わが友ホロゴン・わが夢タンバール

71.06 ホロゴンドラマ10「2005年3月の南紀は毎日晴だった」6 「私は夢を見ない」

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「私は夢を見ない」
シャガールがこう言ったそうです。
夢そのものとしか思えないような絵を生涯描き続けた人の言葉がこれ。
どうやらシャガールの絵は、ユダヤ人的思考に特有のイディオムを絵画化したもので、
けっして夢の世界を描いたものではなかったということです。
画家が、自分の絵にどんな風にイメージを盛り込んでゆくか、
私には経験がないので、皆目見当もつきませんが、
シャガールのことは、なんだか理解できるような気がします。
シャガール自身、絵ができあがったとき、
そのイメージの奔放さに驚愕するのが常だったのではないでしょうか?
理性的な判断、計算で絵を描く人はいないはず。
何ものかに突き動かされたように、次々とキャンバスを埋めていったとき、
思いもかけぬ絵が突然現実化する、そんな具合だったのではないでしょうか?
彼の絵は基本的にコラージュ的です。
さまざまなイメージファクターのごった煮。
それが突然一つの絵にまとまったとき、
「うん、これでよし!」、こうして絵は完成する。
作業プロセスは簡略化されていますが、
写真だってこれに似ているのではないでしょうか?
とくにホロゴンの場合がそうです。
画角110度の視野に入るもの全部が写真のファクターになります。
これをシャッター一押しで、どっとカメラに収めてしまうのです。
その結果、フィルムにどんなものがどんな形で記録されるか、
私にはほとんど予測不可能なのです。
でも、とにかく時折フィルムに驚嘆すべき画像が出現します。
私は、自分が撮ったと豪語するつもりがないことを幾度も書いてきました。
ホロゴンが現出してくれる画像は、それほどまでに私の予測、予感とは異質。
少なくともいえること、それは、
写真というのは、私とカメラと現実とが時折幸せに作り出すコラボレーションなのです。
by Hologon158 | 2009-05-08 18:18 | ホロゴンドラマ | Comments(0)