わが友ホロゴン・わが夢タンバール

65.29 ホロゴンドラマ8「和歌山の旅④ 太地町は今日も晴れ」29 ピカソとのお付き合い、苦労しています


近頃、ピカソと付き合っています。
弱りました。
キュービズム、抽象画の見方、読み方なんて、習ったことがないのです。
だいたい、正しい見方、読み方が存在するのでしょうか?
なによりもまず、ほんとに読めるのでしょうか?
ここに、「ギターとワインと本」という絵があります。
一見して、そんなものはどこにも見あたりません。
それじゃ、どこなんだ?
そうやって探す。
これって、ほんとに絵を見ていることになるのでしょうか?
「間違い探し」じゃあるまいし。
パウル・クレーでも感じたことですが、
抽象画って、絵の意味を探ろうとするのはナンセンスなんじゃないかな?
だんだんそう感じるようになっています。
頭で考えるのじゃなくて、心で感じるものなのではないでしょうか?
以前福岡に行ったとき、アジア美術館に参りました。
だいたいにおいて、20世紀あたりからの油絵ばかり。
ここでも、意味不明の絵が沢山ありました。
でも、沢山の絵がなんだか2種類に分かれるような気がしてきたのです。
中からエネルギーが湧いてきて、ぐいぐいと心の中に食い込んできて、元気をくれる絵と、
心がなんにも感じないので、お互い無関係ですねと、さっさとお別れしたくなる絵。
分かる、分からないとは無関係。
人間だって、会った途端、この人好きだなと思う人と、
この人、苦手だ、嫌いだ、怖い、等々、否定的な気持ちになってしま人がいるものです。
もちろん、絵も人も、その中間、ニュートラルな場合がほとんどです。
そこで、思うのです。
なんにも感じない絵、否定的な感じを抱く絵は、私には無縁なので、ほっておきましょう。
一目見て、あるいは見れば見るほど、心になにか食い込んでくるような、
スペシャルなものだけ、ほんの少しでいいから、お付き合いしましょう。
そして、ほんとに好きだとなったら、とことんお付き合いしましょう。
題名も無視します。
それは、製作者の思い入れ、ぼくにはぼくの思い入れがある!
ようするに、ピカソを分かる必要なんてない!
ピカソって人を知ろうというのじゃない。
この絵とつきあいたいのだ、
だったら、ぼくが好きだったら、それでいいじゃないか!

という次第で、本日は、その考え方を写真にも及ばすことします。
というより、いつもそうしてきたのですが。
これ、何なのだ?
なんて、尋ねないでください。
撮った方法だけは説明できます。
例の飛びこみ自殺型撮影法。
道路上、両足を大きく拡げて(ホロゴンの写角に入らないように)、
両手を精一杯前に伸ばしてホロゴンウルトラワイドを握り、
路面前方に身体を投げ出し、空中でシャッターを切り、
次の瞬間、足を前に飛ばして、着地したわけです。
シャッターを切る瞬間、できるだけホロゴンを水平にしておく必要があります。
うまく行けば、足が写らず、奇怪な鳥瞰写真が撮れます。
今回の写真は、私には珍しく、名前を付けました。
「フェイス」
発表する限りは、好き嫌いを押しつけるつもりはありません。
ちなみに、私は大好き。
ねっ、あなたも好きでしょ!(と、ちゃんと押しつけている)

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                   「フェイス」
by Hologon158 | 2009-04-21 22:45 | Comments(0)