hologon158
| 2019-10-11 23:16
| ホロゴン外傳
|
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奈良の小都市の一つ田原本は初めての町。
近鉄橿原線の沿線にある町ですが、
一度も撮影したことがなかったのです。
大和の地の小さな町にはなにかがあるかも知れない。
そんな魅力をいつも感じながら、縁がなかった町です。
スペシャルセットを用意しました。
ソニーα7
ビオゴン21㎜F4.5
単独行でしたが、この点はよいのです、
近頃はほとんど単独行ですから。
とにかく歩くこと。
これが至上命令。
そして、それができることが何よりも喜び。
でも、歩いていると、色々なことに出会いますね。
先日、奈良町で、一人の人物とすれ違いました。
奈良町を歩くと、時折出会います。
知人ではありません。
黒豹タイプの精悍な風貌に目が止まり、記憶。
浅黒い顔で、目が光り、いつも黒の服装を着ているあたりから、
連想が生まれたらしい。
私は体格も優れず、風貌は平凡そのものなので、
きっとあちらさんは私になど目を止めなかったでしょう。
だから、出会うのではなく、私がふっと目にとめる、そんな関係。
ところが、すれ違って、愕然としました。
視線も風貌もぐっと弱々しくなり、
歩きながら、顎をフラフラと弱々しげに上下させておられたのです。
私もいつかはそうなるのでは?
そんな未来に気づかされる出来事でした。
私ときたら、生涯運動という運動をせず、
ひたすら読み書き仕事だけの人生だったのですが、
私の体力は、毎日6時間の熟睡を含む完全に規則正しい生活と、
毎週末の写真行脚だけに支えられてきたようなものです。
両親から良い身体を授かったのでしょう。
生涯、ほとんど病気らしい病気をしない健康体で、
精神的にも安定していましたが、
どんな人に転機があるようですね。
20年前に、布団の中で、膝がカクカクすることに突然気づき、
それ以来、毎朝15分間、
自分で考案したプログラムでストレッチするようになりました。
私の特技は、即座に反応し、即座になにか対応策を講じ、
一度始めたことは、容易なことでは止めないこと。
ストレッチもその一つ、
初めてから1日として欠かしたことがありません。
これは効きました。
あっという間に、膝は滑らかに作動するようになり、
その頃、揚琴、リコーダーを始めたことも手伝って、
こうした楽器習得の修練も身体を使う敏捷性を培ってくれたこと、
次第に写真人生を深めたこと、などが、
私に次第に体力をつけてくれたようです。
最近の収穫は肩甲骨。
楽器演奏の秘けつは肩甲骨の自由な動きにあると、突然気づき、
YouTubeでさっそく秘けつを伝授してもらうことにして、
肩甲骨を自由に駆使できる運動を学んで以来、
まず、揚琴が断然プロフェッショナル風サウンドに一変し、
リコーダーも余裕のあるサウンドとなり、
まだ初心者同然の二胡が突然滑らかなサウンドを奏でるようになりました。
それだけではありません。
肩甲骨はどうやら身体全体の動きを高速化してくれるようです。
ここ数年、かなり敏捷にレスポンスするようになっていたのですが、
いわゆる「肩甲骨はがし」を習得して以来、
さらに敏捷となり、私の周辺でモノがころころっと落ちそうになると、
なんの意識も視線も動かぬまま、手足身体がすっと反応して、
気がついたら、受け止め、落下を防いでいる、
という状態に変わりました。
おかげさまで、どうやら私の身体は、
現在が最高の状況にあるようです。
水素吸引とアーシングが身体を支えてくれていることが
基礎条件なのですが、
動きそのものを敏捷にしてくれたのは、
まさに肩甲骨だ、と感じています。
さて、話を田原本に戻しますと、
初めての町はどうだったか?
可もなく不可もなく、というところでしょうか?
まず実感したことは、この町も沈滞している!
人通りが大変に少なく、空き家もかなりあります。
この町でも、高年齢層が住民の大半を占めているのでしょう。
でも、静かな町では静かなロボグラフィを撮ることができるようです。
ビオゴン21㎜F4.5を両手で保持しながら、
ひたすら歩き回って帰りました。
私の場合、写真作品を目指していないので、
なんでもかでも、視線が合ったら、パチリと一枚撮る習慣。
「視線が合う? なんじゃ、それは?」
といぶかしく思う方もおいででしょう。
でも、そうなんだから、仕方がありません。
路傍の者たちも退屈しているのです。
だから、ちらっとでも自分に目を向けてくれる者が居たら、
大歓迎、小旗をさっと取り出して、
夢中に振りながら見送ってくれるのです。
どんな町でも、なにかに出会える、
それが写真の喜びなのです。
ビオゴンはそんな私の気持ちを代弁してくれます。
精一杯がんばってくれました。
私は、自分の立場をよくわきまえています。
いつも、だれもが、
「なんでこんなもの、撮ってるの?
こんなもの、誰も喜ばない」という表情。
とくに、ホロゴンのような超広角でのロボグラフィは、
いわば絶対と言って良い位、無視されてきました。
でも、私は、それであればこそ、
自分のレンズとロボグラフィを大切に感じてきました。
誰一人認める者がなくても、
私は自分のレンズを愛し、
自分の出会った場所の記憶を愛してきました。
こんな人間に一番ふさわしい場がブログ。
私のように、偶然の検索結果として、一瞥する人以外には誰も来ない、
そんなブログを喜々として楽しみ、大切に思っている人が五万と居るでしょう。
パブリックな時空間に自分の隠れ場を潜ませる、スリル!
これぞ、現代が私にプレゼントしてくれたスリリングな醍醐味!
そんな感覚と言えば、同行の皆さんなら分かって頂けるでしょう。
ビオゴン21㎜は、同じ焦点距離のスーパーアンギュロンとは
まったく異なる境遇、と言えそうです。
スーパーアンギュロンをメインツールとして愛用した写真家は
かなり多いようです。
でも、ビオゴンと来ますと、
ハッセルブラッドSWCのビオゴン38㎜を愛した写真家なら、
沢山おいでですが、ビオゴン21㎜を愛用した写真家は?
私は思い当たりがありません。
でも、アマチュアなら、かなり居るのではないでしょうか?
スーパーアンギュロンよりかなり廉価に入手できるうえ、
その描写性の深さ、立体感、迫力、リアリティは
スーパーアンギュロンにむしろ勝る、
そう言っても過言ではないからです。
でも、いざ、お金に困って売りに出すと、
うーむ、スーパーアンギュロンにしておたら良かったな、
と多くの方が弱っておられるでしょう。
とにかく、売れません。
21㎜超広角レンズの王者、
そう言ってもよい存在なのに、
誰も同調してくれない、という感じ。
私も2度売りに出して、2度とも諦めて、引き取って帰りました。
クラシックカメラ店の陳列棚で泣いているのが忍びなかったからです。
で、ますます愛用しています。
恵まれない子の方がかわいい、という感じ。
ホロゴンより遙かに使いやすいうえ、
ホロゴンとはまったく異質な絵をプレゼントしてくれます。
ホロゴンの弟分(実は兄貴)として、死ぬまで一緒、
ということになりそうです。



























































































#
by hologon158
| 2019-10-07 17:13
| ホロゴン外傳
|
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あるところで、3年ほど合わなかった知人にばったり出会いました。
たった3年です、
相手が20歳台から50歳台までなら、そう書いても、
なんの支障も不具合も懸念もありません。
でも、70歳台だとどうなるか?
ほとんど同一性もないほどに老い衰えておられたのです。
なんだか仙人になりつつある、という感じさえしました。
もしかすると、1年1年の時の経過が、
一世代ほどもの変化を伴っているのかも知れない。
私から観て、相手がそうだとすれば、
相手だって、私を観てそう思うかもしれない。
そう考えると、さらに愕然とします。
そうであって、堪るか!!!
そう憤然と感じますが、相手だってそうでしょう。
先日、大阪の天満橋筋商店街を撮影したとき、
私が路地の入り口あたりで撮影していると、
やはり70過ぎのがっしりとした老人が通りかかり、
近くの雑草を指さして、
「元気で茂ってますなあ」
こんな風に気軽に声を掛け合うのが大阪人です。
私も、
「これが雑草ですよね。
どんな環境でも、絶対に生き抜くぞって、頑張ってますねえ」
彼、
「わしの方はあかんわ。
このごろ、足が弱なってしもうて」
観ると、ステッキを片手に持っています。
「膝がよくないんですか?」
こんな風にずけずけと踏み込むのが、大阪人です。
私も、大阪弁は喋れないけど、
心情、心根においてはれっきとした大阪人です。
「いや、なんとのう弱ってしもて、あかんわ」
「それだったら、一にも二にも、歩きましょう。
どんなにゆっくりでも良いから、歩きましょう。
それから、朝起きたら、布団の上でいいから、
自転車こぎをしましょう」
と、やり方を伝授。
「でも、最初から何回も続けたらいけませんよ。
ちょうどもうじき6月です。
6月1日に1回だけ、膝を自転車こぎしましょう。
あとはその日の数だけ、つまり、1回ずつ増やして行きましょう。
どこかこれで十分と思う数まで来たら、
そこで増やすのはやめて、毎日、その数だけ自転車こぎしてください。
そして、毎日、必ず散歩。
そうやって、体の衰えを自分でなんとか防ぎましょう。
たった一回の人生なんだから、
そう簡単に衰えてたまるか、という気持ちになってください」
いやあ、お節介もいいところですね。
これが大阪人です。
四海はみな兄弟、なのです。
でも、残念ながら、こんな風にアドバイスをしても、
その通り頑張ってみようという気持ちになる方は、
せいぜい10人に1人でしょうか?
簡単に言うと、ほとんど出会ったことがない。
私は基本的に、必死なのでしょう。
たった1回の人生、やり直しが効かないんだから、
どんな人からでもいい、アドバイスはまず試してみます。
私が毎日やっているエクササイズは10を軽く超えますが、
行きずりの人に教えてもらったことも3分の1は混じっています。
思い出しました。
かなり昔の商店街の年末の福引き光景。
いかにも庶民というおばちゃんが福引きの回転ドラムを回しました。
係のお兄ちゃん、あくまでも明るい声で、
「残念でしたあ、外れでーす。
はい、景品のティッシュペーパー。」
すると、おばちゃん、こちらもあくまでも明るく、
「おにいちゃん、もっかい(もう一回)させて。
今度は当たる予感がするねん!」
これが大阪のおばちゃんです。
縁もゆかりもない、町でばったり遇っただけのおっちゃんに、
本気で健康法を伝授する私とほとんど変わりがありませんね。
ソウルの韓国人はどこか大阪人に似ています。
お節介で、ただちに誰とでも打ち解ける。
韓流ドラマを観ていると、
大阪人とそっくりのリスポンスによく出会います。
中国人はどうなのでしょう?
上海人はかなり大阪人に似ている感じがします。
でも、日本に入ってくる中国人の出身地は、
広大な大陸にまたがっているせいでしょう、
行動様式も様々ですね。
大阪にも増えてきているようです。
私の中国楽器の師匠も、
揚琴の付先生は奥ゆかしく上品で、北京人です。
二胡の劉先生は開けっぴろげ、遠慮なくヅカヅカと踏み込んできます。
中国の大阪である上海人なのです。
どうやら韓国でも、振る舞いも言葉の訛りも、
ソウルは東京風、釜山は大阪風。
つまり、ソウルよりもなお一層大阪人に近い、という感じ。
緯度の違いが気候風土の違いに影響を与えている、
そんな感じがしますね。




























































