わが友ホロゴン・わが夢タンバール

147.03 ホロゴントラベル1「2010年3月13日清正築城の熊本城の膝元で」3 写真家はつらい

写真家というものはつらいものです。
一定の名声を得てしまうと、その名声を維持するために、
それまで以上の艱難辛苦を乗り越えていかなければなりません。
勢い、作意と作為とが必要となってきます。
森山大道さんの夜のシーンで有名な作品があります。
家と家との間のがらくた山の上を走り抜けていこうとする女性の後ろ姿。
女性はスリップ姿で、なんと裸足。
要するに、誰かから逃げ出したのです、靴を履くひまもなく。
その後ろ姿をフラッシュで一発仕留めたという、絶妙のスナップ。
その後、大道さん、追いかけてきた男たちから袋だたきにあったそうです。
でも、これがちょっと不思議ですね。
男たちは、大道さんが女性を撮ったことを知っているのです。
その状況から見て、撮られてはならない、男たちはそう考えたのです。
じゃあ、袋だたきにする前にすることがありませんか?
そう、フィルムを取り上げる!
大道さん、こんなときのために、
フィルムをカメラからさっと撮りだして隠すのだとおっしゃっていました。
でも、これも不思議。
男たち、カメラを開いて見ると、フィルムがない。
どうするでしょう?
もちろん「小癪なり!」と殴る蹴るでしょうが、それとともに、
大道さんの身体とバッグを全部探って、
ありったけの使用済みの形跡のあるフィルムを没収するか、
フィルムを抜き出して露光してしまうでしょう。
スリップだけの裸足の女性が逃げ出してくるのに出会うという稀有の偶然、
そして、撮影したのを見つかったのに、フィルムを救うことができたという不思議、
これらを考えると、どうも怪しいんじゃないかなという気持ちになります。
むしろ状況設定の上での芝居を撮影した疑似ドキュメンタリー、
その可能性の方が高いのではないでしょうか?
アラーキーが自分の新婚旅行の顛末を写真集に作ったのと同様です。
これもすべての情景は、夫婦合作によるフィクション。
写真家にはこれが許されます。
ほとんどすべての芸術写真はフィクションなのですから。
でも、私のように、自分の人生のために記録写真を撮りたい人間には、
これはとても考えられませんね。
私は、それもあって、フィクション・フォトグラフィーを好まないのです。

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by Hologon158 | 2010-04-11 21:08 | Comments(0)