わが友ホロゴン・わが夢タンバール

86.12 ホロゴンデイ24「06年3月26日大阪玉造裏通りで素敵なものたちに出会った」12 肉体化されたもの?

1941年1月号「みづゑ」に一つの記事が掲載されました。
陸軍情報部の将校たちと美術評論家が座談会をし、
画家も国防の一翼を担うべきだという趣旨で、
画家たちの左翼的運動に対する恫喝行為を行ったのです。
当時の陸軍の中枢の将校層の思考方法は現代の官僚とまったく同じ。
自分の機関の保全が目的のすべて。
国民はその目的に滅私奉公的に奉仕すべきであって、自由など許さない。
ところが、画家は、本質的に自由でなければ、アーチストたりえない存在。
統制と絵とは油と水のように相容れないのです。
そこで、画家松本竣介は同誌に「生きている画家」という記事を投稿しました。
そこで、彼はこう書いたのです、
「画家とは限らない、いっさいの芸術家としての表現行為は、
その作者の腹の底まで染み込んだ、肉体化されたもののみに限り、
それ以外は表現不可能といふ厳然とした事実を度外視することはできない」
彼の投稿が軍部に対する敢然たる抵抗であったかどうかは、どうもよく分からないのですが、
このように毅然として画家の自立性を主張したこともあって、
彼は、第二次世界大戦中、確固たる自己を示すような、堂々たる作品を描き続けたようです。
両足を踏ん張って立ちはだかる男の絵を描いていますが、峻厳たるたたずまいがあります。
でも、思うのですが、「腹の底まで染み込んだ、肉体化されたもの」を表現するって、
どこまで可能なのでしょうか?
松本は、絵に限らないと主張していますが、写真でも同様な表現が可能なのでしょうか?
そんなことができるのはほんの一握りの写真家だけかもしれません。
でも、素人だって、なにかを心で感じたものを写真にしようとするのです。
なにがしか「肉体化されたもの」がそこに含まれているかもしれません。
もっとも、そこまで勢い込まなくてもよさそうです。
せっぱ詰まった芸術的自己表現は芸術家にお任せすることにして、
私たちは写真を楽しむ立場として、
ときには、ああ、これはぼくの写真だなあと、つくづくありがたく思える、
そんな自分らしい写真を撮りたいものですね。
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by Hologon158 | 2009-07-01 18:18 | ホロゴンデイ | Comments(0)