わが友ホロゴン・わが夢タンバール

49.23 ホロゴンデイ20「2008年10月5日羅漢さん」23 私は写真に偏見があるみたい

49.23 ホロゴンデイ20「2008年10月5日羅漢さん」23 私は写真に偏見があるみたい_c0168172_0275867.jpg

ときどき思うのですが、
私はなんて大胆なことをしているのでしょうね。
自分の写真、自分の文章を文字どおり垂れ流し状態にしているのです。
匿名とはいえ、「Hologon158」の名の陰に隠れている私の本質を、
炯眼の士は完全に見抜いてしまっていることでしょう。
でも、それが分かっているのに、止めるどころか、
ますます絶好調に書きまくり、アップしまくっている。
その理由は、いつも書いていますように、
どんな風に見られても、気にしないことにしているからです。
独断と偏見で生きてきた人間です。
これからもその線を通すことにいたしましょう。
そうでなければ、自分ではなくなってしまう。
そこで、またも独断と偏見を一つ。
我が家には、古今東西さまざまな大画家たちの画集があります。
どれを見ても、そのすべてとは言いませんが、
必ずかなりの数の傑作があって、はっと胸を突かれ、
しびれるような讃歎の情がわき上がってくるものです。
腰が据わり、覚悟が決まり、腕が冴えている。
そして、なによりも心が輝いている!
そして、大写真家の写真集も数十冊あります。
でも、ほとんどの写真家の写真に、私は満足できないのです。
もちろん皆さん大変に優れた技量と輝かしいキャリアーの持ち主。
でも、心が沸き立たないのです。
世界の森山大道さんだって、実は、私にはほとんどピンとこないのです。
写真が多すぎて、心が沈んでしまいます。
どす暗くて、ますます沈んでしまいます。
写真を見ることで、心が洗われたり、高揚したり、開放されたり、
さらには恍惚となったり、というような体験にはまったくつながらない。
この混沌と八方ふさがりの現代を表象する表現なのかも知れません。
でも、そんな表象がなくたって、現代の窮境はちゃんと分かります。
それが写真芸術であるとしたら、
私の人生に、写真芸術なんかいりません。
他の作家だって、たいていはもっと悪い。
凡庸で、なにを言いたいか、わからない。
さまざまなニューウェイブなど、まったく理解不能だし、
まして、アマチュアのコンテスト作品ときたら、
私は…….
よしましょう。
だから、私は写真が分からない、よい写真も撮れない、そう結論づけています。
それなのに、写真を楽しんでいます。
大げさに言いますと、もし私が写真に飽きたら、
人生に飽きたことになる、それ位に。
このギャップが、私をして、ずっと写真素人でいようという決意につながっているのです。
世の写真家の皆さんから反撃を食う前に、自分から自白しておきますが、
私の写真は、なおさら、ゴミのようなものです。
まさしく独断と偏見に貫かれた写真たち。
でも、一つだけ、他のすべての傑作にまさる利点があるのです。
私の体験を撮った、私の写真なのです。
こんな風に考えますと、誰もよろこばない写真、誰も読まない文章をどんどん投稿したい、
そんな気持ちが募るのです。
なんだか、ますます変人癖が昂じていくような感じ、
こわいなあ(と、もみ手して喜ぶ私)
by Hologon158 | 2009-02-04 00:31 | ホロゴンデイ | Comments(0)