わが友ホロゴン・わが夢タンバール

37.6 ホロゴンデイ15「2008年8月2日の伏見稲荷」6 これはちょっと違うんじゃない?


ブログを始める前、
私は写真界の現状についてまったく無知でした。
写真雑誌も10年以上見たことがないし、
現代の写真家たちの動向についても無関心だったからです。
ブログを始めて分かったことは、
ディジタルカメラがすでに写真界を席巻してしまったこと。
私のような銀塩写真の愛好家はすでに完全な少数派であること。
私も、負けじとばかり、シグマDP1を手に入れました。
最初、その8×10判ばりの超高画質には仰天しました。
でも、ふっと気づくと、それは不思議の国のアリスの世界だったのです。
面白い、
でも、いつかは現実世界に戻らなければならない、そんな世界。
肉眼を超えているからです。
実物大の再現であれば、まだ納得ができます。
でも、たかだか六切り、四切りのサイズの中で、
肉眼を遙かに超える再現をされますと、
これはちょっと違うんじゃない、そう言いたくなるのです。
それで思い出しました。
古典期のギリシアでは、素晴らしい彫像が続々と創られました。
とくにアクロポリス神殿の破風などの彫刻の素晴らしさは、
大英博物館やアテネ国立博物館でつぶさに体験できます。
大理石のなかに生身の女性が閉じこめられているかのような、
端麗、艶麗、それなのに清純な美に満ちています。
ところが、ローマ時代になって、ローマの貴族たちは、
さまざまな建築物を装飾するものとして、数知れぬ彫像を創らせました。
その多くはギリシア古典期の彫刻のコピー、模写でした。
これらの模作はなかなか見事な出来映えです、
素晴らしいとさえ言えます、
ギリシアのオリジナルを見ない限り!
どこが違うのか?
私の義兄は画家です。
彼はこう言います、「写真を見て描いた絵はすぐ分かるよ」
私、「どう違うんですか?」
彼、「線がぎこちない、死んでいる」
ローマの模作も同様です。
ほとんどの場合、衣紋とか身体のラインの流れがくっきりと誇張されています。
古典期の真作では、まったくこれと違います、
衣紋や身体のラインは匂うようなやさしさでもって、ふんわりと表現されているのです。
立派に見えるのは模作です。
周囲の空気とまじりあっているかのように、
なだらかなラインで浮かび上がる古典期の彫像は、
最初はおとなしい、地味という印象。
ところが、次第に、その優雅なたたずまいが浮かび上がってくるのです。
私は、ディジタル写真にそんな非現実的ないごこちの悪さを感じるのです。
いわばカメラ草創期とも言える20世紀前半に作られたレンズに、
私はギリシア古典期の彫刻のようなかぐわしさを感じるのです。
一生、銀塩から離れられないな、
私はそう心に期しています。

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by Hologon158 | 2008-10-29 18:39 | ホロゴンデイ | Comments(0)