わが友ホロゴン・わが夢タンバール

107.28 ホロゴンデイ32「2009年9月5日新潟よいとこ、よい人、一度はおいで」28 道の歴史は新しい

昔、道はありませんでした。
人間は、狼や鹿たちのように、獣道を歩いたのです。
自分たちも獣だったから。
その後、人間は、定住し、その部落同志を結んで交易をはじめました。
その交易の一行が踏み分け道を作っていったのでしょう。
だから、日本武尊が九州、関東に行ったとき、交易の道をたどったはず。
ちなみに、日本武尊は遠征したかのような記事になっていますが、
軍隊を率いて進軍した形跡、記事はないようです。
そんな軍隊を送り出すだけの国力など、当時の大和王朝にはなかったのです。
むしろ彼は、諸王国を遍歴する偵察者、スパイだったのです。
ですから、彼の遠征の結果、東西諸国を征服した記事はまったくないわけです。
道の効用を一番よく知っていたのはローマ人でした。
ローマ帝国の軍隊は完全な工兵隊でした。
ローマ軍は、兵士全員が工兵としても活動できたのでした。
ギボンがその実態を生き生きと描き出してくれました。
彼らは道まで作ったのでした。
その道はまっすぐで、二条の轍のための軌道が設けられていました。
そんな高速道路が帝国を縦横に走っていたのです。
戦車はその軌道上をまっしぐら、超高速で移動できたのです。
ですから、国境になにか事があっても、ただちに対応できたのです。
ちなみに、ハンニバルがカルタゴ軍を率いて、イタリア半島に入ったとき、
道はありませんでした。
ハンニバルは十数年間もイタリアで軍事活動をし、ローマ軍を寄せ付けなかったのですが、
自分もまたローマに接近することができないままに終わりました。
帝国時代の高速道路があったら、
ハンニバルはあっという間にイタリア半島を征服したに違いありません。
道はあると便利ですが、ないことも便利なことがあるのですね。
現代の道も、本質的には交易、経済のために作られています。
ですから、移動を円滑にするかたわら、道路を絶えず補修しています。
その上、現代人は、労働再生産のために、労働者、市民の精神安定を図る必要を知っています。
ですから、路傍にはさまざまな仕掛けを設けているのです。
そんな仕掛けの一つが赤いコーン。
赤色を使って、移動のための動線をそれとなく巧みに指示し、
しかも、その色感が、緑少ない都会に暖かさを演出します。
とても目立つおかげで、ロボグラフィストは実に簡単にひっかかってしまい、
律儀にコーンを撮り続ける運命をになうことになります。
森山大道からyoshiさん、NKさんに至るまで、
ストリートフォトの写真家はコーンがお好き!
私も真似をして、コーン、コーンと撮り歩いているのです。

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by Hologon158 | 2009-09-16 00:30 | ホロゴンデイ | Comments(4)
Commented by NK at 2009-09-16 04:09 x
森山大道、yoshiさん、ホロゴンさん・・・のついでに名前を列挙下さって、光栄の至り、「マンホール」があったら入りたいです。(*^^)v
コーンとマンホールと結界、この3つは、看過できません。はい。
Commented by yoshipass at 2009-09-16 08:12
写真界の大家や、大先輩と名前が並んでいて、散歩をスキップしそうでいけません^^;

この写真は、UltraーWideが新潟美人にやられた直後、TC-1で撮られたと記憶していますが、
動揺が見られません。ホロゴンさんが大きいのか、UltraーWideに冷たいのか(笑)
Commented by Hologon158 at 2009-09-17 00:26
NKさん
私もまさにその三幅対、大好きですね。
でも、私、森山大道、yoshiさん、NKさんのトリオを書いたので、私は入っていませんよ。
私は、すでに「人間の穴」に落ち込んでいますので。
Commented by Hologon158 at 2009-09-17 00:30
yoshiさん、
そのどちらでもありません。
私は大いに動揺していたのです。
でも、ホロゴンにすがって泣くわけにも行きませんし、
折角はるばる来た新潟、撮らにゃ損々ということで、がんばったのです。
今日あたりから、二人で撮り始めた部分に差し掛かることになります。
ちょっとテンポがスローすぎますね。