#
by hologon158
| 2019-10-03 23:05
| ホロゴンデイ
|
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6月17日月曜日のことです。
ソニーα7に私の伴侶ホロゴンホロゴン15㎜F8Uを付けて、
縦位置は右手で、水平は両手で握って、
手を垂らしたまま、撮り続けました。
いつもの「5つのノーと言える男になりたい」式撮影法。
ファインダーを見ず、
作画もせず、
待つこともせず、
考えもせず、
トリミングも後でしない。
私のホロゴンとの20年の付き合い方です。
これひとつをとっても、
私は自分から写真家であることを放棄したことは明らか。
撮っている本人が作品作りを放棄しているのですから、
この20年間、私の写真を写真作品として認めた人はほとんどいません。
それでも、心満ち足りて、写真を撮り続けてきました。
なんでだろう?
私ははっきり理由を知っています。
人に認められることは、私の人生を強化してくれない。
何よりもまず、誰よりもまず、
私自身が自分を「よし!」としなきゃ、始まらない!
できたら、毎日、毎時間、毎瞬、「よし!」としなきゃ!
でも、時間って、ちょっとおっかないですね。
正月だと思っていたら、もう半年過ぎている!
こんなときは何時も、
ベーデの教会史の有名な挿話を思い出しますね。
宮廷の大広間でのことだったと記憶しています。
王の謁見中、大広間の両側の壁の天井近くにもうけられた窓を、
一羽の白い鳩がさっと飛び抜けていきました。
ほとんど目にもとまらないほどの一瞬の出来事。
そのとき、キリスト教の布教僧が王にこう言ったのです。
「人の人生はあのようなものなのです。
目にもとまらないほど素早く終わってしまいます。」
だから、今この瞬間にキリスト信仰に帰依して、
永遠の命を得ましょう、という教えなのですが、
いかなる人間にとっても、同じ道理ですね。
うかうかと過ごすと、大切なことはなにもしないまま、
あっという間に人生は終わってしまうのです。
私は20台半ばに、カール・ヤスパースの「哲学」の圧巻、
第2部の「実存開明」でこの話を読み、かなり感銘を受けたのでしょう、
しばらくして、テレビは、映画を観るだけで、番組を観るのは止めました。
それ以来結婚後も、子供の小さかった頃を除き、
ずっと今に至るまで、我が家では一切テレビを使わず、
ただビデオだけを観ています。
権力の走狗でしかないどこかの番組のために、
使用料など払いたくないからということもあります。
じゃ、浮いた時間をなにに使うのだ?
そう尋ねられると、痛いですが、
やりたいことは一杯ありました。
長い間、自宅でも夕食後仕事をしていましたが、
余った時間は読書と映画に注ぎ込みました。
それが人生の糧になったかどうか?
それは判りません。
目に見えて判る効果の一つは、
私が大抵の人と共通する話題がかなり少なくなったことは明らかです。
でも、私は後悔していません。
私が生涯付き合う相手は私自身だからです。
その私自身と語り合える話題はいくらでもあります。
私の生涯の伴侶である妻もテレビ嫌い。
おかげで、食事中も盛んにさまざまに語りあえます。
話題によっては対立することもありますが、
たいていは意気投合します。
妻は一種の傑物なのです。
これ以上に魅力的な人物に出会ったことはありません。
妻の方は、もう少しマシなのに出会えたら良かったのに、
そう思っているかも知れませんが。
いずれにせよ、二人とも、今、この瞬間に全身全霊をあげる、
という心意気で生活しています。
私はますますブログにのめり込んでいます。
というより、ブログ原稿の製作に、と言うべきでしょう。
写真は私の足跡、文章は私の心の軌跡、
いずれせよ、この絵日記というコンセプト、
大成功です。
読み返す暇など、ほとんどありません。
作るという行為が私の人生の行為なのですから、
別に読み返す必要、見返す必要などありません。
楽しい。
人間、誰しも苦しいこと、嫌なことがあります。
でも、くよくよしていたって、始まらない。
いじいじしていたって、誰も喜びません。
こんなときのために、良い言葉がありますね。
「ものは考えよう」
パスカルが言いましたね、
「人間は考える葦である」
何を考える?
どんなことにも、自分を喜ばせる何かがあるはず!
「それが何かを考える葦である」



































#
by hologon158
| 2019-10-01 23:05
| ホロゴンデイ
|
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今日は、久しぶりに大関レンズを持ち出しました。
ソニーα7
スーパーアンギュロン21㎜F2.3
私のように、写真作品など撮らず、
さまざまなレンズの試写を楽しみながら、
ロボグラフィと名付けて、
自分の足跡を記録する人生を選んだ人間には、
自分自身の写真コンセプトに基づいて、
人間社会と自然と切り取る、なんていうやり方は無縁。
常に「行き当たりばったり」の写真なのですが、
これが私の人生そのものにとても似ています。
結局、私は行き当たりばったりに生きてきたんだなあ...
これが近頃私の心に浮かんでくる人生総決算のようです。
私が自分の職業を選んだのは、
小学校の頃、父と二人で散歩しているとき、
父がぼそっと一言つぶやいたのです、
「一生やる仕事は医者か...か、このどちらかがいいぞ...」
結局、小さな池に落ちた小石は静かに静かに沈殿して行き、
高校2年春のことでした、
外科医の義兄が持参した8㎜映写機で観た胃潰瘍の手術シーンで、
決まり!
あんなことはしたくない!
医者なんか、なるものか!
あとは一つの職業しか残されていなかった...
私の父は何年もかけて私をわなに誘い込んだようなものですが、
結局父の職業を選択させられたようなものですが、
私としては、感謝の気持ちしかありません。
就職してから、所属のチーフがぼそっと言いました、
「あんたのお父さん、エラいなあ。
ぼくなんか、子供二人に口を酸っぱくして、勧めたけど、
結局二人とも会社員になって、
とうとうぼくの後を継がなかった。」
この方もエラい人物でしたが、一つ気づいていなかった。
子供を導きたかったから、鼻面を引っ張れば引っ張るほど、逆らう。
自然と、その方向しかない状態に静かに導いていく、
これが一番ですね。
ただし、私は二人の娘を持ちましたが、
職業選択について、いかなる干渉、助言もしませんでした。
自分の人生は自分で切り開いてほしかったからです。
その結果、二人とも素敵な男性に出会って、
私たち夫婦を天国に連れて行ってくれる孫を二人ずつもうけてくれて、
そのおかげで、娘たちも夫婦仲はなおさら睦まじくなって、
そろって私たちを始終訪ねてくれます。
人生、どうやれば、どうなる、
という王道、秘訣などありませんね。
私は写真も同じだ、と思っています。
構想を練って、舞台を作って撮る人がいました。
でも、いつもつまりませんでした。
心に残らないのです。
作品コンセプトを練りに練って連作を撮る方もいます。
幾度か個展を観ましたが、
冒頭に掲示されたコンセプト文と陳列された写真群が、
どう結びあっているのか?
私にはちっともピンときませんでした。
理想は、その逆でしょう。
写真群をまず観たら、写真家のコンセプトが浮かび上がる、
ということでしょう。
でも、そんなことも絶対に起こりませんね。
感じる心は人ごとに違うのです。
同じシーケンスを観ても、全然別のストーリーが浮かび上がります。
いや、そうじゃない。
それはあんた自身の鑑賞能力の欠如を暴露するだけで、
達人なら、それができる、と反論されそうですね。
でも、達人しか理解できない写真展って、
一体、誰のためなのでしょう?
私には、コンセプト文など掲示しな
自分は自分で自分の写真世界を生み出したい、
そう考えるのが写真作家の本来のあり方ではないでしょうか?
私のブログの写真は、常に撮影順に並んでいます。
いかなる意味でも、作品にはならない。
そんな写真群を眺めても、私ではないので、
なんにも感じることができないのは当然です。
文章も、私の心に去来する雑感を高速タイピングしただけ。
人に通用するような文章など、はなから目指していない。
要するに、こんなブログを眺めるって、
時間の無駄なのです。









































#
by hologon158
| 2019-09-27 18:09
| ホロゴン外傳
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韓流ドラマ「応答せよ1988」を見終わりました。
「冬のソナタ」2002年で完全に韓流ドラマにのめり込んでしまい、
学生時代からの外国映画ファンだった私が、
韓流ドラマに一辺倒になってから約16年、
外国映画を観るのは、ほんのささやかな道草のニュアンス、
心はひたすら韓流ドラマだけに集中しています。
原則としてまずTSUTAYAでレンタルし、
よほど気に入ったものだけ購入します。
長い間、チェ・ジウさん一辺倒でしたが、
次第に作品に恵まれなくなり、
とくにVIP的な境遇のヒロインを主に演じるようになって、
失速してしまいました。
彼女は、恵まれない薄幸の美女役が似合うのに、ねえ.........
惜しいことです。
次第に分かったことですが、
彼女は良い監督に恵まれたときにだけ、無敵になれる女優でした。
誰でもそんなところはあるでしょうけど、その違いが著しい。
そんな状況は原節子さんに似ています。
小津安二郎監督こそ、
この稀有の女優の美点を最大限に引き出すことができました。
韓流ドラマは、旅行でもしない限り、毎晩観てきましたから、
ざっと累計してみると、300作ほど観た計算になります。
韓流ドラマがなぜすごいか、分かりますか?
主演スターたちの魅力?
それもないわけではありません。
でも、日本と違い、韓流スターたちはスター性によりかかりません。
一作ごとに渾身入魂の演技を見せます。
汚れ役も厭わない。
そうでないと、生き延びれない。
全出演者が一丸となって、ドラマを盛り上げ、
そのドラマがまさに波乱万丈なのです。
さらに言えることは、韓流ドラマのすごみを支えているのは、
主役もさることながら、むしろ、脇役、助演俳優たちなのです。
もちろん、そんな名優はそんなに沢山はいません。
かなり限定された数の男性、女性の助演俳優たちが、
入れ替わり立ち替わりドラマを支えます。
彼らのすごいのは、その度に、完全に変身すること。
その絶大なる演技力を深い人間性が支えている、
そんな感じを受けます。
鶴橋の場末の韓国料理店の女将は、真剣な表情で、
「あの人たち、本当のスターなんですよ。」
私もそう思います。
「応答せよ1988」は5軒の人々の物語。
都会の片隅、忘れ去られたような下町に隣り合って生きています。
5組の両親たち、子供たちがかなり複雑、変幻自在の人間模様を描き出します。
それぞれに苦しみながらも、元気よく生き、それぞれに幸せをつかみ、
それでそこに済む目的を果たしたかのように、順次、ステップアップして去ります。
韓流ドラマがすごいのは、そうした体験の積み重ねが見事に花開いて、
主人公たち(本編では十数人居ます)がそれぞれに見事に成長していく、
そのプロセスがかなりリアルに描き出されるところにあります。
ゲーテのビルドゥングスロマン(経験で成長する人たちのドラマ)の伝統を、
日本の映画、ドラマはほとんど捨て去ってしまいました。
韓流ドラマはいまだに忠実にこの伝統を守り抜いているのです。
気がつくと、雑然とした下町の混乱の中から、
見事に成長した人間たちが次々とすっくと立ち上がります。
ドラマの主人公たちはあたたかい人間的感情に涙し、
観ている方もさわやかに涙を流すことができます。
「応答せよ」シリーズはすでに3編目。
どれもこれも傑作です。
3編とも韓流ドラマ史に名作として残るでしょう。
ですが、今回の1988年は取り立てて最高の名品となりました。
なぜ私がこんな風に韓流ドラマに魅せられ、
日本のドラマに魅せられないのか?
理由は明らかです。
韓国人はどうやら、喜怒哀楽そのままに振る舞う、
これを押し隠そうとすると、自分自身も周囲の人もかえって傷つける、
とする伝統があるようです。
ですから、どんな感情も隠さない、
だから、その表情を見た人は、感情をそっくり理解できる、という社会。
これに対して、日本文化には、感情をあからさまに出さない、
感情を押し隠す、それが成熟した人間の姿である、
とする伝統、文化があります。
これが邪魔をしている感じ。
名優たちは、無表情の裏に人間味のある葛藤を押し隠す演技を理想とし、
その内面が観客に伝わってこないことが多い。
日本の映画、ドラマでは、人気スターを重用する伝統の中で、
いわば下積みの訓練を経ていないにわか俳優が重用されるため、
大根が主演、助演の役柄を占めることになり、
観客は、その無表情の陰に、
いかなる情感も感得することができないことになります。
実際、そんな情感など抱いていないのですから、当然ですが。
韓国でも、人気スターが映画、ドラマに進出しますが、
人気にあぐらをかいて、ただ表面的に演じる限り、
百戦錬磨の助演俳優たちに完全に食われてしまいます。
だから、必死の演技となります。
シーン順に必ずしも制作されてはいないのでしょうけど、
どのドラマでも、主演俳優たちは、
助演の本物の俳優たちの薫陶を受けるらしく、
回を重ねるにつれて、
演技者としてどんどん成長していく姿を見ることができます。
しかも、脚本家が日本よりもはるかに有能です。
どんなシーンも伏線となり、どんなシーンも起こるべくして起こるように、
有機的な関連、連鎖が常に観る人をラストに向かって牽引してくれます。
日本のドラマは情緒的に流れて、有機的な関連、
出来事の必然的な連鎖に裏付けられていないことがよくあります。
日本文化そのものが古来静的な落ち着きを理想としてきました。
感情をむき出しにするなんて、もっての外、というわけです。
小津安二郎、原節子、笠智衆のトリオによる名作、
「晩春」「麦秋」「東京物語」が成功したのは、
そうした日本的な静を画像化することによって、
日本文化の香り、節度に満ちた人間ドラマを見事に表現したからでしょう。
でも、三流の監督、へぼ役者たちが演じると、
ただの退屈な三文芝居に堕してしまいます。
私という人間は、あいまいな決着でよしとしましょう、
というような微温的な結末には我慢ができない性格。
成人して就いた仕事も、
「わかりませんでした」という結末など絶対に許さない性格で、
いわば生きるか死ぬかとせめぎ合いに割り込んで行って、
それを双方が納得せざるを得ないような形に一刀両断して、
「これでどうだ! 文句あるか!」と大見得を切る、
そんな性格の仕事だったので、
ことさら韓流ドラマに心が惹かれるのかも知れません。
ついでに書きますと、韓流ドラマは原則として、
セックスシーンなどありません。
熱愛もとても節度のある表現にとどまります。
このあたりは絶対に変わらない。
それがとても安心してドラマを楽しめる要因にもなっています。
そして、ハッピーエンドの大原則。
世界はますますアンハッピーエンドに向かっています。
悪い奴ほどよく眠る世界です。
それだけに、ドラマだけは美しく清純であってほしい。
韓流ドラマはそんな私の気持ちを完全に大事にしてくれます。
いつも私の心を清らかに洗ってくれます。
これこそ、最大の魅力かもしれません。
近頃、ちょっと懸念していました、
韓流ドラマはマンネリ、退潮に向かっているのではないか?
でも、そうでもないようで、
依然として、次々と傑作を生み出しているようだ、
まだ活力を失っていない、
本作品でそう確認できました。
まだまだ韓流ドラマを楽しみながら生きることができます。
今回は、久しぶりにフランスのレンズを奈良町で使いました。
カメラは、ソニーα7
レンズは、エルマジ90mmF2.4
ペッツヴァールレンズです。
でも、ペッツヴァールの特徴であるとされている、
周辺のぐるぐる巻きの気配は見当たりません。
四隅の劣化もさほど顕著ではありません。
その意味では、周辺まできちんと撮れるので、
90㎜長焦点のペッツヴァールにしては、
全体でひとつの作品を構成しやすいレンズのようです。
でも、ちょっと不満。
私の写真はすべてノートリミング、ノーメイキング。
つまり、撮れたままなのですが、
これがペッツヴァールなの?
真面目にきちんとしすぎじゃないの?
という印象。
私のペッツヴァール的期待にちょっとそぐわない。
ペッツヴァールというのは、
もう少し意外性たっぷりのレンズじゃないかな?
韓流ドラマ的な大胆な遊びが欲しいなあ..........









































































