わが友ホロゴン・わが夢タンバール

110.15 ホロゴンデイ33「2009年9月6日古町歩いて、ますます新潟が好きになった」15 古い包丁が一本

先週末から妻と、中国音楽の名曲「陽関三畳」を練習しています。
奇しくも彼女が今練習している二胡曲がこれだったのです。
実はこれも当然のことで、
夫婦そろって閔惠芬さんの演奏するこの曲をこよなく愛しているのですから。
前にも書きましたが、妻は耐えがたいほどに厳しい。
もう今すぐ先生になっても良いくらい。
うちの奥様、実は大変な人で、
以前も、突然翻訳を志して、翻訳学校に通ったのですが、
1年経ったとき、学校から、来期からは先生として働いて欲しいと言われたのです。
なにをやっても、徹底的な研究心とガッツと誠実さでマスターしちゃう、
化け物のような人物。
だから、こわいのです(彼女、読んでいないので、平気で書けます)
「今の小節の3拍目、手前にちょっと休む記号がついてるでしょ!
気がつかなかったんじゃない?
そのまま続けてだらっと弾くから、私の出出しとあわないんじゃない!
私が出るのを待って、一緒に弾く!」
「また、待たなかった!
ビシバシビシバシ...」
私、「もうこれくらいにしようよ、疲れたあ」
妻、「まだまだ、もう一回!」
こんなことが続きますと、さすがに万事遊び気分の私も真剣に反省しはじめます。
よく、「呼吸を合わせる」と言います。
それができなきゃ、伴奏とは言えない。
私はそんなことができる域に達してもいないのに、演奏会に出ようとしている。
妻に言わせれば、暴挙、暴飲暴食、猪突猛進そのもの。
でも、妻のおかげで、なんとかものになりそうです。
こんな練習をしている間に、だんだんとわかってきました。
私たちがカメラで写真を撮るのだって、一種の協奏なのです。
近頃、のんたんさんが身をもって確認されたことですが、
ホロゴンウルトラワイド、ボディよりもちょっとでも指が出ると、写ります。
最初の一本で全部に指が写っていたことから、
持ち方を必死で練習しました。
おかげで、2本目から現在まで、指が写りこんだことはありません。
私の友人が言いました、
「気をつけて見ていたんだけど、普段は指が写るような持ち方、
でも、撮るために腰で構えたとたん、指がすっとボディの側面に隠れますね」
私はもうこのあたりの動作を意識していません。
ご承知のように、ホロゴンウルトラワイドには露出計がついていません。
絞りがf8固定なので、シャッター速度を歩きながら、自動的に変更して、瞬間に備えます。
脳内露出計はもう意識しないで働きますので、
露出計算に頭を煩わせることもありません。
でも、ネガは全部同一濃度にあがります。
これも自動化。
この道具の自動化こと、撮影者の心と体と道具とが協同するということなのでしょう。
使いにくい道具を使いこなしてこそ、自分の道具になる。
私はいつもそう信じてきました。
あらゆることがソフトウェアとして完備している現代のカメラは、
現代人には道具となるのでしょう。
私は、写真はお刺身のようなものだと考えます。
自分でしっかりと研いだ、手になじんだ古い包丁が一本あればいい。
電動ノコギリなんかいらない。

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by Hologon158 | 2009-09-30 19:11 | ホロゴンデイ | Comments(0)