わが友ホロゴン・わが夢タンバール

123.09 ホロゴンデイ38「2009年7月18日大津の下町も僕を待っていた」9 誰も撮らない

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今度も、誰も撮らない写真ですね。
というより、誰も撮りたくない、そんなもの。
私は、美はどんな薄汚れた片隅にも隠されている、
そう信じています。
そのもの自体が白昼光の下で美しい、そう主張するつもりはありません。
しかるべく写真にしたら、フォトジェニックになり、
あるいは、しかるべく絵にしたら、アーティスティックになる、
そんなものたちが存在する、そう信じているのです。
たとえば、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」を思い出してください。
現実世界の中では、この女中さんが作業をしている姿は、
必ずしも美的とは言い難いかも知れません。
でも、フェルメールは、それが絵になると直感したのです。
この時代、オランダでこそ、
庶民の日常生活を絵画に取り上げるようになりましたが、
たいていの国では、絵は、非日常的な、高貴な画題に限定されていました。
フランスなど、19世紀になっても、サロン調が支配して、
クールベらが苦労したことを思い出してください。
それなのに、フェルメールは3世紀前に、女中さんとパンとを使って、
信じがたいほど美しい絵を描いていたのです。
おっと、待ってください。
私は、写真界のフェルメールを気取るつもりはまったくありませんよ。
単に、絵にならないものはないと言いたかっただけ。
でも、このゴミ集積場の網カバー、
とても優雅にたゆたっているではありませんか?
まるで、ダンサーのように、
優雅に一本足でポーズを決めている。
by Hologon158 | 2009-12-10 22:20 | ホロゴンデイ | Comments(0)