#
by hologon158
| 2019-09-25 00:03
| ホロゴン外傳
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ジョージ・オーウェルという人は本当に世界が見えた人でした。
彼の1949年の未来小説「1984年」は、
世界の人間という人間がビッグブラザーの独裁に服し、
双方向テレビを通じて支配される世界でした。
今起こっているのがまさにそれです。
すべての報道が管理され、
人民は双方向的なパソコン通信を通じて支配され、
人民は報道がこの世に起こっている出来事であると信じて疑わない。
日本で言えば、NHKの報道に一喜一憂して、毎日をつつがなく暮らしている。
元号が改まった、
さあ、新時代到来だ!
さあ、待ちに待った東京オリンピックだ!
象徴天皇が交替しても、日本という国に変化など起こらない。
東京オリンピックはスポーツマンの祭典だけど、
ただの傍観者、見物人である私たちの人生に、
本質的になにかスペシャルな意味があるわけではありません。
遠くで過ぎ去るお祭りに過ぎない。
でも、なにか人生が変わるかのように、浮かれさせられている。
あらゆることについて、考え方、感じ方、生き方を押しつけられて、
疑うことを知らない。
すでに潜在的専制国家の人心支配に服しているのに、
まったく気づいていない。
私のように、テレビ、新聞と完全に絶縁している人間は、
ただ自分の人生をどう作っていくか、
これだけが大切。
でも、こんな人間はまさに社会のはみ出しものでしかない。
もっともネットで監視され、支配され、密かに影響されている。
日本だけではないようです。
世界は、私を置き去りにして、
あらゆる国で情報管理、人心操作が洗練化し、
どんどんと専制国家が深く静かに進行しているようです。
どうやら全地球が、オーウェルの描いた全地球専制世界に向かって
蕩々と押し流されていくようです。
アップルのリーダー、スティーブ・ジョブスは、
あるときからCIAと連携したようです。
全世界のiPhone使用者の情報は今やまさにiCloudを経由して、
CIAの集約管理検閲下に置かれてしまいました。
中国では、かなり前から、国民の携帯電話、電話等の情報システムは
政府の支配管理下に置かれて、
有害情報は速やかに抹殺されてきたようです。
中国政府に不利益な世界の情報網もすべてシャットアウト、
遮断されています。
iCloudに象徴されるように、
西側諸国も密かに同様の情報管理体制に組み込まれつつあるようです。
私と同様の体験をされてきた方が多いでしょう。
子供の頃、日本の未来は薔薇色でした。
日本国憲法によって、国民の自由、人権はしっかり保護され、
自由、平等、平和の社会になったのだ!
でも、この薔薇色の自由、平等社会は長続きしませんでした。
今、学校は日本国憲法を教えているのでしょうか?
しかし、日本国憲法は厳然として存在し、
日本国と日本国民の拠って立つ法的基盤であることに変わりはありません。
でも、自民党政府自体がこの体制を密かに切り崩し、
明治憲法的政治体制を固めようと鋭意努力をしています。
玉乗りの芸人がごろごろ転がる玉の上で、
一生懸命玉を錐でつついて破裂させようとしている、
そんなものであることに気づいていない。
でも、クーデターによって一気に政治体制を明治に戻そう、
そうしても、日本人は従順についてくる、
そう確信できるときがいつか来るかも知れません。
その日があまり遠くないのではないか?
そんな気がしてなりません。
さて、エルマリート28㎜F2.8第一世代の2回目です。
飛鳥に来て、何を撮ってるんだ?
そう感じる人が多いでしょう。
でも、私は何も飛鳥の観光案内をしたいわけじゃありません。
30回ほどは訪れたでしょうか?
大和に住む人間には故郷のように感じられる場所の一つです。
空気感そのものが違います。
そんな空気感を感じたいから、撮ります。
でも、次第次第に文明が侵食していく、そんな気配。
エジプトでは、三大ピラミッドのすぐ側まで、
灰色の都会が押し寄せていることにお気付きですか?
人口集中がこのまま進めば、
いつかピラミッドは街のど真ん中に押詰められてしまうでしょう。
大和路も同様です。
大災害から比較的安全な大都市近傍の安全空間という触れ込みで、
地方公共団体と企業が一体となって、
盆地全部を灰色の人工物で埋めようとしています。
あと何回飛鳥を訪ねるでしょう?
あと何回行けば、「飛鳥はもう大和路じゃなくなった」
そう悟らされるでしょう?























































#
by hologon158
| 2019-09-18 12:09
| ホロゴン外傳
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私は現代の政治経済に完全に幻滅しているせいでしょうか、
超越的な次元とか宇宙とか古代史に関心が傾きがちです。
想像力を働かせる余地、自由が一杯あるからです。
でも、分からないのは宇宙人来訪、UFO。
いつかの国際会議で、カナダの元外相が発言して、
すでに地球には各種の異星人が到来して、コンタクトしている、
と、堂々と暴露したことがありました。
ヒラリー・クリントンさんも、前回の大統領選挙において、
大統領に当選したら、UFOに関するFBI全資料を公開すると公約しました。
二期8年間にわたって大統領夫人、国務長官として
政治の中枢に参画したのですから、
UFOの存在を証する資料の存在に接することができたからこその発言。
合衆国の機関がUFOと接触したことなどなく、
だから、UFOなど地球に来ていないという認識なら、
そんな公約を挙げる必要などまったくありませんね。
大統領に当選後、「調べてみたら、来訪の証拠はありませんでした」では、
まるで、詐欺ではありませんか?
それなら、公約に掲げる必要なんかゼロ。
もし尋ねられたら、
「私は8年間合衆国政府の中核に参画していたが、
UFOの来訪を証するような資料など、一度も見たことがない」
そう言えば、事は足ります。
だから、UFOの来訪を証するような資料に接したのです。
FBIはクリントン追い落としになぜか躍起になったことも加えて、
このこと自体が不気味ですね。
もう一つ、奇妙な事実があります。
人間の遺伝子DNA中、現在使われているDNAはたった3%でしかない、
というのは有名な事実ですね。
残りの97パーセントの役割はなんなのか?
この点で議論があるようです。
① ジャンクDNAとして、なんの意味も機能も持たない。
② 今後必要に応じて発現するスリーピングDNAである。
このあたりまでなら、まだ呑み込めます。
ところが、人間のDNAの解析に携わった研究者の中から、
2017年、衝撃的な異論が飛び出してきたようです。
③ 人間は異星人によってデザインされた。
97パーセントのスリーピングDNAは異星人に由来する遺伝子コードであり、
将来、異星人が到来したときに働き始める可能性がある。
なんということでしょう。
私たち自身が、地球人を装う、宇宙人の卵なのでしょうか?
97パーセントの遺伝子が発現すると、
生まれ出る地球人は宇宙人本来の姿で生まれることになるのでしょうか?
そんな回りくどいことをしなくても、
最初から、宇宙人と直接コンタクトできるハイブリッド的ヒューマノイドとして
創造しておけばよいのに?
最近は、いや、残り97パーセントもちゃんと機能している、
というい説も登場しているようですね。
調べてみてください。
前記のような超独創的な進化論が登場するのも、
ダーウィンの突然変異による進化説がとても信じがたいからです。
現生人類の脳容積が先行ヒューマノイドから増大しているのですが、
そんなめざましい進化を果たすに必要な時間などなかったからです。
突然変異は、無作為に起こる遺伝子変異が偶然進化につながるという、
1億円宝くじに当選するよりも稀な偶然に依存しています。
何十万年、何百万年ほどの時間の堆積があって、
ようやく実現するかしないか運次第、というような種の変化なのです。
人類でそれを見てみますと、
約280万年前にホモ・ハビリス(脳容積550CC)に、
約200万年前にホモ・エレクトス(脳容積1000CC)に進化し、
約20万年前にピテカントロプス(脳容積150CC)と
ホモ・サピエンス(脳容積1350CC)に進化したとされています。
あまりにも急激すぎて、突然変異では説明がつきません。
でも、さりとて、宇宙人加工説に一足飛びというのもどうか、
と思われます。
宇宙人がこんな迂遠な策を弄したのは、
大移住計画が実現して何万年か後に宇宙船の大編隊が
どこからか地球に到着した頃、
地球人もその宇宙人に生まれ変わって、大歓迎、
といシナリオなのでしょうか?
そうだとしたら、間近になると、その到来を予測できそうです。
突然新生児に意味不明の突然変異が発生し、
奇怪な姿の新生児たちが訳のわからない言語をしゃべり始めたとき、
でしょう。
怖いですね。
UFOに話を戻しますと、
どうも我が国では、UFO目撃記事はあまりないようですね。
私が知らないだけでしょうか?
私の高校時代の親友は大学生の頃突然UFOにのめり込み、
休学して北海道に移り住み、
同好の士たちとUFO観測基地を営んだことがありました。
1年ほどして、帰ってきました。
私を訪ねてきたので、質問してみました。
「それで、UFOは見たの?」
彼、にっこり笑って、
「見たと思ったら、見たと言えるけど、
気のせいだと思ったら、気のせいかもしれない」
ぶっ倒れそうになりました。
そんなことのために、1年を棒に振ったのか?
YouTubeにも、宇宙人が語るビデオなんかがありますが、
いずれもわざと照明を落とした暗い室内で、
茫洋と定かでない姿の画像ばかり。
これは猛烈におかしい。
普通に携帯で撮っても、遙かにくっきり明確に撮れます。
まして、政府機関が記録のために録画するのです。
形姿、振る舞い、言葉、そのすべてが宇宙人を知る手がかりとなります。
だから、最高に鮮明な録画、録音を試みるのが当然。
それなのに、なぜかわざとぼんやり録画。
つまり、フェイクかコンピュータグラフィックスなのです。
一目で分かって、つまりませんね。
ということで、私は、地底人であれ、月世界人であれ、外宇宙人であれ、
UFOなる飛行物体が現実に地球表面を飛び回っていることについて、
未だにまったく信じることができません。
この銀河系だけで1千億を超える恒星がひしめいているのです。
現在時においても、
何十万という惑星に生命体が進化していると確信しています。
でも、光速で天がける宇宙船が発明されても、
地球にやってくるためには何百年、何千年、何万年とかかります。
そんな幾百世代を浪費するような星間移動を試みる価値などありません。
自分の星で活躍すれば、それで十分。
だから、いつの時代になっても、未知との遭遇など起こるはずがない、
だから、もちろんのこと、来ているはずもない。
それなのに、なんとかたどり着いたとしましょう。
せっかくたどり着いたのです。
当然、華々しく降臨し、人類と友好を図ることにするでしょう。
せっかく来たのですから、一杯調査し、
どっさり調査結果をお土産とする必要があります。
もしかしたら、帰り便の補給物資の供給だって必要かも?
でも、宇宙人の皆さん、遙々やってきて、
ようやくたどり着いたのに、こそこそこそこそ........
なんだかおかしい。
これが私の現在の結論。
依然として、私たちたちはこの宇宙のローカルエリアで、ひとりぼっち。
ちょっと寂しいですね。
さて、レンズはエルマリート28mmF2.8!
名にしおう、初代の8枚玉バージョンです。
親友のDAさんのレンズが2代目です。
2代目の方が色再現も優れ、レンズとして申し分ない感じ。
初代は色再現に関しては、2代目、3代目に譲る感じ。
かなり古風なのです。
それだけ、画像にクセがかぶさる感じがします。
でも、私は優れた写真作品を撮りたいわけではありません。
私は作家性は徹底的に拒否します。
古代レンズは、それこそクセの百貨店。
その程度が激しければ、それだけ古代レンズらしい、
そんな原則があるかどうかは知りませんが、
私が好んで求めたレンズたちは、私同様、クセだらけ。
エルアリート8枚玉もまさにそれ。
だから、可愛いのです。
飛鳥路はどんどん変わりつつあります。
あと30年もしたら、飛鳥路はマンション群に埋もれてしまうでしょう。
ハリイ・ハリスンの「人間がいっぱい」さながらになるでしょう。
それとも、人類は滅んでいるかも?












































