170.50 ホロゴンデイ53「2010年5月11日大阪玉造から鶴橋へ下町お遍路」50 蟻も人も
今年の夏ほど、蟻が大量に我が家に入り込んできたことはありませんでした。
プラスチックの入れ物に入った蜂蜜が卓上にあります。
妻が見ていると、そのドーム状のキャップのほんのわずかな隙間に、
蟻が見事に身体を平らにして、ひらりと入っていきました。
頭をすっと外してから入っていった、そんな風に見えたそうです。
キャップは内部ではドーム状の空間になっていて、
キャップを取ってみると、内部には数十匹の蟻たちがひしめいて、
おやつの最中でした。
我が家としては、蟻のおやつにするために購入したわけではないので、
自衛上、やむなく蟻さんたちには流しでさよならしてもらいました。
儚い人生、ならぬ、蟻生だったかも知れません。
でも、よく考えてみますと、
人間だって、蟻たちとさほど変わらないですね。
喜びと悲しみに満ちた人生を営々と送り、突然死んでしまう。
古の中国人たちは、「名を青史にとどめる」ことを志しました。
諸葛亮や岳飛のように首尾良く青史に輝かしい忠臣の英明を残した人もいます。
でも、これは宝くじよりも難しいことです。
ほとんと99.9%の人間は、いつしか忘れ去られる運命にあるのです。
では、そうして忘れ去られた人は、生きる甲斐がなかったというのでしょうか?
とんでもない。
名を青史にとどめるのは、人生の後についてくる結果であって、
その人の人生ではありません。
孔明は、自分の人生を精一杯生きたのです。
彼にとっては、それで十分だったのです。
後世の人間が記憶してくれるか、など、実はどうでもよいことです。
私たちは、むしろ、それよりも次のことを考えるべきなのです。
蟻たちのように、私たちはいつ自分の人生を終えるか、分からないのです。
次の瞬間かも知れないのです。
今、ここで、どう生きるかが、問題。
おちおち、ぐーたら、漫然と生活を送るということは、
自分の人生をドブに捨てているようなものなのです。
そうではないでしょうか?
by Hologon158
| 2010-09-06 17:34
| ホロゴンデイ
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