わが友ホロゴン・わが夢タンバール

88.13 ホロゴンデイ25「2006年2月25日奈良東畑で辿るは過疎の道」13 美を突き抜けて

前回書きました本の中で、とてもうれしい言葉を見つけました。
横尾忠則が「芸術の魔界に踏み込んだ画家」という一文を寄せているのです。
その中で、こんな風に書いています、
「僕は、芸術の核になるのはデモーニッシュな要素だと考えています。
創作というのは、デーモンの力を借りて生まれるのではないかと。
蕭白は、芸術の魔界に一歩踏み込んで、
人間としての力を超えた何かを手に入れた画家だと思います。
でないと、こんな作品は生まれてこない」
私は、ホロゴンの描写について、メタモルフォーゼによって、
デモーニッシュな感じを与えてくれると幾度も書いてきました。
とすると、私の写真は、創作というほどのものではないとしても、
ホロゴンというデーモンの力を借りている点で、
ちょっと蕭白に似ているのではないか、と、我田引水的に考えたのです。
「若冲は、美に到達した人。
いっぽうの蕭白は、美を突き抜けてしまった人」
この言葉もとてもホロゴン写真に似合います。
ホロゴン写真の対象となるものたちって、どう見ても、美とは無縁。
でも、だからと言って、醜悪というわけではありません。
どこか生き生きとした生命感が内から放射している。
そのエネルギー感もまた、美を突き抜けたところにあるのでは?
私はいつもそう感じてきたのです。
だって、私には、いわゆる美しいものたちとはぜんぜん異質なんだけど、
やはりどこか美しいものを路傍のものたちに感じているのですから。
私自身はとても素直で平凡な人間ですが、
ホロゴンが介入することで、写真はちょっと蕭白的な過剰感を醸し出している、
私はそんな風に感じるのです。
究極の誇大妄想的我田引水だったかも知れませんね。
読み流してください。
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by Hologon158 | 2009-07-05 21:03 | ホロゴンデイ | Comments(0)