#
by hologon158
| 2019-09-15 22:20
| ホロゴン外傳
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古代エジプト人はさまざまな動物のミイラを作りました。
猫と来たら、何十万と見つかるそうです。
もちろん、猫の顔をした神様まで居ます。
何万年も昔から、猫や犬たちは人間の大切な仲間だったのでしょう。
すべての猫がミイラにされたわけではないでしょう。
古代エジプト人にかわいがられていた猫だけがミイラとなったはず。
その数が膨大だったわけです。
こう考えると、古代エジプト人がぐっと身近に感じられます。
それが理解できなかったのが、
ローマ帝国の初代皇帝オクタヴィアヌス。
彼は、パドゥアだったかどこだったか、忘れましたが、
南イタリアの富裕な都市に行ったとき、
市民がペット(猫だったか犬だったか失念)を抱いて散歩する姿を見て、
こう言ったと言います、
「このあたりの人たちは、人間よりも動物を大事にするようだな」
彼は戦争、政争に明け暮れて、
家庭で団らんの一時を過ごすなんてことはほとんどなかったのでしょう。
当時の市民たちの家庭生活にも愛が溢れていたから、
猫や犬が愛されたのです。
人を愛することができるから、動物も愛することができるのです。
子供のない人が猫を愛するのは、
我が子に注ぎたかった溢れる愛を猫に向け変えたのです。
プルタルコスに描かれたオクタヴィアヌス像には、
温かい愛情など欠片もない人生を送った人と思わせる冷たさがあります。
ライバルのアントニウスが
カエサルやクレオパトゥラへの溢れる愛に生きたのとは好対照。
我が家の長女静は、すでに12歳ですが、
すらりと美しく、しかも、とても賢い猫です。
我が一族三代の愛情を一身に集めています。
生まれながらに賢かったことはすでに書きました。
まだ生後3ヶ月ほどの頃、
台所のバケツをのぞき込もうとして、
バケツの縁に足をかけるとひっくり返る可能性を見て取ったらしく、
側の壁に両手をかけて立ち上がり、首を曲げて、
バケツの中をのぞき込んだり、
同じ年齢の頃、
大好きなサッカーをしていて、
ボールが居間の東壁を占拠するオーディオセットの下に転がりこんだ瞬間、
さっと右端に向かい、
巨大スピーカーの横からさっとオーディオセットの裏に走り込み、
次の瞬間には、意気揚々と玉をくわえて、意気揚々と姿を現したり。
どちらも最善の措置を瞬時に悟る、
切れ味の良い頭脳の持ち主であることを証明する出来事でした。
今回はそれから10年以上も経った一昨日のお話。
彼女は近頃、浴室の浴槽、窓枠のスペースで水分補給をとるのがお好み。
このときも、わずかに開いた引き戸の隙間から、
するりと姿を現した瞬間の出来事。
私が彼女の夜食を準備するために迎えにきたことを知っていて、
浴室から出てきたのです。
でも、私が引き戸を閉めようと手を伸ばしたその瞬間、
彼女はくるっと反転して、隙間に頭を差し入れて、私を振り返ったのです。
実に目覚ましい高速動作!
「このまま開けといて。
あとでまた水を呑むから」
という明確な指示。
言葉もときどき使います。
たとえば、私が二階書斎に上ろうと、
居間から玄関フロアにさしかかったその瞬間、
彼女はまことにゆったりとした風情で、
私の目の前にすっとさしかかり、
「ニー!」とささやいて、
私の進路を浴室に向け変えさせるのです。
「あら、ぐうぜんねえ」なんて風情ですが、
私が二階に行こうとしているのを悟った瞬間、
どこに居ても、万障繰り合わせて、私の進路をすっと横切って、
私をスワップする位置に出現できるように案配できるのです。
こうした体験の積み重ねで分かること、
それは、静にも意志があり、
かつその意志を実行するための作戦を選択する知恵もあるのです。
つまり、猫にも、心があり、精神がある!
犬や猫や馬、その他、さまざまな動物と暮らしたことがある人なら、
だれでも知っていることです。
中学時代、文鳥を飼っていましたが、
文鳥は私と親しみ、戸外の道角を私が回ったあたりで、
私が帰ったことを知り、玄関にバタバタと飛んでくるのです。
見えないので、足音で分かったようです。
面白いことに、当時小学生の弟とは互いに犬猿(人鳥?)の仲。
弟が帰宅しても、絶対に玄関に向かいに出ませんし、
事あると、突っつき合っていました。
さらに、高校時代に飼っていた熱帯魚だってそうでした。
私が餌をやるので、私が近づくと、
水槽の底から水面近くに一斉に上ってきたものでした。
でも、弟が近づいても、まるで知らんぷり。
水槽の外がどれほど見えていたか怪しいものですから、
もしかすると、足音が作り出す水面の震動で見分けたのかも?
古代のエジプト人はすべての動物が心を持っていると考えていたようです。
インド、中国の仏教徒も同様です。
「杜子春」で起こっていたように、
私たち人間も輪廻転生の中、
六道の底辺付近を行ったり来たりしていると考えられるからです。
我が家の娘静だって、もしかすると、誰か先人の生まれ変わりかも知れません。
とすると、よほど賢かった人に違いありません。
ご丁重にお付き合いさせていただきましょう。
さて、写真。
今回もズミクロン35㎜F2八枚玉の写真群。
よく書きますが、
私は写真家じゃなく、写真たちは私の足跡でしかないので、
Photoshopの加工は、最低限、濃度のレベル補正だけ。
カラー補正もトリミングも一切しません。
なぜ?
私一人が読者。
しかも、写真家ではないのですから、
撮れたままが一番。
でも、今回はそのレベル補正も半数ほどで済みました。
八枚玉はさすがに高性能なのでしょう。

































































#
by hologon158
| 2019-09-13 21:16
| ホロゴン外傳
|
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四半世紀前からでしょうか?
もっと前からでしょうか?
コマーシャリズムが日本の永年の行事を商戦略に取り込み、
クリスマスだの、ハロウィーンだの、
バレンタインデイ、なんだの、と、
アメリカの行事まで取り込んで、
日本人なら当然そうすべきであるかのように市場をあおり立て、
日本人はそんなコマーシャルに浮き足立って、
あれやこれやと買わなくても良いケーキなどを買わされて、
幸せになっています。
一体誰の幸せなのでしょうね?
いいじゃないか、
それで私たちも幸せになれたら、
そうおっしゃる方もいるでしょう。
でも、他人の口車、戦術に乗って行動する習慣は
付けない方が良いのではありませんか?
最初は是々非々、自由な選択。
でも、気づいたら、買いたくないもの、
自分が買うなんて夢にも思っていなかったものを買わされている
そんな羽目に陥るだけではないでしょうか?
要らないものを買わされて、
自分の時間と自分のお金を貢がされるだけなのですから。
アメリカの心理学は20世紀後半以降、極端に発達しました。
企業が販売心理学の発達に巨額の資金を投じてきたからです。
コマーシャリズムが世界で一番成功を収めたのは日本でしょう。
子供の頃から、「先生のおっしゃるとおりするんですよ、
みんなと一緒にしなさいよ」と、
親から口を酸っぱくして教えられてきたので、
大勢の赴くところに付いていく習性が出来上がっています。
その証明。
あなたは料理店の前の行列に並んだことがありますか?
なぜ?
評判が良いから並ぶんだろうという考え方。
でも、あなたの嗜好は大勢の人の嗜好とぴたり一致しているのですか?
一致しているのでしょう。
でも、やっぱりおかしい。
味覚は優れて個人的なものであるはずなのに?
私は、たった一度、親友が食べたいという讃岐うどんの店で並びました。
私が知っている奈良の店でできた行列は、
全てその価値があるとは思えない店ばかり。
一時は盛況を極めたのに、今ではどこもひっそり閑としています。
効果はたった2つでした。
① 店のご主人が高慢人間と化した。
② 味が悪くなった。
③ 祭りの後、以前より客が少なくなった。
みんなと一緒に行動し考えようというのなら、
首相がおっしゃったら、ああ、そうか、日本は危機なのだ、
ミサイルだ、戦闘機だ、の、一杯買っておかなきゃ!
という気にすんなりとなってしまいそうですね。
アメリカの軍需産業が世界を支配している時代です。
軍需産業の商戦略は、
①平和が第一の敵。平和な国には敵を作り出せ!
②戦争が第一の商戦略。戦争がなければ、作り出せ!
軍需産業の得意の技は、おそれを利用すること。
でも、世界が一つになりつつあります。
軍需産業にとっては、絶対に避けたい事態。
だから、世界の分裂、衝突を作り出すために、世界中で活動しています。
気がついてみると、軍需産業を初めとする世界的大企業が世界を支配して、
人間は次第に奴隷化させられているのが現状。
でも、それに気づかないように、懇切丁寧にケアをしてくれています。
人口は加速度的に増加しています。
ねずみ算ほどでなくても、子を産めるジェネレーションが増加すればするほど、
生まれる子は増えるのですから、こわくなります。
世界人口は現在すでに76億を超えています。
ウィキペディアの予測によれば、
2100年には112億を超えるだろう!
問題は人口が増えれば増えるほど、
食料、水、資源の消費量は加速度的に増えること。
すでに現在でも不足しています。
飢餓に苦しむ未開国がどんどん増え、やむなく切り売り状態。
世界産業にどんどん土地、資源を買いたたかれています。
生存競争が民族間、国家間で激化するでしょう。
つまり、112億まで増えるはずはないと言えそうです。
アラスカかカナダで、地面の直下に燃料層が見つかり、
地上の大自然を全部剥ぎ取って、
実に低予算でエネルギー源を手に入れている地域があります。
こうして、人間を含む生命が生存できる自然環境が加速度的に消費されています。
大企業は生命体なので、人間の生存環境を確保する必要性は二の次、三の次。
前にも書きましたが、大企業は人間に変わる労働力、ロボットを鋭意開発しています。
これは創世記に神様がやったのと同じことです。
ついでに言いますが、
旧約聖書の神様は、複数形で登場しますし、
人間にかなりよく似た形姿をした助手たちがいたようです。
ヤコブの見たとおり、
空中と地上を結ぶエスカレーターで昇降する存在。
つまり、どこから見ても、地球外生命体ですね。
彼らがやったことは、地上に労働力を生産することでした。
バベルの塔事件がレポートするとおり、
神は一度失敗したので、言うことを聴かぬ労働力を一掃するために、
ノアの洪水を起こしました。
自分で作った人類なのに、コントロールできなかったから、
すべて廃棄処分するって、なんだか無様。
神様はなんでそんな無駄なことをしたのでしょう。
全能の神様に似つかわしくありませんね。
モーセ、ヨシュアによるイスラエルの地征服作戦も同様です。
イスラエルの地に満ち満ちていた人々も神の創造したアダムとイブの子孫。
それなのに、手当たり次第に、徹底的に廃棄処分し続けます。
こうした無駄な時間、資源の浪費は全能の神に似つかわしくありませんね。
全能ではなく、予知能力も計画性もない存在のようではありませんか?
そんな神様がやったことと同じように、
無駄な(昔風に言えば)穀潰しどもを整理する役割は
今度は一部の超エリート層とロボットに回ってくるのでしょう。
人間の能力中生産活動に必要なファクターの全ポイントにおいて、
ロボットは人間を追い抜きつつあります。
ロボットが人間を凌駕し終わったとき、
人間は償却資産となってしまいかねません。
ほんのわずかな産業貴族層がすでに企画しているのかもしれません。
不要な人間を償却してしまうと、
残された支配的エリート層と企業がユーザーとなります。
ヒューマニズムも償却資産に当然含まれるので、
世界は完全な弱肉強食の血で血を洗う、
おっと間違った、電気を電気で消滅させる、
永遠の戦争状態となるのが地球の運命かもしれません。
誰もこれを止められないのです。
歯止めがないために、いつかハルマゲドン状態となるでしょう。
もしかすると、あれほどさまざまな古代文明において
人間に介入していた先進の宇宙人たちも、
お先に同種の滅亡への道を辿ってしまったのかも知れません。
だから、旧約聖書時代では、エホバは人類に幾度も直接介入していたのに、
子イエスを地球に派遣したのを最後に、
地球には二度と訪れなくなりました。
ちょっと不思議です。
いや、訪れようにも、滅亡してしまったのかも知れません。
以上は完全な空想ですが、
かなりあり得る想定ではないか?
私はそう考えています。
どう考えても、地球上の人類生息環境は劣化の一途。
「おれたちには明日はない」?
子供達や孫達が心配ですね。
こんな時代にどう生きたら良いでしょう。
ルターに倣うより仕方がありませんね。
「明日最後の審判の日であると教えられたら、どうしますか?」
という問いに、ルターはこう答えました、
「それでも、私は木を植えます」
さて、写真です。
2019年5月13日、
ユニバーサルシティで不虹先生の揚琴レッスンを済ませ、
午後は通天閣界隈を撮影しました。
ソニーα7
ズミクロン35mmF2八枚玉
このレンズ、かつては、ライカのレンズ中一番人気でした。
独特の実在感、重々しいほどの質感で抜きん出ていました。
現代の写真家にとって、レンズは素材製造具のような役割。
Photoshopで整形、加工しやすいことが一番の条件。
そのためにはニュートラル、クセのないことが最優先でしょう。
現行のズミクロンは、この8枚玉とは似ても似つかない、
優等生レンズでしょう。
私は昔も今も変わりなく、優等生は好きじゃありませんね。
レンズ、人間、どちらもその点は一緒。
というわけで、どんな風に使ってみても、
ズマロン35mmF3.5には及びませんね。















































































