わが友ホロゴン・わが夢タンバール

136.48 ホロゴンデイ40「2006年5月3日、天理の山辺の道を一人で歩いていた」48 精神が空っぽなら?

前回、アンセル・アダムズと入江泰吉の名前をあげました。
この二人や、この二人にまさるとも劣らぬエドワード・ウェストンの写真を見ますと、
写真の隅々から、写真家の気高い精神がくゆり立ってくる、そんな感じがします。
馬鹿のひとつ覚えを何度もくり返して申し訳ありませんが、
私のかつての師匠、田島謹之助さんが私にこんこんと言って聞かせた言葉を思い出します、

     ※※※さん、立派な写真家になりたかったら、
     立派な人間にならなければなりませんよ

田島さんは、その言葉どおり、本当に立派な人間でした。
「談志抱腹絶倒落語家伝」(大和書房)は、
立川談志が田島さんから、落語家を撮ったフィルムをプレゼントしてもらい、
そのお返しに出版したものですが、一度、ご覧になって下さい。
落語家たちの心と人生とを写し込んだかのような、
見事なモノクロームポートレートをどっさり見ることができます。
ですから、いくら写真の腕を磨いても、
あなたの精神が空っぽだったら、空っぽの写真が撮れるだけ、
そう覚悟しておいてくださいね。
ということは、私など、馬鹿丸出し。
それが分かっているのに、一日に撮った写真を洗いざらいごっそり出して、
さあ、ご覧下さい、なのですから、まあ、言ってみれば、
飛んで火にいる冬の馬鹿、といった感じですね。
でも、残念ながら、立派な人間になるためのマニュアルなんてありません。
分かっていることが一つ、
俺は立派な人間なんだ、そう自分で確信している人はたいていバカですね。
威張った顔、立派な容貌を振り回している人をよく見ますね、
この人たちもたいていバカですね。
地位や金や風采を立派な人間の条件と思い間違っているあたり、ほんとにバカ。
艱難辛苦汝を玉にす、という言葉があります。
人生の労苦を重ね、真摯に生きてきた人だけが立派な人間になれる。
平凡な人生を送ってきた人間には到達も理解もできない境地なのでしょう。
宇野重吉、滝沢修、森繁久弥といった昔の俳優たちって、
あんなに人生を感じさせるような、深い演技ができたのもそれなのでしょうね。  
たしか宇野重吉だったと思うのですが、間違っているかも知れません。
仲間とレストランで食事をしているとき、メニューを朗読したそうです。
ただそれだけなのに、仲間たち、ぼろぼろ涙を流したと聞きました。
技なんかでは、老練な俳優たちを感動させることなんかできない、
結局、決めては人生経験を重ねて真摯に生きてきた人の心なんだ、ということでしょうか?
写真だって、そうですね。
ですから、私ははじめっからあきらめています。
ホロゴンで、小手先で撮って、自分で楽しむ、
それで十分。 
                                           
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by Hologon158 | 2010-02-18 10:56 | ホロゴンデイ | Comments(0)