わが友ホロゴン・わが夢タンバール

152.04 ホロゴンデイ46「2009年8月8日京都の街は暑く、僕は熱かった」4 ノートリこそ人生!

No.1の写真を見て、気づきました。
やっぱり、私の目の前の女性の頭ぎりぎり入る形で撮れています。
たいていそうです。
私の撮りたいディスタンスとホロゴンの画角とが偶然に一致していたということでしょう。
そんな偶然の一致が、私にはうれしいのです。
私は、けっしてトリミングをいたしません。
トリミングによって、立派な画像になったところで、
そうしないと、その画像が撮れなかったことの方が残念に思うからです。
ノーファインダーで撮ったときでも、想いは同じです。
トリミング後の画像は、自分の写真じゃない、加工品だ、
私はそう感じてしまうのです。
昔、トリミングは標準的な手法でした。
絵画の影響もあったのでしょう、
フィルムはただの素描、スケッチ、これをきちんと作品に仕上げる。
そのプロセスが、トリミングやモノクロプリントの焼きこみ、覆い焼きだったわけです。
今でも、トリミングをされる方はかなりいるようです。
   人すきずきです。
私はしない、それだけのことです。
ノートリには、ブログをしていると、実利的な意味もあります。
いちいち画面を加工しているんじゃ、
私のように記事が多い人間には、いくら時間があっても足りません。
でも、もう一つ感じることがあります。
   トリミングは、お化粧なのです。
エステをし、化粧をして、最大限繕った美女の姿は、たしかにきれいですが、
自分の容貌、容姿を商売道具としている方は別として、
日常生活では、そんなものは、人間を美しく見せる方法として、筋違いです。
   喜びに顔を輝かせる、
   心をそのまま素直に顔に表す、
   自分のやりたいことを心行くまでやれる、
   そんなときこそ、一番美しく見えるのではないでしょうか?
はつらつとして、喜びを体いっぱいに表しさえすれば、
美女をますます美しく見せますが、
そうでない女性だって、ドラマチックに美しく見えるものです。
写真だって、そうです。
撮った本人が、その写真をそっくりそのまま愛して、
そのまま記事にしてあげたら、
写真は幸せな気持ちに輝くはず。

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by Hologon158 | 2010-04-27 18:03 | ホロゴンデイ | Comments(0)