#
by hologon158
| 2019-09-10 16:24
| ホロゴン外傳
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私は喫茶店等の飲食店でカウンター席に絶対に座りません。
「一人だから、カウンター席に」と言われると、
後も見ずに出てしまい、その店は二度と使いません。
殺し屋もそうだと、聴きました。
おっと、すぐ出て行くことではなくて、
酒場など人の多い場所での位置取りのことですが。
全視野の見通しがきかない場所は選ばないのだそうです。
私もいやですね。
もっとも、四人席だからと言って、
窓側にいつも座るわけではありません。
カウンターに面して、バックが見えない席と違う、
フリースペースが周辺にあって、見通しがよいからでしょう。
ある喫茶店で、私の横に来たサラリーマンの男性二人、
不思議に窓を見る側に並んで座りました。
後で誰か来るのかも知れませんが、不思議な座り方です。
人間の考え方、感じ方、行動って、まさに人それぞれですね。
私は必ず対話者の目が見える位置に座ります。
相手を理解するためには目を見るのが一番ですね。
私は対話するとき、誰が相手でも、目を見ながら話します。
相手をしっかり理解できますし、
私の言葉もしっかり理解してもらえます。
煙草を使う方もいましたね。
近頃はほとんど居なくなりました。
でも、こんな人の挙措応対はなかなか見ものです。
ちょっと思案を要する受け答えが必要なとき、
わざと煙草を取り出してゆっくりと火をつけ、
一服深々とくゆらし、立ち上る煙をじっくり見送ってから、
やおら、
「おっしゃることはよく分かりました...
考えてみたのですが...
私としては、賛成いたしかねる...
と言うほかはありませんねえ...」
ここで、また、一服深々と吸って、
しばらくしてふっと吐き出して、
その煙の行く末を見極めたうえで、
「まず、この点に関しては、
押さえるべきポイントが3つあるようです。
まず私が言いたい第一点はこうです...」
このあたりで、対話者は、
「あかん、相手がわるかった、一枚も二枚も上手って感じ」と、
劣勢に立ち始めるわけです。
私はもう少し上手でしたから、
相手がそんな小道具を使いそうになったら、すかさず、
「もうしわけない。
私は煙草が大嫌いなんですよ。
煙を吸うだけで気分が悪くなります。
後でゆっくり吸って頂くことにして、
私の提案にまず答えて頂きたいですね」
なんて、出る杭をすかさず打ってしまう。
話を逸らそうとしたら、
「それは後でゆっくりうかがいましょう。
まずは私の提案に答えて頂きましょう。
そうでないと、一歩も進まない」
どう出てこようと、ボールは絶対に渡さない、
これからも、その主義で行きましょう。
もっとも、昔の話ですね。
今はただの無職の徘徊老人。
でも、実態はそうでも、
自分ではいつまでも元気旺盛を感じたいものです。
だから、私は誰にも負けない位速く歩きます。
階段は一段抜きで威勢良く上ります。
絶対にとぼとぼと思案投げ首で歩いたりはしません。
ストリートを撮影するときも一緒です。
視線は何歩も先に飛んでいます。
撮りたいロボグラフィがあったら、さっと体を沈めて、
ノーファインダーでシャッターを落とします。
ピントを合わせる必要がある場合でも、
さっと合わせて、すっと立ち上がります。
撮りたい人が前方に見えた途端、目をそらし、
行き過ぎるまで絶対に目を合わせません。
レンズによって、私の好みの距離に合わせてありますから、
目の隅で人がその位置に来たと感じたら、
伸ばした手の先で静かにシャッターを落とします。
フォーカルプレーンシャッターの銀塩一眼レフを使っていた時代は、
相手がレンズの奥を見たら、キラリと光るので、
撮られたことに感づいてしまいます。
でも、私の場合、ウェストレベルで低く構えますから、
レンズをのぞき込めない位置なので、
気づかれたことはありませんでした。
カルティエ・ブレッソンや木村伊兵衛はそんな瞬間技の超名人でした。
カルティエ・ブレッソン、190㎝を超える大男でしたが、
空気のように気配を消すことができたようです。
これは真似ができませんね。
写友にカルティエ=ブレッソン風のスナップ名人が二人も居ます。
というより、居ました。
二人が消えたわけではありません。
まだ健在です。
でも、今では、二人ともスナップはあまり撮りません。
撮るとしても、遠景か、近景では顔は出さないように配慮しています。
二人の妙技をエンジョイできなくなったことが、
私にとっては人生の妙味を損なう一つの出来事。
このような時代ですから、写真家が人を主題として撮るときは、
今では十中八九サクラですね。
かつてドアノーがそんなサクラを使う名人でしたが、
人間の哀歓をやさしく写し止める名シーンばかりなので、
許しましょう。
でも、サクラを使う限り、私にとっては、残念ながら、
カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛のような、
一期一会の味わいを写し止める名作群を超えることは無理。
人生の一瞬、哀歓のシーンを見事にキャッチする離れ業にこそ、
写真の醍醐味はある、それが私の感じ方。
現代の若者たちはカメラを持った途端になにかを写すことができます。
昔は、初心者は逆立ちしても満足な写真は撮れませんでいした。
何年も何年もカメラの操作、光と写真の相関性を勉強し、
実地体験し、数知れない失敗経験を重ねて学び取らないと、
人に見せる作品など作れませんでした。
じゃ、それだけ写真文化は進んだか?
とんでもありません。
easy come,easy go.です。
本当の写真作品、写真芸術など見ることができない時代です。
腰の据わらない写真を撮って、Photoshopでどんなに加工しても、
Photoshop加工サンプルにはなっても、写真作品になどなりません。
そんなサンプルで組み写真を組んでも、
ただの着想だけの疑似作品でしかない。
かつての写真作品は、たとえば、ユージン・スミスの名作たちは、
文章がなくても、並べられた写真だけで、
人間の懊悩、苦難、深遠なメッセージが届きました。
今は、キャプションで説明されても、
「それがどうした?」
写真がつまらないから、何枚集めても、写真作品になどならない。
そんな気持ちなら、たとえ何年写真をやっても、
ろくな写真は撮れないでしょう。
それが分からない人はまあお好きになさってください。
でも、それが分かったら、何年も何年も苦労しましょう。
自分の写真たちと対話し、自分が本当になにを言いたいか、
自分の心のそこから引き出してください。
そのためには、自分自身に語るに値するなにかを蓄えることが
まず第一歩ではありませんか?
銀塩時代の写真家たちは、果てしなく学び、
自分と対話し、自分の心を鍛えました。
寝ても覚めても、自分の言いたいことは何なのか?
写真とは何なのかを考え続けました。
そんなこともせず、自分を厳しく鍛えることもなく、
日常に埋没したままの人生を送り、
さあ、写真でも撮りましょうと、
そのときだけ写真家気取りになって、
現場の光のことも空気のことも念頭に置かず、
ただ、全自動カメラのシャッターを安直に落として、
「さあ、先生に見せて、これを組み合わせて、
写真展の出品作にしてもらいましょう」
なんて、ちょっとおかしいのでは?
喫茶店の席の座り方から写真論まで飛んでしまいました。
でも、結局、ラストが私の一番言いたいことでしょう。
私は写真を初めてほとんど30数年、一度もたゆまず、
ずっと大量の写真を撮り続けてきました。
銀塩フィルムの時代とデジタルカメラの時代の撮影量はほぼ同量です。
まったく同じスタンスで撮り続けてきたようです。
じゃ、それだけ苦労して、写真家になれたか?
そう尋ねられますと、言下にお答えできます。
「なれませんよ、なれるはずがないじゃないですか?」
どうして?
写真家に成れるのはわずか一握りの選ばれた者だけなのです。
写真家に成れる才能と、
その上に、自分の写真を撮れるようになるための努力、訓練、
この両輪が揃わないと、絶対に写真家になど成れません。
現代のように、完全オートフォーカスで写真が撮れ、
あまつさえ画像処理ソフトで自由自在に作り替える時代には、
あなたがどんなに写真の生得の才能に恵まれていても(そんな人は稀ですが)、
その才能はあっという間にすり減らされ、
偉大な写真作品の絶対条件である一期一会の気配など、
Photoshopで瞬時に吹き飛ばされてしまいます。
どうやら、キャンディットな写真芸術の時代は終わってしまいました。
写真データを活用するグラフィックアートの時代。
でも、グラフィックアートはただの商業ユースでしかありません。
一瞬成功すれば、それでよいのです。
永遠の人の心に刻まれる芸術的真実など欠片もない。
絵の世界でも同様です。
ある作家がキャンバスだか台版だか分かりませんが、
壁面に上から絵の具を流していました。
ダ・ヴィンチ、フェルメール、ゴッホ、ピカソがこれを見たら、
なんと言うでしょう?
こう言うでしょう、
「なにをやってもよいけど、
自分のことを芸術家と呼ぶことだけは止してくれよ」
完全オートで撮られたデジタルデータのPhotoshop加工、
絵の具流し、
どちらも同列です。
出来上がったもののほとんど全部が、
制作者の心から生み出されたものではありません。
自分の手で、自分の心でなにかを創造する行為には絶対になり得ない。
私は銀塩カメラからデジタルカメラに切り替えた時点で、
自分の作品を制作するなんて気持ちは一切捨てました。
デジタル操作を最小限に切り詰めて、
レンズの個性的表現が前面に出るように工夫して、
レンズたちの個性を楽しむスタンスに一変したのです。
写真家でも写真制作者でもなく、ただの写真愛好家。
だから、私は、撮ったまま順番に並べて、
心安らかに自分の記憶を楽しむことができます。
アストロ・ベルリンのパンタッカー50㎜F2.3、
さすがに私のセカンド・レンズ!
こんなに心に食い込んでくるレンズを差し置いて、
いろいろレンズテストを楽しむのはそろそろやめた方が良いな。







































































