90.07 ホロゴンデイ26「2007年9月1日京都東山でもロボグラフィ」7 よし、やるぞ!
荘子の言葉によれば、誰にでも気がある、そういうことでしょうか?
気がなければ、生きることができないのですから。
でも、それだけでは足りない。
気力を横溢させて、精一杯生きたいものです。
どうすれば、気が高まるか?
これがわかれば世話はない。
ホロゴンを見ていますと、ちょっとわかることがあります。
ホロゴンの場合、前に出れば出るほど、写真に気が高まります。
どうやら気は積極的な姿勢を好むようです。
でも、これは単純に前に出ることを意味するわけではないようです。
いつも「前に進め!」じゃ、まるで旧帝国陸軍みたいです。
ある戦術史家が第二次大戦中の各国軍の戦術評価をして、
「日本陸軍には参考にすべき戦術はなかった」とまで言い切っています。
これは悔しいですが、その通りですね。
何万という有為の青年たちをむざむざ正面攻撃で死に至らしめた最悪の戦術家、
乃木将軍を軍神と崇めたのですから、しょうがないですね。
いくら人間が立派でも、だから軍神に奉ろうという単純思考が日本には多すぎますね。
ホロゴンは乃木将軍ではありません。
前に出るべきときには、前に出るけど、
出るべきでないときは、出ません。
つまり、そのとき、その場で、とるべき対策、行うべきことがあれば、
それを積極的にやり遂げる、その姿勢が大事。
やるべきことがあれば、後回しにしないで、ただちにやる、
やるべきことを、最高精度、最高充実度でやり遂げる!
その積み重ねが気を高めるのでしょうね。
ホロゴンの気の源泉はどこから来るのでしょうか?
1960年代、21ミリ、28ミリが超広角だった時代に、
いきなり15ミリ単体のカメラを出そうというツァイスの意気込み、
レンズ、ファインダーを初めとする、破格のカメラを作ろうとする、
技術者たちの意志が結集された製品なのです。
いわば、歴史を切り開こうとした画期的なカメラなのです。
手に持っていますと、ホロゴンにこめられたツァイスの人たちの気持ちが伝わってきます。
そして、よくできたメカニズムは、それ自体、生命力に似たオーラを発しはじめるようです。
このオーラも、カメラから私にじかに伝わってきます。
撮影時も、ホロゴンウルトラワイドを手にするだけで、
「よし、やるぞ!」という意気込みが湧いてきます。
そして、ロボグラフィにぶつかると、ホロゴンが色めき立ち、指令を発しはじめるのです。
私はすなおにそれに従うだけ。
たとえば、どこまで寄ってよるか?
私は、対象まで何センチかなどと計算しません。
ぐっと寄っていくと、自然に停止してしまうのです。
30、40センチのときだってあります。
60センチが被写界深度の限度ですから、ぼけるはず。
でも、気にしません。
ホロゴンがそこでいいって言うのですから。
もっとも、ホロゴン写真が一番気力の横溢したものになるためには、
ホロゴンだけが気をみなぎらせても、十分ではありません。
ホロゴンの使い手も気力十分でなければ。
こうして、ホロゴンと二人三脚、未来永劫にわたり続けたいものです。
by Hologon158
| 2009-07-13 17:08
| ホロゴンデイ
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