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162.65 ホロゴントラベル2「2005年9月青森は弘前の町の風情にしびれたね」65 余り感心出来ない

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小磯良平の画文集、絵はとってもよいのですが、文章はいただけませんね。
    岡本太郎や中川一政が文章を書くと、一行一行、心にぐさっと刺さってきます。
    画家の創造への強烈な思いと原動力が、理解できないとしても、
    ぐいぐいと伝わってきて、圧倒されます。
でも、小磯良平さんの文章は、ただの作文でした。
32歳のときの「神戸山の手の話」
    その最後の文章はこうでした、

    山の手の名物みたいになっているのにこの他に「かっぱらい」がある、
    人通りの少ない横路をえらんで、西洋婦人のハンドバックがよく狙われる。
    これは余り感心出来ない。

「余り」どころか、絶対に感心できないですよね。
でも、そんな当たり前よりも、次の点でもっと感心できません。
    小磯良平さん、生涯に沢山文章を書いたはずです。
    それなのに、画文集をまとめた編集者(これが不明というのもおかしい)、
    なにを考えて、絵とまったく無関係な、個人的な回想文を掲載したか?
    これがまったく理解できません。

画家の画文集に読者が期待することはただ一つ、
    画家自身の文章が絵を照明して、絵を一層よく理解できるようになること、
    画家の創造の秘密、さらにはアート創造の秘密を探る手がかりを与えてくれること。
「かっぱらい」の文章からは、画家の心も創造の秘密もなにも浮かんできません。

でも、ここまで思いつきで書いて、ふっと心に疑いが浮かびました。
    編集者は、わざとこの文章を選んだんじゃないだろうか?
    小磯良平さんの絵を見ていますと、
    専門的な観点からは、大いなる発展、変化を遂げていったのかも知れませんが、
    素人の観点からは、生涯にわたって、そんなに変わっていない。
    終始、上品な女性たちを上品に描き続けた感じがします。
    そんな画家の平穏、平静、不変の平常心を素直にあらわす文章として、
    この文章をわざわざ選んだ、そう考えるのが正解かも知れません。
そうでも考えないと、どうも理解ができない。
    でも、これじゃ、あまり刺激にはならない。
ただの画集、そう銘打っていただきたかったですね。

    [後書き]
        誰にも、なんの刺激にもならない写真と文章を書きながら、
        人には贅沢を言うな!
        そう言われそうですね。
        いつもながら、ほっといてください。
        これは私のブログです。
        好き放題書かせていただきましょう。
by Hologon158 | 2010-07-04 14:28 | ホロゴントラベル | Comments(0)