#
by hologon158
| 2019-09-04 21:30
| ホロゴン外傳
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7月16日、アポロ11号月面着陸の50周年記念日だったようです。
でも、私は既に何回か書きましたが、
まったく信じていません。
YouTubeにその検証記事のシリーズがあります。
「アポロ計画の嘘 徹底検証」
アポロの月面着陸を直接否定する証明は理論的に無理です。
不存在を立証することは不可能だからです。
シャーロック・ホームズにもソクラテスにも不可能。
このことは覚えて置いてください。
よくこんな言葉を聞くことがありますね、
「やってないんだったら、
やってないことをちゃんと証明しろよ」
これは発言者がバカであることを証明するだけ。
アポロ計画に戻りましょう。
NASAが発表したビデオや写真が月面で撮られたと主張するのであれば、
そこに撮られているシーンは月着陸の証拠にはならないと証明することはできます。
そうした証明を根気よく一つ一つ果たしていく、
とても真摯な研究ビデオです。
私は着陸の瞬間のビデオを当時見た記憶があります。
そして、見た瞬間、これは嘘だ、と悟りました。
着陸船が月面に下降していくシーンです。
沈黙の中に飛行士の落ち着いた静かな声が響きました。
「えっ、どうして?」
私はその声を聴いた途端思いました。
月着陸船の下降噴射のジェットエンジンの音が、
まったく聞こえなかったからです。
車の中の会話を録音してごらんなさい。
エンジン音が会話を邪魔するのを防ぐことなどできません。
後に聴きますと、月着陸船に装備されたエンジンは、
当時世界最大の出力を持つ化け物エンジンだったのです。
室内には空気がありました。
小さく軽い月着陸船は猛烈に振動し、
その内部空間は耳をつんざくエンジン音に満たされていたはず。
別のYouTubeで、11号の出発直前にアームストロング船長自身が
地球上で着陸船の降下訓練を実施したビデオを見ることができます。
着陸船は、下降を安定させる翼がないために、木の葉のように煽られ、
ついには制御不能となり、船長が非常用パラシュートで脱出した後、
地上に激突して炎上します。
手動式なのです。
空気があっても、下降操作が極めて困難であることは疑いがありません。
ところが、月面は空気がない上に、月の上空での重力の影響も未体験なのです。
機体をささえる空気クッションなしに、
ひたすらエンジンの出力操作だけで垂直下降しなければなりません。
誰が操縦したか知りませんが、生まれて初めてなのに、
着陸船はまるでエレベーターが下りていくように、
完全に水平をたもったまま、スーッと下降してゆき、
なんの衝撃もなく、無事着陸します。
大阪弁で「そんなアホなあ」と言いたくなります。
たしかNASAは6回着陸に成功したそうです。
1回も失敗していない。
「そんなアホなあ...........」
月面探査を終えた着陸船がポーンと空中に飛び上がるビデオがあります。
でも、着陸船は、母船に見事一発でランデブーしないと、
そのままあの世に向かってまっしぐらになってしまうのです。
翼のない着陸船がある瞬間にある方向に向かって月面から飛び上がり、
正しい放物線を描いて飛行し、
月上空を周回する母船に見事一点でドッキングできる、
そんな芸当が本当に可能なのでしょうか?
月着陸の偉業の成功を最終的証明する感動のシーン!
そのシーンは母船から撮影できたはずです。
でも、母船へのドッキングシーンのビデオを見たことがありますか?
あったら教えて欲しいものです。
もう一つ、疑惑を決定的に証明する出来事があります。
月から無事生還した3飛行士は記者会見に臨みます。
YouTubeにビデオがありますから、ご覧ください。
うろ覚えですが、記者からこんな質問が出ました、
「月面で見る、星空、地球、太陽はどんな光景でしたか?」
そのとき、アームストロング船長はなんと答えたか?
ぱっと顔を輝かせて、こう言ったでしょうか?
「私はそれを見るのが夢だったのです。
でも、私が想像したものとはまったく違いました。
想像を遙かに遙かに超えていました。
今でも、目をつぶれば、その光景が脳裏に再現しますし、
私がいつか死ぬとき、月面で見た空の光景が
私の脳裏に輝やいていることでしょう」
宇宙飛行士でなくても、あなただって、私だって、
月に行きたいと考えるのであれば、
その一番の望みは月面に立って空を見上げることではありませんか?
ところが、船長は、それまでも暗かった表情をさらに暗くして、
絞り出すようにこう答えたのです。
「月面での作業に忙しくて、
とうとう空を見ることはありませんでした」
隣席の同僚オルドリンともう一人の本船に残ったコリンズも、
その表情は暗く、とっても気の毒そうな風情で見守るばかりでした。
私がオルドリンだったら、こう付け加えたでしょうね、
「ごめんなさい。
私は船長じゃなかったので、
十分月面での空を楽しませて頂きました。
それはもう言葉に尽くしがたいほどに壮麗でした!
まあ、聴いてください........」
ウィキペディアで調べて、あっと驚きました。
二人の月面滞在時間はそんなに短かったのでしょうか?
いえいえ、逆。
21時間半だった!
その間、とうとう空を見ることはなかった?
嘘だあ!
想像してください。
月面の空って、見上げる必要なんかないのですよ。
地平線から上はいきなり空、その暗黒の空には、空気がないので、
地球上では想像もできないほどに輝く無数の星が散りばめられている!
地球も太陽も探す必要などありません。
とくに地球は燦然と輝いて、
24時間隠すものなの何もない空にかかっているのですよ!
見たくないと思っても、視野を常に埋めているのが月面の空なのです。
月面着陸に成功した6回すべての月面写真に、
宇宙飛行士たちが撮った星空、太陽、地球の写真を見たことがありますか?
私はありません。
NASAも、科学者たちもとくとくと訳知り顔に説明します。
「月面上の作業を撮影するために設定した露出では、
空の星は写らないのです。
だから、真っ暗なのです」
そうでしょう、そうでしょう。
でも、ハッセルブラッドは手動で絞り、
シャッター速度を動かして、露出を変えることができます。
しかも、そんな露出調整をやっていたことも証明されています。
なぜなら、ほとんどの月面写真はいかなる光線状況であれ、
しっかり適正露出で撮られているからです。
ビデオはおそらく自動露出でしょう。
あんなに喜々として飛び跳ねる飛行士の姿を撮影していた同僚、
ちょっと星空も撮っておかなければ、と、どうして思わなかったのでしょうか?
月面では空気がないので、星は小さく、光量も少なくて、写らないのです、
と、専門家はとくとくと説明しています。
行ってきたのでしょうか?
地球上の大気が星の光を増幅しているとでも言うのでしょうか?
逆ではありませんか?
地球上の大気や地上の光が星の光を弱めているのです。
それがない月面で、星の光が小さすぎて、見えなかった?
本当ですか?
しかも、彼らは、その前提として、
カメラは明るいものだけが撮れるように設定されていたと、
知ったかぶりに説明しています。
でも、この専門家たち、ハッセルブラッドを知らないのです。
台に載せたハッセルのシャッターをバルブB、つまり、開いたままにして、
飛行士は秒数をいくつも変えながら星空を撮れるのです。
このあたりのやり方は、地球上で星空を撮影する人たちなら常識。
ここでも、NASAのために、
なにも知らない人たちをだますお先棒を担ぐ連中が活躍しているわけです。
そのあたりの撮影法は、月との往還の宇宙船の窓からでも同じです。
でも、往還の宇宙船上でのビデオを見ても、
地上の私たちが観たこともない天空全部を埋め尽くす星空に、
窓にしがみついて狂喜乱舞している飛行士の姿なんか見えません。
なんだか本を読んだり、手帳を覗き込んでいる姿ならあります。
それほど忙しかったのでしょうか?
それとも、飛行士たちの肉眼にも星など観えなかったのでしょうか?
そうだったら、アームストロング船長の反応はさらに不可解、
むしろ不正直ではありませんか?
こう答えたはずですね、
「いやあ、私たちもそれを観るのが楽しみだったのです。
でも、月面では星なんかかすかにしか見えなかったのです。
だから、月面での作業に忙殺されたわけです。
ほんとうにがっかりですよ」
オルドリンも横で「そうだ、そうだ」と頷いたでしょう。
最後に、もう一つ。
アームストロング船長は82歳で亡くなりました。
バズ・オルドリンは89歳で生存しています。
ヴァン・アレン帯を2度も通過し、
8日間も宇宙空間を旅し、
20時間も放射線の降り注ぐ月面で過ごしたのに、
放射線被害を受けた形跡はまるでなかったようですね。
不思議です。
アポロによる月面着陸以来半世紀、
ついにどこの国も月面着陸を試みることさえしていない、
と不思議に思う人が多いようです。
私に言わせれば、話は逆。
今でも行けないのには、
バンアレン帯及び宇宙空間での放射能の致命的な汚染、
ロケット技術、月面生存のための技術等が現代科学技術でも未解決なため。
だから、人類は一度も月に行っていないのです。
よくアポロ着陸の跡が発見されたと写真がネットに掲載されます。
現代ではいかなる写真加工もフォトショップで自由自在なのです。
ご苦労様、と、申し上げておきましょう。
さて、写真です。
今回は、私のセカンドベスト。
ソニーα7
パンタッカー50㎜F2.3
暗い写真群ですね。
でも、これが私の好みの濃度なのです。
パンタッカーは、暗部の描出性に関する限り、
どんなレンズにも負けない位に優秀。
こんな暗い写真を好むなんて、
性格がどんなに暗い人なんだろう?
そう思われるかもしれません。
でも、心理学的には逆なのかもしれません。
暗い人間が暗い作品を作っていたんじゃ、
人間が持ちませんね。
人間とその表現はシーソーのようなものです。
性格の暗い人は、明るい作品を作ります。
性格の明るい人は、暗い作品を作ります。
私は、どんなことがあっても、
日本一立ち直りが早い人間なんだそうです、
妻の見立てでは、ですが。
でも、私もそう考えています。
どんなことがあっても、良い未来への踏み台、
そう自然に考えることができるからです。
私のブログには暗い写真が堆積していますが、
それだけ自分の人生を明るく作る糧になっている、
そう私は確信できる、というわけです。















































































#
by hologon158
| 2019-09-02 14:38
| ホロゴン外傳
|
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数年前でしたか?
パリに世界中の観光客が溢れ、
観光スポット、目抜き通りを歩いても、
パリジャンにはほとんど出会わない状態になっている、
と、聴きました。
今では、世界中の大都市が同様の状態になっているようです。
私はマスコミ関連のニュースをほとんど見ないので、
世界情勢がどうなっているのか、さっぱり判りませんが、
どうやら中東も含めて、日本に直接影響、危機を及ぼすような
紛争、摩擦の危険はかなり軽減したようですね。
そのお陰でしょうか?
私が住む奈良市にも週日を含めて連日海外からの観光客が溢れています。
日本経済に及ぼす影響がどの程度かも知りませんが、
少なくとも奈良の観光施設、商業施設は
一種の観光景気のまっただ中にあるようです。
数年前、こうした海外からの観光ブームが押し寄せる前までは、
奈良市は次第に高齢化の波に洗われ、
貧寒たる地方都市と化そうとしていました。
通行人も車もまばらで、ひっそりと沈滞しきっていました。
それが今はどうでしょう?
市内から郊外にかけて、新興住宅地が雨後の筍のように乱立しはじめ、
ほとんど住民を失いつつあった古い住宅街、高畑町にも
代替わりの二世代目、三世代目が帰郷して建て替えを始めています。
このあたりから見て、
どうやら最近のとくに津波を中心とする大規模災害が影響を与えているようです。
奈良は山に囲まれた盆地で、過去の大災害のすべてから逃れてきた、
災害最少地域の一つだからです。
一度どこかで、岡山、奈良、富山、金沢がトップランクだと読みました。
神戸の海岸線の埋め立て住宅地に林立する高層マンションの人たちも
かなり危機感を募らせていることでしょう。
南海トラフが勃発したら、その位置次第では、
大津波の直撃を食らう危険があるからです。
そして、世界的な観光ブームが奈良の景気を押し上げました。
こうして、今や、奈良の経済もにわかに息を吹き返したようです。
でも、世間はまったく気がついていないのですが、
この古都奈良の活況はしがない年金生活者の私にもある種の影響を与えました。
私は長い間ストリートフォトを楽しんできました。
でも、貧寒となった街々で、ときに出会うとしても、
記憶にないほど過去に青春を卒業した人たちばっかりじゃ、
モチベーションがまったく高まりません
そこで、昔から好きだったロボグラフィ専科に落ち着いていました。
思い返してみますと、
長い間、ロボグラフィ9に対してストリートフォト1の割合でした。
でも、気がついて見ますと、場所によりますが、
この割合がかなり逆転に近くなってきたことに気づきました。
もちろん今でも、ロボグラフィは盛んに撮っています。
持ち出すレンズがその方向を決めるのが実情です。
写真家でもなんでもないのですから、
作品作りとか作風なんて無縁です。
私が出会ったものたち、人たちを記録する、
これだけがレンズの役割です。
ですから、どちらにせよ、作画は一切無縁。
ストリートフォトはものであれ、人であれ、超近接を除き、
常にノーファインダー、ノーメイキングで撮っています。
こちらに気づいているような視線が写っていることがありますが、
これは写真家ならお分かりのように、
私が撮ったから見たのではありません。
撮る前にレンズを見た瞬間の姿なのです。
私の使うレンズはすべて古典的なスタイルのレンズばかりです。
現代の電気製品の部品的なレンズではありません。
個性があり、超精密感と金属工芸美を備えた、骨董品的なスタイル。
でも、使う人はほとんど居なくなりました。
私にしても、長い間、私の仲間以外には、
この種のレンズを使う人に出会ったことがありません。
時にそんなレンズに気づく人がいます。
珍しい、なんだろう?と目をとめた瞬間、私がシャッターを落としたわけです。
でも、私は常に前方か逆方向に視線を向けてさりげなく歩いて居るので、
こうしてレンズに目を止めた人が、
そのレンズで写真を撮ったことに気づいたかどうかは、私にも判りません。
というわけで、写真家のように、構図を確かめ、
狙い澄まして撮ったスナップではありませんし、
撮った本人に、現代社会の姿を記録したい、なんて意図もないのですから、
実はこれもまたロボグラフィでしかないのです。
カルティエ=ブレッソンのような人間社会の営みの形を
写し止めるストリートフォトとは完全に似て非なるものです。
話は変わりますが、
そんなことよりも驚かされることがあります。
日本人、中国人、台湾人、韓国人、ヴェトナム人、タイ人、
どこの国の人でもそうですが、一様に体格がよくなり、
眼差しもきりりと締まり、表情も豊かになって、
欧米の白人たちが混じっても、過去のように、
巨大タンカーが群小の小型貨物船を左右に押し分けるようにして押し通る、
というような印象はまったくなくなりました。
気がついてみると、
高さも振る舞いも表情も個人差が主として目立つ、
そんな時代になっているようです。
むしろ、欧米の白人女性の外観スタイルには、
なんだか水ぶくれの弛みが目立ち、
中国人、日本人女性たちのような、
キリリとした矜恃、美しく健康的なプロポーションはうかがえない、
という印象さえ抱きます。
東大寺、興福寺のような世界的な観光スポットには人種を問わず、
海外からの観光客が溢れています。
でも、奈良町のような、
さほど有名でもない、ただの地方都市の商店街には、
俄然アジア系と日本人が多い、
そんな感じがします。
観光スポットに関する関心度、情報量が違うのでしょう。
こうして普通の速度で歩きながら、
右に左にばったばったとシャッターを切り倒しながら歩くのですが、
どうしても、女性、それも美しい女性に傾きますね。
昔、4歳の甥に尋ねました、
「男の子と女の子とどっち好き?」
即座に答え、
「女の子だよ。」
「なぜ?」
「だって、男の子だもん!」
そして、「おじちゃんは?」
こう切り込まれて、思わず、
「さあ、どうかなあ」とぼかしてしまいました。
正直なところ、ヴィジュアルなレベルでは、
男性なんて見たいとも思いませんね。
それにしても、日本人を含めて、女性たちには、
確固たる個性と気迫を帯びている人が多くなりました。
それに対して、どこの国もそうですが、
男たちははっきり負けていますね。
映画を見てもそうです、
かつての骨っぽいガッツに溢れた男たちはどこに行ったのでしょう?
YouTubeで黒沢の「用心棒」のリメイクの決闘シーンを観ました。
三船敏郎と仲代達矢、
映画界、演劇界を背負って立った名優たちの、
面差し、面構え、人間の大きさを記憶している私は、
その二人の役の現代版には、ただ絶句。
なんだ、普通の現代の男じゃないか?!
現代の日本の政治家たちも首相以下そろいもそろって、
風格も面構えも気宇も腹も覚悟もなんにも感じられない、
ただのこけおどしのおっさんたち。
自分で道を切り開いた初代と違い、
全部お膳立てしてもらって受け継いだ
二代目、三代目が牛耳っているのですから、
株式会社日本が危機に瀕するのも当然です。
さりとて女性たちも、
そんな男たちに、
「さあ、どいて。あんたたちじゃダメ。私たちに任せなさい」
と、面と向かって宣言できるまでに、
経験、自信、気宇を備えるに至っているとは言いがたい。
こんな中抜け時代に危機が襲ってきたら、もうお終い、ですね。
世界的に見ても同様です。
トランプを大統領に選んだアメリカがその典型例です。
つまり、はっきりと言えます。
あんな人をリーダーを選ぶことで、
アメリカは世界を牽引する力を失ってしまったという感じがします。
現代は、災厄と畳一枚で隣り合わせている危機の時代。
怖いですね。
日本は、また世界は、一体どうなるんでしょうね?
私は、こんな風に危ぶんでみても、
社会的にいかなる役割もないのですから、
無力、無意味でしかないという感じがします。
だから、こうして、写真で楽しんでいるわけです。
今回の写真では、オリオンが活躍しています。
奈良町を行き交う人々、とくに女性たち、
まさに絵になる人が溢れている感じではありませんか?











































