わが友ホロゴン・わが夢タンバール

52.47ホロゴン外傳7「1989年8月パキスタン」47 私には決定的瞬間が決定的に欠けているようで

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aizak3さんから、こんな質問を受けました、
「ここに掲載の写真はホロゴンさんにとって、どのように決定的瞬間なのでしょうか?」
私は写真を始めた投書から、カルティエ=ブレッソンの信者でした。
でも、私は、常にカルティエ=ブレッソンを別次元の存在と考えてきました。
私はまたソクラテスの信者なのですから。
「汝自身を知れ」
これは私の最大のモットーなのです。
だから、自分を実物大以上に見ることができません。
カルティエ=ブレッソンの写真を見ても、私とは無縁の高レベルの世界とわきまえてきました。
そこで、私は、最初から、私にとっての決定的瞬間を別の意味で捉えてきたのです。
写真は、人、もの、場所との出会いだと考えたのです。
カルティエ=ブレッソンのように、映像全体の構図など、夢のまた夢。
だから、写したいもの、人と幸運な出会いをした瞬間、
その場を正確に写し取りたい、それだけが私の念願なのです。
No.45の写真だって、理屈を付ければ付けられます。
たとえば、「私は、左奥の木立と同じ形になった瞬間の馬たちを捉えたのです」
でも、私はそんなことはぜんぜん気づきもしなかった。
絵画にならって、私は右上がりの構図を好みます。
右下がりの構図は、私に吐き気を催させるのです。
だから、自然、右上がりの場所を見つけ、左奥に消えてゆくあたりに対比すべく、
右下隅に馬を入れた、ただそれだけのお話。
私の写真はすべてそんな風にして撮られています。
ある瞬間に、眼前の光景をしっかり認識して、すばやくスナップ!
なんてことは、私にはできません。
「あ、いいな!」心にそう閃いた途端、とにかくシャッターを押すだけ。
あとは、レンズのプレゼントを待つ。
というわけで、心になにかが閃いた瞬間撮るという意味では、決定的な瞬間ですが、
カルティエ=ブレッソンが書いたような、
「頭と眼と心が一本の同じ照準線上で狙いをつけること」
など、とても私の水準では無理。
「いいなと思った瞬間、レンズにすべてを託すこと」
これが、私の決定的瞬間の行動なのです。
でも、写真素人にはこれが最善の方法ではないでしょうか?
by Hologon158 | 2009-03-03 18:21 | ホロゴン外傳 | Comments(2)
Commented by andoodesign at 2009-03-03 22:55
「汝自身を知れ」良い言葉ですね。
僕も密かに座右の銘にさせて頂きます〜
Commented by Hologon158 at 2009-03-04 22:49
re)andoodesignさん
私など、自身を知りすぎると、どんどん自信がなくなるので、
ほどよいところで止めています。
それでも、見えてしまう、底の浅さ。