わが友ホロゴン・わが夢タンバール

41.03ホロゴンデイ17「2008年9月21日飛鳥案山子祭」3 掃き溜めのおっさんたちに会いたい


ユージェーヌ・アッジェ
この人の存在を抜きにして、写真史を語ることはできないでしょう。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、パリを撮りました。
都市景観を彼以上に見事に撮ることができた人は、
その後もあまり多くはないのではないでしょうか?
当時のパリの等身大の肖像画を残してくれたのです。
彼の偉大さは、景観だけではなく、文化を記録したことにあります。
アッジェの記録してくれたパリの文化のほとんどがその後消えてしまいました。
アッジェの写真が残っている限り、パリの文化の一端を知ることができるのです。
でも、私がここで言いたいのは、そのことではありません。
彼こそ、ロボーグラフィとスナップ写真の創始者なのです。
19世紀末に撮られた「河原の乞食」という作品があります。
なんと、石垣にもうけられた斜路のような用途不明の基台に、
中年の乞食が横になって、不安定な姿勢ながら熟睡しているようです。
その姿を写真家はなんと大型カメラで撮影してしまうのです。
なんとも大胆。
でも、ひょっとすると、演出かも知れません。
それにしても、そのような路傍に見捨てられている存在を撮る気になった、
このことが極めて革新的です。
同じ頃、「ヌガー売り」のおじいさんをスナップしています。
貧困が身体全体に染みついたような風貌。
その向こうに、裕福そうなカップルが相合い傘で散歩しています。
この対比、これこそスナップの真骨頂ではないでしょうか?
アッジェが当時すでに「写真的な表現」の特質をちゃんと理解していたことが分かります。
というより、彼こそ、絵が万能の支配者であった時代に、
写真に、絵とはまったく別の表現の可能性を見いだして、
スナップ写真への道を開いたのかも知れません。
私が一番大好きで、たいていの方からはそっぽを向かれるだろう写真があります。
1913年の作「アニエール門のぼろ布屋」
ぼろ布なんでものじゃありません、完全なるボロくずの堆積の天辺に、
くわえ煙草の主人がご満悦で収まっています。
奥にももう一人、やっぱりくわえ煙草の男。
掃き溜めの鶴ならぬ、掃き溜めのおっさんたち。
私でも、やっぱり撮るでしょうね。
いや、それじゃ正確ではありません。
ぼくも撮りたかったあ!

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[撮影メモ]
アッジェが、ぼろ布屋の猥雑な雰囲気をそのまま等身大で表現しているのに、
私のこのこぎれいな写真たち、どうですか?
誓って申し上げますが、私が物置のものたちをこんな風に整理したのではありません。
指一本触れておりません。
「これって、住居侵入じゃないか?」
おだまりなさい!
問題はそんなことではない!
ロボーグラフィをあんなに沢山撮りながら、
私は、やっぱりピクトリアリスム風の絵を作りたいらしい。
ノーファンダーで3枚も撮りながら、
身体は知らぬ間に絵作りしてしまっているようですね。
by Hologon158 | 2008-12-04 22:00 | ホロゴンデイ | Comments(0)