#
by hologon158
| 2019-08-30 17:42
| ホロゴン外傳
|
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あなたは星空が好きですか?
私は好きですね。
星空だけじゃなくて、空そのものが大好き。
だから、バスに乗っても、歩いても、
どこに居ても、空を見上げています。
長い間、日本の大気はスモッグによって汚染されていました。
10年ほど前から、日本の空が子供の頃の透明感を取り戻したようです。
とくに、この1、2年。
美しい空を楽しむことができるようになりました。
私が一番好きなのは、夕方と夜の空です。
私は生涯絶対に忘れることのできない夕焼けを見ました。
高校3年のときです。
その空の光景はいつでもマザマザと思い出すことができます。
記憶力が常人より劣っている私にして、
いつでも思い出したくなったら、即時に想起できるから、
私の人生の最高のシーンの一つなのです。
当時、我が家は大阪府豊中市岡町にありました。
豊中は南北に連なる丘陵地帯の西側スロープの上に位置しています。
このスロープは西に向かって緩やかに下降し、
隣の伊丹市、尼崎市から神戸市まで次第に上昇し、
真西に六甲山系に盛り上がっていました。
我が家の窓からは、西方全景がパノラマになって見えていました。
要するに、我が家の窓から見ますと、日没の太陽は、
六甲山と、その懐の丘、甲山(かぶとやま)の上に落ちていくのです。
私の高校生の頃はまだ家々で埋め尽くされていませんでしたから、
緑の中に適度に人間の味わいを添えた、
数十キロに及ぶ自然のスロープの上に、
巨大な天空の穹窿が覆い被さるという感じで、
実に雄大な景観でした。
でも、その時の光景はスペシャル中のスペシャルでした。
一人、留守番をしていたと記憶します。
屋内に私一人だったのですから。
2階の西側の部屋が私の勉強部屋兼寝室でした。
机の前の大きな窓は南を向いています。
勉強中ふっと目を上げると、
お隣の蔵の上空にはゴールドが広がっていた!
大急ぎで、もっと西空が見える窓に移動しました。
その景観に覆い被さる大天井の青空の全体を、
くっきりとした糸巻き状の巻雲の列が覆っていたのです。
見る見る内にその糸巻きの絨毯が黄金色に彩られました。
見渡す限りの大空が、
真っ青な地からくっきり浮かび上がる黄金の絨毯と化したのです。
後にも先にもこれほどに完璧なゴールドを空に見たことはありません。
当時の私は2.0近い視力の持ち主でしたから、
壮大な黄金の絨毯の細部の細部までくっきりと眼に焼き付きました。
もう大声で叫びたい気分でした。
性格的に、かなりお節介な私ですから、
家人が居たら、知らせたでしょう。
でも、あいにく、誰も居ない。
道行く人はどうだろうと見下ろしますが、
帰宅を急ぐせいでしょうか、
誰も顔を上げようとしないで、通り過ぎて行くばかり。
かなりヤキモキさせられました、
「誰にとっても、生涯で最高の夕焼けだろうに、
それに気づかないなんて!」
阪急豊中線は南北に走っているので、
この光景は電車の中からも見えたでしょう。
事実、私も、これほどではないけど、
壮麗な夕景に幾度か車窓で接したことを記憶しています。
私は大学からの帰り、
いつも夕方には六甲山を見る左側に立っていたのです。
前記のゴールド夕焼けほどではありませんが、
豪壮な空のページェントに接しました。
観る度に、こう言いたくなりました。
「わあ、凄い!
皆さん、観ましょう!」
でも、内気な人間でしたから、そんなことを口に出すこともできず、
周りを見回すと、その都度、ほとんどの例外なく、
車内で西側を向いてつり革を握っている男女はすべて、
俯いたり、眼をつぶったり、読書したりして、
眼前の絶景に気づこうとしませんでした。
多くの人はご自分の世界に籠もってしまって、
夕焼けにも空にもあまり関心はないのではないか?
そんな感じを抱いてきました。
と言うより、今でも、抱いています。
さて、夜空ですが、
私は、天文学も大好きですが、
深夜に天体望遠鏡を据えて、天体観測するのは苦手。
それよりも、星空を肉眼で見るのが大好きでした。
私の子供時代、青年時代には、空も美しいし、
(大阪、神戸のような都会はスモッグの時代でしたが)
私が住んだ地も、いつもかなりローカルでしたから、
視野を邪魔するビルもイルミネーションの渦もなかったので、
空は文字通り暗黒でした。
そして、その暗黒の大半を星屑が埋め尽くしていました。
有名な星座はすべて観ることができました。
もちろん冬が一番でしたが、その星空の王者は、
もちろん、オリオン座でした。
シリウスもおおぐま座もカシオペヤ座も素敵な景観でしたが、
なんと言っても、私が一番大好きな星座は、
オリオン座でした。
面白いことに、古代史を勉強しますと、
古代でも、ほんの少しのずれはありますが、
現代と同じ星空で、しかも、満天の星の中から、
現代の人間が認識するのと同じ形の星座を見分けて、
天上の存在として尊崇し、憧れていたのです。
文明は星座にそれぞれ別名をあてていたようですが、
どんな文明でも、オリオン座は最高にスペシャルな星座だったようです。
グラハム・ハンコックとロバート・ボーヴァルは、
三大ピラミッドは、
オリオン座のベルトを構成する3つの星の位置関係を
地上に再現したものであると発見しました。
オリオン座のファンは私だけではなかった!
古代のエジプト人たちは、星空にインスピレーションを得て、
神学、哲学等、さまざまに思想をこらし、文明の基礎としてきたようですから、
二人の発見はどんぴしゃり正解でしょう。
オリオン座は人類の文明、文化の基本ファクターだった、
そう言えるようです。
近頃は、そのオリオン座のもっとも輝く星ベテルギウスが、
超新星爆発をしたのではないか、と話題になっています。
一説によれば、まだ爆発にまでは至っておらず、
もし爆発したら、地球の真昼の空にその姿が見えるだろう、
その場合、地球に深刻な被害をもたらす危険さえある、
とさえも言われています。
怖いですね。
直接被害がなくても、オリオン座の壮大壮麗な姿が、
永遠に失われてしまうことは明らか。
もし超新星爆発するとしても、100年後くらいにお願いします。
おっと、忘れていました。
星空、オリオン座のことを書いたのは、
今回の記事の写真を撮ったレンズからの連想でした。
ソニーα7に付けた、
オリオン28㎜F6
オリオン28㎜F6というレンズ、
いつも書いていますが、「小さな巨人」レンズです。
道具としての存在感にしても、描写力にしても、
ライカのレンズ史上最高のレンズの一つ、
エルマリート28㎜F2.8第一世代のような貫禄はありません。
でも、使う度に舌を巻きます。
こんな廉価版レンズがどうしてこんなに過不足なく、円満で温かで、
しかも、正確な雰囲気描写をしてくれるのだろう?
オリオン、私の最高のお気に入りレンズたちの輪に、
次第次第に加わって行こうとしている、
そんな感じが強くなっています。











































