わが友ホロゴン・わが夢タンバール

100.12 ホロゴンデイ30「2009年5月30日毘沙門天のお膝元信貴山に遊び」12 結果がすべて

100.12 ホロゴンデイ30「2009年5月30日毘沙門天のお膝元信貴山に遊び」12 結果がすべて_c0168172_11221266.jpg

前回取り上げたヴェルフリ、自分を主人公にして、
途方もなく壮大で幸せな叙事詩を展開したそうです。
ふむ、現実には満足に生きることのできない人間が、
欲求不満をそんな風に解消しようとしているのだ、つまらない、
そうお感じの方もあるでしょう。
でも、よく考えてみてください。
トルストイやドストエフスキーの壮大なる物語、
マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」、
みんな作者が、自分では生きることのできない壮大なる第2の生を
心の中で紡ぎ出したものではありませんか?
とくにドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」なんて、
もし作者が精神病棟に収容されて書いたとすれば、
たいていの方は感じるでしょうね、「これやっぱりおかしいよ」
私がこよなく愛しているジェーン・オースチン、
本人は寂しく不遇の生涯を送ります、
でも、小説は、 主人公は苦労しながらも、最後はハッピーエンド。
彼女もまた白日夢にふける代わりに、小説で自分の欲求不満を昇華したのでしょうか?
殺戮と激しい恋が絢爛と展開する冒険小説だって、
執筆中の小説家、完全に主人公になりきって、
手に汗を握り、胸をどきどきさせながら書いている!
こんな風に考えますと、ヴェルフリが精神病院に居たことなど、
無視してもよろしいんじゃありませんか?
写真だってそうですが、すべて芸術は結果がすべて。
外部に発表したとたんに、作者の手から離れて、独り立ちするのですから。
by Hologon158 | 2009-08-13 11:24 | ホロゴンデイ | Comments(0)