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174.26 ホロゴントラベル5「2010年8月ブロガーに曳かれて新潟参り」26 文字と写真


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人間はどこまで、またどんな風に感じているのでしょうか?
    言葉でいい尽くせないような感情を感じることは間違いがありません。
    でも、言葉でこれを表現できないと、
    自分でも記憶できず、人に伝えることもできません。
    言葉で感情をお互いに伝えあってこそ、コミュニケーションができ、
    感情の共有が、共感となって、社会の親和力となり、
    ひいては文化の基礎となります。
古代の叙事詩、詩、劇等の文学を読むとき、
    その文明の人々の抱いた感情の一端を知ることができます。
    もちろん、言葉には話し言葉と書き言葉があります。
    書き言葉は、近代になるまで、社会の一部の階層が独占していました。
    室町末期、戦国時代に日本に渡来した宣教師が一様に仰天したのは、
    日本では、平民、農民までかなりの率で読み書きができることでした。
    そんなことは、ヨーロッパでは考えられないことだったのです。
字が読めない、字がかけないと、
    自分の日常生活で見聞きして経験することしか記憶できません。
    どうしても経験の質、量が限定されてしまいます。
    そのために、社会は全体としては、
    文化を向上させる基盤が弱くなってしまいます。
こうしたことから分かってくることは、
    文字はそれほどまでに重要な役割を果たしているということです。

そこで、私が言いたいことはこうです。
    写真もまた表現の手段です。
写真を見て、そこからどんな感情を汲み取るか?
どんな情報を引き出すか?
    人によってさまざまです。
写真には、写真特有の文法があり、語彙があります。
    そうした文法と語彙を間違いなく理解して、写真に向かいあう人と、
    そうした写真を読む経験のない人との間には、
    写真から受ける印象の大きさ、感情の振幅、情報量には、
    大変な差があるのかも知れません。
でも、その差が存在することすら、なかなか分かりません。
    自分の文法、自分の語彙だけで常に写真と相対しているからです。
    自分の文法、自分の語彙を正しくし、豊かにするためには、
    ひたすら写真を撮り、写真を見ること以外には方法はないのでしょう。

こうした写真を読む能力が次第に普及してゆけば、
    写真は私たちの人生を豊かにし、社会を発展させる方法として、
    さらに定着し、愛されるようになるに違いありませんね。
    ブログは、そんな普及の役割をひそかに果たしているのかも知れません。
by Hologon158 | 2010-09-17 18:27 | ホロゴントラベル | Comments(0)