わが友ホロゴン・わが夢タンバール

208.42 ホロゴンデイ61「2005年11月5日大阪寺田町からいずこ知れず下町へ」42-完-パンタ・レイ

           [Rara Avis展ご案内は、1月17日ホロゴンニュースをご覧ください]


中条姫光学さんが面白いことを書かれていました。
スナップ好きの人は、同じ場所を繰り返し訪れるタイプの人と、
常に新しい場所を求めるタイプの人がいるのではないか。
中条姫光学さんは後者だそうです。
おかげで、多彩な場所での楽しい写真を見ることができます。

私は、明らかに前者、同じ場所に幾度も幾度も通います。
もっとも写真家じゃありませんから、単にそこが好きなので、行くだけ。
たいていの方は飽きられるようです。
私は、飽きません。
近くの鹿野園など、何十回も行きます。
退屈したことがありません。

古代ギリシアの哲人ヘラクレイトスに、その事情を喝破した文章があります。
「人は同じ川に2度入ることはできない」
万物は流転する(パンタ・レイ)という考え方のもととなった思想です。
人は次の瞬間には変わり、
川も次の瞬間には別の水になっています。

私もまた、物の感じ方がどんどん変わっています。
季節、天候、時間、体調、気分、同行者などによっても、猛烈に変わります。
町もどんどん変わります。
自然だって、どんどん変わります。

漢詩にこんな詩句があります。
希夷「代悲白頭翁」の
「年年歳歳 花相似たり、
歳歳年年人同じからず」
でも、一種の花としては、変わりませんが、
特定の場所に咲く花は二度と同じ状態では咲きません。
詩人は、老人がどんどんと衰えて行くことに共感、同情して、
その対比として、花をもってきたのですが、
花の人生だって、どんどんと変わります。

私は町のストリートフォトが大好きですが、里の自然も撮ります。
たとえば、飛鳥の曼珠沙華、岡寺の石楠花、当麻寺の牡丹、
なにを撮りに行っても、花の開花状態、場所など、どんどん変化しています。
大げさにいいますと、栄枯衰退の気味があり、
諸行無常の響きは、人里近くの自然にさえも及んでいます。

町も同様です。
どんどん変化しています。
現代は、古い物を保存するのをやめました。
ばんばん廃棄処理する時代になってしまいました。
            
先頃も、大和郡山城南の裏町が根こそぎ撤去されてしまっているのを発見して、
愕然としました。
なにもない。
住民たちはどこに行ったのでしょう?
跡地はどんな風に利用されるのでしょう。

ですから、ヘラクレイトスにならって言いますと、

人は同じ街に2度訪れることはできない。


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by hologon158 | 2011-02-02 20:51 | ホロゴンデイ | Comments(0)