168.31 ホロゴンデイ52「2007年1月13日当麻から竹之内街道へ孤独の道を」31 起ち上がるロボグラ族
奈良当麻、竹ノ内街道で撮ったホロゴン写真たち、とくに今回の写真など、
ふつう、どなたも撮らないだろうこと、
ふつう、どなたもこれを美しいとは思わないこと、
私もよく知っています。
こんなものを撮るのは、いわば常識外。
写真愛好家のみなさんのほとんど99%は、こんな写真を好みませんね。
というより、こんなものを見たくないと思いますね。
ですから、私も、人に見せるつもりはありません。
その点、ブログは、見たくない人、読みたくない人は来なければよいので便利。
どうして、こんなロボグラフィを撮るようになったか?
なんて、我が身の惨めな運命を呪うつもりなど毛頭ありあせん。
むしろ我が身の運命を祝福したいところ。
たとえば、風景写真家。
美しい風景、崇高な風景を探して、
暗い朝から夜まで、はるばる走り歩かなければなりません。
旅行写真家はお金がかかります。
山岳写真家もお金と体力がかかります。
ところが、ロボグラフィはお金も体力もちっともかからない。
手近では、YoshiさんとA1photoさんとは、かなりの部分で、
ロボグラフィスト(これも造語)。
Yoshiさんなど、名犬(かどうかは知りません)Navi君の散歩がてら、
毎日名作をばりばりと撮ってしまう。
かつて須田一政が「角の煙草屋までの旅」という連作をお作ったことがあります。
Yoshiさんが「Naviとちょっとそこらへ」なんて連作を、
そのうち出版されてもおかしくないですね。
要するに、お金がかからないどころか、愛犬の健康第一ですから、一石二鳥。
それでも、自分の好きな写真が撮れます。
私の場合、路傍のきたない奴らを、きたないから撮るのではありません。
信じていただかなくても結構ですが、
私には、この板や前回のビニール管の堆積、こいつらが美しく見えるのです。
美しくという表現に語弊があるとすれば、こう言い換えましょう。
生き生きとして、活力に満ちて、
人生ならぬ「もの生」を謳歌しているように見えるのです。
蝶々は紫外線が見えます。
ですから、花たちは、暗黒の中に照明のように輝いて見えるのだそうです。
私は、いわばロボグラ線が見えるのです。
ホロゴンを持っていても、いなくても見えます。
でも、ホロゴンを持つと、ロボグラ線メガネをかけたようなものです。
路傍のやつらがさらに鮮明に見えます。
うれしいことに、どんな町に行っても、どんな路地に行っても、
ロボグラ族があちこちの片隅からわっと立ち上がって、
私に向かって、「日の丸」ならぬ「ロボ丸」旗を必死で振ってくれるのです。
私はただ、その目の前に行って、ホロゴンをぐっと突き出して撮るだけ。
by Hologon158
| 2010-08-25 17:45
| ホロゴンデイ
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