わが友ホロゴン・わが夢タンバール

197.25 ホロゴンデイ58「2009年2月29日少し寂れた五条の町はもう春だった」25 人生、ズルはできない

   時熟

   私の大好きな言葉。

もとは、哲学用語のようです。
   ハイデガーの時間概念を現す翻訳語として創作されたのかも知れません。
   私も、学生時代、一丁前に「存在と時間」を、それもご丁寧に2度も読みました。
   でも、何にも記憶に残っていません。
   読んだ当時も、ほんのひとかけらでも理解できたとは思えません。

でも、時熟という言葉だけは記憶の片隅に残りました。
   ハイデガー的な時間概念としてではなく、
   もっと生活、人生に密着した考え方として。
   
       どのようなものも、それを本当に成そうと思えば、
       時間がかかる。
       一定の心と体の準備ができあがったときに、
       ようやく何ごとかができる。
       それまでは、どんなにがんばっても、できっこない。

よく言われるように、ものには順序があります。
   この順序をひとっ飛びすることはできない。

       人生、ズルはできないのです。

私は、近頃、このことを揚琴で再確認しています。
   私は、運動という運動をしたことがない人間です。
   ですから、身体がとても固い。
   付虹先生から、3年前、揚琴を習い始めたとき、
   こう言われました、
       「揚琴を演奏するためには、
        手首がなめらかに回転する必要があります。
        年のせいもありますが、そんな風になるのはとても無理です」

私は、そのとき、こう答えました、
       「まあ、そう言わずに、ゆっくりと待って下さい。
        揚琴を弾くために、手首を回転させなければならないのであれば、
        必ず、回転するようにします。
        すぐには無理でも、いつか必ず回転するようにしてみせます」

27日月曜日のレッスンでも、付虹先生、
   「やっぱりまだ手首が回転していません。
    右手は、かなり前から、きちんと回転しているのですが、
    左手はダメですね。
    手首は運動方向にまっすぐ回り、
    そのまままっすぐ上の方にはねあがらなければなりません。
    でも、手首がぐるぐると円を描いているので、
    スティックは、正しい位置に落ちていかず、
    あちこち回転して移動しています」

そう言われた、その晩です。
   午後8時頃、ようやく書斎に落ち着いて、揚琴を弾いてみました。
   ぎくっとしました。
   なんだ、左手首、なめらかに回転して、打点が見事一定。
   サウンドがまるで違う印象になっています。

   頭で分かっているのに、どんなに練習してもできなかったこと、
   それを、なんにも考えずに、なにも意識的に努力せずに、
   すいすいとできているではありませんか?

鍵束の中から、合い鍵を探し出すようなものです。
   合う鍵はたった一つ、
   その鍵を入れると、錠はカチリと開きます。
   一旦自転車に乗れるようになったら、
   なにも考えないで、乗れるようなものです。

       ある日、できる。
       それまでは、できない。

私の人生で、一つの時熟が起こったのです。

   次の時熟はなんなのでしょうか?


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by Hologon158 | 2010-12-29 00:01 | ホロゴンデイ | Comments(0)