158.23 ホロゴンデイ49「2009年12月12日しとしと古都奈良町に冬の雨が降り」23 名人らしくないじゃない?
「歴代名画記」に面白い話がのっています。
唐のいわば伝説の画家、閻立本について。
唐の太宗が宮廷内の大きな池に舟を浮かべて遊覧していると、
珍鳥を水面に見つけました。
皇帝は、急ぎ伝令をつかわして、絵の名手閻を召して、
あの鳥を描くようにと、命じました。
画家はすでに郎中という高官であったのに、
並み居る賓客が見守る中、汗みずくになりながら、
池のほとりにうつぶせになって、絵を描いたのですが、
宮廷から下がって、子どもたちを呼び寄せて、
こんな風に戒めたそうです、
私は子どもの頃から君子の技芸をすべてたしなんできたが、
絵の腕で有名になったばかりに、奴僕のような恥ずかしい仕事をさせられた。
お前たちは、絶対に絵を学んではいけないよ。
宇佐見文理さんは、著者は、この逸話を書き留めることによって、
「絵は君子の技芸」であると強調しようとしたと書いておられます。
私は、このお話はちょっとおかしい、きっと歪められていると感じます。
まず、第1点。
太宗は、群臣の中で、閻立本をずば抜けた絵の名手と認めているから、
わざわざ伝令を発して呼び寄せたのです。
いわば、晴れ舞台。
汗だくで駆けつけたかも知れませんが、
事情を知れば、賓客たちの手前もあり、
また、画家の立場をおとしめたくないという気持ちもあり、
謹んで仰せを承り、悠揚迫らざる堂々たる態度で、粛々と絵を描いたはず。
絵を描く段になれば、絵の名手なのです、
珍鳥がいつ飛び立つか分からないのであれば、
きっと、まずしっかりと観察して、頭の中にその姿を刻印したうえ、
あせることなく、けっして汗だくになどならずに描いたことでしょう。
わざわざ岸辺にかっこ悪くうつぶせになったりしたはずがないのです。
次に、第2点。
太宗は、閻立本が描き終わると、どれどれと絵を眺めたはず。
名手なのです、きっと水際だった筆裁きで珍鳥が見事に描きこまれていたはず。
太宗は、なみいる賓客の前で、手放しで「見事、見事」と賞賛し、
賓客たちに回覧させ、画家は大いに面目を施したはずです。
なぜなら、皇帝自らが閻立本なら描けると判断して召し出したのですから、
閻立本を褒めるということは、自分の鑑識眼を褒めることなのです。
もし、出来が悪かったら、賓客の前で、自分が恥をかくことにもなり、
画家をさんざんに罵倒したことでしょう。
とすると、閻立本が帰宅して、子どもたちに教訓を垂れたとすれば、
その内容は、技芸を学んで人に自慢したければ、それ相応に努力せよ、
ということになったはずです。
そして、第3点。
この逸話が、閻立本の生涯のどの時点にあったことか分かりませんが、
彼は、生涯に「歴代帝王図」のような大作を次々とものしつつ、
ついには宰相の頂点にまで登り詰めるのです。
結局、彼は、絵をやめなかったのです。
このような大画家がこんな逸話を残すとはとても思えません。
以上の次第で、このお話も、また私たちに教訓を残してくれました。
字に書かれたものが常に信用できるとは限らない!
というわけで、私が今書いたことも、けっして信用なさらないように。
たった今、思いついたばかりなのですから。
唐のいわば伝説の画家、閻立本について。
唐の太宗が宮廷内の大きな池に舟を浮かべて遊覧していると、
珍鳥を水面に見つけました。
皇帝は、急ぎ伝令をつかわして、絵の名手閻を召して、
あの鳥を描くようにと、命じました。
画家はすでに郎中という高官であったのに、
並み居る賓客が見守る中、汗みずくになりながら、
池のほとりにうつぶせになって、絵を描いたのですが、
宮廷から下がって、子どもたちを呼び寄せて、
こんな風に戒めたそうです、
私は子どもの頃から君子の技芸をすべてたしなんできたが、
絵の腕で有名になったばかりに、奴僕のような恥ずかしい仕事をさせられた。
お前たちは、絶対に絵を学んではいけないよ。
宇佐見文理さんは、著者は、この逸話を書き留めることによって、
「絵は君子の技芸」であると強調しようとしたと書いておられます。
私は、このお話はちょっとおかしい、きっと歪められていると感じます。
まず、第1点。
太宗は、群臣の中で、閻立本をずば抜けた絵の名手と認めているから、
わざわざ伝令を発して呼び寄せたのです。
いわば、晴れ舞台。
汗だくで駆けつけたかも知れませんが、
事情を知れば、賓客たちの手前もあり、
また、画家の立場をおとしめたくないという気持ちもあり、
謹んで仰せを承り、悠揚迫らざる堂々たる態度で、粛々と絵を描いたはず。
絵を描く段になれば、絵の名手なのです、
珍鳥がいつ飛び立つか分からないのであれば、
きっと、まずしっかりと観察して、頭の中にその姿を刻印したうえ、
あせることなく、けっして汗だくになどならずに描いたことでしょう。
わざわざ岸辺にかっこ悪くうつぶせになったりしたはずがないのです。
次に、第2点。
太宗は、閻立本が描き終わると、どれどれと絵を眺めたはず。
名手なのです、きっと水際だった筆裁きで珍鳥が見事に描きこまれていたはず。
太宗は、なみいる賓客の前で、手放しで「見事、見事」と賞賛し、
賓客たちに回覧させ、画家は大いに面目を施したはずです。
なぜなら、皇帝自らが閻立本なら描けると判断して召し出したのですから、
閻立本を褒めるということは、自分の鑑識眼を褒めることなのです。
もし、出来が悪かったら、賓客の前で、自分が恥をかくことにもなり、
画家をさんざんに罵倒したことでしょう。
とすると、閻立本が帰宅して、子どもたちに教訓を垂れたとすれば、
その内容は、技芸を学んで人に自慢したければ、それ相応に努力せよ、
ということになったはずです。
そして、第3点。
この逸話が、閻立本の生涯のどの時点にあったことか分かりませんが、
彼は、生涯に「歴代帝王図」のような大作を次々とものしつつ、
ついには宰相の頂点にまで登り詰めるのです。
結局、彼は、絵をやめなかったのです。
このような大画家がこんな逸話を残すとはとても思えません。
以上の次第で、このお話も、また私たちに教訓を残してくれました。
字に書かれたものが常に信用できるとは限らない!
というわけで、私が今書いたことも、けっして信用なさらないように。
たった今、思いついたばかりなのですから。
by Hologon158
| 2010-05-30 18:51
| ホロゴンデイ
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