わが友ホロゴン・わが夢タンバール

143.27 ホロゴンデイ43「2009年11月7日天下茶屋とはまた壮大な名で」27 偉大な人間が

数少ない銀塩カメラ専科のブロガーがイリラボさん。
(http://irilabo.exblog.jp/)

   以前、好きな写真家を一人あげるとすると、
   非常に悩むと書いたが。
   しかし、3人あげるにしろ、5人あげるにしろ
   一番最初に出てくるのは、間違いなくこの人だ、
   「アンリ・カルティエ=ブレッソン」要はこの人が一番ですネ、結局・・・。

銀塩カメラ専科で、カルティエ=ブレッソンのファン、
こうなると、もう私にとっては同志!
今日も、書店で画集や写真集を物色してみました。
現代の日本の写真家十名ばかりを特集している本を見ました。
ぶれたり、ぼかしたり、女性の生活ヌードであったりと、多彩ですが、
私はもう古くなってしまったのでしょう、
まったく共感できません。
   こんなの撮って、どこが面白いの?
   汚いだけじゃないの?
私は、写真でも絵でも、自分の心を高揚させ、沸き立たせてくれるもの、
高邁とまで言わなくても、心にあたたかいものをそっと注ぎ込んでくれるもの、
ああ、よかったな、時間の無駄じゃなかった、そんなものを求めます。
でも、現代の写真には、そんなものがなかなか見つからない。
蜷川実花の「シャンハイ」もありました。
森山大道が南アメリカで撮ったのと似たような雰囲気があって、
男や女たちの密室の生態が並んでいます。
   これがどうしてシャンハイなの?
大道さんも大写真家だとは思いますが、その写真から立ちのぼる負の気配は、
けっして私の好みではありませんし、まして求めるものでもない。
現代が希望を失った出口のない世界と化しつつある、その表現者なのでしょう。
でも、私は、そんな世界でも、肯定的な表現を求めます。
なんで、自分の精神生活をマイナスイメージで埋めなきゃならないの?
カルティエ=ブレッソンには、人間に対する究極の肯定があります。
彼はニヒリストでした。
でも、それは既存の体制や人間を束縛するイデオロギーへの反逆、反抗であっても、
人間そのものの可能性に対する否定、消極ではありませんでした。
彼の写真には、彼の愛情が溢れています。
ニューヨークだったでしょうか、ビルの隙間の路地に男が座り、
その前に猫が座って、見つめ合っている作品、ご記憶でしょうか?
そこには、都会の孤独ではなく、孤独な存在があたため合う瞬間が写っていました。
80を過ぎても、カルティエ=ブレッソンには理想と愛が溢れていました。
写真家にも、とても稀であるとはいえ、
偉大な人間がいるのです。

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by Hologon158 | 2010-03-17 18:34 | ホロゴンデイ | Comments(0)