154.17 ホロゴンデイ47「2010年3月14日熊本の小都市玉名は初夏並の暑さで」17 偉大なる未来?
先日、電車に乗って、周りを見回して驚きました。
今さら驚く方がおかしいのかも知れませんが、
車内の20人ばかりの乗客、私ともう一人をのぞいて、
他の全員が携帯電話をとりだして、操作中でした。
空前のコミュニケーションの時代。
それじゃ、人間関係が深まったか?
とんでもない。
ますます希薄になってゆきます。
ネットコミュニケーションは、単なる情報交換で、
人間関係を深める方向では作用しない。
人間関係に触れあいは絶対条件です。
ネットコミュニケーションに依存すればするほど、触れあいへの依存度が減少。
たとえば、デートは、もはや時間も場所もファジーになってしまいました。
以前は、そして、現在の私は、時間と場所を決めて待ち合わせします。
その時間にその場所にたどり着くために努力をします。
それがお互いの誠意であり、心遣いです。
そうした努力の積み重ねが人間の誠実さという性格を育てます。
現代のデートは、いつ会ってもいい、会えなければ会えなくてもよい、
そんな方向に流れかねません。
言葉がどんどんと実質を失いつつあります。
思うに、鳩山首相は、王者の綸言として、自分の言葉を捉えていません。
たんなるリップサービスとコミュニケーションサービスの記号として、
その場その場で、適当に口を突いて出てくる言葉を、
首相としての責務のフィルターを通さず、そっくりはき出している。
鳩山という人間の実質、人生を根底にもたない。
そんな人間性をもっているかどうかさえ疑わしくなる。
彼も、インターネット時代の申し子なのかも知れません。
でも、国際的にも、そして日本でも、本当の意味での人間関係は、
いまだに人間の信用、実質という基盤に立って構築されています。
古い言葉ですが、「仁義礼知信」は形を変えつつも、まだ生きているのです。
仁義礼知信を備えていない人間など、信頼してもらえないのです。
もし携帯社会がさらに進行するならば、
そこから、どんな社会像、人間像が生み出されてくるかを考えますと、
オーウェルの「1984年」でしょうか、
それとも、ロボット的社会でしょうか?
by Hologon158
| 2010-05-08 11:11
| ホロゴンデイ
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