わが友ホロゴン・わが夢タンバール

140.20 ホロゴンデイ42「2010年1月23日近江長浜しっとり雨に濡れ」20 実像って何?

ちょっと仕事で出かけた先で、卓上に奈良新聞が置かれていました。
「聖武天皇の実像を追って」
開かれた面には、そんな題名の記事。
おもしろいですね。
実像なんて、ほんとに解明できるのでしょうか?
実像って、いったい何でしょうか?
この記事をお読みのあなた、ご自分の実像をご存じですか?
人間って、あれこれ毎日、毎時間、毎分、毎秒、毎瞬、行動し変化してゆきます。
人間としての実体も人間性も知識も記憶も性格もどんどんと変化してゆきます。
流動体なのです。
偉大な哲学者のホワイトヘッドは、
現実に存在するのは、出来事であると主張しました。
瞬間瞬間に関わってゆく主体と宇宙の全体との間にさまざまな関係が成立します。
その関係の総体が現実に存在するものなのです。
次々に生起する瞬間は因果関係によって結ばれています。
ですから、現実に存在する出来事には主体的な統一性があるのですが、
いずれにせよ、その主体は宇宙全体と同じ大きさを持つのですから、
ちょっとした表現では尽くせない深い存在なのです。
人間だけではありません。
すべての存在がそのような宇宙全体に及ぶ関係を持つのです。
となると、その1つの存在である聖武天皇をとらえて、
これが実像だった、などと言っても、なんにも始まらない。
もちろん新聞の見出しは、いわば修辞的な表現なのでしょう。
でも、言葉は、発してしまうと、すべてを規定してしまいます。
こんな表題を掲げると、ただそれだけで、
あたかも実像が発見できるかのような幻想を生み出してしまいます。
歴史に関する文章を書くときは、とくに気をつけた方がいい。
過去の歴史を再構築しようとするとき、実像などありえない。
ある立場、ある観点からの解釈しかないのですから。
たとえば、信長って、どんな人物だったのでしょう?
信長の実像って、一体知ることができるのでしょうか?
とても無理ですね。
当時、信長に実際に会った人、たとえば、イエズス会士の報告書をとってみても、
他の人の報告とはかなり違うようです。
報告者の立場、主観、観察力、信長の気分、対応等の状況などが違います。
完全に一致することを要求する方が無理。
その最大公約数をとってきても、意味がありません。
特異な状況では特異な行動をするのは誰しものことなのですから。
というわけで、実像という幻想にまどわされるのはよしましょう。

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by Hologon158 | 2010-03-02 19:38 | ホロゴンデイ | Comments(0)