わが友ホロゴン・わが夢タンバール

106.09 ホロゴンドラマ12 「2000年8月 ハノイ路地裏でホロゴンが躍った」9 鐘も撞木も共に鳴る!

よい出会いって、余韻が長く残りますね。
昔から、自己と他者との出会いの本質を巡って、
「鍾が鳴るかや撞木が鳴るか、撞木鳴らない鐘が鳴る」と言ったり、
「鐘は鳴らない撞木が鳴るよ、撞木なければ音はせぬ」と言ったり。
でも、そんな風に論理を突き詰めてゆきますと、
「鐘が鳴るかや撞木が鳴るか、鐘も撞木も鳴りはせぬ」と否定したり、
「鐘が鳴るか撞木が鳴るか、鐘も撞木も共に鳴る」と肯定したりすることもありそうです。
東大寺に、「奈良太郎」と呼ばれる老鐘があります。
なんと752年(天平勝宝4年)東大寺創建のときからあるというのですから、驚き。
大晦日に、巨大な老撞木に縄を掛けて、十数人で引っ張って鳴らします。
その音の響きをなんと表現したらよいでしょうか?
千数百年の時間そのものが共鳴しあって作り出すとしか思えないほどに、
複雑かつ古色蒼然たる、古びた、神さびたサウンドが殷々と大地を這うように伝っていきます。
このサウンドを自分の全身を包み、浸透し、過ぎてゆく、そんな体験をしてしまいますと、
そして、今回のような、よい出会いを体験してしまいますと、
私には、答えは一つしかない、そうはっきりと確信できます。
もちろん、鐘も撞木も共に鳴る!
奈良太郎を新建材を撞木にして叩いたら、バットで叩いたら、
どんな音が出るか、考えてみてください。
新潟で出会った私たち、たがいに時には奈良太郎、ときには老撞木と役割を交代しながら、
ゴーン、ゴォーン、グォウォオーンンン.....と響き合ったのです。
音楽も絵も写真もすべて、その本質は、共鳴にあります。
そのものだけでは、宇宙の果ての無人の惑星上に置かれたスピーカーから流れる音のようなもの。
聴く人がいなければ、「音楽」ではありません。
なんでもありません。
聴く人が居て、その人の心に響いて、心をかき鳴らして、はじめて音楽となります。
私たちもそうでした。
私たちが生き甲斐としている写真について、日頃感じていることを、
お互いに全身全霊で語り、受け止め、投げ返し、また受け止める、
そんなスリリングな一時を過ごすことができたのです!
どんなことになるかも予測できず、まったく何も期待しないで出かけた新潟、
そこで、こんなエキサイティングな時間を過ごすことができたとは!
神様のたまもの、そうとしか言えないですね。

106.09 ホロゴンドラマ12 「2000年8月 ハノイ路地裏でホロゴンが躍った」9 鐘も撞木も共に鳴る!_c0168172_1031781.jpg
106.09 ホロゴンドラマ12 「2000年8月 ハノイ路地裏でホロゴンが躍った」9 鐘も撞木も共に鳴る!_c0168172_1031199.jpg
106.09 ホロゴンドラマ12 「2000年8月 ハノイ路地裏でホロゴンが躍った」9 鐘も撞木も共に鳴る!_c0168172_10313927.jpg

by Hologon158 | 2009-09-08 10:39 | ホロゴンドラマ | Comments(0)