154.22 ホロゴンデイ47「2010年3月14日熊本の小都市玉名は初夏並の暑さで」22 世話はない!
オイゲン・ヘリゲルの「日本の弓道」に面白い言葉を見つけました。
その狙うということがいけない。
的のことも、あてることも、その他どんなことを考えてもならない。
弓を引いて、矢が離れるまで待っていなさい。
他のことはすべて成るがままにしておくのだ。
まったくの偶然ですが、私がホロゴンで写真を撮るとき、
まったく同じことをしていることに気づきました。
私は、どんな写真を撮ろうと考えません。
どんな写真が撮れるだろうかということも考えません。
どこからどこまで撮れるかも分からない。
およそよい写真を撮りたいという気持ちさえもありません。
ただ、心がストップと号令するところまで接近して、
シャッターを落とすだけ。
後は、フィルムスキャンが済むまで、
こんな写真が撮れていたらよいのにな、などとも考えません。
もう次の被写体に心が飛んでしまいます。
おっと、誤解しないようにお願いしますよ。
なにも私が達人なのだと言いたいわけではありません。
言いたいことは、でも、実は本質的なことが違うということなのです。
弓道の場合、そうは言いつつも、その究極の目的は当てることにあります。
狙えば狙うほど、当てることが難しくなる、その機微を言い当てている。
弓道の名人たらんとすれば、その極意は、というお話なのです。
ところが、私の場合、ホロゴンでよい写真を撮りたいとは考えない。
私が出会ったものがどんな風に歌っているか、それを見たいだけ。
その写真が、写真作品として高い評価を受けるようにしたい、とは思わない。
撮れなければ、縁がなかったと思うだけです。
私の撮り方は、傑作を撮るためのホロゴン写真術ではありません。
私とホロゴンとのお付き合いのしかたでしかありません。
この方法で撮れば撮るほど、写真の王道からは離れていきます。
私の撮っているような写真は、ひとえにレンズのおかげ、
15ミリを使えば、誰でも撮れるような写真であることは、
超広角をお持ちのカメラマンなら、とっくに気がついています。
種も仕掛けもないのですから。
だから、私のブログには、写真ずきな人はあまり来ていないはず。
第一、私の撮り方で、よい写真が撮れたら、世話はないですね。
その狙うということがいけない。
的のことも、あてることも、その他どんなことを考えてもならない。
弓を引いて、矢が離れるまで待っていなさい。
他のことはすべて成るがままにしておくのだ。
まったくの偶然ですが、私がホロゴンで写真を撮るとき、
まったく同じことをしていることに気づきました。
私は、どんな写真を撮ろうと考えません。
どんな写真が撮れるだろうかということも考えません。
どこからどこまで撮れるかも分からない。
およそよい写真を撮りたいという気持ちさえもありません。
ただ、心がストップと号令するところまで接近して、
シャッターを落とすだけ。
後は、フィルムスキャンが済むまで、
こんな写真が撮れていたらよいのにな、などとも考えません。
もう次の被写体に心が飛んでしまいます。
おっと、誤解しないようにお願いしますよ。
なにも私が達人なのだと言いたいわけではありません。
言いたいことは、でも、実は本質的なことが違うということなのです。
弓道の場合、そうは言いつつも、その究極の目的は当てることにあります。
狙えば狙うほど、当てることが難しくなる、その機微を言い当てている。
弓道の名人たらんとすれば、その極意は、というお話なのです。
ところが、私の場合、ホロゴンでよい写真を撮りたいとは考えない。
私が出会ったものがどんな風に歌っているか、それを見たいだけ。
その写真が、写真作品として高い評価を受けるようにしたい、とは思わない。
撮れなければ、縁がなかったと思うだけです。
私の撮り方は、傑作を撮るためのホロゴン写真術ではありません。
私とホロゴンとのお付き合いのしかたでしかありません。
この方法で撮れば撮るほど、写真の王道からは離れていきます。
私の撮っているような写真は、ひとえにレンズのおかげ、
15ミリを使えば、誰でも撮れるような写真であることは、
超広角をお持ちのカメラマンなら、とっくに気がついています。
種も仕掛けもないのですから。
だから、私のブログには、写真ずきな人はあまり来ていないはず。
第一、私の撮り方で、よい写真が撮れたら、世話はないですね。
by Hologon158
| 2010-05-09 00:26
| ホロゴンデイ
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