147.06 ホロゴントラベル1「2010年3月13日清正築城の熊本城の膝元で」6 ハンニバル、ああハンニバル
ハンニバル伝を読み終わりました。
驚きました。
十数年間、イタリアの地でローマと対峙し続け、
ついにカルタゴの地ザマで、好敵手スキピオに破れた後、
なお政治家として、18年間も祖国のために苦闘を続けたのです。
あれほどにローマ人に幾度も大敗北の辛酸をなめさせ続けた、
いわばローマ史上もっとも恐るべき不倶戴天の敵であったハンニバルを、
カルタゴの決定的な敗北の後にも、ローマもカルタゴの反対勢力も、
直接間接いずれにせよ処刑にまで追い込めなかったあたりに、
古代史の政治状況の複雑さが現代におさおさ劣るものではなかったことを物語ります。
ハンニバルのカルタゴのための30年以上に及ぶ息の長い苦闘の歴史は、
この人が、アレクサンドロス、カエサル、ペリクレスに劣らぬ、
古代史における巨人の一人であったことを証明しています。
おもしろいことに、
ハンニバルの容貌、容姿については確証のあるイメージは残っていないそうです。
でも、思うのですが、この人と言われている彫刻の風貌はまさにハンニバルその人と思われます。
沈着で考え深く、辛抱強い、だが果断、そんな風貌なのですから。
まったく様子の分からない敵地に入り込んで、十数年暴れ回ったことを考えても、
この人の深謀遠慮と精神力を疑うことはできません。
その間、配下の諸国の兵士たちの反乱、寝返りはなかったということです。
このこともまた、ハンニバルの人間性を証明しています。
ますます、ハンニバルが好きになりました。
驚きました。
十数年間、イタリアの地でローマと対峙し続け、
ついにカルタゴの地ザマで、好敵手スキピオに破れた後、
なお政治家として、18年間も祖国のために苦闘を続けたのです。
あれほどにローマ人に幾度も大敗北の辛酸をなめさせ続けた、
いわばローマ史上もっとも恐るべき不倶戴天の敵であったハンニバルを、
カルタゴの決定的な敗北の後にも、ローマもカルタゴの反対勢力も、
直接間接いずれにせよ処刑にまで追い込めなかったあたりに、
古代史の政治状況の複雑さが現代におさおさ劣るものではなかったことを物語ります。
ハンニバルのカルタゴのための30年以上に及ぶ息の長い苦闘の歴史は、
この人が、アレクサンドロス、カエサル、ペリクレスに劣らぬ、
古代史における巨人の一人であったことを証明しています。
おもしろいことに、
ハンニバルの容貌、容姿については確証のあるイメージは残っていないそうです。
でも、思うのですが、この人と言われている彫刻の風貌はまさにハンニバルその人と思われます。
沈着で考え深く、辛抱強い、だが果断、そんな風貌なのですから。
まったく様子の分からない敵地に入り込んで、十数年暴れ回ったことを考えても、
この人の深謀遠慮と精神力を疑うことはできません。
その間、配下の諸国の兵士たちの反乱、寝返りはなかったということです。
このこともまた、ハンニバルの人間性を証明しています。
ますます、ハンニバルが好きになりました。
by Hologon158
| 2010-04-12 18:50
| ホロゴントラベル
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