#
by hologon158
| 2019-08-28 17:30
| ホロゴン外傳
|
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若い頃から物忘れは日常茶飯事。
なんだか自慢のようですが、実は自慢。
私の特技の一つが、これ、
「忘れる!」
妻から「日本一立ち直りの速い人間」と言われています。
そうだと思います。
その秘訣がこれ、ただちに忘れる!
日本で2番目か3番目にミスの多い人間ですが、
それでも晴れ晴れと生きておれるのは、この特技のお陰。
なにも引きづらない。
だから、暗く沈んだりすることがない。
子供の頃からやりたいことが一杯ある人間なので、
細かいことも大きなこともいつまでも引きづっている暇がない。
大きなことができる人は、小さなことにもこだわって、
跳躍台にすることができるのでしょう。
私は別に大きなことしたいわけではないので、
跳躍台は不要、というわけです。
たちどころに気分を切り替え流琴ができます。
近頃、突然、ルネサンスの気分になっています。
イタリアルネサンスのモットーは、
「古典ギリシアに帰れ」
私のルネサンスは、
「ホロゴンに帰れ」
ホロゴンの超パンフォーカス写真と、
ボケレンズたちの超ピンフォーカス写真、
この両極端のバランスを楽しむのが私の写真生活ですが、
近頃は、後者に激しく傾いていました。
そろそろしっかりとバランスを撮りながら、
写真生活を楽しまなくちゃ、というわけです。
私の近頃の必携品は、
ポメラ
Kindle
ソニー・ウォークマン
iPhone
iPhoneは付属、補助、
別になくてもよいのです。
でも、上段3つはミニ書斎の本質的ツール。
喫茶店に入ると、基本的にはコーヒー一杯。
これで、気持ちを整えるのですが、
コーヒーを呑みながら、1時間ほどは粘ります。
まずはKindleでしばらく読書。
今は、旧約聖書と吉川英治「宮本武蔵」に夢中になっています。
旧約聖書は今ギデオンと300人のお話の最中。
出エジプト記からここまでいつも気にかかっていることがあります。
神は全能の神であり、宇宙全体の創造者です。
地球にアダムとイブを贈り、人類の時代を創造しました。
地球上の全人類がアダムとイブの子孫です。
でも、旧約聖書を読む限り、
エホバはイスラエルの民だけを選んで手厚く保護します。
だから、選民なのですが、これが私には疑問。
他のすべての民族も神の創造した人間ではないのでしょうか?
もっと大事にしてあげたら、と思いますね。
それなのに、エジプトからイスラエルの民をユダヤの地に導いた神は、
先住者たちをほとんど殲滅してしまいます。
彼らも神の子なのに、なぜ?
そして、神は全知全能の絶対神であり、
そんな神が選びたもうた民のはずなのに、
選べれし民イスラエル人は神の期待に十分応えているとは思えません。
旧約聖書を通じて果てしなく幾度も幾度もエホバへの信仰を忘れ、
無知迷妄のしくじりを重ねます。
サウルもダビデもソロモンも愚かな所業をいくつもいくつも重ねます。
すべて神の定めた運命なのに、なぜ?
歴史全体を通観すると、ますます神の意図を疑いたくなります。
結局、エホバの選びたもうたイスラエル人は、
折角2000年近くもディアスポラの苦渋を舐めさせられたのに、
世界全体の支配者となることもなく、
20世紀、出エジプト記で与えられた地にようやく戻ることができただけ。
なんだか、ただ「振り出しに戻った」だけではありませんか?
しかも、なんだかややこしいことになっています。
神は最初の方針を変えて、我が子イエスをこの世に送り、
イエスはキリスト教をこの世に送ります。
でも、キリスト教は地球規模では一部の人間の信仰にとどまってしまい、
たとえば、ヨーロッパやアメリカの教育階級の多くは、
表面上はともかくも、内面的には宗教から離れてしまいました。
そして、さらに悪いことに、
人間に地上の生物のほとんどを滅ぼさせ、
人間も、わずか数千年の文明を終焉に導くかのように、
コンピューターとロボットを主体とする機械文明に屈しつつあります。
すべてが神の御業であるとすれば、
神がこの世に人間を生み出し、信仰を与え、イエスを贈りたもうたのに、
ほんの数千年、つまり、宇宙創造からの期間を見れば、ほんの一瞬の間で、
滅亡に瀕する状態にしてしまおうとしている?
これじゃ、しばしの手慰みにすぎなかったのではないか、
と疑わざるをえない事態になっています。
恐竜には1億数千万年もの地上支配を許しながら、
たった数千年は短すぎ、失敗に過ぎるのではありませんか?
そう疑いたくなってしまいます。
でも、私には、信仰はお与えにはならなかったので、
上記のような疑問は、神の判断、選択を疑わせるものではなく、
神の存在を疑わしめるものなのですが、
それは、つまり、悩ましい事態でもなんでもないと言うことです。
私と妻は、かなり健全な体と心を天から授かって、
おかげさまで、二人して人生を心ゆくまで楽しむことができます。
ありがたいことです。
それだけで十分。


































































#
by hologon158
| 2019-08-24 11:47
| ホロゴン外傳
|
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人間にとって一番魅力的な視覚対象は?
誰かにそう尋ねられたら、あなたはどう答えますか?
もちろん、答えは一つですね。
人間!
もちろん観たくない人間だっていますね。
でも、あなた以外の人間が全部消え去ったら、どうですか?
生きていくことができませんね。
あなたが写真家だったとして、
一番撮りたい被写体は何ですか?
誰かにそう尋ねられたら、あなたはどう答えますか?
人によって、様々でしょう。
でも、アマチュア写真家時代の私にとっては、答えは一つでした。
人間!
偉大な写真家の多くは、人間を撮ることで偉大性を獲得しました。
カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛がまさしくそんな写真家の頂点ですが、
アマチュア写真家だった時代に、
魅力的な人間を沢山撮る幸運に恵まれた人、
それが、アンリ・ラルティーグですね。
古き良き時代のフランス人たちの優雅な日常を、
誰よりもたっぷりと撮り続けることができた人です。
1894年、富裕な家庭に生まれ、幼くしてカメラをプレゼントされ、
日常を撮り続けました。
すでに名作が生まれています。
12歳のときに撮った「カロリーヌ叔母、ブラントヴィーニュ氏」
17歳のときに撮った「女優のアルレット」
いつ、なにを撮ったらよいのか?
彼はその頃から既に知っていました。
当時から彼は巨匠だったのです。
それが才能、というものでしょう。
写真好きは沢山居ますが、
才能のある写真好きって、千人に一人、万人に一人でしょう。
そんな人が「写真家」なのでしょう。
私はもちろん写真の才能なんて皆無でしたが、
写真を好きになる才能なら、たっぷり持っていました。
ありあまるほどなので、良い写真を好きになるだけではなくて、
自分の写真なら、なんでも好きになる才能。
これがあるから、半世紀近く、写真を撮り続けてこれたのでしょう。
「芸は身をたすく」と言います。
「自分の写真なら、なんでも好きになる才能」があるゆえに、
私は写真をいつまでも愛し続けることができます。
人からの是認、賞賛を必要としない。
だから、一人で撮り続けることができるのでしょう。
ホロゴンウルトラワイドに出会う前、
私はズマロン35㎜F3.5に夢中でした。
それ以前のお気に入りがフレクトゴン35㎜F2.4。
つまり、私は35㎜レンズに魅せられていたわけです。
今でも、やっぱり魅せられています。
人間、変わらないものです。
私が35㎜レンズをフレクトゴンからズマロンに替えた理由、
それは、完璧な空気感よりも、温かな穏やかさに、
私の好みが変わったからでした。
今でも、好みは変わっていないようです。
奈良町をズマロンで撮りました。
ライカレンズの歴史においては、
ズマロンはズミクロンに取って代わられた、いわば敗者。
でも、私の好みは、鋼の感触を加えたズミクロンよりも、
断然、ズマロン。
がっちりとリアリティを掴み取るズミクロンよりも、
私とその場所の全体をやさしく包み込んでくれる、
そんなやさしさを感じさせてくれるズマロンがいい。
ズミクロンで撮ると、思わず驚嘆してしまう。
ズマロンで撮ると、思わず心に落ち着きを感じる。
一緒に人生を歩くのであれば、
私は迷わず、ズマロンを選びます。































































#
by hologon158
| 2019-08-20 18:55
|
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マックの写真フォルダは撮影日順に並んでいます。
どんなファイルも、それが文書であっても、写真であっても、
内容が一目で分かり、一発で検索できるように工夫してあります。
たとえば、
今回の写真群は、
み三重150605▲Kinoplasmat19
一目見ただけで分かります、
三重県で2015年6月5日、
オリンパスE-PL1にキノプラズマート19㎜F1.5を付けて撮った写真たち。
この命名はマック使用開始以来のものです。
ブログ開設前だったので、撮影場所が一番大切。
各フォルダーを全部時間順にソートする必要がありませんでした。
そのせいか、ときおり、全ファイルをソートしても、
撮影時間順には並びません。
そのおかげで、4年も前のものが近作に紛れ込んでいることに気づきました。
写真の撮影時間順にブログを作っているわけではありませんので、
別に不便でも不自然も感じませんが。
4年前、親友のNKさんの車で三重のカントリーサイドを撮影したときの収穫です。
オリンパスE-PL1
キノプラズマート19㎜F1.5
私の最愛のレンズの一本です。
雨でした。
私は雨の中での撮影が大好きです。
全天候すべてフォトジェニック、そう考えていますが、
雨が最高。
今でもまざまざと覚えています。
昔、大阪のツカモトカメラ主催で、山陰フォトツァーに出かけました。
講師は当時関西ではトップクラスの写真家、高田誠三さんでした。
バス1台ほぼ満員で出かけたのですが、
憂わしげに、うらめしげに窓の外を眺める一行に、
彼はこうおっしゃったのです。
「雨ですね。
でも、確かに晴れの日の写真は撮れませんが、
雨の日の写真は撮れますよ。
晴れの日には晴れの写真を、
雨の日には雨の写真を撮りましょう!」
私は当時写真を始めて20年ほどでしたが、
雨こそ私の絶好の撮影日和と考える人間でしたから、
高田先生のこの言葉は私の心にいたく適いました。
余談ですが、その夜の旅館での夕食の宴で、
先生のところに挨拶に言って、名前を名乗ったところ、
破顔一笑されて、
「やあ、先日、宮崎の県展の審査に行ったときの宴会で、
参加された写真家のお一人から、
※※というのが宮崎から大阪に転勤したので、
将来会うことがあったら、よろしく指導してあげてください、
と言われました。
あなたのことですね」
なんでもない機会に耳にした名前をよく覚えておられたものです。
広く尊敬される方には、
そんな風に人の名前をしっかりと記憶する方がおられますね。
この先生もそのお一人なのでしょう。
そんなことがあって、
私はその先生も好きになり、
雨天撮影はなおさらに好きになったわけです。
10数年以上前から、写真家気分はぷっつりと絶ち、
自分だけのために素人気分で写真を楽しもう、そう考えて、
ロボグラフィという名称を思いつきました。
コンセプトは、自分の歩いた道の路傍の記憶を写真に残す、
ただそれだけ。
雨天だから、「良い作品ができる」なんて考えることも、
ぷっつり無くなりました。
それでも、昔の男どもは、
美しい女性を、「水も滴るよい女」と呼んだそうですが、
雨に濡れると、路傍のものたちが一段と生気を増すものです。
三重県のカントリーサイドでも同様でした。
とくに、雨の日に絶好の場所がありました。
山間の一角の、廃品集積場。
道路端に完全に老廃したマネキンの女性が
まさに尾羽打ちからした廃残の姿をさらしていました。
これを見て美しいと思う人と、
思わない人の比率は、
推測するに、1対9でしょう。
私はその1に断然属します。
だから、まあ、有頂天になって、数十枚撮らせて頂きました。
私は、はるか昔、宮崎で写真を始めた頃、
「写壇はにわ」に入会しました。
そのクラブで女性モデル撮影会を企画したことがありました。
それがモデル撮影会としては、生涯にたった2回の初回。
ウィーンの音楽大学に留学中の女性ピアニストの方を、
リーダーがツテを使ってお願いしたのです。
とても賢く、美しい方でした。
でも、私とはなんの関係もない女性を撮る、ということが、
私の意欲を全然そそらなかったことを記憶しています。
ウィーン留学のことや、得意な分野をおたずねしたことは覚えていますが、
どんな写真が撮れたか、まったく記憶していないのですから。
ちなみに、もう一度は、全日写連企画の京都の舞妓さん撮影会。
舞妓さん5人に200人以上のカメラマンがまさに蝟集しました。
生まれて初めてで最後のモデル撮影会ですが、
あの殺伐な雰囲気には、今思い出してもぞっとします。
日頃出会うアマチュア写真家とは全く異質、
下品、野卑そのもの風貌、風態、振る舞いのカメラマンたちが沢山混じって、
「いつまで前にへばりついてるんや!
ええ加減に交替せんかい!」
などと怒号が飛び交ったりして、騒然。
早々に退散しました。
でも、私はどんな場合でも人に遅れをとることはしませんから、
撮影場所を変える段になると、さりげなく舞妓さんの側で移動し、
指導の写真家が「さあ、ここで撮りましょう」と言ったときには、
自然に最前列に位置するようにできました。
後ろからのそのそ付いてきて、しびれをきらす輩は、
そもそもドジなのです。
たとえば、バスから下車するとき、
自分が料金を支払う番になってから、
財布を取り出して、小銭をがさごそして、両替をする人が居ます。
この人たちは、あらかじめ料金分の硬貨を用意しておき、
両替が必要なら、硬貨を手にしておくという、
予測に基づく準備ができないようです。
そのため、自分にも他人にも迷惑をかけている、
だけど、気づかない。
だから、態度を改めることがありません。
野卑でないだけで、振る舞いの不器用さはこの人たちそっくり。
いつも通り、話が逸れましたが、
キノプラズマート19㎜F1.5、
正確には3/4inchなのですが、私の大のお気に入り。
50㎜の描写は分かりませんが、25㎜より華麗さが減退し、
その分、ロボグラフィの美しさを優しく引き立てる適度の艶やかさがあって、
私は25㎜に劣らず愛しています。
それにしても、誰も撮らないような、
路傍に見捨てられたものばかり、よく撮るものです。
「あんたの写真を写真とは認めない」
よく人から言われました。
面と向かって真剣にそう言われて、そのまま交友が途切れた人もいます。
ほとんどの写真の友人は、そう口に出すことがなくても、
私の写真について一切話題にしません。
写真の友人、知人たちとの間で、私の写真が話題になったことは、
私の写真人生の中でほとんどないに等しい、
そう言っても過言ではありません。
私の方でも、私の写真を話題にしてもらいたいと思っていないので、
好都合です。
私の写真たちは、私一人の秘蔵っ子なのですから。
幸いブログに来る人も居なくなり、
「あのときは良かったなあ、
あんなところに隠れているなんて、思わなかったよ」などと、
秘蔵っ子たちとじっくり語り合えます。
今回のような特別のお気に入りたちとブログで再会できるのは、
至福、
そう言っても過言ではありません。






































































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by hologon158
| 2019-08-17 12:02
| ホロゴン外傳
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