わが友ホロゴン・わが夢タンバール

49.09 ホロゴンデイ20「2008年10月5日羅漢さん」9 退屈なお仕事だこと、おかわいそうに


哲学者バートランド・ラッセルが自伝で書いています。
ある人を、彼は画家ですよと教えますと、
彼の叔母、哀れみの表情を浮かべて言ったそうです、
「退屈なお仕事だこと、おかわいそうに」
この叔母さん、親戚のものが政治家になろうとすると、
「悪人になるのはおやめなさい」と真剣に説得したそうですから、
かなりまっとうな意見の持ち主ではありますが、
画家に関しては、ものごとの表面しか見ていないようですね。
たしかに、画家の仕事は猛烈に大変なようです。
日本画家の上村松園も、作品に取り組むときは、
幾枚もデッサンを重ね、下絵も幾枚も描き、
それから、実に精密、精妙そのものの絵を描くのですから、
1枚ができあがるまで、計り知れない時間とエネルギーと創意、情念を注ぎ込むようです。
ピカソがアクリル透明板に絵を描くビデオを観たことがあります。
描いては消し、描いては消し、
描いてゆくうちに、最初の構想などどこかに消し飛んで、
最後には、まったく似ても似つかぬ作品に仕上がりました。
はじまりの部分は、私のブログ文のようです。
もっとも、ぜんぜん意味は違うのですが。
私は、たいていの場合、なにを書くのか、まったく思いつかないのです。
だから、とにかくキーボードを叩いて、
画面上に文字を出してみて、
そこから連想ゲームのように文章を作り出すのが習慣になりました。
ピカソと違うのは、書き直しはせずに、垂れ流しのままアップ。
そうでないと、自分の思考の記録にならないから。
話をもとに戻しましょう。
私は思うのですが、
画家が、そんな準備や作品作りを退屈とは絶対に思っていないはず。
むしろ興奮の浪を上ったり下りたりしながら、うなされたように準備を進めているのです。
そうでなければ、あんな見事な傑作たちが生まれるはずがありません。
そんな風に心が高揚するのは、作品の仕上がりの予兆、予期、構想があるからでしょうね。
それが、いわゆる「インスピレーション」なのでしょう。
私は、そんな芸術家を限りなく尊敬します。
私には、絶対にできないことだからです。
多くの写真家も、同様の精神状態で作品作りをしているようです。
「ようです」と書くのは、
私自身はそんなインスピレーションで写真を撮ったことがないからです。
写真家は、被写体に対面して、それをどう写真にしようか、
どんな作品を作り出そうかを考えます。
私は、そんなことは一切思案しません。
ただただ被写体と出会えたことを喜び、
ついでに写真に撮ります。
喜びがすでに私に報酬を与えているのですから、写真はおまけ。
写っていなくても、幸せ、
写っていたら、もっと幸せ、
びっくりする位楽しい写真に写っていたら、もっともっと幸せ!
ようするに、私のブログは、グリコのおまけ特集なのです。
49.09 ホロゴンデイ20「2008年10月5日羅漢さん」9 退屈なお仕事だこと、おかわいそうに_c0168172_1334474.jpg
49.09 ホロゴンデイ20「2008年10月5日羅漢さん」9 退屈なお仕事だこと、おかわいそうに_c0168172_134056.jpg
49.09 ホロゴンデイ20「2008年10月5日羅漢さん」9 退屈なお仕事だこと、おかわいそうに_c0168172_1341428.jpg

by Hologon158 | 2009-01-30 13:11 | ホロゴンデイ | Comments(0)