96.24 ホロゴンデイ28「2008年5月17日奈良町、奈良公園は春爛漫」24 気がついたら終わっていた!
前回に続いて、今度は指揮のことを書きます。
カルロス・クライバーのウィンナワルツ、これも素晴らしい!
でも、素晴らしさの意味合いがカラヤンとはちょっと違うのです。
カラヤンは、どっしりと控えて、大本をがっちり押さえ、
後は好きにやらせるというやり方に見えます。
だから、ウィーン・フィルはそのウィーン子気質を思う存分出せて、
柔和で優雅で典雅でのびやかで、しかも遊び心に満ちた、
まさにウィーンの香り一杯の音楽を繰り広げました。
カルロス・クライバーはどうでしょうか?
なんと切れ味のよい、なんと颯爽とした指揮ぶりでしょうか?
彼の棒さばきはマイケル・ジャクソンの踊りを思い出させます。
見事に音楽になっていて、タイミングが絶対に狂わない。
綱渡りの曲芸のような離れ業でオーケストラをグイグイと引っ張り、
盛り上げ、担ぎ上げ、エベレストまでわっしょいわっしょいと駆け上らせてしまう。
オーケストラも観衆も完全に心を奪われ、魂を抜かれ、
カルロスの虜となってしまうのです。
カルロスこそ、現代の「ハーメルンの笛吹男」だったのです。
ウィーン・フィルだとて人間たちです。
どんな指揮者が来ようと、俺たちの音楽をやるのだと自負している彼らが、
カルロスの手にかかったら、もうカルロスの手の上で踊るより仕方がない。
だから、ウィンナワルツなのですが、
どこかカルロス・クライバー風ワルツなのです。
その証拠に、彼がどこでウィンナワルツを振っても、
音楽的興奮の極致まで駆け上る、圧倒的に魅力的な音楽に仕上がります。
ウィーン・フィル恒例のニューイヤーコンサートは、
あくまでもウィーン子たちのくつろいだ正月の余興なのです。
ウィーン子らしい遊びをさせてあげたいものです。
いつのときでしたか、主席フルート奏者が、フルートで終わる最後の音で、
小指をちょっと立てたのです。
その仕草の粋なこと!
その瞬間、会場はどよめきました。
カルロスが指揮していたら、そんな仕草をふっと思いつく余裕なんかなし!
カルロスの創り出す音楽に酔いしれ、気がついたら終わっていた!
カルロス・クライバーのウィンナワルツ、これも素晴らしい!
でも、素晴らしさの意味合いがカラヤンとはちょっと違うのです。
カラヤンは、どっしりと控えて、大本をがっちり押さえ、
後は好きにやらせるというやり方に見えます。
だから、ウィーン・フィルはそのウィーン子気質を思う存分出せて、
柔和で優雅で典雅でのびやかで、しかも遊び心に満ちた、
まさにウィーンの香り一杯の音楽を繰り広げました。
カルロス・クライバーはどうでしょうか?
なんと切れ味のよい、なんと颯爽とした指揮ぶりでしょうか?
彼の棒さばきはマイケル・ジャクソンの踊りを思い出させます。
見事に音楽になっていて、タイミングが絶対に狂わない。
綱渡りの曲芸のような離れ業でオーケストラをグイグイと引っ張り、
盛り上げ、担ぎ上げ、エベレストまでわっしょいわっしょいと駆け上らせてしまう。
オーケストラも観衆も完全に心を奪われ、魂を抜かれ、
カルロスの虜となってしまうのです。
カルロスこそ、現代の「ハーメルンの笛吹男」だったのです。
ウィーン・フィルだとて人間たちです。
どんな指揮者が来ようと、俺たちの音楽をやるのだと自負している彼らが、
カルロスの手にかかったら、もうカルロスの手の上で踊るより仕方がない。
だから、ウィンナワルツなのですが、
どこかカルロス・クライバー風ワルツなのです。
その証拠に、彼がどこでウィンナワルツを振っても、
音楽的興奮の極致まで駆け上る、圧倒的に魅力的な音楽に仕上がります。
ウィーン・フィル恒例のニューイヤーコンサートは、
あくまでもウィーン子たちのくつろいだ正月の余興なのです。
ウィーン子らしい遊びをさせてあげたいものです。
いつのときでしたか、主席フルート奏者が、フルートで終わる最後の音で、
小指をちょっと立てたのです。
その仕草の粋なこと!
その瞬間、会場はどよめきました。
カルロスが指揮していたら、そんな仕草をふっと思いつく余裕なんかなし!
カルロスの創り出す音楽に酔いしれ、気がついたら終わっていた!
by Hologon158
| 2009-08-01 21:18
| ホロゴンデイ
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