わが友ホロゴン・わが夢タンバール

120.21ホロゴン外ドラマ1 「2009年11月北京の旅は酷寒から始まった」21 水樽的思考法

胡同の入口に簡易宿泊所がありました。
だだっぴろいコンクリートの土間にずらりと2段ベッドが並んでいます。
なにを考えたのか、その路地側は、北側ですが、全面磨りガラスなのです。
朝はきっと明るくて、ゆっくり寝てなんかおられない、そんな感じ。
前回はその内側の棚をごらん頂きました。
今回は、外から撮った全面ガラスの光景。
なぜか中国の落書き、擦り傷には文人画の味わいが感じられる、
そう思うのは私だけでしょうか?
1枚目など、文人画の烏ではありませんか?
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さて、私の甥は、まだ3歳の頃、私に尋ねました、
「おじちゃん、気球って、どんなものなの?」
私は、気球が空を飛んで、どんなにすばらしい体験をさせてくれるものかを、
10ばかり利点をあげて、くわしく説明しました、実際には、乗ったこともないのに。
最後に、甥が尋ねました、
「落ちたら、どうなるの?」
私、しぶしぶ、「落ちたら、死んじゃうかもしれないね」
私、明るく、「どう、気球に乗ってみたい?」
甥、暗く、「いやだ」
こういうのを「水樽思考法」と、私はかってに命名しています。
幾枚かの板を束ねて作られた樽に水を入れます。
樽板が一枚でも壊れていると、その樽板の高さを超えては、水を入れることができない。
今、飛行機の中で書いています。
中国大陸に向かって、高度1万メートル以上の高空を飛行しています。
中国に行くたびに、あるいは、なにかの拍子に、よく思い出します。
桂林の漓江下りの中間点、陽堤村に街道から入ってゆく細い道沿いの草原の光景を。
私は、写真の師匠、田島謹之助さんと二人で、座っていました。
道は、桂林特有の筍状の丘々を縫うようにして、
湿潤な空気におぼろにかすむ彼方に消えてゆきます。
その並木道を、若い女性とおぼしき白いシャツ姿の自転車が
走ってゆくのがはるかに見えていました。
音は一切聞こえなかった。
ただ、自転車がすいすいすいと進んで、消えて行きました。
あの女性、今、どうしているでしょうね?
そのとき、私は、草原に座って考えました、
いつか、この光景を見ながら死にたいものだ。
まだ死ぬときは来ていないようで、今回は、桂林には参りません。
死ぬときって、いつなんだろう?
不慮の死、それが私の理想です。
思いっきりやりたい放題しているうちに、突然、パタンと死んでしまう。
でも、これは願っても、かなうことではありません。
私は、こう考えています。
水樽思考でゆくことにしよう。
心と体、どちらかが満足な状態でなくなったら、そのときが死ぬときだ。
心と体、これは一心同体、連動しています。
つまり、どこかに問題が生じたら、
私のしたいことが満足にできなくなったら、
生きているつもりはない。
一日でもコメントが来ない日が来たら、コメント欄閉鎖、
そう決めていたのと同じ思考法です。
それまで、起きている間も眠っている間も、精一杯生き続けよう!
こうして、今はまだ、私は全速力で走っているのです。
by Hologon158 | 2009-11-09 11:12 | ホロゴン外ドラマ | Comments(0)